試食品を大量に食べると犯罪か? みんなへの土産を一人でほぼ全部食べるのは犯罪ですか?―「三多摩」による異常事態宣言。「会社と裁判やる人は人間性に問題がある」と言う「労働問題の労働者側」をやる女性弁護士。大学受験は「終戦」であり、格下の人の行く大学に行ったのでは「終戦」できない。

[第547回]
  前回、「法律相談」で法律相談をせず、第1点の質問事項に対しては「わからないですね」と言い、第2点の質問事項については法律相談ではなく人生相談として、貧困な自説を言い、私が「法律相談をしていないのだから、相談料を返してください」と言ったにもかかわらず「もう、すんでますから」と奇妙な返答をして返還せず、「わからないのなら、後で調べて『こうでした』と返答するとかしたらどうですか」と言っても、「もう、すんでますから」と言い張り、相談料を泥棒した東京第二弁護士会と担当弁護士の鎌倉一樹氏(三宅坂法律事務所。一橋大法学部卒、県立宇都宮高校卒http://www.tochigi-edu.ed.jp/utsunomiya/nc2/index.php?page_id=0 )について述べた。「法律相談」というのは法律上の問題について質問に答えてこそ、「法律相談」になるのであり、「わからないですね」でカネだけ盗るのは、そういうのは一般用語で何と言うかというと「泥棒」と言うのです。それを法律用語に翻訳するとどうなるかは私は弁護士ではないので、弁護士を職業にしている人が適当に翻訳してもらえばどうかと思う。
  「弁護士は泥棒の始まり」と言うべきか・・・。

  しかし、それにしても、「〇日までに◇十万円、振込んでください」と弁護士が言うから、ないカネを無理して大急ぎで振り込むと働かねえ・・という「振込め詐欺」弁護士
 「〇日までに◇十万円、振込んでください」と言って振り込ませておきながら、振り込まれたと思うと働かない「着手金泥棒」弁護士
  大変な状況に陥って、もう、さらに別の相手と闘うことなんて不可能だという状況の者(依頼者)に食らいついてカネをむしりとる「火事場泥棒」弁護士
  「弁護士は忙しいですから」と称して弁護士が指定した日時の打ち合わせに必ず遅刻して、法廷にも遅刻してくる、「弁護士は忙しいですから」なんて言われても「依頼者だって暇人じゃねえよ」ということを絶対に理解しない、そもそも、法廷に遅刻してくる弁護士というのはいったい何に忙しいのか・・と思われるのだが、毎度毎度遅刻する「遅刻常習」弁護士
  前回の「法律相談」で言ったことと正反対のことを平気で言う「二枚舌」弁護士
  裁判所に予納した「郵券」(郵便切手)など、返してくれと請求しなければそのままネコババする「ネコババ」弁護士
  裁判所内で相手方弁護士と目くばせする「相手方のまわしもの」弁護士「相手方の間者」弁護士
  そして、「法律相談」と称して「わからないですね」でカネ取る「泥棒」「詐欺」弁護士・・・・と、まったくつくづく、弁護士にろくなのいねえなあ・・・ほんと・・・( 一一) 
・・・というのか、他の仕事なら、他の世界なら通じないようなことが弁護士屋の世界では通じてしまっているみたいだな・・・

  それで、カネ払って「法律相談」をしても「わからないですね」と弁護士から言われてしまい、それならしかたがないと、自分自身で告発状を作成して千葉地方検察庁に持参したのだが、ありぁ?・・「受け取ってもらった」と思ったけれども、相手としてはそうではなく「預かった」つもりだったらしく、「受け取ってもらった」のではなかった。 それで、鎌倉くんが「わからないですね」と言った点については検事が答えてくれた。弁護士法第72条の
《 (非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第七十二条 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。
  ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。》
( 「e-GOV 法令検索 弁護士法」https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=324AC1000000205
の後段の例外には該当しないようだ。
  しかし、それ以外の問題もあった。それを今回述べるつもりだったが、その前に述べておきたいものが出てきたので、それを先に述べて、告発状を千葉地検に持参した結果がどうであったかという話は次回にまわしたいと思う。検事からは「弁護士さんに相談されてはどうでしょうか」と言われたのだが、カネ払って弁護士に相談したところ「わからないですね」と言われてしまったのだ( 一一)

  こういう話を他の弁護士にしてみてはどうか・・というと・・。 2002年のことだが、労働関係の問題について、やはり、霞が関の今回と同じ東京弁護士会・東京第二弁護士会が実施している有料の法律相談に言って話したところ、「労働問題の労働者側」をやるという女性弁護士(当時、30代なかばくらい?)は何と言ったかというと、「会社を相手に裁判やる人というのはねえ。たいてい、その人の言っていることというのはもっともなことが多いの。そうだけれども、会社を相手に裁判やる人というのは例外なく人間性に問題がある人なの。人間性に問題があるから会社と裁判やるの。人間性に問題がない人は会社と裁判なんてやらないの。だから、あなたが会社と裁判やっているということは人間性に問題があるということなの。会社と裁判やる人というのは自分の人間性を反省することが必要なの」・・・と、そう言ったのだ。残念ながらそのバカ女の氏名をいったん「記憶」したのだが「記録」しなかったことから氏名を忘れてしまったのだが。あの慶應女子高女めえ~え・・・と思ったけれども、慶應女子高卒かどうかはわからないのに決めつけては良くないかもしれないが、「人間性に問題がある」のは私ではなくあのバカ女の方であろう。慶應女子高卒かどうかはわからないが、まさに慶應女子高みたいな女だった。たとえ、実際は慶應女子高でなかったとしても、「アタマが慶應女子高」というのか「人間性が慶應女子高」て感じがした。そういう女だった。その女は「慶應女子高女の思想」「慶應女子高女の世界観」を持った弁護士だったが、「会社を相手に裁判やる人というのは例外なく人間性に問題がある人なの。人間性に問題があるから会社と裁判やるの。人間性に問題がない人は会社と裁判なんてやらないの。」なんて、そんなこと思っているのなら、そんな思想・そんな世界観を持っているのなら「労働問題の労働者側」なんかやるなよ!・・と思うのだが、ところが、その弁護士の女としては「やってあげている」とか思っているらしかった。「『やってあげている』のだから感謝するものでしょ」とか思っているようだった。その思考、「ほとんどビョーキ」て感じだが、弁護士の職業病かもしれない。このビョーキはなかなか治らない。
  何年か前、「アサヒ芸能」だったと思うのだが、ヤクザさんにインタビューした記事が出ていて、ヤクザさんの「シノギ」にどんなものがあるかという話で、ストリートガール(立ちん坊)として売春している女性のバックについて「守ってやってる」というのがあるそうで、「体はって生きている女なんだから、守ってやらなきゃという気持になるよなあ」とそのヤクザさんは言ったらしいのだが、記者はそれについて《そう言われると、なんだか、大変な生活をしている女性をオトコギをもって守ってあげている・・みたいな印象を受ける、そんな気にもなりがちだが、それは、あくまでも、カネを取ることなく守ってやってるという場合の話であって、その女から「守ってやってる」ことできっちりみかじめ料としてカネ取っているのだから》と書いていたのだが、弁護士というのもそれに似ている。依頼者に対して、「やってもらってるんだから、感謝の気持ちを持って」とか要求するのだが、それ、カネを取らずにやっているのならそう言ってもわからないことはないが、あんた、報酬をもらってやっているのだろうが! 報酬をもらって仕事をしている者が、相当高額の報酬を払ってくれている相手に報酬をもらっている者が「きっちりと感謝して」とか要求するというのは、それはおかしいだろう。その慶應女子高女弁護士(思考と顔が慶應女子高ということで、実際に慶應女子高卒かどうか確認したわけではないのだけども・・)の思考は社会人としておかしい。
  東京都内のある日本共産党の区会議員に話を聞かせてもらったことがあるのだが、「私は若い頃、勤めていた会社から『おまえは明日からクビだあ』と言われましてね。『どうしてですか』と言ったところ、『社風に合わん』と言われたんですよ。それで『《社風に合わん》てどういう意味ですか』と言いましたら、『つべこべ言うなあ~あ!』と言われたんです」と、そういう経験をされたらしい。この慶應女子高女弁護士(実際に慶應女子高卒かどうか確認はしていないが「アタマが慶應女子高」女、かつ、「顔が慶應女子高」)なら、「社風に合わん」と言われたと言うと、「ほら、人間性に問題があるということでしょ」とか言いだすのでしょうね。この「慶應タイプ」のバカ女こそ「人間性に問題がある」。その「慶應タイプ」の弁護士女、金持ちか貧乏かという問題ではなく、あんまりいい育ちをしていないと思います。たぶん、いい家庭の育ちだと思い込んでいると思いますが、私から見ると、家庭がよくないと思います。「慶應タイプ」の家庭ですね。慶應の内部進学の人にそんな感じの人が多いように思います。

