なぜ、地方国立大学は論文・小論文を試験に課したか。地方大学で「論文」「小論文」「面接」が試験にある大学を受ける場合-受験生へのエール【6/ 】

[第495回] 受験生へのエール【6/ 】
   1970年代後半、本当のことより嘘つくことの方が圧倒的に多い男だったYMCA予備校高槻校の事務職員(「主事」)の藤井は、「ガイダンス」と称して、広い部屋に受講生を集めて、
「きみら、地方の大学は易しいと思っているかもしれんけれども、地方の国立大学は地方で優秀な人間が受けるんだから、易しくないんだからなあ。」
「地方の人間はきみらと違って根性があるから、数学の問題でも、泥臭い解き方でも説いてみせるんだからなあ」
と、もう、いいかげんにせえ・・と言いたくなるアホを言ったという話を、前回、述べた。
  これが正しくないのは明らかで、
(1) なんだかんだ言っても、「地方」と東京圏・関西圏とでは「地方」の方が学力水準は低い場合が多く、「地方」の進学校というのは東京圏や関西圏の進学校と比べると、進学校というようなものではない、という場合がある。田んぼがあるというような家の息子に尻たたいて東大でも行かせて、東大を卒業する時になって、「うち、田んぼあるから百姓つげ」なんて言ってやったのではかわいそうで、又、地元に「東大などを出た人の勤め先」というものがあるわけではない、せいぜい、県庁か市役所か地方銀行かそこらしか「一流大学でた人の勤め先」はないのだから、地元にいてもらいたいと思えば、東大だの京大だのに行かなくても、もし、お勉強がよくできるのなら地元の国立大学くらいで十分と考える人が少なくない。そう思うから、進学熱がないわけではないが、都市圏に比べると緩やかであり、その結果として、全般に「地方」の方が都市圏に比べると学力水準は低い。
(2)  「地方の人間で優秀な人間」は地方国立大学に行くのかというと、そうではなく、「地方の人間」でも本当に優秀な人間は東大とか京大とか阪大とかに行くのであり、「地方の人間」は東大とか京大とか阪大とかに行ける可能性がある人間までが地方国立大学に行くわけではない
・・だから、「地方の大学」は「地方の優秀な人間」が受けるから難しくないことはないという藤井の主張は間違いだ、ということを述べた。又、
(ア) 「地方の人間」は都市圏の人間と比べて根性があるのかというと、そのような論拠はない。「地方の人間」で農家の息子は、比較的若い頃から農作業を手伝ってる場合があるが、中学生くらいからけっこう役立っている息子もいるらしいが、しかし、農作業やったら「根性がつく」というものでもない。体育会の人間は「体育会の人間は学力はないが根性がある」などと言いたがる人が多いのだが、それは「体力」のことを「根性」と言い替えているだけであり、体力がつけば根性がつくというものでもない。同様に農作業やったら根性がつくというものでもない。私が小学生から中学生の頃、我が家は、自宅の庭でナス・キュウリ・トマト・貝割菜など作っていて、「農作業」をずいぶんとやったものだが、だから、根性がついたというものでもないし、農作業やったら数学の勉強をしなくても数学の問題が解けるようになるわけでもない。問題を見て「だめだあ」と思ってもあきらめず、最後の最後までなんとか解こうという姿勢のことを「根性」というのなら、そういう姿勢がある人間とない人間とでは成績に差がつくことはあるだろうけれども、それも「地方」か都市圏かとは関係ない。
(イ) 息子の尻たたいて勉強させて東大でも行かせて、東大を卒業する頃になって「うち、田んぼあるから百姓つげ」なんて言ってやったのではかわいそうであり、「地方の人間」でも、農家の息子とサラリーマンの息子とでは、全体としてはサラリーマンの息子の方が学業成績はいい場合が多い。大阪府など都市圏でも農家はないわけではなく、「農家の息子」もしくは農家ではないが「家業がある家の息子」と「家業がないサラリーマンの息子」なら、「家業がないサラリーマンの息子」の方が全般としては学業成績はいい場合が多い。
(ウ) 「泥臭い解き方」か「エレガントな解き方」かは、住んでいる場所が「地方」か都市圏かとは関係ない。「エレガントな解き方」を習得したかしていないかの違いである。但し、「エレガントな解き方」でなく「泥臭い解き方」でも数学の問題は解ければいいのだ、という考え方はあるが、それは「地方」か都市圏かの問題とは違う。
  毎度のことながら、YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井という男は、次から次へと不適切な「情報」(反情報)を吹き込んで受講生の思考を混乱させようと画策するどうしようもない男だなあとあきれた、ということを述べた。
  それとともに、
(1) 都市圏で生まれ育った人間が「地方の大学」を受けた場合、「地方の大学」というのは、その地方とのつながりが大きい大学が多いので、それを承知で行くのならいいが、北海道大・東北大以外の旧帝大系国立大学なら、基本的には全国大学だと考えていいだろうし、私立大学でも、慶應大は「東京圏を中心とした大学」ではあるものの「全国大学」であろうけれども、地方国立大学というのは「地方大学」であって、他の地域の人間、特に都市圏の人間が旧帝大系国立大学と同じようなつもりで行くと、違和感があり、入学後もそこに行く気持ちになれるかどうか、という問題がある、ということを、そちらの方を受験生には話しておくべきであったはずである、にもかかわらず、YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)というのは、そういう問題を説明する能力が欠けていた、ということを述べた。
(2) 《「いなかもん」は阪大(大阪大)よりも同志社大の方が一流大学だと思っている》などという話を、アルバイト先に来ていた同志社大在学中の男から聞いたことがあるのだが、「同志社」というのは学校の教科書にも名前が出ている、すごい♪ ・・のに対して、「大阪大学」なんて教科書に名前は出ていなくて、「いなかもん」は東大か京大か地元の国立大学かしか国立大学の名前は知らないので、「同志社大学の学生」と言うと、よくもてる、よくもてる♪・・・などと言うとったのだが、それは「話半分」かもしれん、少々、マユにツバつけて聞いた方がいいかもしれない、相当いっぱいツバつける必要があるもしれない・・が、京大は《全国大学ではあるけれども「関西圏を中心とした西日本大学」の性質もある大学》であるのに対し、阪大(大阪大学)は「関西圏を中心とした西日本大学」の性格があり、神戸大になるとその傾向がより強くなる、関西では神戸大と慶應大なら神戸大の方が一般には評価は高いが全国的には慶應大の方が全国大学の性質がある。大阪大は「西日本大学」の性格があるとはいえ旧帝大系国立大学であり、頭についている地名は「大阪」であるのに対して、神戸大は元・神戸高等商業であり、元・大阪高等工業の大阪大よりも経済学部(および経営学部)については歴史がある、という面もあるが、大阪大は旧帝大系国立大学であるのに対して、神戸大は旧帝大ではなく、頭についている地名は「神戸」であり、ヤクザさんの世界では「神戸」はブランド地名かもしれんが、大学の場合は、頭につく地名としては、「神戸」はどうしても「東京」「京都」「大阪」に比べて下の評価になる。 旧帝大系国立大学は全国大学だと思っているかもしれないが、西日本の人間は知らないかもしれないが、旧帝大系国立大学でも東北大と北海道大は「東大・京大・阪大の仲間」ではなく「青森大・秋田大・岩手大・福島大・山形大の仲間」みたいなところがある
(名古屋というのは、東京・大阪の仲間だと思っているかもしれんが、実は、岐阜・豊橋・浜松の仲間という性質もある・・なんて言うと名古屋人は怒るかもしれんが、名古屋の場合は岐阜・豊橋・浜松の仲間という性質と、東京・大阪の仲間という性質の両方の性質がある街ではないかと思う。遠州人は「浜松は政令都市に指定された大都市だ」とか言って、浜松は東京・名古屋・大阪と並ぶ大都市だとか言いたがるのだが、「はあ? 浜松て、静岡・豊橋・岐阜の仲間と違ったのお?」と思うのだが、言うと怒りよるので、「そんなもん、東京や大阪の誰が浜松を東京・大阪と並ぶ大都市やなんて思うとるんや、そんなアホなこと」と思っても、逆らうとうるさいから黙っておいた方がいい(^^)/  2000年代、千葉県の某社にいた時、「千葉市は政令都市なんだから」などという人がいたので、「え~え? 千葉市なんて、水戸・宇都宮・前橋・甲府の仲間とちゃいますのん?」と言ったところ、「失礼な」と言われたのだが、むしろ、その文句こそ水戸・宇都宮・前橋・甲府に失礼ではないか・・と思う。)
  大阪府北部にあった摂稜高校が早稲田大学と提携して「早稲田大学摂稜高校」になった時、「上位3分の1の成績の者は早稲田大学に内部進学で行ける」という話だったが、その際、週刊誌に、早稲田大学の人間は、早稲田大学というのは「東大の次の大学」みたいに勝手に思っとるけれども、そのあたりの意識が関西の人間の意識とギャップがあり、関西の人間は早稲田大を「東大の次の大学」なんてちっとも思っていない、せいぜい「関関同立と同じくらい」か「もしかすると、関関同立よりもちょっとだけ上かもしれん」くらいにしか思っていない、というのを早稲田大学の人間は理解していない、と出ていた。1980年代、私が慶應大学に在学した時、「関西慶應義塾高校を作ろうではないか」という話があると聞いたことがあるが、「そんなもん作っていったい誰が行くねん!」と関西出身の人間は誰もが言っていた。(高校だけではなく小学校から高校まで作れば「社長の息子」か「医者屋の息子」か「パチンコ屋の息子」で行く人間がいるかもしれんが。)それが、さすがに東大の場合は日本全国万能か・・・みたいに大阪にいた時は私は思っていたのだが、東京圏に住んでみると、必ずしもそうではなく、東大は全国大学ではあるけれども、《「東京圏大学」の性質もある全国大学》である、ということを知った。だから、私の場合はあの家を出たかったのだが、考えようによっては、「全国大学ではあるが、関西を中心とした西日本大学の性質もある大学」である京都大学ではなく、「全国大学ではあるが、東京圏大学の性質もある大学」である東京大学に、関西人があえて行く必要はないのではないか、という考え方もある。慶應は「全国大学ではあるが、東京圏大学の性質もある大学」であり、一般に、東京圏と関西圏では関西圏では東京圏におけるよりも評価は低いが、その点、東大は関西圏でも評価は高いのだけれども、しかし、それでも、性質として「東京圏大学」の性質も持っている。アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』(奥田俊介・倉本護・猪狩博訳。1975.4.10.角川文庫)には、「METROPOLIS 首都」として「いなか根性の砦」と書かれていたのだが、実際、東京圏にしばらく住んでみると、たしかに東京には「いなか根性の砦」みたいなところはあると思う。フランツ=ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房)にも似た記述があった。横浜市港北区の日吉駅の西側、慶應日吉キャンパスと逆側に山村書店というのがあって、1980年代、そこで、慶應大学鉄道研究会編だか著だかの本で『シティ電車』などという題名の本が置かれていたのを見たことがあるが、《なにかと「シティ」とか言いたがるシンドローム》の人間が慶應の人間には多いのだが、そのあたりにも「いなか根性」が出ていると言える。関西人にはそれに気づく人間が他の地域出身の人間よりも多いのではないかと思うし、それに不快感を覚える人間も多いのではないかと思う。福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか田舎の住人とか田舎の出身という意味の『いなかもの』は別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、実際、慶應の人間には、なにかと「シティ」とか言いたがる「精神面がいなかもの」が多いと思う。特に内部進学の人間には多い。(もっとも、こういうことを言うと「慶應心理学」から、「わざわざ無理して逆らっている」とか「診断」され、その原因として「未成熟」だからとか、「モラトリアム人間病」にかかっているからとか、なんちゃらかんちゃら症候群だからとか「診断」され、「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる危険もあるので、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・・。彼ら、「慶應心理学」は慶應内部進学を正当化するためなら何でもやる。)佐賀県出身の大隈重信は、地方の若い人は、生れた土地でそのまま育って成人して学校も地元の学校を卒業するよりも、大学は東京か関西の大学に行って生まれた場所とは異なる場所で過ごす経験を持つべきだと言って、それで東京に早稲田大学を作ったらしく、それゆえ、早稲田大学は慶應大学などに比べると昔から地方出身の人が多いらしく、それを「野人(やじん)」(≒いなかもの)と言っているという説があったのだが、言われてみると、そうかもしれないところがあるかもしれないが、「何かと『シティ』とか『タウン』とか言いたがる症候群」の「いなかもの」が一番多い大学は慶應だと思う。東大は全国大学ではあるものの「東京地方大学」の性格もあるということに気づかない東京もんというのは、「いなか根性」の人間、「精神面がいなかもん」かもしれない。このあたりも、予備校の運営者は受験生に説明してあげた方がいいのではないか、と思うが、YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)には、そういうことを説明しようという姿勢もなければ能力もなかった。
(3) それだけではなく、YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井は「滋賀大学の経済学部は、滋賀大学みたいなもんと思うかもしれませんが、彦根高商(彦根高等商業)の伝統のある大学ですから高く評価していい大学です」などと言い、それは、確かに滋賀大学というと地方大学のように聞こえても、滋賀大学の経済学部というのは、彦根高等商業の後身であり、「地方大学の経済学部」としては評価は高いのだけれども、「滋賀大学の経済学部は元彦根高等商業である」かもしれないが、「元彦根高等商業であっても東大でもなければ京大でもない」のであり「阪大でもなければ神戸大でもない」のである。 「彦根高商としての歴史がある」とか藤井は言うのだが、それならば、歯学部の場合は医学部と違って、歴史的に見れば私立大学の方が歴史がある場合が多く、たとえば、大阪大学歯学部と大阪歯科大学ならば大阪歯科大学の方が「歴史がある」のだけれども、それならば、大阪大学歯学部と大阪歯科大学と両方通ったら「歴史がある」からと大阪歯科大学の方に行くか? そうじゃないだろ。大阪大学歯学部の方に行くだろ。建築学科は今でこそ「バカでも入れる私大の建築学科」というのが全国にゴマンとあるが、杉山英男『地震と木造住宅』(丸善)によると、明治の終わりの時点では東大・京大と早稲田大の3つ、大正の終わりでも、東大・京大・東京工大と早稲田大・日大の5つにしかなかったのであり、「日大、日大と言うけれども、建築学科は歴史があるんだぞお」と言う「日大のおっさん」というのがいるのだけれども、それはそうだろうけれどもだ。日大の場合は、福島県郡山市の工学部と千葉県の理工学部と生産工学部の3つに建築学科があって、そのどれのことかよくわからんのだが、たとえ、「歴史がある」としても、東京圏において、日大の建築学科が「歴史がある」としても、日大の建築学科よりも歴史が浅い千葉大工学部建築学科とか東京芸大美術学部建築学科とかと日大の建築学科の両方に通ったとして、日大の方が「歴史がある」から日大に行くかあ~あ? 別に日大をけなすわけでもないが、普通、行かんだろうが。千葉大の建築学科なり東京芸大の建築学科なりの方に行くだろうが。実際、私が高校を卒業した1970年代後半においては、大阪大学卒の社長の数と神戸大学卒の社長の数なら、元 神戸高等商業である神戸大卒の社長の数の方が多かったが、今では、旧帝大の大阪大学卒の社長の数の方が神戸大卒の社長の数よりも多くなったらしいし。大阪大学はもともとは大阪高等工業であり、元神戸高等商業の神戸大が経済学部から始まった大学であるのに対して、工学部から始まった大学であり、大阪大学の法学部・経済学部は歴史が浅いというけれども、それなら、大阪大学経済学部と「彦根高商の歴史がある」滋賀大学経済学部なら、もし、どちらでも行けるのなら滋賀大学経済学部の方に行くかあ? 1978年の入試まで一期校・二期校の制度があった時、大阪大学は一期校で滋賀大学は二期校だったはずだが、両方受けて大阪大学経済学部と滋賀大学経済学部の両方に通ったとしたら、「彦根高商の歴史がある」からと滋賀大学経済学部の方に行くかあ? 行かんだろうが。大阪大学経済学部の方に行くだろうが。 まったく、この藤井という男は、次から次へと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ てものだ。
  最近、国公立大学の合併があちらこちらでおこなわれていて、大阪外国語大学は大阪大学外国語学部になったが、他にも、一橋大学・東京工業大学・東京医科歯科大学・東京外大・東京芸術大学・お茶の水女子大の6つが合併しようとか、それが成立すれば東大に匹敵する大学になるとかいう話とか、成るかどうかわからんが、いくつも、合併するとかせんとかの話があるのだが、もしも、彦根高等商業が大津の教育学部とくっついて滋賀大になるのではなく、京大とくっついて、京都大の経済学部と別に京都大学産業学部とか京都大学商学部とかになっていたならば話はまた別かもしれないが、「京大東大文系クラス」という名前をつけた所に来ている人間に向かって、「滋賀大学の経済学部はいいんだからなあ」などという口をきくということ自体が非常識だということが、この藤井という男は理解できていなかった。「普通に考えて」、京大東大文系クラスといった名前をつけたクラスに来ている人間でも、京大なり東大なりに行こうとしたとしても、思うように成績が伸びず大阪大あたりに目標を修正する人は出てくるかもしれないし、中には、「ここは恥を忍んで」神戸大にしようという人だって出てくるかもしれないが、「滋賀大の経済は元彦根高商でいいんだぞお」などという文句は、それは、地方国立大学あたりに行こうと最初から考えていた人にとっては、それならば、他の地方国立大学ではなく滋賀大の経済学部を受けようかという思考はあるかもしれないが、京大東大文系クラスという名称をつけた所に来ている人間に、「滋賀大の経済というのは元彦根高商でいいんだぞお」などと言っても(滋賀大学の経済学部は元・彦根高等商業で、彦根高等商業というのはけっこう評価は高かったということは今更教えてもらわなくても知っているけれども)、選択枝にそのようなものはない。バカにすんな! と思うだけだろう。「滋賀大みたいなもんに行かされるくらいなら、大学なんて行かない方がよっぽどいい」と思うか「滋賀大みたいなもんに行かされるくらいなら、腹かっさばいて死ぬわ」と思うのではないか。浪人なんてしなくても、高校を卒業する年でも、少なくとも神戸大くらいなら合格できた可能性が高いという者に、「滋賀大はいいんだぞお」などという口をきく男というのは、その無神経さというのはどこから出てきているかというと、それは「亜拓大東帝国」あたり卒の男が「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と学歴詐称しまくりというその根性から出てきている。それは、最終的に合格できたか否かにかかわらず、自分自身が東大や京大を目指して努力したことのある人間の口から出る文句ではない。 「京大東大文系クラス」という名称をつけて、京大や東大を受けた人間を集めて、次の年にそれより下の大学を受けさせれば合格する可能性が大きく、それを「YMCA予備校から滋賀大に〇人合格」とやってやればYMCA予備校の評価が上がる・・・と考えたようだが、実際には、その卑劣なやり口の方が知られるようになるのではないか・・と思ったら、私が思ったように、YMCA予備校の評価は下がって、そして・・・、つぶれた
  1970年代後半、北野高校の2年の時、「倫理社会」のA先生が「2年の3学期になったら、もう、馬車馬のように勉強しないといけませんよお・・・。女の子は別やで。女の子は勉強せんでよろしい。女の子は短大に行くのが一番ええわ、金蘭短大がええ。あそこやったら、元北野高校の先生がいっぱいおるから電話1本で決まる。女の子は金蘭短大に行くのが一番ええ」と言い、「昔、3年生の担任もった時に、担任した女の子にこれ言うてえ~らい怒られた。『私、金蘭短大なんか行くために北野高校に入学したのと違います!』て。えらい怒られた」・・と冗談みたい、というのか、冗談だと思うのだが言うておったことがあったのだが、その「冗談」を冗談ではなく無神経に「ガイダンス」だと称してマイクに向かって男に言うのがYMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井という男だったのだ。誰も、「滋賀大みたいなもん」に行かされるために浪人したのとは違うのだ。この場合、「みたいなもん」というのは滋賀大がいいとか悪いとかいう問題とは別である。京大東大文系クラスの受講生に向かって、「滋賀大はいいんだぞお」などと言っても、ひとをバカにしている以外の何物でもない。高校を卒業する年、いくらなんでも、どこそこくらいなら通ったのではないか、と思われる所よりも二回り以上下の大学を受けさせれば合格する可能性が高いので、二回り以上下の大学を受けさせて合格させれば「YMCA予備校から合格」ということにできて、YMCA予備校の評価が上がって予備校屋としての営業戦略として正しい、と事務職員(自称「主事」)の藤井は考えたようだが、それではYMCA予備校にメリットがあったとしても、受験生にとってはマイナスばっかりで何のメリットもないのである。
  関西では、「最も女性にもてる」と言われていた大学は関学だったのだが(あくまでも「言われていた」であって、実際にどうかはそれは知らんぞ。昨年、あおり運転でつかまったアホなおっさんの出身校やぞ)、それならば、京大合格者数1位の高校に入学した高校生に「関学いいぞお、関学。女の子にもてるぞお~お」などと言ったとして、「それなら、関学に行こうかな♪」などと思うか? 誰も思わんだろうが。「ああ、そう」でおしまいだろうが。「しょーもない冗談」としか思わないだろうが。我が家の近所の息子で、私より5つちょっとくらい年下だったやつで、北野高校から3年浪人して東大の理科三類(医学部医学科に進学するコース)に行ったやつがいたが、うちの母親が言うには、さすがに3浪目となると精神的にもまいっていた・・ように見えたらしく、「一生懸命、勉強する子やのにからに、3年も浪人させてかわいそうに」だのと言うので、あんた、俺が浪人中に俺に言ったことと、よその息子について言うことと、言うことが全然違うじゃねえかよお! と思ったものだったが、その東大の理科三類に行くんだということで3浪していたやつに、「おまえ、東大の理科三類なんか行くよりも、関学に行った方が女の子にもてるぞお。関学いいぞ~お、関学。関学に行けよ、関学に。東大理科三類なんか行くより関学の方がもてるぞお~お」とでも言ってやれば良かったか? たとえ、言っても、それは冗談にしかならないのではないかと思うのだ。その「冗談にしかならないこと」を本気で言うのがYMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井だったのだ。無理矢理、聞かされたが、こんな「ガイダンス」は聞いても害がある、と思ったが、「聞いても害があるガイダンス」を無理矢理聞かせて受験生から時間を奪うというのがYMCA予備校だった。そういうことをやっている予備校は・・やっぱり、つぶれた。
  「京大東大文系クラス」と名前をつけて学力の高い浪人生を集めて、翌年、高校卒業時に受けた所よりもずっと下の大学を受けさせれば合格する可能性が大きいので、そうすれば「YMCA予備校から滋賀大に〇名合格♪」とか言って宣伝できてYMCA予備校にとってプラスになる・・というYMCA予備校の「戦略」は、それはYMCA予備校にとってプラスになると思ったかもしれないが、受験生にとっては明らかにマイナスになるものでプラスになるものはないのであり、「顧客のためをまったく考えない、予備校屋が業者の利益だけを考える身勝手なやり口」であり、そんな商売がうまくいくとは思えなかったし、実際、うまくいかないから、だから、YMCA予備校はつぶれた。

