入学式の日に有休とって海外旅行に行く教諭は「進取の気質」ではなく、仕事に熱意がない証拠。教諭がストライキする日に生徒は学校に行く義務はあるのか? 教諭がでてこない入学式に生徒や親は出席する必要はあるのか?

[第537回]
  慶應大学の教授(内部進学)は「私学だっていうことは、いいってことじゃないか。そんな常識もわからんのか!」とおっしゃるお方ばかりであり、小学校:公立⇒中学校:公立⇒高校:公立⇒大学:国立に行くつもりだったのだが・・・という者からすると、「なんでやねん!?!」という気持にならされることがしばしばあり、「せ~んせええ~え。どうして、『私学だっていうことは、いいってこと』になるのですかああ。せえ~んせえ~え、わっかりませええ~えん♪」と言いたくなるものでした・・・が、しばらく、慶應とつきあって、そのうち、この人たちに話してもだめだわ・・・、むしろ、うるさいから逆らわん方がええわ・・と思うようになりました。
  今は昔、「朝日新聞」に載っていた話ですが、王貞治は台湾人で子供の頃からお父さんから「我々はここでは外国人なんだ。だから、周りの人たちから好かれるようにしないといけない。我々は決して周りの人から嫌われてはならないんだ」と教えられた・・というのだが、公立進学校卒で慶應大学に行くと、なんかそんな感じ。慶應という学校はあくまでも内部進学の人たちの学校であって、我々は外国人もしくは異邦人なんだ・・てそんな感じの学校だった。
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  慶應という大学はそんなところのある大学です。 「慶應義塾カースト」のようなものがあり、
「揺り籠から墓場まで慶應」・・・慶應内部進学でも、幼稚舎から大学まで慶應という人たち
   ↓
中等部から慶應・高校から慶應
   ↓
慶應以外の私立大学系私立高校卒で、親が慶應大卒
   ↓
慶應以外の私立高校卒
   ↓
公立高校卒だが小学校・中学校のいずれかが私立
   ↓
小学校から高校まで公立だが親もしくは親戚に慶應卒がいる
   ↓
小学校から高校まで公立で、親も慶應卒ではなく親戚にも慶應卒の者はいない。
・・・こういう「カースト制度」がある学校でした。 「慶應は、最低でも高校から慶應に行った者が本物の慶大生」という学校であり、講義の最中に教授がマイクに向かって「おまえら(慶應義塾の)外部の者は」と叫ぶ大学であり、慶應の教授は大学だけ慶應に行った人間のことを講義の最中にマイクに向かって「(慶應義塾の)外部の者」と言うのでした。・・・「外部の者」とは、えらい、悪かったなあ・・て感じですが、教授は自分が何か悪いことを言ったとは少しも思っていません。本心としては、大学だけ慶應に行くようなやつに話をしたくないというもののようで、1980年代前半、慶應大学商学部助教授だった黒川行治せんせえ(男。当時、30歳。後に教授、現在は名誉教授)などは「会計学総論」という講義の最中に、「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞ。わかってんのか」と叫ばれるのでした。しかし、「わかってるのか」なんて言われても、黒川行治さんが「中等部から慶應に行ってる」などという話はその時に初めて聞いたことであり「わかってる」わけないのです。「我々内部進学の人間はおまえら外部の者とは違うんだあ。わかってんのかあ~あ!」とおっしゃるのです。「中等部から慶應に行っているこの僕がおまえら外部の者に話をしてやってるんだぞ。わかってんのかあ! もうちょっと、ありがたがって感謝の気持ちをもってこの僕の話を聞きなさい!」・・とそうおっしゃったのです。・・そのへんにファーストベースがあったら投げてやりたかったのですが、誠に残念なことにファーストベースがなかったので投げることはできませんでした。本当に残念でした。〔⇒《YouTuve-ブラウン監督退場!】ベース投げ!ベース埋め!》https://www.youtube.com/watch?v=FkBRnT0dcvQ 〕
こういう黒川先生のようなお方のことを慶應心理学では「自我が確立されている」とか「アイデンティティーをもっている」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「思考がスマート」とか「思考に柔軟性がある」とかなんとかかんとか「診断」するようです。「ええ~え? なんで、あんなんがあ~あ?」と私などは言いたくなりますが、うかつに口に出してしまうと「自我が確立されていない」「アイデンティティーを持っていない」「独立自尊の精神がない」「受験勉強の悪影響だと思います」「思考の硬さが気にかかります」「モラトリアム人間病ですね」とかなんとかかんとか「病名」つけられます。怖いです。本当に怖いです。

  お笑い芸人の誰だったかが、お笑い芸人の大会の審査員をしていた上沼恵美子を非難する文句を発信したということがあった時、島田紳助がどこかで述べていたのだが、もしも、自分たちの仲間だけの場で言うのなら先輩芸人や審査員の悪口を何をどんなに無茶苦茶言ってもかまわないけれども、頼まれて審査員をやっている人間について世間一般に公開して言うのではそれはいけないと述べていたが、それといくらか似ているのではないかと思うのだが、慶應大学の内部進学の人が内部進学の人ばかり集まって居酒屋にでも行ったような場で、大学から入ってきた人間のことを「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部の連中」と言うのは言っても別にかまわないと思うが、教授が講義の最中に教壇の上でマイクに向かって「おまえら(慶應義塾の)外部の者は・・」というそういう口をきくのは、それはいかがなものか・・と思うのだが、たぶん、そういう先生というのは確信犯だと思うので、このようなことを言ってもしかたがないだろう・・と思う。

  まず、私が思うには、どの大学に行くのがいいかという選択においては、まず、一般的にどこがいいかと別の問題として、そこに行った場合に自分が「外様」にならされることになる大学に行くよりも、親藩・御三家になるかどうかはともかく、譜代になれる大学に行くようにした方がいいと思います。 ですから、北野高校の出身の人ならば、京都大学に行くのが一番いいと思う。 京都大学に行っておけば、親藩・御三家はともかく、「譜代」になれるのです。をれを、慶應なんて行かされてしまうと、外様も外様、筋金入りの外様にならされてしまう。関ケ原の戦いより前から徳川家康にすりよっていた藤堂高虎のような外様でもなく、関ケ原では徳川方についた仙台の伊達とか加賀の前田とかでもなく、関ケ原の戦いでは西軍についたが存続を許された薩摩の島津とか長州の毛利とかでもなく、いわば、近江佐和山の石田三成か信州上田の真田信繁(幸村)かというような筋金入りの外様。そこまでの筋金入りの外様の扱い、カースト制度の最底辺の扱いを受けることになるのですから、何もそんなところにわざわざ無理して行くことないでしょう。慶應大学に北野高校卒で入学すると、教授が講義の最中に固有名詞をあげて「北野高校の人というのはねえ、私立よりも国公立の方がいいと思っていませんか。なんで、そんなこと思うんだろうねえ。まったく、北野高校の人間というのはどうかしてるんじゃないだろうかねえ」と不満そうにおっしゃいます。あんたのそういう態度が「私立」を敬遠される理由と違うんかい・・・と言わせてもらおうかいなあ・・と一瞬思ったりもしますが、言ってもわかる相手と違いますから言ってもしかたありません。 だから、北野高校などの卒業の人は京都大学に行くのが一番いいでしょう。東大の場合は私立6年制受験校出身の人が幅をきかせていて、私立6年制受験校の方が公立進学校より上みたいな態度でいますから、わざわざそんな大学に行くこともないと考えるならば、京都大学が一番いいと思う。京都大学でなくとも、大阪大学か東京大学かに行くべきです。 慶應の内部進学の人は agriculture を agriculture とアクセントを頭において発音するのではなく agriculture と中ほどにアクセントを置いて発音します。英語の名詞で語尾が-ure であるものはアクセントは頭にある、 agriculture は agriculture とアクセントは頭において発音すると学んできたのに、agriculture と発音する人の下男・婢になりたいのなら慶應大学に行けばいいけれども、なりたくないでしょ、そんなもの。なりたくないのなら、慶應みたいなもの、行くもんじゃないです。石にかじりついても岩にかじりついても京都大学に行くべきです。彼ら慶應の内部進学からすると「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と言うのですが、 agriculture と発音したからといって1万円でも収入が増えるわけでもないけれども害はないと思うし、それよりも、まがりなりにも大学生で agriculture と発音していたのでは恥ずかしいと思うのだが、慶應の教授からするとそうではないらしいのだ。かつ、「慶應心理学」からすると、こういうことを考える人間というのは「受験勉強の悪影響」で「思考の硬さが気にかかります」で「自我が確立されていない」「モラトリアム人間病にかかっている」であり「東大病」とかいう「病気」と「診断」され、その「病気」を「治療」するために「精神安定剤」の大量投与とかロボトミーとか「電気ショック療法」とかされる危険もあります。怖いですよお、「心理学」というのは
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スタンガン
スタンガン
( 「電気ショック療法」↑ )
agriculture を agriculture と頭にアクセントを置いて発音したら、そんなに気にいらないのでしょうか・・・と思うが、「慶應内部進学心理学」にとっては気にいらないみたいです。
  大学とは女子大生を騙して強制猥褻するために行く所だと思っている連中の下働きになりたいですか? なりたい人も世の中にはいるようですから、そういう人は慶應大学に行けばいいでしょう。しかし、大学とは学問をする所であって、そんな女たらしになりたいなりたい、「慶應タイプ」になりたいなりたいと思うような奴なんて大学行くな!・・という意識の人間は慶應なんか行くべきではありません。石にかじりついても京都大学に行くべきです。慶應なんか行かされてしまうと、俺はいったい何のために生きているのか・・と思いますよ。小学校から高校まで真面目に努力して同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、なんで、「強姦魔の大学」になんか行かされなければならないんだ!!! と思いますよ、ほんと!!!

  やっぱり、石田三成や真田信繁(幸村)は徳川大学に行くのではなく豊臣大学に行った方がいいと思います。慶應は小此木啓吾とかそういった「ほとんどビョーキ」みたいな人が向いています。 インターネットで検索すると、
慶應幼稚舎⇒慶應中等部⇒慶應義塾高校⇒慶應大学医学部⇒慶應大学医学部助教授 兼 慶應病院勤務
という人生、まさに「揺り籠から墓場まで慶應」(from cradle to tomb)という人生を送られた小此木啓吾先生は、慶應大医学部を定年になった後、慶應大学よりも定年の年齢が高い私立大学の講師になられたらしいものの、学生の間の人気は悪く、「何より、何かとすぐに慶應に帰りたがる」という評判だったらしい。なるほど~お!!! 「慶應の中のカエル」は慶應的精神空間から外に出ると長くはおれないわけだ。ウルトラマンは地球においては3分間しかいることはできず、カラータイマーが点滅して緑から黄色の点滅に変わり、黄色の点滅が赤になると、もはや、ウルトラマンは動けなくなってしまうのだ。 「慶應の中のカエル人間症候群」「慶應的精神空間から外に出れないシンドローム」の重症患者の小此木啓吾さんは「慶應的精神空間」から外に出ると長くは生きておれないわけで、カラータイマーが「ぴこ~ん、ぴこ~おん、ぴこお~ん、ぴこおお~ん・・ぴこんぴこんぴこんぴこんぴこん」と鳴り、黄色から赤になると動けなくなってしまう。早く慶應的精神空間に戻らなければ、「塾風」の支配する空間に戻らなければ小此木啓吾は生きていけないのだ!!! 「頑張れ、ウルトラマン! 立つんだ、ウルトラマン!」「頑張れ、小此木啓吾、なんとしても慶應的精神空間に戻るのだ!!!」・・・てものなのだ( 一一)
※ 《ニコニコ-【MAD】カラータイマー時間無制限?どこまで戦えるかウルトラマン!》https://www.nicovideo.jp/watch/sm34604242
 ・・まったく、さんざ、人に「なんだかんだシンドローム」「なんちゃらかんちゃら症候群」「なんだもんだ人間」とかいう「レッテル」つくって貼りつけてきやがってからに、今度は自分がレッテル貼られる立場になりやがれ!!! 内部進学独善主義小此木啓吾!!!
  がんばれ、小此木啓吾! 立つんだ、小此木啓吾! 立ってカラータイマーが消える前に慶應的精神空間に戻るのよ! あなたがいないと、いったい誰が「精神医学的レッテル」製造しておのれのこと棚にあげてひとにぺったんこぺったんこと貼りつけるのよ! あなたくらいしか、いないでしょうよ、そんなことする人間なんて!・・・・いや、ほかにも内部進学でならやる人間いるかもしれんか・・・。