  「労働問題の労働者側」をやるという弁護士というのは、そんな人間が多いように思う。もしくは、本当は「労働問題の使用者側」をやりたかったけれども、使用者側で雇ってもらえないものだから不本意ながらそれより格下の「労働問題の労働者側」をやっているう~みたいなやつというのが多い。大坂の陣で、本当なら徳川方で雇ってほしかったけれども、徳川方で雇ってもらえなかったから豊臣方に応募して雇われた「元浪人」みたいなもので、「隙あらば相手方についてやる」みたいな姿勢のやつ・・というのがいる。
  「やってやってあげている」という態度。「感謝しなさい」という態度。おまえ、報酬もらってやってるのと違うのか?!? タダでやってるのか? 「ち~が~う~だ~ろ! このボケぇ~え!!!」という弁護士が大変多い。又、弁護士のそういった職業病を治療してあげようと思っても、このビョーキはなかなか治らない。その時、最初に裁判の訴訟代理人を依頼した弁護士の対応が悪すぎるということを言ったのだが、そのあたりの詳細を述べだすと長くなるので、それは別の機会にしたいと思うが、それに対してこの女性弁護士は何と言ったかというと、「それじゃあ、これから、東京の弁護士を相談料1回1万円払って片っ端からまわってみたらあ」と、そう言いよったのだ。1回1万円盗られて、それで、1000人目に「まともな弁護士」とめぐりあうことができたとして、その時点で、単に「まともな弁護士」を捜すためだけで1000万円を奪われることになるのだ。そんなカネあるかあ! たとえ、あっても払えるかあ!!! たとえ、あっても、そんな火事場泥棒みたいな弁護士に払ってたまるか!!! 
   だいたい、住宅建築業の会社は住宅展示場に来場客があったなら、まず、最初に契約してもいないのに「相談料」1時間1万円・・・なんて、そんなもの取るかというと⇒取らない。な~んとか頼んでもらおう・契約してもらおうと頑張って営業活動して、それで契約してもらえたり契約してもらえなかったりするのだ。それに対して、弁護士というのはそうではなく、「会社と裁判やる人というのはねえ。たいてい、その人の言っていることはもっともなことが多いの。そうだけれども、人間性に問題があるの。人間性に問題がある人だから会社と裁判やるのお。会社は人間性がいい人とは争わないの。だから、あなたが会社と裁判やっているということは、あなたの人間性に問題があるということなのお。会社と裁判やる人というのは例外なく人間性に問題がある人だから、自分の人間性を反省して改めないといけない人なのお」などと勝手なこと言いまくって、それだけで「相談料」1時間1万円盗る。大威張りで盗る。ふんぞり返って盗る。「このアマ~あ。弁護士だと思って我慢して下手に出て聞いていると、やいやいやいやい。ええかげんにせえよお」と思っても、すでに先払いで「相談料」払ってしまっており、「法律相談」なんて何もやっていないし、このバカ女、この「アタマが慶應女子高」、法律相談なんて何ひとつ、答えていない・・にもかかわらず、「相談料」を先払いで盗っているのだ。まさに、慶應女子高がやりそうなことだが、そう言う態度のことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか言いそうなところだが、住宅建築業の会社なら、営業はなんとか契約してもらおうと苦労して努力して、それでやっと契約してもらえたり契約してもらえなかったりするのに、弁護士てのは「人間性の問題なのお~お」などとほざきまくって、それで「相談料」1時間1万円・・・て、なんか、ボロイ商売やなあ・・・、詐欺師と一緒やんけ、こいつら・・・。こいつら、ほんま、クソして死にやがれえ!・・てところから便後死(べんごし)と違うのか、それに「きれいな漢字」を当て字して「弁護士」になったのではないか・・て感じがする。
  前回も述べたのだが、ソープランドで「リーズナブル」な店というのは2時間2万円てところかと思うのだが、要するに、弁護士の「法律相談」と同じ金額・・というより、弁護士の「法律相談」の値段がソープランドと同じ値段なのだ。違いといえば、「法律相談」は30分5千円ですむ場合もあるが、ソープランドは30分では普通はすまない・・と思う。そのあたりに違いはあるかもしれないが、ソープランドというのはそれなりのことをやって2時間2万円のはず、ソープランド嬢は「やること」やって報酬を得ているのだが、弁護士というのはソープランドと同じだけのカネとっておいて、ろくに「法律相談」やっていないのにカネだけ盗る・・・とは、まったくつくづく弁護士てのはふてえ野郎、もしくはふてえ女だ。弁護士というのはソープランド嬢と比べて仕事に対する誠実さにあまりにも劣る。この場合、「ふてえ」は太っているかやせているかは関係ない。   
  その「アタマが慶應女子高」みたいな女性弁護士――ついでに顔も慶應女子高みたいな顔してた――が、「1回1万円払って東京中の弁護士に相談してまわったらあ♪」と、そういうことをやれと、その東京弁護士会だったか東京第二弁護士会だったかの女性弁護士は言いやがったのだ。・・まったく、こいつう~う、””ハンマーパンチの嵐””を撃ち込んだ上で、植木の剪定ハサミでち〇ぽ切断したろか、こんちくしょう・・と思っても、誠に残念なことに、「アタマが慶應女子高みたいな弁護士女」というのは、植木の剪定ハサミで切断しようとしても切断しようがないのだ・・( 一一)
   物理的に不可能なのをいいことにしやがってからに、こんちくしょう!!・・と思うが、弁護士というのはそういう類が大変多い。実際のところ、弁護士というのはこういう人間の割合が大変大きいので、そういうやつらと関わってみると、「弁護士に100万円払うくらいなら、ゴルゴ13に1000万円払う方がよっぽど価値がある」と思うようになる。ゴルゴ13の仕事に対する誠実さに比べると、弁護士屋の不真面目・不誠実な態度は天と地の違い・月とスッポンの違いがある。
  ほんと、こいつら、””ハンマーパンチの嵐””を撃ち込んだ上で植木の剪定ハサミでちん〇こ切断してこましたろか・・・て気持ちになるヤツラだらけであるが、「アタマが慶應女子高」弁護士みたいに切断しようがないやつというのは、ほんと、困りものである!!!

( ↑ 「わからないですね」で「相談料」を盗る三宅坂法律事務所の鎌倉一樹氏が「法律相談」やってる、又、「会社と裁判やる人というのは例外なく人間性に問題がある人なのお~お」とのたまう、そういう認識・そういう思想のもとに「労働問題の労働者側」をやっているらしい女性弁護士、「アタマが慶應女子高」みたいなヤツ・・が「法律相談」やってる千代田区霞が関の弁護士会館。)
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
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モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))
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  それで、(株)オリジナルワーク一級建築士事務所の高浦氏が弁護士法違反だという問題については次回にまわすとして、今回、述べたいのは、「質問きてた。試食品を大量に食べると犯罪ですか?」という、アチョム法律事務所の弁護士 岡野武志氏の動画 https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B2%A1%E9%87%8E%E6%AD%A6%E5%BF%97 で、
《Q:試食品を食べすぎると犯罪になりますか?》 https://www.youtube.com/watch?v=JKxCrEwff1U というものがあって、それを見て思ったことを述べたいと思ったのだ。
「夏休みの後、サークルの部室に、お土産としてみんなに買って来たものを、一人で95%以上、猛烈な勢いで食いまくった男、三流高校卒の医者の息子というのは、こういうやつというのは、その行為は間違いなく『犯罪的行為』だと思うが、『犯罪的行為』であるとしても、これは『犯罪』として訴えることはできるだろうか? もしも、刑事上、無理なら民事上はなんとかできるだろうか?」
という問題である。 アチョム法律事務所の弁護士 岡野武志氏の動画 https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B2%A1%E9%87%8E%E6%AD%A6%E5%BF%97 の《Q:試食品を食べすぎると犯罪になりますか?》 https://www.youtube.com/watch?v=JKxCrEwff1U では、「結論。窃盗罪になる場合がある。」「お店の意思に反して食品を奪い取ったということで刑法235条の窃盗罪になる場合がある。」「相手の意思に反して物を奪うのは絶対にだめ」という答えなのだが、私はそのサークルの部員みんなで少しずつ食べてもらおうと思ってお土産を買って持って行ったのに、どう考えても一人で食べるような量ではないにもかかわらず、一人で猛烈な勢いでほとんど全部、一瞬のうちに食いたおしてしまった・・というのは、これは持参した人間の意思に反する行為であり、「結論。窃盗罪になる場合がある。」と考えてよいだろうか。その時、あまりのことに驚いて、「おい、おい、何すんねん!」と思ったものの、驚いて何も言えなかったのだけれども、みんなで食べてもらおうと思って持って行ったお土産を一人で猛烈な勢いでほとんど全部食ってしまった「医者屋の息子」の行為を「窃盗罪に該当し違法・有責な行為」と考えて良いでしょうか?
これが今回の問題だ。・・あちょむ法律事務所♪
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
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医学部・金、権力の腐蝕構造―大学の有名病院支配図 (1985年) - 和田 努
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  私が卒業した大阪府立北野高校は1970年代なかばに私が入学する頃までしばらく「京大合格者数1位の高校」で阪大合格者数もけっこう多い高校だった。11歳年上の私の姉が高校生だった1960年代半ば頃は京大合格者数は天王寺高校の方が1位だったが、私が高校に入学する前、1970年代前半は北野高校が1位だった。私が卒業した年、京都の洛星高校に抜かれて2位になったが、京都の近畿予備校に行ったやつから聞いた話ではその年の洛星高校の京大合格者は「農学部ばっかり」だったそうだったが、その後、1位に復活したものの、さらにその後、1位を陥落して長く低迷したが、最近、また、京大合格者数1位に復活したようだ。京大合格者数1位の高校」に行くと、そうでない高校よりも京大に合格しやすい環境はある・・とは思うけれども、いいことばっかりでもなくて、もしも、阪大に行ったとすると、同じ学区の2番手校の豊中高校から京大に行くやつがおり、阪大に行くやつもいるので、「なんだあ。せっかく北野高校に行ったのに、豊中高校に行ったやつよりも下の大学に行ってしまったあ」とか「北野高校に行ったのに、豊中高校のやつと同じ大学に行ってしまったあ」とか思うことになる場合がある。 又、中には桃山学院高校卒で阪大に通るやつもいるので、「せっかく、北野高校に行ったのに、桃山学院のやつなんかと同じ大学に行ってしまったのかあ」なんていう気持になる場合もある。別に、桃山学院高校という高校に恨みがあるというわけではないが、しかし、実際問題として、北野高校から阪大(大阪大学)に行ったらそういうことを考えることになる・・と思う。それが嫌なら何が何でも京大か東大に行くしかないのだけれども、行ければいいけれども必ず間違いなく行けるとは決まっていない。 又、うちの父親は「京大はアカやから行ってはいか~ん!」とか言いだしよるわけで、そうなると東大に行くしかないことになるが、「京大志向の北野高校」は東大受験にはあまり有利ではない。最近はいくらか変わっているかもしれないが、私が高校を卒業した1970年代後半はそうだった。
  私の母の知り合いで、兄弟で兄の方が私と同じ中学校から同じ北野高校に行って阪大に行き、弟の方が豊中高校から京大に行ったという人があったが、もしも、兄弟の仲がよければ兄としては自分の失敗を弟が活かしてくれた・・ということで、弟に「良かったね」と思うかもしれないが、・・最初は「良かったね」と思っても、そのうち、「◇◇さんのところ、弟さんは高校は豊中だけれども京大に行かれたのに、おにいちゃんは北野高校なのに阪大やてえ」とか言いだすおばさんとかが出現すると・・・、弟が悪いわけではないと思いつつも、なんか、おもろないなあ・・・とか思い出したり・・ということだって実際問題としてあるかもしれない・・と思う。
〔 北野高校は行きたいと思って行った高校だったので合格発表の時はうれしかった・・が、卒業して何年か経って考えてみると、あんまりいい学校ではなかったなあ・・と思う部分がある。もっとも、それならどこに行けば良かったかというとよくわからないし、学校というものはどこに行っても「絶対にいい」という所はないのかもしれない。又、柴田孝之が『東京大学機械的合格法』で、「能力的にも優秀で人間的にも優れている教師というのは多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」といったことを述べていたが、私も今はそう思っており、北野高校の教諭というのも、ろくなもんじゃなかったなあ・・と今は思っているのだが、他の所に行ったら良かったかというと他の所に行っても「そんなもん」だったかもしれない・・・が、北野高校の問題点として、「高校入学時において、二番手校の豊中高校ではなく一番手校の北野高校に入学できる学力があった生徒で二番手校の豊中高校に行っていたならば京大に行けた生徒を阪大に行かせてしまう高校みたいな面があった、現実にそういう面があった。一時期、北野高校と豊中高校の進学成績にほとんど差がなくなった時期があったが、それはこのあたりに気づいた人がいて、かつ、阪急宝塚線沿線のみが北野高校の学区であると、「宝塚線沿線で淀川地区にある北野高校」と「宝塚線沿線で豊能地区にある豊中高校」なら「豊能地区にある豊中高校」の方がいいのではないかと考える豊能地区住民がいたのではないか・・と思う。又、公立高校は男女共学だが、北野高校の場合、男子は豊能地区出身者と淀川地区出身者の両方からなっていたが、女子は淀川地区出身者の占める割合が圧倒的に大きかったので、それから考えると「女子については豊能地区出身者が多い豊中高校」の方が、そこに行く「豊能地区出身の男子生徒」にとってはかえっていいのではないか・・と考える人がいてもおかしくなかった。そういう状況とともに、北野高校の教諭の親方日の丸体質・殿様体質を考えると、「名門校」「伝統校」というばかりで内容は特に値打ちのある高校ではないのではないかと考える人も出たのではないか・・と思う。私が卒業してから卒業生として自分が卒業した高校をそう思ったのだから。自分が親の立場だったら息子を行かせたいかどうか””微妙””・・と思ったのだから。「昔と同じことをやってるんですから、成績が伸びなかったら生徒の方が悪いんですよ」と言う先生がいたが、「昔と同じことをやってるから」教えている側は悪くないのではなく、時代が変わり社会が変化しているのに「昔と同じことをやってる」のがいかんということはないか・・と考える思考が欠落している人というのは「その程度の人」だったのではないかと今は思う。「昔(北野高校が毎年京大合格者数1位だった時期)と同じことをやってるんですから」教えている側は悪くない、生徒が悪いんだと主張する先生には、大阪桐蔭高校と履正社学園の経営者の爪の垢を飲ませてやりたい。履正社学園というのは私が高校生だった時は福島商業高校と言っていて、言っちゃなんだがおよそ大学に進学するような生徒が行く高校ではなかった。野球だって特に強くなかった。それが今では野球部は大阪府で大阪桐蔭高校に次いで野球が強い高校になり、進学コースからは京大や阪大に合格者を出すような高校になった。北野高校の学区が小さくなってそれより前に比べて生徒の学力水準が低くなったから進学成績が下がるのは当たり前だと言いたい先生が多かったが、たとえ、前より学力水準が低い生徒が多くなってもそれでも大阪府の高校では最難関の高校だったわけで、履正社学園の生徒よりよっぽど学力のある生徒が入ってきていたのに、新設校の大阪桐蔭高校やもともとは大学に進学するような生徒の行く高校ではなかった履正社学園から京大や阪大に合格者が出ているのに、大阪府の高校では一番学力のある生徒が入ってきているのに「できのわるいやつらやなあ」と言って進学成績の低下をすべて生徒のせいにするような教諭・・というのは「その程度の人」だったのではないか。北野高校の教諭には「高校入学時の成績・学力は二番手校の豊中高校に行ったものよりも優秀な一番手校の北野高校に入ることができる学力だった者で二番手校の豊中高校に行っていたなら京大に行けた人を阪大に行かせるようにしてやろうという人」というのがいた、そういうことをやって得意がりたい人がいたと思う。これは事実だ。橋下が知事の時に、府立高校に進学重点校というものを10校指定して、かつ、学区をなくすということをして公立高校の競争力を強めたことにより、北野高校と天王寺高校の進学成績は復活したようだが、内容が改善されたかどうかはわからない。〕
  それが、阪大(大阪大学)ならまだいいのだ。「北野高校⇒大阪大学」と「豊中高校⇒大阪大学」なら大学は同じ大学でも学歴としては「北野高校⇒大阪大学」の方が「豊中高校⇒大阪大学」よりも上だろ。「北野高校⇒大阪大学」と「桃山学院高校⇒大阪大学」なら「北野高校⇒大阪大学」の方が上だろ。・・しかし、慶應なんか行くと、ほんと、むかつく。正直なところ、むかつく。心の底からむかつく。何の因果でこんな所に行かされなきゃならんのだ・・と思うようになる。慶應では「北野高校⇒慶應義塾大学」と「桃山学院高校⇒慶應義塾大学」なら間違いなく「桃山学院高校⇒慶應義塾大学」の方が学歴として上なのだ。あほくさ!・・・慶應の教授はこうおっしゃるのだ。「だって、私学なんだからいいに決まってるじゃないか。北野高校の人間は『私学だってことはいいってことだ』という常識もわからんのか。何をわけのわからんことを言うんだ。アタマ、どうかしてるんじゃないか」と、講義の最中にマイクに向かってそうおっしゃるのだ。講義の最中に固有名詞だして人の出身校の悪口言いよるのだ、慶應の教授というのは。この「慶應タイプ」、なんかチョーむかつくう・・と思うようになるが、そういう人のことを「思考が柔軟」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか、「慶應心理学」はそう「診断」するのである。まあ、「慶應心理学」というのはそういう連中がやっている「心理学」なのだが。
  だからなあ、慶應なんて大学に北野高校を卒業して行くもんじゃねえな、こんなクソの大学・・と何度も何度も思ったものだった。
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫
現代精神医学解体の論理 - 森山公夫

