コロナウイルス問題で考える「猫は放し飼いか家猫か飼主に決める権利があるのか?」「猫は他人の敷地に侵入して当然か?」

[第506回]
  新型コロナウイルスの問題は、当初、中国の武漢で発生したという記事が出た頃は、もっと早いうちに収束するかと思ったのでしたが、世界中に広がり、なかなか、収束する気配が見えません。ちなみに、「武漢」をテレビのニュースでは「ぶかん」とアナウンサーが発音していますが、「ウーハン」と発音するのが好ましいのではないかと思います。 かつて、汪兆銘(汪精衛)が武漢政府を設けた場所で、揚子江(長江)に漢江が合流する場所、武漢三鎮といって武昌・漢陽・漢口の3市が合併して武漢になったという市ですね。
  私が子供の頃はエベレストと言っていた山を、最近ではチョモランマと呼ぶ方が一般的になってきました。エベレストはイギリス人が呼んだ言葉で、地元の人間の用語ではチョモランマで、できるだけ、地元の人が呼んできた言葉で言うようにした方がいいという考え方によるようです。
(それから考えると、「鹿児島」は「かごしま」(→)ではなく「かんま」と発音すべきではないか、とも思うのですが。)
  かつて、「グルジア」と言っていた国が、最近では「ジョージア」なんて言い出して、「ジョージア」というとアメリカ合衆国のジョージア州を日本人は思い浮かべることが多く、単に「ジョージア」と言われるとどっちのことを言っているのかわかりにくい。「グルジア」はロシア語での名称らしく、ロシアによる支配から脱却したいという考えから、ロシア語での名称を使わないようにして、「ジョージア」という表現になったということですが、しかし、日本人にとってはアメリカ合衆国のジョージア州と紛らわしい。《日本政府に対しては、2014年10月の首脳会談で正式に「グルジア」の使用を取りやめて「ジョージア」へ外名を変更するよう要請が行われ》て「ジョージア」と言うようになったらしいが、《 ジョージア国内での自国の内名(エンドニム)は「カルトリの民」を意味する サカルトヴェロ(Sakartvelo.ogg საქართველო[ヘルプ/ファイル] [sakʰartʰvɛlɔ], ラテン文字転写:Sakartvelo )である。》〔《ウィキペディア―ジョージア(国)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2_(%E5%9B%BD) 〕とあり、「自国の内名」が「サカルトヴェロ」であるのなら、アメリカ合衆国のジョージア州と紛らわしく、ロシア語読みの「グルジア」を使いたくないとしても、英語読みである「ジョージア」ではなく「サカルトヴェロ」にした方がいいということはないのか? ・・と思うのだが、「サカルトヴェロ」では困ることがあるのだろうか。
※ 《ウィキペディアー武漢市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E6%BC%A2%E5%B8%82
《コトバンク 武漢三鎮》https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A6%E6%BC%A2%E4%B8%89%E9%8E%AE-616823
《ウィキペディアージョージア》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2_(%E5%9B%BD)

  新型コロナウイルスの問題で、緊急事態宣言が解除されたといっても、いつまでも、緊急事態宣言の状態では経済が持たないということから解除にしたのであって、コロナウイルスの問題が解消されたわけでもなさそうですが、そう思っていると、今度はGoToとか言って旅行に行きましょうと旅行を奨励しだして、いったい、旅行すんなと言いたいのか旅行しろと言いたいのか、どっちやねん? ・・て感じもします。
  インターネットで見ると、他県ナンバーのクルマが停まっていると、ボコボコにされたりとか、そういうことがあったとか出ていましたが、考えてみると、移動する際に電車・飛行機・路線バスで移動すると移動中も周囲と接触する可能性があるのに対し、クルマで移動すれば、移動中はマイカーの中で、周囲と接触する可能性があるのは、行った先だけであり、マイカーで移動した方が、コロナウイルスを移される可能性も移す可能性も低いと思われるわけで、ボコボコになんてされてたまるか・・と思いますね。もし、ボコボコにするのなら、黒のベンツとかそういうクルマにやってあげてください。もしくは、(株)一条工務店の営業本部長の某さんの乗ってた浜松ナンバーのセドリック(今もそれに乗っとるかどうかしらんが)とかにやってください。〔目印は「浜松」ナンバーやで(^^♪ 〕 私の「リーズナブル」な価格のクルマなんて襲わんとってくださいね。何しろ、「わしぁ、貧乏やからな」「わしぁ、日陰の月見草」・・・。