  そういった「小此木啓吾症候群」の「患者」は「慶應的精神空間」に入学した方がいいだろう。今から考えてみると、北野高校の同じ学年にいたヤツでも慶應大学に行ったようなヤツというのは北野高校の生徒だった時からして「北野タイプ」ではなく「慶應タイプ」だったと思う。
  「北野タイプ」と「慶應タイプ」はどこが違うか? ・・・違いは多いのだが、たとえば、これは、1970年代後半、私が北野高校の1年の時、体育の「剣道」の授業の時に先生から教えてもらった話なのだが、「昔、北野高校の生徒で熱田神宮に草薙の剣を盗みに行ったやつがおった」と。「北野高校の卒業生には連合赤軍もおれば大泥棒もおる」・・・と。 その先生は別に草薙剣を盗みに行けと言われたのではないのだが、「何やるにしても大きなことを思いっきりやれ」とは言われたのだ。そうだなあ・・と思ったのだ。別に、草薙剣を盗みに行かないといけないことはないけれども・・・だ、そのへんで、しょーもないもんを万引きなんてするのと「熱田神宮にある草薙剣ちゅうやつを盗み出して、いっちょ、検分してこましたろか♪」というのとでは、草薙剣の方がええわなあ・・・と私も思ったのだった。進学校の生徒および出身者はそう考えるものだろう・・と思ったのだが、ところが、慶應内部進学はそうは考えないのだ。この草薙剣を盗みに行った豪傑の話をすると、「へえ。変なやつがいるんだなあ」とそう言いよるのだ。・・・まあ、草薙剣ちゅうやつを盗み出して検分してこましたろかというその実証精神と冒険家精神は評価するとしても、なんだかんだ言っても窃盗は犯罪だからなあ・・・とも思ったのだけれども、そう思っていると、1980年代前半だったと思うが、新聞に掲載されていたのだ。慶應義塾高校の生徒が東京都内の女子高に忍び込んで、女子生徒のブルマーを盗もうとして捕まりよった・・・・と( 一一)
  そのくらいの違いがあるわけだ。 やっぱり、だ。同じ盗むにしても、「熱田神宮にある草薙剣ちゅうやつを盗み出していっちょ検分してこましたろか♪」というのと、「女子高に忍び込んで、女の子のブルマー盗んだろか」というのとでは、「熱田神宮に草薙の剣」の方がロマンがあると思えへんか?・・と考えるのが「北野タイプ」 ・・・だいたいやなあ、ルパン3世が女子高にブルマー盗みに行くかあ? そんなことしたら、『ルパン3世』その回で終わりになってしまうわ! そうはいかん! やっぱり、盗むにしても、「熱田神宮に草薙剣」とかやと、「男のロマン」を感じるがな♪ ・・別に、熱田神宮に草薙剣を盗みに行けと言うつもりはないで。ないけどもやなあ、ないけども、「女子高にブルマ盗みに行くやつ」て、なんかこう、わびしいのお~お・・て感じがしてくる・・のだが「慶應タイプ」はそうではないようで、「熱田神宮に草薙の剣を盗みに行った」という男については「変なやつ、いるんだなあ」と鼻で笑うが「女子高にブルマー盗みに行った」というヤツについては弁護しようとするのである。 よっ、「いかにも慶應ボーイ♪」「思考が柔軟」「自我が確立されている」「塾風を身に着けている」「よっ、それこそ福沢精神!」「ギャルにもてもて」「企業はそういう人間を喜ぶ♪」・・とか「慶應心理学」が「診断」するでしょうな! それに「なんでやねん!?!」なんて言おうものなら、小此木タイプの「心理学」「精神医学」「精神分析学」から「なんじゃかんじゃ人間」「なんだかんだ症候群」「なんたらかんたらシンドローム」とか「未成熟」とか「外罰的性格」とか「なんとか病」と「精神分析」されることになるでしょう・・・けれども、それにしても、「熱田神宮に草薙剣」と「女子高にブルマー」とどちらか取るとすると、どっちを取るか? あえて、どちらにラポールを感じるか?・・・というと、「熱田神宮に草薙剣」の方にラポールを感じるのが「北野タイプ」もしくは「元旧制中学校の公立進学校タイプ」で、「女子高にブルマー」にラポールを感じるのが「慶應義塾高校・慶應志木高タイプ」である。そのくらい、人間性に違いがある。
  ・・・それにしても、もしも、女性から何かを盗むとしても、ブルマーなんて盗むのではなく、盗むのならば「女の心」を盗め!・・・て思いませんか?・・・て、ちょっとキザか・・もしれんが、そう思えへんか? なんや、ブルマー盗みに女子高に忍び込んでつかまるやつて、そういうのを「慶應心理学」とか「小此木流精神分析学」は「スマート」とか「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「思考が柔軟」とかなんとかかんとか「診断」するらしく、「ええ~え? 『女子高にブルマー』に比べると『熱田神宮に草薙剣』の方が実証精神と冒険家精神を評価できてええんとちゃうのお~ん?」なんて言おうものなら、「思考の硬さが気にかかります」「受験勉強の悪影響ですね」「独立自尊の精神がないからそういうことを言うのですね」「未成熟と思います」「そういうのを外罰的性格と言うのです」「モラトリアム人間病の徴候ですね」とかなんとかかんとか「診断」されることになります。「治療」される危険もあります。怖いこわい怖いこわい! ロボトミーとか「電気ショック療法」とかされるかもしれません。本当に怖い!!!・・・が、それでも言うが、女性から何かを盗むのならば、ブルマーなんて盗むよりは「女の心を盗め」・・・て思いませんか? 『ルパン3世 カリオストロの城』みたいに・・(^^♪
※ 《YouTuve-炎のたからもの ルパン三世 カリオストロの城》https://www.youtube.com/watch?v=L_nNmPlwepE
  旧ソ連の詩人で音楽家のブラト=オクジャワの歌「紙の兵隊」では、「紙の兵隊」は「この世を正しくしたいと思って、彼は進んだ、炎に向かって。すっかり忘れてた、自分が紙だと」と炎に向かって突き進み、「後には灰さえ残りはしなかった」。この「紙の兵隊」とは第二次世界大戦の最中、独ソ戦の最中、グルジア(最近では「ジョージア」と言うらしいが)人だったオクジャワの父親がグルジアのソ連からの離脱・独立運動をおこない「人民の敵」として銃殺されたことを念頭に歌ったものらしいが、「女子高にブルマー」タイプ・慶應義塾高校タイプの男およびその裏返しの女は、そういったことは絶対にしないし、その態度を「スマート」とか「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか思っている。「この世を正しくしたいと思って」「炎に向かって」突き進んでしまうなどということは彼らは絶対にしない。「女子高にブルマー盗みに行く」ことはしても、「連合赤軍」なんて絶対にやらないし「熱田神宮に草薙の剣」盗みに行くこともしない。そういう精神構造を慶應心理学は「自我が確立されている」「成熟している」「思考が柔軟」と「診断」する。・・それでいいのか?
冒険と日本人 (集英社文庫) - 本多 勝一
冒険と日本人 (集英社文庫) - 本多 勝一
本多勝一『冒険と日本人』(集英社文庫)の冒頭には、
《 本書を
 ほとんど憎んだ二人の師
 高校時代の鹿間時男先生
 大学時代の今西錦司先生
 および
 無謀な冒険を決行することによって
 日本的社会でのエスタブリッシュメント(体制)から指弾された
 すべての分野での青年たちに
 捧げる
 》
と書かれている。
  生きておれば、別に「日本的社会でのエスタブリッシュメント(体制)」に対して「無謀な冒険」やったつもりなどないのに、なぜか、それでも「地雷を踏んだ」ことになっていたらしい・・などということもあるようだ。それを器用に避けるやつというのもいる。北野高校の同級生のN口などはそのタイプだった。N口は1浪したが京大の法学部に行ったが、京大に行ったわりにそのあたりについては「慶應タイプ」だったようだ。私などは、いやいや、慶應に行かされて、ともかくも卒業証書をいただいたけれども、人間的にはもとより「慶應タイプ」ではなかったし今も違うと思う。 「地雷を踏む」人生などうれしくもないし、そんなもの踏みたくないが、片方で、「地雷を踏まないように器用に生きる能力」というのを自慢しているヤツというのは、そういうのは称賛すべき人間なのだろうか・・・とも思う。 「この世を正しくしたいと思って、彼は進んだ、炎に向かって」「すっかり忘れてた、自分が紙だと」というような、そういう態度を天地がひっくり返っても取らないという男、および、そういう男を「尊敬している」タイプの女というのは、けっこう長生きするかもしれないが・・どういう人間かというと、おそらく、そういう人なのだろう・・・と思う。
黒い瞳から百万本のバラまで―ロシア愛唱歌集 (ユーラシア・ブックレット) - 山之内 重美
黒い瞳から百万本のバラまで―ロシア愛唱歌集 (ユーラシア・ブックレット) - 山之内 重美
  彼ら「慶應タイプ」は「慶應タイプの強姦魔」「慶應タイプの強制猥褻魔」がいるとそれに協力・同調するのが「慶大生らしい協調性」と主張する。え? それが「協調性」なの?・・・と思い、それを口にすると「適応性に問題がある」とか「未成熟」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「受験勉強の悪影響」とか「自我が確立されていない」とか「アイデンティティーを持っていない」とか「慶應心理学」から「診断」されることになる。しかし、そうなのか? そういった場面に出くわしても、「おい、やめておけ」と止めるのは簡単ではないかもしれないが、それでも、なんとか止めようとするのが「自我が確立されている」「独立自尊の精神」ではないのか? 「慶應タイプの強姦魔」「慶應タイプの強制猥褻魔」に加担・同調・協調するのがそれが「協調性」なのか? それが「自我が確立されている」なのか? それが「独立自尊の精神」なのか??? こういったこをと言うと「慶應心理学」から「未成熟」とか「自我が確立されていない」と「診断」されることになる。怖いわ、「心理学」は!!! ほんとに怖い!!!
告発の行方 [DVD] - ジョディ・フォスター, ケリー・マクギリス, バーニー・コールソン, ジョナサン・カプラン, ジョディ・フォスター
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新装版 海と毒薬 (講談社文庫) - 遠藤 周作
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  「ウルトラマン、頑張ってえ」て感じで「小此木啓吾、頑張ってえ。あなたが倒れたら、誰が『外部の連中』に『精神分析学』と称してレッテル貼りまくるのよお。それやるのは、あなたしかいないでしょうよお」・・と思っている小此木啓吾ファンの内部進学の人は今もいっぱいいると思いますよ。「二代目小此木啓吾」に自分がなったろか・・て者もいるかもしれませんし( 一一)

  それで・・・、大阪府立の北野高校は行きたいと思っていた高校だったので、合格発表の時はうれしかった。・・しかし、卒業してみると、はたしていい学校だったかというと、疑問を感じるようになった。結論としては、あんまりいい学校ではなかったと思う。まず、高校の教諭というのは、いない方がいいのではないのか? ・・と思うようになった。 あいつらは害があるのではないか?・・・と。
  柴田孝之『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で、柴田が「能力的にも優秀で、人間的にも優れている教師というのは、多くの人間が思っているよりも、はるかに少ない」と述べているが、まさにその通りである。 私もそう思う。 高校生および大学受験生の人でこのブログを読んでくださる方があるならば、この柴田孝之の発言は心に入れておいた方がいいと思う。実際、そうである。
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之

  このブログで稼いでいるわけではなく、世の中には「ユーチューバー」という肩書の人がおり、ブログとユーチューブで相当の金を稼いでいる人も世の中にいるらしいが、私は「ユーチューブ」は作成のしかたがまだわからないし、ブログも回数は相当の回数になったと思うが、だからといってカネになってはいない・・・が、時々、思いついたものをここに発表したいと思っており、高校生活および大学受験についても、時々、述べたいと思う。時として、高校生および大学受験生にとって役立つものもあるかと思う。
  中には、「何を今さら」と思う人もあるかもしれないが、それはその人にとっては「何を今さら」のものであるかもしれないが、けっこう、世の中にはそういうものが多い。 わかってみると「何を今さら」という気持になるが、わかっていない人にとっては相当貴重だったりするものがある。

  数学者で教育論者の遠山啓(とおやま ひらく)が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、父親というものについて、父親は、息子に「世間知」というものを教えてくれる存在である・・・などと書いていたが、遠山啓は生まれた時点では父親は生きていたが、初めて父親と会う前に父親は病死してしまい、会うことはなかったらしく、遠山啓自身が自分のことを「父なし子」と言っていたのだが、それだけに、どうも、父親というものを、世間の父親の中でもかなりいい父親を「父親というもの」と考えていたように思える。父親というものは、決してすべての父親が「世間知」というものを身に着けているわけではない、という真実を遠山啓(ひらく)は理解できていないようだった。「世間知」というものを身に着けている父親がいて、それを息子に教える父親も世の中にはおり、そういうお父さんを見ると、「うらやましいなあ」と思ったものだったが、そうではない父親も世の中にはいるのだ。
  私には父親は生まれた時点ではあって、30過ぎまで生きていたが、「世間知」なんてないおっさんだった。だから、「世間知」というもののないおっさんの息子だったから、私も子供の頃からハタチ過ぎまでは世間一般の同年代の者に比べて「世間知」はない方の人間だった。遠山啓は「父なし子」は「世間知」を父親から学ぶことができないから、父親のある子供に比べて「世間知」がなく、自分自身で何度も痛い目にあって少しずつ身に着けていくしかない・・・と書いていたが、私は父親はあったけれども、「世間知」なんて持ち合わせていないおっさんだったので、そのおっさんから「世間知」を学ぶなんてことは不可能なことだったし、また、「世間知」がない男が父親ならば母親がその分、よその母親よりも「世間知」があると良さそうなものだが、ところが、母親というものは「世間知」のない父親の嫁であるから、「世間知」がある男の嫁なら夫から学ぶことができるものを「世間知」のない男の嫁は夫から学ぶことができないから、だから、母親もまた「世間知」が世間一般の母親と比べてない方の女だった。だから、私は父親はあっても、自分自身で何度も痛い目にあって、それで、若い頃に比べればいくらかは「世間知」が身に着いたかな・・・と思っている。

  大学受験に関しての一例をあげると・・・、たとえば、大阪大学工学部の何学科だかを受けて落ちて浪人して、1浪でも大阪大学工学部を落ちよった・・・という人がいたのだ。それで、私が高校を卒業した年までは一期校・二期校という制度があって国公立の大学は2つ受けることができたのだが、二期校に分類されていた静岡大学の工学部に行きよった・・・。現実にそういう人がいたのだ。 まあ、そういうことはあるだろう。 すんなり通ればいいけれども、落ちることだってあるのだ。 ・・で、「早稲田の理工は受けなかったのですか?」なんてことを特に何も考えずにきいたのだ。すると・・、なんか、しぶしぶというのか、小さい声で「早稲田も落ちた」とお答えになったのだ。それで・・・、「世間知」がない人間だったなあと思うのだが、「慶應の工学部(現 理工学部)は受けなかったのですか」と、浪人までして阪大の工学部に落ちた、早稲田の理工学部まで落ちたとしても、いくらなんでも理工学部については早稲田大より易しいと言われていた慶應大の理工学部になら通っただろうに、なんで、受けへんねん・・・と思ったので、思った通り、言ったのだ・・・が、「慶應の工学部(現 理工学部)なんて言ってもしかたない」と、そうお答えになったのだった。「え? そうですかあ?」なんて、その時、言ったような気がするのだ。今なら言わない。今なら言わないが、その時は正直に、東大・京大・阪大の工学部を受けて落ちてしまったとしても、早稲田大理工学部があるだろうし、それも落ちてしまったならば、慶應大工学部(現 理工学部)があるだろう。関大の工学部・同志社の工学部・関学の理学部・立命館大の理工学部になると、地方国立大学の工学部とでは地方国立大学の工学部・理工学部の方がいいかどうか・・・となっても、慶應大の工学部(現 理工学部)なら、地方国立大学の工学部よりはいいだろうし、東大・京大・阪大の工学部を受けたような人ならば、早稲田の理工学部に落ちたとしても、いくらなんでも慶應の工学部(現 理工学部)くらいは通るだろうに、なんで、慶應の工学部(現 理工学部)を受けないのだ・・・と心の底から思ったのだった。
  今なら、そういうことは口に出さない。なぜか?・・・わかるやろうが、そんなもん。 「慶應の工学部なんて行ってもしかたない」というのは、日本語に翻訳すると「慶應の工学部(現 理工学部)も落ちてもうたんや」という意味である。わかってやれよ、そのくらい・・・。正面から「慶應の工学部は受けなかったんですか」ときくだけじゃなくて、「慶應の工学部なんか行ってもしかたがない」と言うとるのに、まだ「ええ? そうですかあ。静岡大の工学部なら慶應の工学部(現 理工学部)の方がいいてことないですかあ?」なんて、まさに、傷口に塩をすりこむように言わなくてもええやろうが・・・・と思うのだが、なにしろ、「世間知」というものを父親から学ぶことができなかった息子であり、そんなもん、東大・京大・阪大の工学部(東大の場合は理科一類・理科二類)を受けて浪人しても落ちて、早稲田大の理工学部も落ちて、それで二期校の静岡大工学部は通って行った・・・となると、「ははあ~ん。慶應大の工学部(現 理工学部)も落ちよったなあ~あ」と気づくもので、それをいちいち口に出して落ちたかどうか確認することもないし、ましてや、「慶應の工学部なんか行ってもしかたない」とかなんとか負け惜しみ言うとるのやから、それをまだ執拗に「ええ? そうですかあ? 静岡大の工学部なら慶應の工学部(現 理工学部)の方がいいてことないですかあ」なんて、言わんでもええやろうが。言うたるなや、そんなもん・・・と思うのだが、その頃は、本当にわからんかったのだ、本当に。実際に「決して悪気ではなかった」のだ、決して。・・・もっとも、内村鑑三が『基督信徒のなぐさめ』(岩波文庫)で「動機善意」と「結果善意」という用語を使っているのだが、「決して悪気ではなかった」とはいえ、「動機善意」であったとしても、「結果善意」ではないと思うので、そのあたりは大いに反省するべきであるし、今、振り返っても、本当に「世間知」がない人間だったなあ・・・と思う。

