父の日に想う――ある日、突然、いなくなった柴犬と「子供は女が育てるもの」と言うわりに犬を飼いたがる男。治療費より新しい犬を買う金額の方が安かったら「新しい犬を買った方がいい」か? 人間について「故障」と言う男。

 [第542回]
  今となっては40年以上前のことだが、誰だったか忘れてしまったが吉本の漫才師が「うち、犬をこうてますねん。その犬の名前が『ネコ』言いまして。そんで、猫もこうてまして、その猫の名前が『イヌ』いいますねん」とか話していたのを覚えている・・・のだが、実は我が家にも、昔、「熊」がいたのだ。「クマ」という名前の柴犬が。
  いつのことかというと、1960年代前半。私が幼稚園の時だったかと思う。まだ、子犬だったが・・というか、子犬の時に大丸のペット売り場で買ってきて我が家の庭で飼っていたのだ。その頃は今と違って犬を室内で飼う人は少なくて、飼う場合はたいてい庭で飼っていたが、「クマ」も我が家の庭で飼っていた。犬のご飯というと、ドッグフードなんてものは今みたいになくて、人間が食べた飯の残飯を食べさせていたが、文句も言わずに食っていた。言おうと思っても日本語を話せなかったのかもしれないが・・。
  私が幼稚園児だった時のような気がしているのだが、プラスチック製の刀を持っていて、それで「怪獣退治」だと言って「クマ」に切りかかっても、「クマ」は遊んでもらっていると思ってニコニコしながらじゃれついてきたものだった。

  ・・ところが、ある日、幼稚園から帰ってくると、「クマ」がいない。「あれ、クマはどうしたの?」と母にきくと、「クマは病気になったから、医者に預けた」と言うのだった。クマはまだ犬としても若かったし・・というより、まだ、子犬だったし、前日まで、どこか悪いようには見えなかった。「え? クマ、どこが悪いの?」と尋ねても答えてもらえなかった。
  それから、しばらくして、「クマ、まだ治らないの?」「クマ、どうしてるの?」と母に尋ねても、「まだや」と言うばっかりで、診断の結果どうだったといったことはまったく聞かせてもらえなかった。何の病気なのかも教えてもらえず、どこに入院したのかも教えてもらえなかった。
  今から考えてみると、さらに不思議だ。前日まで、どこも悪いようには見えなかったが、その日、具合が悪くなったということなら、それなら、まず、「どうしようか」「どこか、犬猫病院はあるだろうか」といった話が出ると思うのだが、そんな話などまったく出ないうちに、突然、いなくなったのだ。

  しばらくして、母が「クマのこと、聞きにいこう」だったか「クマを引き取りにいこう」だったか言って、それで、母と一緒にいつも行く商店街の向こう側にあったペットショップに行ったのだ。今と違って、犬猫病院・動物病院というのは、それほどあちらこちらにあるわけではないので、ペットショップに相談して、ペットショップの人から、そういう病気ならこうしたらいいですよといったアドバイスをもらう場合もあり、ペットショップに犬猫病院・動物病院を教えてもらうということもあったようだ。 その時、行った店は犬を販売している店だったのではないかと思うのだが、その時の私には犬を販売している店と犬の医院との違いはわからなかった。
  しかし、これも今から考えてみると変な話で、「クマ」は大丸のペット売り場で買ってきた犬だったのに、病気になったとなると、なぜ、買った大丸のペット売り場に相談しないで、近所のペットショップに相談したのか。大丸の方が個人経営のペットショップよりも会社は間違いなく大きいから、大丸の方が動物病院のコネクションも多そうにも思えるが、個人のペットショップの方が「餅は餅屋」で対応力がある場合もあるのかもしれない。今なら、百貨店のペット売り場というのは個人商店より信頼がありそうで、実際は、個人のペットショップが百貨店の中に入っているだけというケースもありそうだが、その頃はそういう形式は今より少なくて、大丸のペット売り場というのは大丸が運営していたのではないかと思う。どちらが犬の病気に詳しいか、犬猫病院のコネクションが多いかはわからないが、それにしても、商店街に向こう側のそのペットショップで買ったわけではなく大丸のペット売り場で買ってきた犬なのに、なんで、近所のペットショップに相談して預けたのか?
  母が「クマのこと、聞きにいこう」だったか「クマを引き取りにいこう」だったか言うので、てっきり、クマの病気が治ったのだと思って、クマを連れて帰れるものだと思って喜んで行ったのだ。 そこで引き取って連れて帰れるのなら、そのペットショップにクマがいるはずだと思って、今で言うところの「クレート」に入っている犬を見まわして、クマがいないかどうか捜しまわったのだが、そうすると、近くにいたクマと比較的似た感じの犬から猛烈に吠えかかられた。クマだったら私に吠えかかるとは考えにくい。もしも、クマが私にほえかかったのなら、クマは狂犬病か何かにかかっておかしくなってしまったのだろう。
  クマを連れて帰れるものだと思って喜んで行ったのだったが、母がペットショップのおじさんとしばらく話していたものの、結局、行って帰っただけで、クマを連れて帰ることはできなかった。
  「クマ、まだ治らないの?」「クマ、いったいどうしたの?」ときいても、「まだ、治らんみたいや」と言うばかりで、いったい何の病気なのかも教えてもらえず、又、どこの動物病院にいるのかも教えてもらえなかった。
  又、もしも、「不治の病」でどうしても治らない病気なら、最後は我が家で看取ってあげたいと思ったし、犬でも一緒に過ごしてきた犬だから、治らないのなら治らないで、最後まで我が家で世話してあげたかったのだが、結局、クマは二度と我が家に帰ってこなかった。

  ところで、『ドクタースランプ』という鳥山明というおっさんが描いた漫画があって、則巻 千兵衛(のりまき せんべえ)という「はかせ」がアラレちゃん というロボットの女の子を作ったものの、なんとも破天荒な女の子で、「はかせ」は往生するものの、大事にしてかわいがって過ごすという話だが、ある時、「はかせ」がタイムマシンを作ったところ、アラレちゃんが、それに乗り、「行ってきま~す♪」と言って喜んで出かけたのはいいけれども、「はかせ」は、ふと、気づいた。「しまったあ~あ」と。「アラレが行ってしまったあ。アラレが過去だか未来だかに行ってしまったあ。どうしよ、どうしよお~お」と。行ったのはいいが、「はかせ」がついて行ったのではないので、アラレちゃんが一人で戻ってこれるとは考えにくい。いったい、どうしよ、どうしよ・・・。「アラレ~え。帰ってきてくれえ~え」と泣いて嘆いていたところ。「とうちゃ~く♪」と大声あげて、アラレちゃんがニコニコしながら帰ってきた。「ああ、よかったあ。よかったあ、アラレが戻ってこなかったら、いったい、どうしようかと思ったあ。よかったああ~あ」と言って「はかせ」は泣いて喜ぶ・・・というお話・・・だったが、ここで、落ち着いて考えてみると、アラレちゃんというのは実はロボットだったのだ。
  だから、もしも、アラレちゃんが過去だか未来だかに行ってしまって戻ってこなくなったなら、「はかせ」はその気になれば、もう一体、アラレちゃんを作ることだってできたのだ。しかし、たとえ、その気になれば、もう一体、アラレちゃんを作ることができたとしても、それでも、「はかせ」はアラレちゃんがタイムマシンに乗って行ってしまったという時、なんとかして、アラレちゃんを見つけて連れて帰りたいと思って必死に頭を抱えて考えたのであり、「どうせロボットだから、帰ってこなければ、また、もう一体、新たに作ればいいことだ」とは微塵も考えなかったのだ。そのあたりの、ほほえましいところが、この漫画のいいところだったと思う。
※ 《YouTuve-Dr スランプ アラレちゃん OP ED》https://www.youtube.com/watch?v=uv0oV2_2zJA

  それで・・・、もしも、犬が病気になったとしたら、病気を治そうとすると、けっこう費用がかかるのではないかと思うのです。犬は健康保険なんて入ってませんし。・・ケースによっては、新しく別の犬をペットショップで買った方が、病気になった犬に治療を受けさせるよりも安い・・という場合だってあるのではないかと思うのです。 しかし、犬は電化製品とは違うのです。電化製品なら、洗濯機でもテレビでもビデオデッキでもパソコンでも、修理する費用よりも新しいものを買った方が安いという場合があり、「新しいものを買った方が安いし、いいですよ」なんて勧める電気器具屋もある。でも、犬は電化製品とは事情は違うのです。
  クルマ屋もまた、「もう、修理して乗るより新車を買いましょうよ」なんて言ったりする。まだ、もう少し乗りたいと思って私はクルマ屋の営業にはこう言ったのだ。「列車はイタリア語では treno(トレーノ) と言って男性名詞だけれども、自動車は macchina(マッキナ)と言って女性名詞なんですよ。我がクルマは女性なんです。ですから、そんなに簡単に乗り換えるなんて、男としてできないんですよ」
・・・と。名言だと思いません?  
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  ・・で、電化製品にしても自動車にしても、もし、修理に相当の費用がかかるようなら、修理しないで新しいものを買った方がいいという選択肢はあります。 しかし、犬は電化製品ではないのです。たとえ、新しい犬を買う場合の値段の方が、今、飼っている犬に治療を受けさせる費用よりも安かったとしても、だから、今、飼っている犬は廃棄して、新しい犬を買おう・・というそういう発想をするのなら、それなら、最初から犬は飼わない方がいい・・・と思う。犬は電気製品でもなければクルマでもない。
  母が90代まで生きてくれたおかげでわかったことというのが、いくつかある。 アラレちゃんの話を母にしたことがあるのだ。アラレちゃんはロボットだけれども、それでもアラレちゃんを作った則巻千兵衛は、アラレちゃんがいなくなった時に、そんなに大変な思いをして捜すくらいなら新しく別にアラレちゃんを作った方が手間がかからんなんてことは考えないで、万難を排してアラレちゃんを探そうとして必死になったけれども、犬が病気になった場合というのも、実際、犬に健康保険はないし、人間が病気になった場合よりも費用がかかる可能性があるけれども、実際問題として、同じような犬を新しく買う方が安いという場合だってあると思うけれども、それでも、やっぱり、費用をかけてでもその犬を治療してあげようと考えるべきもので、新しい犬を買った方が安いとかいうようなことを考える人なら最初から犬を飼わなきゃいいんですね・・・という話をしたのだ。
  ・・そうすると、「うちのお父さんや」と母はそう言ったのだった。なるほど・・・と思った。どうも、おっさんはそう言いよったらしいのだ。「そんな高い費用なんて、絶対にかけてはいかん。そんな費用かけるくらいなら、新しい犬を買った方が安い」・・・と。だから、クマは治療してやることができなかった・・・らしい。

  あのおっさんなら言うだろうなあ・・・と思う。私にも「おい。おまえ、故障するなよ。故障したらいかんぞ、故障したら」と。うちの父親にとって都合がいい人間になることを「正常」な状態と「診断」し、それからはずれると、それを「故障」と呼ぶわけだ。「故障すんなよ、故障したらならんぞ」と、何度も何度も繰り返し言っていた。
  「故障」という言葉を機械について言うのならわかるが、人間については「支障」ならまだしも「故障」という言葉はおかしいのだが、プロの運動選手などは「故障」という言葉を使っている。野球解説者が「故障するような選手はだめですね」とテレビの野球中継で言っていたのを聞いたことがあるが、怪我をする可能性がある運動競技をやっていて、怪我をしてしまった選手に、そんな言い方しなくても・・と思ったのだが、おそらく、怪我にも2通りあって、運動選手というのは体が資本なのだから、自分自身で怪我をしたり体調不良を起こしたりして試合に出れないということがないように自分の身体を整えるのは仕事のうちであり、体調管理が自分でできないような運動選手は運動選手として一流とは言えない・・ということをその解説者は言っていたのではないか。そうやって体調管理をしていても、それでも、過激なプレーをおこなうことで怪我をしてしまうということはあるとしても、そういう怪我と自分自身での不摂生や体調管理の不十分さによるものとがあり、体調管理の努力が不足していることによる「故障」をする選手というのは、技術的にいい悪いの前にそんな人はだめです・・と言いたいということだったのではないかと思う。
  プロの運動選手の場合と一般の人間とは同じではない。矢崎良一編『元・阪神』〔2010.12.25.廣済堂あかつき(株)〕の「松永浩美」(文・中田 潤)で、松永浩美が1993年に阪神タイガースに移籍した年に怪我をしたことについて話している。
《 4月11日、甲子園球場。セ・リーグ開幕戦、対ドラゴンズ戦。
「開場前から行列をつくっている大観衆。あの大歓声。現役時代を通して、俺の心にもっとも残っているシーンの1つだよね」
 マウンド上にはドラゴンズの不動のエース、今中慎二。
 松永浩美は5打数5安打という、これ以上ないスタートを切った(試合には負けてしまったが)。・・・
 ・・
 次の試合では、小島弘務から先頭打者ホームラン。開幕6打席連続安打。阪神タイガースは今季初勝利をあげた。試合後、松永浩美は、そのキャラクターに全然似合わない謎の言葉を残した。
「幸せだな」
 しかし、快進撃は2日間だけだった。たった2日間。
 4月13日、対スワローズ戦。本塁突入の際にキャッチャーとぶつかり、左大腿部二頭筋部分断裂。今年こそは、と盛りあがる関西地方全域に冷や水をぶっかける全治6週間の診断が下った。その後、スポーツ紙の見出しには、「緊急帰阪」「検査」「リハビリ」「復帰予定」といった文字だけが延々と続いた。
 要するに、運が悪かった・・・。私がそう言いかけると、松永浩美は言葉を制した。
「本音を言おうか。あの年、俺はできたんだよ。試合に出られた。でも、ストップがかかったんだ」
 プロ野球界全体が変わろうとしていた。
俺はやれたんだよ。だって、ケガするの、当たり前だもん。プロの世界で、ケガして休んでたら、それはアマチュアといっしょでしょう。俺は骨折したまま試合に出ていた人間だから、ケガしてもやるテクニックは持っている。それが、俺の野球と今の野球のいちばんの違いだな。プロ意識というものが変わったと言うか、なくなってきたと言うか」
 阪神タイガースは、ケガの回復を数字で判断しようとした。
「ほかの選手が足を180まで上げられるところを俺が100までしか上げられなかったらダメ、という考え方。俺はやれるよ。俺はだいじょうぶなんだよ。そう言い続けても、数字が出ないとストップがかかる」
 松永浩美は、徹底して数字にこだわってきた選手だが、その「プロ意識」だけは換算不能だった。・・・》
野球を「趣味」「リクリエーション」「体力づくり」「健康増進」「気分転換」といったものでやる人は、怪我をした時にはしばらく休んで、怪我が治ったらまた野球をやろう・・・というのでいいけれども、野球を仕事にしている人間は、少々怪我をしたからといって休んでいたら仕事にならない・・・ということらしい。そういうスポーツを職業にしているような人にとっては、怪我というものは「故障」くらいに考えておかないと仕事にならない・・ということなのか・・。
元・阪神 (廣済堂文庫) - 矢崎 良一
元・阪神 (廣済堂文庫) - 矢崎 良一

  しかし、運動選手で怪我を「故障」と表現することが広まると、一般の人間までが、怪我や病気を「故障」と表現されてしまうことが出て来てしまう。たしか、ツボ療法について書かれた本で見たと思ったのだが、今、見つけることができないのだが、「故障をなおすには・・」といった表現がされていたのを見た。
  1980年代だが、それを見た時に、私はうちの父親に言ったのだ。「『故障』という言葉は機械について言う言葉であって、人間について言う言葉ではなく、人間の身体が具合が悪くなったら、それは『怪我』『病気』と言うべきものです。それを『支障』ならまだしも、『故障』などという言い方をするというのは、それだけ、運動選手と運動選手の世界というのは人間を大事にしない社会だということでしょう」と。実際には、両方の面があるのではないかと思います。人間を大事にしない世界だから、「怪我」を「怪我」と言わずに「故障」という言い方をするという面と、一般の仕事についている人でスポーツを「趣味」「娯楽」「リクリエーション」「健康増進」「体力づくり」「気分転換」といったものでやる人の場合には、怪我をしたという時には、しばらくスポーツは休んで、怪我が治ってからまた再開すればいいけれども、スポーツを職業としている人間の場合にはそんなこと言ってられない、そんなこと言っていたら仕事にならないから、だから、わかった上で「故障」という表現をしているという面と両方あるのではないか、と思います。
  プロの運動選手の場合は、怪我を「故障」とでも考えてやるしかないという事情があるとしても、そういう用語の使い方がされると、運動選手でもない人間にまで、その用語・用法が広まってしまう傾向があり、それは好ましいことではない。私はそれを言ったのでした・・・が、そうすると、うちの父親は、逆にますます意地になって、「おまえ、故障するなよ、故障。故障したらいかんぞ、故障」と言うのでした。それで、私が「故障て何ですの、故障て」と言うと、「そやから、故障すんな、言うとるんじゃ、故障。故障すんなよ、チャンコロ。故障すんなと言うてやってやってやってやったっとんねん、故障」と言うのだった。そういう男だった。

