「野菊の墓」文学碑と松戸市矢切と文学・哲学への思い【1/6】文学・哲学は毒薬か? 牛乳屋兼歌人・文学者の伊藤左千夫は何か悪いか? 

[第549回]
  習志野市谷津1丁目 に「やったもん勝ち」のように・「巾着切り」のように北側の低層住居専用地域を中心とした住居系用途地域の住民の意思をきくこともなく建造されてしまった人工の巨大な岩山(「津田沼 ザ・タワー」)について、

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〔 ↑ 千葉県習志野市谷津1丁目 の人工の巨大な岩山(「津田沼 ザ・タワー」) 北側から撮影したもの。
撮影地は千葉県船橋市駿河台。 〕
株式会社オリジナルワーク一級建築士事務所 の高浦氏が「事業者等」ではないにもかかわらず、この事業についての問い合わせは自分にしろと現地の掲示板に記載していたのは弁護士法第72条違反であり〔罰則規定は弁護士法第77条〕、それを千葉地方検察庁に告発状を持参した件について述べると言っておきながら他のものを先に述べて公開したが、今回、もうひとつ、先に他の話を掲載したい。告発状を持参した件の話は私が交通事故に遭遇して死亡するとかいったことがない限り必ず公開するので、今回は他の話を公開させてほしい。

  今回、公開したい話は、千葉県松戸市と市川市の境目付近の松戸市、松戸市下矢切 にある「野菊の墓 文学碑」を訪問した話です。「津田沼 ザ・タワー」とは関係ありません。
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( ↑ 「野菊の墓 文学碑」 千葉県松戸市下矢切 )
  「野菊の墓 文学碑」は伊藤左千夫の小説『野菊の墓』の舞台となった場所がこの付近だということで設置されたものです。お寺の敷地内にありますが「野菊の墓 文学碑」は石碑であってもお墓ではありません。
  『野菊の墓』というと伊藤左千夫(いとう さちお)の代表作・・と言われてきて、人によっては伊藤左千夫という作家は単発作家、『野菊の墓』だけしか書いていない作家のように思っている人もいるようですが実際には他にも小説をいくつか書いており、又、「小説家」専業ではなく「歌人」でもあった人ですが、何でよく知られているかというと『野菊の墓』によって知られている人です。
  「野菊の墓 文学碑」の鉄道の最寄駅は北総鉄道「矢切(やぎり)」駅です。↓
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( ↑ 北総鉄道「矢切(やぎり)」駅。)
「民子と野菊と矢切の渡し」と書かれた縦長の看板が建っていますが、「民子」とは『野菊の墓』に登場する戸村民子のことで、納得いかないままに嫁に行き、妊娠したものの6か月で流産した後、産後の状況がよくなく若くして他界してしまった女性の名前で、「野菊」は『野菊の墓』の小説の名前で、「矢切の渡し」は「野菊の墓 文学碑」の西のあたりで、江戸川を渡る渡し舟が今も運行されている、かつては実用のものだったらしいが、今は観光用でしょうけれども、渡った向こう側は柴又の帝釈天があるあたりなので、柴又帝釈天に行って帰って来ることもできるでしょう。
  縦長の看板には《 初恋のまち・やぎり 名作「野菊の墓」の舞台 》と書かれています。↑ の写真で、縦長の看板のすぐ右側に見える建物は交番で、その右に見える建物が北総鉄道「矢切」駅の入口で、駅のプラットホームは地下にあります。
  このあたりは、かつては、JR常磐線とJR総武線・京成本線の真ん中あたりの場所で、バス便はあっても鉄道の駅からは遠い所でしたが、今は北総鉄道の「矢切」駅から比較的近い場所です。「北総鉄道」は「北総開発鉄道」と言っていたと思ったのですが、《ウィキペディアー北総鉄道》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%B7%8F%E9%89%84%E9%81%93 によると、北総開発鉄道として1972年、大阪万博の1970年の2年後に会社が設立され、1979年に北初富ー小室間が開業し、1991年に京成「高砂」ー新鎌ヶ谷 間が開業、矢切駅もその時にできたが、2004年に社名を北総鉄道と変更したらしい。今回の訪問は8月後半で矢鱈と暑い季節で、クルマで行きましたが、もう少し涼しい季節なら北総鉄道「矢切(やぎり)」駅から歩くといい場所かと思います。
野菊の墓―他四編 (岩波文庫 緑 9-1) - 伊藤 左千夫
野菊の墓―他四編 (岩波文庫 緑 9-1) - 伊藤 左千夫

  「推理小説作家」の内田康夫が、年に何作も発表した年とそれほど多く発表していない年があるけれども、あまりにも多作にすると、間違いなく小説の質が低下してしまうと述べ、読者に内容のあるものを提供する為には作品の数を多くし過ぎないように気をつけたいといったことを述べていたのですが、それにしても、「推理小説作家」というのは、よくまあ、あれだけ大量に小説を書くものだ・・、「純文学」の作家なら量としてはその何分の一しか書かなくても「文豪」になったりするのに、と思ったのです。もっとも、西村京太郎の「時刻表を見ただけで書いた推理小説」なら時刻表さえ手元にあれば書ける・・し、だから、そういう「時刻表を見ただけで書いた西村京太郎の推理小説」が好きな人もおれば「がっかり」という人もいるようなのですが、それとは違って内田康夫の推理小説というのは推理小説ではあっても純文学に近い推理小説で現地の取材もおこなって書かれているものであるのですが、「プロローグ」が始めにあって「エピローグ」が最後にあって、その間に本体をはさむという形式で、浅見光彦という32歳の独身で「本業はルポライター」で歳の離れた兄が警察庁刑事局長という男がいて、この男と「恋愛一歩手前」みたいになる10代から40代前半までの女性が必ず登場して、そこで殺人事件が起こって、「浅見さ~ん、助けてえ」と女から言われると、取るものとりあえずかけつけていく、男から「お~い、浅見。助けてくれえ。俺、殺人犯と間違えられそうなんだあ」と言われると、「まあ、警察に泊まってみるのもいい人生経験だよ」とか言ってつっぱねる。この男、女に対する態度と男に対する態度と態度が全然違うじゃねえかよお・・・て感じで話が進む。この枠組みで進めればたいてい成功するというパターンがあって、そこに「旅と歴史」を入れていく・・と手法が決まっているので、やりやすい(^^♪ しかし、内田康夫がたいしたものだと思うのは、その「恋愛一歩手前」にしても、常に浅見は「もてまくり」であるわけでもなく、浅見の方が一瞬その気になりかけたら「あれ?」ということもあったり、人間の複雑な心理が描かれていて、そのあたりが「純文学に近い推理小説」としての実力発揮で、そして、この浅見光彦という男、気をつけないとそのうち「寅さんみたい」になってしまうぞ・・と思っていたら、作者の内田康夫が『遺譜ー浅見光彦最後の事件』で浅見光彦の高校生の姪がまさにその通りの文句を言う場面がでてくる。そのあたりは、作者の内田康夫が40を過ぎて作家業を始めただけあって、人生である程度のものを吸収してから小説を書きだした人間だからということもあるかもしれないし、「推理小説とはいえ、純文学に近い推理小説」だけのことはある。・・それにしても、内田康夫の「純文学に近い推理小説」には、時々登場した「内田康夫」が浅見光彦とともに、せっせと大急ぎで小説をパソコンに打ち込んでいる場面が出てくるのだが、それだけ、「内田康夫」はせっせと大量に作品を発表して食べていた、『遺譜ー浅見光彦最後の事件』では「中途半端に探偵やるのはやめようと思うんですよ」と言う浅見光彦に登場人物の「内田康夫」が「困るよ。浅見ちゃんに探偵やめられたら、これからぼくはいったいどうやって食べていけばいいのよ」と言う場面があるように、次から次へと浅見光彦が事件を解いていってくれないと作家として食べていけないというのだが、それから考えると、純文学の作家て推理小説の作家に比べるとずっと少ない作品数で食べていけたということか・・、この違いはどこにあるのだろう・・などと考えてみたりする。
  特に、「文学者」でも夏目漱石は『坊ちゃん』『吾輩は猫である』から『草枕』『三四郎』『門』『こころ』・・といくつも代表作があり、森鴎外も『青年』『雁』『舞姫』『山椒大夫』・・といくつもの作品があり、芥川龍之介にしても『トロッコ』から『歯車』へといくつもあって、太宰治にしても『走れメロス』なんてのは太宰治自身が軽蔑していた通俗小説だが『津軽』から『人間失格』『正義と微笑』と代表作がすぐに思い浮かぶのだが、伊藤左千夫の場合は「『野菊の墓』だけ」みたいに思われている作家で、『野菊の墓』ひとつ書いたらそれで食べていけたというのなら、作家て悪くないかも・・・て感じがしないでもないが、実は伊藤左千夫の小説は『野菊の墓』だけではなく他にもいくつも発表しており、又、伊藤左千夫は『野菊の墓』だけ書いて、「悠々自適の生活」を送ったというわけでもなくて、《ウィキペディアー伊藤左千夫》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%B7%A6%E5%8D%83%E5%A4%AB によると、伊藤左千夫は《 1881年(明治14年)4月明治法律学校(現・明治大学)に入学するも眼病を患い、同年12月に中退。 牧場で毎日早朝から深夜まで働き、数年で独立。26歳のときに現在の錦糸町駅前に牛舎を建て、乳牛を飼育して牛乳の製造販売を始めた。仕事が軌道に乗ってからは和歌や茶道を学ぶなど、趣味人として交際の範囲を広げた。》という人で、《 「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」(『伊藤左千夫歌集』)と詠み、身分や出自によらず誰もが自由に詠める世となることで新しい短歌が生まれるという、子規の精神を込めた一首が代表作となった。 》と、乳牛を飼育して牛乳の製造販売を仕事としながら短歌を詠み小説を書くという生活だったらしい。錦糸町駅付近というと、今はおよそ乳牛を飼うような場所ではないが、伊藤左千夫が生きていた時代は乳牛を飼うことができる場所だったのだろう。
  御茶ノ水のクリスチャン文書センターで、マザーテレサの写真の絵ハガキにマザーテレサの言葉として、「少しの間でいいのです。仕事をしながらでも、少しの間、神のことを考えることができれば」だったか、そういった言葉が書かれていたのを見ましたが、うちの父親などは文学・哲学といったものを「甘ったれとる」「すべてをすべてを会社の為に」「てってこっこ、てっててったらったらったらったら」とか言って押しつぶそうとしますが、マザーテレサの言う「少しの間でいいのです。仕事をしながらでも、少しの間、神のことを考えることができれば」と伊藤左千夫の「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」には共通するものがあるように思います。

