「適性テスト」は受けるべきか。自分の考えに反する診断に左右されたくないと受けなかったが勝手に適性診断やる教諭がいた。飛込自殺にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない――受験生へのエール【3/ 】 

[第492回]
  世の中には、「心理テスト」とか「適性テスト」とかいうものがあります。「心理学者」と称する人が考え出したものと、そうではない人が考えたものがあり、新型司法試験では「適性テスト」などというものがおこなわれるようになったらしいけれども、名称を聞くと、学力を問うのではなく、裁判官・検察官・弁護士という職業につく人間としての適性があるかどうか、司法試験という試験に適性があるかどうかというものを見る・・というような名目ですが、柴田孝之が『司法試験機械的合格法』(実業之日本社)だったかで書いていたが、 「適性テスト」であれば、あくまでも、適性を見る試験であって優秀かそうでないかを見る試験ではないはずなので、「適性テスト」に対しての対策をやっても関係ないみたいな名称だけれども、司法試験の「適性テスト」の場合は実際はそうではない。「適性テスト」対策の学習をやった者がいい成績をとり、やらなかった者がよくない成績を取ることになっているという。「適性テスト」は対策学習をやらなくても一緒などと思っている人間なんかほとんどない、ということだ。だから、新型司法試験の「適性テスト」というのは、あれは、いいかどうかは別として、必ずしも「適性を見る試験」ではないのではないか。こういう試験に合格するような人に適性があると考えるということでのテストではないか。
  それに対して、高校生を対象として、進路を選択する際の参考になるようにということでの「適性テスト」というものがある。又、転職を考えている人、あるいは、失業中の人を対象として、その人がどういう職業に適性があるか、どういう業種・職種に適性があるかを診るという「適性テスト」というものがあるようだ。
  いったん、ある職種についたとしても、その業界でその後も勤めていくとして、その職種がその人に最適なのかどうかわからないわけです。1985年に大洋ホエールズの監督に近藤貞夫が就任した時、二塁手の高木豊と遊撃手の山下大輔を入れかえ、三塁手の田代と一塁手のレオンを入れ替えるというコンバートをおこない、なんかすごいことをやるなあと思ったが、近藤貞雄としては解説者として見ていた時から、大洋の守備位置はセカンドとショート、ファーストとサードが逆だと思っていたということだった。野村克也は、高校卒で入団した選手の守備位置は、一度、白紙に戻して適した守備位置を考えてみるべきだとどこかで書いていて、成功した例として、ヤクルトスワローズの監督に野村克也が就任した1990年、足の速い選手だった飯田は捕手として入団したが、野村自身の経験として、捕手をやると足が遅くなってしまう傾向があり、せっかくの俊足選手はその足を活かした方がいいということで、内野手から外野手にコンバートして成功した、という。
  バリトンの声楽家だったディートリッヒ=フィッシャウディスカウは、バリトンにしてはテノールのような声色だと思っていたら、もともとはテノールだったものがバリトンに変わったらしい。それで、もとからバリトンだったゲルハルト=ヒュッシュなどと比べるとバリトンとしては高音域が楽々と出たそうで、又、聴いていても、ヒュッシュはバリトンだろうし、ヘルマン=プライもバリトンだろうし、ハンス=ホッターはバスなのかと思ったら「バス・バリトン」と書いてあるのを見たが、最初からバリトンとして歌っていた人と比較すると、ディートリッヒ=フィッシャウディスカウはテノールのような響きの声だったと思う。声楽家で声域を変更する人というのは、高い方から低い方はあっても逆はないのかと思っていたらそうでもなくて、声楽家としての晩年になんかしょーもないことやったらしいプラシド=ドミンゴは、「三大テノール」の1人として知られてきたが、もともとはバリトンで、バリトンからテノールに変わったらしく、それを知って聴くと、たしかに、ルチアーノ=パバロッティなんかは、いかにもテノールという感じであるのに対して、プラシド=ドミンゴはバリトンとテノールの中間みたいなテノールのように思える。
  会社内においても、小堀住研(株)に勤めた時、新卒社員研修で、講師役を担当したTQC推進本部営業部会課長だったMさんは、本人の話によると関西大学の工学部を卒業して小堀住研(株)に入って、最初は工事課の仕事についていたけれども、営業をやってくれと言われて、嫌で嫌でしかたがなかったけれども、やれと言われてしかたなしにやってみると、案外、やってみると面白くて、成果も出たそうで、だから、会社で他の職種をやってくれと言われた時はやってみるものだと思うと話していたが、そういうことはあると思う。特に、営業という職種の場合、実際にやってみて自分は営業はできると思った人はいいけれども、やりもしないで、やる前に「ぼく、営業できます」とか言っている人間というのは、それは勝手に「できる」と思っているだけのことであって、特に営業という職種の場合は、実際にやる前に「自分は営業はできる」とか「自分は営業に向いている」とか思っていた人間と逆の人間でどちらが成果が出るかは何とも言えないところのある職種であり、中には、人をだますのが得意だから「営業に向いてる」と思っている人もいて、そういうことやってもらっちゃ困るんだけどなあ、というケース、そういうのを「営業」という会社もあるのかもしれないけれども、うちの会社の「営業」はそういう仕事とは違うんだよというケースもあります。
  実際、1985年の大洋ホエールズみたいに、セカンドとショートが逆、サードとファーストが逆と違うのか、というようなケースというのは一般の会社においてもあると思いますし、その参考として「適性テスト」というものが利用されるのなら、悪くないかもしれないとは思うのですが、片方で、その「適性テスト」というものが本当に「適性」を判断するのに役立つものなのか? むしろ、判断を混乱させることにならないか? という不安を感じるようなものもあります。
  『金田一少年の事件簿』の金田一 一(きんだいち はじめ)という男ですが、長年、高校生で留年を続けた末、『金田一少年 37歳の事件簿』では、とうとう、37歳で会社員となって主任の役職をもらっているようですが、長年、高校生で留年なんかしていないで、さっさと卒業して、学校の成績はあまり良くないらしいので、旧帝大系国立大学を卒業して国家公務員1種試験に合格して警察庁にキャリアで入るとかそういうのは無理だとしても、警察官の試験くらいなら通るでしょうから、ノンキャリアで警察官になって、キャリアでけっこう出世しているらしい明智警視とノンキャリアながらそれなりに出世したらしい剣持のおっさんの2人と知り合いなのだから、この2人に推薦してもらって刑事課に配属してもらえば、けっこういい刑事になったんじゃないかと思うのだが、『金田一少年37歳の事件簿』では、ますますパロディ的な描き方になって、イベント企画かなんかやってる会社に会社員として勤めているらしいが、警察官も中途採用があるのだから、どう考えても、刑事やった方が向いていると思うのだが、よくわからん男だ・・・。

