息子よりよその子をいいと思う母親。息子のせいにして「英雄」になる父親。裏口入学と「両親が離婚」は自慢することか-母の日に

[第496回]
  母にとって、私は「産まれなければよかった子供」だったらしい。母は姉2人が「成人したら離婚しようと思って我慢を重ねてきた」ところが、下の姉が9歳の時に、私が産まれてしまったので、「それで離婚できなくなってしまった」そうで、次に私が「大学に行ったら離婚しようと思って我慢してきた」そうだ。ところが、「こいつ、現役で大学に行ったら思いあがった人間になって女を泣かせる男になるから、こいつ、何が何でも落としてやる」と言って、そして、それが直接の原因かどうかはさておき、高校卒業時には落ちて浪人したが、浪人すると今度は「こいつが大学に通ったら離婚しようと思っていたのに、こいつが浪人しよったために離婚できんようになった。こいつに離婚できんようにされた」ということになったらしい。まったく、つくづく、ろくな息子ではない。
  父は、毎日、私の眼を指で突きさすようにして「産まれなければよかったのに。産まれなければよかったのに。産まれなければよかったのに。チャンコロっ!」と何度も何度も叫んできた。「産まれなければよかったのに産まれてきたということを、このわしに土下座して謝らんか、このチャンコロめが、この浪商!!!」と何度も何度も言っていた。私は母に言ったことがあるのだ。「産まないでくれたら良かったのに、なんで、産んだの? 私を産まなければ、みんなが幸せになったのに」と。
  なにしろ、父がそう言っていたのだ。「おまえさえ産まれなかったら、そしたら、みんなが幸せになったのにからに、産まれよってからに。産まれなければよかったのに産まれおってからに。このチャンコロめがこのチャンコロ浪商めが、このチャンコロっ!」と。父は「わしとかM川先生〔父の親友の医者屋〕とかはドイツ人で英雄で神さまやねんぞ。わしとかM川先生の言うことは常に絶対に正しいねんぞ」と何度も言っていたのであるから、「おまえさえ産まれてこなかったら、みんなが幸せになったのにからに」というのも、それも「絶対に正しい」はずだ。そんな子供なら産まなければよかったのではないのか。なぜ、産まれなければよかった子供を産んだのだ?
  父が言うには、「T子さん(上の姉)は、ほんまやったら絶対に奈良女子大に通ったお方やねんぞ。お前とは民族が違うねんぞ、チャンコロ! おまえはチャンコロの民族。T子さんはドイツ人の民族。民族の違いをゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ! チャンコロが産まれおったがために、大事なドイツ人のT子さんがほんまやったら通っているはずの奈良女子大をチャンコロに落されたんじゃ。T子さんに地面に頭すりつけて謝らんかあ、このチャンコロゥ! この浪商!!!」ということで、T子さんは「ほんまやったら奈良女子大に当然のことながら通っているはずのお方」やったらしいのだ。それを「チャンコロで浪商の民族」だという私が落としたらしいのだ。いったい、何をしたのか? ・・といっても、上の姉が大学を受けた年というと私は小学校の1年であり、奈良女子大と大阪樟蔭女子大の下見に行くときに一緒について行き、奈良公園に鹿がいたのを覚えているくらいのもので、プラスになることもマイナスになることも何もしていないはずで、弟としては、通ればいいなあ・・と思っていたくらいだったが、受ける前に聞いていた話では、奈良女子大は通るかどうかわからないが私立の女子大は当然通るような話だったが、ところが、それも落ちて、結局、短大に行ったのだが、何もしていなくても私が「落とした」ことになるらしかった。「ほんまやったら、もっと応援してやることができたのにからに、このチャンコロで浪商が産まれよったがために、応援してやれんかった。そやから落ちてしもうたんや。チャンコロで浪商が産まれよらんかったらもっと応援してやれたんや。T子がかわいそうや、T子がかわいそうや、チャンコロで浪商のおかげで落とされてからに、T子がほんまにほんまにかわいそうや」と父は毎日毎日言っていた。いったい、どんな「応援」すればよかったのだろうか? もしも、↓ みたいなことやれば通ったのなら、言ってくれれば、小学校の1年生でもやってあげたのに・・・。なんで、言ってくれなかったのだろうか・・と思う。
※ 《YouTube-コンバットマーチ 2018秋季早慶戦 早稲田大学応援》https://www.youtube.com/watch?v=U0PilTXW4iA
なんで言ってくれなかったのかと思う。・・まあ、私が受験生の立場なら、↑ なんて、そんなもん、やっていらんけどな・・。
↓ なら、「やってほしい」ではなく、頼まれんでもやってみたいけどな・・・。
※ 《YouTube-阪神ファンによるくたばれ読売(東京音頭)》https://www.youtube.com/watch?v=HEyGB5M-9K0
  私が中学校2年の時、下の姉がお見合いをして結婚したものの、半年も経たないうちに離婚したのだが、それも私が「離婚させた」らしいのだ。何をやったのかというと、「いた」のがいかんというのだ。私がいたために、「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」と言われたがために、「あんな男とでも結婚して犠牲になったろかという気持になったために、離婚することになった」らしいのだ。私としては、「あんな男とでも結婚して」くれと頼んだ覚えはないし、私が相手の男性の立場なら、「あんな男とでも結婚して犠牲になったろうか」などと思って結婚しないでほしいものだと思ったし今も思う。お見合いというのは「この人と結婚できたらうれしい」と思える相手を捜す作業で自分を「この人と結婚できたらうれしい」と思ってくれる人を捜す作業のはずで、「こんな男とでも結婚して犠牲になったろか」などと思って結婚しようと思うのなら私と結婚しないでほしい、誰か他の男とやってもらいたいものだ、と思うのだ。それを、私が産まれてきたがために、そのために「〇〇が高校に行く前までに結婚するようにしてもらいたい」と言われたから、それで「あんな男と結婚してしもうたんや」ということだったらしいのだ。だから、私が悪いらしいのだ。「よくも、産まれてきおってからに。よくも、産まれてきおってからに。よ、く、も、産まれおってからに、産まれおってからに、産まれよってからに、チャンコロ浪商!!! このチャンコロめが、よくも産まれよってからに。A子さんとわしに地面に頭すりつけて謝らんか、このチャンコロめが、この浪商!!!」と父は毎日言っていた。「産まなかったら良かったのと違うのですか」と私は言ったのだ。ところが、そういうことを言うと、「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになるらしいのだ。
  「A子は素直なええ子であって、ほんまやったら、離婚なんてするような人間やないのにからに、〇〇に離婚させられてからに、A子がかわいそうや、ほんまにかわいそうや。おまえが悪いねんぞ、ひとのせいにすんなよ。おまえがA子を離婚させてんぞ。おまえがA子を離婚させたのにからに、おまえみたいに『なんやかんや言うても、本人が自分でこの人と結婚すると言って結婚したからには本人が責任もたんといかん』などと言うような、そういうことを言うやつのことを心理学では外罰的性格と言うねんぞ。わかっとんのんか、このチャンコロ。おまえは外罰的性格やぞ。おまえは。おまえにA子さんを離婚させられてからに、わしは迷惑なんじゃ、わしはあ。A子さんを離婚させて申し訳ございませんでしたと言うて、地面に頭すりつけて、このわしに謝らんか。このわしにい。んが、んが、んがァ!!!」と父は言うのだった。どうやら、私は、なんにもやってなくても離婚させてしまう「神通力」がある息子だったようで、つくづくけしからん人間である。私が中学校2年の時、下の姉がお見合いをした相手は、関西大学の経済学部だったかを卒業してどこだったか会社員として勤めていた人だったが、最初は、この人と結婚すると言ったものの、そのうち、「なんで、私、あんな男と結婚させられなきゃならんのやろ」とか言い出し、さらには「私は面食いやのにからに、なんで、あんなブサイクな男と結婚させられなきゃいかんのやろ」などと言いだした。「あんなブサイクな男」と言っても、私はその人は特別にブサイクではなく「普通の顔」だと思ったし、そういうことをあんまり言うのなら、「おまえ、いったい、何様じゃ」「おまえはそんなにものすごい美人か!」ということになると思うのだが、実際はそういう問題ではなく、「顔が気に入らない」というのは、それは、実際にその人の顔がいいか悪いかの問題ではなく、「この点については嫌なので改めてほしい」ということではなく「どうしたって絶対に嫌」というそういう意味だと思う。それが「顔が気に入らない」という言葉、言い換えれば「顔を見るのも嫌」という意味で、その人と合う人もあったのではないかと思うが、どっちがいいとか悪いとかいう問題ではなく合わないのだと思う。そうなったら、もう無理だと考えた方がいいと思ったのだ。しかし、それでも、一回はその人と結婚したいと言って意思表示をしたのだから、本人は「この点は我慢できないので、これだけは改めてほしい」と言うのか、それとも、いったんはその人と結婚したいと言ってけれども、どうしても、そのまま結婚する気持ちになれないので、話はなかったことにしてもらいたいということなのか、どっちなのか、はっきりと意思表示をするべきであったはずだ。ところが、父は姉に「わかっとんのんか。相手は関西大学やぞ。おまえは短大しか出とらんやろうが。どっちが上かあ下かあ!」とそう言うのだった。しかし、結婚というものは、上とか下とかそういう問題と違うと思うのだ。上であろうが下であろうが、嫌ならしかたがないではないか。野村のじいさんも言うておったであろうが。「男女の関係というのは、他人が見て、あんな人、どこがいいんだと思ったとしても、本人が良ければそれでいいんですから」と・・・。〔あのじいさんに言われると、その文句、説得力あるわ・・・(笑)〕

  私が小学校の低学年の時、私の結婚について、父が「そんなもん、結婚相手みたいなもん、一流大学を出て一流企業に勤めておれば、もろてくれえ、もろてくれえ言うて、いくらでも言うてきよるわ」と言っていたので、それを聞いて、その「一流大学」というやつにだけは行きたくないものだと思ったし、行かされたくないものだと思い、「一流企業」という所にだけは勤めたくないものだと思ったものだった。そんな結婚だけはさせられたくないものだと思った。「一流大学」といっても、特に、経済学部という所を卒業して「一流企業」という所に勤めると、「もろてくれえ、もろてくれえ」という話がいっぱい来るそうで、そういう結婚をさせられることになるらしかったので、特に、経済学部にだけは首をもがれても行かされてなるものかと思った。そんな気色悪い結婚させられてなるものか! と思った。
  中学校2年の時、父が下の姉に「お~まえは短大しか出とらんだろうが。相手は関西大学やぞお~お。おまえと、どっちが上かあ、どっちが下かあ~あ!!!」と言うのを聞いて、なおさら、絶対に首をもがれても、経済学部(および、商学部・経営学部)にだけは行かされてなるものか! と思った。 ところが、小此木啓吾と心理学によると、私のようなことを思う人間というのは「モラトリアム人間病」という「病気」にかかっている人間と「診断」されることになるらしく、「上かあ、下かあ~あ!!!」と言うような思考をする人間のことを「正常」とか「自我が確立されている」とか「診断」されるらしいのだ。
  私が思うには、まず、我が家は父親の結婚観が貧困だと思う。そんな貧困な結婚観の父親とその影響を受けた母親の娘は、結婚を「犠牲になって我慢するもの」のように思っていた。たとえ、お見合いしても、私が相手の男性なら、「この男とでも結婚して犠牲になったろか」という気持で男性と会う女性というのは、他の点でどんなに魅力がある人でもお断りしたい。「この人と結婚できたらうれしい」と思ってくれる人なら結婚相手として考えていいと思うが、「犠牲になったろかと思う」ということなら、私で犠牲にならないでほしいものだ。犠牲になったろと思うのなら他の男性でなってもらった方がいいと思う。こういうことを言うと、父が生きていたならば「甘ったれるなあ!」と怒鳴りつけるであろうけれども、結婚というのはそういうものではないと思うのだ。もう10年ほど前だったか、テレビで、加藤登紀子が自分が結婚する時のことを話していたのだが、加藤登紀子のだんなは同志社大学の自治会長で、全学連を指揮して安保闘争をやり、結婚する時、刑務所に入っていたそうで、加藤登紀子のお父さんは「あんたも、うちのお母さんと一緒で、難儀な男と結婚されますなあ」と言ったというのだ。「うちのお母さんと一緒で」というそのお母さんが結婚した「難儀な男」というのはそのお父さんのことで、自分なんかと結婚してくれて、夫婦として生きてきてくれて、ありがとうという気持でそう言われたのか。
   遠藤周作が慶應大学の大学生協主催での映画『沈黙』の上映会に小説『沈黙』と映画『沈黙』についての講演をおこなった際、「今現在でも踏み絵はあるのと違いますか。生活のために人生を踏んでいるのと違いますか」ということを話していたのだが、ところが、世の中には、生活と生命はあっても人生なんてもとからないようなブタ人間というのも棲息しており、特に「慶應タイプ」にはそういう人間が多いように思うのだが、生活・生命とともに人生がある男と結婚すると、人生がある男というのは、片方で生活のために人生を踏むものの、時として人生のために生活を踏む可能性もあるのに対して、ブタ人間の男、「両腕いっぱいに女と生活をだかまえて生きていくような男」(この表現は、ジャン=ポール=サルトル『自由への道』人文書院 にある表現であるが)即ち「慶應タイプ」というのは人生のために生活を踏むなどということはありえないのであり、「慶應タイプ」はそういう生き方を「スマート」と言い、「慶應心理学」はそういう人間を「自我が確立されている」と「診断」するのであるが、女性にとっては、むしろ、そういうブタ人間の男〔「慶應心理学」が言うところの「自我が確立されている」〕と結婚した方が女性にとっては幸せかもしれないし、男にもいろいろあるのと同じく、女にもいろいろあるだろうから、ブタ人間の男が大好き♪ という女だっているだろうから、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for taste.)であり、いいだ悪いだ言ってもしかたがないことかもしれないが、10代から20代の私は、「ブタ人間とブタ人間が麦畑~♪」という結婚よりも、哲学者である男と哲学者である女とが独立した精神の人間として共存するような結婚の方が、豊かな結婚であろうと考えたのだが、「世の中いろいろ、人生いろいろ、会社もいろいろ」なのかもしれないから、「精神的に貧困」な男が好きな女も世の中にいるであろうし、その逆もありうることであろうから、それをいいだ悪いだ言ってもしかたがないのかもしれないが、それにしても、「上かあ、下かあ~あ」というそういう思考が常に出てくる結婚観というのは、私はいいとは思わなかったし、今もいいとは思わない。
  ともかく、男女の関係というのは、他の人間が「なんで」と思っても本人がいいと思えばいいことだと思うが、「この男とでも結婚して犠牲になったろか」などと思って会うのなら、むしろ、会わないでほしいと私が会う男性の立場なら思う。父は「世の中にはいろいろな男がおるわけで、わしみたいなえらいエライえらいエライ人間ばっかしやないからやなあ」とか言うておったが、そういう意識の男よりもそうでない男、「私と結婚してくれて一緒に生きてくれて、どうもありがとう」と思う男の方がいいと思ったのだが、世の中いろいろ、なのかもしれない。