  「そこなら高校卒業する時点で通った可能性が大きい」と思われる大学よりも二回りほど下の大学に浪人生に受けさせれば合格する可能性が大きいので、それを「YMCA予備校から、YMCA予備校のおかげで合格」と叫びまくれば、YMCA予備校の評判が高くなって、予備校屋としての商売にプラスになる、とYMCA予備校の藤井らは思っていたらしいのだが、そうではなく、YMCA予備校がやっていることが事実を事実として話は伝わり、むしろ、評価は下がったのではないかと思われる。だから、つぶれた。そんな予備校は受験生にとっては何にメリットもない。

  又、YMCA予備校が実施した「作文のテスト」というのは、
(1) 「作文のテスト」であれば、文章構成や話の展開方法、表現力などを採点するもののはずが、YMCA予備校の「作文のテスト」はそこに書いた内容について、いいか悪いかを「採点者」の主観で採点するもので、「作文のテスト」ではない
(2) 最初に強制的に受けさせられた「適性テスト」「心理テスト」とともに、又、YMCA予備校高槻校京大東大文系クラスの事務職員(自称「主事」)の藤井が「どんな本、読んでるんだ。見せてみろ」などと言って、読書内容を調査したものとともに、思想調査の一環であった、ということがわかった。
・・ということも述べた。