  うちの父親は私が子供の頃から家で「共産党は死刑にしろお」「日教組は刑務所に叩きこめえ」「朝日新聞の記者は全員刑務所に入れろお」とか叫んでいるおっさんで、「こすいやつやからコスイぎ~ん」とか言うておって、「まったく、ロスケはこすい、コスイもんやからコスイギン言うんや。そんなもん、海の魚みたいなもん、誰が採ったって自由やないか。それを採ったらいかんとかいいやがってからに、コスイやっちゃな」とか毎日叫んでいる男だった。
  「海の魚みたいなもん、誰が採ったって自由や」とサラリーマンで言う人が時々あるのだが、そうではなくて、「漁業権」というものがあって、知らずに魚を採ると「漁業権侵害」ということになる場合がある。知らずに海で魚を採っていて漁師のおっさんから殺されそうになった・・なんて言っていた釣り好きのおっさんもかつての職場にいたが、「海の魚」というのは「誰が採っても自由」ということはないのであり( 一一) 、又、海を泳いでいる魚であっても川で産卵して海に出て行くような魚の場合、川で自然に産卵している魚だけではなく、産卵させる作業をしている人がいる場合もあるし、又、川で自然と産卵している場合でも、その川をきれいに保つ作業するのに労力がかかっている場合もあり、魚を採る海が公海であってもその魚が産卵で産まれた川は他国の領土である場合もある。「そんなもん、誰が採っても自由なはずや」というおっさんの認識が間違っているのだが、ところが、そこから、「ほんまにもう、ロスケはコスイはあ。海の魚を採ったらいか~んやなんて言いやがってからに」とか言うておったのだが・・それも自分は別に漁業関係者でもないのに言うておったのだが、かつて、日本とソ連の間には日ソ漁業協定だかいうものがあって、この海域で日本はこれだけ、ソ連はここまで漁獲することにしましょうと取り決めてそれ以上は採らないことで漁業資源を継続させようとしていたのです。日本の漁船がソ連に拿捕されたといったニュースを見ることがありましたが、日本の大手水産会社がその日ソ漁業協定で決められた量を越えて採っていてそれを日本の政府が取り締まらないからソ連が拿捕するようになったという話があるらしい。「海の魚みたいなもん、誰が採ったって自由やのにからに、それを採ったらいか~んとか言いやがってからに、ほんまにコスイやっちゃな、こいつは、ほんまにほんまにコスイぎ~ん!」というものとは違うようでした。「戦艦長門の一隻でもあったら、千島列島みたいなもん、いっぺんに取り返したるのになあ」とか言うので、「日本の自衛隊はすでに戦艦長門を上回るものを持っているはずですよ」と私が言うと、「なんでやねん。そんなわけないやろ。戦艦長門くらいあれば、今すぐでもソ連をやっつけたることができるのにからに、ほんまにもう」とか言ってきかなかったのだ。そういうおっさんやった。
  さらに「原発に反対するような甘ったれたやつは刑務所に叩きこんでやるべきや。反対、反対、反対と何でも反対せんとおれん病気やから反対しとるんや。そういう甘ったれたやつは刑務所に入れるか、さもなくば死刑にしてやるべきや、死刑に」とか言うておった。そういうおっさんやった。原発に関しては、私が小学生だった1960年代後半くらいは、「原子力の平和利用」と言ってプラスに評価されることの方が多かったのだが、それでも、小学生の私でも「石油は今のペースで使用していくと30年でなくなる」と言われていて、「そのためには他のエネルギーを開発しなければいけない」から原子力というものが注目されているのだと聞いて、それならば原子力発電の原料であるウランはいっぱいあるのか・・というとそうではなく、ウランの埋蔵量も石油と同じようなものか石油より少ないくらい・・て、それでは原子力発電の意義はないのとちゃうんかい・・とか考えたものだった・・が、おっさんはそういうことを考えるということ自体、「刑務所に叩きこんだらんといかん」くらい「甘ったれた」やつの態度だと思っていたようだった。
  さらに言うと、「石油はあと30年でなくなる」と私が小学校の低学年の頃、1960年代半ば過ぎに言われていたはずだったのだが、ところが、私が大学生になった頃、1980年頃・・だから、15年弱くらい経った頃だが、相変わらず「石油はあと30年でなくなる」なんて言っていたのだ。あれえ~え?・・と私は思った〔 さらに言えば、今、すでにその時から50年以上経っているのに、なじかは知らねど30年でなくなるはずの石油は今もある(^^♪ 〕。 慶應大学の一般教養の「物理学」の講義の時に、教授もそれを言われたのだ。「『石油は後30年でなくなる』と言われて、それから10年経ったら、『あと20年でなくなる』ということになるはずなのに、相変わらず「石油は後30年でなくなる」と言ってるでしょ。変だと思いませんか」と。「30ー10=20 と違うのか。なんで、30ー10 が30なんだ?」と。変でしょお~お。 その先生は「おそらく、その時点で発見されている油田をその時の技術で採れる石油の予想埋蔵量をその時の使用量から考えて30年と言ったけれども、その後、発見された油田があったり、その時には採掘できなかったけれども、技術開発が進んで採掘する技術が進化したことから採れるようになった石油が増えたのではないか」と考えられたのだった・・・が、『ゴルゴ13』は別の見方をするようで、石油メジャーとしては「石油はいっぱいある」と言ってしまうと安い値段で売らされることになり、逆に「石油は後30年分しかない」と言うことで高く売ろうとしているのであって、実はまだまだある・・と、なるほど、さすがゴルゴさんて感じが・・。なんか、石油メジャーて不動産屋みたい・・て感じがしないでもない。土地なんていっぱいあると思われてしまうと安く売らされてしまうから、だから、売地はまだまだあっても、全部表に出さないで小出しにするみたいな・・(^^)/
  「共産党は全員死刑じゃ」「日教組は刑務所に叩きこめ」「朝日新聞の記者は全員死刑にしろお」とか言うので、「日本国の法律で死刑に該当することをしていない人を死刑にするわけにはいかないのと違いますか」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何を。死刑じゃ、そんなもんは。韓国の朴正熙さんやったら、そんなもん、おかまいなしに刑務所に叩きこむところや。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言うのだった。「韓国の朴正熙さんやったら」刑務所に叩きこむのは自分以外の誰かであって、自分がその対象にされるということは絶対ないと理由もなく自信もってるおっさんやった。慶應大学の「近代思想史」という講義で、教授が「私のゼミの人で『ナチスのようなものは、ああいうのは悪くないと思う』と言う人がいたので、私は『あなた、いいですか。ナチスのようなものが悪くないと言うのは、それは自分がナチスの親衛隊か何かになると考えて言っていませんか。そうではないのですよ。ナチスのようなものが悪くないと言うのであれば、自分自身がユダヤ人の立場になってガス室に送られて殺されるのが悪くないという意味ですよ。わかっていますか』と話したのです」と話されたことがあったのだが、この「ナチスのようなものが悪くないと言うのは、それは自分がナチスの親衛隊か何かになると考えて言っていませんか。そうではないのですよ。ナチスのようなものが悪くないと言うのであれば、自分自身がユダヤ人の立場になってガス室に送られて殺されるのが悪くないという意味ですよ。」という認識は、これはわかっている人にとっては当たり前のことなのだが、ところがわかっていない人というのがいて、わかっていない人にこれをわからせようと思っても極めて困難なことなのだ。うちの父親というのはそれだった。言うとどうなるかというと、「何をわけのわからんこと言うとるんじゃ。このわしのようなえっらいエッライえっらいエッライ人間がなんでそんなもん刑務所に入れられるんじゃ。わけのわからんこと言うでないぞ、チャンコロ。ええかげんにせんか。ありえないことを言うたらいかんぞ。突拍子もないことを言うでないぞ。突飛な発想をするでないぞ。甘ったれとったらいかんぞ甘ったれとっては」と言うのであった。そういうおっさんやった。
  私が高校3年の時も「京大はアカやから行ってはいか~ん!」とか言いだしたし、その後も「マスコミに勤めるのなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めたらいか~ん」と言うので、「マスコミに勤めるのなら朝日新聞がええ。産経はアホやから勤めたらいか~ん」と言うてやったところ、「何、言うとるんじゃ、このチャンコロ、ロスケ! このイタコ! のぼせあがるのもたいがいにせえよ。甘ったれるのもたいがいにせえよ、このロスケ、このイタコ! この浪商!」と言うのであった。そういうおっさんやった。
  「お父さんは日本の軍国主義の犠牲者です」などと電話してきて私に言うので「ああ、そうですか」と言ったのだが、あんた、被害者やないやろ、あんた、加害者やろうが。私に「撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません勝つまでは。とってちってたあ~あ」とか言うておったやろうが。あんた、私に「木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ。とってちってたあ~あ」とか言うておったやろうが・・と思ったものだった。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃわしにじゃ、わしにわしにわしにいい~い! いっらいっらしてきたあ、いっらいっらしてきたあ!」とか毎日のように叫んできたやろうが。あんた、どう考えても「日本の軍国主義」の「加害者」であって「被害者」ちゃうやろうが・・と思ったものだった。
  ところが・・、そういう「ロスケどもをやっつけてや~る!」とか毎日叫んでいるおっさん、「共産党は死刑にしろお」「日教組は刑務所に叩きこめえ」「朝日新聞の記者は全員、刑務所に入れろお」と毎日毎日叫んでいるおっさん〔 そのわりに我が家は継続的に朝日新聞を定期購読してきたのだったが、これは関西では「新聞は朝日が普通」であったということとともに、「巨人はずるい。読売はけしからん。長嶋はすぐにカッカしよってからに、こいつ、チャンスで打席に立つといつでもカッカしてゲッツー打ちよる。ほんまにアホや。柴田もすぐ頭に血いのぼりよる。ほんま程度低いわ。金田は巨人の機嫌取り、おべっか使いでけしからん。巨人はほんまにズルイ、読売はほんまにけしからんな、ほんま。巨人はズルイ、読売は悪い」という方が優先されたのではないか・・と思う(^^♪ もしかすると、それが最優先だったかもしれん(^^)/〕・・やったくせに、私が19歳の頃から「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~る! 焼き討ちじゃあ~あ、焼き討ちじゃあ~あ! とってちってたあ~あ!」とも言いだしたのだ。なんで「右翼のおっさん」がその部分限定での””教条的マルクス主義者””なんてものになるんだあ?
・・なんかもう、何でもありみたい・・・( 一一)
※《YouTuve-【阪神タイガース 大合唱】開幕戦の"商魂こめて"は凄まじい》https://www.youtube.com/watch?v=jqA-_IY2Gu8
 《YouTuve- くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行
  「宗教はアヘン」という表現をカール=マルクスが使ったことがあるのかというと、『ヘーゲル法哲学批判序説』(岩波文庫)という本の中で一度だけ使用している。しかし、これは蔵原惟人『宗教 その起源と役割』(新日本新書)でわかりやすく述べられているのだが、
1.カール=マルクスは「宗教はアヘン」という表現を『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で一度だけ使用している・・が、他の所では使用しておらず、何度も何度も使用しているわけではない。エンゲルスはこの表現を使ったことはない。レーニンもこの表現を使ったことはない。
2.「宗教はアヘン」という表現を使用したのはマルクスだけかというとそうではなく、カール=マルクスが生きた時代のドイツでよく使われていた表現らしく、わかっているだけでも詩人のハイネ、哲学者のヘーゲルなどが使用している。
3.「宗教はアヘン」という言葉を最初に使ったのはマルクスかというとそうではない可能性が大きい。最初に使ったのは誰なのかはよくわからないが、カール=マルクスではない可能性が大きい。
4.「宗教はアヘン」と言う時、この「アヘン」という言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味の2通りの意味がある。宗教にも中には毒薬のような宗教もあるけれども、マルクスは毒薬のような宗教を批判する時にはこの「宗教はアヘン」という言葉は使用しておらず、そうではなくキリスト教やユダヤ教のような宗教を「宗教は貧しい人たちにとってのなぐさめである」という意味で「宗教はアヘン」という言葉を使っている。
・・ところが、どうも、このあたりを誤解した人やわかっていて曲解した人がいて、カール=マルクスが「宗教はアヘン」と言ったということで宗教を弾圧しなければならないかのように解釈する人が出たらしい。レーニンは宗教批判が厳しかったと言われるが、しかし、レーニンは「宗教はアヘン」という表現を使ったことはなく、宗教批判が厳しかったというのは、ロシア正教では「皇帝教皇主義(セザロパピズム)」と言って皇帝が教皇でもあり、政治と宗教の結びつきが西ヨーロッパの国よりも強かったということがあったかららしい。
宗教―その起原と役割 (1978年) (新日本新書)
宗教―その起原と役割 (1978年) (新日本新書)
  それで、「焼き討ち織田信長大好き人間」のおっさんは、片方で「共産党は死刑にしろお」「日教組は刑務所に叩きこめえ」「朝日新聞の記者は全員死刑にしろお」とか(家で)叫びながら、片方で「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~る」とその部分限定での””教条的マルクス主義者”” になってしまったのだが、なぜ、そうなったかというと、1970年代後半、私が浪人中、うちの父親の「親友」の医者屋のM川という男〔 当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。「患者」を薬漬け・毒盛り・検査漬けにして稼いだカネでドバカ息子を私立金権関西医大 に裏口入学させたというのが自慢。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際はM川自身も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなかったなら「かわいいキンタマ」(崎医大+知医大+沢医大+埼医大=かわいいキンタマ)あたり卒ではないか。「陸士(陸軍士官学校)・海兵(海軍兵学校)の両方、通った」と称していて、うちの父親は「すごいなあ。たいしたもんやなあ」とか言っていたが、年齢を考えてみると、陸軍士官学校・海軍兵学校というのは〔海軍兵学校については内田康夫『江田島殺人事件』にも登場するのだが〕「終戦」よりも前に募集を停止しており、M川が大学を受ける年にはもう募集していなかったはずで、募集していない所に通ったというのは話がおかしい。
江田島殺人事件 (講談社文庫) - 内田康夫
江田島殺人事件 (講談社文庫) - 内田康夫
「M川家に養子に売られた」と言い、そこから「わしぁ苦労人(くろうにん)や」と斎藤茂太みたいなこと言うていたが、しかし、養子に行かせてもらったおかげで医学部まで卒業させてもらったのであり、そんなに不幸であるわけがない。私などはうちの父親から「うちは医学部になんか行かすような金持ちとは違います。4年で卒業できる学部にしなさい」と言われたものだった。〕から「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る」と聞かされて、それに感化されて「M川先生がおっしゃるように『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~る。とってちってたあ~あ! 焼き討ちじゃあ~あ、焼き討ちじゃあ~あ、焼き討ちじゃあ~あ!」と叫ぶようになったのだった。カール=マルクスがある本の中で述べている表現を全体の文脈を無視してある部分の文句だけ引っ張り出して誤解・曲解して理解したものを「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る」とか主張する医者屋に感化されてしまったのだが、迷惑な話だった。