  そして、私が1浪の時のことだが、うちの母親というのは、息子が「浪人」中であれば、必要もないのに必要もない相手と大学受験の話なんかしない方がいいに決まっているにもかかわらず、そういう話をしたがる、そういう話をする人の中に入って行きたがる女だった。私が父親ならば、自分の嫁に「息子が浪人中に、余計な相手に余計な口をきくな」と言います。ところが、うちの父親と母親というのは、そのあたりが「家庭内離婚」みたいな夫婦で、そういった話をしない夫婦であるとともに、父親は結論として「アホや」という男であり、そういった能力が完全に欠落している男だったので、妻にそういったことを言うということはなかった。
  うちの母親は、あまり、社交性というものはない方の女だったはずなのだが、ところが、余計なことを言いたがる習癖があり、近所の誰やらが娘が大学受験だかで「大変ですわ」とか言ったらしく、「大変ですわあ」と言われれば「そうですねえ」くらい言っておけば十分だと思うのだが、「そんなん、女の子は大学なんて行かなくてもいいでしょうよ」などと言ったというのだ。それで、そう言ったところ、「何、言ってますのん、結婚してから子供の教育しないといけないから女の子でも勉強しないといけないでしょう」と言われたそうで、「そうやろか、女の子は別に大学に行かなくたっていいと思うけどなあ」などと言うので、まったく、余計なことを余計な相手に言う女やなあ・・と思い、難儀な母親やなあと思ったもので、「そんなこと、言わなくてもいいでしょう」と言ったのだったが、私がせっかくそう言っても、それでも理解できないようで、「なんでやのん。女の子は、そんなん、別に勉強して大学に行かなくてもいいでしょうよ。短大でもいいでしょ」とか言うので、そういう考え方もあるだろうけれども、その人は娘に「大学」というものに行かせたかったのだろうから、わざわざ、逆らうことないのであり、その人の考えることにわざわざ逆らうことを言うと、それがこちらに返ってくるということだって考えられるわけで《智に働けば角(かど)が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。》(夏目漱石『草枕』岩波文庫)というようなもので、余計な相手に余計なこと言わなくていい・・・はずだが、うちの母親はそれを18歳の息子に言われても、それでも気づくことができない女だった。難儀な女やなあ・・・と思ったが、そういう女がうちの母親だった。それ以上に「世間知」がないのがうちの父親で、父親に比べると、まだしも、母親の方が軽症だったが、そのあたりの「世間知」がある父親と母親の息子というのは、うらやましいなあ・・と思ったものだった。
草枕 (岩波文庫) - 夏目 漱石
草枕 (岩波文庫) - 夏目 漱石

  福沢諭吉という人は、1835年1月10日ー1901年2月3日 と、明治維新が1868年ですから、江戸時代に33年、明治に33年生きた人、江戸時代と明治時代と半分半分生きた人であり、もともと、資本制経済の時代に生まれた人ではなく封建制の時代に生まれて育った人で、その時代の人としては相当開明的な人であったとしても、それでもやっぱりそういう時代の人であったわけで、ですから、福沢諭吉は資本制社会についての批判が不足しているといった批判があるようだけれども、それは実際にそうあろうと思われるとともに、そういう時代に生きた人なので、しかたがないとも言えるのです。
《ウィキペディアー福沢諭吉》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89
  福沢諭吉は『学問の独立』(『日本の名著 福沢諭吉』中公バックス 所収)で、学問は「国」「国家」「政府」から独立したものであるべきで、それゆえ、学校もまた、私立であるのが望ましいといったことを述べており、慶應義塾もまた、その考えで設けられた。
  しかし、慶應の教授というのは、江戸時代から明治初期にかけての福沢諭吉の思考から少しも前に進んでいない。その時代と今は同じではないのである・・ということを理解できない人たちである。
(1) 福沢諭吉は学問・学校というものは「国」「国家」「政府」から独立したものであるべきで、それゆえ、学校は私立の方がいいと述べたけれども、まず、その時の「国」「国家」「政府」とは江戸時代の藩や幕府、もしくはそれとたいして変わらないと福沢諭吉が考えた明治維新政府のことだったのです。慶應の教授はそれを理解できていない。
(2) 江戸時代の藩や幕府、それとたいして変わらないと福沢諭吉が考えた明治維新政府から、その「国」「国家」「政府」にとって都合がいい人間を養成し育成する学校として「官立」の学校が作られるのとは別に、「独立自尊」の精神のもとに「民間のもの」としての学校を作るべきだと福沢諭吉は考えた。 それは一理あると思います
  しかし、他方において、私立の学校というものは、国立・公立に比べて「国」からの干渉は少な目になるかもしれないが設立者の恣意的な運営やカネを出資した者による支配というものが起る可能性も考えられ、国立・公立が「公(おおやけ)のもの」であるのに対して、私立は「私(わたくし)」のものとなることも考えられるのです。
  私自身が経験したものとしては、1970年代後半、1浪で行ったYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種の藤井(男。当時、40代くらい?)が「ぼくらは、あくまでもきみらの親からカネもらって仕事しているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんだから、ぼくらはきみらの親の為に働く義務はあるけれども、きみらの為に働く筋合いはまったくないんだからなあ!」と発言。この男、そういう口をきくのか・・と思ったものでした・・・が、うちの親はそう言われて喜んでいたのでした。うちの父親は「そうや。その通りや♪ ええ~えこと、言いはる♪」と言って喜んでいたのでした・・が、私が父親ならばそうは思わなかったですね。たとえ、予備校にカネを払ったのが生徒ではなく生徒の親であったとしても、予備校に息子もしくは娘を行かせた親というのは、息子もしくは娘の為に役立ってもらおうと思ってカネを予備校に払うのです。「ぼくらは、あくまでもきみらの親からカネもらって仕事しているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんだから、ぼくらはきみらの親の為に働く義務はあるけれども、きみらの為に働く筋合いはまったくないんだからなあ!」などというそんな認識の男にカネを払った覚えはないのです。 しかし、 「人間は誰のために働くのか」というと「究極的にはカネを払う者の為に働く」と考えると、私立の学校の場合、どうしても、カネを払う者の為の学校になり、設立者や出資者に都合がいい教育がされがちで、又、親がカネを払う場合には生徒のための学校・教育か親のための学校・教育かというと、親の為の学校・教育になりやすいという面があります。うちの父親はYMCA予備校高槻校の藤井が「ぼくらはきみらの親からカネもらってるのであって、きみらからは1円ももらってないのだから、きみらの親の為に働く筋合いはあるけれども、きみらの為に働く筋合いはまったくないのだからなあ」と言ったのを聞いて大喜び、「朕思うに、我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしに。すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために。てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ♪ 撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ! ど~んが~ん、どんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃあ~あんじゃあ~あ♪〔⇒《YouTuve-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕 日教組は刑務所に叩きこめえ! 共産党は死刑であ~る! 朝日新聞の記者は全員、刑務所に入れろお! 原発に反対する甘ったれたやつは全員死刑にしてしまええ~え、とってちってたあ~あ!!!」とか言っていました。

〔 福沢諭吉は『学問の独立』で、学問・学校・教育といったものは「国」「国家」「政府」から独立したものであるべきで、それゆえ、学校は官立ではなく民間のもの、私立が望ましいといったことを言っているということから、その点だけで、学校は私立の方がいいんだという主張をしたがる慶應の教授(内部進学)がいっぱいいたのですが、そういう人たちというのは、片方で、福沢諭吉は子供の頃、お勉強がよくできたにもかかわらず、下級武士の子供であったことから、長崎に勉強に行きたいと思っても、自分より成績が悪い家老の息子の奥平壱岐が長崎に勉強に行かせてもらったにもかかわらず、自分は行かせてもらえず、悔しい思いをした・・といったことがあった、『福翁自伝』(岩波文庫)でそのあたりを福沢諭吉自身が書いているが、実際にはそんなこと言いながら長崎に勉強に行かせてもらったわけで、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)によると、その「家老の息子」の奥平壱岐が福沢のことを思って尽力してくれたことから長崎に行かせてもらえるようになったのであって、それなのに、あいつは出来の悪いやつなのに・・となんだか恩を仇で返すようなことを書いとるのだが、福沢諭吉はそういう経験もあった人のはずなのです・・が、慶應の教授(内部進学)の思考ではそういうことは宇宙のはてまで飛んでいってしまっているのです。 1970年代後半、私が北野高校の3年の時だったかの文化祭に、戦後すぐの時期に北野高校の野球部が選抜大会で全国優勝した時に4番を打っていて京大法学部に進学して弁護士になった山本さんという方が講演に来られて、「公立の高校で進学校があるのは差別を生むことになるのでよくない、進学校はすべて私立高校にするべきだといったことを言う人がいるが、それは逆だと思う。自分は家が貧乏だったけれども、公立の進学校の北野高校があったから、だから、北野高校から京都大学法学部に進学して弁護士になることができた。公立の高校で進学校はなくなって進学校は私立高校ばかりになったなら、むしろ、その方が不公平で差別につながると思う」といったことを話されていたが、福沢諭吉は下級武士の息子だったから自分より勉強ができないのに家老の息子だから長崎に勉強に行かせてもらえる者がいても時分は行かせてもらえないといった経験をした人であることを考えると、片方で、学校は「国」「国家」「政府」といったものから独立した存在であるべきだという点から私立の方がいいという考えも出てくるが、他方において、私立の学校に行く学費を出せない家庭の息子でも学校に行けるように国立・公立の学校を整備するべきだという考えもあるはずなのだが、慶應の教授(内部進学)はその片方だけを見てそれを「福沢精神」と叫びまくるのだが、そういういびつな物の見方というのはどんなものか・・と思うがそういう片方しか見ない思考が「塾風」で「福沢精神」で「自我が確立されている」で「受験勉強の悪影響を受けていない」で「思考がスマート」で「アイデンティティーを持っている」で「企業はそう言う人間を喜ぶ」で「ギャルにもてもて」と「慶應心理学」ではそういう「診断」になるらしい。〕

