「野菊の墓 文学碑」と松戸市矢切と文学・哲学への思い【3/6】西蓮寺(真言宗)、『春の潮』に見られる「自我」の主張。結婚式乱入を美化する映画『卒業』は称賛できない。「自我」を持たないことを「自我の確立」と騙す「心理学」「精神医学」ファシズム。小学生用文学全集の是非。

[第551回]
  「野菊の墓 文学碑」訪問の3回目です。2回目で「野菊の墓 文学碑」と道を挟んで北側に「野菊苑」がある一角に到着しました。
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↑ 「野菊の墓 文学碑」がある場所。
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↑ 「永禄古戦場跡」碑


( ↑ マーカーが「野菊の墓 文学碑」 )

  今回はクルマで行きましたが、8月後半の訪問で相当暑い日でしたので、北総鉄道「矢切」駅から歩くのはけっこうきつかったと思いますが、春か秋の比較的涼しい季節ならば、北総鉄道「矢切」駅からか京成バス「下矢切」バス停から歩いて、この「野菊の墓」まで来るようにした方がいいかと思います。場所は松戸市と市川市の境目付近の松戸市ですが、東北地方では地域によっては、よそ者が入り込むことを嫌がるような地域もあるようですが、ここは千葉県でも最も東京都に近い千葉県ですし、この西に歩いていくと「矢切の渡し」もある場所で、「野菊の墓 文学碑」が設立されているということは、伊藤左千夫『野菊の墓』の愛読者の人はぜひ来てくださいということだと思うので、付近を歩かせてもらっても悪くないと思います。『野菊の墓 文学碑』はあくまでも「文学碑」であって、政夫が「・・どうやら民さんは野菊のような人だ」と言った民子のお墓ではなく、又、民子が働きにきていた斎藤政夫の実家の場所というわけでもなく、あくまで、このあたりが舞台ということでの「文学碑」ですから、ピンポイントで文学碑だけを訪問するのではなく、「野菊の墓 文学碑」と「野菊苑」をひとつの目安として、『野菊の墓』の舞台だったこのあたりまで、せめて、北総鉄道「矢切」駅からか京成バス「下矢切」バス停から歩いてみるようにした方が本来的な訪ね方かもしれません。
  京成バス「下矢切」バス停がどこかは、今回、クルマで往復したのでわからなかったのですが、インターネットで検索すると、松戸矢切郵便局の前あたりのようです。

  北総鉄道は比較的最近、通った電車で、それまでは、この付近はJR常磐線「松戸」とJR総武線「市川」・京成本線「国府台」駅の中間あたりの場所で、東京の都心から直線距離では近いものの、電車の駅からある程度離れた場所だったことがかえって良かったのか、『野菊の墓』の舞台の場所はこんな感じの所だったのかな・・と思いをはせることができる情景が残っているように思います。

  又、今回は舟には乗りませんでしたが、「矢切の渡し」で江戸川を渡ると向こう側は葛飾区の柴又、帝釈天の後ろのあたりのようですが、柴又帝釈天のあたりともずいぶんと雰囲気が違います。伊藤左千夫は錦糸町駅付近で牛を飼って牛乳の販売をやっていたということですから、今の錦糸町駅付近からは考えられないことですが、そのくらいの違いがあるわけですから、柴又あたりも『野菊の墓』の時代においては今とは違った様子だったのでしょう。

  「野菊の墓 文学碑」は《千葉県観光物産協会 e千葉 野菊の墓文学碑》 https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/8532 には、《 野菊の墓文学碑は、松戸市下矢切にある西連寺の境内にあります。》と書かれているので、お寺の境内にあるからには、やはり、最初に本堂にお参りをして、それから「野菊の墓 文学碑」を訪ねるというのがお寺さんに対する礼儀ではないか・・と思ったのですが、「野菊の墓 文学碑」の場合は、行ってみると、西蓮寺の入口は南側にあり、「野菊の墓 文学碑」は寺とは逆の北西側に階段があって、その階段を登っていくとあり、「野菊の墓 文学碑」のすぐ南は墓地であって、「野菊の墓 文学碑」のエリアと墓地との間ははっきりと境界がもうけられていて、境界が設けられていなくてもお墓の中は通りにくいとしても、お寺の本堂の方と「野菊の墓 文学碑」のエリアとははっきりと分かれています。
  お寺としては、「野菊の墓 文学碑」に来場した人に寺のエリアに来てもらいたくないのでしょうか。もしくは、中にお寺のエリアに来てもらいたくないというマナーのよくない来場者がいたのでしょうか。
  今回、「野菊の墓 文学碑」とその道路を隔てた北側の「野菊苑」に行って、それから西蓮寺の方にも足を運んでみたのですが、お寺さんとして観光客は寺にはあまり歓迎したくないのかもしれませんが、それでも、お寺の境内にあるというからには、やっぱり、お寺を無視するのはいかがなものかと思うので、ここでは先にお寺の方をとりあげます。
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 ↑ 西蓮寺。 「野菊の墓 文学碑」とは逆の南側に入口があります。おそらく、この写真の建物が本堂ではないかと思いますが、境内の施設に訪問させてもらったからには、賽銭箱に特に多額ではないとしても施設利用料のつもりでいくらか入れていこうかと思ったのですが、まず、賽銭箱が見当たりません。
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↑ 墓地の入口の方に右に「八幡山」、左に「西蓮寺」と書かれた石碑が建っています。
  この「八幡山 西蓮寺」という石碑が建つ位置が違うのではないか・・と思ったりもしたのですが、何か子細があるのでしょう。

  この墓地の北側、道路に近い場所に「墓参用駐車場」があるのですが、
「 墓参用駐車場
無断駐車及び、墓参以外の駐車はお断り致します。
   西蓮寺 」
と大きく書かれています。「墓参以外の駐車はお断り致します」というのは、「野菊の墓 文学碑にクルマで来た人は停めるな」という意味でしょうか。 私は停めてませんよ。
  でも、なんだか、このお寺の敷地の一角に「野菊の墓 文学碑」が設けられたにしては、お寺さんとして好意的ではないような印象がします。そんなに嫌なのでしょうか。

  「野菊の墓 文学碑」の側の階段を登っていくと、
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 ↑ 「野菊の墓 文学碑」
野菊の墓―他四編 (岩波文庫 緑 9-1) - 伊藤 左千夫
野菊の墓―他四編 (岩波文庫 緑 9-1) - 伊藤 左千夫

  《ウィキペディアー伊藤左千夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%B7%A6%E5%8D%83%E5%A4%AB や伊藤左千夫『野菊の墓 他4編』(岩波文庫)などによると、 伊藤佐千夫の生誕と『野菊の墓』などの発表は、
1864年(元治1年)9月 武射郡殿台村(現 山武市殿台。ちょっと前までは成東町。)に生まれる。本名は伊藤幸次郎。
1881年4月 明治法律学校(現 明治大学)に入学するが、眼病を患い、12月に中退。 
1904年ー1905年 日露戦争
1906年(明治39年)1月 『野菊の墓』
1907年(明治40年)11月 『水籠(みずごもり)』
1908年(明治41年)1月 『隣の嫁』
  〃  ( 〃 )4月 『春の潮 隣の嫁続編』
  〃  ( 〃 )12月 『告げびと』
1913年(大正2年) 脳溢血により現在の江東区大島で死去。
1914年(大正3年)ー1918年(大正7年) 第一次世界大戦
1965年(昭和40年)5月 松戸市下矢切 「野菊の墓 文学碑」完成。
1991年(平成3年)5月 山武市に伊藤左千夫公園 が完成。