  今、振り返っても、YMCA予備校というのはけしからん予備校だったと思う。これは私だけが感じていたことではなく、YMCA予備校高槻校京大東大文系クラスに来ていた人間で、私以外にもそれを感じた人間はいたようで、「YMCA予備校の高槻の主事というのは、なんか、嫌なヤツらしいな~あ」という話を思わぬところから聞いたりもした。YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井は、たとえば、昨年の受講生の悪口を今年言い、今年の受講生の悪口を来年言い、来年の受講生の悪口を再来年言い、ということをすると、「勝ちはYMCA予備校の勝ち、負けは受講生の負け」とすることができて、結果として、YMCA予備校の評判が上がり、それが予備校業としての商売上プラスになる、と思っていたようだが、そういう広まり方をすることもあったかもしれないけれども、そうではなく、YMCA予備校がそういうことをやっているということを事実を事実として理解した人間の話が広まることもあったのではないか。
  そもそも、昨年の受講生の悪口を今年言い、今年の受講生の悪口を来年言い・・・ということをやった時、悪口を言った人間の知り合いがそこにいる可能性だってあるわけだが、そういうことを考えないのかと思うのだが、藤井という男は考えないようだった。なにしろ、彼は「敬虔なクリスチャン」であるから、「神の加護」が彼の上にあるのであろう。しかし、我が家の場合は、この藤井という男がやっていることはどう考えてもおかしいし、それは一度、おかしな態度・言動があったというだけではなく常におかしいのであり、それを私が何度も手を変え品を変えして理解してもらおうと努力したけれども、それでも、父は「専門家の言うこと、専門家。専門家、せんもんか、センモンカ、専門家、せ~んもお~んくわあ~あ!」と言い、母は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人ではない」だの「あの人は、YMCAで主事をやっているくらいだから、クリスチャンはクリスチャンでも並のクリスチャンではない。特別にえらいクリスチャンのはずや」などと言ってきかなかったのだが、〔1959年に実際にあった殺人事件をもとにした話である〕松本清張『黒い福音』(新潮文庫)では、教会という所では、神父、とくに白人の神父に対しての信頼は大きく、神父が間違ったことをするかもしれないなどと考えるというのは、それは信仰上、許されないと考える人が多く、特に婦人の信者にはそう考える人が多かったという話が出ているが、そして、実際は『黒い福音』に登場する神父は決して立派な態度ではなかったのであるが、カトリックにおいてはローマ法王は「神の代理人」という立場であっても、プロテスタントの教会においては牧師は「神の代理人」ではないのだが、それでも、私の母みたいに「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人ではない」などと「聖書なんてあんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん!」と毎日のように言いまくって「伝道」している男のことを言う人間もいるけれども、一般世間においては、そういう人ばかりではないので、「クリスチャン」関係者の間では藤井の「神の加護」は通じても一般人には通じないこともある。又、京大東大文系クラスというような名称をつけたクラスに来る人間というのは、他のクラスの人間とは違って、たいてい、学習法や受験術について、受講生の方が一家言(いっかげん)持っているのであり、そのあたりを藤井という男は実状を見誤った可能性がある。
  福島県いわき市に5年間、勤務したことがあるのだが、いわき市は私がいた1990年代、人口は36万何千人だったと思ったが、福島第一原発の後、人口は34万人とでていたのでわずかに減ったのかもしれないが、それでも、「東北地方では仙台に次ぐ2番目の人口の市」「福島県では最も人口が多い市で、県庁所在地の福島市や郡山市よりも多い」「東北地方では、郡山・秋田といわき市の3市だけが中核市に指定されている」という人口で、「平成の大合併」よりも前は「日本の市の中で最も面積が広い市」だったはずなのだが・・・、そのわりに、知っている人間と顔を合わすことが多く、これは面積は広くてもその多くは「山」であって、人間が移動する範囲はそれほど広いわけではないからかと思うが、それよりも、「友達の友達はみな友達だ♪」みたいな感じで、なんだか、市民全体が「友達の親戚の同僚の組内の友達」みたいな感じで、誰もが何らかの知り合いみたいな市だった。今もあるかどうかわからないが、JR「いわき」駅の近くに映画館があって、東京などでは「真面目な映画」の映画館と「日活ロマンポルノ」とかの映画館は別の場所にあるものだが、いわき市では隣みたいな所にあって、うかつにそんな所に入ると、「あんた、この間、あそこに入っただろ」とかぶうわあ~っと話が広まる・・とか、そうでなくても、「〇〇さん、この間、・・にいたよね」とか言われ、どこで誰に見られてるやらわからんという街だったのだが、その点、大阪府はそういうことはない・・・と藤井などは思っていたようだが、実はそうでもないのだ。なにしろ、相手にしているのは受験生であり、京大東大文系クラスというクラスだと、悪口を言う相手と同じ高校の出身の人間が、翌年、そこに来ることだってあるわけだし、別の高校の人間といっても、中学校は同じという人間がいる可能性もあるし、親戚に高校の先生がいる人間もいるわけで、別の高校の人間の口から出身高校の先生に伝わり、そこから伝わることもあり、受験が成功しても失敗しても、ともかく大学に入学すると、「YMCA予備校はどうでしたか」などと高校生やその親から意見をきかれることだってあるわけで、大学入学後、浪人して入った人間の間で予備校についての話題が出ることだってあるわけで、予備校に来る人間というのは大阪府民全体から均等に来るわけではなく、大阪府および周辺府県の住民の中でも特定の層から来るわけであり、都市圏にしては対象は狭いわけで、「YMCA予備校の高槻の主事って、なんか、嫌なヤツらしいなあ」という話もその「特定の層」の間に広まるわけだ。YMCA予備校および事務職員(自称「主事」)の藤井としては、そういう話が広まっていると思うと余計に自分を正当化しようとして、前年・前前年の受講生の悪口を言いまくるようになるようだが、それがまた広まったのではないか・・・と思う。
  但し、YMCA予備校の藤井が前年の受講生の悪口を今年言い、今年の受講生の悪口を来年言い・・・ということをやった時、受け取り方は2種類あったようだ。
(1) 私は、どんな人か知らないけれども、まがりなりにも自分の所の予備校に来て受講料を払ってくれて、それが藤井らの給料になっていた人に対して、「文学的素養がないから落ちたんだ」だの「人間性に問題がある人間は落ちるんだ」だのと、よくも、そこまで言うものだと思ったのだが、この人、こういうことを言うということは、来年、俺のことも同じように言うということか?・・・と思ったのだ。私以外にもそう思った人間はいたのではないかと思う。
(2) しかし、そうではなく、エスカミリオもいたように思う。 エスカミリオというのは、ビゼーのオペラ『カルメン』に登場する闘牛士の名前である。私が中学生の時、「オーケストラがやってきた」というテレビ番組があって、山本直純が司会をしていたのだが、山本直純はエスカミリオのことを、「闘牛士というのは当時のスターでして、今で言うとプロ野球の花形選手、長嶋みたいなものですね」などと言っていたのだ。その「長嶋みたいなやつ」というのがいたのだ。すでに他の稿で述べたが、『カルメン』でもメリメの小説『カルメン』は名作だと思うが、オペラ『カルメン』になると小説『カルメン』とは話はまったく別のものであり、音楽は良くても話はくだらない。
  『美味しんぼ(おいしんぼ)』で登場人物の山岡士郎が「オペラなんて、話は無茶苦茶」と言う場面があったが、そのオペラにもよるが、特にひどいものとしてモーツァルトの『魔笛』を山岡はあげていたが、実際、『魔笛』というのは話の筋なんて無茶苦茶であり、「夜の女王のアリア」だけ聴いておけば他は要らんのではないかという気がする。プーシキンの戯曲『ボリス=ゴドノフ』をもとにしたムソルグスキーのオペラ『ボリス=ゴドノフ』も、戯曲では最も重要な意味合いを持つ最終場面がオペラでは内容が変えられてしまっている。プッチーニの『蝶々夫人』なんて、どう考えても、日本人を馬鹿にしているとしか思えない。あれを日本を題材としたオペラだからと上演したがる日本人がいるが、その神経を疑う。むしろ、欧米人が上演するのをやめろとまで言わないとしても、あの「国恥オペラ」は日本人は上演すべきではないと私は思っている。少なくとも、こういったことをまったく考えたこともない日本人の音楽家というのは、それは音楽家と言うに値しないと私は思う。
  ビゼーの『カルメン』もまた話の筋はくだらん話である。知らん人も中にいるかもしれないので説明すると、オペラ『カルメン』では、ホセという男(言うまでもないことだが『あしたのジョー』の矢吹丈の対戦相手のホセ=メンドーサとは別人である)が、カルメンという蓮っ葉な女と仲良くなるのだが、そのうち、カルメンは闘牛士のエスカミリオの方に魅力を感じ、ホセに決別を告げて、なんとか自分への思いを捨てないでほしいと哀願・懇願するホセにホセからもらった指輪を投げつけると、ホセは切れてカルメンを殺す・・という、なんというのか、そりぁ、ホセとしては面白くないかもしれないが、面白くないとしても、だからと言って殺すかあ~あ・・・、そういう蓮っ葉な女に魅かれたのは自分だろうが、けしからん女だと思ったとしても、そのけしからん女に惚れ込んだのは自分だろうがてところで、まあ、10代後半から20代前半くらいのにーちゃんがやるのならまだわかるが、なにしろ、オペラというのは40代とか50代とかのおっさん・おばはんが演じるものだから、しかも、それを盛り上げようとして、一生懸命、歌を歌い演技をするものだから、余計にこっけいに感じる。それがオペラ『カルメン』なのだ。なんか、あほくさい話である。かつ、カルメンは、最初、ホセに色目つかったくせしやがってからに、そのうち、「もう、飽きてきたわあ」てもんで、次はエスカミリオの気を引こうとしだすわけで、そうすると、闘牛士エスカミリオ、別名「長嶋みたいなやつ」は、大人の男なら、はて・・、もしも、俺がこの女とつきあったりすると、いずれ、自分もまた、このホセというみじめな男みたいな立場に立たされるのではないか・・・、危ない危ない、この女は要注意・・と思うところではないか、それが大人の男と違うんかい・・てところでそうではなく、得意がって「闘牛士の歌」なんてのを歌うわけだ。なんか、アホな男2人とアホな女1人、アホ3人がおまえらいったい何やっとんねん・・て話がオペラ『カルメン』である。橋下徹が「クラシック音楽が好きだという人はインテリぶりたい俗物だ」といつだか言ったことがあったが、クラシック音楽が好きだという人、誰もが「インテリぶりたい俗物」ということはないと思うし、最初は「インテリぶりたい」というところから入ってもそのうち、クラシック音楽の真髄を理解するようになる人だっているかもしれないが、しかし、「インテリぶりたい俗物」でしかない人というのは現実にいると思うし、このあたりを考えもせず、オペラ『カルメン』をいい話だとか思っているおっさんもいるのではないかと思う。念のため、断っておくが、小説『カルメン』は決してそんな馬鹿馬鹿しい話ではない。小説『カルメン』は名作だと思う。・・それで、だ。説明のための前段が長くなってしまったが、オペラ『カルメン』の闘牛士エスカミリオみたいなやつというのが世の中にはいるわけだ。YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井という男が、一昨年の受講生の悪口を昨年言い、昨年の受講生の悪口を今年言いすると、それを聞いて、「へえ~え、そんなアホなやつがいたのかあ。俺なんかは、その点、そういうことはないからなあ」とか思い、自分は、翌年、悪口を言われるなどということはありえない・・・と勝手に決めつけて、そして、胸を張って「闘牛士の歌」でも歌うような、そんな男というのがいるのだ。ほんと。私はそういう男のことを「エスカミリオ」と呼んでいる。別名、「長嶋みたいなやつ」である。
※ 《YouTube-阪神ファンによるくたばれ読売(東京音頭)》https://www.youtube.com/watch?v=HEyGB5M-9K0
《YouTube-ビゼー 《カルメン》「闘牛士の歌」フィッシャー=ディースカウ 》https://www.youtube.com/watch?v=wHmN47vJEIA
  ・・ちなみに、小説『カルメン』にはエスカミリオという名前の男は登場せず、闘牛士ルーカスという男が最後の頃に登場するけれども、脇役の脇役であり、ホセがどうこうする前に闘牛士ルーカスは牛に踏みつけられて大怪我する。エスカミリオというのは、本来は「その程度の男」なのである。
  その「エスカミリオみたいなやつ」もしくは「長嶋みたいなやつ」というのも、現実にいたのである。まあ、世の中には、「エスカミリオ」はいるもので、そういう「つまんねえ野郎」を折伏しようとしても無理であるから、「アホはほっとけ」とするしかないかと思う。
  私の母は、私がYMCA予備校に行っていた時には、藤井のことを「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」などとアホなことを言っていたが、90を過ぎた今、京大の文学部に行こうとして受けて落ちて、2浪までしたけれども合格せず、二期校の宮崎医大に行ったという女性について、YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)で自称「クリスチャン」の藤井が、「文学的素養がないから落ちたんだ」だの「人間性に問題がある人間は落ちるんだ」だのと悪口雑言を言いまくったことについて、「かわいそうに。なんで、そんなことを言わないといけないの」と言うようになった。私も、本当にそう思う。なんで、そんなことを言わないといけないのか。その女性とは会ったこともないのでどういう人かわからないが、実際にどういう人であるかにかかわらず、まがりなりにもその予備校に受講料を払ってくれたお客さんであり、その人が受講料を払ってくれたおかげで藤井らの給料は出ていたのであるのに、そのお客さんに対して、「文学的素養がない人間だから模擬試験ではいい成績を取っていても落ちたんだ」だの「人間性に問題がある人間は落ちるようになっているんだ」だのと、直接本人に向かって悪口雑言を言うのも問題があるが、本人に言うのではなく翌年以降の受講生に、何人もがいる教室ででも言い、1対1の場でも言い、何度も何度も言いまくるというのは、そういう藤井の方こそ「人間性に問題がある」のではないのか、という感じがしたが、「人間性に問題がある」とともに、会社員として問題があるのではないかと思う。もしも、たとえその女性が「人間性に問題がある」人間であったとしても、何人もの人間を相手にして仕事をしておれば、いろいろな人がいるわけである。営業の仕事をしておれば、嫌な客だってあるだろうけれども、それをその相手に、これは困りますと言って態度を改めてもらおうとするのならともかく、別の人間に、こういう人がいて・・となんだかんだ言いまくるというのは、それは営業の態度としていいと言えないでしょう。YMCA予備校の経営者は、藤井に対してその態度を注意しないのか・・と思ったのだが、高槻校で一番上の立場の職員はその藤井だったらしく、あれが「一番上」か~い・・て予備校であり、そんな予備校はどうなったかというと・・・、つぶれた。今、大阪市天王寺区に、YMCAの高校ができたらしいが、そこではYMCA予備校高槻校で事務職員(自称「主事」)の藤井が言っていたように「聖書みたいなもん、あんなもの、絶対に読んではいかん。あんなもん、何一つとしていいことなんて書いてないんやから、あんなも~ん!」と教える教育をしているのだろうか。