  その点、国立・公立であれば、そうなりにくい・・ようにも思えます。だから、私は学校は私立よりも国立・公立の方がいいと子供の頃からずっと思ってきたのです。しかし、そうとも決まっていません。最近になって思い出したのですが、1960年代後半、私が小学校3年の時、大阪市東住吉区の大阪市立の小学校で、私は担任の教諭、当時、20代で角刈りの右翼教諭F河(男。当時、20代)から「おまえ、明日から学校来るな」と言われたことがあるのです。その教諭は、なぜか、クラスの生徒を「気にいる生徒」と「気にいらない生徒」にはっきりと2分する男で、「気にいらない生徒」の方に分類されていた生徒は怒っていたのです。なぜ、そんなことをするのか? その教諭に「つけとどけ」をした親の息子・娘としない親の息子・娘の違いだったのか? 私は「気にいらない生徒」の方に分類されていたのですが、その「気にいらない生徒」が成績はクラスで一番よくできたものですから、F河としては余計に「気にいらない」ようでした。そして、どうも、私にF河が「気にいる生徒」に分類した生徒をほめさせようとするのでしたが、なんで、あんなやつをほめさせられなければならないんだ、首をもがれても舌をぬかれてもあんなやつをほめてなるものか! と思ったものでした。やり方はかなり露骨でした。それで、成績はクラスで一番よくできた生徒でしたから、俺がやらずに誰がやるというくらいの気持ちで、あのろくでもない教諭に服従しては人間としての価値がなくなると思って抵抗したものでしたが、そうすると、それが面白くないようで、「通知簿」には「成績については申し分ないが、人間性に問題がある」となんたらかんたら書きまくられました・・が、「通知簿」の論評欄というのはそういうものを書くべきところか? 違うと思うのです。もしも、教諭の方がそんなことを書いていいのならば、生徒の方だってその教諭について、校長先生宛かもしくはその教諭の親宛に「生徒に対する教諭としての態度に大いに問題がある」と書いて送りつけてやりたいところでした。 ある時、ある生徒が「ハワイに行く」という口実で長期に学校を休んだことがありました。はあ~あ?・・と思ったのです。小学校というものは大事なもので何より優先して行かないといけない所と思っていましたし、「義務教育」ですから親は子供に小学校に行かせる義務があるはずで、子供は小学校に行く義務があるはずでした。ところが、生徒自身が病気や怪我で入院したとか、親が死んだから葬式に出るということで休むのならわかりますが、「ハワイに旅行に行くから休む」て、なんじゃ、そりぁ?・・と思ったのでした。もっとも、もしかすると、親は仕事でハワイに行く必要があったが、その間、子供だけ日本に残しておくわけにはいかず、その間、子供を預かってくれる人もないから一緒に連れていったということだったのかもしれません・・が、そのあたりはよくわからない。しかし、問題は、そいつが日本に帰ってきてすぐの試験の後です。F河は「K藤はハワイに行ってきたけれども、〇〇よりも成績いいわ♪」とそう言ったのです。一度、けっこう大きい声で周囲の人間に聞こえるように言った後、わざわざ、私に名指しで呼んだ上で、「K藤はハワイに行って来たけれども、それでも、おまえより試験の成績、ええわ。なあ、〇〇」と念を押して私に言ったのです。何、それ? そいつがハワイから帰ってきたすぐ後の試験で、そいつの成績の方が私より良かったというのですが、私だってそんなに無茶苦茶悪かったわけではありませんが、しかし、なんで、私はそんなこと言われなければならないのでしょうか。それに対して私はどう答えたものかと思ったのですが、「気にいらない生徒」に分類されていた生徒には、古河のそういう言動に対して、「古河先生、腹立つねえ」と言う人間もいたのです。 はあ?・・・と思ったけれども、今から考えてみると、不快感を覚えながらも我慢していたのですが、我慢するのではなく、「先生、どうして、そういうことを私は言われなければならないのでしょうか」と、はっきりと言ってやると良かったかもしれません。もっとも、言うと彼は激怒したと思いますし、殴られたかもしれません。F河のそういった態度に応じて、F河の「気にいる生徒」に分類された者には「総務の無能のおっさん」みたいな態度をF河が「気にいらない生徒」に対して取るようになった者も出てきました。「総務の無能のおっさん」てどんなのか、わかりますでしょ。「総務課所属の従業員」と「総務の無能のおっさん」は同じではありませんよ。「総務課所属の従業員」は何も悪いことはないのです。あなたの勤め先にもいませんか? 「総務の無能のおっさん」が。)〔3年から4年に上がる時、普通は担任は1~2年、3~4年、5~6年と2年ごとにクラスは同じメンバーで担任も同じ教諭なのですが、なぜか、古河は転勤になり、担任が変わると古河の「気にいる生徒」と「気にいらない生徒」の分類はなくなり、むしろ、古河の「気にいる生徒」と認定されていた男の中で最も「総務の無能のおっさん」だった男はむしろ同級生からうとまれるような感じの立場になりました。ざまあみろ・・〕私は間違った態度を取っていないし、間違った態度をとっているのはF河の方なのに、なんで、F河が私に怒るのかというと、そのあたりについて、私とF河とで、学校と教育についての認識が異なっていたということに1つの理由があったと最近になって気づきました。私が行った幼稚園はカトリック系の幼稚園で、カトリック系ということはキリスト教系です。小学校の1年から2年にかけての担任だった先生は、私は知らなかったけれども、後から親に聞いた話では日本キリスト教団の教会に通っていた人で、教育というものは、教師に何でも服従する人間に生徒を加工するのが教育ではなく、人間として認識するべきことを自ら学ぶのが教育であると考えていた人で、教師は生徒は金持ちの息子・娘か貧乏人の息子・娘かなど関係なく誰であれ不公平のないように接するべきであり、そういう場で学ぶことが金持ちの息子・娘にとっても好ましいことであるはずだと認識していた人だったのに対して、3年の時の担任のF河はそうは考えていなかった。  (「国」から指示された)「教師に従う」ということを生徒にしつけるということが教育だと考えていた男だったのです。ですから、彼が「気にいる生徒」と「気にいらない生徒」に2分したことについて、「気にいらない生徒」に分類された生徒は怒っていたし、「気にいる生徒」に分類された生徒についていいように思っていなかったのですが、そういう生徒の態度こそ教師として許してはならないとF河は考えていたようでした。そして、ついにある日、F河は私に言ったのです。「おまえ、明日から学校来るな」と。それで、私も言い返したのです。「そんなこと言うのなら、先生こそ、明日から学校来ないでくださいよ」と。私は、前々から、なんで、こんなやつが小学校の教諭やってるんだ、こんなやつ、教諭やめろ、こんなやつ、学校来るな・・と、ずっと思っていたのです。それを、そう思われていた教諭が私に「おまえ、明日から学校来るな」と言ったので、何をぬかすか、おまえこそ、「明日から学校来るな」と思い、そう言ったのですこんなやつ、小学校の先生なんてなるな!・・と気持ちとしては思ってきたけれども、それでも、そこまでは言えないと思って我慢してきたのでしたが、しかし、そう思っていた相手から「おまえ、明日から学校来るな」などと言われるのならば、そちらさんも、たとえ、どんなに「気にいらない生徒」であってもそこまで言う権利はないはずであり、たとえ、「気にいらない生徒」にでも「おまえ、明日から学校来るな」などとは言えないものを言うのであれば、生徒の方もまた、「おまえこそ、明日から学校来るな」と言っていいはずだ・・ということになります。
  ところが、私がそう言うと、F河は「公立の小学校はなあ。おまえもおまえの親も1円としてカネ払ってないんじゃ。だから、俺はおまえからも、おまえの親からも、なにひとつ、文句言われる筋合いはないんじゃ。俺は国から給料もらってるのであって、おまえからも、おまえの親からも1円ももらってないから、だから、俺はおまえからも、おまえの親からも、俺の勤務態度について何ひとつ口出される筋合いはないんじゃ。わかったか。おまえ、明日から学校来るな。わかったなあ」と、F河はそう言ったのです。・・そう言われて、私は「俺って、エジソンみたいやなあ♪」と思ったのでした。なにしろ、『世界の偉人伝 エジソン』には書いてあったのです。エジソンは子供の頃、小学校の先生から「明日からあなたは学校に来なくてよろしい」と言われ、それでエジソンのお母さんはそう言われたエジソンに「そうですか。わかりました。それなら、もう、明日から学校には行かなくてよろしい」と言って家で勉強するようにさせて、そして、家で勉強したエジソンは「世界の発明王」になった・・・と、『世界の偉人伝 エジソン』にはそう書いてあったのです。「全国の校長先生推薦」だかそんな感じの本にそう書いてあったのですよ。だから、私も、「そうですか。それなら、もう、学校は行かなくてよろしい。家で勉強すればよろしい」と、うちの母親もそう言うのであろう・・と思い込んでいたのでした・・が、ところが、うちの母親はそう言わずに「いけません」と言って学校に行かせたのでした。そして、「先生に謝りなさい」と言うので、何を謝るのかわからないので、「なんでやのん。謝る必要があるのは古河の方だ」と言ったのでしたが、母は認めてくれず、「ともかく、先生に謝りなさい」と言うので、しかたなしに、何を謝らないといけないのかさっぱりわからんが「ともかく、謝りなさい」と言われたので、しかたなしに、ともかく「申し訳ありませんでした。今後は気をつけます」と言えと言われたのでそう言ったのでした。そうすると、その右翼角刈り教諭は得意がって、「そうか。心の底からそう思ったんだな。それなら、今回はいいにしてやるわ」と、そう言ったのでした。しかし、いったい、何を「今回はいいにしてやる」のか、さっぱりわかりませんでした。
  そこで・・なのです。その右翼角刈り教諭は「僕らは、あくまでも国から給料もらってるのであって、おまえからも、おまえの親からも1円としてカネもらってないのだから、おまえのために働く筋合いもなければ、おまえの親のために働く筋合いもないのであって、おまえからもおまえの親からも教師としてどうと言われる筋合いはまったくないのだからなあ」とそう言ったのですが、これは2つの点で大きく間違っています。
第一に、大阪市東住吉区にあったその大阪市立の小学校は「大阪市立」ですから、F河福三が給料もらっていたのは「国から」ではなく「大阪市から」だったはずなのです。「国から給料もらってるのだから、国の言うことはきかないといけないけれども、おまえの言うことをきく筋合いもなければ、おまえの親の言うことをきく筋合いもないのだからなあ」と古河は言うのでしたが、違うはずです。古河が給料もらっていたのは、「大阪市から」であって「国から」ではないのです。教諭ならばそのくらいのことは理解できていないといけないのではないでしょうか。
第二に、なによりも、誰から給料払ってもらっているかにかかわらず、教育というものは「おまえからも、おまえの親からも1円も給料もらってない」としても、だからといって、「国の命令はきかないといけないけれども、おまえやおまえの親の言うことなんか、何ひとつとしてきく義務はないんだからなあ」という認識は小学校の教諭の認識としておかしいのです。「小学校を長期休んでハワイに観光旅行に行ってきたやつが帰ってきた後の試験でそんなに悪い点数ではなく、私より良かったとしても、『〇〇よりも成績ええわ』などと何人もに言いまくるというのは、そういう態度はやめてもらえませんか」と私が親なら言いたいところですが、古河としては「俺はあくまでも国から雇われて給料もらってるのであって、おまえからも、おまえの親からも1円としてカネもらってないのだから、おまえからも、おまえの親からも、俺のやることに文句言われる筋合いはまったくないんだからなあ」と主張するのですが、そういうものではないのではないか。誰から給料もらっているかにかかわらず、「その教諭の『気にいる生徒』が小学校を長期休んでハワイに観光旅行に行ってきて帰ってきた後の試験でそんなに悪い点数ではなく、『気にいらない生徒』よりも点数が良かったとしても、『〇〇よりも成績ええわ』などと何人もに言いまくる」、私にも直接「K藤はハワイに行ってきたけれども、おまえよりも試験の成績いいわ」とわざわざ言うそういう態度は小学校の教諭として好ましい態度ではないのではないか、誰から給料もらっているかにかかわらず「おまえからも、おまえの親からも、どうこう言われる筋合いはまったくない」という主張はそれはおかしいのではないか。さらに言うと、「国から給料もらってる」と古河は言い、実際は「国から」ではなく「大阪市から」なのだが、「国から」であれ「大阪市から」であれ、国や大阪市のカネというのは国民の税金から成り立っているのであるから、国民は税金から給料もらっている教諭の態度について言っていいはずであり、「おまえからも、おまえの親からもどうこう言われる筋合いはまったくない」という認識はおかしいのです。
  YMCA予備校の「主事」の態度を見ると、私立よりも国立・公立の方がいいように思えたのですが、東住吉区のM小学校の教諭だったF河の発言を考えると、国立・公立だと「おまえやおまえの親の言うことなんか、一切、きく筋合いはないんだからなあ」という論理になってしまうので、小学校・中学校も私立の方がいいのか?・・・とも思えてきます。小学校・中学校は義務教育で学費はタダということになっていますので、そうなると、F河が言った「小学校は義務教育だから、おまえもおまえの親も1円もカネ払ってないのだから、おまえもおまえの親も俺のやることにどうこう言う権利はまったくないんだからなあ」という発言のような主張につながりますから、そうなると、「義務教育」というのは、「かえってよくない」のかもしれない・・とも思えてきます。
  シドニー=ブロック・ピーター=レダウェイ『政治と精神医学ーソビエト連邦の場合』(みすず書房)において、《「精神医学」の悪用》が述べられています。もっとも、アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)において、「『精神医学』の悪用とか『精神医学』の悪い治療とか言われて問題とされるものは、実は、それは『悪用』とか『悪い治療』とかではなく、それこそ『精神医学』の『本質』なのだ」と述べており、実際、そうだと私も思いますが、そして、シドニー=ブロック・ピーター=レダウェイ『政治と精神医学ーソビエト連邦の場合』(みすず書房)においてソビエト連邦における「精神医学」について述べられているけれども、それは、チェルノブイリ原発の事故が決して「ソ連の問題」ではなく「原発の問題」であったのと同じく、「ソ連における『精神医学』の悪用」と言われるものは、決して「ソ連の問題」ではなく「『精神医学』の問題」であるのですが、しかし、「ソ連の問題」という面がまったくないわけではなく、それは、ソビエト連邦においては医療費は無料であり、これは、貧乏な人でも医療を受けられるようにということで実施された制度であるのだけれども、身体医学においてはまだいいとしても、「精神医学」においては医療費を「患者」が払わないとなると「医者」「病院」は誰の為に働くのか・・というと、ソビエト連邦の政府から支払われるということは、ソビエト連邦の政権の為に働くことになりやすく、それだけ、「『精神医学』の政治的悪用」は起こりやすい・・ということが述べられている。日本においても、「精神病院」に「入院」している「患者」の費用は家族が支払うか国が支払うかの場合が多く、それゆえ、「病院」「医者」「看護師」は「患者」の為ではなく家族の為に働くか「国」の為に働くことが多い。決して「患者」の味方ではないのです。
政治と精神医学―ソヴェトの場合 - S.ブロック, P.レダウェイ, 秋元 波留夫
政治と精神医学―ソヴェトの場合 - S.ブロック, P.レダウェイ, 秋元 波留夫
それと同様に、公立の小学校・中学校が義務教育で学費は無料となると、F河福三のように「おまえからも、おまえの親からも俺らは1円としてカネもらってないのだから、おまえもおまえの親も俺のやることにどうこう言う権利はまったくないのだからなあ」という小学校教諭の主張につながるのであり、そうなると、小学校・中学校の学費は無料というのは良くないのではないか・・・とも思えてくるのです。これなどは、福沢諭吉が『学問の独立』として、学校は「国」「国家」「政府」から独立したものであるべきで、私立・民間のものとしておこなわれるべきだと言った主張があてはまっているようにも思えます。