  このカール=マルクスが『ヘーゲル法哲学批判序説』で使用した「宗教はアヘン」という言葉とともに、誤解されやすいのが福沢諭吉の「実学の進め」である。これも誤解されやすいし、誤解ではなく意図的に曲解して間違った意味合いを広めようとしているらしい人も多い。最近でも韓国の人は、福沢諭吉という人は『脱亜論』の作者で、韓国は学ぶものはない国だと述べた人間だとして1万円札に福沢諭吉の顔が使われたりしていることに不快感を表明する人があるようだが、同様に「学ぶものはない国」と福沢諭吉から言われた中国はそうではないようだった。中国人で福沢諭吉と同じようなことを考えた人がいたようで、誰が同じようなことを考えたかというと、たとえば、毛沢東などは福沢諭吉と同じようなことを考えたようなのだ。
  粛瑜(シャオユー)『毛沢東の青春』〔 サイマル出版会。 原題は『毛沢東と私は乞食だった』だが、本の内容は、別に毛沢東と粛喩が実際に乞食だったわけではなく、若い時期に乞食旅行、いわば、ヒッチハイクみたいなことをやったことがあり、その時の思い出などを述べた本なので『毛沢東と私は乞食だった』という題名になったが、実際に乞食だったわけではなく、毛沢東の父親は米の商人で必ずしも貧乏だったわけではなかったらしく、毛沢東が学校に行きたいと考えたのを父親は嫌ったのは、米の商人として学問なんか要らないと父親が考えたからであって、当時の中国人の中で特別に貧乏な家庭の生まれだったわけでもないらしいので、『毛沢東と私は乞食だった』という原題のままではむしろ誤解を招くので、日本語訳の本の出版名の『毛沢東の青春』の方が本の内容に近いと思う。〕では、若き日の毛沢東と友人でこの本の著者の粛瑜(シャオユー)が若い者が外国へ留学して外国のものを学ぶようにするべきだと考え、外国でもどの国に行くべきかと議論する場面が出てくる。フランスがいいという説が有力になったが、他にはイギリス・ドイツ・アメリカ合衆国、それに日本という国名が出る。若き日の毛沢東にとっては、日本は改革を進めた国であって学ぶもの・学ぶべきものがある国という印象だったようなのだ。
毛沢東の青春―その秘められた日々 (1976年) - 蕭 瑜, シャオ・ユー, 高橋 正
毛沢東の青春―その秘められた日々 (1976年) - 蕭 瑜, シャオ・ユー, 高橋 正
著者の粛瑜(シャオユー)は毛沢東より少し年上で、毛沢東より2つ下の弟の粛三(粛子璋)がいて、粛三(粛子璋)は中国共産党に入党することになるが、兄の粛瑜(シャオユー)は中国共産党には入らず、若き日の毛沢東とともに過ごした者でも中国共産党に入った者と入らなかった者がいたようだが、入らなかった者でも進歩的な者は外国に留学して外国から学ぼうという意欲を持つ者が多く、その場合の「外国」に日本も入っていたようなのだ。 粛瑜(シャオユー)『毛沢東の青春』〔1959年原著。 高橋正訳、1976年、サイマル出版会発行。〕では、毛沢東が教師には何でも従わないといけないというのはおかしいと主張する場面がある。
《 毛沢東は東山小学校のことや、西洋学校での生徒たちのことを、よく知っている少年に会えて喜んだ。そして、長い間夢見てきたことを、できるだけ確かめておきたいと思った。で、李少年に向って質問の雨を降らせ始めた。
「きみの学校には何人ぐらいの生徒がいるの?」「百人ぐらい」
「歳は? きみより大きい子もいる?」「ぼくは二年生。三年の子は十一か十二で、ぼくよりちょっと大きいよ。でも漣浜は小学校だもん・・・」
「先生の数は?」「五人」
「やかましいかい?」「うん、とてもね」
「西洋学校じゃ叱る時、手を杖でぶつっていうけど・・・」
「ううん、杖でぶつのは彭先生だけ。あの先生はとても恐いよ」
「ぶたれてもじっとしてるのかい」「だって、仕方がないもん」
「そんな、杖でなぐるなんて、ひどいじゃないか」
「でも、ぼくたちは子供だし、先生は大人だから・・・・」
「そりぁ、そうだよ。だけど、きみたちは大勢だし、先生は一人きりだろう? 先生をやっつけるぐらい簡単じゃないか」
「うん、だけど相手は先生だもの。先生は尊敬しなくちゃいけないんだ。きみ、わからないかもしれないけど・・・」
「そんなひどいことをされても、尊敬しなくちゃいけないのかい?」
「先生は恐いから、なにも言えない。なにもできないんだよ」
「きみたち、馬鹿だな」「笑ったって構わないけど、きみだって学校にくれば同じだよ、きっと」
「ぼくが? いや、ぼくならそんな先生はばらしちゃうな。簡単だよ」
「ばらしちゃうなんて、そんなこと言うもんじゃないよ。ぼく、母さんから、道端ではだれとも話さないようにって言われてるんだ。もう話したくないよ。ぼく行くから・・・」
「ぼくを恐がってんのか? 心配するな。心配なら、あのじいさんに守ってもらえばいいじゃないか。先生をばらすなんて冗談さ。もう少し聞きたいんだけどな」
  李大芳少年はもじもじしていたが、やがてもう行く時間だからと答えた。・・・》
  粛瑜(シャオユー)『毛沢東の青春』という本については、エドガー=スノウ『中国の赤い星』(松岡洋子訳。筑摩書房)の巻末の「参考文献目録」で松岡洋子氏が「粛三の兄の著。大して信用できない。興味本位の根拠不明確な本。」と述べている・・が、そうであるのかないのかわからないが、なかなか面白い。
  ↑ のやりとりなどは、まさに「造反有理(ぞうはんゆうり)」「造反には理由が有る」を述べたものではないだろうか。
  福座諭吉と毛沢東に共通点がある・・なんて言うと、たぶん、「慶應タイプ」は怒るのではないかと思うが、もともと、「慶應タイプ」というのは福沢諭吉の著作とか伝記とかは読んでいない人たち、福沢諭吉の墓参りはやっても福沢諭吉の著作は読まないというタイプの人たちなので、その類の人たちに怒られても、別にどうってことない。
  福沢諭吉『福翁自伝』(岩波文庫)はなかなか面白い。遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)によると、晩年になって自分の人生を語った話にはよくあることで、多少、美化して述べられた部分というものもあるらしいが、それでも「ないことないこと書いている」というわけではなく、たとえ、部分部分において、少々「ええかっこ」しているところがあったとしても、事実を述べている部分は多く、福沢諭吉の考えを知るにおいても役に立つ本だと思う。そこで、子供の頃の福沢諭吉が、兄が習字の練習をしていた時に、書き損じの反故(ほご)の紙をまたいだところ、兄からかんかんに怒られた話が書かれている。子供の頃の福沢諭吉はいったい何を怒られたのかとびっくりしたが、兄は「おまえは、今、何をやった」と言い、不思議がる諭吉に、おまえが、今、またいだ紙にはお殿様の名前が書いてあった、お殿様の名前が書かれた紙をまたぐとは何事だ・・・と怒られたらしい。それで、その場は謝ったけれども、しかし、殿様の顔を踏みつけたとでもいうならよくないであろうけれども、単に名前が書かれた紙をまたいだだけのことで、そこまで怒られなければならないものか・・・と子供の頃の福沢諭吉は思ったらしい。このあたり、↑ の粛瑜(シャオユー)『毛沢東の青春』に描かれている若き日の毛沢東と共通するものが見られるのではないだろうか。
  福沢諭吉は「実学」と「虚学」ということを言い、虚学を捨てて実学を学ぶべきだという主張をした。森川英正『日本経営史』(日経文庫)では慶應義塾出身の村井保固さんという人が森村組を受けた時の話が述べられていて、森村組の採用条件は一に健康であること、二に語学と簿記ができること・・というものだったが、村井保固さんは「語学と簿記は得意な方ではありません」と面接で言ってしまい不採用になる。それを聞いて福沢諭吉は「実業家を志す者が、語学と簿記は得意な方ではありませんとは言語同断だ」と激怒したそうで、しかし、村井さんは「森村さんは賢い人だと聞くが、語学と簿記で採否を決めるとは納得いかない。小手先のきく小物が欲しいのか、将来、会社を背負って立つ大黒柱となる者が欲しいのか」と言い、再度、福沢諭吉から話がいって採用されることになったらしいが、そこでも、福沢諭吉は実業家を志すのであれば、英語を中心とした語学と簿記というものは学んでおくべきものだと考えていたようだ・・けれども、だからといって、語学と簿記は「実学」であって、文学・哲学といったものは「虚学」で学ぶ必要がないものだと主張していたかというと、そうではないはずなのです。このあたりについて「慶應タイプ」の人は誤解している人が多いように思います。
  福沢諭吉は、たしかに、実業家を志す者は語学と簿記を学んでおくべきだということは言っていたようですが、だからといって、語学や簿記が「実学」で文学・哲学を「虚学」だなどとは言っていないはずなのです。むしろ、西洋の近代思想を学ぶべきだという主張をしていたはずなのです。
  それでは、福沢諭吉は何を「虚学」だと考えていたのかというと、「忠」だの「孝」だのといった孔子の「道徳」で国民の意識を抑圧するようなそんな儒教道徳といったものを「虚学」だとして・・・、それこそ「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝にわしに孝にわしに孝に、わしにわしにわしにじゃわしに、わしにわしにわしにいい~い」なんてそんな儒教道徳を大事にしているような韓国や中国は学ぶものがない国だとして、日本は大急ぎで西洋の近代思想を学ぶべきで、その為には韓国や中国などの東洋の国とともに進歩しようとする余裕はなく、そういう東洋の「悪友」を切り捨てて、日本だけでも西洋の文物を学んで文化的にも技術的にも進歩しないといけないという主張をしていたようで、そのためには「悪友」は切り捨てるべきだ・・といったあたりが、今現在も韓国の人が福沢諭吉について怒っているところのようだ。
  しかし、福沢諭吉の『脱亜論』には2通りの意味があって、アジアの「忠」だの「孝」だのといった孔子の「道徳」は人民の意識を抑圧して社会の進歩を妨げるもので害があると考え、ヨーロッパの近代思想こそ学ぶべきもので、大急ぎで欧米の近代思想を学んで日本を近代化するためには、中国や韓国といった東洋の国と一緒に進歩していこうなどということを考える余裕はない、日本だけで進歩するよう考えるべきだという主張が始めの「脱亜論」で若き日の毛沢東など中国の青年は、中国を切り捨てるとかいう点について同意するかどうかは別として、「忠」「孝」といった孔子の「道徳」を脱出して西洋近代思想を学ぶべきだという点においては福沢諭吉と同様の思想を持っていたのではないか、と思うのだ。但し、福沢諭吉の『脱亜論』にはもうひとつの意味もあって、福沢諭吉はアジアの国を侵略すべしといったことは言っていなかったのかというと、そうではなく、やっぱり言っていたのです・・が、しかし、それでも、『脱亜論』には2通りのものがあって、前半の方については、中国の若い頃の毛沢東などの青年たちも同じような意識を持っていたようで、戦後、大陸の中国では「孔子批判」が繰り広げられたのも、福沢諭吉が「虚学」を否定したというのと共通していると思われます。
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
  ところが、慶應義塾においては福沢諭吉の「虚学を廃し、実学を学ぶ」という考えを誤解もしくは曲解して、文学・哲学は役に立たないものだと否定しようという人たちがいた。私が高校を卒業した頃、慶應大学の入試科目は法学部だけが数学・英語・国語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目で、他は経済学部は数学と英語のみ、商学部は数学と英語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目、文学部は経済学部と同じ数学と英語、医学部・工学部は数学と英語と理科が物理と化学の2科目と、法学部以外には国語の試験がなかった。慶應大学の学生で強姦魔が出現することが多いという原因には、「入試に国語がない大学」で、それだけ文学・哲学といったものを軽んじている大学だからだ・・という点があると私は思っている。又、北野高校の高校生は高校時代に明治以来の文学者の文学作品や外国作家の文学作品、アンドレ=ジッド『狭き門』とかロマン=ロラン『ジャン・クリストフ』とかツルゲーネフ『はつ恋』とかを読んでいるのに対して、慶應義塾高校の生徒というのはそういうものは「暗い、暗い、暗い、くら~い!」とか「思考が硬い」とか「そんなものは受験勉強だ」とか言って否定して、かわりに「週刊プレイボーイ」を見ておる。そういう内部進学が大学から入学してきた者に向って「外部の者を教育してやらんといかんからなあ」という口をきくそんな大学だから、だから、強姦魔が次から次へと出現する。これは福沢諭吉が勧めた「実学の勧め」とは何の関係もないばかりか、むしろ、逆のものだ。福沢諭吉は『福翁自伝』においても『学問のすすめ』においても『文明論の概略』においても『学問の独立』『痩せ我慢の説』においても決して「強姦の勧め」なんて述べていない。「塾風」タイプの慶應人間はそのあたりを完全に誤解している・・のだが、彼らは慶應義塾の主流派であり、私みたいな公立高校出身者というのは「慶應義塾カースト」では最底辺の人間、「不可触賤民」みたいなものであり、内部進学のお方たちからすると、「かわいそうだから、軒の先っぽの下に入れてあげてやってあげている」みたいな意識であって、座敷に入れるなんてとんでもない、のぼせあがるのもたいがいにせんかあ!・・みたいな発想。 塾風強姦主義こそ慶應義塾の本流であり、語学と簿記を学ぶか学ばないかであって、アンドレ=ジッド『狭き門』だとか三木清『人生論ノート』だとか太宰治『人間失格』だとか安倍公房『砂の女』だとか遠藤周作『海と毒薬』だとか、あるいはニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』だとかなんて、なんでそんなもん読まんといかんねん・・、暗い、くらい、暗い、くら~い!・・とか思っておる、それが「実学」だ、そういう態度が「独立自尊」だと心の底から思っているそんなもの読む時間があったら「週刊プレイボーイ」とか見た方がええに決まってる・・というのが「慶應タイプ」の思考・・・だから、塾風タイプの強姦魔が続出するのである。これを「慶應タイプ」に言っても絶対に理解しない。むしろ、襲撃される危険がある。「『太ったブタになるよりは痩せたソクラテスになれ』だなんて、バッカじゃなかろか」と思っている連中である。「慶應の経済」というのは、特に「内部進学で慶應の経済」と「1浪で慶應の経済」というのはジャン=ポール=サルトル『自由への道』(人文書院)で登場人物が「両腕いっぱいにカネと生活をだかまえて生きるタイプの人間だ」と言う、そのタイプの人間どもだ・・・が、そうであっても私なんかよりはよっぽど出世してよっぽど高い給料を取っていることだろうから、女性にとっては結婚するなら私なんかと結婚するよりは「慶應タイプ」と結婚する方がいいに決まっている・・と思う。この点にだけは絶対の自信がある。