  まず、スポーツというものは何かという時、それは健康を増進し、体力を増強して、健全な体を作り、精神面の健康も増進するためのもの・・と考えるならば、資本制社会の「ブルジョワスポーツ」というものは、本来のあるべき姿からはずれてしまっているものがある。
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 ・・資本主義的なスポーツの概念は、後進国に存在すべき概念とは根本的に異なるものだ。アフリカの政治家は、スポーツマンの養成に専心してはならず、自覚的な、しかもその上にスポーツマンでもある人間の養成に専心するべきだ。 もしスポーツが民族の生活のなかに、すなわち民族建設の仕事に、統合されていないなら、もし民族のスポーツマンだけが作られて、自覚的な人間が作られないならば、そのときたちまちにしてスポーツが、職業選手養成(プロフェッショナリズム)と商業主義とで腐敗するのを人は見るだろう。・・・
 (フランツ=ファノン『地に呪われたる者』鈴木道彦・浦野衣子訳 1969. みすず書房)
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  「パンとサーカス」と言って、ファッショ的支配者・全体主義的政治家が国民を統治する道具として使うものとして、「パン」、即ち、ぎりぎり食べていける生活と、精神面が「ふうわああ~あっ」となって関心がそちらに行って政治改革などしようとは思わなくなるような興行。だから、頭の中の9割以上がプロ野球でできているおっさん・・・というのは、ファッショ的支配者にとっては実に都合がいい・・ということになる。
  体を動かして自分自身で体を鍛えるのならいいのですが、「スポーツ」は自ら考えて体を動かすという自主的・民主的な動きを阻害する動きになることがある。 「慶應体育会」の人間というのは何かと「殴るの大好き人間症候群」のビョーキにかかっている人たちであり、このビョーキを治療しようと思っても決して簡単ではない。必修科目で「体育理論」というものがあったが、慶應体育会の教授はどういうことを話したかというと、「スポーツにとって何が大事かというと、それはまず、何と言っても、『殴る』ということだ。『殴る』ということなしにスポーツなんてあるわけがない。殴ってこそスポーツなんだよ。殴らないスポーツなんてあるわけないんだよ」と。そういう人が慶應体育会なのです。程度低いなあ~あ・・・と思いました。
  慶應体育会の教授は「強い所はどこでも殴っているんだよ」などとおっしゃるのでしたが、「強い所は」とその教授がおっしゃっておるのは、それは「不良の学校は」ということでしょう。「『不良の学校』とは何だあ」とか怒る人が出てきそうだが、 「スポーツにとって何が大事かというと、それはまず、何と言っても、『殴る』ということだ」とか大きな声でふんぞり返って主張している人たちを「不良」「不良の学校」と呼んで何が悪いか。実際、「不良」だろうが! 反社会的勢力だろうが!!! 「スポーツ」でも私が考える「スポーツ」と慶應体育会の人の頭の中にある「スポーツ」は意味が違う・・というよりも、正反対のものです。
  毛沢東は『体育の研究』(『毛沢東の体育の研究』ベースボールマガジン社)で、これまで、中国では、体が強い人は頭脳が弱い、頭脳が優れている人は体が弱いと考えられてきたが、これからはそうではなく、すべての国民が自ら体を鍛えるスポーツマンになるとともに、自ら学び考える哲学者になるべきである・・といったこをと述べている。毛沢東でなくったって、進学校の人間というのはそういうものだと私は思って来たのだった・・・が、慶應の体育会や体育会の教授、および慶應の同好会というのは「進学校のスポーツ」か「不良学校のスポーツ」かというと、ある程度評価されている大学なので「進学校型」かと、最初、勘違いしていたのだが、そうではなく「不良学校型」だった。なんか、慶應て程度の低い学校だなあ・・・とうんざりした。
毛沢東の「体育研究」 (1964年) - 毛 沢東, 山村 治郎
毛沢東の「体育研究」 (1964年) - 毛 沢東, 山村 治郎
  但し、運動選手になるような人が、すべての人が「不良学校型」かというとそうでもないようだ。野村のじいさんがどこかで書いていたが、鶴岡・西本・星野の3人の監督には共通点があるという。鶴岡は南海ホークスを何度も優勝させた監督で、監督としての生涯勝率はものすごい高い勝率を残している監督で、何より捕手 野村を取り立ててくれた監督であり、西本は大毎(現 ロッテ)・阪急・近鉄というそれまで優勝したことがない球団の監督になって、ことごとく優勝させたという名監督で、又、西本ほど選手に慕われた監督はなく、星野は中日で2回・阪神で1回・楽天で1回、優勝した監督であるが、この3人には共通点があって、それは日本シリーズなど短期決戦に弱い監督であるということと、選手を殴る監督だということと、東京六大学野球出身者だということだという。選手を殴る監督というのは、それは東京六大学野球の影響があると考えられ、そして、殴る・殴られるといったことで選手が上達したとしても、そういうことで上達したような選手は、短期決戦で、いざ自分自身で考えて動かないといけないという時に、自分自身で判断して動くということができなくなるのではないか。それが、この3人がレギュラーシーズンでの成績は悪くないにもかかわらず、日本シリーズなど短期決戦には弱いという結果になっているのではないか、と言うのだ。
  そうなのかもしれない・・が、運動選手になったような人間というのは「進学校型のスポーツ」か「不良校型のスポーツ」かというと「不良校型のスポーツ」の人間かと思っていたら、野村のじいさんはそのあたりの言うことを聞いていると、そうではないようだ。むしろ、野村じいさんの話では、プロ野球でも東京六大学野球出身者に「殴る」「殴られる」を好む思想が強いらしい。
  だから、運動選手なんてやっているような人間なんて、野蛮人だろうと思っていたのだけれども、人にもよるようで、断定しすぎない方がいいかもしれないと思っている。
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(森 毅) 当節反抗するのも出てくるけど、建前的には、生徒は手を出すべきでないという前提のもとで教師が殴る。せめて、抵抗権がないところでは殴らない、という原則のほうがいいんじゃないか。たとえばぼくらはね、ヘルメットかぶってはる学生さんに、体罰をする気は起らんじゃない(笑)。いくらカッとしたって。おとなだってね、町でいろいろ気にくわんことがあって、これは社会のためにケシカランと思ってカッとしたって、そう手ェ出さないでしょう。昔は軍隊という暴力装置があって、それが世間にある程度広まったりしたけれど、今は普通のおとなの世界では、まあ手を出したらいかんというふうになっとるでしょう。・・・
・・・
  愛のムチというのは、ぼくはだいたい気に入らなくてね。結果をよくするためには、そういう悪いこともしなければいけないんだと正当化するのは・・・。・・・
( 斎藤 次郎・森 毅(つよし)『元気が出る教育の話』1982.6.25.中公新書 )
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(森 毅) ・・・もう一つ、上級生が下級生をいじめるというか、制裁を加える、そういうスタイルのがあるわけね。上級生と下級生の上下関係、序列関係が非常に強調されるようになったんは、十年来の出来事という感じをぼく持ってるの。
(斎藤 次郎) そうでしょう。いつからかしら、「先輩」っていうような言い方は。
・・・・
(斎藤次郎) そういうふうにしないと、また強くならないっていう伝説があって、〔たいてい強い部はコーチの先生が熱心でね。そのコーチの先生が、またかなり激しいですからね。〕
(森 毅) あれはどうなんかよくわからないんだけどね。たとえば日本帝国陸軍と、アメリカ軍とどっちが強かったかというような話なんでね。
(斎藤 次郎) ほんとぼく疑問なんですよ。つまりシゴキっていうのかな、歯をくいしばって練習するっていうのね。そういうふうにしないと強くなれないのかなあっていう・・・・。
(森 毅) またそんなにして強くならんでもいいとぼくは思うけどね。(笑)
(斎藤 次郎) それがほんと凄いのよねえ。
(森 毅) しかもしれがまた、さっきの一年生のタマ拾いみたいに、きわめて非合理的でしょ。ほんとに強くしたいんならね、一年生のときから、ちゃんと適当なトレーニングしたほうが、たぶん有利なはずですよね。そういう意味でちょっと理解できないんだな。
(斎藤 次郎) もう一つ運動部のことで言うと、非行防止対策に利用されてる側面があるんですね。つまり子どもたちが自由にふらふらしてると非行ばかりするから、暗くなるまで学校でびっちり管理しようという、そういう発想がかなりありますね。
(森 毅) それは伝統的にあるんでね、戦前、左翼の学生運動が盛んになったときでも、運動部は利用されたわけね。ある意味で、軍隊的秩序志向みたいなんが、運動部として常にあるわけね。あれもまた気持悪いんだなあ。
・・・
( 斎藤 次郎・森 毅(つよし)『元気が出る教育の話』1982.6.25.中公新書 )
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 森 毅(つよし)氏は1928年、東京生まれで大阪府豊中市で育ち、旧制北野中学校卒、旧制三高卒、東大理学部数学科卒で京大教養部教授、数学者で、斎藤次郎氏は1939年、埼玉県生まれで、法政大文学部卒、「子ども調査研究所員」ということですが、斎藤次郎・森毅『元気が出る教育の話』(1982.中公新書)を読むと、この2人には見解が一致しているところとそうでもないところがあり、基礎体験のようなものの違いというものも感じます。私が北野高校の生徒だった時、北野高校の制服を着て電車とかバスに乗っていると、「あなた、北野高校の生徒さんですか」と言って、北野高校の卒業生だとか元北野高校の教諭だとかいう方から話しかけられるということがあったのですが、3年生の時、阪急バスのある区間に乗っていた時、北野高校を卒業して2年目だかいうおねーさんから、「あなた、北野高校の生徒さん。私の後輩やね」とか言われて、それで乗車中、話していたのですが、その津田塾大の2年だったかのおねーさんが言うには、北野高校の卒業生の人と話をすると、何十年前の卒業生の人と話をしても話がかみあうというのでした。この『元気が出る教育の話』(中公新書)もそうですが、森 毅『数学受験術指南』(中公新書)も、読んでみると、その津田塾大在学中だったらしいおねーさんが言われたように、何十年も前の卒業生の話すことでも、「話がかみあう」というのか、言うことがわかるのです。 「殴る」「殴られる」という「サドマゾみたいの」を喜ぶ「慶應タイプ」の性癖というのは、それは反民主主義的傾向・ファッショ的傾向のものであり、強くなるためにはそんなことをしていてはだめなのです。これは北野高校と似たタイプの公立進学校には共通して意識ではないか。かつて、日本のサッカーチームの監督になっていた岡田なんとかさんは天王寺高校出身だったと思いますが、岡田なんとかさんにしても、天王寺高校を「スポーツの弱い学校」とは認識していなかったと思うのです。公立進学校の人間というのは、全般に「殴る」「殴られる」なんてことをやっていたのでは強くならないという思想・世界観でスポーツをやっていて、それは「強くならなくてもいい」から「殴る」「殴られる」を否定するのではなく、「強くなるためには」「殴る」「殴られる」なんてやっていてはだめなんだ、という思想・世界観でスポーツというものを認識しているからです。
  それに対して、斎藤次郎氏の方は、森 毅 氏の言っていることが百パーセントはわかっていない、 「基礎体験が違う」ようなところが感じられます。関西人は関西の落語・漫才を聞いて面白いと思っても、東京の人間はそうは思いませんでしょ。それは「基礎体験が違う」というのか、そういうものがあると思うのです。齋藤次郎氏は、〔たいてい強い部はコーチの先生が熱心でね。そのコーチの先生が、またかなり激しいですからね。〕と言っているのですが、この部分については、これは慶應の体育会の教授と似た意識での発言です。「強い部」は《 コーチの先生が熱心》で《かなり激しい》というのは、慶應の「体育理論」という必修科目の「講義」で教授が「スポーツにとって一番大事なことというと、それは、何と言っても『殴る』ということだ。『殴っちゃだめえ』なんて言うやつが最近でてきて困ったもんだ。『殴っちゃだめえ』なんて言うのなら、それなら最初からスポーツやんなってんだ。””強い所””はどこでも殴ってるんだよ。殴るから強くなるんだよ」・・・などと慶應の教授というのはそういった言い回しをすることで自分の「殴りたい殴りたい症候群」の「病気」を正当化しようとしているのです。こういう人は傷害罪で収監してあげないと、この「病気」は治らないでしょう。
  「『殴らないスポーツ』なんてそんなもの、あるわけないだろうが。殴ってこそスポーツなんだよ。殴っちゃだめとか思ってるやつはスポーツすんなああ! だいたい、『殴ったから怪我したじゃないか』なんて言ってからに、バカか! 殴ってんだから怪我すんのは当たり前だろうが! おかしなこと言うなってんだ。一回、病院に入院しろお! 最近、頭のおかしなやつが増えて困ったもんだ。病院に入院しろお!」とお叫びあそばされた〔あんたの方こそ「入院」したらどないやねん・・と私は思ったが〕・・・私は「なんで、こんなゴロツキの話を聞かされなければならないんだ」と思った、「こんなおかしな『体育理論』があるか」と思ったし「必修科目だとして強制的にこんな””ほとんどビョーキ””みたいな人の話を聞かされるというのはおかしい」とも思った、《「学問の自由」と「教授の身勝手」「教授の横暴」は同じではないはずだ》とも思った・・ということがあったのですが、そういう「殴ってこそスポーツなんだよ」「強い所はどこでも殴ってるんだよ」というのが慶應体育会の思想ですが、斎藤次郎氏は殴って指導するということについては否定的立場ではあるものの、「強い所はどこでも殴ってるんだよ」というそのあたりの認識については慶應体育会と似た意識でいます。それに対して、森 毅氏はそうではない。森 毅 氏は旧制北野中学校出身だけあってそうではなく、本当に強くなろうと思うなら、殴ったり殴られたりなんてことをしていてはだめなんだという認識。殴ったり殴られたりというようなことをするのではなく、もっと自主的に自分自身で考えて体を動かして練習をするべきであり、そうしてこそ強くなるのであり、「進学校の運動部」が「スポーツ専門校(≒不良の学校)の運動部」に勝つためには、《「殴る」ということこそスポーツだ》という「『不良の学校』の運動部」のような練習法ではなく、「進学校の運動部」の練習法、もっと科学的な練習法をおこなってこそ、成果が出るのであり、それでこそスポーツなんだよ・・という思想、これが北野高校の運動部などのスポーツについての思想です。 「強い所は殴ってるんだよ」という「慶應タイプ」の考え方(「『不良の学校』の運動部」の考え方)ではなく、それとは正反対の考え方、「強くなるためには、殴る・殴られるなんてそんなことやっていてはだめなんだよ」という考え方です。何も、「殴る」「殴られる」というのが「強い所」とは私なども考えていないのです。それは慶應の教授(アホ)が考えることです。むしろ、「殴る」「殴られる」というのは、そういう「サドマゾみたいの」は「強くなる方法」には逆行するものであり、そんなものは「不良の学校」だからやっていることだ、という認識です。
整理してみましょう。
(1)「殴る」「殴られる」というようなものはスポーツではない。強くなるためには「殴る」「殴られる」というようなことをやっていてはだめだ、という考え方。・・・北野高校など進学校型のスポーツ観。
(2)「殴ってこそスポーツなんだ」「殴らないスポーツなんてないんだ」という暴力奨励主義。スポーツすることより前に「殴る」ことが好きなタイプ。「殴る」「殴られる」ことに快感を覚えるタイプ。強くなるためには「殴る」ということを否定してはだめだという思想・考え方・・・「不良の学校」および「慶應タイプ」のスポーツ観。
(3)運動部において「殴る」ことについては否定的だが、「殴る」ことが大事だという思想がスポーツ界にはあって、「強い部」にはそういう思想が強いという世界観・・・斎藤次郎氏の見解。「殴る」ことには否定的な意識でいるが、「殴る」「殴られる」なんてことをしていては強くならないという思想ではなく、「強い部」は「殴る」部だという世界観・スポーツ観を持っている。
  森 毅氏は北野高校の前身の旧制北野中学校出身だけあって(1)の思想・世界観の持主であり、慶應の体育会の教授は(2)であるのに対して、斎藤次郎氏は『元気が出る教育の話』で森 毅 氏と対談しているものの、森 毅氏とは違って(3)の世界観・スポーツ観を持っていて、そこから、《たいてい強い部はコーチの先生が熱心でね。そのコーチの先生が、またかなり激しいですからね。》という発言が出ている。
 「体育理論」という必修科目を担当していた慶應の教授の場合、(2)の人間で、「不良の学校」のことを「強い所」と表現して、「強い所はみんな、殴ってんだよ」と言ってそれを肯定し、体育会だけではなく、非体育会の人間にも暴力主義を浸透させようとしている。要するに、慶應の体育会の教授などというものは、「不良の学校」の不良と一緒・・ということで、早慶戦などというのは「不良の祭典」みたいなものだ。私は、最初、「体育理論」という講義は、「殴る」「殴られる」なんてことをやっていたのではだめで、そうではなく、自分自身で考えて練習をして体を動かすようにするべきなんだ・・といった話を聞かせてもらえるものかと思って期待していたのだったが、しかし、「慶應タイプ」の「体育理論」は私が考える体育理論とは正反対、反体育理論であり、「不良の学校」の暴力肯定主義を必修科目だということにして、体育会に加入したわけでもない一般学生にまで無理矢理きかせるという暴力的態度によるものだった。
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元気が出る教育の話―学校・世の中・自分 (1982年) (中公新書) - 斎藤 次郎, 森 毅
元気が出る教育の話―学校・世の中・自分 (1982年) (中公新書) - 斎藤 次郎, 森 毅

  うちの父親は人間について「怪我」とか「病気」と言わずに「故障」と言いたがってしかたがなかった。「おまえ、故障すんなよ、故障」と何度も何度も言うので、「『故障』ていったい何ですのん? 私は機械と違いますよ」とも言ったのだが、そう言うと余計に意地になって、「そやから、おまえ、故障すんな、言うとんねやろ。故障すんなよ、故障を。とってちってたあ~あ!」と言うのだった。

 「故障」という言葉には、人間を人間と考えずに機械と同じように考えるという姿勢・態度があるとともに、 「正常」な状態というものが想定されていて、その「正常」からはずれたものが「故障」であって「故障」した場合には「故障」を直して「正常」に戻さないといけないという思想がある。又、 「正常」に戻すことができない場合には、その時には廃棄すればいいという思想がそこにある。
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《 きみのこまったところは
  ねじが1本抜けちまってることさ

  お気の毒ながらそれがきみなんでね
  だが手の打ちようがなにもありやせんで

  いなくなってどうということもなかろうし
  取り替え用の部品もないことだし

  大騒ぎするんじゃないよ
  ただ言いなよ さよならを

  きみを助けられなくて気の毒だがね
  きみを作り直すとなると費用がかかりすぎるんで

  きみは廃棄されなくてはならない
  叩き毀されるために出頭せい  》
( レイン『好き? 好き? 大好き?』村上光彦訳 1978.2.25. みすず書房 「29」)
好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび - R・D・レイン, 村上 光彦
好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび - R・D・レイン, 村上 光彦
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《 医者たちに
呪われろ、医者の俗物の下司ども、
全世界は、おまえらには骨入れ袋だ。
水素で血を冷やしたり、それから動悸する脈に触ったりしただけで、
おまえらは信じ込む、出来るだけのことはした、
人はほんとに気持ちよく生きられる、
主なる神は才知の持主だった、
それで、解剖学なんて裏の裏まで分かっていた、
どんな花でも煎じて汁にすれば、よく効く薬になるんだ、と。》
( 『マルクス詩集 (世界の詩 71)』井上正蔵 訳。1979.6.15.彌生書房  所収)

《 医者の倫理学
旅行には沢山のシャツを持って行きなさい、
汗が身体に内攻しないように。
 胃や腸に激痛を起こすような
 情熱は避けなければならぬ。
炎(ひ)が生命を危うくするような
場面には目を向けないように。
 酒には適当に水を混ぜ、
 コーヒーにはミルクを入れなさい。
あの世に出かける用意がしたいなら、
われわれを呼ぶことを忘れぬように。》
( 『マルクス詩集 (世界の詩 71)』井上正蔵 訳。1979.6.15.彌生書房 所収)
マルクス詩集 (1979年) (世界の詩〈71〉)
マルクス詩集 (1979年) (世界の詩〈71〉)
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  うちの父親は、「この世の中に人間というものはな。産まれる時点において、『天の神さま』というお方が、2種類の人間に人間を分けてお作りになっておるんや。民族でもそうやろ。ドイツ人とかアメリカ人というのは『人に命令するための民族』『人に号令かけるための民族』でやな、チャンコロというのは『人から命令されるのがふさわしい民族』『人から号令かけられるのが好ましい民族』であって、これは『天の神さま』という方が決められたことなんや。それと同じように、わしいとかM川先生(うちの父親の親友の医者屋)とかはドイツ人で『常に人に命令しなければならない民族』『人に号令かけなければならない民族』であって、あんたあは『命令されて、せえっせせっせ、せえっせせっせと働くのがふさわしい民族』『号令かけられることに喜びを感じる民族』なんや」と言うのでした。「私、号令かけられることに喜びなんか、感じませんよ」と言ったのだが、うちの父親は「何を言うとるんじゃ、何を、このチャンコロめがチャンコロ! おまえは号令かけられることが何よりもうれしい♪ あんたは号令かけられることが三度の飯よりもうれしい、というそういう人間や」と言うのです。「ですから、うれしくありませんと言うておるでしょうが」と言ったのだが、うちの父親は
「何、言うとるんじゃ、何を。おまえは、号令かけられることが何よりもうれしい、あんたは号令かけられることに快感を感じる人間やねんいうて教えてやってやってやってあげてやってあげてやってやったっとんのんじゃ。感謝せんかこら、チャンコロ。それ、
てってこっこ、てっててってらったらったらったらあ♪
 テってこっこ てっててって らったらったらったら♪
テってこっこてっててって らったらったらったらあ~あ!
 撃ちてしやまん! 一億火の玉!
欲しがりません 勝つまでは!
木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ~あ!
とってちってたあ~あ!
 どうじゃ、うれしいじゃろ。うれしいですと言わんか、このチャンコロ!
うれしいと言わんか、それ、うれしいじゃろ、うれしいじゃろ、うれしいじゃろう!
てってこっこ てっててって らったらったらったら♪
 てってこっこ てっててって らったらったらったらあ~あ!

ソレ、喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べ喜べ喜べ、チャンコロ!」
と何度も何度も繰り返し繰り返し叫ぶのでした。
  「そんなに号令かけるのが好きなら自分に号令かけたらどうですか」と言うと、
「な~にを言うとるんじゃ、おまえはこのチャンコロめがチャンコロ。ええ~えかげんにせえよ、ええかげんに。
わしはドイツ人やねんぞ、わしは。わしはドイツ人でおまえはチャンコロ人やねんぞ。民族の違いを忘れるな!
階級の違いを忘れるな! わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのかチャンコロ! 
わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのかチャンコロ!!!」
と言うのでした。
「この世の人間というものは、産まれてきた時点において、『天の神さま』というお方から決められた使命というものがあるわけや。
ドイツ人はドイツ人らしく、チャンコロはチャンコロらしく、じゃ。
わしとかM川先生はドイツ人やから、自分ではやらずに人に命令したり号令かけたりするのが『天の神さま』から決められた使命やねん。
そんでもって、あんたあはチャンコロやから、いついかなる時も、服従するの使命であり、号令かけられてせっせせっせせっせせっせと働くのが使命なんや。 この世の中にはやなあ、その両方の人間がおらんといかんわけや。自分ではやらずに人に号令かける人間ばっかしでもあかんし、常に人から号令かけられてせっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんわけや。そやから、あんたみたいなチャンコロにはわしとかM川先生とかのようなドイツ人が必要なんや」
と言うのでした。それで、私は
その『自分ではやらずに、人に号令かける民族』という人にとっては『人から号令かけられてせっせせっせと働く民族』というのが必要かもしれませんが、『人から号令かけられてせっせせっせと働く民族』と指定された民族にとっては、『自分ではやらずに、人に号令かける民族』なんていなくてもいいですよ。・・というよりも、『自分ではやらずに、人に号令かける民族』なんて、そんな人間、いない方がいいですよ
と言ったのだ・・が、
「何を言うとるんじゃ、何を。おまえ、そんな口をきいたらバチあたるぞ。ええかげんにせえよ。おまえのようなチャンコロのためを思うて、『天の神さま』がわしいとかM川先生とかいった『自分ではやらずに、人に号令かける民族』を作ってくださったのじゃろうが。感謝せんといかんぞ、感謝。感謝せんとバチ当たるぞ、感謝せんと」
と言うのだった。
「か~んしゃあ~あ、か~んしゃ♪
朝にも感謝、昼にも感謝、
か~んしゃあ~あ、か~んしゃあ~♪
夜にも、かん~しゃ♪ ちょんちょん」
というキリスト教の歌があったと思うが、そんなことを言うておった。うちの父親はそんな歌を歌っておった。「わしに、感謝♪ わしに、感謝♪ か~んしゃあ~あ、か~んしゃあ♪ 朝にも感謝、昼にも感謝、か~んしゃあ~あ、か~んしゃあ♪ 夜にもかん~しゃ、ちょんちょん♪」と。但し、キリスト教のもともとの歌の場合「感謝」する相手は「神様」であるのに対して、うちの父親が歌っていたのは「わしに感謝、わしに、感謝、わしにじゃ、わしにじゃ、わしにわしにわしにい~い♪」というので、その「感謝」する相手が異なった。

  「天の神さま」というやつは、そうやって、「ドイツ人の民族」とか「医者の階級」とか「慶應の階級」いうのを作り、片方で「チャンコロの民族」「浪商の階級」というものをお作りになったそうだ。うちの父親の親友の医者屋のM川という患者を薬漬けにして稼いだカネでドバカ息子を私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させた男(1980年頃当時50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際はM川も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなければ「かわいいキンタマ」くらいではないか。〔なお、「かわいいキンタマ」というのは、崎医大・知医大・沢医大・埼医大の4つを言うらしい・・〕)は「ドイツ人の民族」で「医者の階級」だそうで、うちの父親は「ドイツ人の民族」で「慶應の階級」だそうだ。そんでもって、私は「チャンコロの民族」で「浪商の階級」だそうで、「これは、産まれてくる時点に置いて、『天の神さま』というお方がお決めになったことであって、たとえ、これを変えようを思っても絶対に変えることはできないことであるし、また、この秩序を変えようなどと考えるような不心得者を『天の神さま』は決して決してお許しにはならないのである」そうだ。
そう言われ続けて、そして、思うようになったのだ。
「民族の違いを忘れるな」に対しては、
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」。
「階級の違いを忘れるな」に対しては、
「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」。
「天の神さまがお決めになった秩序を変えようと思うても変えることは決してできないし、又、変えようとする者を天の神さまは決してお許しにはならぬぞ」に対しては、
「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)」
「革命無罪(革命は無罪である)」
と。

  うちの父親は「わしはキリストで聖徳太子で英雄ヒットラー総統やねんぞお。知ってたか?」と言うので、「知らんかった」と正直に言ったのだが、うちの父親というのは「ドイツ人」で「英雄ヒットラー総統」だそうだった。日本人かと思っていたら、それは「間違った認識」だそうで「ドイツ人」だそうだった。で、私は日本人だと思っていたのだが私は「チャンコロ人」だそうだった。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」と慶應の内部進学の教授が「我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだ」と毎日、講義で叫んでいるみたいなことを毎日、言うとった。
〔⇒《YouTuve-Wagner "Ride of The Valkyrie" Karajan Bph カラヤン ワルキューレの騎行》https://www.youtube.com/watch?v=ZOTdIhaGEuw フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』の中で、リヒャルト=ワグナーを悪趣味だと述べていたが、実際、↑ の曲など聴くと、たしかに悪趣味だ・・・と思う。〕
  「わしは慶應やぞお。わしはあ。わしはほんまは慶應やねんぞお、ほんまはあ。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとはちごうて、このわしは慶應やねんぞ、慶應。浪商のくせして慶應のわしと一緒やと思うでないぞ、この浪商! わしは慶應なんじゃ、このわしはあ、んが、んが、んがァ~あ!」と何度も何度も言うとったが、たしかに「慶應タイプ」て感じのおっさんやった。うちの父親は大阪教育大付属小学校・中学校に行ったらしいが、そんな系列の大学のない所に内部進学で行くのやのうて、慶應幼稚舎に行けばよかったのだ。そうすれば、「ほんまは慶應やねんぞお」などと言うのではなく、「このぼくは幼稚舎から慶應なんだぞお。おまえら(大学だけ慶應の)『(慶應義塾の)外部の人間』とは違うんだぞお。わかってんのかあ~あ!」と慶應の内部進学の教授みたいに叫んで得意がる人生を送ることができたはずだ。なんで、慶應幼稚舎に行かんかったんや・・・・と思う。慶應幼稚舎に行っておけば似合いの人生を送ることができたであろうに。

  その「英雄ヒットラー総統」と同じドイツ人の哲学者フリードリヒ=ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』では、次の文句が出ているのだが、「ドイツ人」のおっさんは知らんのだろうか・・・?
即ち、
「神は死んだ」
・・・と。 
  死んだんだよ、その「この世の人間を、『自分ではやらずに人に号令かける民族』と『号令かけられることに快感を感じる民族』とに2つに分けてお造りになった」という「天の神さま」とかいうやつは。おっさんは知らなかったようだが、死んだのだ、そいつは(^^♪
もう、死んでいないんだよ、おっさんと「神さまのM川先生」を「ドイツ人」に作り、私を「チャンコロ人」に作ったというやつは。おっさんを「慶應の階級」に作り、「神様であるM川先生」を「医者の階級」に作り、私を「浪商の階級」に作ったという「天の神さま」というやつは死んだのだ。
ツァラトゥストラ (中公文庫プレミアム) - ニーチェ, 手塚 富雄
ツァラトゥストラ (中公文庫プレミアム) - ニーチェ, 手塚 富雄
※ 《YouTuve-ツァラトゥストラはかく語りき  Also sprach Zarathustra アンドレ・プレヴィン(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団》https://www.youtube.com/watch?v=9I8u8_-kuSE