( ↑ YMCA予備校高槻校 があった場所。大阪府高槻市八丁西町5番37号。今は、大阪医大 本部北西キャンパス となっている。)
  そういう「昨年の受講生の悪口を今年言い、今年の受講生の悪口を来年言い、来年の受講生の悪口を再来年言い・・とやらないとおれないシンドローム」の「病人」とともに、そいつの話を聞いて、「自分は言われることはない」と勝手に信じているエスカミリオもまたどうかと思うのだが、””エスカミリオ症候群””もまた、「この病気は簡単に治らない」というものである。 ・・いますでしょ、あなたの周りにも、自分はホセの立場にならされることはありえないと根拠もなく勝手に決めつけている「エスカミリオ症候群」の「患者」が・・・。
  ・・・まあ、あんまり、「◇◇症候群」「☆☆シンドローム」という「病名」を考案してつけまくると、””小此木啓吾レッテル製造症候群”” とあんまり変わらないことになりかねないので、ほどほどにしておいた方がいいかもしれませんけれどもね・・・。

  
  YMCA予備校の「作文のテスト」は、「作文のテスト」に名を借りた思想調査であったし、「京大東大文系クラス」の人が受けることが考えられる京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部、東大の文科1類・文科2類・文科3類とも京大・東大の二次試験にも共通一次試験にも「作文のテスト」はなかったし、目標修正した場合に受けることが考えられた大阪大学・神戸大学・一橋大学あたりにも「作文のテスト」なんてなかったし、私立大学で受ける可能性が考えられた慶應大学・早稲田大学にも関学・同志社・関大・立命にも「作文のテスト」なんてなかった。
  それなら、YMCA予備校は何のために「作文のテスト」なんてものをやっていたのかというと、思想調査であってそれ以外の何でもなかったのだが、思想調査としての「作文のテスト」ではなく、「論文」「小論文」であるならば、東大の二次試験の社会科2科目、「日本史」「世界史」「政治経済」は、「論述式試験」で、「・・について700字以内で述べよ」「・・・について800字以内で述べよ」という問題で、これは練習しないとなかなか書けないものだったが、YMCA予備校の「作文のテスト」は東大の二次試験の社会科の問題の内容とはまったく何の関係もない。対策にはならない。

  だから、YMCA予備校の「作文のテスト」は害こそあれ益になるものは何もなかったのだけれども、「論文」「小論文」の練習というのはやっておいた方がいい大学 学部というのはあった。それは、「地方の国立大学」だった。
 1978年に共通一次試験が実施され、同時に、それまで、一期校・二期校と国公立大学が試験日で2つに分かれていたのが、一期校・二期校の制度がなくなった。それと同時に、それまで、各大学で試験をしていたものを、ほとんど、共通一次試験の成績そのままを学科試験として、大学独自の試験では「論文」もしくは「小論文」を実施する大学、「論文」と「面接」を実施する大学というのがいくつも出現した。
  その「論文」「小論文」ていったい何なんだ? それは点数化できるものなのか? 大学 学部によって「論文」「小論文」の主旨は違うようなことを言っていたけれども、学力の試験と別に「論文」「小論文」を書かせるというのは、「適性を見る」などと言っても、そんな「論文」「小論文」で適性なんて見れるものなのか? 理学部・工学部などで、学力試験で、数学・物理・化学の成績がいい生徒が「適性がない」で数学・物理・化学の成績の悪い生徒が「適性がある」なんてことがあるのか? 
 「面接」というのは何をやるのか? 「人間性が悪い者は落ちる」のか? 「文学的素養がない人間は落ちる」のか? 「シェイクハンドラケットみたいなぺったんこの精神構造の人間」は通って、法隆寺宮大工の故・西岡常一棟梁のように「たとえ、どんなにえらい先生が言われることでも、それは違いまっせと思うたら言わにゃいかん」と考えるような人間は落とされるのか? それとも、「尊敬する人物は?」ときかれて、「レーニン」とか答えると落とされるのか? もしくは、「論文」「小論文」「面接」の部分を点数化して、2浪以上の人間はそこで現役の人間よりもマイナスの点数をつけられるのか? 2浪くらいまでならいいが、医学部などは30を過ぎて大学を受けるような人間はそこで落とされるのか?
   地方の国立大学で、「論文」「小論文」や「面接」の試験を二次試験で実施する大学がいくつも出現したが、その意味合いがどうもよくわからなかった。学力試験ならば、点数アップすることで合格に近づけることはできても、「論文」「小論文」は、できるだけわかりやすい文章で読みやすい字で書くようにするということくらいはできても、それ以上、何を気をつければいいのか。
  「面接」については、1980年頃、エール出版社から出ていた『司法試験合格作戦』という合格体験記で、その頃の(旧型)司法試験で、短答式試験⇒論述式試験に合格した者が受ける口述式試験(面接試験)では、「あせらず・黙らず・喧嘩せず」ということが言われたと書かれていた。「あせらず」はわかる。1970年代なかば、私は中学校3年の時に英検3級を受けて、学科試験は通ったものの、面接試験(試験官と1対1で会って、英語で質問されて英語で答えるというもの)では、無茶苦茶あがってしまって、かつ、試験官が日本人だったので、英語の質問に対して、つい「はい」と日本語で答えてしまったので、試験会場を出た時点で落ちてしまったと思い、結果は不合格だったということがあったのだが、その時など、無茶苦茶あがってしまった、というのが第一の敗因であり、「あせらず」というのは、これはわかる。 「黙らず」も、これもわかる。試験官の質問に対して、きっちりと答えられるか否かにかかわらず、黙らず何か言うようにした方がいいというのは、たしかにそうだろう。 問題は「喧嘩せず」というやつだが、喧嘩してどないすんねん! ・・て思うかもしれないが、司法試験なんて受けるような人間というのは、負けるもんかあ~あ・・・という気持になるやつが多いようで、その気持ちを弁護士にでもなった時に発揮するのならいいのだけれども、口述試験でそれぞれの法律の専門家・第一人者と言われる試験委員に対してでも、「負けるもんかあ~あ」という気持になる人がいるらしく、それはかえってよくない、という意味らしい。「負けるもんかあ」と闘争心を発揮するのなら、弁護士になって法廷で発揮すればよさそうなものなのに、弁護士として仕事を引き受ける場合は、「〇日までに〇十万円振り込んでください」と要求して、いったん振り込まれたと思うと働かない、「振込め詐欺」みたいなやつ、「着手金泥棒」みたいなやつ、そんな弁護士が、なぜか、司法試験の口述試験(面接試験)の時には「闘う」というのは、なんかようわからんのだが、そういうやつがいるらしい。相手はその分野の「第一人者」と言われる人なので、「第一人者」に勝つ必要はないのであり、「第一人者」に負けてもそれで不合格ということはなく、むしろ、「喧嘩せず」、殴り合いの喧嘩するわけでなくても、対決するような対応はしない方がいい、ということのようだった。 

  しかし、地方国立大学の「面接」というのは、(旧型)司法試験の「口述試験」とは事情は違ったはずだ。(旧型)司法試験の場合は、1980年代では、憲法・民法・刑法・商法と訴訟法が民事訴訟法か刑事訴訟法のどちらか1科目、法律選択科目が労働法・行政法などと訴訟法として選択しなかった方の科目から1科目、一般教養科目として経済学・心理学・会計学などから1科目の7科目について、それぞれの「第一人者」と会って、「第一人者」と言われる人から、口頭で質問されて、それに口頭で答えるというものだが、そういう「面接」とは違ったはずだ。
   会社に応募した時の「面接」では、基本的には、その会社でその仕事をやってもらうのにふさわしい人かどうかを見るということでのもので、私が過去に勤務したことがある某一条工務店などでは、「アホが採用やってるから、だから、採用すべき人を不採用にして、不採用にすべき人を採用にしている」と従業員の間で言われたりしていたのだが(念のため、断っておくが、私が言ったのではないからね)、そういう「面接」をする会社もあるだろう・・が、地方国立大学がやることにした「面接」はそういうものとは違うだろう。「なんか、こいつ、むかつく」⇒不合格 ・・なんてことでもないと思うのだが、それなら、何を目的としたものなのか?
   インテリアコーディネーター資格の試験では、私が二次試験に合格した1996年においては、1次が学科、2次が製図と論文だったが、私が最初に受けた1992年頃は、1次が学科で、2次が製図と小論文と面接だった。たしか、1994年まで、2次試験は製図と小論文と面接で、1995年から面接がなくなって製図と論文になったはずだ。 「面接」って何やるんだ? と思ったのだが、(株)一条工務店で、インテリアコーディネーターの試験に合格したという男Tがいて、「面接てどんなことするの?」と訊いてみたところ、「趣味は何ですかあ?」ときかれて、建築・インテリア関係の資格試験だから、「美術鑑賞」とか答えた方がいいかと思ったけれども、正直に本当のことを言った方がいいと思って、「プロレス見るのが趣味ですう」と言ったところ、「どういうレスラーのファンなんですかあ?」ときかれて、「獣神サンダーライガー」と答えたところ、「それはどういうレスラーなんですかあ?」と言われて、それで、こんなんでこんなんでこんなんで・・・と説明したそうで、「プロレス見るのが趣味」では不合格になったかと思ったけれども合格だった、と話してくれたのだが、そんな「面接」やってなんか意味あるのか? と思ったところ、そのすぐ後、二次試験から「面接」はなくなって、かわりに、製図の試験時間が長くなり、「小論文」が「論文」になってこれも試験時間が長くなった。そんな面接、意味ないのと違うのかと思ったのは私だけではなかったようだ。私が1次に合格した1995年、2次に合格した1996年の1年前から、二次試験に面接はなくなったのだが、ところが、二次試験から「面接」がなくなった1995年、1990年代前半に(株)一条工務店の東京事務所にいたOという女が合格しやがったのだ。くっそお~お、二次試験に面接さえあれば、Oの合格を阻止することができたのに。やっぱり、インテリアコーディネーターの二次試験から「面接」をなくしたらあかんわあ~あ・・・と冗談っぽく言ってやったことがあったが、「〇〇さん、なんか、Oに恨みでもあるんですか」と言われたが、そりぁ、ないわけないだろうが、あの感じの悪い女。あれは、やっぱり、面接で合格を阻止してやるべきだった、世のため人のため、インテリアコーディネーターの二次試験には「面接」は実施してOの合格を阻止しないといけない・・・と思ったのだが、こういうことを言うと、「ブーメラン」とか言って、その文句が自分にもかえってくる可能性があるかもしれんし、自分は絶対に大丈夫などと勝手に思い込む「エスカミリオ」にはなりたくないものだが、まあ、合格したという人間を見ると、中には「あいつ、面接で合格を阻止してやるべきだったのに。くっそお~お」と思う人間がいないでもない・・・(笑)。 地方国立大学の二次試験の「面接」はそれとも違うように思ったのだ。
  それなら、地方国立大学の「面接」試験て何なのだ?  北野高校の世界史のK先生は「入試というものは厳しいもので、点数のいい方から順番に合格であって、成績の悪い者が落ちるというのはしかたがない」と言われたことがあり、私も入試というものはそういうものだと思っていた。だから、「論文」「小論文」はまだしも、「面接」で合否が決まるというのは、会社の採用ならともかく、大学の入学試験においては適切ではないのではないか、と思った。もしかして、教授の息子は「面接」で満点つくとかあるのかあ? 自民党の幹部の息子とか後援会長の息子とかは高得点がもらえるとかあんのか??? とすると、それはけしからんことではないか。 そういうものなのか? 違うのなら、地方国立大学で「面接」を二次試験に入れた大学というのは何が目的なのか?
  私は、今、たぶん、こういうものだろうという答えを持っているが、自分が1浪の時はわからなかった。予備校というのは、そのあたりについて説明すべきだったが、YMCA予備校は「思想調査としての作文のテスト」は強制的に受けさせても、地方国立大学が実施する二次試験における「論文」「小論文」と「面接」の意味についての説明は何もなかった。それで予備校と言えるのか? そんなこと言っても、その制度になって1年目なのだからわからんだろうがと言うかもしれないが、それはおかしい。たとえ、その制度になって1年目であっても、予備校業をやってきた者ならば、もしかすると、こういうことではないか・・という推測はできないとおかしい。YMCA予備校はそれをまったく推測できなかったし、推測しようという姿勢すらもなかったわけであり、その点において、予備校と言えない予備校だった。