  転職の際、自分がこういう職種に転職したいとはっきりとしたものがある場合には、「適性テスト」といったものを受けることで「かえって混乱してしまう」と思う場合は受けない方がいいかもしれませんが、自分がどういうものに向いているかわからなくなってしまった、というような時に、ヒントをもらうつもりで自分の意志で受けるのならいいのかもしれません・・が、それでも、やっぱり、そういう時でも、その業種のその職種を経験したこともない「心理学者」に向いてるだの向いてないだの言われたくない、という面はあります。ジョレス=メドヴェジェフ・ロイ=メドヴェージェフ『告発する! 狂人は誰か』(三一書房)では、「精神病院」に監禁されたジョレス=メドヴェージェフが、最近の研究成果が優秀ではないのは「精神疾患」によるものだと「診断」されたことに対し、そもそも、その分野の専門でもない「精神科医」が、なぜ、その分野の専門家の業績について優秀であるか拙劣であるか「診断」するのか? その「精神科医」はその分野を専門とする研究者よりもその分野の内容についてわかっているという論拠はどこにあるのか? と糾弾する。実際、私が採用する側の立場であったとしても、「心理学者」とか「精神科医」とか称する人に、この人はこの仕事に向いているとか向いていないとか言われたとしても、あなたは、その業種のその職種をやってきた者よりもその業種のその職種に向いているか向いていないかという判断がなぜできると思うのですか? と問いたい・・と思うと、たとえ、自分がどういうものに向いているかわからなくなってしまった、という場合でも、その業種のその職種についてよく知っているわけでもない「心理学者」とか、「精神科医」という国家資格があるわけではなく資格としては「精神科医」も「心療内科」も「神経内科」も脳外科も眼科も皮膚科も整形外科もひっくるめて「医師」という資格であり(「医師」の資格でないのは歯科医師と獣医だけ)、《2日前か3日前まで内科やってた「精神科医」》とかに「診断」されるくらいなら、そんなことなら、くじ引きかあみだくじででも決めた方がよっぽどいい、というところもあります。

  知能テストと知能指数というものがあるが、遠山啓(とおやま ひらく)は『競争原理を超えて』(1976.1.31.太郎次郎社)で、
《 人間にはいろいろの型(タイプ)がある。おおまかにいって科学にたけている型も、芸術に長じている型もある。また、ひとつの学問、たとえば、数学のなかでも、ポアンカレのいうように幾何的なタイプと解析的なタイプがあり、それらは質的にちがっている。このように質的に多様な人間の知能を一直線上にならべて序列化することがいかに乱暴なことであるかは明らかであろう。たとえば、シェークスピアとニュートンの知能は比較できるだろうか。ところが、この二人に知能テストを受けさせて、知能指数を算出すれば、それができることになるのだから、なんともふしぎなことである。 》
と述べている。たしかに、知能指数というのは、あれはいったい何なのか? 害こそあれ益になるものは何もないのではないのか? (・・・だいたい、金田一 一というのは知能指数は無茶苦茶高いらしいが、そのわりに学校の勉強はまるでできない・・というのだから、あんまり、知能指数というのは役に立たんのではないか・・・。)
  慶應の一般教養の「心理学」の講義の際に聞いたことだが、どうも、もともと、「知能指数」というのはフランスで差別政策の一環として出てきたものらしい。

  それで・・・。計算すると、もう、40年以上前のことになってしまったが、北野高校の2年の時、希望者は「適性テスト」というものを受けることができた。あくまで、希望者はということで、受けても受けなくても良かった。私は、受けないことにした。なぜ、「受けないことにした」かというと、「適性テスト」でこういう学部に行くのが向いています、こういう職業につくのが向いていますと言われても、自分が進みたくない学部に向いているなんて言われても行きたくないし、こういう職業が向いていますと言われても自分が就きたくない職業が向いていると言われても就きたくないのであり、こういう学部はあなたには向いていませんと言われても自分が行きたい所を向いていないと言われても「大きなお世話!」であり、あなたはこういう職業には向いていませんなんて言われても、「それなら、むしろ、その職業で実績を残してやろうではないか」といったところであり、むしろ、そんな「適性テスト」で、あなたはこういうものに向いているだの向いていないだのと言われたくない、そのようなことを言われても、頭が混乱することはあってもいいことはないだろうと思ったからでした。
  佐藤優が、人間は「できること」と「やりたいこと」は同じではない、とどこかで述べていたと思ったが、そういうこともあると思う。「心理テスト」だか「適性テスト」だかから、「やりたいこと」をやらないで「できること」をやるように命令されたとしても、そのような命令に従う義務はないと思ったのだ。
  神社とかお寺の「おみくじ」も私はひかないことにしています。昔は、「おみくじ」というのは、誰がひいても、誰にだってあてはまりそうなことを書いているもので、受け取った人が自分自身にあてはめて考えてみて、「自分の場合はこういうことかな」と自分で意味合いを考えて結論を出すためのきっかけとなるような文章が書かれているものだろうと思っていたので、それで、ひいてみたことはあったのですが、ところが、1999年の1月でしたか、栃木県の某神社にておみくじをひいたところ、その内容がそういうものではなく、どんなに無理をしても自分自身の考えに合わないものであったので、それで、その後、神社・寺に行った時、おみくじはひかないことにしました。 遠藤周作『おバカさん』では、街頭で占いをやっているおっさんに、居所がわからなくなってガストン=ポナパルトの行方を占ってくれと言ったところ、そんなもの、自分でもこんな占いなんて信じてませんと言い、しかし、私は悪いことはしていませんよ、と占いのおっさんが言う場面があった。占ってくれと言って座る人は、話を聞いていると、そのうち、たいてい、自分自身で結論を出して、それで気持ちの踏ん切りをつけて帰って行くのであり、その人が気持ちの整理をする手助けをしているのであって、「騙している」とかではないのですから、占いそのものは自分でも信じていないけれども、決して悪いことはしていない、と言うのでしたが、「おみくじ」というものも、読む人間の受け取り方で、どういう結果にもなるが、読んだ人が自分自身の考えを整理する手助けになるような文面が書かれているものと思っていたら、そうではないものがあったので、それ以降、「おみくじ」はひかないことにしました。
  北野高校の2年の時の「適性テスト」ですが、その「適性テスト」で、あなたはこういう方向が向いていると自分が望まない方向を指示されてもその方向に進みたくないし、あなたはこういう方向は向いていないと言われても、「なんでやねん!」てもんで、たとえ、向いていないと言われても自分が進みたい方向なら行って悪いことはないはずだと思い、それならば、そんな「適性テスト」なんて最初から受けない方がいいと思って受けなかったのですが、後から考えると、あの時、受けておけばよかった。 なぜかというと、その「心理学者」だかが作成した「適性テスト」を受けなかったとしても、それでも、無理矢理、ひとに「適性テスト」をやって押しつける人間というのがいたからです。まず、北野高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校⇒神戸大学文学部卒)は、私に何度も何度も「あなたはブンケーよ!」と言ってきかなかった。私が「ブンケー(経済学部)」だけは絶対に嫌だ! と小学校の低学年の時からずっと思ってきた、「ブンケー」にだけは行かされたくないとずっと思って、「ブンケー」に行かされないためにと思って小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、それなのに、「あなたはブンケーよ!」と何度も何度も、担任であった時だけではなく、担任でなくなった3年の時も、卒業してからも、執拗に言ってきたのでしたが、今、考えると、あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思います。