  伊藤佐千夫『野菊の墓』は、私は小学校の高学年の頃、偕成社の「ホームスクール版 日本の名作文学(全22巻)」の第4巻のもので読んだ。これは「日本の近代文学から、若い心の感動をよぶ永遠の名作を厳選▶現代表記による全文収載」 というもので、
「推薦のことば」として、
「若い時代に受けた感動は、一生を支配するといっても嘘ではない。そのことをよく知って作られた名作文学は、若い人に多くの地味を与えることだろう。 作家 武者小路実篤」
「このシリーズの作品は、名作と呼ぶにふさわしいものばかりで、未知の人生にふみこむ人たちには、正しい指針とも、心の糧ともなるだろう。 東京教育大学教授 文学博士 吉田精一」
と書かれている。
  私が小学校高学年の頃、こういった小学校向け文学全集というものがいくつかあって、けっこう読んだものですが、「小学生向け文学全集」にはいい面とそうでない面の両方があるように思います。
  吉田精一は「このシリーズの作品は、名作と呼ぶにふさわしいものばかりで」と書いていますが、私は自分が小学生の時にはそうなのだろうと思っていたのですが、30前後くらい以降からは必ずしもそうは思わなくなった。なってないものばかりということはないけれども、中には、これはどうかな・・というもの、害にはならないかもしれないが読んでもたいして益にならないだろうというものもあるのではないか・・と思うようになり、又、たとえ、「名作と呼ぶにふさわしいもの」が集められていたとしても、たとえ、文学者とか◇◇大学文学部教授といった人で比較的良心的な人が選んでいたとしても、しょせんは「どこかの誰かが選んだもの」であって、何がふさわしいものなのか、もう一度、自分自身で選び直してこそ価値があるものだ・・と思うようになった。
  偕成社「ホーム・スクール版 日本の名作文学(全22巻)」のシリーズでは、たとえば、太宰治『走れメロス』なんてのが入っているのですが、これは太宰治 自身が『人間失格』の中で、太宰治の分身かと思われる主人公が、生活の為に心ならずも「通俗小説」に手を出した・・と書いていたそれだと思うのです。『走れメロス』なんて、くっだらねえ・・と思いませんか。むしろ、友を信じたら裏切られたとか、連帯保証人のハンついたら、ドロンしやがったとかそういう話の方が、むしろ、「名作」だと思いませんか。連帯保証人になったらカネ払わずにドロンしやがったなんて話は「小学生向け」ではないのかもしれないけれども、だからといって「通俗小説」読ませてもしかたがないのではないか、特に作家自身が心ならずも生活の為に手をつけたというものを「名作」と言うのはどんなものか・・とも思うのです。同様の「通俗小説」としては芥川龍之介『杜子春』なんてのもありますね。くっだらねえ・・( 一一)  さらに言うと、庄子薫『赤ずきんちゃん気をつけて』だったか『白鳥の歌なんか聞こえない』だったかで、登場人物が菊池寛なんて通俗小説だと語る場面があるのですが、言われてみると、菊池寛というのは『父帰る』にしても『恩讐の彼方に』にしても、要するに「全体が通俗小説」の作家ではないか。
  「小学生向け文学全集」だけでなく、「国語」の教科書とか「道徳」の教科書に収録されている作品にも、これはおかしいのではないか・・というものがある。たしか、小学校4年の時の「国語」の教科書に芥川龍之介『杜子春』なんてのが掲載されていたのだが・・、なんで『杜子春』なんだ? 「親孝行せえよ、親孝行せえよお、わしに親孝行せえよお。わしに親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ。まんまんまんまんまんまん。朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしにじゃ、わしにわしにわ、し、にい~い!」と言いたいのか?
  一般に文学者と言われる人の作品と、その教科書向けに「普通の人」が書いた文章とあったのですが、例を上げると、小学校5年の時の「国語」の教科書に「星野くんの二塁打」というのがあって、小学生の野球チームにいる星野くんは、その試合の前の打席で凡退したけれども、得点圏にランナーがいる次の打席では「打てそうな気がした」が、監督から「バントで送って、次の何何くんに打ってもらうようにするんだ」と指示され、「打たせてください。打てそうな気がするんです」と訴えるが監督は「『打てそうな気がするんだ』ではだめだ」と言ってバントするように言う。しかし、星野くんはどうしても納得いかず、バントせずに打ったら二塁打になり、そのタイムリーヒットで試合にかった。しかし、試合後、監督は「ぼくは次の試合は星野くんをメンバーからはずそうと思うのだ。たとえ、二塁打を打てたとしても監督の指示をきかない者を出すわけにはいかない」・・というそういうお話だったのだが、これは、結果から見ると良かったように見えても監督の指示はきかないといけないものだ・・ということを教えたいというものらしかった。・・しかし、だ。小学生の野球チームではなくプロ野球の選手の話にしても、「ベンチがアホやから野球ができん」と言ったか、言わなかったとしても心の中で思いまくっているケースというのはあるようで、プロ野球選手でなくても「普通の会社員」でも「ベンチがアホやから野球ができん」という気持になるケースはあるのであって、こいつの言うことなんて従っていたら仕事にならない、それが、ともかく上司の言うことを聞いておけば給料もらえるような性質の仕事ならまだいいけれども、そうではなく、従業員個人個人に数字を求められるような仕事であれば、上役の言うことをきいて「ほら見ろ。あんたの言う通りやったからだめになっただろうが」と思っていると本社から「アンケート」とかいうのが来て、「なぜ、今回、解約になったのか。あなたのどこが悪かったのか書いて本社に送ってください」なんてのが送りつけられてきたり・・て、これ、実際に私は(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ というクズ会社で経験したことなのですが、その時、何と書いたか記憶がはっきりしないのですが「営業本部長の指示に従ったのが悪かった」と書いて送ってやりたかったのですが、現実にそういうことがあるのです。だから、そういう経験をした者からすると、「星野くんの二塁打」て、しょーもない話を「国語」の教科書に載せやがってからに、この教科書の編集者て、自分はヒットを打てそうに思う時に送りバントをしろと監督が指示してそれに従って次の打者が凡打で負けた時に、その監督が「私の采配ミスでした」と認めよるか、そうではなく「勝ちは監督の勝ち、負けは選手の負け」にしようとぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃら言いよるか・・なんて考えてないのと違うか、常にいい監督・いい上役ばっかりだとか勝手に思い込んでないか? ・・と思った・・というか、思いませんか? 又、「大人になって」上役の言うことを我慢してきいていると、毎回毎回、「送りバント」ばっかりさせよって、しょーもないやつで、いつでも凡打ばっかり打つやつにええ役やらそうとする上役とかもいるわけで、毎回毎回、それに従っていたのでは、結局、バカ見さされるだけ・・になるという会社もあるのです。私はそんな会社に勤めてきたから実感としてわかる・・が、程度の差こそあれ、会社という所に勤めてみると、そういうこともあると学ぶことはあると思うのです(中には学ばない人もいるだろうけれども)。
  さらに、もっと根本的な問題としてですが、テレビでプロ野球中継を見ると、なんだか、バントてやりやすいみたいなことをアナウンサーは言ってませんか? 違うと思うのですよ。私、バッティングセンターがけっこう好きで何度も行ったのですが、バッティングセンターでは、普通にスイングして打とうとしたなら、打てるか打てないかで、ごくたまにファウルチップが自分の体の方に来るとか、雨の日とか機械の調整が悪い時に打者の方にボールが来るということはあるけれども、普通に打てば空振りしてもそれだけなのですが、一回、バントやってみようかと思ってやってみたら・・バントというのは怖いのです、ほんと。プロ野球の選手なら「バントのうまい選手」というのがいるようですが、しろうとがバントやってみようとすると、怖いし、普通に振ってヒット打とうとするよりもバントの方が難しい。だから、現実の問題として、小学生の野球チームの選手がバントて、そんなに簡単にできるものか、という問題があるはずで、小学校5年の「国語」の教科書の作成者、それをわかってなかったのではないか・・と思う。プロの選手でも、何で読んだか忘れたが、南海ホークス⇒オリックス⇒ダイエーホークスの門田選手は、社会人野球から南海ホークスに入って2年目、選手兼任監督だった野村は、最初、門田を2番で使おうと考えたが、春のキャンプの時にバントの練習をさせたら、あまりにも下手なので、それで2番は無理だとあきらめたらしいが、門田が述べていたが「プロの投手の球をバントしようとすると、怖い怖い」というもので、プロの選手にとっても決してバントは簡単ではないようだ。プロ野球の試合の中継を見ると、バントなんてできて当たり前みたいに送りバントをやる選手がいますけれども、あれは相当練習した人なのだと思う。簡単みたいにやるものだから、しろうとはバントて簡単なのかと思いそうになるけれども、あれは相当練習した上で見ている者には当たり前みたいに見えるようにやっているのであって、バントを相当練習したプロの選手にとってはヒットを打つよりも易しいのかもしれないけれども、しろうとがそれと同じようにできるものではないのであり、小学生が野球に使っているボールはプロの野球選手と違って硬球ではなく軟球かもしれないが、それでも、普通に考えて小学生の野球チームの選手が簡単にバントできたかどうかは極めて疑問です。だから、小学校5年の時の「国語」の教科書に載っていた「星野くんの二塁打」という話はあれは嘘だと思うのだ。それを、1970年頃、プロ野球の解説者が「バントもできないようでは」とかテレビの野球中継の解説で「野球解説者」が話すみたいな感じで授業で話す大阪府の北摂地区のM市立N小学校の教諭「はな◇◇」(男。1970年頃当時、40代。大阪府立池田高校卒⇒大阪教育大卒)も、あのおっさん、何考えとんねん・・て気がするが、「その程度の人」で「その程度しか考えてなかった」のだろう・・と思う。
  他にも、木下順二『聞き耳頭巾』なんてのが小学校4年の時の「国語」の教科書に掲載されていたと覚えていますが、騙されても損させられても真面目に努力して働けばきっといいことがある・・みたいなお話になっているのですが、騙されても損させられても真面目に努力して働いて、結局、バカ見さされるだけの人生やったあ・・となったらどないしてくれんねん、木下順二は責任とってくれるんかい・・と思いませんか? どうも、木下順二というのは国民にそういう意識を持って不平を言わずに従順に働けみたいな話が多い作家、いわば「体制側推薦」「権力側推薦」みたいな作家なのです。逐一あげるときりがないけれども、そういった国民の精神を抑圧し、人民を眠らせるための文学というもの、いわば「虚学」の文学というものがあって、けっこうそういうものが教科書にも掲載されていたように思います。