  それで、実際に、公立の方がいいのか私立の方がいいのかは、実際は公立か私立かだけで決まるものでもないと思いますし、1980年代、「日本列島をアメリカ合衆国軍のための不沈空母にする」と発言した中曽根売国奴内閣の臨教審委員になっていた慶應義塾 塾長の石川忠雄教授が「国立の場合は東大も京大もどの国立大学も設立母体は『国』であるのに対して、私立大学はそれぞれの大学によって異なる」と発言、私立の場合は、私立だからいいとか悪いとかいちがいに言えない、それぞれ異なると述べたのはその点についてはもっともなところがあります。
  私が北野高校に入学する少し前、大阪府の公立高校の学区がそれまでより一回り小さくなり、その結果、北野高校の入学最低点もそれまでより一回り低くなりましたが、北野高校の先生で「まったく、できの悪い学年やなあ、まったく」と言いたがってしかたない症候群の人がおり、又、「3年前と比べて、進学成績が悪くなっても当たり前ですよ」と発言する先生もあった。
  しかし、たしかに、学区が小さくなる前と比べて入学最低点は低くなったかもしれないけれども、それでも、大阪府の高校では一番成績がいい生徒が入学してきていたはずであり、生徒に向かって「まったく、できの悪い学年やなあ、まったく」といった文句は口にするべきではないと思います。又、「3年前と比べて、進学成績が悪くなっても当たり前ですよ」と言った教諭には、大阪桐蔭学園と履正社学園の経営者の爪の垢を飲ませてあげたいと思うのです。 大阪桐蔭学園なんて私が高校生の時にはなかったのです。大阪商大付属高校大東校舎が元だったか、ともかく、あったかなかったかの高校が今では京大や阪大に何人も通っているのです(スポーツクラスと進学クラスが分かれているらしく、京大や阪大に通る人間と野球で甲子園大会に出場する人間は別人らしく、「文武両道」ではなく「文武分業」のようですが)。履正社学園は、私などが高校生だった頃は福島商業高校と言い、申し訳ないけれども、およそ、大学に進学するような人の行く高校ではなかった。それが、今は京大や阪大に1人か2人通る年がある高校になった。「まったく、できの悪い学年やなあ」「学区が小さくなる前よりも進学成績が落ちたとしても当たり前ですからねえ」という発言は、それは、いわば「親方日の丸」の公立伝統校の教諭やってるから言えることです。大阪桐蔭学園や履正社学園の経営者はそんなこと言ってられなかったはずです。学区が小さくなってそれまでよりも学力が低い生徒が入ってくるようになってもそれでも大阪府の高校では一番難関の高校であった北野高校に比べれば、大阪桐蔭学園や履正社学園に入ってきた生徒の学力はずっと下だったはずですが、それでも、両校の経営者は「企業努力」によって今では京大や阪大に合格者が出る高校にしたのです。北野高校のように黙ってても放っておいても一人で勉強して京大に行くやつなんて入ってこないのですから、それを勉強させて京大や阪大に入れて、そして、京大や阪大に行きたいと思う人間が入学する学校にしていったのです。そういう「企業努力」をする私立の学校に比べて、北野高校の教諭の言っていたことを思いだすと、 「親方日の丸」だったなあという印象を受けますし、私が卒業した年に京大合格者数1位を京都の洛星高校に譲って、その後、1位を奪還して先生は私たちの学年が「できの悪い学年だったから」と生徒のせいにしたが、その後、また、1位を譲って進学成績の低下を招いたのは、単に私立高校には学区がなくて公立高校には学区があるという点が学力のある生徒を集めることができるかどうかという点で不利だというだけではなく、「企業努力が足らない」という事実、進学成績の低下は何でもと生徒のせいにしてしまうという特徴に1つの原因があったのではないか。又、「元大阪一中」という「伝統校」であり、どの大学に行ったかと別に高校が「ブランド」であるということで、「一流大学」に進学しなければ進学させなければ高校の名前はブランドではないという高校の経営者に比べて、その「ブランド」にあぐらかいとったという印象を受けます。今から考えてみると、ろくな教諭いなかったな・・と思います。
ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス) - 三田紀房
ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス) - 三田紀房

  それで・・・、1960年代後半から1970年代初めにかけて、私が小学生だった頃、日教組によるストライキというものがおこなわれました。 公務員にスト権というものは認められるべきかどうか。 公務員といえども労働者である以上は、団結権・団体交渉権とともに団体行動権もまた認められるべきものであるという原則論からいくと、認められるて当然ということになりそうですが、『ジュリスト 判例百選』(有斐閣)で、公務員のスト権制限は違憲ではないという判決を出した裁判官の理屈を見ると、民間企業と違って、もしも、公務員にスト権を認めたならば、はてしなくストライキをおこない、賃金交渉においても、国民の税金からはてしなく高額の賃金を公務員が取得することにもつながる・・といったことが述べられており、又、実際に法務省に派遣で勤めた時の経験から言うと、全法務労働組合の先従の組合役員なんて、あんなもの、単なる利権団体でしかないのであり、実際、あいつらにスト権なんて無制限に認めたあかつきには、はてしなくストライキやって国民の税金からはてしまく高額の給料盗るということをやりかねない、あいつらならやるだろうという印象を受けます。法務省では、部落解放同盟の人が、過去に部落差別があったということから、あまりにも利益を受け過ぎているといったことから、それを減らす説明会を実施したりしていましたが、過去に差別というものがあったとしても、それを理由として利権を取得して、その度合いがあまりにも大きいとなると、かえって問題があるという場合も出てくるのでしょうけれども、全法務同労組合のおっさんどもを見ると、彼らも単なる利権団体でしかないのではないか、労働組合と言うに値しないのではないのか・・という印象を受けます。
  それで、日教組ですが、日教組は教職員の労働組合ですから、労働組合として存在し団体交渉するのも合法ですが、ストライキについてどうであるかにかかわらず、現実に日教組はストライキをおこなっていたのですが、その際ですが、生徒は学校に行く必要はあるのか? ・・・て、考えたことありませんか?

  最近はストライキをする労働組合が本当に少なくなりましたが、プロ野球選手会が2004年にストライキをおこないましたが、その際、プロ野球選手会は「選手はストライキをして球場で野球はしないけれども、観客は球場に来てスタンドにいるんやで」なんて言うかというと、言いませんし、選手が野球やらないのに球場にお客さんが来るかというと来ません。
  それに対して、1960年代後半から1970年代初めにかけて、日教組がストライキをやった時、大阪府の北摂地区の市立小学校の担任の教諭Hは「ぼくらはストライキだから学校には来ないけれども、きみらは休みとは違うねんで。きみらは学校に来て自習するねんで」と言い、「学校に出る先生もあるから」ということでしたが、日教組が学校に出る先生と出ない先生を分けてストライキをおこなっていたのか、そうではなく、日教組に加入していなかった先生が何人かいて、加入していない先生が生徒が自習しているかどうかの監視というのか見張りをしていたのか、後者ではないかと思うのですが、どちらにしても、先生が学校に来ないのに、なぜ、生徒は学校に行って自習しなければならないのか? プロ野球選手会のストライキでは、選手が球場で野球をしないのに観客にはスタンドに来てくれとは選手会は言わなかったのに対して、日教組はなにゆえに生徒に学校に来て自習しろと言ったのだろうか? 先生がわずかしか来ていない学校に生徒に来させて、そこで何か事故があったら日教組が責任をとるのか、それとも、ストライキを実行するに至った責任は使用者側にあるとして、「国」なのか「市」なのかに責任があるというのか。どちらに責任があるとしても、わずかしか先生が来ない学校に生徒に来させて、そこで何か事故があったらどうするか・・、それなら、むしろ、学校には来ないで、ストライキの間は自宅学習とした方が良かったということはないのか?
  ・・・これ、大学ならば、もしも、先生が「先生はストライキで来ないけれども、きみらは大学に来て自習するんやで」なんて言っても、そんなもの、誰も来ませんよ(^^♪ ・・1980年代、慶應大学の三田の講義で、5月4日は今では「国民の祝日」になったけれども、その頃はそうではなく、憲法記念日と子供の日の間の日であって、それで、教授が「毎年、5月4日に講義やっても、私だけが大学に来て、学生はだ~れも来ないのよ。あほらしいから、もう、最初から休講にしようと思うんだけど、それでは嫌だという人、いますか。いないでしょ。どうしても、やってほしいというならやりますけど、誰も学生が来ない教室で私だけ来て講義するの嫌なんですよ。休講でいいでしょ」と言われて休講にされたことがあったのだが、連休の間の日なんてのは先生の方が大学に来て講義しても学生の方が来ないくらいだから、もしも、大学の先生がストライキをやって大学に来ないということがあって、「学生は大学に来て教室で自習してください」なんて言っても、誰も来ないでしょう。・・・それを、なんで、小学生は先生がストライキをやって学校に来ないのに生徒の方は学校に来て当たり前という発想になるのか? 少なくとも、「当たり前」という認識は不適切ではないのか?・・・と最近になって思うようになったのだ。・・そう思いませんか?
  その学校に行っても先生が授業をするわけではない学校に行く理由はどこにあるのか? 生徒に学校に来いと言うからには先生も学校に来て授業をするべきだし、先生がストライキを実行するのがそれがいいかどうかと関係なく、現実にストライキを実施して授業をおこなわないのならば、授業をおこなわない学校に行く理由はないのではないだろうか。当たり前みたいに「ぼくらはストライキだから学校には来ないけれども、おまえらは休みじゃないんやで。おまえらは学校に来て自習するんやで」と小学校の担任の教諭Hは言ったのだったが、そうだろうか? 先生が授業しないような学校に行く必要ないのと違うのか? ストライキは終わったとなった時に連絡して、明日から授業を再開しますから来てくださいと言えばいいことではなかったのだろうか?

