長生きしてくれた母のおかげでわかった父親の人間性と高校教諭の白痴かげん―父の日に(2)! 

[第501回]父の日に(2)
  母が90代まで生きてくれたおかげでわかったことというのがいくつかあります。
  我が家は、「△△が欲しい」と言って買ってもらえるかどうかという際、近所の子供や幼稚園の同級生と比較して、買ってもらえないことがうっと多い家庭だった。よその家に遊びに行くと、よその子供が持っていて私が持っていないという遊び道具は多く、逆は少なかった。又、買ってもらえる場合でも、1960年代、近所でアイスクリームを売っている店があって、おばあさんが1人でやっていたのだが、そこでは、当時、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームが売っていたのだったが、私は10円のアイスクリームは買ってもらえたが、20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえなかった。「20円のアイスクリームてどんなものか、一度でいいから食べてみたいなあ」と、よそも同様だと思って幼稚園の同級生に言ったところ、「なんでえ~え。ぼく、そんなん、何回でも食べたでえ~え」と言われたことがあった。そういう経験は何度もあり、列挙しようとするときりがない。
  我が家は金持ちの方だったのか貧乏の方だったのかというと、「たぶん、真ん中あたりだろう」と思っていたのです。ちょうど真ん中より上か下かはわかりませんが、ものすごい金持ちでないのは間違いないし、たぶん、我が家より貧乏だろうという家もあったので、一番上ではなく一番下でもないのだろうと思っていたのですが、子供が買ってもらえるかどうかという点になると、近所の子や幼稚園・小学校の同級生と比較して、我が家はたいていの家よりも買ってもらえない家でした。「ぜいたくしてはいかんぞ」と父親は言っていたのですが、それは、必要ないものにカネを使ったり遊興費に浪費するのではなく価値があるもの必要なものに使うようにするべきだという考えを言っていると思い込んでいたのです。ですから、よその家は10円のアイスクリームも20円のアイスクリームも買ってもらえたところを、我が家は10円のアイスクリームは買ってもらえても20円のアイスクリームは買ってもらえないといったことがしばしばあっても、それは、そういう部分では節約するかわりに、その費用をもっと必要性が高いものに使うようにしようという考えなのだろう、と思い込んでいたのでした・・が、違った。私がハタチになった年、父はこう言ったのです。「〇〇には、よそとはちごうて、小さい頃から、欲しいというものは、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんで、ええもんばっかし、即座に、買ってきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやったったから」と。「絶対に違う」と、さすがにそれは否定したのですが、「はあん。こいつ、こんなこと言いよる。難儀なやっちゃなあ。これは、こいつ絶対にビョーキやわ。ビョーキやから、こいつ、こんなこと言いよるんやわ。これは、薬のませたて治療したらんとあかん。それも、ちょっとではあかん。大量に薬のませて治療したらんとあかんわ。こういうヤツのことを『病識がない』と言うんや、こういうやつのことを」と。ビョーキはあんたと違うんかい。「病識がない」のはあんたやろうが。わかった。我が家は、ものすごい金持ちではないがものすごい貧乏でもないというくらいではないかと思っていたのでしたが、「よそとはちごうて」、近所の子や同級生が買ってもらえるものを買ってもらえないことが多かったのは、単に父親が「しぶちん」「しみったれ」だったからだった。その上で、「〇〇には、よそとはちごうて、小さい頃から欲しいというものは、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、ええもんばっかり、何でも何でも、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってきたから」と言ってやろうという作戦だったのです。よその家では10円のアイスクリームだけでなく20円のアイスクリームも買ってもらえても我が家は10円のアイスクリームは買ってもらえても20円のアイスクリームは買ってもらえないが、それはより必要なものに費用をまわすためだということなら、20円のアイスクリームを買ってもらえなくてもしかたがないと思っていたのでしたが、ところが、よその子が買ってもらえているものを買わないで、その上で「〇〇には、よそとはちごうて、小さい頃から欲しいというものは、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、ええもんばっかり、何でも何でも、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってきたから」と言ってやろうという作戦だったとなると、これはおもしろくありませんし、そんなことなら我慢するのではなかった。失敗した。
  よその子が買ってもらえたが我が家は買ってもらえないというものが多かったけれども、父の勤め先はメーカーだったのだが、メーカーというのは原料を購入してそれを加工して製品にして、瓶に入れて箱詰めにして問屋や百貨店・スーパーなどに売るわけだが、原料や瓶や箱を購入して、製品を問屋や百貨店・スーパーなどに売る会社というのは、買う側の仕事をする人間と売る側の仕事をする人間がいて、その頃は知らなかったのだが、買う側の仕事についている方が売る側の仕事についている人間よりも、お中元とかお歳暮をもらえることが多いらしく、又、「坊ちゃんに」と言って子供が喜びそうなものを持ってくる人も多いようだった。うちの父親というのは、「社長に逆らわない人間」というのか、社長がうまく使ってくれたのではないか・・という気がするのだが、「アホはアホなりにつこうたらええがな」と社長が言っていたというのだが、そういう話を聞くと自分はアホでない側だと勝手に思い込んで「そうや。世の中わしみたいなエライ人間ばっかしとは違うんや。アホもつこうたらんといかんいうこっちゃ」と言って舞い上がるようなアホでも「アホなりに」うまく使ってもらったのではないのかと思うのだが、自分が買う側の仕事についたからといって特別にものすごい賄賂を取ってやろうというような人間ではなく、本人は「わしは人格者やねん」などと言うていたが実際はそういうことをやる能力もなかった人間で、立場を利用して会社を乗っ取ってやろうなんて考えない人間・・というよりも、本人は「わしぁ真面目やねん」などと言っていたが、そうではなく、そんな能力なんてまずない人間で、だいたい、親子とか兄弟とかではないが社長の親戚だったので、それで、買う側の役につかせてもらっていたようで、「坊ちゃんに」と言って何か持ってくる人というのがあり、その結果、うちの父親は「しぶちん」「しみったれ」だったので、近所の子供や幼稚園の同級生と比較すると、本人が「あれ、欲しい」と言った時に買ってもらえるかどうかというと、買ってもらえないことがよそよりずっと多かったけれども、よその子供が持っていないようなものを持っている場合もあったようだった。
  それとともに、前回[第500回]《「かわいい子には旅をさせよ」の4通りの意味。旅行でわかる人間性。父親がある人間はない人間より常に有利とは限らない、ということもわからないバカ女―父の日に(1)》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_7.html で述べたように、広島駅から特急に乗車する前に、「週刊文春」の「太平洋戦争期における日本海軍配置図」という特集号を父が読みたいから買うのに、「あんた、これ欲しないかあ」と言って私に買ってやってやったったということにして自分が欲しいものを買ったとか、京都から大阪まで帰るのに阪急・京阪・国鉄(現 JR)の3つのうち、最初から国鉄がその場所なら便利だと思っているのに、「あんた、何に乗りたい? 何に乗りたいか答えなさい」と言って、いくら、「何でもいい」と言ってもきかず、無理矢理、何か答えさせた上で、「あんたが国鉄に乗りたいと言うから乗せてやってやってやってやったってんで」ということにするという汚い手法は毎度のことで、父は自分が欲しいものを「あんたにこうてやってやってあげてやってやったってんで」と言って買うという習癖のある男だったので、なぜ、あれがあったのか? と思うものがあったのだが、父が欲しかったのだろうなあと思う。小学校低学年の時、同級生の家に遊びに行くと、男の子の家でも女の子の家でも、モノポリというゲームがあって、これがものすごく面白かったのだが、どこの家に行ってもあったのだが、唯一、我が家にだけなかった。女の子の家にはなかったが男の子の家に行くと野球盤というのが必ずあったが、これも、ものすごく面白かったのだが、唯一、我が家にだけなかった。幼稚園で「紙芝居」というのをやり、百貨店のおもちゃ売り場に行くと「紙芝居」が売っていたのだが、同級生の家に行くと、それを買ってもらって持っていた者がいたが我が家は欲しいと言っても買ってもらえなかった。ところが、私が小学校の低学年か中学年の頃、父は、けっこう高そうな「ルーレット」というゲームを買ってきたのだ。普段、私が欲しいと言っても、おそらくそれより安いと思われるものでも絶対に買ってくれないのに、私が欲しいと言ったわけでもないのに、突然、買ってきたのでどうしたのだろう? ・・と思ったのだったが、一見、子供用と見えたが父がやりたかったのだと思う。だから、自分がやりたいものを買ってきたようだ。但し、一人では遊べないゲームなので、それで父が遊ぶための道具として小学生だった私などが必要になったようだった。うちの父親は、子供が欲しいと言うものはなかなか買わないが、自分が欲しいものなら買う男で、自分が遊びたいもので1人では遊べないものだと子供をその遊び相手に使おうとする男だった。
  又、私が物心がついた時、今から思うと、けっこう高かったのではないかと思われるブリキの自動車が、普通の乗用車のものとパトカーのものがあったが、それはよその家にはなかったが、母から聞いた話では、それは取引先の人が「坊ちゃんに」と言って持ってきたものだったらしく、考えてみると、親が自分で子供に買って与えるものは、たいてい、よその子が持っていて私が持っておらず、我が家にあってよその家にないものは、たいてい、取引先の人が持ってきたものだったが、わからないのは、今から思うと、けっこう高かったのではないかと思われる戦車のおもちゃがあったのだが、普通、取引先の人間が、お得意さんに「坊ちゃんに」と言って持って行くのに、戦車なんて持って行かないと思うのだが、これは私の推測だが、おそらく、ルーレットと同じく父が欲しかったから買ったのではないか。しばしば、家で「ロスケどもをやっつけてや~る!」とか叫んでいたおっさんが欲しかったのではないか。だから、「子供のために」という大義名分で自分が欲しいものを買ったのではないか。私が父親ならば、まだ、小学校も行かないような子供に、戦車のおもちゃなんてそんなものは、高いか安いかにかかわらず、買わない。あれは、父親が欲しかったのであり、父親のおもちゃとして、戦車と「戦車で遊ぶ子供」が欲しかったのだ、と思う。そういう男だった。最初、パトカーもそうかと思い、「戦車とパトカーが好きな男」というのは、その精神構造はなんとも実に気持ちが悪い・・と思ったが、母から聞いた話では、パトカーの方は誰だったか取引先の人が私が産まれた時にお祝いとして「坊ちゃんに」と言って持ってこられたものだったらしい。
  よその子供は買ってもらっていたが、我が家は買ってもらえなかったものはいっぱいあったが、しかし、買わない方がいいと自分が大人になって思ったものもある。1960年代なかば過ぎ、小学校低学年の頃、テレビで『三匹の侍』というドラマがやっていて、その影響かもと思うのだが、男の子はのおもちゃを持っていた者が多かった。刀のおもちゃには、プラスチックの刀と金属製の刀があって、金属製のものの方が本物っぽい感じがして魅力的だったが、我が家はプラスチックの刀は買ってもらえたが金属製の刀は欲しいと言っても絶対に買ってもらえず、金属製の刀を買ってもらって持っていた同級生がうらやましかった。しかし、私が成人して思うには、親ならば、プラスチックの刀は買って与えてもいいが、金属製のものはたとえお金があっても買うべきではないと思う。なぜなら、危ないから。刀というものは、切るものだと私は子供の頃、思っていたのだが、これは高校の体育の剣道の授業の時に体育の先生から聞いた話だが、切ることを主として作られた刀と、殴ることで倒す前提の刀があったらしい。ヨーロッパの騎士で、両手に盾と矛とを持つ姿が描かれた絵とかがあるが、その矛というのは、攻撃には役立っても防禦には役立たないもので、それゆえに、防禦用の盾を片手に持ったらしい。日本刀というのは多くが攻撃と防禦の両方に使えるものだったらしく、防禦用に甲冑を斬ると甲冑を着た部分なら攻撃されても簡単に切れないが、甲冑を着たのでは重いので体の動きが悪くなり攻撃に支障がでたらしく、「鎖帷子(くさりかたびら)」なんてのはその中間で、少々のものなら防げたらしいが、やはり、何もつけないよりは動きは悪くなったようで、なおかつ、子連れ狼 拝一刀が使用していた胴太貫(どうたぬき)は鎖帷子くらいなら一刀両断する剛刀だった(というフィクションらしい)が、それだけに重く、相当力のある者でないと使いこなせないものだったらしい。宮本武蔵は、巌流島の戦いにおいて、物干し竿と言われた長い刀を使用する佐々木小次郎を倒すため、佐々木小次郎の物干し竿と呼ばれる長い刀よりも長いものとして、漁師が使用する櫂をけずった木刀を使用したとされるが、宮本武蔵はその時以外にも木刀を使用することがあったと言われ、この場合、木刀は「切る」ものではなく「打つ」ものとして使われた。木刀で頭部を思い切り打てば、たとえ、切れなくても人間は死亡するか重傷を負う。「打つ」ことで倒そうと思えば金属である必要はなく、木と金属なら木の方が軽いのでそれだけ長いものを使えたらしい。・・・で、子供のおもちゃとしての刀だが、金属のものでも、あくまで、おもちゃなので刃はついていなかったのだが、刃がついていないから安全というものでもなく、たとえ、刃がついていなくても、金属でできた刀は、やはり、子供のおもちゃとしては危険であり、それぞれの親にそれぞれの考え方があったのだろうけれども、親は子供に買い与えるべきではないと思うのだ。私は、我が家はプラスチック製の刀は買ってもらえたが金属製のものは買ってもらえず、金属製のものを買ってもらって持っていた同級生がうらやましかったのだが、自分が成人してから考えると、あれは、買わない方が正解だと思った。うちの父親は、「危ないからいかん」と言っていたような気がするのだ。子供の頃の私は、そんなこと言っても、同級生で買ってもらって持っていた人間が何人もいたのにと思い、買ってもらって持っていたものがうらやましかったのだが、「危ないからいかん」という考えならしかたがないと思っていたのだった・・・が、成人してから思ったのに、はたして、あのおっさんは、金属製の刀というのは危ないと思ってそれで買わなかったのか、そうではなく、プラスチック製の刀と金属製の刀では金属製のものの方が高かったから、「しぶちん」「しみったれ」だったから、だから、「金属製の刀は危ない」という大義名分を利用して買わなかったのか。どうも、後者ではなかったのか、という気がするのだ。もしくは、両方だったかもしれないが、あのおっさんが、そういった大義名分を利用して、おのれの「しぶちん」「しみったれ」をしばしば実行するおっさんだった、というのは疑う余地のない事実だった。