  うちの父親は「人間には、それぞれの人間に役割というものがあるんや」と言っていた。そして、上の姉のことを「T子さん、この人はしっかりしてる。この人はえらいお姉さん」と言っていた。私が幼稚園の年少組の時の正月、お年玉を親戚のおじさん・おばさんなどからいくらかもらった後、うちの父親は私に「あなた、それ、使ったらもったいない」と言い出した。「あんた、それ、使ったらもったいないから、それ、全額、貯金しなさい」とそう言ったのだ。「いやや。絶対にいやや。取られるのんいやや」と幼稚園児はせいいっぱい抵抗した。我が家は、よその家と比較すると、子供が「欲しい」と言ったものを買ってもらえないことが多い家庭だった。たとえば、
(1)幼稚園や小学校の同級生の家に遊びに行くと、どこの家にも「モノポリ」というゲームがあったが、唯一、我が家だけなかった。
(2)男の子の家に行くと、たいてい「野球盤」というものがあったが、我が家だけなかった。
(3)ドッチボールとかサッカーボールとかある家があったが我が家は何もなかった。姉が買ってもらったらしい空気が抜けたドッチボールだかバレーボールだかがあって「これ、使い」と言われたが、空気が抜けてぺしゃんこになったようなものをどうやって使うのかさっぱりわからんかった。
(4)近所にアイスクリームを売っている店があって、1960年代、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームがあったが、我が家は10円のアイスクリームは買ってもらえたが20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえなかったが、幼稚園や小学校の同級生は20円のアイスクリームも買ってもらっていた。
(5)近所の神社に、針金を曲げて輪ゴムをとばす「銃」をつくるおじさんがきた時、うちは買ってもらえないだろうと思ったら、なぜか、母が買ってもいいと言ってくれて一番安い一番簡単なものを買ってもらえたが、その一番簡単で一番安いものでも私は買ってもらえたと思って喜んだのだが、近所のうちより貧相な家に住んでいる子はものすごい複雑で高いものを買ってもらっていた。
(6)小学校に入ると、同級生は10段切り替えとか20段切り替えとかいうサイクリング用自転車を買ってもらって乗っていたが、我が家は「そんなもの買わなくても、これ、乗ればいい」と言って、いわゆる「ママチャリ」に乗ってサイクリング用自転車に乗るやつと一緒に出かけていた。
(7)子供が欲しがる物を売る店に「昆虫採集セット」が売っていて買ってもらっていた子供がけっこういたが我が家は買ってもらえなかった。
(8)当時、シスコーンだかコーンフレークだかの大箱の底に、子供が喜ぶフィギュアみたいのが入っていてそれが欲しかったのだが、母が買い物に行く時に一緒に行った時に、「あれ、欲しい」と言うと、うちの母は「よっしゃ、わかった」と言って、そのフィギュアが入っていない小箱を買おうとするので、「それじゃなくて、大きい箱のが欲しい」と言うと「いけません」と言って怒られた。そして、小さい玩具というのかフィギュアというのかが入っていない小箱を買われて、それで「買ってやったで」と言われるのだった。幼稚園の同級生の家に遊びに行った時、そこのお母さんが買い物に行くということで一緒に行くと、同級生が「あれ、買ってえ」と言って玩具というのかフィギュアというのかが入っている(その頃は「フィギュア」といった用語が広まっていなかった)大箱を欲しいと言うと、そこのお母さんは「はい、はい」と言って買ってその同級生に渡し、同じように私にも買ってくれたということがあった。ここの家はフィギュアの入っている大箱を買ってもらえるんだ・・と思ってびっくりしたということがあった。
(9)家ですきやきをやった時、買ってきた肉の中に、油の塊みたいのが1つあって、私はそれは豚だか牛だかの病気の部分がまじってしまったのかと思っていたら、うちの父親が「これがおいしいんや。これが最高のごちそうなんや。おまえ、これ、好物やろ。おまえの大好物や。そら、食え」と言って、その油の塊を幼稚園児だった頃の私に食べるように命令した。「ええ? これ、食べるものなの?」と私が言うと、うちの父親が「そうや。これは、おまえが食べるものや。おいしいぞお~お」と言うので、「そんなにおいしいのなら、お父さん、食べはったらどうですか」と言ったところ、「何を言うんや。これはおまえの大好物やろうが。おまえ、これ、大好きやろうが。食え」と言い、「わしは赤身が好物なんや。わしは赤身を食うんや。おまえ、これ、食わんか、食え、食え、食え、クエッ、クエッ、クエッ、クエッ!」と叫び、「こら、おまえ、食べ物の好き嫌いやったらいかんやろうが。食べ物の好き嫌いはいかんやろ。食わんか。クエッ、クエッ、クエッ、クエッ!」と言うので、しかたなしに口の中に入れたが、気持ち悪くて、無理に喉の奥に押し込もうとしたが、本当に気持ち悪くて呑み込めなかった。それはいったい何だったかというと、鍋に油をしくためのものであって、食べる物ではない・・ということを30過ぎて知った。何で知ったかというと、『C級サラリーマン講座』に出ていたのだ。兎田課長というおっさんが、それを食うので、まわりに者が気色悪がって、「おまえ、それは食うものとは違うだろうが」と言うという場面があったのだ。「食うものとは違う」ものを私は無理矢理「クエッ、クエッ、クエッ、クエッ」と言われて食べさせようとされたのだった。
(10)小学校1年の時、「算数」で、足し算・引き算・掛け算・割り算を学習する時、担任の先生が、トーナメント大会を実施し、隣の席の者と2人に、足し算・引き算・掛け算・割り算の問題を出して、先に正しい答えを言った方が勝ちということで、勝ちぬき戦をやり、優勝者と準優勝者には、「連絡帳」に「よくできました」と先生が書いてくれるということをしたのだったが、うちの父親が「次、優勝したら、プラモデル、買ってやる」と言った。そして、次、優勝した。優勝したからにはプラモデルを買ってくれるのだろうと思ったが。その頃、家から小学校までの登下校の途中にあった店に「ゴジラ」「バラゴン」のプラモデルがショーウインドウに展示されていて、毎日、前を通る時に「いいなあ~あ」と思って見ながら通っていた。よその子は1回線負けでも買ってもらっていた者が何人もいたが、我が家は無理だろうと思ってあきらめていた。ところが、うちの父親が「あんた、プラモデル、どういうのがいいか」と言うので、言うだけ言ってみようと思い、「ゴジラがいいけれども、ゴジラは4000円もするから無理だと思う」と言ったのだ。今の4000円ではなく1960年代半ば頃の4000円である。しかし、それでも、ゴジラとバラゴンのどちらかを買ってもらって持っていた者はクラスに何人もいたし、両方買ってもらっていた者もいた。1回線負けのくせして。我が家は無理だと思っていたが、「ゴジラがいいけれども、4000円もするから無理だと思う」と言うと、うちの父親は「そうやなあ。4000円もするもんは買えんわあ。もうちょっと安いもんないかなあ。一緒にプラモデル屋に行って、もうちょっと安いもんなきかきいてみようや」とでも言うだろうと予測して(この予測はあまりにも甘かった)言ったのだったが、うちの父親は「なんで、無理やねん。ええがな。こうたるがな。なんで、4000円したらあかんのや。こうたるがな、そんなもん。4000円したっていくらしたって、そんなもん、絶対にこうたるがな。な~にをわけのわからん心配しとんねん、何を。ほかでもないこのわしが『こうたる』と言うとるんやろうが。このわしが、いったん、『こうたる』と言うたからには何があっても絶対にこうたるがな。わけのわからん心配すんな、おまえは。よっしゃ。ゴジラ、こうたろうやないか」と言い、そして、近所のプラモデル屋に行き、ショーウインドウにゴジラが展示されているのを確認した上で扉を開けて中に入り、店の奥さんにうちの父親が「そこに出てる、ゴジラ言うのん、あれ、なんぼしますのん?」ときき、奥さんが「4000円です」と答えたところ、うちの父親は「へえ~え。ふえええ~え。ぎょえええ~え。ひいいえええ~え。怪獣のプラモデルみたいなもんが、4000円もするんか! 冗談やないで、ほんまあ。冗談やない。そんなもん、絶対にこうたらあかん。冗談やない。絶対に、そんなもんに4000円も出したらあかん! 絶対にこうたらあかん」とそう言うのだった。「冗談やないで、ほんまあ」と言いたいのはこっちだった。小学校1年生が「4000円するから無理やと思う」と言っているのに、「何をわけのわからん心配しとんねん。4000円したって、こうたるがな。このわしがいったん『こうたる』と言うたからには絶対にこうたるがな」と言うたのは、あんたやろうが、あんた!!! 「ふえええ~え。ぎょえええ~え。ひいえええ~え」と言いたいのは、こっちや、こっち。うちの父親が「あんた、どうしても、ゴジラでないとあかんのか」と言うので、「バラゴンでもいい」と言ったところ、奥さんが「バラゴンはもっと高いですよ。バラゴンは4200円です」だったか言った。うちの父親が「何、バラ、バルゴン?」と言ったので私が「バルゴンじゃない。バラゴン」と言っても「バルゴン、バルゴン」と言い、奥さんが「バルゴンやったら200円です」と言ったところ、「それがええわ、それが。それ、ください。あんたが欲しいと言うバルゴンを買ってやろう」と言うので、「バルゴンじゃない、バラゴン、バラゴン」と言ったのだが、「バルゴンやなあ。あんたが欲しいのはバルゴン。あんたが欲しいのはバルゴン♪ バルゴン♪」と言い、そして、4000円のゴジラか同等のバラゴンを買ってもらえるものだと思ってプラモデル屋に行ったら、200円のバルゴンでごまかされて帰ってきた。帰り道々、「あんたが欲しい欲しいと言っていたバルゴンを買ってやってやったったでえ~え♪ あんたが欲しい欲しいと言うておったバルゴンを買ってもらって、あんた、よかったねええ~え♪ あんた、お父ちゃんにバルゴンを買ってもらった。うれしいねえ~え♪ あんた、幸せやねえ~え♪ あんた、恵まれてるねえ~え♪ あんた、幸せやねえ~え♪ あんた、幸せ、幸せ。あんた、ものごっつい恵まれてるねえ、あんたはわ~あ♪ よかったねえ、よかったねえ、よかったよかったよかったねえ♪」と家につくまで言いまくりよった。1980年代、東京都千代田区神田神保町に本社があったコンピュータ関連のT社(現在もその会社はあるようだが、本社は千代田区神田神保町ではなく他の場所に移転したようだ)の入社式の後、社員教育担当部署の責任者のおっさんが「皆さん、親が子から物をもらった時と、親が子から物をもらった時と、どう違うか知っていますか。教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか・・」と何度も何度も「教えてあげましょうか」と言うのだったが誰一人として「教えてください」と言う人間はなかった・・ので、「ありませんか。それならやめておきましょう」と言って言うのをやめるか、それとも、「まあ、そう言わないで聞いてくださいよ」と言って話すかどちらかだろうと思ったら、そうではなく、「わかりました。それなら教えてあげましょう」と言って話しだしたので、「なんや、日本語になっとらんがな」と思ったことがあったのだが、「いいですか。子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時には、気持ちに喜ぶのではなくそのモノに喜ぶのです。それに対して、親が子から何かをもらったり何かをしてもらった時にはモノに喜ぶのではなく気持に喜ぶのです。親が子からもらった時と子が親からもらった時とでは、そういう違いがあるのですね。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・」と何度も何度も「わかりましたか」と繰り返すのだった・・が、さっぱりわからんかった。小学校の1年の時、私が「ゴジラがいいけれども4000円もするから無理やと思う」と言った時に、「そうやなあ。4000円もするなら、それは買えないなあ。4000円もするものは買えないけれども、何百円というくらいのものなら買ってやるけれども、そのくらいの値段のものはないのか。一度、一緒にプラモデル屋に行って、もうちょっと安い物はないのかきいてみようや」と言って一緒にプラモデル屋に行って、200円のバルゴンがあったという時に、「あんた、クラスの生徒で4000円のゴジラやバラゴンを買ってもらっている同級生が何人もいるのに悪いけれども、うちはそういう物は買えないけれども、200円のバルゴンなら買ってやれんことはないけれども、バルゴンでいいか」と言って、それに対して「いい」と言って買ってもらったのなら、1回線負けのやつでも買ってもらっている4000円のゴジラやバラゴンは買ってもらえなかったけれども、200円のバルゴンは買ってもらったということで喜ぶことができただろう。しかし、  「たとえ、4000円したって絶対に買ってあげますて。ほかでもないこのわしが『こうたる』と言うとるんやないか。ほかでもないこのわしが、いったん、『こうたる』と言うたからには4000円しようがいくらしようが何がなんでも絶対にこうたるがな。わけのわからん心配すな、おまえは」と言われてプラモデル屋に行って、プラモデル屋の奥さんから「ゴジラは4000円です」と言われるやいなや、「ふうえええ~え。ひいいえええ~え。ぎょおええええ~え。かなんなあもう。ほんま、かなんなあ。冗談やないで、ほんまあ」と、なんか吉本のギャグみたいなことやりよった、そういうことをされたのでは喜べなかった。 「子が親から何かをもらった時には気持ちにではなくモノに喜ぶんです」などという「心理学の学説」は絶対に嘘である。
  「ええなあ。うらやましいなあ。1回線負けのくせしてゴジラもバラゴンもこうてもろうてからに。わしは努力して優勝したのにからに、4000円のゴジラこうたる言われて行って200円のバルゴンでごまかされて、それでもって『よかったねえ♪、よかったねえ♪、よかったよかったよかったねえ♪』なんて言われてからに。ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ、長嶋はあ。わしぁ日陰の月見草やあ~あ・・・・」て感じ・・、
※ 《YouTuve-氷川きよしさんと阪神ファンのコラボによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=Vt2yXzBWMiA
・・いや、それ以上に苦しかった、それ以上につらかった。そんなことされるくらいなら、最初から「優勝したらプラモデルこうたる」なんて言われなかった方がよかった。「優勝したらプラモデルこうたる」と言われなければ、200円のバルゴンも買ってもらえなかったかもしれないが、その方がかえって良かったくらいだった。「子が親から何かをもらった時には、気持ちに喜ぶのではなくモノの喜ぶのです」なんて嘘だ。要らんよ、そんな「モノ」なんて!
  例示はできても列挙なんてしようと思うとどんなに字数を費やしても足らない。こういったことをやってきた上で、その上で、私がハタチになるかならないかという時になると、うちの父親はこう言いだしたのだ。「こいつには、子供の頃から、小さい頃から、いつでも何でも、よそとはちごうて、欲しいという物はどんなもんでも、何でも何でも、こうてきてやってやってやってやってきてやったったから。いつでも何でもええもんばっかし、こうてやあってやって、やあってやって、やあってやってきてやってやったったから」と。はあ? 何をぬかすかあ!!と思い、「違う。絶対に違う。絶対にそんなことない!」と言ったところ、うちの父親はこう言ったのだ。
「はあん! こいつ、こんなこと、ぬかしよるわ、こいつ。これは病気やわ。これは病気がこいつにこういうこをと言わせるんや。これは、治療したらんとあかん。電気ショックやったるべきや、電気ショック! ロボトミーやったらんとあかん、ロボトミー。電気ショックやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんとあかん。ロボトミーやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやるべきや。電気ショックやったらんとあかん、電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」と。又、
「わしい、みたいなエライえらいエッライえっらい聖人でキリストで聖徳太子で英雄ヒットラー総統の人間の子供にこういうチャンコロが産まれてくるというのは、これは生物学上の突然変異学説によるものうや。そうでなかったら、こういう口はきかんはずや。かなんなあ、もう。かなわんなあ、ほんまにに~い! これ、絶対に電気ショックやたるべきや、電気ショック! こいつに電気ショックやったるべきや、電気ショック♪」と言いまくったのだった。そういうおっさんやった。「ドイツ人でキリストで聖徳太子で英雄ヒットラー総統」というおっさんは。そういう人のことを「心理学」では「英雄」と言うらしいのだ。
〔⇒《YouTuve-交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)》https://www.youtube.com/watch?v=GKFStVrKNU4 〕
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
《 ・・・犯罪者とは、わなからの出口をみつけ、それに殺到し、そのためにわなのなかのなかまたちに暴力をふるったひとのことだ。気違いは施設で朽ちはてるままにすておかれたり、電気ショックで中世の魔女たちのように、けいれんさせられたりするが、かれらもまた、出口をみつけた捕らわれ人であるが、ただそれに近づくことにたいする共通の恐怖を克服できなかったのだ。・・・ 》
( ウィルヘルム=ライヒ『キリストの殺害』片桐ユズル・中山容 訳。1979.10.8.太平出版社 W・ライヒ著作集 「1 わな」 )
キリストの殺害 (1979年) (W.ライヒ著作集〈4〉) - W.ライヒ, 片桐 ユズル, 中山 容
キリストの殺害 (1979年) (W.ライヒ著作集〈4〉) - W.ライヒ, 片桐 ユズル, 中山 容
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
  うちの父親というのは、そういうおっさんやった。
  私は、どう考えても、よその子と比べて、子供の頃に欲しいと言ったものは買ってもらえないことが多く、よその子よりも我慢するものが多かった。但し、それは、何でも買ってもらっているよその子とは違って、本当に費用をかけないといけない時にかけられるように節約しているということだろうと思い込んでいた・・・が違った。大学に進学する時になると、それまで、よその子よりも費用はかけないようにしてきたのだから、大学進学くらいは行きたい大学の行きたい学部に行かせてもらってやりたい勉強をさせてもらってもいいだろうと思ったし、その為に今まで節約してきて我慢してきたのだからと思ったが、そうではなかった。大学に進学する時になると、
「すべて欧、すべて王、わしのために。
すべて央、すべて翁、わしのために、わしのために、わしのために、わしのために」
「すべてを犠牲にしてわしのために、捧げ尽くす、捧げ尽くす、
とってちってたあ~あ」
と言い出した。
「テってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪
テってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪
 テってこっこ、てっててって、らったらったらったら♪
テってこっこ、てっててって、らったらったらったらああ~あ♪
皇国の一戦、ここにありい~い!
撃ちてしやまん、一億火の玉、
欲しがりません、勝つまでは!
とってちってたああ~あ!
すべてをすべてをわしのために!
すべてをすべてをわしのために! ために! ために!
わしの、ために!!!」
とおっさんは毎日叫ぶのであった。
  例示はできても、列挙などしようと思えばいくら文字数を費やしても足らない。ともかく、我が家はよその子は買ってもらっているものを買ってもらえないということが多い家庭だった。お正月に親戚のおじさん・おばさんからお年玉をもらい、これで、今までよその子は買ってもらっていたけれども、自分ひとりだけ買ってもらえなかったものを買うことができる・・と思ったところ、うちの父親が「あんた、それ、使ったらもったいない。それ、全額、貯金しなさい」と言ってきた。まさか、そんなこと言うとは予想していなかった。観測が甘かった。「いやや。取り上げられるのん、いやや。絶対にいやや」と言ったのだ。すると、うちの父親が「違うねん、取り上げられるのとは違うねん。貯金いうもんはな。銀行に預けると利子がついて得するねん」などとカマトト言うのだった。今から考えても、姑息で卑劣で汚いやり口を使う男だと思う。うちの父親としては、「お年玉を、やってやってやってやってやってやってやったったで」ということにするために、子供にお年玉を渡したけれども、その「お年玉」ということにして渡したカネがが惜しくなったわけで、それを子供から取り返そうと考えたのだ。だから、「あんた、それ、使ったらもったいない。それ、全額、貯金しなさい」と言って「貯金」という名目にして取り上げようと考えたのだ。「あんたの名前で貯金すんねんで」とうちの父親は言うが、そんなものは誰の名前で貯金したって一緒だ。5歳の子供に5年の定期預金に全額を預けさせるというのは、いわば、50歳の人間に50年間の定期預金に預けさせるようなもので、満期の日なんて宇宙のかなたみたいな未来のことだし、5年後、満期になった時には、又、「あんた、それ、また、もう5年の定期預金に入れなさい」と言われるか、それとも、「それで勉強のもんを買いなさい」と言われるかするのは目に見えている。「勉強のもん」なんて、お年玉をもらわなくても、無理矢理、買われて、「これ、やんなさい」と言ってさせられるのだ。結局、お年玉なんて、もらっても意味ないではないか。
  「違うねん、取り上げられるのとは違うねん。貯金いうもんはな。銀行に預けると利子がついて得するねん」などと、うちの父親はカマトト言うが、結局、取り上げられるのと一緒である。うちの父親は自分が子供に渡したものも「貯金」という名目で取り上げて、親戚のおじさん・おばさんがくれたお年玉もまた「貯金」という名目で取り上げてやろうという作戦に出たのだった。今、考えても、あの男、よくそういう卑劣な手口を使うものだと思う。いくらなんでも、子供にそういう手口を使うというのはあまりにも残酷だ。 「取り上げられるのとは違うねん。貯金いうのは、何も取り上げられるというのとは違うんや。ははあ~ん。こいつ、貯金ちゅうもんはどういうもんか、わかってないんやなあ」などとカマトト言ってくさい芝居やるのだったが、今、考えても、よくまあそういうことをやると思う。「貯金」というものは銀行が「取り上げる」のではないということくらいは幼稚園児でも知っていたが、うちの父親は「貯金」だということにして子供のお年玉を取り上げるのであり、親からもらったお年玉や親戚のおじさん・おばさんからもらったお年玉も「貯金」だという名目でうちの父親に全額取り上げられるのだった。当然のことながら、子供は銀行の「貯金」というもののしくみを知らないのではなかった。 ところが、うちの父親がいつものように、そういうくさい芝居をやって、子供がもらったお年玉を取り上げてやろうとして、子供がなんとか防衛しようとしていたところ、上の姉の「T子さん」がさりげなく寄ってきて、「違うねん、違うねん。あんた、違うねんて。貯金というのは、取り上げられるのとは違うねん。貯金というのは銀行に預けたら利子がついて得するねん」などと言うのだった。「貯金」というものは銀行がカネを取り上げるのではなく、銀行が何年間か預かって、それに利子がついた金額で返してくれるというものであって、銀行に取り上げられるのとは違うということくらい、わかっとるわ、そんなことは!! 銀行が取り上げるのではないということはわかっているが、普段から、よその子と違って、よその子が買ってもらっていたようなものを買ってもらえない我が家で、お年玉をもらったからこれで欲しいものが買えると思ったら、「あんた、それ、全額、貯金しなさい」と言われて「貯金」させられて、結局、5年後に「あんた、それで勉強のもんを買いなさい」と言われて「勉強のもん」を買わされることになるか、それとも、5年後にもまた、「あんた、それを、また、もう5年間の定期預金にしなさい」と言われてまた「貯金」させられるか。結局、「お年玉」としてもらったものは子供には使わせてもらえないことになる。結局、取り上げられるのである。よその子は普段から、欲しいというものを買ってもらえることが多いのに、よその子が買ってもらえるものを買ってもらえない我が家では、お年玉すらも取り上げられることになるという事態に面して、子供は必死で抵抗していたのだったが、それに対して、上の姉の「ドイツ人のお姉さん」「人並外れてしっかりしたお姉さん」のT子さんがさりげなく寄ってきて、お年玉を取り上げようとする者に加担したのだった。「違うねん。『貯金』いうのは取り上げられるのとは違うねん。この子、『貯金』てものがわかってないんやわ♪」などと言いよるのだった。よく言うと思う。その時、私が幼稚園の年少組だった時、上の姉はいくつだったかというと、16歳。高校1年だったが、高校1年生が、なんで、幼稚園児の弟が父親にお年玉を取り上げられようとしている時に、さりげなく寄ってきて、お年玉を取り上げようとする大人に加担しなきゃならんのか・・・と思う。立場が逆だったなら、私が高校1年生で幼稚園の年少組の弟なり妹なりがあって、うちの父親が幼稚園児の弟か妹が親戚のおじさん・おばさんからもらったお年玉を「貯金」という名目を使って取り上げようとしたならば、「ちょっと、いくらなんでも、せっかくもらったお年玉を全額貯金しろというのは、それはかわいそうだよ」と、最低でも一言は言うと思う。但し、そう言うとうちの父親は喜ばないであろうし、そうではなく、うちの上の姉のように「違うねん。『貯金』いうのは取り上げられるのとは違うねん。この子、『貯金』てものがわかってないんやわ♪」と言って、子供のお年玉を「貯金」という名目で取り上げようとする父親に加担した方が「しっかりしたお姉さ~ん!」「ドイツ人のおねえさ~ん!」「さすがやなあ、さすがはT子さんだけあるなあ」となんたらかんたら言ってほめてもらえることになっただろう。 どっちが「しっかりしている」かというと、「ちょっと、いくらなんでも、せっかくもらったお年玉を全額貯金しろというのは、それはかわいそうだよ」と、最低でも一言は言う人間の方であって、「違うねん。『貯金』いうのは取り上げられるのとは違うねん。この子、『貯金』てものがわかってないんやわ♪」などと言って、子供のお年玉を「貯金」を名分にして取り上げようとするおっさんに加担する人間の方ではないと思うが、ところが、我が家では決してそうは評価されないのだった。
   上の姉はそんなところがあったのだ。下の姉はそういうことはしたことはない。なぜ、上の姉はいつもそういうことをするのか・・というと、「習い、性となる」というのか、そういうことをすると親からほめられて育ったから、だから、そうするといいと学んだのだ。よその家庭でも、そんな人間は時々いる。上の姉が結婚したおっさんもそんなところがある男だった。母は「よその人がお年玉をくれるというのは、それは子供にあげてるのとは違うんや。親とのつきあいであげてるんや。そやから、子供がもらったものではなく親がもらったものなんや」と言うのだったが、そんなものなら、くれなきゃいいのにと思った。子供は「〇〇ちゃん。これ、お年玉」と言ってもらうから自分がもらったものだと勘違いしてしまったのだ。「親がもらったもの」なら、子供にそんなこと言って渡さないで、最初から親に渡すべきだ。
  上の姉と仲が悪かったということでもない。11歳離れていたので、上の姉には、生駒山の遊園地とか玉手山の遊園地とか弁天町の交通科学館とか何度も連れてもらったことがある・・・のだけれども、しかし、片方で、子供がお年玉を「貯金」を名目にして取り上げられようとして必死の抵抗をしているまさにその時、さりげなく寄ってきて「違うねん、『貯金』いうのは取り上げられるのとは違うねん。『貯金』いうのは銀行にあずけて利子がついて得するねん。この子、貯金というものの意味がわからんから、そやから、こんなこと言うのやわ」とか言って、取り上げようとする者に加担する女だったのだ。こういう行動はその時だけではない。 「ほら、ほら、ほら、ほら。T子さんも言いはった、言いはった。しっかりしたお姉さんが言いはった。ほらほらほらほらほらほらほらほら」と言って「ドイツ人のお父さん」「英雄のお父さん」だといううちの父親ははしゃぐのだった。
  いつでも、そんな調子だったから、うちの父親にさりげなく加担する存在だったから、だから、「T子さんはドイツ人」とうちの父親から認定されることになったのだ。「ドイツ人」というのはそういう「民族」だそうだ。