  この武者小路実篤の方の「推薦のことば」だが、「若い時代に受けた感動は、一生を支配するといっても嘘ではない。そのことをよく知って作られた名作文学は、若い人に多くの地味を与えることだろう。」と私もそう思っていたのです。小学生の時だけではなく、中学生の時も高校生の時もそう思っていたのです。そして、大学というものはそういったものを学んできた人が行く所のはずだと思っていたのです。・・・ところが、1970年代後半、大阪府高槻市のYMCA予備校高槻校に「主事」というよくわからん職種でいた藤井という男は、そういった文学・哲学といったものを否定して、読まさないようにしようとするのです。浪人生・大学受験生が大学入試に通ろうとするならば、文学・哲学といった本をいっぱい読んでいる時間はないという意味ではありませんよ。そういう意味で言うのなら言って悪いとは言いません。そうではなく、文学・哲学といったものを否定することで国民を愚民化しようとしていたのです。そんな人間が、予備校とはいえ、なぜ、教育の仕事に携わっているのか。どう考えてもその仕事には向かない人間のはずですから、他にも仕事はあるはずなので、他の仕事に就くようにした方がいいのではないか・・と思ったものでした。中学校の先生・高校の先生は、戦前戦中は大学というものが少なかったので、大学卒なら教員資格を持っていなくても採用されたらしいけれども、今はそうではなく、その仕事につこうと思ったら、大学で中学校教諭・高校教諭の各科目ごとの資格を取得していないと採用してもらえませんが、予備校の先生というのはそういう資格はないし、YMCA予備校の「主事」なんてのは教える仕事ではないので、講師の場合は教員免許は持っていなくても、ある程度以上の大学を卒業して大学入試においてはある程度以上の成績を残したような人がなるという場合があるようですが、「主事」というのは事務職員であって教える能力がなくてもなれるのです。YMCA予備校が良くなかった点としては、自分自身が勉強してきていない「主事」という事務職員が、京大・阪大あたりを卒業した講師に授業の内容を指示・命令していた、わかってないやつが命令してさせていた・・という点があると思います。