  うちの父親というのは「慶應タイプ」だったのだ。「わしかて、家が貧乏やなかったら間違いなく慶應大学に行きました。家が貧乏やったから慶應大学には行きたかったけれども受けさせてもらえんかったんや。おまえとは違うねんぞ、おまえとは! おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と、毎日毎日、私の眼を指でつきさすようにして、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに叫び続けていた・・のだけれども、これも考えてみると変な話で、「わしかて、もしも、慶應大学を受けさせてもらえさえすれば、間違いなく慶應大学に行きました」と言うておったのだけれども、慶應という学校は、どうも、小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い方」の学費らしいのだが、それに対して、慶應はブルジョワの学校みたいなイメージがあるけれども大学の学費については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学で、「早稲田大学と慶應大学では慶應大学の方が学費は安い」というのはけっこう前からのようだったのだが、
〔なぜ慶應大は「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」「同じ私立大学でも早稲田大よりも安い」学費なのかというと、
(1)早稲田より慶應の方が懐具合がよく、債券類でいいものを持っているのではないかという説、
(2)慶應の方が「OBがよく寄附をしてくれる」という説があり、この場合、「OB」とは「普通の会社員」のOBからの寄附もあれば、OBといっても実質「財界」のOBもある。
(3)普通に考えて、新設の私立大学との比較であれば、新設の私立大学では大学の敷地も購入しなければならないし、建物を建てる費用もかかるのに対して、慶應大などは昔からあるので、土地も建物もすでにあるから、その分の費用がかからない。
(4)新聞に出ていた話だが、慶應大学の経営学系の講師の募集に対して応募者が多数あって、「タダでもやりたい」という人がいっぱいいたそうで、タダでは仕事にならないはずだが、たとえ1年でも「慶應大学 講師」を務めると、その後、その経歴がプラスに評価される、「経歴にハクがつく」ということで「タダでもやりたい」という人がいっぱいいた・・という話だったが、無名の私立大学と違って、その点で慶應大は教員を確保するのもしやすい。
(5)日本の小学校は生徒の数で見ても学校の数で見ても圧倒的に公立の比率が大きく、大学は逆に私立の比率が大きいので、小学校は私立の小学校が学費を高めに設定しても金持ちでない人は公立の小学校に行けばいいのだが、大学は私立の比率が大きいので私学といえどもあまり高い学費を設定したのでは「学ぶ権利」を奪うことになるからという説、
(6)そんなことよりも、小学校から高校までは意図的に学費を高めに設定して誰でもかれでもは行けないようにしているのであり、逆に大学は合格最低点を上回る点数さえ取れれば誰でも行けるというようにすることで大学の値打ちを下げないようにしているという説、
(7)「しょーもない私立大学」の場合は私立大学同士での競合はあっても国公立大学と競合することは最初からありえないのに対して、慶應大は国公立大学と競合するので、「私立大学の中では安め」の学費に設定しておけば、「東大・京大以外の国公立大学」より少し慶應大の方が学費が高くても、そのくらいなら慶應大に行った方がいいと考える人がいるが、あまり差が大きいようだと国公立の大学に行こうとなることが考えられ、「東大・京大以外の国公立大学」との競合に負けないようにするためにはあまり学費を高くしたくない、あまり高く学費を設定すると国公立大学の方に学生が行ってしまう可能性があるからという説
・・などあるようだが〕
私立大学の同志社大学には行ったけれども、「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の学費であった慶應大学に行かせてもらえなかったというのなら、同志社大学と慶應大学で慶應大学の方が余計に費用がかかる部分というのはどこなのか・・というと、大阪の人間が行くにおいては下宿代と、大阪から東京まで往復する交通費だけれども、交通費については大阪の人間が京都の大学に行くならば、下宿しなければ毎日、大阪と京都を往復する交通費はけっこうかかるはずで、下宿したならば下宿代にプラスして週末ごとに京都と大阪を往復する交通費というのはバカにならない金額であり、東京圏の大学に関西から行った者というのは、毎週、東京と関西を往復したりはしないのに対して、京都の大学に行った者は国立の京都大学に行った者でも私立大学に行った者でも京都と大阪の間を毎週往復する者が多く、その交通費はかえって京都で下宿した者の方が東京で下宿した者よりも金額は高くつくのであったのだが、うちの父親の場合は、大阪市から京都の同志社大学まで下宿せずに通ったそうなので、下宿代はかからないが交通費はけっこうかかった・・というケースだったようだ。だから、もしも、慶應大学に行っていたならば下宿代が余計にかかることになったらしい。だから、「もしも、慶應大学を受けさせてもらってたら、間違いなくわしは慶應大学に行ったはずやのにからに、家が貧乏やったから受けさせてもらえんかったんや。あんたとは違うねんぞ、あんたとは。わかっとんのかチャンコロ、わかっとんのかチャンコロ、チャンコロわかっとんのかわかっとんのか」と毎日毎日叫んでいたのだった・・・が、ちょっとおかしくないか。
  もしも、下宿代の分だけ余計にかかるから慶應大学には受けさえすれば通ったのに受けさせてもらえなかったというのなら、それならそれで、私立の同志社大学ではなく国立の京都大学か大阪大学を受けて行けば良かったのと違うんかい? 京都大学なり大阪大学なら国立大学だから学費も同志社大学よりも安いし、交通費も京都大学なら同志社大学に通うのと同じくらいだろうし、大阪大学なら同志社大学に通うよりも交通費は安かったはずなのだ。なんで、京大か阪大に行けへんかってん? なんでやねん? な~んでえ~え? なんででしゃろか? いったいどういう理由からでっしゃろか? わし、考えても考えてもようわかりまへんねんけど、なんで、京都大学にお行きにならんかったんでっしゃろか? なんで、大阪大学にお行きあそばさんかったんでっしゃろか?・・・と不思議で不思議でしかたがなかった。
  で、実際はどうだったかというと、うちの父親が生きていた時はそれに同調していたうちの母親が、うちの父親が他界して何年か経つとマインドコントロールが抜けたのか、うちの父親が生きていた時とは違うことを言いだした。「『もしも、受けさせてもらえさえすれば慶應大学に間違いなく行きました』やてえ? あの人、よくまあ、そんないいかげんなことを息子に言うもんやねえ」と。「違うでしょうが。私、あの人と結婚する前から近所に住んでたから知ってるよ」と言うのだ。お見合いで結婚したけれども、全然知らない人とお見合いしたわけではなく、近所に住んでいた人とお見合いして結婚したから、おっさんが大学を受ける頃のことも知ってるというのだ。 「なんで、あの人の家が貧乏なのよ。よく言うわ。あの人のお父さん、ここのお爺さん、私が結婚した頃は戦争でだめになっていたけれども、大阪の船場の商社でものすごい出世して新聞の一面に名前が載るような人だったんやないの。家に女中さんがいる家だったやないの。あの人、毎日、女中さんに送り迎えしてもらっていた人でしょうよ。『家が貧乏やったから』て、よくそんなこと言うわ。あの人、家が貧乏やったから慶應大学を受けさせてもらえんかったのやなくて、受けたけれども落ちたんでしょうが。受けたけれども落ちたから行けなかったんでしょうが。まったく、よく、そんなことを息子に言うわ」と言うのだった。・・・しかし、それにしても、実際は受けたけれども落ちたから行けなかったくせしやがってからに「家が貧乏やったから受けさせてもらえんかって~ん」とか言うおっさんというのは、世の中にゴマンといるのだけれども、たいてい、そういう人はよその息子に言うのであって、自分の息子にはむしろ「種明かし」をした上で「その類のしょーもない話に騙されたらいかんぞ」と教えるものだと思うのだが、ところが、うちの父親というのは、よその息子には「ええかっこしい」やってからに、自分の息子にそういう「しょーもない嘘」をつきまくる・・というおっさんやった。今から考えると、あの人らしいなあ・・と思う。
  同志社大学にしても「推薦入学」だったらしいのだ。どこが優秀だから「推薦」してもらったのかというと、「クリスチャン」として同志社に顔がきく牧師屋さんに「推薦」してもらって入学したらしい。しかし、『聖書』なんてちっとも読まない人がなんで「推薦」してもらえるのだろうか? 「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~る。焼き討ちじゃあ、焼き討ちじゃあ。焼~きうちじゃあ~あ! とってちってたあ~あ!」と叫んでいる人、「焼き討ち織田信長大好き人間」が、なんで、同志社大学に牧師屋さんから「推薦」してもらえるの? な~んでえ~え?・・なんて、ふと思ったのだ。それに我が家はもとからキリスト教だったわけではなく、もともとは浄土真宗本願寺派だったはずなのだ。
  私が産まれるより前に他界した、「相当のやり手だった」と母が言うところの祖父が、「推薦入学」で大学に入れてくれる人を捜してきたらしいのだ。捜してこれたのは同志社大学に「推薦」してくれる牧師屋さんで、「推薦」してもらう条件が「特別献金」を払うことと「洗礼」を受けることの2つだったらしい。それで、その時に「洗礼」を受けて「特別献金」を払い、「洗礼」を受けると同時にそれまで『聖書』なんて1頁も読んだことがない、教会なんて一度も行ったことがない男が同志社大学に「推薦」してもらって入学したらしい。「キリスト教系」の学校ではよくあることのようで、「キリスト教系の学校」卒の人にはこういった経緯で「クリスチャン」になった人が多いようだ。その時からうちの父親には「天の神さま」の信仰が生まれたらしい。「天の神さまは、このわしをドイツ人で慶應の民族で階級としてお造りになり、おまえをチャンコロで浪商の民族で階級としてお造りになってのでR。 ゆめゆめ、民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロ! 決して決して階級の違いを忘れてはならぬぞ、浪商!」と私は毎日毎日言われてきたのだが、その「天の神さま」というやつだ。
  どうも、そこで「天の神さま」の信仰を持つことで同志社大学に入れてもらったらしいのだが、しかし、うちの父親が(「推薦入学」で)入りたかったのは慶應であって同志社ではなかったので、その後も不満だったようだ。だから、「わしはほんまは慶應やねんぞお。わしはほんまは慶應。わかっとんのか、浪商! おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、たとえ北野高校に言っても、それでもおまえは浪商なんじゃ、わかっとんのか、この浪商めが! 浪商のくせに北野高校に行くな、浪商! 浪商は高校に行かんでもええんじゃ、この浪商! 高校行くな浪商! 義務教育ではない以上、浪商は高校には行ってはいかんのじゃ、この浪商めがあ!」と毎日毎日私に言い続けたのだった。「わしはほんまは慶應やぞお。お~ま~え~は、亜細亜大じゃあ。お~ま~え~はあ、ほんまは拓殖じゃ、この拓殖めが。慶應のわしと一緒やと思うたらいかんぞ、この拓殖。拓殖の分際で慶應のわしと一緒やなどとは夢にも思うてはいかんぞ、拓殖」と毎日毎日叫びまくっていた。もう、耳にタコできた。
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  「わしは天高(天王寺高校)やぞお。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。浪商のおまえとは違うねんぞ、浪商。いっしょにすんなよ、浪商、なみしょう、浪商、浪商♪」と毎日毎日言っていたのだが、そのわりに明星高校から同窓会の案内状が来ていた。だから、「ほんまは」と「実際は」とは違うのだ。おっさんは「ほんまは天高で慶應」で私は「ほんまは浪商で拓殖」だそうなのだ。「ほんまは」。「天の神さま」というやつがそう決めたらしいのだ。それで「民族」はうちの父親と父親の「親友」の医者屋のM川先生はドイツ人だそうで、私は「チャンコロ」だそうだ。これも「天の神さま」というお方がお決めになったそうなのだ。「民族の違いを忘れるな、チャンコロ!」というやつだ。〔⇒《YouTuve-Wagner(ワグナー) "Ride of The Valkyrie" Karajan Bph カラヤン ワルキューレの騎行》https://www.youtube.com/watch?v=ZOTdIhaGEuw 〕