  私が、地方国立大学が共通一次試験と別に二次試験として、「論文」「小論文」かそれと「面接」を実施する大学がいくつも出現したその理由がわかる。たぶん、間違っていないと思う。
  ここで、考えておくべきこととして、県立医大というのは、その県で医者をやる人間を育成するために、その県が費用を負担して設立した大学であるから、できるだけ、地元の人間で地元で医者をやる人に入学して卒業してもらいたいと考えるもので、その大学により、奈良県立医大は奈良県の高校の出身者と他府県の高校の出身者で合格最低点に差がつけられているのではないか、と言われ、和歌山県立医大は他府県の高校の出身者でも合格しているようだと言われていて、それをYMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井は逆を教えていたのだが、「入試というものは、試験の点数で上から順番に合格というのが当たり前」という北野高校のK先生が言われた感覚からいくと、ズルというのか準裏口みたいというのかという印象を受けるが、その県としては、その県で医者をやる人を育成するために費用を負担して設立したのに、他府県の人間が入学して卒業後も他府県で医者をやられたのではたまったものではないことになるわけで、地元の人間の合格者を多くしたいと考えるその気持ちも「わかる」のだ。但し、それならそれで、受験生としては、受ける前にそれを明示して、そこに願書を出すべきか否か判断できるようにしてほしいところだが、はっきりと言えない事情もあったようだ。
  そういうことがあったりなかったりというのは、「公立大学」、県立・市立の大学の場合であって、国立大学ではないものだろう・・・と、私は最初は思い込んでいたのだ・・・が、実はそうでもなかったようなのだ。

  大学入試の状況については、東大なり京大なりにさっさと現役で通った人間よりも、かえって、浪人したり二浪したりした人間の方が実態を知る場合がある。もっとも、親が実態を知っている親とまるでわかっていない親とでは条件は全然違う。又、我が家の親のようにわかっていないくせに「わしほどえらい人間はないねんぞ、わしほど」「わしは世の中のことは何でも何でも知ってる人間」とか言って実際は何も知らんおっさんというのは、息子の方が感知してそれを話しても、なにしろ、「わしほどえらい人間はないねんぞ」と思っているから息子の言うことなんてきいてはならないという戒律を持っていて絶対にきかないので、そうなるとYMCA予備校の事務職員(自称「主事」)のエジキになることになる。そういう親とのつきあいには苦労したものだが、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子が「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそれを自慢にしていたのだが、父親というのはいた方がいい場合もあるかもしれないが、いるから苦労する場合もある、ということを理解できないというあたりは、父親のない娘にもいろいろあると思うが旧姓作野礼子の場合はそのあたりに問題が出ていた、と考えるべきなのかもしれない。
  遠藤周作が『わが青春に悔いあり』(1974.10.30.角川文庫)で、
《 で、浪人の本当の味がわかるのは二年目以後であって、一年ぐらいの浪人生活をやった手合が後年「浪人生活もいいものさ」などと偉そうなことを後輩に言うとるのを聞くと笑止千万である。・・》
と書いているが、私もそう思う。
  その「浪人の本当の味がわかる」二浪目のことだが、大阪市の某予備校に模擬試験を受けに行った時、どこかで見たことのある顔の男性と出会ったのだ。「あ~っ」と思うと向こうも思ったようだ。昨年、予備校の同じクラスにいた人間というのはどこかであるかはともかく、大学という所に入っているはずなので、模擬試験を受けにきているということはないはずだった・・・が、な~じ~かは知~らね~ど♪、いたのだ。「たしか、去年、YMCAにいたよなあ~あ」と。 そして、こちらが現役の受験生か1浪の人間なら教えてくれなかったのではないかと思うのだが、教えてくれたのだ。「二浪やろお~お。知ってる~? 俺、実は三浪やね~ん」と・・・・。これ、親しみを感じていいのかどうかわからんが、そういうことも、二浪以上したおかげで経験することだ。わざと経験する必要はないことだが、現役で通った人間はそういう経験もそういう時の感覚も知らんだろう。
  そして、二浪目の1月。大阪大学の豊中キャンパス・・といっても最寄駅は阪急宝塚線「豊中」ではなく「石橋」もしくは「蛍池」。私は石橋駅から行ったのだが、共通一次試験の会場が最寄駅は阪急宝塚線「石橋」駅、昨年10月から「石橋阪大前」駅と改称したらしいが、その「石橋阪大前」駅からちんたら歩いた先にある大阪大学の「豊中キャンパス」、別名「待兼山芋畑」で受けたのだが・・・、あれっ、なんか、知った顔がいるぞ・・・と思ったのだが、「知った顔」といっても、二浪して受けている以上は、同じ高校の人間で高校の時には1学年下だったやつとか2学年下だったやつとかで「知った顔」がいても不思議はないのだが、な~じ~かは知~らね~ど~♪、高校で1学年上だった男性がそこにいるではないか。あれ、あれ、あれえ・・・・。
  それで、その時に教えてもらったのだ。静岡大学工学部というのは、入学しても途中でやめていなくなる人間が大変多かった、ということを。 その男性、某さんは高校卒業時、大阪大学の工学部だったかを受けとったように思ったのだが、落ちたらしく、浪人もしていたように思ったのだが、浪人しても落ちたらしい。これは「あること」であり、いいだ悪いだ言う必要もないし言ってもしかたがない。ともかく、国立一期校を2年続けて落ちたらしいのだ。京大の工学部・阪大の工学部あたりを受けた人が落ちて浪人した場合、再度、京大の工学部・阪大の工学部あたりを受けた場合、早稲田大の理工学部あたりも受ける人が多い。そういう人が二期校で受けることが多かったのが、京都工芸繊維大学、それから浜松にある静岡大の工学部、それに信州大の工学部だった。静岡大学というのは、静岡県の県庁所在地の静岡市にある学部と浜松市にある学部があって、工学部は浜松市にある。早稲田大の理工学部も落ちたということは正直に言う人がけっこうあったのだが、「慶應の工学部は受けなかったのですかあ」と、京大の工学部・阪大の工学部に通ろうとする人なら、早稲田の理工学部は私立大学でもけっこう難関という話だが、慶應の工学部(現 理工学部)というのは、もともとは、藤原工業大学といって、慶應義塾の卒業生の藤原銀次郎さんという人が作った工業大学を慶應大学に合併させてできたもので、早稲田大の理工学部より歴史が浅く、慶應では理系では医学部、文系では経済学部が看板学部であって、「慶應の法学部には不定冠詞のa(ア)がつく」とか「慶應の法学部政治学科は、略して法政」とか言ったのだが、工学部(現 理工学部)も早稲田大の理工学部に比べると評価は少々低かったので、京大工学部・阪大工学部を受けたような人なら、早稲田大の理工学部も落ちてしまったということはあっても、慶應の工学部なら通ったであろうはずなのに、慶應の工学部に行かずに静岡大学工学部なんてのに行くというのはどうしてだろうか? なんて疑問を感じる人がけっこうおったのではないかと思うのだ。「どうしてだろうか?」なんて言ってもだ。「どうして」かは、だいたい、わかると思うのだが、それでも、本人に尋ねる人もいるわけだ。「慶應の工学部は受けなかったんですかあ」と。そうすると、多くの人間は「受けた」とも「受けなかった」とも言わず、「慶應の工学部なんか行ってもしかたがない」とか言うのだ。たいてい。そのあたりで、だいたい、どういうことか察するべきであったのだろうけれども、それでも、思った通り、口にする者もいるわけだ。「ええ、静岡大の工学部なら慶應の工学部の方がいいように思うんですけどお」とか、正直者は口にするわけだ。そうすると、「慶應の工学部みたいなもん、行ってもしかたがない」と言いよるのだ・・・が、まあ、そこまできく以前に推察するべきであろう。そういうことを言う人というのは、たいてい、落ちとるのだ。その「みたいなもん」を。あんまり、「・・みたいなもん」といったことは受ける前に言わない方がよろしい。うかつに口にすると、その「みたいなもん」を落ちるということが、実はけっこうあるのだ。京大の工学部・阪大の工学部あたりを受ける人間、もしくは東大の理科1類・理科2類を受ける人間というのは、早稲田大の理工学部・慶應大の工学部(現 理工学部)も受けとる場合が多いのだが、一般に、理工学部に関しては早稲田大の方が評価は高いのだが、「東大を受けたような人なら早稲田大の理工なんて当然通ったでしょうに、なんで、早稲田大の理工学部に行かずに慶應の理工学部にしたのお」なんて口に出して質問する人なんてのも、時々、いるのだが、それも、正面からきかずに、だいたい、わかるだろうから、察してやれよお~お・・と思うのだが、正面から質問する人というのが時々いるのだ。「慶應の方が早稲田より学費が安かったから」とか言う人もいるが、実際は、東大の理科1類か理科2類を落ちただけでなく、早稲田大の理工学部も落ちよった・・というケースはけっこうあるのだ。「ID野球 弱者の戦術」としての「戦力の集中」として、1973年、前後期制を実施したパリーグで、前期優勝の南海ホークスは、「後期は阪急に3つ勝つことができれば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という戦術で(だったのか、結果として、後期はボロボロだっただけなのか)、ともかく、後期は2位ですらない、3位といっても4位と同率の3位、勝率5割を1勝分だけ割った4割何分何厘という勝率の3位で、それでも、後期優勝の阪急ブレーブスとのプレーオフでは、3勝2敗で勝ち、年度優勝を勝ち取ったわけだが、その「後期は阪急に3つ勝てば、他は極端な話、全敗したっていい」というのは、プレーオフで阪急に3つ勝つことができれば、他は全敗でもいいということで、実際、後期は南海は阪急に1分け12敗と1つも勝てなかったのだ。それでも、プレーオフに勝った南海はルールにのっとり年度優勝であり、「ともかく、勝てばええんや」ということから考えるとそれで成功したわけだが、大学受験においても、「東大に合格できれば、極端な話、ほかは全敗したっていい」という姿勢でやって、それで、早稲田大の理工学部に落ちた時も「東大に通れば早稲田なんてどうでもいい」とか何とかえらそうな口をきいていると、東大にも落ちてもうたあ~あ・・・なんて人間が実はけっこういたはずなのだ。それでも、さすがに全敗はしなくて慶應大の工学部⇒理工学部には合格できて慶應大の工学部⇒理工学部に入学した、という人もいたわけだ。そういう人間が「ぼく、慶應の工学部なんか落ちるなんて思わなかったも~ん」とかえらそうな口をききよるのだ。だから、私は慶應大工学部在学中だったなんとかくんに言ってやったことがあったのだ。
「ちょっと知ってるう~う? ◇◇、アホやでえ~え」
「ええ~え、アホやった~ん。なんでえ~え?」
「東大おちたやんか」
・・・と。 これも若い人は知らんかもしれんが、今は昔、春やすこけいこ という女性漫才師が言うておったのだ。
「ちょっと知ってるう~う? 江川、アホやでえ~え」
「ええ~え、アホやったあん。なんでえ~え?」
「慶應おちたやんか」
・・・と。 その改訂版である。
さらに言うと、慶應大商学部に開成高校卒のやつがいたので、言ってやったのだ。
「や~い、落ちこぼれえ! 悔しかったら東大に通ってみろお~お!!!」と。
・・まあ、なんか知らんが、二浪なんてしてしまうと、自虐ネタみたいのがいっぱいできてしまって・・・、なんというのか・・・、まあ、いいか・・。
それで。東大の理科1類・理科2類なり京大の工学部なり阪大の工学部なりを受けて落ちたという人間は、たいてい、早稲田大の理工学部・慶應大の工学部⇒理工学部も受けとるわけで、「東大うけた」という人間で慶應大の工学部⇒理工学部に来ているやつというのは、ははあ~ん、早稲田大の理工学部も落ちよったなあ・・と推測するのだが、ところが、それを正面から質問する人間というのも、時々いたのだ。「東大おちたのなら、理工学部なら慶應よりも早稲田の方が評価は高いように思うんだけど、なんで、早稲田の理工学部に行かないで慶應の理工学部にしたんですかあ~あ」と。「なんで?」と言ってもだ。きかなくたって、わかってるだろうが・・・と思うのだが、きかれたやつがはっきりしないで口元でむにゃむにゃ言ってると、「なんでえ~え? どうしてえ?」と不思議でしかたがないみたいにきく人というのがいるのだ。「なんでえ?」なんて言っても、だ。まあ、言わぬが花というのか、自分がきかれる側の立場になって考えれば、なんで、そんなもん、きかれんといかんのじゃあ、大きなお世話だろうが、大きなお世話・・てところだが、悪気ではなく、真剣に質問する人というのがいるが、そんなもん、きかなくてもだいたいわかるやんけ・・・てとこだ。
  それで、東大の理科1類・理科2類なり、京大の工学部・阪大の工学部あたりを受けて落ちて、早稲田大の理工学部も落ちよったなあ・・・となると、それなら、「慶應の工学部(現 理工学部)なんて」というその「・・なんて」でも行くしかないか・・「なんて」思っていると、その「・・なんて」まで落ちたあ・・ということはあるわけだ。現役の時なら、ショックであっても、「捲土重来」とかなんとか言うて、翌年の合格を期するということもあるかもしれんが、浪人しても落ちたとなると、これ以上は浪人したくないと思うと、二期校の制度があった時代には、二期校で受けた大学の静岡大工学部でも行くかあ~あ・・・と思って入学する人がけっこうあったらしいのだ。
  ところが。阪神タイガースから南海ホークスにトレードの話が出た時、江夏は「誰が南海になんか行くかあ」と言い、野村のじいさんが「『南海なんか』とは、それは南海に失礼やぞ」と言うたというのだが、この発言は、別に南海ホークスが気に入らないということではなく、なんで、自分が阪神を出されなければならんのだ、ということを言ったのだと思うのだが、静岡大工学部なんてのに入学すると、なにしろ、場所が浜松であり、最初は「まあ、しかたがないかなあ」とか思って入学しても、1週間経ち、2週間経ち、1ヵ月経ちするうちに、「なんで、こんな所におらんといかんのじゃあ」とか思い出すらしい。「そんなこと言うても、浪人しても国立大学も落ちたわけやし、早稲田の理工も落ちたんやし、慶應の工学部なんてそんなのまで落ちたんやから、しかたがないでしょう。自分が落ちたんやから」とか言われると、余計に、「浪人しても東大(京大、阪大)に落ちた。しかも、早稲田の理工も落ちた。それだけやのうて、慶應の工学部⇒理工学部なんてそんなのまで落ちた」という人間だという烙印押されてたまるかあ~あ! という気持になる。 「2浪しようが3浪しようが関係あるかあ」、「誰が『こんな所』にいるものかあ!」と思いだす人間が続出。さらに、まわりで、やめて出ていく人間が続出すると、「なんで俺だけがこんな所におらんといかんのじゃあ」と思い出して出ていく。 その結果、入学して半年も経つと、一緒に入学した人間の半分も残っていない・・・なんてことになるらしかった。「かった」というのは、共通一次試験実施前、一期校・二期校の制度であった時代の話だからだ。
  この「なんで、こんな所におらんといかんのじゃあ~あ」「なんで、浜松なんかにおらんといかんのじゃあ」という文句を聞くと、遠州人は怒りよるのだ。「『こんな所』とは何だあ」「『浜松なんか』とは何だあ。『なんか』とはあ」と。しかし、それは浜松という場所がいい所か悪い所かいう問題とは別の問題なのだ。他の用事で浜松に行くことがあったなら、「ここはなかなかいい所だなあ」と思う場合でも、東大の理科1類・理科2類とか京大とか阪大とかの工学部を浪人しても落ちて静岡大工学部には通ってそれで浜松に住んだ・・という場合には、たとえ、浜松という所が、けっこう風光明媚な所であっても、鰻がおいしい♪ 所であっても、スイカもなかなかおいしい♪ 所であっても、そんなことは関係ないのだ。「夜のお菓子 うなぎパイ」もけっこうおいしいのだが、「そんなもん、関係あるかあ!」てとこだ。「静岡大卒」なんて烙印押されて生きていけるかあ、こん畜生! とか思い出すのだ。それが、東京や京都・大阪の大学であっても、東大とか京大・阪大を落ちて行った場合には、「なんで、こんな所に」と思うのだが、場所が浜松となると余計に思うはずだ。それを、遠州人は「なんで、そんなわけのわからんことを言うのか。浜松はいい所なのに」とか言うのだが、だから、浜松が「いい所」かどうかとは関係ないのだ、この問題には。
  それで。出ていく者にとっては、出ていくと決めた時から、静岡大になんて未練はない。翌年、また落ちても、もう静岡大には来ないと思っている。しかし、出ていかれる側としては困るのだ。そんなにいっぱい辞められたのでは。
  北野高校の世界史のK先生が「入試というのは厳しいものであって、成績のいい者から順番に合格であって、成績の悪い者が落ちるのは当然のこと」と言われたのは、それはK先生が京都大学卒だからそういう感覚であったということもあると思う。京大でも、工学部や理学部にせっかく合格しておきながら、入学後に、医学部に行くんだとか言い出して再受験して出ていくやつとかが何人かいるのだが、いてもそれは少数派であり、全体から考えるとその割合は小さい。 東大でも、東大の理科1類・理科2類と慶應大の医学部を受けて慶應大医学部に通ったことから慶應大医学部に行って東大の理科1類・理科2類を辞退した人とか時々いるらしいが、それも、全体から考えるとその割合は大きくない。そういう場合は、たとえ、辞められてもそれでも大学は成り立つ。 それに対して、次から次へと出ていかれて、夏休みになったら半分も残っていない・・・なんてことになったのでは、大学としては、何とかしないと、大学として成り立たなくなってしまうことになる
  一期校・二期校の制度をなくしたというのは、一期校で東大の理科1類・理科2類、京大・阪大の工学部あたりを受けて落ちた人間が静岡大工学部などに行っても、その多くの人間が入学後に辞めてしまう、ということが一期校・二期校の制度を廃止した理由のひとつにあったようなのだ。
  これは何とかしないといけない、と静岡大だけでなく、地方国立大学の多くは思ったのではないか。
  それで、一期校・二期校の制度を廃止しただけでなく、共通一次試験実施とともに、学科については共通一次試験の成績でだいたいそれでいいとして、工学部の場合なら、二次試験では、共通一次試験でない科目、工学部だと、数学2B・3、物理2・化学2を実施するとともに、「論文」「小論文」で、もしくは「面接」をやって、実際にその大学に入学した後、その大学でやっていこうという気持がある人間を合格にしよう、ということを考えたのではないか、と思う。 その際だが、一定の枠を設けて、学力試験の成績が相当いい者については、入学しても辞めていく可能性があっても、その枠の範囲内の人数までは合格にするが、その枠を超えた分は、実際にその大学でやっていこうという気持がありそうな人間を合格にする、ということにした場合もあるかもしれない。 地方国立大学で、二次試験で「論文」「小論文」や「面接」が試験にある大学というのは、実際にその大学でやっていこうという気持のある人間を合格にしようという策ではないか、と思う。
  もうひとつ、1浪くらいまでなら問題はないのではないかと思うが、2浪以上になると、「論文」「小論文」「面接」の部分で採点が厳しいものになる可能性というのがありうるかもしれない。 法学部・経済学部卒で会社という所に勤める場合には、「2年遅れまで」なら特に問題はないが「3年以上遅れ」となると不利になると言われるが、医学部・歯学部の場合は「2年遅れ」と「3年遅れ」とではそれほど差はないのではないか、と思われ、実際、阪大の豊中キャンパスでお目にかかった某さんは阪大の歯学部に3年遅れで通ったわけだが、30過ぎて受験するような人の場合には、「論文」「小論文」や「面接」がある大学学部は、そこで低めの採点がされてしまう、という可能性が考えられないことはないのではないか、と私は考えた。
  そのあたりを、予備校は受講生に説明するべきだと思うし、「作文のテスト」と称して思想調査やるのではなく、こういう大学学部を受ける場合には、「論文」「小論文」ではこういうことを書くと合格しやすい、こういうことを書くと不合格になりやすい、という話をするべきだったのではないかと思う。それをYMCA予備校はそういった話はまったくしなかった。それを説明する能力がなかったのであろうけれども、予備校の能力がないのなら予備校やるな! ということになるはずだ。