  「道徳」の授業というものについて是非が言われることもあるのですが、私が中学校の時に「道徳」の授業で使用した「新しい生活」という題名の東京書籍発行だったと思うのですが、「道徳」の教科書には文学者と言われる人の作品から引用したものと、その教科書の編集者のオリジナルの文章とが半分半分ほど掲載されていましたが、文学・哲学の本を読んで自ら考えるというのは価値があることであるけれども、「このように考えなさい」「こう考えるのが道徳なのです」と観念的に教えられるということであれば、そのような「道徳」は害があると考えるべきでしょう。慶應の学生にはそういう「害がある」ようなものが好きな人が多かったと思いますが、慶應の人はそういうもののことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか「自我が確立されている」とか主張するのですが、逆と違うんかい、それは、逆だろうが!・・と思うのですが、そういうことを言うと「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」とか「慶應心理学」から「診断」されることになります。「心理学」で「自我が確立されている」とはそういうものを言うようです。
  「道徳」の教科書にも「星野くんの二塁打」の類のものはありましたし、「木下順二型体制従順の勧め」みたいなものもあったのですが、文学者の作品では、ロマン=ロラン『ジャン・クリストフ』からの引用のもの、井上靖『天平の甍』からの引用のもの、魯迅『藤野先生』から引用のものなど、「国語」の教科書に掲載しても悪くないであろうし、文学としてすばらしいものが「道徳」の教科書に掲載されていたものがあったと思っており、それゆえ、「道徳」の授業というものが何から何まで悪いとは私は思っていないのです。
〔 魯迅『藤野先生』に関してだが、時々、「東大出の運動選手」とか「東大出の女 菊川玲」(あれは「女優」でもない「歌手」でもなし「モデル」でもなし「アナウンサー」でもなし、しゃべらせるとしばしばかむ、アナウンサーとは違って話すのが下手だし、何なんだ? というと「東大出の女」という奇妙な職業のようだが)とか、せっかく東大まで出してもらっておきながら、東大で学んだものと関係のない仕事について得がる人がいますが・・(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ にはかつて「東大出のプロゴルファー志望」翻訳すると《「東大出の」とつけなければ「プロゴルファー試験にすら通らないプロゴルファー志望」・・「東大出の」とつかなければ単なる並以下の「東大出のAV女優」みたいなもんか?》がいて「プロゴルファーとして大成できなかった」からではなく「プロゴルファー試験にすら合格できなかったから」プロゴルファーになるのは断念したみたいでしたが、「アホなやっちゃな。東大まで出て何をしょーもないことやっとんねん。東大でてもあんまり賢ないいうことかあ。俺の弟なら言ってやるのになあ」と何度も思ったものでしたが・・・又、(株)一条工務店の「初代社長」は「東大出」「東大」というものを別格のように思ってありがたがるというあたりは、それは「高卒のおっさん」の「学歴コンプレックスの裏返し」なのか、大学卒の者の能力を的確に活かそうとする姿勢とは逆のもので、「うちの会社にも東大出の従業員がいるんですよ」と言えば人はありがたがるみたいなアホなこと思っている・・というあたりは「やっぱり、高卒のおっさん」というのか「浅はか」というのか何というのか・・・だったが・・・、魯迅は日本の学校で藤野先生から医学を学んだものの、その時代の中国人にとって必要なのは体の健康ではなく心の健康だ、精神をなおすことの方が大事だと考えて、医学の学習を中絶して文学の道に進むこととして、それを日本で親切にしてくれた藤野先生に謝りにいくという話だが、せっかく、東大に入学させてもらって専門の勉強をさせてもらったのに、それを活かさずに運動選手になったり、「東大出の女」というわけのわからん職業についたるする人というのは、それは自治医大を卒業したら何年以上「へき地」の診療所に医師として勤務しなければならないとか、防衛大学校を卒業したら自衛隊に何年以上は勤務しなければならないとかいった規定があるのとは違って東大を卒業したらこういう仕事につかないといけないという義務まであるわけではないけれども、そうはいっても、その人が東大に行かなかったら、実際に東大での専門として学ぶものを卒業後に本当に活かしていきたいという人がその人のかわりに1人入学できた、その人が東大に行かなかったら合格できた人が一人入学できなかった、東大あたりを落ちた人間というのは「落ちた人」であってもけっこう努力してきた人なんだ・・ということを考えると、特に自分が大学受験生の年齢ではなく受験生の親であってもおかしくない年齢になってみると、「東大での運動選手」とか「東大でのプロゴルファー志望」とか「東大出の菊川玲」とかいうような人間というのは、それは「すいません」か「申し訳ありません」か一言くらい言うべき性質のものであって、「東大出の野球選手」とか「東大出のプロゴルファー志望」とか「東大出の女」とかそういうものを自慢するというのは、それは了見が違うのではないか・・・と思う、それは「自慢するものとは違う」と思う・・がな。〕
  但し、名作と言われているものからの引用でも、プラトン『ソクラテスの弁明』からの引用のものは、この作品は、ソクラテスがアテネの街で青年たちに語りかけて「自ら考える」ということを産婆術としておこなったのが、青年を堕落させる行為だと批判されたがそれは違うと弁明する話、いわば、哲学や文学なんてものは学ばなくていいからせっせと働けという主張に対しての反論のはずですが、ところが、「悪法もまた法なり」と言って、不当な裁判で死刑を宣告されても従うべきなのだ・・という主張にしてしまっているのです。たとえば、飯塚事件の久間さんなんて、どう考えても犯人ではないのに死刑を執行されてしまった。
死刑執行された冤罪・飯塚事件: 久間三千年さんの無罪を求める (GENJINブックレット) - 飯塚事件弁護団
死刑執行された冤罪・飯塚事件: 久間三千年さんの無罪を求める (GENJINブックレット) - 飯塚事件弁護団
実際、「あんた、こんないいかげんな裁判やっていたら、後で後悔することになるよ」と言ってやりたい裁判官はいますし、「何何さん、こんないいかげんな裁判やって、それで(出世コース)の東京の裁判所に転勤になって良かったね」とせめてそのくらいの皮肉でも言ってやりたい裁判官というのは実在します。
  瀬木寛・清水潔『裁判所の正体』(新潮社)で元裁判官 瀬木比呂志氏は裁判官だった時、本人訴訟をやっていた人で書面に「次、敗訴になったら裁判官を殺す」と書いた人がいたことを述べているが、実際、「殺してやりたいくらい」の裁判官は実在するし、「殺していい」と言うわけにはいかないとしても、「殺されても文句なんか言えないのではないか」と思われる裁判官は実在する。
裁判所の正体:法服を着た役人たち - 瀬木 比呂志, 清水 潔
裁判所の正体:法服を着た役人たち - 瀬木 比呂志, 清水 潔
  他にも、冤罪事件として表に出たものもあるけれども、表に出ることなく執行されたものはあるだろうし、死刑ほどでないものならもっとあるはずだ。それらに対して「悪法も法である」から従えと「道徳」の教科書は教えたいのか・・みたいな掲載のしかただった。一部分だけを抜粋して掲載して、そういうその本の本来の意味と違う意味で「教育」しようという人がいるのかもしれません。