  福沢諭吉が「虚学を廃し、実学を勧めた」というのは、決して文学や哲学を否定したのではないはずだ・・・が、「慶應タイプのブタ人間」どもはそうは理解せず、文学・哲学を否定して、そして、アンドレ=ジッド『狭き門』や阿部次郎『合本ー三太郎の日記』とか倉田百三『愛と認識との出発』とか亀井勝一郎『愛の無常について』とかを否定する。そういう人間を「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか「慶應心理学」は「診断」する。
愛と認識との出発 (岩波文庫) - 倉田 百三
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  「宗教はアヘンです」と言うのです、うちの父親とその親友の医者屋は。
  「哲学は精神的におかしな人がやるもんです」と言うのです、うちの父親とその親友の医者屋は。北野高校の「倫理社会」のA先生は「プラトンの『ソクラテスの弁明』、それから『歎異抄』、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』、マックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、三木清の『人生論ノート』、夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』、アルベル=カミュの『異邦人』、ドストエフスキーの『罪と罰』・・こういった本も読んだことがないような高校生は、ぼくは高校生として欠陥があるのではないかと思いますね」と言っていたのだが、「欠陥がある」というのは言い過ぎかもしれないし、A先生が読めという本を全部読んで、その結果、大学の入学試験に落ちてもA先生が責任とってくれるわけではないのだから、言うとおりきいて、それらの本ばっかり読むわけにもいかないのだけれども、しかし、
(1)そういった文学・哲学の本というものは、「特に文学者・哲学者と言われる人が読むもの」ではなく「誰もが読んで考えるべきもの」であり、
(2)そういった文学・哲学の本というのは、「歳をいってから読んで『はあん、そんなもんか』と思えばいいもので決して若いうちに読むものとは違う。若いうちに読んではいかん」というYMCA予備校高槻校の「主事」の藤井が主張した発言のようなものではなく、若いうちにこそ読んで考えるべきものであり、
(3)「大学入試に通るかどうかよりも、よっぽど大事だと思いますねえ」というA先生の言うことをそのまま聞いて大学入試に落ちてもA先生が責任とってくれるわけでもないわけで、そんなわけにはいかないとしても、「そう言いたいくらい大事なもの」だというのならそうだろう・・と思う。
(4)「倫理社会」だけでなく、「国語」の「現代国語」「古文」「漢文」において、文学・哲学は学ぶもので、1980年代、早稲田なんとかセミナーという所が司法試験の受験案内のような本を出していて、そこで、「今年、司法試験に合格した人、100人にききました。司法試験に合格しないタイプの人というと、どういう人か? 答えは7つ。」というようなものが書かれていて、そこに「あまりにもストイックな人」と「あまりにもアカデミックな人」というのが出ていた。これは司法試験にだけではなく大学入試にもあてはまるのではないかと思う。「あまりにもアカデミックな人」というのは、学問的な研究の方向に進んでいき、その結果として試験に通るための学習とは離れていってしまい、相当学習しているにもかかわらず成績が伸びない結果になってしまうということがあると思うのだ。しかし、「あまりにも」とついているところがミソであり、アカデミックな要素を完全に削り取るなどということができるのかというと、「現代国語」「古文」「漢文」といったものからアカデミックな要素を完全に削り取ったら大学入試に合格しやすくなるかというと、そんなことはないし、アカデミックのものをことごとく削り取ったら何も残らなくなってしまうだろう。YMCA予備校の「主事」の藤井が言うような、骨のある文学・哲学といった書物は読んではいかんなどとされたのでは・・、いったい、どうやって「国語」の勉強すんの? やりようなくなるでしょうが。やっぱり、「現代国語」「古文」「漢文」というのは文学・哲学といったものを学ぶ人が高得点を取れるもののはずなのだ。文学・哲学を学ぶ人が高得点を取れるはずなのだけれども、「入試に通る」という視点で考えると「あまりにもアカデミックな人」は入試に通る為の方向ではなく「アカデミック」な方向に進み過ぎて落ちてしまうということもありうると思う・・が、だからといって、アカデミックな要素がまったくない人が通りやすいというものでもないと思うのだ。
  中学校3年の時に亀井勝一郎『青春論』(角川文庫)を読んだのだが、なぜ読んだかというと、私が中学校3年の頃、1970年代中頃、高校入試の「国語」で最頻出作家が亀井勝一郎だったから、それで、亀井勝一郎の著作を何か1つ読んでおいた方がいいかと思い、文庫本の目録を見ると『青春論』が角川文庫から出ていたので購入したよんだ。そこに、亀井勝一郎は、これから高校とか大学とかに入ろうという人には、誰か文学者を1人選んで、その文学者の著作を高校あるいは大学に行っている間にすべて読むということを勧めたいと書いていたのだ。又、北野高校の1年の初めに「現代国語」の教諭だった旧姓S 野が「現代国語の学習には、問題集なんかやっても意味ありませんから、誰か文学者の作品をすべて読むというようにするといいと思います。これは3年になってからやろうと思っても、もう間に合いませんから1年の時から読んでいくようにしてください」と言ったので、そうするべきものなのだろうと思い、それで、遠藤周作の著作を片っ端から読んでいったのだ。なぜ、遠藤周作にしたかというと、高校1年の「現代国語」の教科書の初めの方に遠藤周作『聖書の中の女性たち』の「ヴェロニカ」が掲載されており、遠藤周作というと『おバカさん』とか少々おふざけのようなものを書いている作家かと思っていたら、そうではない方の『聖書の中の女性たち』「ヴェロニカ」に魅かれたことから遠藤周作を選んだのだった。但し、大学入試の「現代国語」の対策として考えるのならば、あそこまで読まなくてもよかったのではないかと思う。又、私は高校に入学する時点では「高校の勉強は大学入試の為にあるというものではなく、高校の勉強は高校の勉強だ」と思っていて、どこの大学に行くにしても、どの学部に行くにしても、高校の「現代国語」で扱うようなものを学ぶのは高校生として当然のことだと思っていた。この点においてYMCA予備校の「主事」の藤井とは正反対の認識だった。大学入試において、早稲田大学の法学部・政治経済学部・商学部・文学部(私が高校卒業した頃は第一文学部)・教育学部の文系においては、試験科目は英語と国語と社会科が1科目選択の3科目で受けることができて、社会科1科目のかわりに「数学1」だったか「数学1・2B」だったかを選択することもできたが、「数学なしで受けることができる大学」というのは、数学の難問を頭かかえて解くのが好きだった者からすると、なんだか「カタワの大学」みたいに思えた。又、慶應大学の経済学部・商学部・文学部は「国語が試験科目にない大学」で「国語が試験にない大学」て何じゃそりぁあ? て感じがした。 慶應大医学部・慈恵医大・自治医大・大阪医大は英語と「数学1・2B・3」と「物理1・2」と「化学1・2」だけで国語も社会科も入試になかったが、医者というのは人間を扱う仕事だから、それから考えると、旧帝大系国立大学のように医学部でも国語や社会科が入試にある大学の方がいいのではないかと思った。但し、その後、自分が患者の立場で医者にかかった場合の経験としては「あんまり関係ないかな」という印象を受けるようになった。
  私は高校1年に入る時、「高校というものは大学受験のための道具ではなく、高校の勉強は高校の勉強として価値がある」と考えていて(慶應の教授〔内部進学〕は「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ」と叫ばれるのだが、それとは正反対の認識をしていた)、だから、別に進学先が文学部でなくても文学・哲学といったものを学ぶというのは当たり前の事と思っていた。しかし、「ID野球」「弱者の戦術」として「戦力の集中」ということを考えるならば、もしも、大学入試において、医学部や工学部・理学部を目指すのであれば、すべての科目を高得点取ろうと思ってもなかなか大変であり、「高得点を目指す科目(ライバルに差をつけたい科目)」「ある程度の得点は得たい科目」「致命傷は防ぐということができればいいと割り切る科目」とある程度分けて学習するようにした方が受験には有利ではないか・・と卒業してから思うようになった。親や兄・姉で大学受験の経験がある人は息子や弟にこういったことを教えるようだが、私には教えてくれる親や兄弟はなかった。それで、ひとつの方法として、たとえば、京大の工学部とかを目指すのならば、「国語」の入試対策だが「やらない」というものもあると思うのだ。やらなくてどうするんだ・・というと、高校の「国語」の授業は一応出席しておいて、それ以外は一切やらない・・ということで、やらなくても「現代国語」というのは荒っぽい言い方をすると日本語だから、0点はない。1979年の入試以降は共通一次試験が実施され、共通一次試験はマークシート方式で選択肢から選ぶという問題いだから、「古文」「漢文」もたとえまったくやらなかったとしても、「適当に塗る」でも0点にはならない。だから、高校の「現代国語」「古文」「漢文」の授業は出席しておくとして、それ以外には「現代国語」「古文」「漢文」には一切時間をかけない・・とすると、1科目分、学習時間が空けられることになる。それを「数学1・2B・3」・英語・「物理1・2」「化学1・2」にまわすようにして、「数学1・2B・3」と「物理1・2」を「高得点を目指す科目」として、英語はある程度以上やっても他の者もやるから「まあまあ」の科目として、「国語」と「社会科」は「致命傷は防ぐようにできればそれでいいと割り切る科目」にする・・というのも作戦としてありではないか。
  さらには、北野高校の卒業生で慶應大医学部を第一志望として目指す人はあまりないが、自治医大というのは学費タダ・全寮制で寮費タダというありがたい大学で、私なんかは、慶應大学在学中はうちの父親から「大学は勉強する所とは違うねんぞ、大学は。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロろすけ! 大学みたいなもん、勉強することなんか何もあらへん。アルバイトせんといかん、アルバイトあるばいとアルバイトあるばいと。肉体労働、肉体労働、肉体労働、肉体労働♪ アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。慶應大学医学部の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~い先生がそうおっしゃってる。甘ったれとってはいかんぞ甘ったれとっては、チャンコロ!  てってこっこてっててってらったらったらったら。いらいらしてきた、いらいらしてきた、いらいらいらいらいらいらしてきた。てってこっこてっててってらったらったらったら♪」と言われ、「そんなにアルバイトばっかりやっていたら大学の勉強なんかできない」と言うと、「甘ったれるな、チャンコロ! 大学は勉強する所とは違うんやいうて教えてやってやってやってやったっとんのんじゃ、このチャンコロろすけイタコ! ぼけっとしとったらいかんんぞ、ぼけっとしとったら。アルバイトを嫌がる人間は病気です。モラトリアム人間病という病気です。てってこっこてっててってらったらったらったら♪ せっせせ~い、せっせせ~い、せっせせっせせっせせ~い♪ いらいらいらいらいらいらいらいら」と言われたもので、同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に現役で行ったK村という男なんかは大阪大学在学中、アルバイトといったら家庭教師のアルバイトを週に2回やっていたと聞いたがそれだけで、他はすべて法律の勉強に費やして、それで大学入学5年目に司法試験に通ったようだが、条件が全然違う。川村はモラトリアム人間病ではないのか、「治療」されなくていいのか?・・というと、よその息子の場合はいいらしかったのだが、我が家と川村とは条件が全然違う。川村が司法試験に合格した年、「大阪新聞」に司法試験合格者の氏名が掲載され、うちの父親はそれを切り抜いて私の所に「川村くんの爪の垢を飲めえ!」と書いて送りつけてきた上で、その郵便が就いた頃に電話してきて「郵便送ったんついたかあ。川村くんの爪の垢を飲めよ、チャンコロ~お! てってこっこ、てっててってらったらったらったら♪ てってこっこてっててってらったらったらったら♪」「これから、川村くんのおうちを訪ねて行って『すいません。爪の垢を分けていただけませんか』と言ってきなさい」と言ってきたが、「川村くん」の爪の垢を飲んだらその「川村くん」と同じだけの学習時間を持たせてもらえるのなら、爪の垢でもち〇ぽの垢でも大喜びで飲んだわ。こっちは「アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお。それ、てってこっこてってて~い! 撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは! 木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ~あ! ど~んが~んどんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃあああ~あんじゃあ! あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ、アルバイトを嫌がる者はモラトリアム人間病という病気じゃあ。電気ショックとかやったらんといかん。ロボトミーとかやったらんといかん。慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃってる♪ とってちってたあ~あ♪ どんがんどんがらがったちゃちゃちゃちゃちゃああ~あん♪〔⇒《YouTuve-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕 わかっとんのか、このチャンコロろすけ!」と毎日毎日言われたもので、「川村くん」とは条件が全然違った。将棋でも「飛車角落ち」とか「飛車角香車桂馬落ち」なら工夫して努力してやれば何とか勝機も掴めるかもしれないが、「王さん1枚で戦え」言われたらどうしようもない。私は「王さん1枚で戦え」言われたようなものだった。「全駒そろった川村くん」に勝とうなんて思っても「王さん1枚」で勝てるわけがない。「全駒そろった川村くん」はインターネットで見ると、今では神戸大学法科大学院大学の先生さまにおなりあそばしているようだ。さすがは「全駒そろったお方」だけのことはある。私とは「階級が違う」のであり「民族が違う」お方のようだ。やっぱり、神戸大学法科大学院大学の先生さまにおなりあそばすようなお方は大学生の時からして私なんかとは生活が全然違う。「爪の垢」でもち〇ぽの垢でも飲めばそのおえらい先生さまとやらと同じような生活を大学生の頃に送らせてもらえるものなら、飲んだるわ! ほんと、神戸大学法科大学院大学の先生さまというのは、さすがは先生さまだけあって大学生の時からして私なんかとは違ってけっこうな生活送っていらっしゃったものだと思って心の底から尊敬する。私もあんな生活させてもらいたいものだった。