  実際問題として、慶應大学なんか行くと、「格下の高校」卒のやつがそのへんにいっぱいいるわけだ。実際問題として「なんで、こんなやつらと同じ大学になんか行かされんといかんのじゃあ!」と何度も何度も思った。こいつらが悪いわけではないとしても、それでも、なんか気分悪いなあと思ったし、慶應なら浪人なんかしなくても通った・・と思う・・と言っても、高校を卒業する年に受けなかったのだから、実際に受けていたなら通ったか落ちたかはわからないけれども、少なくとも、慶應みたいなもんに行かされるために浪人したのとは違うわあ・・と思った・・し、実際、慶應に行くために浪人したわけではない。こいつら、むかつくやつらやなあ・・と思っても、そいつらが悪いわけではないのだろう・・と思っても、気分のいいものではなかった。「蹴っ飛ばしたろか」というくらいの気持ちだが蹴っ飛ばすわけにもいかない・・としても、蹴っ飛ばしてやりたいくらい気分悪かった・・が蹴っ飛ばすわけにもいかない・・がそのくらい気分悪かった。
  しかし、相手は逆だったようだ。「愛塾」奨励空手会(あいじゅくしょうれい からてかい)という、《 自分たちが主張する「愛塾」が愛塾だとして「奨励」し、それ以外の愛塾は愛塾と認めないという「空手」使いの右翼の「会」 》、「幼稚舎から慶應」の人間が始めたサークルが慶應義塾大学にあって、表面は「昭霊空手会(しょうれいからてかい)」と詐称してごまかして部員を募集していた。私は東大・京大など「一流大学」というのは小学校から高校まである程度以上学問をしてきた人が行く大学なので、サークルにしても《 自分たちが主張する「愛塾」が愛塾だとして「奨励」し、それ以外の愛塾は愛塾と認めないという「空手」使いの右翼の「会」 》なんてそんな程度の低い団体はないだろうと思っていたが、慶應は「一流大学」の側かそうではない方の側かどっちだろうかと思っていたのだが、慶應は《 自分たちが主張する「愛塾」が愛塾だとして「奨励」し、それ以外の愛塾は愛塾と認めないという「空手」使いの右翼の「会」 》みたいなものが存在する側の大学だった。「沖縄に昭霊流という小さい人が大きい人を倒すということを考えた空手の流派があって・・」などという捏造した話を表に出して部員募集していて、後から考えてみると「よくまあ、そんないいかげんな話を捏造して話すなあ」と思うのだが、私はうっかりそれに騙されて、一時、入部してしまったことがあったのだが、そこにいた富永という千葉クロマティ高校卒の男なんかは、自分より上の高校卒の人間で自分より年上の人間が自分と同じ大学で自分より下の学年にいるというのは、これはもう、うれしくって楽しくってたまんない・・というものだったようだ。私からすれば、なんで、こんな不良と同じ大学に行かされなきゃならんのだ・・と思うのだったが、富永を見て「なんで、こんな中学校か高校から煙草吸ってたような不良が大学に行くのか」と不思議に思ったのだが〔私なら絶対にありえないことだったのに〕、富永としては自分より格上の高校卒の人間で自分より年上の人間が自分と同じ大学で自分より下の学年にいるというのは、何より最高の極楽、快感だったようだ。 富永は文学部心理学科だったが、どう見ても心理学科という感じではない男なのに、なんで、心理学科なんだと思ったのだが、これはまず間違いないと思われることだが、富永としては「1浪で慶應の経済」が第一志望だったのだが、「1浪で慶應の経済」に落ちたので第二志望の「1浪で慶應の文学部」に入ったというもので、現役で大学に入学するというのは富永にとっては最初から問題外で、「1浪で慶應の経済」が最高だが「1浪で慶應の文学部」でも彼にとっては良かったのだ。なんで、「1浪で慶應の法学部」か「1浪で慶應の商学部」が第二志望にならないかというと、その頃、「慶應の経済」は試験科目が「数学1・2B」と英語の2科目だけで「慶應の文学部」もそうだったのだが、慶應の法学部は「数学1・2B」と英語と国語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目を選択、商学部は国語はなくて「数学1・2B」と英語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目を選択と、「1浪で慶應の経済」を目指して「数学1・2B」と英語のみしか学習していない男にとっては法学部と商学部は科目数が多く、受けても落ちるから受けなかったか、それでも受けたが落ちたかで、「1浪で慶應の文学部」であれば試験科目が経済学部と同じで「数学1・2B」と英語だったので、「1浪で慶應の経済」を目指した人にとっては「1浪で慶應の文学部」が「すべり止め」になったらしく、それで第一志望の「1浪で慶應の経済」に落ちた富永は第二志望の「1浪で慶應の文学部」に通ったことから文学部に行きよったのだ。私は富永を見て「心理学科というタイプの人間ではない」と思ったけれども、「どう見ても心理学科というタイプではないのに、なんで、こいつ、自分の適性に合わない学科に行くんだろうなあ」と思ったのだが、それは私が心理学というものはすべての人が「完全なる機能」をするのを補助する学問であって、どちらの経済体制を取る国においても、心理学は政治的支配者が国民を支配したり会社の経営者が従業員を服従させるための道具になるようなことは決してあってはならないもので、そうなったならそれは心理学ではないし、そうなったような心理学は害があると思っていて、心理学を志す者はそのあたりの認識をきっちりと持っている人間でないといけないと思っていたのに対して、富永の場合は逆で、心理学というのは会社の経営者が従業員を服従させるための道具であったり、右翼的支配者が国民を統制するための技術であり、それをいけないと言うような者というのは「アカ」であり「ラディカル」であり「過激派」だという認識の男だった。要するに、クロマティ高校卒の不良の富永は小学校から高校まで「勉強しとらん」からそういう貧困な認識を持つようになったのだが、要するに高校卒業時には法政かそこらでも通らないようなクロマティ高校卒の不良が1年浪人して「慶應の経済」「慶應の文学部」の入試科目だけぎりぎり入試に通るかどうかのレベルまで学習したというだけの人間で軍歌流しながら街中走っているおっさんどもと知能程度は同じ人間だから、そういう男の「心理学」と小学校1年から高校まで他の同級生が遊んでいる時も雨にも負けず風にも負けず勉強してきた私などの心理学とは心理学は心理学でも心理学が違ったのだ。 富永みたいなそういう男にとっては、その男の行っていた千葉クロマティ高校よりも上の高校卒の人間で、自分より年上の人間で、受験時には自分よりも高い点数を取っていた可能性が高いと思われる人間が自分と同じ大学で自分よりも下の学年にいるというのは、これはもう最高♪ これほど楽しいことはない♪・・というものだったようだ。私はそいつらに、そういう気分になられるためにそのために慶應みたいなもんに行かされてしまったのだった。慶應という大学はそういう大学だった。
  そんなもん、3浪しようが4浪しようが関係あるかあ、こんなクズの行く大学になんか、誰が行くか、ふざけんな!・・・と何度も何度も思った。「天地は広いと言うが、私にとっては狭くなってしまったのか」(『貧窮問答歌』)と思った。「天は我を見放したあ~あ」とも思った。〔⇒《YouTuve- 「八甲田山」予告編》https://www.youtube.com/watch?v=HslnP1vdWTw 〕 小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も勉強してきたが、それはクロマティ高校卒のやつの行く「大学」に行かされるためだった。慶應大学の広告研究会の人間が女子学生を何人もで輪姦したという話が表にでて、慶應のことだから清家塾長はそういうヤカラを「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか言って強姦魔を称賛するのかと思ったらそうではなく、広告研究会は解散、直接の犯人は無期停学処分にした・・ありぁ、慶應らしからぬ対応だな・・と思ったものだったが、慶應はそういうヤカラが行きたがる大学でそういうヤカラが充満している大学だ。「変なやつとはつきあわないようにすればいいんだから」とか言う人もいたが、そういうことを言うと「そんなやつだらけの慶應」ではつきあえる人間はほとんどいないことになる。おまえはそんなに聖人なのか?・・なんて言われるなら、私は自分を聖人だなどとは少しも思っていなかったし今も思っていないし、何より別に「聖人」になんてそんなものになりたいと思っていないが、しかし、少なくとも強姦やるために大学に行ったのではないし、強姦やるために小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのではないので、その点で「慶應ボーイ」・「思考が柔軟な慶大生」・「福沢精神を持っている」と称する連中・《「自我が確立されている」人》とは明らかに違いはあったし、この点には絶対の自信があったし今もある。
  「慶應心理学」はそういうクロマティ高校卒のやつのためのものであり、そういうやつのことを「思考が柔軟」とか「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか言うのである。私はそういうクロマティ高校卒のやつが楽しむ快楽のために慶應みたいなもんに行かされてしまったのだ。私はそうされるために小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強させられてきたということだった。