  岩波文庫の伊藤左千夫『野菊の墓 他四編』と、偕成社の「ホームスクール版 日本の名作文学」の伊藤左千夫『野菊の墓』とでは、『野菊の墓』以外に掲載されている作品が異なります。
  両方に共通して掲載されているものとして、『水籠(みずごもり)』『隣の嫁』『告げびと』があり、岩波文庫のみに掲載されているものに『春の潮 隣の嫁続編』があります。 偕成社の「ホームスクール版 日本の名作文学」の方にのみ掲載されているものには、『奈々子』『守の家』『箸』『紅黄録』『姪子(めいご)』『老獣医』『河口湖』『水害雑録』の8作品があります。一般に、伊藤左千夫の作品というのは、比較的短い小説が多いようですが、それでも、『野菊の墓』や『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』のように、長さとしては中編くらいで、短くまとめられているが話の展開があって内容もあるものと、ごく短いものとがあるようです。
  ここで、私は気づいたけれども、気づく人と気づかない人がいるのではないかと思うものとして、『隣の嫁』はどちらにも掲載されているのですが、『春の潮 隣の嫁続編』は岩波文庫の方には収録されているけれども、小学校高学年向けの偕成社「ホームスクール版 日本の名作文学」には収録されていないという点です。
  なぜかはわかります。JR総武線と東金線が分かれる成東駅の東のあたりに伊藤左千夫生家が今もあるように、成東のあたりの生まれですが、最も有名な小説の『野菊の墓』の舞台は松戸市と市川市の境目あたりの松戸市である矢切ですが、『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』は成東から東金にかけてのあたりが舞台で、雄蛇が池も登場します。『隣の嫁』は、省作という若い男が隣の家の嫁・・といっても両方とも10代なのですが、その隣の嫁の「おとよさん」に魅かれる・・けれども、隣の嫁だからどうしようもない・・ということで、農家の次男だった省作は息子がない家の婿養子に行き、「隣の嫁」の「おとよさん」も省作との関係がどうかと関係なく、最初から夫との間が冷えていたような感じで実家に戻ってしまう・・という所で結末になる話です。これを、「ホームスクール版 日本の名作文学」の方では『隣の嫁』だけを掲載して、そして、この『隣の嫁』という作品を、立教大学教授 塩田良平は「作者と作品について(解説)」で、
《 『隣の嫁』は、明治41年(1908年)1月、「ホトトギス」にのった。省作(しょうさく)という、百姓の不得手なむすこが、隣の嫁であるおとよさんに、少年らしい興味をおこす話である。おとよさんは「女としてはからだがたくましすぎるけれど、さりとてけっしてかどかどしいわけではない。白い女の持前で顔は紅(くれない)に色どってあるようだ。くちびるはいつでも『べに』をすすったかとおもわれる。たくさんな黒髪をゆたかにいちょう返しにして帯も半襟もきのうとはかわってはなやかだ」こんな書きぶりに、省作の、女にたいする憧憬のありたけがうかがわれる。「おとよさんがいくらえい女でも、ぬしある女、人の妻」などという表現に、世間ずれしていない、あきらめのいい、善良な左千夫が感じられるのがおもしろい。》
などと書いているのです。
  これ、やっぱり、「小学校高学年向け」だからそういう書き方をするのかもしれません。しかし、「続編」である『春の潮 隣の嫁続編』を読むと違うのです。「おとよさん」は兄があり、省作にも兄がある農家で、おとよさんは「隣の嫁」に来たけれども、どうも、だんなとうまくいっていない。『隣の嫁』の終わり頃、省作は「おとよさん」に好意をもっても人の嫁であるからどうしようもないと、いったんはあきらめて、そして、娘はあるが息子はないという家の婿養子に行くのです。省作が深田という家の婿養子に行った後、「おとよさん」は省作が隣にいない家を出て実家に帰ってしまう。 しかし、ここからは、「おとよさん」は「隣の嫁」ではなく、出戻りでも「バツイチ」でも10代の独身の女性なのです。そして、省作は婿養子に行ったものの、たいして経たないうちに省作も実家に戻ってきてしまう。こうなると、独身の男と独身の女であり、おとよさんが実家に帰ったとしても、省作が婿養子に行った後で実家に戻っているので、省作が離婚させたわけでもなく、省作と関係なく離婚して実家に戻った女ですから、独身の男と独身の女が仲良くなっても悪いということはないことになるのですが、しかし、農家の息子と娘なので、おとよさんの父親が言うように、省作が跡取り息子ならば嫁にやることもできるし、おとよさんが兄がなくて娘だけの家ならば省作を婿養子にとることもできるけれども、省作は次男で兄が後を継ぐ家であり、おとよさんも兄があって婿養子をとる家ではないので、その2人を結婚させるのは難しいという事情があった。しかし、それでも、互いに思い合う二人ならばと、省作の兄は、おとよさんと結婚してしまえと応援(もしくは、けしかけ)します。おとよさんの父親は、最初は、嫁にやることもできない・婿にとることもできない関係であるからには無理な話だと言っているものの、どうしてもきかない二人に折れて、結局、省作は東京に出て所帯をもってやっていけるようにして、それから、おとよさんを東京に呼ぶ、結婚式は成東のあたりでやったのでは、おとよさんが出てきた家の元だんなに悪いから成東のあたりではやらず、省作が東京でやっていけるようになってから、結婚式も東京でやるようにしようとなる。最後は、おとよさんと省作の家で省作にいくらか思いを寄せていてくれていたらしい「おはま」とが千葉駅まで東京に出る省作を見送り、千葉駅にて、省作は、二人はここで降りてくれと言って東京に旅立つ・・という話ですが、小学校高学年には「隣の嫁」を強奪したわけではないとしても、「隣の嫁」と思い合って、結局、「隣の嫁」は実家に戻り、そこから独身の者同士で結婚に向けて進むという話であっても、それでも「隣の嫁」と仲良くなるという話は具合が悪いということで、「隣の嫁」との仲が進んで結婚しようという所まで進む『春の潮 隣の嫁続編』の方は偕成社「ホームスクール版 日本の名作文学」では収録せず、いわば、話の途中、省作がおとよさんとをあきらめて婿養子に行き、おとよさんは省作とは関係なく実家に戻る・・という所で終わる『隣の嫁』だけを掲載して、そして、「省作(しょうさく)という、百姓の不得手なむすこが、隣の嫁であるおとよさんに、少年らしい興味をおこす話」「省作の、女にたいする憧憬のありたけがうかがわれる」などという話にしてしまっているのです・・が、そうではないはずなのです。
  どうも、「少年少女向け」として編集されると「人畜無害化」されてしまう場合が多いのですが《『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』》も、前半部分の『隣の嫁』だけを掲載することで「人畜無害化」してしまっている、それだけではなく大学教授である解説者が間違えた解釈をしている。
  岩波文庫の宇野浩二の「解説」では、伊藤左千夫は「自然主義」の影響を受けた書き方だと書かれているのですが、「自然主義」て何なんだと高校の「文学史」のテキストで見て時に思ったのですが、実際に「自然主義」と言われる小説を読んでみるとわかります。田山花袋『田舎教師』は私はたしか1浪の後だったかに読んで身につまされる思いがした小説なのですが、作者として訴えたいものはあるわけですが、しかし、表現としては淡々と事実を書き連ねるような表現、あまり感情移入しない表現で書き進めるというものです。裁判の陳述書などの書類に、本人が書く場合、あるいは準備書面でも、心の中では「この野郎」と怒り心頭・・という状況であっても、書面には、むしろ事実を事実として書き連ねるようにした方が読み手に強く訴えることができるという場合があると思うのですが、あるいは本多勝一が新聞の記事の書き方として「事実をもって真実を書く」といったことをどこかで書いていたと思うが、それと似ているかと思います。作者は登場人物にあまり感情移入しないで淡々と書き連ねるような表現で、その結果として逆に登場人物の思いが読者に伝わる・・ようなそういう書き方です。
田舎教師 (新潮文庫) - 花袋, 田山
田舎教師 (新潮文庫) - 花袋, 田山
  伊藤左千夫『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』についても、淡々とした表現で書かれているけれども、実際には、もともとは「隣の嫁」だった女性で、なおかつ、婿養子をとる家ではなく、自分も家を継ぐ立場でもない男が、そこには他の男の言葉として口に出される文句「・・深田に田地が百俵付けあったってそれがなんだ。婿一人の小遣い銭にできやしまいし、おつねさんに百俵付けをくくりつけたって、体一つのおとよさんと比べて、とても天秤にはならないや。一万円ほしいか、おとよさんがほしいかといや、おいら一秒間も考えないで・・・」「おとよさんがほしいというか、嬶(かかあ)にいいつけてやるど、やあいやあい」・・という言葉が出ているように、そして、省作の兄が「省作、お前はな、おとよさんと一緒になると決心してしまえ」「・・・ウン世間がやかましい・・・そんな事かまうもんか。おッ母さんもおきつも大反対だがな、隣の前が悪いとか、深田に対してはずかしいとかいうが、おれが思うにゃそれは足もとの遠慮というものだ。な、お前がこれから深田よりさらに財産のある所へ養子にいったところで、それだけでお前の仕合せを保証することはできないだろう。よせよせ、婿にゆくなんどいうばかな考えはよせ。はま公、今一本持ってこ」。
  南 博『日本人の心理』(岩波新書)の表現ですと、「自我の主張」とでも言うのでしょうか。但し、この「自我」という言葉は人によって使い方が正反対の意味で使われます。坊さんは「自我を捨てよお!」と言いますでしょ。あれは「執着を捨てて、それを超越した境地に入れ」という意味ではないか・・と思います。それに対して文学者・哲学者が言う「自我」はそうではなく「自我の確立」と表現して、「自我」は「捨てる」ものではなく「確立する」ものだと言います。「一万円ほしいか、おとよさんがほしいか」「世間がやかましい・・そんな事かまうもんか」「さらに財産のある所へ養子にいったところで、それだけでお前の仕合せを保証することはできないだろう」というそういう考え・意志が文学者・哲学者や南博『日本人の心理』(岩波新書)などが言う「自我」の主張です。それに対して「心理学者」「精神医学者」の主張する「自我」はそれと正反対です。「自我が確立されているならば・・・とするはずだ」「自我が確立されていないからそういうことを主張するということです」といった表現で個人の意志を抑圧し、体制迎合・権力随順を強制するのが「心理学者」「精神医学者」が言うところの「自我」です。不思議なのは、南 博(みなみ ひろし)は肩書は「心理学者」のはずなのですが、『日本人の心理』では「自我」という言葉を「心理学者」「精神医学者」の使用法ではなく文学者・哲学者の方の使用法でこの言葉を使っているところです。
日本人の心理 (岩波新書) - 南 博
日本人の心理 (岩波新書) - 南 博
  最近では日本の大学でも「学生相談室」と称する「精神医学」の””手先機関””ができて学生を騙そうとしていますが、ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授トマス=サズは『(「精神医学」という)狂気の思想』(新泉社)で、トマス=サズは「大学の目的は、自我の確立とは自我を持たぬことだと学生を騙して信じさせる昼間病院となることか」という指摘をしていますが、南 博『日本人の心理』(岩波新書)が言う「自我」が文学者・哲学者の言う「自我」であり、多数派の「心理学者」「精神医学者」、たとえば小此木啓吾その他のイカサマが使用する「自我」というのは「自我の確立とは自我を持たぬことだと学生を騙して信じさせる昼間病院」の主張する「自我」なのです。
狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
狂気の思想―人間性を剥奪する精神医学 (1975年) - トーマス S.サズ, 広田 伊蘇夫
現代精神医学解体の論理 (1975年)
現代精神医学解体の論理 (1975年)
  かつて、全共闘運動といったものがあった時代においては、大学では体育会・運動部というものが学生を抑圧する側の装置として存在しましたが、慶應大学の場合は体育会とともに内部進学という人たちが「抑圧側の人員」として存在しており、「学生相談室」というものが学生を心理的・精神的に抑圧しコントロールする装置として存在しています。
  
