浪人中、予備校の選択の間違いと高校教諭との付き合い方の間違い、及び、予備校と付き合い方を知っている親と知らない親の違い【1/ 】

[第538回]
  前回、高校について述べたが、今回は大学入試でも特に浪人した場合、特に予備校と予備校とのつきあい方について述べる。
  まず、大学受験というのは「終戦」だと私は思っている。 勝ちとか負けとかではなく、いかに「終戦」させることができるかである。最近は私が高校を卒業した頃と変わっている部分もあるかもしれないが、難関というと、東大の理科三類・京大の医学部、東大の文科一類といったところか。東大の文科はたいてい一類が一番難しく、二類がそれに継ぎ、三類が東大の文科では一番合格最低点は低かったが、京大の場合は法学部・経済学部・文学部は同じくらいというのか、東大の場合は法学部の文科一類の方が難しかったが京大の場合は法学部と経済学部はその年によってどちらが難しいか変わっていて、教育学部はそれよりいくらか易しかった。もっとも、易しかったといっても法・経・文よりいくらか易しかったということであって、京大だから無茶苦茶易しいわけではない。私が高校を卒業した頃、1970年代後半から1980年代初めにかけては、東大の理科は医学部医学科に進むコースである理科三類が最も難しく、続いて理科一類で、東大の理科では理科二類が一番合格最低点は低かった。もっとも、これもあくまで東大の理科の中では理科二類が最も合格最低点が低かったということで、それでも東大だからそんなに無茶苦茶易しいわけではない。最近、『ドラゴン桜』という漫画を見ると、東大に合格させようという弁護士のおっさんが、東大の理科では理科三類は難関だから高校3年の初めで中学校レベルのものも理解できていない者が合格しようというのは難しいとして、理科一類が合格者数も多く入りやすいからねらい目は理科一類だと言っているのだが、私が高校を卒業した頃は理科一類と理科二類ならば理科一類の方が定員は多かったが入試難易度は理科二類の方がいくらか易しかったのだが変わったのだろうか?・・
ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス) - 三田紀房
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それで、その「最難関」という所に合格できたとしても、その後のその人の人生にとってそれがいいのかどうか・・というと、それはよくわからない。実際問題として、そんなもの、誰にもわからないし、死ぬまでわからないし、おそらく死んでもわからないだろう。難関の所に通ったかどうかと別の問題として、その学部学科が適していたのかどうかもわからない。だから、合格できたとしてもそれが結果として「勝ち」か「成功」かというとそれもよくわからないのだが、ともかく、完全に満足できるかどうかは別として、そこならば行こうかと本人が考えることができる所に行って「終戦」できるかどうか、という問題だと思う。
  うちの父親は「本人が納得いかんもんを無理に納得させようと思ってもうまいこといくわけないんや」と言っていたのだ。その部分だけ聞くと、いかにももっともなことを言っているように聞こえる。ほお~お、珍しく、このおっさんももっともなことを言うではないか・・と思ったのだ・・が、しかし、ここで終わりではないところが、あのおっさんの特徴である。「本人が納得いかんもんを無理に納得させようと思ってもうまいこといくわけないんや。そやからやなあ、これが大事なことなんやけど、おまえは、どんなに納得できんもんでも納得せんといかんねんぞ! わかったなあ。納得でけへん言うたらあかんねんぞ。納得できんことでも納得せえよ! おまえはどんなことでも納得できんなんてことは絶対に言うてはならんねんぞ。おまえはどんなに納得できんことでも何でも何でも何でも絶対に納得せえ! これが一番大事なことなんや」とそう言うのだった。・・だから、最初に言った「本人が納得いかんもんを無理に納得させようと思ってもうまいこといくわけないんや」という文句とは結論は正反対になったのだった。うちの父親はそういう人間だった。無茶苦茶やんけ・・・とも思うが、あのおっさんらしいなあ・・という手法である。

  高校入試においては、選択するのは普通科か商業科・工業科、あるいは、公立高校か私立高校か、全日制か定時制かというくらいの選択なので、親と本人とで意見が異なるということは比較的でにくい。それに対して大学入試においては、学部の選択という問題が出てくるし、その大学で本人が納得できるのか、その大学で親が納得できるのか・・という問題があり、そこで『家族の政治学』の攻防という問題が出てくる。 うちの父親は「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、親に孝に、親に孝に、親に孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、すべてをすべてをわしの為に、すべてをすべてをわしの為に、わしの為に、わしの為に為に為に、わしにわしにわしにい~い! んが、んが、んがぁ~あ! とってちってたあ~あ。わしは今まであんたに、わしに孝行せえよおなんてことは、一回でも口にしたことはないやろ。このくらいのことはわかってもらわんといかん」と、毎日毎日、朝から晩まで叫んでいる男だった。「わしは今まであんたに、わしに孝行せえよおなんてことは、一回でも口にしたことはないやろ。このくらいのことはわかってもらわんといかん」とおっしゃいますが、あんた、まさに今、言うたやろうが。今、言うたばっかりやろうが!・・・と思ったのだが、うちの父親はそういうおっさんやった。
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

  大学の入学試験の問題は「大学という所は小学校から高校まで勉強してきた者が行く所だから、小学校から高校までの学習をできているかどうかを見るものだ」という考え方を取るべきなのか、それとも、「大学のその学部学科でやっていけるかどうかを見る試験問題とするべきである」という考え方から試験の科目・配点・出題傾向を決めるべきなのか、2通りの考え方があると思う。私などは高校まで前者の考え方の所に行っていたし旧帝大系国立大学に行くつもりでいて前者のものという意識でいたので、慶應大の学生で入試の科目以外ちっとも勉強してきていない人というのを見ると、特にそういう人間がえらそうにしているのを見ると、こいつら、反則と違うのか・・という印象を受けたものだった。だから、そいつらでも大学生だとしてまかり通っていたということから考えるならば、北野高校の学生などは試験にない科目については少しくらい手を抜いたとしても、慶應あたりに行くやつとの比較なら、それでも試験にない科目についても相当やっている方になるのではないかと思う。
  私は「大学入試の科目にあるかないかにかかわらず、高校の勉強は高校の勉強だ」と思っていたので、 「高校のみならず中学校からして大学入試のためだけにある」みたいな姿勢の私立6年制受験校出身の人が大学入試にない科目については「やっていない」だけでなくその価値を強迫観念でも持っているかのように観念的に否定する態度を見て、こういうのはどんなものなのだろうと思ったし、又、「高校卒業する時点ではまともな大学になんて行ける成績の人間なんてほとんどいない高校」卒の人で、1浪して慶應の入試科目だけ慶應の試験にやっとこ通る程度に学習して入学したという人、かつそれが王道だと信じて自信持ちそういう自分は世界一エライと心から思っている人を見て、たとえ、大学入試の科目としてなかったとしても、中学校・高校でやることになっているものというのは決して価値がないものではないと思ったので、それをやらずに大学生になってしまうというのがいいのかどうか、又、クロマティ高校卒で最初から高校卒業時には通る大学なんてなくて1浪して慶應の入試科目だけをぎりぎり合格できるレベルまで学習して慶應大に入学して得意がっている男というのは、私などは「中学校の勉強は中学校の勉強、高校の勉強は高校の勉強だ」と思って学習してきたのに対して1浪が当初からの予定で大学に入学するための科目だけ浪人中に学習して慶應大に入学するヤカラの進学方法というのは反則と違うのか・・という印象を受けた。「反則と違うのか」と言っても違法ではないし、そういう人はそれを得意がっていたのだが、やっぱり「反則と違うのか」という印象を受けた。
  そういう中学校・高校を大学進学のためだけの存在と位置付けている「予備校に6年間行くような中学校・高校」の私立6年制受験校というのは大学入試に成功した場合も失敗した場合も大学入試にだけ通る人間的なカタワをわざわざ育成しているということはないのか・・と私は疑問を感じた。又、その点では私立6年制受験校よりも公立進学校の方がいいのではないかとも思った・・が、北野高校にしても公立伝統校には実際問題として「企業努力が不足している」「親方日の丸みたいなところがある」と感じるようにもなった。慶應の教授(内部進学)は「小学校から高校まででやっているものは受験勉強だ。害があるんだ」とおっしゃるのだが、それを聞いて「この人たち、変な教育うけてきているなあ、この人たち、かわいそうな人だなあ」と思ったが、その人たちは、むしろ、そういうところを自慢にしていたし、そういう態度のことを「受験勉強の悪影響を受けていない」と言い「福沢精神」で「独立自尊」だと言い、私など公立進学校出身者は自分と同じ高校卒の人間がいてもその点でそうでない人よりいくらか親しみを感じることはあっても、だからすべてを肯定してそうでない人はすべてを否定するというような思考はしないものだが、慶應の内部進学の人間というのは「内部と外部」という思考を常におこないそれから離れることができない人たちであり、そういう精神構造・精神態度のことを、「もはや我生くるにあらず、塾風わが内にて生くるあり」みたいな人のことを「自我が確立されている」と言うのだったが、それって逆と違うのか? なんでそれが「自我が確立されている」なんだ?・・と私などは思ったものだったが、こういうことを言うと「慶應心理学」から「自我が確立されておればそういったことは言わないはずですね」「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」「そういったことを言うあたり受験勉強の悪影響だと思います」とか「未成熟だからそういったこをと言うのです」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういった発言がでるわけです」とか「診断」されることになる。「診断」されると次に「治療」される危険もあり、怖いこわい怖いこわい・・・本当に怖い! ロボトミーとか電気ショックとか、もしくは「精神安定剤」の大量投与による「化学的ロボトミー」とかされる危険がある。こわい怖いこわい怖い、「心理学」は本当に恐ろしい!! 要するに「慶應心理学」というのは「内部進学独善主義」を「心理学用語」「精神医学用語」「精神分析学用語」と称する寝言戯言で表現したものでしかない。よくもまあ、勝手なこと言いまくるものだと思う。どうも、私立6年制受験校出身の人には「大学入試にある科目⇒価値がある、大学入試にない科目⇒価値がない」という観念が強固に頭にこびりついている人が多いという印象を受け、片方で、なんだかんだ言っても大学入試というものがあるからにはそれに通らないといけないのだから、私立6年制受験校でそういったことを認識して合格するための対策をきっちりととっている所というのは、それは否定するべきものではないと思ったものの、「大学入試にある科目⇒価値がある、大学入試にない科目⇒価値がない」という観念が強固に植えつけられてしまっている人、大学入試が終わった後もその観念・その思考態度が抜けない人というのは、そういうのは「受験勉強の悪影響」とでも言うものではないかと思ったのだが、「慶應心理学」ではそういうものを「受験勉強の悪影響」と言うのではなく小学校から高校までに学んできたものを「受験勉強」と言っていた。おかしいではないか・・と思ったのだが「慶應心理学」というのは慶應の内部進学の人の世界観でできているので、「内部進学の人の世界観」がおかしければ「慶應心理学」もそれに呼応しておかしなものになるし、慶應で「慶應心理学」がおかしいと言っても通じないので、その世界観をおかしいと言いたいなら他の大学に行った方がよさそうなものだった。よく、「浪人は1年までよ」とか言う人がいる。しかし、「1年まで」には「合計1年まで」なのか「あと1年まで」なのか、2通りの意味がある。「内部進学の人間のいびつな世界観」でできているエセ学問にへこへこさせられるためだけの大学、「塾風さかえて学問亡ぶ」「学問は塾風の婢」みたいな大学、「強姦魔の大学」に行かされるくらいなら、「1年まで」なら余計にかけても、たとえ「大学卒業するまで2年遅れまでで」を越えてしまって大学卒業時に就職に不利になるようなことがあっても、せめて「内部進学がない大学」に行くようにした方が、京大でも東大でもその高校からその大学に多く行っている高校の出身者の方が多少は大きな顔するくらいはあってもあくまで「多少は」であって別にその大学に多く行っている高校が「正統」ということでもなくどの高校出身の人間も平等であるし、それまでの人生よりそれからの人生の方が長いということを考えるとたとえ「あと1年まで」ならかけても「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などと「種無し葡萄は自分で房からちぎって口に入れて食べるものではなく、皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うものだと小学校に行くか行かないかの頃から教育されてきた人、それが『スマート』で『思考が柔軟』で『自我が確立されている』で『独立自尊』で『ギャルにもてもて』だと子供の頃から観念的に教えられてきた人」「公立高校出身の人間はドジンであってドジンには内部進学の人間の下男・婢をさせて当然と考えており、当然ドジンは強姦してもいいと思っている人間」「agriculture を agriculture と頭にアクセントを置いて発音するのは『受験勉強だ。害があるんだ』であり、agriculture と中ほどにアクセントを置いて発音するのが『思考が柔軟』で『受験勉強の悪影響を受けていない』で『独立自尊』で『福沢精神』であり『企業はそういう人間を喜ぶ』で『ギャルにもてもて』だと考えている人」から言われ「教育」される「大学」に行かされて悪影響うけるよりはよっぽどいい、なにより小学校の1年から同級生が遊んでいる時も努力して勉強してきたのにそれなのに私が勉強していた時に遊んでいたやつの「強姦魔の大学」に行かされてそいつらのテカにならされるのは嫌だと思ったもので、《せめて「内部進学がない大学」に》行くようにした方が、その方がその大学に行った者は誰もが平等なのでその方がいい・・とも私は思ったのだが、私の場合は「わしが決めたるわあ」という父親の家庭だったので、どうもならなかった。横浜市港北区の慶應大学日吉キャンパスのすぐ南にあった日吉台学生ハイツで私が居住していた部屋と同じ階の部屋に、私と同じ年齢で天王寺高校卒で東大を受けたが2浪でも落ちてしまい、慶應大商学部に在籍した上でもう一度受けて、3浪で東大に通って行ったという男がいたが、うらやましかった。私だってもう一度受ければ通った・・と思ったが、「思った」としてもともかくある程度以上の所である限り「絶対に」というものはない・・としても、それでも、もう一度受けることができれば通ったように思う。慶應大に在籍した上で学習して3浪で東大に行ったそいつが心からうらやましかった。我が家の近所で私よりいくつか年下で私と同じ公立中学校から同じ北野高校に行って3浪で東大理科三類に行ったやつがいたが、さすがに3浪ともなると道を歩いている姿を見ても「しょぼーんとしている」ように見えたとうちの母親は言っていたのだが、それを見てうちの母親は「かわいそうにねえ。勉強しない子が落とされるのならしかがないけれども、いい子なのに落されてかわいそう」とか言うておったのだが、あんた、私が浪人した時に私に言ったことと言うことが全然違うじゃねえかよお!・・ 「親というものは、いついかなる時も自分の息子のことをよその息子よりもいいようにいいように思うものなんや」とか勝手なこと言いまくってきたくせしてからに、よく言うわ~♪、バカ言ってんじゃないわ~♪ 「親というものは、いついかなる時も自分の息子のことをよその息子よりもいいようにいいように思うものなんや」とか勝手なこと言いまくってきたくせしてからに、実際は正反対じゃねえかよお・・と思ったものだった。 「心理学者」というものは「親というものは自分の息子のことはいいようにいいように思うものですから」と、さも「心理学の研究成果」であるかのごとく言いまくるのであるが、そんなもの、いったいどうやって「実験」するんだよ? どうやって調査したんだよ? どうやって統計とるんだよ? 勝手なことばっかり言うんじゃない。アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用しているが、「親というものは自分の息子のことはいいようにいいように思うものですから」というそういう親も世の中にはいるのかもしれないし、又、小学校・中学校と同じで高校も同じ北野高校に行き、1浪で京大の法学部に行ったN口という男がいたのだがそいつの母親なんかは「自分の息子のことをいいようにいいように思っている」のかどうかの問題ではなく「自分の息子のことをいいようにいいようにひとにギャースカギャースカ言ってまわるということを常にやりまくらないとおれないシンドローム」の親で、そのあたり「ほとんどビョーキ!」て感じだったがそういう親もいるようだ。N口のお母さんについては、最初は「お母さんというものは、そんなものなのかなあ」とか思って聞いていたが、そのうち、このおばはんもええかげんうるさいなあ、ほんまにい~い!・・と思うようになったが、アホなお母さんにそんなこと言われまくってそれで息子は自分でもそんな感じに思うようになっていたというのはなんとも愚かであり、「あんまり賢くない」と考えるべき状態であり、そのあたりについては、浪人したとはいえ曲がりなりにも京大に行ったといってもあれではなあ~あ・・・というところがあったのだが、うちの親なんかは父親も母親も「心理学者」が「学説」と称して言いまくるような「親というものは自分の息子のことはいいようにいいように思うものですから」なんてことはちっともなくて、むしろ、よその息子のことをいいようにいいように思い、自分の息子のことを悪いように悪いように思っていたし、N口の母親とは正反対で自分の息子のことをよその人間に悪いように悪いように言いまくる母親だった。「心理学の学説」などというものはデマカセ・デタラメであり、寝言戯言である。・・で、そいつらは浪人でも最初から3浪しようと思ったわけではなく結果としてそうなったということで、たとえ「あと1年」余計にかけても・・という気持で「終戦」することができる所に行ったのだろう。心の底からうらやましいと思う・・・し、「かわいそうにねえ。勉強しない子が落とされるのならしかがないけれども、いい子なのに落されてかわいそう」などと自分の息子になら絶対に言わないようなことをよその息子にならいう母親て、この人もなんか変わっとるなあ( 一一)・・と思ったものだった。
  北野高校で私よりひとつ上の学年にいた男性で、大阪大学工学部を落ちて1浪で静岡大学工学部に行った人がいたが、私が2浪で共通一次試験を大阪大学豊中キャンパスに受けに行くと、「あれ!?!」・・とそこにいて会ったのだが、かつて一期校・二期校の制度があった時代に二期校だった浜松市にある静岡大学工学部では、京大・阪大の工学部や東大の理科一類・二類を落ちて(たぶん、早稲田の理工学部、慶應の工学部〔現 理工学部〕も落ちて)静岡大工学部に行ったものの、1週間経ち・2週間経ち・1か月経ち・2か月経ちするうちに「なんで、俺はこんな所にいなきゃならんのだあ」「なんで、こんな所になんで行かにゃならんのだあ」・・という気持になり(これを「遠州人」に言うと「遠州人」は「浜松のことを『こんな所』とはなんだあ~あ!」と言って怒るのだが・・、それは、京大・阪大や東大に行こうとして静岡大に行った人からすれば「こんな所」という思いがするのであって、浜松という場所がいい所かろくでもない所かという問題とは別の問題なのだが、「遠州人」は怒るのだ・・)、2浪しようが3浪しようが関係あるかあ! という気持に成り、1人減り、2人減り、そのうち半分もいなくなる・・・という状況だったらしく、言っている当人自身、2年になって、そう思うようになったらしく、結局、3浪で受け直して最終的には3浪で阪大の歯学部に合格して行ったようだった。そうさせてもらえる人が心の底からうらやましかった。
  日吉台学生ハイツにいた時、大阪府の堺市だったかの高校卒で慶應大の商学部だったかに2浪で入ったという人がいて、私に「よく慶應で我慢できるなあ。受け直さないのですか」と言ってくれたことがあった。その時、大阪府の藤井寺市だったかの住人だったか高校の卒業だったかの男で法政大に行っていた男が「◇◇さんだって慶應に行ってるじゃないですか」と言うと、「そりぁ、俺は高校が北野高校みたいな高校じゃないから、うちの高校なんて進学校でも何でもない高校で『2浪で慶應』なら御の字も御の字で、それ以上のものを求めたらバチ当たるくらいのものだから俺はいいけれども、俺だって北野みたいな高校でてたら、慶應なんかでは絶対に我慢できないわ。2浪しようが3浪しようが関係ない。そんなもの、慶應なんかで我慢なんかできるわけないわ」と言うのだったが、私はそれを我慢させられたのだった。受け直して東大に行ったり阪大の歯学部に行ったりした人が心の底からうらやましかった。

   「大学という所は小学校から高校まで勉強してきた者が行く所だから、小学校から高校までの学習をできているかどうかを見るものだ」という考え方と「大学のその学部学科でやっていけるかどうかを見る試験問題とするべきである」という考え方と別に、他に、言っちゃなんだが、あんまり頂点ではない方の大学では、ともかく何か試験やればいいみたいな所もあれば、どうせ、そういう大学の受験生には入学試験をやってもあまりいい成績を取れる人間は応募しないのだから「やる気」を重視する・・という所もあるようで、「やる気」て何なんだ・・というと、その学部学科でやっていこうという気持があるかどうかを見ようということのようだが、そういう試験を実施している所もあるようだ。
  私が高校を卒業した1970年代後半あたりにおいては「大学という所は小学校から高校まで勉強してきた者が行く所だから、大学入試は小学校から高校までの学習をできているかどうかを見るものだ」という考え方を取っていたと思われる試験科目と試験問題だったのは京都大学・大阪大学・神戸大学あたりがそうだったと思う。
  東大の場合、1978年の入試までは一次試験と二次試験があり、これは旧型司法試験、現在の司法試験の予備試験と似ていて、文科では理科以外の4科目、理科では社会科以外の4科目が一次試験と二次試験の両方にあったが、一次試験を「足きり」のように解釈していた人がいたがそれは間違いで、そうではなく、一次試験と二次試験で文科では数学・英語・国語・社会科、理科では数学・英語・国語・理科の4科目について、異なる出題形式での問題を出し、その両方の出題形式で一定以上の成績を取れる人を合格にしようという考え方だったと思う。だから、もし、1978年までの東大の入試で一次試験を「足きり」だろうと甘く見て、いくらなんでも「足きり」で落とされることはないわなどと思い込んでいるとその一次試験で落ちることになる場合があった。一級建築士・二級建築士・木造建築士の試験では一次試験で学科、二次試験で製図の問題が出され、インテリアコーディネーターの試験では一次試験で学科、二次試験では製図と論文の試験が出題されるが、一級建築士・二級建築士・木造建築士・インテリアコーディネーターの試験での一次試験は「足切り」と考えるべきものではないのと同じく、1978年までの東大の一次試験は「足切り」と考えるべきではなく、異なる形式での出題にどちらも答えられる能力を見るというものだった、と私は思う。東大出身者に旧型司法試験や国家公務員1種試験合格者が多かったということには、ひとつには大学の入学試験の出題傾向と旧型司法試験や国家公務員1種試験の出題傾向と東大の入試の出題傾向に共通点があったので東大の入試に通る人は旧型司法試験や国家公務員1種試験にも通りやすかった、ということがあったのではないか。
  慶應大学はその大学の学部で入学後にやっていけるかどうかを見るという視点での出題をしていたと思う。経済学部は数学と英語の2科目、商学部は数学と英語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目の3科目、法学部法律学科と法学部政治学科は数学・英語・国語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目だったと思う。医学部と工学部(後に、理工学部)は数学と英語と理科が物理と化学の2科目指定、文学部はなぜか数学と英語だった。森川英正『日本経営史』(日経文庫)に、かつて、慶應義塾の出身の村井保固さんという方が森村組で採用してもらおうと受けて、森村組の採用条件は一に健康であること、二に英語と簿記ができることだったが、村井保固さんは面接で「語学と簿記は得手な方ではありません」と言ってしまって不採用になり、福沢諭吉から「実業家を志す者が語学と簿記は得手な方ではありませんとは言語同断だ」と怒られたという話が載っており(その後、村井保固さんは「森村さんはえらい人だと聞くが、語学と簿記で人の採用を決めるとは納得いかない。会社を背負って立つ大黒柱となる人間が欲しいのか、語学と簿記ができる小手先のきく人間が欲しいのか」と訴え、再度応募して採用されたらしいが)、語学と簿記というのは「実業家を志す者」には必要なものだと考えると、簿記を高校まででやっているのは商業科であって普通科では簿記はやっていないけれども、そういった数学的な思考というものが、経済学部卒で企業に勤めた者には必要だと考えるなら、高校までの科目では数学が必要と考え、これからの時代は語学、特に英語ができないといけないということから、数学と英語になったのではないか。それに対して、商学部はなぜ、それに日本史か世界史のどちらかが加わっているかというと、慶應の経済学部と商学部ならば「名前を取る」人は経済学部に行きたがるのだけれども、医学部とともに慶應の看板学部だった「慶應の理財課」は「慶應の経済学部」に名称変更した後、戦後、学部の定員を増やそうという話が出た時に、それならいっそうのこと、学部を2つに分けてはどうかということで、商業学・経営学・会計学など経済学以外のものも扱うが経済学に重心がある学部を経済学部、経済学も扱うが商業学・経営学・会計学など経済学以外の方に重心がある学部を商学部として2つに分けたもので、「慶應の理財課」の後身は経済学部であって商学部は何もない所に新たに作った学部というわけではなく、経済学部と商学部の両方が「慶應の理財課」の後身なのだけれども、学部を2つに分けて片方にそれまでと同じ名称をつけて他方に新たに別の名称をつけると、それまでと同じ名称をつけている学部の方が本来のもののように見えてしまうことがあり、入試科目をまったく同じにしてしまうと、入試の難易度がどちらが上か下かと見られて学部間に上下の評価ができてしまうことになるので、経済学部は経済学部、商学部は商学部ということにするために、商学部では経済学部と同じ数学と英語とともに、さらにもう1科目として必要なものといえば、「日本を含めた世界の歴史」(「世界史」)か「日本を中心にした世界の歴史」(「日本史」)かが必要だということで数学と英語と「世界史か日本史のどちらか」としたのではないかと思う。法学部法律学科と法学部政治学科は、経済学部・商学部と比べて公務員試験を受ける人が多い学部であり、国家公務員試験にしても地方公務員試験にしても、試験科目も多く全般的な知識を問う問題が出題されるので、国語と「世界史か日本史のどちらか」を試験科目に入れた方が良いと考え、又、経済学部・商学部では国語はそれほど重要ではないとしても、法律論理を考えるにおいては国語の能力は必要と考えて、それで法学部法律学科・法学部政治学科では国語が入試科目に入っていたのではないか・・と思う。文学部は数学と英語だったのだが、なぜ、文学部の試験科目が数学と英語なのか。文学部という学部は実際にはいくつもの学科の総合体で学科によっても異なるはずだが、なぜ、数学と英語なのか・・というと、おそらくだが、これは「経済学部のすべり止め」として「数学と英語」が入試科目の学部として文学部の入試科目を数学と英語にしたのではないか・・。私の知っている人間でも「1浪で慶應の文学部」という男で心理学科に行っていたが、なんで、こんなやつが文学部なんだ、なんで、こんなやつが心理学科なんだという男だったが、ちょっと話しただけでも「勉強してないなあ」とすぐにわかる男だったが、おそらく、「1浪で慶應の経済」を目指したが落ちたのだろう。「1浪で慶應の経済」を目指したが落ちて「1浪で慶應の文学部」という第二志望にはやっとこ通ったので、それで「1浪で慶應の文学部」に行ったようだった。そういう人がいる。1970年代後半の慶應の入試科目はそうやって決まったものだろう・・・と思う。これは私の推測だけれども、おそらく当たっていると思う。これはいいか悪いかというと、入学後、その学部でやっていけるかどうかを見るという視点で入試科目を決めるというのは悪いことではない。
  又、慶應の経済学部・商学部・法学部・文学部の数学の問題は京大や東大の二次試験の数学の問題と比べると比較的易しい問題で素直な問題が出題されていたと思うが、問題が比較的易しくて素直な問題だからといって、だから入りやすいと決まったわけではなく、問題が易しくても受験生誰もが高得点を取るなら入試難易度は易しくないし、入試の問題が難しくても誰もが解けなければ入試難易度は高くはないことになる。慶應の経済学部・商学部での数学の問題がそれほど難問ではなく、かつ、素直な問題だったのは、それは、 「高校の数学および大学入試の数学」と「大学の数学科の数学」と「大学の経済学部・商学部の数学」は同じではないのであり、実際問題として「大学の経済学部・商学部の数学」をやっていけるかどうかを見るという視点で考えると、東大の二次試験の数学や京大の数学の問題というのは難しすぎるのだ。京大の数学・東大の二次試験の数学の問題くらいの難問を解けなくても「大学の経済学部・商学部の数学」はやっていけるのだ。↓
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「大学の経済学部・商学部の数学」と「高校の数学および大学受験の数学」は同じではなく、上の方の図のように共通する部分もあるが共通しない部分もある。「大学の経済学部・商学部の数学」をできるようになろうと考えれば、「高校の数学および大学受験の数学」については「無茶苦茶ハイレベルの難問でも解ける能力」までなくても「ある程度の問題が解けるレベルの能力」があればいいし、逆に「高校の数学および大学入試の数学」に「無茶苦茶ハイレベルの難問でも解ける能力」があったとしても、だからといって何もしなくても「大学の経済学部・商学部の数学」はできるとは言えない。 私なんかは高校まで数学はけっこう好きで、それも難問を解くということにチャレンジャー精神をもって喜んで取り組んだものだったが、「大学の経済学部・商学部の数学」をやっていけるかどうかという視点から考えると、そこまで難問が解けなくてもいいのだ。そうではなく、それほど難問ではなく、かつ、比較的素直な問題を解けるかどうかという視点での試験の方が、「大学の経済学部・商学部の数学」をやっていけるかどうかを見るという点では適している。だから、慶應の経済学部・商学部の入試の数学の問題は、それほど難問ではなく、かつ、比較的素直な問題が出題されていたのだろう・・と思う。これも推測だが、たぶん、そうだと思う。
  小学校から高校まで同じ学校で、慶應大経済学部に現役で通ったS本という男は北野高校の模擬試験ではあまりいい成績を取れなかったらしく、本人がそう言うのだからそうなのだろうと思うが、北野高校の模擬試験の数学でいい成績を取れなかったにも関わらず慶應大の経済学部の試験の数学ではできたのかというと、北野高校の模擬試験の問題というのは「仮想受験校:京都大学」で考えられている問題で、慶應大の経済学部・商学部・法学部の数学の問題よりも難しい問題が出題される。数学とか物理といった科目はできるかできないかどっちか・・と言われるが、北野高校の数学の教諭のA野教諭が私が3年の時、「数学というものは、できるかできないかどちらかですから、ここで(北野高校で)できなければ、どこに行ってもだめですね」と言い、北野高校でできなければもう少し学力レベルの低い高校の生徒と比較してもだめだという発言をしたがそれは必ずしも正しくない。 どうも、北野高校の教諭には、こういった不正確なことを言ってしまう人がいるのだが、そういうのはあまり良くないと思いますよ。
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完全に45度線を描いて移行するかどうかはともかく、学習量・学習進捗状況と成績・点数が比例関係に近く変化するような科目もあるかもしれないが、そうではなく、「できるかできないか」という科目もあるわけで、そういう科目は一定の所までやらないと0点に近い点数しか取れないことになるが、逆にある程度の所までやれば相当の点数がとれる。しかし、「できるかできないか」が一段階だけと決まっているわけではなく二段階以上ある場合もある。この「できるかできないか」型の科目で悪い成績を取ってしまったならばどうするかというと、自分はその科目はできないんだと思い込むべきかというとそうではなく、「できるかできないか」型科目なのだから「できる」レベルまでやればいいのだと考えるべきだ。数学や物理はそういったタイプの科目だと思う。しかし、「できるかできないか」型科目とはいえ、ある程度のところまでやれば、どんな問題でもできるかというとそうではない。「できるかできないか」の段階が1段階とは限らないのだ。2段階以上ある場合がある。そういう場合には、1段階目の「できるかできないか」を「できる」側に達成していても2段階目の「できるかできないか」を達成していなければその問題は解けない、相当低い点数しか取れない・・ということがある。 「大学の経済学部・商学部の数学」をやっていけるかどうかを見る試験と考えるならば、「高校の数学および大学入試の数学」については京大の数学の問題・東大の二次試験の数学の問題までできなくてもいいことになるが、「仮想受験校:京都大学」で出題されていた北野高校の模擬試験の数学の問題は、おそらく、「二段階以上型」で2つ目以降の「段」を越えないと解けない問題だったのではないかと思うが、1つ目の段を超える能力があるかどうかを見るタイプの試験を実施していた慶應大の数学の問題ならば、2つ目の「段」を越えていないと解けない京大や東大の問題および北野高校の模擬試験の問題で良い成績を取れなくても解けたということは十分ありうることだ。おそらく、S本はそれに該当したのではないか。《1段目の「段」を越えれば2段目の「段」を越えていなくても解ける問題》が出題される大学は《2段目の「段」を超える問題を解ける能力がなければ0点に近い点数しか取れない問題の大学》より入りやすいとは限らない。前者の問題でも誰もが高得点を取るなら入試難易度は難しいことになるし、後者の問題でも誰もが低い点数しか取れないなら入試難易度は高いとは言えないことになる。