  下の姉は「A子さんは、素直な子~」ということだった。これも「天の神さま」がそうお決めになったらしい。「素直な子~」というのは、どういう意味かというと「便利使いにいい」という意味だ。
  下の姉は「『阿寒湖(あかんこ)、阿寒湖(あかんこ)』言われた」と言うのだが、「阿寒湖(あかんこ)」ならまだいいのではないか。私はうちの父親から毎日、指さされて「イラン湖、イラン湖」と言われてきた。下の姉は「阿寒湖」で私は「イラン湖」なのだ。北海道に「阿寒湖」はあるが、イランにそういう名前の湖があるかどうかは知らんが、私は「イラン湖」だったのだ。
※ 釧路・阿寒湖公式観光サイト 阿寒湖 https://ja.kushiro-lakeakan.com/things_to_do/3729/
  うちの父親は「A子さんは、ほんまは東大に行けた人やのにからに、それを行かれへんかったいうのは、それは、おまえが悪いねんぞ、おまえが。わかっとんのか、おまえがA子さんを東大に行けんようにしてんぞ、おまえが」と言うのだった・・・が、しかし、高校の時、タイガースの後ばっかり追いかけまわしていたやつが、「ほんまやったら東大に行った人やのにからに、おまえが東大に行けんようにした」て、なんでやねん? ・・と思うのだが、「なんでか」というと、それは「ほんまやったら、A子さんには、毎日、全科目、家庭教師をつけてやりさえすれば東大に行けたのにからに、おまえが、産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたがために、A子さんに、毎日、全科目、家庭教師をつけてやることができんかったから、そやから、A子さんはおまえに東大に行けんようにされたんや」という理屈だそうだった。しかし、私自身の経験から言わせていただくと、そんなもん、「毎日、全科目に家庭教師をつける」なんて、そんなこと、して要らんで、そんなもん・・・。やめてほしいわ、そんなもん。そもそも、その家庭教師のおっさんかおばはんか、にーちゃんかねーちゃんかが、その人が私よりも学習のしかたをよくわかっているかどうかもわからんし。やめてほしいな、そういうのは。
  「ほんまは東大に行けた人」なら、行けばいいだろうが。なんで、行けへんねん!  わし、行ったらいかんなんて言うたこと、一度もないでえ。
  むしろ、私が中学生・高校生の時、そのA子さんが「あんたは最初から勉強のできた子やから、勉強のしかたというものを知らんでしょう。私は勉強のでけへんかった人間やから、勉強のしかたというものを知ってるんやからねえ。私はどうやったら勉強できるようになって、どうやったら勉強でけへんようになるかということを知ってるんやからねえ。あんた、なんで私の命令きけへんの。私の命令をききなさいよお。私はあんたと違って勉強でけへんかった子やから、勉強のしかたというものを知ってるんやからねえ」と言うのだったが、その「『勉強でけへんかった子』の勉強法」というのを押しつけられるというのは苦痛でありマイナスだった。私が父親なら「おまえ、ちょっと、黙らないか」と言うところだったが、うちの父親はそういうことを言えない人間だった。だいたい、そんなに「勉強のやり方というものを知ってる」のなら、それを実行して成績あげればよかったのと違うんかい。なんで、その「勉強のやり方」を実行しないんだよお! タイガースの後ばっかり追いかけまわしてたくせしやがってからに。〔「タイガース」て、阪神ちゃうで・・(^^)/〕
  野村のじいさんがどこかで書いていたのだが(「どこかで」というのは、「わしあ、貧乏やからな」とか言いながらヴェルサーチの腕輪はめてる金持ちのじいさんが書いた本をずいぶんと買って、その実際は金持ちの爺さんに印税で相当もうけさせてしまったために、爺さんが書いた本のどれかに書いてあったのは覚えているが、そのどれだったかなかなか探せないのだ)、落合がロッテに入団した年、バッティングコーチだったのは山内で、「かっぱえびせん」と言われて「やめられない止まらない」というくらいに指導熱心な打撃コーチとして評価されていたが、指導法に独特の表現があって選手によってはよくわからないという選手もあったらしく、落合は入団1年目の選手が「すいませんが、自分にはよくわからないので、ちょっと黙っていてもらえませんか」と言いよったというのだ。選手としても実績がありコーチとしても評価が高いバッティングコーチが新人の選手から「ちょっと黙っててもらえませんか」と言われて怒ったか、それとも「勝手にしろ」と見捨てたかというと、そうではなく、自分のやり方でやってみたいのならそれでもいいということで黙った上で「見守ってくれた」ということで、野村のじいさんの本によると落合は感謝していた・・・そうだ。実際、人それぞれにやり方があるから、自分自身が相当経験がある人間でも、その人のやり方というものを、あまり押しつけない方がいいと思う。ましてや 《「勉強でけへんかった子」の勉強法》を押しつけられるというのは、これは苦痛であり不快であり、きつかった。 「あんた、ちょっと、黙ってやってもらえませんか」と、その「勉強でけへんかった子」に言ってくれないか・・と思ったものだったが、言ってくれなかった。

  上の姉の娘、姪は「Yちゃん。これは、かわいい」とうちの父親は言っていたのだが、「かわいい」というのは、これは「おもちゃにして遊ぶのにいい」という意味だ。上の姉には息子もいたのだが、娘の方が「おもちゃにして遊ぶのにいい」ようだった。姪は子供の頃、けっこう、機嫌よく大人と遊びにくる子供だったけれども、しかし、ある部分においては、弟ができて母親が弟の方にかまうので、それで大人の関心を引こうとして、それで子供ながら無理して愛想していたところもあったようなのだが、おっさんはそんなこと微塵も考えない男だった。
  その姪には弟がいたのだが、姪の弟(甥)はうちの父親にとってはどうでもいいみたいだった。姪の方が愛想がいいというのか、大人の関心をひこうとするところがあったので「遊ぶのにいい」存在だったようだ。

  そして、「おまえは服従するのがふさわしい民族」「おまえは天の神さまから、いついかなる時も服従するべきであると決められて産まれてきた民族である」というのが、それが私だった。「ちゃんこーろの民族」だそうだった。「ほいこーろ」ではなく「ちゃんこーろ」である。
※ ホイコーロー(回鍋肉)のレシピ・作り方 https://recipe.rakuten.co.jp/category/41-537/
※ 戦後、中華人民共和国では、自分たちを「支那(しな)」とは呼ばないでほしい、今後は「中華人民共和国」もしくは「中国」と呼んでほしいと言い、日本政府は承諾して「支那(しな)」という表現はしないことにしたようだ。もっとも、「中国」という名称は、自分の所は世界の中心みたいな名前で、ずいぶんと傲慢な名称であるが、たしか、太宰治が『人間失格』の中で述べていたが「日本」という国名もあまりいい名前ではないのではないかとも言える、自分の所から太陽が昇るという名前というのも傲慢な名前といえば言えなくもない。「中国」は国の略称で「支那(しな)」は地域の名称なのだということで「シナ」という用語を使いたいという人もいるようで、又、蔑称として作られた言葉ならよくないが、「支那(しな)」は英語のChina(チャイナ)、イタリア語のcina(チーナ)と同じく、かつての中国の王朝に「秦(しん)」「晋(しん)」「清(しん)」という王朝があって、特に「秦(しん)」から来ている名称ではないかと考えられれ、語源から考えると蔑称ではないことになる。 だから、「支那(しな)」については、政府の立場においては中華人民共和国が「支那(しな)」とは呼ばないでほしいと言っているのならその表現で言わない方がいいだろうけれども、一般の人間は必ずしも蔑称の意味では使っていない人もいる。蔑称として「支那(しな)」と言うのならよくないが、蔑称としては使っていないという人もいるのではないかと思う。 それに対して、「チャンコロ」というのは、これは明らかに蔑称の意味で使用されている。但し、これも、語源から考えるということならば、岩波文庫の夏目漱石『それから』の「注」に出ていたのだが、中国語で中国人のことを「チャンゴーレン」と言うらしく、そこからきた言葉らしく、これも語源から考えると語源については蔑称ではないことになるが、しかし、「支那(しな)」の場合は語源は蔑称ではないとともに、蔑称としてではなくこの言葉を使う人もいるのだけれども、「チャンコロ」の場合は語源は中国語で中国人のことを「チャンゴーレン」と言うというところから来ていると言っても、どう考えても蔑称として使われていて、蔑称ではなく使う人はない。うちの父親も「ちゃんこ~ろ」「ちゃんこ~ろ」と私を呼んでいたが、それは蔑称の意味で「ちゃんこ~ろ」と言っていたと思う。

  「服従するのがふさわしい民族」「天の神さまから、いついかなる時も服従するべきであると決められて産まれてきた民族」「ちゃんこーろの民族」というのは、いったい、どんな役か。「T子さんが奈良女子大落ちたのは、おまえが悪いねんぞ、おまえが。ひとのせいにすんなよ。チャンコロ。ひとのせいにしてはならぬぞ、チャンコロ、ロスケっ!」と言うのだ。「チャンコロのおまえがT子さんを奈良女子大、落したのであって、T子さんはほんまは奈良女子大に通ってなさるお方やねんぞ。チャンコロが産まれてこなかったらT子さんは間違いなく奈良女子大にお通りあそばしたのにからに、おまえが落としたんやぞ、おまえが! ひとのせいにすんなよ、チャンコロ! T子さんは悪くないねんぞ。T子さんのせいにしてはいかんぞ。」と言うのだ。 「ひとのせいに」してるのはどっちやねん・・と思ったが、そう口にすると「外罰的性格」と「心理学」から「診断」されることになる。怖い、こわい、怖い、こわい、怖い、こわい。
  「T子さんが奈良女子大に行かれへんかったのはおまえが悪いのであってT子さんはまったく悪くないねんぞ。T子さんのせいにすんなよ。おまえがT子さんを奈良女子大を落としたくせしてからに、T子さんのせいにしたらいかんぞ。T子さんは悪くないのにからに、奈良女子大に行かれへんかったのは百パーセントおまえのせいやぞ。それを『なんだかんだ言っても、落ちたのなら落ちた者が悪いのと違うのか』とかおまえみたいなことを言うやつのことを心理学では『外罰的性格』ちゅうねんぞ。わかっとんのか、『外罰的性格』ちゅうねんぞ」と言うのだった・・・が、なんで、私が悪いの? うちの上の姉が高校3年の時というのは、私は小学校1年で、高校3年間として見るならば、幼稚園の年少組・年長組と小学校1年の時だったのだが、なんで、私が悪いの? なんで、幼稚園児や小学校1年生のせいなの?・・と思うのだが、こういうことを言うと「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになる。「なんで、俺のせいやねん」と言うと、「外罰的性格」やのにからに、それをわかっていない、「病識がない」と「診断」されることになる。「心理学」というのはそういうものである。
※ [慎腹風呂愚][第648回]《奈良女子大学の想い出。お年玉は「親がもらったもの」か?―東大寺【10/10】》https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_21.html
[第841回]《奈良女子大学正門および記念館 ””外観の見学””、小学校1年の弟が「落とした」らしい奈良女子大学――東大寺二月堂三月堂他見学ととも》https://shinkahousinght.at.webry.info/202105/article_3.html
  なんで、小学校1年の弟が悪いのか・・、小学校1年の弟はどこが悪かったのか・・というと、「おまえさえ、産まれてこなかったら、もっと、T子さんを応援してやることができて、そうすれば、おまえとは違って優秀なドイツ人の民族のT子さんは絶対に奈良女子大に通ったのにからに、おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたがために、応援してやれんかった。そやから、T子さんは奈良女子大に行けんようにされたんや。ひとのせいにすんなよ、チャンコロ、ロスケ! わかっとんのか! 反省しろよ、このロスケ、イタコ、浪商! 産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに、チャンコロつ!!!」と、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに叫びまくるのだった。
  3人兄弟というのは、どうしても、「良い子」「悪い子」「普通の子」というのができる。
※ 《YouTuve―ハイスクールララバイ イモ欽トリオ Imo-Kin Trio》https://www.youtube.com/watch?v=rb32ex-JWBE
我が家の場合、上の姉が「ドイツ人」で、下の姉が「日本人」で、私が「チャンコロ人」だった。「民族の違いを忘れるな」というものだ。
  うちの父親としては「ドイツ人」で「良い子」のT子さんは「絶対に奈良女子大に通るお方」であったはずなのに合格できなかった・・というのは、これは何としても許せないことだったようで、そうなると、誰か、悪いやつが「いる」はずだったのだ。「いる」というのは、「ある、いる、存在する」「exsist」の「いる」と「必要とする、要る」「need」の「いる」という意味の両方の意味で「いる」のだった。それが私だ。「こいつのせいで、大事なえらいお方であるT子さんがほんまやったら奈良女子大に通ってなさるのにからに落された。T子さんがかわいそうや、T子さんがかわいそうや。チャンコロなんかのために、奈良女子大を落とされてしもうた。チャンコロがT子さんを奈良女子大落しよったんやあ、かわいそうや、かわいそうや、T子さんがつくづくかわいそうやあ~あああああ!」と叫ぶのだった。
   なんや、「応援」してほしかったんかい。それならそうと、言うてくれたらよかったのに。小学校1年生でも、もしも、↓ みたいな「応援」してほしいのなら、言ってくれればやったったのに・・・。
※ 《YouTuve-コンバットマーチ【6人】早稲田大学応援2013》https://www.youtube.com/watch?v=waiBBVjToXA
・・俺やったら、↑ みたいなもん、やって要らんけどな・・・( 一一) 
↑ これ、やってもらったら奈良女子大に合格できるけれども、やってもらえなかったら落ちるという人も世の中にはいるのだろう。だから、これをやれば合格できたのなら、言ってくれればよかったのに。そしたら、小学校1年生でもできたのに。ほんま、言うてくれたらよかったのに、なんで、言うてくれんかったんや。・・・もっとも、私なら、自分が大学受験の時に ↑ みたいな「応援」みたいなもん、やっていらんけどな。いらんで、ほんま。やらんといてや。
  もうひとつ。「おまえさえ、産まれてこなんだら、おまえを育てるのにかかったカネで、たとえ奈良女子大に落ちても、大事なドイツ人のT子さんに私立の4年制大学に行かせてやることができたんや。そやのにからに、おまえが産まれなければよかったのに産まれたおかげで、おまえを育てるのにカネがかかったがために大事なT子さんを短大にしか行かせてやれんかったんや。すべて、おまえのせいやねんぞ。ひとのせいにすんなよ、チャンコロ! 人間、ひとのせいにするやつは最低やぞ、おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえがT子さんを4年制大学に行けんようにしてんぞ、おまえが。よくも、産まれてきやがってからにチャンコロめが、このチャンコロろすけっ! 産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに、産まれなければよかったのに!!!」と、うちの父親は、毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして叫ぶのだった。
  それで・・・。国立の奈良女子大になら4年制でも行かせることができたが、産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたチャンコロを育てる費用がかかったために、私立大学の4年制には行かせることができなかったからチャンコロとは違って優秀な人格者でドイツ人のT子さんを短大にしか行かせてやれなかった・・ということだったけれども、私が長年にわたって不思議に思ってきたのは、その「優秀なドイツ人のT子さん」というのは、なんで、国立の二期校を受けなかったのだろうか? ・・という点だった。1979年の入試から共通一次試験が実施され、同時に一期校・二期校の制度がなくなったが、上の姉が大学を受けた1960年代なかばにおいては一期校と二期校があって国公立大学は2つ受けることができたのだ。「ほんまやったら、天地がひっくり返っても奈良女子大に通ったお方」のT子さんなら、私が産まれたおかげで奈良女子大に落ちたとしても、奈良女子大よりもひと回り合格しやすい二期校の国立大学を受けていたならば、私が産まれていても通ったのではないのか? ・・長年にわたってそれが不思議でしかたがなかった。
  具体的には、その頃、二期校だった国立大学で奈良女子大よりいくらか入試難易度が易しかったのではないかと思われる所としては、大阪教育大学・和歌山大学・大阪府立大学・神戸市立外国語大学といったあたりがあるが、そのどれかを受けていたならば、「ほんまやったら奈良女子大に通ったお方」が私が産まれてきたがために私に落されたとしても、そのあたりの大学なら、たとえ、私が産まれてきたとしても通ったのではなかったのか? なんで、受けへんかってん???
  しかし、T子さんが「学大を受けた時に・・」とか言うことがあって、「学大」てどこのことなんだ? ・・と思って不思議に思っていたのだが、東京には東京学芸大学というのがあるが大阪には「学芸大学」はない・・と思っていたのだけれども、そうではなくて、大阪教育大学はかつてうちの上の姉が高校を卒業した頃までは大阪学芸大学と言っていたのだ。だから、要するに二期校も受けとったのだ。二期校では大阪教育大学の前身の大阪学芸大学を受けて、それも落ちよったのだ・・・というのか、奈良女子大だけでなく大阪教育大も私が落としたらしかったのだ。「よ~くも大事なT子さんを落しやがったなあ。よくも、産まれやがってからに、産まれやがってからに、産まれやがってからに、チャンコロっ!!!」ということだった。
  で・・、女性の兄弟が2人いると、片方が他方の嘘をばらすということがある(^^)/・・わけで、うちも下の姉が「あの人、私立の4年制の大学も片手以上、受けはったよお~お」と教えてくれたのだ。・・え? ・・・それで思い出したのだ。うちの父親は小学校1年生の時のことなんて覚えてないと思っていたようだが、実は覚えていたのだ。思い出したのだ。上の姉は、私立の4年制大学も、いくつか、受けるといって家で話をしていたのだ。そこで名前が出ていた所のどこを実際に受けてどこは受けなかったのかすべてはわからないが、いくつかの私立大学の名前が出ていたのだ。中でも、武庫川女子大はまず通る所だと考えていたようだったが、それも落ちよったのだ。大阪樟蔭女子大の4年も、奈良女子大に一緒に下見に行った帰りに近鉄奈良線の沿線だったから立ち寄ったのだが、そこも4年は落ちよったのだ。いったい、武庫川女子大やなんて、そんなもん、どないしたら落ちることができんねん・・・て感じがするが、落ちよったのだ。なんと、私が落としたのは奈良女子大だけかと思っていたら、大阪教育大も私が落としたようで、武庫川女子大やなんてそんなもんまで私が落としたらしかったのだ。それも、な~んにも妨害するようなことなんてしていないのにからに。「よくも、大事なT子さんを落しやがったなあ~あ、このチャンコロめがあ~あ! よくも産まれやがってからに、よくも産まれやがってからに、産まれなければ良かったのによくもよくも産まれやがってからに」とうちの父親は、毎日、私の眼を指で突きさすようにして叫んでいた。それが最優先の日課だった。