【1】 数字合わせゲーム(15ゲーム)
  そんなもので、我が家は、どう考えても、私が「あれ、欲しい」と言っても買ってもらえないことが近所の子供や幼稚園の同級生・小学校の同級生と比べて多い家庭だった。
  1960年代なかば、私が幼稚園の年長組の時のことだったが、正月に、父の弟(叔父)夫婦が私より1つ年上の娘と私より1つ年下の息子(イトコ)を連れてやってきた。ところが・・・。 帰る頃、そのイトコが、私がその1週刊ほど前に幼稚園でもらったばかりの「数字合わせゲーム」(4×4の16マスある所に1~15の数字が書かれた正方形が入っていて、空いている1マスを利用して並べ替えるゲーム。↓ みたいの。)を、「それ、もらってかえる」などと言いだしたらしいのだ。私が私の親ならば、「行儀の悪い子供やなあ」と思ったと思うし、私が父親なら、弟(叔父)に、「おい。おまえの所はあまりいい教育をしていないようだな」とでも言ってやるところである。
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  母が「あんた、これ、あの子らにあげなさい」と言ってきたので、びっくりした。幼稚園児が12月のクリスマスに幼稚園からクリスマスプレゼントだとしてもらったばっかりのものを、「これ、あの子らにあげなさい」などという母親がどこにあるか!?! ・・と思ったのだが、我が家にあったのだ・・。 ひとつには、私は上に姉が2人いて、その片方も、同様の「15ゲーム」というのを幼稚園で同じような時にもらったようで、我が家には私が幼稚園でもらったものと上の姉が幼稚園でもらったものとがあったので、それで、母は「これ、どちらか、あげなさい」と言ったようだったが、姉は、もう、15ゲームで遊ぶような年齢ではなくなっていたとはいえ、姉がもらったものは姉の物であり、1人に1つと考えるならば、下の姉は持っていなかったわけで、上の姉は年の離れた弟には弟が幼稚園でもらうよりも前に自分がもらったものを使わせてくれたけれども、2つしか違わない下の姉には使わさなかったのではないかと思う。母は「これ、どっち、あげるか?」と言うので、「なんで、あげないといけないの!?!」と私は言ったのだ。正論であるはずだ。「あの子らも、幼稚園でもらってるのと違うの」と私は言ったのだ。私が幼稚園に行って、イトコの2人は幼稚園に行っていなかったのではなかったのだ。私が行った幼稚園はカトリック系の幼稚園で、イトコが行った幼稚園はキリスト教系の幼稚園ではなかったらしいので、キリスト教系の幼稚園の方がキリスト教色の強いクリスマスをやっていたと思うが、キリスト教系でない幼稚園、たとえば、我が家の近所には、カトリック系の私が行った幼稚園とその近くに生長の家がやっていたらしい幼稚園があったのだが、小学校に行くと、その両方の幼稚園の卒園者が来ていたが、生長の家の幼稚園の卒園者に聞いた話では生長の家系の幼稚園でもクリスマスはやっていたらしく、その時、姉の方のイトコは私より1つ年上で幼稚園は卒園して小学校1年、弟の方のイトコは幼稚園の年少組だったが、イトコが行った幼稚園でもクリスマスはやっていたはずだった。だから、私が幼稚園で「クリスマスのプレゼント」をもらったなら、イトコだって、同じ物をもらわなかったとしても何かもらった可能性が大きいはずだった。 たとえ、イトコが幼稚園でクリスマスプレゼントをもらわなかったとしても、だからといって、私が幼稚園でもらったものを奪う権利があるわけではないはずだった。
  母は「これ、2つあるから、どっちか、あの子らにあげなさい」と言い、「こっちをあげるか」と姉がもらった方のものを指して言うので、「それはお姉ちゃんのや」と私は言ったのだ。母は、普段から、私の物でもない物を私がよその子にあげるなどということをしたなら、ものすごく怒ったもので、だから、私はそういうことは絶対にしなかった。それをやれという母の態度が信じられなかった。私が「それはお姉ちゃんのや。それはお姉ちゃんのやから、お姉ちゃんにきいて」と言うと、母は「そしたら、こっちをあげるということやな」と言って、私がその1週刊ほど前に幼稚園でクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりのものを指して言うので、「それ、1週間ほど前に、幼稚園でもらったばかりのものなんやで」と言ったのだ。母の態度が信じられなかった。
  私が幼稚園でクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりのものをイトコにやれと母が言ったのに対して、「それ、1週間ほど前に、幼稚園でもらったばかりのものなんやで」と言うと、母は「そしたら、こっちをあげるな。ええな」と言って姉がもらった物の方を指して言うので、「それは、お姉ちゃんのや。お姉ちゃんの物を勝手にあげたらあかん!」と言ったのだ。すると、母は「それなら、こっちをあげたいということなんやな」と言って、私が幼稚園で1週間ほど前にクリスマスのプレゼントだとしてもらったばかりのものの方を指して言うのだった。「なんで、あげないといけないの。それは幼稚園で1週間ほど前にクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりのものやないの」と言ったのだが、母は「我儘言いなさんな、あんたはあ! どっちをあげるのか、言いなさい」と言うのだった。「どっちも、あかん! なんで、そんなもの、あげないといけないの!」と言ったのだが、母は「いいかげんにしなさい! わかった。こっちをあげるいうことやな」と言って、姉がもらった物の方を持って行き、イトコはそれを強奪して帰った。なんとも、嫌な思いをした正月だった。
  母は「幼稚園でもらったといっても、それは親が幼稚園にお金を払っているから、幼稚園は親にくれたのであって、あんたがもらったのとは違うんや」と言うのだったが、たしかに、幼稚園に何費というのかわからんがお金を払っていない親の子、その幼稚園の園児でない子供には幼稚園はクリスマスのプレゼントはくれないから、だから、「親がもらったものや」というのは間違いではないのだろうけれども、それならば、幼稚園の先生の渡し方が適切ではないと思う。幼稚園の先生は「幼稚園から、皆さんにクリスマスのプレゼントがあります」と言って子供に渡したのだ。そうではなく、幼稚園の先生ははっきりと「幼稚園から皆さんの親御さんに渡すプレゼントがあります。これは皆さんにではなくお父さんお母さんに渡すものですから、そのままお父さんお母さんに渡してください」と言って渡すべきであったはずだ。そう言って渡されたならば、その数字合わせゲームは、あくまでも、お父さんお母さんへの幼稚園から渡したものだと子供は思ったであろうから、それをイトコにやろうが鳩子にやろうが別にどうも思わなかっただろう。幼稚園の先生の渡し方が間違っていたようだ。
  その頃、我が家は特別の豪邸でもないが戸建住宅に住んでいたのに対して、叔父夫婦とイトコは公団に住んでいた。公団というのは賃貸のものだと私は思っていたのだったが、賃貸の公団と分譲の公団があって、叔父夫婦が住んでいたのは分譲の公団で、共同住宅だけれども持家だったらしい。私は、イトコは私がクリスマスに幼稚園でもらったばかりのものをもらって帰らないといけないようなかわいそうな家庭の子なのだから、当然、持家でない家に住んでいるものだと思い込んでいたのだが違った。 我が家の近所に△△アパートという見るからに貧乏人が住みそうなアパートがあって、母は片方で「誰とでも分け隔てなく一緒に遊びなさい」と私に言いながら、他方で「△△アパートの子とは遊んだらいかん」などと言い、子供としては「どっちやねん!」となんとも困ったものだったが、基本は「誰とでも分け隔てなく一緒に遊びなさい」だった、人間は慶應の内部進学の人間みたいに特定の層の人間だけとつきあって成人するのではなくいろいろな人間と出会いながら育つのが好ましいと考えたのだと思うが、片方でその△△アパートの子は実際問題としてガラの悪い子が多かったので、それで、悪影響を受けると思って一緒に遊ばせたくないと考えたという気持もわからないことはない・・が、近所だったのでつきあいがないことはなく、そのどう考えても金持ちではない家庭の子と思われる△△アパートの子でも、私よりいろいろと買ってもらって持っていることが多く、見るからに貧乏人の家庭という感じがする△△アパートの子よりも買ってもらえない私よりも、まだ、買ってもらえないイトコというのは、ものすごい貧乏でものすごいかわいそうな家庭の子なんだなあと、その時、思ったものだった・・が、私よりはいろいろと買ってもらっていろいろと持っていた△△アパートの子の住まいは賃貸のアパートだったのに対して、イトコが住んでいた公団住宅は分譲の持家だったらしいのだ。 そして、叔父は30代の時に脳卒中になって体が不自由になり、働けなくなってしまったので、それで、生活に困って、△△アパートの子よりも買ってもらえない、△△アパートの子より遊び道具を持っていない私よりもまだ買ってもらえないかわいそうな家庭の子なのだろうと思ったのだったが、違ったようなのだ。母が90代まで生きてくれたことからわかった。叔父が脳卒中になってしまったのは、それより後だったらしいのだ。むしろ、その頃は、叔父は会社で営業の仕事についてけっこうはぶりが良かったらしいのだ。なんか、話が違うやんけ!・・・だいたい、金持ちの子であるか貧乏人の子であるかにかかわらず、ひとが幼稚園で1週間ほど前にクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりのものを、「それ、もらって帰る」などと言って持ち帰るヤツというのは、いったいどんな教育受けてきてるんだ!?! 親の顔が見たい! というもんだ。 私が近所の子の家とか、幼稚園の同級生の家とか、小学校の同級生の家とかに遊びに行った時に、私が持っていなくてよその子が持っている物というのは、いくらでもあったが、私は自分が持っていない物をよその子が持っていたとしても、決して「それ、もらって帰る」などとは言わなかったし、もしも、そんなことを言ったなら、うちの母親も父親も激怒したものだった。それなのに、イトコが「それ、もらって帰る」と言うと、「これをあの子らにあげなさい」などと言いだす母親というものが信じられなかった。結局、少なくともその時点においては、叔父は病気ではなく働いていたし、叔父の給料は父より年齢が若かったことから父よりも会社の役職は下で父よりいくらか給料は安かったかもしれないがその頃の世間一般から考えて無茶苦茶安かったわけでもなく、住んでいる家も共同住宅とはいえ持家で、イトコは特別にものすごいかわいそうな家庭の子だったわけでもなく、15ゲームは持っていなかったらしいが、姉の方のイトコは幼稚園を卒園して小学校1年、弟の方のイトコは幼稚園の年少組で、私とは別の幼稚園だけれども2人とも幼稚園に行っており、私が私が行っていた幼稚園でもらった物と同じ物はもらわなかったということであって、別の何かをもらった可能性は大きかったのだ。もしも、私が幼稚園でクリスマスにもらったものをイトコにあげないといけないのなら、「相互主義の原則」としてイトコもまた幼稚園でクリスマスにもらったものを私にくれていいはずだったが、イトコは「やらずぶったくり」だった。これはおかしいと思うのだ。
  私は、イトコと叔父夫婦の家庭というのは、△△アパートの子よりかわいそうなものすごい貧乏な家庭なのかと思い込んでいたら、そうではなかったのだ。さらに、私より1つ年下の弟の方のイトコは、京都工芸繊維大学しか行けないくせしやがってからに、工学部の土木学科だかに行きやがった。けっこういい会社に就職したようだ。父は私には「うちは、工学部になんか、行かすような金持ちとは違います! 甘ったれなさんな!」と毎日毎日言い続け、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と私が言っても、母は「100パーセント絶対に国立大学に通るとは限らんでしょうがあ! たとえ0.1パーセントでも落ちる可能性がある以上は、国立大学でも工学部なんか受けてはいかんでしょうが、あんたはあ! 甘ったれなさんな!」と言い、父は「そうじゃ、その通りじゃ。甘ったれるなあ!」と毎日毎日言うのだったが、△△アパートの子よりもまだ貧乏でかわいそうな家庭の子であったはずのイトコ(弟)は、なぜ、我が家よりも貧乏な家庭の子であったはずなのに、京都工芸繊維大学しか行けないくせしやがってからに、工学部に行くのだろうか? マカ不思議というのか、およそ、理解できるものではなかった。さらに、イトコ(姉)の方は、神戸市立外大なんてのに行きやがった。私なら、そんなところ、行きたいと思わなかったが行きたいと言っても絶対に受けさせてもらえなかった。さらに、イトコ(姉)は神戸市立外大に行っておきながら、「絵描きになる」などとわけのわからんことを言い出したそうで、せっかく行かせてもらった神戸市立外大をやめてしまったというのだ。私が同じことをしたのなら、「あんた、頭おかしいのと違うか」と言われて「入院」でもさせられるところであろう。△△アパートの子よりも貧乏でものすごいかわいそうな家庭の子というのは、実は我が家よりもはるかに恵まれていて我が家よりもはるかに裕福な家庭の子だったようだ。少なくとも、大学進学においては、イトコの方が私よりはるかに有利だった。なにしろ、「うちは、工学部になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな!」と私は毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらい言われてきたのに対して、イトコは京都工芸繊維大学しか行けないくせしやがってからに、その京都工繊大の工学部の土木学科だかにくそどあつかましくも行きやがったのだった。どこがかわいそうな家庭の子やねん、いったい、どこがあ!?>!??Δ?§?!?