  もうひとつ、早稲田大の場合は、理工学部以外はすべての学部で入試科目が同じだったとともに、「出題傾向、問題に少々くせがある」と私は感じたのだが、早稲田大は政治経済学部政治学科・政治経済学部経済学科・法学部・商学部・文学部・教育学部で試験科目と配点と出題傾向はすべて同じだったのだが、英語と国語と社会科1科目の3科目で受けることができて、国立大学の試験科目と比べると、早稲田大は「数学なしで受けることができる大学」であり、旧帝大系国立大学を目指してきた者からすれば「なんで、数学が入試にない大学なんか行かされなきゃならんのだ」という気持になる大学だった。 早稲田大が旧帝大系国立大学と入試科目を変えていたのは、これも、おそらくだが、東大など旧帝大系国立大学を落ちて早稲田大には通ったという人にも来てもらっていいけれども、「東大など旧帝大系国立大学のすべり止め大学」にはなりたくない、「早稲田大に行きたいと思って早稲田大に入学する人」にも来てもらいたいという考えがあって、それで、意図的に東大など旧帝大系国立大学と入試科目を変えるとともに、出題傾向にも「少々くせがある」問題としたのではないか大学入試でどれだけの点数を取れるかはその科目についての学習と実際に受ける大学の問題への対策をきっちりとやったかの両方から決まるが、慶應のような「比較的すなおな問題」である場合と「少々くせがある問題」とでは、「少々くせがある問題」を出せばその大学を第一に考えている受験生はその大学の問題についての対策に時間を費やすことができるのに対して、旧帝大系国立大学などを第一に考えている受験生は早稲田大の問題についての対策にそれほど時間・労力を費やすことはできないので、早稲田大を第一に考えている受験生がその分だけ有利になり、それだけ、早稲田大を第一に考えている人間の入学比率を高くすることができる。そういったあたりも考えて、その問題になっていたのではないか・・と思う。 何度も言うが、これは私の「推測」であるが、おそらく、当たっていると思う。
  慶應は「旧帝大系国立大学を第一に考えている人」だけでなく「慶應を第一に考えている人」に来てもらおうという考えはないのかというと、慶應の場合はそれよりも「内部進学中心で運営する」という姿勢が強いので、慶應は内部進学の占める割合というのを強く考慮していたのではないか。 慶應は医学部の場合は4割が内部進学らしく、経済学部は3人に1人以上内部進学であり、そこまで内部進学が多いと、なんというのか、山口組の分裂以来、それまで「アサヒ芸能」「週刊実話」「週刊大衆」なんて読むことなんてなかったのにずいぶんと読んでしまったが、その3誌のどれかでヤクザさんが「かつては、山口組では『山健にあらずば山口組にあらず』と言うて、山健組の枝の先の葉っぱにのってる毛虫みたいなやつまでが、山健じゃ山健じゃ言うてえらそうにしとった」と話していたのが掲載されていたが、それを読んで、なんか慶應の内部進学みたいやなあ・・と思ったものだったが、慶應の場合は、それだけ、内部進学の力が強く「慶應は最低でも高校から行った人間が本物の慶大生」と言い(だから、大学だけ行った人間というのは「にせもの」なのだ。「にせもの」でえらい悪かったなあ・・て感じがするが、そういう大学である)、大学だけ慶應に行った人間のことを「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部の連中」と言う大学なので、大学だけ慶應に行く人間の経緯については早稲田大ほど考える必要はなかったのではないか。経済学部の場合、慶應の内部進学の人は大学から入る者以上に「名前を取る」傾向が強いので、経済学部か商学部かというと実際に学びたい内容がどちらかから考えるのではなく「名前を取る」ことから「ためらうことなく経済学部」を選択する、又、経済学部と商学部なら商学部の方が進級のノルマが厳しいらしく、又、内部進学の人間というのは「何かと群れる」という傾向・精神構造があり(そういう精神構造のことを「独立自尊」と「慶應心理学」は言う・・なんで? 逆と違うのん?・・なんてことを言うと「独立自尊の精神がないからわざわざ無理して逆らっている」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「自我が確立されていないからそういうことを言うのですね」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういったことを言うのです」とかなんとかかんとかかんとかくんとか言われまくることになる。「治療」されるおそれもある。怖いこわい怖いコワイ、本当に怖い!!!)、それで経済学部に集まりたがる傾向があったようだが、経済学部に内部進学が多いというのはあくまで結果としてであったのに対して、医学部の場合は最初から「内部進学が4割」と数字を決めてあるらしい。この「4割」というのは「くせもの」というのか「なかなかうまく考えたもの」というのかで、内部進学が主導権を取れる数字がこの「4割」であり、かつ、大学から入る「(慶應義塾の)外部の者」でも、「あほくさい、そんな所、誰が行くかい」という気持になって大学から慶應大医学部に行こうとするものがなくなってしまうということにはならないだろうという数字が「内部進学が4割」という数字なのではないか・・・。たぶん、そんなところだと思うよ・・、たぶん・・・。この「たぶん」はあくまで「推測」だけれども、そう間違ってないと思うぞ。この「たぶん」は「でたらめ」とは意味は違う。

  学部ごとに試験科目を変えた方がいいか、すべての学部で試験科目も出題傾向も問題の難易度も同じである方がいいかというと、「その学部・学科でやっていけるかどうかを見る」という視点からいけば、学部により試験科目は異なる方が合理的である。又、文科はすべての学部で入試の科目が同じ、理科もすべての学部で入試の科目が同じとなると、学部間で上下ができてしまい、入試難易度が難しい学部に通った者はその学部とは異なる学部のものを学びたいと考えていた者でも、入試難易度が高い方に通ってしまうとそちらに行きたくなりがちだし、学部の選択を、自分がどちらの内容を学びたいかで決めるのではなく、入試の難易度で決めるということにつながりやすい。だから、その点では学部ごとに入試の科目は変えた方がいい。特に経済学部と商学部は入試科目が同じだと商学部は「第二経済学部」みたいになってしまう危険があるので、試験科目は変えた方がいいだろう。その一方で、私立大学の場合は、入学試験の受験料というのが大学運営のための財源のひとつであり、入試科目をすべての学部で同じにしておいた方が、複数学部を受験してもらえて受験料の収入も多くできるという点がある。早稲田大学は法学部・政治経済学部政治学科・政治経済学部経済学科・商学部・文学部(私が高校卒業した頃は第一文学部)・教育学部と試験科目と配点と出題傾向がすべて同じだったが、おそらく、早稲田大学は入試科目を同じにすることで受験料収入を多くする方を選択していたのではないか。なぜ、慶應大は受験料収入を増やすという点ではすべての学部の試験科目を同じにした方が受験料収入を多くすることができるのに学部ごとに試験科目を変えて、早稲田大は理工学部以外はすべて同じにしていたのかというと・・、これも、「おそらく」だが、慶應の方が早稲田よりも経営状況が良かったのではないか。受験料収入を増やしたいという事情は慶應よりも早稲田の方が切実だったからではないだろうか。私立大学にとってはすべての学部で試験科目と配点を一緒にしておいた方が複数学部を受けてもらえて受験料収入が増えるというメリットがあるが、受験生にとっても複数学部を受けることができるということでメリットがあると考えることもできるかもしれないが、早稲田大のように学部間の難易度にそれほど大きく違いがない場合には、複数学部を受けても「全勝ち」か「全負け」になるということは十分考えられる。インターネットを見ていたら、ネトウヨらしき人が橋下徹を「早稲田大を受けた所をすべて通ったらしい。すげえ」とか書いていたが、別にすごくないと思う。そもそも、実際に行かなかった所について、通ったかどうかいちいち正確に人に話す必要はないし、受けたかどうかもいちいち話す必要はないしきかれる筋合いもない。だから、橋下の立場からすれば、早稲田大政治経済学部経済学科卒というのは知事とか市長とかに出馬するなら言うべきだし、弁護士として仕事をする場合も正直に言った方が良さそうだが、それ以外に実際に行かなかった所については、通ったものも落ちたものもいちいち答えないといけないということはない。だいたい、橋下は国立大志向の北野高校から1浪で早稲田大政治経済学部経済学科に進学したらしいので、1年浪人してもそれでも、どこか知らんが国立大学に落ちよったあ~あ・・・アホやアホやアホやあ~あ・・というものであって、「すげえ」とか言うようなものではないし、橋下が3年の時、橋下が加入していた北野高校のラグビー部が全国大会に出場して2つ勝ち、3つめに高校ラグビーの名門の伏見工業と1月に花園ラグビー場で対戦して善戦したものの敗北したという年であり、進学校にいて高校3年の1月までラグビーやってそれで現役で東大なり京大なりに通ったのならば「文武両道」とか言って「えらいねえ」とかほめてもらえるかもしれないが、進学校の運動部の人間というのはスポーツ専門校の人間なんてアホやとか思っておるかもしれんけれども、実際問題として、スポーツ専門校のやつというのは進学するにしても就職するにしてもそのスポーツで進学したり就職したりするわけであり、大学にスポーツ入学で進学するわけでもない進学校の北野高校の3年生が高校3年の1月に伏見工業のやつとラグビーやってそれで京大なり東大なりに現役で通ったのならいいが、落ちて浪人しよった・・となると、進学校にいてスポーツ入学で進学するわけでもないのに大学進学する者にしてもスポーツ入学で進学する伏見工業のやつと高校3年の1月に花園ラグビー場でラグビーやっとるて・・、もしかして「アホちゃうか」・・ということになるはずで、スポーツ専門校のやつが高校3年の1月にラグビーやっていたとしても、彼らは入学試験か就職試験を受けているようなものであって、スポーツ入学で進学するわけでもない進学校の人間がスポーツ入学で進学するスポーツ専門校のやつと同じようにラグビーやって、それで落ちよった・・・て、アホやアホやアホやアホや・・・・て、まあ、そういうものだ。別にいいけどね、たとえ、大学進学時には失敗したとしても、それが経験になってその後の人生で成果を出すのならそれはそれでいいし、政治家として評価できるかどうかには大学進学時にすんなりいったかどうかはどちらでもいいことだ。しかし、もしも、橋下が早稲田大の複数学部を受けて、それに「全勝ち」したとしても、別に特別エライわけでもなく、もともと、早稲田大は理工学部以外は試験科目も同じで配点も同じで出題傾向も同じで、何より難易度にそれほど大きく違いがあるわけではないので、「全勝ち」か「全負け」のどちらかになるという可能性は十分ある大学だったと思うのだ。だから、「全負け」すると気分悪いだろうけれども、慶應のように学部によって試験科目が異なる大学の場合はこちらの学部に通ってあちらの学部に落ちるということは「あること」だが、実際問題としてどの学部も試験科目も配点も出題傾向も同じで難易度にそれほど大きく差がない早稲田大の場合は「全勝ち」か「全負け」する可能性は十分に「あること」だったと思う。
  他の大学では、同志社は工学部は他の学部と試験科目が異なるのはわかるが、商学部だけ法学部・経済学部・文学部と違って入試にわずかの配点で数学を入れていたのだが、なぜ、商学部だけ他の学部と違う入試科目にしていたかというと、おそらくだが、同じにすると経済学部と商学部では国立大学にもある経済学部の方が合格最低点が高くなり、商学部は経済学部のすべり止め学部みたいになってしまうおそれがあるので、それで意図的に試験科目をわずかに変えたのではないかと思うが、慶應のようにすべての学部が異なるようにするのならいいが、その頃の同志社のように商学部だけ変えたのでは、経済学部と商学部でどっちが合格最低点は低いかという比較はしにくくなるものの、どうしても、商学部は経済学部のサブみたいな印象を与えることになる。学部により科目を変えるのなら、慶應のようにすべての学部で異なるようにした方が、それぞれの学部でどちらが上か下かという思考はしにくくなり、その点では慶應の試験科目の方がいいように思う。
  念のため、断っておくが、これらの話は1970年代後半から1980年代初めにかけての話である。私立大学は早稲田大の試験科目と似た試験科目にしていた大学が多かったように思うが、慶應は昔から「独立自尊」と何かと言う大学であり、それは単なるキャッチフレーズ・コピーであって実際には「独立自尊」なんてものではないだろうが・・というものが多いのだけれども、それでも、いったん口にすると口にしたものが””実効支配””することもあり、入試問題においても「よそはよそ、うちはうち」と独自の路線をとっていて、又、それは私立大学でも底辺の方の私立大学ではやろうと思っても難しいが、慶應の場合には慶應に行きたいという人がある大学なので独自路線を取ることもできた・・・はずだったが、ところが、慶應でも「独自路線」をとり、特に「入試に数学がある大学」だと私立大学受験を念頭においている人から敬遠され、かつ、「入試に数学がある大学」は業者の模擬試験において「偏差値」という数値で合格可能圏を出すと、どうしても数値が低くなり、受験生から軽く低く見られてしまい、年々、入学者の学力レベルが下がっていくという事態になったらしく、私が在学した1980年代に早稲田大など多くの私立大学の入試科目に合わせたらしい・・が、最近、インターネットで見ると、また戻したのか変えたのかみたいでもあるので、今はどうなっているかわからない。
  京大・阪大・神戸大は「小学校から高校まで学んできたものが身についているかを見るという視点が強い試験の大学」であるのに対して慶應は「入学後、その学部でやっていけるかどうかという視点で見る度合いが大きい試験科目の大学」だったが、「入学後、その学部でやっていけるかどうかという視点で見る」のが悪いということはないとしても、その結果、慶應は「法学部法律学科・法学部政治学科以外は国語がない大学」であり、最近のニュースを見ても、慶應大学の広告研究会が新入部員の女性を輪姦したとか、慶應大学卒の住友商事社員が就職活動をおこなっている女子学生を強姦したとかいった記事が出るように、昔から慶應は「女たらしの大学」であり「強姦魔の大学」という傾向の学校だったが、その原因のひとつは「入試に国語がない大学」であり、「『実学のすすめ』の名のもとに文学・哲学といったものを軽視する大学」であることから、「両腕いっぱいにカネと女をだかまえて生きる男」「『太ったブタになるのではなく痩せたソクラテスになれ』なんてアホと違うか、『痩せたソクラテスになんてなってたまるか、太ったブタになる方がええ』と考える学生ばっかりの大学」になっていた、いわば、「ブタ人間の大学」という傾向がある大学であり、そのあたりを見ると、「入学後、その学部でやっていけるかどうかという視点で見る度合いが大きい試験科目の大学」と「小学校から高校まで学んできたものが身についているかを見るという視点が強い試験の大学」ならば「小学校から高校まで学んできたものが身についているかを見るという視点が強い試験の大学」の方がいいのかなあ・・と思えたりもする。実際、自称「慶應ボーイ」という連中を見ると「ブタ人間」が多いのは間違いないし、そういう男が好き♪・・という女を見ると「ブタ人間の男の裏返しのような女」が多いのも間違いない。 1970年代後半、慶應大学の日吉キャンパスのすぐ南にあった今はなくなったらしい日吉台学生ハイツの食堂で、大阪府の桃山学院高校卒の井上という慶應大商学部の学生がそいつの仲間の男2人と3人でいて、私はたまたまそこからある程度離れた場所のテーブルにいたのだが、井上とその同類2人の3人は何を話していたかというと、「女なんて、慶應の学校の名前さえ出せばいくらでも手に入る」と井上が言い、「今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を前に出して『この紋所が目に入らぬかあ』とやってやろうか」などと口にしていたので、それを聞いて、なんて思いあがったやつらだとあきれたし、こんな程度の低い人間と同じ大学に行かされたくないものだとも思った。「天地は広いと言うが私にとっては狭くなってしまったのか」(『貧窮問答歌』)、「天は我を見放したあ」(『八甲田山』)〔《YouTuve-八甲田山」予告編》https://www.youtube.com/watch?v=HslnP1vdWTw 〕、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も只管勉強してきたのに、なぜ、こんな程度の低いカスと同じ大学に行かされなければならないのか。ベルディのオペラ『トスカ』ではトスカが歌う「歌に生き、恋に生き」というアリアがけっこう有名だが、「歌に生き、恋に生き」ではなんだか「歌を歌ったり恋をしたりして遊び暮らしてきましたあ」みたいな印象を受けるが、この歌の意味はそうではなく、「私は歌を歌うことを職業として、そしてマリオ=カバラドッシに恋をして生きてきました。貧しい人や気の毒な人を苛めるようなことはしたことはないつもりです。それなのに、ああ、神さま、私はどうしてこんな目に合わされなければならないのでしょうか」というのが、このアリアの意味であり、「歌を歌って恋をして、ああ楽しい楽しい」という歌ではないのです。〔《YouTuve-プッチーニ 《トスカ》 「歌に生き恋に生き」 マリア・カラス》https://www.youtube.com/watch?v=EKXMjvmTCH4 〕 私が高校3年の時、母は「こいつ、東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に東大には通らんようにしてやらんといかん。こいつ、な~にがなんでも絶対に落したる、こいつう~う!!!」と言って、私が学習していると背後から服をつかんで後ろにひっくり返したり、箒でボコボコ殴りつけたり、私が使用していた部屋の電気を洗面所にあったブレーカーを落として照明がつかないようにして学習できなくしたり、高校から帰ってきたら家の戸をしめ照明を消してインタホンのソケットを抜いて鳴らなくして家に私が入れないようにしてその上で高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん!!!」と言ったりといったことを次々と実に精力的に繰り返したものだったが、それは絶対におかしい、真面目に勉強して東大に行った人間が「女を泣かす」というのはおかしい、むしろ、慶應あたりの方が「女たらしの大学」という印象がある、「慶應ボーイ」という言葉からして「なんや、鼻の下の長いにやけた・・」という感じがしたし、夏目漱石が「女を泣かす」か、久米正雄が「女を泣かす」か、阿部次郎が「女を泣かす」かというと違うように思ったし、
新版 合本 三太郎の日記 (角川選書) - 阿部 次郎
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どう考えても慶應の方が「女たらしの大学」という印象だったがやっぱりそうだった!!!・・と思い、母にそれを話したところ、母は「ああ、そう~お。私、そういう人、好き♪ わたし、そういう人、ものすごい好き♪ だ~い好き~い♪♪♪ べ~ろべ~ろべえ~え、べろべろお~お♪」と言うのだった。母は私が嫌いで桃山学院高校卒の井上のように「女なんて、慶應の学校の名前さえ出せばいくらでも手に入る。今度、電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を前に出して『この紋所が目に入らぬかあ』とやってやろうか」などという口をきくような男が「だ~い好き~い♪ べ~ろべ~ろべえ~え、べろべろお~お♪」らしかったが、私はうちの母から嫌われるだけあって井上みたいなそういうやつは嫌いなのだ。私はそういう「慶應タイプ」「慶應ボーイ」は嫌いなのだ。自分がそんな人間にはなりたくないとともに、そういう人間が近くによって来ると虫唾が走る。蕁麻疹がでるのだ。大学生だった時、うちの父親の会社で電動歯ブラシの修理の仕事にアルバイトで行かされた時のことだが、そこにアルバイトに来ていた高校生のエロガキ3人づれが「関学に行ったら女にもてるぞお~お。関学、行こうぜ、関学。関学に行ったら女にもてるぞ、関学、かんがく、関学♪」と言っていたので、私はうちの父親から「義務教育は中学校までであって、高校は義務教育やないんやから、おまえは高校には行ってはいかんねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ、わかっとんのか。義務教育でもないのにからに、おまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえがのぼせあがっておるからであって、おまえが甘ったれておるからやねんぞ。おまえは高校には行ってはならない民族で階級やねんぞ、おまえは浪商やねんぞ、浪商。おまえは北野高校に行ったと思っておるかもしれんけれども、たとえ北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商やねんぞ、浪商。浪商のくせして北野高校に行くなちゃうんじゃ、浪商めがこの浪商チャンコロ!」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたが、こんなやつ、大学行くな! こんなやつこそ、大学行くな! それより、こいつ、高校行くな、義務教育でもないのに高校行くな、このエロガキ!!! と思ったものだったが、そういう、どこそこの大学に行ったら女にもてるからどこそこの大学に行きたいというエロガキ高校生が行きたがる大学というと、何と言っても東京の慶應と早稲田、それに関西の関学だったのだ。だから、この3つの大学には首をもがれても絶対に行かされたくなかったのだ。そいつらと一緒にされるのだけは御免蒙りたかったのだ。小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、なんで、こんな程度の低いやつが行く大学になんか行かされなければならんのだ・・・、小学校の1年から真面目に努力してきたつもりで、時にはもっと頑張るべきところで至らなかった時もあったかもしれないけれども、それでも、全体としては十分努力してきたはずなのに、ああ、神さま、なんでこんな程度の低いやからの大学に行かされなければならないのでしょうか・・・と思った。(もっとも、「関学、行こうぜ、関学に。関学行ったら女にもてるぞお~お」とか言ってる高校生のエロガキというのは、実際にはその関学に通らない人の方が多いかもしれないけれども・・ね( 一一) ) 
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〔 「歌に生き恋に生き」という題名では「歌を歌って恋をして楽しい楽しい」みたいな感じの印象を受けるが、この歌はそういう内容の歌ではなく、「私はこれまで歌を歌うことを職業として、マリオ=カバラドッシに恋をして生きてきました。貧しい人や苦しんでいる人を苛めるようなことはしたことはないと思います。それなのに、ああ、神さま、私はどうしてこのような目に合わないといけないのでしょうか」という内容の歌であり、ベルディのオペラ『ラ=トラビアータ(道を踏み外した女)』(日本では『椿姫』)でヴィオレッタが歌う「一度、道を踏み外してしまった女には、どんなに努力しても、神さまは幸せになることをお許しにはならないのでしょうか」と祈るように歌うアリアと似た調子があるように思います。 〕

  なお、・・こういうこともあるようだ・・ということを認識するには、知らない人にとってはけっこう参考になる話ではないかと思うが、あくまでも私が高校を卒業した1970年代後半から1980年代初めにかけての入試科目についてのことを前提としたものなので、これから受ける人が見られた場合には、今現在の制度と試験科目・試験問題を自分で見て、どこが同じでどこは違うか、どこは今もあてはまりどこは当てはまらないか分別して判断してもらいたいと思う。私のブログを読んでそれで失敗したと言われても、「それはお気の毒でしたねえ」くらいしか言いようがなく、「責任とれ」なんて言われても取るつもりもなければ取りようもないので、それは認識しておいてもらいたい。