  父は私に「あんたは、どうするとええと思うか」と中学校の2年生の私にきくので、このおっさん、中学生に「どうしたらええと思うか」ときかないと判断できないとは、なさけない男やなあと思ったのだが、中学校2年の時の私は「本人はどう言ってるんですか。はっきりと、この話はなかったことにしてほしいというのか、それとも、相当腹が立つことがあって、我慢できない部分があるけれども、改めてほしい点はあるけれども、結婚自体は予定通りやりたいのか、どう言ってるんですか」と言ったのだが、父は「それが、どっちとはっきりと言いよれへんねん」と言うので、私は「それを、本人にはっきりと確認したらどうですか。気に入らない部分もあるけれども、その点は改めてほしいけれども、結婚は予定通り進めたいのか、それともお断りしたいのか。どっちなんだ、ときかれたらどうですか」と言ったのだ。父は「きいても、はっきり言いよれへんかったらどないしよ」と言うので、私は「はっきり言わないというのなら、それなら、どっちと決断できかねているのでしょうから、それなら、結婚は何か月か延期にしてもらって、その間に結論を出すようにしたらどうですか」と言ったのだ。父は「そんなん、延期したいと言ってきいてもらえるやろうか」と言うので、私は「きいてもらえないということならば、これはお断りするしかありませんね」と言った。父は「ここまでやって、断るて言うても、相手がきいてくれるやろうか」と言うので、私は「ですから、ともかくも、いったん、この人と結婚したいと意思表示をしたのに、その後になってから断りたいと言うのですから、そこは『申し訳ありません』と謝るしかありませんね」と言ったのだ。
  又、父は「無理矢理、結婚させるとええと思うねんけど、そう思えへんか」と言うので、「思えへん。本人が嫌だと言っているものを、無理矢理、結婚させるなんて絶対にやってはいかん」と言ったのだ。父は「そうかあ。無理矢理、やるとええと思うねんけども。無理矢理、無理矢理、無理矢理、無理矢理」と言うので、「あかん。絶対にいかん」と言ったのだ。父は「そうかあ」と言ったので、わかったのかとその時は思ったのだが、「無理矢理やるのが好きなタイプ」だった男は、なかなかわからないようだった。父は「そやけど、相手は関西大学でA子はS短大やでえ。相手の方が上やでえ」と言うので、「上とか下とか関係ない。本人が嫌だというのなら上であろうが下であろうがだめです」と言った。父は「そうかあ」と言ったので、そう言ったからにはこれもわかったのかとその時は思ったのだが、「上かあ下かあ」という思考が強い男はそう簡単に理解することはなかったようだ。今、姪・・ではなく姪の娘が中学校2年になったが、考えてみると、あのチビスケと同じ年齢の時に、よく、それだけ、きっちりと言ったものだと思う。
  その後、私が大学に進学する際にも、その後も、父は「本人が納得できんもんを無理矢理やらそうとしても絶対にうまいこといかんわけや。これが一番大事なんや。そやから、おまえはどんなことでも納得せえ。納得でけへん言うたらいかんねんぞ。どんなことでもどんなことでも納得せんといかんねんぞ。これが一番大事なことなんや。納得できんことでも納得せえ。わかっとんねんなあ!」と何度も何度も言うのだった。そういうおっさんだった。そうやって、小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も努力して勉強してきた努力の成果はすべて奪い取られた。すべて、ドブ中に捨てさせられた。「本人が納得できんもんを無理矢理やらそうとしても絶対にうまいこといかんわけや」という前提は正しいと思うのだが、そこから導き出される結論というのが「そやから、おまえは納得できんことでも納得せえ。納得できんなんて言うたらいかんねんぞ、おまえは。どんなことでも納得せんといかんねんぞ。これが一番大事なことなんや」となる、というのはそれがあのおっさんの特徴だった。あのビョーキは簡単には治らないようだった。
  ひとつには、自分に自信がない人というのは、ひとと話し合って考えを述べあって進めようというのが苦手で、「無理矢理、させる」というようにもっていきたがる傾向がある。「わしはえらいえらいお父さんであって、わしみたいなえらいえらい人間の言うことには、何でも何でも何でも何でも絶対に服従やぞ、絶対服従、絶対服従、絶対絶対絶対服従」と父は言うのだったが、そこまで、たしかな判断力を持つ人間かというとそうではなく、むしろ、自立した判断力に欠ける男だったので、結果として、私などは「よその人間」の言うことをきかされることになった。「よその人間」の言うことを、「絶対服従」とか言って「無理矢理、無理矢理、無理矢理、無理矢理」とか言って嫌がる人間にさせれば、それで、「父親としての威厳」を保てると考えていた男だったのだ。ちっぽけな野郎だなあ・・・とも思ったが、「日本のお父さん」というのはそういう人間が少なからずいるのかもしれない。いわば、「理想的な日本のお父さん」と言われるタイプだったのかもしれない。 「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをやるのが好きなタイプ」・・というのは、こういう人を説得するのはなかなか難しい。 「よその人間」の言うことはよくきくのだが、息子などの言うことは「父親というものは、絶対に、きいてはならない」ことになっていて、しかも、自分自身の考えというものがないので、自分自身の考えがない人間が、「息子などの言うことは絶対にきいてはならない」となると、なんとか説得しようとしても、何があってもその逆をさせようと考えるようになる。それこそ、「お願い、そこだけは嫌」「そこだけは、やめて」なんて言おうものなら、ますます、やりたくなってくるというそういうタイプの男だったのだから。「無理矢理やるのが好きなタイプ」の男というのは嫌いだ。

  それで、父がなのか母がなのか、ともかく、結婚は少々延期してほしいと言いに行ったらしいのだが、「そんなん、結婚式を早めるのならともかく、会社の人にも何月の何日に結婚式あげますからともう言ってしまったのに、延期なんて言ったら男の人は出世にさしつかえますから、そんなことできません」と言われたそうで、それを聞いて、父は「そうでんなあ~あ」と言って帰ってきたらしいのだ。「子供の使い」じゃあろまいし、アホと違うかという感じがしないでもない。それで、姉に「おまえ、ええかげんにせえよ。A子。ええかげんにせんか。おまえはあ」と言い、そして、「なんで、わしがこんな目に合わされんといかんのじゃ。なんで、わしがこんな目に合わされんといかんのじゃあああああああ!」と叫ぶので、なんや、情けない男やなあ、普通、父親というのは、娘が困ったとなると、なんとかしようと立ち向かうものと違うのか。それを普段は「わしは父親やねんぞ」とえらそうにしとるくせしてからに、「なんで、わしがこんな目に合わされんといかんのじゃあ、なんで、わしがああああ」とか言って逃げていきよるとは、これが父親か、こんな父親があるか! と思ったものだった。
  又、そういうおっさんが「わしは会社ちゅうところでは特別に特別にえらいエライえらいエライ人間やねんぞ」と言っていたので、それで、あんなおっさんが「特別にえらい人」になるような「会社ちゅうところ」には勤めたくない、自分が仕事につく時は「会社ちゅうところ」でない所に勤めたいと思ったものだった。

  私は父のその態度を見て、「そんなこと、言わないで」と言おうとしたのだが、それを口にする前に、姉が「ええねん、もうええねん。私はあんな男と結婚して犠牲になったんねん」とヤケクソみたいなことを言ったので、それで、「なんやねん、こいつ。俺がせっかく心配して、言ってあげようと思ってるのにからに。そんなヤケクソみたいなこと言うのなら勝手にしろ」と思ってしまって、それで、「そんなこと、言わないで」と父に言いかけたのを言うのをやめた。ところが、「ええねん、私があんな男と結婚して犠牲になったんねん」と言って結婚した下の姉は、「犠牲になったんねん」と言ったからには何があってもその男性とやっていくのかというとそうではなく、新婚旅行から帰ってきてすぐに我が家に帰ってきて、離婚すると言い出したのだった。ああ、やっぱり、あの時に、「そんなことなら勝手にしろ」と思うのではなく、「そんなこと言わないで」と父に言うべきだったと後悔した。
  これは誰が悪いのか・・・というと、父は「百パーセント、おまえが悪いねんぞ。ひとのせいにすんなよ、チャンコロ。おまえが百パーセント悪いねんぞ。」と言うのだった。中学校2年だった私が百パーセント悪いらしかった。百パーセント。「上かあ下かあ」とか言いまくり、「無理矢理、無理矢理」とか言い、結婚は少々延期してほしいと言いに行ったところ、「そんなん、結婚式を早めるのならともかく、会社の人にも何月の何日に結婚式あげますからともう言ってしまったのに、延期なんて言ったら男の人は出世にさしつかえますから、そんなことできません」と言われて「そうでんなあ」と言って帰ってきたおっさんはまったく悪くないらしかった。「わしは悪ないねんぞ、わしは。ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。おまえが百パーセント悪いねんぞ、おまえが」と父は言うのだった。なんで、俺やねん・・・と思ったが、「心理学」によると私が百パーセント悪いそうで、なんでやねん・・などと言うと、「心理学」から「外罰的性格」とか「モラトリアム人間病」とか「診断」されることになるようだった。
  「おまえがA子さんを離婚させてんぞ。人間、ひとのせいにしたらおしまいやぞ。わかっとんねんやろな、このチャンコロ浪商! 浪商でチャンコロのおまえがA子さんを離婚させて、そのおかげでドイツ人でえらいエライえらいエライこのわしは迷惑しとるんじゃ、このチャンコロめが、よくも産まれてきおってからに、このチャンコロ、浪商!!! よ、く、も、産まれおってからに。よ、く、も、産まれおってからに、よくもよくもよくもよくも産まれてきてA子さんを離婚させやがったなこのチャンコロめが、このロスケ、このイタコ、このチャンコロっ!!!」と言うのであった。なんで、俺のせいやねん・・・と思ったのだが、そういうことを言うと、小此木啓吾と「心理学」は「外罰的性格」と「診断」することになるようだった。私さえ産まれてこなかったら、「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」と父が言ったのか母が言ったのか、おそらく、両方が言ったのではないかと思うのだが、そういう言い方をすることはなかったであろうから、私さえ産まれなければA子さんは幸せになったはずだったのだ。それを私が「産まれなければよかったのに産まれやがった」がために、A子さんを不幸にした、ということで、それゆえ、私が「百パーセント悪い」そうだ。なんだか、「心理学」というのは、まるで、「桶屋が吹けば風がもうかる」みたい・・、もう、無茶苦茶・・と思ったが、そういうことを言うと「心理学」から外罰的性格とかモラトリアム人間病にかかっているとか、なんとか症候群とか「診断」されることになるから、怖いこわい怖いこわい!!!
 「おまえがA子さんを離婚させたおかげで、わしは迷惑しとるんじゃ、わしは迷惑しとるんじゃ。このわしに地面に頭すりつけて謝らんか! A子さんを離婚させて申し訳ございませんでしたと言うて、地面に頭すりつけんか、このチャンコロめがあ、このチャンコロ浪商!!!」と言うのであった。「よ、く、も、よくも、産まれおってからに、産まれおってからに、産まれおってからに、このチャンコロっ!!! このロスケ!!! このイタコ、この浪商!!!」と父は毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして叫ぶのであった。「このチャンコロっ!!!」と。 どうも、「心理学」にかかると、世界中の罪を背負って十字架につけられない限り、「外罰的性格」と「診断」されることになるらしい。

  「私を産まないでくれたらよかったのに。そうすれば、みんなが幸せになったのに」と母に言うと、90代の母は「あんたが産まれた時は本当にうれしかったんや」と言って泣くのだが、今は泣くかもしれないが、実際に産まれた時はそうではなく、「T子とA子が成人したら、その時は離婚しようと決めていたのにからに、こいつが産まれよったために離婚できんようになってしもうた」ということだったのだ。
  父は、何十年間と「産まれなければよかったのに産まれおってからに。産まれなければよかったのに産まれおってからに」と、毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして、もしくは、鼻を指で下から突きあげるようにして叫び続け、死ぬ時も私に呪いの言葉を残して死んだ。
  父は、毎日、会社から家に帰るとすぐに、会社の取引先の容器屋のおっさんからもらったプラスチックの箱にいれた金沢の拝み屋さんから受け取ってきた祭具に向かって、両手を合わせて、顔は私の方を向いて、「親孝行せえよお、親孝行せえよお。わしに親孝行せえよお、わしにわしにわしにわしに親孝行せえよお、親孝行せえよお。わしに親孝行せんとバチあたるぞ、わしに親孝行せんとバチあたるぞ。まんまんまんまんまんまんまんまんま~あん。ち~ん。アーメン」と拝み屋さんから教えられてきた「礼拝」なのか「祈祷」なのか何というのか知らんがをやっていた。毎日、毎日、欠かさずに。「まんまんまんまんまんまんまんま~あん」と。
  母が行ってきたキリスト教の教会の牧師Sさんは「家が貧乏やったから、そやから、慶應なんか行かせてもらわれへんから、一番学費が安い大阪経大に行ったんや」と言っていた人で、自称「大阪経大卒の牧師」だったのだが、落ち着いて考えてみると、「大阪経大卒」では牧師にはなれないはずで、同志社の神学部とか関学の神学部とかそういう所を出ないと牧師にはなれないはず、入学する時点での入試の難易度では同志社の法学部・経済学部・商学部よりも神学部は入りやすい、関学の法学部・経済学部・商学部よりも神学部は入りやすいとしても、法学部・経済学部・商学部卒では牧師にはなれないのであり、大阪経大卒では牧師になることはできないはずで、Sさんは実際には、大阪経大を卒業した後、トーシンダイ(東京神学大学)に行って、それで牧師になったはずだった。「家が貧乏やったから、そやから慶應なんかには行かせてもらえなかったから、だから、学費が一番安い大阪経大に行った」という話で、父は私に、毎日毎日、「S牧師さんは、おまえとはちごうて大阪経大やねんぞお~お。わかっとんのんか、チャンコロ。おまえみたいに慶應みたいなもん、行かせてもろとれへんねんぞ。S牧師さんは家が貧乏やったから、そやから、慶應なんか行かせてもらわれへんから大阪経大に行かはってんぞお~お。わかっとんのんか、チャンコロ! 大阪経大に行った人の爪の垢を飲みなさい!」と言うのだった。どうも、私は世界中の人間の爪の垢を飲まされないといけないという運命のもとに産まれてきたようだ。「なんで、家が貧乏やったら、大阪経大みたいなもん、行かんといけませんの~ん? 家が貧乏やったのなら、学費が安い国立大学に行けばいいでしょう。東大でも行けばよかったのと違うんですかあ? なんで、家が貧乏やったのに、東大に行かずに大阪経大なんか行ったんですかあ~あ?」と私は言ったのだ。すると、父は「何をぬかすんじゃ、このチャンコロがあ」と怒るのだった。母は「東大なんか行ったら交通費と下宿代がかかるでしょうがあ」と言うのだった。「それなら、阪大(大阪大学)に行けばいいのと違うんですかあ~あ」と私は言ったのだ。「なんで、家が貧乏やったのに、阪大に行かずに大阪経大なんか行くんですかあ~あ。ぼく、頭が悪いからなんか、さっぱりわかれへ~ん」と。
  父は「おまえはなあ、おまえは慶應大学に行ったと思うておるかもしれんけどもなあ。おまえが何か努力したから慶應大学に行けたのとは違うねんぞ。わしがえらいからおまえは慶應大学に行けてんぞ。おまえは、何ひとつ努力しとらんねんぞ。わかっとんのんか、このチャンコロ」と言うのだった。この表現は父の親友の医者屋のM川が、ドバカ息子を「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたことについて、「わしは、うちの息子に言うたりますねん。『おまえが大学に行けたのはおまえが何か努力したからとは違うねんぞ。すべて、わしがえらいからやねんぞ。おまえは何一つ努力しとらんねんぞ』と、こない言うたりますねん」とそう言って裏口入学を自慢していたのだ。北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と「両親が離婚した」というのを自慢にする女だったが、「両親が離婚した」などということは普通は自慢することと違うと思うのだが、自慢する女もいたのだが、裏口入学なんて、そういうものは、たとえ、やるとしても、やったとしても、「恥ずかしそうに」「こそっと」やるものであって自慢するものとは違うと思うのだが、医者屋族の思考は私などとはまったく違うようで、裏口入学を自慢しておったのだが、だいたい、「わしがえらいからであって」とM川は言いまくっていたが、実際はそうではなく、M川に薬漬け・検査漬け・毒盛りされたかわいそうな「患者」のおかげであって、M川がえらいからではないはずであったのだが、ともかく、M川はそういうことを言い、父はそれを聞いて、「そうや。わしもそない言うたろ」と思ったようだった・・のだが、しかし、M川のドバカ息子は、小学校から高校までちっとも勉強しないで、私立高校から私立金権関西医大に裏口入学したが、私は何も裏口入学で慶應大学に入ったのではないのだ。種々様々な妨害をされて、その結果、東大に落されて、しかたなしに慶應大に入ったのであって、裏口で入れてもらったのではないし、うちの父親に慶應大学に裏口で入れてもらうようなコネもなければカネもないのだ。何を言うとんねん、このドイツ人めが、この慶應野郎!!! と思ったものだ。父は慶應は小学校から大学までどれも行っていないが、それでも「人格が慶應」らしかった。どうも、慶應という学校は、慶應大学を卒業した人でも「あんまり慶應っぽくない」人が時々いて、他方で、慶應は小学校から大学までどこも行っていないにもかかわらず、「いかにも慶應」て人がいる学校である。( 会社という所には、「慶應でてる」と称しているが詐称と違うかという感じの人も時々いて、そういう人の中には実際は高卒だという人もいる。)父も、慶應は小学校から大学までどれも行っていないが、それでも、「わしは慶應やねんぞお。わしはあ。わしはおまえとはちごうて慶應やぞお、わしはあ、わしはあ、わしはあ」と言いまくっていたが、そう言うだけあって、私なんかとは違って「慶應タイプ」だった。私は言ったのだ。「もしも、家が貧乏であったけれども、慶應大学に行きたかったのなら、日本育英会奨学金を受給するようにすれば、日本育英会奨学金で学費分を出してもらうことができて、慶應の場合は慶應義塾奨学金というものがあって、日本育英会奨学金を受給した人には自動的に慶應義塾奨学金から生活費を出してもらえるという制度がありますから、又、それでも生活費が不足だということなら、慶應には日吉に1日2食付きで・風呂は週に2回付で、月1万2千円という寮がありますから、その寮に入ればいいことで、そうやって慶應大学に行けばよかったのと違うのですか。どうして、そうしなかったのですか」と。そう言っても、それでも、父は「何を言うとるんじゃ、何を、このチャンコロお!!! おまえみたいに慶應みたいなカネのかかる大学に行かせてもらえんから大阪経大に行きはったんじゃ。チャンコロ。わからんのか、チャンコロお」と言うのだった。「なんで、慶應が『カネのかかる大学』なんですか。慶應は大学については『国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方』の学費の大学で、早稲田大学よりも慶應大学の方が昔から学費はかなり安かったし、なんで、慶應が『カネのかかる大学』なんですか? むしろ、慶應義塾奨学金という日本育英会奨学金から学費を出してもらった人には生活費を支給するという制度がある大学は慶應だけで、他の大学に同様の制度があるのかないのか知りませんが、どこの大学にもそういう制度があるわけではないはずですよ。その点で、慶應は家が貧乏な人にも行きやすい大学のはずですよ。なんで、S田先生は、『家が貧乏やった』のにからに、慶應に行かずに大阪経大に行かれたんですかあ? いったい、どうしてですか」と言ったのだが、父は「何を言うとるんじゃ、おまえはあ。S田先生は家が貧乏やったから、だから、おまえみたいに慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもらえんから、大阪経大に行かはったんじゃあ。おまえとは違うんじゃ、おまえとは、このチャンコロぉ、このチャンコロめがチャンコロぉ!」と言うのだった。「大阪経大は私立大学の中では学費が安い方の大学のようですけれども、それでも、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)と私立大学を2つも行ったら、両方合わせれば決して安くないのと違うのですか。なんで、家が貧乏な人が私立大学を2つも行くんですか。もしかして、『家が貧乏やった』という人って、ものすごい金持ちと違うんですか」と言ったのだ。父は「何を言うとるんじゃ、何を~お。このチャンコロめが、屁理屈こねよってからに、このチャンコロ~お」と言うのだったが、屁理屈こねてるのは、大阪経大に行ってさらにトーシンダイ(東京神学大学)に行ってと私立大学を2つも行っておきながら、「家が貧乏やったから、慶應なんか行かせてもらわれへんから、そやから大阪経大に行ったんや」とか何とかかんとか言いまくる牧師屋の方であろう。牧師屋というのは、普通は、「説教」というのはカネを払う側がカネをもらう側にするものだと思うのだが、それを、人からカネもらってカネ払った側の人間に説教するというけっこうな仕事やってるだけあって、屁理屈こねくりまわすのが得意のようだった。毎日曜日ごとに、そういう「私は家が貧乏やったから」と、そんなことばっかり、「牧師説教」として言いまくりやがってからに、それが「牧師説教」であって、そして、最後に言うのだった。「祈りましょう」と。そして、出席者一同で言うのだ。「アーメン」と。・・・それで、その「家が貧乏やった」けれども慶應大学に行きたかったのなら日本育英会奨学金をもらって慶應大学に行けばよさそうなものだったのに慶應大学に行かずに大阪経大に行ったS田牧師さんに、一度、きいてみたいとずっと思ってきて、ききそびれてしまったことがあったのだが、父が、毎日毎日、プラスチックの箱に入った金沢の拝み屋さんから受け取ってきた祭具に向かって、手を合わせて、顔は私の方を向いて、「わしに親孝行せえよお、わしに親孝行せえよお、わしに親孝行せんとバチあたるぞバチあたるぞ、まんまんまんまんまんまんまんま~あん。ち~ん。アーメン」と祈祷しておった際の、あの「まんまんまんまんまんまんまんま~あん」というのは、キリスト教ではどういう意味があるのか? それをぜひとも「家が貧乏やったから慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもらえんかったから大阪経大に行ったんや」と日曜ごとに「牧師説教」やっていた牧師屋さんのS田さんにきいてみたい。教えてもらいたい♪ と思っていたのだったが、ついききそびれてしまい、S田さんは、どこか他の教会に転勤してしまったようだ。実に残念だ。あの「まんまんまんまんまんま~あん」というのは、キリスト教ではどういう意味なのだろうか。今もよくわからない。
  父は「ちん思うに我が皇祖こーそーは、親に孝に、親に孝に、親に孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。まんまんまんまんまんま~あん。アーメン」とかも、毎日のように言っていたのだが、自分の親が生きている時にはそんなことは一切言わずに、自分の親は両方とも他界した、息子はいる・・となると、突然、「ちん思うに我が皇祖こーそおは、親に孝に、親に孝に、親に孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に」とか言い出すというのは、あれは、ちょっと、「ずっこい」のではないのか・・と思ったのだが、そう思ったのは私だけではなかったようで、姉もそう言っていた。あれは、どう考えても、やっぱり、「ずっこい」と思う。・・「ずっこい」し、それに、なんだかもう、「なんでもあり」みたいな感じ・・・。

  そういえば、父の勤務先に、大阪の住人なのに、息子を大東文化大だったかに行かせた人があったようで、父は私に「☆☆さんの息子さんは、おまえとは違うて大東文化大やねんぞお~お。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。おまえみたいに慶應なんてカネのかかる大学に行かせてもろとれへんねんぞお~お」と言うことがあったので、「なんで、大東文化大みたいなもんに行くような人間が、大阪の人間が東京で下宿して大学に行かんといけませんのおん」と言ったのだ。なぜなら、私が高校3年の時、父は「東大にでも行くのなら東京で下宿してでも行くべきやし、下宿すんのは嫌やなんて言うて甘ったれとってはいかんし、東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら東京で下宿してでも行ってええと思うけれども、そんなもん、法政やたらポン大やたら専修やたら明治やたらそんなアホでも行けるような大学に行くのに、なんも、大阪の人間が東京で下宿してまで行く必要あらへん。アホ大学は大阪にもいくらでもあるんやから。アホ大学に行くようなやつなんて、下宿してまで大学に行く必要ないはずや。もとより、そんなもん、ポン大やたら法政やたら明治やたら専修やたらに行くようなやつなんて、大学に行くのがおかしいんや。そんなやつは、全員、自衛隊に入れるべきや。自衛隊に入れたるべきや」とそう言っていたはずだったのだ。だから、その基準で考えるならば、大東文化大みたいなもんに、大阪の住人が、わざわざ、東京で下宿して行くというのはおかしいはずだったのだ。ところが、父は「わからんのか、おまえは。☆☆さんの息子さんは、おまえみたいに慶應なんてカネのかかる大学に行かせてもろとれへんねんぞ。わかっとんのか、おまえは」と言うので、「なんで、慶應がカネのかかる大学なんですかあ。慶應は国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方の学費の大学のはずですよお。早稲田大学よりも慶應大学の方が学費は安いですし。なんで、慶應がカネのかかる大学なんですか。大東文化大の方がカネのかかる大学と違うんですかあ」と言ったのだが、「何を言うとるんじゃ、おまえはあ~あ。大東文化大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言うのだった。私は世界中の人間の爪の垢を飲まされなければならない人間として、「天の神さま」とかいうヤカラに造られた人間のようだった。
  私が2浪した年、父の親友の医者屋のM川の同僚の医者屋のK田という女は「患者」を薬漬けにしたカネでバカ息子をバカ大学2つも行かせていた。私はK田とM川から言われたのだ。「高校は義務教育とは違うんやから、あなたなんか、高校に行ったのは余計なんや。あなたなんか、高校に行くべきではないはずや」と。それを聞いて、父は「そうや。その通りや。お~ま~え~はあ~あ、高校行くな、チャンコロっ!」と言うのだった。M川は「K田先生がおっしゃるように、きみなんか、高校に行くべきやない人間なんや。それを北野高校に行ったというのは、きみが甘ったれとるからなんや。その点、うちの息子なんて北野みたいな公立の高校やのうて、私立の高校に行って、大学は関西医大裏口入学やからな。きみなんかとはそのあたりが違うところなんじゃ」と言い、父は「そうや。その通りや。おまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるからやねんぞ。おまえは根性があまったれとるから公立の高校に行ってんぞ。わかっとんのんか、おまえは。その点、M川先生の息子さんは裏口入学やぞお~お。高校も私立の学校やねんぞお~お。K田先生の息子さんは大学を2つも行っておられるんやぞお~お。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違うねんぞ。おまえとは。おまえは、人間が腐っとるから北野高校に行ったんやぞ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ! 裏口入学した方の爪の垢を煎じて飲め、おまえはあ」と言うのだった。K田は「高校は義務教育とは違うんやから、あんたなんか、高校に行くべきと違うはずや。あんたは高校には行くべきではない人間のはずなんや。その点、うちの息子は大学を2つも行ってるんやから、そやから、一生懸命、勉強せんといかんいうことや。あんたは高校に行くべきでない人間やのにからに高校に行ったというのは甘ったれてるから行ったんや。ましてや、あんたなんか、大学に行くなんてとんでもないことで、あんたなんか、大学には行ってはいかんはずや」と言い、M川もまた、「そうや。K田先生の言われる通りや。K田先生の息子さんは2つも大学に行かれておるんやから、それだけ、一生懸命、勉強させてあげんといかんいうことや。わしの息子なんか、裏口入学なんやから、それだけ、一生懸命、勉強させてやらんといかんいうことや。それに対して、きみは高校に行くべきではなかったんや。高校は義務教育とは違うんやから、きみは高校には行くべきではないはずなんや。それをきみが北野高校に行ったというのは、きみが甘ったれとるからなんや。ましてや、きみなんか、大学には行くべきではない人間であって、それを行こうと考えるというのは、それはきみが甘ったっれとるからなんや。高校も行くべきではない人間のくせしてからに、ましてや、そんな人間が大学に行きたいと考えるというのは、それはきみが思いあがっとるからなんや」と言うのだった。それを聞いて、父は「そうや。その通りや。ほんまにほんまにその通りや。ええ~えこと言いはる。K田先生の息子さんは大学をおまえなんかと違うて2つも行ってはるわけやから、そやから、それだけ、一生懸命、勉強させてあげんといかんわけや。M川先生の息子さんは裏口入学で大学に行かはったんやから、そやから、それだけ、一生懸命、勉強させてあげんといかんわけや。それに対して、お~ま~え~はあ~あ、高校行くなちゅうんじゃ、チャンコロっ! おまえは、義務教育ではないからには高校に行ってはいかん人間なんじゃ、おまえはあ! それを北野高校に行ったちゅうのは、おまえは人間が腐っとる証拠なんじゃ、おまえはあ。ましてや、おまえなんんか、大学に行ってはいかんねんぞ、おまえは。おまえは大学には行ってはいかん人間やねんぞ、おまえは。わかっとんのんのんか、おまえは。わかっとんのんか、おまえは。おまえは大学に行くなちゅうんじゃ、このチャンコロ! 義務教育とは違うねんぞ、高校は。それをおまえが北野高校に行ったというのは、それは本来、おまえにとって許されんことやねんぞ。わかっとんのんか、おまえは。ましてや、おまえは大学には行ってはいかん人間やねんぞ、おま~え~はあ~あ。よくも、北野高校に行きよってからに、こいつめ。おまえは高校には行ってはいかん人間やのにからに、そやのにからにおまえが北野高校に行ったのは、それはおまえが根性が腐っとるから北野高校になんか行ってんぞ」と言うのだった。「北野高校に行った人間というのは、それは甘ったれとるから公立の高校に行った人間やねんぞ」とも言うので、「なんで、公立の高校に行った人間が『甘ったれとるから』なんですかあ? 逆と違うんですかあ?」と言ったのだが、父は「何を言うとるんじゃ、何を。そういうことを言うあたりが、おまえは思考が硬いんじゃ。そういうことを言うあたりが、おまえは甘ったれとるいうことなんじゃ。M川先生の息子さんなんか、高校はわたくしりつやぞお。大学は裏口やねんぞお、北野高校の人間みたいに甘ったれとれへんねんぞ」と言うのです。「なんで、公立の高校に行って正規の試験に通って国立大学に行こうという人間が『甘ったれとる人間』で、わたくしりつの高校に行って裏口入学で私立大学に行くような人間が『思考が柔軟』で『甘ったれとらん』のか、なんでなんですかあ~あ? どう考えても逆と違うのですかあ?」と言ったのだが、「何言うとるんじゃ。ええかげんにせんか、チャンコロ! そのあたりがおまえは思考が硬いんじゃ。おまえはあ。そのあたりがおまえは甘ったれとるんじゃ、おまえはあ~あ」と言うのだった。「そしたら、どこに行けばよかったのですか」と私は言ったのだが、父は「おまえは高校には行くべきではない人間なんじゃろうが、おまえは。K田先生がそうおっしゃったのがわからんのか。おまえは、高校には行くべきではない民族なんじゃ。おまえは高校には行ってはいかん人種なんじゃ。このチャンコロっ!!!」と言うのだった。「裏口入学した人の爪の垢を飲まんかあ。おまえが公立の高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるから、それで、公立の高校に行ってんぞ」と言うのだった。「なんで、公立の高校に行ったら『甘ったれとる人間』になるんですか。逆ならわからんこともありませんけれども、なんで、私立の高校に行った人間が『甘ったれとる人間』でなくて公立の高校に行った人間が『甘ったれとる人間』なんですか」と言ったのだが、「わからんのか、わからんのか、わからんのか、おまえはあ~あ」と父は言うのだった。・・今も、さっぱりわかりまへ~ん。なんで、学費の安い公立の高校に行ったら「甘ったれとるから公立の学校に行った」と言われて、なんで、学費の高い私立の高校に行って、バカ大学を2つも行くようなやつとか、金権関西医大に裏口入学したやつとかが「甘ったれとる」ではなく、そういう人間の爪の垢を飲まされなければならないのか。今もさっぱりわからん。結論として、うちの親は父親も母親も、「よその息子はえらい」という鉄則があって、そこから、裏口入学とかバカ大学2つ行ったとかいう人間の爪の垢を飲めえ~え! という結論になるようだった。「☆☆さんの息子さんは、おまえとは違うて大東文化大やねんぞおお~お」というのも、その類だったのではないか・・・。

  そんなに嫌な子供なら産まないでくれれば良かったのにとずっと思ってきた。母の場合は、下の姉が産まれた時に、父から「また、女を産みやがった」「この女は男をよう産まん女や」と言われたということがあったらしく、それで、3番目に男の子が産まれたというのがうれしかったということはあったようだが、1番目か2番目に男の子が産まれたのならうれしかったであろうけれども、30代で産まれたのでは、「男を産んでやった」というのはあったようだが、「30代で産まれよった」というのは「迷惑やった」ようだ。
   もっとも、30代で産んだ息子だから90代の親の世話もできるのであって、20代前半で産んだ息子なら息子自体が「老人」の部類になっていて親の世話なんてできる状態ではない可能性があるが、その点は母もわかっていたようで、「この子は老後の対策のために産んだ子やから、だから、この子は老後の対策に役に立てばその後はどうなってもええ子やから」と何度も言っていた。そうか、そうだったのか、俺は「老後の対策のための子」だったのか・・・「そやから、老後の対策に役に立ちさえすれば、その後はどうなってもええ子やから」ということだったのか・・・。そうか、そうだったのか・・・。

  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそれを最大の自慢にし、それを最大の「売り」にしていたのだったが、それを聞いて、「作野さんは、両親が離婚されてお父さんがいなかっただけあって、苦労されてきただけにしっかりしてられるわ」と言ってヨイショする人があるらしく、そう言ってもらうと本人が喜ぶものだから、余計にそう言う人がまわりに出現し、そう言われて、自分で自分を「両親が離婚しただけあってしっかりしている」と思い込み、さらには自分は「両親が離婚しただけあってしっかりしている」とひとからほめてもらう権利がある、みたいに思うようになっていた。しかし、「両親が離婚した」というのは、それは自慢するものだろうか? 違うように思うのだがな。「父親がいなかった」というのは自慢することだろうか? 違うように思うのだがな。結婚は、これから一生、その人と一緒にやっていこうということでするものだが、そうやって結婚しても、それでも、もう一緒にやっていけないと考えて離婚する人もあるわけで、その人にはその人で事情があったのだろうから、それはしかたがないのかもしれないが、「しかたがない」かもしれないが、自慢するものとは違うように思うのだ。違うか?
  旧姓作野礼子は「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」とそれだけ自分は苦労してきたえらい人間でひとからほめてもらう権利があると思っていたようだが、こちらとしては、別に、ほめてあげなきゃならん義務はないはずなのだ。「私は両親が離婚したから」と何度も何度も言われたのだが、もし、私が原因で離婚したのなら、「どうも、すいませんでした」の一言でも言った方がいいと思うが、私が離婚させたわけでもないのに、「私は両親が離婚したから」と恩着せがましく言われてもなあ・・。そして、「私は父親がいなかったから」と何度も何度も言うのだが、それは父親がいる息子・娘というのは「甘ったれてる」とか「苦労を知らん」とかいうように決めつけて、それゆえ、自分はその分だけえらいエライえらいエライとひとからほめてもらう権利がある、と言いたいようだったが、父親というものは、いるといい場合もあるのかもしれないが、いるから苦労する場合もあるのだが、旧制作野礼子は「父親がいなかったから」そういうことを理解できない人間だったようだ。
  遠山啓(ひらく)は『教育問答 かけがえのないこの自分』(1978.7.31. 太郎次郎社)で、
《 だんだん年をとって冷静に考えられるようになり、また、自分自身が父親になってみて、子どもにとって父親とは何か、ということを考えてみたことはある。生まれたときから父親がいて、いっしょに暮している子どもにとっては、父親は空気みたいなもので、父親とは何か、ということはかえってわからないかもしれない。その点からみると、ぼくみたいに父親の味を知らないで育った人間のほうがかえってよくわかるかもしれないね。
  父親は家族にとってはなんといっても世間の荒波を防いでくれる防波堤のようなもので、そのなかで、家族は安心して生活できる。どんなに家庭生活を省みない無責任な父親でも、とにかく防波堤の役目だけは果たしているものだ。ふだんは水面の下に隠れていても、やはり大きな波は防いでくれる。・・・
  ・・・
  第三に、父親はなんといっても家族のなかでいちばんの世間学者であり、悪くいうと、いちばんの俗物だ。いくら利口な母親であっても、その点ではかなわない。その俗物的な世間知から子どもは多くのことを会得するのだが、父なし子にはその機会がない。
  だから、父なし子はたいてい世間知らずだ。よくいうと純情だということになるだろうが、そのために、父なし子は世間に出てから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができる。それは致し方のないことだ。
・・・ 》
と書いているのだが、遠山啓のお父さんは、早くから朝鮮に行っていて遠山啓が5歳の時に帰ってくることになったが、帰国する直前に腸チフスにかかって他界してしまったらしく、産まれた時には父親は生きていたが父親と会うことなく父親は他界してしまったらしく、それを「父なし子」と書いている。
  遠山啓が書いていることは、すべてが間違いではないだろうけれども、あまり正しくないと思うのだ。私も、20代までの時に、よそのお父さんを見て、「いいお父さんだなあ」と思うことはあったのだが、よそのお父さんを見て「いいお父さん」だと思う人があっても、それは「よそのお父さん」であって自分の父親ではないのであり、「よそのお父さん」で「いいお父さん」がいてもそれは関係ないのだった。私なら、よそのお父さんを見て「いいお父さんだなあ」と思い、うちの父親とはずいぶんと違うなあと思うところを、父親がない息子であった遠山啓は「父親とはそういうもの」と父親でも比較的いい父親を見て思ったようだ。 我が家の父親は、↑ で述べたように、姉がお見合いをして、いったんその相手と結婚すると言ったけれども、その後、やっぱり、あの人は嫌だと言い出した時、「かなんにゃもう、かなんにゃもう」と言い、「なんで、わしがこんな目に合わんといかんのじゃああああ」と叫んで逃げだしたのであり、私にとっては「父親」というのは「そういうもの」だった。「よそのお父さん」でそうでないお父さんもいたであろうけれども、我が家の父親は「かなんにゃもう、かなんにゃもう」と言って逃げ出す男だった。それでも、毎日、会社に働きに行って、給料日には給料を受け取ってきてくれる父親であり、その「お父さん」の給料で生活させてもらって成人したのだから、その点では大いに感謝もするべきであろうけれども、「世間の荒波を防いでくれる防波堤」だの「家族のなかでいちばんの世間学者」だの「その俗物的な世間知から子どもは多くのことを会得する」だのとは、まあ、よく言ったものだ、バカ言ってんじゃないわ♪ よく言うわ♪ て感じがする。そういうお父さんがうらやましかった。 よその父親でそういう父親もいたように思うが、「世間の荒波を防いでくれる防波堤」ではなく、「世間の荒波を引っ張り込んでくる父親」というのもいるはずだ。娘がその相手と結婚すると言ったが、やはり、その人は嫌だと言い出したとなれば、そういう時こそ、なんとかしようとするのがそれが父親というものと違うのか、それを「かなんにゃもう、かなんにゃもう」と言って逃げ出す男こそ、「かなんにゃもう、かなんにゃもう」て感じがする。まず第一に「ええかっこしい」やるのは好きだが「ひとに頭を下げる」というのが嫌いで、いったん、その人と結婚すると言ったが、やはり、お断りしたいとなると、「申し訳ありません」と言って頭を下げなきゃしかたがないと思うのだが、たとえ、1センチでも頭を下げるのを嫌がる男。我が家ではそういうのが「父親というもの」だった。もっとも、世の中、そんなに「いいお父さん」ばっかりではないはずであり、よそのお父さんを見てうらやましいと思っても、それは「よそのお父さん」でありうちの父親ではないのだからしかたがない。もし、遠山啓が、「よそのいいお父さん」を見て「父親とはそういうもの」と思ったのなら、その点こそ、「父親のない子供」の欠点ではないか。「お父さん」というのはそんなにいいお父さんばかりではない、ということを理解できないのは、それはその人の欠点と言わざるをえない。

   我が家では、父と上の姉は「ドイツ人」だそうで、母と下の姉は「日本人」で、私は「チャンコロ人」だったらしい。ドイツ人と日本人が結婚して子供ができたら、ドイツ人と日本人の「あいのこ」と違うのか・・と思うとそうではなく、これは血液型みたいなもので、血液型でも、たとえば、AB型の人間とBO型の人間が結婚して子供を作ると、AB型・A型(AO型)・B型(BB型もしくはBO型)の子供ができるように、「民族」もまた、「ドイツ人」と「日本人」が結婚して子供を作ると、「ドイツ人」の子供と「日本人」の子供と「チャンコロ人」の子供ができるらしいのだ。いも金トリオの「よいこ」「わるいこ」「普通のこ」みたいなものだ。私が「わるいこ」もしくは「チャンコロ人」だったのだ。
※ 《YouTube-イモ欽トリオ ハイスクールララバイ(1981)》https://www.youtube.com/watch?v=YM8QODx693s
  「チャンコロ」というのは、もともとは中国語で中国人のことを「チャンゴーレン」だか言ったところからきた言葉で、中国人に対する蔑称で、「常にひとから支配され命令され号令かけられるのが向いている民族」のことを言うそうだ。「ドイツ人」というのは「常にひとを支配し命令しなければならないと天の神さまから命じられてこの世に生まれてきた民族」のことを言うそうで、「ドイツ人」とともに「アメリカ人」というのもそれに該当するそうだ。私は「チャンコロ」であるとともに、「ロスケ」で「イタコ」でもあるらしいのだが、「ロスケ」というのはロシア人のことで「卑怯者」「裏切者」を意味し、「イタコ」とはイタリア人のことで「根性なし」を意味するそうだ。
  なにしろ、「ドイツ人」というのは「常にひとに号令かけなければならない」と「天の神さま」から命じられている「民族」であるから、常に「チャンコロ」に「命令し号令かけなければならない」そうだ。父が言うには「チャンコロ」というのは「号令かけられることがなによりうれしい。チャンコロは号令かけられると喜ぶねん」ということであった。父は私に「おまえはチャンコロであって、おまえは号令かけられるのが何よりもうれしいねん。そやからやなあ、わしは、只管、あんたを喜ばせてやってやってやろうという気持から、そのために号令かけたんねん。それ、とってちってたあ~あ! そら、喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べ喜べチャンコロ! どうじゃ、うれしいじゃろ、チャンコロ。『うれしいです』と言わんか、チャンコロ。せっかく、わしがおまえを喜ばせてやろうと思うて号令かけてやってやってやってやったっとんのにからに、『うれしいです』『号令かけていただいてありがとうございます』と言わんかチャンコロ。このチャンコロめがチャンコロ、この浪商!!!」と言うのであった。「これを適材適所と言うんや。適材適所や、適材適所」と父は毎日言っていた。「適材適所」だそうだ、「適材適所」。
  「ドイツ人」というのは常にひとに命令し号令かけておいて、いざという時になると、「かなんにゃもう、かなんにゃもう」と言って逃げ出すやつのことを言うらしいのだ。それでも、そのおっさんが働きに行ってもらってきた給料から生活費を出してもらって成人したのだから、だから、その「ドイツ人」から「こら、チャンコロ。『感謝してます。お父さん。ありがとうございます』と言いなさい」と命令されれば、「感謝してます。お父さん。ありがとうございます」と言うべきなのであろうから、言ったが、父親というのは「そういうもの」だった。遠山啓が言う「父親とは」という父親とはずいぶんと違いがあるようだ。
  「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と毎日毎日言われてきたものだったが、そういうことを言われてくると、言われた側としては、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思うようになった。「天の神様は、人間を分けてお造りになっておるのであって、わしはドイツ人でひとを支配し命令し号令かけるための民族で、お~前はチャンコロであって、支配され、命令され、号令かけられるのが向いておって、何よりそれを喜ぶ民族。チャンコロは号令かけられることに快感を覚える民族である。これは天の神さまがお決めになったことであって、それを変えようなどとは決して考えてはならぬじ、変えようなどと考える人間を天の神さまは決して決してお許しにはならぬぞ、チャンコロ」と父は毎日毎日言うのであったが、そう言われてきた者としては、「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)」「革命無罪(革命は無罪である)」という言葉が対抗することになった。

  上の姉は「よその親の場合は、たいてい、片方に『これ、やっていい』ときいて片方がいいと言えば、もう片方にも話したことになるでしょ。それがうちの親はそうじゃなかったでしょ」と私に話したことがあったが、たしかにそうだった。姉は片方に話して、話した方が「いい」と言えば、他方の親も「いい」と言った親の発言を尊重する親というのがうらやましかったと言い、私もうらやましかったが、我が家の親はそういう夫婦ではなかった。
  上の姉はそのあたりについては気づいていた。しかし、気づいていない部分もあり、私が下の姉に「普通、親なら・・・」と言うと、下の姉は「あんた、うちの家は普通の家と違うやろ。うちの親は普通の親とは違うやろ」と言ったことがあり、そんなこと言っても、「普通の親」とか「普通の夫婦」とか「普通の家庭」とか言っても、何が「普通」かという問題はあるのだが、ともかく、たしかに、うちの親は「普通の親」とは違うなあと思ったのだが、上の姉は「どこが違うのよ」などと言っていたので、上の姉は気づいていなかったようだ。その点で、下の姉の方が上の姉よりも実態をわかっていた。
  しかし、下の姉も気づいていないところがあった。父は、私が小学生の時、「結婚相手なんて、一流大学に行って一流企業に勤めたら、そんなもん、もろてくれえ、もろてくれえ言うていっぱい言うてきよる」と言っていたので、それを聞いて、私は絶対に「一流大学」には行きたくない、「一流企業」には勤めたくない、と思ったものだった。《「一流企業」に勤めるための「一流大学」》ということになると、「一流大学」でも第一に経済学部、そうでなければ法学部ということになるらしかったので、それで、ともかく、経済学部および商学部・経営学部にだけは首をもがれてもいかされたくないと小学生の時から思ったものだった。「一流大学」でも文学部哲学科とかだと、上の姉が言うには、「あんた、哲学科なんて変人が行く所と違うの。哲学科なんて言ったら、来てくれるお嫁さんなくなるのと違うの」などと言うことがあったので、それなら、ぜひとも言ってやろうではないか、と思ったものだった。《「一流大学」経済学部卒で「一流企業」社員》と結婚したがる女とだけは結婚させられたくない、「変人」とでも結婚しようと思ってくれる人と結婚したかった。ジャン=ポール=サルトルが同棲していたヴォーヴォワールみたいなそんな女性と結婚すればいいではないか、と思ったものだった。
  1981年はじめ、慶應大学の商学部にいた桃山学院高校卒の井上という男が日吉台学生ハイツの食堂で慶應大の学生の井上と似たようなの2人と3人で話していたのが近くのテーブルにいて聞こえたことがあったのだが、そいつらが言うには「女みたいなもん、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る」と言うのだ。「今度、電車に乗っていて、女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、水戸黄門の印籠みたいに『これが目に入らぬかあ』とやってやろうか」などと言っていた。それを聞いて、情けないやつらだなあ、と思った。せっかく、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も努力して勉強してきたのに、こんな程度の低いのと同じ「大学」に行かされるのは嫌だなあ、と思った。そもそも、おまえら大学の名前しか取り柄ないのか? ・・と思ったのだが、慶應と早稲田というこの2つの大学の学生には、そういう「水戸黄門の印籠」男というのが大変多い
  又、慶應の内部進学の人間は「もはや、我生くるにあらず、『塾風』我が内にて生くるあり」みたいな人間が多く、なおかつ、そういう自分というものを失った塾風人間というのを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神をもっている」と「診断」するようだった。それって、逆と違うのか? と思ったのだが、そう口に出して言うと、「自我が確立されていない」とか「独立自尊の精神がない」とか「診断」されることになる。「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる危険もあるから、怖いこわい怖いこわい・・・、ほんと、怖いこわい怖いこわい!!!!!
  母は私が高校3年の時に、「東大に行ったら、思いあがった人間になって女を泣かす男になるから、そやから、こいつ、絶対に落してやる」と言ったのだが、しかし、「慶應の名前さえ出せば、女はいくらでも手に入る」だの「電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して『これが目に入らぬかあ』と水戸黄門の印籠みたいにやったろか」とか言うようなそういう男は慶應と早稲田に多いのであって、東大の学生や卒業生と話をすると、「男性を大学の名前でしか見ないようなそんな女性は嫌だから」と言う人が多かった。 これを言うと、大学の名前を出さないと他にとりえのない「慶應タイプ」は怒るのだが、怒ったってこれは事実だからしかたがない。だから、私は高校3年の時も、なぜ、東大に行くと「思いあがった人間になって女を泣かす」のかさっぱりわからなかった。むしろ、「慶應タイプの女たらし」の方こそ、「女を泣かす」痴漢強姦人間がいたはずだ。
  私は桃山学院高校卒で慶應大商学部に行っていた井上みたいなそんな人間にだけはなりたくない、と小学生の時からずっと思ってきたのに、そんなヤカラの大学に行かされてしまった。「天地は広いというが、私にとっては狭くなってしまったのか」と思った。そんな程度の低い連中の巣窟大学にだけは行かされたくない、と思ってきたのに。 おまえら、大学の名前以外に取り柄ないのか、おまえら、大学の名前以外に自分に誇れるものは何もないのか? と思ったし、なんとまあ、独立自尊の精神に欠けるやつらだと思ったし、精神構造として自分というものが確立されているならば、そういう文句は口から出ないものではないのか、それがそういう文句が口から出るということは、それだけ、精神構造が貧弱・脆弱であり、「要するに、アホやいうこっちゃ」ということではないかと思ったのだが、ところが、「心理学」によるとそうではなく、そういう人間のことを「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーをもっている」とか「福沢精神を身につけている」とか「思考が柔軟」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか、もひとつ、「ギャルにもてもて」とか言うらしかった。最後のやつについては、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for taste.)というものであり、「この程度の男にはこの程度の女」というのがくっつくであろうから、それはわからんでもないが、「独立自尊の精神がある」だの「自我が確立されている」だの「アイデンティティーをもっている」だのというのは、それは逆と違うのか・・・と思ったのだが、「心理学」によるとそうではないらしく、むしろ、それは逆と違うのか・・などと言う人間の方が「自我が確立されていないから、そんなことを言う」「そういうことを言うというのは、アイデンティティーをもっていないということ」「福沢諭吉が言う独立自尊の精神があればそんなことは言わないのに、そういうことを言うというのは独立自尊の精神がかけているから」とか「そういうことを言うというのは、受験勉強の悪影響ですね」とか「慶應のすばらしい伝統に対してそういうことを言うのは、モラトリアム人間(病)に該当しますね」とか、「慶應心理学」によればそういう「診断」になるらしいのだ。
  「慶應心理学」はそういう「診断」をするらしいのだ。「慶應心理学」というのはそういうものらしいのだ。結論を言うと、「慶應心理学」というのはアホやということと違うのか、と思うのだが、もとより、「自我」だの「アイデンティティー」だのなんて身勝手な用語は、自分たちは「正常」で自分たちが気に入らないやつを「病気」か「病的」か「未成熟」かなんかにしたてあげるための小賢しい道具であって、それ以外の何物でもなかったのだ。「心理学」こそ何よりも害がある。「慶應の心理学」なんてそんなものだ。「慶應の心理学」なんてその程度のものだ。小此木啓吾は、「その程度のもの」が「その程度のもの」だと暴露されるまでの間のモラトリアムの時代を生きたモラトリアム人間だった、小此木啓吾こそ「モラトリアム人間」だったのだ。「心理学者」とかその周辺のなんとか学者とかいうのには、その類が多い。「モラトリアム人間の小此木啓吾」「タテ社会の中根千枝」「甘えの構造の土居健郎」とかろくな人間がいない。

  それで、父は私に何度も何度も言い続けたのだった。「あんたの結婚相手はわしが決めたるわあ」と。「いりません」「けっこうです」と何度も言ったのだが、そのたびに、「甘ったれるなよ、チャンコロ、このロスケ!」「思いあがるでないぞ、チャンコロ浪商!」と。「わかっとんのんか。わしとかM川先生〔父の親友の医者屋〕はドイツ人でアメリカ人やねんぞ。それに対しておまえはチャンコロやねんぞ。民族が違うねんぞ。これは生れる時点で天の神さまが人間を分けて御造りになったことで、天の神さまがお決めになったことやねんぞ。わかっとんのんかチャンコロ!」と。「わしとかM川先生はドイツ人やぞ。わしとかM川先生はドイツ人でやなあ、そんで、人生経験豊富で、百戦錬磨でやなあ、人格者でキリストで聖徳太子で英雄ヒットラー総統やねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。それに対して、おまえはチャンコロでロスケでイタコでプエルトリコでニグロで拓殖で浪商の民族やねんぞ。わしは慶應でおまえは浪商やねんぞ。わかっとんのんか、浪商!」と。「おまえはなあ、おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれどもやなあ、たとえ、北野高校に行ってもおまえは浪商やねんぞ。わかっとんのんか浪商! おまえは生れた時点で天の神さまが、この人間は浪商であ~るとお決めになった人間でやなあ、わしは慶應やぞお、わしはわしはわしは。わしは慶應でおまえは浪商じゃ、この浪商めがよくも産まれおってからに。わかっとんのんか、浪商! 謙虚になれ浪商、このチャンコロっ! わしとかM川先生とおまえとは民族が違うねんぞお。わしとかM川先生とおまえとは階級が違うねんぞお~お。わかっとんのんか、浪商! わかっとんのんか、チャンコロ!!!」と。「そやからやなあ、浪商でチャンコロのおまえがどういう相手と結婚するとええかは、ドイツ人で慶應のこのわしがM川先生と相談して決めてやってやってやってやったるわあ」と言うのであった。「いりません」といくら言っても、「のぼせあがるな、浪商! つけあがるな、チャンコロっ!」と言ってきかないのであった。
  遠藤周作の短編集『哀歌』の中に収録されていた『童話』だったかに、遠藤周作の分身のような男性の話が出ていた。子供の頃、中国の大連に住んでいて、両親が離婚した。母親と一緒に日本に帰ってきて、母の縁戚の家に住ませてもらったが、母は、毎日毎日、父の悪口を言い愚痴を言っていたが、その姿は醜かった。母が他界した後、父にひきとられたが、父は「お父さんは結婚相手に失敗した。だから、おまえには、おまえが結婚相手に失敗しないように、正しい結婚相手をわしが決めてやる」とそう言ったという。しかし、毎日毎日、父の悪口を言い愚痴を言う母の姿は醜かったが、しかし、そうであっても、父がいいと言うような女性と結婚したのでは、それでは、あまりにも母がかわいそうだ。毎夜毎夜、父の悪口を言い愚痴を言う女の姿は醜かったが、その醜い姿をなおさらみじめにするのは、それだけは何があっても絶対にできないと思った・・という話。それで、だ。私が中学校2年の時、姉に「おまえは短大しか出とらんだろうが。相手は関西大学経済学部やぞお。どっちが上かあ下かあ~あ!」と何度も何度も言った男が「決めたる」というようなそんな女とだけは結婚したくなかった。そんな女とだけは結婚させられたくなかった。
  その話を下の姉に言ったところ、姉は「あんた、それはありえないわ」と言うのだった。「あの人、あんたの結婚相手に、この人はどうでしょうかと話を持ってきてくれるようなツテなんかあるわけないでしょうよ。あの人にそんな話をもってくるような人なんてあるわけないでしょう。そんなカイショのある人と違うでしょ。それに、△△さんとかなら、カイショはなくても、たとえ、初対面の女の子にでも話しかけて、『うちの親戚でこういう男性がいるんだけど、会ってみない~い』とか言ったりする能力があるけれども、うちのお父さんにそんな能力ないでしょうよ。そんなもの、あんたの結婚相手によさそうな女の子を連れてくるなんてあの人にできるわけないでしょうよ」と言うのだったが、下の姉も勘違いしていた。下の姉も自分の親がどういう親かわかっていなかった。父は私に結婚相手によさそうな女性を見つけてくるなんて一言も言っていないのだ。父が言ったのはそんなことではない。「わしの所に、とりあえず、わしのお眼鏡にかないそうな女を十人ほどでも連れてこ~い。わかっとんねんな。つきあう前に連れてくんねんぞ。とりあえず、十人ほどでも女を用意して連れてこい。そしたら、何より謙虚なこのわしが見てやなあ、どいつが一番わしのお眼鏡にかなうか見てやろうやないか。そんで、わしが、『こいつにせえ』と決めたるから、そいつとつきおうて結婚せえ。そうやって決めたらええ。それがあんたにとっての幸せいうもんや」と。父はそう言ったのであって、父が女性を捜してくるなどとは一言も言っていないし、そんなこと言うわけないのである。下の姉の言うことを聞いて、この人、あのおっさんが、私に結婚相手に良さそうな女性を捜してくるなんて考えているなんて本気で思っていのか、あんたが結婚する時だって、あのおっさんは何もしなかったではないか。それがわからんのか、と思ったものだった。「おまえが、女をとりあえず、十人ほど用意してわしの所に連れてこ~い。そしたら、その中から、どいつがええか見て決めたるわあ。もし、その中にええのがおらんかったら、『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたら、また、別の女を十人ほど連れてこ~い。その中にもええのがおらんかったら、『みんな、あか~ん』言うたるから、また、十人ほど連れてこ~い。そうやって決めたらええ。それがあんたにとっての幸せいうもんや」と言うのであった。それで、私は「決めていりません」と言ったのだが、「ええかげんにせえよ。このチャンコロっ! わしはドイツ人やねんぞお、わしはあ。わしはアメリカ人やねんぞお、わしはあ。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應やねんぞ、わしは慶應、わしは慶應!!! わかっとんのんか、チャンコロ! おまえはチャンコロで浪商、わしはドイツ人で慶應やぞ、わしは慶應!!! 民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな、このチャンコロ、浪商!!! ちゃちゃっちチャンコロ、ちゃちゃっちチャンコロ、ちゃちゃっちちゃちゃっちちゃちゃっちチャンコロ!」と言うのだった。毎日のようにそう言われてきて、何か、お嫁さんなんか要らんわ・・という気持になった。
  私は、結局、ひとよりも高い年齢で大学を卒業したので就職には苦労した。父は「知らんで、知らんで、知らんで、知らんで。わしはあんたの就職みたいなもん、一切、知らんで知らんで」と言うのだったが、週刊誌の記事によると、みのもんた なんてあんなしょーもないおっさんでも、息子が慶應大学の商学部を卒業する時、日本テレビの社長に、うちの息子をとってやってもらえませんかと頼み、「慶應大学の商学部に行っているけれども、内部進学で学業はあまりできないのです」と みの もんた が言ったところ、日本テレビの社長は「それなら、近いうちに社屋を移転する予定があるから、引越し要員としてでも採用すればいいだろう」と言って採用してくれたというが、うちの父親に有力なコネクションなんてないかもしれないが、それならそれで、こういう所に応募してみてはどうだろうか、こういう所はどうか・・と一緒に考えるのがそれが父親というものではないのか・・と思ったが、そういう父親も世の中にはあるかもしれないが、うちの父親はそういう父親ではなかった。娘が結婚する時でも、「なんで、わしがそんなもん、言われんといかんのじゃあ。かなんにゃもう、かなんにゃもう」と言って逃げて行った男であり、ああ、このおっさんはこういうおっさんやった・・と思ったものだった。そういうおっさんのことを「ドイツ人」と言い、「キリストで聖徳太子で英雄ヒットラー総統」と言い、「百戦錬磨、海千山千」と言い、「世の中のことは何でも何でも知ってる人間」と言うらしかった。そのうち、来てくださいと言ってもらえる会社が出たので、それなら、そこに行こうかと考えたところ、さらに別の会社から誘いを受けて行きたいと言えば採用してもらえるような感触だった。すると、父はこう言ったのだ。「よっしゃ。そしたら、どっちがええかわしが決めたるわあ」と。そやった、このおっさんはこういうおっさんやった。 来てくださいと言ってもらえる所がなかなかなくて苦労すると、「知らんで知らんで知らんで知らんで」と言って逃げて行き、来てくださいと言ってもらえる所が2つ出てきたとなると、「よっしゃ、そしたら、このわしがどっちがええか、決めたるわあ」と言って出てくる。そやった、このおっさんはこういうおっさんやった・・・。遠山啓が考える「父親というもの」とはずいぶんと違う。「父親というもの」はそういうものかというと、よその父親はそういう父親とは違うように思えたのだが、そのあたりについて、遠山啓は「父親というもの」を、よそのお父さんの中でも、かなりいいお父さんを見て「父親とはそういうもの」と思い込んでいたのではないか。
  なんだかんだ言っても、あのおっさんの給料で食べさせてもらって成人したのであり、その点では大いに感謝するべきであろうけれども、片方で、うまくいかないと「知らんで知らんで知らんで知らんで」と言って逃げて行き、来てもらいたいと言ってもらえる所が複数でてくると、「よっしゃ、そしたら、このえらいわしがどっちがええか決めたるわあ」と言って出てくる。「父親とはそういうもの」なのか? 旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、なんだか、それがよっぽどエライみたいに言い、「両親が離婚し」ていない、「父親がいない」ことない息子というのは、よっぽど甘ったれてるか、よっぽど恵まれてるかみたいに言いたいらしかったが、たしかに、あのおっさんの給料で食べさせてもらい、あのおっさんの給料から生活費を出してもらって成人したのであり、その点については礼も言うべきであろうけれども、《 来てくださいと言ってもらえる所がなかなかなくて苦労すると、「知らんで知らんで知らんで知らんで」と言って逃げて行き、来てくださいと言ってもらえる所が2つ出てきたとなると、「よっしゃ、そしたら、このわしがどっちがええか、決めたるわあ」と言って出てくる》というそういう「父親」なんて、そんな「父親」なんて、別にいなくてもいいよ。 結婚したいと思いながら、ふさわしい相手と巡り合うことができずにいる時に、どこやらから捜してきて、こういう人と会ってみないかと言う父親ならいた方がいいかもしれないが、そうではなく、「おまえが女をとりあえず十人ほど用意してわしの所に連れてこ~い。そしたら、謙虚な人間であるこのドイツ人のわしが見て、どいつが一番わしのお眼鏡にかなうか決めたるわあ」と言うようなそんな「父親」なんて、いなくていいよ。そんなおっさんがいたからといって、何か得することなんてないよそのあたりを北野高校の教諭だった旧姓作野礼子は勘違いしていたようで、そういうおかしな勘違いをするのは「両親が離婚した」「父親がいなかった」ということが原因であるのなら、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という人は高校教諭として「適性がない」ということになるであろうけれども、しかし、私の知っている人間でも離婚した人も親が離婚した人もいるけれども、誰もが旧姓作野礼子みたいかというと、そうではないように思うのだ。
  《 来てくださいと言ってもらえる所がなかなかなくて苦労すると、「知らんで知らんで知らんで知らんで」と言って逃げて行き、来てくださいと言ってもらえる所が2つ出てきたとなると、「よっしゃ、そしたら、このわしがどっちがええか、決めたるわあ」と言って出てくる》というそういう「父親」、「おまえが女をとりあえず十人ほど用意してわしの所に連れてこ~い。そしたら、謙虚な人間であるこのドイツ人のわしが見て、どいつが一番わしのお眼鏡にかなうか見て、『こいつにせえ』言うて決めたるわあ」という「父親」なんて、そんなおっさんがいる人間は、「父親がいなかったから」という娘よりも恵まれてるとか主張したがる女というのは、それは「両親が離婚した」人・「父親がいなかった」人誰もがそうであるのではなく、旧姓作野礼子のビョーキだと「診断」していいのではないか。「このビョーキは簡単には治らない」と思える。 「シベリア送り」にでもして「作業療法」と称して強制労働につかせれば、ちょっとはまともになるかもしれない。
※ 《YouTube-Когда над Сибирью займётся заря Russian Folk Song》https://www.youtube.com/watch?v=RQzrBou5lZE&list=PLYy4Q6qgRS1iFeobjEY-IMg5rSlk3QB7j&index=2&t=0s

  遠山啓は《  父なし子はたいてい世間知らずだ。よくいうと純情だということになるだろうが、そのために、父なし子は世間に出てから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができる。》と言うのだが、すべての父親が「世間知」があるわけではない。 父親はあっても、「世間知」のない父親の息子であると、やはり、《自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができる》ことになる。私はそれだった。特別ものすごい「世間知」というものを身につけたわけではないが、若い頃に比べると、ちょっとは賢くなったかもしれない・・と思う。このあたりも、旧制作野礼子は「私は父親がなかったから」と、なんだか、父親がある息子は自分よりよっぽど得しているみたいに言わないとおれない人間だったが、父親がいても「世間知」がない父親ならば、そんな父親からは「世間知」を学ぶことはできない。
  そして、それなら母親からはどうなのか、母親といえども、人生経験は息子よりも長いのだから、少しくらいは「世間知」があってもいいのではないのか・・・と思うと、そうでもない。「世間知」のある父親の嫁である母親ならば、夫から学ぶことができるであろうけれども、「世間知」のない男の嫁である女性は夫から学ぶことができないから、年齢はそれなりの年齢になっても「世間知」を身につけることはできない。だから、「世間知」のない男の息子は、父親から「世間知」を学ぶことができないだけでなく、母親からも学ぶことはできない。もしかすると、旧姓作野礼子の母親の持っていた「世間知」の方が私の両親が持っていた「世間知」より量的に多かったかもしれない。但し、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とかなんとかかんとか言いまくることで、「作野さんはお父さんがいなかったから、だから、しっかりしてられるわあ」とかひとに無理矢理言わせる・・というそういう「世間知」なんてのは、それは、本人は得意技にしていたかもしれないが、それも「世間知」かもしれないが、私はそういう「世間知」はあんまりいいとは思わないし思えないけれども・・・。

  私は自分が高校生くらいの時は、比較的早い時期に結婚したいと思っていたのだが、ある程度の年齢になり、うちの父母のことを考えてみると、女性は20代前半で結婚してもいいけれども、男性は20代後半か30代前半で結婚するのがよく、20代前半で結婚するのはよくないのではないか・・と思うようになった。その理由は、人間が学ぶべきもの、実際に苦労して身につけるべきものは、結婚して夫婦でともに苦労して身につけるべきものと、独身の時にひとりで苦労して身につけるべきものは種類が別で、男性が20代前半で結婚してしまうと、独身の間にひとりで苦労して身につけるべきものを身につける前に結婚してしまうことになり、その男性と結婚した女性もまた、そういう能力を身につけた男性と結婚しておれば、その男性から学んで身につけるものを身につけることができなくなってしまう、ということがあるということに気づいた。
  内田康夫の「浅見光彦シリーズ」の浅見光彦は、最初に登場した『後鳥羽伝説殺人事件』では32歳で、翌年、33歳になったものの、その後、何十年間と33歳を続け、ついに『遺譜 浅見光彦最後の事件』で34歳の誕生日を迎えたものの、その直後に作者が他界することになったが、『遺譜 浅見光彦最後の事件』で作者が述べていたのは、33歳というのは、男性が「青年」として生きることができる最高齢で、34歳というのは「青年」では通じない、「大人」として生きるしかない年齢だということだったが、32歳もしくは33歳というのがこの「浅見光彦シリーズ」の必要条件だったのではないかと思う。子供向け漫画ならともかく、大人が読む本としては、たとえ、「兄上が警察庁刑事局長」という「水戸黄門の印籠」を持っていたとしても、犯人や警察を相手にして頭を働かせて動くというのは、20代でできることではないと思うのだ。そういったことができる思考力がある可能性がある年齢で、なおかつ、逆風にも抵抗にも立ち向かう「元気」がある年齢、「青年」で通じる年齢として、32歳から33歳という年齢の男性だった廣済堂出版の編集部にいたなんとかさんを外見と年齢のモデルとして想定したのが浅見光彦だったのだろう。
〔 内田康夫という作者がおもしろいのは、この浅見光彦という男、気をつけないと、そのうち、「寅さんみたい」になるぞ・・と思っていると、『遺譜 浅見光彦最後の事件』で高校生の姪がそう言う場面が出てきて、さらに、いくら、内田康夫が売れっ子作家であっても、「売れ筋商品」の浅見光彦に結婚されたのでは、さらに「探偵はやめようと思うんです」などと言われたのでは、誰が困るかというとまず作者が困るのではないか・・と思うと、やっぱり、『遺譜 浅見光彦最後の事件』で、「登場人物の内田康夫」が「やめられたら困るよ。浅見ちゃんに探偵やめられたら、ぼくはいったいどうすればいいのよ」と発言する場面まででてくる。〕
  24と22で結婚したらしいうちの両親を見ていると、うちの父親は、20代前半であんまり賢くない時点から、その後、結婚して経験を積んだものがあっても、20代前半からちっとも成長していないように見えるところがあった。男性がひとりで苦労して多少は痛い目にあって身につけるべきものが身についていない。それが身についている男性と結婚すれば、女性は夫からそれを学んで身につけることができるところが、夫にそれがないので学ぶことができない。それを考えると、浅見光彦の年齢、32歳ないし33歳くらいで20代前半の女性と結婚すれば、男性がそれまでに学んで身につけたものを女性も夫を通じて学び身につけることができるので、そのくらいが一番いいのかもしれないが、他方、30代前半で・・などと言っているとすぐに30代後半になってしまうし、30代後半になってしまうと40代前半になるのもすぐであり、それを考えると、男性は20代後半で結婚するようにして、それが失敗して結果として30代前半で結婚することになったというものでもいい・・のかもしれない。まあ、株の格言で「頭と尾っぽはくれてやれ」というのがあって、株価が下がり切ったところで買って、上がり切ったところで売って・・と思っていると、まだ下がるだろうと思っていると上がってしまい、まだ上がるだろうと思っていると下がってしまいということがあるので、それで、「頭と尾っぽはくれてやれ」という考え方でやるしかないということらしいのだが、いくつで結婚するかというのも、「頭と尾っぽはくれてやれ」とでもいうのか、こういうのが最適なんて思っても、なかなか、その通りにはならないものかと思う・・・が、うちの父親に限ったことではなく、20代前半で結婚した男を見ると、結婚してから夫婦で身につけていくべきものについては身についていても、ひとりで苦労して身につけるべきものがいくつになっても身についていないという人を見ることが現実にある。(某一条工務店の営業本部長のA野T夫さんなんかもその傾向があった。)

  我が家の父母はそういう不完全な夫婦を何十年間やってきたようなそんな夫婦でそんな家庭だったように思う。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそれを何よりも自慢にしていて、その文句を言えば「ひとは言うことをきいてくれる」みたいに思っていたようだが、別に、「言うことをきいてあげないといけない」という義務はないはずであったし、その認識はあつかましい。 「不完全な状態」から離婚した夫婦と「不完全な状態」を抱えたまま離婚せずに何十年間と生きた夫婦と、どちらが不幸かはいちがいに言えない。「不幸自慢」してもしかたがないと思うのだが、それを理解できないのが旧姓作野礼子だった。そもそも、それぞれの家庭は問題点をかかえながら存在しているのであって、「両親が離婚」していなくても、問題点がないわけではない、というそのくらいのことも理解できないバカ女というのは、それは高校教諭の職業につくにはふさわしい人間とは言い難いと言わざるをえない。・・まあ、その職業に「ふさわしい人間とは言い難い」人というのは、世の中、いっぱいいるかもしれんけどな・・・。