  慶應大学の一般教養科目「物理学」は、講義と実験が毎週交互にあったのだが、実験の時、「向かいの席の人と2人一組になって実験してください」と教授が言われたので、向かいの男に「やりましょう」と言ったところ、内部進学らしいその男が私に「やらなくていいよ」と言うので、「なんで? やるんでしょ」と言ったところ、「やらなくていいって言ってるだろ。やらなくても、やったということにして適当に書いておけばいいよ」と言うのだった。「いや。そうもいかないでしょ。実験をやってそれをレポートに書けということですから」と言うと、「だから、やらなくっていいって言ってるだろうが!」と言うのだった。その男は私よりも年下だったが2年で私よりも1つ上の学年で、何よりも内部進学だったのだ。だから、内部進学の人間が「外部の者」に「やらなくっていい」て教えてやってるのにわからねえのか、この野郎! という態度だったのだ。慶應はそういう大学である。小学校の1年から高校まで努力して勉強してきても、そういうやつらに支配される「大学」に行かされたのだった。彼ら内部進学は慶應という大学では上のカーストの人間であり、特に私のような小学校:公立・中学校:公立・高校:公立で大学も国立大学に行くはずだったのがどこで間違えたのか慶應みたいなもんに行かされてしまったという人間で、しかも、親戚中探しても、東大・京大・阪大卒の人は何人かいても慶應卒の人間なんかどこにもいないという人間というのは、これはカーストの最底辺であり、いわば、内部進学のお殿さま、植民地の白人支配者からすれば、小学校から高校まで公立の人間なんてのは””ドジン””であり、ドジンが内部進学と対等に口をきこうとはのぼせあがるのもたいがいにしろ・・みたいなものだったのだ。・・な~んで、そんな学校になんか行かされんといかんのじゃあ、と思ったが、それが私の運命だったようだ。〔⇒《YouTuve- Coolest Lenny!, Bernstein - Beethoven Symphony No.5 バーンスタイン - ベートーベン 交響曲第5番「運命」》https://www.youtube.com/watch?v=mH5QjIXpPPw 〕
  北野高校で私の1つ上の学年だった男性で、阪大の工学部を浪人しても落ちて、早稲田大理工学部も落ちて、言わないけれども慶應大工学部も落ちて、それで二期校の静岡大工学部に行ったけれども、「こんな所、行くもんかあ」と思ってやめて、結局、3年遅れで阪大歯学部に行ったという人がいた。 うちの向かいの息子は医者屋の息子だったが、私と同じ公立中学校から同じ北野高校に行って、結局、3浪で東大理科三類に行った。うちの母親は「勉強しない子じゃなくて勉強する子なのに、かわいそうにねえ~え」などとアホなこと言っておったが、「あんた、私が浪人中に私に言うこととよその息子に言うことと、言うことが全然違うじゃないか」と思ったものだったが、そのボーズは3浪で東大理科三類に通りよった。 日吉台学生ハイツの同じ階に、私と同じ年齢で天王寺高校卒で東大を受けたけれども落ちて2浪で慶應大商学部に入学したけれども、在学しながら再度、東大を受けて、結局、3浪で東大文科一類に行ったという男がいた。・・どいつもこいつも、本当にうらやましいと思った。私だって、もう一度、受ければ通った・・・と思う。もちろん、ある程度以上の難易度の所を受けるからには「絶対に」などというものは存在しない。いくら、模擬試験などで高得点を取っても「絶対」にはならない。いわば、反比例のグラフのようなものだ。より合格しやすい状態になることはあっても、より落ちにくい状態になることはあっても、「絶対に」などというものには永遠にならない・・が、「もう一回受ければ」と何度も思った。よそとうちとはそこが違った。よそは「本人が納得いくためなら」という視点があったようだが、うちはちがった。「わしが良かったらそれでええんじゃ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」とうちの父親は行っていた。我が家はそういう家庭だった。「家庭の違い」というものを実感した。もしも、富永が我が家に生まれていたならば、富永なんぞ、高校に行くのはおかしい。たとえ、義務教育であっても富永なんか中学校に行くべきではないはずだ。富永は中学校に行ったのが余計だ。・・というより、富永なんか小学校行く必要ないのではないか。
  うちの母親は私が小学校・中学校の時、「親というものは、息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、つきたいと思う仕事につけるようにと思って、それで無理にでも勉強させようとするんや」と言っていたが、嘘だった。そうではなかった。格下の大学に行かせて、格下の高校卒のやつのパシリにさせたらおもろい♪・・・とうちの親はそう思っていたのだった。慶應は格下の大学であり、なんだかんだ言っても、北野高校卒の人間が行く大学ではなかった。なにより、慶應の教授が講義の最中に言うのだ。「北野高校の人間というのはね。国公立の学校の方が私立よりもいいと思っていませんか。何を馬鹿なこと思ってるんだろうねえ。北野高校の人間というのは『どうして、私立だったらいいんですかあ?』なんて言うでしょ。バカか! 私立だってことは『いい』ってことじゃないか。こんな常識すらもわからんのかあ~あ!」と、教授がそうおっしゃるのだ。別にそんな気分の悪い「大学」に無理して行く必要ないのじゃないか。
  弁護士の岡野武志さんには親しみを覚えるところがあって、どこかというと、私と部分的に共通点があるように思ったのだが、岡野武志さんは、大阪の明星高校卒で大学には行かずに司法試験1次試験合格で2次試験に通って弁護士になったらしいが、私も、慶應みたいなもんに行かされるくらいなら、司法試験1次試験を受けて司法試験1次試験合格で2次試験を受けて弁護士になろうといったことを考えたことがあったのだ・・・が、うちの親が「わしがいかん言うとんねんぞ、この神さまのこのわしがあ。んがあ~あ!」と言い、それもさせてもらえなかった。
  柴田孝之は『司法試験機械的合格法』だったか『司法試験ゼッタイ合格の秘訣』だったかどちらかで、司法試験に早く通ろうと思えば、司法試験1次試験合格で司法試験2次試験受験を目指すよりも、どこでもいいから「大学」に行って2年を修了して2次試験を受ける方が間違いなく易しいから(実際、名前と受験番号さえ書けば合格みたいな大学はあるわけだから)、司法試験一次試験合格で司法試験二次試験を受けることを考えるよりどこでもいいから大学に入学して2年修了で司法試験二次を受けるようにした方がいいということを書いていたが、それは、「どこでもいいから大学に行けば」と考えることができる人の場合であろう。そういう人にとっては、司法試験1次試験合格というのは難しくて、ともかく「大学」と名前のつく所に合格するというのはそんなに難しいことではなく、どこでもいいから「大学」に入学して2年修了するようにした方が、司法試験2次試験受験の受験資格を得るための労力としては楽なはずだ・・と言うのであり、それはそうだろう・・けれども、だ。 「『富永の行く大学』みたいなもんに行かされてたまるか!」という者にとっては司法試験1次試験合格と慶應大学の2年修了とでは司法試験1次試験合格の方がたやすく「富永の大学」に2年修了まで行かされるという方が苦痛であり困難だったのだ。私にとっては「富永の大学」みたいなもんに2年修了まで行かされる苦痛と司法試験一次試験に合格するための努力なら後者の方が断然やりやすいのは間違いなかった。・・というよりも、司法試験一次試験合格から二次試験を受けようというような人間というのは、多くが、「大学」なんか行かなくていいよ・・と判断した人間であるから、そういう人間に柴田が今さらどこでもいいから「大学」に行って2年修了する方が司法試験一次試験合格よりも負担が楽です・・と言っても、「ああ、そうですか」てものだ。そんなもの、「富永の大学」「不良の行く大学」「クロマティ高校のやつの行く大学」になんかなんで行かされんといかんのじゃ・・という所から司法試験一次試験合格を経て二次試験を考えた者に、もう一回、元に戻って「富永の大学」に2年まで行く方がいいよと言っても、「うるさいよ。この野郎!」というものだ。東大文一現役合格か司法試験現役合格か東京リーガルマインド講師か何か知らんが「うるさいよ、黙ってろ」てものだ。
  そして、富永は「1浪で慶應の文学部」には合格できたし、「1浪で慶應の経済」に合格できた可能性というのもないことなかったのかもしれないが「慶應の経済」および「慶應の文学部」の入試科目である「数学1・2B」と英語を「慶應の経済」か「慶應の文学部」にぎりぎり通るか通らないかのレベルまでしか学習していない男だから試験科目が多くて出題範囲が広い司法試験1次試験に合格するのは極めて難しかったはずだが、私の場合は司法試験1次試験に合格する可能性は十分あったと思うのだ。それははっきりと理由がある。
(1)私は小学校1年から高校3年まで勉強してきた人間であり、それも、「受験のための学習」なんてするのは邪道みたいに思っていて、入学試験にない科目も入学試験にある科目とそれほど変わらないくらいに学習してきた人間で、かつ、医学部受験も考えたことがあって「数学3」も「物理2」「化学2」もある程度以上学んできた人間であり、又、「体育以外の増位山」みたいなもので音楽も美術も得意・・というより、音楽・美術の方が数学や英語より得意なくらいという人間だった。だから、すべての科目から出題される司法試験一次試験、共通一次試験⇒共通テスト・センター試験よりもまだ試験範囲が広い司法試験一次試験には、それに対応するだけの科目をすでに学習してきている人間なので、実際の試験問題についての対策を取れば合格できる可能性はあると思えたのに対して、富永の場合はクロマティ高校卒で高校卒業まで勉強してきていない人間であり、高校卒業後、浪人して予備校で「1浪で慶應の経済」「1浪で慶應の文学部」の試験科目の「数学1・2B」・英語だけ「慶應の経済」「慶應の文学部」にぎりぎり合格できるかどうかというレベルまで学習しただけの人間であり、それ以外の科目は学習していない人間であり、「1浪で慶應の経済」か「1浪で慶應の文学部」に行くためなら、それが受験対策として正解なのかもしれないし、そういう人のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「診断」してくれるでしょうけれども、富永みたいに1浪して浪人中に「慶應の経済」「慶應の文学部」の試験科目しか学習してきていない人間には試験科目も多く出題範囲も広い司法試験一次試験に合格するのは「極めて難しい」というのか、事実上「無理」だったはずです。富永は司法試験受験は別に考えていなかったが、もしも、司法試験を受けたいなら富永の場合は司法試験一次合格で二次試験を受けるというのは無理なことであって、「大学」2年修了で受けるようにした方が良かったでしょうけれども、私の場合は司法試験一次合格で司法試験二次を受けるということも考えられることで、司法試験一次に合格できる可能性は、これも難易度がある程度以上のものであるからには「絶対に」といったことは言えないけれども、「十分、合格できる可能性はあった」
(2)又、「私立6年制受験校」出身の人というのは、公立進学校よりもより大学入試に特化したようなカリキュラムになっているようで、「大学入試に出るもの」⇒価値がある、「大学入試にでないもの」⇒価値がない という思考が強烈に観念的に植え込まれている人がいるのだが、そのあたりはあんまりいいとは思えないなあ・・と思うのだが、それだけ、入試に特化したことをやっていることから東大の入試に通りやすい面もあるかもしれない・・けれども、「共通一次試験および東大二次試験にでないもの」⇒価値がない という観念のもとに、私が行ったような「普通の公立中学校」なら普通にやっているようなこともやっていないというものがある。ところが、そういうもので「共通一次試験および東大二次試験」には出なくても司法試験一次試験の試験範囲ではあるものがけっこうあるのだ。
  だから、[1]「クロマティ高校卒」で「1浪で慶應の経済」を目指して念願通り「1浪で慶應の経済」に行ったやつとか「1浪で慶應の経済」は落ちたが「1浪で慶應の文学部」は通ったという「富永みたいなやつ」とかは司法試験一次試験に合格するのは極めて難しい・・というより「まず無理」だろうけれども、私は十分可能性があったし、[2]大学受験においては作戦ミスのようなところがあり、もっと入試にある科目に比重をおいて学習するということをやるべき、入試にない科目・配点が小さい科目には「手を抜く」ということも考えるべきだったが、それをできていなかった・・ということは逆に、入試に出ない科目もやってきた人間なので、共通一次試験(⇒共通テスト・センター試験)よりさらに出題範囲が広い司法試験一次試験を受けるなら、試験にでないものについて「手を抜く」ということをやってきた者よりも司法試験一次試験の出題範囲について学んできているということになる。[3]「私立6年制受験校卒」の人間は「共通一次試験および東大二次試験」に出ないものは徹底してやっていない人が多いが司法試験一次試験では中学校・高校のカリキュラムにあるが大学入試には出ないものも出題範囲になっており、その点で「私立6年制受験校」卒の人間より私のように「普通の中学校」・公立進学校卒の者で入学試験にない科目も学習してきた者の方が司法試験一次試験には有利であるはずだ・・と思われた。私は「むこういき」だけで理由なしに合格できる可能性は十分あると考えたのではない。