  うちの母親は、私が小学生や中学生の頃は「親というものは、子供が大学に進学する頃になって、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って進みたい進路に進めるようにと思って、それで無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていた。愚かなことに私はそんなヨタ話を信じてしまった。そんなヨタ話を信じて、親というものはそう思っているのだなあ・・ととんでもない勘違いをしてしまった。ところが、大学進学の時になると、高校3年の時には、「こいつ、東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよる。こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよる。そやから、こいつ、絶対に落したるんや、こいつ。絶対に東大に合格させてなるものか。絶対に現役で合格させてなるものか、こいつう~う!」と言ってさまざまな悪質な妨害をおこない、さらに浪人してしまうと、浪人すると「こいつ、現役で大学に合格すると思いあがった人間になって女を泣かせよるから、そやから何がなんでも、こいつ、落したる~う!」というのはもう目標達成したわけだから、もういいのではないかと思ったが、浪人してもその手の妨害工作は続いた。さらに、「文学部だの哲学科だのなんて絶対に行かせてなるものかあ!」と言うのだった。高校のクラブの卒業生で北野高校から現役で東大の文科三類に合格して文学部の哲学科に進んだ人があったのだが、私も哲学科か心理学科に行きたいと思っていたのだ。なぜ、「哲学科か心理学科」かというと、岩波新書で『精神分析学入門』『心理学入門』『人間性の心理学』などの著書が出版されていた宮城音弥という人が京都大学哲学科卒で「心理学者」だったのであり、哲学と心理学というのは、人間のあり方・人間のありようを考えるのが「哲学」でそれをもとに実際の人間がより「完全なる機能」をできるように考えるのが「心理学」だと考えていたのだ。
精神分析入門 (岩波新書 青版 347) - 宮城 音弥
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だから、哲学科か心理学科か、もしくは、心理学だと文学部心理学科と教育学部教育心理学科があるようだが、そのどこに行けばよりそういったことができるのかはよくわからなかったのだが、そのあたりは東大でも京大でも入学してから学科が分かれるのだから、入学してからじっくりと検討して決めればいいと思っていた。それで、もしも、そういう方面に進まないのならば、法学部に行って司法試験を受けて裁判官か弁護士になりたいと思っていたが、検察官はそれほどなりたいと思わなかったが、司法試験に合格できたとしても裁判官と弁護士のどちらがいいのかもそれも大学に入学してから考えればいいと思っていた。ところが、浪人してしまうと、うちの母親は「あんた、もう、浪人したんだから、大学は親が決めていいやろ」と言い出したのだ。「そんなもん、文学部やたら哲学科やたら、そんなもん、絶対に行かせてたまるかいな。この子は老後の対策の為の子なんやから、哲学科やなんて冗談やない」と言い出したのだ。「話が違うじゃないか!」〔⇒《YouTuve-牛若丸三郎太 勇気のしるし ~リゲインのテーマ~ 鞍馬山クラブ・ミックスRADIO EDI》https://www.youtube.com/watch?v=KLxe2l6VL6I 〕私は小学校5年の時に近視になってしまい眼鏡をかけるようになってしまったが、 私が中学生の時、母は「眼みたいなもん、つぶれてもかまわん。受験がすべてや」とそう言ったのだ。この人、そういうことを言うんだなあ・・と、その時、思ったが、そこまで進学は大事なのだ、そうやってでも行きたい大学の行きたい学部に行かせてやりたいと親は考えているのだということなのだろうと思ったが違った。
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※ 《YouTuve-リゲイン TVCM|2014 すみれ「どーなっとるんだ」篇 「3、4時間」篇》https://www.youtube.com/watch?v=1TbzRq6QmWE

  そして、父親は「会社の為に、会社の為に、会社の為に、捧げ尽く~す」と言い、経済学部に行って「会社」という所に勤めるものだと決めつけていた。「東京海上火災、東京海上火災、東京海上火災・・・とってちってたあ~あ!」と言っていた。なんで、私だけ、こういう目に合わされなければならないのかと思ったし、やり口があまりにも卑怯である。うちの父親は私が北野高校に入学してすぐの時に、私に「そんなもん、学校の先生みたいなもん」と言ったのだ。私は小学校・中学校と真面目に努力して勉強してきたので、同級生が遊んでいる時も勉強してきたので、だから、それを活かせる仕事につきたいと思っており、「会社員」というものになったのでは、うちの父親が「そんなもん、会社に勤めたらどこの大学でてようが一緒や」と言うので、そんなもん、一緒にされてたまるか! 一緒にされてしまうような仕事になんでつかされなければならないんだとも思い、高校の先生か中学校の先生ならば、自分が小学校・中学校と学んできて、その後、高校・大学で学ぶものを活かせる仕事なので悪い方の仕事ではないと思っていたのだが、「そんなもん、学校の先生みたいなもん」とうちの父親が言うので、中学校の先生とか高校の先生というのはうちの父親は好きではないらしいとわかったので、それならば、大学の先生ならばいいだろう、大学の先生なら高校の先生や中学校の先生よりも社会的に評価が高いから親も喜ぶだろうと思ったのだった。ところが、浪人すると、うちの父親は「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います」と言い出したのだ。さらにその後、「大学院に行きたいと言うようなやつは、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~い先生がそうおっしゃってる。病気は治さんといかん、病気は。病気は薬のませて治したらんとあかん、病気は」と言い出したのだった。
現代精神医学解体の論理 (1975年) - 森山 公夫
現代精神医学解体の論理 (1975年) - 森山 公夫
  さらにその後、「マスコミに勤めるのなら、産経新聞かNHKにしなさい。朝日はアカやから勤めたらいかん。毎日もアカやから勤めたらいかん」と言い、私が「産経みたいなもん、首をもがれても絶対に嫌です。マスコミに勤めるなら朝日がいいです」と私が言うと、「甘ったれるなあ! わしが朝日はアカやと言うとるんじゃ、チャンコロ! 朝日はアカじゃ、毎日もアカじゃ言うとるんじゃ。マスコミに勤めるのなら産経新聞にしなさいとこのわしが言うてやってやってやってやったっとんのんじゃ、わからんのか、このチャンコロ、ロスケ! ええかげんにせんか、イタコ!」と言うのだった。 母は「司法試験なんて、何十年も勉強して通らんと40くらいになっても司法試験浪人してるような人になんてならせてたまるかいな」と言うのだったが、「何も、何十年も司法試験浪人しなくても早くに通ればいいでしょうよ」と言ったのだが、「そんなもん、司法試験なんて通るかいな、そんなもん、誰が受けさすかいな」と言うのだった。うちの父親は「うちは学校の先生なんてものにならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うのだったが、私が小学生の頃、うちの母親は「戦前は学校の先生は師範学校は学費がタダだったから、勉強はできるけれども家が金持ちではない人が学校の先生になったもんや」と言っていて、「だから、今でも、勉強はできるけれども金持ちではないという人で学校の先生になる人が多いんや」と言っていたので、学校の先生というのは「金持ちの仕事」ではないと思っていたのだったが、うちの父親は私が浪人すると逆のことを言いだしたのだった。しかも、うちの母親の家系は学校の先生が多い家系で、伯父(母の兄)は大阪府の府立高校の教諭をやっていたし、叔父(母の弟)は私立大学の体育の先生をやっていて、母の叔母のダンナは大阪市立の小学校の教諭をやっていた。それらの家と我が家とは特にどちらが金持ちとか貧乏とかいうことはなく、同じくらいだと思っていたので、それらの人が学校の先生になっていいのなら私だってなってもいいと思っていたのだが、ところが、うちの父親は私が浪人すると、途端に強気になって「うちは学校の先生になんてならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言うようになったのだ。さらに、「たとえ、学校の先生になるにしても、数学か英語の先生でなかったらなってはいけません。数学か英語でなかったら家庭教師のアルバイトはできません。だから、社会科とか理科とか国語とかの先生はなってはいかん」と言うのだった。そして、「学校の先生は全員、アカや! アカの仕事にはつかせるわけにはいきません!」と言うのだった。「学校の先生はアカや、アカや、アカじゃあ!!!」と叫ぶのだった。あんたこそ、「アホや、アホや、アホやあ!!!」と言ってやりたかったが、そういうおっさんやった。 そういうことを言うので、それで、母の叔母の娘のダンナ(ということは、母のイトコのダンナということになるが)で、天王寺高校から東大法学部に行き、国家公務員1種試験合格で自治省に勤めていた人がいたので、又、その人の親も普通の親であって特別ものすごい金持ちということでもないみたいだったので、「国家公務員というのはどうか」と話してみたところ、母は「甘ったれなさんな、あんたはあ」と言うのだった。「国家公務員なんて、転勤が多いからあかん。あんなもん」と言うのだった。「国家公務員でも外務省は外国に行かないといけないからだめ」だそうだ。転勤がない、その地域内での転勤しかない仕事といえば、高校の教諭・中学校の教諭、弁護士、地方公務員といったところだろうか。そうすると、うちの父親が「阪急電鉄がええ。あんた、阪急に勤めなさい」と言うので、私が子供の頃からうちの父親が「東京海上火災のために、東京海上火災のために、とってちってたあ~あ」と言い続けてきた東京海上火災とともに阪急電鉄だけは首をもがれても勤めさせられてなるものかと思った。さらに、「あんた、箕面市役所に勤めてくれへんか」と言うので、バカにすんな!!!と思った。うちの親はそういう親だった。司法試験(裁判官・検察官・弁護士)はだめ、高校教諭・中学校教諭もだめ、大学の先生もだめ、マスコミもだめ・・・で、結局、だめだめだめ・・でいいものは何もないことになる。その上で、うちの父親は言うのだった。「わし、今まで、あんたに、こういう仕事につかんといかんとか、こういう仕事にはついたらあかんとか、そういうことは今までに一度として言うたことはないやろ。このくらいのことはわかってもらわんとあかん!」とそう言うのだった。はあ? あんた、今、言うたやろうが。あんた、今、言うたばっかりやろうが・・・と思ったのだが、そういうおっさんやった。そして、言うのだった、「会社のために滅私奉公、すべてをすべてを会社のために、すべてをすべてをわしのために」と。小学校の1年から同級生が遊んでいる時も常に勉強してきて、その努力の果実はすべて親が奪い取ってやろうという魂胆だったのだ。高校の同級生などを見ても、どう見てもどう考えても、うちみたいな家庭はあまりないように思えた。
  私が高校3年の時、母は離婚すると言い出したのだ。離婚したければしてもいいし、私にするなという権利があるものでもないからするならすればいいと思ったのだが、ところが、母としては「離婚する」とは言いたいけれども離婚はしたくなかったのだ。はあ?・・と思う人もいるかもしれないが、最近では女性で男性と同じように働いて給料もらって生活している人がいて、さらには30代くらいで男性と同じように働いて独身でいて「だんな」ではなく「嫁」が欲しいとか言い出す女性までいるというが、母くらいの年代ではそうではなく、母は長く専業主婦で生きてきたので離婚しても生活に困るのだった。だから「離婚する」とは言いたいけれども、離婚はしたくなかったのだ。だから、「離婚する」と言ったものの、実際に離婚するのではなく、家の中で父親とは別の部屋で寝るようにして、そして、なおかつ、「夫に逆らえない女」だったので、夫を攻撃するかわりに私をやっつけたのだった。「こいつ、男やから、やっつけたらんとあかん!」とそう言うのだった。「こいつ、男やから、将来、女を泣かせよるから、そやから、女性の為にこいつをやっつけてやらんとあかん! こいつをぎゅうぎゅうやっつけたらんとあかん!」と。それで、私がやっつけられることになったのだ。母は「私は血圧が」「あ、私は心臓が」とか言いまくっていたが、そして、そういうのを見て弱弱しいと思う人もいて、それゆえ、私が悪いと同調してくれる人もいたらしいが、私に対してはちっとも弱弱しくなかった。「こいつう、絶対にやっつけたる、こいつう~う!」と言って、箒もってきてボコボコ殴るし、私が夜、学習していると、「こいつ、勉強すんなあ、こいつう~う! こいつめ、落ちろお、こいつう、落ちろ言うてるんじゃ、こいつう~う!!!」と言って、服の後ろをつかんで椅子のまま背後にひっくり返して、さらに箒でボコボコ殴りつける・・・と、夫婦喧嘩で夫にやる女性がいるとかいう話があるが母は「夫に逆らえない女」だったので、かわりに私にやったらしかった。「なにしろ、息子は親に所有権という権利があるんやからな。所有権があるんやから」と母は言うのだった。そうやって、そして、私が高校卒業時に大学入試に落ちると、今度は「あんたが大学に通ったら離婚しようと思って、ずううっと我慢し続けてきたのにからに、こいつが大学に落ちよったために離婚できんようになってしもうた。こいつが悪いんや。いつも、こいつのおかげで離婚できんようにされるんや」と言い、それで、離婚するとかいう話は「大団円」になったのだ。「すべて、こいつが悪いんや」と言って。そして、それを聞いてうちの父親も言うのだった。「そうや。その通りや。すべて、おまえが悪いんじゃ、こいつめえ~え!」と。はあ? はあ~あ?・・・私が父親ならば、息子が高校3年の時に自分の嫁が「こいつ、やっつけたるう」と言って夫のかわりに息子をボコボコにやっつけて、それで、それが直接の原因であるかないかにかかわらず、息子が高校卒業時に大学に落ちたならば、一言は「すまん」なり「申し訳ない」なり言うと思ったのだが、うちの父親はそうではなく、「おまえが悪いんじゃ。すべておまえのせいや。わしは悪ないねん。おまえがすべて悪いんじゃ。反省しろ、このチャンコロ!!!」と叫ぶのだった。なんで、俺のせいなんや?・・・と思ったが、我が家はそういう家庭だった。
  ちなみに、うちの上の姉がうちの父親の一番のお気に入りで「T子さんは、しっかりしたお姉さん」と常に言っていたのだが、その「しっかりしたお姉さん」が高校卒業時に奈良女子大を受けて落ちたのは私が落としたらしかった。うちの上の姉が高校3年の時、私は小学校1年で、小学校1年生がいったい何をしたのかというと、「いた」というのが悪いらしかった。「ほんまやったら、わしのようなエライえらいエライえらいエライえらい人間の娘のT子さんが奈良女子大を落ちるわけがないのにからに、それを落ちたというのは、おまえのせいやねんぞ! 人のせいにすんなよ、人のせいに! おまえが悪いねんぞ! 人間、人の所為にするやつは最低やぞ。人にせいにするようになったら人間おしまいやぞ!」と言うのだったが、その「しっかりしたお姉さん」が奈良女子大落ちたというのは小学校1年だった私のせいなのか? 父親がしっかりせんからと違うのか?・・・と思うのだが、私のせいらしかった。「なんでやねん!?!」と言うと、「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されるらしかった。
  ・・・そういう『家族の政治学』については、別の機会に述べるとして、今回は浪人と予備校について述べることにする。

【1】 学歴詐称の男 をありがたがる親は困りもの。
  1970年代後半のことだが、YMCA予備校 高槻校(大阪府高槻市)(今はYMCA予備校は大阪府にあった土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻の5校、横浜市にあった菊名・関内の2校の7校ともなくなったようだ。YMCA予備校 高槻校はなくなったがYMCA予備校 高槻校があった建物は今もあり、大阪医大の本部北西部キャンパスとして使われている。)の「主事」というよくわからん職種の藤井という男(当時、40代後半くらい?)は「僕は早稲田の政経でてるんだけどな」と一日に最低3回は言わないと気がすまないという男だった。””「もう、その話聞いたよ」ということを何度も何度も繰り返し繰り返し言わないとおれない症候群””だった。もうひとつ、「ぼくはクリスチャンとして、毎週、日曜日には教会に行って礼拝に出て献金払ってる」というのもそれに継いで何度も言っていたが、そして、何よりもその自称「敬虔なクリスチャン」が「クリスチャンとしての使徒信条」として心がけていたものは、
第一 洗礼を受ける。
第二 『聖書』は読まない。
第三 日曜日には教会に行って礼拝に出る。
第四 献金を払う。
というこの4つらしく、洗礼・礼拝・献金の3つが「敬虔なクリスチャン」の「免罪符3種の神器」だったのだ。
  そんなおかしな「クリスチャン」あるのか? そんなものを「クリスチャン」と言うのか?・・・というと言うらしかった。そういう人のことを「敬虔なクリスチャン」と日本のキリスト教会と牧師屋さんは認定してくれるらしかった。どうすれば、牧師屋さんは「敬虔なクリスチャン」と認定してくれるかというと、歯の浮くような「信仰告白」というのを嘘でも書いて「特別献金」払えば「洗礼」というあほくさい儀式を経て「クリスチャン」と認定してくれるのであり、藤井が言うには「『聖書』みたいなもん、あんなもん、読んでもいいことなんて何一つとして書いてないんやから、あんなもん、絶対に読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。たとえ、読むにしても、相当歳をいってから読んで『はあん、そんなもんか』と思えばいいことであって、若いうちに読むようなことは絶対にしてはいかん!」と何度も何度も言うのだった。・・はあ? この人、そんなこと思っていて、それで、なんで「洗礼」なんて受けるのお? そりぁ、『聖書』という本を読んでも、いいことを書いてあると感動する人もあれば、ちっともいいと思わない人もいるかもしれないし、どう思うかはその人の自由だろうけれども、しかし、そんなこと思っているのなら「洗礼」なんて受けなきゃいいじゃないの。そんなこと思っていて、なんで「洗礼」なんて受けるんだあ??? ・・・・と思うが、その理由ははっきりとしている。
第一に、「洗礼」を受けることで、YMCA予備校で仕事にありつける。
第二に、うちの母親みたいな人間から「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない。クリスチャンはクリスチャンでもYMCAで主事をやっているくらいだから並のクリスチャンではない。特別にえらいクリスチャンのはずや」と言って称賛してもらえる。
「洗礼」を受けると、この2つの御利益があるわけである。・・まったく、たいした御利益宗教である。
  そういうのを「クリスチャン」と言うのか、そういうのを「キリスト教」と言うのかどうかよくわからないが、又、そういうのが「キリスト教」であるのなら私が考えてきたキリスト教はキリスト教ではないことになるのだが、実際のところ「教会という所に行く人」「教会が好きな人」にはそんな感じの人が多いように思う。・・だから、私は「教会」が嫌いなのだ。
  それで、「僕は早稲田の政経出てるんだけどな」と一日に最低3回は言わないと気がすまない・・・というのがこの男の特徴だったのだが、そして、「その地域によって大学の評価に差がある」と言って、「僕は早稲田の政経でてるんだけどな」と何度も何度も言っても効果がないということに不満を感じていたらしかったのだが、たしかに、「早稲田大学卒」は東京圏に比べて関西圏では評価は低いと思う。関西圏の人間、北野高校の生徒・卒業生にしても、東大に落ちたり河合塾の「東大オープン」とか東大対象の模擬試験であまり良い成績を取れなかったとすると「さすがに東大は難しいんだな」と言うくせして、早稲田大に落ちると「早稲田みたいなもんに」と憤慨する・・・のだが、この差はなんだろう。入試については、京大・阪大・神戸大は入試科目と配点と出題傾向が比較的似ていたのに対して、東大はその3つの大学と試験科目が異なり、文科は特に社会科では東大のみが論述式の問題が出たので、京大・阪大・神戸大型の問題ならある程度以上の点数が取れても東大型の問題ではあまりいい点数を取れないというケースがあって、北野高校の模擬試験などは京大・阪大・神戸大には相関関係が強かったのに対して東大にはそれほど相関関係は強くなかったが、早稲田大にはそれ以上に相関関係は強くなかった。しかし、東大に落ちるか東大対象の模擬試験で良い点数が取れないと「さすがに東大は難しいようだ」とか言うくせに、早稲田大に落ちると「早稲田は難しいんだな」と考えるのではなく「早稲田みたいなもんに」と憤慨するという思考はなんだろうか。「東大みたいなもんに」とは、なぜ考えないのだろう? 不思議な思考をするものだ。
  実際には、今は変わっているところもあるかもしれないが、私が行っていた頃の北野高校というのは「仮想受験校:京都大学」もしくは「仮想受験校:京大・阪大」の高校だったと思うのだが、「仮想受験校:京大」もしくは「仮想受験校:京大・阪大」の高校から東大に合格しようとするのは、「仮想受験校:東大」の高校から東大に行こうとするよりも難しい。 京大もしくは阪大ならば、試験会場に行くと知っている人間が何人かいて、「あんなやつなんかに」とか思うわけだが東大を受けに行くとそうではない。但し、「あんなやつなんかに」と思ったとしても、その「あんなやつ」が通って自分が落ちるということは「あること」であり、「あんなやつ」が通ったなら自分は間違いなく通るかというとそうとは決まっていないのだが、同じ高校から受ける人間が何人もいるというのは、心強いようなところは実際問題としてある。
  同じ高校から受ける人間が何人もいるのは心強いところがあるというのと、受ける場所と合格した場合に行く場所が京都であると大阪の人間にとっては大阪と京都は「一続きの場所」であり「ホーム」「フランチャイズ」であるのに対して、東京は「アウェイ」の場所であり、なんか、気持ちの上で京都や大阪で受ける場合とは違った緊張感がある。北野高校の同級生でも、もともとは東京の人間でお父さんの仕事の関係で大阪に来ていて北野高校に高校の間は通っていたという人もおり、そういう人にとっては東京は「アウェイ」ということはないかもしれないが、私のように大阪の生まれで大阪の育ちという者にとっては東京は「アウェイ」の場所だった。
  で、早稲田大になるとどうかというと、意識の上で「早稲田みたいなも~ん」と思っており、東大とは事情は全然違うのだが、ところが、「・・みたいなも~ん」と思っておれば通るかというとそうとも決まっていない。その「みたいなも~ん」を落ちることだってあるのだ。これは「あること」なのだ。