  父は「あんたは、・・の子(イトコ)なんかとはちごうて、小さい頃から何でも何でもこうてきてもらえた恵まれた子やったんやから、そやから、その恩に報いるために、すべて央すべて王、わしのために。すべて欧すべて翁、わしのために、わしのために捧げ尽く~す! とってちってたあ~あ!」と毎日毎日言い続けたのだったが、何言うてんねん! 「小さい頃から」イトコはかわいそうな家庭の子で私に比べて恵まれてない家庭の子で・・と教えられてきたのだったが、どう考えても絶対に違うやんけ!!!  「小さい頃から」、正月に、ひとがクリスマスに幼稚園でもらったばかりのものを「それ、もらって帰る」と言って強奪して帰ったのはイトコであって私ではなく、そうやって奪われたのは私であってイトコではなかったはずだ。そして、京都工芸繊維大しか行けないくせしやがってからに工学部に行かせてもらったのはイトコであって、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われて、工学部でも少なくとも京都工芸繊維大よりは上の大学に行けた可能性が高いのに、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくないと小学生の頃から思い続けてきた学部に強制と脅迫と暴力で行かされたのは私であってイトコではなかったのだ。だいたい、なんやねん! 京都工芸繊維大なんてアホ学校、行きやがってからに!!! 工学部に行きたいなら東大にでも行け、東大にでも!↓!↓!
ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス) - 三田紀房
ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス) - 三田紀房
  この件なのだが、それにしても、よその家に行って、何をもらって帰ろうかと虎視眈々として見まわしているヤツ、その当時、姉イトコは小学校1年、弟イトコは幼稚園年少組で、小学校1年や幼稚園年少組で、よその家に行ったら、どれをもらって帰ってやろうかと虎視眈々と目を皿にようにして見回しているヤツというのは、怖ろしいやつらだ・・・というのか、いったいどんな教育しとるんだ、その親は?!? ・・と思ったのだった・・・・が、もしかして、そうではなかったのではないのか? ・・と、私が50過ぎるか過ぎないかの年齢になって、ふと思ったのだ。 それで、90代の母に訊いてみたのだ。「あれは、もしかして、イトコの☆子と◇一郎が、『それ、もらって帰る』と言ったのではなく、うちのお父さんが、何かイトコにやってええかっこしたろと思うて、あげるものを捜して、『それを、あの子にあげなさい』と言ったのと違うのですか?」と・・・・。予想の通りだった。「そうや。お父さんが、あげなさいと言ったんや」と、母の答えは予想通りだった。そういうおっさんやった。きょうは6月22日(月)。「父の日」は6月の第3日曜日、2020年は昨日、6月21日(日)が「父の日」だった。やっぱりなあ、と思った。あのおっさんが、私が1週間ほど前に幼稚園でクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりのものを、「それを、あの子らにあげなさい」と言って、「わしいは、〇〇には、いつでも、何でも何でも、どんなもんでも、こうてやあってやって、やあってやって、やあってやってるんや。そやから、それ(数字合わせゲーム)くらい、あんたの子にやるわあ!」とでも言ったのだろう。そうやって、「ええかっこ」しようとしたのだろう。そうやって、叔父夫婦とイトコに恩を着せようとして、そして、むしろ、イトコからその態度を嫌われたのではないか。そういうおっさんやった。昨日、6月21日(日)は6月の第3日曜日、「父の日」、「世の中にはカスの親もおれば、ダメな父もおるけれども、あんたはこの上もないすばらしい神さまのようなキリストのような聖徳太子のようなヒットラー総統のようなエッライえっらいエッライえっらい聖人で英雄でキリストで人格者のお父さんを持ってものすごい幸せな人間やから、『お父さん、いつもいつも、私のために尽くしていただいて、ありがとうございます。感謝してます、お父さん』と言うもんやと思うから、それを聞かせてもらおうと思うて電話してやってやってやってやってやってあげてやってやったってん」と言って電話してくるおっさんの日であった。そういうおっさんやった。実際は、我が家より金持ちの家もあり我が家より貧乏な家もあったと思うが、いずれにしても、我が家より貧乏な家よりも、何でも、私が欲しいと言っても買ってもらえないことの方がずっと多かったのに、それを「うちはよそとはちごうて、あんたには、いつでも何でもどんなもんでも、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってあげてやってもらっていただいてくださってあげてやってやってやってあげてやってやったったから」と毎日毎日叫ぶ男であり、それでいて、イトコには、「〇〇には、そんなもん、何でも何でもこうてやってやあってやったっとるんやから、そのくらい、やるわ、そのくらい!」と言って、幼稚園児が1週間ほど前に幼稚園でクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりのものを、「それ、あの子らにあげなさい」と言ってくれてやろうとする、そういう男やった。そういう男のことを「心理学」では「人格者」とか「成熟した人間」とか「精神的に安定した人間」とか「診断」するらしいのだ、「心理学」では。それに対して「なんでやねん?!?」などと言おうものなら、「未成熟だからそういうことを言う」とか「わざわざ無理して逆らっている」とか「自我が確立されていないからそういうことを言う」とか「アイデンティティーがないからそういうことを言うのだ」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言う」とかなんじゃかんじゃ症候群とかなんたらかんたらくんたらシンドロームとか「診断」されることになる。小此木啓吾内部進学独善主義・小此木啓吾「おまえはそんなにえらいのか」症候群・小此木啓吾「レッテル」製造シンドローム はそういう「レッテル」を大量に生産してひとに貼りつけてガッポガッポ儲けたようで、その息子か娘はまた、そのカネで小此木啓吾みたいに慶應幼稚舎でも行ったのではないかと思う。どうせ、そんなところだろう。そういうヤツが内部進学で慶應大学に行くと「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」とか叫ぶのである。「教育」されんといかんのはどっちなんだ? なんで、種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うやつに「教育」されなきゃならんのだ!?! なんで、agriculturre を agriculture と発音するヤツに「教育」されなきゃならんのだ?!? なんで、公立高校出身者はドジンだと思ってるようなやつら・塾風強姦主義に「教育」されなきゃならんのだ!?!・・というと、彼らは、内部進学の人間が「外部の連中」を「教育」するのが常識だと確信しており、それを、「常識ですね」とか言うのである。そういう人間のことを「本物の慶應ボーイ」「本物の慶應ギャル」とか「思考が柔軟」とか「独立自尊」とか「スマート」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ。(最後の「ギャルにもてもて」とかいうのはしょーもないやつが似た者同士くっついて喜んどるだけのことだと思うけどな。多少は、もしくは、相当、願望も入っとるかもしれんし。)

  私がハタチの時、父は「〇〇には、よそとはちごうて、小さい頃から、欲しいというものは、どんなもんでも、ええもんばっかり、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、何でも何でも、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってあげてやってきたから」と言ったので、私は「絶対に違う」と言ったのだが、すると、父は「はあん! こいつ、こんなこと言いよるわ。難儀やなあ、こいつはあ。こいつには、小さい頃から、よそとはちごうて、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、こうてきてやあってやってやあってやって、やあってやってきたのにからに、それがわからんとは。これはビョーキやわ、こいつ。絶対にこいつ、ビョーキやわ。薬のませて治療したらんとあかんわ、こいつは。それも、ちょっとではあかん。相当大量に薬のませたらんとあかん! こいつ、絶対にビョーキやわ。こういうのんを『病識がない』と言うんや、こういうのんを」と言うのだったが、「相当に大量に薬のませたらんとあかん」のは私ではなくおっさんと違うのか。「病識がない」のはあんたと違うのか!!! と思ったものだった。ニューヨーク州立シラキュース大学精神科教授のトマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)に「彼らが何を言っているかを聞くのではなく、彼らが何をやっているかを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用しているが(私はアインシュタインがどこでこの言葉を言ったのか調べようとしたのだが、見つからないが、アインシュタインがどこで言ったのか、言ったのがアインシュタインなのかアリストテレスなのかアンデルセンなのかは大きな問題ではない。もし、誰も言ってなければ私が言うだけのことだ)、この「彼らが何を言っているかを聞くのではなく、彼らが何をやっているかを見るべきだ」という基準で考えるならば、うちの父親というのは、よその子が買ってもらっているものでも我が家は買ってもらえないことが多く、なおかつ、私が幼稚園でクリスマスにもらったばかりのものを強奪して、「うちはこいつには、そんなもん、いつも、いっくらでもこうてやったっとるんやから、そのくらい、あんたとこの子にあげまっさあ」と言ってイトコにくれてやって「ええかっこ」しようとする男であり、そういうことをやった上で、「〇〇には、よそとはちごうて、小さい頃から、欲しいというものは、どんなもんでも、ええもんばっかり、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、何でも何でも、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってあげてやってきたから」と言った上で、さらに「はあん! こいつ、こんなこと言いよるわ。難儀やなあ、こいつはあ。こいつには、小さい頃から、よそとはちごうて、何でも何でも、どんなもんでもどんなもんでも、こうてきてやあってやってやあってやって、やあってやってきたのにからに、それがわからんとは。これはビョーキやわ、こいつ。絶対にこいつ、ビョーキやわ。薬のませて治療したらんとあかんわ、こいつは。それも、ちょっとではあかん。相当大量に薬のませたらんとあかん! こいつ、絶対にビョーキやわ。こういうのんを『病識がない』と言うんや、こういうのんを」と言うという、そういう人間だった、ということである。トマス=サズが引用している「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉だという基準により判断するなら、そういうことになる。そういうおっさんやった。「彼らが言っていることをきくのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」という基準で判断するならば、「父の日」になると「きょうは父の日やからやなあ、あんたはこのわしに『お父さん、いつもいつも、お世話になってありがとうございます。私はこの世の中でどこよりもすばらしいお父さんを持って幸せです。ありがとうございます、お父さん』と言いたいやろうと思うから、そんで、気をきかせて、わしの方から電話してやってやってやってやってやったってん。感謝の気持ちをこめて、そう言いなさい」と言って電話してくる男はそういう男だった、ということである。

【2】オルガン
