大津市・三保ヶ崎・「琵琶湖周航の歌」の地ー三保ヶ崎と大津京【1/3】

[第515回]
  「琵琶湖周航の歌」の地を巡る・・・の第1回です。どこから順番に巡ってもいいのですが。とりあえず、大津市観音寺の三高ヨットクラブがある所に行ってみました。↓
DSC09008.JPG
DSC09032.JPG
《 われは湖(うみ)の子 さすらいの
  旅にしあれば しみじみと
  昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
  志賀の都よ いざさらば 》
※ 《YouTube 琵琶湖周航の歌(心にしみる歌)》https://www.youtube.com/watch?v=tPxP9W2M2eY 
※ 《ウィキペディア-琵琶湖周航の歌》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E5%91%A8%E8%88%AA%E3%81%AE%E6%AD%8C
↑ が1番の歌詞ですが、「湖(うみ)」は目の前の琵琶湖のことで、「志賀の都」とは近江京のことでしょう。県名は「滋賀県」と書きますが、JR湖西線の「しが」駅は「志賀」駅と書きます。但し、近江京跡はJR湖西線「志賀」駅の近くではなく、京阪「近江神宮」駅のすぐ北西のあたりのようです。かつて、「浜大津」から「近江今津」まで走っていた江若鉄道に「滋賀」駅があって、こちらは現在の湖西線「志賀」駅ではなく、「大津京」駅に近い場所にあったらしい。 近江京跡は、この後、訪問しましたので、後で公開します。
  ↑ の写真の場所ですが、インターネットで検索すると、「三保ヶ崎」と出ていたのですが、住居表示としては、↑ の写真の左側(西側)の突堤とその付け根の部分は滋賀県大津市観音寺
DSC09009.JPG
( ↑ 左上の交差点の表示、「観音寺」と出てますでしょ・・)
・・で右側(東側)の突堤は大津市浜大津になるようです。 鉄道の最寄駅としては、京阪石山坂本線「三井寺」が最も近く、石山坂本線と京津線の「浜大津」が最近「びわこ浜大津」駅と駅名が変わったようですが、その「びわこ浜大津」からも遠くはないようです。住居表示は「三保ヶ崎」ではなく、電車の駅にも「三保ヶ崎」という駅はありませんが、路線バスのバス停に「三保ヶ崎」というバス停があります。↓
DSC09042.JPG
DSC09044.JPG
↑ 京阪バス・江若鉄道バス・近江鉄道のバスが運行しているようですが、時刻表を見ると本数は多くないようなので、また、電車・バス利用で行く場合には、京阪石山坂本線「三井寺」駅か石山坂本線・京津線「浜大津」駅から遠くないし、歩く環境として悪くない場所ですから、歩いた方が便利かと思います。
  今回は、クルマで行って、↑ の写真の右側に見える時間パーキングに停めて行きました。 クルマで行くなら名神高速道路の「大津」インターチェンジから、もしくは「京都東」インターチェンジからすぐです。今回は、「大津」インターから行って「京都東」インターから帰りましたが、「大津」インターから行った方が浜大津付近を通ることができ、大津に来た、大津の琵琶湖付近に来た♪・・・という感じがするので、クルマで行くなら、行きか帰りかは「大津」インターからにしたいと私は思います。名神高速道路の「大津サービスエリア」と「大津インターチェンジ」は同じ場所にありますが、今まで行ったことがあるサービスエリアでは中央道の「諏訪湖サービスエリア」が諏訪湖がきれいに見えて、最も景観がいいサービスエリアだと私は思うのですが、「大津サービスエリア」も琵琶湖が見えて悪くありません・・が、晴れている日はいいのですが、曇っている日だと良く見えないのでがっかりすることがあります。

DSC09035.JPG
↑ 左に見えるのが「三高・神陵ヨットクラブ」です。 逆側から見ると、↓
DSC09013.JPG
 なんか、年季の入った建物です。 インターネットで検索すると、この「三高・神陵ヨットクラブ」の住所は、滋賀県大津市観音寺1-6 で、それをもとに地図を表示すると、↓