  1973年に、前後期制度を実施したパリーグで前期優勝した南海ホークスは後期は散々だったが、南海の選手兼任監督だった野村のじいさんは後にあっちやらこっちやらで言いまくり書きまくりしておったが、「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、他は全敗したっていい」と考えたというのだ。後期、「阪急に3つ勝つ」とは、前後期の優勝チームが対戦して5戦のうち3つ先に勝った方が優勝というプレーオフで後期優勝の阪急に3つ勝つことができれば「他は極端な話、全敗したっていい」、プレーオフ以外はパリーグの後期の試合は「極端な話全敗したっていい」し、プレーオフも3連勝しなくても3勝2敗でもいいという意味だ。大学入試もこの考え方でいった方が合格は近くなる。「いいや、俺は全勝優勝するんや」とか思う人も中にいるかもしれないが、そういうことを考えると、野球にたとえるなら「負けなくてもいい試合も負ける」ことになる。「ともかく、勝てばええんや」という考え方でいった方が合格はしやすい。もしも、「俺は悠々と全勝優勝するんや」などと言って本当にそんなことができる人がいるのならその人はそうすればいいが、そうはいかない人の方が多いと思うのだ。東大とか京大とかに行こうとして、「俺は悠々と高得点とってどこでも通る成績で通った」とか言う人には3種類の人がいると私は考えている。
《1》 1つは、学歴詐称の人である。1980年代前半、東京都文京区本郷の東大病院(正式には「東大医学部付属病院」)に医者屋として勤めていたF山という男(当時、30歳)から私は「このぼくは東京大学理科三類に現役で悠々と通ったんだぞお。おまえとは違うんだ。この僕ときみとは能力も違えば人格も違うんだ。わからないのか。この僕は能力的に優秀で人格が優れていて何よりも謙虚なんだ。わかってんのかあ。まさか、この僕が東大の理科三類にぎりぎり通ったなどと思ってないだろうなあ。この僕は東大の理科三類に現役でそれも相当高得点で悠々と通ったんだぞ。おまえは東大に落ちただろうが。それも二浪までしてもそれでも落ちて慶應にしか行けなかった人間だろうが。慶應にしか行けない最低の人間のカスだろうが。違うのか。おい、違うのなら違うと言ってみろ。どうなんだ、東大に通ったのか? 落ちたんだろうが、二浪しても東大に通ることができなくて慶應にしか通らなかった最低の最低のカスの人間だろうが。どうなんだ、違うのなら違うと言ってみろ。違うのか。違わないだろうが。この僕は能力が優秀で人格が優れていて何よりも謙虚な人間で、おまえとは格段の違いがあるんだ。東京大学理科三類現役合格の優秀な優秀な能力が優秀で人格が優れていて何より謙虚なこの僕が慶應にしか通らない最低のカスのおまえに言ってやってるんだぞお。もっと謙虚になりなさい。もっと謙虚になって、この僕とは能力も違えば人格も格段の差があって、自分は最低のカスの人間なんだと認めなさい」と言われたのだったが、最初は、この男、東大病院に勤めていて医者屋の仕事についているようなので、東大医学部医学科卒なのかと思っていたのだが、この男の言うことや態度を見ていて、なんかおかしいなあ・・・と思うようになったのだ。どこがかというと、
(1)北野高校からは京大医学部や阪大医学部に行く人は毎年何人かずつあったが東大には理科三類以外に行く人はあっても理科三類に行く人はあまりなく、我が家の近所で私と同じ中学校から北野高校に行った私よりいくつか年下のボーズが3浪で理科三類に行ったくらいで、それより前も後も理科三類に行く人はあまりなかったのだが、「友達の友達はみな友達だ」というわけでもないが、東大に行った人の知り合いで正真正銘本物の東大理科三類の学生と会ったこともあるのだが、そういう人とF山とはどうも感じが違うのだ。
(2)F山は「まさか、この僕が東大の理科三類にぎりぎり通ったなどと思ってないだろうなあ。この僕は東大の理科三類に現役でそれも相当高得点で悠々と通ったんだぞお」と何度も言うのだったが、それがおかしいと思ったのだ。私は結局、2浪しても東大の試験に落ちてしまったが、その過程で「入学試験というものは、ともかく通ればいいんだ」ときっちりと認識することが大事であり、「悠々と高得点で通るかどうか」なんてことはどうでもいいことであり、「高得点で通ろう」などと考えているならば、むしろ、その姿勢は「勝負弱さ」であり、「ぎりぎりであれともかく通ればええんや」と認識できるなら、そちらの方が「勝負強さ」である。入学試験はあくまでも「ハードル」であって「走高跳(はしりたかとび)」ではないのであり、「走高跳(はしりたかとび)」と「ハードル」は一見似ているように見えても全然意味は違うのであり、ぎりぎりでも越えればいい「ハードル」なのに「走高跳(はしりたかとび)」みたいな認識でいるならば、むしろ、その考え方は落ちる方の要素である。私は2浪もしてしまったが、その過程でこれを実感として学んだ。
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《 なぜ失敗したかの確認が、次回の成功を生み出していく。だからわたしはよく「『失敗』と書いて『成長』と読む」と自分に言い聞かせていた。 》(野村克也『野村の結論』2020.11.4. プレジデント社)
野村の結論 - 野村克也
野村の結論 - 野村克也
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それを「この僕は理科三類にぎりぎり通ったんじゃないんだぞお。この僕は理科三類に悠々と高得点で通ったんだぞお」とか言っているようでは、むしろ、入試を理解していないのではないか、と思えたのだ。
(3)何よりも、私が高校を卒業した頃もF山が大学を受験した頃も、京大・阪大・神戸大は通った場合も落ちた場合も入学試験での点数を出身高校に教えてくれたので、高校3年の時の担任の先生にきけば何点だったか知ることができたが、東大は合格発表の時に合格者の受験番号を発表するだけで、何点だったかは教えてもらえなかったのだ。だから、通った場合でも「悠々と相当の高得点で通った」のか「ぎりぎりの点数で通った」のかはわからないはずだったのだ。それをF山が「この僕は悠々と相当の高得点で理科三類に現役で通ったんだぞお」と言うのはおかしいのだった。実際にどうであったかにかかわらず、点数を教えてもらえない以上、「この僕は悠々と相当の高得点で理科三類に現役で通ったんだぞお」というのはF山が勝手に思っているだけ・・ということだ。
・・・で、F山はわからないと思っていたようだが、こういうことは何かの拍子に伝わるものなのだ。F山は東大病院に医者屋として勤務はしていたが、F山が卒業した大学はT京大学医学部ではあったけれども、東京大学医学部ではなく帝京大学医学部だったのだ。な~るほど、私立金権医学部裏口入学が言いそうなことだった( 一一)  世の中には東大病院(東京大学医学部付属病院)(東京都文京区本郷)というのは東大医学部医学科卒の医者が診察しているのではないかと思っている人がいるようですが、そうではないみたいです。 「東京大学医学部付属病院」という名称および「東大病院」という略称・通称、特に「東大病院」という略称・通称は不当表示ではないのか? 「嘘」「大げさ」「事実と違う」「紛らわしい」などなど・・に該当すると思うのだ。ジャロに言ってやった方がいいのではないかという気もします。〔⇒《YouTuve-JARO TVCM「JAROの歌(ウソぴょん)」篇(30秒)》https://www.youtube.com/watch?v=WozPRe-Jn3c 〕 そういえば、1980年前後、うちの父親の親友の医者屋のM川(男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい)は「医者というものは人の顔をぱっと一目見ただけでその人間が考えていることを読み取る能力がある」とか「医者というものは人の顔をぱっと見ただけでその人間の将来を予測する能力がある」とか言っていたようだが、これも、ジャロに言うてやった方がよかったのかもしれん・・という気がします。
《2》 2つ目は「落ちることだってある」ということを知るより前に通ってしまった人だ。私だって、もしも、現役で京大にでも東大にでも通っていたならば、大学入試はもっと簡単に通るものだと思ったかもしれない。「『失敗』と書いて『成長』と読む」と野村のじいさんも言うておるように、むしろ、落ちたことで学ぶことだってあるわけで、さっさと現役で通った方がいいか落ちた方がいいかというと通った方がいいに決まっているけれども、さっさと現役で通った人には、なぜ通ったのかわからないうちに通ってしまったみたいな人も中にいるように思う。
《3》 そして、3つ目として、もしも、本当に、悠々と圧倒的な点数をとって合格できる人というのがいたとするならば、そんな「長嶋みたいなやつ」なんて私にとってはどうでもいいことだ。結局、2浪もしてしまって、それで私が認識したのは、東大あたりの受験生には模擬試験での英語などでもバケモンみたいな点数を取る者というのがいるのだが、「バケモンが何点取ろうが俺には何の関係もない」「バケモンと勝負するのではない。勝負する相手は合格最低点のみ」という認識である。なにしろ、「わしぁ日陰の月見草」であるので「長嶋みたいなやつ」が何点とろうが知ったことではないのである。入試はともかく合格最低点より1点でも高い点数を取れば合格であり、合格者最高得点答案なんてそんな下品なもの書いてたまるか!!! ともかく、通ればそれでええんや、合格最低点より1点でも高い点数を取れればそれでええんや!・・・と思うようになったのだ。なにしろ、「わしぁ日陰の月見草」なので「長嶋みたいなやつ」がどうであれ関係ない。
※ 《YouTuve-2018年7月1日阪神ファンによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=moEWTBI0KiE
《YouTuve-氷川きよしさんと阪神ファンのコラボによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=Vt2yXzBWMiA
アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
  それで、「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、他は全敗したっていい」という姿勢でやった方が大学入試はうまくいくと私は思っている。この場合、「阪急」というのは本命の大学学部のことで、「3つかつ」というのは「合格最低点を1点でも上回ればそれでいい」という意味である。 合格者最高得点を取ってやろうなどと考えたらかえってうまくいかないと思う。結果として相当高い点数で通ったというのはかまわないと思うが、それは「結果として」であって目指すものではないと思う。
  東大に通りたいと思ったら、東大の試験問題について合格最低点を1点でも上回る点数を取ることを考えるべきで、早稲田大に通ろうと思えば早稲田大の入学試験の問題に合格最低点を1点でも上回る点数を取ればいい・・ということであるが、2つ以上の大学を受けるならば、その2つに共通するものと共通しないものが出てくる。本命を目指して学習してきた者には、もう1つの大学の入試問題が本命と共通する部分が大きいならばそこは通りやすいが、本命と共通しない部分が大きい大学は落ちる可能性がその分だけ大きくなる。 早稲田大はけっこう旧帝大系国立大学を目指していた者が落ちることがある大学だったのだ。あくび と ウチワで有名な松島みどり さんも、『東大入試合格作戦』(エール社)に、浪人した後、早稲田大に落ちて「何が何でも東大に通ってこの早稲田大学を軽蔑してやるんだと心に誓った」そうで、そういうことを仲間うちで口頭で言うのならまだしも、文章にして、それも活字にして本として出版されると、一生、「普通の人間」として暮らしたならばそのままであっても、国会議員になり大臣になりすると、「フライデー」で何十年も前に書いたものを引っ張り出されて、まったく嫌な女やなあ、このおばはんはあ・・・・と言われるようになるので、だから、『・・合格作戦』とかいった本に合格体験記を書くのなら、そのあたりも考えて書くようにした方がいいと思う・・・が、松島みどり さんも1浪した年に「東大には通ったが早稲田大には落ちた」そうで、そういうことは「あること」なのだ。それを、どうも、関西人は東大に落ちると「東大はやっぱり難しかったのかなあ」とか考えるのに対して早稲田大に落ちると「早稲田みたいなもんに」と考える人が多いのだが、そういう考え方は違うように思う。
  ・・・しかし、関西人の意識として「早稲田みたいなも~ん」というのがあることは事実である。何年か前、大阪府の私立の摂稜高校が早稲田大学と提携して早稲田摂稜高校に名称変更したが、その際、入学説明会で「成績が上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」という説明がされたが、しかし、それだと、もしも「上位3割」に入れなかったらどうしてくれるんだよお? ・・ということになる。その高校での成績を上げる学習法と一般入試で高得点を取れるための学習法は同じではないわけで、上位3割に入るための学習ばっかりやっていたら入れなかった・・となると、それから受験の学習を始めたのでは最初から一般入試を念頭にしてきた者に後れを取ることになるではないか。・・そこで、何だったか忘れたが週刊誌の記者が書いていたのは、早稲田大学の人間は早稲田大学というものを東大の次の大学みたいに思っていて、「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」と言われれば誰でも大喜びするだろうみたいに思っているけれども、関西の人間はそんなこと思っていない。関西の人間は早稲田大学なんて関関同立と同じくらいか、もしかすると関関同立よりもほんのちょっとだけ上かもしれない・・くらいにしか思っていない。早稲田大学の人間はそのあたりを理解できていない・・・と書いてあったが、そんなものだろう。
  内部進学で系列の大学に行ける高校でも、慶應義塾高校・慶應女子高校・慶應志木高校なんてのは、慶應義塾が作った学校であり、慶應大学と同じ経営母体によって運営されている高校で、基本的には全員が慶應大学に進学できる高校で、それゆえ、「ちっとも勉強しとれへんやないか」て感じの人でも慶應大学に進学できるし、それを利用して高校1年から旧型司法試験(今ならば、予備試験ルートか)の勉強を始めて慶應大学法学部の4年で現役で司法試験に通ったなどという人もあったようだ。大学に入学してから司法試験の勉強を始めたのでは5月の短答式から10月の面接(論述式)試験まで1年かけてある試験に通ろうと思えば学習期間はほぼ3年であるのに対して、高校1年から学習を始めると6年間の学習期間があることになり、慶應高校から慶應大学の法学部に進学するための負担は一般入試で京大・東大や早慶の法学部に合格するための負担よりもはるかに軽いので、それを活用することだってできるのだが、ところが、「系列の大学がある高校」でも「直営」と違って「提携校」というのがある。(株)エイブルは直営でやっている店と地域の不動産屋と提携して「エイブル」の名前をつけている店とがある。(株)一条工務店も(株)一条工務店がやっている地域とその地域の工務店・不動産屋・材木会社などと共同出資会社を作って「一条工務店」というブランド名で建てている地域とがある。自動車のディーラーというのも、トヨタとかホンダと提携している会社ではないかな。そんな感じの「提携校」で「上位3割に入ることができれば」なんて条件ならば、高校の勉強はそれほどしないで高校1年から司法試験の勉強に力を入れてやって大学3年まで6年間かけての学習で大学4年に合格するということをやろうと思ってもそうはいかないことになる。そうなると「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」というのはあんまりいい条件ではないことになる。関西人の気持ちから考えると「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」よりも「ほぼ全員が一般入試で関関同立に行ける」の方がいいのではないか。・・そのあたりのことを早稲田大学の人間はわかっとらん、「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」と言われれば誰もが大喜びするだろうと勝手に思っとる・・・と週刊誌の記者は書いていた。
  ・・そのくらい、早稲田大学というのは東京圏における評価にくらべて関西圏においての評価は低い。慶應もそうだが、慶應の運営者がえらいのは、昔から「関西慶應高校を作ろうではないか」といった話が出るものの、同時に「そんなもん、作っていったい誰が行くんや」と関西出身者は誰もが言うのであり、わかってるからか作らない・・のに対して早稲田大学の人間はわかってないからか、摂稜高校の経営者が関関同立と提携するよりは早稲田大学と提携した方が独自性を出せると踏んでやったのか・・・、まあ、両方かな・・・。

  それで、YMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種の藤井という男は「僕は早稲田の政経でてるんだけどな」と一日最低3回は言わないとおれない人間であり、かつ、「地域によって大学の評価が違う」と言い、「僕は早稲田の政経でてるんだけどな」と言ってもあんまり効果がない・・というのが気にいらないようだったが、それは早稲田大学の評価が東京圏におけるよりも関西圏において評価が低いということよりも、藤井の言うことがおかしいから藤井の評価が低かったのであり、早稲田大学の評価の問題でもなかったはずだ。
  私は最初、藤井の言うことを聞いて「早稲田大学というのはくだらない大学なんだなあ」と思い、なおさら、早稲田なんか行きたくはないなあ・・と思ったものだった・・・が、今はそうではなく、早稲田大学という大学がどうかという問題ではなく、藤井の言う「僕は早稲田の政経でてるんだけどな」というのは、あれは学歴詐称だと思う。いくらなんでも、あんな早稲田ないわ、あんな早稲田なんて・・・( 一一)

  大学入試は平等ではないと私は思っている。親が東大・京大卒か、もしくは東大・京大に行こうとしたが行けずに早慶あたりに行ったという親の息子・娘と比べて我が家のようなその逆の親の息子はどう考えても不利だ。大王製紙の2代目は北野高校から東大に行こうとしたが行けずに慶應大に行ったが、息子には何としても東大に行かせたいと思い、息子の3代目は筑波大付属駒場高校から東大に行った・・・が、カジノでしょーもないことやりよったあ~あ、あ~あ( 一一) ・・・とその最後の部分はともかく、そういう親の息子・娘と我が家などとは条件が全然違う。
  私は、YMCA予備校高槻校「京大・東大文系クラス」の「主事」というよくわからん職種の藤井(男。当時、40代後半?)がおかしなことばっかり言いまくるので、うちの親に「あいつの言うことは聞かないようにしてほしい」「藤井の言うことは無視するようにしてほしい」と、はっきりと言ったのだ。ところが、うちの父親は「専門家の言うことやがな、専門家。専門家やがな、専門家。せんもんか、センモンカ、専門家、せ~んも~んくぁあ~あ!」と言ってきかないのだ。うちの父親はこの時に限ったことではなく、何かと「専門家、せんもんか、センモンカ、専門家」と言って「専門家」と称するイカサマの言うことをききたがる症候群の男だったのだが、又、そういう男には「専門家」と称して「言うことをきかす」ということをやろうとするヤカラが寄ってくるところがあるのだが、そういう男だった。 『毛沢東語録』(河出書房新社)に「専門家に警戒せよ」という文句があったと思ったが、今、探すと見つからないのだが、どこかにあったように思う。最初、それを読んだ時には、それぞれの分野の専門の人の言うことを参考にして判断するというのは悪くないのではないか、なぜ、専門家を警戒しないといけないのだろうかと思ったのだが、それぞれの分野の専門に研究している人・詳しい人の意見を参考にして判断するのは悪いことではないが、そうではなく「専門家」と称して人に「言うことをきかす」ようにしようとする者というのがいるわけで、そういう人間に「警戒せよ」ということと、それと、T=W=アドルノ『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)で第二次世界大戦中のドイツの民衆の心理の研究から、「専門家」信仰の強い人間とファシズム的傾向の強い人間、権威主義的パーソナリティーの人間、サド=マゾ人格の人間というのは相関関係があることが示されており、うちの父親などもそうかもしれないと思えるものがあった。「専門家」を必要以上に信仰する人間、実際にはその分野について特によくわかっているわけでもないのに「専門家」を名のって人に「言うことをきかす」ようにしようとする者に簡単に従い「言うことをきく」人間というのは、権威主義的パーソナリティー≒ファシズム的傾向≒サドマゾ人格≒「専門家」信仰 と見ることができ、人間の精神構造のあり方として好ましい傾向とは思えない。うちの父親はそれだったのだ。
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
だから、YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井についても、私が「あの男はちっとも専門家ではないから、あんなやつの言うことは、どうかお願いだからきかないでください」と言っても言っても言っても言っても、それでも「専門家やがな、専門家。専門家の言うことやがな、専門家」と言ってきかなかったのだ。もし、「専門家」と言うのならば、「京大・東大文系クラス」に言っている受講生というのは、一度はある程度の大学を受けて落ちた経験がある人間であり、大学受験についても入試に出題される各科目についても、ある程度以上の「専門家」であるわけで、藤井なんかに比べたらこっちの方がよっぽど専門家であるはずで、それも言ったのだが、それでも、「専門家やがな専門家。専門家です専門家。専門家の言うことはきかんといかんがな、専門家」と言って、私が「あんなやつ、専門家と違います」と何度言っても「専門家の言うことはきかんといかんがな専門家。専門家です専門家。せ~んもお~んくわぁあ~あ、専門家」と言ってきかなかったのだ。困った男だと思ったのだが、うちの父親というのはそういう男だった。難儀なおっさんやなあ・・と思ったし、よそのしっかりしているお父さんを見てうらやましいと思ったことは何度もあったが、よそのお父さんでいいお父さんがいても、その人はうちの父親ではないのでしかたがない。遠山 啓(ひらく)『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、父親というものは息子や家族を外敵から守ってくれる防波堤である、父親というものは家族の中で最も世間を知っていて息子に「世間知」というものを教えてくれる存在である・・などと遠山啓は書いていたが、そういうお父さんも世の中にはあるかもしれない・・というか、あると思うが、そうでない父親だったあるのだ。「外敵から守ってくれる」のではなく次から次へと外敵を引っ張り込んでくる父親というのもおり、「世間知」なんてもとより持ち合わせていない父親というのもいる。遠山 啓は生まれた時にはお父さんは朝鮮にいてお母さんや遠山啓と別に暮らしていて、遠山啓が5歳の時に帰ってくるというので大喜びしていたら、その途中で病気で他界してしまい、父親の顔を見ることもなくなってしまった人らしいが、そういう人だけに、どうも、世間の父親の中でも相当いいお父さんを「父親」と考えているように思われる。そうでない父親というのもいるということがわかっていないようだ。 又、鵜川昇『一流校合格への父親学』(ゴマブックス)↓ では、桐蔭学園校長の鵜川昇氏が、息子が高校・大学へ進むにおいては母親ではなく世間を知っている父親が息子にアドバイスをおこない、力になることができるかどうかが大きく影響するので、父親は子供を育てるのは主として母親の仕事だとか考えずに父親が主体となって息子の進学に協力するべきだということを述べているが、それを読むともっともなような気もするけれども、世の中の父親というものは鵜川昇さんが考えている「父親」のような条件を満たした父親ばっかりではないので、「父親」としての役割を果たそうとしてその役割を果たせる人もおれば、出しゃばってこられたらかえって迷惑な父親というのもいるのであり、鵜川さんはそのあたりについて十分に認識できているようには思えない。
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇
一流校合格への父親学 (1980年) (ゴマブックス) - 鵜川 昇
YMCA予備校高槻校で「主事」というよくわからん職種についていた藤井という男が次から次へといいかげんなことばっかり言いまくり、まったく嫌なやつだなあと思っていたのだが、後に聞いた話では、そう思っていたのは私だけではなく、京大東大文系クラスに北野高校以外の某高校から行っていた者でも「嫌なやつだ」と言っていたという話を聞いた人から「なんか、YMCA予備校の高槻の主事というのは、嫌なやつらしいなあ」という話を聞いた。 父親によっては、息子よりも父親の方が先に藤井の言うことはおかしいということを感知して、「あんなやつ、相手にすんな」と息子に教える父親がいたはずなのだ。そういうお父さんの息子・娘とうちの父親のように「専門家やがな、専門家。専門家です、専門家」と言いまくり、私が「あんなやつは専門家じゃない。あいつが専門家だと言うのなら私の方がそれ以上の専門家だ」と言っても、それでも「専門家やがな。専門家の言うことはきかんといかんがな専門家。専門家の言うことはきかんといかんがな専門家」と言って、私が「あんなやつ、ちっとも専門家ではないから」と言っても言っても言っても言ってもきかなかったのだ。
  遠藤周作は、どこでだか忘れたが、父親にとって息子というものは、自分の分身であり、自分ができなかったことを息子にさせてやりたいと思う存在であり、又、ライバルであって息子に簡単に追い抜かれてたまるものかとする者で、いずれはその息子に追い抜かれていく存在である・・・とか書いていたと思うが、息子をそう考える父親というのもあるかもしれないし、遠藤周作はそう考えていたかもしれないが、そうではない父親というのもいる。うちの父親はそんなことは考えていなかった。うちの父親は「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしに、すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために、わしのために、わしにわしにわしにい~い、んが、んが、んがぁあ~あ」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けてきた。父親にもいろいろな父親がある。 うちの父親は「もし、もう一度、生まれてくることができたら、その時には岩城宏之さん(NHK交響楽団 常任指揮者)のようになる。もしくは朝比奈隆さん(大阪フィルハーモニー 常任指揮者)のようになる」と言っていたのです。そう言うからには、もし、私がそういった方向を目指そうとするなら協力してくれても良さそうに思いませんか。ところが私にはそうは絶対に言わないし絶対にそんな協力はしないのです。「すべて欧、すべて王わしのために。すべて央、すべて翁、わしのために、わしのために、わしのためにためにために。てってこっこ、てっててって、らったらった、らったらあ、てってこっこてっててってらったらったらったらあ~あ♪ 皇国の一戦、ここにあり。欲しがりません、勝つまでは。贅沢は敵だあ! 木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたあ。すべて翁すべて王わしのためにためにために、すべてをすべてをわしのために、捧げ尽くす、捧げ尽くす。とおってちってたああ~あ♪ いっらいっらしてきたああ~あ!」と言うのでした。「もう一度、生まれてきたら岩城宏之さんのようになる」というのは、あくまでもおっさんが生まれてきたらの話であって、私はどうかというと「すべてをすべてをすべてをすべてをわしのためにわしのために」という存在だったのです。私は自分がこうしたいと考えていたものとうちの親の希望とに隔たりがあるとわかったので、なんとか両方が納得いくところにと思って譲歩に譲歩を重ねましたが、いくら譲歩しても譲歩しているのはこちらばかりであり、うちの親、特にうちの父親としては「すべて王、すべて央、わしのためにためにために♪ すべてをすべてをわしのためにためにために。 朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしにじゃわしにい。んが、んが、んがぁあ~あ! とってちってたあ~あ!」というものであり、「すべてをすべてをわしのために」という信念の人との間に「中間の立場は存在しない」ということに気づくのはもううちの父親が他界した後になってからでした。ですから、遠藤周作の本など読んで、そうかあ、父親というものはそんな感じで息子のことを考えるのかあ・・などと思っても、それは遠藤周作などのような父親のことであって、うちの父親などは遠藤周作などとは全然違ったのです。
  ひとつには戦中世代の人間だったからということもあるかもしれません。私が物心がついた時、すでに我が家には戦車とパトカーのおもちゃがあったのです。パトカーの方は父の取引先の方が息子さんが生まれたからということでパトカーと普通の乗用車と2台、プレゼントしてくださったと母から聞きましたが、戦車の方は今から考えるとけっこう高かったのではないかと思うのですが、どういう経緯で買ったかは母もはっきり覚えていないらしい。おそらく、あれは子供に買うという大義名分でおっさんが欲しいものを買ったのだと思います。私が父親ならば、まだ物心がついていないような子供にという大義名分で戦車なんて買いませんが、うちの父親は戦車が欲しかったようです。あの「戦車とパトカーが好きな男」というのは、考えてみると、いびつな性格しとるなあ・・と思います。そのうち、かつての日本海軍の軍艦のプラモデルをいくつも作り出して、「ロスケどもをやっつけてや~る!」とか叫ぶのでしたが、なんだか、私がやっつけられそうで怖かった。うちの姉も「あれ、見ると怖い」と言っていたのですが、父が他界した後、母が「あの軍艦、あんた、欲しいか?」と言うので「天地がひっくり返ってもそんなもん、絶対に要らん!」と言いました。そういうおっさんでしたが、戦中世代だからしかたがないという面もあるかもしれません。「朝日ジャーナル」だったかに誰かが書いていたのですが「何を話すにしても、全然関係ないことを話す場合でも、とりあえず、『戦争で苦労した』『軍隊で鍛えられた』『満洲で苦労した』と一通り言わないと何も話せない世代」と書いていたのを見たことがありますが、うちの父親はまさにそれでした。しかし、落ち着いて考えてみると、そのうち、「満洲で苦労した」というのはどうも嘘くさいような気もするのです。日本が敗北した頃に満洲に残っていた人は帰国するまで相当苦労されたようですが、うちの父親が満洲に行っていた時というのはそれよりも前で、「終戦」よりも前に日本に帰ってきていたのです。「満洲で苦労した」と聞くものですから、映画『二百三高地』に出てくる日露戦争の旅順要塞の攻防みたいなことを毎日やっとったのか・・・と私は勘違いしていたのですが、うちの父親が満洲に行っていたのは日露戦争の時ではなく、「ロシアに行くを知ってか(1904)兵隊さん」の1904年から1905年の日露戦争の時、うちの父親はまだ生まれていなくて、うちの父親が満洲に行っていた時は満洲は特に戦闘状態ではなかったのです。な~んか騙されたような感じがします。これ、ある職場で私より少し年上の人に話したところ、「それは絶対に嘘ですよ。うちの父親も戦争の時に満洲に行ってましたけれども、『楽しかった』て言ってましたよ」と言うのです。どこが「楽しかった」かというと、その時、満洲で戦闘していたわけではなく、簡単に海外旅行なんて行けない時代に国の費用で海外に旅行させてもらって、「毎日、戦車をゴーカートみたいに満洲の広い草原を走らせて遊んでいた」・・て「遊んでいた」わけではないかもしれないけれども、戦闘状態でもない場所で「訓練」と称してゴーカートみたいに走らせていたわけですから、そんなに悲壮な状態ではなかったようです。20年弱前、野坂昭如が8月15日の「終戦記念日」にテレビに出て話していたのですが、かつては日本で強いものと言えば関東軍、無茶苦茶するものと言えば関東軍と言い、関東軍というと「鬼より強い」「鬼より怖い」と言われていたけれども、最後、満洲にソ連軍が攻めてきた時には関東軍の装備としても人員としても精鋭は沖縄に行って満洲にはもう「関東軍の精鋭」はいなかった。それを軍人は知っていたが民間人は知らなかったから関東軍がなんとかしてくれると思ったりしていた、と語り、「終戦」で満洲から引き上げてくる人は大変だったけれども、それよりも前というと、「満洲は日本の生命線だ」と言って国内にいる人よりも食べるものも着るものもいいものを与えられていた・・と語っていた。そういう時期にうちの父親は満洲に行っておったみたいなのです。だから、「満洲で苦労した」と何度も聞かされたけれども、うちの父親が他界した後に考えてみると、どうも、あれは嘘くさい。少なくとも「教えて~ください~。この世の生きとし生けるものを~」「海は死にますか、山は死にますか、愛はどうですかあ、教えて~えください~い♪」なんてことはやってなかったはずなのです。〔⇒《YouTuve-映画「二百三高地」劇場予告》https://www.youtube.com/watch?v=UdTze_0gXb4 〕・・で、そのうちの父親と同年齢の有名人に漫画家の水木しげる がいるのですが、水木しげるの漫画や評論を見ると、水木しげる なんかはうちの父親と同年齢で同じ時代を生きた人間とはいえ、うちの父親なんかとは全然違うのです。福沢諭吉は「精神の独立」といったことを言っているのですが、そうはいってもその時代の状況その時代の思潮から完全に「精神の独立」をはたすということは簡単ではないかもしれませんが、水木しげる などはその時代からいくらかなりとも「精神の独立」していたように思えるのですが、うちの父親などは完全にその時代にはまっていて、戦後もそれから抜け出せずにいたように思います。ある時、私に「お父さんは日本の軍国主義の被害者です」などと電話で言うので、「よく言うわ」と思いました。あんた、被害者じゃないでしょうが、あんた、私に毎日毎日「とってちってたあ~あ!」とか言ってきたでしょうが。あんた、被害者じゃなくて加害者でしょうが・・・と思ったものでした。

  そして、母親はというと「藤井さんというあの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人ではない。あの人が悪い人だということは絶対にありえない」などとアホなこと言っていたのだった。「あの人はクリスチャンはクリスチャンでもYMCAで主事をやっているくらいだから、並のクリスチャンではない、特別にえらいクリスチャンのはずや。ああいう敬虔なクリスチャンの言うことはどんなことでもきかんといかん」などと絶望的なことを言っていた。「特別にえらいクリスチャン」とか「敬虔なクリスチャン」とかいうのはどういう「クリスチャン」かというと、「だいたい、『聖書』みたいなあんなもん、ええことなんて何一つとして書いてないんやから、あんなも~ん! 『聖書』なんてあんなもん、いいことなんて何一つとして書いてないんやから、『聖書』なんてあんなもん、絶対に読んではいかん」と言うのだ、「敬虔なクリスチャン」「特別にえらいクリスチャン」が。変わった「クリスチャン」やなあ・・・と思ったものだ。「『聖書』みたいなもん、あんなもん、読まんでも、洗礼うけて日曜ごとに教会に行って礼拝にでて献金払っておけばそれでええんや、それで。『聖書』みたいなもん、絶対に読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんてことは、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。『聖書』なんてものは、たとえ読むにしても、相当歳いってから読んで『はあん、そんなもんか』と思えばええことであって、特に若いうちに読んではいかん。あんなもん、絶対に読んではいかん!」と毎日毎日言いまくっていた男であり、それを「伝道」と考えていた男だったのだ。うちの母親は藤井の「伝道」を聞いて、私から『聖書』をとりあげて、そして、私は浪人中に心のなぐさめを奪われた。
  何より、この藤井という男が卑怯だと思ったのは、私が母に「あの藤井という男は、『クリスチャン』を名のっているけれども「『聖書』なんて読んではいかん」と言っているようなニセクリスチャンであり、大学入試についてもまったくわかっていない男で、大学も早稲田しか出ていないような男で京大・東大文系クラスの『主事』やっているといっても自分自身が京大や東大を受けたことがない人間で、次から次へといいかげんなことを言わないとおれない男で、しかも、私がそれは違いますと指摘してもきかない人間だから、あんな男の言うことは無視するようにしてほしい。藤井とはできるだけ関わらないようにしてほしい」と話したところ、その翌日の昼までには私が母にそう言ったということが、その藤井に伝わっていたのだった( 一一) どちらがどちらに電話して知らせたのかはわからないが、油断もすきもあったもんじゃない。我が家にスパイがいるようなもので、翌日の午前中には藤井に伝わっていたのだった。あきれた。我が家はそういう家庭だったのだ。そうでない家庭に比べてその点で大きく不利だったのは間違いないはずだ。
  ・・そして、私は、北野高校の教諭、3年の時の担任の教諭とか2年の時の担任の教諭とかが、そういったことに協力してくれないか助けてくれないかと思ったこともあったのだが、それは無理だった。あいつらにはそんな能力はない。無能で根性が腐っているやつにない能力を発揮してもらおうなどと期待しても無理なものは無理だ。