  「少年少女向け」として発行された本というのは「人畜無害化」されてしまって、「骨」も「毒」も抜かれてしまったものというのがあります。 私が小学校高学年の時、1970年前後、偕成社「ホームスクール版 日本文学全集」のシリーズのものの他、偕成社版「ジュニア版 日本文学名作選」のシリーズのものもよく読みましたが、偕成社版「ジュニア版 日本文学名作選」の山本有三『路傍の石』も小学校高学年の時に読んだのですが、実は山本有三『路傍の石』というのは未完成の作品で、戦中は「社会主義者が登場する」ということでオカミから内容を変えるように圧力を受けて、山本有三は「筆を折る」と言って、内容を変えるくらいならと連載途中で執筆をやめてしまい、戦後、軍国主義の日本のオカミからどうこう言われることはなくなったかわりに、GHQから、『路傍の石』では三国干渉のことを、日本が血を流して得た遼東半島を何ら血を流していないロシアが奪い取った・・といった記述があることから発禁にされてしまい、とうとう、山本有三は書き始めた時点では前半部分のみの発行で、後半こそが本体で、後半により書きたいことがあったはずの小説を、この小説は「路傍の石」のようにあっちへ蹴られ、こっちへ蹴られする運命だったのかもしれないと執筆を途中でやめてしまったというもので、それを偕成社版「ジュニア版 日本文学名作選」の『路傍の石』では、父親が飲んだくれで上級学校に進学することができなかった吾一が、小学校の時に親切にしてくれた次野先生と東京で出会って、次野先生が夜学の商業学校の先生をやっているので、そこでよかったら入れるようにしてあげると言ってもらい、希望に燃えるという場面で終わりになっていて、貧乏でもよその子より条件が悪くてもくじけることなく努力しましょう・・というそういう話、そういう部分も『路傍の石』にはあるかもしれないけれども、もともとの『路傍の石』ではそれは一部分で、しかも本体でない一部分なのに、そういう話であるかのように「ジュニア版」では終わってしまっている。だから、小学校高学年でこういうものを読むのは、それでプラスになるものもあるでしょうけれども、その小説の実体を誤解してしまうことになるおそれもあるように思うのです。
路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
  『路傍の石』では「ジュニア版 日本文学名作選」では飲んだくれでろくでなしの父親として描かれている部分だけの吾一の父親について、そこに収録されていない部分では、吾一の母親が他界した時に葬式にも顔を出さないクズみたいに描かれていたものの、そうではなく、その時、東京の居酒屋のような店で、自分と一緒に生きてくれた女の葬式に「行きたいよなあ」と口にしながら、自分の立場では「行けないよなあ」とつぶやきながら酒を飲む男の姿もまた描かれている。人間というのは、そんなに簡単に「ええもん」と「悪もん」に分けられるものでもないわけで、それが、どうも「ジュニア版」になると「ええもん」と「悪もん」に分かれてしまうことが多いように思います。

  伊藤左千夫『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』についてですが、伊藤左千夫は「自然主義」的書き方をしているということからでもあるかもしれませんが、省三とおとよさんの行動を絶賛しているわけでもないのです。省三がともかくも婿に行った深田という家のおつねさんという娘はどうなるんだ?  おとよさんがいったん嫁に行った「隣」の清三という男はどうなるんだ? 自分たちさえ良ければそれでいいのか?・・という面だってありますでしょ。
  アメリカ合衆国の映画『卒業』というの、結婚式の最中に結婚式場から男が花嫁を強奪する、花嫁の方もその男が好きでともに逃げていく・・なんて、考えてみたら「勝手なやつら」やなあ・・という映画がある。サイモン&ガーファンクルの「サウンド オブ サイレンス」という音楽で知られる映画・・かもしれないが、強奪する男と強奪される女は、もとから仲の良かった男女なのかもしれないが、その結婚式でその女と結婚することになっていた男が何か悪いことをしたわけでもないのに、結婚式場から結婚相手となるはずの女を強奪された男の気持ちというものも、せめて百回に一回くらい考えてみたらどうか・・と思うのだが、ちっとも考えよれへん・・というのが映画『卒業』であり、レンタルビデオ屋で借りて見た感想としては「音楽はいいとしても、話の内容は、あんまりいい話じゃないなあ」というものだった。映画『アラモ』も音楽は良くても内容はくだらん!
※ 《ウィキペディアー卒業(1967年の映画)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%92%E6%A5%AD_(1967%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
《YouTuve-サウンド・オブ・サイレンス・サイモン&ガーファンクル.wmv》https://www.youtube.com/watch?v=v5SztF7pPZE
  伊藤左千夫『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』で、省三とおとよさんが結婚することについて、田地のある家の婿養子に行くよりも、体ひとつのおとよさんと結婚した方がいいと決心する省三、たとえ、跡取り息子ではなく身ひとつの男でも省三と結婚しようというおとよさんを、自然主義的な淡々とした書き方でありながらも片方で応援しながらも、省三がいったん婿養子として行ったにもかかわらず実家に帰ってしまった深田という家の娘で省三が帰った後も省三との復縁を考えていたおつねさんや、おとよさんはあまりいいようには思っていなかったかもしれないが、はっきりと何か悪いことをしたわけでもない「隣」の清三に対しての配慮もあり、おとよさんの父親は、その両者への配慮から結婚式は成東のあたりであげず、省三が東京でやっていけるようになったら東京であげるようにした方がいいと言ったり、そのあたりは映画『卒業』よりも良心的である。
  《Q:結婚式で「ちょっと待ったーー」と乱入したら罪になるの?#Shorts 弁護士 岡野たけし【アトム法律事務所】》https://www.youtube.com/watch?v=O1Frq-bLQd0 では、結婚式場から花嫁を強奪すると犯罪になる・・と言うが、岡野たけし氏がこの質問で答えているのは、花嫁の方が「強奪」に合意していないケースだが、映画『卒業』では強奪者の男に花嫁が同調して逃げていくが、その場合は犯罪にならなかったとしても、より悪質ではないのか?・・という感じがする。しませんか?

  松戸市下矢切 の「野菊の墓 文学碑」は西蓮寺の境内にあるというけれども、西蓮寺の入口とは完全に別に出入口が設けられていて、「寺の境内」という感じはあまりしない・・けれども、
DSC06360.JPG
 「野菊の墓 文学碑」の石碑の後ろくらいの位置に、↑ があるのだが、これは不動明王なのか何かわからないが、仏像を刻んだ石だと思うので、やはり、寺の敷地なのだろう・・と思われる。西蓮寺は何宗なのかもわからない。 寺の入口の付近にも「八幡山 西蓮寺」と書かれた石碑は建っているが、何宗という表示はない・・が、↑ のような不動明王さん? とか思える仏像の石碑があるということは、密教系、真言宗とかかな・・? と思い、インターネットで「松戸市下矢切 西蓮寺」と入れて検索すると、《ウィキペディアー西蓮寺(松戸市下矢切)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%93%AE%E5%AF%BA_(%E6%9D%BE%E6%88%B8%E5%B8%82%E4%B8%8B%E7%9F%A2%E5%88%87) が出てきた。真言宗豊山派〔本山は長谷寺〕らしい。