  さらに、「T子さんは、ほんまは天高(天王寺高校)やねんぞ。それをおまえが天高に行けんようにしてんぞ。おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえが大事なドイツ人のT子さんを、ほんまは行ってたはずの天高に行けんようにしてんぞ」とうちの父親は言うのだった。
その「大事なお方であるドイツ人のT子さん」が高校を受けた年、T子さんが中学校3年の年、私はいくつだったかというと、3歳から4歳になる年、幼稚園に入園する前の年だった。T子さんが中学生だった3年間で見ると、私は1歳から2歳になる年、2歳から3歳になる年、3歳から4歳になる年の3年間だったが、3歳くらいの時から記憶があるのだが、1歳から2歳になる年なんてまったく記憶がない。そういう子供が「大事なお方であるT子さんを、ほんまやったらお行きになったはずの天王寺高校を行けんようにしよった」らしいのだ。「心理学」ではそういうことになるらしいのだ。なんでやねん・・なんてことを言うと「外罰的性格」と「心理学」に「診断」されることになる。
  1歳から2歳になる年とか、2歳から3歳になる年とか、いったいその年齢の子供が何したというのか? どうすればよかったのか?
「産まれてきたのがいかんのじゃ。おまえが産まれなければよかったんじゃ、チャンコロ、ロスケ! 『産まれてきて申し訳ございませんでした』と言いなさい」と言うので言ったのだ。「産まれてきて申し訳ございませんでした」と。
  「心の底から思えよ。自分は産まれてくるべきではない人間であるにもかかわらず産まれてきてしまった人間であると心の底から自覚しろよ、このチャンコロ、ロスケ、イタコ、浪商!」と何度も何度も言うのだった。産まれてからのことはともかく、「産まれた」という点については、産まれてきた人間の問題ではなく、産んだ者、父親と母親の方の問題ではないのか?・・と思っていたのだが、そうではないらしかった。産まれたやつが悪いらしかった。「『産まれた』ということについては、それは『産んだ』者に責任があることと違うのですか」などと言うと、「外罰的性格」と「心理学」によって「診断」されることになる。「治療」されることになる可能性もある。「産んだ」方は悪くないのである。
  下の姉と私との間は9歳、離れていたのだが、子供の頃は特別何も考えなかったが、落ち着いて考えてみると、その間、妊娠することはなかったのだろうか・・と疑問も出てくる。実は何回か妊娠して人工中絶したらしいのだ。「ま~た、孕みやがったか、この女!」と言ってずいぶんと怒られたと母は言うのだった。「この女は孕んで孕んでする女やな。どうしようもないな。この女は孕む孕むの女。この女は産む産むの女。困った女やな、ほんま。どうしようもない女やな」と言われて、何度も人工中絶で流した。人工中絶した後は体に力が入らなくてふらふらしていたら、「何、ふらふらしとるんじゃ、こらあ」と言ってえらい怒られたという。そうして、何度も人工中絶で流したにもかかわらず、なぜか、産んだのが私だったのだ。だから、もしかするとだが、人工中絶に失敗して産まれてしまった子供だったのかもしれない。だから、「よくも、産まれやがってからに! よくもよくも、産まれやがってからに、産まれやがってからに、産まれやがってからに、チャンコロっ! 生れてこなければよかったのに産まれやがってからに、この浪商!!!」と毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして執拗に叫ぶのだった。だから、私は産まれる前の時点で、自分は産まれてくるべき人間ではないと心の底から自覚して死産で産まれてくるべきであったにもかかわらず、不心得者が甘ったれておったがために死産ではなく五体満足で産まれてきてしまった、ということだったらしい。
  その「産まれてこなかったら良かったのに産まれてきやがってからに産まれてきた」という私が「大事なドイツ人のT子さん」を、「ほんまやったら通っていたはずの天王寺高校」に行けなくした・・・とおっさんは言いまくるのだった・・が、これも落ち着いて考えてみると変な話だったのだ。最近では女性でも「一流大学」に進学する人が増えてきたので少々事情は違うかもしれないが、姉が高校を受けた年も私が高校を受けた年も、天王寺高校とか北野高校とかは「男女共学」で、この場合の「男女共学」というのは「大学型男女共学」ではなく「小学校型男女共学」で、「共学の大学」のように男性か女性かにかかわらず入学試験でいい成績を取った者から順番に合格・・という制度ではなく、男女比がそれほど大きくならないように配慮して、ちょうど半分半分でなくてもいいけれども、男子生徒の数と女子生徒の数がそれほど大きく差がつかないようにという「男女共学」だったので、各学区の一番手校だった天王寺高校とか北野高校というのは、男子生徒はその学区で一番入学難易度が高い高校だったが、女子の場合は「受けさえすれば誰でも通る」高校だったのだ。私が北野高校に入学した年も男子受験生は落ちた人もいたが女子生徒は全員合格で、落ちた人はいなかった。但し、男なら二番手校には行けるが天王寺高校・北野高校には合格は少々厳しいかというくらいの成績の人が女子は誰でも通るから行くのは一つの判断としていいとしても、男だったら公立の一番下くらいの高校に行けるかどうかくらいの成績の人がその学区の一番手校に女子は受けさえすれば通るからということで行くのがはたしていいのかどうか・・という問題もあった・・・し、私が北野高校に進学する頃も、「女は北野高校に行くと婚期が遅れる」とかいう話もあったくらいだった。だから、うちのお姉さんも、もしも、本当に天王寺高校に行きたかったのなら、女子は受けさえすれば合格したのだから受けて行けばよかったのだ。3歳から4歳になる年齢の弟が何したというのかしらんが、3歳児・4歳児が何したかしてないかにかかわらず、天王寺高校・北野高校というのは女子は受けさえすれば通る高校だったのだから、行きたかったのなら受けて行けばよかったのだ。なにより、3歳児だか4歳児だかは、一言として「天王寺高校は受けんといてください」なんて言ったことないのだ。そういえば、私が高校3年の時に、そのT子さんが2番目の子供を出産したのだが、その間、1番目の子である姪を我が家で預かったのだが、その年、姪は3歳だった。そのくらいの年齢の時だったのだ。姪は我が家で産まれた子だったということもあって、「よその家に自分だけ預けられた」という意識なんかちっともなかったみたいで、機嫌よく我が家に1か月以上いたが、「〇〇ちゃん、お勉強、頑張ってね」とか意味わからずに言うとったが、あいつがいたから学習できなかったなんてことはないし、いたからできたということも特にない。関係ない。私が大学受験の時には3歳児が家にいても全然関係なかったのだが、うちのお姉さんが高校受験の時には、3歳から4歳になる年齢の弟がいたから「天王寺高校に行けんようにされた」ということになるらしかったのだが、そういうことを言うやつの方こそ「外罰的性格」と違うのか・・と言いたくもなるのだが、それを言うとこちらが「外罰的性格」と「心理学」から「診断」されることになる。怖い、こわい、怖い、こわい!・・というより、天王寺高校・北野高校というのは男子受験生にとっては大阪府で最難関の高校だったが、女子受験生にとっては「受けさえすれば通る高校」「氏名と受験番号さえ書けば合格する高校」だったはずで、私に行けなくされた・・というのは、理屈としてどう考えてもおかしいように思うのだ。

  ついでに、うちの父親は慶應大学に行きたかったらしかったのだが、どうも、それも私が落としたようだった。但し、うちの父親が高校を卒業した年というのは、私はまだ産まれていなかったから、だから、「わしが慶應に行かれへんかったのは、おまえが落としたんやぞお」と言うと年が合わなくなってしまうので、それは言わないようにして、かわりに、「わしだって、家が貧乏やなかったら、間違いなく慶應大学に行きました。家が貧乏やったから慶應は行きたかったけれども受けさせてもらえんかったからおまえみたいに慶應大学には行かせてもらえんかったんや。家が貧乏でさえなかったらわしは慶應やねんぞお、わしはほんまは慶應」と何度も何度も言いまくっていた。そして、「おまえは拓殖じゃ! おまえは拓殖で亜細亜大じゃ! 慶應のわしと一緒や思うたらいかんぞ、この拓殖、亜細亜大!!!」と言うのだった。「わかっとんのか。おまえは、『天の神さま』というお方が、『この人間は浪商である』とお決めになっておまえはこの世に産まれてきた人間やねんぞ、この浪商! 浪商のくせしてからに、北野高校に行くなちゃうんじゃ、この浪商めが、この浪商チャンコロ浪商!!!」と毎日言うのだった。
  「わかっとんのか。おまえは『天の神さま』から『ほんまは浪商』と決められて産まれてきた人間やねんぞ、おまえは、たとえ、北野高校に行っても、それでもおまえは『ほんまは浪商』やねんぞ。おまえは浪商! わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、浪商! 浪商の分際で北野高校に行くなちゅうとんじゃ、この浪商! この浪商チャンコロめが産まれてこなかったら良かったのにからに産まれてきやがってからに、浪商めが浪商チャンコロ!!!」と言うのだった。「おまえは慶應大学に行ったと思うておるかもしれんけれども、おまえはほんまは浪商であって、おまえは浪商で拓殖やねんぞお、おまえは浪商で拓殖。おまえが慶應に行けたのは、それはおまえが何か努力したからやのうて、わしがエライからやねんぞ、わしがエライから。心得違いを起こすなよ、このチャンコロ浪商、浪商チャンコロ、よくも産まれやがってからに!!!」と言うのだった。それで、「そしたら、辞めますわ、慶應みたいなもん。なんで、慶應みたいなもんに行かされんといかんねん。やめますわ、そんなクソ大学みたいなもん!!!」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ何を。おまえはほんまは浪商で拓殖やのにからに、このわしがものすごいエライえらいエライえらい人間やから慶應に行かせてやってあげてやってあげてやってあげていらいらいらいらしてきたんやろうが」と言うのだった・・・が、その「おまえが努力したから行けたのやのうて、わしがエライから行けたんやぞ」という言い回しは、うちの父親の親友の医者屋のM川(男。1980年頃当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住)が「患者」を薬漬けにして貯め込んだカネでドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたのを、「わしは息子に言うたりますねん。おまえが関西医大に行けたのはおまえが努力したからやないんやぞ。わしがエライからおまえは関西医大に裏口入学させてもらえたのであって、おまえが努力したから関西医大に行けたのとは違うねんぞ』とこない言うたりますねん」とうちの父親に教えたのであり、その言い方を聞いて、「そうや。わしも、そない言うたろ」とうちの父親は思ったらしかった・・・のだが、しかし、私は何も裏口入学させてもらったのではない。うちの父親やら母親やらから様々な意図的な妨害を受けて、慶應みたいなもんに行かされてしまってけれども、慶應大学は何も裏口入学で入れてもらったのとは違うし、そもそも、うちの父親みたいなもんに、慶應大学に裏口で入れてくれるコネクションなんてあるわけないのだ。
  遠藤周作は「父親にとって息子というものはライバルである。いずれはそのライバルに自分を越えていかれることになるが、しかし、父親は簡単に負けてはならない、簡単に乗り越えられてはならない壁となって息子にたちはだかる存在である。その壁を乗り越えるのが息子にとっての試練というものである」とか、どこかで書いていたと思うが、そういう「ライバル」としての父親というものも世の中にはあるのだろうけれども、「ライバル」ではなく「エネミー」の父親というものもあるうちの父親は、息子に自分より「上の大学」に行かれたくないという意識が強くあったようだ。
  「わしは、ほんまやったら、間違いなく慶應大学に行っている人間やったけれども、家が貧乏やったから慶應大学は受けさせてもらえんかったんや」と何度も何度も言いまくっていた・・・が、「家が貧乏やったから慶應大学は受けさせてもらえんかった」のなら、慶應大学よりも学費は安い東大に行けばよかったのと違うんかい? 東大は下宿しないといけないからというのなら、京大か阪大に行けばよかったのと違うんかい? なんで、京大なり阪大なりに行かんかったんじゃい??? なんで、京大・阪大よりも学費が高い同志社になんて行ったんじゃい?・・・と思ったものだった・・が。
  うちの母親は、うちの父親が生きていた時代には父親に同調していた。ところが、父親が他界して何年か経つと、マインドコントロールが解けたのか違うことを言い出した。「あの人、家が貧乏やったから慶應は受けさせてもらえんかったのやのうて、受けたけど、落ちたんでしょうが」・・・と。 「受けたけど落ちたから行けなかった」くせしやがってからに「家が貧乏やったから受けたら間違いなく通ったけど受けさせてもらえんかった」・・・て、そういうことを言うおっさんて「時々」というのか「しばしば」おるんやけども、普通、そういうのは、よその息子に言うものであって、自分の息子には、よその人間がそういうしょーもないこと言いよった時に、「おまえ、あんな、アホな話を本気にすんなよ」と教えるものではないかと思うのだが、うちの父親というのは、よその息子には「ええかっこしい」やろうとして一生懸命力添えしてからに、自分の息子にそういうしょーもないことを言いまくるおっさんやった( 一一)
  うちの母親はうちの父親と「見あい」をして結婚したけれども、まったく知らない人と「見あい」をしたわけではなく、近所に住んでいて知っている人と「見あい」をして結婚したらしく、うちの父親が大学に進学する頃から知っていたそうで、「だいたい、あの人、家が貧乏やったから」て何を言ってるの、何を。あの人のお父さん、ここのお爺さん、私が結婚した頃は戦争でだめになっていたけれども、あの人が大学に進学する頃は、船場の商社でものすごいやりてで、新聞の1面に名前が出るような人やったやないの。家に女中さんがいるような家やったでしょうが。あの人、毎日、女中さんに送り迎えしてもらっていた人でしょうが。女中さんに送り迎えしてもらっていた人が何が『家が貧乏やったから慶應うけさせてもらえんかった』やの。受けたけれども落ちたくせしてからに何を言ってるの。よく言うわ!」と。どうも、そういうことだったようだ。
  「だいたい、同志社にしても推薦入学でしょうが。◇◇牧師さんに推薦してもらって推薦入学で同志社に入れてもらったんでしょうが。それまで、教会なんて一度も行ったことない人が」と。そうやったみたいだ。それまで、『聖書』なんて1頁も読んだことがない、教会なんて一度も行ったことがないという人を、同志社に顔がきく牧師屋に頼んで「推薦入学」させてもらって行ったということだったらしい。時々、そういったことをする人がいるようだが、考えようによってはたいしたもんだなあ・・と思うのだ。私なんか、そんな能力はない。うちの父の父(祖父)は、それまで、『聖書』なんて1頁として読んだことがない、教会なんて一度として行ったことがないという人を同志社大学に「推薦入学」で入れてくれる牧師屋を探し出してきたらしいのだ。たいしたもんやなあ・・・と思う。私なんか、そんな能力はない。そんな能力ないかわりに、息子がいたならば、ガチンコでそれより上の大学に合格させてみせるけどな・・・。
  その際、同志社大学に「推薦」してもらう条件というのが、キリスト教の洗礼を受けることと「特別献金」払うことだったらしい。「特別献金」はまだいいが、息子を同志社大学に入れてもらうのと引き換えに祖父は家の宗教を浄土真宗からキリスト教に改宗したようだった。だから、我が家には「家の宗教」が2つあることになってしまった。
  そうやって同志社大学に行ったようだったが、うちの父親が(「推薦入学」で)行きたかったのは、あくまでも慶應であって同志社では不服だったようだ。だから、それから何十年経っても、私に「わしはほんまは慶應やねんぞ、ほんまは慶應。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。わかっとんのか。おまえはほんまは浪商で拓殖やねんぞ。わしはほんまは慶應やねんぞ。わかっとんのか、浪商拓殖亜細亜大! このチャンコロ!」と私の眼を指で突きさすようにして、毎日毎日何度も何度も叫ぶのであった。「人格者で英雄のお父さん」が。「誰よりも気持ちが落ち着いた精神の安定した人間のお父さん」が。「沈着冷静で百戦錬磨の人間であるお父さん」が。「ドイツ人で慶應の民族のお父さん」が。
  慶應という学校は、不思議な所のある学校で、大学だけ慶應に行った人には、あんまり「慶應タイプ」ではない人というのも中にはいるのに対して、小学校も中学校も高校も大学も大学院も慶應には行っていないにもかかわらず「慶應タイプ」の人、「根っからの慶應」の人というのがいるのだ。要するに「ほんまは慶應」の人というのがいる。そういう学校だ。だから、案外、慶應大学は入学試験はやめて、面接試験だけで合否を決めるようにすれば、そうすれば入学試験の成績は良くても「慶應タイプ」でない人間は排除して、成績は悪くても「ほんまは慶應」「いかにも慶應」の人を入学させることができるようになるのではないか・・と思う。実際のところ、福沢諭吉の著書や伝記を読むと、福沢諭吉という人は、どう考えても「慶應タイプ」ではない。又、小泉信三の著書を読むと、小泉信三もまた「慶應タイプ」ではない。 学科試験は撤廃して面接で「慶應タイプ」の人は学科の成績が無茶苦茶でも合格という試験制度にすれば、おそらく、福沢諭吉や小泉信三のような人間は不合格にされて慶應大学から排除されることになるだろう。 アンドレ=ジッドは『ソビエト紀行』(光文社古典新訳文庫)を読むと、「もしも、レーニンが今のソ連に生きていたならば、レーニンですらも収容所に入れられたりシベリア送りにされたりするのではないか」と述べているが、今の慶應義塾に福沢諭吉もしくは小泉信三が学生として在籍したならば、福沢諭吉でも、あるいは、小泉信三でも、「おまえはそれでも慶大生かあ!」と罵られ迫害されるのではないか・・・と思ったが、福沢諭吉にしても小泉信三にしても、どう考えても「慶應タイプ」ではないと思うのだ。なにしろ、福沢諭吉は強姦なんてしないしね。

  北野高校の2年の時に担任だった旧姓作野礼子(1970年代後半現在、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にしていた。自慢にしまくっていた・・・のだが、そういうのって、自慢にするもんかあ~あ?・・・とも思ったのだが、自慢しまくっておった。 
  ””そんなもん、自慢するもんと違うやろうが・・・ということを自慢したくてしたくてたまらんシンドローム””の「患者」「病人」というのは、けっこう世の中にいるものだが、旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのが最大の自慢だった。こういう人に「あんた、そういうのは、自慢することとは違うんちゃう?」と教えてあげよう・・なんて思ってもだめ。絶対に理解しない。「このビョーキは簡単には治らない」というものだ。「病識がない」という点が何よりも難儀なところだ。こういうのは「精神安定剤」の大量投与でめろんめろんにするとか、「電気ショック療法」でバチバチバチとショックを与えて全体的に能力低下をはかるとか、「ロボトミー」で大脳を破壊するとか、もしくは「入院療法」で座敷牢に監禁して世間に出てこないようにするとか、「作業療法」で強制労働・無賃労働につかせて無賃労働を嫌がるようなら「病気が重いから作業を嫌がるのだ」と「診断」して「入院療法」に切り替えて座敷牢に入れるとか「電気ショック療法」とか「ロボトミー」とか、そういった方法で「治療」するしか「治療」の方法はないのではないか・・・と思われる。

   離婚していない夫婦というのは、離婚した夫婦に比べて幸せとは限らない。 「離婚できない夫婦」なのかもしれない。 又、昔、読売テレビで花登筺『銭の花』をテレビドラマにした『細腕繁盛記』というのがやっていて、そこで、加代の祖母 ゆうがウチワを見ながら「『団扇(うちわ)を見れば骨がある』と言うけれども、ほんまやなあ」と話す場面があったが、これは「団扇(うちわ)」と家の「うちわ(内側)」とをかけて言ったもので、「どこの家でも、どこの店でも外から見たらええように見えても、ウチワに入って見ると、骨があることが多いんや」ということだったが、旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言うことで、自分だけが世界で一番苦労した人間、世界で一番大変な家庭で育ってきたエライえらいエライえらいエライえら~い人間だと思い、常にそ誰からもほめてもらう権利がある人間・・・と思っていたが、そういうものとは違うと思うぞ。 自分の所だけが大変だったということにしたいようで、よその家はいい思いをしているということにしたいようだったが、そんな認識をしていたということからして、アホや!!!・・という女であり、高校の教諭になるにはふさわしくない女だったと思う。
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
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特に、「両親が離婚した」娘で「ちょっと性格いがんでる系」の女にはこの女でも教諭として合うかもしれないが、男子生徒と女子生徒でも「両親離婚した」「ちょっと性格いがんでる系」ではない女生徒にはこの女は向かない。もしも、高校教諭を続けるにしても、女子生徒で「両親が離婚した」「ちょっと性格いがんでる系」の女子生徒専門でやってもらいたいものだった。実際、この人は、そういう「ちょっと性格いがんでる系」みたいな女子生徒にはけっこう評判は良かったみたいだったし・・。
  この人には、「両親離婚した」わけではない男子生徒の担任は無理だと思います。「両親離婚した」わけではない男子生徒の担任はこの人には持たせるべきではないと思います。迷惑です。災難です。