  私が高校3年の時、「こいつ、東大に現役で通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落してやらんといか~ん」と言って、私が、夜、家で学習していると背後から服をつかんで後ろにひっくり返したり、箒でボコボコ殴ったり、私が使用していた部屋の電気のブレーカーを落として照明がつかないようにして学習できないようにしたり、高校から帰ってくるとインタホンのソケットを抜いてならないようにして、雨戸はすべて閉めて、家の中に入れないようにして、その上で高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん」と言うとか、そういうのは、結局、そういうことをやった後、それが直接の原因であるかどうかにかかわらず、高校卒業時には大学は落ちたのですから、それで気がすんだかと思うと、そうでもなく、浪人しても続きました。
  私が高校3年の時、母は「こいつが現役で大学に通ると、お父さんみたいに思いあがった人間になって、女を泣かせよるから、そやから離婚すんねん」と言ったはずでしたが、ところが、現実に私が浪人すると、「こいつが大学に通ったら離婚しようと思っていたのにからに、こいつが浪人したおかげでわたしは離婚できんようになってしもうた。こいつが私に離婚できんようにしよったんや」と言うのでした。
  精神的に困憊して、あの家をともかく出たいと思ったのですが、出ないとまともに勉強なんてできない状態でしたが、出るためには東大に通るしか方法がない。高校のクラブのOBの人で東大の文学部の哲学科に行った人があったのですが、私はその方のように哲学科かその周辺の学科に行って哲学か宗教学、もしくは心理学の研究者になりたいという気持があり、そうでなければ、法学部に行って司法試験に合格して裁判官か弁護士になるか大学の研究者になるかしたいとその頃は思っていました。しかし、母は、その東大の哲学科に在学して大学院に進学しようとしていた人のことを、「ああいうのだけはなったらいかんで」と言うのでした。母は私が小学生や中学生の時、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行ってつきたい仕事につけるようにと只管思って、それで、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていたはずでした。それならば、スポーツ選手になりたいとか画家になるとかそういう話になれば別かもしれませんが、そうでなければ、私が哲学科に行きたいとかいうことなら、応援してくれてもいいはずと思いましたが、考えが甘かった。最初から、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行ってつきたい仕事につけるようにと只管思って、それで、無理にでも勉強させようとするものなんや」などという発言は最初から嘘だったのです。最初から騙すつもりで言っていたのでした。
  父は、「会社は経済学部か法学部がええ」と言うのでした。しかし、私が会社に勤めると言ったことはない、もしも、法学部に行ったなら、司法試験を受けて裁判官か弁護士になるか、大学に残って法社会学などの研究者か、民法の家族法分野について、家族のあり方と民法の関係についての研究者になりたいと思っていて、大学に残るのでもなく、裁判官や弁護士になるのでもなければ、新聞社に勤めるか、国家公務員試験を受けて公務員になるか、そちらの方がいいと思っていたのです。公務員と民間企業なら公務員の方がいいと思ったのは、まず、第一にうちの父親を見て、ああいう人間にだけはなりたくないと思っていたからです。又、『新約聖書』の『福音書』には、取税人がイエスに「私たちはどうすればいいでしょうか」と尋ねたのに対して、イエスが「決められている以上に取ってはいけません」と語る場面があったと思いますし、「清貧」という言葉があると思いますが、「清貧」というのは働かないとかいうことではなく、学校の先生とか公務員とか(もしくは、牧師とか)そういう仕事の人が、決められているだけの給料で生活をして、地位を利用してもうけるなどそういうことからは遠ざかるようにして生活することを「清貧」と言うのであり、民間企業でいかにして利益をあげるかを考えるのとは姿勢が異なるわけで、どちらの思考の人間だったかというと、「清貧」の方の考え方の人間でしたので、公務員と民間企業とでは公務員の方がいいと思っていました。父は「子供ちゅうもんはやなあ。女が育てるものやねんぞ。心得違いを起こしてはならんぞ。子供は女が育ててやなあ、そんでもって、大きくなったら父親に権利があるわけや」と、そう言うのでした。その後さらに、「ナスビでもキュウリでもそうやろ。種が芽を出したのであって、畑が芽を出したのとは違うんや。種を畑に植えてやってやってあげてくださってもらっていただいてくださってやったやっていただいたお方のおかげで種が芽をだしたんや。そんで、種が芽を出したら、育てるのは畑の役目やろうが。畑が育てて、そんで、実がなるようになったら、その実は種を植えた者に権利があるんや。畑に権利があるのとは違うんや。ましてや、ナスビやキュウリに権利があるのとは違うんじゃ。心得違いを起こすなよ、ナスビ! わかっとんのんか、キュウリ! このチャンコロ!」と言うのでした。「会社のために、会社のために、すべてをすべてを会社のために」と言うのですが、そんなことされるために、小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も努力して苦労して勉強してきたのではないのです。何を言うとるんじゃと思いましたが、父はききません。「東京海上火災、東京海上火災、東京海上火災・・」と呪文か念仏か題目かみたいに唱えていましたが、それを聞いて、首をもがれても東京海上火災にだけは勤めてなるものかと思いました。「阪急電鉄ええぞ」とか言ったこともありましたが、そういう所に勤めさせられるのなら、あそこまで勉強する必要はなかったのです。よくそういうことを言うとあきれましたが、私があきれても、父親というものは息子に対して「所有権」があるので、命令して自分が好むようにさせる権利があると考えていたようでした。
  父は父親に「所有権」があると思っていたようでしたが、母親の方は「産んだ者に所有権があるんや」と言うのでしたが、どちらにしても、ナスビには自分自身に「所有権」はないようでした。小学校6年間・中学校3年間・高校3年間、努力して勉強すれば、行きたい大学の行きたい学部に行けてやりたい勉強をできると思い込んできましたが、それは幻覚だったのです。ない夢を追っていたのでした。1浪した年の終わり、田山花袋『田舎教師』を読んだのですが、その頃の私の気持ちに『田舎教師』の登場人物はぴったり合致していました。ロシア民謡の「ヴォルガの舟歌」が、その頃の私にとって、ぴったりのバックミュージックでした。挑戦してだめだったというのならともかく、努力だけしてきて挑戦させてもらえない、というのは情けなかった。
※ 《YouTube-【ロシア語】ヴォルガの舟歌 (Эй, ухнем) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=b4jxCRfHwd4
  1浪目の最後の頃は、「会社のために、会社の為に。死ぬほど働く、会社のために死んでも働く」と毎日毎日言われ続けて、もうどうでもいいわみたいな気持ちになっていたところもあります。YMCA予備校の事務職員(自称「主事」)の藤井はおかしなことばかり言う男で、それを指摘すると「きみのような上司に逆らう人間は会社員としては絶対にやっていけない」とか「きみは人間性に問題があるから文学部は受けても落ちる」とか悪態をつく人間であり(そういう口をきく人間の方こそ「人間性に問題がある」のではないかと思いますが)、私が「藤井という男は嘘ばっかりつくいいかげんな男だから、どうか、お願いだから、藤井の言うことはきかないで」と母に言うと、翌日の午前には私が母にそう言ったということが藤井に伝わっていたのです。どっちがどっちに電話したのか。いずれにしても、YMCA予備校の藤井という男は、つくづく、陰湿な男でした。本人の方が親よりも手ごわいと思うと、もろい親の方をだまくらかそうとするのです。「敬虔なクリスチャン」というのは、本当に嫌な人間でした。