  父が他界した後、母はよその人間と会うと、「うちは子供は娘が2人ですねん」と言うのだった。「子供は娘が2人ですねん」と言われると、俺って誰なんだ? ・・と思うのだが、「息子いうたら、こんなんですからねえ。こんなん、こんなん、こんなん、こんなん!」と言って私を指さして言うのだった。よっぽど、私が気に入らないみたいだった。そんなに気に入らない息子なら産まなきゃよかったのにと思ったものだ。
  ふと気づくとそれからけっこう経っているのだが、30代の時に、実家に帰ると、母が「あした、あんた、お見合いすることになってる」と言ったということがあった。そういう「騙し討ち」みたいな手法というのは、それは母は夫から学んで身につけた手法である。なんで、そういうやり方をしないとおれないものかなあ~あ・・と思うのだが、そういうやり口をしないとおれない人間だった。そういうやり口を得意とする男の嫁だから、どうしてもそういう手法を使うようになる。
  しかたなしに、会うという場所に行くと、来た女性はずいぶんと大きなほくろのある女性で、それはしかたがないとしても、なんだか、部屋の掃除でもやるような格好で来た。私は、ともかくも、お見合いだということで会うのならば、それなりの格好をして行くのが礼儀だと思って行ったのだが、そうであるからこそ、母に紹介したおばあさんは、「格好のいい素敵な坊ちゃんですねえ」と言ってくれたらしいのだが、それに対して、なんだか、部屋の掃除でもするような格好で、化粧もほとんどしていない顔で来たようだった。夏なのに、スカート丈がずいぶんと長い。別に、無茶苦茶露出の多い服装で来てもらわなくてもいいし、厚化粧で来てもらいたいわけでもないが、なぜ、そういう格好で来たのか、ということは、母は女ならば考えていいのではないのか、と思ったが、そういう思考ができない、「あれ」と気づく感覚がない女だった。
  なぜか、一般よりも丈の長いスカートをはいてくる女性というのは、その理由として考えられることとして、実際にどうであるかとは別に、本人の意識として「足が太い」と思っているから丈の長いスカートをはく人というのがいる。もうひとつは、「気合がはいってない」から、という場合がある。あの人は後者だったと思われる。別に無茶苦茶丈の短いスカートで来てもらわなくてもいいけれども、あの「普段着」というのか、「部屋の掃除する時の格好」みたいな服装というのは、あれは何だろう・・・と、これは男性よりも女性の方が、女性については気づくものではないのか? と思ったものだが、母は気づく感覚を持たない女だった。男の私が気づいたことに女の母は気づくことができなかったのだ。
  某一条工務店の栃木県の営業所(展示場)にいた時、来場した女性2人づれについて、姉妹だと私は思ったのだが、入口に受付としていた女性にそれを言うと、「ち~がうよ、あれはあ。あれはママ。若作りにしてるけど、姉と妹じゃないって。あんな兄弟ないよ。あれは、絶対に、マ~マ!」と言うので、そうかなあ~あ・・・と思ったら、実際、そうだった・・・ということがあったのだ。やっぱり、女性を見る眼は女性の方が鋭いようだなあ・・と思ったものだったが、うちの母親にはそういうものがまったくなかった。
  母は、私を指さして言うのだった。「うちの息子は、こんなん、こんなん、こんなん、こんなん・・・」と。よっぽど、嫌いのようだった。会う前からして、母は「『うちは、女でありさえすれば、どんな人でもいいですから』と言って売り込んどいたからな」と言うので、「そういうのは、『売り込む』と言うのかな?」と言ったのだが、母は「言うでしょうよ。あんたみたいなもん、女でありさえすれば誰でもいいでしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ。あんたみたいなもん、女でありさえすれば誰でもいいでしょうがあ」と言うのだった。母にとって私はそういう人間だったらしい。
  その人と会って帰ってくると、母は「どうやった」などと言うのだが、「どうやった」と言われても、私の側はすでに「女でありさえすれば、うちはどんな人でもいいですから」と母が先に返事をしているのだから、「どうやった」もへちまもない。何をわけのわからんことを言うのだろうなあと思った。
  「部屋の掃除する時の格好」で来た女性は、喫茶店にでも入って私がその代金を払ったなら、普通は「すいません」なり「ありがとうございます」なり、そのくらいのことは言うものではないかと思ったのだが言わない。10代の女性ならともかく、もうすぐ30という年齢の女が、「ありがとうございます」も「どうも、すいません」も言わない言えないというのは、この人はどういう人間なんだろうなあ・・と思ったのだが、さらには、クレジットカードを貸せといって手を出したりもした。そういう人かと思ったのだが、母は「うちは女でありさえすればどんな人でもいいですから」「こんなんですから。こんなん、こんなん、こんなん、こんなん」と言って私を指さして何度も何度も言ったのだから、私はそういう人でもいいという男性だということだったのだろう。よっぽど私が気に入らないようだったが、そこまで気に入らない息子なら、産まなきゃよかったのではないのかと思うのだが、なぜ産んだのか理解に苦しむ。
  私の側では断る権利は最初からなかったのだから、選択権は百パーセント向こうにあった。そういう「お見合い」だった。ああ、こんな人と結婚させられるのかあと思ったのだが、そして、俺には子供はできないだろうなあとも思った。母は「甘ったれなさんな。子供を作りなさいんかあ」と言うだろう。「とってちってたあ~あ」とは父とは違って言わないけれども、そういうおっさんの嫁だったから、基本的にはそのあたりの姿勢は変わらない。「子供つくらんかい。とってちってたあ~あ」といった姿勢だ。しかし、母は勘違いしていたように思うのだ。女は気が進まない男性と結婚しても子供を作ることはできる。要するに強姦されればいいのだから。それに対して、男の体はそういうようにはできてないのだ。納得いかない女性と結婚させられて、「甘ったれなさんな。子供つくりなさいんかあ」と命令されても、男の体はそうはいかないのだ。「とってちってたあ~あ」と言われても、無理だ。
  あの人と結婚させられたのでは、俺には子供はできないだろうなあと思ったのだが、幸いなことに、向うから断ってくれた・・・というよりも、あの人は、最初から、つきあっていた男がいたのではないかと思う。つきあっていた男がいたけれども、はっきりと結婚すると決めたわけではなかった、というくらいの相手があったのではないか。母親はそれを知らないものだから、年齢が30に近づいていくし、特別に何か取り柄があるわけでもないし、お見合いをする相手はありませんかと頼んだのではないか。娘の方は、つきあっている男がいて、おそらく、その男と結婚することになるが、まだ、はっきりと決定したわけではないので親に話していなかった。又、実際、はっきりとその男と結婚すると決めたというところまではいっていなかったので、お見合いで男性に会えと言われれば、「会うだけなら会っても別にいいか」みたいな気持ちで会ったのだろう。だから、「気合が入っていなかった」し「普段着、もしくは『部屋の掃除する時の服装』みたいな格好できた」ということだったのだろう・・・と思う。見ておれば、だいたい、わかる。そして、こういうのは、男よりも女の方が女性についてはわかるものではないのか・・・と思ったのだが、ところが、うちの母親というのはそういうものがまったくわからない女だった。なんでかなあ・・・と思ったが、俺が特別に賢いわけでもないと思うのだが、普通、このくらいわかると思うのだがなあ~あ・・と思ったのだが、わからない女だった。そして、私を指さして言うのだ。「こんなん、こんなん、こんなん、こんなん・・・」と。よっぽど、私が気に入らないようだった。
  考えてみれば、母は不幸な女だったのかもしれない。こういう息子が欲しいというものがあったようだが、それはすべてよその息子であり、自分の息子は嫌いだったのだ。よその息子が好きだったのだ。そういう女だった。ともかく、自分の息子は気に入らないのだ。

  父が他界した後、母は言うのだった。「私はなあ。私はうちの子の中ではHちゃんが一番ええねん。あんたが一番要らんねん」と。「Hちゃん」というのは下の姉のダンナのことである。上の姉と上の姉のダンナと下の姉と下の姉のダンナと私の5人の中で、一番ええのが下の姉のダンナの「Hちゃん」で、一番要らんのが実の息子の私だったのだ。母は実の息子が嫌いだったのだ。
  私は「要らん」子だったらしい。そういえば、父もそう言っていた。父は上の姉を「しっかりしたお姉さん」「えらいえらいお姉さん」「ドイツ人のお姉さ~ん」と言い、下の姉は「私は、いつでも、この子はあかん子、この子は阿寒湖、あかんこ、阿寒湖、あかんこ、阿寒湖」と毎日毎日言われたと言っていたが、下の姉は「阿寒湖」だったらしいが、私は「イラン湖」だった。「阿寒湖、イラン湖、阿寒湖、イラン湖・・」と父は言っていた。イランにそういう湖があるのかどうか知らんが、私は「イラン湖」だったのだ。「よ~く~もお~お、産まれおってからに、産まれおってからに、産まれおってからに。チャンコロっ!」と父は毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして叫んでいた。そういう男の嫁だから、「こんなん、こんなん、こんなん、こんなん・・」と私を指さして言うのも、もっともなのかもしれない。
  「Hちゃん」というのは、下の姉のダンナのことで、上の姉とそのダンナと下の姉とそのダンナと私の5人の中では、下の姉のダンナが「一番ええ」そうで、私が「一番要らん」そうだった。「イラン湖」だったのだ。そうか、この人にとっては、よその息子がいいのか・・・なるほど・・・と思った。母親というのは「そういうもの」なのか・・・どうかわからないが、うちの母親はそうだったようだ。そして、「親というものは、自分の息子のことを実際よりもええように思うもんなんやからなあ」と何度も言う母親だった。その発言内容は、どうも、実態とは違ったのではないかと思うのだが、母は、実際にはよその息子をいいようにいいように思う女でありながら、同時に「親というものは、自分の息子のことを、ええようにええように思うもんなんやからなあ」と言う女だった。
   父が他界した後、しばらくは、母は「Hちゃんに・・やってもらった。A子には・・やってもらった」と言って喜び、私が何をやっても喜ばなかったし、何かやろうとしても「いらん」と言って拒絶した。その上で、「あんたには何もやってもらわれへん」と言うのだった。そうか、そんなにHちゃんがいいのか、そんなによその息子がいいのか・・と思ったが、母親というものは「そういうもの」だったのかどうか、よくわからんがうちの母親はそうだった。

  ところが、その後、母が歳を行くと、多少、変わってきたのだ。下の姉は「あんたにやってもらったら何でも喜ぶくせに。なんで、Hちゃんがやったら喜ばないの」と言って怒るようになったのだ。わからんかなあ・・と思ったがわからんようだった。高齢になった母親にとって、一番気に入らない相手というのは「実の息子とはりあおうとする義理の息子」だということが。高齢になった母親としては、実の息子がいい息子であるかろくでもない息子であるかは関係なく、「いい息子」だと思いたいのだ。それを、一生懸命、実の息子とはりあおうとする義理の息子というのは、あんまり賢くないのではないか、と思うのだが、長年、母は「Hちゃんが一番ええ」と言い続けてきたものだから、そういうものだと思ってしまったのか。
   そういえば、父もまた、母の母(祖母)に対して、実の息子とはりあおうとすることがあった。1980年代、母の父(祖父)が他界した後、祖母もまた、若い頃のような体調ではなくなってきていたのだが、何であったか、父は、「おばあさんに、Kのやつ(伯父。父と同年齢で高校の同級生。祖母の長男)では、あいつではあかんから、わしが・・・をやってあげましょうかと、こない言うてあげよかと思うねん」と言うので、私は「やめとき」と言ったのだ。父は「なんでやねん。Kのやつではあかんから、そやから、わしがやってあげまひょかと言うたろと思うんや。おばあさん、喜びはるやろ」と言うので、「やめとき。そんなこと言わない方がいい」と私は言ったのだ。父は「なんでや。せっかく、わしがやなあ、Kのやつではあっかんから、このわしが・・・をやってあげまひょかと言うてあげよと言うとるのやろ。おばあさん、喜びはるやろう」と言うので、「やめとき。そんなこと、言ったら、おばあさん、怒ると思いますよ。もし、言うのなら、おばあさんに言うのではなく、Kさんに『もし、費用が厳しいようなら、私もいくらか負担させてもらってもかまいませんよ』と言ったらどうですか。それならいいと思うけれども、おばあさんに、『Kのやつではあっかんから、そやから、このわしがやってあげまひょか』なんて、そんなこと言ったら、おばあさん、怒ると思うよ。言わない方がいいと思いますよ、そんなことは」と言ったのだが、父は「なんでやねん言いうとるやろ。なんでやねん」と言って、いくら話しても理解しなかった。 高齢になった母親に、実の息子のことを「Kのやつはあっかんやつやから」などと言い、「そやから、このわしがやったげまひょか」などと言ったのでは、それ以上に腹が立つことはないはずで、「絶対にいりません」と言って断ると思ったのだ。そのくらいわからんのかと思ったし、「このわしほどえらいエライえらいエライ人間はおらんねんぞ」「わしは、世の中のことは、何でも何でも知ってる人間で、わしは英雄であって、何よりもわしは謙虚やねん」などと父は言いまくっていたのだったが、いったいどこが「謙虚」なのか、さっぱりわからない。もう少し、ひとの気持ちというものを考えてはどうか、と思ったが、考えることのできる人間ではなかった。
  そして、2000年代になって、下の姉は言って怒るのだった。「なんで、あんたがやったらお母さんは喜ぶのにからに、Hちゃんにやってもらったら喜ばないの」と。「なんで」と言っても、「Hちゃん」は息子と違うのだ。「義理の息子」であっても息子と違うのだ。高齢になった母親にとっては、「息子にやってもらった」というのは、それを喜びたいのだ。それに対して、高齢になった母親にとって、実の息子とはりあおうという義理の息子というのは、これ以上に気分の悪い存在はないのだ。「なんで、あんたがやったらお母さんは喜ぶのにからに、Hちゃんにやってもらったら喜ばないの」という文句が口から出るというのは、わからんかな、そんなことも・・と思ったのだが、わからんようだった。・・とすると、うちの父親を見て、相変わらずアホやな、このおっさんは・・・と思ったのだが、そうでもなく、高齢のおばあさんに対して「実の息子とはりあおうとする義理の息子」というのは、実は「いるもの」だったのかもしれない。
  実の息子は、母親と一緒に生きてきたので、それで、母親が何かを欲しいと言っても、実の息子は食べ物の好みもわかっているし、どういうものを欲しがるかわかるのに対して、義理の息子はわからない、ということもあるが、それよりも、「実の息子とはりあおうとする義理の息子」というのは、高齢になった母親には喜べない存在だということが、あんた、そんなこともわからんのか・・と思った。それは、父が他界後、母は「私は、うちの子供の中ではHちゃんが一番ええねん。あんたが一番要らんねん」と何度も言っていたのを姉も聞いていて、そして、それを本気にしたのだと思うが、その時はそうであっても、それからさらに年齢をいくと、事情は変わってきたのだった。
  結局、私のところに戻ってきてくれたのか・・・と思ったのだった・・・が、昨年、またもや、「あんたではあかんと思うた」とか言い出すようになったので、やっぱり、最終的に戻るところは、そこか・・・・・と思ったのだ。母はもう少しは生きるであろうから、「最終的にもどるところ」が最後はどこになるのかわからない。産まれなければよかった息子を30代で産んだので、20代で産んだ母親と比べて体力的にきつかった、と言うのだったが、30代で産んだ息子だから、90代も後半になっても、まだ、息子の方が親の世話をできるのであって、20代で産んだ息子だったら、もう、息子の方に力はなくなっている可能性がありそうだ・・・。「老後の対策の為にに産んだ子供」はちょっとは役に立ったのかもしれない・・・・。

  1970年代後半、北野高校の音楽のN川先生が、旧姓作野礼子のことを「作野さんは、両親が離婚してお父さんがおられなかったから、だから、私らとは違ってしっかりしておられるわ」と口にしたことがあったのだが、そんなことを言うと、本人、「私は両親が離婚して父親がいなかったから、だから、私はしっかりしてるんだから」と思うようになってますます増長するから、だから、そんなことは言わない方がいいと思う。はたの者が言わなくても自分で言いまくっているのだから、自分で言った時に、聞かされた者は「ああ、そうですか」と鼻で笑うようにあしらってやればいいことだ。もしくは、「だから、何ですか? 両親が離婚したら、何かえらいんですか?」ときっちりと質問してやるのがいいのかもしれない・・・が、いちいちうるさいから関わらん方がいいのかもしれん・・・。

  (2020.5.11.「母の日」の翌日。)

結婚 (1954年) (岩波新書) - 川島 武宜
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恋愛論 (新潮文庫) - スタンダール, 昇平, 大岡
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家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
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