  伊藤左千夫についての碑は、《ウィキペディアー伊藤左千夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%B7%A6%E5%8D%83%E5%A4%AB
1.千葉県松戸市下矢切 「『野菊の墓』文学碑」 の他、
2.千葉県山武市殿台 山武市歴史民俗資料館の横に伊藤左千夫生家があり、その近くに「伊藤左千夫記念公園」が1991年に完成し、「政夫と民子の銅像」が建てられたらしい。「政夫と民子」の話は舞台は成東ではなく松戸市と市川市の境目付近、矢切で、むしろ、『隣の嫁』『春の潮』の方が舞台は成東から東金にかけての地域だが、銅像を建てるには「隣の嫁」と結婚する話よりも、純愛・悲恋の『野菊の墓』の方が向いているのだろう。
3.東京都江東区亀戸の都立城東高校伊藤左千夫の歌碑があるらしい。
小学校高学年向け「ホームスクール版 日本の名作文学」は何も悪いことばっかりということはない。同書に掲載の「立教大学教授 塩田良平」による「作者と作品について(解説)」には、「九十九里浜にある左千夫の歌碑」の写真が掲載されている。インターネットで検索すると、
《じゃらん 伊藤左千夫の歌碑(本須賀海岸)》https://www.jalan.net/kankou/spt_12237aj2202070951/
《観るなび 伊藤左千夫の歌碑(本須賀海岸)》https://www.nihon-kankou.or.jp/detail/12237aj2202070951
などに出ているもののことのようだ。
4.千葉県山武市本須賀 の海岸に「伊藤左千夫歌碑」があるらしい。最寄駅というと直線距離ではJR東金線「求名(ぐみょう)」駅になるようだが、道路のつながりからいけば「成東」から県道121号で海に向かって行った突き当りのあたり、山武市と東金市の境目付近の山武市のようだ。九十九里あたりは、JR総武線・東金線・外房線と海岸とがけっこう離れており、本須賀の伊藤左千夫歌碑までも求名駅・成東駅からけっこう離れているようだ。地図で見ると、本須賀海水浴場があって、海水浴場の駐車場があるみたいだ。