  「琵琶湖周航の碑」があるはずなのですが、どこにあんねん? ・・・と捜すと・・・
「三高・神陵ヨットクラブ」の手前側(陸側)に・・・↓
DSC09012.JPG
↑ え~え? あれかあ~あ? 
もしかして、石碑は石碑でも、「われは湖(うみ)の子・・」ではなく、
「夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡」・・・とか書いてあるてことないかあ?
もしくは、
「山行ゆかば 草むす屍」・・とか彫ってあるてことないかあ~あ???
  しかし、よく見ると、やっぱり、「われは湖の子」と書いてある・・・・
・・しかし、↑ こんな所、入っていくの、嫌やな・・。
大津市の湖に近い場所やから熊は出てこんやろうけども・・、蛇なんて、出てけえへんやろうなあ。スズメバチなんて、おったら嫌やなあ。
あくまでも、「『琵琶湖周航の歌』探訪」であって「廃墟探検隊」とちゃうでえ・・
  こういう所、入るの、嫌やねん。たとえ、蛇とか出てこんかったとしても、ズボンやら靴下やらに、いっぱい、草くっつくやろ。かなわんねん・・と思ったが、ここまで来て、引き返すわけにはいかん・・が、なんや、草刈り機でも持ってきた方が良かったかもしれん・・て感じ。
蛇は出んかったとして、引っ付き虫みたいのはいっぱいくっつくことを覚悟するとして・・、まさか、この草の根元にでっかいう〇こ とかあって、「クソふんじゃった、クソふんじゃった、クソ、ふんだ、ふんだ、踏んじゃった♪」・・なんてことないやろうなあ・・。
もしくは、穴ぽこがあって、草で足元が見えんもんやから、ようわからんと進むと、ぼおそお~っとはまって、地中までひきずりこまれて琵琶湖の底につながっとった・・なんてことないやろうなあ。 あくまでも「『琵琶湖周航の歌』の地、探訪」であって、「『琵琶湖哀歌』探訪」やないで、ほんま・・・。
※ 《ウィキペディアー琵琶湖哀歌》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E5%93%80%E6%AD%8C
※ 《YouTube-琵琶湖哀歌 》https://www.youtube.com/watch?v=xasPF0lwe2Y
「天は我々を見放した~あ!」・・なんてことになったら嫌やな、ほんま・・・。
※ 《YouTube-「八甲田山」予告編》https://www.youtube.com/watch?v=HslnP1vdWTw
もしくは、「やぶ漕ぎ」やって進むと、足元に死体が転がっていた・・なんてことになって、内田康夫の「浅見光彦シリーズ」では登場する刑事が「『第一発見者を疑え』というのは捜査の基本ですからねえ」などと言うのだが、嫌やで、そんなことになったら・・と思うと、「安全第一」で考えると、ここで引き返した方が安全か?
  しかし、「琵琶湖周航の歌」訪問計画としては、少々のことで挫折するわけにはいかない・・となると、それでも、行くしかないのか? 「雪の八甲田」に突き進む思いで行くのか・・・?
「天は我々を見放した~あ」なんてことになったら嫌やなあ・・・と思って行くと、
DSC09022.JPG
↑ 「われは湖の子」と書いてあります。
  その左を向くと、別の碑がある。 ますます、引っ付き虫みたいのがくっつきそうだが・・、もしも、足元に穴ぼこがあって、はまって琵琶湖の底まで引きずり込まれたその時には、「海行かばみづく屍」でも歌いながら死んでいくのかあ??? ・・と思ったが、幸いというのか、引っ付き虫みたいのはいっぱいくっついたが、死なんですんだ。足元に死体が・・なんてこともなかった・・。
DSC09014.JPG
DSC09021.JPG
DSC09015.JPG
  そこで右(湖の船着き場の方)を向くと ↓
DSC09016.JPG
↑ 「われは湖の」までで、「子」は地中に埋没している。
  その向こうに勇気をもって進むと、琵琶湖が見えます。↓
DSC09017.JPG
DSC09019.JPG