  アントニオ=猪木が、「自粛」の「要請」期間中も営業していたパチンコ屋が許せんと叫んでいましたが、なんだか、「非国民」かのような扱いにしてそのパチンコ屋を襲撃しそうな感じで、怖い男やなあ・・と思いましたが、あくまでも「自粛」の「要請」であるからには、「できたら」「営業を控えてもらえれば」と「お願い」している話であり、「お願い」をきかなかったからと元プロレスラーに襲撃なんてされたのでは、たまったものではない。絶対に営業を停止してもらいたいのなら、「自粛」の「要請」ではなく、もっとはっきりと禁止するようにするべきで、「自粛」の「要請」であるからには、「自粛」しなかったからといって元プロレスラーに襲撃されたのではたまったものではありません。そういう元プロレスラーというのは、コロナウイルスと同程度に危険な存在だと思いますね。

  それで・・・。 今回は、猫の話で、一部分、犬の話です。
  私は、犬に好かれる方の人間なのです。大学でも、高校までと同じように、毎年、体育の授業があるものかと高校生くらいの時は思っていたのですが、そうではなく、京大に行った人に聞いた話では、京大では1年に1コマ、2年に1コマ、体育の授業があったそうですが、慶應大は1年に1コマ、「基本体育」というものがあって、それと別に「選択体育」というものがあり、「選択体育」では、いくつもの種目から好みの物を選び、それを夏休みなどに集中して履修するというもので、どうも、慶應大学の体育会運動部にある種目を、それぞれの体育会の人間が協力して実施していたようです。これはいいような悪いようなです。 1980年代初め、私は他で簡単にできそうにないものと思って「選択体育」で「馬術」を選択したのですが、体育会馬術部の人間から、「こらあ。根性だせえ」とか言って突き飛ばされたりしましたが、なんで、あいつらに突き飛ばされなければならないのか? 『らーめん才遊記』で、芹沢が「従業員にお金を払うということはその仕事に責任を持たせる、ということで、お金をもらうということはその仕事に責任を持つということだ」と語る場面がありましたが、体育会馬術部の人間は、お金をもらってやっていたのではないから、だから、お金をもらってやっている教員なら、学生を突き飛ばしたりすれば、その行為に責任を問われる可能性が出てくるのに対して、体育会馬術部の人間は、同じ学生であり、報酬をもらってやっていたのではないから、だから、突き飛ばしてもいい・・というのは、それはおかしいのではないか。 又、慶應大学の「体育理論」という講義では、体育会の教授が「スポーツである以上、『殴る』というのは当たり前のことじゃないか。『殴らないスポーツ』なんて、そんなもの、あるわけないじゃないか。殴ってこそスポーツなんだよ、殴ってこそ。それを、最近、殴ったとか言って騒ぐやつがいて、困ったもんだ。『殴ったから怪我したじゃないか』なんて言ってからに。バカか! 殴ってんだから、怪我するのは当たり前だろうが! 何をわけのわからんこと言ってるのか。頭、おかしいのじゃないか。一回、病院、入院しろお!!! だいたい、運動部で強い所は、どこでも殴ってんだよ、どこでも。殴ったらいかんとか言うようなやつはスポーツやるなってんだ。特に、女子バレーなんてのは、男性のコーチが女子選手の髪の毛をつかんでコートの中をひきずりまわしたりするんだ。それでこそ、スポーツなんだよ、それでこそ、スポーツなんだ。それを、殴ったから怪我したじゃないかとか、わけのわからんこと言いやがってからに。最近、頭のおかしいやつがいて困ったもんだ。一回、入院しろ、そういうやつは!!!」と必修科目の講義の最中に絶叫されたということがありました。「一回、入院しろ!」というその文句は、そのおっさんこそ言われる必要がある文句ではないかと思いました。なんで、こんな酔っ払いの暴言を必修科目だとして聞かされなければならないのか、やっぱり、慶應は程度低いなあ・・と思いました・・・が、ところが、世の中には、「スポーツ」というものをそういうものだと思っている人というのがいるらしいのです。私は「殴らないスポーツ」は好きですが「殴るスポーツ」は嫌いです。どうも、慶應大学の体育会およびスポーツの「同好会」でも体育会に近い「同好会」では、「殴る」というのが好きだから「スポーツ」をやってる・やりたいという人がいるようでしたが、私はスポーツは好きですが「殴るスポーツ」は嫌いなのです。それでも、もしも、年収1憶を超える給料もらえるのなら、一発くらい殴らせてあげてもいいかとか思いわないでもありませんが、年収1憶くれるわけでもないのに、なんで、「殴るスポーツ」なんてそんなサドマゾみたいなもんやらなきゃならんのか・・と思います。