  うちの父親はこう言っていたのだった。「世の中の人間というのはな。産まれる時点において、『天の神さま』というお方が、人間を2種類の民族と階級に分けてお造りになってのであって、わし・T子さん(3人の兄弟の中でうちの父親が一番お気に入りの上の姉)・M川先生(うちの父親の親友の医者屋)・M尾さん(うちの父親の会社の部下でうちの父親に気に入られたということから出世させてもらったらしい人)の4人と聖徳太子、それにヒットラー総統の6人はドイツ人で慶應の民族で階級やねん」と言うのだった。「それに対して、あんたあは、典型的な浪商やねん。あんたは典型的な浪商で、典型的なチャンコロ人やねん」と言うのだった。「あんたはチャンコロやから、常に人から命令するのを喜ぶねん。あんたは人から命令され、号令かけられるのがあんたにとっては何よりの好物、大好物やねん♪」と。「世の中というのは、自分ではやらずに人に命令して号令かける人間ばっかしでもあかんし、人から命令されて号令かけられてせえっせせっせせえっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんわけや。そやから、『天の神さま』はわしとかM川先生とかのような『自分ではやらずに人に号令かける人間』とあんたのように『常に人から号令かけられて、せえっせせっせ、せえっせせっせと只管働くのが向いている人間』とに2種類に人間を分けてお造りになったわけや。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人とかは人に命令し号令するための民族で、チャンコロというのは号令かけられてせえっせせっせせえっせせっせと働くための民族なんや。わしとM川先生はドイツ人でアメリカ人であってあんたはチャンコロ人なんや。神さまに感謝しなさい」と言うのだったが、「私、『号令かけられるのが向いている民族』と違いますよ。私、号令かけられたくないですよお」と言ったのだが、うちの父親は「何を言うとるんじゃ。おまえは号令かけられることが向いている民族、チャンコロ人の民族で号令かけられることがあんたにとっては一番の喜びなんやと教えてやってやってやってあげてやってやったっとんのんじゃ。感謝しろ!」と言うのだった。「何より、『自分ではやらずに人に号令かけるのが専門の民族』なんて、そんな人間、いない方がいいのと違うのですか」と言ったのだが、「何言うとんのじゃ、このチャンコロ。甘ったれるな! わしとかM川先生とかいった『自分ではやらずに人に号令かける民族で階級』のお方がおるおかげでおまえのようなチャンコロは生きていくことができるんじゃ。ええかげんにせんか、このチャンコロ! この浪商!」と言うのだった。
  「そんで、あんたはチャンコロで浪商やから、命令され号令かけられるのが向いておって、号令かけられるのが何よりもうれしいい」と言うのだった。「そこがわしとあんたとの違いやねん。わしはドイツ人で慶應の民族で階級。M川先生はドイツ人で医者の民族で階級のお方やねん」と。「そやから、わしとかM川先生とかは、自分ではやらずに人に号令かけるのが向いておって、あんたは、いつでも、わしいとかM川先生とかから号令かけられるのが向いていて、あんたは号令かけられるのが何よりもうれしいねん。そやろ。うれしいじゃろ」と言うのだった。だから、私は「いいえ。うれしくありません」と言ったのだったが、「何を言うとるんじゃ、何を、おまえは号令かけられることが何よりもうれしいんじゃ。それがおまえの本性なんじゃ。それ、喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べチャンコロ!」と言うのだった。
「てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ。
てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ♪
それ、喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べ浪商!!!」
と毎日毎日朝から晩まで、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに叫び続けるのであった。「慶應でドイツ人の民族」が。
うりの父親は、小学校は大阪教育大付属小学校で、大学は同志社であって慶應には小学校から大学までどれも行っていないはずだったが、それでも「精神の慶應」らしく「ほんまは慶應」だそうだった。たしかに言われてみると慶應みたいなおっさんだった。
「てってこっこ、てっててって、らったらったらったら、
てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ♪
撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまではあ!
とってちってたあ~あ!
どうじゃ、うれしいじゃろ、チャンコロ。
号令かけてもろうてうれいしじゃろ、チャンコロ。
チャンコロうれしい、チャンコロうれしい、チャンコロうれしいうれしいねえ♪
チャンコロうれしい、チャンコロうれしい、浪商うれしいうれしいねえ、浪商♪」
と毎日毎日叫ぶのであった。うちの父親はドイツ人の民族で慶應の階級、私はチャンコロ人の民族で浪商の階級だそうで、それは「天の神さま」というえらいお方がそうお決めになったことで、浪商がそれを変えようなどと思っても決して変えることはできないものだそうだった。
「天の神さま」というのはそのくらいエライお方らしかった。
「ちゃんころ、浪商、ちゃんころ、浪商、ちゃんころ、浪商浪商浪商
ちゃんころ、浪商、ちゃんころ、浪商、ちゃんころチャンコロちゃんころ、浪商♪」
と、毎日毎日、私の眼を指でつきさすようにして叫んでいた。「ドイツ人で慶應の民族で階級」というやつが。
たしかに言われてみると、うちの父親というのは「いかにも慶應」て感じがする。大阪教育大付属小学校なんて、そんな系列の大学があるように見えて、内部進学で中学校は行けても大学には行けないような学校に行かずに慶應幼稚舎にでも行っておけばいいのに・・、そうすれば、「本物の慶應」として「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」とか叫んでふんぞりかえって生きることができるのに・・と思うが、どうも、「慶應幼稚舎」というのは「普通の公立小学校とは違う小学校」の中でも特別で、大阪教育大付属小学校なんてのは「うちの親戚でも何人か行ってるくらいの学校」だから「たいしたことない」のに対して、慶應幼稚舎というのは特別で「普通の公立小学校とは違う小学校」の中でも別格らしい( 一一) ・・どのくらい別格かというと、「これがアルマーニか? ツンツン」てやってやりたくなるくらい別格らしい。たぶん、そういう学校を卒業したようなやつというのは、「会社と裁判やる人というのは例外なく人間性に問題がある人なの」とか言いだす「労働問題の労働者側をやる弁護士」とかいうような人間になるのだろう。「慶應心理学」はそういう人間を「自我が確立されている」とか「思考が柔軟」とか「人間を知っている」とか「診断」するようだ。