  ・・そういえば、1997年1月、ナポリに行ったのだが、「マレキアーレ」という歌の地に行ってみたいと思ったのだ。「マレキアーレ」はナポリ地方の方言らしく、イタリアの「標準語」では「マレキアーロ」と言うらしい。その「マレキアーロ街道」を進んだのだ。初めて、ヨーロッパに行った時で、イタリアもようわからんし、大急ぎで学習したイタリア語はほとんど通じないし、英語力も錆びついているが、それでも、イタリア語よりは英語の方がまだしも使えたが、観光案内書にも載っていない所に行って大丈夫かとも思ったが、行きたかったのだ・・・が、ところが、そのマレキアーロ街道を進んで行った時のこと・・・、ぐにゃっ・・て感じで、足底にいや~な感じがしたのだ。・・これは、最近の日本ではそれほどなくなったが、私が子供の頃、1960年代には時々あった、いわゆるひとつの犬の う〇こ を踏んだ感触・・・と思ったら、そうだった  マレキアーロ やのうて、ウンコドーロ やった もう、踏んだりけったりやった・・・。
※ 《YouTube-Luciano Pavarotti(ルチアーノ=パバロッティ) – Marechiare(マレキアーレ)》https://www.youtube.com/watch?v=SlcMfzyIfbQ
  マレキアーレ へは、その年は途中で断念したが、翌年1998年1月、再度、ナポリに行き、ついに、マレキアーレ(マレキアーロ)と「プジリコの漁師」の歌の地「プジリコ(プジレコ)」に訪問した。1998年には、う〇こ は踏まずにすんだ。その点が何より良かった・・・。
  ・・・「琵琶湖周航の歌」碑の所では、草ぼうぼう・・で、引っ付き虫みたいのはいっぱいついたが↓
DSC09086.JPG
DSC09089.JPG
何より、う〇こ は踏まずにすんだ・・という点は良かった・・・・が、
DSC09023.JPG
↑ この状態、もうちょっと、何とかならんもんやろか!
見たところ、「我は湖の子」の石碑がある区域が公園のようになっているようだが、草ぼうぼう で、こんな所、入ろうという気になる人間、おらんやろう・・・て、そこに入ってきたんやけども、普通の人間は、↑ こんな所に入らんでえ・・・て・・、そうか、俺って「普通の人間」やなかったんかあ・・て悲しい、わびしいのお~お ともかく、せっかく、公園のようにしているのに、この草ぼうぼう では、公園のようにした意味がなくなるのではないか。 どこが管理しているのかわからんが、そこに来た人間が入ってみよう・・という気持になる状態にしてほしい・・と思う。

  突堤の手前の橋の湖に向かって左側、大津市観音寺の側、「三高神陵ヨットクラブ」がある側に階段があって湖の水面のそばまで行けます。↓
DSC09038.JPG
 但し、なんや、鉄が錆びて危なそうな感じがしないでもないが・・↓
DSC09030.JPG
↑ 降りている間に崩落して、帰れなくなる・・なんて・・、ないやろなあ、ほんま・・
※ 《YouTube-琵琶湖哀歌 》https://www.youtube.com/watch?v=xasPF0lwe2Y
と思ったが、無事、帰って来ることができた(^^♪
DSC09024.JPG
↑ 左寄りの湖に突き出ている建造物は、地図によると、「三保ヶ崎水位観測所」らしい。
対岸の先に見えるでっかい建物は「ビジュール琵琶湖京阪浜大津」という「シニア向け分譲マンション」らしい。〔《LIFULL ビジュール琵琶湖京阪浜大津[シニア向け分譲マンション]》https://kaigo.homes.co.jp/facility/detail/f=56929/ 〕
観光ホテルなら、部屋の前に琵琶湖が見える・・というのは、一般の人間から見ると、背の高い建物は無粋で景観を破壊するもので、自分たちさえ良ければそれでいいのか・・ということになっても、ホテル経営者にとってはそれが「売り」になると考えるかもしれませんが、マンションでも「シニア向けマンション」となると、毎日毎日、湖の湖面を見ている・・というのは、どうなのだろう?  高齢になると、あんまりいいことないということは、ないかな?・・・ 
その手前のいくつかはヨットクラブらしい。
DSC09027.JPG

  大津市浜大津 の側から見ると、
DSC09036.JPG
こちら側から見た景観の方が背の高いマンションが写らなくていいかもしれません。

  ・・ところで、
DSC09037.JPG
↑ この左寄りに見えるヨット・・・、
DSC09035.JPG
これ ↑ 、乗る時、いったい、どうやって乗りに行くんだろう?
泳いでいくのだろうか? それとも、手鉤がついたロープかなんか投げて、ひっかけて引っ張り寄せるのだろうか?
別のヨットかボートで横まで行って乗るのだろうか? その場合、2人以上で行かないと、1人で行ったのでは、浮いているヨットに乗った後、乗ってきたヨットなりボートなりの措置に困るよね・・・。さて、いったい、どうやって乗りに行くのでしょうね?
・・これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね・・(^^)/ ・・あなた、こういうこと、考えたことない~い?