  それと似たことを、1970年代、大阪府立北野高校の入学式で経験したのです。入学式って何をやるのかというと、実際のところ、「たいしたことやらない」のですが、ともかく、校長先生が顔を出して、私が校長の誰それですと挨拶をして、クラス分けが発表されたのが入学式の日だったかそれより前だったかは忘れたが、1年の各クラスの担任が前で順番に立って、「何何先生は◇◇(数学・英語・国語・生物・体育など)を担当される先生でが何組の担任です。」と校長からだったか紹介されるという行事でした。親は入学式には参加しても参加しなくても良かったのですが、せっかく、息子もしくは娘が入学したのだからと、又、中には自分も北野高校に行きたかったが行けなかったのを息子が行ったという気持の人もあったかもしれませんが、勤め先は有給休暇を取って休んで息子・娘の入学式に行く人がけっこう多かったようです。
  私のクラスの担任の先生は出席されて顔を見せていただきました・・・が、クラスの担任を持っていたにもかかわらず、入学式に休んだ教諭が1人いたのです。高校の教諭といえども生身の人間であり、教育労働者といえども労働者であり、入学式の日といえども、誰しも体調を崩すことだってあるかもしれませんし、家族が急病になることもあるかもしれませんから、そういった理由で入学式を休むことになった・・というのなら、責めるわけにもいかないと思います・・・・が、旧姓作野礼子教諭(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は「海外旅行に行かれてまして、お休みです」・・・ということだったのです。はあ? 「海外旅行に行かれてまして」だって??? はあ???
  昨年から、コロナウイルスなるものの影響で海外旅行や海外から日本への旅行が難しくなりましたが、それまでしばらくは海外旅行というのは比較的行きやすかったのですが、私が小学校の低学年だった頃、1960年代後半くらい、テレビで、関西では「4」チャンネルだったと記憶しているのですが、日曜夜に「アップダウンクイズ」という番組があって、「10問正解で夢のハワイ旅行♪」と小池清さんというアナウンサーが言っていたのです。1960年代においては「ハワイ旅行」というのは「夢のハワイ旅行」だったのです。「アップダウンクイズ」ではそのうち、「夢の」とは言わなくなり、さらにそのうち、番組そのものがなくなりましたが、そんな感覚だったのです。ダイヤモンド社から『地球の歩き方』シリーズが発行されたのは1980年くらいからだったように思います。私が北野高校に入学した1970年代なかばでは、まだ、海外旅行というのは誰もが普通にやるものではなかった。高校2年の時、「世界史」のK教諭が「ロゼッタ石(ロゼッタストーン)」について「きみらの中にも、ロンドンに行った時に大英博物館に行って、『ああ、あそこにあったわあ』とか思ってる人いるかもしれませんけど」とお話になった時、それは冗談で言われているのだと私は思ったもので、私が高校生だった1970年代後半においては、ロンドンに行って大英博物館を見学するというのは、誰もが簡単にやることではなかったのです。ですから、「海外旅行に行かれました」というのは、それは、片方で「さすがに北野高校の先生だけあって、海外に旅行して見聞を広めようという進取の気質を持ち合わせておられる」と思える面も「ないことはなかった」のです・・・が、そうか? そう解釈するものか???
  結論を言うと、「ち~が~う~だ~ろ、このボケぇ! 違うだろ、違うだろ、違うだろお~お!!!」と言うべきものでしょう。
※ 《YouTuve-このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ!》https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4
( 「お~、こわ」↑・・・、東大に行ってもこんな怖いおばさんになるようでは・・と言っても、別に東大に行ったらこんな「怖いおばさん」にならなきゃならないことはないはずなのだ。又、こういう「自動車のトヨタよりも有名、プロレスラーの豊田よりも狂暴」な「怖いおばさん」タイプでなければ東大に通らないというものでもないはずだ。)
※ 《ウィキペディアーロゼッタストーン》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%BC%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3
  「海外に旅行に行かれてまして」と校長先生が説明されたけれども、高校教諭としての研修で海外に行くようなものがあって、それが入学式の日と日程が重なっていたというわけではないのです。 又、個人的に海外に旅行に行ったとしても、「世界史」の担当の先生や「地理」が担当の先生が自分が教えている科目と関係がある場所を見学に行ったとか、「音楽」を担当の先生がベートーベンの暮らした地を訪ねてきたとか、ヨーロッパの本場の歌劇場を見学してきたとかそういったこととは違うのです。ソニーの前の社長だか会長だかは東京芸大卒の元声楽家でゲルハルト=ヒュッシュから学んだそうで、何の雑誌だか忘れてしまったが、「ヒュッシュ先生が言われたのは《シューベルトの歌曲集『冬の旅』を歌いたいと思ったなら、まず、冬のドイツに行きなさい。冬のドイツのあのどんよりとした空を知らずに『冬の旅』は歌えません》ということでした」と述べていたのを読んだことがありますが、「音楽」の先生がその「冬のドイツ」を体験しようと思ってドイツに行ったとか、そういうものとは「違うだろ、違うだろ、違うだろお~お!!!」。単なる観光旅行やろうが!
※ 《YouTuve-ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (シューベルト)「冬の旅」 から ”おやすみ”” 1966》https://www.youtube.com/watch?v=dKdiPutcGM4
「単なる観光旅行」であったとしても、「見聞を広める」のはいいことだろうし、たとえ、担当している科目とは関係なくても、これからは海外に行ってみる経験を持つべきだと生徒にも教えたいと思っている人が自分自身も海外に旅行してみる経験を持とうというのも悪いことではないだろうし、高校の「国語」では「漢文」は中国と関係あっても「現代国語」で扱うものはほとんどが日本の文学者・哲学者の小説・評論であって海外の文学を扱うことはほとんどないのですが、それでも、文学・評論・詩を扱うからには海外のものもある程度は学んでおきたいと「国語」の教諭が考えるならそれは間違いではないはずで、ツルゲーネフとかドストエフスキーとか、カミュとかアンドレ=ジッドとかロマン=ロランとかイプセンとかそういった人々がどういう場所で育ったのか、その場所に行ってみたいと考えるならそれは悪いことではないでしょう。パリのモンパルナス墓地にジャン=ポール=サルトルの墓があって私は行ったことがありますが、墓参りしたから何があるかというと別に何もないけれども、行ってみて悪いことはない・・と思う。ロンドンのハイゲート墓地にカール=マルクスの墓があり、うかつに行くと「危険思想の持主」とかチェックされるか?・・というと別にそんなことはなく、行ってみると、イギリス人の家族連れとかグループ連れが次々とやってきて前でポーズとって記念写真とっていく、完全に観光地になっているのだが、カール=マルクスの遺骨はドーバー海峡に撒いたのと違ったのか・・とか思ったりもしたが、「墓石」には「これまで、哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけである。しかし、大事なのは、それを変えることである」というマルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』(フリードリヒ=エンゲルス『フォイエルバッハ論』大月書店 国民文庫 所収)の最後の文句が書かれているのだが、それを見に行ったからだから何だというと別に何もないのだけれども、「政治経済」とか「世界史」とかの先生がハイゲート墓地に行ってみるとかいうのは、そこに行ったからだから何があるというものでもないとしても、行って悪いことはないと思う。「美術」の先生なら、ルーブル美術館とか行ってみたいのではないかと思うし、行ってみるべきだし、建築もまた「美術」の一分野と考えるなら、アメリカ合衆国のフランク=ロイド=ライト設計のカウフマン邸(落水荘)とか、イタリアのミラノ大聖堂とかちょっと前に火事がいってしまったパリのノートルダム大聖堂とか見学に行ってみるべきだと思う。イタリアのポルトフィーノの岬は、かつて、フリードリヒ=ニーチェがそこで思索にふけり、『ツァラトゥストラはこう語った』を執筆したと言われる場所らしく、一度、行ってみたいと思っているうちにコロナウイルスとかいうやつが蔓延してきたのだが、「倫理社会」の先生とか「国語」の先生とか「世界史」の先生とか、あるいは「音楽」の先生とかが行ってみようと思って行くのは悪くないと思う。シャンソンなんてのも「音楽」の一分野であると考えるなら、「パリの空、セーヌは流れる」なんて歌を理解しようと思ったら、シテ島・サンルイ島に行ってそこからセーヌ川を見てみるべきで、サンルイ島に行ってそこを歩いた経験なしに「パリの空、セーヌは流れる」なんて歌をうたうのは僭越ではないかという感じがするし、「枯葉」という歌がシャンソンの代表曲のように言われるが「枯葉」はフランス映画の『夜の門』の中でイブ=モンタンが歌った曲であり、それを考えるなら、パリには一度は行って見るべきでしょう。「現代国語」でとりあげられる作品は小説・評論・詩のうち、「現代国語」の教科書ではその3分野がとりあげられるが大学入試では詩の分野は出題されることは少なく、私が受けた頃、1970年代後半から1980年代初めにかけて、共通一次試験の「国語」は「現代国語」から文学・小説の分野から1題、評論の分野から1題の出題で古文が2題・漢文が1題、東大の二次試験の「国語」でも文科は「現代国語」から2題で文学・小説の分野から1題、評論の分野から1題、古文が2題・漢文が1題だったと思う。そこに出題される文学・小説の分野にしても評論の分野にしても、日本人が書いた作品が出題され、ツルゲーネフとかイプセンとかアンドレ=ジッドとかジャン=ポール=サルトルとかの小説の翻訳が題材として出題されるということは私は見たことがない。評論分野も日本人が書いたものが題材として出題された。しかし、日本人が書いたものでも、たとえば、私が高校1年の時に使用した「現代国語」の教科書の最初の方に遠藤周作『聖書の中の女性たち』から「ヴェロニカ」の話が掲載されていたが、ヴェロニカの話は日本聖書協会訳の『福音書』を見ても、塚本虎二訳のものでも前田護郎訳のものでも見当たらないが、カトリックの方で伝えられている話らしいが、イエス=キリストが十字架を背負わされてゴルゴタの丘まで歩かされた時、カトリックではイエスは3度つまづいたとされ、苦しむイエスの姿を見て、罵詈雑言を浴びせる群衆の中から飛び出していってイエスの汚れた顔を布でぬぐった女・・がヴェロニカだったといい、ルオーはその絵をよく描いたらしい。イエスがそこで何をした・・ということになっている場所というのは実際にそうだったのかどうかはわからない、遠藤周作も感心していた嫁さんに「『義経が兜をかけた松』みたいなもんですよ」と言って嫁さんのせっかくの夢を壊してしまった・・ことがあったらしいが、「ゴルゴタの丘」にでも行ってみようか・・というなら悪いことはないと思うのだ。ゴルゴタの丘に行って、後ろのおっさんに向かって「俺の背後に立つんじゃない」と・・・言わなくてもいいとは思うが、行ってみて悪いことはない・・と思う。
※ 《YouTuve-ツァラトゥストラはかく語りき」 “Also Sprach Zarathustra” Einleitung (ジュゼッペ=シノーポリ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)》https://www.youtube.com/watch?v=lXKox3LfO-Q
  ・・・そういうことで海外旅行に行ったというのであったとしても、何も入学式の日に行くことないのじゃないか。有給休暇というものは労働基準法において「使用者は取得させないといけない」ことになっているものであり、会社によっては「有給休暇取得申請書」などという用紙・書式が用意してあって、そこに「有給休暇を取得する理由」なんて欄があったりするのだが、私が勤めたことがある会社では(株)エイブルhttps://www.able.co.jp/ ではそういう欄があったのだが、有給休暇を取得するのに「有給休暇を取得する理由」なんてものは必要ないのである。但し、使用者はいついかなる時でも従業員から有給休暇を取得したいと言われたなら取得させないといけないのかというと、そういうことではないはずで、業務が特に多忙である時期に有給休暇を取得したいと言われた場合には、他の時期に取得するようにしてもらえないかと言って悪いことはないはずなのだ。特に業務が多忙である時期だけれども有給休暇を取得して休みたいという場合には、たとえば、兄弟の結婚式なので出席しないわけにはいかないとか、その会社で従事している仕事において必要とされる資格試験の試験日であるからとか、そういった「理由」が求められる場合はあるとしても、有給休暇を取得するということには特に「取得する理由」などというものは必要ない。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ などは営業本部長のA野隆夫が週休日の前日に「なんで、休みの日に休むんだ」などと発言したことがあったが、そういう労基法違反の不良企業にばっかり勤めてきた者としては、公立高校の先生なんて、「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ、長嶋はあ」て言いたくなる。
  だいたい、高校の先生て、夏休みが2か月ほどあり、春休みも2か月ほどあり、冬休みは2週間ほどあり、日曜の休日出勤なんてないし、土曜は半ドンだし、私が勤めた戸建住宅建築業の業界などは日曜は出勤で週休日は水曜日であり、そういう「日曜出勤で週休日は水曜日」という会社では「国民の祝日」は当たり前みたいに出勤であるのに対して高校の先生というのは「国民の祝日」は当たり前のように休みであったはずなのだ。もとから、私らみたいに労基法違反の不良企業・ブラック企業・反社会的勢力企業に勤めてきた労働者とは全然違うのだ。海外旅行に行きたければ、ドカンと休みになっている夏休みとか春休みとかに行けばいいことのはずなのだ。なぜ、よりによって入学式の日に有給休暇とって休んで海外旅行に行かなきゃならんのだ???・・・・とも考えたのだが、おそらく、4月の最初、入学式がある頃というのは、海外旅行に行く場合の費用は夏休み・春休みや年末年始の冬休みなどよりも安いのでしょう。だから、入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行ってそれを自慢しやがったのだ!!! 自分が担当している科目と関係がある内容の場所を見学に行くためではなく、全然関係ない海外旅行のために入学式の日に有給休暇とって休みやがったのだった。
  旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」「私は家が貧乏だったから」とそれを自慢にしまくっていたのだが、「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」というのは本当のことのようだが、「家が貧乏だったから」というのは大嘘である。私なんか、神戸大の文学部なんてたとえ行きたいと思っても受けたいと思っても絶対に受けさせてもらえなかった。「うちは文学部になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたものだった。「うちは学校の先生になんか、ならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたものだった。「たとえ、学校の先生になるとしても、英語か数学の先生でなかったらなってはいけません。英語か数学の先生でなかったら家庭教師のアルバイトはできません。たとえ、学校の先生になるにしても、英語か数学以外の先生はなってはいかん」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたものだった。旧制作野礼子は「私は家が貧乏だったから」とか何度も何度も言いまくり自慢しまくってきたのだが、なんで、その「家が貧乏だった」という女が神戸大の文学部なんて行ってるんだあ??? なんで「家が貧乏だったから」と自慢しまくってきた女が「高校の先生」なんてものになってるんだああ??? なんで「家が貧乏だった」と自慢しまくってきた女が「高校の先生」になるだけではなく「英語か数学でない科目の先生」になんてなってるんだあ? なんで休みの日に家庭教師のアルバイトやらずに海外旅行になんて行ってるんだあ??? 結局、「私は親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのは本当らしいが「家が貧乏だったから」というのは大嘘であって、実際は大金持ちだったということのようだ。嘘言いやがってからに、こんちくしょう! その大金持ちの女にしては、観光の海外旅行に行くのに、夏休み・春休みに行けばよさそうなのに入学式の日に有給休暇とって行った方が安いからと入学式の日に有給休暇とって行きやがってからに。大金持ちのくせしてやることがセコイ!!!

  だいたい、なんで、入学式の頃は海外旅行の費用が安いかというと、その頃というのは学校は入学式の頃で会社も新卒新人は入社したばかりの頃であって、そういう時期には休みは取りにくいから、だから、海外旅行に観光で行く人は少ないから安いのだ。世間一般の会社では、入社式の日に有給休暇とって海外旅行に新入社員が行こうと思ってもまだ入社したばかりの新人には有給休暇はないが、2年目の従業員にしてもそんな時期に有給休暇とって海外旅行に行ったとするといいようには思われないはずだ。又、新卒社員研修の講師役に任命された従業員が研修を受ける側の新卒社員は来ているのに、講師役の方が有給休暇とって海外旅行に行くか?・・というと普通は行かないはずだ。なんで、北野高校の運営者は普通の会社員なら海外旅行に観光で行きたいからと言ってもそんな理由でそういう時期に有給休暇を取得するのはやめてくださいと言われるようなことを認めているのか。校長は「有給休暇を取得して悪いことはないけれども、入学式の日ではなく他の日にしてもらえませんか」と言っていいはずなのだ。なんで、言わないのか?・・・と思ったのだが、「言ってもききよれへんかった」のかもしれん。だから、そうでなければ、実際には、たとえば、(株)一条工務店 で某所に勤務していた時、ある業者に電話したところ、「社長は研修で出張しております」と電話にでた社長の嫁か? と思われる女性から言われたのだったが、たぶん、あれは「女 買いに韓国にでも行きよった」のだろうなと思ったのだが、それを工事部の人間に言うと「私もそう思う」と言い、誰もが「ははあ~ん・・・」と思ったのだったが、そんな感じで「研修できょうは休んでいます」とか「出張中です」とかなんかそういう言い訳を言うものだが、「作野先生は只今、海外旅行に行かれてましてお休みです」と、そのまんま「直球」で説明された・・・・ということは、校長もいいようには思ってなかったということ・・かな・・とも考えられる。

  それで・・だ。高校の先生が有給休暇をとって観光の海外旅行に行って出てこないような入学式に生徒が出席する必要はあるのだろうか? 高校の先生が有給休暇をとって入学式を休んで観光旅行に行っていいのなら、生徒だって有給休暇とって観光旅行に行って入学式を休んでもかまわない・・ということにならないか?  親は自分の勤め先を有給休暇とって休んだ上で、高校の先生が海外旅行に行って出てこないような入学式に出席する必要があるのであろうか? ・・どう思いますか?
  小学校で日教組がストライキをやった時、小学校の先生のストライキは憲法に保障されている団結権・団体交渉権・団体行動権のうちの団体行動権であり、教育労働者といえども公務員といえども認められるべきものだ・・・と考えるとしても、先生が学校に出てこない小学校、実際は日教組に入っていない先生というのが何人かいて、その先生が「お留守番」みたいにして各教室を順番に見て回っていたとしても、本来、そんな人数で見ることができる生徒数ではないはずですから、先生がストライキをおこなうのは間違っていないと考えるとしても、先生がストライキをやって来ていない小学校に生徒を行かせるべきなのか? 日教組に入っていない先生というわずかな人数しかいないような危なっかしい学校に小学生を行かせて大丈夫なのか? 大学生なら絶対に来ないだろうと思われるものに、小学生なら来るだろうから来させればいいという発想はいいのか・・・という問題もあったのですが、似ていると思うのですが、担任を持っている先生が観光の海外旅行に行って休んで出てこない入学式に生徒は出ないといけないものなのか? 先生が有給休暇とって観光旅行に行って入学式を休んでいいのなら、生徒だって観光旅行に行って入学式を休んでもいいのではないのか? 先生が有給休暇とって観光旅行に行って出てこない入学式に、なんで親は自分の勤め先を有給休暇とって休んで出ないといけないのか? 自分の勤め先を有給休暇とって休んで入学式に来ている親もいるのに、先生の方が有給休暇とって休んで観光の海外旅行に行くというのは、それは失礼ではないのか?!? ・・・あなた、そういうこと、考えたことない~い???