  幼稚園児がクリスマスにクリスマスのプレゼントだとして幼稚園でもらったばかりのものを、正月にイトコにくれてやって、それで、「わしは、うちの子にはそんなもん、いつでもいつでも、何でも何でも、こうてやってやったっとるんやから、そのくらい、あんたとこの子にやるわ」とか言って「ええかっこ」してやろうというのは、その時だけではなかったようだ。
  私は小学校1年から2年にかけて、ヤマハのオルガンを中心とした音楽教室に通わされた。「通わされた」と言っても、行くと親が決めてきたものなので「通わされた」とここでは表現したが、決して嫌ではなく、喜んで行っていた。但し、よその子は、練習用に、ヤマハの電気式オルガンを購入してもらっていたようだが、我が家だけは、家に足踏み式オルガンがあったので、私だけは、その足踏み式オルガンで練習して、練習後は、布で鍵盤を拭いて、その後、オルガンの本体を拭いてきれいにしていた。 新しく、電気式オルガンを買ってもらえた者がうらやましかったけれども、家に足踏み式オルガンがあるのだから、あるものは使うべきだと思ったし、それはそれでかまわないと思っていた。ところが、ある日、私が毎日練習していたオルガンを持ち去ろうという男たちが家にやってきた。オルガンを持ち去ろうとするので、私は「なんで、オルガン、持って行くのお? それ、僕が毎日練習してるオルガンやでえ。なんで、オルガン、持って行くのお。なんで、持って行くのお。それ、ぼくが練習しているオルガンやでえ。なんで持って行くのお。ぼく、明日からどうやってオルガンの練習したらええのお」と悲壮な気持ちで訴えたが、家にやってきた男たちは、子供の言うことには耳を貸さず、有無を言わさず、私が毎日練習して、毎日、それを布でふきあげていたオルガンを持ち去ったのだった。廃棄するために廃品回収の業者が来たのか、ピアノやオルガンの下取りの業者が来たのかと思っていたのだが、母も来た人がどういう人かよくわからなかったらしい。父が他界した後も、母は「あれ、どういう人やったのやろう」などと言っていたのだが、家にあるものを、持ち去ろうとして来た男に、どういう相手かもわからずに持って行かせる人間というのもどうかと思ったが、我が家の親はそういう夫婦だったのだ。1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がなかったから」とそれを最大の自慢にしていて、父親がある人間というのは「父親がなかった」自分よりも恵まれていて甘ったれている人間だと主張してきかなかったのだが、しかし、父親にもいろいろあるし、夫婦にもいろいろあるわけで、うちの両親というのは、母親は、いったいどういう人間が来たのかもわからずに、息子が毎日練習していたオルガンを渡さないといけない母親で、父親はそうやって息子が毎日練習していたオルガンをよその人間にくれてやる父親だったのだ。「父親がなかった」娘なら、そういう体験もすることはなかったのではないかと思うが、それでも、「私は父親がなかったから」と何度も自慢して主張する女が北野高校の教諭になっていたが、北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格した時はうれしかったが、卒業して何年か経ってみると、そんなにいい学校ではなかったなあ、と思うようになった。特に、旧姓作野礼子がいた、という点において、それ以外でどんなにいい所があっても、最低最悪最凶の学校だったと今は思う。
  どうも、うちの父親が「オルガンなんか要ら~ん」と考えたようだったのだ。父は、自分はたまにピアノをいじることがあり、バイオリンを持っていて、時々、バイオリンをひいて楽しんでいたが、オルガンは足踏み式のものがあったが「ピアノがあったら、オルガンなんて要ら~ん」と考えたようだったのだ。その時、子供がオルガン教室に通っていて、毎日、そのオルガンで練習しているなどということは、頭の片隅にもなかったようなのだ。なにしろ、「子供ちゅうもんは女が育てるものなんやぞ、女が。わかっとるか。心得違いを起こしてはいかんぞ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては、チャンコロ!」と毎日のように言う男だったから(1989年だったと思うが、千葉県松戸市の松戸市役所で「子育てをしない男を父親とは言わない。――厚生省」と書かれたポスターが貼られていたのを見たが、それを作成した厚生省の役人というのは、父の考え方によると「心得違いを起こしとる」「考え違いをしている」「甘ったれとる」人間で「常識がない」人間であり、「頭おかしいからそういうことを言いよるんやから、治療したらんといかん」人間だということになる。)子供がオルガンの練習をしているかどうかなんて、たとえ、練習している時に自分がいてオルガンの音が聞こえていても、それでも「子供は女が育てるものなんやぞ、女が。勘違いしてはいかんぞ勘違いしては。甘ったれとってはいかんぞ」という認識の男だったので、私がオルガンの練習をしていることもヤマハのオルガンを中心とした音楽教室に毎週通っていたことも認識になかったようだ。それで、「オルガンなんて、要ら~ん」と考えたようだったのだ。それで、誰かにあげたらしいのだ、私が毎日練習して、毎日ふいてきれいにしていたオルガンを。いったい、誰にあげたのか、母はよく知らない人だったらしい。会社の従業員だったり取引先の人だったりで家にもよく来るような人なら母は誰かわかったようだが、母の知らない人で会社の人なのかどこの人なのかもわからない人で、それが誰なのかも父は言わなかったらしい。「わしが、やると言うとるんや。女が口出すことあらへん」とか思っていたのではないかと思う。 それから何十年か後、父は、家で持っていたオーディオ設備を買い替えて新しいものを買おうと考えたらしく、母が親戚の用事か何かで出かけて家に帰ると、それまであったオーディオ設備がすべてなくなっていたのでびっくりした、ということがあったようだが、それと似たやり方をしたようだ。その時、それまでのオーディオ設備はどうしたかというと、「喫茶店で会った人」にあげたらしい。どうも、よく行く喫茶店にたまたま来ていた人で、オーディオ設備を買いたいけれども、今、カネがないとか言う人があったようで、「それじゃあ、うちのをあげまっさあ」とか言ってあげたようだ。なにしろ、「わしぁ、聖人」というおっさんですから、「たまたま、喫茶店で会っただけの人」にでも親切だったようだ。それで、もらう人が自分でクルマで取りに来たのか何なのかわからないが、母が親戚の用事だかで外出している間に、父は家に戻ってきて、母が知らないうちに持ち出されていたらしい。 オルガンもまた、その類ではないか。「喫茶店で会った人」かどうかわからないが、特別に親しいわけでもない人で、息子か娘にオルガンを習わせたいと思ったがオルガンを買うにはそれなりにカネがかかるしどうしようかなあとか口にした人がいたのではないかと思う。それを横で聞いて、「そしたら、うちに要らんオルガンあるから、それをあげまっさあ」とか「聖人」は言ったのではないか。それで、たいして親しい関係でもないのに、オルガンなんてものをくれるのかあ、ええ人やなあ、聖人やなあ~あ・・と思って、オルガンをもらいにクルマで家にやってきた人がいた・・・というそんなところではないか。 母も「びっくりした」と言っていたので、母も予想外だったらしい。それにしても、自分の息子がオルガン教室に毎週通って毎日オルガンの練習をしているのに、「うちに要らんオルガンあるからあげまっさあ」とか言ってよその人間にそれをあげるおっさんて、そんな父親なんてあるのか?!?・・・というと、我が家にあったのだ。イトコに私が幼稚園でクリスマスにクリスマスのプレゼントとしてもらったばかりの数字合わせゲームを「それ、あの子らにあげなさい」と言ってくれてやる男は、子供が毎日練習しているオルガンもまた、よその人にあげるようだった。「聖人」「英雄」というのはそういう人のことを言うようだった。
※ 「英雄」⇒《 交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン) ヘルベルト=フォン=カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団》https://www.youtube.com/watch?v=GKFStVrKNU4
  父と母は「あんたが、できるようになったものは、すべて親ができるようにさせてやったったものや」と言うのだったが、ヤマハのオルガン教室では私が一番できが良かったので、演奏会では1人だけ普通のオルガンではなくエレクトーンでひかせてもらったし、誰もが私と同じだけできるようになったのではない。親は習い事の費用を親が出したと思っていて、あくまで、親がその費用を出したからできるようになったのであって私が努力したからできるようになったのではないと思っていたようで、父は「あんたは何一つとして努力しとらんねんで」と何度も何度も言ったものだったが、何であれ私と同じようにその「習い事」の教室に行った者が誰もが私と同じだけできるようになったわけではなく、やっぱり、そこに行かせてもらったからできるようになったという面もあるが、行った本人が努力したからできるようになったという面もあると思う。決して、「あくまでも、わしがえらいからあんたはできるのであって、あんたは何一つとして努力しとらんねんで」などということは絶対にないはずだ。私からオルガンを奪って行った人は、もしかすると、そのオルガンを息子か娘に渡してオルガンの練習をさせようとしたのかもしれないが、オルガンを私から奪って獲得した息子か娘が私と同等以上にできるようになったかというと・・・、たぶん、できてないと思う。ソ連映画『シベリア物語』の中で、登場人物の音楽家が第二次世界大戦に兵士として行っていたピアニストの男に「ルビンシュタインは(ピアノがない場所では)板の上で指を動かしてピアノの練習をした」と語る場面があるが、オルガンを奪われた私は「うちにはピアノがあるんだから、ピアノの方がオルガンより上や」と母に言われてピアノでオルガンの練習をしたが、やっぱり、「オルガンはピアノの代用品」ではなく、ピアノはピアノ、オルガンはオルガンであり、鍵盤を叩いた時の感触も違えば音色も違ったのだが、それでも、「ピアノでオルガンの練習をした」私と、私からオルガンを奪ってオルガンの練習をしたのかしないのかの娘か息子かとどっちが上達したかというと、奪った側ではなく奪われた側の方だったはずだ。 実際、大人でピアノがあったらという人はあるだろうけれども、オルガンがあったらという人はそう多くないはずで、子供を私が行っていたようなヤマハのオルガンに通わせたいけれども、それには家で練習させるためのオルガンが必要になるが・・ということでオルガンが欲しいのだがという人だった可能性も考えられる。もし、そうだったとすると、うちの父親は自分の息子が練習に使用しているオルガンを取り上げてよその子供にくれてやったことになる。小豆島から帰る船で私が持っていた水筒を取り上げて大人に「配給、配給、お茶の配給です♪」などと言って配ってまわったおっさんのやることですから、自分の子供が練習にしようしているオルガンを取り上げてよその子にくれてやって「わしぁ、聖人やね~ん」とかやった、という可能性は十分あるだろう。1995年のヤクルトスワローズの優勝は感動した。特に、前年4位だったヤクルトから、主力選手の広沢とハウエルを奪った巨人を奪われた側のヤクルトがこてんぱんにやっつけての優勝であり(その上で主力選手を奪われた側のチームの監督が「長嶋のおかげで優勝できた、長嶋さまさまや。長嶋が監督やってる限り巨人は大丈夫や。長嶋はほんまにええやっちゃ。わしぁ、長嶋、大好きや♪」とか言いよるわけで)、日本の会社員には、職場で同様の経験をしたような人間で「ざまあ見ろお」と思った人間はけっこういたのではないかと思うが、私からオルガンを奪ったヤツがピアノをオルガンの代用にして練習した私より成果を出せたかというと、出せていない可能性の方が大きいと思う。「ざまあ、見ろお!」と思う。〔⇒《YouTube-阪神ファンによるくたばれ読売(東京音頭)》https://www.youtube.com/watch?v=HEyGB5M-9K0 〕
※ 《YouTube-シューマン ≪謝肉祭≫ 作品9 ルービンシュタイン Schumann “Carnaval”》https://www.youtube.com/watch?v=gO_4qPI01OE

【3】 子供の水筒を取り上げて、「配給、配給、お茶の配給です♪」
  そして、前回 [第500回]《「かわいい子には旅をさせよ」の4通りの意味。旅行でわかる人間性。父親がある人間はない人間より常に有利とは限らない、ということもわからないバカ女―父の日に(1)》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_7.html 述べた、小豆島から大阪市港区の弁天埠頭までの帰りのフェリーボートの中で、子供が持っているごく小さい水筒を取り上げて、「配給、配給、お茶の配給です♪」と言ってちゃらけて見せたのも、普通、あんなことする人、あんまりないと思うのだが、【1】【2】と同様に、それで「ええかっこ」しているつもりだったのだと思う。

【4】 叔父と結婚相手の食事
   あのおっさんは常にそういう態度だったようで、母は、父の弟(叔父)が結婚する前、父は「よそでご飯たべたらお金がかかるから、うちで食べなさい」と言って、叔父と結婚予定の女性・・後に結婚して夫婦となったので私からすれば叔母になる女性の2人が「デート」するのに、外で食事をしないで我が家で食事をするように言ったというのだが、母が言うには、「よそでご飯たべたらお金がかかるから」と言うけれども、うちでご飯を食べたら、その費用をうちが出さないといけないことになるわけで、父の給料が相当高いのならいいけれども、そうではなくて、結婚したばかりの頃は給料が安くてやりくりに困ったそうで、それなのに、弟とその結婚相手の食事まで母は作らされてその費用を安い父の給料から出さされた、と言ってこぼしていたのだが、これもまた、「ええかっこ」してやろうという習癖がそこで出たものだろう。姉から聞いた話だが、結婚したばかりの頃、父の給料は安くて、やりくりに苦労して、母が市場・商店街に買い物に行く時、「・・を買ってこい」と父や祖母(父の母)から命令されて行くものの、それを買うお金がないから買えずに帰ってくると、「買ってこいと言ったのになんで買ってこなかったんだ」と言って母はずいぶんと怒られたが、母は「忘れました」と言ったが実際は忘れたのではなく買うお金がなかったから買えなかったのに、それを「なんで忘れるんや、そんなもん」と言って母はずいぶんと怒られたという。そういう状況において、弟とその結婚相手には「外で食事したらお金がかかるから、うちで食べるようにせえ」と言って弟(叔父)とその結婚相手の食費まで出させて「わしはそんなけカイショがあるんや」というところを見せて「ええかっこ」したらしい。実際はそんな「かいしょ」なんてなかったのに。
  私が幼稚園でもらったばかりの数字合わせゲームを、私は何も「いつでも、何でもどんなもんでも、こうてやってやったっとる」なんてことない、むしろ、逆だったのに、それをイトコにくれてやって、それで「ええかっこ」したろ・・・と考えたように、私が毎日練習していたオルガンをよその誰やらようわからん人にくれてやって「ええかっこ」したろと考えたのと同じように、弟とその結婚相手の食事を母に作らせ、安い給料でやりくりに苦労しているのに、そこから食べさせて、「ええかっこ」したろと考えた・・・というものだったのだろう。そういうおっさんやった。「聖人でキリストのお父さん」というのは。

【5】長持ち
   さらに、母が90代になって話してくれたのは、母が嫁入りに持ってきた長持ちを「こんなもん、要ら~ん」と言って、会社の部下だったTさんに母に無断であげてしまった・・らしい。嫁入り道具というのは、結婚した女性にとっては「お守り」のようなもので、娘を結婚させる親としては結婚する娘に御守りを持たせたようなもののはずだ。グリム童話に、結婚するお姫様に、お母さんの妃が、指を傷つけて布に血をしたたらせてそれを持たせ、長く仕えてきた馬と腰元をつけて嫁入りさせたが、嫁入りする旅の途中、そのお母さんの血がついた布を娘がなくすと、腰元は急に強気になり、お姫様に命令するようになって、立場を入れ替えて、腰元が御姫様のふりをして結婚してしまい、本当のお姫様を慕う馬は殺してしまい、お姫様は力をなくして腰元に仕えるようになってしまった、という話があるが、その話でも、長年仕えてきた馬とお母さんの血がついた布はお姫様にとってはお守りのようなものだったのであり、それを失うことはお姫様はお守りを失うのと同様のことだったわけで、嫁さんが嫁入り道具として持ってきたものは、それから何十年も経って、子供もできて、そのお守り以上のお守りとして子供ができたという場合に、本人が、これはもう必要ないと判断して処分するのならともかく、まだ、結婚してそれほど経たないうちに、夫が「こんなもん、要ら~ん」と本人の了承もなく、ひとにあげてしまう、というのは、それは夫としてやるべきことではないと思う・・・のだが、それをやるのがうちの父親だったのだ。そういうおっさんやった。母は嫁入り道具として持ってきた長持ちを、母の承諾もなく会社の部下のTさんに贈呈されてしまったらしい。あのおっさんはそういう神経の男だった。2020年は6月21日が「父の日」だったが、父の日には「わしみたいなえらいお父さんをもって、あんた、しあわせやねえ~え。『えらいえらいお父さんをもって私は幸せです。ありがとうございます、聖人のお父さん』と言いなさい」と言って電話してくるおっさん、というのはそういうおっさんやった・・・。北野高校の教諭だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそれを最大の自慢にし、父親がある息子というのはよっぽど恵まれてる、よっぽど得しているみたいに言わないとおれない女だったが、父親がない娘というのは、こういうことも知らんだろうし、父親から、幼稚園でもらったばかりの数字合わせゲームをとりあげられることもなく、父親から自分が毎日練習しているオルガンを取り上げられることもなかったであろう。もしかして、北野高校の教諭というのは、よっぽどバカと違うのか・・と思わないこともないが、人にもよると思う・・が、今から考えてみると、全体として見ても、「あいつら、無能のくせして、なんで、あんなにえらそうにしていたのか」と思うことがある。
  この【1】から【5】は、同じ類の話だと考えていいと思う。 同じ男がやることというのは、そんなに変わらんもののようだ。

【6】バイオリンと柴犬「くま」
  母が父と結婚した時、父の給料は安くてやりくりに苦労したそうだが、ボーナスが出るというので、「それでなんとかやっていける」と母は思ったところ、その頃は今と違って給料は銀行振込ではなく手渡しで、父は受け取ったボーナスを家まで持ち帰らずにそれでバイオリンを買って帰ったそうで、母はバイオリンを見てものすごいショックを受けた・・・そうな。なるほど、そういうおっさんやったやろうなあ・・・と思う、《「聖人」で「英雄」で「キリスト」で「ドイツ人」のお父さん》というのは。
  そして、父は「子供ちゅうもんは女が育てるもんやねんぞ、女が。心得違いを起こしてはならんぞ、心得違いを。わかっとんのか」と何度も言っていたが、そして、小学生くらいの頃の私は、同級生で日曜になると子供と一緒に遊んでくれるというよそのお父さんを見てうらやましいと思ったものだったが、うちのおっさんは、「子供ちゅうもんは女が育てるもんやねんぞ、女が。心得違いを起こすでないぞ」と何度も言っていたわりに、そのわりに、なぜか、犬を飼いたがったのだった。なんか、不思議なおっさんやなあ~あ・・・と40過ぎてそれに気づいて思うようになった。子供の相手をするのを嫌がる男が、なぜ、犬を飼いたがるのだろうか? 不思議だと思いませんか・・。
  漫才で、犬と猫を飼って、犬に「ねこ」という名前をつけて、猫に「いぬ」という名前をつけて呼んだとかいう漫才を聞いたことがあるが、我が家では、私が幼稚園に行く前に飼ったその柴犬に「くま」という名前をつけて呼んでいた。犬なのに「熊」だったのだ。
  最近では家中で犬を飼う人が増えて、犬の食事は犬用のものを食べさせるべきで人間の食事を食べさせてはいけないとかインターネットに書かれているが、その頃、我が家では庭に犬小屋を置いて飼い、食事は人間の残飯を食べさせていたが、その頃は、犬を飼うのはそんな感じの家が多かったように思う。かわいらしい犬だった。 犬を家中で買わずに庭で飼うのが多いのは、その頃はその方が普通で、ひとつには、最近はマンションで犬を飼う人がいるのに対して、その頃はマンションというものがあまりなく、共同住宅であるアパートでは犬を飼うのは禁止である場合が多かったので、犬を飼うのはたいていが戸建住宅に住んでいる人だったからということもあったと思う・・・が、今から考えると、犬小屋を設置していたのはトイレの前だったが、せめて、「トイレの前」でない場所に犬小屋は置いてやるべきだったのではないかと思うし、その犬小屋は西向きに出入口があるように設置していたが、西向きに出入口があるように設置したのでは、午後、犬小屋にいると西日が入り込むようになるので、向きは別の向きにするようにした方が良かったのではないか、とか考える。又、その庭にモルタルを敷いていたのだが、これは、その頃のトイレは汲み取り式で、汲み取り屋がトイレの便を回収に来た時にホースをクルマから通した後、それを掃除するのに都合がいいように出入口からトイレの便が溜まっている槽の所までモルタル塗りにしていたのだと思うのだが、土の部分もあったのだから、犬小屋はモルタルの部分にではなく、土の部分に設置してやった方が良かったのではないかとも思う。
  その柴犬の「くま」が、何の病気かわからないのだが病気になってしまい、それで、商店街の向こう側にあったペットショップ(といっても、扱っていたのは犬だけの店)に頼んで預けたのだ。 今ほど犬猫病院はあちらこちらにない時代で、ペットショップは犬猫病院ではないが、そのペットショップから治療してもらうために犬猫病院に預けた・・と聞いた。「治療してもらうように預けて、ずいぶん経つけど、まだ治らないのお?」と何度も母に訊いたが、母はきっちりとした答えをしてくれなかった。そのうち、その預けたペットショップに訊きに行こうと言われて母と一緒に行ったので、治った「くま」がいて一緒に帰れるものだと思って行ったのだったが、ペットショップの親父と母が何を話していたのか、しばらく話していたものの、手ぶらで帰ることになった。人間でも、それほど長く入院しなくても治療がすんで帰ることが多いのに、どうしたのだろう・・と思ったが、結局、「くま」が帰ってくることはなかった。
  いったい何の病気だったのかわからないが、病気で「くま」はなくなってしまったようだった。 インターネットで犬や猫を飼っている人が動画を公開しているものがあるが、やっぱり、柴犬が一番かわいらしいと思う。一緒に遊んだ「くま」はいったい何の病気だったのだろう・・・と思ったのだが・・・。
  1980年頃、鳥山あきら という漫画家が『ドクタースランプ』という漫画を書いていたが、作者は私よりちょっとだけ年上くらいの男性だったような気がするのだが、一人暮らしをしていた独身の男性の則巻千兵衛(のりまき せんべえ)が「アラレちゃん」(則巻アラレ〔のりまき あられ〕)という名前のロボットを作成したのだが、この「アラレちゃん」というのは「博士、博士。空、飛べないよ、どうしたらいいの」と言い、「空なんて飛ばなくてよろしい」と博士が言っても、「え~え、それじゃあ、どうやって悪と戦ったらいいの? もしかして、女の色気?」などというとんでもない女の子だったのだが、ところが、博士(のりまきせんべえ)がタイムマシンを発明すると、アラレちゃんは、大喜びでそれに乗って他の時代に行くのだが、博士は「しまったああ。アラレだけでタイムマシンに乗せて行かせてしまったあ。アラレがどこか別の時代に行ってしまったあ。アラレがどこかに行っちゃったあ、アラレがいなくなっちゃったあ」と嘆きうろたえていると、アラレちゃんは「とうちゃあ~く♪」と喜んで帰ってくる。千兵衛は「良かったああ。アラレがいなくなってしまったかと思ったあ。良かったあ、アラレが帰ってきたあ」と泣いて喜ぶ・・・という場面があった。この場面なのだが、アラレちゃんというのは、もともと、ロボットだったので、アラレちゃんが他の時代に行って帰ってこれなくなったとしたら、千兵衛は、もう一度、アラレ2号・アラレ3号を作ろうと思えば作ることはできたのだが、ところが、それでも、千兵衛は「無くなったのなら、また、もうひとつ、アラレを作ればいい」とは考えず、「アラレがいなくなってしまったあ。アラレ~え」と泣いて悲しんだわけで、アラレちゃんというのはロボットでも、千兵衛にとっては人間みたいなロボットだったのだ。
※《YouTube-Dr スランプ アラレちゃん OP ED》https://www.youtube.com/watch?v=uv0oV2_2zJA
   それで、だ。犬を飼うというのは、実はけっこうお金がかかるらしい。手間もかかるらしい。これは、犬でなく猫でもそうのようだ。元外務省の佐藤優がモデルの『憂国のラスプーチン』で、佐藤優がモデルの憂木護は猫を過去に飼っていたとして書かれていたが、猫というのは、「犬は3日の恩を3年忘れないが、猫は3年の恩を3日で忘れる」とか「犬は人になつくが、猫は場所になつく」とか言われるけれども、実際には、そうでもなく、猫は、自分にエサをくれて排便の世話をしてくれた人間の恩を決して忘れはしない・・・という動物だとして描かれている。しかし、犬でも猫でも、エサをきっちりと用意して、排便の世話もして、犬なら散歩もきっちりと連れていって、清潔に暮らせるように体を洗ってやり、そして、病気になったらきっちりと世話をして・・というのは、けっこう大変だ。インターネットで、犬や猫を飼っている人が公開している動画など見ると、かわいらしいなあと思うが、自分が飼えるかというと、気が向いた時になでるだけならできても、はたして、毎日毎日、エサをきっちりと用意して、排便の世話もして、きっちりと間違いなく散歩に連れて行って、定期的に体を洗ってやって、病気になったら獣医に連れていってその費用も出して・・とできるかと思うと、けっこう大変そうだ。猫の場合、よその家の敷地内に入るのは当然の権利みたいに思っている人がいて、我が家の庭で糞だけしていく猫がいるが、よその庭で糞だけするというのは猫の飼主の当然の権利かというと、違うと思うのだ。犬の場合、よその玄関にしょんべんひっかけたり、よその車庫にう〇こさせたりするのは飼主の当然の権利かというと、それも違うと思うのだ。そう考えると、犬でも猫でも飼うのはけっこう大変だ。
  それで、私が幼稚園に行く前、我が家で飼っていたがすぐに死んでしまった柴犬の「くま」はどうしてしまったのか・・・。わかった。母が90代まで生きてくれたおかげでわかった。 母にアラレちゃんの話もして、「やっぱり、犬を飼うのなら、かわいいかわいいとなでるだけではなく、エサの世話をして糞の世話もして、散歩にも連れて行って、病気になったら獣医に連れて行って少々費用がかかっても治療を受けさせてやって・・と、そこまでできるかどうかを考えて、それをできると判断してから飼うものであって、かわいいかわいいとなでるだけなら飼うべきではないと思う。人間なら健康保険があっても犬に健康保険はないから、かえって人間よりも犬に治療を受けさせる方がお金がかかる場合もあるかもしれないけれども、電気器具とかなら、修理するのにかかるお金と新しく買うのとなら、新しく買った方が安いから修理しないで新しい物を買うという選択もあるけれども、犬でも治療費と犬を新しく買うのとなら新しく買った方が安いという場合はあるだろうけれども、だから、治療を受けさせるより、その犬は死なせて新しく別の犬を買った方がいいと考えるようなら、そんなことなら犬は飼わない方がいい、たとえ、新しく別の犬を買う方が安かったとしても、それでも、自分が飼っている犬に治療を受けさせてやりたいと思うのでないなら、犬は飼うべきではないと思う」と。そう思うから、だから、私は、猫の頭なでるだけなでて糞は我が家の庭にさせる飼主とか、我が家の玄関に犬にしょんべんさせる犬の飼い主とかが嫌いなのだ。私が言ったのを聞いて、90代の母はこう言ったのだ。「それ、うちのお父さんや」と・・・。 そやったか・・・。なるほど、そやったか。おそらく、ペットショップの親父から、獣医にあずけた「くま」を治療するのにいくらかかるのかを聞いて、父はこう言ったのだろう。「そんなもん、絶対にそんなカネなんてかけたらいかん。新しい犬、買った方が安い。絶対にそんなカネなんてかけたらいかん!」と。おそらく、そんな感じで言ったのではないかと思う。その結果、「くま」は帰ってこなかったのだろう・・・と思う。そんなところだろう。
  柴犬だが、1匹飼って死なせてしまったのだったか、次いでもう1匹飼ったが、それも死んでしまったか、どちらだったか、どうも、記憶が確かでないのだが、ともかく、死んでしまったのだ。 ペットとしての犬は家族の一員だとすると、最初に飼う時点において、もし、病気になったなら治療費はどのくらいかかるかということも考えて、それを出せるかどうかも考え、かつ、新しく別の犬を買う費用と治療費と比較して、新しく別の犬を買う費用の方が安かったとしても、それでも治療費を出す方を選ぶという気持がないなら、最初から飼わない方がいい。そういう思考があのおっさんにはなかったのだ、と思う。
  その柴犬「くま」のいきさつは、うちの父親にとっての子供や嫁に対する態度と共通する所がある。父は私に何度も何度も言っていた。「人間というのはなあ。天の神さまが、生まれる時点において、それぞれの役割というものを決めて、この世に産まれてきておるわけや」と。そして、こう言ったのだ。「わしいは、常に人に命令しなければならない、常にひとに号令かけなければならない民族・人種やねん。即ち、ドイツ人や」と。「T子さん(上の姉)とM川先生(父の「親友」の医者屋)とM尾さん(父の部下で父と仲良くしたことで出世させてもらったらしい人)とわしの4人は典型的なドイツ人なんや」と。そうらしい。上の姉は、たとえば、私が幼稚園の年少組の時の正月、父が私に「あんた、もらったお年玉、それ、使ったらもったいない。全額、それ、貯金しなさい」と言った時、要するに、父は私がいったん「もらった」お年玉を全額取り上げて定期預金に「貯金」させて、満期になった時にはさらに定期預金に「貯金」させるか、「それで、勉強のもんを買いなさい」と命令して父が買わせたいものを買わせるかするつもりで、「全額、貯金しなさい」と言ったわけであり、普段から、幼稚園の同級生が買ってもらって持っているものでも我が家は買ってもらうことができず、お年玉をもらったことで、これで買える♪ と喜んだのもつかの間、それを「全額、貯金しなさい」と言って取り上げようと父はしたのだったが、私が「嫌や。せっかくもらったのに、取り上げられるのは嫌や」と一生懸命抵抗した際、さりげなく横に寄ってきて、「違うねん、違うねん。貯金というのは取り上げられるのとは違うねん。貯金というのは利子がついて得するねん。この子、貯金の意味がわかってないからこんなこと言うんやわ。貯金いうのはねえ、取り上げられるものとは違うねん、利子がついて得するものやねん」などと、アホか、そんなこと言われんでも幼稚園児でもわかっとるわ! ということを言って父に加担したことがあったが、その後も同様に父に加担することがある女で、そういう人間だったので、それで、父から「ドイツ人」と認定されたのであり、又、母が嫁入りした時、母は祖父(父の父)には「かわいがってもらった」そうだが、祖母(父の母)には「いじめられた」そうで、父は祖母とは仲が良かったが祖父とは口をきかない人間で、「祖父+母 対 祖母+父」の構図ができたが、結婚して5年後に祖父が他界してしまった後、「父+祖母+上の姉 対 母」の構図になり、下の姉は「父の同盟者」という椅子は上の姉が占めていたことから「母の同盟者」というそれほどいい役回りでない役になり、「父+祖母+上の姉 対 母+下の姉」という構図になり、上の姉は「父の同盟者」と認定されることになり、「ドイツ人」という「国籍」を得ることになったらしかった。
  父は「人間には、生まれる時点で、天の神様がお命じになった役割というものがあるわけや」と言うのだった。上の姉のことを「T子さんは、しっかりしたお姉さん。ドイツ人のお姉さん」と言うのだ。下の姉はどうかというと、「A子さんは素直な子~」と言うのだが、「素直な子」とは「便利使いにいい」という意味だ。そして、上の姉が結婚してできた姪は「Y子ちゃん。これはかわいい」と言うのだが、「かわいい」というのは「おもちゃにするのにちょうどいい」という意味である。そしてなにより、私は「あんたはカス人間。カスかすカスかすカス人間!」と言うのだ。 これもまた役割である。「天の神さま」とかいうヤツが決めた役割である。
  私が中学校2年の時の終わり、下の姉は結婚したが、すぐに嫌だと言って離婚してしまった。結婚式の何か月か前、いったん、その人と結婚すると言ったものの、やっぱり、嫌だと下の姉が言い出した時、父は私に「あんたはどうするといいと思うか?」と中学校2年の私にきくので、このおっさん、中学生にそんなことをきかないと判断できないとは情けない男やなあと思いながらも、「相手が嫌だというのは、嫌な部分があるからその部分を改めてほしいということなのか、それとも、どうしても、その人と結婚する気持ちになれないから、この話は断りたいということなのか、どちらなのですか?」ときくと、父は「それを、どっちなのか、はっきりと言いよれへんねん」と言うので、「それなら、どっちなのか、はっきりとしてくれと言われたらどうですか。それで、どうしても、この人と結婚する気持ちにはなれないということなら、お断りするしかありませんね」と言ったのだ。父は「そやけど、ここまできてからに、お断りするなんて」と言うので、「ですから、それは、いったん、結婚したいと言いながら断るのですから、『申し訳ありません』と言って謝るしかありませんね」と言ったのだ。「そやけど、どっちなのか、はっきり言いよれへんのやけどなあ」と父が言うので、「もしも、相手に嫌な所があるけれども、はっきりと断るべきものかどうか迷っているということなら、結婚は何か月か延期してもらうように頼まれたらどうですか。その間にどちらにしたいのか態度を決めるようにすればどうですか」と言うと、父は「そやけど、そんなん、待ってもらえるやろうか」と言うので、「待ってもらえないということならば、この話はなかったということにしてもらうしかないでしょう。お断りするしかないということだと思います」と私は言ったのだった。又、父は「そやけど、相手は関西大学卒でA子は◇◇短大やで。相手の方が上やで」と言うのでしたが、「上とか下とか関係ない。上でも下でも本人が嫌だというものはだめです」と言いました。父親は「無理矢理やるとええと思うねんけど、無理矢理。無理矢理、結婚させるとええと思えへんか」と言うので、「あかん。本人が嫌だと言っているものを、無理矢理、結婚させるなんて、絶対にしてはいかん」と私は言いましたが、父親は「なんでやねん。無理矢理、やるのがええと思うんや、無理矢理、無理矢理、無理矢理」と。今になって考えると、あの男は「何かと、無理矢理やるのが好きなタイプ」で「嫌がることをやるのだ好きなタイプ」だったと思います。「そんなこと、絶対にいかん。本人が嫌だというものを、無理矢理、結婚させるなんてことは絶対にやってはいかん」と言いましたが、父は「そうかあ」と言ったので、それでわかったのだろうと私は思いこんでしまったのですが、その程度でわかる男ではなかったようです。今、姪・・ではなく姪の娘がその時の私と同じ中学校2年生になりました。あんなチビスケと同じ年齢の時に、よくこれだけきっちりと言ったものだと思います。中学校2年生に言われないと、これだけのことを理解できないような男というのは、情けないおっさんやなあ・・と思いましたし、今も思います。
  それで、父は、結婚を少々延期してもらいたいと言いに行ったらしいのだが、「もう、職場の人にも何月何日に結婚式あげて結婚しますと言ってあるのに、それを延期したら、会社での出世にも差しさわりが出ます。結婚式を早めるならともかく遅くするなんてできません」と言われたそうで、そう言われたならば、「その点は誠に申し訳ありませんが、このまま進めることはできませんので」と頭を下げて頼むか、それでもきいてもらえないなら、その話はお断りするかするしかないと私は思ったし、父にもそう話したつもりだったが、ところが、父はそう言われて、「そうでんなあ~あ」と言ったのか、ともかく、そういう内容の返事をして帰ってきたらしいのだ。アホと違うのか? 子供の使いでもあろまいし、大の男がそんな対応はないだろうが・・と思うのだが、うちの父親というのはそういうおっさんやった。父は「そんなもん、結婚を延期するなんんてできるわけないがな」と姉に言うので、そして、父は「なんで、わしがこんなことせんといかんのじゃあ。ええかげんにせんか、A子。ええかげんにせんか、A子。なんで、わしがこんなことせんといかんのじゃあ、なんで、わしがこんな思いせんといかんのじゃああああ」とか叫ぶので、「なんや、このおっさんは。情けない男やなあ。娘が困ったとなると、そういう時こそ、なんとかしようと立ち向かうのが父親と違うのか。そういう時こそ、なんとかしようと努力してこそ父親と違うのか。『なんで、わしがこんなことせんといかんのじゃあ』『なんでわしがこんな思いせんといかんのじゃあああ』とは、なんだ、この男は。情けない男やなあ、この男は」と思ったものだったが、中学校2年だった私は「そんなこと言わないで」と言ってあげようと思ったのだったが、ところが、下の姉が、当人が「もう、ええねん、ええねん。私はあんな男と結婚して犠牲になったんねん」とヤケクソみたいに言ったので、なんやねん、こいつ、私がせっかく心配して力になってあげようと思って協力しているのに、何をヤケクソみたいに言うとるんじゃ、そんなことならもう、勝手にしろ! と思って言うのをやめたのだが、そうではなく、それでも言ってあげるべきだった、と後から後悔した。そして、下の姉は結婚してすぐに離婚した。
  そして、父は言うようになったのだ。「A子さんは素直なええ子であって、本来、離婚なんてする人間とは違うのにからに、それを離婚した、ということは、すべて、おまえ(私のこと)が悪いねんぞ! ひとのせいにすんなよ、チャンコロ! おまえのせいやぞ、チャンコロっ! 人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ。A子さんが離婚したのは、百パーセント、おまえが悪いねんぞ、このチャンコロめが、よくも産まれやがったな、このチャンコロっ! A子さんを離婚させて申し訳ございませんでしたと言って地面に頭すりつけてこのわしに謝らんか、このチャンコロ、浪商!!! よくも、産まれやがってからに、よくも、産まれやがってからに、よくもよくも産まれやがってからにこのチャンコロ浪商めが浪商!!! わかっとるか、おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけどもなあ、おまえは浪商やねんぞ、浪商。おまえは生れる時点で天の神さまが、この人間は浪商であるとお決めになって浪商の人間として生まれてきた人間やねんぞ、この浪商めがよくも産まれおってからに、この浪商チャンコロめがチャンコロ浪商!!! 」と言うのだった。「わかっとんのか。わしはドイツ人で慶應やぞお~お、わしは、わしは、わ、し、わああ~あ!!! それに対して、おまえはチャンコロで浪商じゃ、この浪商チャンコロ、よくも生まれよってからに、この浪商!!! 民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!!!」と私の眼を指で突きさすようにして、毎日毎日、何度も何度も叫ぶのであった。なぜ、下の姉が離婚したのがわたしのせいなのか、というと、それは、下の姉が「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」と言われたために、その為に「あんな男とでも結婚して犠牲になったろ」という気持になって失敗したからだというのだ。しかし、私は、私が高校に行くまでに結婚を決めてくれなんて一言として言ったことはないし、ましてや、「犠牲に」などなってくれなんて言ったことは一度もないはずだった。言ったのは母か父だと思うが、母が言ったとすると、それは、私が高校に入ってすぐに下の姉の誕生日が来て25歳になるので、その頃は「女はクリスマスケーキ」とかいう言葉があって、結婚するのに、24までは売れやすいが25になると急に売れ行きが悪くなると言われた時代だったので、それで、24までに決めるように考えてほしいという意味のことを言ったはずだった。それで、私が悪いことになるようだったのだ。「よくもよくも、A子さんを離婚させやがったなあ、このチャンコロお~お! よくも、産まれやがってからに、よくも、産まれやがってからに、よくもよくも、A子さんを離婚させやがったな、このチャンコロめがチャンコロ浪商!!!」と言うのだった。「ええか、わかっとるか。おまえみたいになあ、『なんだかんだ言っても自分のことなのだから、結婚するもしないも本人に責任がある』とかそういうことを言うやつのことを心理学では外罰的性格と言うんやぞ。わかっとるか。おまえがA子さんを離婚させてわしは迷惑しとるんやぞ。おまえが百パーセント悪いんやぞ、おまえが! ひとのせいにするなよ、チャンコロ! A子さんが離婚したのは百パーセントおまえのせいやぞ、チャンコロ! 人間、ひとのせいにしたらおしまいやぞ、チャンコロ! このわしに、『A子さんを離婚させて申し訳ございませんでした』と言うて、地面に頭すりつけて謝らんか、このチャンコロめがああ!!!」と言うのだった。毎日毎日言うのだった。なんで、俺のせいなんだ? と思ったのだが、そういうことを言うと、「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されるようだった。「このカス人間のおかげで、素直なA子さんが離婚させられて、そんで、英雄のドイツ人のわしは迷惑しとるんじゃ、わしはあ、んが、んが、んがあ~あ!!!」と父は言うのだったが、どうも、私は、そういう所で、こいつが悪いんや、ということにされるのが、それが「天の神さま」とかいうヤツが私に割り当てた役割だったようだ。
  それだけではない。上の姉が奈良女子大を受けて落ちたのも私が悪いらしいのだ。他にも落ちた所はあったようだが、それらはすべて私が落としたらしいのだ。「T子さんは、ほんまは奈良女子大に通ったはずのお方やのにからに、落ちたというのは、それは、百パーセント、おまえ(私のこと)が悪いねんぞ。ひとのせいにするなよ。おまえにT子さんを奈良女子大を落とされて、わしは迷惑しとるんじゃ、わしは、わしは、わしは! んが、んが、んがあ!!! 『T子さんを奈良女子大を落として申し訳ございませんでした。どうかお許しくださいませ』と言うて、このわしに謝らんか、この浪商、このチャンコロめがチャンコロ!! 謝らんか、このチャンコロ、ロスケ、イタコ、プエルトリコ!!!」と言うのだった。「チャンコロ」というのは中国人のことで、もともとは、中国語で中国人のことを「チャンゴーレン」と言ったところから来た言葉のようだが、一般に中国人に対しての蔑称で「常に人に支配されるために神さまから作られた民族」のことを言うらしく、「ロスケ」というのはロシア人のことで「裏切者」「卑怯者」を意味し、「イタコ」というのはイタリア人のことで「根性なし」を意味するようだった。「プエルトリコ」というのは・・、それは単なる語呂合わせだと思う。それが私らしいのだ。しかし、上の姉が奈良女子大を受けた時、上の姉が高校3年の時というと、私は小学校1年だったわけで、小学校1年の人間がいったい何をすれば良かったのか、小学校1年の人間がいったい何をしたから落ちたのかというと、「産まれてきた」のがいかんらしい。私が産まれたために私を育てるのにお金がかかったから、だから、T子さんにすべての科目に家庭教師をつけてやれば奈良女子大に通ったはずやのにからにそれができなかった、私が産まれたから、だから、私を育てる労力がかかったから、だから、「大事なT子さん」に十分に応援してやれなかったから、だから落ちたのだそうだ。諸悪の根源は私だったらしい。しかし、もしも、「応援」すれば通ったというのなら、それならそれで、言ってくれればよかったのに・・・と残念に思うのだ。たとえば、↓ みたいな「応援」でもすれば通ったのなら、言ってくれれば、小学校1年生でもやってあげたのに、なんで、言ってくれなかったのかと残念に思う。
※ [応援]⇒《YouTube-コンバットマーチ 2018秋季早慶戦 早稲田大学応援》https://www.youtube.com/watch?v=U0PilTXW4iA
もっとも、俺やったら、大学受験に際して、↑ なんて、やって要らんけどな。要らんぞ、そんなもん。やらんといてくれよ。
ともかく、上の姉が奈良女子大を落ちたのは「百パーセント」私が悪いらしいのだ。「なんでやねん!」と言うと「外罰的性格」ということになるらしいのだ。「心理学」では、上の姉が奈良女子大に落ちたのは、私が悪いのにからに、それを、「なんで、俺が悪いねん!」などと言うヤツのことを「外罰的性格」と言うらしいのだ。 そう「診断」されるのが嫌なら、上の姉が奈良女子大に落ちたのは私が悪い、下の姉が離婚したのも私が悪い、すべて私のせいや~と認めないといけないらしいのだ。この世のすべての罪を背負って十字架につけられない限り、「心理学」によると「外罰的性格」と「診断」されるようだ。「心理学」ではそうなるらしいのだ。「心理学」というのはそういうもののようだ。「心理学」とはかからわん方がよさそうだ。・・・ともかく、「あんたはカス人間」というのは、下の姉が離婚したのは父が悪いのではないらしく、上の姉が奈良女子大に通れなかったのは、私が父親ならば、こうやった方がうまくいくと思うとか、それこそ「ID野球式学習法 弱者の戦術」でもアドバイスもできたと思うが父はそんな能力はない人間だったが、私が大学受験の際の経験を考えても、やっぱり、お父さんが東大とか京大とかを出ている人、もしくは、東大とか京大に行きたいと思ったが行けなくて早慶あたりに行ったという人とかの息子・娘というのは有利だと思いうらやましかったのだが、我が家はそういう父親ではなく、むしろ、逆の父親だったのだが、うちの父親は「わしは悪ないねん!」という父親であったから、「わしは悪ないねん!」というのを一番の前提として考えると、「わしは悪ないねん!」と言うからには「わしは悪ないねん!」と言うおっさん以外に誰か他に悪いやつがいるはずで、そうなると、上の姉は「父の同盟者」の役割があるし、下の姉は「便利づかいにいい」という役割の人間であり、母はというと、母は「お父さんが私を女中さんやと思っている」と言っていたが、まあ、そういう「女中さん」の役割があったし、姪(上の姉の娘)は「Yちゃん、これはかわいい♪」と父が言っていたように「おもちゃにするのにちょうどいい」という役割だったわけで、そうなると、結局、「おまえが悪いねんぞ、すべて、百パーセント、おまえが悪いねんぞ」とされる役は私しかその役をやる人間はないことになるようだったのだ。 「一将功なりて万骨死す」という言葉があるように、おっさんが「英雄」「聖人」「人格者」「ドイツ人」になるためには誰か「悪いやつ」の役をまわされる人間が必要だったのだ。だから、下の姉を離婚させたのは私で、上の姉を奈良女子大を落としたのも私で、父は「わしは沈着冷静で、百戦錬磨で、気持ちの落ち着いた、精神的に安定した、風が吹こうが嵐が来ようが、地震が来ようが台風が来ようが、怪獣が来ようが恐竜が来ようが、何が来ようがび~くともしない」という人間(と「親友」の医者屋のM川が言う人間、言って喜ばせようとする人間)だったが、その割に、いつでも「いらいらいらいら」「いらいらいらいら」している人間だったので、そうなると、誰かが悪いから「いらいらいらいら」していることになるはずで、それも私が悪いようだった。それを、「なんでやねん! そんなもん、人間誰しもいらいらすることだってあるやろうし、誰しもうまくいかんこともあるやろうけれども、『わしが、いらいらしたら、おまえのせいやぞお』て、なんで、そないなんねん! ひとのせいにすんな!」などと言うと、何でも私が悪いのにからに「ひとのせいにすんな」と言う人間の方が「外罰的性格」と「心理学」から「診断」されることになるようだったのだ。「わしがいらいらしたら、おまえのせいやねんぞお」と言って私のせいであるとするおっさんが「外罰的性格」ではなく、おっさんが「いらいら」したら私のせいであるのに「なんでやねん! 何も、いらいらしてくれなんて私は頼んでないやろうが」と言う人間の方が「外罰的性格」ということに「心理学」ではなるらしいのだ。「心理学」というのはそういうものだったようだ。その「せいにされる」役が「天の神さま」というヤツが私に決めた役割だったらしい。なんで、そんな役させられなきゃならんのだ・・と抵抗すると、「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになる。
  柴犬の「くま」は、結局、元気でかわいらしい状態なら喜ばれたが、病気になると、要らない存在になったようだった。それは、「くま」だけではなく、家族誰もがそういう役割になったようだ。上の姉は「しっかりしたお姉さん」の役、ふと気づくとそばに来て父の側につくという役割で、下の姉は「すなおな子」というだけあって「便利づかいにいい」という役割、母は「私のことを女中さんの扱いにした」と言うのだが、そういうことだろう。母が結婚した頃、女中さんがいたらしいのだが、「女中さんには機嫌とってからに、嫁は無茶苦茶しても辞めないから女中さん以下の扱いにした」と言うのだったが、たしかに、女中さんというのは、あまり無茶苦茶な扱いにすると辞めてしまうが、嫁は女中さんと違ってそう簡単には辞めないという特徴はある。しかし、母が暮らしてきた時代は離婚する人は今よりずっと少なかったし、女性が離婚して生きていくのは今より難しかったが、それでも、嫁はどうしてもという場合は離婚することができた。それに対して、息子というのは父親と離婚したいと思ってもできない。うちの父親は、私が20代の時、「・・かねえ」という口のきき方をしたのだが、父は「会社ちゅうところでは、わしは特別に特別にえらいエライえらいエライ人間で、あんたなんか、わしのお顔を一目見たい、一目拝ませていただきたいと思うても、そうは簡単に拝ませてはもらえん人間やねんぞお」と言うのだったが、下の姉にそれを言うと「拝ませていらんわ、そんなもん」と言うのだったが、父はそういうおっさんで、息子と親子としての関係を構築する能力がなく、息子を「会社の部下」として扱おうとする男であり、しかも、本当の会社の部下であれば、あまり無茶苦茶すると辞めてしまうか、もしくは、配属を変えて欲しいと会社に希望を出される可能性もあるし、中には臥薪嘗胆で、そのうち、父より上の役職について「ざまあみろ」という態度を取るようになる人も出てくるかもしれないが、それに対して、息子というのは、どんなに無茶苦茶にしても辞めないし辞めることができないし、嫁と違って離婚しようと思ってもできないし、会社の部下ならば、勤務時間を過ぎれば帰ってしまうし、時間外賃金を払わないといけないのに対して、息子は24時間好きなだけ命令できるし、「お~ま~え~が~あ、産まれなければよかったのに産まれてわしは迷惑なんじゃ。産まれなければよかったのに産まれた人間を、それを産んでやあってやってやったった。産まれなければよかった人間を産んでやあってやってやったった。それを育てるのにカネかかって迷惑なんじゃ、このチャンコロ。その恩を返すために、すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために、わしのために、捧げ尽くす、捧げ尽くす、捧げ尽く~す、とってちってたあ~あ!!!」と言えば、自分で働きに行って、それで、24時間、自分に服従させることができるわけで、その点で、実際の会社の部下よりもずっと「使える」存在だったのだ。嫁は、どうしようもなくなると、離婚することもあるし、そうでなくても、離婚すると言い出す可能性もあるが、その点、息子というのは、父親と離婚したいと思っても離婚することができないので、息子の方が拘束力は強かった。又、「親こっこっこ、親コッコッコ、親こっこっこ、クォ~っ、クオ~っ♪ 親こっこっこお、親コッコッコオ、親こっこっこお、クォ~っ、クォ~っ! 朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、親に孝に親に孝に親に孝に親に孝にわしに孝にわしに孝にわしに孝にわしに孝にわしにじゃわしにい。とってちってたあ~あ。すべてをすべてをわしのために。すべてをすべてをわしのために。いらいらしてきた、いらいらしてきた。とってちってたあ~あ! どんがん、どんがらがって、ちゃちゃちゃちゃちゃあ~ん♪〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕」と言いまくることができ、それが親の役目だそうなので、「いらいらしてきた。とってちってたあ~あ」と毎日、電話して「号令かける」ことができるし、それが「父親の役目」だったそうだ。「い~らい~らぁ、クォ~ッ子こっこぉ、い~らい~らぁ、クォ~ッ子こっこ~お!!!」と電話することができるのだった。
  給料が安くて、生活費に困っていて、ボーナスが出るというので、「それでなんとかやっていける」と思ったら、家まで持ち帰る前にそのボーナスでバイオリンを買われてしまった・・・と母はショックだったらしいが、バイオリンと犬の治療費ならバイオリンの方が大事だったのだろう・・・と思う。たぶん、「新しく、買った方が安い。もったいない」と考えたのではないか。 犬だけではなく、息子も娘も嫁も、そんな感じで「役割分担」を決めていたのだろう。
  運動選手は、怪我をした場合に「故障」などと言ったりするが、本来、「故障」という言葉は機械について言う言葉で、人間の体については「支障」なら悪くはないかもしれないが、「故障」などと言うものではないはずだ。但し、運動選手の場合は、身体を動かすのが仕事であるから、そうでない仕事の人間とは違って怪我をすることも多少はしかたがないようなところがあり、少々、怪我しても、いちいち気にしてられないところがあり、それで、「故障」という言い方をすることがあるのかもしれないが、それにしても、人間の体について「故障」という表現はいかがなものかと思う・・・が、私が20代の時にそれを家で話したことがあったのだ。すると、父は、逆に、「あんた、故障したらあかんで」などと、わざわざ、運動選手でもない私について「故障」という言葉を使うようになった。うちの父親は、そういう男だった。そして、「故障」という言葉を私の体については使うが、自分の体についてはその用語は絶対に使わない男だった。

  この話は「父の日」に公開する予定だったが、1日過ぎてしまった。きょうは、2020年6月22日(月)、昨日の6月21日(日)が6月の第3日曜で「父の日」だった。「世の中には、『普通のお父さん』もおれば、カス親もおればダメ父もおるのに対して、わしは、特別に特別にえらいえらいお父さんやねん。あんた、エライえらいお父さんを持って幸せやねえ、恵まれてるねえ~え。『最高のお父さんを持って私は幸せです。ありがとうございます、お父さん』と言いなさい」と言って電話がかかってくる日であった。毎度毎度、そのたびに、「普通のお父さん」の方がいいのになあ~あ・・・と思ってきた日であった・・・。
  母が90代まで生きてくれたおかげで、母が嫁入りに持ってきた長持ちを母に無断で父が会社の人にくれてやったという話も聞いた。それは、私が毎日練習しているオルガンをどこの誰やらわからん相手にくれてやったのと同じ、私が幼稚園でもらったばかりの数字合わせゲームを正月にイトコにくれてやったのと同じ、小豆島に行った時に、小学校1年生が下げているごく小さい子供用水筒を取り上げて、大人に「お茶の配給です♪ 配給、配給、お茶の配給です♪」などと言って配ってまわったのと同じ。いつも、そういうことをやる男、いつもそういうことをやってきた男で、それをもって「わしはドイツ人のお父さん、わしはエライえらいエライえらい特別にえらいお父さん、わしは聖徳太子のお父さんやね~ん」という人間で、「いらいらしてきたあ~あ」といつでもいらいらしている男で、「おまえのせいでいらいらしてんねんぞ、おまえのせいで」と私が悪いということになるお父さんで、「なんでやねん。人間の関係は互いに影響を与え合うもので、自分が誰かのおかげでいらいらすることだってあるかもしれんけれども、自分の方がいらいらさせることだってあるかもしれんわけで、なんで、『わしがいらいらしたら、おまえのせいやねんぞ。人間、ひとのせいにしたらあかんぞ。おまえのせいやのにからに、人間だれしもいらいらすることがあって、いらいらしたら、いらいらした人間がなとかせんといかんもんや』などと何でも私のせいにされなきゃならんのだ」と言うと、「そういうことを言う人間のことを心理学では外罰的性格と言うねんぞ」と言うお父さんだった。そういうおっさんやった。何かと疲れるおっさんやった。
  母が90代まで生きてくれたおかげで、柴犬の「くま」は治療を受けさせてもらえなかったらしい・・ということを知った。犬の治療費と新しく犬を買う金額とを比較考量して考える男だろうなあ・・と予想していたが、そうだったらしいということも知った。そういう精神的に貧困なおっさんやった。「会社ちゅうところでは、特別に特別にえらいエライえらい人間やねん」という男というのは、そういうもののようだった。柴犬の「くま」に対する態度は家族に対する態度、特に息子に対する態度でもあったんだなあ・・ということもわかった。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそれを最大の自慢にして、父親がいた人間というのは自分よりも恵まれていて、自分は父親がいない分だけ父親がいる息子・娘よりもエライのだ、自分は「作野さんは両親が離婚されただけあってえらいわあ~あ」と誰もがほめる義務があると考えている女だったが、父親というものはいる方が常に有利というものでもなく、いるから苦労することもある、いるから難儀な場合もある、ということを絶対に理解できない女だった。旧姓作野礼子の母親というのは娘に「父親というのは、いる方が常に有利とは限らない」「父親というのは、いる方が常に得するとは限らない」ということを娘に教えることのできない母親だったようで、そのおかげで、旧姓作野礼子に担任を持たれた生徒としては迷惑千万だった。ところが、父はその女を、「ええ~え先生やで、あの人は」などと言い、言われた女もそう言われていい気になっていたが、一般にあのおっさんからほめられる人間にろくな人間はいないのだが、そういう男と女だったわけだ。北野高校という高校は行きたいと思って行った学校だったから合格した時はうれしかったが、卒業して何年か経って考えてみると、そんなにいい学校ではなかったように思うようになった(もっとも、それならどこに行けば良かったのかというと、それはよくわからない。結局、学校というものは、どこに行っても絶対にいいという所はなかなかないのかもしれないし、柴田孝之が『東京大学機械的合格法』〔実業之日本社〕で「能力的に優秀で人間的にも優れた教師というのは、多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と書いていたが、私もそう思う。) 特に、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にするバカ女に担任を持たれたのは災難だった・・・。

  (2020.6.22.
  「父の日」の6月21日(日)の1日後。)

☆ 2020年の父の日に。
(1) 「かわいい子には旅をさせよ」の4通りの意味。旅行でわかる人間性。父親がある人間はない人間より常に有利とは限らない、ということもわからないバカ女 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_7.html
(2) 生きしてくれた母のおかげでわかった父親の人間性と高校教諭の白痴かげん 〔今回〕
(3) 1980年前後、司法試験に早期に合格する方法、及、近所迷惑なおばさんの話。なぜ「弁護士は役に立たない」かの理由1https://tetsukenrumba.at.webry.info/202006/article_3.html
精神医学の神話 (1975年) - 河合 洋, T.S.サズ
精神医学の神話 (1975年) - 河合 洋, T.S.サズ
 ↑ トマス=サズ『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)
翻訳書では、英語の” of ”を「~の」と訳した題名にしているが、本の内容から考えて「同格のof」と考えて「~という」と訳すのが正しい。

反精神医学 (1974年) - D.クーパー, 野口 昌也, 橋本 雅雄
反精神医学 (1974年) - D.クーパー, 野口 昌也, 橋本 雅雄
家族関係を考える (講談社現代新書) - 河合 隼雄
家族関係を考える (講談社現代新書) - 河合 隼雄
狂気と家族【新装版】 - レイン,R.D., エスターソン,A., Laing,R.D., Esterson,A., 嘉, 笠原, 和子, 辻
狂気と家族【新装版】 - レイン,R.D., エスターソン,A., Laing,R.D., Esterson,A., 嘉, 笠原, 和子, 辻

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