  この「三高・神陵ヨットクラブ」がある大津市観音寺と大津市浜大津の間は、突堤の間であるだけでなく、ここから陸地側に川のように水路があります。↓
DSC09031.JPG
  これは、川かと思ったら、琵琶湖疎水らしい。
DSC09041.JPG
↑ この右の建物が「琵琶湖第一疎水揚水機場」らしい。

  このほんの少し内陸側に ↓
DSC09043.JPG
↑ 手前の斜めにかかっている橋の向こう側の建物が「琵琶湖第一疎水揚水機場」の建物ですが、手前の斜めの橋、なかなか、かっこいいと思いませんか?
  この斜めの橋は、いったい何だろうか・・と思ったのですが、帰ってから地図を見ていて、おそらく、こうだろうとわかった。おそらく、江若鉄道の跡でしょう。 江若鉄道の路線跡は、大部分がJR湖西線になったけれども、湖西線は京都市の山科から東海道本線と分岐して「大津京」(旧「西大津」)駅に行き、そのあたりから旧 江若鉄道の跡を走るが、もともとの江若鉄道は、私の記憶にある時点では「浜大津」駅から出ていて(私は知らなかったが、《ウィキペディア-江若鉄道》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%8B%A5%E9%89%84%E9%81%93 によると、かつては「膳所」から「浜大津」も走っていたらしい)、その「浜大津」から「三井寺下」を経て「滋賀」駅に至る途中の鉄橋だったのではないか。

   次回、近江京跡 と 近江神宮 に訪問します。

  「琵琶湖周航の歌」のの歌碑は、《ウィキペディアー琵琶湖周航の歌》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E5%91%A8%E8%88%AA%E3%81%AE%E6%AD%8C によると、
大津市・三保ヶ崎・・・1~6番。
近江舞子(雄松)・・・2番。
今津・・今津港桟橋・・・3番。
    今津港親水公園・・・1~6番
竹生島・・・4番。
彦根・・・5番。
長命寺(近江八幡市)・・・6番。
にあると出ていますが、インターネットで検索すると、長浜にもできたらしい。
  「琵琶湖周航の歌」は感慨深い者にとっては思い入れがあるものですが、ない人にとってはどうでもいいものなのか、『滋賀県の歴史散歩 上(大津・湖南・甲賀)』(2008.5.25.山川出版社)には掲載はなく、又、『マニマニ 滋賀・琵琶湖 長浜 近江八幡』(2019.1.1.改訂二版。JTBパブリッシング)にも掲載はない。 インターネットで検索すると、けっこう出ています。

  「琵琶湖疎水」については、『滋賀県の歴史散歩 上』に、
《 三井寺駅のすぐ横を琵琶湖疎水が通っている。大津市三保ヶ崎の取水口から、園城寺(三井寺)観音堂下の長等山トンネルを経て蹴上(京都府京都市)まで、約11㎞の運河である。日本の近大土木技術の草分け時代の記念碑として、大津市内では三井寺観音堂下の第一隧道入口、稲葉台の第一竪坑、藤尾奥町の第二竪坑、同じく第一隧道出口の4ヵ所が、国の史跡に指定されている。・・・》
と出ている・・が、「琵琶湖周航の歌」碑は掲載はないようだ。

  「三高・神陵ヨットクラブ」がある大津市観音寺 という場所の地名だが、観音寺という寺があるのか? ・・と地図で捜すが見つからなかったが、園城寺(三井寺)の境内に、西国三十三カ所札所 第14番 の観音堂があるようだ。 そこからきた地名か?

  「琵琶湖周航の歌」ではなく「琵琶湖哀歌」の方に「三井の晩鐘、音絶えて」という歌詞があるが、園城寺(三井寺)に国重要文化財に指定される鐘楼と、滋賀県文化財に指定される梵鐘があり、近江八景「三井の晩鐘」とされている。
  「琵琶湖哀歌」は、《ウィキペディアー琵琶湖哀歌》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E5%93%80%E6%AD%8C には、
  《琵琶湖哀歌(びわこあいか)は、1941年(昭和16年)6月にテイチクレコードから出された流行歌。》《(1941年)4月6日に琵琶湖でボート練習中に突風のため転覆し水死(琵琶湖遭難事故)した第四高等学校(現・金沢大学)漕艇部の部員11人を悼んで作られたとされている。歌詞には遭難事故には全く関係のない琵琶湖八景が詠み込まれており、またメロディの半分ほどは琵琶湖周航の歌の借用である。東海林太郎と小笠原美都子のデュエットも即席で、レコードが発売されたのは、まだ遭難者の捜索が続いていた最中であった。》とある。 《まだ遭難者の捜索が続いていた最中》にレコードが発売された、というのは《遭難事故に全く関係のない琵琶湖八景が詠みこまれて》いることとともに無神経とも受け取られるが、レコードの発売者としては、《まだ遭難者の捜索が続いていた》とはいえ、4月6日に事故があって6月となっては、もはや絶望的であろうということで《悼んで》発売したのかもしれない・・が、遺族としては、4月6日の事故で6月というのは、まだ、死亡を気持ちの上で受け入れられる状態にはなっていない時期だったのではないか。《歌詞には遭難事故には全く関係のない琵琶湖八景が詠み込まれており》ということがあったとしても、歌そのものは、そんなに悪い歌ではないようにも思うのだが、せめて、レコードの発売は一周忌すぎてからにした方がよかったかもしれない。