  結論を言うと、やっぱりおかしいと思いますよ。 戸建て住宅建築業の仕事に長くついてきましたが、営業担当者がお客様と打合せをしましょうと約束しておいて、その約束の日に観光の海外旅行に行きましたから、お客さんだけで打ち合わせやってください・・なんてそんなこと言うかというと、言わない。ふざけんな! という話になる。 海外旅行に行って悪いということはない、観光の旅行に行って悪いということはないが、カネをもらう側の人間が観光の旅行に行くのならば、カネを払う側の人間との打ち合わせをおこなうのは他の日に設定するべきです。 高校もまた、この日に入学式をおこないますから来てくださいと言ったのならば、実施する側の教諭は自分が急病か家族が急病かでない限りは出席するべきであり、人にこの日に入学式をおこないますから出席してくださいと言って出席させておきながら、実施する側の教諭が観光の旅行に行っていないというのは、それは失礼です。それは社会人としてその態度はおかしいのではないか。

  その頃は、「コロナウイルス蔓延の少し前くらい」とは違って誰もが海外旅行に行くわけではない時代で、観光の海外旅行でも行こうという人は「金持ちだから行く人」でなければ「進取の気質」がある人であることが多く、北野高校の校長が卒業式の時の挨拶で「これからは、外国とのかかわりが大きくなっていく時代ですから、まず、語学をきっちりと習得するようにしていだたきたい」といった話をされたのだが、それを聞いて、外国とのかかわりというものを重視するのならば、語学よりも近現代史をきっちりと学ぶ方が重要ではないのかと思ったのだが、それも一理はあるのだけれども、実際に外国に行ってみると日本語が通じる所というのは5つ星の高級ホテルくらいであることが多く、外国に行って外国の道を自分の足で歩いてみようと思えば、外国人と少しでも話せればと思えば、英語だけでもきっちりと学ぶべきで、できれば、英語+もう1か国語をきっちりと学んである程度使えるようにできればというもので、それは近現代史を学ぶのとどちらが大事かといえば、どちらも大事であり、別の性質のものだと思います。外国語を学ぶには、特に「聞く」「話す」能力を身に着けるには実際にその言語を話す人がいる国・場所、それも、できれば日本語は通じない場所(ハワイのワイキキみたいな所に行くと日本語で通じてしまうので英語の学習にはあまりならない)に行ってみるというのは有益で、そして、「実際に外国に行ってみる」というのはそれは見聞を広めることになり、いいことだとは思いますが・・・・、だからといって、入学式の日に有給休暇とって行くバカはないだろうが!!!・・というものだ。
  このバカ女症候群 なんとかならんもんか・・・と思うが、何よりも「本人に病識がない」という点が問題だ。本人は、それを自慢にしていて何か悪いことやったとはちっとも思っていない。 「なんで、休みの日(週休日)に休むんだ」とか営業本部長が言うような会社に勤めた者としては、夏休み・春休みがそれぞれ2か月ずつくらいあって、冬休みも2週間ほどあり、「国民の祝日」もきっちり休みで、休日出勤なんてないし、朝は2時限目からしか自分が担当の科目はないとなると1時限目は休みにして、6時限目は担当の科目はないとなると5時限目で帰ったりしている人が、なんで、入学式の日にまで休まないといけないのか・・・という感じがする。だいたい、旧姓作野礼子は1時限目に自分が担当の科目の授業がなければ2時限目から出勤したりしていたが、非常勤講師の人ならそれでもいいのかもしれないが、非常勤ではなく常勤で担任も持っている教諭は1限目に授業を持っていなくても1限目が始まるより前から出勤するべきではないのか?
   2年の時だが、朝1限目が体育で、2時限目から出席した日があったのだが、十三(じゅうそう)駅から学校に向かって歩いていると、

後ろから旧姓作野礼子が来て「〇〇くん、1時間目は遅刻なの」ととがめるのだった・・・が、ふと思ってのだが、こちらが遅刻なら、そちらさんも遅刻と違うのか? なんか、自分はまったく悪くないみたいな言い方をされるが、もしも、旧姓作野礼子が校内にいて、校内に入ろうとする生徒に言うのならわからないことはないが、その時、旧姓作野礼子は十三駅と北野高校の間の道で私よりも後ろから来たのであり、私より後から出勤してきた女が「〇〇くん、1時限目は遅刻なの」て、あんたはどうなんや、あんたは!!! という文句を平気な顔して言うのだったが、あれはおかしいのではないか? ・・・と。 そう思いませんか? 旧姓作野礼子としては、自分は1限目には授業を持っていないから2時限目に間に合うようにいけばいいのだと思っていたようですが、そうだろうか。 「学校の先生」といっても、「小学校の先生」と「大学の先生」は違いがあり、「大学の先生」の場合は自分が担当している講義には出ないといけないが、講義をもっていない時間にはどこにいてもいいことになっているのではないかと思う。 慶應は日吉と三田にキャンパスがあって、日吉と三田で講義をもっている先生もあり、他の大学の講師もやっているという先生もあったし、講義をもっていない時間は大学にいないといけないということはないのではないか、裁判官が自分が担当の法廷の時間は裁判所にいないといけないがそうでない時間はどこで仕事をしてもいいと認められているようなものではないかと思う・・・が、小学校の先生というのは授業は1限目から6限目まで1人の先生が担当するから学校にずっといないといけないことになるが、中学校・高校の先生の場合は自分が担当の科目の授業がない時間というものがあるわけだが、それでも、「大学の先生」のように講義を持たない時間はどこにいようが自由というものではなく、「中学校の先生」「高校の先生」というものは、「担当の科目を教える」だけではなく「生徒のめんどうをみる」のも仕事のうちのはずで、自分が担当の科目の授業が1限目はなかったとしても、それでも1限目が始まるより前から高校に来ているようにしないといけないものではないのだろうか? なんか、自分は1限目に授業をもっていなければ2時限目からいけばいいのだと自信もったような言い方で言うのだったが、あれは違うのではないのだろうか。
  ・・・そして、「なんで、1限目が体育だったら出ないの」と言うのならば、懇談でうちの親と会っているのだから、その時に言ってくれればいいのにと何度も思ったのだが、懇談の時になると、なんでも完全に親の側について親に同調して機嫌をとる女だったのだ。
  
私は「文武両道型の文治派」であり「フォアグラ型文治派」の人間とは違って、ある程度は体育をやらないと体調がよくないのだ。加藤裕治『弁護士をめざして 56歳からの挑戦 司法試験一発合格』(2014.5.5.法学書院)によると、50代で司法試験合格をめざして学習を始め合格した加藤裕治氏は、30歳頃からランニングを始め、1日7キロ前後を毎日走っているそうで、試験合格には体力と体調管理が必要だと考え、司法試験合格を目指して学習を続けた間もそれを続け、又、テニスもやった・・らしいが、この本を読んでると、やりたきゃやってもいいけれども、試験合格のための体力維持ということから考えると、あんた、ちょっとそれはやり過ぎとちゃうかあ・・て感じがしないでもないが、「琴バウアー」と一緒でそれがこの人の「ルーティン」だったのかもしれない。それが「ルーティン」になっていない人にとってはなんでそんなものやるんだというものでも、それが生活の「ルーティン」になっている人にとっては「少な目にする」のならともかく「なくしてしまう」と、その分の時間が節約されるのではなくかえって「体調崩す」というのか「生活のリズムが崩れる」ようなところがある・・が、それにしても、1日7キロ走るというのは、それは陸上選手ならともかく試験合格のための体力づくりなら「やり過ぎちゃうかあ」て感じがしないでもないが、「作家で精神科医」の なだ いなだ がどこかで書いていたのだが、「ストレス解消のために」といって座禅やったり写経やったりクラシック音楽を聴いたりスポーツをしたりとかする人がいるのだが、やって悪いことはないけれども、はたして、それらは「ストレス解消」に本当に役立つものなのか、実際は「ストレス解消」を口実にしてそれぞれの人間が自分がやりたいことやっているだけと違うのか?・・といったことを書いていたのを読んだが、「試験のための体力づくり」とか言ってスポーツやってる人というのも、それは、もしかして、やりたいからやってるだけと違うのか?・・みたいな人というのもいる。しかし、実際問題として、世の中には「フォアグラ型文治派」みたいな人というのもいるようだけれども、自分自身について「文武両道型文治派」と認識している者としては、そのスポーツが上手いか下手かといったことは別として、「フォアグラ」みたいにされたら成果が出るかというとそうではなく、ある程度は体を動かす時間を持つようにした方がうまくいくように思うのだ。これは高校生くらいの時もそうなら、その後、30代になっても40代になっても50代になっても変わらない。
〔知らない方のために説明すると、「フォアグラ」というのは、鴨だかガチョウだかを土の中に体の下半分を埋めて動けないようにした上で大量にエサを食わせることで病的に肥大した肝臓のことで、それが””美味””だそうで、トリュフ・キャビア・カラスミとともに「世界三大珍味」のひとつとされる・・て、ありぁ「三大珍味」のわりに4つあるがな・・て、どっちにしても、そんなもの、『美味しんぼ』にでてくる美食倶楽部の海原雄山とか大金持ちで食通の京極さんとか大原社主とか二木財閥の娘とか成金の誰それとかそういう人が食うものであって無産市民が食うものではないので、昔、「赤旗の歌」というのがあって「卑怯者、去らば去れ、我らは赤旗守る~」という歌の替え歌で「民衆の旗、赤旗は~」を「民衆の足、国鉄は~」と替えて「金持ちは~飛行機に~乗るぞ、我らは国鉄に~♪」というのがあったらしく(インターネットで検索すると「民衆の女、パンパンは~」なんてのもあったと出ているが・・)、「金持ちは~フォアグラを~食うぞ、我らは牛丼を~♪」みたいなもんだ・・。フォアグラなんてキャビア・トリュフ・カラスミとか丹波産松茸とかとともに私ら食べたこともないし死ぬまで食うことはないだろう。『美味しんぼ』には丹波産松茸がこれまで採れていた所で採れなくなったとか出ていたが、たとえ丹波産松茸が絶滅したとしても実際問題としてもともと食ったこともなければどのみち死ぬまで食うこともない私らには何の関係もない。・・ともかく、そういうもののこと、「フォアグラ型文治派」というのは鴨だかガチョウだかを体の下半分を土に埋めて動けないようにしてエサだけたらふく食わせるようなそういう生活を送ると成果がでるかというと、私なんかはうまくいかないのだが、世の中にはそういう生活をするとうまくいくというタイプの人もいるらしく、そういうタイプの人のことだ。〕
弁護士をめざして56歳からの挑戦―司法試験一発合格 - 加藤 裕治
弁護士をめざして56歳からの挑戦―司法試験一発合格 - 加藤 裕治
  だから、高校ならば体育の授業くらいは出たいのだったが、1限目が体育だと「高校は勉強する所であって体育する所とは違いますでしょ。1限目が体育なら1限目は出なくていいでしょ。甘ったれなさんな」と母は言って私は家から出してもらえないのだ。うちの母親は「私は血圧が」「あ、私は心臓が」とか言いまくる女だったけれども、そういうのを見て弱弱しいと思う人もいるようだったが、ところが私に対してはそうではなく「高校は体育する所とは違いますでしょ。体育の授業は出る必要ありませんでしょ」と言ったら断固として家から出してもらえなかったし、けっこう力強いですからね。旧姓作野礼子は担任ならば、担任の教諭としてうちの親になんで言ってくれないのか・・と何度も思ったものだったのだが、そんなもん、親にそんなこと言って親の機嫌を損ねて教諭としての評判落したのではあほくさい、あくまでも悪いのは生徒ということにしておけば親は喜んで、うちの親みたいに「ええ先生やで、作野先生は。さすがに北野高校でてはるだけあってエライであの人は。女でも神戸大でてるだけあってしっかりしてはるで、あの人は」とか言いまくり称賛しまくり、悪いのは息子だということにするわけで、旧姓作野礼子はそう思うものだから、懇談で親とあっても絶対に親には言わないのだった。つくづく卑怯なやつだと思う。 「両親が離婚した」ならああいう女になるということだろうか?・・「両親が離婚した」人でも様々な人がいるわけで、「人によって違う」ように私は思うのだが””「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」と、普通、そういうものを自慢するかあ?・・ということを自慢しまくらないとおれない女シンドローム”” の女は自慢しまくるのだった。今でも「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というあの女の言う文句が耳元でわんわんうなっているのだが、なんか、変なこと自慢するやっちゃなあ・・・と思う。