  日吉台学生ハイツにいた人間で、大阪府堺市出身の男で、私が北野高校卒だと聞いて、「北野みたいな高校出て、慶應なんかで我慢できるのお? 東大とか受け直さないの? 俺やったら、そんなん、いくらなんでも慶應では絶対に我慢できんけどなあ。2浪しようが3浪しようが4浪しようが、そんなん、関係ないと思うわ」と言ってくれた人がいたのだが、その時、大阪府の藤井寺市だったか出身で法政大の二部に行っていた男(といっても「家が貧乏」だから二部に行ったのではなく病院長の息子で家は疑う余地なく金持ちだったのだが、二部の方が入試難易度が易しいから二部に行ったようだった)が、その男に「◇◇さんも慶應に行ってるじゃないですか」と言ったところ、「そりぁ、俺は☆☆高校しか出てないもの」と言い、私に「☆☆高校なんて知らないでしょ」と言って、「うちの高校から『2浪で慶應』ならもう御の字ですよ。これ以上のものを求めたらバチあたります。だから、俺はいいんです。俺はうちの高校からなら『2浪で慶應』は大成功だし御の字だからいいんですけれども、俺だって、もしも、北野高校とか天王寺高校とか三国ヶ丘高校とかに行っていたなら、そんなもん、慶應なんかでは絶対に我慢できませんよ」と言ってくれたのだった。
  私は、そういう進学校でも何でもない高校卒で浪人して慶應大に行った人間を見ると、「こんなやつと同じ大学に行かされてしまったのか」と何度も思ったけれども、しかし、思っても、そいつが何か悪いことをしたわけでもないのだから、そいつを責めることもできないし、そいつに文句言ってもしかたがないことだ・・と思って、そういう人たちには何も言わなかった・・・けれども、人によっては、私が何も言わなくても、「こんなやつと同じ大学に行かされてしまったのか」とそう思っているだろうなあと思う人もいたようで、そう思っても不思議はないよなあ・・・と思う人もいたようだった。
  片方で、富永のようにクロマティ高校卒で、自分よりも上の高校卒で自分より年上の人間が自分と同じ大学で自分よりも下の学年にいると、もう、うれしくって楽しくってたまんな~い♪ これ以上の幸せはないわ、極楽極楽♪ まさに、””最高で~す♪””・・と思う人間というのがいて、慶應という大学はそういう「富永みたいなやつ」が大変多い大学だったが、そうではなく、自分なんかと同じ大学に行ったというのを口に出して言わないとしても、嫌だろうなあ、実際のところ気分悪いだろうなあ・・と思って、「慶應で我慢できますの?」「俺なんかはいいけれども、〇〇さん、慶應で我慢できますの?」と言ってくれることがあり、さらには、もっとはっきりと「実際のところ、俺なんかと同じ大学に行くのは嫌だとか思いませんか」・・なんて言うこともあった・・、彼には申し訳ないけれども、実際そんな気持ちだった・・・が、彼とは逆の人間というのもいた。そして、「実際のところ、俺なんかと同じ大学に行くのは嫌だとか思いませんか」と言われると、そうだと言うわけにもいかなくなるし、彼はこちらに気を使ってくれているらしいとわかると、気を使ってくれている相手にそんなことを口にするわけにもいかないことになるのだった・・・が、逆の人間というのも慶應にはいっぱいいたのだった。

  関西の人間が東京圏に来ると、どうも、東京圏の人間というのは「いなかもん」という印象を受けることが多い。東京圏の人間でも、特に慶應の人間というのは「いなかもん」という印象を受けた。たとえば、「シティ」とか矢鱈と言いたがる。横浜市港北区日吉の慶應大学日吉キャンパスと東急東横線「日吉」駅の逆側に山村書店という書店があって、そこに慶應大学鉄道研究会発行の『シティ電車』という題名の本が置かれていたのを見たことがあるが、『シティ電車』とか、何かと「シティ」とか言いたがってしかたがない・・というのは、それは「いなかもの」の傾向だと私など関西人は思うのだが、福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか田舎の出身とか田舎の住人とかいう意味での『いなかもの』というのは、これは別に悪いことはないが、しかし、『精神面がいなかもの』というのはこれはいけない」と語ったらしいが、「何かと『シティ』とか言いたがってしかたがない人間」というのは、この福沢諭吉が言うところの「精神面がいなかもの」だと思うのだ・・が、私だけではなく関西人はたいていそう思うのではないかと思うのだが、東京もんはそうは思わないらしい。
  慶應の人間というのは特にそういう傾向があって、三田祭で商学部のどこのゼミだったかゼミの研究発表で、クルマのナンバーを品川ナンバーか横浜ナンバーにしたがる人間とそうでない人間の違い・・といったことを調べて発表していたのだったが、在東京圏関西人の私からすると「精神がいなかもの」だから品川ナンバーだの横浜ナンバーだのと言いたがるのだ・・と思うのだが、そのあたりが「シティボーイ」はそうではないらしいのだ。だから、関西人の感覚からすると「いなかもん」が東京人・慶應人からすると「シティボーイ」なのだった。
  同様に「ダ埼玉」とか言いたがるというのも、東京もん・慶應人の特徴だ。関西人はそんな思考をしない。そして、「三多摩」という言葉で「多摩地区というのは東京都ではなく埼玉県」とか、「練馬区は東京都ではなく埼玉県」とかそういうことを言いたがるのも東京もんと慶應人の特徴だ。かつ、埼玉県人の特徴として、東京もんから「ダ埼玉」とか言われておきながら、大阪人には「大阪のいなか」とか言いたがる、特に相手が大阪府出身者だと思うと余計に言いたがる、埼玉県は東京都の隣だから東京の下だが大阪は東京より離れているから埼玉より下だと思いたがる・・という、そういう埼玉県人の精神的傾向・精神構造を見ると、東京がいなかであるとともに埼玉もまたいなかだなあ・・と関西人は思う。福沢諭吉が言うところの「精神面がいなかもの」が東京もんには多いし、埼玉県人にも多いようだと関西人は東京もんと埼玉県人のそういう態度を見て思う・・が、東京もんと埼玉県人は自分たちが「精神面がいなかもの」の態度を取っているとはさらさら思っていない。(「病識がない」)
  ・・まあ、もっとも、うちの親戚のおばさんでも「阪急沿線でも神戸線が一番なんだから」と言って、神戸線は宝塚線や京都線より上なんだみたいに言いたがるおばさんもいた・・けれども。かつ、落ち着いて考えてみると、そのおばさんが住んでいた所というのは、神戸線の支線の今津線の沿線であって「神戸線とちゃうやんけ」てものだったのだが、そういうことを言いたがる人はいた・・けれども〔また、何年か前だが、関西学院の建物というのは、ウィリアム=メレル=ヴォーリズが全体を設計した大変美しい建物で、建築屋としてそれを見学に行ったのだが、その際、甲東園の駅のあたりで女子大生かと思われるおねーちゃんを見かけて、ふと思ったのだ。もしかして、こんな場所にいる関学か神戸女学院あたりに行ってるねーちゃんというのは「神戸線でないと」とか思っておるのかもしれん・・と。「今津線のギャルは宝塚線のイモなんて相手にしないのよ。まったくイモねえ。神戸線のギャルは待兼山芋畑なんて相手にしないのよ」とか思うておるのかも・・・なんてふと思ったが(笑)、実際にどうかは・・それは知らんぞ・・、むしろ、「関学に行くと女にもてるぞお」とか言って関学に行きたがるエロガキ高校生というのが大阪にはいて、ああいうのを見ると、関学て程度低いなあ・・と思ったものだったが〔もっとも、そういうエロガキ高校生というのはその「女にもてる関学」てやつに通らない場合の方が多いかもしれんけども。〕、「阪急でも神戸線が一番上よお」と言われても、関西では「ああ、そうですか」てくらいのものだったのだが〔それに、あんたの所、神戸線やのうて今津線やろうが・・とも思ったけども・・(笑) もっとも、今津線沿線に行ってみると、今津線北線は神戸線「西宮北口」と宝塚線「宝塚」間を走っているけれども、駅のまわりを歩いてみると、今津線北線は神戸線か宝塚線かというと神戸線の雰囲気だから、「神戸線民」だと思って喜ぶおばさんがいてもまったくわからんこともないか・・もしれんが・・〕、どうも、東京もんと慶應人は、「ダ埼玉」とか「三多摩は東京都ではなく埼玉県」とか「練馬区は埼玉県」とか、関西人ならそういう思考こそ「いなかもんくせえ」と思うようなことを言いたがる人間が多いのだ。
復刻版 きけ 小人物よ! - ライヒ,ウィルヘルム, Reich,Wilhelm, ユズル, 片桐
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  で、その「三多摩(さんたま)」という言葉だが、三多摩地区の高校卒の男というのが慶應大学商学部にいて、ステューデントカウンセラーズというサークルで一緒にいた時があったのだ。私は、最初、その「三多摩(さんたま)」という言葉のことをよく知らなくて、「多摩地区の三流高校卒の男」のことを「三多摩」と言うのか・・と思っていたら、そうではなくて、《コトバンク 三多摩》https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%A4%9A%E6%91%A9-71045  によると、《 東京都(島嶼(とうしょ)部を除く)のうち区部を除く西半部の地名で、西多摩、旧北多摩、旧南多摩の三つの多摩郡をさす。・・・》だそうで、「西多摩」「北多摩」「南多摩」で「三多摩」らしい。「多摩地区の三流高校卒」という意味ではなかったらしい。
  それで、その「三多摩」、多摩地区の三流高校卒の高橋純平という医者屋の息子がいて、そいつが私に「〇〇さん、もう、同じ大学に行ったんだから、何の違いもねえじゃねえかよお。仲良くしようぜえ。もう、何の違いもねえんだからよお」としきりに言ってしかたがなかった。かつ、高橋純平は自分が留年したからということで、「〇〇さんも俺を見ると自身もつだろう。仲良くしようぜえ。もう、何の違いもねえんだからよお」と言いまくるで、この野郎!・・・と思い、それで、「冗談として」言ってやったことがあったのだ。
「だ~れが自信もつか! いいかげんにしろ! こんなやつと同じ大学に行かされとるのかと思うて嫌になるだけのことじゃ! 三流高校出身のくせに!!」
・・と。
  本音だったが、又、「冗談だということにして、本音を言う」という手法があり、この後、会社という所に勤めて、その手法を使う人を見て、「あ・・、今の、冗談のような言い方をしているけれども、冗談だということにして本音を言ったな」と思ったケースがあり、その技術を私も習得してある程度以上使えるようになったのだけれども、しかし、この時は「冗談だということにして、本音を言う」ということをしたのではなく、「実際には本音だけれども、冗談として言った」のであって、あくまでも、冗談だったのだ。
  しかし、後から考えて、あれは「冗談として」言う必要はなかった。本音としてはっきりと言えばよかったし、本音としてはっきりと言うべきだった、と思い後悔した。
  なぜなら、医者屋の息子の「三多摩」のその男は、私に意図的に嫌がらせでそういうことを執拗に言ってきていたのだったから、私は、「なんか、格下の高校のやつと同じ大学に行かされてしまった」と心の中で思っても、そいつが悪いわけではないのだろうからと思って、心の中では思うことがあっても、それを口に出しては言わなかったし、言うべきではないのだろうなあ・・と思っていたのだったが、ところが、私の方がそう思って言わないでいると、高橋純平は逆に調子に乗って「〇〇さん、もう、同じ大学に行ったんだから、何の違いもねえじゃねえかよお。仲良くしようぜえ。もう、何の違いもねえんだからよお」と何度も何度も執拗に(まるでストーカーのように)言うのだったから、そういう態度を取るやつというのは、それは私に喧嘩売ってきていたのだから、喧嘩売ってきていたやつに対しては別に遠慮する必要はなく、むしろ、「冗談として」言うのではなく、はっきりと本音として「だ~れが自信もつか! いいかげんにしろ! こんなやつと同じ大学に行かされとるのかと思うて嫌になるだけのことじゃ! この、三流高校出身のくせに!!」と言ってやるべきだったのだ。言って悪いことは何もなかったと思う。明らかに喧嘩売ってきているやつに、それに対して「相互主義の原則」を採用して悪いことは何もないはずだ。そんな所で遠慮するから、だから、「三多摩」(多摩地区の三流高校卒)がズに乗るのだ。