私は「殴る」のも「殴られる」のも嫌いです。ボクシングというのは試合においては、相手を「殴る」ことになりますが、それはルールにのっとって試合中のみ「殴る」のであり、本人が承知の上でその試合をやる限りは「正当業務行為」として暴行罪・傷害罪にはならないことになりますが、慶應大学の体育会の人間というのは「殴る」「殴られる」のが大好きだから体育会に入っているのだとすると、それで「正当業務行為」として違法性が阻却されるか? というとされないと思いますが、それでも、「殴る」「殴られる」のが好きな人が慶應の体育会には入るのであって、「殴らないスポーツ」は好きでも「殴るスポーツ」は嫌いだという人間は慶應大学の体育会運動部には入っていないはずだ、ということになります。しかし、「選択体育」というものは違います。 その講師役を体育会部員がおこなっていて、体育会部員は「殴るスポーツ」が好きだから体育会やっている人間だとしても、一般学生は誰もが「殴るスポーツ」が好きであるわけではなく、私などは「殴らないスポーツ」は好きでも「殴るスポーツ」は嫌いで、そもそも、「体育理論」の講義を担当した体育会の教授とは私は考え方は正反対で、慶應の教授は「スポーツである以上は殴るというのは当たり前じゃないか」「殴らないスポーツなんてあるわけないじゃないか」という思想の持ち主ですが、私は逆で「殴らないスポーツであってこそスポーツであり、殴るスポーツというものをスポーツと認めることはできない」という考え方です。だから、体育会馬術部の人間は「殴ってこそスポーツなんだよ」と思っていたようですが、一般学生はそんなこと思っていないのです。ですから、体育会の部員は「殴るスポーツ」をやりたいと自分で考えたから体育会に入ったのでしょうけれども、一般学生はそんなこと思っていませんから、一般学生に体育会が実施する「選択体育」などというものを受講させるというのは、これは不当だと思いますね。(かつて、私が大学に進学するより前、1960年代から1970時代くらいにおいては警察暴力団・自衛隊暴力団・プロ暴力団・右翼暴力団に体育会暴力団で「暴力団5派連合」と言ったようですが、どうやら、その「暴力団5派連合」の1つである体育会暴力団に一般学生を「教育」させようというのが、慶應大学の「選択体育」という授業だったようです。慶應の場合は、大学における学生を抑圧する装置として、体育会とともに内部進学というものがあるようで、内部進学の人間はそれを自覚していて「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」とか公言しますでしょ。agriculture をagriculture と発音せずに、agriculture と発音する人が。種無しブドウをひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人が。女子大生を集めてコンパやって強制猥褻やってる人たち、それを得意にしている人たち、それを「福沢精神」とか「塾風」とか「思考が柔軟」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「自我が確立されている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか称している人たちが。それから、「学生相談室」というのも、あれも、いわば、「慶CIA」(慶應CIA)とでもいったもので、学生の精神構造を平板化し、独立自尊の精神を奪い、独立自尊の精神を持たない人間こそ「独立自尊」だ「自我が確立されている」だと学生をだます機関として存在するものと思われます。小此木啓吾のビョーキ本シリーズというのもその傾向のものでしょう。「慶應心理学」はそういうものです。他にも、学生の精神構造を平板化して独立自尊の精神を奪い国民の精神を抑圧する機関が「一木一草に」あると思われます。慶應の場合は「一木一層に『塾風』が宿る」です。きょうも、内部進学の人と体育会は一般学生に対して「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」と叫んでいるはずです。種無しブドウをひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人が。)又、「馬術部のOBの方が来られましたので、本日は、少し、講義をしていただきます」と体育会馬術部の人間が言い、そして、その「OBの方」は何をおっしゃったかというと、「スポーツをやって得るものとして、どういうものがあるかというと、まず、飲み屋で喧嘩した時に勝つ、ということがある」・・・そうおっしゃったのですが、聞いてて情けなくなりました。小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、こんな人の「講義」を聞かされなければならない大学に入らされてしまったのかと思うと・・・、なんというのか、俺の人生はいったい何だったのか・・という気持になりました。