   「江若鉄道」というと、1979年、NHKの朝のテレビドラマで放送されていた 花登筺『鮎のうた』では、若狭に鯖だったか、仕入れに行ったものの、雪で交通が停まっているという状況で、今津までなんとか行ければ、江若鉄道は動いているらしいという情報をつかんだ、原田三之介と鮎だったが、何とか今津まで運ぼうとした途中、三之介が負傷して死亡するに至る・・・という場面があった。
  江若鉄道(こうじゃくてつどう)には、一度、乗ってみたい・・と思っているうちになくなって湖西線になったが、北陸新幹線が小浜から京都のルートができれば、第3セクターにとかいう話が出ているらしいが、小浜線の敦賀から小浜までを第3セクターにというならわかるが、なぜ、全然、違うルートの湖西線をなのか理解に苦しむ。湖西線は湖西線を利用して通勤している人もあり、長距離列車の特急が通らなくなっても、そう赤字路線でもないと思うのだが。 もともと、江若鉄道として私鉄で走っていた路線を買い取って国鉄⇒JR の路線にしておいて、それで、北陸新幹線が走るから、存続させたければ私鉄でやるか第三セクターでやるかしてちょうだい・・というのは、それは勝手な気がするのだが、どうだろう。
※ 《NHKアーカイブズ 鮎のうた》https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010240_00000

  (2020.10.12.)

 「観光データベース 琵琶湖周航の歌碑 三保ヶ関」http://www2.city.otsu.shiga.jp/kankou/db/html/157014.html を見ると、《 観音寺の三校旧艇庫前(京都市水道局用地内)に碑が建てられている。昭和48(1973年)年5月、第三高等学校衝濤会による建立。》と出ている。
  《京都市水道局用地》らしい。 もっと昔昔から建てられていたものかと思ったが、1973年というと、大阪万博の1970年より3年後、「わしぁ日陰の月見草」の野村克也が南海ホークスの選手兼任監督として、前後期制を実施したパリーグで前期優勝の上、後期優勝の阪急を3勝2敗で破って年間優勝した年。そんな頃に建てられたものだったらしい。
  (2020.10.29.)

※ インターネット上の下記のものを参考にさせていただきました。
ウィキペディアー琵琶湖周航の歌 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E5%91%A8%E8%88%AA%E3%81%AE%E6%AD%8C
100周年「琵琶湖周航の歌」歌碑めぐりツアー開催 https://www.ritorengo.com/shiga-biwako-shuuka/#i
琵琶湖周航の歌 http://monument.sakura.ne.jp/file/biwakosyuukounouta.html
滋賀県内の歌碑 http://monument.sakura.ne.jp/24shigaken.html
コレ見て行こっ!「琵琶湖周航の歌」ぐるっと6番まで歌碑めぐりPart2 http://chekipon.com/archives/14757
滋賀 琵琶湖観光情報 琵琶湖周航歌碑 https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/929


☆ 「琵琶湖周航の歌」の地《1》ー三保ヵ関と大津京跡・近江神宮
1.三保ヵ関、「琵琶湖周航の歌」碑、ほか。〔今回〕
2.大津京跡。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202010/article_4.html
3.近江神宮。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202010/article_5.html
4.三保ヵ関 補足。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202011/article_3.html?1606784064 

加藤登紀子 ベスト 知床旅情 琵琶湖周航の歌 愛のくらし この空を飛べたら 鳳仙花 時には昔の話を 時には母のない子のように 生きてりゃいいさ 浜辺の歌 百万本のバラ ひとり寝の子守唄 時代おくれの酒場 黒の舟唄 リリー・マルレーン 難破船 赤い風船 ゴンドラの唄 北帰行 酔いどれ女の流れ唄 CD2枚組 2CD-463 - 加藤登紀子
加藤登紀子 ベスト 知床旅情 琵琶湖周航の歌 愛のくらし この空を飛べたら 鳳仙花 時には昔の話を 時には母のない子のように 生きてりゃいいさ 浜辺の歌 百万本のバラ ひとり寝の子守唄 時代おくれの酒場 黒の舟唄 リリー・マルレーン 難破船 赤い風船 ゴンドラの唄 北帰行 酔いどれ女の流れ唄 CD2枚組 2CD-463 - 加藤登紀子
琵琶湖周航殺人歌 (講談社文庫) - 内田康夫
琵琶湖周航殺人歌 (講談社文庫) - 内田康夫

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック