都心の区がビルの新築に際し住居スペース確保を求めるごとく、郊外の駅前では商業施設の割合を確保させる規定を設けるべきである。都心に向く建物と郊外に向く建物は違う、ということくらい建築学科教授ならわかりそうなものだが。「1年の契約社員」の募集を「正社員」募集と言う会社はいかがなものか。

[第497回]
  東京の都心部の区・・・というと、練馬区とか杉並区とか世田谷区・大田区といった区ではなく、千代田区とかそういう区のことを言うと思いますが、昼間人口だけ多くて夜間人口がほとんどない、オフィス街として昼間は人が多くてもその区に住んでいる人はほとんどいないという区にしたくないと考える区があるらしく、そういう区では、新しくオフィスビルを造りたいという場合、そのビルの何割かは住居スペースにしてくださいと行政(「区」)が言うことがあるらしい。ドーナツ化現象というのか、都心部はオフィスビルばかりで居住者がなくなってしまうということを避けたいと考える行政(「区」)があるという。 どこで聞いたかというと、住友不動産(株)の説明会、ビルの建築に際しての説明会ではなく、中途社員募集の説明会の時に聞いた。
  2000年代、住友不動産(株)http://www.sumitomo-rd.co.jp/ の戸建住宅建築業の新築の営業社員の募集とリフォームの営業社員の募集に説明会にだけ行って応募はしなかった、ということがあったのだが、その際に聞いた。

  住友不動産(株)http://www.sumitomo-rd.co.jp/ の戸建住宅建築業の分野というのは、私が戸建住宅建築業の業界に最初に勤めた1980年代後半においては、住友不動産ホーム(株)という別の会社でツーバイフォー工法(枠組壁工法)で建てていた。三井不動産(株)から独立した三井ホーム(株)、三菱地所(株)から独立した三菱地所ホーム(株)と同様、住友不動産(株)とは住友不動産ホーム(株)は別会社でやっていたが、ふと気づくと、住友不動産ホーム(株)という会社はなくなり、住友不動産(株)に合体というよりも併合されて、住友不動産(株)の一分野になった。

  その際、なぜ、説明会にだけ行って応募しなかったかというと、
1. 「正社員」の募集という話だったので、応募したいと思って説明会に行ったのだが、「正社員」だと人事部の男性は言うけれども、1年間に何棟以上契約をとっていただくというのが条件で、取れなかった場合はやめていただく、という条件です、という話であり、たしかに、営業の仕事であれば契約は獲得するように努力しないといけないのは間違いないけれども、1年間に何棟契約を取るというのが条件で、取れなければやめてもらう。取れれば、向う1年間、在籍することができるが、その向こう1年間で指定された棟数の契約を獲得できなければ、そこで辞めてもらう、ということなら、そういうものを「正社員」と言うのだろうか? そういうのは「1年契約の契約社員」というものではないだろうか、と思ったこと。
  それで、なぜ、「正社員」なのか、「正社員」だということでのメリットは何かあるのかというと、私がこれまで勤めてきた三流以下企業などと違って、住友不動産(株)というのは大企業なので、企業の保養所とか福利厚生施設などは私が勤めてきた三流以下企業などより充実したものがあるようで、そういうものを「正社員」だとして利用することは可能のようだった。それは悪くはないだろうけれども、そんなものは、きょうび、なかったらなかったでいいのだ。ビジネスホテルにでも泊まればいいじゃん。ヤフートラベルでも「じゃらん」ででも楽天トラベルででも予約できるでしょうが。きっちりと給料払ってもらえれば、企業の施設でないものを利用すればいいことなのだ。企業の保養所なんてのは、あったらあったでいいけれども、給料さえきっちり払ってもらえば、なかったらなかったで特別困るものでもないのだ。
※ ヤフートラベルhttps://travel.yahoo.co.jp/?sc_e=ytsl
  「じゃらん」https://www.jalan.net/
  楽天トラベルhttps://travel.rakuten.co.jp/?

2. 「正社員」の募集だという話だったので説明会に行ったが、「実質、1年ごとの契約社員」の募集だった。又、もしも、「実質、1年ごとの契約社員」の募集なら、それならそうと言うべきで、それを「正社員」の募集だとイカサマみたいなことを言うあたり、「住友さん」にしてはやることが姑息というのか、いい印象を受けなかった。

3. 私の場合は、戸建住宅建築業の会社の営業の仕事は、その時点までに相当長くやってきた。複数の会社で、県民性の異なる複数の都県において、タイプの異なる展示場に勤務してきて、それも、条件が悪い方の営業所で苦労して努力して実績を残してきた。だから、「ある程度以上の期間で見てもらえるならば」、その説明会に来ている人の中では悪くない方の成績を残せるのではないかと思った。
  その時、説明会に来ていた人では、戸建住宅建築業の会社に勤務した経験はないらしい人もおり、又、《「いっきゅうけんちくしい」と言いたい症候群の「患者」ですう》と顔に書いてあるおっさん、というのもいた。不思議なもので、《「いっきゅうけんちくしい」と言いたい症候群》のおっさんというのは顔に書いてあるのだ。顔を見るとわかる。不思議なものだ。もし、入社したとすると、少なくとも、このおっさんよりは俺は売れるだろうなあと思った。《「いっきゅうけんちくしい」と言えば人は言うことをきく》という信念もってるおっさん、「設計」はえらいと思っているおっさんというのがいるのだが、「設計」やってきたのだから営業なんてできて当然とか思っているおっさんというのがいるのだが、できないと思う。もしも入社したとすると、最低でも、ああいうおっさんよりは、私の方が売れるだろうなあとは思った。
   たとえば、2015年、フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区。発祥は関西。社内公用語は大阪弁〕https://www.freedom.co.jp/ のアフター課に勤務した時のことだが、東京都大田区の入居者宅で、隣家との間の工事について、隣家に了承を得るために、隣家にお願いに行くと私が言うと、「建築専門学校卒」の後、設計事務所に勤めて、その後、自分で設計事務所を作ってやっていたというアフター課の阿諏訪(当時、40代)が、「もし、行っていなかったらどうするんですか」などと言うので、この人は営業やったことがない人だなと思った、ということがあった。入居者の家の隣家なのだから、入居者に隣家は何時くらいなら帰宅されていることが多いか尋ねればいいし、その上で、在宅していそうな頃を見て行けばいいことで、それでも会えなければ、会えるまで何時まででも待てばいいのです。(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所にいた時、私は所長のK野さんと同じ展示場に勤務したことはなかったけれども、K野さんと同じ営業所に勤務した人から聞いた話では、K野さんは、何が何でもこの人と今日明日のうちに会いたいと思えば客宅に行って留守なら、客宅の近くにクルマを停めて何時まででも待ったというし、私自身もそれをやったことは何回かある。「行って留守だったらどうするんですか」て、いったい何を寝ぼけたこと言ってるのかと思ったが、そのあたりが、「設計事務所の先生(さま)」やってた「建築専門学校卒」の人と、営業やってきた人間との感覚の違いだろう。な~にが何でもこの人と今会わなきゃと思えば、何時でも会えるまで何回でも行くもので、それが営業であろうと思うのだが、「設計事務所の先生さま」やってた人の感覚はそうではないようなのだ。だいたい、阿諏訪はフリーダムアーキテクツデザイン(株)の設計部の人間のことを「設計士(さま)なんだから」とか、この会社には「設計兼営業」という職種はあっても「設計士」などという職種は存在していないし、日本には「一級建築士」「二級建築士」とか「1級建築施工管理技士」「2級建築施工管理技士」といった資格はあっても「設計士(さま)」なんて資格は存在していないのに、勝手に「設計士(さま)」などという資格を捏造して言ったりしていたが、そういうことを言うようでは、あかんな。そういうことを言うような人間は、営業的感覚は身につかんな。
   さらに、東京都狛江市の入居者宅で、入居1年目なのに、床と壁の間に隙間が開いているというお宅があったのだが、これは、
第1 にフリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ が構造を無視した設計をやっているからで、
第2 に床と壁の間に、たとえば(株)一条工務店なら床側に巾木をつけてその後ろに壁をもぐりこませるので、壁と床の間に少々隙間が開いてもわからないのに対して、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「アホのひとつ覚え」みたいに、巾木なしで、壁側に「見切り」(巾木ではない、あくまで「見切り」)をくっつけるため、入居後に、床と壁の間に隙間が開くと、(株)一条工務店のように巾木を床側にくっつけて、壁をその巾木の後ろにもぐりこませておけば、たとえ、少々隙間が出てもわからないのに、フリーダムアーキテクツデザイン(株)がいつもやるワンパターンの床側ではなく壁側に「見切り」をつけるという施工だと、少しでも隙間が開くとはっきりとわかる、フリーダムアーキテクツデザイン(株)がいつもやる壁側に「見切り」をつけるやりかただと、「見切り」は壁にくっついて動くので、床と壁の間に隙間はできやすいということに理由があった。又、フリーダムアーキテクツデザイン(株)がいつもつける「見切り」は細いので、細い「見切り」の下の部分に隙間が開くとその隙間が余計に広く感じられる、ということがあった。
  さて、どうしたものか。そのお宅では、2階で床と壁の間に隙間が出てきたという箇所は、2階の筋交いの下端がとりついているとともに、ロフト3階との間の階段の下端もとりついていて、しかも、その下に柱がない。そういう場所の下には柱を入れておけば下がらないのに、本来、柱を入れるべき場所から柱を抜くとおもしろい? とかいう変な発想をする、アホやな・・ということをそれが「斬新」かのように勘違いしてわざわざやりたがるのが「世界でただひとつの家」とか言っている「そんなおかしなことやるヤツなんて世界で他にないぞお」というフリーダムアーキテクツデザイン(株)の若造設計だったのだが、これは、ぶっ壊して建て直したとしても、設計内容に構造上の問題がある以上、同じものを建て直したのでは同じことになるし、さすがに、フリーダムアーキテクツデザイン(株)として、ぶっ壊して建て直すのは嫌だろう。問題は、その少々の隙間が、今後、もっと開いていくものなのか、そこで止まるものなのか、という点だと思うのだ。ところが、アフター課の山本大輔(男。当時、20代)は「山本6ミリ理論」というものを言いだしたのだが、「山本6ミリ理論」によると、そういう隙間というのは、どこであれ、最大6ミリまで許容されるもので、6ミリを超えるといけないという主張だった。その論拠はどこにあるのかというと、山本が言うには、ゼネコンが建てるマンションなどビル建築においても、柱の一番上と一番下とを比較して、床から鉛直線で見て、6ミリまでならずれていても許容されるがそれを超えるとだめなのだ、というのが山本大輔の主張だったのだが、それは、人間の眼で見て、柱の上端と下端とで6ミリくらいまでなら肉眼では気にならないということを言っているものだ。ラーメン式の鉄筋コンクリート造や鉄骨造のビル建築の柱というのは、その上に化粧板を貼っているので、あくまでもハリボテの化粧板の上端と下端とでの違いのことで構造上の問題とは別問題であり、鉄筋コンクリート造の柱というのは型枠にどろどろの状態のコンクリートを流し込んで造るのであって、在来木造で建てているフリーダムアーキテクツデザイン(株)の戸建住宅とは事情はまったく違うのだ。山本大輔は「建築専門学校卒」で派遣でゼネコンの建築現場に1年ほど勤めて、その後、フリーダムアーキテクツデザイン(株)に入社して約1年だったそうだが、ゼネコンがビル建築として建てているものと在来木造の戸建住宅とでは意味はまったく違うということがわかっていないようだったが、それを話しても理解できない人のようだった。それで、阿諏訪と山本大輔の2人は、入居者に「6ミリまでなら大丈夫ですから、6ミリを超えていないかどうか測定します」などと言い、その「建築専門学校」で教わったらしいレーザー光線による水平測定器なるものを持参して入居者宅に行って測定すると言って出かけたので、ありぁあ~あ・・・、俺ならそんなことせんがなあ~あ・・・と思って見ていたのだが、2人が測定して帰ってきた際、「どうでしたか?」と阿諏訪に訊くと、「最大で10ミリの高低差がありました」と言うので、そうだろうなあ・・と思った。2人とも、もう少し、素直さがあれば私は教えてあげたのだ。 「そんなもの、レーザー光線による水平測定器なんてものすごいものを持って行って測量して、もしも、6ミリを超えた差があったらどうするつもりですか?」と。普通、そういうことを考えるでしょ、建築屋ならば。「頭を使え、頭を」と小堀住研(株)の千葉県松戸展示場にいた 課長のI さんなどなら言うところだろう。「6ミリを超えたらいけませんが、6ミリ以内なら大丈夫ですから」などと何の論拠もないのに入居者に言って、それで、眼で見るか、せめて、そのへんの文房具屋で売っている小学生が使うような定規で測ってみたというのならともかく、レーザー光線による測定器なんてそんなものすごいものを持って行って測定して、6ミリを超えてましたあ~あ・・となったら、あんた、どうすんの???  ぶっ壊して建て直すの??? あんたに、ぶっ壊して建て直すと決める権限がこの会社であんの??? ないのと違うの??? それに、普通に考えて、どう見ても、設計上、構造に無理があるからその無理がある部分が下がっているのであって、たとえ、ぶっ壊して建て直してもまた同じことになるよ! 俺なら、そんなもの、レーザー光線による水平測定器なんて、そんなものすごいもの持って行って測るなんてことやらんがなあ~あ・・・と思ったのだが、「建築専門学校卒」「元設計事務所」という人間はそれをやりたがるようで、言ってもきかんだろうと思って見ていると、2人で、そのたいそうな測定器を持参して測ると、6ミリどころか最大10ミリの差があったというのだ。「バッカじゃなかろかルンバ♪」・・てものだ( 一一) 〔⇒《YouTube-バッカじゃなかろかルンバ!》https://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM 〕・・・で、どうすんの? 「山本6ミリ理論」からいくと、ぶっ壊して建て直さないといけないことになりそうだけど、ぶっ壊して建て直すの? ・・・というと、「もう少し、様子を見ましょうと言ってきた」と阿諏訪が言うので、アホちゃうか・・・と思ったが、「建築専門学校卒」「元設計事務所」という人に、あんた、そのやり方は違うでしょうと教えてあげようと思っても、きかない! そんなもん、測る前に気づくべきだろうが。「6ミリを超えるといけませんが6ミリまでなら大丈夫ですから、レーザー測定器で測定してみましょう」などと、6ミリ未満だと勝手に思い込んで測定して、もしも、測定したら6ミリ超えてたらどうしよう・・・て、測定する前に気づけよ、あんた、いったい何年、建築屋やってんだよ、まったくう・・・と私は心の中で思ったものだった・・・が、建築屋やってきた人間は気づいて当たり前のものを、「設計事務所の先生」やってきた人というのは気づかないらしいのだ。 〔「設計事務所の先生」というのはどういう人のことを言うのかというと、小学校から高校までちっとも勉強しとらんもんやから行ける大学なんてなくて無試験ヨーコーで入れる「建築の専門学校」に行って「卒」だという人のことを「設計事務所の先生」と言うのだが、なじかは知らねど、そんなものをありがたがる人というのが時々いるようなのだが、世の中、不思議な人がいるものだ。私は「建築の専門学校」というのは職人になる人の行く所かと思っていたのだが、ところが、建築会社には、なぜか、「建築の専門学校」を「卒」で入社したその日から「先生」になったような意識の人というのがいるのだ。私は、「学歴」というのは中学校・高校・大学・短大・大学院を言うもので、専門学校というのはそこで学ぶものはあっても「学歴」ではないと思っていたので、大学受験の予備校に行って模擬試験でいくらいい成績を取っても予備校は学歴ではないのと同じく専門学校は学歴ではないと思っていたので、「卒」も「卒」でないもないと思っていたのだが、自称「建築専門学校卒」の人で「卒」と言う人がいて、「卒」なのか?・・と思ってここでは「建築の専門学校」「卒」と書いたのだが、実際のところ、自称「建築の専門学校卒」と言う人というのは、自分を高く評価してほしいと思うと「建築専門学校卒」と主張し、責任を問われる時になると「ぼくは高卒なんだから、そんなこと言われてもわかるわけがない」とか言って「高卒」になって逃げるというのを得意技にしている人が多く、自分を高く評価してほしいと思うと「建築専門学校卒」になって、責任を問われることになると「高卒」になるという””二刀流””というのはずるいと思うのだが、実際問題として「建築専門学校卒」の人には””二刀流””を使う人間が大変多い。その点、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の阿諏訪と山本の2名は、常に「建築の専門学校卒」と称していて、私が知る限り、””二刀流””は使わなかったので、その点については「本当にエライなあ!」とほめてあげたいと心の底から思う。〕 なおかつ、私なら、小学校の近所の文房具屋で売ってる小学生が使うような目盛付三角定規か何かで測ったのならともかく、レーザー光線による水平測定器なんてそんなものすごいものを持って行って測ったなら、その測定結果は無視できなくなるだろうし測らなくたって、フリーダムアーキテクツデザイン(株)の若造の自称「設計士(さま)」とかいうのは構造を考慮しないで無茶苦茶な設計やってるから、だから、入居後に問題が出てきているのだというのは、十分わかっているものだろうが。わからんのか、その程度のことが・・・と思ったのだが、「建築専門学校卒」「元設計事務所」という男というのはわからんようだった。そのあたりが、「営業的感覚」があるかどうかの違いなのだ。測りに行く前に、「『6ミリまでなら大丈夫ですから』なんてこと言って、それで測って6ミリ超えてたらまずいな・・・」と先に気づけよ、まったく、頭を使え、頭を・・・・というのが「営業的思考」であり、「建築専門学校卒」とか「元設計事務所の”先生”」とか「一級建築士」とかいうヤカラにはわからんやつが多いのだ。ほんと!!! 〔 それから、「一級建築士」と矢鱈と言いたがる人間というのは、旧帝大系国立大学や早稲田大の建築学科卒の人間は少なく、「建築の専門学校卒」の人が多い。もし、私が旧帝大系国立大学か東京工大か神戸大か早稲田大の建築学科を卒業していたら、「建築の専門学校卒」の「『一級建築士』と矢鱈言いたがってしかたない人間症候群」と一緒にされたくないと思って、むしろ、「一級建築士」とは履歴書などで書かなきゃしかたがないところ以外では自分から言わないだろうと思う。「『いっきゅうけんちくしい~い』と矢鱈と言いたがる人間症候群」の人間というのは相当高い確率において「建築の専門学校卒」の人で、そうでない場合は「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人である。さらについでに、「早稲田の政経」は学歴詐称の定番であるが、建築業界限定で「早稲田の建築」というのも学歴詐称の定番で、自称「早稲田の建築でてますから」というのは実際はニチゲー卒とかの人が多い。私なんかは「早稲田の建築」と言われると、ほほお~お(^^)/・・・と思う。〕 ついでに、「設計事務所」と称している所に勤めると、「業者さん」というのが「先生」と呼んでくれるのだ。私でも、フリーダムアーキテクツデザイン(株)に勤めていた時、業者さんに電話すると、「先生」なんて相手が言うので、いったい誰のことやねん・・・と思ったら、なんや、俺のことかいな、気色悪いこと言うやっちゃな、このおっさんは・・・と思ったものだったのだが、それが、「建築専門学校卒」のにーちゃんがハタチくらいから「先生」と言われると、私のように「気色悪いこと言うやっちゃな」とは思わず、「先生」と言われていい気になるらしいのだ。「先生」と言われて、なんか「先生」になったような気持になった人というのは、もう、ひとの言うことききませんからね、そういう人は。・・・で、住友不動産(株)の営業職の募集においても、もし、入社したとして、そういう人との競争なら、そんなもの、絶対に負けるか! そんなのに負けたらアホや! と思ったのだ。
   (株)一条工務店で福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所の人に聞いた話だが、兼業農家の人から、その方の家の土地の「この部分に家を建てたいんだ」と言われたが、そこに建てられる条件で最大・最良と思われるものを図面に書いて持参したところ、「愛想もくそもない図面を書いてきやがった」と見込客から言われたそうだ。それで、所長のK野さんに「所長、一緒に行ってくださいよ」と頼んで同行してもらったところ、見込客は同業他社が書いてきたという図面を何枚も見せて、「どいつもこいつも、愛想もくそもないような図面ばっかり書いてきやがってからに」と言われたが、「ここに建てたいんだ」と言われた場所で建てようとすると、そういうものしか建てられないようだったのだ。(株)一条工務店の担当者も、他社の人間も、その条件で出来る限りのものの図面を書いてきたようだったが、それでは気に入らないと言われたが、その場所に建てる限り、どうもできないものを、どうしてこの人はわかってくれないのかと、どの会社の人間も思っていたらしい。(株)一条工務店の浜通り地区の所長だった草野さんは、お客さんの話を聞いた後、まわりを見回して、こう言ったらしい。「◇◇さ~ん。これ、どんなもんだろうねえ。ここにあるこの納屋なんだけんども。見たところ、まだ新しくて、壊すのは何とももったいないように思うんだけど、もしも、この納屋を壊して、納屋が建っている場所とこちらの土地と合わせて両方の土地を使って建てたとしたら、けっこういい家が建つように思うんだけども、どんなもんだろうねえ~え」と。まさに「目からうろこ」だった。それまで、何社もの会社の何人もの人間がそこに行ったが誰もそれに気づかなかった。それを(株)一条工務店の浜通り地区の所長のK野さん1人だけが気づいた。お客さんも感動して、「今まで、ここに何社もの会社の何人もの人間が来たけれども、それを言ってくれたのはK野さん、あんた、ひとりだけだよ」と言ったそうな。そうなったら、もう、競合なんてほとんどない。K野さんは(株)一条工務店で年間契約棟数全国1位の営業成績を残したこともある人だったが、さすがやなあ・・・と思った。その話には「感動した」。そういう発想ができるかどうか。「建築専門学校卒」「元設計事務所」とか「一級建築士と言いたい症候群」とかの男には、そういう発想は無理です。・・そういう発想をするのに、レーザー光線を使った測定器なんてもので測定なんてする必要ないですからね、そんなもん。そういう発想ができるかどうか、という点では、「建築専門学校卒」だの「元設計事務所」だの「一級建築士と言いたいシンドローム」とかの人というのはその正反対の人です。もっとも、小堀住研(株)の松戸展示場の課長だった I さんは「建築専門学校卒」で「元設計事務所」だったらしいが、それでも、小堀住研(株)では営業をやっていたので、それで、余計な測定みたいなもの、やったらかえって問題が出る・・・というあたりに気づく頭のある人だった。だから、「建築専門学校卒」「元設計事務所」でも「人にもよる」のかもしれないが、わからん人はわからんようで、そのあたりは、「設計事務所の先生」なんてやるといかんのではないか、ハウスメーカーでも「設計」なんて職種についていると、「設計士さん」とか言うお客さんがおり、なんか、呼び方からして違うやんけ・・・と思うのだが、「バカでも入れる私大の建築学科卒」のにーちゃんが「設計士さん」だかで、こっちは「営業」て、なんやねん・・と思ったこともないことはないのだが、『聖書』の「福音書」に書かれているように「あなたがたは『先生』と呼ばれない方がよい」とイエスは言っているのだが、「建築専門学校卒」ですぐに「先生」と呼んでもらったり「バカでも入れる私大の建築学科卒」で「設計士さん」とか言ってもらっていい気になったようなおっさん・にーちゃんというのはあかんいうことやと思うな・・・。
  だから、住友不動産(株)の説明会に来ていた人でも、《「『一級建築士』ですから私はえらいんですう」と言いたい言いたい症候群のおっさん》というのは、たぶん、売れんやろうなあ・・と思ったし、もしかすると、その人にはその人のそういう売り方があるのかもしれないが、そんなおっさんになんか負けたら、それこそ、眼かんで死なんといかんなあ・・・と思ったものだった。

4. 住友不動産(株)というのは大きな会社で、但し、東京都内の土地を、三井不動産(株)とか三菱地所(株)とかは相当持っているらしいが、住友不動産(株)の場合は、「住友」が持っていた土地を住友不動産(株)以外の「住友」の会社が所有したものが多いので、三井不動産(株)や三菱地所(株)などに比べると住友不動産(株)が所有している都内の土地は少ないらしいが、そういうことがあったとしても大企業であり、「わけのわからん一条工務店」とか「ボケみたいなおっさんが面接やるような木下工務店」とかそういう会社と違って、「住友の正社員」だというと、「なんか、ええみたいな感じする」というところはあるかもしれないが、しかし、その説明会で聞いた話では、住友不動産(株)では、役員クラスであるとか会社の経営スタッフには、これまで、すべて、戸建住宅建築業以外の部門からなっており、戸建住宅建築業の部門から役員になった人はこれまでに1人もない、ということで、「今後ともなる人がないかどうかはわかりませんが」と説明係の人は言ってはいたが、見通しとしてなさそうであり、結論として、大きな会社の中の「社内子会社」「社内下請け会社」みたいなものであり、そんな所で努力しても、努力のしがいがないという印象だった。
  慶應大学を卒業する年に慶應大学の就職部に相談に行った際、日立◇◇、NEC☆☆、東芝△△・・といった名称の会社というのは、親亀ではなく子亀でも日立・NEC・東芝だからいいかと思っても、そこで努力して昇進しても、日立製作所・NEC・東芝の本体の会社で競争に負けた人間がやってきて、自分の上の役職につくということがある・・・という話を聞いた。それなら、日立の子亀・NECの子亀・東芝の子亀なんかに入社するより、日立・NEC・東芝の親亀に入社しないとあほくさい! ということになる。 ツーバイフォー工法(枠組壁工法)で戸建住宅を建てている会社でも、三井系は三井ホーム(株)、三菱系は三菱地所ホーム(株)とその会社を作った三井不動産(株)・三菱地所(株)から独立しているのに対して、住友系は、在来木造の会社は住友林業(株)が林業部門と住宅建築部門と2本立てで、今では住宅建築部門の方が主になってきているらしいのに対して、「住友系のツーバイフォー工法(枠組壁工法)の会社」は、住友不動産ホーム(株)と住友不動産(株)から独立していたはずが、住友不動産(株)に併合されて、住友不動産(株)では本体の不動産部門と比べて「傍流」というのかの扱いになってしまったようだったが、そんな「傍流」の募集に応募して入ってもいいことないのではないか、という印象だった。もしも、住友不動産(株)に入るのなら、本体、「本流」の分野で入らないと損ではないかと思えた。 大学でも、私が高校を卒業した1970年代後半くらいまでは東大も値打ちがあったと思うが、今では「私立6年制受験校の人の行く大学」みたいになってしまい、公立進学校出身者にとってはかえって京大の方がいいくらいではないかという感じがする。慶應大は「慶應は最低でも高校から行った人間が本当の慶大生」などと言う大学で、「揺り籠から墓場まで慶應(from cradle to tomb)⇒慶應内部進学⇒私立大系私立高校卒⇒私立高校卒⇒公立高校卒だが小学校か中学校が私立高校卒⇒公立高校卒だが親か親戚に慶應大卒がいる⇒小学校から高校まで公立で親戚には東大・京大・阪大卒の人はいても慶應大卒の人間はいない」という序列というのかカーストがある大学であり、そこに行ったが最後、「慶應義塾カースト」の最底辺の扱いにされる大学、「外様」も外様、関ケ原の戦いで東軍についた加賀の前田・仙台の伊達とか藤堂高虎とか黒田長政とかそういう外様ではなく、関ケ原の戦いで西軍についたが存続を許された毛利・島津のような外様でもなく、近江佐和山の石田三成か信州上田の真田幸村かというくらいの外様という立場にされてしまうようなそんな大学にわざわざ行くことないのじゃないか、石田三成が徳川大学に行くことはない、石田三成は豊臣大学に行った方がいい・・・と思うようになったのだが、大学でも会社でも、そこに自分が行ったとして「譜代」になるのか「外様」になるのかということを考えて、「親藩」「御三家」になるかどうかはさておき、「外様」ではなく「譜代」になれる所に行くようにした方がいいのではないか、と思うようになったのだ。大学だけでなく、会社もまた、何も物好きに、不動産部門が本体の会社の戸建住宅建築業の部門になんて入らなくても、戸建住宅建築業の会社に入社するのなら戸建住宅建築業が本体の会社に入った方がいいし、住友不動産(株)に入るのなら本体の不動産部門に入るべきではないか、と思ったのだ。

5. 私は、大学に進学する頃は心理学の研究者になりたいと思っていた人間で、そういう人間がいやいや商学部に行かされてしまった人間だったので、大学の商学部でも労務管理論・労働経済学・労働法などを多く履修し、カウンセリングなども学習した者で、「会社」という所に勤めた場合には、人事総務関係の仕事につきたいと思っていた人間で、最初に正社員型で勤めた会社では人事総務部で勤務した者が、戸建住宅建築業では営業の仕事をしたという者だったので、営業の仕事をする時も「営業の視点」「人事の視点」の両方の視点で見てきた。
  私が人事総務部に勤務した時、その会社の課長から「人事担当というのは、人を採用する時、わずかの面接の時間でその人を見抜かないといけないのであり、入社してから採用された人間が役に立たないとなると、『おまえ、いったい何やってるんだ』ということになる」と、そう言われたのだ。もちろん、それは採用を担当する人事担当の立場でのことで、入社する人間は自分自身で貢献したと評価されるよう努力はするべきであるが、入社後、成果が出なかったとすると、誰が悪いのかというと、入社した人間だけではないはずなのだ。採用担当した人間と、配属先でその人をうまく活かすことができなかった、配属先の上役と3者だと思う。
  特に、入社した人間というのは、請負契約ではなく、雇用契約・労働契約として入社しているのだから、その人が真面目に勤務しているのに成果を出させることができないとなると、その人に成果を出させることができない配属先の上役に問題があるか、配属先の上役がその人に成果を出させようと真面目に努力しても成果を出せないような人を採用した人事採用担当の方に責任があるか、どちらかのはずなのだ。それを、入社した人間にすべて責任を押し付けようというのはおかしい。 企業は、雇用契約・労働契約で採用した従業員が成果を出した時、利益はすべてその従業員に渡すのかというとそうではなく、従業員にはボーナスで多めに渡すか、歩合給部分のある営業の場合なら歩合給の部分を多めに払うくらいのもので、多くは企業の利益にしているはずで、利益が出た時に企業の利益としながら、利益が出なかった時には従業員に責任を取らせるというのでは、「やらずぶったくり」のようなもので、利益が出た時に企業がその利益を取得するのなら、利益が出なかった時も企業がそれを負担するのが道理ではないのか。利益が出なかった時に従業員にその負担を負わせるのなら、利益が出た時にその利益を企業が取得する理由はなくなるのではないか。
  (株)一条工務店の営業所長には、自分の所で採用した人の営業成績が良くないと、当人だけが悪いみたいに言う人間がわんさといたのだが、私が社長なら、「おまえは何なのだ。おまえの役職は何なのだ?」と言うところである。 「おまえは、所長と違うのか? おまえが、この人ならやっていけると判断して採用したのと違うのか!?! おまえが、この人ならやっていけると判断して採用した人がおまえが所長の営業所に勤務して成果が出せないということに、おまえは何の責任もないとでも言うのか。そういう口をききたいなら、所長を辞めろ」と私が社長なら言いますね。 入社して成果を出せない人がいたとすると、その人に成果を出せるようにできない所長に何の責任もないのか? 配属先の上役が努力しても成果を出せないような人を採用した採用担当者が悪いのか、両方なのか? いずれにしても、採用を担当した人間で、なおかつ、配属先の上役でもある「所長」が自分が営業担当としては営業成績を残しているからということで「英雄」か何かになったような態度でいるというのは、それは「所長」としてはおかしい。そんなおかしな管理者はない。自分が営業成績を残しているから、自分が所長になっている営業所の営業担当で営業成績があがらない者がいてもいっこうにかまわないというような、そんな所長なら、その人は営業担当者としては優秀でも所長としてはクズだということになるはずだ。 野村のじいさんは南海ホークスで選手兼任監督を8年間やったが、選手としての成績がいいからチームの成績が悪くてもいいという態度は取らなかったはずだ。選手兼任監督というのは、選手としての成績とともに、それ以上に監督としてのチームの成績が良くないといけないはずで、その営業所の従業員で成果を出せていない人がいた場合、その従業員がすべて悪いという態度をとりまくる(株)一条工務店のたとえば福島県中通り地区の所長だった片山とか、あいつらは営業担当者ではあっても、実質、所長ではない。私が読んだものによると、野村のじいさんは、南海ホークスの監督として3年目の1972年、前年、東映フライヤーズに入団したが1年目、勝ち星ゼロだった江本を「俺が受ければ最低でも10勝はできる」と言ってトレードで獲得、江本は開幕2戦目に先発し、9回まで0点に抑えるが、対戦相手の阪急 山田も好投して9回まで0-0で延長戦になり、延長12回、ついに江本は1点失い敗戦投手になるが、帰りのバスの中で野村はマイクを持ち、その日の先発メンバーの名前を読み上げて、「おまえら、みんな、情けない。江本があれだけ頑張っているのに1点も取ってやれんというのは情けない。きょうは江本に借りができた。次の試合は絶対に点を取って借りを返さないといかん」と言う。次の試合、江本は先に失点してしまうが、試合の中盤、円陣を組んで、野村は「前の試合、我々は江本に借りがある。何としてもその借りを返してやらんといかん」と言い、その後、江本が抑えると南海は逆転に成功して江本はプロ入り初勝利。前年0勝だった江本は、その年、16勝をあげる。その翌年、巨人で前年はゼロ勝だった山内を獲得し、肘が曲がってしまって普通に直球を投げてもスライダーになるのを逆に活かし、巨人の時とは投球のパターンを変えるよう助言し、先発1試合目で完封勝ち。試合後、「勝てたのはたまたまと違うのですかあ。完封したと言っても、三振は1つもありませんでしたし」と言う記者があったそうで、野村は「あんなやつの言うことなんて気にするな。野球は勝てばええんや。村田兆治がマサカリ投法で三振とって完封するなら、おまえは天然スライダーで内野ゴロを打たせて完封すればそれでええんや」と言い、その年、前年0勝だった山内は投げては勝ち、投げては勝ちで、20勝。前期優勝の南海は、その頃のパリーグにおいては絶対的に強かった後期優勝の阪急をプレーオフで3勝2敗で倒し年間優勝。監督というものは、そういうものと違うのか。常に成功するかどうかはともかく、そういう努力をしてこそ監督と違うのか。ところが、(株)一条工務店の「所長」というのはそうではなく、「俺は、〇棟契約とってきたどお~お。また、取ってきてやるどお~お。なんだ、おまえ、契約あがらんのかあ。俺は〇棟とってきたけど、おまえは契約あがらんのかあ」とか言うという、そういうことしかできない人間ばっかりだった。そういう人間というのは、それは営業担当としては優秀であったとしても、所長としては優秀とは言えないのではないのか、それは営業担当者としての仕事であって所長の仕事と違うのではないか、と私はずっと思ってきた。
※ 《YouTube-1973年 南海ホークス 選手名鑑》https://www.youtube.com/watch?v=do07iif282s
  野村のじいさんがどこかで書いていたのだが、野村がまだ南海の監督になるより前、鶴岡が監督だった時、チームが負けた試合の後で、自分だけが猛打賞の成績だったということではしゃぎまくっていた選手がいて、野村は「うるさい!」と言って怒ったという。自分ひとり、いい成績を残したとしても、チームが負けたのにはしゃぎまくることないだろう、ということだった。(株)一条工務店の所長というのはその多くがその選手のようなものだ。自分が所長になっている営業所の営業で営業成績があがらない人がいても、所長の個人の営業成績が良ければそれでいいと大威張り! というのは、自分個人の成績さえ良ければチームが負けてもはしゃぎまくったという選手のようなものだ。

  私は、最初に正社員型で勤務したコンピュータ関連の会社では人事総務部に勤務したが、そこで、課長から「人事部の人間は、採用の時に、わずかの時間で相手を見抜かないといけない。入社後、その人が成果を出せなかったら、『人事は何をやってるんだ』ということになる」と言われた。もちろん、入社した本人はどういう経緯で入社したかにかかわらず成果を出して評価されるように努力するべきであろうけれども、入社した人間が入社後に成果を出せかった場合、配属先の上役には責任はないのか? 採用を担当した人事担当者には何の責任もないのか? 何の責任もないと言うのなら、それはおかしいのではないか。私の場合、最初、人事総務部に勤務して、その後、戸建住宅建築業の会社で営業の仕事をしたということもあり、又、戸建住宅建築業の会社で営業の仕事についても、5年も10年も一線の営業の仕事をするとは思っていなかったので、「営業の視点」と「人事の視点」の両方の視点で会社を見るようになったが、その説明会における住友不動産(株)の人事部の人間は、実際のところ、採用担当をやっている人事部の人間が、入社した当人だけに責任を負わせて、自分たちは何の責任もないみたいに思っている、さらに、それをはっきりと口に出して言うというもので、それでは人事部の人間として責任を果たしているとは言えない、人事部の人間としての仕事をしているとは言えないのではないか。求人広告の費用をかけて出して、ともかく、人を採用して、実質、契約社員なのに「正社員」と大きく記載して「正社員」の募集だと言いまくって採用して、入社後、最初の1年間で営業成績が悪ければやめてもらう、入社後何年か営業成績が出た人でも、その後、1年間単位で見て営業成績が悪ければ辞めてもらう、というそういうことをやって、それで、採用担当した人事部の人間は何も悪くありませ~ん! と言いはるというのでは、「天下の住友」か何かしらんけど、その人事部の人間というのは、結局、「勝手なことばっかりやってるだけ」であって、どう考えても優秀な人事とは思えない。
  私が(株)住友不動産の説明会に応募するつもりで行ったものの、説明会を聞くだけ聞いて応募しないで帰った理由はそこにあった。「正社員」の募集だと言いながらも、実質、契約社員の募集であるという点。 契約社員の募集なら最初からそう明示して募集するべきであるのに、「正社員」だと大きく記載して募集しており、「天下の住友」にしてはせこいことをやっている。「天下の住友」なら、実質、契約社員ならそのように明示して募集するべきもののはずで、実質、契約社員の募集を「正社員」と大きく記載して「正社員です」と説明会でも言いまくっていたが、そういう募集・採用のしかたというのは、募集・採用のしかたとして適切とは言い難い。「天下の住友」ならまかり通ると考えるのではなく、「天下の住友」ならばこそ、実質、契約社員の募集ならば、実態に即した表記をして募集するべきであり、「正社員」の募集だとして説明会に来させた上で、説明会の場でも「正社員です」と言いまくりながら、内容は実質、契約社員の内容を言うというそういうやり方はやめるべきだ。そう思ったから、だから、たとえ、「住友」の募集であっても、この募集には、応募したとして採用されるか不採用にされるかはわからないが、採用されるとしても応募すべきではない、と判断した。

  会社の採用担当者は、この人なら入社後、やっていけるだろうという人をよく見て採用を決めないといけませんし、配属先の上役は、採用担当者がこの人ならやっていけると判断して採用されて入社した人は、活用して実力を発揮してもらうようにしないといけませんが、入社した当人もまた、その会社で実績を残して評価してもらえるように努力するべきでしょう。問題は、その住友不動産(株)の説明会をやっていた人事部の若造は、向う1年間、人事部として十分に貢献できなかったなら辞めるのですか? ひとに「1年間で何棟以上契約をとってもらいます、取れなければ辞めてもらいます」と言うからには、自分も、向こう1年間、十分に貢献できなかったなら辞めるべきではありませんか? ひとにばっかり、1年ごとに見て成果を出せなければ辞めてもらいますと言う男というのは、なんか、「ふてえ野郎だなあ」と思いませんか?・・・という点です。会社は従業員に対して公平でないといけません。人事部の人間は、公平であるべきです。当然、戸建住宅建築業の部門で営業職として募集し採用した人に対して、1年ごとに営業成績を見て、成績が悪ければ辞めてもらうということならば、人事部の従業員に対しても同様の姿勢で臨むべきではありませんか? なぜ、住友不動産(株)の人事部の若造は、自分たちは人事部の従業員として評価される働きをしなくても辞めないのですか?
  だから、私は、もしも、応募して採用されて入社していたならどうなっていたかは実際に応募しなかったのでわかりませんが、その時に来ている人を見た限りでは、私が入社したならば、少なくとも「入社1年目については、最低でも平均を上回る」くらいの営業成績は残せるのではないかと思ったし(まず、同業他社での「経験者」ですからね)、入社2年目以降はそれ以上の成績を残せるのではないかと思ったし、最低でも「『一級建築士』と言えばひとは言うことをきくはずだと信じている症候群」のおっさんよりは売れなかったら眼かんで死なんといかん! と思いましたが、たとえ、自分が「辞めてもらう」対象にならなかったとしても、片方で、人事部の若造は、人事部の従業員として成果を出せなかった場合も辞めないのに、戸建住宅建築偉業の営業職として「正社員」だという名目で入社する人間は、1年ごとに営業成績を見て、営業成績が悪ければ「辞めてもらう」というそういう不公平な立場、差別された立場に応募する必要はないし、応募するべきではない、と考えたのです。

6. 又、私は戸建住宅建築業の会社に最初に入社した時点において、まさか、5年も10年も一線の営業の仕事をさせられるとは思わなかった。そんなつもりで入社したのではなかった。住友不動産(株)の説明会に行った時点までに、実際には10年越、営業の仕事をしたが、特に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では、この会社はいったいいつまで私に一線の営業をさせるつもりなのか、いつまで私に「雑巾がけ」させるつもりなのか。いいかげんにしろ・・・という感じだった。いくら口先だけ「正社員」だと言いまくっても、実質、契約社員の条件での採用ということであれば、その募集に応募して入社してしまうと、結局、「実質、契約社員の営業限定職の処遇」に入社してしまうことになるのではないか。 それなら、住友であろうが何であろうが応募する理由はない、と判断した。
  
7. そして、1年間にどれだけ契約を取れなければ辞めてもらいますという会社というのは、自分自身がその「辞めてもらう」対象でなかったとしても、周囲にそれに該当して辞めていく人がいるわけであり、住友不動産(株)の場合、どのくらいの割合なのかはわからないが、(株)一条工務店などは、いいかげんな採用をしている会社で、その人が同社の営業として適性があるかどうかなど何も考えないで採用しているということもあるだろうけれども、「とっかえひっかえ、とっかえひっかえ」すれば優秀な営業社員が残るだろうなどとおかしな思想を持っている人間が経営者になっているということもあると思うが、次から次へと同僚が辞めていくのであり、次から次へと同僚が辞めていく職場というのは、自分が辞めていく対象になっていなくても、職場の雰囲気が良くない。 たとえ、自分が辞めていく対象でなかったとしても、職場の同僚には仲のいい人間もあればあまり仲良くない人間もいるかもしれないが、たとえ、あまり仲の良くない人間であったとしても、同じ職場の人間が辞めていくというのは、なんとも悲しい。そういうことが日常的にある職場というのは、もう、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ でうんざりした。

  それで・・・・・。 住友不動産(株)の説明会の際に聞いた話。 東京都内の千代田区とか都心の区にビルを建てる場合、その何割かは住居にしてください、ということを「区」が言うらしく、その為、オフィスビルとして必要な階数だけでなく、住居の部分も作って、高層ビルの上階はマンションにして、下の方をオフィスにするといったことをするらしい。
  それに対して、千葉県習志野市や船橋市というのは、東京の都心とは違って、「郊外」であり、郊外には都心とは違った良さがあり、郊外の良さを損なうようなものは建てるべきではなく、建てさせるべきではない。
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( ↑ 「津田沼ザ・タワー」 2020.4.23.撮影。)
↑ は、習志野市谷津1丁目15、JR「津田沼」駅のすぐ南側で建造中の「津田沼ザ・タワー」と称する人工の岩山であるが、このようなものは、郊外である習志野市や船橋市にはそぐわない。 このようなものを建てさせたのでは、郊外の良さを損なうことになる。 こういうものを造らせている習志野市都市計画課は都市計画をおこなっていない。

( ↑ マーカーが「津田沼ザ・タワー」と称する人工の岩山が建造中の場所。)
  「津田沼ザ・タワー」が建造中の場所は、「仲よし幼稚園」の跡地で、もともと、習志野市の所有地だったということで、「仲よし幼稚園跡地活用事業」として「プロポーザル方式」として、審査委員が「審査」して決めたというのだが、審査委員長には、千葉工大の建築学科の教授⇒名誉教授の山本明氏がなり、審査委員の1人として、やはり千葉工大の建築学科の助教⇒准教授の倉斗綾子(くらかず りょうこ)氏がなっていたのだが、↑ の「津田沼ザ・タワー」のような人工的岩山は、東京の都心ならそれがふさわしい場所もあるかもしれないが、習志野市・船橋市のような郊外においてはそぐわない。郊外にこのようなものを建造させたのでは、郊外の良さを損なうことになる・・・といった思考をできてこそ、建築学科の教員と言えるのであり、それをできないような建築学科教授などというものは、山本明氏は東京工大卒だということだが、もう一回、大学に行きなおして勉強しなおした方が良さそうに思える。東京工大でいったい何を勉強しとったんじゃい! て感じがする。
  そもそも、「津田沼ザ・タワー」以前に、千葉工大についても、
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↑ は、県道船橋我孫子線(通称「ふなとり線」)の「吹上」交差点付近から南を見たものだが、正面の巨大な建造物が「津田沼ザ・タワー」という人工の岩山だが、 その左に2つ見えるのは、千葉工大の高層ビルのようなのだ。 「津田沼ザ・タワー」だけのことではなく、この千葉工大の2つの高層ビルもまた、この場所にはそぐわない建物であろう。 千葉工大というのは「建築学科がある大学」だったと思ったのだが、「建築学科のある大学」であるにもかかわらず、自分の所がその地域の都市計画として考えてそぐわない建物を作っていいのだろうか? 千葉工大の建築学科というのは、都心部にふさわしい建物と郊外にふさわしい建物は違う、ということくらいも理解できないような反建築学科みたいな人間が運営しているのだろうか? 千葉工大の建築学科というのは、都市計画学を勉強しなおした方がよさそうな人間ばっかりが教員になっているのだろうか? 千葉工大というのは、入学する時点ではあまり評価は高くない私立大学だが、千葉工大の建築学科というのは工務店の息子とかで行く人がけっこうある大学だと思っていたのだが、そういう二束三文の内容の「大学」だったのだろうか? 

   5月下旬、夜、外を歩くとカエルの鳴き声がここちよく聴こえる。私が船橋市に住むようになった1992年から考えると、田や畑はずいぶんと減ってしまったが、それでも今でも田や畑は我が家の近くにもあり、特に田の方でカエルの鳴き声がここちよく聴こえる。そういう場所に ↑ のような巨大な人工の岩山を建造するというのは、それはどう考えてもふさわしいものではないはずだ。 千葉工大の建築学科の教授⇒名誉教授だという山本明氏は、少しでもこういったことを考えたことがあるだろうか? ・・な~んも考えとれへんのと違うか? 私なんかは、高校を卒業する頃・卒業した頃、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と父親から言われたもので、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言っても、母親からは「100パーセント、絶対に国立大学に通ると決まっているわけではないでしょうが。0.1%でも落ちる可能性がないとでも言うのか。たとえ、0.1%でも落ちる可能性があったら国立大学でも工学部なんか受けてはいかんでしょうがあ」と言われたものだった。その工学部の建築学科に行った山本明さんは、カエルの声がここちよい、まだ周囲に田や畑があるような郊外に160メートルを超えるような人工の岩山はふさわしくないと感じる感覚はないのだろうか。
  1995年の1~3月に、大きな事件として、阪神淡路大震災とオウム真理教地下鉄サリン事件の2つがあったが、その約11年前、1984年の1~3月・・に何があったかというと、怪人21面相事件が始まった・・というのともうひとつ。栃木県宇都宮市の報徳会宇都宮病院という「精神病院」で「患者」に対しての暴力などが表に出た、ということがあった。その後だが、精神医療委員会編集発行「精神医療」51号「精神医療緊急特集号 宇都宮病院問題」(1984.5.28.編集発行:精神医療委員会)に掲載の、吉田哲雄(東京大学医学部精神科)「精神科医と研究」という文章において、《 ある心理学者は「多くの精神科医は実は生理学者や生化学者であり、人の心の問題を相談するにはふさわしくない」とのべた。そういわれるような状況が現にあることに、虚心な人々は思いあたるであろう。しかもとかくそういう精神科医ほど、いざというときに臨床場面で医師の資格をふりまわすことがあり、周囲に迷惑をおよぼすようである。・・ 》と書かれているのだが、「精神科医」という者が扱っている対象というのは、それは(梅毒の3期症状によるもの、外傷によるもの、薬物中毒によるものなどを別にすれば)人間関係であり、本来は文学・哲学などの人文科学の分野のものであるにもかかわらず、彼ら「精神科医」は「医者」だということで、大学の医学部に入学して卒業した人たちで、その頭の構造は自然科学者であり、本来は人文科学の分野のものを自然科学的思考の人間が扱っている点に問題がある、という面があると思われるが、建築学科にもそれといくらか似たようなところがあるのではないかと私は思っている。
  日本の大学の建築学科には、工学部・理工学部系の建築学科と美術学部・造形学部系の建築学科があり、国立大学では東京芸大だけが美術学部に建築学科があって、それ以外は日本の国立大学は東大・京大・東京工大・大阪大・神戸大その他、すべて工学部・理工学部に建築学科があり、私立大学でも、東京に「バカでも入れる美大の建築学科」というのがいくつかあるものの、早稲田大の建築学科は理工学部にある。
  大学の経済学部と商学部と経営学部というのはどう違うのか、よくわかっていない人がいるのではないかと思うが、慶應の場合は、「経済学以外の商業学・経営学・会計学なども扱うが経済学に重心がある学部」が経済学部で、「経済学も扱うが商業学・経営学・会計学などの方に重心がある学部」が商学部で(又、内部進学の人間が3人に1人はいるのが経済学部で、慶應の社会科学系学部の中では内部進学の人の割合が小さいらしいのが商学部だったが)、一橋大などもそうではないかと思う。神戸大には経済学部と経営学部があって商学部はないが、神戸大の場合は、慶應・一橋では商学部と名づけた学部に該当するものに経営学部と名づけているのだと思う。大阪市立大は経済学部と商学部と経営学部の3つがあったと思うが、これは、慶應・一橋や神戸大が2つに分けたものを大阪市立大は3つに分けたのだろう。東京大・京都大・大阪大には経済学部はあっても商学部・経営学部はないが、東京大・京都大・大阪大には慶應・一橋の商学部、神戸大の経営学部に該当する学部はないわけではなく、東大は入学時は文科2類で入学して、専門課程に進む時に経済学部経済学科と経済学部経営学科に別れて進むらしく、経済学部の中に経済学科と経営学科があるらしい。面白いのは、「社長の息子」は東大の経済学部に行った場合は経済学部経済学科ではなく経済学部経営学科に行く人が多いようなのだが、慶應の場合は東大なら経済学部経営学科に該当する商学部ではなく経済学部経済学科に該当する経済学部の方に行く人が多いという点だ。「社長の息子」というのは「名前を欲しがる」ところがあり、慶應の「理財課」が東大など国立大学と学部の名称を合わせるようにしないと大学と認めてもらえないということがあった時に「経済学部」と改称したものを、戦後、学部の定員を増やそうという話があった時に、それならいっそ学部を2つに分けてはどうかということで2つに分けて、片方を「経済学部」、他方を「商学部」という名前にしたというもので、経済学部だけが理財課の後身ではなく、経済学部と商学部の両方が理財課の後身なのに、「名前を欲しがる社長の息子」は「慶應の経済」卒を名のりたいために、東大なら経済学部経営学科に該当する商学部ではなく、経済学部経済学科に該当する「慶應の経済」の方に行きたがる傾向があるというのは・・、まあ、「社長の息子」なんてその程度のもの・・なのかもしれんて印象を受ける。
  それで、愛知産業大学の建築学科のスクーリングの際に聞いた話なのだが、ヨーロッパの大学では建築学科は美術学部・芸術学部・造形学部といった学部にあることが多いらしく、その点が工学部・理工学部にある建築学科が多い日本とは違うところらしい。 それで、工学部・理工学部にあっても美術学部・造形学部にあっても建築学科は建築学科で一緒かと思っていたらそうでもないらしい。「工学部・理工学部にある建築学科」と「美術学部・芸術学部にある建築学科」とでは、「工学部・理工学部にある建築学科」というのは理工学分野に比重が大きく、「美術学部・芸術学部にある建築学科」は理工学分野もやらないというわけではないがデザイン・意匠などに重心があるらしく、経済学部と商学部の違いと少々似ているかと思う。頭狂大学とか狂徒大学とか犯大とかだと工学部に建築学科があるわけで、それに対して、美術学部・芸術学部にある建築学科で有名大学というと東京芸大くらいのもので、「バカでも入れる私立の美大の建築学科」なんてのは、今は昔、私が求職中に、三田会の方で知り合いでそういう会社の社長をやっている人がいるからと紹介していただいたことがあって、その女性というのが「バカでも入れる私立の美大の建築学科卒」だったらしく、慶應の商学部卒で何の因果か建築業界に勤めた私に対して、「私なんかは高校の時から建築の仕事をしたいと思っていたから、(バカでも入れる私立の)美大の建築学科に行ったんだけど。商学部卒で建築の仕事につくなんてどうかしてるわ」とかさんざん私に罵詈雑言を言いまくり、自分は「バカでも入れる私立の美大の建築学科」卒だというのを自慢しまくったのだった。その女性は私と同年代だったのだが、私からすれば、その人が行ったような「バカでも入れる私立の美大の建築学科」なんて行きたいと思わなかったし、行かせてやるなんて言われても行きたくなかったし、東大の理科一類・京大の工学部建築学科に通ったかというとそれはわからないが、ともかくも国立大学の工学部建築学科というくらいなら行ける所はあったと思っているが、それでも我が家は「うちは工学部なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」という家庭だったから、建築学科なんて進学させてもらえる可能性はなかったのだが、それよりも、建築関係の会社というものは、経済学部・商学部など社会科学系学部卒の者と建築学科など卒の者と両方の者がいて、両方の能力を発揮できてこそのもので、「商学部卒で建築の仕事につこうなんてどうかしてるわ」などというバカ女の思考の方こそ「どうかしてるわ」というものだった、と思う。「バカでも入れる私立の美大の建築学科」なんて行くようなバカ女の思考というのはやっぱりおかしいと思う。そもそも、大学は高校まで勉強した者の行く所であって「バカでも入れる私立の美大の建築学科」なんて行くようなバカが行く所ではないと私はずっと思ってきたし、今も思っている。
   それで、どうも、日本では東大・京大・阪大・早稲田大など「まともな大学の建築学科」は工学部・理工学部にあり、美術学部・芸術学部にある建築学科というのは東京芸大以外は「バカでも入れる私立の美大の建築学科」とかそういうもの、「バカでも入れる私立の美大の建築学科に娘を行かすような金持ちの息子・娘が行く学校、カネだけはあり余ってる親の息子・娘の行く学校」というイメージがあった。しかし、私は、建築とは、片方で工学部・理工学部的なものであるが、他方において美術・芸術でもあり、そして、さらに他方において、商業施設の場合は商学部・経済学部的発想で建てられるべきもので、住宅においては人文科学的思考が必要なものと考えている
  今となっては10年ほど前になるが、茨城県つくば市のつくばエクスプレス「つくば」駅の前の「世界の磯崎新」設計の「つくばセンタービル」を見学に行った際だが、「世界の磯崎新」設計というフレーズ、二級建築士のテキストにも名前が載っている「つくばセンタービル」、「ポストモダンの集大成」と言われるらしい「つくばセンタービル」の商店街は閑古鳥が鳴いていた。駅の目の前のビルなのにシャッター閉めの空き店舗が多かった。
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( ↑ 久部緑郎 作・河合単 画・石神秀幸 協力『らーめん才遊記 (2)店主の器』2017.5.2.小学館 My First WIDE より。
「カンコ―ッ!、カンコ―ッ!、カンコ―ッ!」)
それに対して、その向かいの「普通の人」が設計した「普通のビル」には人がいっぱい入っていて、その中の商店は繁盛していた。それが「世界的建築家」のやることだったのだ。それが「世界的建築家」の仕事だったのだ。まあ、「建築は爆発だあ!!!」とかそんな感じで「芸術家」みたいな「建築家」やってる人のやることなんて、そんなもんだ。
  まず、「世界的建築家」とかいう人というのは何を考えてやってるか、というそこが問題だ。そういうビルの場合、意匠設計・構造設計・設備設計の担当が分かれていることが多く、意匠設計の担当者がその統括者になっている場合が多いようなのだが、要するに、「建築家は芸術家だ」とか思ってやっとると思うのだ。広隆寺の弥勒菩薩像くらいの大きさのものを造るのなら、芸術だと思って芸術家気どりでやってもいいかもしれないが、公共の費用を使って巨大なビルを作るのに、「建築は爆発だあ!」みたいな意識でやってもらっては困るのだ。駅前の「つくばセンタービル」というのは、商業施設であるならば、商学部的発想でやってもらわないといけない。そうでなければ、いくら、「世界的建築家」「世界の磯崎」「ポストモダンの集大成」だか何だか知らんが、そんなものは「巨大なガラクタ」でしかない。
  ところが、「世界的建築家」というのは、どういう大学の出身かというと「工学部・理工学部系の建築学科卒」の人が大部分で、
「理系あたま + 芸術家ぶりっこ =””世界的建築家””」
というそういう人が「世界的建築家」をやっている。
  まず、「建築家」と称する人たちというのは、芸術家か何かになったような気持は捨てて、商学部的発想で物事は考えるべきで、それができないなら商学部的発想のできる人間に意見をきくようにするべきだ、と思うのだが、ところが、「建築家」と称してピカソか何かにでもなったような気持になったおっさんというのは、人の意見をきかないのだ。特に、「建築家」業界の人間の言うことなら少しくらいきいても、社会科学系学部卒の人間の言うことはなかなかきかない。だから、閑古鳥が鳴く建物を得意がって作ることになる。そんなものを、「ポストモダンの集大成」とか言って称賛・礼賛・翼賛するヤツがいる。「世界的建築家」を翼賛すれば自分も「世界的建築家のエピゴウネン」として認定してもらえるだろうとか思っとるのかもしれん。
  「つくばセンタービル」の場合は、最初は周囲に何もない地域に、その核となるようなもの、象徴となるようなものを造るという姿勢での建物だったのが、つくばエクスプレスが開通して「つくば」駅ができたことで、駅がその付近の中心になり、「つくばセンタービル」には「中心」としての役割ではなく、「駅前のビル」の役割という当初とは違う役割が求められるようになった、という事情はあるかもしれないが、そんなものは最初から予測されたことで、そういうことも考えずに、巨大なガラクタ作って、「ポストモダンの集大成」なんて言っているあたりが、「建築家」病とでもいったところか・・・。「つくばセンタービル」に関しては、私は「これは、本当に『世界的建築家』が設計したものだろうか? 実際は、磯崎新アトリエ にどこかの大学の建築学科を新卒で入社した青くさい若造が設計したものに「世界の磯崎新設計」と書かれたシールをぺたっと貼り付けたというものと違うのだろうか? ・・と思ったのだが、実際にそうかどうかはわからない。それでも「世界の磯崎」設計というシールが貼られると「ポストモダンの集大成」と評価されて「建築家」業界では称賛・翼賛されるらしいけれども。(しかし、「建築家」業界でメシ食ってるわけではない一般市民まで翼賛させられなければならない義理も義務もないはずで、一般市民は遠慮なく「王様は裸だ」と言っていいと思うのだけどね・・・。)
   ともかく、建築は、理工学的性質・芸術的性質と「商業学的性質および人文科学的性質」の3つの要素を満たしてこそ建築であると私は思うのだ。 ところが、日本の建築学科というのは、「まともな大学」と認定されている大学では東京芸大以外は工学部・理工学部に建築学科があり、かつ、工学部・理工学部に行く人間というのは高校の時点から「理系」のクラスにいる人間が多く、「理系」に別れた後に「工学部」を選択して、さらにその後に「建築学科」を選択する人が少なからずいる。京大・阪大・神戸大は、まだしも、入学時に「工学部◇◇学科」として募集しているので、大学を受ける時点で建築学科が選択されるが、東大の場合は理科一類・理科二類で入学し、専門課程に進む段階で◇◇学科に別れるので、「工学部建築学科」に進んだ人でも、「建築学科」になるのは大学の3年からになる。そういう「理系あたま」の人間が建築をやっている、というあたりに日本の建築の問題点があるのではないか、とも私は思うのだ。「精神科医」の問題点として、「精神科医」が扱っている問題は人間関係であり、それは本来は人文科学の分野の問題なのに、それなのに、「理系あたま」の人間が「理系思考」で考えるから、そのあたりに「精神科医」の無能さが出てくる場合があると言われるのと同様、建築もまた、本来は理工学の要素だけでなく美術・芸術でもあるとともに、「商業学的思考および人文科学的思考」が必要なもののはずなのに、日本では工学部・理工学部にある建築学科が主流であるという点に問題点のひとつがあるのではないかと思う。
  「 智恵子は東京に空が無いという ほんとの空が見たいという・・」という感覚なんて、建築学科卒の人間には持ち合わさない人間がけっこういるのではないか。 夜、カエルの鳴き声を聴いて、なんで、こんな場所に高層の岩山なんて人工的に造りたがるのか・・・と疑問に思う心・・・といったものを千葉工大建築学科教授⇒名誉教授の山本明さんなんて人は、お持ちではないのかもしれない。 結論として、本来は理工学的思考と美術・芸術的思考と「商業学的思考・人文科学的思考」の3つがあってこその建築なのに、理工学的思考しかない「建築家」とか「建築学科教授」とかいうのは、それは、「思考がカタワの建築」家と考えざるをえない。 違いますか? 違わないと思いますよ。

  住友不動産(株)の説明会で聞いた話、千代田区など東京の都心の区では、その区を昼間人口ばかりが多くて夜間人口がないそこに住民票を置く人間がない区にしたくないという考えがあって、ビルを建てる場合に、その何割は住居にしてくださいということを「区」が言うということだったが、習志野市や船橋市の商業地域においては、その逆の規制を設けるべきだ、と思う。
  「津田沼ザ・タワー」は、「JR『津田沼』駅の駅前だから商業地域として高い容積率が設定されているんです」と習志野市役所都市計画課の小口氏が言われたように、「駅前で商業施設を作るべき場所としての商業地域だから」という理由で容積率を大きく設定している場所に、その「商業施設を建てるべき場所だから容積率を大きく設定している」という大きい容積率を悪用して、住居専用ビルなのに、「商業施設を建てるべき場所だから大きい容積率を設定している」というその大きい容積率を利用して高層の岩山を造っている。商業施設を作るのでないのなら、住居系の容積率を適用すべきではなかったのか?
  かつては、住居系用途地域に商業施設を作ることには規制はあっても、商業系用途地域に住宅を建てることに規制はなかった。それで特別問題は出なかったのだが、ところが、最近は、駅前の商業系用途地域に商業系用途地域だからということで大きい容積率が設定されていることを悪用して、住居ばかりの高層岩山マンションが建てられる事態が発生している。 こうなると、千代田区など都心の区が、オフィスビルを建てようという者に対して、そのビルの何割かは住居スペースにしてくださいと規定を設けるのと同様に、商業系用途地域にビルを建てる場合には、その何割以上は商業施設にしてくださいという規制を設けるべきです。そうでないと、商業地域という用途地域の指定に意味がなくなってしまいます。 習志野市の都市計画課は、自分たちが指定した用途地域がその趣旨に反する使い方を「津田沼ザ・タワー」にされている、という事態について、何ら対処しようとしないというのは市役所の姿勢としておかしい! ということすらわかっていないのでしょうか。

   商業系用途地域の容積率を適用するのなら、そのビルの何割か以上は商業施設にする、もしも、住居スペースの割合が大きいビルを建てるのならば、その建物には住居系用途地域の容積率を適用する、という規定を各自治体は大急ぎで設けるべきです。それをやらないような都市計画課は都市計画課とは言えません。

  (2020.5.23.)


☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201905/article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場
「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンション https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_1.html
[第468回]「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_3.html
[第469回]「本人訴訟の一般人には相当大きく安全側に要求し、弁護士にはよほどのことがないと」の裁判所書記官の対応と、「三菱」「三井」「野村」の言うことならきくのか? 独立自尊の精神に欠ける習志野市建築指導課!https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_4.html
[第470回]都市計画法による用途地域の趣旨を守るために建築基準法の規定があり、逆ではない。マンション屋の為の都市計画課なら存在価値はない。岩山マンションによる環境悪化・財産価値低下に補償することもせずに「意見の違い」など認められない。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_5.html
[第471回]船橋市各所から見た「津田沼 ザ・唯我独尊タワー」船橋市各所から南方に岩山として眺望を妨げ、同類が建てば通風も妨げると思われる「津田沼 ザ・タワー」。なにゆえ、市民はこのような遮蔽物を人工的に造られねばならぬのか!?! https://tetsukenrumba.at.webry.info/201908/article_1.html
[第474回] 権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201911/article_1.html
[第478回] 富士山のそばに人工的岩山を造られても国民は文句は言えないか? 夜空を照らす照明塔岩山マンションははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_1.html
[第479回] 3階建か4階建の建物を前提に規定された数字を160mを超える岩山建造に適用は不適切。権威づけ神輿の建築学科教授山本明氏・倉斗綾子氏はこの程度のこともわからないのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_3.html
[第480回] 夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_4.html
[第482回]「津田沼 ザ・タワー」の「容積率緩和」適用は制度の趣旨に反する。「仲よし幼稚園跡地活用事業」「審査委員」の選定は八百長か。商学部経営学部系教員を選考委員に入れないのは、八百長計画に異議を唱えさせないためなのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_6.html
[第483回]「津田沼ザ・タワー」の侵害に「権利意識の欠如」状態になってはならない。「相互主義の原則」として習志野市の商店での買い物は控えましょう。「言ってもだめよ」はファシズム傾向と理解せよ! 「専門家」信仰は山本明氏のような権威主義者の思うツボ!https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_8.html
[第484回]「津田沼ザ・タワー」は北側に大きな窓を設ける権利がなぜあるのか? 夜、光らせる権利がなぜあるのか? 及、猫の頭なでるだけなでて糞や小便を他家の庭やガレージでさせる猫の飼主は横暴ではないか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_9.html
[第485回]「津田沼ザ・タワー」”最高のロケーション”と称賛する「投資家カズのトレード日記」は精神病理学上の問題ではないかとすら思える。邑楽タワーの失敗と「津田沼ザ・タワー」の居直り。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_10.html
[第486回]「津田沼ザ・タワー」に反対はあっても賛成はありえない2つの理由。60年安保闘争には2種類の反対があった、て知ってますか。「大学教授」であっても「知識人」ではない千葉工大の大学教授。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_11.html
[第487回] 地下鉄と「高層マンション」は文明ではない。モンパルナスタワー・ナポリ副都心に該当する配慮は見られない「津田沼ザ・タワー」。「津田沼ザ・タワー」は建築学科課題としては落第点である。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202002/article_1.html
[第488回] 「津田沼ザ・タワー」はパチンコ屋みたいに、夜、光りだしたが、パチンコ屋より傲慢。屋上のペントハウスを光らせて、マンション屋と「購入者」は何か得するのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202002/article_2.html
[第491回] 遠藤周作『花鳥風月を友として』で考える「津田沼ザ・タワー」。船橋市・習志野市での「田園まさに荒れなんとす」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_4.html
[第497回] 都心の区がビルの新築に際し住居スペース確保を求めるごとく、郊外の駅前では商業施設の割合を確保させる規定を設けるべきである。都心に向く建物と郊外に向く建物は違う、ということくらい建築学科教授ならわかりそうなものだが。「1年の契約社員」の募集を「正社員」募集と言う会社はいかがなものか。〔今回〕
[第498回] 雲の中のトドラが棲息する場所のマンション、バルタン星人の3倍の高さのマンションなんて、人間にとって非本来的だと思いませんか?ー『ウルトラQ』『ウルトラマン』で考える「津田沼ザ・タワー」の貧困なる精神。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_6.html

「慎腹風呂愚」
[第759回]《高山の町並にて。「和風のドーマー」は違和感なく存在。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。—高山の町並みにて(1)》https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_10.html?1584263851


☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_2.html

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
「慎腹風呂愚」
[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_27.html

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_11.html 
で述べました。 

私の教え子ベストナイン (光文社新書) - 野村 克也
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精神医療と人権〈1〉日本収容所列島 (1984年) - 戸塚 悦朗, 広田 伊蘇夫
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日本環境報告 (朝日文庫) - 本多 勝一
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