  ・・けれども、その「選択体育」の「馬術」で教えてもらったこと・・・というのもありまして・・・、「馬に近づく時は、斜め前方から近づく」。「馬の体にさわる時は、まず、肩のあたり」・・・と。その後、馬に乗ることは今日までありませんから、「選択体育」の「馬術」で学んだものは何の役にも立たなかったかというと、そうでもなくて、その後、住んだ川崎市のアパートで家主さんが犬を飼ったのですが、犬に近づく時も、やっぱり、基本的には犬の斜め前からで、犬の体にふれる時も、まず、肩のあたり・・・というのを実践すると、なんだか、犬に好かれたこと好かれたこと(^^♪ ・・というのか、毎度、通るたびに遊び相手になっていたから好かれたのかもしれないが・・・、そのおかげで、営業の仕事についてお客様の家に行って、犬が飼われていても、犬嫌いの人は嫌がって帰るところでも、なにしろ、犬には好かれるタイプですから、他の人間ならわんわん吠える犬でも私には喜んで寄ってきたり、すべての犬がそうではないけれども、たとえ、吠えられても、それでも、待ってればそのうち、犬は心を開いてくれるのではないか・・・なんて思って待ってると、そのうち、お客さんが出てきたり・・とか、「犬に好かれる」というのは、営業の仕事をするにおいてはプラスになります。 もしかすると、人間の女よりも犬の雌の方によっぽど好かれていたのではないか・・とか思ったりもしないことありませんが、ともかく、犬とはけっこう仲よしなのです。
〔 「選択体育」の「馬術」で学んで、その後、役立ったこととしては、池上正太郎『鬼平犯科帳』を さいとう たかを が劇画にしたものが「ビッグコミック」に連載されていますが、その中で、足を怪我した同心の木村忠吾に鬼平こと長谷川平蔵が「足が悪くても馬なら乗れるだろう」と言う場面があったのですが、馬に乗るというのは、クルマの座席に座るのとは事情は違うわけで、馬の「座席」というのは鞍がついていても馬の背中というのは背中の筋肉がゴリゴリしていて、そこにすわってもクルマの座席みたいに居心地よくありませんし、馬に乗って移動する場合、足でつっぱって馬の背の上で鞍から尻を浮かせた状態で馬が歩くのであり、足を怪我して歩けない状態なら馬にも乗れないと考えるべきはずで、そのあたりについて、池上正太郎が不正確なのか さいとう たかを の方が不正確な認識なのか、どちらかわかりませんが、『鬼平犯科帳』の馬についてのそのあたりの認識はちょっと違うように思います。又、『鬼平犯科帳』のような劇画で、殿さんが馬に乗っている絵を見ると、足の位置がどこにあるのか、いいかげんな絵が多いような感じ、どうも、クルマに乗るような乗り方で馬に乗っているような絵になっているものが多いように思います。まあ、彼ら体育会馬術部の学生が、普段、世話をしている馬に乗せてもらったのだけれども、しかし、同じ学生なのに、なんで、あいつらに突き飛ばされなければならんのか・・と思ったし、私が彼らの立場なら、同じ学生の立場で、人を突き飛ばしたりなどしないし、慶應大学は自分の所の「従業員」でない者に「指導」させて暴力をふるわせて、それを「それでこそ、スポーツというものだ」とか「教育」していたつもりだったらしい、というのは、教育機関としてその点は、あまり高く評価できない、と今も思います。私が慶應大学の「経営者」ならば、「従業員」として給料を払っているわけではない人間に「指導」なんてさせないですね。雇用契約労働契約を結んだ「従業員」でない者にさせた行為について、使用者は責任取れるのでしょうか? 取るのでしょうか? 曲がりなりにも大学の運営者ならこのくらい考えたらどうかと思うのですがねえ・・・。 〕