  その「川村くん」のお母さんは「うちは司法試験も現役で通りました」と近所中に言ってまわっていたようだが、「川村くん」が司法試験に合格したのは彼が大阪大学法学部に入学して5年目の試験であり、「司法試験に現役で通りました」というのは「大学入学後3年目か4年目に合格するものを司法試験に現役で通りました」と言うのであり、たとえば、柴田孝之『司法試験機械的合格法』で柴田孝之が司法試験に合格した時のことを述べていたが、柴田は東大文科一類⇒法学部に入学して4年目に司法試験二次試験を受けたが、受験後、落ちたと思って合格発表も見なかったところ、友人から電話がかかってきて「おめでとう」と言われて何のことかわからずにいたところ、落ちたと思ったけれども通っていたという話を述べていた。又、慶應大学の法学部の先生から聞いた話だが、慶應義塾高校というのは医学部に行きたいとか言わなければ慶應大学に進学するのは高校の勉強をたいしてやらなくても進学できる高校なので、それを利用して慶應義塾高校の1年から法律の勉強を始めて慶應大学法学部の4年の時に司法試験に「現役で通った」という人がいたそうで、大学から慶應大学に行った者には内部進学の人間というのが裏口入学みたいに見えてしまう時があるのだけれども、裏口ではなく制度としてあるもので、「▽▽大学◇◇高校」でも「提携校」の場合は、たとえば大阪府茨木市の早稲田摂稜高校なんてのは「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」らしいが、それだと「上位3割」に入れなかったらどうしてくれるんだよお・・・ということになるわけで、「上位3割」に入るか一般入試でどこかに合格できるように学習するかどちらかしなければならないが、慶應義塾高校の場合は基本的には全員が慶應大学に進学できる高校なので「高校の勉強」というものをやらなくても慶應大学法学部に進学することはできるので、京大や東大の法学部に行くやつが大学1年から法律の勉強を始めるところを慶應義塾高校⇒慶應大学法学部のやつは高校1年から法律の勉強を始めることができて、さすがに3年の学習期間で通るのと6年の学習期間で通るのとでは6年の方が有利ということがあったようだ。そういうのを「司法試験に現役で通りました」と言う。「司法試験に現役で通りました」というのは大学入学して3年目か4年目に合格したものを言うのであって、大学4年を2回やって2回目の4年の時、大学入学5年目の年に司法試験に合格したというものを「司法試験にも現役で通りました」とは言わない。神戸大学法科大学院大学の先生さまのお母様はいったい何を寝言をおっしゃっておったのだろうか。先生さまのお母さまだけあって、おっしゃることがユニークであらせられること! すごいわねえ、オホホ・・・。「川村くん」みたいに大阪大学法学部に入学して4年を2回やって2回目の4年の時に司法試験に通ったというのは、そういうのは「司法試験に現役で通りました」とは普通は言わない! 黙って聞いてリぁ言いたい放題言いやがってからに、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ てものだが、そいつの爪の垢をそいつが法律の本を冷暖房きいた図書館で椅子にすわって机に向かって読んで勉強してきた時に、「あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ」とさせられていた者は飲む義務があるらしかった。あの男と競争していたつもりはないが、それにしても、あれでは、どんなに無茶な努力をしても勝ち目ないなあ・・と思う。将棋でも「飛車角落ち」とか「飛車角桂馬香車落ち」とかなら工夫して努力してやれば、なんとか勝つ方法もないことはないかもしれないが、「王さん1枚で戦え」と言われたのでは、これは勝ち目はない。うちの父親は私にそれをさせたかったのだ。
  だから、うちの父親が父親であるからには、今から高校1年の初めに戻ることができるのならば・・といっても戻ることはできないのだけれども、戻ることができるなら、自治医大を目指すようにしたい。自治医大ならば卒業後は医師として出身都道府県のへき地の病院に何年だか忘れたが一定年数以上勤務するという条件で学費はタダ・全寮制で寮費もタダというけっこうな大学で、「へき地の病院に勤務するという条件」といっても、逆の見方をすると就職活動をしなくても「へき地の病院の医師」の仕事を用意してくれて、ここに勤めてくださいと言ってもらえるのだから悪い条件ではないし、私の場合は出身地は大阪府だから「へき地」と言っても大阪府の「へき地」なんてたいした「へき地」じゃないのではないか・・と思うし、他の学部を卒業した場合でも、たとえば、工学部建築学科卒とかでゼネコンさんに勤めたりすると、インドネシアとか南アフリカとかモロッコとかに勤務を命じられる可能性がある・・というより、私の知ってる人でインドネシアとか南アフリカとかモロッコとかに勤務していた人がいるのだ。うちの親戚の者でダンナが土木学科卒で建築現場の監督やっている人がいて、私が「そりぁ、お宅はゼネコンの監督さんなら、モロッコとか南アフリカとかインドネシアとかそういう所に転勤してくれと言われる可能性だってあったのかもしれないね」とその嫁に話したら、「失礼やねえ。あんたはあ。何がモロッコ・南アフリカ・インドネシアよお」と怒られたのだが、何を怒るのかわからん。もしかすると、嫁としてはミラノとかパリとか行くと思っていたのかもしれんが、ゼネコンの監督が海外に行く場合はモロッコとかインドネシアとか南アフリカとかそういう国であって、パリとかミラノとかなんて行くかい、そんなもん(笑) 何が「失礼ねえ」じゃ、何があ! 嫁はん、勝手に「おフランス」でも行くつもりでいたのかもしれんが、その人の場合は定年まで日本にいたようだ・・が、ともかく、「へき地の病院」に医師として勤務するのでなくても、他の学部卒でも「へき地」どころか海外に勤務してくれと言われることだってあるし、うちの親戚で商社に勤めた人なんかは、「英語圏の国に行くとほっとする」とか言っていたようで、「日本語が通じない」ならまだしも「日本語も英語も通じない」所に行ってくれと言われる可能性だってあるわけだから、それから考えると「へき地の病院」に勤務というのはそんなに悪い条件でもないと思う。
  又、たとえば、栃木県佐野市なんて所は、関東から南東北にかけては佐野厄除け大師のある所として有名で、義人 田中正造翁の生誕地でもあり、東北自動車道「佐野藤岡」インターチェンジがある所であって、「へき地」ではないと思うのだが、2001年、(株)一条工務店で佐野市の展示場に勤務していた時、同じ営業所(展示場)にいた従業員のT木義夫さん(男。当時、50代)という創価学会員の人が営業所の従業員の回覧用の会社の「通達」の真ん中に公明党のチラシを挟んでまわすので、「T木さん、すいませんが、会社の通達の真ん中に公明党のチラシを挟んでまわすのはやめていただけませんか」と、わかりやすく・穏やかに・丁重に話して説明したのだが、ところが、創価学会のT木さんは、それだけ言っても理解できないようで「なんだと、てめえ、この野郎」と言ってつかみかかってきた。日本国内でも、栃木県南部、「へき地」でもないと思われる場所でも「日本語が通じない」場所があった。栃木県佐野市というと佐野市では「佐野らーめん」を市で売り出しており、『らーめん発見伝』にも加水率が多めの麺の代表として佐野らーめんが出ていたし、2001年時点では葛生町だったが今では佐野市の一部分になった所には、戦前の修身の教科書に登場した佐野源左衛門常世の墓があり、佐野日大高校はかつては入りやすい高校だったらしいが、今では進学コースからは東大あたりに合格する生徒が1人くらい出る年もあって、スポーツクラスでは野球部は時々、甲子園大会に出場する高校になっているようで、西日本では西隣の足利学校がある足利市とか、東隣で山本有三の生誕地で「倉の街」として知られ、宇都宮市に県庁所在地が移る前に栃木県の県庁所在地だった栃木市とかの方が有名かもしれないが、関東地方では佐野厄除け大師は有名・・というより、佐野厄除け大師(惣宗寺)は商売熱心で千葉県船橋市の我が家にまで厄除けに来ませんかという新聞折込チラシが入る、佐野市はそういう場所であり、佐野市のらーめん製造元は「関東四大土産品」とか言っていたが、それは、たぶん、自分で言ってるだけだと思うが、少なくとも佐野市はそんなに「へき地」ではないはずなのだが、「へき地」でなくても「日本語が通じない」人がいる所だった。自治医大に行って卒業後、「へき地」の病院に勤務してくれと言われても、「へき地」といっても自分の出身都道府県の中での「へき地」なので、たぶん、日本語は通じると思うので、(株)一条工務店みたいな「日本語が通じない」人がいる会社に勤めるよりはいいと思うし、病院長の息子とかで医学部卒業後に勤めないといけない場所があるという人には向かないかもしれないが、そうでない者にとっては「へき地」の病院に何年以上勤務するという条件なんて、ちっとも悪くない話だと思う。
  だから、もう一度、高校1年の初めに戻れるなら・・と言っても戻れないのだけれども、戻れるものなら、自治医大を目指したい。自治医大なら学費タダ・寮費タダだから、うちの父親から「あんた、あしたからアルバイトに行くことに決めてきたっ! とってちってたあ~あ! 」とやられる危険性が小さい。そして、自治医大に合格するためには・・と考えると、自治医大の入試科目は「数学1・2B・3」・「物理1・2」・「化学1・2」と英語だったから、そうなると、それ以外の科目は「いかにして手を抜くか」を考えた方がよい・・となると、「国語みたいなもん、やってられるか!」ということになる。旧姓作野礼子なんかは「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」「うちは家が貧乏だったから」などと言っても神戸大の文学部みたいなもん受けさせてもらって高校の「国語」の先生みたいなもんにならせてもらったが、我が家の場合は「うちは文学部みたいなもん、受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」という家庭だったし、「うちは高校の先生みたいなもんいならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」「たとえ、学校の先生でも、数学か英語以外の先生は絶対になってはいかん。数学か英語でないと家庭教師のアルバイトはできませんから、国語とか社会科とかの先生は特になってはいかん」と言われたもので、「うちは家が貧乏だったから」などと自慢しまくりの旧姓作野礼子はなんで神戸大の文学部みたいなもんに行かせてもらえて、「国語」の先生みたいなもんにならせてもらえたのか摩訶不思議なのだが、我が家の場合は「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。治療してやらんといかん、治療してやらんと。電気ショックやったらんといかん、電気ショック!」という家庭であり、もしも、父親がいなかったら日本育英会奨学金から学費を出してもらうことができたが、我が家は父親の年収が日本育英会奨学金を受給できる基準よりも多かったので日本育英会奨学金は受給できないので、そうなると、「撃ちてしやまん、一億火の玉」の学部に行かされたくないとなると、学費タダ・寮費タダの自治医大とかそういう所をねらうしかないことになるのだった。だから、そうなると、「国語の勉強みたいなもん、やってられるか、あほんだら!」ということになる。
  私が高校受験の頃、高校入試の「国語」の問題で最頻出作家は亀井勝一郎で、大学入試の時の最頻出作家は文学の部門で森鴎外・評論の部門で小林秀雄で、「東大 文科」の「各科目学習法 国語」では「田中道太郎や埴谷雄高の本を読んでおくべき」と書いてあったので、私は高校入試の際には亀井勝一郎『青春論』を読んだとともに、大学入試の時には森鴎外・小林秀雄・田中美知太郎・埴谷雄高の本をずいぶんと読んだものだったが・・かつ、今から考えると大学入試の対策としては「あそこまで読む必要はなかったか」と思うのだが、自治医大を目指すのなら、合格の為には入試にある科目に集中するべきで、入試にない「現代国語」の対策としての本なんんか「そんなもの、読んでられるかあ!」ということになったとは思う・・が、たとえ、それでも、亀井勝一郎・森鴎外・小林秀雄・田中美知太郎・埴谷雄高の本というのは価値がないと思うわけではなく、価値はあると思っているし、大学入試が終われば、そういうものは読むであろうし、大学入試になくても、入試対策としては読まなくてもまったく読まないわけではない。もともと、そういうものを読む人間が大学という所に行くものだ、と私は思っていた。
  又、女性の場合は男性と多少違うところもあるかもしれないが、男性の場合、10代前半の息子にとっては、一般的な物の考え方・・「自我」という用語を使ってもいいのかもしれないが、この「自我」という言葉を
[1]お寺さんでは捨てるべきものと解釈して「自我を捨てよ」とか言っており、この場合「自我を捨てよ」というのは「執着を捨てよ」に近いのではないか、坊さんは「自我」という言葉を「執着」くらいの意味で使っているのではないかと思われますが、
[2]文学者・哲学者は確立するべきものと理解して「自我の確立」といった表現をしており、
[3]「心理学者」「精神医学者」は「自我が確立されているなら・・とするはずだ」という表現をすることでそうしなければならないのだろうかと思わせて「心理学者」「精神医学者」があやつろうとする方向に人を誘導するための用語として使用しており、
三者三様の異なった使い方であることから用語の意味合いが混乱していることから不用意に使わないようにしているのですが・・・ここでは、この[2]の文学者・哲学者の用語としての「自我」というのでしょうか、そういうものがまだ十分に確立できていない時期であり、家庭によって、父親がある程度しっかりしている家庭においては、息子はその父親が持っている「一般的な物の考え方」というのか「自我」というのかを「仮のもの」「借りたもの」として持った上で、徐々に自分自身のものに変えていくということができるのに対して、我が家の場合は父親にそういうものはなかったので、その分、文学者・哲学者といった人の著作を読んで文学者・哲学者から「仮のもの」「借りたもの」を借用して、そこから徐々に自分自身のものに変えていくというようにする必要があったことから、よその家庭の息子に比べて、そういった文学者・哲学者の著作は多く読む必要性があった・・と思う。
青春論 (角川ソフィア文庫) - 亀井 勝一郎
青春論 (角川ソフィア文庫) - 亀井 勝一郎
 「英語」でもYMCA予備校は、「訳3」という長文のテキストに、わざわざ、内容がないエロ話みたいな英文を掲載していたのだが、受験生はそういうのを喜ぶと思ったのかもしれないが逆だと私は思った。そうではなく、YMCA予備校が英語の「訳3」に掲載していた英文のくだらないエロ話よりも評価が高い文学・哲学の英語での作品の方が読んでも面白いし、又、そういう文学・哲学の英文の方が大学入試に題材として出題される可能性も大きい。教学社から出ていた大学別過去問シリーズの『東大 文科』では「各科目学習法 英語」で、バートランド=ラッセルの著書を読むべきだと書いてあって、私も大学受験の際に、サイドリーダー用に発行されたラッセルの本とか日本で大規模書店で販売されている原書のラッセルの本とかを購入して英語で読み始めたのだが、英語で読むのは日本語訳で読むよりもはるかに時間はかかるので、前の方ちょっとだけしか読むことはできなかったが、又、今から考えてみると、大学入試の英語の対策として読むのなら、特に東大の二次試験の英語の対策として読むのならば、バートランド=ラッセルが悪いということはないが、何が何でもバートランド=ラッセルでないといけないというものでもなかったのではないか・・とも思う。しかし、YMCA予備校が「訳3」の題材にして掲載していた英文のくだらないエロ話よりもバートランド=ラッセルの著書の方がよっぽど読んで面白い。バートランド=ラッセルは肩書としては何になるのかというと、《ウィキペディアーバートランド・ラッセル》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB  によると、《第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(英: Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell, OM, FRS、1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、社会批評家、政治活動家である。 》そうだ。ノーベル文学賞も受賞しているようだから「文学者」でもあるのかもしれないが、「文学者」より「哲学者」の方の印象がある。だから、YMCA予備校みたいに文学・哲学のアカデミックな要素をえぐりとろうとされてしまうと、教学社『東大 文科』が読めと言うバートランド=ラッセルの英文を読むことができなくなってしまう。YMCA予備校の文学・哲学の骨があるものをえぐり取ろうとする姿勢というのは、なぜ、そんなことをしたがるのか・・というと、結論として「アホがやってること」だからだと思う。大学入試についてわかってないやつがやってるからだと思う。 又、うちの父親の親友の医者屋のM川とM川に感化されたうちの父親のように、「宗教はアヘンであ~る」とか「文学は精神的に甘ったれとるやつがやるものである」とか「哲学は頭のおかしな人間がやるものだ」「哲学の本を読むとノイローゼになるぞ」とかそういうわけのわからんことを言いだすと、それは「愚民政策」の一環、専制的支配者が国民を支配しようとした時に、文学・哲学・宗教学といったものを国民から奪い取り、慶應義塾高校の生徒みたいに「週刊プレイボーイ」だけ見せて女の裸だけ見たがる人間にしておけば、そういう人間を「思考が柔軟」だの「独立自尊」だの「自我が確立されている」だの「受験勉強の悪影響を受けていない」だのと「診断」して称賛してそう思い込ませれば、その方が支配・統制しやすいという発想であるが、そうやって心から文学・哲学・宗教学といったものを奪い取られたような人間を人間と言えるのか? ・・というと極めて疑問であろう。
  価値がある宗教は「貧しい人たちにとってのなぐさめ」ではあっても「毒薬」ではないし、医者屋が人を信仰から引き離そうとするのは間違いであり、たとえ、うちの父親が言うように医者屋は「普通の人間よりもえらい階級」だから普通の人間に命令する権利があるとしても、医者屋以前に宗教は存在するものであり、ヤハウェは医者屋によって存在を認められたり否定したるするものではないし、
哲学は「おかしな人が学ぶもの」ではなく「哲学を否定する者」こそ「おかしな人」であるはずである。