  まず、「ブンケー」という言葉には2通りの意味があります。 今は私が高校生や大学受験生であった頃とは制度も変わった部分があるかとは思いますが、1970年代後半から1980年代にかけて、京都大・大阪大・神戸大の入試の科目は、「だいたい、似ていた」。東京大は少々違った。早稲田大はもっと違った。 京都大・大阪大・神戸大は、試験科目が多く、総合点主義というのか、合計点数で合否が判断された。
  京都大の数学の教授だった森 毅『元気が出る教育の話』(中公新書)でだったと思うが、「文学部に入るのに数学ができてもしかたがないだろう」なんてことを言う人がいるけれども、逆に「文学部なんてところは、多少、変わったやつの方が向いている所だから、文学部のくせに数学ができるなんてやつは大いに入学させるべきだ」という考え方もある、と書いていた。
  そういう考え方もあるかとは思いますが、もうひとつ、大学入試というのは、高校までで扱っている科目を十分に学べているかを見るものなのか、それとも、その大学のその学部でやっていける学力があるかどうかを見るものなのか、という2つの視点があり、京都大・大阪大・神戸大の入試は、後者も考えながら前者の方に重心があるような試験科目と配点で、慶應大の入試科目は、ほぼ、後者の視点でのものだった、と思います。もうひとつ、早稲田大の入試科目は、政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部(1970年代は第一文学部と夜間主コースの第二文学部があったが、今は第二文学部はなくなって、単に「文学部」になったらしい)では、試験科目は一緒で配点も一緒でした。なおかつ、合格難易度もそれほど大きく変わらなかったので、インターネットで見ていたら、《橋下徹は早稲田大学の試験で受けた学部を「全勝ち」したらしい、すごい!》なんて書いていた人がいたが、実際にそうであったのかないのか知りませんが、試験科目と配点と出題傾向が一緒で、合否の難易度もそれほど大きく変わらないところを複数受けたなら、「全勝ち」か「全負け」になったとしても、そう不思議なことでもなく、特に「すごい」話ではありません。(というよりも、国公立志向の北野高校から1浪で早稲田大に行きよったということは、浪人しても国立大学は落ちよったかな・・てことであり、別に彼が通っても落ちてもかまいませんが、自慢するような話とは違います。)「全負け」すると気分悪いとは思いますけれどもね。しかし、それも「あること」です。「早稲田みたいなも~ん!」なんて思っていると、「全負け!」なんてこともありえます。まず、とりあえず、そういうことは「あること」だと認識しておいた方がよろしい。先に、「・・みたいなも~ん」とか「・・みたいなもん、落ちたら眼かんで死んだるわ」とかそういう口はきかない方がよろしい。そういう口をきくと、実際に、眼をかまないといけないことになる危険は十分にあります。入試というのはそういうものだ、と認識しておいた方がいいと思います。こういうことを言うと、「俺は、あんたなんかと違って、そんな心配はない」とか思うやつがいるかもしれませんが、せっかく、老婆心から言ってあげているのに、そう思うのなら、まあ、別にいいけれども、入試というのは、「・・みたいなも~ん」とかそんなこと思っていても、そういう所を落ちてしまうということは「あること」だと、そういうものなのです。通ったらその方がいいのですが、「・・みたいなも~ん」なんて思っていても、というよりも、そういう意識というのは、それは「落ちる方の意識」であり「落ちる方の条件」です。「何があるやらわからん」と思っていた方がよろしい。そちらの意識の方が「通る方の意識」であり「通る方の要素」だと考えていいと思います。
  早稲田大の入試は、政治経済学部・法学部・商学部・第一文学部(現 文学部)は入試の科目は一緒で配点も一緒で出題傾向も似ていて、合否難易度もそれほど大きく変わらなかったはずですが、慶應大の場合は逆で、学部ごとに試験科目と配点は異なり、試験科目が異なる以上は、どちらがより難しいか易しいかという判断はできなかった。慶應大の場合、特に経済学部と商学部で入試科目を変えていたのは、入試科目と配点がまったく同じならば、どっちが上とか下とかいう判断をしやすくなってしまい、そうしたくないということがひとつの理由としてあったのではないでしょうか。同志社大も経済学部と商学部で入試科目が微妙に異なったと思いますが、それも、経済学部と商学部をどっちが上とか下とかいうようにしたくなかったのではないでしょうか。法学部は英語・数学・国語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目で法学部の試験科目が多かったけれども、それは、法学部の人には公務員試験を受ける人が経済学部の人などよりも多かった、ということが関係しているかと思います。経済学部の試験科目は数学1・2と英語の2科目だけで、商学部は数学1・2と英語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目の3科目でしたが、それは、その学部に入学後、やっていけるかどうかを見るという視点で試験科目が選ばれた結果ではないでしょうか。慶應大の数学の問題は東大・京大の2次試験の数学の問題などよりもずっと易しい素直な問題が出ていたと記憶していますが、問題が易しいから入りやすいというものでもなく、問題が易しくても受験生誰もができれば合格難易度は易しいことにはなりませんが、経済学部・商学部での専門科目をやっていくためにという視点で考えるならば、東大・京大の二次試験の数学の問題というのは難しすぎるのです。あそこまで、難問を解けなくても、大学の経済学部・商学部での専門科目はやっていけるのです。だから、その学部でやっていけるかどうかの学力を見るということから考えるならば、東大や京大の数学の問題は、考えようによっては「余計なことやってる」みたいなところがあったと思います。慶應大の経済学部の入試科目は、なぜ、「数学と英語」だったのか。東大は文科1類・2類・3類と理科1類・2類・3類に分けて募集していて、慶應大なら経済学部に該当する経済学部経済学科、慶應大なら商学部に該当する経済学部経営学科は文科2類で「理科」ではなく「文科」ですから、それなら、経済学部や商学部の入試科目は早稲田大みたいに「英語と国語と社会科1科目」でも良さそうな感じがしないでもなかったのですが、森川英正『日本経営史』(日経文庫)では、かつて、慶應義塾の出身者であった村井保固という人が森村組(現在のTOTO,日本ガイシなど?)に応募して、森村組の採用条件は、1に健康であること、2に英語と簿記ができること、であったところ、村井保固さんという方は、応募に行って「英語と簿記は得意の方ではありません」と正直に言ってしまい不採用にされ、福沢諭吉から「実業家を志すものが、英語と簿記は不得手ですとは何事だ」と怒られた、という話があり、村井保固さんは、それに対して、「森村さんという方は賢明な方だと聞くが、英語と簿記で人を判断するというのは納得いかない。英語や簿記のできる小物が欲しいのか、それとも、会社を背負って立つ大黒柱になる人間が欲しいのか」とアピールして採用になった、という話ですが、福沢諭吉が「実業家を志す者が、英語と簿記は不得手ですとは何事だ」と怒ったというように、「英語と簿記」というのがそれが「英語と数学」という慶應大の経済学部の入試科目になっていたのではないか。商学部の場合は、「英語と数学」とそれにもうひとつ、「日本の歴史を中心とした世界の歴史」としての「日本史」か、「日本の歴史を含めて世界の歴史」としての「世界史」か、そのいずれかが商学部でやっていくために必要と思われる学部で、国語は優先順位は低いという判断だったのではないか。