   猫も嫌いではありません。 20代の時、川崎市幸区の多摩川に近い場所のアパートに住んでいた時、毎晩、夕食前に、多摩川の河川敷で、野球のバットの素振りを何十回かやるのを日課にしていたのですが、ある時、多摩川の河川敷に出ていた木の杭の上に、子猫が乗っかって「にゃあ」と泣くので、「どこに猫がいるんだ」と思って見ると、木の杭の上に乗っていたので、猫なら自分で降りられるだろうと思って通り過ぎようとすると、またもや、「にゃあ」と泣いて訴えるので、なんだ、こいつ、猫のくせに自分で降りられないのか・・と思って抱いて降ろしてやろうとすると怖がって嫌がる。なんだ、ひとがせっかく親切で降ろしてやろうとしたのに、嫌がるのならそこにいろ・・と思って行こうとすると、またもや、「にゃあ」と言って行かないでくれと訴える。困ったやつだな・・と思いながらも、猫といっても子猫だから木の杭の上から飛び降りることができないらしいと知り、頑張ってだかまえて下に降ろしてやりました・・・が、そこからが問題。降ろすところまでは親切でやってあげたのでしたが、帰ろうとすると、ついてくる。なんで、俺についてくるんだよ・・・と思ったのでしたが、今、考えると、あの子猫にとっては、杭の上から降ろしてくれた相手というのは、自分にとって一番信頼できる相手であり、その相手についていくことしか、できることはなかったのではないか。 「ついて来るなよ」と思って、そういう態度をとっても、それでもついてくる。ついて来られても、こちらは、「ペット不可」のアパートに住んでおり、猫を飼って育てるような力はない。 とうとう、アパートの入口までついていてしまったが、それ以上、ついてこられてもどうもできないので、「ついて来るな」という姿勢をすると、なんだか、とても悲しそうにして、ついてこなくなりました・・・が、あの子猫はその後どうなったのだろうか・・と、今も思います。
   他にも犬や猫についての経験はあるのですが・・、ともかく、犬には「好かれる方」であるとともに、犬も猫も嫌いではない・・というより、好きですが、自分が飼うということを考えると、「犬を飼う」というのは、かわいい、かわいいとなでるだけが「犬を飼う」ということではなく、食事を毎度用意して、排便の世話もして、時々は体を洗ってやり、毎日、散歩に欠かさず連れて行き、病気になった時には獣医にかからせてやり・・・といったことをするのが「犬を飼う」ということだ・・と考えると、はたして、それだけできるかと思うと、なかなか、できません。猫の場合は、犬と違って散歩に連れていく必要はないかもしれないけれども、放し飼いにすればよその家の敷地の中に入っていくことになるでしょうし、その際、よその敷地の中でその猫が何をしたかについて責任をとれるか・・という問題があり、家中で飼えば、猫は犬と違って、大事な物を触られないようにと高い所に置いておいてもそこまで上がってしまうでしょうし、犬より大変かもしれない。 そう思うと、犬も猫も嫌いではない・・どころか好きですが、自分が飼えるかというと、難しそうだな・・と思ってあきらめていました。

  ところが・・・、私は、犬も猫も好きだけれども、飼って、食事の世話をして排便の世話をして、時々は体を洗ってやって、犬の場合は散歩に、自分が行きたい時にだけではなく自分は気が進まない時でも連れて行き、その犬や猫が病気になれば獣医に連れていって治療を受けさせて・・といったことができるかと思うと難しそうだなと思ってあきらめていたのに、それなのに、我が家の玄関に犬にしょんべんさせて行く人がいる。我が家の車庫に犬にでっかい糞させて行く人がいる。あれは、犬の糞だよなあ・・・、ずいぶんとでっかい糞だったが、人間の糞ではないよなあ・・・という糞が我が家の車庫にされることがある。 そして、猫は我が家の敷地内に、私が入っていいと許可した覚えなどないにもかかわらず、勝手に入ってくる。何匹も。そして、勝手に侵入してきた猫は、我が家の庭で糞をしていく。さらに、車庫内に置いていた物(有用)の上にしょんべんして行く。 その猫は、どう考えても、どこかの家が飼っている猫らしいのだが、我が家の庭で糞をしていくことについても、我が家の車庫に私が置いていた物(有用)の上にしょんべんしていくことについても、飼主(どこの家か未確定)から「すいません」の一言を言ってもらったことがない。
  私は、犬も猫も好きなのだが、私が、自分が十分に世話をできるかと考えて飼うことを断念しているのに、それを飼った上で、我が家の玄関に犬にしょんべんさせる人、我が家の車庫に犬にでっかいう〇ち をさせてそのまま行く人、我が家の庭に私が許可なんてしていないのに猫に侵入させて、我が家の庭で猫に糞をさせる人、我が家の車庫に猫に勝手に侵入させて、車庫に置いていた物(有用)の上にしょんべんさせて行く人・・・そういう人は好きではないし、好きになれない。 又、自分の所が飼っている猫がよその家でそういうことをしていることに対して、「すいません」の一言も言わないような人というのも好きではない。 又、私は犬は好きで、気持ちとしては飼いたいように思ったりしても、食事の世話をして糞便の世話をして・・ときっちりと責任もってできるかと考えると、なかなかできないなあと思ってあきらめているのに、それなのに、なぜ、よその犬が我が家の車庫にしていった糞を私が片付けさせられなきゃならんのだ???
  我が家の玄関にしょんべんする犬、我が家の車庫に巨大なう〇こ をしていく犬(もしくは人)は好きではないし、我が家の庭に私が許可なんてしていないのに勝手に入ってくる猫、我が家の庭に糞して行く猫、我が家の車庫に私が置いている物(有用)の上にしょんべんして行く猫というのは、それについて、「すいません」の一言も言わない飼主とともに、決して好きではない。

  時々、勘違いしている人がいるように思うのだが、猫を「かわいい、かわいい」となでるだけなでて、糞はよその家の庭でしてくればいいと考える人のことを「愛猫家」、犬を「かわいい、かわいい」となでるだけなでて、よその家の玄関にしょんべんさせて、よその家の車庫にでっかいう〇こ をさせて行く人というのを「愛犬家」と言うと思い込んでいる人というのがいて、犬も猫も好きだけれども、食事の世話を毎度やって、排便の世話もしてやって、時々は体を洗ってやって、爪も切ってやって、犬は自分が行きたい時だけでなく自分は行きたくない時でも毎日散歩に連れて行ってやって、病気にかかれば獣医に連れていってやって治療を受けさせて・・ということをきっちりとやりきれるかと考えて、いいかげんな飼い方をしたのでは、犬・猫も飼い主も不幸になるであろうからと思って飼わないようにしている者を「愛犬家」「愛猫家」ではないと思っている人がいるのだが、それは考え方が違うと思うのだ。

  それで・・・、犬にう〇こ を我が家の車庫の入口にされた・・というのは複数回あるが、あれは犬の糞だったのか、それとも、人間が道から少しだけ入った我が家の車庫で巨大う〇こ をしていったのか、犬のう〇こ にしては大きかったような気もするのだが、いくらなんでも、人間がそんな所でう〇こ していかんだろう・・なんて思うと見通しが甘いかもしれないが、犬かどうか断定はできない。犬を散歩に連れている人でも、犬が糞をした時にはそれを拾っていく人もいるわけで、犬の飼い主誰もが我が家の車庫に犬に糞をさせてそのまま行くというわけではないと思う。 しかし、猫の場合は、我が家の庭で平気で糞をするし、我が家の車庫に私が置いていた物(有用)の上にしょんべんをして行って相当臭い。置いていた物(有用)はもう使えない。 犬と猫なら、その点で、猫の方が侵入された家の人間としては被害は大きい。 何匹も入ってくるのだが、あれらの猫の飼主は、自分が飼っている猫がよその家の敷地内で、よその家に迷惑かけているということを認識しているのだろうか。
  この問題についてだが、犬には、昔は「ひも」とか「鎖(くさり)」と言ったが、今は「リード」と言うようですが、「ひも」でも「鎖(くさり)」でも「リード」でも、ともかく、自分の家の庭から外に出ることはないようにしてある庭で放す場合以外は、その「ひも」か「鎖」か「リード」を犬にして、犬が他人様の敷地内に入らないようにするのは当然のマナーであり、もしも、犬が他人の敷地に入って、他人の敷地内で、よその家の物を壊すなどすれば、それを賠償しないといけないというのは、たいていの人間が認識している。 それに対して、「猫は、つないでおくように要求することはできない」と言う人がいるのだが、それならば、勝手に我が家の庭に侵入してきて、我が家の庭で糞をしていったり、庭に置いていた物をひっくり返したり、我が家の車庫に私が置いていた物(有用)の上にしょんべんして行ったりするのは、それは「飼い主の当然の権利」だと言うのだろうか? ちょっと違うように思うのだがなあ。又、その猫に入られないようにと、ホームセンターで売ってる「猫が嫌がるスプレー」だとか買って塀の上に散布したり、曳いたコーヒーを猫は嫌がって避けるというからそれを置いたりしたこともあるが、そういう費用というのは、飼主が出すのではなく、猫に侵入される側が負担するのが「当たり前」なのか? どうも、違うように思うのだ。 あの猫、つかまえて、猫鍋にして食ったろか・・・とか、口では言っても、食ってもあまりうまくなさそうだし、何より、逃げ足は速い!