  考えてみると、我が家、うちの親というのは「家庭内離婚」みたいな夫婦だったように思う。今と違って「見あい」で結婚する人がが多い時代の結婚だったから、しかたがない部分もあったかもしれないけれども、たとえ、「見あい」で結婚するにしても、これからこの人と夫婦になって、夫婦としての関係を築いていこうという気持に互いになることができる相手かどうか、そういったことを見て結婚していい相手かどうか、考えて考えて結婚した夫婦ではなかった。そして、それを結婚後も克服することができずに年数を経て、私が産まれた時点でも克服できない状態で3人目の子供を作った、そういう夫婦だった。だから、精神的にはうちの親は最初から最後まで精神面では「夫婦」にはなっていなかったと思う。そういう夫婦であり、そういう親だった。
  うちの下の姉が結婚するとかしないとか言っていた時、うちの父親が「相手は関西大学やぞ。おまえは短大しか出とらんだろうが。どっちが上かあ、下かあ」と何度も言うのを聞いて、「一流大学」と言われる大学、「上の大学」というような大学には行きたくないものだ、行かされたくないものだと思うようになった。特に、経済学部(および、商学部・経営学部)には首をもがれても行かされたくないと思うようになった。
  そういった言葉が口に出るということは、うちの父親というものは結婚というものをそういうものとしか考えることができない「貧困なる精神」の人間だった・・ということだと思う。
  「世の中にはなあ、わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらい聖人でドイツ人のお父さんもおれば、ダメ父もおれば、カス親もおるわけや。ダメなダメな父もおる、カスのカスの親もおるわけで、わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらい親ばっかりとは違うわけや」と、うちの父親は毎日、言っていた・・・が、誰がそんなことを言っていたかというと、本人とその親友で医者屋のM川の2人であって、娘は2人ともそんなことは言っていなかったし、息子も当然そんなことは思っていなかった。まあ、よく、そこまで勝手なことを思えるものだ・・・と思っていた。 とりあえず、下の姉は「あの人、『いらいらっとしたからかけたってん』と言って電話してくるのん、あれ、やめてほしいねえ」と言うのだったが、「いらいらっとしたからかけたってん」と言って電話してくるのは私の所だけかと思ったら、そうではなく、下の姉の所にも「いらいらっとしたからかけたってん」と言って電話していたようだ。 「あの『いらいらっとしたからかけたってん』と言って電話する人、かける方はそれでいくらかストレス解消になるのかもしれんけど、かけられる方は、瘤取爺さんの瘤と一緒で、かけた側がストレス解消になった分だけストレスたまるんやらねえ」と言うのだったが、下の姉がそう言うのなら、私なんか、その何十倍も何百倍もストレスたまっているはずだった。
  まず、朝一番に「今、会社についてん。いらいらしてんねん。そんで、かけたってん。感謝しろ! とってちってたあ~あ!」と言ってかけてくるわけだ。夜は夜で「今、会社やねん。これから帰るねん。いらいらしてんねん。感謝しろ!」と言ってかけてくるのだが、「それで、用事は何ですの?」と言うと、「用事は別にないねん。用事はないけど、いらいらしてんねん」と言うのだ。「いらいらしたから、かけたってん」と言うので、「ああ、そうですか」と言うと、「『ああ、そうですか』とは何じゃあ!」と言うのだが、どう言ってほしいのだろうか・・・というか、「いらいらしたからかけたってん」と言って、一日に4回も5回も朝昼晩とひっきりなしに電話してくる人、かけられる側がどれだけ、それでダメージを受けているか、百回に一回くらい考えてみたらどうかと思うのだが・・・、考えないおっさんだった。
  母の妹(私の叔母)の娘が結婚した後、「道を歩いていたら、パパが乗ってるクルマと同じクルマが道に停まっていたので、それを見たらパパのことを思い出して涙がでてきた」と言うておったと聞いたのだが、うちの父親は、イトコがそう言ったらしいおっさんとは全然違う父親だった。私などは、「いらいらっとしたからかけたってん」と言って年中四六時中電話してくるおっさんの電話が恐怖だった。あのおっさんの電話攻撃と紙爆弾には参った。 「道を歩いていたら、パパが乗ってるクルマと同じクルマが道に停まっていたので、それを見たらパパのことを思い出して涙がでてきた」と娘から言われるおっさんというのは、ええお父ちゃんやってんやろうなあ~あ・・と思うが、うちの父親などは、「『ありがとうございます。お父さん』と言って四六時中電話攻撃と手紙の紙爆弾がやってきて閉口するが、「道を歩いていたら、パパが乗ってるクルマと同じクルマが道に停まっていたので、それを見たらパパのことを思い出して涙がでてきた」なんて、おっさんが「言いなさい」と言ってくることは何度も何度もあったけれども、そんなこと思う子供は誰もなかった。子供3人はイトコみたいなことを思う人間は誰もいなかったおっさんで、かわりにおっさんが「お父さんのことが懐かしくてたまりません。感謝の気持ちでいっぱいですと言いなさい」と言うおっさんだった。
  「相手は関西大学やぞ。おまえは短大しか出とらんじゃろうが。どっちが上かあ、下かあ」というそういう視点でしか人を見ることができない男というのは、「その程度の人間」「その程度のしょーもないおっさん」やと思ったのだが、その時、言われていた下の姉は、私が浪人した時、「男の値打ちは年収の順番で決まるんやからなあ」と浪人中の私にそう言いよったのだ。やっぱり、あのおっさんの娘やなあ・・と思った。「なんやのん、関大みたいなも~ん」とうちの父親から言われた時には言っていたが、私には「男の値打ちは年収の順番で決まるんやからなあ」と浪人中の私に言いよったのだ。
  私が中学校2年の時に、下の姉が、一度、結婚すると言った相手と、やっぱり結婚はやめたいと言い出した時、うちの父親は「相手は関西大学でおまえは短大しか出とらんじゃないか。どっちが上かあ、下かあ」と言うので、この人はそんな目でしか人を見れない精神的カタワなんだ・・と思ったし、「一流大学」と言われる大学には行きたくないと思うようになった。特に、経済学部(及び、商学部・経営学部)には首をもがれても絶対に行かされたくないと思うようになった。
  うちの姉は2人とも、「お兄ちゃんが欲しかった。弟なんか要らんかった」と2人よって言いまくるのだったが、しかし、中学生の弟は、下の姉が結婚すると一度言った相手をやっぱり嫌だと言い出した時、うちの父親が「相手は関西大学やで。A子は短大やで。相手の方が上やで」と言った時、「上とか下とかは関係ありません。上でも下でも、本人が嫌だと言うものはだめです」と、私はうちの父親にはっきりと言ったし、「無理矢理やるとええと思うねんけど、無理矢理やるとええと思えへんか」と言ったのに対しても、「だめです。絶対にだめです。本人が嫌だというものを無理矢理結婚させるなどということは、絶対にだめです」と、これもはっきりと言ってあげたのだ。中学校2年生にしてはよく言ったものだと思う。うちの姪・・ではなく姪の娘が中学校3年生になっているけれども、あんなチビスケと同じような年齢の時に、よく、それだけきっちりと言ったものだと思う。うちの父親が「そしたら、どうしたらええやろか」と、あんた、中学生に教えてもらわんとわからんのか・・ということを言いよった時にも、「A子さんは、嫌だというのを、一度は結婚すると言ったけれども、はっきりとお断りしたいと言っているのか、それとも、嫌なところが見えてきたけれども、その部分を考えてもらえば、結婚はしたいと言っているのか、どっちなのですか」と言い、「それがはっきりとどっちなのか、言いよれへんねん」とうちの父親が言うので、「それなら、『どっちなのか、はっきりしろ』と言って、きいたらどうですか。どっちなのか、わからないのではどうもできないでしょう」と言ったのだ。「きいても、はっきりと返事しよれへんかったら、どうしたらええ?」とうちの父親が言うので、「それなら、判断に困っているということでしょうから、どっちか判断できるまで、結婚は延期としてもらうように相手の人に言われたらどうですか」と話したところ、「そんなん、延期なんてきいてもらえるやろうか」と言うので、「きいてもらえないならば、この話はなかったということにしてもらうしかありませんね」と言い、「そやけど、ここまできてからに、やめるやなんて、きいてもらえるやろうか」と言うので、「ですから、一度はその人と結婚したいと言ったのにお断りしたいと言うのですから、それは頭を下げて、申し訳ありませんが・・ということで話すしかありませんね」と、中学校2年生の時の私は、そこまで言ったのだ。姉を守るために、そこまで言ってあげたのだ。いくらなんでも、そこまで言えば、いくらアホなおっさんでも対処できるだろうと思ってしまった。しかし、そうではなかった。「そんなん、結婚式を延期やなんて、早めるならともかく、延期なんてしたら、もう、会社の人にも言ってあるのに、そんなん、男の人は出世にも差支えがでますから、そんなん、できませんわあ」と言われて、「そうでんなあ」と言って帰ってきよったみたいなのだ。私は今までからこの人のことを「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、しかし、ここまでアホとは思わんかった。それで、「A子、ええかげんにせえよ。なんで、このわしが、こんなことで悩まされんといかんのじゃあ、なんで、このわしが、こんなことで苦労させられんといかんのじゃあ」などと言いだしよったのだ。「なんで」て、あんた、父親やろうが。父親なら娘のためになんとかしようとするのは当たり前やろうが・・・と思ったが、ところが、当たり前ではないおっさんだったのだ。うちの父親がそういうことを言いだしたので、「そんなこと、言わないで」と私は言おうとしたのだが、私が言い出す前に、当事者である下の姉が「ええねん、ええねん。私が犠牲になったんねん。私が犠牲になったらそれでええねん」とヤケクソみたいに言いよったのだ。なんや、私がこれだけ、心配して気を配って協力してあげているのに、何をヤケクソみたいに言うとんねん、何を!!! そんなことなら、もう、勝手にしろ!!!・・・と思って、言うのをやめてしまった・・のだが、後から考えると、そうではなく、やっぱり、そこで「そんなこと言わないで」とうちの父親に言うべきだった・・と思う。そして、「そんなん、ここまで来て延期なんてできませんわ」と言われたのなら、それなら、私がうちの父親のかわりに「そういうことでしたら、誠に申し訳ありませんが、この話はお互いのために、今回はなかったことにさせていただきたいと思います」と言いに行ってあげるべきだった。中学校2年生でもあのおっさんよりはよっぽどしっかりしていたと思う。 ひとつには、あのおっさんは「『ええかっこしい』やるのは好き」だが、「たとえ、1ミリでも頭を下げるのは嫌という男」で、「誠に申し訳ありませんが、それでは、今回はこのお話はなかったということにさせていただきたいと思います」と、そこでは頭を下げて話す・・ということはできないおっさんだったのだ。うちの父親の勤め先の会社の社長が「もし、わしが頭を下げたらそれで解決するなら、いくらでも頭さげたるでえ」と言っていたそうで、実際、社長が謝りに言ってそれで「解決」させたということはあったらしいのだが、ところが、うちの父親は社長がそう言うのを聞いて、「さすがは社長や」とか言っておきながら、自分は1ミリでも頭を下げることができないという男だったのだ。なさけない男やなあ・・と思った・・が、そういうおっさんやった。中学校2年生の弟は姉を守ろうと相当頑張った、必死で頑張ったのだけれども、それでも姉は「弟なんか要らんかった」そうだった。あれだけ、頑張ったのに、そんなこと言うのか、と思ったが、しかし、もしも、私が弟ではなく兄であったなら、もうちょっと何とかできたのではないかと思うものも実際にある。
  下の姉は「男の値打ちは年収の順番で決まるんやからなあ」などと私に言うのだったが、それを聞いて、この人はそういう思想の持主なんだなあ・・・と思った。母の知り合いの人で、娘が結婚相手について、「こんな年収の低い人、嫌や」とか言いまくるので、父親が「メカケになれえ」と娘に言ったという人があった。私はその父親の言う気持がわかる。男の立場からすると「メカケになれえ」と言いたい気持ちになるということを、そのお父さんは言ったのだと思う。もしも、その女性が自分をこの人と結婚したいと思ってくれるのであるならば、自分と夫婦になって一緒に暮らしたいと思ってくれる人のために、一生懸命働いて今よりも多い年収を得られるように努力したいと男は考えるかもしれない。しかし、「男は年収の順番で値打ちが決まるんやからなあ」と言われたならば、それなら俺なんか対象外だから、どうぞ、他の男性をあたってください・・と言いたい。「(そんなこと言うなら)(そんなこと思っているのなら)メカケになれえ!」ということだ
  私と同じ年齢の人で、高校3年卒業時に、工学部と薬学部に通ったけれども、工学部の方が魅力を感じているのだけれども、結婚する時に「工学部卒」では女性は不利にならないか・・と心配していた女性がいたのだが、はっきりと大学名は聞かなかったが、話しぶりからすると、関西大の工学部と神戸薬大の両方に通ったけれどもどっちにしようか・・みたいな感じの話しぶりだったが、なんでも、「兄貴にきいたら、『俺やったら逃げるわあ』と言われた」と言うので、兄貴、おもろいやっちゃなあ・・と思ったのだった・・・が、男性がどう思うかといっても、人それぞれであり、女性でも工学部に行こうというような人が好きだという男性もあれば、そうではない男性もいるのではないかと思う。兄貴が「俺やったら逃げるわあ(^^)/」・・・なんてことを言ったというのは、兄貴、良心的だと思う。要するに、「工学部卒」なら結婚の時に女性は不利にならないかと心配だから薬学部にしようと思うのなら薬学部にすればいいじゃないか、そうではなく、実際にどうなるかはわからないが、実際にどうなるかにかかわらず、工学部に行きたいと思うのならば工学部に行けばいいじゃないか・・・という意味を「兄貴」は言ったのだと私は思っている。
  もしも、私がうちの姉の兄であったなら、「男の値打ちは年収の順番で決まるんやからなあ」などと言いだしよった時、それこそ、「(そんなこと思ってるのなら)メカケになれえ」とでも言ってやったと思う。ひとにもよるかもしれないが、男性の気持ちとして、そう思うと思うのだ。もしくは、「(そんなこと思っているのなら)慶應の内部進学とでも結婚しろ」とでも思うだろう。慶應内部進学の「種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うという民族」と結婚すれば、一緒にメシ食うとメシがまずくなるのは間違いないが、あいつら、たいてい社長の息子とかだから「でも、結婚するには♪ いいかもしれない~い、パヤッパ~♪」てものだろう。慶應の内部進学と結婚すればいいのだ。私なんかとはやめた方がいいに決まっている。ぱっぱやっぱ、ぱっぱやっぱ、ぱっぱっぱ~あ♪
〔⇒《YouTuve-シャインズ 「私の彼はサラリーマン」》https://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I 〕

  そして、結局、結婚するだけして新婚旅行から帰ってくると同時に離婚すると言って離婚した後、下の姉は「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれと言われたから、だから、あんな男と結婚して犠牲になったろという気持になって失敗したんや」と言うようになった。なんや、俺が悪いんかい・・? あれだけ、協力してあげたのに、姉を守ろうと思ってあれだけ頑張ったのに、そんなこと言うのか・・と思った。私は「私が高校に行くまでに結婚決めてくれ」なんて言ったことは一度もない。言ったとするとうちの母親か父親か、もしくは両方だろう。もしかすると、母は言ったかもしれないが、それは、私が高校1年に入ってすぐに下の姉は25歳の誕生日を迎えることになったのだが、最近はけっこう年齢をいって結婚する人が増えてきたが、かつては「24までは売れ行きがいいが25になったら途端に売れなくなる」という意味で「女はクリスマスケーキ」と言い、「四捨五入して30」というと「おばさん」か「お局様」みたいなイメージを持ってきてしまう、特に、旧帝大国立大学くらいを出て国家公務員1種試験合格で官庁に勤めているとか弁護士やってるとか高校の教員やってるとか医者やってるとかいうような女性なら「キャリアウーマン」として生きているという評価になっても、短大卒くらいの女性が25を過ぎて独身でいると、特に何か悪いことしたわけでなくても、なんかマイナスのイメージが出てきてしまうから、だから、25歳の誕生日を迎えるより前に結婚を決めるように考えた方がいいという意味で「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれ」という言い回しをしたのではないかと思う。母親がそういうことを口にすると、おそらく、父親も調子に乗って言いまくる・・ということはやりそうなおっさんだった。しかし、私はそんなこと一言として口にしたことはないのに、私は何も言ってないのに私のせいにするのか。
  姉のその発言を聞いて、うちの父親は言いだした。「おまえが悪いねんぞ、おまえが。ひとのせいにすんなよ。A子さんは素直なほんまにええ子であって、何よりも、このわしはドイツ人でキリストで聖人で聖徳太子で英雄ヒットラー総統で、百戦錬磨の人間で、精神的に安定した人間的に成熟した、社会を知っている、この世の中のことは何でも何でも知ってる、えらいエライえらいエライ、びっくらこっこするくらいエライという人間で、その娘が離婚するなどということは、およそ天地がひっくり返ってもありえないことやのにからに離婚した・・ということは、それは、おまえのせいやねんぞ、おまえが悪いねんぞ、チャンコロ! チャンコロが悪いねんぞ、チャンコロが! ひとのせいにしたらいかんぞ、ひとのせいにしたら! ひとのせいにするような人間は人間として最低の人間やぞ! わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロっ! おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえのせいやねんぞ、おまえのせい! おまえがA子さんを離婚させてんぞ。よくもよくも、A子さんを離婚させやがったなあ、このチャンコロめがあ! 謝らんかああ、このわしにい! 『A子さんを離婚させて申し訳ございませんでした』と言うて地面に頭すりつけて、このわしに謝らんかあ、このクソチャンコロめが、このチャンコロ、このロスケ、このイタコ、この浪商!!!」と言うのだった。私が悪いそうだった。なんでやねん・・・と言うと「外罰的性格」と「心理学」に「診断」されることになる。「よくも、よくも、産まれやがってからに、産まれやがってからに、産まれやがってからに、チャンコロっ!」と毎日毎日言うので、「産まなかったら良かったのと違うのですか」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、何を。おまえが産まれたんじゃろうが。産まれなければ良かったのにおまえが産まれたんじゃろうが。ひとのせいにすんな、チャンコロ!」と言うのだった。産まれてからのことはともかく、「産まれた」という点については産んだ方の問題かと思っていたのだが、そう考えるのは「外罰的性格」ということになるそうで、産まれたやつが悪いらしかった・・・。どうも、「心理学」によると、世界中の罪を背負って十字架につけられない限り私は「外罰的性格」と「診断」されるようだ。
※ 《YouTuve-あなたも見ていたのか》https://www.youtube.com/watch?v=pqDkc39zVSk&t=27s

  母は「(うちの父親は)私のことを女中さんだと思っている」と言っていたのだが、実際、そうだったと思う。しかし、母は「こいつ、やっつけたらんといかんねん、こいつ。こいつ、うちのお父さんの息子やから、こいつ、やっつけたらんとあかんねん」と言って、オットをやっつけられない女として、オットのかわりに私をぎったぎたに「やっつける」のだったが、うちの父親は私もまた「給料払わなくてもいい会社の部下」だと思っていた、「24時間働かせることができる会社の部下、労基法の対象にならない会社の部下」だと思っていたというのを知っていたはずだが、知っていても関知しない女だった。
  うちの父親は私に、会社の上役が部下に口きくみたいに「・・・・かねえ」などという口をきくのだった。そういう男だったのが。「あんたは、わしいのことを普通のお父さんやと思うておるかもしれんけれども、実は違うねんぞ。わしは会社っちゅうところでは、特別に特別にえらいエライえらいエライという人間やねんぞ」と言うのだった。だから、うちの父親は我が家の「常務さん」だと思っていたのだ。だから、「常務さん」は部下の人間に「・・・かねえ」という口のきき方をするものだと思っていたし、部下である私には「てってこっこてっててって、らったらったらったら。撃ちてしやまん、一億火の玉!」と号令かけるものだと思っていた。「感謝しろ、チャンコロ、感謝しろ!」と部下には言うものだと思っていたのだった。

  うちの父親は「人間には、産まれてくる時点において、『天の神さま』というお方から、それぞれの使命というものを決められて、この世に生まれてくるわけや。わしいとかM川先生とかはドイツ人として、常に人に命令しなければならない、常に人に号令かけなければならない人間であ~ると決められて産まれてきた人間なんや」と言うていたので、そうなのだろう。
 上の姉は「T子さん、この人は『しっかりしたお姉さん』、この人は『ドイツ人』」と言うておったから、「しっかりしたお姉さん」「ドイツ人」の役を「天の神さま」というやつから決められて産まれてきたようだ。幼稚園児から「貯金」という名目でお年玉を取り上げてやろうとした時に、幼稚園児が取り上げられまいとして抵抗している時に、さりげなく寄ってきておっさんに加担することによって「ドイツ人」「しっかりしたお姉さん」と認定される存在だった。「しっかりしたお姉さん」というのは、うちの父親に何かの折に加担する人間という意味だ。
  下の姉は「A子さんは、素直な子~」と言っていたから、これは「便利づかいにするのにいい」という意味だ。
  姪(上の姉の娘)の「Yちゃん。これはかわいい」と言っていたから、「おもちゃにするのにいい」という意味だ。
 そして、母は「女中さん」である。母が言うには、「実際の女中さんはあんまり無茶苦茶すると辞めてしまうけれども、嫁は無茶苦茶しても出て行かないから、女中さん以下の女中さんにしよった」ということで「実際の女中さんと違って無茶苦茶やっても出て行かない女中さん」ということのようだ。むしろ、「女中さんの機嫌とりよった」どうだ。あのおっさんなら、そうだったかもしれない。
 私に「・・・かねえ」などという口のきき方をしたように、又、私が小学校4年の時に一緒に広島方面に旅行した時、列車に乗る際には、親子で一緒に旅行している人を見るとたいてい子供に窓側に座らせて親子で一緒に窓から外を見ていたのだがうちはそうではなく、うちの父親は断固として自分が窓側の席に座ろうとして、そして、窓側の席に座っても外を見ようとはせずに小学校4年生を通路側の席に座らせた上で自分は窓側の席で週刊誌読みよったが、それは「上座」に座って「会社の部下」を上座ではない側の通路側に座らせていたつもりだったらしいが、私は「給料払わなくてもいい会社の部下」であり「24時間命令することができる、労基法の対象外の会社の部下」であり、「おまえが悪いねんぞ、おまえが。T子さんが奈良女子大に落ちたのはお前が悪いねんぞ、おまえが」「A子さんが離婚したのはおまえが悪いねんぞ、おまえが」「お母さんが血圧あがったのは(実際には、医者は「高くないんだけどなあ」と言うておったのだが)、おまえが悪いねんぞ、おまえが」「わしがいらいらしたら、おまえのせいやねんぞ、おまえのせい。ひとのせいにすんなよ、ひとのせいに。人間、ひとのせいにするような者は最低の人間やぞ。わしがいらいらしたらおまえのせいやのにからに、おまえみたいに『人間、誰だって、いらいらすることはある』とか言うてからに、わしのせいにしようとするような、そういうおまえみたいなやつのことを『心理学』では『外罰的性格』と言うねんぞ、『外罰的性格』と。わかっとんのか、チャンコロ! わしは精神面が安定した、気持ちの落ち着いた、沈着冷静・百戦錬磨な人間で、風が吹こうが嵐がこようが台風が来ようが地震が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようが、び~くともしない人間やねんぞ! わかっとんのか、あ、いらいらしてきた。ほんまやったら、絶対にいらいらすることがないこのわしがいらいらしてきたっ♪・・・ということは、おまえが悪いということやねんぞ、おまえが! ひとのせいにしたらいかんぞ、ひとのせいにしたら! おまえのせいやねんぞ、おまえのせい! わしはいらいらすることはない人間やのにからにいらいらいらいらしているっ!・・ということは、おまえのせいやねんぞ、おまえが! おまえが悪いねんぞ、おまえが! ひとのせいにすんなよ、おまえのせいやねんぞ、おまえのせい! わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロっ!!!」と言うことで、要するに「せいにされるための人間」として「天の神さま」というやつは私を産んだらしく、うちの父親にとって私は「せいにされる係」だった。ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)で「彼らが言っていることをきくのではなく、やっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用しているが、「やっていること」を見ると、うちの父親にとって私は「24時間命令することができる、給料払う必要がない会社の部下」「どんなに無茶苦茶やっても辞めてしまうことはない会社の部下」「嫁と違って離婚されることはない会社の部下」であり、「T子さんが奈良女子大に行かれへんかったのはおまえのせいやぞ」「A子さんが離婚したのはおまえが悪いねんぞ」ということにして自分の無能が悪いのではないということにするための道具、「せいにするための存在」であった。それが「天の神さま」というやつが私に押しつけた《「適材適所」ちゅうやつ》だった。
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
〔  ↑ トマス=サズ『「精神医学」という神話(The Myth of Mental Illness. )』 岩崎学術出版社
 書物の内容から考えて、 of は「同格のof」として「~の」と訳すのが正しい。
トマス=サズの著作としては、他に、新泉社から『「精神医学」という狂気の思想』が『狂気の思想』として翻訳が出版されましたが、現在では絶版になっています。 本来なら、『「精神医学」という神話』『「精神医学」という狂気の思想』と訳すべきものを、あえて、『精神医学の神話』とか『狂気の思想』と誤解を招くような訳名で出版され、又、内容がある本でありながら絶版になっているというあたり、もしかして、「精神医学」界からの「圧力」でも加わっているのか? ・・・といった可能性を感じるものです。翻訳者は東大医学部など卒の人ですから、「同格の of 」を知らないとは考えにくいし、原題を日本語にすると『「精神医学」という狂気の思想』というものを単に『狂気の思想』と訳したのでは、作者トマス=サズは「精神医学」は神話であり、「精神医学」こそ狂気の思想だと言っているのに、「精神病患者」と「診断」されてしまった人の「狂気の思想」みたいに受け取れる題名として出版している・・というのは、この分野についての恐ろしさを感じます。
  2001年に大阪府の大阪教育大付属池田小学校に侵入して児童を何人も刺し殺した犯人 宅間 守が死刑判決の後、2004年に他の例から考えて異例とも言える速さで死刑が執行されましたが、橋下徹が「許せない」とか発言していましたが、大きな問題として「許せない」のは誰なのか、ということがあります。大阪教育大付属池田小学校に侵入して児童を刺し殺した人というのは、「精神病院」に入院歴があった人であり、「精神病院」というのは本人の意志で「入院」する人もあることはあるとしても、犯罪行為をおこなったが「精神喪失」「心神耗弱」ということで「精神疾患につき無罪」という判決から「措置入院」した人、家族の意志による「同意入院」した人というのがおり、そういった人を本人の意思に反して「入院」させる根拠として、社会においておいては人を傷つけたりすることになる可能性があるということで「措置入院」させたり「同意入院」させたりしているのであり、そういう人を「退院」させたということは、「医者」「医師」と称する者がこの人は「退院」させても大丈夫と「診断」したことで「退院」したはずであり、そういった人が、殺人事件を起こしたとなると、その「退院」の「診断」は何だったのか。「入院」させた正当性というのは何だったのか、ということになります。まず、この人の「精神病院」への「入院」というのは「措置入院」だったのか「同意入院」だったのか、どちらでもない本人の意思による「入院」だったのか。それぞれによって、「医師」「医者」の責任も変わってくるでしょう。橋下徹はこの犯人がけしからんと言っていましたが、行為がけしからんのは間違いないとして、「精神病院」に「入院」暦がある人といえども、人それぞれ異なるので、「入院」暦がある人誰もが殺人の可能性があるわけではありませんが、そういった可能性が考えられる人を「入院」させておいて、「退院」させてよいと「診断」した「医者」「医師」「精神科医」「病院」には何の責任もないのか? 何の責任もないというのはおかしいではないか? そういった議論がされないように、その前にさっさと殺してこの世から犯人を消して話題になりにくくしたのではないのか?  同じ頃、事件があった2001年に首相に就任して、判決が出た時、死刑が執行された時も首相であった小泉純一郎が「精神医学」界から寄付を受け取っていたという記事が新聞に出たのを見ましたが、もしかして、それは関係あるのか? 「精神医学」界から、さっさと「死刑」にしてこの世から消してしまえという要望があったのか? 宅間 守 本人が死刑の早期執行を希望したということになっているが、普通、死刑囚が希望したからといって「はい、はい」と即座に死刑を執行するものではないはずで、それがさっさと執行されたということは、「精神医学」「精神科医」「精神病院」に責任を問われないように、あくまでも、悪いのは殺したやつであって関わった「精神科医」「精神病院」「精神医学」は関係ないかのようにして終わらせようとした、「精神医学」界からの要望によるものだった・・ということはないのか?  こういったこと、考えたことありませんか?
  「措置入院」「同意入院」させていた「患者」が「退院」後に人を殺した・・ということなら、それで「医者」「医師」「病院」に何の責任もないと主張するのなら、「措置入院」「同意入院」させたということについての正当性はどこにあるのか? 考えたことありませんか?
  ・・もっとも、こういったことを言うと、「病気」と「診断」される危険が身の及ぶ・・・なんてことも、ないとは言えないわけですから、怖ろしいので関わらん方がいいと考える人がいるでしょうし、いてもその気持ちはわかりますけれども・・・。
  こういったことを頭に入れた上で、再度、訳名をふりかえると、原題をそのまま日本語に訳したなら『「精神医学」という神話』とすべきものが『精神医学の神話』とされ、『「精神医学」という狂気の思想』とすべきものが『狂気の思想』とされている・・というのは、「単なる訳し損ね」「単なる翻訳ミス」というものではない方の可能性の方が大きいのではないのか・・・と思えてきますでしょ。  〕
  そういう「役割分担」「適材適所」というものを決めて、「天の神さま」というやつは人間をこの地上に産み出したらしいのだ。
  その「天の神さま」とかいうやつ、ぶっ殺してやりたい。その「天の神さま」とかいうやつ、撃ち殺してやりたい、刺し殺してやりたい、絞め殺してやりたい!!! 「天の神さま」を撃ち殺せ、刺し殺せ、絞め殺せ!