(もっとも、福沢諭吉は「実学」を重視して「虚学」を排したというのは、英語や簿記を重視して文学・哲学を「虚学」だと退けたというのとは違うはずで、毛沢東は『湖南農民運動視察報告』で「われわれの使命は、刺繍に花をつけたすことではなく、雪に閉じ込められた地方に石炭を送ることである」と語り、フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』について「人類の歴史を真っ二つに割る最高質のダイナマイト」と表現したようですが、福沢諭吉の言う「虚学」というのは「文学」「哲学」でも「刺繍に花をつけたす」ような文学・哲学のことで、「文学」「哲学」でも「精神的に雪に閉じ込められた地方に精神的石炭を送る」ような文学・哲学、「人類の歴史を真っ二つに割る最高質のダイナマイト」のような文学・哲学は「虚学」ではなく「実学」と考えていたと思われ、決して、簿記や英語が実学で文学・哲学を虚学だと言ったのではないはずで、福沢諭吉という人は、文学や哲学を否定するようなそんな人ではなかったはずです。魯迅は、最初、日本に医学を学ぶために来ていたが、魯迅が生きた時代の中国の人間により必要なものは医学よりも文学だ、人間の体を治すよりも心を治すことの方が大事だと思うようになり、医学をやめて文学の道に進むこととし、それまで世話になった先生に医学をやめることを謝りに行った時の話が『藤野先生』という小説に書かれていますが、その場合、魯迅は「文学」を人間の精神構造を治すことと考えていて、決して「刺繍に花をつけたすこと」とは考えておらず、「実学としての文学」がその当時の中国にとって必要なものだと考えたのであって、「虚学としての文学」をやりたいと考えたのではなかったはずです。)
  但し、私立大学にはそれぞれの事情があって、早稲田大のように、政治経済学部・法学部・商学部・文学部の入試科目が一緒であった方が、複数の学部を受けたいという人には受けやすい。大学にとって受験料は大事な収入であることを考えると、入試科目は一緒にしておいた方が複数学部を受けてもらえやすい、という「大人の事情」もあったのではないか。慶應大の入試の問題は、「わりと素直な問題」が多かったのに対して、早稲田大の問題は「少々、癖がある」という印象を受けました(私が受けた1970年代後半から1980年代の頃の話ですよ。今はいくらか変わっているかもしれませんから、これから受ける人は自分で「過去問」を見て自分で吟味してくださいよ)。それは、おそらく、東大など旧帝大系国立大学と入試の科目を同じにして出題傾向も似た問題にすると、旧帝大系国立大学を受けて落ちた人が合格しやすく、そうではなく、東大など旧帝大系国立大学とは入試の科目を異なるものにして出題傾向に「少々、くせがある」問題を出すようにすれば、早稲田大を第一に目指す人が合格しやすい結果になることが考えられ、早稲田大学としては、東大など旧帝大系国立大学などを目指したが落ちてしまい、早稲田大の入試には合格して早稲田大学に入学するという人にも来てもらって悪いということはないけれども、早稲田大学に行きたいと思って早稲田大を受けて入学するという人にもある程度以上の割合で来てもらいたいという考え、「国立大の滑り止め大学」にはなりたくないという考えがあって、それで、試験科目を国立大学とは異なるものにして、さらに、出題傾向を「少々くせがある」ものに意図的にしていたのではないか、と思います。このあたりを理解していると「通る要素」がいくらか増し、理解していないと「落ちる要素」がいくらか増すことになると思います。慶應大は「すなおな問題」が多かったように思いますが、早稲田大のように、国立大学を落ちた人ではなく、慶應大に行きたいと思って行く人にある程度来てもらいたいということでの細工は必要なかったのか、というと、慶應大の場合は、「国立大学を受けた」と言っている人でも、もともと、最初から「慶應の経済」を目指していたという人はけっこうあって、そういう人は「一橋の経済を受けた」なんて言うのでしたが、そういう人の「一橋の経済」というのはたいていがオリンピック。「受けることに意義がある」というもので、「慶應の経済」の試験科目しか学習していない人が試験科目の多い「一橋の経済」を受けても、それは、「人生経験」として受けただけだった。そういう人が多い大学であったということと、もうひとつは、慶應大の場合は「内部進学の人の割合」というもので細工していたのではないか。内部進学の人間の割合が大きいので、国立大学を落ちて慶應大の入試には通って入ったという人間と慶應大に行きたいと思って慶應大に入った人間の比率はそれほど考えていなかったのではないか。「慶應の経済」の場合は3分の1以上が内部進学で、「慶應の医学部」は4割が内部進学らしく、そこまで、内部進学の割合が大きいと、さらに、講義の最中に「私学だってことは、いいってことじゃないか。こんな常識もわからんのか」と教授が叫ばれる大学ですから、公立進学校出身者が大学だけ行っても、入学したその日から「外様」であり、それも、関ケ原の戦いの頃から徳川方についた加賀の前田とか仙台の伊達とか、藤堂高虎とかそういう「比較的早くから徳川についた外様」ではなく、近江佐和山の石田三成か信州上田の真田幸村かというくらいの外様であり、なんというのか、そういう「慶應義塾カースト」の最底辺に入られれるような大学に行くくらいならば、「日陰の月見草」としては「長嶋みたいなやつ」に気分を害しながら行って卒業するよりも「あと1年」余計に浪人したとしても、東大か京大に行った方がいいに決まってる! という大学でしたから、早稲田大みたいな細工は必要なかったのではないでしょう。
  「ええなあ、長嶋はあ」とかいうじいさんがこの2月に他界してしましたが、なんか、時代の流れを感じます。それで、「文科」か「理科」かというのは、東大の場合は、はっきりと、文科1類・文科2類・文科3類、理科1類・理科2類・理科3類という名称で募集していたので、文科1類・文科2類・文科3類が「文科」で、理科1類・理科2類・理科3類が「理科」、法学部・経済学部・文学部・教育学部というのが「文科」で、工学部・理学部・農学部・薬学部・医学部というのが「理科」です。京都大・大阪大・神戸大ははっきりと「文科」「理科」という表現ではありませんが、入試の科目が、京都大なら法学部・経済学部・文学部・教育学部、大阪大なら法学部・経済学部・文学部・人間科学部が同じ試験科目と配点で、京大なら工学部・理学部・農学部・薬学部・医学部がだいたい同じような試験科目と配点で、阪大なら工学部・基礎工学部・理学部・薬学部・医学部が同じような試験科目と配点でしたので、京都大なら法学部・経済学部・文学部・教育学部、大阪大なら法学部・経済学部・文学部・人間科学部が「文科」、京都大なら工学部・理学部・農学部・薬学部・医学部、大阪大なら工学部・基礎工学部・理学部・薬学部・医学部を「理科」と入試の科目から考えることもできたのです。
  この「文科」、東大なら文科1類・文科2類・文科3類を「文科」ではなく「文系」と表現し、京大でも法学部・経済学部・文学部・教育学部を「文系」と表現して言う人もあったのですが、それとは別に経済学部(及び商学部・経営学部)のことを「ブンケー」と言う人もあったのです。 法学部・経済学部・文学部・教育学部を言う「文科」とサラリーマン養成学部の「ブンケー」とを意図的に混同させて言う人があったのです。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子はそれだったのです。意図的に、東大なら文科1類・2類・3類のこと、京大なら法学部・経済学部・文学部・教育学部のことを言う「文科系」のことを言っているように見せて、実際は「会社のために。とってちってたあ~あ!」の経済学部のことを「ブンケー」と言っていたのであり、卑怯者です。