〔 今は昔、1993年のことだが、(株)一条工務店の松戸展示場に住みついた野良猫がいて、住みつかれたのでは困ると、それで、とっつかまえた上でクルマに乗せて・・・それでどうしたかというと、「遠くの方の住友林業の工事現場に捨ててきた♪」・・・ということをやったという者がおったのだが、我が家の庭に不法侵入する猫も、「ネズミ捕り」でも用意してふんづかまえた上で、それと同様に、どこか遠くの方の(株)一条工務店の(一般のお施主さんの工事現場だとお施主さんに迷惑がかかるから)住宅展示場の工事現場に捨ててきてやろうか・・とか思ったりもするのだが、どうだろうか・・・。〕
  「犬は、リードでつながないといけないが、猫はつなぐ必要はない。」「犬に侵入されて、犬に物を壊されたなら、損害賠償を求めることができるが、猫は侵入されても文句は言えない。猫に何かを壊されても、それはしかたがない」とか思っている人がいるようだが、そうか? それは、猫の飼主の勝手な主張ではないのか??? ・・・と、ずっと思ってきた。もしも、猫はよその家の敷地内に侵入して、よその家の敷地内で糞をしたりしょんべんしたりするのは猫の飼主の当然の権利だと認識しているのなら、それならば、「相互主義の原則」として、「猫型のドローン」でも用意して、我が家に侵入してくる猫の後を追尾した上で、その猫の飼主の家に、「猫型ドローン」に「しょんべん」させて「糞」させてもいいことになるのではないか? ・・・そこまでやるだけの気力がないのだけれども、理屈としてはやっていいことになるはずだ。そう思いませんか?

  それで・・・。 あきれてしまったことがあるのです。 コロナウイルスが問題になり、そして、インターネットとか週刊誌とかの情報を見ると、コロナウイルスはどうやって感染するかという感染経路にはいろいろなものがあり、そのひとつとして、猫がどこかでコロナウイルスに感染して自宅に帰ってきて、その飼い猫から飼主が感染するということがある・・・と出ていたわけです。 とすると、我が家の敷地内に入り込むどこやらの家が飼っている猫ども、こいつら、コロナウイルスに感染していて我が家にコロナウイルスを持ち込むなんてことはないか? ・・・そういう可能性があっても、それでも、猫の飼主に、猫を放し飼いにして他家の敷地に侵入させるのはやめてくれ、と言えないのか? ・・と思っていたのですが、そう思っていると、ある時から、猫を見かけなくなりました。 放し飼いにしている猫がよその敷地でコロナウイルスに感染してウイルスを自宅に持ち帰ることで飼主が感染する可能性がある・・・と思うと、急遽、それまで、放し飼いにして他家の庭で糞をさせ、他家の駐車場で他家が駐車場に置いている物(有用)の上にしょんべんをさせ・・してきた飼主が、猫がコロナウイルスによそで感染して自宅に持ち帰って飼主や飼主の家族に移したらいかん! それだけは避けなきゃいかん!・・・・と考えて、それで、室内飼いに急遽変更した、ということのようです。
  ・・どこの猫か知らんが、なんか、勝手な飼主やなあ・・・・
と思いませんか?