  最近では、高校の入学式・卒業式というものを「君が代」礼賛式みたいにされてしまっているようなところがあるが、もしも、「君が代」礼賛式のようなものには出席するべきではない、そのようなものには高校の教諭というものは知識人として出席してはならないのだと考えて、そういう理由から出席しないということなら、それもひとつの考え方であろうと思う。しかし、夏休み・春休み・冬休みと長期の休みがあらかじめあって、「国民の祝日」も休めて、休日出勤なんてまったくない、1日あたりの勤務時間も短いというそういう仕事の人が、わざわざ、観光旅行に行くために入学式を休むというのは、それは、それだけ、その仕事に対する熱意がない、最初から、「東京海上火災に勤めるよりも高校の教諭の仕事をやりたい」「東京海上火災に勤めるよりも文学を学び教える仕事につきたい」という気持から「国語」科の高校教諭についたのではなく、「休みが多い仕事だから高校教諭の仕事についただけ」の人だった・・ということだろう。
  もうひとつ、北野高校の教諭で「大学はどこに行っても変わりはない」とか言いたがる人がいたのだが、そして、旧姓作野礼子もそういうことを口にしたことがあったのだが、旧姓作野礼子の場合は、北野高校の卒業生として、京大・阪大や東大に行った人が周囲にいるにもかかわらず自分は神戸大だからそういうことを言いたいということもあったようだが、それだけではなく、「大学受験のノウハウを知らない」ということがあったと思う。大学入試に成功するかどうかは「ともかく一生懸命やるだけ」か、そうではなく、「ID野球 受験はアタマでやるもんや」と工夫して、いかに合格最低点を上回る点数を取るか・・・ということを考えてやるかで成果は変わってくる。YouTuve で、安芸ノ島が やく みつる との対談で、現役時代「自分がともかく強くなればいい」「自分が最強になればいいんだ」と考えていた、相手がどういう力士でどういう作戦を取ればいいとか考えるべきではないと思っていたと話し、「今、考えるとアホですね」と言っていた。今も公開されていると思うので、見ることはできると思う。 「貴闘力部屋」チャンネルでは、貴闘力が「安芸ノ島が横綱・大関に強かったにもかかわらず、下位の力士に負けたというのは、横綱・大関を相手にした時の練習ばっかり徹底してやっていたからで、もうちょっと下位の力士に勝つ練習もやれば、間違いなく大関になれていた」と話していたが(これも、今も公開されていると思うので見ることはできるはずだ)、実は私も、高校生の時、自分が学力をつければいいのであって、その大学の入試問題を吟味してそれに対する「傾向と対策」を考えてやるなんてのは邪道みたいに思っていた。そして、今、安芸ノ島と一緒で「今、考えるとアホですね」と思っている。 北野高校とか天王寺高校というのは、私や私の姉くらいの世代、1960年代から1970年代、1980年代の初めくらいまでは、「男女共学」であってこの「男女共学」は「大学型の男女共学」とは違って、男女は同じ教室で学ぶのが好ましいという考えでできたもので、男女比がそれほど大きく違わないようにするという「男女共学」であり、今は女性でも東大や京大に行く人が増えてきたので私などが高校生の時とは変わってきているかもしれないが、私などが高校生の頃は北野高校や天王寺高校というのは「男子は大阪府で最難関の高校だったが女子は誰でも受けさえすれば通る高校」だったのだ。私のような豊能地区の中学校では先生が「女子は北野高校は受けさえすれば誰でも通る可能性が大きいけれども、だからと言って、男なら(二番手校の)豊中高校も通らないような人が行ってもいいことはないと思います」と言っていたように思うし、「北野高校に行くと女は婚期が遅れる」とかいう話もあり、あまり行かなかったのに対して、淀川地区の中学校ではそういうことは言わなかったらしく、淀川地区の中学校からは男なら三番手校でも落ちたのではないかという感じの人がけっこう来ていた。そういう人がうまくいくかというと、「男なら北野高校には入学できなかったはず」の女性が北野高校に入って、「うまく合う人」とそうでない人がいたようで、「うまく合った人」には神戸大あたりに行く人があったようだ。旧制作野礼子さんはそれではないのかと思うのだ。 実際のところ、「三番手校でも通ったかどうかわからない人が、一番手校の北野高校に行って神戸大学に合格する学習法」と「入学時の成績からだけ判断すれば京大に進学できる学年順位で入学した人間がきっちりと京大に合格する学習法」とは同じではなく、「京大合格者数1位の高校から京大に進学する学習法」と「京大合格者数1位の高校から東大に合格する学習法」も同じではない。旧制作野礼子さんは「三番手校でも通ったかどうかわからない人が、一番手校の北野高校に行って神戸大学に合格する学習法」はわかっても、「入学時の成績からだけ判断すれば京大に進学できる学年順位で入学した人間がきっちりと京大に合格する学習法」も「京大合格者数1位の高校から東大に合格する学習法」とかもわからない・知らないようだった。だから、「大学はどこでも一緒です」とか「私は神戸だけれども、神戸だから京大や東大に行った人に負い目なんて持ってません」とか言いまくるのだった。北野高校の良くないところとして《「大学型の男女共学」ではなく「小学校型の男女共学」》があったと思う。「大学型の男女共学」というのは、男女比がどうかなんてまったく考えず、男か女かは関係なく、ともかく、入学試験で成績がいい者から順に合格というものであるのに対して、北野高校や天王寺高校の「男女共学」は男の合格最低点と女の合格最低点が大きく違い、女性で入学してきた人には男であっても合格できたであろう人と男ならまず合格できなかったであろう人がいて、「男ならまず合格できなかったであろう人」でも「うまく合った人」には神戸大くらいに行く人がいたのだけれども、そういうタイプの人だった旧姓作野礼子の場合は「学年順位からだけ考えると京大に合格できる順位で入学した者」にきっちりと京大に合格させる方法なんてものは知らないし知る意思もないようで、ましてや、「京大合格者数1位の高校から京大に合格する方法」と「京大合格者数1位の高校から東大に進学する方法」は同じなのか違うのかといったことなどまったく知らないし関知するつもりもないのだった。京大に行きたいと思ったならば、東大に行きたいと思ったならば、「自分が受けて通った人」と「受けたが合格できなかった人」と「受けたいと考えたが入試前に目標修正して阪大あたりに行った人」とではどちらがいいかはいちがいに言えない(「『失敗』と書いて『成長』と読む」と野村のじいさんも言うておることだし)けれども、「『入学時の成績から考えるとそのままの学年順位なら京大に進学できる人間』がきっちりと京大に進学する」ためには「男なら三番手校でも合格できたかどうかわからない人が神戸大に行く方法」しかしらない女性に指導してもらおうなどとは考えない方がいい。むしろ、そんな人、できるだけ相手にしない方がいい・・と思う。実際、旧姓作野礼子の「現代国語」なんて、あんなもの、結論を言うと「勝手なことやってるだけ」である。

  高校1年の時、阪急宝塚線「豊中」駅で飛込自殺をした人があったのだが、その場を見たわけではないが、遺体を担架に乗せて運ぶ所を目撃した。遺体には布がかけられてあって遺体は見えなかったが運んでいる時に載せられていたその人の小さいかばんか何かが落ちて運んでいた人が線路上から拾って載せるのを見た。 その時は特別何も思わなかったのだが、夜中、目が覚めて、どうも、その場面が思い出され、それで、そういうショックを受けるようでは自分は医学部は無理だろうと思ったのだった。それで、2年の時、担任だった旧姓作野礼子にそれを話したところ、旧姓作野礼子は「そうですね。それでは医学部はやめたほうがいいですね」と決めつけたのだった。
  しかし、そういう判断はおかしい。 一昨年、2019年、胆嚢炎、胆嚢にできた「石」がつまり激痛を感じる症状になり、胆嚢を摘出した。胆嚢を失っても生きることはできるらしいが、胆嚢を失った後で生きているのは「胆嚢以外の部分の私」であり、「胆嚢以外の部分の私」と一緒に産まれた「胆嚢の部分の私」のうち、「胆嚢の部分の私」は還暦まで生きることができずに死んでしまった。「夜討ち朝駆け」と滅私奉公・破私奉公を私にさせてきた会社の使用者経営者によって「胆嚢の部分の私」は殺されたのである。 その際だが、全身麻酔をした上での手術だったので、どういう作業をしていたのかはわからなかったが、飛び込み自殺をした人の遺体を運ぶ所を目撃した日の夜のようなショックは別に受けなかった。むしろ、医学部に行って医者になって病院という所に勤めれば最初から医者の仕事ができるのであり、経済学部・商学部のような学部に行って会社という所に勤めて中卒高卒の人間と競争させらて、中卒高卒の人間よりも優れた成果を出しても「おまえの方ができるというのは不公平じゃないかあ」とか言われたりするよりも、医学部に行って医者になった方がよっぽどいいと思ったものだった。私はうちの父親から「うちは医学部みたいなものに行かせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな。医学部のような6年行かないといけない学部ではなく4年で卒業できる学部にしなさい」と言われたものだったが、私立大学の場合は法学部・経済学部・商学部・文学部に比べて工学部・理工学部は学費は高く、医学部はさらに高いが、国立大学ならば何学部でも学費は一緒であり、日本育英会奨学金を受給できる場合には出してもらえる金額は「学費分」であるので何学部でも国立でも私立でも行く人間にとっては変わらないが、我が家の場合は父親の年収が日本育英会奨学金を受給できる年収よりも高かったので日本育英会奨学金は受給できなかったが、たとえば、医学部でも自治医大なら卒業後にへき地の診療所に何年か勤めるという条件で学費はタダであり、防衛医大は卒業後何年か以上自衛隊に医官として勤務するということで学費はタダであるだけでなく公務員の扱いで給料も出たはずであり、医学部でもカネのかからない大学はあったはずで、東大理科三類とか京大医学部とかになるとけっこう難しいとしても、地方国立大学の医学部ならそう難しくない大学もあったはずであったのだが、旧姓作野礼子が「それでは医学部は向いてないですね」と言って道を閉ざしてしまったのだった。今から考えると、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思う。
  一昨年は自分自身が胆嚢の摘出の手術を受けたのだが、それより少し前、母が足の大腿骨を骨折し、「γネイル」というものを腰骨との境目の部分に入れる手術を受けたのだが、「特に問題はないとは思いますが、高齢ですから手術中に何があるかわかりませんので、手術室の前にいてください」と言われていたのだけれども、あくまで、手術室の前にいたのであって中で見ていたわけではないけれども、その際も、人間の体を刃物で切るからということで特にショックを受けるということはなかった。
  根本的な問題として、私が高校1年の時に、飛び込み自殺をする人の遺体をかたずける場面を目撃して大変なショックを受けたというのは、それは人が自ら命を絶つということに対してショックを受けたのであって、治療のために体にメスを入れるということに対してショックを受けたのではなかったのだ。治療のために体にメスを入れるというものでも、そういった行為が多い外科よりもそういうことは多くない科の方がいいという人もいるかもしれないが、たとえ、外科の医者であっても私が医学部に行っていたとすればなれたと思うしできたと思う。少なくとも、しょーもない会社に勤めて中卒高卒のおっさんと競争させられるよりも、医学部を卒業して病院に勤めれば最初から医者として勤めることができるのであり、文学部・理学部を卒業して高校の教諭・中学校の教諭として勤めれば、用務員さんとして入社した人と競争させられて競争に勝たなくても最初から教諭の仕事をできるのだ。どう考えても、医学部でて医者になるか文学部・理学部などを出て高校の教諭になる方がいいに決まっている。「うちは医学部に行かすような金持ちとは違います」「うちは文学部に行かすような金持ちとは違います」「うちは学校の先生なんてものにならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言われ続けてきたが、特にうちの父親が「たとえ、学校の先生になる場合でも数学か英語以外の科目の先生にはなってはいけません。数学か英語でなかったら家庭教師のアルバイトはできませんから、学校の先生になる場合でも社会科とか理科とか国語とかの先生にはなってはいかん」と言われ続けてきたのだったが、その一方で「高校の先生」になっていた旧姓作野礼子、「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います」という文学部になんか行かせてもらって、しかも、「神戸大の文学部」なんてものに行かせてもらって、「うちは高校の先生になんてならせるような金持ちとは違います」「たとえ、高校の先生になるにしても数学か英語の先生でなかったらなってはいけません。数学か英語でなければ家庭教師のアルバイトはできません。数学か英語でない科目、社会科とか理科とか国語の先生は天地がひっくり返っても絶対になってはいかん」と言われ、「学校の先生は全員、アカや。アカの仕事にはついてはいけません」と言われてきたものだったが、その「高校の先生」で「国語の先生」という職業についていた旧姓作野礼子から「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」「私は家が貧乏やったから」とこれもまた耳鳴りするくらいに言われてきたものだったが、なんで「家が貧乏」な人が「高校の先生」になるのか、なんで「家が貧乏」な人が「国語の先生」になるのか、なんで「家が貧乏」な人が文学部になんか行くのか、それも東大・京大の文学部ならともかく「神戸大の文学部」になんか行くのか? マカ不思議というのか、わけわからんというのかやった!!! 本来、高校の教諭、特に担任を持つ教諭というのは、医学部だけが進路ではなく他の学部もまた価値はあるから他の学部を選択してもいいけれども、飛び込み自殺をした人があった後、その遺体をかたづける場面を目撃してショックを受けたことから、自分は医学部には向いていないのではないか・・・といったことを考えた生徒がいたならば、人が自分の命を自ら絶つということにショックを受けるということと、治療として人の命や身体機能を助けるために人間の体にメスを入れるという行為とは性質は全く別のものであり、飛込自殺をした人の遺体をかたづける場面を目撃してショックを受けたからといって医学部は向いていないと考える必要はないと思うと生徒にアドバイスするべき立場のはずだったが、旧姓作野礼子はうちの親、特に父親が「撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ! 会社のために・会社の為に・会社の為に死ぬほど働く、会社のために・会社の為に・会社の為に死んでも働く、とってちってたあ~あ!!!」と毎日毎日、私に言いまくるのだが大好きという人間(あくまでも、私に言うのが好きということで自分が言われるのが好きということではない。「人間というのは、人に号令かけるのが向いている民族・階級と人から号令かけられるのが向いている民族・階級があって、わしはドイツ人で慶應の民族・階級であんたはチャンコロで浪商の民族・階級の人間として『天の神さま』がお決めになって産まれてきた人間であり、わしは自分ではやらずに人に号令かけるのが向いてるねん。これを『適材適所』と言うんや、『適材適所』や、とってちってたあ~あ!♪!」と毎日毎日言いまくる男だった)だったので、その父親の機嫌を取るのが高校教諭としての処世術と考えて、それで私がそこだけは絶対に嫌だという学部であった経済学部に行かそうとしたのであり、そのために、それ以外の方向を「それは向いてないからやめた方がいいですね」と言ったのだった。まったくつくづく卑怯な女である。あの女に高校2年の時に担任を持たれたのは災難だった。
  これから、高校に行く人は認識しておいた方がいいと思う。高校の教諭、特に担任の教諭が「あなたは・・・には向いてないわ」とか言ったとしても気にするな! そいつは何もわかっていないやつなのだから!  又、「私は家が貧乏だったから」とか言うヤツがいても気にするな。どうせ、そんな話は大嘘だから。
  柴田孝之は『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「能力的にも優秀で、人間的にも優れている教師というのは、多くの人間が考えているよりも、はるかに少ない」と書いていたが、まったくその通りだと思う。北野高校は行きたいと思って受けた学校だったので合格した時はうれしかったが、今から考えると、ろくな教師いなかったなあ・・・と思うし、特に、2年の時に旧姓作野礼子に担任を持たれたのは私にとっては災難やった。

   人生やり直すことはできない。今から考えると、北野高校というのは私にとってはいい学校ではなかった・・が、それならどこに行けばよかったかというと、どこがよかったかはよくわからない。 大学進学については、もしも、東大に行こうということならば、「京大・阪大には何人も合格者を出していても東大にはそれほど合格者を出していない高校」に行くよりも灘高校とか「東大に何人も合格者を出している高校」に行っておいた方が行きやすかったのではないかと思うが、私立6年制受験校がいいかというと、あんまりいいとも思っていないし、それから考えて、「私立6年制受験校の人の行く大学」みたいになってしまった東大よりも「公立進学校出身者が多い京大」の方がいいと言う人がいるし、「私立6年制受験校出身の人間ばっかりの東大」よりも「公立進学校出身の人間が多い京大」の方が学生の質は上だと言う人がいるのもわかる・・・が、結局、学校というのは高校でも大学でも、どこに行っても絶対にいいという所はない・・かもしれないが、それにしても、私にとっては行きたいと思って行った北野高校だったが、卒業してしばらくして考えてみると、あんまりいい学校ではなかった。 特に2年の時に旧姓作野礼子に担任もたれたのは災難やった。 あの女、いったい私に何の恨みがあるのかと今も思うが、ああいう人間だったのだろう。「両親が離婚した」「父親がいない」という娘は誰もがああいう性格がいがんだ女になるのかというと、そういうものでもないように思うのだが、よっぽど私に恨みがあるらしかったが、私としてはあの女に嫌われるようなことはしていないつもりだったのだが、人間は嫌われるようなことをしなくても嫌われることはあるものだが、それにしても、なんであいつにあそこまで恨まれなければならなかったのかと思う。

  ・・他にも述べたい内容はあるが、時々、高校生活についての思いを述べたいと思うので、読もうと思って下さる方は見ていただければと思う。 「何を今さら」と思う内容もあるかもしれないが、もともとそういうものだ。フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』の冒頭に「万人に与える書。何人にも与えぬ書」と書いているが、参考になる人には参考になるし、ならないと思う人に無理に役立ててもらおうとも思わない。

  (2021.4.3.) 

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