  東大の文科・理科の分類は、試験を受ける時には試験科目が異なりますから、それは認識しておいた方がいいでしょうけれども、東大の分け方をあまりにも絶対的なものと考えない方がいいと私は思います。 建築学科というのは、日本の国立大学では工学部・理工学部にある場合が多く、国立大学で工学部・理工学部ではない建築学科というと、東京芸大で美術学部に建築学科があるくらいですが、扱っているものの性質を考えると、そんなに「百パーセント理系」という内容ではないはずで、「百パーセント理系」頭で建築を考えられては困ります。医学部は東大では理科3類ですが、扱うのは人間ですから、工学部で鉄とか石とかを扱う科よりは「文科系」的思考が求められるはずです。「はずです」というのは、実際に医学部に行った人間、医者になった人間に「文科系的思考」があるかというと、そう言えない人が少なくないからです。「精神医学」の問題点として、「精神医学」が扱っているのは人間関係であるはずだが、ところが、「精神科医」の頭、「精神科医」の思考形式というのはそれは自然科学者の思考であり、そのあたりに「精神医学」の問題点がある、とも言われます。
  「近代経済学は数学を多用する」などと言うようですが、数学は学問の中で、その時代の政治の影響を最も受けにくい学問であるのに対して、経済学はその時代の政治の影響を受けやすい学問です。慶應の経済学部の人間と話をすると、「俺なんかは、自由を尊重したい人間だから、社会主義には賛成できない人間だ」とか言うヤカラが矢鱈と多いのですが、なぜ、「自由を尊重したい」のなら「社会主義に賛成できない」という結論になるのか? 資本制経済をとる国においては個人の自由は尊重されているのか? 社会主義経済による場合よりも資本制経済による場合の方が個人の自由が尊重される理由は何か? というと、理由なんて何もないのです。「慶應の経済」というのはそういう連中の多い大学学部です。かつての慶應の塾長であった小泉信三が『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)の序文で、批判をするのなら論拠をあげて論理的に批判するようにしなければならないと述べていましたが、その正反対の人間の巣窟が「慶應の経済」です。節操のない人間が行きたがる大学学部ナンバーワンが「慶應の経済」で、学問的思考の姿勢がまったくないブタ人間が行きたがる大学学部が「慶應の経済」です。まず、「自由主義」という言葉には3通りの意味合いがあります。
(1) 1つは個人の自由を尊重したいという主義のことで、その場合、はたして、資本制経済をとる場合と社会主義経済をとる場合では、どちらが個人の自由が尊重されるか、ということを吟味しないといけないはずで、まず、基本的には資本制経済の社会における「自由」とは企業の自由のことであって、企業の自由のもとに個人の自由は犠牲にされる可能性が大きい社会です。それを改善したいと思って社会主義を志向する人がいたわけですが、実際に出現した社会主義の国において、個人の自由がきっちりと確保されたかというと、そうとも言えないのではないか、と言われてきた。ジャン=ポール=サルトルはソ連を「官僚制共産主義」と批判し、一時は「共産党の同伴者」と見られた時期もあったが、フランスの共産党の人間と話をしても、サルトルが自分自身で考えたこと思ったことを述べても、共産党の人間はあくまでも「党の見解」を述べる、といい、だからといって、西側の国に何の問題点もないわけではないが、社会主義をとる国がすべてうまくいっているわけではないようだと気づく。ヴィルヘルム=ライヒはソビエト連邦に行って「これでは、国営資本主義だ」と幻滅し、それを発言したことからドイツ共産党から除名されることになる。アンドレ=ジッドは、最初は社会主義とソビエト連邦を好意的に見ていたが、実際にソ連に行って、はたして、この人たちは本当に革命を起こした人たちなのだろうか? と思いだし、ソビエト連邦の人たちの「順応主義」「適応主義」は、はたして、それが理想的な状態なのかと疑問を感じ、『ソビエト紀行』を書く。そういったことを自分自身で考えて、その上で言うのならいいのですが、「慶應の経済」の人間にはそんな人間はほとんどいない。「慶應の経済」の人間というのは、もしも、スターリニズムのソ連に生まれていたならばまったく何ら抵抗を感じることもなくスターリンを絶賛するような人間、北朝鮮に生まれていたならば、なんらためらうことなく「将軍様、万歳」を叫ぶような人たち、それが「慶應の経済」の人間であり、そういうブタイヌの巣窟が「慶應の経済」なのです。「俺なんかは、自由を尊重したい人間だから、社会主義には賛成できない人間だ」などと口にする時、日本で自由が確保されているかどうかなんて真剣に考えて言っていないし、およそ、考えるような感性の持主ではないのです。彼らはブタでありイヌであり、ブタでイヌになることに喜びを感じる人間なのです。
(2) 「自由主義」という言葉には、他に「経済自由主義」という意味、個人の自由がどうかは無視して、企業活動の自由を尊重するという意味で資本制経済の社会のことを言う場合があります。この意味での「自由主義」と個人の自由を尊重する姿勢を意味する「自由主義」を意図的に混同させて言うのが大好きというヤカラが多いのが「慶應の経済」です。
(3) もうひとつ、資本制経済をとる国でも、すべての国が同じ状態というわけではなく、経済主体として、企業・家計・国家という3つが存在したとして、そのうちの国家は経済に対して積極的に介入するべきなのか、そうではなく、「見えざる神の手」にまかせて、国家は経済に介入するべきではないのか、この点において、西ヨーロッパの国とアメリカ合衆国とでは、西ヨーロッパの方が介入するべきだという考え方が強く、アメリカ合衆国は「自由な国 アメリカ」と言ったりするように、西ヨーロッパの国に比べると、国家はあまり介入するべきではないという姿勢を取ることが多かったらしく、資本制経済をとる国の中でも、国家は経済にあまり介入するべきではないという方の考え方のことを「自由主義」と言うことがあるようです。
「自由主義」という言葉でも、この3つは意味が違うのですが、それを、あえて、意図的に混同させて、「俺なんかは、自由を尊重したい人間だから、社会主義には賛成できない人間だ」みたいなことを言いまくる男が多い大学、それはちょっと違うのではないか・・などと異議をはさむと、「アカ」か何かのような扱いを受けてしまう、そういう大学が慶應です。そして、そういう特高かネトウヨみたいのが一番多い学部が「慶應の経済」です。 慶應大学医学部卒で「作家で精神科医」の なだ いなだ が『人間、この非人間的なもの』(ちくま文庫)で、戦中、「どうも、日本は負けそうだな」と口にしたところ、「おまえはそれでも日本人か」と言われたが、この「おまえはそれでも日本人か」という言葉のように、「おまえはそれでも◇◇か」という言葉には、自分とは異なるタイプの人間の存在を許さないファッショ的な思考があるということを なだ いなだ氏は指摘していますが、「おまえはそれでも慶大生か」とひとに言うのが大好きな人間が大変多い大学が慶應です。日吉でいったい何回耳にしたことやら。彼らはそういう態度のことを「独立自尊」とか「福沢精神」とか言うのですが、福沢諭吉という人がそういう態度を肯定した人かというと違うように思うのですが、「福沢諭吉という人は、そういう考え方の人とは違ったはずだけれども」などと言おうものなら、またもや、「アカ」か何かのような扱いを受けてしまいます。それが慶應であり、そういうファッショ的傾向が強いブタイヌが最も多い学部が「慶應の経済」です。そういうのが好きな人は慶應でも特に「慶應の経済」に行きたがりますが、私は慶應の中でも「慶應の経済」は一番嫌いです。経済学部と商学部では、「商業学・経営学・会計学なども扱うが経済学に重心がある」のが経済学部で、「経済学も扱うが商業学・経営学・会計学などの方に重心がある」のが商学部ですが、慶應の場合は、「ブタイヌがより多いのが経済学部」と考えていいのではないかと私は思っています。
   頭脳の使い方として、経済学は法学と違って、数学・理科的思考が多い・・というのは私もそう思います。会社という所に勤めた場合、私が勤めてきたような三流以下の建築業の会社に勤めると、「バカでも入れる私大の建築学科」卒で入ると「入社したその日からお殿様」であるのに対して、社会科学系学部(法学部・経済学部・商学部・経営学部)卒で入社すると、中卒・高卒と同じ扱い、もしくは「中卒高卒より下の扱い」にされてしまいますから、あほくさい限りです。 営業の仕事になんてつきますと、「昔から、営業は高卒か中卒がいいに決まってる」とか言われ、「中卒高卒以下」の扱いにされます。こんちくしょうと思って歯をくいしばって実績を残すと、経営者としてはなおさら「腹が立つ」そうで、あほくさいですから、そんなことなら、たとえ、30過ぎてからでも、司法試験か公認会計士試験か税理士試験か受けて、「特別高いかどうかはさておき、その資格を取得すれば食べていける可能性が大きい」という資格を取得して、「中卒高卒優先主義」の会社なんておさらばするか、もしくは、「バカでも入れる私大の建築学科」卒で入った人間は「入社したその日からお殿様」であるのなら、それなら、「バカでも入れる私大の建築学科」ではなく、東大とか京大とかに通るかどうかはさておき、「ともかくも、国立大学の建築学科」にでも行きなおして、その建築業界に勤め直した方がいいのではないか・・とか考えるようになります。だいたい、「中卒高卒優先主義」の会社の中卒高卒の人間というのはずるいのです。片方で、「人間を学歴で差別してはいかんだろうが」と言って高い役職につきたがりますが、それならば、旧帝大系国立大学や早慶の社会科学系学部卒の人間と同じことができるのかというと、できるわけありませんから、そういう時になると、「ぼくは高卒だから、そんなもの、できるわ~けがない! そんなもの、わかるわ~けがない!」などと言ってふんぞり返るのです。この二刀流は無茶苦茶ずっこいと思うのですが、それをさせたがる経営者の会社に勤めると、そういうやり口が奨励されるようです。
  私が勤めてきたようなそんなあほくさい会社になんて、旧帝大系国立大学や早慶の社会科学系学部を卒業した人は勤めない方がいいと思うのですが、そういう会社の場合は、もしも、大卒で勤めるのならば、理工系学部卒で勤めないと損です。理工系学部でやっているものは、中卒高卒の人にはできませんから、かつ、それなら、旧帝大系国立大学や早慶の社会科学系学部卒の人間が身につけているものは中卒高卒の人間でもできるものなんかというと、できないのですが、そういう時になると、「俺ら、高卒の人間ができないことをあんたができるというのはずるいじゃないか。卑怯だ。差別だ」とか「高卒のおっさん」は言い出すのです。いったい、どっちが卑怯なのかと思います。
  私は、父を見ていましたから、だから、経済学部だけは首をもがれても絶対に嫌だと思ってきたのです。父は「そんなもん、会社に勤めたら、学校でやったことなんて何の関係もないねん、何の関係も」と毎日のように言っていましたので、せっかく、小学校の1年から他の同級生が遊んでいる時も勉強して努力してきたのに、そんな職場、そんな職業は絶対に嫌だと思いました。夏目漱石の『三四郎』には、東大の文学部生である「三四郎」が登場し、理学部の大学院生なのか助手なのかの寺田虎彦がモデルらしい野々宮さんが登場しますが、私は、この『三四郎』の影響もあったかもしれませんが、大学というのは文学か哲学か、もしくは、野々宮さんのように、天文学か何かそういうものを学び研究する所だと思っていて、そういう所に行きたかったのです。 又、私が中学校2年の時、下の姉がお見合いをした人が関西大学の経済学部卒で、姉は、一時、その人と結婚すると言ったものの、あの人では嫌だと言い出し、その時に、父が言ったのが、「おまえとあの人と、いったい、どっちが上かあ? 下かあ? わかっとんのんか、おまえは。おまえは◇◇短大しか出とらんだろうが。あの人は関西大学やぞ。どっちが上かあ、下かあ!」と。それを聞いて以来、私は、経済学部には首をもがれても行かされたくないと思ったものでした。その「上かあ、下かあ」というその思考しかできない人間というのが、私は嫌いだったのです。結婚するのに、上とか下とかそんなことは関係ないと思うのです。上であろうが下であろうが、本人が嫌だというものならだめです。男女の関係においては、それこそ、野村のじいさんが、「男女の関係というのは、他の人が、どこがいいんだと思ったとしても、本人が良ければ、それでいいんです」と言っておったが(あのじいさんにその文句言われると、ほんま、実感こもってるというのか、なるほどなあという気持になるわ、ほんま(^^)/ )、上であるか下であるかとか、そういう思考しかできない人間というのか、そういう人間というのは私は嫌いだったし、そういう思考の人間の行く学部である経済学部(および、その仲間である商学部・経営学部)というのは、首をもがれても絶対に行かされたくないとずっと思ってきたのでした。遠藤周作の短編集『哀歌』に収録されている短編で、遠藤周作と経歴の重なる部分がある登場人物の話で、満洲にいた時、両親が離婚し、日本に母とともに帰ってきたが、その母が病死した後、母と離婚していた父に引き取られたが、その父から「お父さんは結婚で失敗した。だから、おまえには、おまえが結婚に失敗しないように、おまえの結婚相手は俺が決めてやる」と言われた時、それだけは絶対にきけない、父が言うように、父がいいと思う女性と結婚したのでは、それでは母があまりにもかわいそうすぎる、と思ったという。私も似たことを思った。姉の為にも、「一流大学」の経済学部には首をもがれてもいかされたくないし、行きたくないし、首をもがれても「一流大学」の経済学部、特に、父が好きな「神戸の経済」と「慶應の経済」だけは絶対に行かされてなるものか! と中学校2年の時からずっと思い続けてきた。 おそらく、それを感知したからだと思いますが、旧姓作野礼子は私が一番嫌がっている所に行かそうとしたのです。「あなたは絶対にブンケーよ!」と言いまくって。私は旧姓作野礼子にそんな「心理テスト」だか「適性テスト」だかやってくれとお願いした覚えはないのですが、あの女は本人の意思を無視して「適性テスト」を断固としておこなったのです。
  私は、小学校1年から真面目に努力して勉強してきたつもりだった。だから、慶應の学生みたいに、女子学生を輪姦するために大学に行ったようなヤカラと一緒にされたくなかった。この上もなくすばらしい品行方正な人間かというと、そうではないかもしれないし、そうではないだろうけれども、「慶應タイプの強姦魔」なんかと一緒にされたくなかったし、「そういう連中の大学」には首をもがれても行かされたくなかった。 ひとつには、慶應の場合、「入試に国語のない大学」だったので、それだけ、「ブタ人間」が多い大学になった、ということもあると私は思っている。 又、内部進学の教授は「小学校から高校まででやっているものは受験勉強だ。害があるんだ」と講義の最中にマイクに向かってお叫びになるが、そんな人が運営している大学だから、だから、中原中也も「受験勉強」になるし、キルケゴールも「受験勉強」になるし、安倍公房もイプセンもアンドレ=ジッドも「受験勉強」で「害があるんだ」になるわけであり、そういう連中が教えているそういう連中のそういう連中によるそういう連中のためのブタ大学・ブタ人間大学であるから、だから、強姦魔が登場するのです。あれは、たまたま、表に出ただけのことで、ああいう連中は慶應には前からいました。慶應は前からああいう人間の多い大学でした。特に「慶應の経済」と内部進学には塾風強姦主義の人間が多かった。なにしろ、アンドレ=ジッドもサルトルもロマン=ロランもツルゲーネフもイプセンも「受験勉強だ。害があるんだ」と心の底から信じていて、私ら公立進学校の人間が『狭き門』とか『ジャン=クリストフ』とかを読んでいた時に内部進学の人間は「プレイボーイ」を見て育ったのであり、彼らにとっては「プレイボーイ」が「慶大生らしい思考の柔軟さ」であり「福沢精神」であるわけで、彼らにとっては「プレイボーイ」が「自我が確立されている」であり、アンドレ=ジッドもイプセンもロマン=ロランもツルゲーネフもプーシキンもゴーリキーも、「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」になるのですから、そんな連中の精神面というのは、たとえ、強姦していなくても、「強姦魔とたいして変わらん」、慶應の教授の頭の中味なんて、「強姦やってない強姦魔」みたいなものなのです。
  もうひとつ、我が家では、私が小学校に行く前から、父は、ほとんど毎日のように、「共産党は死刑にしろお! 朝日新聞の記者は全員、刑務所に叩きこめえ! 日教組は死刑であ~る!」とか叫んでいたのです。「コスイギンというやつは、こすいやつやから、こすいギ~ン!」とか叫んでいたのです。それを見て、こんな人間にはなりたくないなあと思ったのです。父は、今でいう同志社大学の経済学部を出たと言っていました。「わしは、同志社大学という立派な立派な大学を出ています」と言っていたので、それを聞いて、同志社というのは最低のアホの行く大学なんだなと思ったものでした。「こすいヤツやから、こすいギ~ン!」とか毎日、叫んでいるおっさんの行く大学だと思うと、その程度が知れるというのか、せっかく、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、そんな大学に行かされてしまったのでは、人間としておしまいやと思いました。まだ、小学生だった頃に父に言ったことがあるのです。父が「共産党は全員、死刑にしろお。朝日新聞の記者は全員、死刑であ~る。日教組は全員、刑務所に叩きこめえ」と叫ぶので、「日本の法律で死刑に該当する行為をしていない人を死刑にするわけにはいきませんでしょ」、「日本の法律で、懲役刑・禁固刑になる行為をしていない人を刑務所に入れるわけにはいきませんでしょ」と。そうすると、父は怒ったのです。「何を言うとるんじゃ、何を。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとては。そんなもん、韓国の朴正熙さんなら、ためらうことなく、死刑にしたり刑務所に叩きこんだりしはるところや。甘ったれとってはいかんぞ。共産党は全員死刑でR! 朝日新聞の記者は全員死刑でR! 日教組も全員死刑でR! とってちってたあ~あ♪」と。 そういうおっさんを毎日、見ていて、それで、絶対に経済学部には行かされたくないと心の底から思ったのでした。経済学部卒の人間というのは、そういう人間として程度の低い野蛮人だという印象がありました。 北野高校の1年の時、「地理A」の授業で、H先生が「阪急の石橋の駅から十三(じゅうそう)の駅までの間に、藁ぶきの家が3軒あるの知ってるか。電車に乗ったら、窓から外を見て、ああ、あそこにあんなものがある、ここにこういうものがある。あれは何だろうか、とか気づくというのが、それがまず地理の勉強ちゅうもんや。日本のサラリーマンは出張で普段と違う場所に行った時、電車の中で何をしとる・ 電車の中で週刊誌読んどるやろうが。情けない。せっかく、普段と違う所に行ったのやから、窓から外を見ておれば、あそこにあんなものがある、あれは何だろうか、とわかって面白いんや。週刊誌なんて読みたければ家に帰ってから見ればいいだろうが」と言われて、本当にそうだと思ったものでした。私が小学校4年の時、父と一緒に広島県から山口県にかけて1泊2日で旅行に行った時、父は行きも帰りも自分が窓側の席に座ろうとして、そして、窓側の席で週刊誌を読んだのでした。裸の女性の写真が掲載されている週刊誌を。親子で旅行している人を何組か見かけましたが、そういう人は誰もが子供に窓側の席に座らせて親が通路側に座り、一緒に窓から外を見ていましたが、我が家だけは、父は常に自分が窓側の席に座って小学生の息子を通路側に座らせて、そして、父は窓側の席で週刊誌を読んだのでした。週刊誌を読むのなら私に窓側に座らせてくれればいいのにと思いましたが、父は断固として自分が窓側の席に座り、そして、窓側の席で週刊誌を見るのでした。なぜ、週刊誌を読むのに通路側ではなく窓側の席に座りたがるのか、私は長年わからなかったのですが、内田康夫『由布院殺人事件』を読むと、フルムーン旅行に行く大学教授の夫婦に、どちらが窓側に座りますかと学生が話す場面があり、窓側が上座ですからと言う登場人物があって、それでわかったのです。父は「上座」に座っていたつもりだったのです。だから、何が何でも自分が「上座」に座らないといけないと信念もって自分が窓側の席に座り、小学生の子供を通路側に座らせて、自分は窓側の席で週刊誌を読んだのでした。わかった。そういうのを見てきましたので、それで、H先生は京都大学の文学部地理学科を卒業して母校の北野高校の「地理」の教諭になられたそうでしたが、そういう人と、うちの父親のような経済学部を出て、窓側で女性の裸の写真が掲載された週刊誌を読む会社員のおっさんとでは、人間として、地理の先生の方が絶対にいいと思ったのです。 普段と違う所に子供と一緒にいった時、子供を窓側の席に座らせて一緒に窓の外の風景を見る親と、自分が窓側の席に座って小学生を通路側に座らせて自分は窓側の席で週刊誌を読む人とでは、子供を窓側の席に座らせて一緒に窓の外の風景を見る親の方がいいと思ったのです。自分が親になった時には、「子供を窓側の席に座らせて一緒に窓の外の風景を見る親」の方の親になりたいと思ったのです。 父は私が北野高校に入学した時に、将来、就く職業として「学校の先生みたいなも~ん!」と言ったのですが、私としては「会社員みたいなも~ん!」と思っていた、どう考えても、「学校の先生」と「会社員」となら「学校の先生」の方がいいと思いましたし、せっかく、真面目に努力して勉強してきたのに、なんで、経済学部なんか行かされて「会社員みたいなも~ん」にならされなければならないのかと思い、それだけは絶対に嫌だと思いました。夏目漱石『吾輩は猫である』に登場する「くしゃみ先生」という夏目漱石自身がモデルであろうと言われる登場人物は、「実業家よりも中学校の先生の方がえらいと思っている人」だと描かれていますが、私もそう思っていた。「実業家」みたいなもん、イカサマだと思っていた。「実業家」よりも「中学校の先生」か「高校の先生」の方がずっといいと思っていた。「学校の先生みたいなも~ん」という思想の人間と「会社員みたいなも~ん」という思想の人間とは、水と油のようなものだったが、旧姓作野礼子は「学校の先生みたいなも~ん」という人間の方に全面的に加担して、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに「会社員みたいなも~ん」になんでならされなければならないのかと思っている生徒を全面的に全力で攻撃した。