   YMCA予備校で藤井などが「主事」というよくわからん職種名称を名のっていたのは、それは本来は「先生」と言って欲しかったらしいのだが、英語・数学・国語・理科・社会科のいずれも教えるわけではなく、教える能力はなく、又、高校教諭の免許を持っているわけでもない人間だったので、「先生」と呼ばれたい症候群の人間だったのだが、「先生」ではなく事務職員であり、事務職員が悪いわけではないはずだが、予備校も含めて学校という所では教職員と事務職員では事務職員は教職員より下みたいな印象があるので、それで、事務職員と見られたくなかったらしく、それで「主事」と名のっていたようだった。YMCA予備校高槻校にはその「主事」を名のっていた男が藤井のほか、隅(すみ)と浜野の2名がいたが、浜野くんは大学でたばかりの新人だったようで、見ただけでも「よくて関関同立かそれより下の私立大学を卒業したばかりですう」と顔に書いてあった。若い者は「顔に書いてある」ことが多いのだが、年齢をいくとわかりにくくなるが、私は藤井が「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と毎日毎日、「もう、それ、聞いたよ」と思うことを何度も何度も言いまくるのを聞いて、早稲田大学というのは、特に「早稲田の政経」というのは、くだらん大学なんだなあ~あ・・・と思うようになったのだった・・・が、違うと思う。あんな早稲田ないで、あんなん。そうではなく、あれは学歴詐称だと思う。 まず、京大に合格する方法・東大に合格する方法と早稲田大に合格する方法は違うのだが、それでも、共通する部分もないことはない。だから、もしも、本当に早稲田大の政治経済学部卒ならば、自分が早稲田大を受けた時にはこういうことを考えてこうしたが、実際に受けてみるとこうだったとか、あるいは早稲田大に行く前は大学というものはこうだろうと思っていたが実際に行ってみたらこうだったとかそういった話があっていいはずなのだ。ところが、藤井の場合は「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と毎日毎日、「もう、それ、聞いたよ」とうんざりすることを言いまくるばかりで、その早稲田大を受ける時にどうだったとか、その早稲田大に行ってみたらどうだったといった話がまったくない。本当に行った人間ならそういう話がある程度以上あっていいはずなのだが、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」といいかげんうんざりするくらいに言いまくるばかりで、その早稲田大を受けた時にこういうことがあったとか、早稲田大に行ってみたらこうだったとか、そういう大学受験生にとっていくらかなりとも役立つ可能性が考えられる話というものがまったくないのだ。・・・あれは学歴詐称だと思う。私は自分が高校生や大学受験生だった頃、学歴詐称する人間というのは世の中にそんなにいっぱいいるものではないように思っていて、又、特に、予備校とはいえ学校という所で学歴を詐称する人なんてないと思い込んでいたがそれは違う。そうではない。むしろ、「京大東大文系クラス」と名付けたクラスの生徒には「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」とでも言わないとなめられるという強迫観念でもあったくらいではないか。そんなやつの話なんか、害こそあれ益になるものはない。
   私がうちの母親に「あんなやつ、早稲田しか出てないのだから、東大や京大の受験がわかるわけがない」と言うと、うちの母親は頑固で「自分が行ってなくても、行く人の世話をやってきた人なのだからわかるでしょうが」と言ってきかないのだった。結論を言うと、それはだめです。学歴詐称の人というのは、何やるにしても詐称の対応なのです。そんな対応を長く続けてきたような人はだめです。
   但し、東大に行こうとする人の指導は東大に通った人でないとできないかというと、通った人の方がいい場合もあるけれども、行きたいと思って努力したが行けなかったという人がだめとは限らないと思います。 前高砂親方(元 大関 朝潮。元長岡。「大ちゃん」)が朝青龍を指導できないのは元横綱の親方ではなく元大関の親方だからではないかと言われたことがあったが、スポーツ新聞に載っていた話だが、前高砂親方(元 大関 朝潮。元長岡。「大ちゃん」)が本に書いたらしいが、「元大関の親方が元横綱の親方に劣ることはない、元横綱の親方はたいてい『達成した』という意識でいるのに対して、元大関の親方は『なぜ自分は横綱になれなかったのだろうか』『どこが悪かったのだろうか』『どうすればよかったのだろうか』と引退した後も、いつまでもいつまでも考え続ける。考えるなと言われても考えないでおれない。その気持ちを弟子の指導にぶつけるから成果を出せる。だから、元大関の親方が親方として元横綱の親方に劣っているということはない」と述べていたらしいのだが、実際、そういうことはあると思う。だから、実際に受けてうまくいった人と、受けたけれどもうまくいかなかった人とでは、人を指導する立場になった時にどちらがいいかはいちがいに言えない・・・とは思う。しかし、まったく受けたこともない、受けることを考えたこともないという人には京大・東大に進学しようという人間の指導は無理です。こういうことを言うと「学歴によって人を差別しちゃいかんじゃないか」とか言う人が出てくるのですが、もし、他の仕事ならば、学校ではあまり勉強しなかったけれども仕事についてからは真面目に努力して成果を出したという人だってあるかもしれないけれども、「京大・東大文系クラス」であるからには京大・東大を実際に受けて合格して進学した人か受けたけれども合格できずに早慶あたりに行った人か直前に受験を回避して阪大くらいに行った人か、そのいずれかの人でないと指導はできないと思うのだ。特に、学歴詐称で生きている人はそういう場においては害がある。
  藤井が「僕は早稲田の政経でてるんだけどな」というのはまず学歴詐称だと私は思うが、興信所に依頼して調べたわけでもないが、もしも、あれが本当に早稲田大を卒業していたなら、貧乏人のことゆえ高いものは無理だが、牛丼かカツ丼なら賭けてもいい。あんな早稲田ないわ、絶対に。最初、もしかして、早稲田は早稲田でも内部進学かと思ったのだ。内部進学だから大学受験を知らないのかと思ったのだ。早稲田大学という大学は国立大学とは違って、内部進学もあればスポーツ入学もある大学で、スポーツ入学の人は高校だって京大・東大に進学するような高校卒ではない人だから感じも違うが、藤井の場合はスポーツマンという感じではないのでスポーツ入学ではなさそうだったので、それで内部進学かと思ったのだった・・・が、慶應大学に行って慶應の内部進学の人とか早稲田の内部進学の人とかと会ってみるといずれも藤井みたいのとは感じが違った。だから、内部進学でもないと思う。それで、もしも、万一、あの男が本当に早稲田大学政治経済学部卒であったとしても、結論として「早稲田の政経でてると学歴詐称しているしょーもない男」であるか「実際に早稲田の政経でていたしょーもない男」であったかの違いであって、実際問題としてたいした違いはない。どうも、うちの親は学歴詐称する人に騙されやすい人間だったようだが、《「早稲田の政経でてると学歴詐称しているしょーもない男」であるか「実際に早稲田の政経でていたしょーもない男」であったかの違いであって、実際問題としてたいした違いはない》とでも思えば、この相手は学歴詐称しても通じない相手なんだな・・と思ってそう考える人間には学歴詐称する人がそれほど寄ってこない、もしくは、その相手にはあまり詐称しないようになるはずなのだが、うちの親というのは父親にしても母親にしても詐称する人には「もってこい」の人間だったようだった。
  「クリスチャン」てやつも、要するに教会と牧師屋に「特別献金」さえ払えば、藤井が言うように「『聖書』みたいなもん、読まんでもええねん」ということで「洗礼」うけて「敬虔なクリスチャン」と教会と牧師屋が認定してくださるのだから、そういうくだらないものでしかないのだ。むしろ、「洗礼をうけたものか、どうしようか」と真剣に考えて考えてしてまだ洗礼を受けていないという人と比べて、そんな思案も検討も吟味もしないで、洗礼うければYMCA予備校の職にありつける、「あの人は敬虔なクリスチャンだから絶対に悪い人ではない」と言ってもらえると御利益を目的にさっさと「受洗」する人なんて、そんなものは藤井が言う「あんなもの、いいことなんて何ひとつとして書いてないねん」という『聖書』の考え方から判断して価値のある人ではないのである。
  それで、うちの母親は「自分が京大や東大を受けた経験がなくても、受けたことがある人を見てきた人でしょうよ」と言うのだったが、私はそういうことを考えないで言っていたのではない。そうではなく、最初、自分自身は「早稲田の政経」しか出ていなくても、京大や東大に進学した人を見てきた人間として何か価値があることを言える人なのか? ・・・と思って見て、それで、この人はだめな人だと判断したのである。もしも、自分自身がそれほど評価が高くない大学しか出ていないけれども、東大や京大に進学する人を見てきて役に立つことを言える人であったなら、実際にはなかなかそういかないとは思うが、もしも、そういう人がいたのなら、それが悪いと言うつもりもないし、それをいかんと言ったりはしていないのです。

  もし、大学生に家庭教師を頼むとすると、できれば知り合いの息子か娘で、そして、地元の高校卒で「一流大学」に進学した人に頼みたいと考えるのではないでしょうか。「知り合いの息子か娘」というのは、やっぱり、家庭教師というのは自分の家の中に入ってきてもらうことになりますし、特に娘の場合は「男の人はちょっと」と考える親が少なくないようで、実際、何を教えとるんじゃいみたいなやつもいるみたいですししますが、「一流大学」を卒業しても、教員養成課程を履修して高校教諭・中学校教諭の資格を取得しなければ高校・中学校の教諭になることはできません。それに対して、「受けさえすれば通る大学」卒でも教員養成課程を履修して高校教諭・中学校教諭の資格を取得すると、実際に仕事にありつけるかどうかはわかりませんが、高校教諭・中学校教諭の資格はあるということになります。
  それに対して、予備校の場合はどうかというと、「一流大学」卒でなくても予備校に就職することはできますし、高校教諭・中学校教諭の資格を取得していなくても予備校に勤めることはできるのです。そういう人は、それだけでは「京大東大文系クラス」とかいったクラスの生徒からは馬鹿にされますから、ですから「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」とか学歴詐称したくなるようです。

  私がYMCA予備校高槻校の「主事」の藤井の言うことはおかしいと考えた内容について述べようと思いましたが、すでに字数が相当多くなったので、それは次回にまわすことにします・・・が、その前に、YMCA予備校が「良心的ではない」と考えたのは、
[1] 「京大・東大文系クラス」と名づけて単なる「文系クラス」とは違う位置づけにしたクラスを新しく作った高槻校に設けたはずで、「京大・東大文系クラス」だったから、だから、YMCA予備校でも我が家からなら豊中校の方が近かったにもかかわらず高槻校まで行ったのですが、ところが、入学してみると、まず、入学手続きの時に、うちの母親はYMCA予備校の職員から「YMCAでは、東大受験ではなく京大・阪大の受験をするように指導していますから」と言われたというのです。それでは「京大・東大文系クラス」ではありませんね。その内容で名づけるのなら、せめて、「京大阪大文系クラス」とでも名付けるべきです。「京大東大文系クラス」なのに「東大受験ではなく京大・阪大を受験するように指導しています」というのはおかしい
[2] 1979年の入試から共通一次試験が実施され、それまでは阪大・神戸大の文科系学部では理科は1科目選択、京大・阪大・神戸大の理科系では社会科は1科目選択だったのが、どこを受験する者も共通一次試験において理科も2科目選択・社会科も2科目選択になったのですが、それで、「共通一次試験が実施されたことから、社会科を受験する人が増えたことから社会科の先生が不足してまして、その為、社会科の授業は世界史か日本史の1科目だけになります。もう1科目は教科書を読んでください。教科書を読めばできますから」などと藤井が言ったのです。この発言は2つの点でおかしい。
(1) 共通一次試験が実施されたことから、それまで、理科1科目だった人も2科目受けるようになり、社会科が1科目だった人も2科目受けるようになったことから、理科の先生と社会科の先生が不足するようになったということならば、理科も1科目だけになってよさそうなものでしたが、理科については2科目の授業がおこなわれたのです。おかしいでしょ。
  又、社会科の先生が不足するようになった原因ですが、「理系学部を受ける人も社会科を2科目受けるようになったから」社会科の先生が不足するようになったと藤井は言うのですが、「理系学部を受ける人も社会科を2科目受けるようになった」としても、YMCA予備校では「理系クラス」「医進クラス」でも社会科は相変わらず1科目だけの授業であり、共通一次試験実施により理系学部受験の人も共通一次試験では社会科を2科目受けるようになったとしてもYMCA予備校の「理系クラス」での社会科の授業が1科目から2科目に増えたわけではないのであり、「理系学部を受ける人も社会科を2科目受けるようになったから社会科の先生が不足するようになった」とう藤井がいう理屈・言い訳はあてはまらない、成り立たないのです。なぜ、そういう嘘を言うのかと思います。
(2)  何よりも、「教科書を読んでおけばできます」とは、よくもまあ、そういうことを言えると思います。まず、共通一次試験対策としてどうかということと、東大二次試験の社会科の対策としてどうかという点で意味は違います。共通一次試験が実施されて、私はそれまでの京大・阪大型試験と共通一次試験を比較して、京大・阪大などの試験問題と比べて共通一次試験の問題というのは、その科目自体についての学習とその試験問題に対しての対策とで、「試験問題に対しての対策」をどれだけやったかで得点が変わる性質が強いと感じたのです。その点で、その時の私は共通一次試験というのはそれまでの問題に比べて良くないのではないかと思ったのでした・・・が、そんなこと言っても、その試験を受けて大学に進学しようというのならば、その試験で高得点を取れるようにならないといけません。その科目自体の学習と試験問題に対する対策では試験問題に対する対策が重視されるタイプの問題で高得点を取るためには「教科書を読んでおけばできます」などという寝言は害がある。そうではなく、共通一次試験対策の問題を何題もこなすことが効果があったと考えられます。
  「教科書を読んでおけばできます」というのは、それは理系学部受験者、たとえば、京大・阪大の工学部・理学部などを目指す人の場合、数学1~3、物理1~2,化学1~2 に英語だけでも相当の分量で、それに国語と社会科2科目もやらないといけないとなると大変です。ここでひとつの作戦があります。「国語はやらない」という方法・・・て、そりぁいったいなんじゃ? ・・というと、やらなくても国語というのは究極的には日本語だからまず0点にはならない。特に共通一次試験はマークシート方式で選択肢から選んで塗るというものだから、0点にはまずならない。そこで、国語と社会科2科目については「ほとんどやらない」ことにして、せいぜい「教科書を一通り読んだ」というくらいですませて、そうやって空けた学習時間を数学1~3・物理1~2・化学1~2・英語に集中して数学・物理・化学・英語の得点アップをはかり、国語と社会科については「致命傷だけは防ぐ」という方針でいく・・・というものです。実際、この方法をとって京大・阪大の工学部などに通った人はいるはずです。 「すべての科目をすべて高得点とろう」とするとこれはなかなか難しい。そこで、「高得点を狙う科目」と「致命傷だけは防ぐ科目」を分けてめりはりをつけて学習するという方法が考えられるのです。
  理系学部を目指す人でも、たとえば、慶應の医学部とか自治医大とか早稲田大理工学部とかは、数学1~3・物理1~2・化学1~2と英語が試験科目で、国語と社会科は最初から試験科目としてありませんでした。そういう学部を受ける場合には、国語・社会科は完全にボロボロでも試験には通るのです。それに対して、京大・阪大の工学部・理学部などは国語・社会科も試験にありますからボロボロでは困る、「致命傷だけは防ぐ」という点数を取る必要がありました。そういう場合に「社会科は教科書を読むというくらいにとどめておく」ということならば、それは作戦としてありだと思います。京大・阪大の工学部・理学部あたりを目指す人と慶應大医学部・自治医大・早稲田大医学部などを目指す人では違いがあります。京大・阪大の工学部・理学部を目指す人の場合には国語・社会科は「致命傷は防ぐ」点数を取るようにする必要がありますが、慶應大医学部・自治医大・早稲田大理工学部は国語・社会科は完全になかったのでボロボロでも良かったのです。もちろん、入試に国語や社会科がないからといって夏目漱石の『こころ』・太宰治の『人間失格』・三木清の『人生論ノート』とかそういった本を読まずに高校を卒業してはたしていいのか・・・といった問題はあるかもしれませんが、入試に通るという点から考えるならば、慶應大医学部・自治医大・早稲田大理工学部のように国語・社会科が完全に試験にない大学学部の場合は試験にある科目に力を集中して試験にない科目はボロボロでもよかったことになります。ですから、京大・阪大の工学部・理学部などを目指す人の場合、もともと、国語や社会科は苦手ではない方の人は「徹底して手を抜く」ことをしても文系学部ではなく理系学部の受験生のレベルから考えると「ある程度の点数」は取れると思うので、国語や社会科は「徹底して手を抜く」ようにして、その分、力を数学・物理・化学・英語に注ぐというようにすれば合格に近づくのではないかと思いますが、国語や社会科がもともと苦手だった人の場合は、いかに国語は荒っぽい言い方をすると究極的には日本語だから0点はないとはいえ、0点に近い点数になってしまう可能性もないとはいえないので、慶應大医学部・自治医大・早稲田大理工学部などを目指す場合ならいいけれども、京大・阪大の工学部・理学部などを目指す場合はそうもいかないでしょうから、「どの程度手を抜くか」を考える必要があるでしょう
  しかし、京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部、阪大の法学部・経済学部・文学部・人間科学部を受けようという人にとっては、共通一次試験の社会科も「致命傷を防ぐ」という点数ではなく「ある程度以上の高得点」が必要になったはずですから、「教科書を読んでおけばできます」などという寝言は間違いです。
(3)  さらに、東大の二次試験は「論述式」試験で、「・・・について800字以内で述べよ」といった問題が出たのです。私は他の科目は別として、社会科については北野高校の中間考査・期末考査や模擬試験でも業者の模擬試験で全国総合模試といった試験でも悪くない点数を取れたのですが、ところが、どうも、東大の二次試験の問題はうまく書けなかった。それで、YMCA予備校に「京大東大文系クラス」ができたので、そういう名称のクラスを設けたからには、その東大の二次試験の「論述式」の問題の答え方、「論述式」試験である程度以上の点数を取れるための学習法を教えてもらえるのではないかと期待して、それでYMCA予備校の「京大東大文系クラス」に行ったのです。ところが、「社会科は教科書を読んでおけばできますから」とは、なんだ、それは!!! 教科書みたいなもん、すでに何回も読んでる。それ以上のことを相当やっている。それでも、東大の二次試験の「論述式」試験ではうまく書けなくて苦労していたのです。それをどういう学習をすればうまく書けるようになるか教えてもらいたいと思ってYMCA予備校の「京大東大文系クラス」に行ったのじゃないですか。それを放棄してしまって「社会科は教科書を読めばできます」とは、ふざけんな!!! まさに「看板に偽りあり」だと思ったら、同じクラスの人で「看板に偽りありだな」と口にする人がありました。
   私は、これまで、資格試験において、自分で独学で学んだのではうまく習得できず、受験指導をするスクールに行ってできるようになったものがあります。宅建主任(宅地建物取引主任者)⇒宅地建物取引士 の試験は独学で通りました。但し、「独学で通った」といっても、宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士 に合格するための受験予備校といった所には行かなかったということであって、東京リーガルマインドが無料でくれた同試験対策のカセットテープを聞いて参考にしましたし、日建学院が無料で受けさせてくれた模擬試験及び採点会には参加させてもらいましたし、そういったスクールの情報を利用しなかったわけではありません。 インテリアコーディネーターは1次試験(学科)は独学で通ったのですが、2次(製図と論文)については、独学では製図の方がうまく書けなかったので、「費用をかけずにさっさと通る」というポリシーを崩してでも通りたいと考えて、ハウジングエージェンシーのインテリアコーディネーター2次試験対策講座に週に1回2か月半ほど通って、講師の方がやってくれと言われる課題をこなして、それで合格することができました。キッチンスペシャリストも学科試験は独学で通りましたが、製図試験はけっこういろいろとやってみたのですが通ることができず、やはり、ハウジングエージェンシーが実施したキッチンスペシャリスト製図試験対策講座に出て、講師の方がこういう練習をしてくださいと言われたことをやり、それで合格することができました。 建築CAD検定の3級と2級に合格しましたが、これも、最初は独学でCADの学習を始めたのですが、ワード・エクセルなどならば独習書を買ってきて、ここをクリックしてくださいと書いてある所をクリックすると、この画面が出てきますという画面が出てくるのですが、CADの場合はJw cad の場合はまだいいのですがAuto CAD はテキストにここをクリックするとこうなりますと書いてある通りのことをやってみても、なかなかその結果にならなかったりするのです。テキストを前にしてう~んう~んと唸りながらやってもうまくいきません。それで、思い切って、ウィンスクールの建築CAD設計コースを受講して半年ほど通い、そこで言われた通りのことをやって、それで建築CAD検定の3級と2級に合格することができました。もしも、独学でやっていたならば絶対に通らなかったかというと絶対に通らないということはなかったかもしれませんが、合格までもっと長い期間がかかったでしょう。それで、東大の二次試験の社会科の「論述式」試験をどうすれば合格できる答案が書けるのか、私はどうすればいいのか困ったのです。「教科書を読んだらできます」かというと、できません。教科書なんて何回も何回も読んでいます。それ以上のことを相当やっているのです。ですから、書けるようになるにはそれ以外の練習をしないといけないと思われました。それをYMCA予備校高槻校が「京大東大文系クラス」というクラスを設置したからには、当然、そういう指導をしてくれるものだと思って受講したのでしたが、最初から、「社会科は教科書を読めばできます」などと人を馬鹿にしたことを藤井は言ったのです。

   さらに、「北野高校卒、京都大学文学部卒、元 天王寺高校教師」という山之内という古文の講師が「最低で京大、うまくいけば東大。さらにいけば亜細亜大だあ~あ!」などとアホなことを授業中に言ったのでしたが、最後の「さらにいけば亜細亜大だあ」というのはしょーもない冗談ですが、この認識は間違いです。京大と東大はどちらが難しいか。東大の方が難しいと勝手に決めつけている人がいますが、そういう認識をしていると通るものも落ちます。どちらが難しいかといっても、もとより、試験科目も配点も違えば同じ名前の科目でも出題傾向が違うのですから、どちらがより難しいかなんて言いようがないのです。
   但し、北野高校のように「京大合格者数1位の高校」に行っていた者からすれば、京大についての情報と東大についての情報ならば京大についての情報の方が多く入ってきますし、高校の授業の内容や課題は京大の問題に対応しているものと東大の問題に対応しているものとでは、どちらにも共通して対応するものもあるけれども、京大の方に対応するものの方が多く、東大に合格するためにやらないといけないもので対応していないものがあるはずなのです。ですから、「京大合格者数1位の高校」に行った者の場合は間違いなく東大よりも京大の方が行きやすいはずです。ですから、考えようによっては、「京大合格者数1位の高校」に行ったならば、別に東大に行かなくてもいい、京大でいいではないか・・と考えることもできるのです。
   それで、YMCA予備校の古文の講師の山之内さんですが、「堕落しているなあ」という印象を受けたのです。別に特別に反社会的なことをされていたという意味ではありません。私が「堕落している」と感じたのは、北野高校から京都大学文学部に進学した人だというのは藤井の「早稲田の政経」とは違って本当そうでしたし本当だったのだろうと思いますが、京都大学に進学した頃、および、天王寺高校の教諭になった頃の力はもうない人という印象を受けたのです。どこがか・・というと、なんというのか、「ずれてる」のです。
   山之内さんが作成した古文法のテキスト、一般に市販されていた高校の古文法のテキストに比べてひと回り詳しくてなかなかよくできていたのです。同様のものはなかなか市販されていませんでした。「これは、なかなか良さそう」と最初に見た時は思ったのです・・・・が、必要ないでしょう。「大学受験の古文」として考えるならば、古文法にそこまで詳しい内容は要らんでしょう。・・それひとつなら、「あること」でしょうけれども、それだけではなく、すべてにおいて、「なんか、ずれてる」のです。
   さらに、山之内さんは「今年度の入試の古文は、ねらい目は『徒然草』。『徒然草』がで~る!」と宣言なさったのです・・・が、出ませんでした。共通一次試験も国立大学の二次試験も私立大学の試験も、どこの大学学部でも『徒然草』は出ませんでした。・・もっとも、そういうのは常に「当たる」というものではないので、「はずれた」としても仕方がないということもあるかもしれませんが、山之内さんの場合、はずれるものが多いのです。なぜ、「はずれる」ものが多いかというと、「堕落している」という表現だと失礼かもしれませんが、御自分が京大の文学部を受けた頃や天王寺高校の教諭に就任した頃に比べて、全体的に力が落ちているからでしょう。
   又、YMCA予備校で長く、天王寺高校・北野高校あたりの学生よりも学力レベルが低い生徒を相手にしてきたことから、それに合わせてしまっていたということもあり、かつ、御自分でそれを自覚できていなかった、ということもあります。山之内さんは「わしは毎週、週刊誌を10冊読むんや。そんで、最後は『テレビガイド』で締めくくるんや。そやから、芸能ネタはわしは何でも知っとるでえ。そのわしが1年間、授業をやるんや。楽しみやろう」などとおっしゃるのでした。その発言からして、すでに相当ずれていますでしょ。なにしろ、「京大東大文系クラス」といったクラスの生徒は「芸能ネタ」なんてたとえ話されても知りませんからね。そんなもの、話されても、面白くもなんともないんですよ。そのクラスは「京大東大文系クラス」だということを認識できていない人が、「わしは芸能ネタは何でも知っとるんや。そのわしが1年間授業やるんやぞお。どうや、楽しみやろ」なんて言われても、面白くないのです。むしろ、曲がりなりにも古文の講師ならば、まがりなりにも北野高校卒ならば、まがりなりにも京都大学文学部卒ならば、まがりなりのも元天王寺高校教諭ならば、「古文そのものの面白さ」を発揮しつつ「大学入試の古文」に役立つ授業をおこなうべきです。それを芸能ネタなんて「京大東大文系クラス」の生徒が聞いても何のことやらわからんようなことを口にする・・というのは、やっぱり、「堕落している」印象でした。
  「『徒然草』が出る」と宣言なさったのですが、私は「ほんまかいやあ」くらいに思ったのですが、前の席のやつが「一緒にききに行こう」と言ってけっこう強引だったので、それで一緒に山之内さんの所に、その『徒然草』についての「お勧め」の参考書をききにいくのにつきあったのでした・・・が、山之内さんは私に「あんた、文系? 文系やったら、☆☆を使ったらええ」と言われて勧められた本は、無茶苦茶分厚い本で、受験対策本ではなく学術書みたいな本でした。その頃はまだ私も「受験のベテラン」ではなかったのでよくわからなかったのですが、家に帰って「・・・という本を推薦されたけれども、どうしようかなあ」と、つい口にしてしまったところ、うちの父親が「先生が言われる本なら買うべきやで。先生が推薦される本なら」と言って、それでその無茶苦茶分厚い『徒然草』の学術書みたいな本を買い、買ったからには前から読みだしたのですが、失敗でした。あんなもの、受験の時に読むものと違うのです。野球でホームランというのは、外野のフェンスを越えたらホームランであって、場外ホームランを打つ必要はないのです。もっと言えば、今までテレビで野球中継見ていて、一番感動したのは、いつだったか、西武対巨人の日本シリーズ、第7戦、西武の監督は渡邊久信、巨人の監督は原だった時、終盤、西武のその回のトップバッターの片岡がデッドボールをぶつけられ、片岡は大喜びで一塁に走って行くと、次の球で二塁に盗塁。次の打者は送りバントで1死3塁。そして、その次のバッターはセカンドゴロでその間に本塁に生還。あっと言う間に無安打で1点獲得。テレビが巨人のベンチを写したところ、「やられたあ」という感じの原の顔が映っており、ゲスト解説者として来ていた赤星(阪神)が「鳥肌たちましたねえ」と発言。すげええ~え! と感動した。山之内さんが読めと言って進めた無茶苦茶分厚い本というのは、いわば、その逆なのです。「文系」ならば場外ホームランを打てと言っているようなものなのです。場外ホームランなんて打つ必要ないのです。「死球・盗塁・送りバント・セカンドゴロ」で1点取れるのです。浪人までして、そんな学術書みたいな無茶苦茶分厚いその本の内容を完全に理解したとしても試験に出るものはほとんどないようなものを読めと推薦しているあたりからして「ずれとる」のです。大学入試の問題には出ませんからね、そんな無茶苦茶分厚い学術書なんて読んでも。