   ・・・それで、1979年の入試から国公立大学に一期校・二期校の制度はなくなったのですが、中に応募者が少なかった大学学部があって、「二次募集」(「補欠の募集」)をやる大学があったのです。1979年、千葉大学の工学部と教育学部で二次募集がされたのですが、工学部の方に応募したのですが、学力試験は一切なく、共通一次試験の点数と、面接だけで合否が決められました。試験会場に行くと、なぜなのかわかりませんが、そこに来ている人の顔や様子を見れば、だいたい、どの程度の点数を取っている人なのか、二次募集より前に受けた大学がどの程度の所なのか、きかなくても、だいたいわかるのです。面接の前に、用紙が配られて、共通一次試験の点数の自己採点の点数を書けということと、その年、国立大学1つと私立大学2つを、受けた大学学部はどこで通ったか落ちたかというのを書かされました。それで、通った所を書いた方がいいのか落ちた所を書いた方がいいのか迷いましたが、とりあえず、通った所1つと落ちた所1つを書いたのです。共通一次試験の自己採点の点数は、自分は書いてもひとのものをのぞきこむわけにもいきませんが、用紙を集める時、隣などのひとの書いたものがチラッと見えるので、そのあたりを見ると、応募していた人は私よりずっと下の人が多いようだとわかりました。共通一次試験のできは悪かったのです。しかし、悪かったとしても、「京大合格者数1位の高校の出身者として、悪かった」「東大に合格しようとしていた者として、悪かった」のであって、共通一次試験の受験者全体から考えると、間違いなく真ん中より上ですし、千葉大の二次募集に来ていた人の顔ぶれを見ると、どう考えても私より成績は悪いだろうなあという感じの人が多かった。これなら合格になるかな、と思ったのですが、発表を見に行くと不合格でした。
  なんで、千葉大みたいなもん、落とされなければならないんだ・・・と思ったのですが、その後、何年か経って考えてみると、それが原因だったかもしれません。面接では、「他に通っている所があるのに、なんで、千葉大の工学部の二次募集に応募しようと考えたのですか」ときかれたのです。「他に通っている所」と言われても、それは「行きたくない所を受けさせられて、絶望的な気持ちで適当に書いたら通ってしまった所」であって、「行きたい所」ではないので、千葉大の工学部ならその方がまだましかなくらいの気持ちで応募したのでしたが、後から考えてみると、「面接」で、この人は《合格にして入学しても、そのうち、「誰がこんな所にいるもんかあ」という気持になっていなくなる人》だろうと見られたのではないか。だから、不合格にされたのではないか。 その可能性が小さくないように思います。共通一次試験の点数を見て、出身高校の名前を見れば、応募者の中では上の方だったと思うし、どう考えても千葉大の学生の中では上の方のはずだと思いましたが、むしろ、そういう大学に入学しても、そのうち、嫌になってやめてしまう人だろうと見られたのではないか。
  私は、国立大学において、そんな合否の決め方はないだろうと、その頃は思い込んでいたのです。北野高校の世界史のK先生が「入試というものは厳しいのが当たり前であって、入学試験の成績でいい者が合格で悪い者が落ちるのは当たり前」と言われたように、入試というものはそういうものであるはずだ、と思い込んでいたのです。ですから、「面接」というのは、余程おかしな人間でなければ、落とされることはないものと思い込んでいた。千葉大工学部の二次募集の「面接」では、「あせらず、黙らず、喧嘩せず」は実行できたはず、特別にあせらなかったし、黙らずに答えたし、喧嘩する必要はないし、面接担当者も喧嘩するみたいな話し方をされたわけでもなく、穏便に進行したと思ったのでしたが、一次募集なら「成績のいい方から順番に合格」でよくても、欠員が出たことからの二次募集ではそうではなく、合格にした時に実際に入学して、入学後もそこでやっていこうという気持のある人、というのを「面接」で見ていて、私は、この人は合格にして入学してもここで満足できない人だろうと見られたのではないか。なんか、そういう合否判定て、ズルというのかイカサマというのか、「大学の入試というものは、入試の成績で上から順番に合格で当たり前」と認識していた者からすれば、ズルかイカサマか「不正」という印象でしたが、一次募集ならともかく、二次募集では、合格にして入学させてもそこで満足できない人、そこに行くことに喜びを感じることができない人は不合格にした方がいいという判断がされた、のかもしれません。
  実際にはわかりませんよ。もしかすると、二次募集の人数はそれほど多いわけではなかったので、周りを見回したところでは、それまで受けてきた試験のまわりの人間と比較しても、そう高い点数の人間には思えなかったし、用紙を集める時に周りの人のものがチラッと見えた際も、すでに受けた大学も私よりずっと下の大学だったけれども、実際はけっこう高い点数の人が来ていたという可能性だってゼロではないかもしれません・・が、やっぱり、共通一次試験以外に学力試験を実施せず、すでに受けた所を書かせたものと、「面接」で合否を決めたというのは、それは「実際に来る人間で、入学後、卒業までいる可能性が大きい人間」を合格にしようというものだった可能性は小さくないと思います
  二次募集は欠員の補充としてのものでしたから、だから、合格にしても来ない人、入学してもそのうちやめる人は合格にしたくなかった、ということがあったのではないかと思います。もし、一次募集と同じことをやるのなら、一次募集と同様に学力の試験を実施して面接はやらなければよかったものを、学力の試験は実施せずに面接を実施したということは、合格にすると来る人、入学後も辞めない人を合格にしようとしたのではないでしょうか。実は、応募する前、千葉大の工学部に電話をして尋ねたことがあるのです。「入学後、転部することは可能ですか」と。すると、できるとかできないとかではなく、「そういう気持で応募されたのでは困るんだけどなあ」と言われたのでした。その際、こちらの名前は言わなかったと思うし、電話の逆探知をされたなどということはないと思いますが、「入学後、転部はできるのでしょうか」と質問するような人間だったわけですから、面接の際に、合格にしても、入学したとしても、この学部で喜んで卒業までいる人ではないだろう、と判断されたのかもしれません。
  私は「千葉大なんて駅弁大学だろうが」と思っていたのですが、一応、「元一期校」で、関東地方の国立大学では工学部は評価は低くない方で一般に埼玉大より千葉大の方が評価は高いらしく、建築学科などは評価は高い方ではないかと思います。もっとも、「日本で唯一、工学部に写真工学科がある」ということで、「カメラマンになる」と言って千葉大工学部の写真工学科に行く人が時々ありますが、ある時、千葉大卒の人にその話をしたところ、「ああ、あれね~え」と笑いながら言うのだった。「私の知ってる人でもそう言って写真工学科に行った人いるんだけど、卒業して何やってるかというと、警察で鑑識の係で、犯罪現場の写真の照合だかやってるわ」・・・と言われたことがあった。まあ、なんと言いましょうか。「カメラマンになる」と志して「写真屋のおっさん」になる人だってあるわけで、それだって別に悪いわけではないのですから、殺人現場の写真の鑑識やる人だって世の中に必要ですから、悪いことないですけどね・・・。その後、千葉大卒の人に聞いた話では、「医学部は別格」だそうですが、関東圏では、医学部と病院は、東大医学部帝国主義と慶應医学部帝国主義の2つの帝国主義医学部とその植民地医大・植民地病院からなっているらしいけれども、千葉県限定で千葉大医学部帝国主義の系列の植民地病院があるらしい。それだけに、千葉大でも医学部の人間は「千葉大のくせしてえらそうにしとる」。それで、千葉大というのはどこにあるかというと、千葉市だけれども、医学部だけ少々離れた場所、最寄駅としてはJR外房線・内房線「本千葉」、もしくは千葉都市モノレール「県庁前」で、それ以外はJR総武線「西千葉」もしくは京成千葉線「緑ヶ丘」。 それで、西千葉の方のキャンパスですが、東大の生産研究所というのがありまして、それが「隣接している」のならまだいいのですが、東大の生産研究所が千葉大のキャンパスの一角をぐいっとえぐりとるように存在しているのです。「いやあ、あれを見ると、ああ、やっぱり、千葉大って東大より下なんだなあ~あ、と実感しますよお」と千葉大卒の人が言っていたことがありましたが、ほんと、なんというのでしょうか、千葉大西千葉キャンパスは東京帝国主義大学に領土を侵略されたかのように東大の生産研究所が存在するのです。江夏が「誰が南海になんか行くかあ」と行った南海にトレードで行ったものの、すでに若い時のような力はなく、血行障害で50球を過ぎると球に力がなくなり先発では使えないという状態で、野村が救援投手に変わることを提案すると、「阪神からトレードで出されただけでも恥やのにからに、リリーフなんてそんな恥さらしができるか」と言ったと野村のじいさんが書いていたが、見ただけでも「東大より下の大学」なんて、二次募集でも応募するだけでも胸糞悪いのに、それを落とされたというのは、もう、生きていく必要ないのではないかというくらいの気持ちがしました・・・が、そんな気持ちの人間だから不合格にされたのかもしれない。
〔 東大生産技術研究所のホームページhttps://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/about/facilities/chiba/ を見ると、東大生産技術研究所は、駒場の東大駒場キャンパスの西、日本近代文学館の西、小田急「東北沢」駅の東のあたりにあり、生産技術研究所の「千葉実験所」が千葉市の千葉大西千葉キャンパスの一角をぐいっとえぐりとるように存在したが、2017年4月1日より、千葉県でも柏市の東大柏キャンパスに移転したらしい。〕
  それで・・・。 北野高校の世界史のK先生が「入試というのは厳しいのが当たり前であって、入学試験の成績で成績のいい方がから順番に合格で成績の悪い者が不合格になるのは当然」という考え方は、それはK先生は京大の出身だからそう思うのでしょう。京大ならば、そのやり方でいけるでしょう。 しかし、地方国立大学の場合は、そのやり方だと、合格しても来ない人間が出て、入学しても、そのうち、辞めてしまう人間が出て、その割合がそれほど大きくなければいいのですが、けっこう割合が大きい大学学部があるのではないか。そういう大学では、試験の点数だけでなく、合格した時に来る人間で、入学後も辞めずに卒業までいる人間を合格にしたい、という事情があるのではないか
  二次募集の場合ほどでなくても、地方国立大学にはそういう「事情」があるはずなのです。「論文」「小論文」や「面接」が二次試験にある地方国立大学というのは、合格になった時に実際に来る人間で、かつ、入学後、辞めてしまわないで卒業までいる人間を合格にしたい、というものがあるのではないか。だから、共通一次試験実施以後、二次試験で「論文」「小論文」と「面接」でそのあたりを見ようとした大学がけっこうあったのではないのか。そういう「論文」「小論文」の場合、文章力もあった方がいいことはいいとして、それよりも、その大学のその学部に行って入学後もそこでやっていきたいという気持であるということを示すようなものが書かれる必要があるのではないか。このあたりを予備校なら、受講生に説明すべきだったのではないかと思うが、YMCA予備校の事務職員(もったいつけて、「主事」などと名乗っていたが、実際は事務職員)はちっとも理解できていなかった。大学受験・大学入試について理解できていない人間が予備校屋やるなちゅうんじゃい・・と思った人間は私だけではないはずだ。・・だから、YMCA予備校はつぶれた。