  うちの父親にとっては、私は「給料払わなくてもいい会社の部下」であり「24時間命令することができる会社の部下」であり「無茶苦茶やっても辞めてしまうことは絶対にない会社の部下」という存在であり、「おまえが悪いねんぞ。わしは悪ないねんぞ」と言って何でも「おまえのせいやねんぞ」ということにする相手というのが、私の「天の神さま」から決められた使命だったのだ。それが「適材適所」というものだったのだ。
  もしも、そのようにならない時は、それは「故障」であり、「『正常』ではない」という状態であり、「故障したらいかんぞ、故障したら」と何度も言っていたように、「故障」したなら「修理」するか「治療」するかして「正常」な状態にしなければならないものであり、どうしても「故障」が治らないようであれば、「故障」した状態で残しておくくらいなら廃棄した方がいいということになるようだった。
  柴犬のクマも似たようなものだったのかもしれない。・・クマも「故障」してしまったのかもしれない。だから、「故障」を直そうとしたけれども、「故障」を直すことはできなかったか、もしくは、治すにはある程度以上のカネがかかったから、カネかけて「修理」するくらいなら「新しい犬を買った方が安い」ということになった・・・ということ・・かな・・・。

  なんか、クマがうちの家から受けた扱いって、俺と似ているような気がしてきた。

  もっとも、クマはいったいどうして、「病気になった」のか「怪我した」のかしたのだろうか? 前日まで、どこも悪いようには見えなかったのに。 私が幼稚園から帰ってきたら、クマはもういなかったのだ。いったい、どうしたのだろうか。
  ・・・もしかして、私が高校3年の時、母は「こいつ、お父さんの子やから、こいつ、やっつけたらんとあかんねん。こいつ、何が何でもやっつけたらんとあかんねん。こいつ、絶対に落したる、こいつ。こいつ、大学に現役で通ったら思いあがった人間になって、お父さんみたいに女を泣かせよるから、こいつ、な~にがなんでも絶対に落したるねん、こいつ!」と言って、私が夜、家の部屋で学習していたら、後ろから服をつかんで背後にひっくり返したり、箒でボコボコなぐりつけたり、私が使用していた部屋の電気を洗面所のブレーカーで落として照明がつかないようにして学習できないようにしたり、高校から帰ってくると、家の戸を閉めて、インタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして、家の中に入れないようにして、その上で、高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん!」と言ったり、クラス名簿で上から順番に電話したり・・・といったことをやりまくったのだが、そして、浪人すると「現役で大学に通ったら、こいつ、思いあがった人間になるから、こいつ、何が何でも絶対に落したるねん」というのはそれは実現したのだから、もう、気がすんだかと思ったらそうではなく、それは浪人しても続いたのだが、あれは、「オットに不満がいっぱいある女」であるが、しかし「オットに逆らえない女」が、オット以外の相手に向けてオットに対する不満をぶつけたというものという性格がある行動だったと思われるのだが、クマも、もしかすると、そういうものをぶつけられたか?・・・「こいつめえ~え!」「こいつ、何が何でもやっつけてやらんといか~ん! こ~いつう~う!」というのを、ぶつけられたのか・・・?
  だから、クマは、クマを買った大丸のペット売り場を介してではなく、そこで買ったわけでもない近所のペットショップを介して動物医に預けられることになったか・・・。
  前日まで元気にしていたのに、私が幼稚園から帰ってくると、いなくなっていて、「クマはどうしたの?」と尋ねても、「病気になって入院した」と母は言うばかりで、何の病気なのかも、尋ねても答えてもらえず、もしも、本当に「不治の病」になってしまったのなら、それならそれで、我が家で最後まで看取ってあげたかったのだが、結局、我が家に戻ってこなかった。いったい、クマはどうしたのか・・・。今もわからない。

  「霊の話」みたいなのに、死が近づくと、おじいちゃんとかおばあちゃんとかが迎えに来るという話がありますでしょ。 私は、誰か、迎えに来てくれるのかな・・・と思ったが、うちの父親だけは、あのおっさんだけは来ていらんと思う。 あのおっさんが、迎えに来るなら、行くのん、やめるわ! 絶対。
  うちの父親と同じ墓に入れられるのだけは、それだけは絶対に嫌だと長く思ってきた。しかし、そう考える必要はないのではないかと、ある時から考えるようになった。うちの母親は「あんたの体はあんたのものとは違うでしょうがあ」と言っていたのだった。「身体髪膚これを父母に受く」と孔子は言うておるのだが、キリスト教の考え方では「親に」受けるのではなく、神から授かったものという考え方だが、日本のキリスト教の場合は半分以上は孔子の思想であるから、キリスト教会に行っている人は「神から」ではなく「親から」受けたと考えている人が多いのではないかと思う。うちの母親は「あんたの体はあんたのものとは違うでしょうがあ」と言っていたのだ。
  「あんたが、あんたの体を産んだのとは違うでしょうがあ。あんたの体はあんたを産んだ者に所有権があるはずや」と母は言うのだった。「だから、あんたが働きに行って給料もらってきたなら、あんたの体が働いて給料もらったからには、その給料は体の所有者のもののはずや」と言うのだった。それに対して、父親の方はそうは考えていなかった。そうではなく、「女に産んでもらったなんぞと思うてはならんぞ、チャンコロ!」と言うのだった。「女に産んでもらった」のとは違うそうだ。そうではなく、「女は単なる畑であって、畑に種を植えてやってあげてやってやっていただいてくださってもらってあげてやってあげてやってもらってくださっていただいてあげてもらってやってやってやってあげてやってもらってくださってやったお方のおかげで、種が畑から芽を出すことができたのであって、畑が芽を出したのとは違うんや。心得違いを起こしたらいかんぞ、心得違いをおこしたら、このチャンコロろすけ! このイタコ! 浪商!」と言うのだった。
  「そんでもって、畑から芽が出たなら、それを育てるのは畑の役目じゃ。心得違いを起こすでないぞ、心得違いを起こしたらいかんぞ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。育てるのは畑の役目やねんぞ。子供ちゅうのは女が育てるものであって、父親が育てるものとは違うねんぞ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言うのだった。厚生省が作成した「子育てをしない男を父親とは言わない」というポスターを見たことがあるが、あのポスターを作成した人というのは「甘ったれとる人間」だそうで「心得違いを起こしておる人間」で「アカの人間」だそうだ。
  「それでやなあ。育てるのは畑の役目であって、畑が育てて芽が大きくなって実を結ぶようになったら、その実には種を植えた者に権利があるわけや。畑に権利があるのとは違うねんぞ、わかっとんのか。畑に権利があるわけやないねんぞ。種を植えた者に権利があるねんぞ。種を植えた者に。畑に権利があるのとは違うし、ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわけないねんぞ、わかっとんのか、茄子! わかっとんのか、胡瓜!」と言うのだった。「種を植えた者に権利があるねんぞ、種を植えた者に。権利じゃ、権利じゃ、わしの権利じゃ。権利じゃ、権利じゃ、わしの権利じゃ」と言うのだった。その上で、「最近の若い者は、権利ばっかり主張して甘ったれと~る!」と言うのだった、又、「最近の若い者は、権利ばっかり主張する新人類や」と言うのだった・・・が、さっきから「権利じゃ、権利じゃ、わしの権利じゃ。権利じゃ、権利じゃ、わしの権利じゃ」と言いまくっておるのは、「最近の若い者」ではなく、あんたと違うんかい? ・・と思ったものだった・・・が、「わかっとんのか。新人類! 権利ばっかり主張したらいかんぞ、わかっとんのか、新人類!」と私に言うのだった。
  母親の説では、「産んだ者に所有権がある」ということから、私の体は私に所有権があるわけではなく、うちの母親に所有権があって、私が働きに行って給料もらったなら、その給料は母親が所有権をもっているところの私の体が働いて稼いだものだから、その体の所有者である母親のものだ・・・ということになるらしく、父親の説ではそうではなく、私の体というものは「種を畑に植えた者」にあるのであり、私が働きに行って給料をもらったならば、所有権があるところの「種を植えた者」に給料も所有権がある・・・ということらしかった。いずれにしても、私が働きに行って給料を受け取っても、その給料は私のものではないらしかった。
「 テってこっこ てっててって らったらったらったら♪
 テってこっこ てっててって らったらったらったら♪ 」
と言うのだった。
「産んでやってやってやって、やったった。産まれてこなかったらよかった人間を、産んでやってやってやってやったった。
感謝せえよ、このチャンコロ、ロスケ、イタコ、浪商!」
と言うのだったが、別に産んでいらんのではないか・・と思った。産んでもらわなくてもよかったのではないか。
むしろ、産まんといてほしい・・・と思ったものだった。
「テってこっこ てっててって らったらったらったら♪
テってこっこ てっててって らったらったらったら♪
 いらいらしてきた、いらいらしてきた、
いらいらいらいらいらいらいらいらしてきた、してきた、してきた、してきた♪」
「朕思うに、我が皇祖こ~そ~わあ、
わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、
わしに、わしに、わしにい、わしにいいい~い♪
すべてをすべてを犠牲にする。すべてをすべてを犠牲にして、わしのために、わしのために、
捧げ尽くす、捧げ尽くす。すべてをすべてをわしのために、捧げ尽く~す。
とってちってたあ~あ!!!」
とうちの父親は、毎日毎日、言いまくってきたが、毎日毎日、そう言われ続けて来て・・・、疲れた。
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行

  『銀河鉄道999(スリーナイン)』では、銀河のかなたに機械の体をただでくれる星があるという。もしも、その星に行くことができるなら、なんとしてもその機械の体をただでくれるという星に行って、この自分のものではない体を、「産んだ人」か「種を植えた人」かそのどちらかに返したいと思った。要らんわ、こんな体。
  そう考えると、どのみち、私の体というのは私のものではないのだから、「産んだ人」か「種を植えた人」かどちらかに「所有権という権利」があるものであるのだから、その「所有権という権利」を持つ人にお返しした方がいいと思うのだ。もともと、その体は私のものではなかったのだから。
  そう考えると、私のものではない体を、「種を植えた者に権利があるんじゃ」と主張していたおっさんと同じ墓に入れるというのは、いかにももっともなことであるということになる。あのおっさんに返すことになるなら、せいせいする。
※ 《YouTuve-銀河鉄道999 ゴダイゴ》https://www.youtube.com/watch?v=losCe4J7ecU
〔  ↑ ゴダイゴという歌謡グループが好きだという人がけっこういたのだが、この日本人のくせに「欧米人的な日本語の発音」をして、日本人のくせに「英語まじりの日本語」を意図的にするというのは、なんか、いいように思えない。〕
〔 ちなみに、1浪した時、宿泊したホテルの部屋で、夜、何気なしにテレビをつけた時に、かかった曲が、↓ だった・・。
《YouTuve-西遊記エンディング 「ガンダーラ」 演奏:ゴダイゴ》https://www.youtube.com/watch?v=s7JUEw2X2NQ
 ホテルでテレビつけたら、ほんとに、↑ が出てきたんだからね。
「そこ~に行~けば~、ど~ん~な夢も~、か~なうと~、言うよ~お。誰も~みな~、行き~たが~るが~、は~るかな~世界~」
て、ほんとに、この曲がかかったんだから。冗談じゃなくて、ほんとにこの曲がかかったんだからね。
「どうした~ら、行ける~のだ~ろお。教えてほ~しい~い♪」て。
   歌の歌詞というものは、日本語を発音する時の調子と合わせて作曲するものであって、外国語の曲に日本語をつけたのでもなく、最初から日本語の歌なのに、日本語のアクセントの上下と歌の上下が一致しないことが多いということに無神経なところは、このゴダイゴというグループの歌の特徴で、そのあたりについてはいいとは言えない。〕

  私の体は私のものではなかった。「産んだ者」に「所有権」があるのか、「種を植えた者」に「所有権」があるのか、どちらにしても私に所有権があるものではなかったのだ。だから、「所有権」がある人に返すのが本来だろう。 しかし、「我、思う、ゆえに我あり」なんて言った哲学者もいたように、その「思っている」のは私であって、「所有権」がある者が「思っている」のではないから、だから、体の方は「所有権者」に返して、心の方は体から離れて自由になることができるなら、その方がいいのかもしれないと思うようになった。

  「わしが今まであんたのためにやってやってやってやってあげてやってやったったことはいっぱいあるけれども、わしは今まであんたに何かしてもらったというものは、何ひとつとしてないねん。何ひと~つ、何ひと~つ」とうちの父親は毎日、言っていた。
  しかし、あんた、私がまだ小学校行く前、私が削った鰹節を食ったじゃないか。
  私がすった胡麻を食ったじゃないか・・と思ったが、それは「やってもらったうちに入らん」そうだった。
  「あんた、私が小学校行く前から、私が拭き掃除した廊下を通って便所に行ったじゃないか。そんなこと言うなら、便所、行くなよ」と思ったものだったが、それも「やってもらったうちに入らん」そうやった。
  「あんた、私が刈った芝の上で、ゴルフのパットの練習やっとったじゃないか」とも思ったが、それも「やってもらったうちに入らん」そうやった。
  「隣の家の門扉はもう、錆びとるやろ。うちは小堀住研できっちりした家を建てたから、そやから、うちの門扉はびくともせんのに対して、隣は安もんの会社で建てたから、そやから、もう錆びとるんや」とか、おっさんは言うとったが、そうやないやろ。うちの門扉は私が定期的にペンキ塗装やっとったんやがな。隣は私より1つ上と1つ下の息子がいたけれども、どっちもペンキ塗装なんてやりよらんかったから、そやから錆びたんやろうが。何を言うとんねん、何を~お!・・と思ったが、それも「やってもらったうちに入らん」そうやった。
  私が小学校高学年から中学生くらいの時、我が家の植木は私が刈っていた。年に1回、植木屋に来てもらっていたが、年に1回だとすぐに伸びてしまうから、松とかは植木屋にやってもらっていたが、それ以外の木は私が「伸びたら刈る」ようにしていた。うちの父親は「あそこの家、植木ずいぶんと伸びとんなあ。みっともないなあ。植木屋に他のめんのかいなあ。みっともないことやなあ」とか言うておったが、うちだって、年に1回、植木屋に刈ってもらっているだけならもっと伸びていたのだ。私が刈っていたから、きれいになっていたのだった・・・が、それも「やっったうちに入らん」そうだった。ほかにも、そういうものはいっぱいある。
  父が他界する前、うちの母が「前に回生病院に入院した時には、〇〇がいたから着替えとか持って行ってくれたけれども、今は大阪にいないから入院しても持って行ってもらうことができないから」と言ったところ、うちの父親は「そんなもん、回生病院に持ってきてもらったことなんて、一度でもあったかあ」と言ったそうで、「あったでしょう。持って行ってくれたでしょう。なんで、覚えてないの」と言うと、「知らんなあ。そんなもん。そんなもん、一回として持ってきてもろうたことなんて、ない~い、そんなも~ん!」と言いよったそうだった。なるほど、あのおっさんらしいなあ~あ・・と思った。そういうおっさんやった。
  こういうものは述べだすと、これも、いくら字数をかけても書ききれない。
  ひとつには、うちの父親の親友の医者屋のM川という男が「お父さんが〇〇くんのためにやってあげてやったことはいっぱいあるけれども、〇〇くんにお父さんがやってもらったことなんて何一つない」と教えよったということがあったようだ。それで、うちの父親は「医者の先生がおっしゃること。えらいエライえらいエライ医者の先生様がおっしゃること。絶対に間違いあらへん」と言うようになった、ということがあったようだった。
  それで、「あんたがわしの世話になったことはこれまでにいっぱいあるけれども、わしがあんたに何かやってもろうたことは、何ひとつとしてないんや、何ひと~つ! 何ひと~つ!」と言い、「そんでやなあ、今後とも、わしがあんたの世話になることというのは、未来永劫に渡って何ひとつとしてないんや、何ひと~つ! 何ひと~つ!」と言いまくりよった・・・・のだけれども、そういうことを言いまくったおっさんの墓の掃除なんて、なんで、私がやらんといかんねん! ・・という気になる。墓の掃除というのは、けっこう労力がかかるのだが、それでも、墓の掃除くらいやってもいいけれども、「今後とも、わしがあんたに何か世話になることというのは、未来永劫に渡って、何ひとつとして絶対にないんやからなあ、何ひと~つ! 何ひと~つ!」と、何度も何度も、繰り返し繰り返し叫びまくりよったおっさんの墓の掃除て、なんで、俺がやらんといかんのや・・・という気持になる。私に世話になることは未来永劫に渡って絶対に何ひとつとしてないのと違ったのか。「このわしがあんたの世話になることは、未来永劫に渡って、何ひとつとしてないんやからな。何一つとして、絶対にあらへん。何一つ、何ひとつ」と言いまくりよったからには、世話になることはないはずなのだが、なんで、そんな男の墓の掃除なんてしなきゃならんのだ・・・という気になる。
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↑ これ、そのおっさんの墓に生えていた雑草だが、これ、抜いてきたのだ。雑草を抜くだけでも、けっこう労力がかかる。日付が入っているように、緊急事態宣言の期間中だけれども、期間が終わるまで待っても、どうせ、また、再度でるんだから待っても一緒だ。いつまでも果てしなく待ってられないし、そもそも「墓の掃除」というのは「不要不急」ではない。待っても待っても待ちきれないし、むしろ、緊急事態宣言の期間とそうでない期間を交互に配置するなら、緊急事態宣言でない期間に「密」を集中させることになることが考えられる。なんか、アホなことやっとるように思う。
  こっちだって若くなくなってきたのだが、母は自分が今の私よりも20歳以上若い時から、「あんたは若いんやから」と言いまくってきたし、うちの父親もまた、「若鳥さんにやってもらおう」とか言うておった。こっちがそう若くなくなってくると、ますます、つらくなってくるが、それでも、墓の掃除は私がやらないとやる人間がいないからやっているが、「わしは今後とも、あんたの世話になることは、未来永劫に渡って、何ひとつとしてないんやからな。何一つとして、何ひとつとして」と言いまくったおっさんの墓の掃除なんて、なんで、やったらんといかんのじゃあ・・と思いつつやっているけれども、気持ちとしては納得いかん気持ちである。

  普通、犬を飼おうと男が思ったなら、妻と子供とに相談してどう思うかきくものではないかと思う。犬を「飼う」ではなく「買う」カネは出せたとしても、「飼う」において誰がどういう世話をするのか、十分に話し合って見通しを立ててから「買う」ものだと思うのだ・・・が、うちの父親がそういったことを考える頭がある人間かというと、どう考えてもそうは思えない。
  そういうところを、うちの母親は怒っていたのだ。「こいつがハタチになったら聞いてもらおうと思って我慢してきたのに、こいつ、なかなかハタチになりよれへん」と言って、私は高校3年の時にうちの母親に怒られたのだが、まだ、18歳の誕生日を迎えていない息子に「こいつ、なんで、ハタチになりよれへんねん」と怒っても、それは息子が悪いのかあ? ・・・と思うのだが、私が悪いらしい。
  「クマ」を飼う時、うちの父親はどのようにして買ったか。どうも、記憶がはっきりとしない・・というよりも、幼稚園児だったか、まだ、幼稚園に行く前だったかの頃だったと思うのだが、気づいた時にはうちの父親は子犬を大丸のペット売り場から買って連れ帰っていたのだった。で、誰が世話すんの?  この場合、「かわいい、かわいい」と頭なでることを「世話する」と言うのではなく、毎日、食事の用事をして、排便の世話をして、散歩に連れていって、病気になった時には獣医にかからせて・・ということを誰がするの? 当然、おっさんはするわけないわな・・。する人間と違うわな。私が幼稚園の年少組の時、上の姉「しっかりしたお姉さん」「ドイツ人のお姉さんん」のT子さんは高校1年で、下の姉「日本人」の方のお姉さんは中学校の2年だった。その2人は犬の世話なんかする気はなかったはずだ。最初から、誰がどういう世話をするという話をして、役割を決めてから買ってきたのなら、その役割はするだろうけれども、父親が勝手に買ってきた犬の世話なんかしない。
  うちの父親というのは、「子供が生まれたら育てるのは女の役目です。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いを起こしてはならんぞ、心得違いを起こしては」と言っていて、うちの父親の親友だった医者屋のM川(男。1980年頃当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘の可能性が大きい。当時、大阪府豊中市在住)もまた、うちの父親と同意見で「子供ちゅうもんは女が育てるもんなんじゃ」と言い、その点でうちの父親と認識が共通しており、厚生省が「子育てをしない男を父親とは言わない」と書かれたポスターを作成していたが、そういったポスターを作成するような人間というのは「心得違いを起こしとる」「甘ったれとる」人間だということだった。たしかに、あのおっさんの給料から生活費を出してもらって成人したわけだから、その点では感謝もするべきなのかもしれないが、あのおっさんと一緒に育ったのではないのに、大学に進学する頃になってから突然、「種が芽を出したら育てるのは畑の役目であって、その芽に実がなるようになったら種を植えてやってあげてやってやってくださっていただいてやってやった者に権利があるんじゃ」と言い出されたとなると、「このおっさん、誰?」という感じだった。「何を今さら」という感じだった。
  それで、柴犬の子犬のクマはどうなのか。誰が世話するのか。「女が世話するに決まってます。甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては」というところだったのではないか。「わしは、働いてやってやってやってやったってる」という認識だったのだろう。しかし、実際に世話させられる母親としては面白くなかったはずだ。夫婦というものは、そういったことを互いに話し合って進めるものであるはずで、おっさんが勝手に決めて進めるものとは違うと思うのだ・・・が、そうは思わないのがうちの父親だった。ただでさえ、うちの母親としては、家事の他に修学目の息子がいて、ききわけのいい息子であったとしても、それでも小学校行く前の息子だけでも大変だったのだ。しかも、その頃まで、まだ、家に義母、うちの父親の母親がいたように思うのだ。今から考えると、その頃、父方の祖母はまだ60になるかならないかくらいの年齢だったが、雰囲気としては80過ぎたような感じだった。60過ぎるか過ぎないかくらいなら、普通、家におれば何かするのではないかと思うが、母が言うには「私は女中さんとは違いますから」と言って何ひとつしない人だったという。そこに、またもや、妻に一言も相談なく、犬まで買ってきやがった・・・となると、「こいつめえ」という気持になった・・という可能性は十分に考えられる。
  「こいつめえ」というのはオットに対する気持ちのはずだが「オットに逆らえない女」はオット以外の者に攻撃が向く。私が高校3年の時にも、「こいつ、やっつけたらんといかん」「こいつ、な~にがなんでも落したるう~う」「こいつ、絶対に合格させてなるものかあ」と攻撃されたのは私だったが、いつでも、オットに攻撃するべきものをオット以外の者に攻撃を向ける女・・・というのは、犬に「こいつめえ」という気持をぶつけた・・なんてことも、もしかすると、私がいない時にあったかもしれない。・・わからないが、そんな気持ちになったとしても、あのおっさんの妻ならそんな気持ちになったとしてもわからないことはない。普通、夫婦なら、たとえ、見合いで結婚した妻であっても、妻がどういうことを思っているか、妻がどんな気持ちでいるか考えるのがオットというものと違うのか・・・と思うのだが、「わしは働いてやってやってやってやったっとんねんぞお」という人はそんなこと、考えてたまるか、なんでそんなこと考えんといかんのじゃあ・・と思っている。そんな男女を夫婦と言うのか? ・・とも思えるのだが、うちの親はそういう「夫婦」だった。
  もしかして、クマもまた、「こいつめえ」と攻撃対象にされたか・・・。可能性としてありそうにも思うが、そのあたりはわからない。前日まで元気にしていたのに、ある日、突然、いなくなって、二度と戻ってこなかったのだ。