   私の場合は、ともかくあの家を出たかったのです。うちの父親が「京大なら家から通うべきや。京大に行くのに下宿したいなんて甘ったれたこと言うておってはいかんぞ、甘ったれとってはいかんぞ」と言いましたが、神戸大学は神戸市とはいえ阪急神戸線の大阪梅田と阪急三宮の間の「六甲」駅から北に歩いた所、「大阪と神戸の間の神戸より」にありますが、京都大学は事情は違って、阪急「京都河原町」駅よりも向こう、京阪「三条」駅よりも向こうにあります。百万遍、「ちんたらちんたら、学校をさぼって百万遍に行けば~♪ 京大のねーちゃんが横眼で睨む~。やりたくない、やりたくない、やりたくやりたくやりたくない♪」という百万遍です。これだとどこかわかりませんね。鴨川の東、銀閣寺の少し西、叡山電鉄の始発駅の「出町柳」の少し南のあたり、賀茂川と高野川が合流し、その間に下加茂神社があるあたりの少し東の方にあります。「銀閣寺と下加茂神社の間くらいの京都」というと、これは京都は京都でも、マルーンカラーの阪急の「京都河原町」駅から歩いてすぐの円山公園とか八坂神社とか、あるいはJR「京都」駅から歩いてすぐの東本願寺みたいな「京都の入口みたいな京都」ではないのです。ましてや、桂とか長岡天神とかいった「茨木・高槻の続きみたいな京都」とは全然違うのです。「新幹線の窓から見える東寺みたいな京都」でもないのです。はっきりと京都、筋金入りの京都、ディープな京都なのです。阪急京都線に乗って「京都河原町」駅に降りても、まだそこに大阪梅田やらやってきたあずき色の電車が停車していますから、まだまだ大阪のニオイがしています。ところが、百万遍というのは「百パーセント京都」なのです。「京都河原町」駅からバスに乗らないと行けない。「京都~大原三千院、恋に疲れた女が~ひとり~♪ 結城に塩瀬の素描の帯が池の水藻に揺れていた、京都~大原三千院~♪」の大原ほどディープではないけれども、阪急「京都河原町」駅付近とかJR「京都」駅付近とか京阪「三条」駅付近とかのような「大阪のニオイが残っている京都」ではなく相当ディープな京都、百パーセント京都の場所です。神戸大の場合は「大阪と神戸の間の神戸」「神戸の三宮よりも手前の神戸」にある、阪急宝塚線沿線住民からすれば大阪市南部にある大阪市大より近い、大阪府堺市にあった大阪府大よりも近い場所にあったのに対して、もともと大阪ー神戸間と大阪ー京都間ならば微妙に大阪ー京都間の方が距離が長いのですが、京大は「大阪と京都の間の京都ではなく、京都河原町よりもずっと向こう側の京都」にあったのです。今では京阪「三条」駅から鴨東線が地下を走って「出町柳」まで行っているので、京阪で「出町柳」まで行って東に歩くという方法もあるでしょうし、大阪府内でも大阪モノレールなんてのができて、阪急宝塚線「蛍池」・北大阪急行「千里中央」から阪急京都線「南茨木」を結んでいるのでそれを使うこともできますが、私が高校を卒業した頃は大阪モノレールなんてなかった。北野高校に来ていた人でも、京都線沿線の住民で島本町なんてのに住んでいた人なんかは京大に自宅から通っていた人がいましたが、我が家は京都線沿線ではなく宝塚線の支線の箕面線の住民なのです。百万遍まで自宅から往復しろなんて、よく言うわ・・・と思いましたが、うちの父親というのはそういうおっさんでした。ましてや、阪大なんてあるのは石橋ですから。石橋というのは大阪府の豊中市・池田市・箕面市の境目の池田市に駅があり、豊中市・池田市・箕面市の境目の豊中市に阪大の豊中キャンパス、別名、待兼山芋畑があるのです。そんな「高校より近い大学」なんてとんでもない。考えただけでもぞっとします。又、うちの父親は「京大なら自宅から通うべきや」と言っただけではなく、「京大はアカやから、行ってはいか~ん!」とも言いよったのです。そうなると東大に行くしかないことになります。うちの父親は「ほんまやったら関西の大学に行ってもらいたかったんやけども、それをこいつが我儘言うてからに東京の大学に行きたいいうもんやから、そやから、わしが人格者でえらいえらい人間でものごっつい寛容な人間なもんやから、東京の大学を受けさせてやってやってやってやったったんや」と私が浪人すると言い出しましたが、嘘です。そうではなく、おっさんは私が高校3年の時には「下宿して大学に行くのなら、京都で下宿して京大に行くのも、東京で下宿して東大に行くのも一緒や。亜細亜大やたら拓殖やたら法政やたら東洋大やたら専修やたらポン大やたらそういうアホ大学に行くために東京で下宿してまで行くことない、アホ大学は大阪にもあるんやからアホ大学にしか行かれへんようなやつが下宿してまで大学に行くことない。アホ大学しか行かれへんようなやつは家から通える地元の大学に行くべきや。そやけども、東大に行くために東京で下宿するというなら下宿する価値はあるし、東大でなくても早稲田か慶應に行くのに東京で下宿して行くというのなら下宿してでも行くべきや。そんなもん、下宿は嫌やなどと甘ったれたこと言うとってはいかんぞ、甘ったれたこと言うとっては」・・・とそう言っていたのです。このうちの父親というのは、その人がそう言うのならとその人が言ったものを前提にして考えていても、翌年か翌翌年になったら正反対のことを平気で言うおっさんです。又、人から何か言われると、それまで自分が言っていたことを平気で否定して、他人に言われた内容に合わせるおっさんでした。どういう性格してるんだろう・・と思いましたが、そういう性格していたのだと思います。信頼できん男やなあ・・と思いましたが、そういう人間のことを「心理学」では「人格者」とか「英雄」とか「常識人」とか「社会経験が豊富」とか「百戦錬磨」とか「世の中を知っている」とか「自我が確立されている」とか言うそうです。

  今から考えると、我が家は相当変わっていたと思います。私は3人兄弟で上に姉が2人いたのですが、「普通、親なら・・・」と言うと、下の姉は「うちは『普通の家』と違うでしょ」と言うのでした。上の姉もそのあたりについてまったく感じていなかったわけではなく、「普通の夫婦なら、お父さんとお母さんのどちらか片方に『これ、やっていい?』ときいて、片方が『いいよ』と言えばもう片方も了承したことになるでしょ。ところがうちの家はそうじゃないでしょ。片方が『いい』と返事したからいいのだろうと思っていたら、もう片方がだめだと言い出して、そうすると最初に『いい』と言った方もだめだと言い出すでしょ」と言うのでしたが、実際、うちの親はそうでした。上の姉は「結婚する時に、ああいう夫婦にだけはなりたくないと思った。子供が片方の親に『これ、やっていい?』ときいて片方が『いいよ』と返事したから子供としてはいいものだと思っていたら、もう片方がだめだと言い出して、もう片方がだめだと言い出したら最初に『いいよ』と言った方までが『いかんでしょ』と言い出すというああいう夫婦にだけはなりたくないと思ったわ」と言うのでしたが、うちの親はそういう夫婦でした。しかも、父親の方はそういう夫婦の関係を改善しようなどとは毛頭考えておらず、「わしほどエライ人間はおらんねんぞ、わしほど~お。わしはキリストで聖徳太子でなんといっても英雄ヒットラー総統やねんぞお。わかっとんのかチャンコロ、わかっとんのかロスケ、わかっとんのかイタコ!  わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族やねんぞお~お。わかっとんのか、おまえはロスケでイタコでチャンコロでプエルトリコで浪商の民族であって、わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族やねんぞお! わしは慶應やぞお、わしは慶應! 一緒にすんなよ、チャンコロちゃんころチャンコロちゃんころ♪ 一緒にすんなよ浪商なみしょう浪商なみしょう♪」と私の眼を指で突きさすようにして毎日毎日歌っていました。私は「ロスケでイタコでチャンコロでプエルトリコで浪商の民族」でうちの父親は「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」だそうです。「わしは慶應やぞお、わしはあ~あ!」と毎日言っていました。・・おっさんが実際に卒業した大学は同志社だったはずですが、フリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』では「精神の貴族」「精神の賤民」という言葉が出てきますが「精神的にけだかくある人間」が「精神の貴族」で「精神的に卑しい人間」が「精神の賤民」ですが、うちの父親は「精神の慶應」だったようです。言われてみるとたしかにいかにも「慶應タイプ」て感じがします。小学校も中学校も高校も大学も慶應には行ってない人ですが人格的には「いかにも慶應」「筋金入りの慶應」て感じがします。「わしは慶應やぞお。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。浪商とは違うねんぞ、浪商とは。わかっとんのか浪商。一緒やと思うなよ浪商!」と私の眼を指で突きさすようにして毎日毎日叫んでいました。「わしは天高(天王寺高校)やぞお」とも言っていたのですが、あのおっさんが卒業した高校は明星高校だったはずですが、これも「精神の天高」のようです。「わしは天高やぞお。おまえとは違うねんぞ、浪商とは。おまえは浪商やぞお、浪商! わかっとんのか浪商! 天高のわしと一緒やと思うたらいかんぞ浪商! 自分を浪商やと思えよ浪商! 自分のことを浪商と自覚しろよ浪商! 高校行くな浪商! 浪商のくせして北野高校に行くな浪商!!!」と私の眼を指で突きさすようにしたり鼻を指で押し上げるようにしたりして毎日毎日叫んでいました。
  片方の親に話して片方の親が「いいよ」と言えば了承してくれたものだと子供は思うがうちの親の場合はそうではなく、片方の親が「いいよ」と言ってももう片方が「あかん」と言えば最初に「いいよ」と言った方の親も「何を勝手なこと言ってますのん」と言ってだめだと言い出すというのはうちの親がいつもやることでしたが、上の姉はそのあたりについては理解していました。 しかし、理解していない部分もあったのです。下の姉は私が「普通の親なら・・」「普通の家なら・・」と言うと、「あんた、何を言ってるの。うちの親は普通の親じゃないでしょ」「うちの家は普通の家じゃないでしょ」と言うのでしたが、それを上の姉に言うと上の姉は「どこが普通じゃないの。普通の家でしょうよ」と言い、「普通」ではないことを認識できていないようでした。もっとも、何が「普通」か、どういう状態が「普通」かというとなかなか難しいかもしれませんし、「普通」ではない家庭はけっこうあるかもしれませんけれども。
  下の姉は上の姉とは違って「うちの家、普通の家じゃないでしょ。うちの親、普通の親じゃないでしょ。あんた、そんなこともわかってなかったの」と言うのでした。だから、下の姉は我が家は「普通の家」ではないし、うちの親は「普通の親」ではないとわかっていたようでした。もっとも、「普通の家」「普通の親」というのがどういうものを言うのかという問題もあり、「普通の家」ではない家庭、「普通の親」ではない親というのはけっこうあるかもしれませんけれども。
  うちの父親は私に「あんたの結婚相手はわしが決めたるわあ」と言っていたのです。私は「要りません」と言ったのですが、すると、うちの父親は「何言うとるんじゃ。のぼせあがるなよ、チャンコロ! そういうことは大事なことやねんぞ、チャンコロ。そういう大事なことは、おまえが決めることとは違うねんぞ、チャンコロが決めることとは違うねんぞ。そういう大事なことは、わしとM川先生(うちの父親の親友の医者屋)とで決めることやねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ。のぼせあがるなよチャンコロ。思いあがったらいかんぞチャンコロ!」と言うのでした。この話を下の姉にしたところ、下の姉は「あんた、そんなもの、あの人にあんたの結婚相手なんて捜してくる能力あるわけないでしょうよ。結婚相手を紹介する人というのは、社会的に力がある人の息子に紹介するものであって、あの人になんか紹介しようという人なんてあるわけないでしょう。そうでなくても、たとえば、◇◇さんなら、たまたま会った女の子にでも話しかけて『うちの誰誰と会ってみない』とか言ったりする能力があるかもしれんけど、うちのお父さんなんか、そんな能力あるわけないでしょうが」と言うのでした・・・が、下の姉も意味を勘違いしているのです。うちの父親は私に結婚相手に良さそうな女を探してくるなどとは一言も言っていないのです。うちの父親が言っていたのは「女とつき合う前に、わしとM川先生とのお眼鏡にかないそうな女を、とりあえず10人ほど用意してわしの所に連れてこ~い♪ そしたら、その中でどいつが一番わしの好みに合うか判断して、この女がええ!・・と、わしが決めたるわあ。もし、その10人の中にええのんがなかったら、『みんな、あか~ん』言うたるから、また、わしがええと思うような女を10人ほど用意して連れてこ~い!」と言っていたのです。「決めていりません」と言っても、「ええかげんにせえよ、チャンコロ! のぼせあがるのもたいがいにせえよ、チャンコロ! わしのようなエライえらいエライえらい謙虚な謙虚な人間が決めてやってあげてやってあげてやろうと言うてやっとんねんがな。お願いします、決めてくださいと言うて頼むもんやろうが。わかっとんのか、チャンコロ! チャンコロが決めるもんとは違うねんぞチャンコロ! 浪商が決めるもんとは違うねんぞ浪商! わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で、おまえはロスケでイタコでチャンコロでプエルトリコで浪商の民族。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! 浪商が決めるもんとは違うねんぞ、浪商が! チャンコロが決めるもんとは違うねんぞ、チャンコロが! わかっとんのかチャンコロ! わかっとんのか浪商! このドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級のこのわしが決めてあげてやってやろうと言うてやってやってやってやっとんのんじゃ。わかっとんのか」と言うのでした。だいたい、「わかっとんのか。つき合う前に連れてくんねんぞ。つき合ってから連れてくるのとは違うねんぞ。つきあう前に女を10人ほどわしの所に連れてきて、『えらいえらいお父さん、この中でどの女とつきあえばよろしいでしょうか』と言うてわしにお伺いをたてるんやぞ。わかっとんのか、チャンコロ!」と言うのでしたが、そんなもん、つき合ってこの人と結婚しましょうということになったならば、女が男の親に会いに行く、男が女の親に会いに行くということはするべきでしょうけれども、つきあってもいない男の親に会ってくれと言われても、「なんでやの~ん?」ということになるだけと違いますか? ・・・なんだか、毎日毎日、そういうことばかり言われてきて、もう疲れた。 うちの父親はそういう父親でした・・・が、下の姉はそれがわかっていなかった。そうではなく、「あんたの結婚相手はわしが決めたるわあ」という言葉の意味は実際には結婚相手にふさわしそうな女を誰かに紹介してもらう社会的な力があるわけでもなく、個人的に女性に話しかけて「うちの誰誰に会ってみない」と言ってみるような能力はかけらもないおっさんなのに、「あんたの結婚相手はわしが決めたるわあ」とできもしないことを口にしているだけ・・と思ったようでしたが、そうではないのです。私に「わしの気に入るような女を、とりあえず、10人ほど連れてこ~い! そしたら、その中でどいつが一番わしの気に入るか見て決めたるわあ。その中にええのんが一人もおらんかったら『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたら、また、10人ほどわしの気にいりそうな女を用意してわしの所に連れてこ~い!」と、おっさんはそういうことを言うとったのです。・・疲れるおっさんです・・・が、そういうおっさんだったのです、うちの父親というのは。私は3人兄弟でしたが、上の姉は「ドイツ人」で下の姉は「日本人」だったのに対して、私は「チャンコロ人」だったのですが、「ドイツ人」が一番わかっていなくて「日本人」は「ドイツ人」よりはわかっていたけれどもまだまだわかっていなくて、「チャンコロ人」には「ドイツ人」や「日本人」にはわからないことがわかったのです。「ドイツ人でアメリカ人で慶應」のおっさんには疲れます・・ほんと・・。

   YMCA予備校の古文の講師の山之内さんに、「平安時代の日記文学の覚え方」として、「都会むさじさ」と覚えると教えていただいたのですが、
ト・・・土佐日記
カ・・・蜻蛉日記
イ・・・和泉式部日記
ム・・・紫式部日記
サ・・・更級日記
ジ・・・成尋阿闍梨母集(じょうじんあじゃりのははのしゅう)
サ・・・讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)
のことですが、これだけ覚えるの、それほど大変でもありませんから覚えてもかまいませんけれども・・・、実際問題として、出ませんからね、入学試験には。
  YMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」では、K1・K2と2クラスあって普段は別々に授業をおこなっていたのですが、「古文」だけは「主事」の藤井が「『いい先生』などとは言ってはいかんのですが、いい先生に担当してもらうために、古文は2クラス一緒に授業をおこないます」と言って、山之内さんが担当する古文だけ、2クラス合同での授業だったのですが、まず、「いい先生」を「いい先生」とは言ってはいかんのか?・・・というと、YMCA予備校の「主事」の藤井は「『聖書』なんてものは読んではいかん」と主張するだけあって、キリスト教ではないものをキリスト教と信じている男で、『聖書』にないような教えを主張しておるところがあり、「こんな講師、だめだ。この人はなかなかいい」といった論評をしてはいかんと主張するのです。なんでやねん?・・・と思うのです。予備校の講師について、この人は良心的でいいことを言ってくれる人だ、この人は今一つだといった論評をしてはならないなんて『聖書』に書いてあるかというと、そんなもの『聖書』のどこにも書かれていませんが、YMCA予備校の藤井は「『聖書』みたいなもん、あんなもの、いいことなんて何一つとして書いてないんだから、あんなもの。『聖書』なんて読まんでも洗礼受けて礼拝にでて献金はらっておけばそれでええんや」と何度も言いまくる男であっただけに『聖書』の教えでないものを「キリスト教」の教えとして信仰していたようです。予備校屋としてはそういう論評をしてはいかんと教えておいた方が都合がよかったのでしょう。
  山之内さんはYMCA予備校の講師の中ではその「いい先生」だったらしいのですが、YMCA予備校の講師は、「主事」という事務職員から言われたことを言われたように答え合わせの授業をやっているだけの専任講師と、京大・阪大の大学院生のアルバイトと、関西地区の私立大学の教授のアルバイト・阪大あたりの助手のアルバイトという人だったのですが、山之内さんの場合は、たしかに他の講師とは違って自分で考えて授業をやっていた・・・という点で他の講師よりも「いい先生」だったのかもしれません。
  ・・しかし、トカイムサジサも入試にはあまり出ませんし、『徒然草』を無茶苦茶分厚い学術書で読んでも、そんなもの、出ませんからね。今、考えても、アホちゃうかという感じがします。・・それだけ、山之内さんは「堕落していた」のか「老化していた」のかだったのだと思います。野村のじいさんが阪神の監督になってから言うことを聞くと、ヤクルトの監督の時はいい監督だったと思ったのに・・と思って南海時代からのファンとして残念に思いました。阪神のOB会の会長だった安藤が「私が野村はけしからんと思うのは最下位だからではないのです。もともと、最下位だったチームの監督になったのですから、そんなに簡単に強くできなかったとしても監督をそれほど強く責めるわけにもいきません。けしからんと思うのは成績が悪いのを選手のせいにしたりこれまでの監督のせいにしたりすることです。これまでの阪神OBの監督だって成績があがらなかった監督だって一生懸命やってきたんですよ」と話していたのを読んだが、そうだと思った。ヤクルトの監督の時にはいい監督だったと思ったのに、「選手のせいにしたり、これまでの監督のせいにしたり」で、野村克也と筑紫哲也の対談の『功無き者を活かす』(カッパブックス)という本が出ていたが、阪神の監督になった時点で最も「功ある者」は野村克也だったわけで、「すでに守りに入った人」として勝てないことに対しての非難を受けた時にそれを自分で受け止めることができなかったようで、そのあたりが年齢なのかなあ・・と思いました。江本がどこかで「旬を過ぎた監督の悲哀が顕著に出ていた」と述べていたが、そうだったのかもしれない。ヤクルトが何連敗もした時に真中とか小川とかが非難を自分で受け止めたのに対して、野村のじいさんは阪神で勝てない時に、もう、自分で受け止める気力というのか「精神的体力」とでも言うのかがなかったようで、それゆえ、誰か自分以外の者が悪いということにしないとおれなかったのでしょう。残念です。YMCA予備校の古文の講師だった山之内さんも、自分自身が京大文学部に合格した時や、天王寺高校の教諭に就任した頃と比べて、気力なのか「精神的体力」なのかが、すでに衰えていたのではないか。だから、言うことやることが、な~んか「ずれとった」のであり、それに気づくことができずにいた。