  それで、ここまでは「前書き」「序文」みたいなもので、ここからが本文。
  「Q:試食品を食べすぎると犯罪になりますか?#Shorts」https://www.youtube.com/watch?v=JKxCrEwff1U
「結論。窃盗罪になる場合がある。」「お店の意思に反して食品を奪い取ったということで刑法235条の窃盗罪になる場合がある。」「相手の意思に反して物を奪うのは絶対にだめ」
《 刑法 第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。》
( ウィキブックス 刑法235条 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95%E7%AC%AC235%E6%9D%A1 )
・・これを視聴して、それで、あれはどうなんだ・・・と思いだしたのだ。医者屋の息子の「三多摩」が私にやった行為をだ。

  私なんかは浪人中、1970年代末のことだが、うちの父親とうちの父親の親友の医者屋のM川〔男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。息子を私立金権関西医大に裏口入学させたというのが「思考が柔軟なもんやから裏口入学なんじゃ」と自慢。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際はM川もドバカ息子と同じく私立金権関西医大裏口入学か、そうでなかったとしても「かわいいキンタマ」(崎医大・知医大・沢医大・埼医大)あたり卒ではないか。又、「陸士(陸軍士官学校)と海兵(海軍兵学校)の両方通った」と自称していたが、これも嘘くさい・・というより年齢から計算するとM川が大学を受ける年、すでに陸軍士官学校・海軍兵学校は募集をやめていたはずで募集していない所に通ったという話はおかしい・・し、そもそも、行きもしない所に通ってもしかたがない。剣道三段・柔道三段とも言っていたが、これも嘘くさい・・し、たとえ本当であっても、そんな「趣味の資格」に通ったとしても「そりぁよかったね」というだけのこと、阪神タイガース検定に合格しましたあ・・と言われても「良かったね(^^♪」というだけというのと同じ・・・というよりも、剣道やっていたという人間から、剣道は初段くらいまでは取りやすいけれども、二段からはけっこう難しいとか聞いたことがあるのだが、剣道三段・柔道三段て、取得するのにけっこう大変そうに思うのだが、それを取得したのであれば、M川はそれが自慢になると思って言っていたようだが、それは自慢ではなく、むしろ、そこまで「趣味の資格」の取得に尽力していたのならば、それだけ、仕事に手を抜いていた・・ということと違うんかい・・ということになる。〕とその同僚のK田(女。当時、40代後半か50代前半くらい?)から「義務教育は小学校と中学校であって、高校は義務教育ではないんやから、あんたなんかは高校には行ってはならないはずなんや。ましてや、あんたは大学には行ってはいかんのや」と何度も何度も言われたものだった・・・が、それでいてK田の息子はK田が患者を薬漬けにしてせしめたカネでバカ大学を2つも行っており、M川のドバカ息子は私立金権関西医大裏口入学だったのだが、K田の息子の場合は「義務教育でないのに大学に2つも行かせてもらってるんだから、一生懸命勉強せんといかんということで、勉強させてやらんといかんということなんや」という結論になり、M川のドバカ息子は「裏口入学で大学に行かせてもろうておるんやから、一生懸命勉強せんといかんし勉強させてあげんといかんということなんや」という結論になり、私はどうかというと「あんたなんか、大学には行ってはいかんはずなんや」「そうじゃ、きみなんか、大学には行ってはならん人間なんじゃ」「そうじゃ、そうじゃ。おまえは大学には行くな、おまえは」「だいたい、おまえは『天の神さま』から浪商と決められて産まれてきた人間であって、浪商は義務教育でもないのに高校には行ってはいかんのじゃ、この浪商めが浪商! 浪商の分際で北野高校に行くな、浪商! おまえは浪商なんじゃこの浪商! 浪商のくせしやがってからに北野高校に行くなちゅうんじゃ、この浪商めが! 産まれてこなかったら良かったのに産まれやがってからにこの浪商! 浪商のくせに北野高校に行くな、この浪商めがこのチャンコロ!」と何度も何度も言われたものだった・・・。K田とM川の2名は医者だけあってずるい人間で、どこがずるいかというと「義務教育は小学校と中学校であって、高校は義務教育とは違う」という前提を出しても、そこから導き出す結論はK田のバカ息子の場合は「だから、うちの息子なんかは大学を2つも行ってるんだから一生懸命勉強せんといかんし勉強させてやらんといかんということやな」という結論に持って行き、M川のドバカ息子の場合は「うちの息子なんかは裏口入学やから、だから一生懸命勉強せんといかんし勉強させてやらんといかんいうことやな」という結論に持って行くのに対して、私には「高校は義務教育とは違うんやから、そやから、あんたなんか、高校には行ってはいかんのにからに行ったというのは、それはあんたが甘ったれてるからなんや」「そうじゃ。きみなんか、高校には行ってはいかん人間なんじゃ。そやのにからに高校に行ったというのはそれは思いあがっておって甘ったれておるからなんじゃ。ましてや、きみは大学には行ってはならない人間なんじゃ」という結論に持って行くという、最初の前提は同じでも自分のドバカ息子とガチンコの私とで逆の結論に持って行くという手法で、こいつら、汚いやつらやなあと思ったのだった・・・が、ところが、普通、たいていの親はよその親がそういうことを言うと、言った人間に怒るものだと思うのだ。もしくは、その時は黙って聞いていても、後から「あいつら、よくもまあ、ああいう口をきくもんだな」と息子に言うかするものだと思う。私が親ならそうだ。ところが、うちの親はよその親からそういうことを言われると喜ぶのだ。「そうや。その通りや。K田先生はええ~えこと言いはる。その通りや」とうちの父親は言うのだ。「さすがは医者の先生だけあって、ええ~えこと言いはる。ほんまにほんまに、その通りや。K田先生の息子さんは大学を2つも行っておられる。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。えらいなあ、えらいなあ。大学2つも行ってえらいなあ。そ~れ~にい~い対して、お~ま~え~はあ~あ、高校行ったのは余計なんじゃ、おまえはあ。K田先生がおっしゃったように、高校は義務教育とは違うんやから、おまえは高校には行ってはいかんのんじゃ。それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはK田先生がおっしゃったように、おまえが甘ったれておるからであって、おまえがのぼせあがっておるからであって、おまえがつけあがっておるからなんじゃ。おまえは高校には行ってはならない人間やのにからにそやのにからにおまえが北野高校に行ったというのは、これはけしからんことなんやぞ。わかっとんのか、チャンコロ。わかっとんのか、浪商! 浪商は高校には行ってはいかんねんぞ、浪商。そやのにからに、浪商のおまえが北野高校に行ったというのは、それはつくづくおまえが甘ったれておるからであって、おまえがのぼせあがっておるからであって、おまえがつけあがっておるからやねんぞ。のぼせあがるな、浪商! 浪商は高校には行ってはいかんねんぞ。浪商のくせしやがってからに北野高校に行くな、浪商! 浪商、産まれてくるな、浪商、チャンコロ!」と言い、「わかっとんのか。M川先生の息子さんはおまえとは違って裏口入学やねんぞ、わかっとんのか、裏口やぞ、裏口。裏口入学で関西医大に入られてんぞ。そやからやなあ。M川先生の息子さんは一生懸命勉強させてさしあげんといかんいうこっちゃ。それに対して、おまえは、高校は義務教育ではない以上は行ってはいかんねんぞ。義務教育は中学校までであるということは、おまえは高校には行ってはならんということやねんぞ。おまえは高校には行ってはいけない人間やのにからに、そやのにからにおまえは北野高校に行ったことでおまえは罪を犯したんやぞ。わかっとんのか、おまえは。おまえは高校には行ってはならないのにからに北野高校に行ったということで罪を犯したのであって、おまえはそれを天の神さまに心の底から謝罪しなければならんのやぞ。ましてや、おまえは大学には行ってはならんのやぞ、おまえは、この浪商、チャンコロ! 高校行くな、浪商!」と何度も何度も言うのだった。
現代の医療被害 (1978年)
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偽装―調査報道・ミドリ十字事件 (ルポルタージュ叢書) - 毎日新聞社
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  そのK田先生とM川先生という「えらいえらいエライえらい医者の先生がおっしゃること」の基準から考えると、高橋純平みたいな「三多摩」は「高校行ったのは余計なんんじゃ。甘ったれるな。のぼせあがるな」というのは当然の当然であるだけではなく、
たとえ義務教育であっても、高橋純平なんぞ「中学校行くな、この三多摩! おまえが中学校行ったのは余計なんじゃ。ウルトラのぼせあがるな、三多摩! ウルトラ甘ったれるな、三多摩! 高校行くなちゅうんじゃ、三多摩! 中学校も行ったのは余計なんじゃ、三多摩! 三多摩の分際で中学校行くな、この三多摩! ましてや、お前なんかが大学には行ってはいかんのじゃ、三多摩!!!」
と言ってやるべきだった。そう言ってあげるのが本人のためであり、言っていただいた者は感謝しないとばちあたる・・というものだった。しまった。言ってやるべきことを、なぜか遠慮してしまって言わなかったが失敗した・・。本人の為に言ってあげるべきで、その上で「感謝せんといかんぞ、感謝せんと」と言ってあげるべきだったのだ。