  コロナウイルスの問題がなかったとしても、猫の糞には、他のウイルス・病原菌といったものが含まれている可能性はあるのです。ですから、自宅の庭で糞をさせても、それは飼主の「自己責任」ですが、よその家の庭に自分の家の飼い猫を侵入させて糞をさせる権利があるのか・・というと、そんな権利なんてないはずなのです。
  その猫が自宅の敷地から外に出ないのであれば、犬のように「リード」をつけなくても、自宅の敷地内で放し飼いにしてもいいと思います。昔の農家などでは敷地が広いですから、屋外に自由に出れるようにして放し飼いにしていたとしても、屋外でも、たいてい、自分の所の敷地にいるので、よその家の敷地にウイルス入りの糞をしてくる可能性は小さかったでしょうけれども、我が家が住んでいる千葉県船橋市の南東部の住宅地では、それぞれの家の敷地はたいして広くありませんから、放し飼いにすれば、たいてい、猫はよその家の敷地に入ります。
  犬が散歩中によその家の敷地に入ってよその家の物を壊したという場合は、飼主には賠償義務が発生するでしょうけれども、それなら、猫がよその家の敷地に侵入して、よその家が車庫に置いていた物(有用)の上にしょんべんして使い物にならないようにしても、よその庭に糞をして、その糞にウイルスか病原菌か何かが含まれていて、そこからよその家の住人か、よその家のペットなりが病気になったとすると、「それはしかたがない」ということになりますか? それはおかしいでしょ。 犬がよその物を壊したなら飼主に責任があって、猫なら壊される方が悪い・・というのは、その主張はおかしいでしょ。
  私は、動物としては犬も猫も好きなのですが、もしも、自分が飼うとすると、犬ならば、リードをつけて散歩していて、犬がよその敷地に入ろうとしたなら、「入るな」と指示すれば犬は飼主の指示に従って入るなと言われた所には入らないようにすると思うのです。 それに対して、猫はそうはいかない。だから、その点で、飼うなら犬の方が飼いやすいかな・・・と思ったりしていたのです。 もしも、猫を飼うのなら、一切、外に出さないのはかわいそうだ・・と思うかもしれないけれども、マンションで猫を飼う人もいるわけで、高層階で住んでいる人がベランダに猫を出していると、猫はベランダの腰壁の向こうがどうなっているかわからずに飛び越えて、何十メートルも落下して死亡する・・という可能性もあるわけで、又、2階くらいからならともかく、高層階から猫に落下されると、死亡するのは猫だけとは限らないわけで、その下を通行していた人の頭上に落下すると、下を通行していた人も死亡するか、もしくは、相当の怪我をする可能性が考えられます。
  だから、マンションで猫を室内飼いしている人はいるはずで、マンションでもしも猫をベランダに出すなら猫が腰壁を越えて外に落下することがないように細心の注意を払わないといけないし、戸建住宅でも、猫を飼うのなら、室内飼いか、自宅の庭にフェンスを設けて、そのフェンスの内部だけ、屋外に出ることができるというようにするべきで、それでも、道路も歩かせたいのなら、道路上を歩かせる場合のみ、犬のようにリードをつけるか、するべきではないか。
  庭にフェンスで囲ったスペースを設けるなんて、そんなことできるわけない・・とか言い出す人もいるかもしれませんが、そうではないはうだ。庭にフェンスで囲われたスペースを庭に設けている人、あると思いますよ。フェンスで囲われたスペースを造って、そこで、ゴルフのクラブを振ってるおじさん、いますでしょ。猫を放し飼いにしたいと思うのなら、「室内+自宅の庭のフェンスで囲まれた空間」で放し飼いにして、それでも、道も歩かせたいのなら、道を歩かせる時だけ、犬のようにリードをつけて歩かせるようにするべきです

  なによりも・・・・、これまで、新型コロナウイルスではないとしても、何らかのウイルス・病原菌を含んでいる可能性がある猫の糞を我が家の庭に平気でさせてきて、我が家の駐車場に私が置いている物(有用)の上にしょんべんさせて、使い物にならないようにしてしまい、車庫に悪臭が漂うようにしても、それでも、平気で猫を放し飼いにしてきておいて、放し飼いにしている猫がよそで新型コロナウイルスに感染して帰宅して飼主に移す可能性がある・・・となると、突然、室内飼いに変更して外に出さないようにする・・・というのは、その姿勢というのは、なんというのか、「ずっこい」というのか、身勝手というのか、いったい何なんだろうなあ・・・と思います。

  新型コロナウイルスの問題にしても、それ以外のウイルス・病原菌の問題にしても、猫に侵入される側には他人の敷地に猫に侵入されることをやめさせることができず、猫に侵入させる側には猫を屋内から出さないようにする選択ができる、というのは、それはおかしいと思いませんか? おそらく、あの猫どもの飼主は、ちっともおかしいと思っていないと思いますが、その感覚もおかしいと思いますよ。

  (2020.7.23.)

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