  私は、浪人してしまい、二浪なんてものまでしてしまったが、その結果、こういうことを学んだ。何より、落ちることだって「あること」だと実感した。YMCA予備校の亜拓大東帝国あたりしか出ていない、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と学歴詐称しないとおれない男、それを言えば「ひとは言うことをきく」という信仰をもっている男が、なんで、予備校屋なんてやってるんだ。ほかの仕事についた方がいいのではないのか、と思うのだが、「ほかの仕事」でうまくいかなかったから、予備校屋やっていたのかもしれない。「洗礼」うけて「礼拝」にでて「献金」払えば「敬虔なクリスチャン」と認定してくれる「神」は彼を見捨てず、YMCA予備校で事務職員という職業をお与えになったが、そんな仕事ぶりの予備校はつぶれた。「神」は「敬虔なクリスチャン」を助けるためにならYMCA予備校をも犠牲にされたのである。藤井にとってはいい神さんだったということであろう。アーメン。

  「面接」の対応のしかたというのは難しい。慶應大学のある教授が、日吉の教養課程の講義で、「就職は人柄ですよ」と言われたことがあった。「私のゼミの人間の求職を見ていても、成績ではなく人柄だなあと思います」と言われたことがあった。それは、自分が採用する側の時であれば、「学業成績よりも人柄が大事」というのはわかります。しかし、自分が応募する側の場合ですと、体育会の人は「体育会の人間は学力はないが根性がある」などとおっしゃるのですが、その言い方みたいに「私は学力はないが人柄がいい」なんて言うわけにはいきませんでしょ。だいたい、「人柄」てどうやって判断するのですか? うちの父親などは、「そうや。人柄が大事なんや。わしいみたいな人間でないとあかんいうことや」とか言うのでしたが、なんか、アホがめでたいのお・・て感じがしました。父の勤め先の会社の社長が、中間管理職みたいなおっさんが「あのアホはどうしようもありませんわあ」と口にした時に、「アホはアホなりに使うたらええがな。それを使うのがきみの仕事と違うのか」と言ったというのですが、その発言はもっともかと思いますが、それを聞いて、うちの父親はこう言いよったのです。「そうや。さすがは社長。ええ~えこと言いはる。世の中、わしみたいなエライえらいエライえらい人間ばっかしやないいうこっちゃ。アホでも使ってやらんといかんいうことなんや。ええこと言いはる」とそう言いよったのです。なんか、めでたいおっさんやなあ・・と思いました。私なら、勤め先の社長が「アホはアホなりに使うたらええがな」と言いよったとすると・・・、はて、このおっさんにとって、俺はアホの方なのかアホでない方なのか、どっちであろうか・・・と考えるのだが、ところが、うちの父親はそうではなく、まったくためらうことなく、「わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらい人間ばっかしやないいうこっちゃ。ええこと言いはるわあ」とか言って喜んでおったのですが、アホがめでたいのお・・・と思いました。あのおっさん、絶対、アホの方に分類されていたのではないのか・・・と思いましたが、勝手に自分をアホでない方だと決めつけていた人でしたが、世の中、時々、そういう人がいますよね。「就職で大事なのは人柄ですよ」と言われても、自分が採用する側の時なら、たしかにそうだよなあ・・と思いますが、応募する側の場合、はて、俺って「人柄」はいいと評価されるのか、悪いと評価されるのか、どっちなんだろ・・・て思いませんか。「わしなんかは人柄がええねん」とうちの父親などは言いまくっていましたが、アホがめでたいのお・・・と思いました。自分では悪くないつもりでも、採用する側がそう思ってくれない可能性だってあるでしょう。違いますか。
  会社に応募する際の「面接」と大学の入学試験での「面接」とでは事情は同じではないと思いますが、「面接」で合否が決められるとなると、いったい、どういう「面接」力を発揮すればいいのか? ・・・そういうことを考えると、私は、会社に就職で応募する際に面接があるのは当然として、大学の入試で「面接」があってそれで合否が決められる大学というのは、面接を担当している人は「不正」をやるつもりはなかったとしても、どうも、その判断基準があいまいであり、だから、私は「面接」が入試にある大学というのはあまり好きではないし、「・・・について述べよ」とそれぞれの科目について「論述式」の問題が出るのはいいけれども、そうではない漠然とした内容の「論文」「小論文」が入試にある大学というのは、自分が受ける側であれば、あまり好きではないですね。わけのわからん基準で合否を決められるようで、通っても落ちても喜べない。

  思想調査のための「作文のテスト」はやっても、「小論文」「論文」が二次試験にある大学学部の場合にどう対処すべきか、「面接」が二次試験にある大学学部の場合にどう対処すべきか、という問題について、なんら対応できない予備校というのは、つぶれただけあって「つぶれる予備校」だったのかもしれません。
  私は、自分が東大の文科を受けた時、けっこういろいろやったものの、どうも、社会科(日本史・世界史)の「・・について800字以内で述べよ」といった問題にうまく書けず、その対策に何をやればいいのか、それもいろいろやってみたものの、効果がない努力ばかりだったように思うのですが、もし、今、これから受けるのなら、こういうことをやってみるが・・・というものがあります・・・が、情けないことに、最近、書店で教学社から出ている大学別過去問シリーズの『東大 文科』を見ると、私が過去に受けた頃とはずいぶんと試験問題が変わり、英語には私が受けた頃にはなかったヒアリングの試験なども入り、そして、社会科は私が受けた頃とは出題の形式が変わってしまったようで、もしも、これから受けるのならこうするが・・・、というものも役に立たないようになってしまったようです。
  地方国立大学で二次試験に論文・小論文や面接をやっている大学学部が今もあるのかどうか、よく知りませんが、1970年代後半から1980年代にあった論文・小論文とか面接とかであいまいな判断基準で合否が決められる大学よりは、地方国立大学の事情はわかるのですが、「成績のいい方から順番に合格」という方が自分が受ける場合ならいいですね。

  わけのわからん「作文のテスト」はやっても、「論文」「小論文」の試験を二次試験で課す地方国立大学の事情をちっともわかっていない予備校というのは、それは予備校と言うに値しないと今も思います。

  倉田百三『愛と認識との出発』(1950.初版。 1984.改版。角川文庫)に、
《 ・・徹頭徹尾純一にして無難な態度を守り得たことはこの書が若き人々に広く読まれるに際しての私のひとつの安心である。小さく賢く、浅く鋭く、ほどよく世事なれる今日の悪弊から青年たちを防ぐのに役立つでもあろう。・・・・
 ・・生命と認識を恋と善とに驚き、求め悩むのは青春の特質でなくてはならぬ。社会性と処世との配慮はやや後れてくるべきものであり、それが青春の夢を食い尽くすことは惜しむべきである。 ・・・まず天と生命とに関する思想と感情にみちみちてその青春を生きよ。・・・》
と「版を改むるに際して」で述べているのだが、何の因果か私と小学校・中学校・高校と同じ学校に行って、さらに何の因果か予備校までがYMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスの同じクラスに行くことになったN口という男は、お母さんが「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」「うちの子は賢いですわあ」とあっちやらこっちやらで言いまくっていて、その割にあんまり賢くないなあと思ったのは、アホなお母さんがそんなことをあっちやらこっちやらで言いまわるのを、まがりなりにも大阪府で一番の高校の卒業生ならば、「しょーもないこと言わないで」と一言くらい言うべきものを言えない。それだけではなく、お母さんが「うちの子は大人ですわあ」「うちの子はしっかりしてますわあ」とあっちやらこっちやらで言いまくるのを聞いて、本人がそれを本気にしていた、という点である。むしろ、アホなお母さんのそんな言葉を本気にするとは、アホと違うか、というところである。又、そのお母さんが言っていたように、N口は、倉田百三が言うところの《 小さく賢く、浅く鋭く、ほどよく世事なれる 》みたいなところがあって、それを本人が得意にしていたのだが、それは得意がるべきものなのか? 倉田百三はそれを否定しているのだが、「蓼食う虫も好き好き」(There are no accounting for tastes.)であり、そういうのをいいと思う人も世の中にはいるのだろう。

  (2020.5.7.)

  次稿、なぜ、YMCA予備校は事務職員のことを「主事」と言っていたのか。「一級建築士」を売りにする建築専門学校卒のおっさんと同様・・・という話を述べたいと考えています。
  (2020.5.7.)

  お断りしておきますが、ここに述べたことは、1970年代後半からその後しばらくのことを前提として述べたものですから、これから大学を受験する人には内容が合わない部分もあると思われます。受験生の方で見ていただいた方は、そのあたりについて、どこが今もそのまま通じてどこは今は合わないか、吟味分別して見ていただくようお願いします。私のブログのおかげで落ちたなんて言われても、どうもできませんから、自己責任で吟味分別していただくようお願いします。
  (2020.5.7.)

★ 受験生へのエール
【1/ 】 『家族の政治学』に苦しむ人へ。高校教諭を信頼するな! https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_2.html
【2/ 】「あと5本なら工夫すれば」「後期は阪急に3つ勝てば他は全敗しても」という姿勢か逆かで合否は変わる。「ID野球 弱者の戦術」から考える大学受験における姿勢。拝み屋の「家族の名前を変えなさい」ははた迷惑。
https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_3.html
【3/ 】「適性テスト」で向いていると言われても行きたくない学部・向いていないと言われても行きたい学部があると思って受けなかったが、勝手にひとに「適性テスト」をやる女が教諭にいた、という話。飛込自殺した人にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_6.html
【4/ 】 受験の経験のない人間が指示指導するYMCA予備校は無茶苦茶。大学受験でも「成功」した人間は成功でない部分も成功と考える場合がある。社会科論述式問題の表記のしかたについて。小此木啓吾の本を喜ぶ人間はキャバクラに行ってキャバ嬢に説教する男と一緒。「フォアグラ型文治派」と「文武両道型文治派」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_7.html
【5/ 】 「適性テスト」「作文のテスト」に読書調査までやって受講生を統制しようとするYMCA予備校は害がある。気に入らない人間には「文学的素養がない」と悪口雑言を浴びせる「敬虔なクリスチャン」。「民族の違い」を作った「神は死んだ」https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_1.html
【6/ 】特に「地方大学」で「論文」「小論文」「面接」が試験にある大学を受ける際に。なぜ、地方国立大学は論文・小論文を試験に課したか。〔今回〕
【7/ 】 

わが青春に悔いあり―狐狸庵閑話 (角川文庫 緑 245-12) - 遠藤 周作
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学生時代 (新潮文庫) - 久米 正雄
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田舎教師 (新潮文庫) - 花袋, 田山
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愛と認識との出発 (岩波文庫) - 倉田 百三
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