 「文学なんて、うちはそんなものやらせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのです、うちの父親とその親友の医者屋は。
  「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る」と言うのです、うちの父親とその親友の医者屋は。キリスト教の洗礼受けることで同志社大学に「推薦入学」で入れてもらったおっさんが言うのです。「クリスチャン」が言うのです、「クリスチャン」が。「共産党は死刑にしろお」とか叫んでいるおっさんが「宗教はアヘンであるとマルクスが言うてお~る」と言うのです。マルクスさんであれ何さんであれ、何をおっしゃっても、その方のおっしゃることがもっともだと思ったなら、その考え方を採用していいでしょうけれども、もっともだと思わないなら採用しなければならない筋合いはないはずだと思うのですが、「マルクスが宗教はアヘンであるとM川先生がおっしゃってる」と言うのです、うちの父親が。
  1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言うのですが・・、それを自慢にしていたのだが今から考えてみると「なんや、けったいなこと自慢するやつやな」と思うのだが・・、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」「私は家が貧乏だったから」とギャースカギャースカ叫びまくるそのわりに私ならたとえ行きたいと思っても、行きたいともしも口に出して言ったとしても絶対に行かせてもらえない神戸大の文学部みたいなもんに行っておるのです、神戸大の文学部みたいなもんに。又、私はうちの父親から「うちは学校の先生みたいなもんにならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われ、又、「たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語の先生でなかったらなってはいかん。数学か英語でないと家庭教師のアルバイトができません。特に、数学か英語の先生でなかったら絶対に学校の先生はなってはいか~ん」と言われたものでしたが、「うちは家が貧乏だったから」と言うわりに旧姓作野礼子は私が「うちは学校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と何度も何度も耳鳴りするくらい言われてきた高校の先生になっておるのです、それも私は「たとえ、高校や中学校の先生になるにしても数学か英語の先生でなかったら絶対になってはいかん。数学か英語の先生でなかったら家庭教師のアルバイトはできません」と何度も何度も言われて耳鳴りがしていたのですが、旧姓作野礼子は数学か英語の先生ではなく国語の先生になっていたのです。なんで?
  「文学みたいなもんは、金持ちが道楽でやるもんです。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。とってちってたあ~あ」とうちの父親は言うておったのです。しかし、伊藤左千夫はそうではなく《現在の錦糸町駅前に牛舎を建て、乳牛を飼育して牛乳の製造販売を始めた》そうで、伊藤左千夫は「甘ったれと~る」から文学や短歌をやったのではないようです。又、「アヘン」だから文学や短歌をやったのでもない。
《 「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」(『伊藤左千夫歌集』)と詠み、身分や出自によらず誰もが自由に詠める世となることで新しい短歌が生まれるという、子規の精神を込めた一首が代表作となった。 》
牛を飼って牛乳の製造販売を仕事としながら短歌を詠む生活をして、「牛飼いが歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」と詠み主張した。文学・哲学にしても詩や短歌にしても、うちの父親が「甘ったれとるからじゃ」というものではないし、うちの父親や医者屋のM川が言うような「哲学を学んだらノイローゼになるぞ」などというものではないし、うちの父親や医者屋のM川が言うような「宗教はアヘンじゃ、マルクスが言うておるように宗教は毒薬じゃ」というものではないし、むしろ、そういった主張をする者こそ「アヘン」であり毒薬であり、異常であり、人間として非本来的であると考えるべきであろう。
  「牛飼が歌よむ時によのなかの新しき歌大いにおこる」
この文句は、
「てってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉。いっらいっらしてきた。
宗教はアヘンであ~る。宗教は毒薬であ~る。哲学はノイローゼであ~る。文学は甘ったれとる人間がやるものであ~る。
とってちってたあ~あ!」
という戦時中の軍国主義の思想・思想弾圧の思想によるもの、うちの父親や医者屋が言うような《哲学・文学を学ぶものが「イデオロギーなんじゃあ」》ではなく、《哲学・文学・宗教を否定する者こそがファシズムの思想であり、それこそが「イデオロギーなんじゃあ」》と考えるべきものであろう。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にしていて、「あなたはお父さんがいるから」と、なんだか「父親がいる」ということで私はものすごい得しているみたいに言ってしかたがなかったのだけれども、そんなに「父親がいる」というのがうらやましかったのなら、私が旧姓作野礼子に「父親」やってやれば良かったと思う。今からでもやってやろうか。
「てってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪
それ、てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ!
撃ちてしやまん、一億火の玉!
欲しがりません、勝つまでは!
木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ~あ!
とってちってたあ~あ!
あ~いらいらあ。
朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝にわしに孝にわしに孝に、わしにわしにわしにわしに。
すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。
わし、これまで、あんたに『わしに孝行せえ』なんて言うたことなんて、一度もないやろ。これだけはいくらなんでもわかってもらわんといかん。
〔あんた、今、言うたんちゃううんかい。今、言いまくっておったのとちゃうんかい?〕
朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝にわしに孝にわしに孝に、わしにじゃわしにじゃ、わしにじゃわしにい。いらいらいらいらいらこっこ~お!
捧げ尽くす、捧げ尽くす、すべてをすべてをわしのために、
捧げ尽く~す、すべてをすべてを犠牲にしてわしの為に捧げ尽くす!!
とってちってたあ~あじゃあ~あ。
すべてをすべてをわしのために。
すべてをすべてをわしのために。
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あれだけ出すのにどれだけきついかきついかきついか~あ、
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あれだけ出すのにどれだけきついかきついかきついかあ~あ♪
わしは今まであんたに、これまでどれだけカネかかったなんて言うたことは一度もないやろ。
〔今、言いまくっておったのとちゃうんかい? まさに今、言うたやろうが。
「おまえが産まれてこなかったら良かったのに、産まれやがったおかげで、おまえを育てるのにカネかかって迷惑なんじゃ。よくも産まれやがってからに。産まれてこなかったら良かったのに産まれやがってからに」と、あんた、京大の横の交差点ほども言うてきたやろうが。何、言うとんねん。
※ ちなみに「京大の横の交差点」の名前は「百万遍(ひゃくまんべん)」と言います。〕
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪
あれだけ出すのにどれだけきついかきついかあ~あ♪
産まれなければ良かったのに産まれおってからにい。
おまえが産まれて迷惑なんじゃ。おまえが産まれたために、おまえを育てるのにカネかかって迷惑なんじゃ。
そやから、これからお前に働いてそれをまどてもらわんといかんのじゃ。このチャンコロめが、産まれなければよかったのに産まれよってからにい、もうもう、もう~お!
わし、これまであんたに、今までどれだけカネかかったなんて言うたことは一度もないやろ。
〔今、言うとったやろうが、まさに今。言いまくっておったやろうが。どういう頭しとんねん。言いまくっておったやろうが。〕
あーめん、そーめん、ほっかいどー♪」
と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに叫びまくるおっさんというのがうらやましいのなら、それなら、わしが旧姓作野礼子のために「父親」やって、これをかわりにやってやろうか。「感謝せえよお。感謝せんとばちあたるぞお」旧姓作野礼子!!!
「わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃ、わしにじゃ、
すべてをすべてをわしのために、
てってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪
すべてをすべてをわしのために。いらいらいらいらいらコッコー、コッコー、コッコー、いらコッコーじゃあ~あ。ああ、いらいらあ。
わし、あんたにわしに孝行せえなんて一度として言うたことないやろ。いくらなんでも、このくらいのことはわかってもらわんといかん。
〔今、言うたやろうが、まさに今。今、叫びまくっておったやろうが、まさに今〕」
と、旧姓作野礼子がやってほしいのなら、やってあげてやらんこともない。感謝しろよ、旧姓作野礼子。
感謝せんとばちあたるぞ、旧姓作野礼子。
感謝せんと天の神さまがおまえをお許しにならぬぞ、旧姓作野礼子。
・・・というものだ。
※ 「あーめん、そーめん、ほっかいどー」の歌については、
《YouTuve-February 24, 2019》https://www.youtube.com/watch?v=f4Y45J4-gKY