   一番、「ずれとった」のは「最低で京大、うまくいけば東大」という認識です。その考え方してたら通りませんよ。その考え方してたら、通るものも落ちますよ。・・もちろん、な~んも考えずに勉強しても東大でも京大でも簡単に通るというような「長嶋みたいなやつ」でもいたなら通るのかもしれませんが、普通の人間はそんな考え方では通るものも落ちますよ。
  野村のじいさんがどこかに書いていたのだが、野村のじいさんが捕手やっていた時、苦手でよく打たれた選手として近鉄の羽田選手がおり、「あいつだけは、何を考えてるのか、読み取ろうとしてもまったくわからんのや」と口にしたところ、周囲にいた記者から「そりぁ、考えすぎですよ。なにしろ、あいつ、何も考えてませんもん」と言われて、「そうか。なるほど、そうだったのか。あいつ、何も考えてなかったのか」とわかった・・・とか書いとったが、ほんまかいやあ・・・・て感じの話だが、もうひとり「何も考えてない」選手で苦手だったのが長嶋で、王と長嶋なら王の方が打撃成績は良かったけれども王はまだ何を考えているのかわかったので対策もたてられたが、長嶋だけは何を考えとるのかわからん・・というのか「何も考えとれへん」ので相手が考えていることの裏をやるということもできない・・・らしかったが、ほんまかいやあ・・・て感じもするが、そういう「長嶋みたいなやつ」というのがいたならば「最低で京大、うまくいけば東大」なんてやり方でも通るのかもしれないが、普通はそんなことではだめです。こういうことを予備校の講師ならば、受講生に話してあげるべきです。それを逆を教えていた・・ということは、山之内さんは講師としての実力がそのあたりで優秀ではなかったのか、すんなり京大の文学部に通った人だから、自分自身の受験においてこういったことを学ぶことができなかったのか、それとも、天王寺高校を退職してYMCA予備校の講師になったのは定年退職で転職したのかそれ以前に転職したのかわからないが、私がYMCA予備校で会った時点ではすべに高齢になっていたので「老化していた」のか「堕落していた」のか。
  京大と東大では試験科目も違えば配点も違い、出題傾向も違いますから、どちらか片方に絞って、その選んだ方に通るように学習するべきです。落合がラジオの野球中継の時に解説者として話していたことですが、横浜ベイスターズの横山投手だったと思うのですが、終盤、登板した時、「私はこういう投手は好きです。ストレートとフォークボールの2つしかないけれども、その2つが相当いいという大魔神佐々木の小型みたいな投手ですね。私だったら、ストレートかフォークかどっちか片方に絞って、狙ってなかった方の球が来た時にはその時には『ごめんなさい』ということにするしかないですね。そんなもの、プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙ったって打てるわけないのですから、片方に絞るしかありません。それでだめだと言うのなら、俺みたいな人間に打たせる者が間違ってるんだ・・と、こう考えるしかありませんよ。両方同時に狙ったって打てるわけありませんから」と言っていたのだが、京大と東大と同時に狙うのではなく、どちらか片方の試験問題と科目に絞ってやった方が合格には近づくはずです。両方同時に狙って高得点取れるという「長嶋みたいなやつ」は別として、「わしぁ日陰の月見草」としては片方に絞るべきです。「京大に行くつもりで学習して予定以上に成績が上がったら東大」という考え方では落ちる方向につながります。そういう性質のものではありません。「京大は京大、東大は東大」です。東大に行こうと思ったら、最初から東大の試験科目と出題傾向を念頭に学習するべきです。
  京大と東大は、試験科目と配点と出題傾向が「試験科目はまったく違うわけではないが、配点や出題傾向はかなり違う」ということになっていたのは、おそらく、この2つの大学は意図的にそうしていたのではないのか・・とも思うのです。特に、京大は「アカデミックな伝統」「反骨の学風」とか言って、そのあたりに魅力を感じる人がおり、「東大は役人養成所であって、京大の方が学問をするにはいい」とか言う人もありますし、2年ほど前の「サンデー毎日」だったかに「東大の東京地方大学化、京大の全国大学化」なんて出ていて、公立進学校卒の人には東日本の高校卒の人でも、最近では東京圏を中心として「私立6年制受験校の人の行く大学」みたいになってしまった東大を敬遠して京大に行ったりする人もあり、「京大の方が東大よりも上だ」と言う人もあったりもするのですが、そうは言いましてもね(^^)/、人間の心理として、もしも、両方通ったらどっちに行くか?・・というと東大を選ぶ人の方が多いと思うのですよ(^^)/ これは、なんだかんだいっても、人間の心理としてそうなりやすいと思います。だから、特に京大の側としては東大の試験問題とまったく同じ科目・配点・出題傾向にするというわけにはいかないはずです。 それに対して、阪大・神戸大はどうかというと、今もそうかどうか知りませんが、私が高校を卒業した頃、1978年までの共通一次試験実施より前においても、1979年からの共通一次試験実施後においても、京大・阪大・神戸大の入試の試験科目・配点・出題傾向は「まったく同じということではないが、比較的似ていた」のです。ですから、京大と東大は「目標をあらかじめ、どちらかに設定して学習した方がいい」というところがあり、「両方同時に狙う」のは「プロの投手の投げるストレートとフォークボールの両方同時に狙う」みたいなところがあったと思うのですが、京大・阪大・神戸大の3つの関係では科目・配点・出題傾向が「比較的似ていた」ので、京大を目指していた人が直前に阪大に受ける大学を変更するとかいったことはそれほど無理せずにできたと思います。・・こういうことを言うと、中に「俺は両方同時にねらって東大に通った」とか「京大に行ったけれども東大でも通った」とか言い出す人が出てくるかもしれませんが、世の中には野村のじいさんが言うところの「な~んにも考えずにでもヒットを打つことができる『長嶋みたいなやつ』」というのもいるのかもしれませんから、そういう人はできるのかもしれませんが、「わしぁ日陰の月見草やあ」・・という者としては、「弱者の戦術」としてこういったことを考えてやった方がうまくいくように思います。
  1978年までの制度では東大は文科一~三類では理科は一次試験のみ、理科一~三類では社会科は一次試験のみで、1979年からの共通一次試験実施後も、東大では文科は二次試験では理科の試験はなく、理科は二次試験では社会科の試験はなかったのです。京大は共通一次試験の点数と二次試験の単数をミックスして合否を決めていましたが、東大は二次試験の配点が440点で1000点満点の共通一次試験を110/1000 にして合算して550点満点にして合否を決めていましたから、たとえば、文科一~三類では共通一次試験の理科2科目200点は東大の合否を決める際には22点にしかならない。片方の科目100点は11点にしかならない。そうなると、共通一次試験で選択する科目にも影響します。物理なんかは「できるかできないか」の科目ですから、できれば満点近い点数が取れますができなければ壊滅的な点数になる可能性もあるのに対して、生物は大きく差が出にくい。満点とっても東大の二次試験と合算して合否を考える時には11点でしかない。実際には満点はなかなか取れないとして、共通一次試験は選択肢から選んでマークシートを塗る方式ですから、デタラメで塗っても0点にはならないのですが、もし、理科1科目の配点100点のうち90点くらい取りたいのなら、90点取るためにどれだけ学習する必要があるかと考えると物理の方が生物よりも所要時間は短いのではないかと思われるのに対して、60点前後でもいいと考えるのなら60点前後くらい取れるまでの学習量としては物理よりも生物の方が所要時間は短いのではないかと思われます。仮に、共通一次試験の理科の片方の科目で30点の差がついたとしても、東大の二次試験440点満点と共通一次試験1000点満点の点数に110/1000をかけた110点満点のものを合算した550点満点においては何点になるかというと、
30点×110/1000=3.3点
40点差がついたとしても、
40点×110/1000=4.4点
であり、3点か4点のために時間をかけるよりも、共通一次試験の理科の片方の科目については「いい点数」ではなく「致命傷にはならない程度の点数」でいいと割り切ることにして、生物を選択した上で生物については「ほとんどやらない」ことにして、その時間を英語・数学・国語・社会科の方にまわすというのもひとつの方法だと思うのです。 しかし、京大・阪大・神戸大は1978年の入試までは法学部・経済学部・文学部などでも理科の試験がありましたし、1979年からの共通一次試験実施からも共通一次試験での点数と二次試験の点数を合算して合否を決める方法で共通一次試験の点数の占める割合もある程度以上ありましたので、この方法はあまりとれないし、文系でも(文系受験生にしては)数学・理科ができれば有利・理系でも(理系受験生にしては)国語・社会科ができると有利なところがあったと思うのです。ですから、「入学試験に通るための学習法」ということだと、京大・阪大・神戸大はかなり似ていて、その3つと東大はかなり異質だったと思うのです。だから、京大と東大はどちらがより難しいかといった見方をするのではなく、「試験に通るための学習法が違う」と考えるべきだったように思います。
  東大の場合、1978年までの制度では文科一~三類は東大の一次試験にしか理科の試験はなく、1979年からの共通一次試験実施後も二次試験には理科の試験はなく、共通一次試験の理科は片方の科目の配点100点に110/1000をかけると11点でしかないので、物理のような「点差がでやすい科目」よりも生物のような「点差がでにくい科目」を選択した方がいいという考え方もあるのですが、私なんかは物理はけっこう好きだったのです。どうも、人間は「考えるのが好きな人間」と「覚えるのが好きな人間」がいて、かつ、これは「デジタル」ではなく「アナログ」であって中間みたいな人もいるようですが私などは「考えるのが好き」という度合いが相当強い人間だったように思います。こういうタイプはなにしろ「覚える」のが苦手で「考える」のが好きですから、そうなると試験の配点がどうかよりも「考える」度合いの大きい物理の方が「覚える」度合いが大きい生物よりもやりやすいし、学習していても面白いのです。そういう人間は東大では文科では共通一次試験の理科の配点は合否を考える場合には小さいということがあっても、生物よりも物理を選択した方がいいように思います。《「考える」方が「覚える」よりも好き》という度合いが相当強い人の場合は試験の配点がどうかは無視してでも生物より物理を選択した方がいいと思います。私の場合、実は高校2年の2学期の中間考査の時に物理は学年で一番の点数をとっていたのです。そうであるにもかかわらず、2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が「あなたは文系よ」と言い、「あなたは文系だから物理よりも生物がいいわ」と言って生物を選択するように決めてしまったのです。私は自分では物理は好きだったし自分で「できる」と思っていた科目で、逆に生物はあまり好きな科目でもなく得意でもなかったので、悩みに悩んだ末、2浪した時には理科の選択を「化学と生物」から「物理と化学」に変えました・・・が、そうすると、1980年の共通一次試験では理科は物理・化学・生物・地学の4科目のうち、物理と化学が受験者の平均点が低い方の2科目になってしまい、それも相当差が大きく、社会科も点数が世界史・日本史・倫理社会・政治経済・地理A(系統地理)・地理B(地誌)の6科目の中から平均点の1番低い科目と3番目に低く「世にも稀な奇問・珍問・悪問が多い」と言われた世界史との選択になってしまい、いくらなんでも「平均点調整」してもらえないとあまりにも不公平だと思ったのですが、「平均点調整」はされず不利な条件で受験することになってしまいました。
  あの女、いったい、私に何の恨みがあるのかと思いますが・・、あの女のおかげで、人間というのはその相手に恨まれるようなことを特にしなくても恨まれるということがあるものなんだなあ・・と理解しました。あいつは私の親が経済学部に行かそうと考えていて、なおかつ、私が経済学部(および商学部・経営学部)だけは首をもがれても絶対に嫌だと思っていたのも理解していたので、それで親の方に加担するのが高校教諭としての処世術として正解であるとためらうことなく考えて、それで「あなたは文系よ」「あなたは文系よ」と言いまくって私が最も嫌がる所に行かそうと奮闘したようでした。・・あの女のおかげで人生ねじまげられました。こう言うと「人のせいにすんな」と言われるかもしれないし「心理学」から「外罰的性格」とか「診断」されるおそれもあって怖いコワイ怖いコワイ、「診断」に続言えて「治療」までされる危険もあるので怖いコワイ怖いコワイのですが、人生の道を歩んでいく上で、その道につまづきそうな石ころがいっぱい転がっている人間もおれば平坦な道を歩いている人間もいるのですが、どう考えても俺の人生の道には障害物となる石どころか岩が多すぎるではないかと思うこともありますが、あの女は私の人生の道における極めて大きな障害物としての巨大な岩だったのです。そういう障害物となる岩を乗り越える人もあれば粉砕して進む人もあるかもしれないけれども、人生の道にそれほど岩もなければ小石もない人だってあるのです。それほど大きくない石ならば「乗り越える」のでもなく「粉砕する」のでもなく「避けてとおる」こともできるでしょうけれども、私にとってはあの女は「避けて通る」ことができない障害物だったのです。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格した時はうれしかったけれども、あの巨大な障害物の岩が存在したということから考えると、私にとってはどう考えてもいい学校ではなかった。あの女は男子生徒よりも女子生徒が好きで、「私は両親が離婚したから」とそれを最大の自慢にしていたように、「両親が離婚した」女子生徒・・でなくても、何か「性格いがんでる系」みたいな女子生徒が好きでしたから、そういう女子生徒などはあの女からけっこうよくしてもらえたのではないかと思います。私はあの女から「あなたは文系よ」「あなたは文系よ」と言われまくって人生ねじまげられたが、あの女こそ「文学部には適性がない」し「高校教諭には向いていない」と私は思います。もしも、それでも学校の教諭をやりたいなら、《「両氏が離婚した」女子生徒で「ちょっと性格いがんでる系」の女性》専門でやるようにした方がいいように思います。そうでない人間にとってはあの女に担任もたれては迷惑・災難です。・・・といっても、もう、今では退職するかどうかの年齢になっているのではないかと思うのでもう遅いかもしれません。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で、「能力的にも優秀で人間的にも優れている教師というのは、多くの人間が考えているよりもはるかに少ない」と述べていたが、実際そうだと思います。我が家の場合、うちの父親が「先生の言うことはきかんといかんがな。先生の言うことは」とか言って「先生」と称する人間を信仰するアホな男で、母の家系は学校の先生が多い家系で「勉強する人が好き」な家系だったことから、どうも、「先生」というものの評価がよそより高かったのではないかと思うのですが、この「能力的にも優秀で人間的にも優れている教師というのは、多くの人間が考えているよりもはるかに少ない」ということをもっと早くにきっちりと認識しておくべきだった・・と思います。
  大阪新聞という夕刊紙がかつて大阪にあったはずですが、ふと気づくとなくなっていた。《ウィキペディアー大阪新聞》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%96%B0%E8%81%9E によると、もともと、産経新聞の系列で《2002年3月、産経新聞大阪本社版夕刊に紙面統合される形となり事実上廃刊した。》らしい。「大阪日日新聞」という朝刊のみらしい新聞があり、「大阪スポーツ」というのもあるが、どちらも「大阪新聞」が変化したものではなくまったく別らしい。1970年代前半、私が中学生の頃、その「大阪新聞」に北野高校の「進路指導の先生」だったかにインタビューした話として、「北野高校では別に京大に行くように生徒に指導はしていない。北野高校では全科目を学習するので、その結果、京大の試験に向いているだけだと思います」とかその先生はカマトト言うとったようだ。その頃は、公立の学校が進学指導に熱心ではいけないみたいな風潮があったので、それで、マスコミに「京大合格のために。その1:ジャブ、その2:右ストレート,その3:クロスカウンター」とか「京都大学養成ギプス」とかなんて言うわけにはいかないから〔比較的若い人には知らない人もいるかもしれないので解説すると、「あしたのために、その1:ジャブ、その2:右ストレート、その3:クロスカウンター」というのは『あしたのジョー』、「大リーグボール養成ギプス」というのは『巨人の星』に出てくる話だ・・〕、だから、そういうカマトト言うとったのでしょう。但し、まるまる嘘を言っていたわけではなく、北野高校は数学も英語も国語も理科も社会科もある程度以上学習しないと卒業できない高校でしたから、京大・阪大など全科目出題される大学が有利で、早稲田大のように試験科目が少ない大学は不利で、東大の場合は二次試験では文科は理科がなく理科は社会科がなかったので、全科目学習型の北野高校では東大はあまり有利ではなかったのです。
  同じ中学校から灘高校に行って東大の理科一類に現役で通ったやつがいたのですが、そいつと阪急の電車の中で会った時に聞いた話では、1978年の受験まで共通一次試験はなく、東大は独自に一次試験と二次試験をやっていたのですが、灘高校では東大の理科一~三類を受ける場合には社会科の選択科目は「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」の2科目の選択を勧めていたらしい。それを聞いて「あ・・・」と思った。そういうのがあるのか・・と思った。その時の私は社会科といえば、2科目選択の場合は世界史と日本史の2科目、1科目ならそのどちらか1科目のものだと思い込んでいた。ところが、そうではなかったのです。
  翌年、1979年の入試から共通一次試験が始まり、東大ではそれまでの東大の一次試験の代わりが共通一次試験で二次試験はそれまでの二次試験と同様のものが行われることになり、それまでの東大の一次試験は通るか落ちるかどちらかだったのが、共通一次試験は「足切り」はあるものの、二次で挽回できる可能性が考えられるくらいの点数ならば「足切り」にあうことはなく、共通一次試験の千点満点での点数を110/1000 でかけて、それを二次試験の点数にたして計算した総合点で合否が決まるというように変わりました。110/1000 をかけるということは、100点の差をつけてもつけられても、それは11点でしかないことになりますが、「たかが11点、されど11点」みたいなところがありました。実際のところ、合否ぎりぎりではなく悠々と通ればいいなんて言っても、実際には「悠々と通る」なんて東大の試験で簡単にできるものではなく、たいていの人間は「合否ぎりぎり」ではないかと思うのですが、「二次で挽回する」といっても二次でもライバルはけっこう優秀ですから、相手の学力レベルが低ければ「二次で挽回する」ことはできても、ライバルのレベルが高い状況においては「たかが11点」でもそう簡単とも言えません。
  1978年までの試験制度の時のことですが、社会科で2科目選択とか1科目選択という大学では、世界史・日本史はたいていの大学で選択科目の中に入っていたのですが、政治経済は入っている大学と入っていない大学があり、倫理社会になると入っていない大学の方が多く、「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」については入っている大学と入っていない大学があるとともに、たいていの大学では社会科で2科目選択の場合には「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」での2科目というのは選択不可だったのです・・・が、唯一、東大の一次試験のみが「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」での2科目選択が認められたのです。「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」での2科目選択となると、実質、1.5科目というのか、もしかすると、1.3科目くらいの負担かもしれません。日本史と世界史の2科目選択でも、教科書の厚さから考えると、教科書が薄いのは倫理社会と政治経済で、日本史・世界史の教科書は厚かったのですが、日本史と世界史は共通する部分がけっこうあり、又、思考形式がどちらも歴史なので似ていることから学びやすいというところがあったのですが、「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」との2科目選択となると、これは日本史と世界史の共通部分よりもはるかに共通部分が大きいと思われます。 もっとも、だからと言って、理科に進む人だからといって高校での日本史・世界史を学ばずに大学に、特に東大に進学していいのか?・・・という気もまったくしないでもありませんが、そうは言っても「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」で2科目選択とは、そういう手があったのかあ・・・・と思ったのです。世の中には、「どこの学校に行っているかは関係ないの。そこでどれだけ勉強したかで決まるの」とか言う人がいるのですが、YMCA予備校の古文の講師の山之内のおっさんもそう言ったのですが、嘘ですからね。「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」で社会科2科目という選択方法を取れば実質1.5科目というより1.4科目くらいの学習で2科目をすませることができる・・・というあたりを教える高校に行っている場合と、そうではなく、全科目を律儀にやる高校とでは前者の方が東大には通りやすい・・・と考えるべきでしょう。 逆に、全科目を律儀にやるタイプの高校だった北野高校では、社会科の選択は2科目ならば世界史と日本史、1科目ならば世界史か日本史のどちらかというのが普通で、たまに政治経済を選択する人がいましたが、それは「変わり者」みたいな印象でしたが、世界史と日本史はどこの大学学部でも選択科目の中に含まれていましたし、何より、京都大学・大阪大学・神戸大学を受けるのならば、文系学部では社会科は2科目でしたから、世界史と日本史で受けるなら両方とも歴史なので共通部分もあれば思考形式も似ていて学習しやすかったし、京大・阪大・神戸大の理系学部でも1978年の入試までは各大学で社会科1科目が入試科目にあり、「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」が社会科の選択科目の中にあったかどうか記憶がはっきりしませんが、教科書の厚さから考えても世界史・日本史と地理A(系統地理)では同じくらいでしたし、世界史・日本史の方が受験参考書や問題集も多く出ていましたので学習しやすいところがありました。「受験の世界史」「受験の日本史」(聖文社)なんて雑誌もでていましたが「受験の地理A」「受験の地理B」なんて雑誌はありませんでしたし。
(インターネットで検索すると、「受験の英語」「受験の世界史」「受験の日本史」を発行していた聖文社の後身と思われる聖文新社が廃業と出ていた。なつかしい雑誌を発行していた出版社がなくなったというのは寂しい思いがします。「受験の国語 学燈」(学燈社)もなくなったようで、寂しい思いがします。)
  世の中には「どの学校に行くかは関係ない。そこでどれだけ勉強したかで決まるんや」とか無責任なことを言う人がいますが、嘘ですからね。北野高校の3年の時の担任だった大谷郁三(男。1970年代後半当時、40代)もそう言ったのですが、無責任です。大谷は「大学はどこに行っても一緒や。司法試験にしても、どの大学に行ったかではなく大学に行ってどれだけ勉強したかの問題や。大学受験でもそうでしょ。ここの高校の生徒でも、A木のように大学に通った者もおれば落ちた者もいるでしょ」と言ったのですが、嘘ですからね。まず、大学受験についてはある程度以上の進学校に行っておいた方が勉強しやすい環境があるのは間違いないのです。それから、「仮想受験校:京都大学」の高校から京都大学に進学するのは合格しやすいでしょうけれども、東大に行きたいと考えるならば「仮想受験校:東京大学」の高校に行っておいた方が有利です。灘高校では1978年まで東大の一次試験では社会科2科目の選択は「地理A(系統地理)」と「地理B(地誌)」での2科目選択が認められた(文科の二次試験ではその2科目の選択は不可だったと思います)ので、それで理科一~三類を受験する人にはその2科目選択を勧めていたのに対して、北野高校ではそういったことはなく、京大・阪大・神戸大の試験科目と試験問題を念頭にして社会科は2科目ならば世界史と日本史、1科目ならば世界史か日本史のどちらかという前提でカリキュラムが組まれていたのですから、京大・阪大に行くのなら北野高校で良かったでしょうけれども、もしも、東大に行きたいという気持が相当強いのであれば灘高校にでも行っておいた方が有利だったでしょう。「高校はどこに行っていても一緒や」なんてナマ言うんじゃねえ! てものです。「大学もどこに行っても一緒や」とか大谷郁三は言うのでしたが、まず、経済学部・商学部・経営学部といった学部の場合、同じ学部名がついていても大学によってやっている内容は違いますからね。そして、大学を卒業した後、卒業した大学によって「人の見る眼が違う」ということは現実にあります。「どこでも一緒や」とは、よくまあ、勝手なことを言うものだと思います。 又、司法試験を受けて合格すれば、どこの大学を出ても弁護士やるならそれほど変わらないと言う人もあるのですが、実際に弁護士やったことありませんからわかりませんが、裁判官・検察官の場合は東大法学部卒と私立大学卒とでは扱いが違うのではないかと言われ、たとえば、中央大学法学部卒の元検事で推理小説作家の佐賀潜の『華やかな死体』では、私立大学卒の検事が担当している事件を起訴⇒有罪にもっていけなければ東大法学部卒ではなく私立大学卒の者として検事としての出世は絶望的ではないかと悩む場面が出てきます。実際にどうであるのか、潮見敏隆『法律家』(岩波新書)は今ではけっこう古い本なので今の状況に当てはまるかどうかはわかりませんが、同書によると、裁判官の場合、上級審に行けば行くほど東大法学部出身の裁判官の割合が大きくなるそうであり、しかし、それが「学閥」によるものなのかそうでないのかはよくわからない、そうではなく「東大法学部出身の裁判官に優秀な人間が多いから上級審の裁判官に東大法学部出身者が多いだけ」と言う人もいるらしいのですが、実際にそうなのかどうかというのは、これはなかなか判断は難しいのではないか。
江戸川乱歩賞全集(4)大いなる幻影 華やかな死体 (講談社文庫) - 戸川 昌子, 佐賀 潜, 日本推理作家協会
江戸川乱歩賞全集(4)大いなる幻影 華やかな死体 (講談社文庫) - 戸川 昌子, 佐賀 潜, 日本推理作家協会
もうひとつの問題として、もしも、司法試験を受験して裁判官・検察官・弁護士になりたいと考えたならば、我が家の場合ならば、司法試験にある程度合格者を出している大学に行っておかないと、「その大学からは司法試験に合格した人間なんてほとんどないんだから、通らないような司法試験なんて受けてはいかん」とうちの親から言われることになったでしょう。ですから、司法試験を受けて裁判官・検察官・弁護士になりたいと思ったならば、我が家の場合にはK村のように司法試験合格者が少なかった阪大法学部ではだめで、東大か京大のどちらかに行かなければ司法試験受験はさせてもらえなかったでしょう。大谷は無責任なことは言うのはやめるべきです。
  そして、大谷郁三は私が高校3年の時には、遠山啓『競争原理を越えて』(太郎次郎社)などを引用して、「序列主義とは、言葉からして嫌な言葉ですね」とかなんとかかんとか「けっこうなお話」を言いまくってきたくせしてからに、卒業して高校卒業時に大学に合格した者と落ちた者が出たとなると、今度は大阪大学法学部に現役で合格したA木の固有名詞を出して「ここの高校にしても、ここの高校に行ったら京大に通るというものでもなくて、A木のように現役で通った者もおれば落ちた者もいるでしょ」などと言ったのです。高校卒業時に現役で通った方がいいか落ちた方がいいかというと現役で通った方がいいに決まっていますし、クラブのOBで自分が1浪して阪大工学部に行ったものだから卒業後にクラブの練習に顔を出して高校3年生に「1年の浪人はいいぞお~お。学ぶものが多いぞお~お」などと言って現役で合格できる可能性がある者に浪人させようとする男S本がいて、「こいつ、嫌なやつやなあ」と思ったものでしたが、その男が言うようなことは間違いで、たしかに浪人して学ぶものだってあるかもしれませんが、そうであったとしても現役で通った方がいいに決まっていますが、しかし、「現役で大学に通った人間=ええもん。 高校卒業時に落ちて浪人した人間=悪もん」というわけでもないはずなのです現役で通った方がいいに決まっているとはいえ、落ちた人間であっても、別に人を殺したわけでもないのです。それを、「大学はどこに行っても一緒や。司法試験にしても、どの大学に行ったかではなく大学に行ってどれだけ勉強したかの問題や。大学受験でもそうでしょ。ここの高校の生徒でも、A木のように大学に通った者もおれば落ちた者もいるでしょ」とは、その言い方はいったい何なんだ!?! 落ちたら急に「悪もん」というのか「悪の権化」みたいに人を言いやがってからに、なんだ、その言い草は!!! ・・・。それが高校の教諭が取る態度か?!? 又、大阪大学法学部に現役で通って行ったA木という男の固有名詞を大谷は出したのですが、阪大を受けて通った人間というのは「大学に通った」と大谷は言いますが、もしも京大を受けていたならば京大でも通ったか京大なら落ちたかはわかりませんでしょ。 「阪大に通った人間」というのは入学後に「京大でも通った」とか言いたがるやつがけっこういるのですが、受けていない以上はもしも京大を受けていたなら京大でも通ったか京大なら落ちたかはわかりませんでしょ。実際のところ、我が家の近所の住人で私と同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に現役で行って阪大法学部に入学して4年目ではなく5年目に司法試験に合格して弁護士になり今では神戸大学法科大学院の先生様になってあそばされるK村というやつがいたのですが、K村のお母さんというのが私が浪人中にうちの母親に「うちの息子は『京大でも通ります』と北野高校の先生から言われてました。『阪大なら絶対に通ります』と北野高校の先生が言われました」と言いまくってしかたなく、うちの母親というのはそういうことを言われると何かと反応する女でしたので、「また、アホが何か言うとるか」とでも思って放っておけばいいものをいちいち反応する女でしたが、あのおばはんも、まったくつくづくうるさい女やなあ・・・と思ったものでした。はた迷惑も甚だしい。 「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」のなら、それなら京大を受けて京大に通って行けばよかったのに、なんで京大を受けへんかってん。それに、大学の合否は「北野高校の先生」が決めるのではなく京都大学の入試の合否は京都大学の入学試験、大阪大学の入試の合否は大阪大学の入学試験が決めるんだよ。高校の先生が通るだろうと思っても落ちることはあるんだよお!!! 誤解せんといてほしいんやけど、わし、K村哲二に「どうかお願いですから京都大学は受けんといてください。お願いしますよ」なんて言うたことなんて、いっぺんもないで。「京大でも通りますと北野高校の先生から言われました」のなら京大を受けて京大に通って行けばよかってんやろうが。京大を受けずに阪大を受けて阪大に行ったのは自分やろうが! 違うのか??? そもそも、「北野高校の先生」というのは「阪大なら絶対に通ります」などとは普通は言わないもので、K村哲二の高校3年の時の担任が誰だったか忘れたが、その担任の教諭が、もしもそんなことを言ったのなら、その教諭は良心的ではない。まず、第一に阪大というのは「絶対に通ります」などというほど易しくないはずなのだ。たとえ、京大でも通る可能性は十分にある成績を模擬試験で取っていた者であっても、だからといって「阪大なら絶対に通ります」などということはない。これは私の担任だった大谷も言っていたことだが阪大はそこまで無茶苦茶易しくないはずだ。あくまでも「京大に比べて阪大の方がいくらか通りやすいか」というくらいのものであって、阪大はそこまで無茶苦茶易しい大学ではないはずだ。このおばはんもまた、ええかげん、うるさいなあ、ほんまにい~い ちょっとは人の迷惑というものを考えろ!! ・・・というものだった。大谷郁三のその「現役で通った人間=ええもん。落ちた人間=悪もん」というその言い草はいったい何だ??? それが高校教諭の態度か??? 高校時代には遠山啓の本の引用などして「けっこうなお話」ばっかりしておいてからに、その態度・その言動はいったい何???
   ・・・「浪人の功と罰」みたいなことが言われることがあるが、現役で大学に通った人間は、大谷郁三がこういう態度を浪人した人間に取っていたということを知らないのではないか。十何年か前、大谷郁三が引退するということで、北野高校の卒業生の間で「大谷先生の送別会をしましょう」ということが北野高校のOB会の年誌だったかホームページだったかに掲載されていたように思ったのだが、「へえ~え、あんなやつに送別会をやってあげようなんて考える人間がいるのかあ。へえ~え」と思ったものだった。大谷郁三ははっきりと言ったのです。「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」と。私の伯父が大阪府の進学校ではない方の高校の教諭をやっていたのですが、言っちゃなんだが「底辺の方の高校」で商業高校だったようですが、そういう高校の教諭をやると、喧嘩して警察につかまったやつがいるということで警察から呼び出されて行って身元保証人になってやったり、女の子が妊娠したといって病院から呼び出されて病院に行ったりと、「こんなん、高校の教師の仕事と違うでえ」と思うようなことがあると言っていたのですが、伯父は「高校の教師の仕事とは違うと思うけれども、そやけど、行ってやらなきゃ、誰も行ってやる人間がいないのではかわいそうだろう」と言っていたようでしたが、それに比べて「北野高校の先生はうらやましい。教えておればいいのだから、警察に呼ばれたり病院に呼ばれたりするよりも、勉強を教えておればいい北野高校の先生はどんなにいいかと思う」と言っていたのですが、その北野高校の教諭になっていた大谷郁三は「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」と言いやがったのです。さらに、私は二浪もしてしまったので知ったのですが、大谷郁三は進学校である北野高校で3年生の担任を持ち、3年で入学試験にある科目である日本史の授業を受け持っていたのですが、それにもかかわらず、東大の試験科目を知らなかったのです。「はあ~あ?」と思いましたよ。「進路進学懇談会」とか大谷と面談していたのですが、この男、東大の試験科目も知らないで「進学面談」なんてやっていたのか?????・・・「はあ~あ???」と思いましたよ。「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」と大谷ははっきりと発言して、そして、その言葉の通り実行したのですから、卒業生の方も言ってやるべきです。「送別会は卒業生の仕事とは違う」と。そうでしょ、違いますか。違いませんでしょ。「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」と言うような教諭は北野高校のような基本的には全員が大学進学する高校の教諭ではなく、ほとんどの生徒が高校を卒業して進学せずに就職する高校の教諭になった方がよさそうですが、その時には、そういう教諭はおそらく「就職の世話は高校の教師の仕事とは違う」と言い出すでしょう。勝手なやつです。私の伯父にしても、私の父親にも「うちの生徒をお宅の会社で採ってやってもらえませんか」と頼んだりもしていたようです。ほとんどの生徒が進学せずに就職する高校というのは、進学はなくても就職をどうするかという問題が出てくるのですが、「進学指導は高校の教師の仕事とは違う」とか言いはるおっさんは、ほとんどの生徒が進学せずに就職する高校の教諭になったなら、その時には「就職の世話は高校の教師の仕事とは違う」と言うだろうなあ・・という感じがします。そう思いませんか?