↑ マーカーは鳴浜郵便局。 鳴浜郵便局の海側、本須賀海水浴場の海岸にあるらしい。

  「小学校高学年用文学全集」の是非について、しょせんは「どこかの誰か」が「名作」と認定したものが「名作」にされてしまうという問題点があり、たとえば、川端康成『伊豆の踊子』なんて電車の愛称にまで「踊り子」なんて使われているが、川端康成という人は《ウィキペディアー川端康成》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E5%BA%B7%E6%88%90 によると、大阪市北区の「医者屋のゲン」の息子(『はだしのゲン』ではなく「医者屋のゲン」の息子)に生まれたが、父母ともに結核になって川端康成が2歳になるより前に他界してしまったが、川端康成は実家に預けられて祖父母に育てられたものの、祖父母というのが《 2人の幼子が預けられたゲンの実家・黒田家は、西成郡豊里村大字3番745番地(現・大阪市東淀川区豊里6丁目2-25)にあり、代々、「黒善」(黒田善右衛門の二字から)と呼ばれる素封家(資産家)で、広壮な家を構える大地主であった。ところが、ゲンも翌1902年(明治35年)1月10日に同病で亡くなった(37歳没)。幼くして両親を失った康成は、祖父・川端三八郎と祖母・カネに連れられて、原籍地の大阪府三島郡豊川村大字宿久庄小字東村11番屋敷(のちの大阪府茨木市大字宿久庄1540-1。現・茨木市宿久庄1丁目11-25)に移った。宿久庄の川端家は、豪族や資産家として村に君臨していた旧家で代々、豊川村の庄屋で大地主であったが、祖父・三八郎は若い頃に様々の事業に手を出しては失敗し、三八郎の代で財産の大半は人手に渡っていた。・・》というそういう医者屋とか素封家とか豪農・大地主とかそういう家庭の息子・孫であり(ついでに、元A級戦犯 笹川良一と小学校の同級生であり)、それを認識した上で『伊豆の踊子』の話を考えてみると、な~んか「上から目線」であり、それはノーベル文学賞を受賞した『雪国』にも引き継がれており、『雪国』なんてあんな「ノーベル文学賞を受賞していなかったら今頃は絶版になっていておかしくない小説」がなぜノーベル文学賞を受賞したのかというと、岩波文庫の『雪国』の解説で外国人の文学者だか文学評論家だかが書いていたのは、欧米の人間が休暇を取るというと家族で避暑地とかに行って家族とともに過ごすのが普通であるのに対して日本ではそうではなく、日本では嫁や子は普段の家に置いておいて主人だけが越後湯沢とかの温泉地に出かけて行って芸者とともに過ごすもので、これは欧米人にはなかなか理解できないもので、それを欧米人に紹介するのにちょうどいい本だというのだ。それが川端康成『雪国』がノーベル文学賞を受賞した理由らしい( 一一)
  で、その「日本人」というお方はそういう休暇の過ごし方をなさるのかもしれませんが、私なんか、そんな過ごし方なんかやったことはこれまでに一度もないし、今後もおそらく死ぬまで一度もないだろう・・と思う。だから、「日本人」は妻や子を自宅に残しておいて主人だけが温泉地に出かけていって芸者とともに過ごすという、そういえば、2008年、東海住宅(株)〔本社:千葉県八千代市〕https://www.10kai.co.jp/ の花見川店の店長やっていたT中(男。当時、60歳)は休暇を取る時は韓国に行って韓国人の「友人」と称する女(要するに商売女)と一緒に過ごすのを週刊にしていたようだが、そんな感じか・・? 川端康成というのはそういう休暇の過ごし方をしていた人らしく、それが小説になったのが『雪国』で、欧米人には理解が難しいそういう「日本人」の休暇の過ごし方を欧米人に紹介するのに最適な小説・・として『雪国』はノーベル文学賞に選ばれたらしい。その『雪国』にしても、主人公が学生から年配のおっさんに変わり、『伊豆の踊子』の「踊り子」が『雪国』では「芸者」に変わっただけ・・みたいな小説であり、どちらも「上から目線」が当たり前みたいな調子の書き方の小説である。
  「その程度の小説」しかノーベル文学賞に選ばれるものはなかったんかい?・・て感じもするが、いろいろな書物を見たりインターネットで検索したりすると、ノーベル文学賞というのは、戦後、「アメリカ(合衆国)のメカケ」としての日本の立ち位置が定着してきたので、それで「メカケ」の国際的地位を高めようと「ダンナ」がお考えになって、それで、「メカケ」たる日本からボクシングの世界チャンピオンとミスユニバースと、それにノーベル賞受賞者を出そうということになったらしい。ミスユニバースなんて、あんなもの、選考基準なんてあってないようなものだ。いわば、慶應幼稚舎の入試みたいなもので、私なんか受けても絶対落ちるのに対して、絶対通る人も片方でいる・・みたいなもんだ。行きたくないけどな、あんなアルマーニ小学校なんて。ボクシングの世界チャンピオンは、これは勝たないとなれないけれども、全盛期の時に力が落ちてきた世界チャンピオンと自国で対戦できれば勝てる可能性が高いのに対して、実力はあってもチャンピオンと対戦できなければチャンピオンになれない。そこから、ボクシングの世界チャンピオンというのは「拳だけの勝負」のように見えて、チャンピオンになれやすい場合となれにくい場合があるようで、それをならそうという動きがされたらしい。そして、ノーベル賞だが、ノーベル賞でもノーベル平和賞とノーベル文学賞は一番いいかげんと言われている。だいたい、ノーベル文学賞て、日本人が日本語で書いた小説の是非を評価するのに、誰が審査しているのか? 「世界的な賞」と言うなら外国人が審査しているのか? それならその外国人は日本語の文章を読めるのか?・・と考えると、なんだか・・。 で、日本人から「ノーベル文学賞作家」というのを出そうと先に決まって、それで誰がいいか・・となり、その頃、生きている文学者では、志賀直哉というのは、この男はノーベル賞というものを「胡散くさいもの」というように見ていたらしく、そういう男に受賞させてサルトルみたいに辞退されたらかなわん・・と考えてこの男は忌避。三島由紀夫は志賀直哉と逆で欲しがりだが、なにしろ、この男は日本刀もって自衛隊の駐屯地に乗り込んだりやりかねない男で、「ノーベル賞作家」にそれをやられたのではかなわん・・ということからこの「危ない系」も忌避。井上靖なんかは「リベラル」だし良心的だし左翼ではないし、三島由紀夫みたいな「危ない系」ではないし、受賞させたら受け取りそうだしいいのではないかと思われたが、井上靖の作品としては『天平の甍』『敦煌』『蒼き狼』とか中国方面を題材にしたものがけっこうあって中国の文学者とつきあいがあるようで、社会主義国だった大陸の中華人民共和国の文学者とつきあいがある作家というのはやっぱり忌避。そうなると、消去法で残ったのは「人畜無害」というのか「どうでもいい」川端康成。さらに元A級戦犯 笹川良一と小学校の同級生でもあるし・・ということでノーベル文学賞は川端康成に決まって、作品としては「欧米人なら妻や子とともに過ごす休暇を日本人は妻や子は家に残して温泉地に出かけて芸者とともに過ごすという、欧米人にはなかなか理解が難しい日本人の休暇の過ごし方を欧米人に紹介するのに最適な本」らしい『雪国』が選ばれた・・らしい?  ちなみに、モデルになった芸者さんは実在したらしいが、岩波文庫の解説者が書いていたものによると、『雪国』の記述よりもはるかに「水っぽい」人だったらしい。
  そんなもので、「小学校高学年向け」とか指定された「名作文学全集」なんて、『杜子春』だとか『走れメロス』だとかいったくだらない通俗小説だとかが入っているとともに、『伊豆の踊子』なんてのは、『雪国』における「芸者さん」が「踊り子」に変わっただけの「上から目線」の小説であって、くだらん!!!・・と思うのだが、その「くだらん!!!」ものが「名作」に指定されてしまっている・・というところはある。
  あるいは、三島由紀夫『潮騒』は私は新潮文庫のもので読んだが、これも「小学校高学年向け」の文学全集に入っていたと思うのだが、小学生の時に最初に読んだ時はいい話かと思ったのだが、20歳を過ぎてから考えてみると、『潮騒』という小説は、どうも、人間を「ええもん」と「悪もん」とにはっきりと分け過ぎということはないか? ・・といったことを考えるようになった。人間というのは、そんなに簡単に「ええもん」と「悪もん」に分けられるものでもないのではないか。 又、たとえ、「ええもん」であっても、「ええもん」の側の視点から見るから「ええもん」になるのであって、「悪もん」にされた者の側から見るとまた違う可能性だってありそうだ・・が、それが『潮騒』はそのあたりをどっかにやってしまっている。
  だから、「小学校高学年向け文学全集」というやつは、あんまり絶対視しない方がいいのではないか・・と思うのだ。
  しかし、「小学校高学年向け文学全集」にプラス面もあると思う。1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乗り込んで「割腹自殺」をはかった時、「作家で精神科医」の なだ いなだ は「三島のおにいさんらしいなあ」と思ったそうで、「安らかにお眠りください」決して、それを大きな契機だとか考えて何かしないでください、三島のおにいさんというのは、もともと「そういう人」でしたから・・・と「朝日ジャーナル」に書いていた、「あの三島が」とか「三島ともあろうものが」とか言う人がいたが、そういうことを言う人というのは三島由紀夫という人をよく知らない人で、もともと三島由紀夫というのはああいう人、あれをやってこそ三島であり「いかにも三島由紀夫らしい」と言うべきものだと言うのだった・・が、私はその時にはまだ小学生だったので、その時はそうであるのかないのかわからなかった。だから、その三島由紀夫の小説というものを1冊か2冊、とりあえず、読んでみよう・・と考えたのだ。それで、近くの書店に行って、新潮文庫で三島由紀夫の作品が並んでいるところで、一番薄い本で『盗賊』というものを買って読み、次いで、新潮文庫で三島由紀夫の作品として発行されているもので一番最初に発行された『仮面の告白』というものを読んだのだ・・・けれども。
  実際のところ、三島由紀夫の作品でも『潮騒』あたりは小学校の高学年の生徒が読んでも「まあわかる」のだが、『仮面の告白』とか『盗賊』てのは、「なんか、ようわからん」のだ。又、三島由紀夫の小説としては『金閣寺』が高く評価されていて、私も三島由紀夫の作品で読んだもの・・といっても、『潮騒』『仮面の告白』『盗賊』と『金閣寺』だけなのだけれども、『金閣寺』は、これは実際にあった金閣寺放火事件を取材して事実にわかっていない部分は憶測を加えて「小説」としたものなのか、全体が想像・憶測なのかどちらなのかわからないし、新潮文庫の後の方で「解説」書いている人はそのあたりを述べてほしいけれども、そのあたりを述べずにどっちでもいいようなことを述べていたのだが、三島由紀夫の「危ない系」は評価しないけれども『金閣寺』は悪くないと思っているのだけれども、三島由紀夫の小説で「小学校高学年」くらいの者が読んで「まあわかる」とすると、やっぱり『潮騒』かな・・と思う。『仮面の告白』とか『盗賊』なんて、小学生が読んでも「ようわからん」〔・・というのか、大人が読んでも「ようわからん」という説もあるかもしれんが・・、それも、内容が高尚だからわかりにくいのではなく、三島由紀夫の小説というのは大部分がひとりよがりで感傷にふけっているだけというものだからわかりにくい・・という説もあるらしいが、私はそこまで断定できるほどは三島由紀夫の小説を読んでいないので、そこまで断定はしないが、もしかすると「そうかもしれん」という感じもしないでもない。〕。・・・だから、「小学校高学年向け」というのは、名作だ、すばらしい文学作品だと評価すべきかどうかは、これはそれぞれの人が自分自身で判断するしかないけれども、「小学生の良い子は読んではいけません」と「禁書」として避けるという意味ではなく、「こんなもん、小学生が読んでもわからんぞ」というものは入れないようにしてある・・という点はあって、それはプラスかマイナスかというとプラスの方の面ではないかと思う。

  けっこう長くなったので、続きは別稿で述べることにしたい。今回は「野菊の墓 文学碑」訪問でありながら『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』などの方を多く述べたが、次回は『野菊の墓』を中心に述べたいと思う。
  (2021.9.7.)

☆ 「野菊の墓 文学碑」「野菊苑」「永禄古戦場跡」「矢切の渡し」
1.文学・哲学は毒薬か? 牛乳屋兼歌人・文学者の伊藤左千夫は何か悪いか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_1.html
2.市川側から「野菊の墓 文学碑」への道。「永禄古戦場跡」。「精神保健研究所」て何やってるのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_2.html
3.西蓮寺(真言宗)。『春の潮』に見られる「自我」の主張。結婚式乱入を美化する映画『卒業』は称賛できない。「自我」を持たないことを「自我の確立」と騙す「心理学」「精神医学」ファシズム。小学生用文学全集の是非。〔今回〕
4.野菊苑から見た西方の絶景。『野菊の墓』と「文学碑」「野菊苑」の一致する立地。詩的な小説『野菊の墓』。「文学的表現」は文学・哲学ならいいが法律家には誉め言葉にならない。矢鱈と多い「法律家以上でない法律家」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_4.html
5.野菊庵・伊藤左千夫の短歌の木札。伊藤左千夫は単作作家ではない。「性格あつかましい」は自慢することではない。本は貸すと返ってこない。「女性版俗物4種の神器」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_5.html
6.「矢切の渡」と江戸川。『春の潮』とともに読むべき『野菊の墓』。いいかげんな「解説」を書く文学部教授と権威主義。『野菊の墓』で押しつぶされた「自我」の主張をする『春の潮』https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_6.htm 

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