  ・・私が幼稚園に行って家にいない間にだったか、前日まで元気にしていたクマは家からいなくなっていた。そして、二度と戻ってこなかった。どういう経緯でいなくなったのか、今も分からない。クマは柴犬の子犬でオスだった。だから、もし、犬を飼うとすると、犬というと柴犬という意識があって、メスがだめということではないが、犬というとオスという感覚があった。もし、今度、犬を飼うことがあったら、その時には大事にしてやりたいと思ってきた。しかし・・・。
  大阪府富田林市で、「問題犬」「保護犬」を扱っている「ポチパパ」こと北村さんがポチパパちゃんねる https://www.youtube.com/channel/UC9zvmoZU_THNz6poFiukxcA を公開されており、視聴すると「たいしたもんだなあ」と感心する動画が多い・・のだけれども、犬に対してはものすごい理解力をもっておられるのだけれども、人間に対してはわからんかなあ・・と思う時もある。柴犬について、北村さんは他の犬種と比べていい印象を持ってられないようで、「柴犬を飼いたいという人は、柴犬を飼わないで洋犬を飼われたらいいんです」と発言されていたが、なんか、ちょっとずれてるという印象を受けた。柴犬というのは、ルーツをたどると猟犬で、柴犬など日本の猟犬というのは、猪とか自分よりも大きい動物に立ち向かって行って、自分より大きい動物を追い詰めて「飼主さん、どうぞ、仕留めてください」と持っていくという犬で、洋犬の猟犬というのはラブラドールレトリバーとかゴールデンレトリバーは「レトリバー」と言うように、飼主が銃で仕留めた鳥などを走って行って回収してくる犬で、猟犬でも意味が違うわけで、柴犬など日本の「猟犬」というのは、もともとが自分よりも体が大きい獣に立ち向かっていくような犬だから、気性が激しいのが本来なのだという。ものすごい、かわいらしい、愛玩犬になった柴犬がいても、それはいつの間にか愛玩犬になった柴犬であって、本来の柴犬というのは自分よりも体が大きいような獣にでも立ち向かって行くような動物であって、気性が荒い柴犬というのはそれは「異常」な柴犬ではなく、そちらの方が本来の柴犬なんだ・・という。それはわかった。それに対して、洋犬の猟犬というのは、柴犬みたいに自分よりずっと体が大きい獣にでも立ち向かって行くような動物ではなく、あくまで、飼主が仕留めた鳥とかを回収してくる動物だから、もとから柴犬よりも気性は穏やかなものだというのもわかった。でも、だから、「柴犬を飼いたいという人は柴犬を飼わないで洋犬を飼われたらいい」というのは、言ってみれば「犬を飼いたいという人は、犬を飼わないで蛇を飼われたらいい」とか言われているようなもの、もしくはそこまでいかないとしても「犬を飼いたいという人は犬を飼わないで猫を飼われたらいい」と言っているようなものだ。私が「犬を飼えたらなあ」と思う時、「犬」とは柴犬かそうでなかったとしても秋田犬のことだ。2000年代初め、(株)一条工務店の栃木県佐野市の営業所にいた時、来場客で自宅ででっかい秋田犬を飼っていた人がおられたが、その女性はたいして大きくない家作だったかででっかい秋田犬を飼われていたのだが、女性の一人暮らしにはボディーガードとして頼もしいかもしれない・・・が、犬にとってはもうちょっと広い家で飼ってほしいのではないかな。「ポチパパ」北村さんは「ペットショップで、柴犬を『買いやすい犬ですよ』と言うようですけど、そうじゃないですからね」と言われていたが、柴犬は大きさとしては「買いやすい」大きさではないかと思う。秋田犬なんて、忠犬ハチ公の像なんか見るといいと思うかもしれないけれども、たいして大きくない家の住人にとっては、大きさという点で飼うのは大変ではないか。又、逆にもっと小さい犬だと、室内飼いなんかすると、踏んづけてしまいそうだが、柴犬くらいの大きさなら、そんなに簡単に踏んづけたりしないだろう。だから、大きさという点では柴犬は「飼いやすい」大きさだと思う。
  「ポチパパ」チャンネルを見て、「ポチパパ」北村さんが「問題犬」に対して心から愛情を注ぐ姿勢にはすばらしいものがあると思ったのだが、疑問点も感じた。もしも、北村さんが、金持ちから高額の報酬を取ってその仕事をしているのなら問題はない。しかし、犬を救おうという趣旨でNPO法人だかで利益度外視して社会貢献のようにやっているとなると、疑問も感じるものが出てくる。 「命を救う」なんて言っても肉食の動物の命を救うということは、結果として他の動物の命を絶っていることになるわけで、わんこ が大好きな「えぞしかジャーキー」てのはエゾシカの肉のはずで、「えぞしかジャーキー」をわんこに食わすということは、片方でエゾシカを殺しているはずなのだ。 そして、「犬を飼うのなら45歳までの人にしてください。犬は15年くらい生きますから、45歳過ぎた人は犬を飼ったらかわいそうですから、飼わないでください」と言われると、要するに、犬という動物は、歳もいってそれほど働くこともないだろうから犬でも飼おうかという人が飼うものではなく、比較的若い年齢の時から犬の世話をする時間的余裕があるくらい、楽して高給を盗っている人たちが道楽で飼うものだ、「上級国民」が飼う動物なのだ・・という主張をしていることになる。 「上級国民」から高額の報酬を取って仕事をしている人が、それだけの報酬を取っているのだから、時として犬に噛みつかれて怪我しても、それだけの報酬を取ってやるのだからいいだろうということならわかるが、「命を救う」といった社会貢献のようなことを言い出すとなると、言っていることに矛盾が見られてくる。結局、やっているのは、若いうちから犬の世話できるくらい時間がある、それだけ、楽して高給を取っていた人が飼うような動物の世話係だったんだ・・ということになる。
  イタリアンカネコルソなんて飼おうという人というのは、やっぱり、「普通じゃない」人だろう。カタギではない仕事の人か、労基法違反で従業員を苛めまくって稼いだオーナー社長かそういう人ではないのかと想像される。それに対して、柴犬を飼いたいと思う人間というのは、実際に飼えるかどうかは別として、柴犬を飼いたいという気持になる人間というのは「普通の人間」だと思うのだ。虎を飼ったら扱えなくなったという人からは高額の報酬を取っていいというのと同じ意味でイタリアンカネコルソを扱えなくなったから何とかしてほしいというような人からは高額の報酬を取っていいと思うし取るべきだ。 それに対して柴犬を飼ったけれどもうまくいかないというのは、「普通の人間」の悩みで、家族に恵まれない人が、子供が欲しいと思いながらできずに犬を子供のようにしている人とか、そういう人がいると思うのだ。アミニシキヘビとか飼う人というのは、普通の人間とは違う覚悟と経済力がある人のはずで、イタリアンカネコルソなんてのを飼おうという人もまた同様のはずだ。イタリアンカネコルソを飼う人というのはアミニシキヘビを飼う人と同類で、柴犬を飼えたらなあ・・と思う人間とはまったく別の人間であり、イタリアンカネコルソはアミニシキヘビの仲間であって柴犬の仲間ではない。

  私が「犬を飼えたらなあ」と思っても、1日だけではなく継続的に食事の世話をして排便の世話をして散歩に連れていって、病気になったら獣医に連れて行ってということができるかと考えて、簡単ではないと思ってあきらめているのに、我が家の駐車スペースにでっかい犬のう〇こを平気でさせて行く人(「犬のう〇こ」と思ったが、大きさからして、もしかして、「人のう〇こ」なのか?)、又、私が見ている目の前で我が家の門に犬に小便させる爺さん(「体だけ元気な年寄」)、それに、コロナウイルス蔓延と言われる最中にも「マスクしてない猫」に無断で我が家の敷地内に侵入させて、我が家の植栽を踏みつけにして、我が家で糞をさせていく猫の飼主がいる。犬を飼った人は自分が犬の食事の世話・排便の世話などできると判断して飼ったはずなのだから、犬は嫌いではないが世話していける自信はないと判断して飼わないでいる我が家に糞だけ爆弾のように落していくのはやめてもらいたいものだ。猫だって動物としては嫌いではないのだが、頭なでるだけなでて、無断で他人の家の敷地に侵入させて、糞は他人の家の敷地でさせるという猫の飼主は嫌いである。
  どこの飼い犬・どこの飼い猫なのか判別するのが難しいが、捕獲した上でクルマで遠くまで連れていっておいてきてやろうか、それとも「殺処分」してやるのがふさわしいか。1993年、(株)一条工務店の千葉県松戸市の展示場に勤務した時、展示場に猫が住みついて困ったことがあり、どうしたかというと・・・「捕獲した上でクルマで遠くの住友林業の工事現場に捨ててきた」・・ということをした・・という猛者がいた(^^)/  そうでもしてやるのがふさわしいか。コロナウイルス蔓延がさかんに言われ、「マスクもせずに」などとマスクしないで外出するというのは法律で禁止されたわけでもないのに、テレビの報道でアナウンサーが叫んだりしているさなかに、我が家の敷地内に無断で侵入してくる「マスクしていない猫」が今もいるのだが、捕獲した上で、遠くの(株)一条工務店の工事現場にでも捨ててきてやるのがふさわしいだろうか? その際には、他県まで連れて行かないと戻ってきてしまうおそれがあるから、コロナウイルスの媒体になる可能性がある動物を排除するための行動は「不要不急の外出」ではないから、他の都道府県の(株)一条工務店の工事現場か展示場に捨ててきてやるべきだろうか。

   母の日は、5月の第2日曜日として知られるが、「父の日」は「母の日」に比べると知名度が低い。「父の日」は6月の第3日曜日ということになっている。2021年は6月20日が第3日曜日だ。
   要するに、「わしいほどエライ人間はおらんねんぞ、わしい~い」というおっさんの日だ。「わしは、今までにあんたに世話になったことは何一つとしてないし、あんたに今後とも何ひとつとして世話になることはないんやからな」と言いまくっておったにもかかわらず、墓の世話をさせているおっさんの日だ。 今では、就職の面接において「尊敬する人物は?」という質問はすべきではない質問と厚生労働省は見解を発表しているようだが、私が大学生だった頃は、「就職の面接で『尊敬する人物は』ときかれた時に答えられるようにしておかないといけない」と言われていたものだった・・・が、それを話すと、「尊敬する人物は・・・というと、そりぁ、何と言っても、わしいいや、わしいいい!」と何度も何度も叫びまくったおっさんの日だ。それだけは絶対に違うなあ・・・と思ったおっさんの日だ。

   母の弟は元ラグビー選手で、大阪府のある私立大学のラグビーの教授をやっとったのだが、このおっさんはなぜか私に恨みを持っていた男だったのだが、うちの父親はこのラグビー屋のおっさんと仲がよかった。うちの父親が他界した時、葬式の日に、このラグビー屋のおっさんは私にこう言ったのだった。「うちは、息子も男が2人おるから、就職する際に保証人になるにしても互いに保証人になりあいすることができるから、あんたに世話になることなんてないけれども、あんたは兄弟はねーちゃんばっかりで男はおらんのやから、うちに頼むしかないんやからなあ。うちは、今後、あんたに何か頼むようなことは一切ないけれども、あんたはうちにしか頼めんのやから、今後、あんたはうちには絶対に頭は上がらんのやから、わかったなあ。覚えとけよお!」と、人の親の葬式の日にそういう口をききよったのだ。まさに葬式の日に。
  それで、「覚えとけよお」と言いよったからには、そりぁ、忘れちゃいかんなあ・・と思って覚えていたのだが、すると、それからたいして経たないうちに、「息子の結婚式に出てくれ」というて頼んできよったのだ。ありぁ? ありぁ? 「うちは、今後、あんたに何か頼むようなことは、未来永劫に渡って絶対に何ひとつとしてないんやからなあ」とおっしゃったのは、どのお方でしたっけ。「覚えとけよお」と言われたから、そりぁ、忘れたらあかんなあ・・と思って覚えていたのだけれども。もしかして、忘れた方がよかったのかしら? ありぁ???
  「覚えとけよお!」と言いよったからには、それも人の親の葬式の日に言いよったからには、そりぁ、絶対に忘れちゃいかんと思って覚えていたのだけれども、それからたいして経たないうちに「息子の結婚式に出てくれ」て何それ??? どの口が頼んどんのんじゃい、どの口があ?!? 「うちは、今後、あんたに何か頼むようなことは、未来永劫に渡って絶対に何ひとつとしてないんやからなあ」と「大学教授」の先生様がおっしゃったのですからね。しかも、「覚えとけよお!」と念を押されたのですから、そこまで言われたからには、その人の息子の結婚式なんて、出ちゃいかんのではないのか? 出てほしいのか、出ていらんのか、どっちやねん? おえらい大学教授の先生様がおっしゃることですから、「うちは、今後、あんたに何か頼むようなことは、未来永劫に渡って絶対に何ひとつとしてないんやからなあ。覚えとけよお!」と言われたものは忘れちゃいかんはずであって、そのおっさんの息子の結婚式なんて出ちゃいかんのではないのかしらん? 出ていいのお???・・・どう思いますかあ?
・・なんか、大学教授て変わっとんのお。
こういう態度のことを「体育会系の礼儀作法」とか言うということかな?
こういう態度のことを「さわやかスポーツマンシップ」とか言うということかな???

  それにしても、うちの父親というのは「わしは、これまでに、あんたに世話になったものは、何ひとつとしてないんやけども、今後とも、わしはあんたに世話になることは、未来永劫に渡って絶対に何一つとしてないんやからなあ」と言うておったのだが、そのわりには、そのおっさんの墓の掃除だけでも、けっこう大変なのだが。 「そんなもん、墓の掃除なんてたいしたことないやろ」なんて思っていたらそうではない。隣の墓は草ぼうぼうであることが多い。うちの墓は少なくとも右隣の墓に比べれば墓の掃除はされているはずだが、「おまえに何か世話になるということは、わしは未来永劫に渡って何ひとつとしてないんやからなあ」と叫びまくったおっさんの墓の掃除て、なんで、やったらんといかんねん・・・・・という気になりながらやっているのだが、母の弟であるラグビー屋のおっさんは、私が嫌いで、なぜか私に恨みを持っていたのだったが、うちの父親とこの叔父とは大変仲がよかった。仲がよかっただけに、な~んか、やることがよう似とる。
  わざわざ人の親の葬式の日に「うちは、今後、あんたに何か頼むようなことは、未来永劫に渡って絶対に何ひとつとしてないんやからなあ」と言い、さらに「覚えとけよお!」と念を押して、それからたいして経たないうちに「息子の結婚式に出てくれ」いうて当たり前みたいに頼んでくるおっさん・・・( 一一) ( 一一) ( 一一)   「あんたはこれまでわしに世話になったことはいっぱいあるけれども、わしはあんたに世話になったというものは、ほんのわずかでもまったくないし、今後とも、わしがあんたに何か世話になるということは、未来永劫に渡って絶対に何一つとしてないんやから」と言っておいて、平気で墓の掃除させるおっさん。・・・仲がよかっただけあって、この2人、よう似とるわ、ほんま・・・( 一一)  ほんまよう似とる( 一一) ( 一一) ( 一一)  両方とも、小学校は大阪教育大付属小学校・・てのも共通しているのだが、そのあたりも、影響しているのかもしれない。あのラグビー屋のおっさんも、大阪教育大付属小学校なんて、系列の大学がない所に行くから(大阪教育大学の付属小学校というのは、大阪教育大学の先生が教育学とかの研究をするためのモルモットの小学生を用意するための学校であり、慶應幼稚舎が慶應中等部に行く学校で、慶應中等部は慶應義塾高校・慶應女子高校に行く学校で、慶應義塾高校・慶應女子高校は慶應大学に行く高校だというのとは、そのあたりで「事情が違う」のであり、大阪教育大付属小学校から大阪教育大付属中学校には内部進学で行けても、大阪教育大学には内部進学で行けるわけではないので、たとえ、体育の先生になるにしても、日体大なんて行くよりも大阪教育大の何と言うのか知らんが体育教員養成の学部学科に行っておいた方が良さそうな感じがするのだが、行けないみたいなのだ。だから、日体大みたいなもんに行くことになるのであって、慶應幼稚舎でも行っておけば慶應大学に進学することができて、「このぼくは幼稚舎から慶應なんだぞお。我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだぞお。わかってんのかあ~あ!」と叫んで得意がる人生を死ぬまで送ることができたのに。そのあたりが、慶應幼稚舎と大阪教育大付属小学校は「似ている」と言われるものの、違うところがあるように思う。そう思いませんか? ・・まあ、慶應幼稚舎はけっこう競争率高いみたいだし、「週刊現代」に載っていた話では、慶應幼稚舎なんて子供を行かすと、1人行かすことによって年間400万円以上はかかるということで、お誕生会なんてなると、豪邸に呼んでもらって、ものすごいごちそうを出してもらって、ものすごい豪華なプラモデルとかをひとりずつもらって、家庭教師のおにいさんが途中まで一緒に作ってくれて、「後は家に帰って自分で仕上げるんだよお」と言われて家に持ってかえって、子供は大喜びでいるけれども、もしも立場が逆になった時に同じことをしないといけないのだろうか・・と思うと、親はぞっとする・・・と書いてあったが、そんなもん、「普通のサラリーマン」が行かせたりしたら、1人行かすだけで家族全員死んでまうわ・・・てもので、それから考えると、慶應幼稚舎というのは大阪教育大付属小学校と比べても決して「一緒」ではなく「超ド級」なのかもしれない( 一一) ( 一一) ( 一一)
  要するに、大阪教育大付属小学校なんてのは、うちの親戚でも何人か行った者がいるという「その程度」のもので、慶應幼稚舎は「普通の公立の小学校とは違う小学校」の中でも別格、「格が違う」みたい・・・だね・・・。あれがええかどうか・・・ようわからん・・・というのか、私は、あんなもん、ええなんてちっとも思わんけども・・・。

  そのラグビー屋のおっさんだが、「これからはうちが仏壇や墓の世話をしていくんやから」と言いよったはずなのだが、そのわりに、母方の祖父の三回忌も七回忌も十三回忌も、祖母の三回忌も七回忌も十三回忌もやりよれへんのだが、どないなっとんねん。””体育会系””というのは「口だけの男」なのか?  言うだけえらそうな口きいて、何もやりよれへん・・て、ええ根性しとんのお。 「体育会の人間は学力はないけれども、そのかわりに根性がある」と慶應の体育会の教授が言うておったが、たしかに、言われてみると、「ええ根性」しとるわ、ほんま・・。

  うちの父親は「子供ちゅうもんは女が育てるもんや」と言い、うちの父親の親友の医者屋のM川もまた「そうじゃ、そうじゃ。子供ちゅうもんは、女が育てるもんで、大きくなったら父親が命令して何でも決めるもんなんじゃ」と言い、うちの父親はそう言われて「その通りや。さ~すがはM川先生。ええ~えこと言いはる。ほんま、さすがや。名医や、このお方は」と言うておったのだが、「子供は女が育てるもんや」とか言いながら、片方で柴犬を飼いたがるというのは、それはどういうことなんだろうか?
 「子供ちゅうもんは女が育てるもんなんじゃ」と考えているのなら、ましてや、犬を飼いたがるというのは、どういうことなんだ? 子供の相手はしたくないけれども、犬の相手はしたいのか???
  なんか、ようわからんおっさんや。 たぶん、「子供は女が育てるもんや」というのと同様に、犬の世話も自分以外の者がするものだと考えていたのではないか。自分は食事や排便の世話はしないで、時として遊び相手になるだけのつもりだったのではないか。だから、  「子供ちゅうもんは女が育てるもんなんじゃ。心得違いを起こしてはいかんぞ、心得違いを起こしては。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」という主張と、犬を飼いたがる態度は矛盾するののではなく、犬もまた「女が世話するもんなんじゃ」とか思っていたのではないかな・・。
  母はそのあたりも面白くなかったのではないのかな・・・と思うのだが、
お互いにそのあたりについて、互いに思っていることを話し合って夫婦としての考えを突き合わせていこうという姿勢が完全に欠落している夫婦だったのだ。一緒に生きていく上で、互いに納得いかないところがあれば、口に出して話し合って解決していこうというのがそれが夫婦というものだと考えるならば、うちの両親というのは、戸籍上は夫婦を続けてきたけれども、互いに話し合って納得いかない部分は解決していこうという姿勢は最初から最後まで完全に欠落した関係であり、その点で実質的というのか精神的というのかにおいては、最初から最後まで実質的に夫婦というものになったことは一度もなかったようだった。 北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にしていたのだが(・・・そんなもん、自慢にするもんとちゃうやろ・・と思うのだが・・・)、なんだか、自分は「両親が離婚したから」だから、誰よりも不幸を経験してきた誰よりもエライ人間だと誰からも認められてエライえらいエライえらいとほめてもらう権利があると認識していたようだったが(あつかましい女!)、「離婚していない夫婦」が常に完全に幸せであるというものでもないし、「離婚していない夫婦」というのは「離婚することができない夫婦」である場合もあるし、「離婚していない夫婦」であっても矛盾を抱えた夫婦はあるわけで、その矛盾に苦しんでいる生徒には「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と自分はエライんだと主張しまくるものだと思っていたようだが、そういう教諭というのは担任の教諭としては害があると思う。
  そういう夫婦の横で、クマは何の病気なのか怪我なのかわからないままに、どこかに連れ去られてしまい、そして、戻ってこなかった。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
《この錠剤をのみたまえ
 叫ばないですむようにしてくれるよ
 そいつはいのちを奪い去ってくれるよ
 いのちがなければ きみはもっと楽な身になるさ》
( レイン『好き? 好き? 大好き?』村上光彦訳 1978.2.25. みすず書房 「28」)
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

  「ドイツ人で英雄のお父さん」から、「そんな高い治療費なんて払ったらいかん。そんなん、払うくらいなら、新しい犬を買った方が安い」と言われたらしいクマは、治療を受けさせてもらえなかったようだ。クマって、我が家における扱いとして、私と似たところがあるように思えてきた。私が「あの世」に行く時、少なくとも、うちの父親にだけは「迎えに」なんて来てもらいたくないものだが、又、ラグビー屋のおっさんになんて絶対に来てもらいたくないし、あんなん、きよったら行くのんやめるが、もし、誰かに来てもらわなきゃならんということなら、クマに来てもらいたいように思うのだが、クマは来てくれるだろうかなあ・・・。
 ( 2021.6.17.
  2021.6.20.「父の日」の3日目に公開 )

☆ 2021年の「父の日」に。
1.ある日、突然、いなくなった柴犬と「子供は女が育てるもの」と言うわりに犬を飼いたがる男。治療費より新しい犬を買う金額の方が安かったら「新しい犬を買った方がいい」か? 人間について「故障」と言う男。〔今回〕
2.「精神疾患」と思われる人に「アホ」と言うアホ。農作業かスポーツをすると根性がつくか。数学の問題は根性で解けるか? ∴ 農作業かスポーツをやると「根性で数学の問題を解く」ことができるか? 「あんたにやってもらったものは何もない」と言う父親の日 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202106/article_3.html 

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