  それで、慶應大商学部の学生でステューデントカウンセラーズというまやかし団体にいた「三多摩」高校卒で医者屋の息子の高橋純平だが・・。 夏休みの後だったと思うのだが、私は出身地の付近の名産である「もみじの天婦羅」をステューデントカウンセラーズのみんなへのお土産として買って行ったのだった。↓
盆栽:出猩々もみじ(瀬戸焼小鉢)もみじの天ぷらセット*プレゼントにも 秋の味覚 紅葉の名所大阪府箕面市の伝統のお菓子とのセットです
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アマゾンから掲載するものに妥当なものがなかなか見つからなくて、↑ は、「紅葉の盆栽+小鉢+もみじの天ぷら」だが、大阪府箕面市の滝道の店では「もみじの天ぷら」だけで販売されている。
※ 《箕面銘菓 もみじの天ぷらができるまで 箕面市観光協会》 https://minohkankou.net/eatshopping/shopping/momijitempra/
 小袋から何人もで食べられるような量が入った箱入りまで、いろいろな大きさのものがある。
別に、お土産を買っていかないといけないということはないのだけれども、その時、買っていく気になったのだ。他の人でも、お土産とか買ってこないといけないことはなくても買ってくる人もあったと思ったし、お土産ではなく地元の人が何か持ってくるということはあって、私も他の地域の人は珍しいとたいていの人は思うものである「もみじの天ぷら」を買って持って行ったのだった。
  ところが、それをひと目みると、「医者屋の息子」兼「三多摩」の高橋純平(男。当時、20代)は私が持って行った「もみじの天ぷら」大箱をわしっと掴むと、「ふんが、フンガ、ふんが、フンガ」と唸り声をあげて、大急ぎ・一瞬のうちに・あっと言う間に、それを一人で95%以上食いたいらげてしまったのだ。「こいつ、何すんねん!」と驚いたものの、びっくりして何も言えずに見ていたところ、「ふんが、フンガ、ふんが、フンガ」と唸り声をあげながら、むしゃぶりついて、「95%以上」というのか「ほとんど全部」というのか、一人で一瞬のうちに食いたいらげてしまったのだ。
そして、高橋は遠慮会釈なくその箱をにぎりつぶしてゴミ箱に投げ込んだのだ。
  あまりの事態に驚きあきれて、
「おまえ、今、まるで親の仇みたいに食うたなあ」と言うと、「うん」。
「おいしかったあ?」と言うと、「うん」。
「お腹、すいてたの?」と言うと、「うん」・・と言うのだったが、
こんなことする人間、あんまりないと思うのだがなあ~あ・・・・、
いかに「三多摩(さんたま)」といえども、いかに「医者屋の息子」といえども、あんまりこんなことする人ないと思うのだがなあ~あ・・・と思ったが、「三多摩(さんたま)」はそういうことをやりよった
のだった。
  お土産品でなかったとしても、そのへんのスーパーかコンビニで普通に売っている菓子袋でも買ってきて、「良かったらみんなで食べて」と言って机の上に置いたとしたなら、それをふんだくって両腕で抱え込んで一人で「ふんが、フンガ、ふんが、フンガ」と唸り声をあげて猛烈な勢いで・一気に全部食い尽くしたというやつがいたとすると・・どう思うか?  食ってもいいとは言ったとしても、おまえが一人で全部食えとは言ってないだろうが!!! ・・と思わないか? 私は何で「三多摩」野郎が一人で全部食い尽くす土産品を買ってこなきゃならんのだ?!? こんなことする人間、あんまりないと思うがなあ~あ・・と思うが、「医者屋の息子」だと普通なのか? 「三多摩」高校卒だと普通なのか? それが「慶應タイプ」なのか???
私には理解不能だった・・( 一一)

  それで・・・、アチョム法律事務所の弁護士 岡野武志さんの動画 https://www.youtube.com/channel/UCl8E6NsjN979gbMBdztF48g の
「Q:試食品を食べすぎると犯罪になりますか?#Shorts」https://www.youtube.com/watch?v=JKxCrEwff1U で岡野武志さんは、
「試供品というのはいろいろなお客様に向けて提供されているもの。それを1,2個食べるだけならまだしも、全部口に頬張って他のお客さんが食べられなくしてしまうのはお店にとって非常に迷惑。お店の意思に反して試食品を奪い取ったということで、刑法235条の窃盗罪になる場合がある。・・・」と述べられている。
 インターネットで検索すると、神楽坂法律事務所の弁護士 山口政貴さんという人も、「試食コーナーで食べ過ぎるのは法律違反!?どこまで食べて良いの?」https://lmedia.jp/2014/11/02/57759/ で同様のことを述べています。
  これから考えると、サークルの部員みんなで食べてもらおうと思って、それなりの費用を出して買って来たお土産品を、ふんがフンガと唸り声をあげて、あっと言う間に・一瞬のうちに一人で95%以上・・というか、「ほとんど全部」一人で食い尽くしてしまった医者屋の息子の「三多摩(さんたま)」男・・というのは、こういうやつというのは、そのお土産品を買って持ってきた人間にとっては「非常に迷惑」、そのお土産品は「いろいろな」部員に「向けて提供されているもの」で、「それを1、2個食べるのならまだしも、(ほとんど)全部口に頬張って他の」部員が「食べられなくしてしまうのは」そのお土産品を買って持って来た者にとっては「非常に迷惑」。そのお土産品を持って来た者の「意思に反して」お土産品を「奪い取ったということで、刑法235条の窃盗罪になる場合がある。・・・」のではないか?
  もっとも、この「場合がある」というのは、なんとも「ややこしい表現」であり、弁護士がよく使う表現だが、「なる場合がある」ということは「ならない場合もある」とすると、結局、どうなんだよ・・てことになるのだが、そうなる可能性もあるから気をつけた方がいいということで、店の人間だって、「事を荒立てたくない」と少々のことは我慢する「場合もある」だろうし、警察も(実際のところ、めんどくさいから)「いちいち、取り上げない」という「場合もある」だろうし、どのくらいからが「大量に」なのか判断が難しいところもあると思うのだが、試食品だから店員がやめてくれと言っているのに強引に奪い取るということはしない方がいい・・ということのようだ・・・が、それならば、だ。私が部員みんなに食べてもらおうと思っておカネを出して買って持ってきた「もみじの天ぷら」という東京圏では買いたいと思っても売っていない大阪府箕面市の特産品(10年ほど前に京都市の高雄でも見たことがあるが)を、いくら「お腹がすいていた」とはいえ、一人でほとんど全部を「ふんが、フンガ、ふんが、フンガ」と唸り声をあげて食い尽くす・・というのは、そのお土産品を買って持って来た者にとっては「非常に迷惑」。 たとえ、「医者屋の息子」というのは「ドイツ人の民族」で「慶應の階級」であって、私のような「チャンコロ人の民族」で「浪商の階級」の人間が買って持って来た物であっても、うちの父親が毎日、私の眼を指で突きさすようにして只管言い続けたように「チャンコロ人の民族」で「浪商の階級」の私は「ドイツ人の民族」で「医者屋の階級」には「常に服従しなければならない」という「天の神さま」がお決めになった不変の掟というものがあったとしても、たとえ、「『三多摩(さんたま)』出身、多摩地区の三流高校卒だからしゃあない」と「もともと、大学という所に行くのが間違っているようなやつが医者屋の息子だから大学に行ったというヤカラなのだから」「おおめに見てあげよう」と無理をしたとしても、それでもやっぱり、それはそのお土産品を買って持って来た者にとっては「非常に迷惑」。 
   だいたい、「三多摩(さんたま)」か「医者屋の息子」か何か知らんが、人がお土産としてみんなに買って持ってきたというのが最初から明らかなものを、奪い取って「ふんが、フンガ、フンガ、ふんが」と唸り声をあげて一瞬のうちに食い尽くす・・・て、あんまりそんなことする人ないと思うのだがなあ~あ・・( 一一)
・・と思うが慶應にはそういう人種・民族が棲息しているのだ( 一一)

  ・・なんと言うのか、「新人類」というのか「異星人(エイリアン)」というのか、
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
会社に異星人(エイリアン)がやって来た!―新人類現象を読む - 中野 収
「ほとんどビョーキ」というのか、「医者屋の息子」症候群というのか、「三多摩」シンドローム と言うべきものなのか、なんか、そういうのを「治療」するには「精神安定剤」の大量投与でめろんめろんにしてしまうべきなのか(「薬物療法」)、もしくは電気椅子に座らせて電気ショックを浴びせるべきなのか(「電気ショック療法」)、もしくは、逮捕監禁して外に出れないようにしてしまうべきなのか(「入院療法」)、もしくは「洗脳」「精神支配」「マインドコントロール」で考え方を変えさせるべきものなのか(「心理療法」「カウンセリング」)、あるいは「ロボトミー」「精神外科」で大脳を破壊するべきものなのか、なんか、そういうことをやると「治療」されるのかどうかしらんが、「この病気は簡単には治らない」という感じがするのは確かである
( 一一)( 一一)( 一一)( 一一)( 一一)

  ・・・で、アチョム法律事務所の弁護士 岡野武志さんの動画 https://www.youtube.com/channel/UCl8E6NsjN979gbMBdztF48g の
「Q:試食品を食べすぎると犯罪になりますか?#Shorts」https://www.youtube.com/watch?v=JKxCrEwff1U  によると、この「三多摩(さんたま)」の「医者屋の息子」がやった行為というのは、「刑法235条の窃盗罪になる場合がある。」となりそうだ・・けれども、この「三多摩(さんたま)」の「医者屋の息子」の高橋純平の場合、私が部室の机の上に置いたものを強引にふんだくって自分の両腕の間に抱え込んで「ふんが、フンガ、フンガ、フンガ」と唸り声をあげて一気に食い尽くしたのであるから、「窃盗」というよりも「強盗」というイメージを受けるのだが、「ほかにも質問あったら教えて」と岡野武志さんはYouTuve で言うておるから、そこのコメント欄に入れて質問してみようかな・・・。

  今回、YouTuve の動画を見て、何十年か前の衝撃的な思いが頭に復活したので、それを述べた・・。

  (2021.8.23.)

  1980年代前半、慶應大学のステューデントカウンセラーズというサークルで、夏休みだったか春休みだったかの後、お土産として買ってきた「もみじの天ぷら」を「お土産として買ってきた。みんなで食べて」と言ってテーブルの上に置いたところ、「もみじの天ぷら」でもけっこう大きい方の箱で何人もで食べられるようにと思ってけっこう量があるものを買ってきたはずだったのだが、「三多摩」の男 T橋純平(医者屋の息子)がガバッとそれを取り上げて自分の両腕の間に挟み込み、「フンガ、ふんが、フンガ、ふんが」と唸り声を上げて、一瞬のうちに・一気に・猛烈な勢いで、一人で全部食ってしまった。私だって、ひとつかふたつくらいは食べたいと思っていたのだったが私が食べるものなんか当然のように残さずに、一人で全部食ってしまった・・というのは、「三多摩」て、やっぱり教養がないだけにやること変わってるなあ、医者屋の息子てこういうものなのかなあ・・と思ったが、いくらなんでも、こんなことする人間ているかなあ~あ・・と言ってもいたのだけれども、こういうのは法律上、問題ないのか?・・というとあるようなのだ。
  それが、こちら⇒《YouTuve-Q:岡野武志弁護士【アトム法律事務所】一口ちょうだいって言われて全部食べられました。これって犯罪ですか?》https://www.youtube.com/watch?v=Sw6-u2_bT6M 
  ・・いやあ、しかし、この弁護士芸人 ↑、ほんま、おもろい・・・(^^)/ 
  (2021.9.4.)

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