  うちの母親は「親というものは息子が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやってつきたい仕事につけるようにと思って、それで無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と私が小学生・中学生の頃には言っていて、私は愚かにもそんなヨタ話を信じてしまったが、それは嘘だった。しかし、それでも、母親の方がまだ妥協の余地はあったが、父親がいたことから私が小学校1年の時から同級生が遊んでいる時も学習して努力してきた努力の成果はすべて奪い取られた。「すべてをすべてをわしのために」「わしに孝に、わしに孝に。わしにわしにわしに」のために、「すべてをすべてを」奪い取られた。
父親というものがそんなにうらやましいのなら、旧姓作野礼子に「父親」やってやりたいものだ。「わしに孝に、わしに孝に」「すべてをすべてをわしのために」「わしの、ために。わしの、ために。ためにために、わしのために」と毎日毎日、朝から晩まで叫びまくっている人がそんなにうらやましいのなら、旧姓作野礼子に「父親」やってやってもいい。やってやるべきだと思う。「父親」というものがどんなものか、あの女にわからせてやりたい。実感として思い知らせてやりたい。

  伊藤左千夫は千葉県の今現在の行政区画だと山武(さんむ)市、少し前までは成東町の、JR総武線・東金線「成東」駅の少し東のあたりの生まれで、その付近が舞台の小説も書いているが、『野菊の墓』は松戸市の矢切の斎藤政夫と市川市から斎藤家に働きに来ていた戸村民子との話で、『野菊の墓 文学碑』は『野菊の墓』の舞台となった場所の付近と思われる松戸市下矢切 の寺の敷地の一部に設けられたようで、北側の「野菊苑」との間が橋で結ばれていて、「野菊苑」からは江戸川の方面が見渡せる。
  一度ですべて述べて公開するつもりだったが、「『野菊の墓 文学碑』および『矢切の渡し』訪問」の前段で字数を費やしたので、本体は次回にまわす。「津田沼 ザ・タワー」の弁護士法違反の件は「『野菊の墓 文学碑』および『矢切の渡し』訪問」本体の後にさせてもらいたい。

 「てってこっこ、てっててって、らったらったらったら。
撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは。
贅沢は敵だあ! 
とってちってたあ~あ! あ~いらいらあ。
わしは人に号令かけるのが得意で向いてんねん。
あんたは号令かけられることが何よりもうれしいねん。
これを適材適所と言うんや、適材適所や、適材適所。
これは天の神さまというお方がお決めになったことであって、
人間が変えるということはやろうと思っても決してできないし、
変えようとする者を天の神さまは決してお許しにはならないというものなんや。
わしは号令かける人間で、あんたは号令かけられるのを喜ぶ人間。
それ、喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、
喜べ喜べ喜べ喜べチャンコロ♪
あ~いらいら、いっらいっらいっらいっらしてきた。
わしほど精神的に安定した気持ちの落ち着いた人間はおらんねんぞ。
あ~、いっらいっらいっらいっらしてきた。
わしのような沈着冷静で気持ちの落ち着いた人間の言うことはおまえはどんなことでも服従せんといかんねんぞ。
あ~いらいらあ」
・・というおっさんが、そんなにうらやましいのなら、
旧姓作野礼子の希望に沿って、旧姓作野礼子にその「あ~いらいらあ」のおっさんやってやってもいいぞ、ほんま・・・

  北野高校は行きたいと思って行った学校だったから、合格発表の時はうれしかったが、卒業して十年以上経って考えてみると、どう考えてもいい学校ではなかった。もっとも、それならどこに行くと良かったかというとそれはよくわからない。どこに行っても、学校というものは絶対にいいという所はないのかもしれないけれども、それにしても、北野高校はそんなにいい学校ではなかった。特に、旧姓作野礼子がいたという点で、あの女がいたという点において、もしかすると旧姓作野礼子と同タイプの「ちょっと性格いがんでる系女子」にはいい女なのかもしれないが、私にとっては「あの女がいた!」という点で最低最悪最凶の学校だった。

  まがりなりにも、高校の教諭なら、「いらいらしてきた、いらいらしてきた、いらいらいらいらいらいらしてきた」「すべてをすべてをわしのために」「てってこっこ、てっててってらったらったらったら♪」「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝にわしに孝に、わしにわしにわしにじゃわしに」の親の扱いに困りはてている生徒に対して、いくらかなりとも協力してくれてもいいのではないかと思ったのだったが、それは期待しても無理な相手に期待していたのだった。
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
「戦国武将の話」などでも、この相手が協力してくれるのではないかと期待していたら、相手方について攻撃してきやがった・・というような話があるが、期待できない相手なら、むしろ、期待できないと認識しておいた方がよく、期待できない相手に期待するとそれが原因で問題を発生する。それから考えると、高校の教諭というのは、あいつら、いない方がいいのではないか・・と最近は思っている。あいつらは無能であって、むしろ、そういう親に気に入られようとして、そういう親に気に入られることで自分の評価を上げようとする程度の低い連中だった。
  又、インターネット上に出ていた話によると、落合がロッテオリオンズに入団した時、キャンプに来た元ロッテ監督の金田正一が落合を「この選手はプロでは絶対に成功しません」と言い、落合は三冠王を何度も取った後、金田のその言葉を「自分は社会人野球を経て入団したからまだいいけれども、高校でてすぐにプロ入りする選手もいるわけで、そういう選手がああいう言葉を言われたなら、いったいどう思うか」と言い、球団のために無理をして登板して肩や肘をいためて200勝できなかった杉浦(南海)に対してひとの勝ち星を横取りしまくって400勝あげた金田を皮肉って「杉浦さんが入れない名球会に何の意味もない」と言い、「(金田が会長やってる名球会の入会資格の2000本安打の手前の)1999本、ヒット打ったらいつでもすぐにやめてやる」と言い、さらに巨人に移籍する時に「巨人の歴代の選手でレジェンドというと誰を思い浮かべますか」ときかれて「王さん、長嶋さん、それに金田」と金田だけ呼び捨てで呼んだ・・とかいった話があるらしい。入団したばかりの選手に「この選手はプロでは絶対に成功しません」とはよく言ったなあと思うが、言われた側は恨みも深いようだ。実は私も北野高校の教諭から似たようなことを言われたことがある。今から思うと、なんで、あんなこと言われなければならないのかと思うが、言った側は「教師の権利」とでも思っていたのだろう。それで「なにくそ」と思うようになったのなら感謝すべきだとか言いたがる人もいるようだが、「感謝するものとは違う」、「感謝する性質のものとは違う」と考えるべきだ、と今は思う。

  柴田孝之は『東京大学機械的合格法』で「能力的にも優秀で人間的にも優れている教師というのは、多くの人間が考えているよりもはるかに少ない」と述べていたが、私も今はそう思う。私が高校時代および高校卒業直後の時期に失敗したのは、北野高校の教諭というものを買い被っていた、実状よりも高く評価してしまっていた、という点がある・・と思う。柴田はその部分でいいこと言っている。
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之

  次回、「野菊の墓 文学碑」↓ 訪問。
DSC06371.JPG

↑ これは予告編みたいなもん・・かな。
  『野菊の墓』は、松戸市矢切の斎藤政夫が市川市から働きにきていた2つ年上の戸村民子と仲良くなりながらも、2つも年上の女ではだめだと政夫は千葉の学校に行かされ、民子は市川の実家に帰されて気が進まないうちに嫁に行かされ、妊娠したものの流産した末、他界してしまうという話で、「純愛の話」かもしれないが、ある程度以上の年齢になって読むと、「距離感」のようなものを感じてしまうところもあるのだが、伊藤左千夫は小説に「純愛の話」ばっかり書いていたわけでもない。『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』では、息子がない農家に婿をとったが親がその婿を気に入らないと追い出したら、娘がその男について娘も出て行ったとか、よそから来た男が娘と仲良くなって一緒に出て行こうとして村の境界で兄に足止めされたとかいった話も出てくる。そして、『隣の嫁』『春の潮 隣の嫁続編』では、農家の次男と兄が家を継ぐ家の娘とが仲良くなり、娘の父親は、嫁にやることもできない・婿にとることもできないそんな男と仲良くなってどうするんだと言うが、二人は何としても夫婦になると考えて、男は東京に出てやっていけるように考える。東京に出てやっていけるようにして、必ず迎えにくると千葉を出て行く・・というのは、成東の出身の伊藤左千夫が錦糸町の付近で乳牛を飼って牛乳の販売をやったのと重なるところがあるのかもしれない。伊藤左千夫の作品は『野菊の墓』が有名で、「小学生向け全国の校長先生推薦」みたいな本、「小学生が読んでおくべき本シリーズ」に入っているのだけれども、大人が読む場合には、むしろ、他の小説の方が身近に感じるものがあるかもしれない。
  次回、実際に訪問した際の風景を掲載したい。
※ 松戸市観光協会 野菊の墓 文学碑 https://www.matsudo-kankou.jp/bungakuhi/
松戸市 矢切の渡し・野菊の墓文学碑 https://www.city.matsudo.chiba.jp/miryoku/kankoumiryokubunka/odekakemap/sanpo-map/yakiri-nogiku.html
じゃらん 野菊の墓 文学碑 https://www.jalan.net/kankou/spt_12207aj2200116039/
ウィキペディアー野菊の墓 文学碑 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%8F%8A%E3%81%AE%E5%A2%93%E6%96%87%E5%AD%A6%E7%A2%91 
 (2021.9.2.)

☆ 「野菊の墓 文学碑」「野菊苑」「永禄古戦場跡」「矢切の渡し」
1.文学・哲学は毒薬か? 牛乳屋兼歌人・文学者の伊藤左千夫は何か悪いか? 〔今回〕
2.市川側から「野菊の墓 文学碑」への道。「永禄古戦場跡」。「精神保健研究所」て何やってるのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_2.html
3.西蓮寺(真言宗)、『春の潮』に見られる「自我」の主張。結婚式乱入を美化する映画『卒業』は称賛できない。「自我」を持たないことを「自我の確立」と騙す「心理学」「精神医学」ファシズム。小学生用文学全集の是非。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_3.html
4.野菊苑から見た西方の絶景。『野菊の墓』と「文学碑」「野菊苑」の一致する立地。詩的な小説『野菊の墓』。「文学的表現」は文学・哲学ならいいが法律家には誉め言葉にならない。矢鱈と多い「法律家以上でない法律家」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_4.html
5.野菊庵・伊藤左千夫の短歌の木札。伊藤左千夫は単作作家ではない。「性格あつかましい」は自慢することではない。本は貸すと返ってこない。「女性版俗物4種の神器」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_5.html
6.「矢切の渡」と江戸川。『春の潮』とともに読むべき『野菊の墓』。いいかげんな「解説」を書く文学部教授と権威主義。『野菊の墓』で押しつぶされた「自我」の主張をする『春の潮』https://tetsukenrumba.at.webry.info/202109/article_6.htm

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