   その頃の東大の文科と京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部の試験はどう違ったか。共通一次試験を別にして、二次試験だけで見て、京大はすべての科目が均等にできるような人が有利であるのに対して、東大は英語・国語・社会科が120点で数学が80点の配点で、京大に比べて文科は数学の配点が小さかった。配点が小さいだけでなく、京大の数学は問題数が多かったのに対して東大の数学は文科は4問だけだった。数学で問題数が多いか少ないかはどう影響するかというと、数学という科目はできるかできないかという性質があり、問題数が少ない場合、悪くすると全滅・・という可能性だってまったくないとは言えない。但し、微分・積分の問題が少なくとも1題は出題されて、数列とかは解ける場合と解けない場合があるけれども微分・積分の問題というのは他の問題に比べて解くのに時間がかかることが多いが時間さえかければたいてい解けるので、だから、0点になる可能性は小さいとしても、致命傷になる点数を取ってしまう危険というのはあったのです。それに対して、京大の数学は問題数が多かったので、たとえ、失敗することがあっても問題数が少ない場合に比べてダメージは小さい。だから、京大の場合は数学がある程度できる人は数学での得点をある程度計算できたのです。それに対して、東大の場合は、数学は問題数が少ないので失敗した場合にダメージが大きいということがあり、たとえ、数学で比較的良い点数を取ることができても配点が小さいので、それほど稼げなかった。だから、東大の場合は英語が相当できる人が有利だったのではないでしょうか。
   「現代国語なんてやっても点数は変わらない」なんて言う人がありましたが、それは嘘です。それから、北野高校の1年の時に、「現代国語」を担当していた旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)が 「現代国語は問題集なんてやってもしかたがない」なんて言いましたが、それも嘘です。嘘言うやつが多くて困りものですね。私は結果として2浪してしまったのだけれども、その2浪目の時、毎週、日曜ごとに模擬試験を受けに行って、その解答が返却されてくると、国語についてはその内容をじっくりと吟味して、どこをどういうことで間違えたのか、正解はどういうものなのかということを徹底的に分析したことと、学燈社から出ていた『現代国語 難問をとく本』だったかそんな感じの名前の問題集を徹底的にやったことから、国語、特に現代国語の点数は飛躍的に伸びました。他の科目はともかく、国語、特に現代国語については自信もって試験に臨めるようになり、東大の二次試験でも他の科目はともかく、国語については東大の受験生の中でも悪くない方の成績を取れたのではないかと思っています。東大は点数を教えてくれないので、実際に何点だったかわかりませんが、河合塾の「東大オープン」とか東大の試験を対象にした模擬試験でも国語については悪くない点数を取れていたので、本番の試験でも悪くはなかった可能性が大きいと思っています。ですから、「現代国語はやっても点数は変わらない」なんて嘘ですし、「現代国語は問題集なんてやっても意味はない」なんて嘘ですからね。嘘言う人はおのれの態度を反省した方がいいと思いますよ。
   あえて言うならば、「現代国語はやっても点数は変わらない」ではなく、京大・阪大の工学部・理学部あたりを目指す人にとっては、数学1~3・物理1~2・化学1~2・英語だけでも相当の分量があり、それに国語と社会科もやらないといけないとなると大変なので、「国語はそれほどやらなくても0点はない」と考えて数学1~3・物理1~2・化学1~2・英語に重点的に力を注いで国語と社会科についてはそれほど力を入れない、「やらなくても変わらない」ことはないけれども「それほどやらなくても、国語、特に現代国語は致命傷になるほどの点数にはなりにくい」と考えるということなら、間違いではないでしょう。東大の文科一~三類・京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部に通ろうとする人ならば、現代国語もある程度以上勉強して比較的良い点数を取らないと合格しないと思います。「現代国語はやっても変わらない」なんて嘘ですし、「現代国語は問題集なんてやってもしかたがない」なんて嘘ですからね。

   それで、1979年の試験から共通一次試験が実施され、京大は文科でも二次試験では社会科はなくなったが、東大は二次試験が440点満点で1000点満点の共通一次試験の点数を110/1000 をかけて合算して合否を決めていたので、共通一次試験の点数は100点の差をつけてもつけられても11点の差でしかないというものでしたが、京大は共通一次試験の点数と京大の二次試験の点数をほぼ半分半分くらいの割合だったような気がするのですが合算して合否を決めていて、社会科は二次試験でなくなったけれども二次試験で出題があった数学や英語は共通一次試験の成績の比率が小さいのに対して社会科は共通一次試験の点数をそのまま合算されたので、共通一次試験の社会科の点数は相当重要でした。東大は二次試験で相変わらず「論述式」の問題が出題されたのですが、この「論述式」の問題を対象とした問題集などは市販されておらず、どういう対策をとればいいのか苦心しました。
  ですから、京大と東大というのは国立大学で二大難関大学であっても、これは、どちらの方が難しいと考えるものではなく、内容が違ったのです。だから、「最低で京大。うまくいけば東大」などという思考は、まず、その思考が根本的に間違っていたのです
  それを、「北野高校卒、京都大学文学部卒、元天王寺高校教諭」というおっさんが、まったくわかっていない。なんで、あんた、こういうことがわからんの? ・・・と思うのですが、現役で大学に通った方がいいか浪人した方がいいかというと、現役で通った方がいいに決まっているのですが、現役で大学に通った人の中には、「なんで通ったのかわからないうちに通ってしまったような人」というのもいまして、もしかすると、山之内さんもそうだったのかもしれない。 又、これはYMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスで「現代国語」を担当していた京都の私立大学の教授だったらしい方が教えてくれたことですが、私などの親くらいの世代の人、今、生きておれば80歳代から90歳代くらいの人が大学を受けた頃というのは、「大学は行きやすかったんですよ」と。 「ですから、『最近の若い者は』なんて言うやつがいますけれども、そんなもの、嘘ですからね」と。「昔は(その方が大学に進学する頃は)『法科万能時代』と言って、難しいのは法学部で、経済学部とか文学部とかは入りやすかったんですよ」と。その方は東大文学部卒だったらしいのですが「私は東大の文学部を出ましたけれども、文学部で落ちる人間がいたのは東大と京大だけで、東北大だの九州大だのなんて文学部で落ちる人間いなかったんですよ」と。「京大は落ちる人もいましたけれども、文学部でけっこう難しかったのは東大だけで、京大の文学部は落ちる人もいることはいたけれども、ほんと、易しかったんですよ」と。だから、「京大の文学部に現役で行った」という先生なんていらっしゃったけれども、行って悪いことはないけれども、入試の難易度は全然違ったはずなのです。ですから、1970年代後半に私なんかが大学を受ける時と、山之内さんが京都大学の文学部に進学された頃とは京大の文学部の入試の難易度は全然違ったと考えられますから、京大の文学部に通るために努力はされたでしょうけれども、やり方によって通ったり落ちたりする・・・という認識については、あまりにも甘い!・・というものだったのではないか。「I D野球」「弱者の戦術」「受験はアタマでやるもんや」・・・といった思考は山之内さんの思考からは欠落していたのではないか。

  そして、これは予備校の講師が言っちゃいかんだろう・・・ということをおっしゃったのですが「どの予備校に行っているかは関係ないの。駿台や代ゼミに行っていても通るとは限らんの」とそうおっしゃったのです・・・が、ひどいと思いませんか。YMCA予備校は他の予備校と比べて比較的学費は高い方の予備校でしたし、京大東大文系クラスはYMCA予備校の単なる「文系クラス」よりも高かったのです。他の予備校よりも学費が高い予備校の講師から「予備校はどこに行っているかは関係ないの」なんて言われたあかつきには、「カネ返せ!」という話になりますでしょ。そう思いませんか。
  まがりなりにも予備校の講師ならば、私の所に来てくれた人は他の予備校に行った人よりも合格しやすいようにしてみせる・・と考えるべきものと違いますか? 「予備校はどこに行ったかは関係ないの」て、どの口が言うとるんじゃい、どの口があ???

   無茶苦茶分厚い学術書としか思えない『徒然草』の本を読めとかいうのもおかしいのでしたが、入試に分厚い本を1回読むのと普通の厚さの本を2回読むのと薄い本を3回読むのと、どれが効果があるか・・。 それはケースバイケースで、薄い本を何度も読んだ方がその内容はより頭に定着するでしょうけれども、その薄い本の内容だけでは合格最低点を上回ることはできないのであれば、もう少し厚い本を使用しないといけないことになりますが、あまりにも分厚い本を使用して途中で挫折してしまったのでは元も子もありません。そういったことを考えた上で、どの程度のものを使用するのが最適なのかということを考えないといけない。 ところが、山之内さんにはそういう思考が欠落していたのです。
  難関校に通ろうという人ならば常に分厚い本を使用するべきだという考え方は間違いです。薄い本を使用しても、それを何度も何度も学習することで分厚い本を使用した人よりも大きな効果が出るということは「あること」です。 私は宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)の試験を最初に受けた1989年、『宅地建物取引の知識』(住宅新報社)を前から順番に読み始めて、3分の1も読まないうちに試験日が来てしまい、こりぁあかんわ・・と思いながらも受けるだけ受けたけれども落ちました。 それで、その方法ではだめだと思って、宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)の試験で出題されることが多い「権利の変動(民法)」「法令上の制限(法律としては都市計画法と建築基準法など)」「宅地建物取引業法」の3分野についての受験用の本を購入して、宅地建物取引主任者(現 宅地建物取引士)の試験はこの3分野の問題をすべて解答できれば合格最低点を上回ることが可能であると東京リーガルマインドからもらったカセットテープで東京リーガルマインドの講師が話していたことから、この3分野限定で学習するようにしてこの3分野のみを重点的に学習し、さらには試験の2か月半ほど前から、東京リーガルマインド発行の『出る順 宅建』というテキストのさらにエッセンスの本『出る順 宅建 公式集』という薄い本を徹底的にやることで二度目の受験で合格することができました。 厚い本を使っていたなら通らなかったでしょう。薄い本を使ったから通ったのです。何でも分厚い本を使えばいいというものではないのです。
  京大・東大の文科・文系学部に通ろうとする人間だからということで、何でも分厚い本を使わせればいいというものではないのです。そんな学術書みたいな本を使わせるから落ちるのです。だめです。そんなことしていては。
  山之内さん、あんた、北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教諭なのに、この程度のこともわからんのか??? ・・・と思いましたが、わからんようです。

  YMCA予備校の「主事」の藤井と初めの頃に話した時、私は「その大学によって出題傾向は違うし、模擬試験によってその大学の問題との相関関係は違います。北野高校の模擬試験は京大・阪大・神戸大には相関関係が大きいようでしたが、東大にはそれほど相関関係は大きくないように思いました。YMCA予備校の模擬試験というのはどこを対象として作られたもので、どこに対してどのくらいの相関関係があると考えてよいでしょうか」と話したのですが、そうすると藤井は何と言ったかというと「YMCA予備校の模擬試験はすべての大学のすべての学部に対して完全に相関関係がある」とそう言ったのです。それで、私は「どんな模擬試験でも、すべての大学のすべての学部の問題に相関関係が大きいなどということはありえません。相関関係が大きい大学学部とそうでない大学学部があるはずです」と言ったのです。私はもっともなことを言っているはずなのです。
  ところが、YMCA予備校の「主事」の藤井は「いいや。そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験はすべての大学のすべての学部に対して完璧に相関関係がある」と言ってきかないので、それで、このことについて、これ以上、この人と話してもしかたがないと思って話すのをやめたのです。
  私が自分自身が高校卒業時に一度は大学受験を経験した上で、その経験を踏まえて発言しているのに、それに対して藤井はそうではなく最初から最後までデマカセを言いまくったのです。
  そういった態度・対応から、私はこの藤井という男は信用できない人間だ、大学受験において頼りにしていい人間ではないと判断したのです。「早稲田の政経でてる」という藤井が言っていたものは、まず学歴詐称だと今では思っていますが、その頃はそうではなく「早稲田みたいなも~ん」と思っていて、むしろ、藤井の言うこと・態度を見て「早稲田大学というのは、まったくつくづくくだらない大学なんだなあ」と思ったのでした。・・それで、早稲田大学がいい大学かしょーもない大学かにかかわらず、この藤井という男はどうしようもない、良心的でない誠意のない人間であり、大学受験を一度体験した上で私は言っているのに、それに対してデマカセばっかり言って真面目に応答しようとしない人間であり、私は藤井が「早稲田の政経しか出ていない」のか「『早稲田の政経でてる』のは詐称なのか」そのどちらであっても、京大や東大を受けた経験もない人間だから、その人の言うことは価値がないと判断したのではなく、京大や東大を受けたことがない人であっても価値があることを言える人・良心的な対応をする人の言うことなら聞いていいけれども、こちらが正直に前年の経験をもとに話をしているのに、それに対して真面目に応答しない男であったことから、この男は話をしても意味がない人間だと判断したのです。 「京大・東大文系クラス」ならば基本的には京大か東大を受けて通った人か受けたけれども通ることができなかったという人(横綱までなった親方か横綱になりたいと思いながらなれなかった大関どまりの親方)が担当するのが好ましいけれども、そうでない人でも良心的に誠意をもって対応しようという人ならば、価値があることを言える可能性は考えられますが、藤井の場合は最初から真面目に対応しようという姿勢が欠落していたのです。

  まだまだ、この男についての問題はあるのですが、すでに字数が相当多くなりましたので、今回はここまでにして、この続きは次回に述べることにしたいと思います。
  私はうちの親に「あの藤井という男は大学受験について何もわかっていないし、こちらが前年の経験をもとに正直に話をしてもそれに真面目に答えようとしない不誠実な人間だから、相手にしないでほしい」と言ったのですが、遠山啓が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で父親は家族の誰よりも「世間知」というものを持っていると遠山啓は言っていた「世間知」というものをうちの父親も母親もまったく持ち合わせていなかったので、他の受講生の場合、親があいつはだめだなと感知して息子に「あんなアホ、相手にすんな」と教えた可能性が十分に考えられるところを、我が家の場合は息子の私の方が親に教えても、それでも父親は「専門家やがな、専門家。専門家の言うことやがな、専門家」と言って私がせっかく教えたのにそれを聞かず、母親は母親で「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわ~けがない」などとアホなこと言ってきかなかったのです。 「親の違い」というものを実感しました。
  又、年齢がそれほど変わらない兄か姉があって、その兄か姉が京大・阪大もしくは東大に行ったか行こうとして落ちたか、そういう兄もしくは姉がある人は本当にうらやましいなあ・・とも思いました。 うちのお姉さんは二人とも「弟なんか要らんかった。お兄ちゃんが欲しかった」とか勝手なこと言うとったのですが、そんなことを言うのなら、私だって大学受験の際には、兄でも姉でもいいから京大か阪大か東大かに行くような兄か姉が欲しかった・・と言ってやりたいところでした。
  母の知り合いの方の息子さんで、兄が北野高校から阪大に行き、弟の方が豊中高校から京大に行ったという方がありましたが、兄弟で高校と大学が逆転してしまったわけで、兄の方からすると複雑な気持ちではないかと思いますが、そのケースなどでは弟としてはお兄ちゃんの大学受験の例は参考になっていると思うのです。又、弟の受験の際に、兄弟の仲が悪くなければ、兄は弟にとってけっこう役立つ味方だったのではないかと思います。それに対して、うちのお姉さんは、私と年齢が離れていたこともあって私が子供の頃には遊園地に連れていってくれたり弁天町の交通博物館に連れていってくれたりしたのですが、大学受験においては役には立ちませんでした。うちの父親は「T子さんはおまえとは違って優秀やねんぞ、ゆ~うしゅう~う! T子さんはほんまは奈良女子大やねんぞ、ほんまは奈良女子大」と言うのでしたが、うちの父親が「わしは、ほんまは慶應やねんぞ、ほんまは慶應」と言いまくっていたが実際は慶應大学には行っていないのと同様、「T子さん」もあくまで「ほんまは奈良女子大」であって実際は違いましたから、弟の大学受験には役に立ちませんでした。
  うちの父親は「わしはほんまは慶應やねんぞお、ほんまは慶應。おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と毎日のように言っていましたが、慶應という学校はそういう人がけっこう多い大学のようです。慶應もけっこうマスプロ化しているものの早稲田大に比べるとマスプロ化の度合いが小さいので、早稲田大に比べると詐称した場合にばれる可能性が大きいので、早稲田大に比べると学歴詐称する人は少ないようですが、「ほんまは慶應」という人はけっこういるようです。母が言うには、戦中は大学生は今と違って制服・制帽を着用していて、慶應の学生というのは金持ちの息子が多いということから、女の子で慶應の制服着ている男を見ると追いかけまわす女の子がおったそうで、うちの父親なんかもそうされたかったのかもしれません。私やったら、そんな女なんて、気色悪いし、何より我が家は内部進学の人なんかと違って「普通の家庭」であって別に金持ちでもありませんから、対象外ですからそんな人はけっこうです・・・。

  私がYMCA予備校高槻校の藤井という男がけしからんと思ったのは、「前にYMCA予備校にいた女子学生で、京大の文学部に行きたいと言っていて、模擬試験では相当いい成績を取っていたのだけれども、文学的素養がない人間だったから模擬試験でいい成績をとっていても京大の文学部は二浪しても落ちて二期校の宮崎医大に行ったという人があった。京大の文学部は模擬試験でどんなにいい成績をとっていても、文学的素養がない人間とか人間性に問題がある人間とかは落ちるようになってるんだ」と、そういうことを言ったのです。京大東大文系クラス の K1クラスの人間全員を前にして言うとともに、私と1対1でもそういうことを言ったのです。
  それで、私は「もしも、京大の文学部に通るためには文学的素養というものが必要で、YMCA予備校の模擬試験が京大の文学部の試験と相関関係が相当大きくて、それでその人がYMCA予備校の模擬試験で相当いい成績を取れていたのなら文学的素養はあったのと違うのですか」と言ったのです。そうでしょ。京大の試験に通る為には文学的素養というものが必要だということで、YMCA予備校の模擬試験は京大の試験と相関関係が相当大きいということであったのならば、YMCA予備校の模擬試験で相当いい成績を取る為にも文学的素養というものは必要であったはずでしょ。ですから、YMCA予備校の模擬試験では相当いい成績をとっていたけれども京大の試験には一浪の時も二浪でも落ちたということは、YMCA予備校の模擬試験と京大の試験とは相関関係はそれほど大きくなかったのかもしれないし、比較的相関関係は大きかったとしても絶対ではなく、どちらにしても、「文学的素養がないから落ちた」とか「人間性が悪い人間は京大の試験には通らないようにできている」だのと、曲がりなりにも自分の所の予備校にお金を払ってきてくれていた「お客さん」に対して、その口のきき方はないのじゃないか!?! 又、そういうことをK1クラスの人間全員の前で言うとともに、それと別に1対1でもまた口にして、その執拗な態度というのはそれは何だろうか。
  そのうち、私が「もしも、YMCA予備校の模擬試験ではいい成績を取っていたけれども京大の文学部の試験には通らなかったということで、YMCA予備校の模擬試験は文学的素養がなくてもいい成績を取れるけれども京大の試験は文学的素養がない人は通らないということならば、YMCA予備校の模擬試験と京大の文学部の試験とではそれほど相関関係がないということになるのと違いますか。 そうではなく、YMCA予備校の模擬試験と京大の試験とで相関関係は相当大きいのであれば、京大の試験では文学的素養がないから通らないという人ならYMCA予備校の模擬試験でもいい成績は取れないということになりませんか」と言ったところ、今度は藤井は「きみのように、そうやって上司の言うことに逆らう人間は会社員ではやっていけないから経済学部は受けてはいかん」と言い、「きみも文学的素養が無くて人間性に問題があるから京大の文学部は受けても通らない」と言い出したのです。何、こいつ!!!
  自分が筋の通らないことを言い張っておきながら、その矛盾を指摘されると、指摘した人間までを「文学的素養がない」だの「人間性に問題がある」だのと罵り、さらには「上司に逆らう人間は会社員としてやっていけないから経済学部には行ってはいかん」などと言いだしたのですが、YMCA予備校の藤井という男は、この男、いったいいつから私の「上司」になったの????? 私がYMCA予備校の職員として勤務していて藤井の部下であったのならまだわからないこともありませんが、YMCA予備校の受講生というのは、受講生の方がYMCA予備校にカネを払っているのであって、YMCA予備校が受講生にカネ払っているのではないのです。この男、いったいいつから私の「上司」になったの???
  こういったことを藤井が受講生に言うのは私にだけではなかったとみえて、同じようなことを言われた人もいたようで、言われて「カネ払っているのはこちらでしょう」と言った人間もいたようで、それで、藤井はクラス全員を前にして「ぼくらは、あくまでも、きみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないのだからなあ! だから、ぼくらはきみらの親の為に働く筋合いはあるけれども、きみらの為に働く筋合いはまったくないんやからなあ」と、そう言いよったのです。何、それ!!!
  たとえ、予備校の費用を親が出していたとしても、親は息子なり娘なりのために役立ってもらおうと思ってカネを払っているのであって、「きみらの親の為に働く筋合いはあっても、きみらの為に働く筋合いはまったくないんだからなあ」などとぬかすやつに払ったわけではないはずなのです。もし、私が親の立場であったなら、何ということを言うやつなんだ・・と思いました・・・が、ところがうちの父親はその話を聞いて、「えええ~えこと言いはる。その通りや。親がカネ払っとるのであって、あくまでも親の為に働くもんや。ええこと言いはる♪」と言って喜びよったのです。今、考えても、あのおっさん、アホやったなあ・・と思います。
  そして、その京大文学部に一浪の時も落ちて二浪の時も落ちて二期校の宮崎医大に通って行ったという女性の話ですが、それを聞いてどう思ったか? 私はそれを聞いて、来年、俺もこの人から同じように言われるということだろうか?・・・と思ったのでしたが、そうではなく、自分は優秀で人間性が優れていて文学的素養がある人間だからそんなことは言われることは絶対にない、言われるのは文学的素養がなくて人間性に問題がある人であって、「文学的素養がなくて人間性に問題がある」という人が悪いんだ・・・と考える人というのもいたようです。私はそういう人のことを「エスカミリオ症候群」と呼んでいます。
  「エスカミリオ」とは、ビゼーのオペラ『カルメン』の登場人物で闘牛士の男です。メリメの小説『カルメン』をもとにビゼーはオペラ『カルメン』を作ったと言われますが、メリメの小説『カルメン』とビゼーのオペラ『カルメン』とでは話が全然違います。 メリメの小説『カルメン』は名作ですが、ビゼーのオペラ『カルメン』は音楽的にどうかは別として話の内容としては実にくだらない。要するに、カルメンという蓮っ葉・尻軽の女と仲良くなっておのれの社会的地位も投げ出してくっついたホセという男がいたが、なにしろ、カルメンは尻軽女なものだから、そのうち、「あきてきた」ようで闘牛士のエスカミリオという男に魅力を感じてホセを捨てようとする。ホセはなんとかカルメンの気持ちを回復しようとして懇願し哀願するがカルメンはホセからもらった指輪を投げつけて断り、激情したホセはカルメンを殺す・・という、なんか大人げないというのかなんというのか・・のしょーもない話なのです。その蓮っ葉な女が腹立つかもしれないけれども、そいつに魅力を感じたのはお前だろうが! と言ってやりたくなります。そういうしょーもない話です。そこで登場する闘牛士の名前がエスカミリオです。 私が中学生の頃、1970年代前半、『オーケストラがやってきた』というテレビ番組があって、そこで司会者の山本直純が「エスカミリオというのは、闘牛士で当時の花形スターですね。言ってみれば、今なら長嶋みたいなものです」と、そう言ったのです。その「長嶋みたいなやつ」というのが登場する時に得意がって歌うのがアリア「闘牛士の歌」です。ホセはかつてはホセを愛したカルメンが、今度はエスカミリオに魅力を感じてホセを捨てようとするのに怒るのですが、それに対してエスカミリオは得意がっているのです・・・が、私がエスカミリオの立場だったとしたならば、「もしも、俺がこのカルメンという女と仲良くなったならば、何か月か後には俺もこのホセという男のようにされるのではないか。このホセという男のみじめな姿というのは、俺の将来の姿ということはないだろうか」と感じます。それ、感じることなく、「このホセという男は魅力のない男だから、カルメンから捨てられるけれども、俺は魅力のある男だから決してそんなことはありえない」とかアホなこと思うやつというのもいるようですが、それが「エスカミリオ症候群」です。そういう男って、時々いますでしょ、「長嶋みたいなやつ」てのが。
※ 《YouTuve-ビゼー 《カルメン》「闘牛士の歌」フィッシャー=ディースカウ》https://www.youtube.com/watch?v=wHmN47vJEIA
  私は中学生くらいの時、このエスカミリオ「長嶋みたいなやつ」が歌う「闘牛士の歌」というのがかっこいいと思っていたのですが、話の内容をよく知り、年齢をいくとともに、ちっともかっこいいとは思わなくなりました。ブサイクです。ブサイクなやつだと思います。その蓮っ葉な女とつきあったなら、それほど遠くない将来、自分もまた、そのホセという男のようにされるのではないか・・と気づくこともできないブサイクな男。そう思いませんか?
  「エスカミリオ症候群」の男というのは、実は現実にいるのです。しかも、「病識がない」というのか、自分でその「エスカミリオ症候群」の「ビョーキ」だという自覚がない。そういう人、いますでしょ。

  ・・・相当字数が多くなりましたので、この続きは次回にまわします。よろしく・・・
あなたの周囲にも「エスカミリオ症候群」の「患者」の男、いませんか?

  もう一回、断っておきます。ここで述べた大学受験の内容は私が高校を卒業した1970年代後半から1980年代初めにかけてのものを前提に述べたものですから、現在でもあてはまるものもあれば、現在は制度が変わってあてはまらないものもあるはずです。高校生や大学受験生の方で読んでくださる方があった場合には、どこが今もあてはまるものでどこは異なるかということをご自分で分別して考えていただきたいと思います。このブログを読んでそのまま今もすべて当てはまると誤解したために失敗したと言われても、当方は責任のとりようがありませんので、その点は認識していただくようお願いします。

  (2021.4.7.) 

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