   我が家はそういう家庭で、そういうおっさんが父親でしたので、そういう人とつきあわないわけにもいかないので、それで、「近代経済学」という不潔なもの、「ロスケどもをやっつけろお」とかいう経済学には関わりたくないと思ったとともに、マルクス経済学を専攻しようとしても我が家では無理だと思っていましたので、それで、経済学部には行きたくないと思ったのです。 私が高校3年の時には、父は「京大はアカやからいか~ん!」とも言いだしましたしね。父が言うには、「だいたい、二番の者というのは、何かとわざわざ逆らいたがるものなんや。京大がそうやろ。それから、熊本大学というのもあれもそうなんや。あれも、九州では九州大の次の二番目やから、そやから、水俣病がいかんとか言ってわざわざ逆らいよるんや。甘ったれとるから水俣病がどうとか言いよるんじゃ。公害、こうがい、公害、こうがい言いよってからに、なんで、公害がいかんのじゃ。甘ったれとるからそういうことを言うんじゃ。熊本大は甘ったれとるんじゃ。甘ったれるなあ!!! 熊本大やとか京大やとか、そういうのは、みな、二番目やからアカになりよるんじゃ。二番目の大学ちゅうのはアカの大学になりやすいんや。けしから~ん!!!」とか叫んでいたのです。「な~んで、原発がいかんのじゃ、甘ったれるなあ! とってちってたあ~あ!!!」とか毎日のように叫んでいました。そういう家庭でしたので、そういうおっさんを見てああいう人間にはなりたくないなあと思い、だから、絶対に経済学部にだけは行かされたくない、特に「慶應の経済」と「神戸大の経済」という日本の二大ブタ人間大学には行かされたくないとずっと思ってきました。そんな所に行かされたのでは、これまで、何のために努力してきたのかわからなくなってしまう。そして、父は、な~にがなんでもそうう所に私を行かせたかったのです。「とってちってたあ~あ!」の大学学部に。
  「二番やから」理論というのは絶対に間違っているとは言えないでしょう。早稲田大学のことを「私学の東大」と言うことがあって、慶應は言わないのはなぜだろうかと思ったのでしたが、それは、早稲田大学を「私学の東大」と言うのをほめ言葉だと思っている人がいますが、実際はそうでもなくて、「半分はけなし言葉」、「私学のくせに東大の後ばっかり追いかける独立自尊の精神に欠ける大学だ」という意味でのけなし言葉なのです。慶應の先生で「早稲田大学の人は、『野人』とか『反権力』なんて言っていますが、嘘ですからね。早稲田大学ほど権力志向の強い大学はないですから。その権力志向の強い者の前に、それよりも強力な権力志向の大学である東大があるから、だから、早稲田は東大に勝てないものだから、その結果として、『反権力』とか言っているだけであって、東大がなければ早稲田ほど権力志向の強い大学はないですから」と言われた方があったのですが、そうかもしれんなあ・・・と思ったのです。慶應の方が「向こうは向こう、こっちはこっちだ」みたいなところがあるかもしれません。但し、2つ以上あると、2番目の存在が1番目を牽制することになる場合がありますから、「1番目になれないことから結果としての反権力でしかない」ものでも何の価値もないということはないのかもしれません。
  近代経済学部というのは、「慶應の経済」にしても「神戸大の経済」にしても、結論として「ブタの巣窟」だと思います。それに対して、法学部はそうでもありません。北野高校の卒業生で、東大法学部を卒業して東大の民法の教授になった川島武宜(かわしま たけよし)という方がおられますが、この人の著作の『結婚』(岩波新書)など読んでみても、開明的・進歩的な考え方がそこに見られますし、「公害、こうがい、言うようなやつは、全員、刑務所に叩き込めえ!」とか、「戦艦長門の1隻でもあったらええのになあ。戦艦長門の1隻でもあったら、ソ連を攻めてやって千島なんて取り返してやるのになあ」とか、「原発はいかんとかそういうことを言うようなやつは、全員、刑務所に叩きこんでやるべきや」とか、そういうことを言う人の経済学部とは全然違う。「刑務所に叩きこんでやったらええ」と発言する時、その刑務所に叩きこまれるのは他人であって絶対に自分ではないと勝手に決めつけているおっさんの学部の経済学部というのは、「よっぽどバカじゃないのか」という気がしました。慶應大学の一般教養で「近代思想史」という講義の際、教授が「私のゼミの人で、ドイツのナチズムのようなものは悪くないと思うと言った人がいたので、私は『あなた、ナチズムが悪くないというのは、それは自分がナチスの親衛隊か何かになってひとを迫害してまわる側にまわるのが悪くないということではありませんよ。そうではなく、自分がユダヤ人としてガス室に送られて殺されるのが悪くないという意味ですよ。わかっていますか』と言ってあげたのですが」という話をされたことがありましたが、「あなた、ナチズムが悪くないというのは、それは自分がナチスの親衛隊か何かになってひとを迫害してまわる側にまわるのが悪くないということではありませんよ。そうではなく、自分がユダヤ人としてガス室に送られて殺されるのが悪くないという意味ですよ。わかっていますか」というのは、これはわかっている人間にとっては当たり前のことなのですが、ところが、わからない人にわからせようとしても、大変難しいのです。 父が仕事でアメリカ合衆国に行くことがあった時、「アメリカ(合衆国)ちゅう国は、えらい人間はちょびっとでアホが多い国なんや。わしいみたいなえっらいえっらいえっらいえっらい人間はちびっとしかおらんで、あんたあみたいな人間がいっぴおる国なんや」とか言っていたので、それを聞いて私は「アホがめでたいのお!」と思ったものでしたが、そういう思考の人に「あなた、ナチズムが悪くないというのは、それは自分がナチスの親衛隊か何かになってひとを迫害してまわる側にまわるのが悪くないということではありませんよ。そうではなく、自分がユダヤ人としてガス室に送られて殺されるのが悪くないという意味ですよ。わかっていますか」ということを理解させてあげようと思ってもなかなか大変です。

  「文学部なんて、そんな、趣味やってもしゃあないやろ」なんて私に言う人があったのです。「趣味」でしょうか? ジャン=ポール=サルトル『自由への道』は「趣味」ですか? ロマン=ロラン『ジャン=クリストフ』は「趣味」ですか? ヴィクトル=ユーゴ―『レ ミゼラブル』は「趣味」ですか? 違うと思うのです。 デュマ=フィスの『椿の花の女』(日本では『椿姫』)というのは、あれは、デュマ=フィス自身が経験した話をもとにしたものらしいのですが、「趣味」でしょうか? 違うと思うのです。オペラの『ラ・トラビアータ』(道を踏み外した女)を『椿姫』というお姫様の話みたいな名称で呼んで、「乾杯の歌」なんてのを喜んでいるおっさんは、おそらく、ヴィオレッタが歌う「神さまは、一度、道を踏み外した女には、どんなに努力をしても幸せになることをお許しにはならないのでしょうか」と祈りのように歌うアリアの値打ちはわからんのではないか、と思う。
  「刺繍に花をつけたす」ような文学は「趣味」かもしれませんが、「精神的に雪に閉じ込められた人々に精神的石炭を送る」文学・哲学は「趣味」ではないはずです。「人類の歴史を真っ二つに割る最高質のダイナマイト」は「趣味」ではないでしょう。「刺繍に花をつけたす」ような「虚学」である文学を文学部だと思って「文学部なんて趣味みたいなも~ん」と言う人というのは、「精神的に雪に閉じ込められた人たちに精神的石炭を送る」文学・哲学、「実学」である文学・哲学を知らない人なのかもしれません。
  そして、私は、心理学というものを値打ちのあるものと思っていたのです。人間が一番人間らしい姿で生きられるように、なおかつ、その結果として、学校においてはいい成績をあげることができるようにもなり、会社など職場においてもいい成果を出せるようになるならば、これは大変すばらしいものだと思い、それは「趣味」だとか言って否定するべきものではないと思ったのです。但し、私は今は「心理学」というものを信じていません。「心理学」「精神医学」「精神分析学」といったものは、結論として、特別用語を使用することで、「人を言うことをきかす」技術、「人間による人間の加工」をおこなうものであり、許しがたいイカサマだと思っています。
  ともかく、東大ならば「文科」になり、京大ならば文科系に分類される学部でも、やっている内容はそれぞれ違うのです。私は、心理学などを学び研究者になりたいと思って、それで、北野高校の2年の途中で、「文科系」と「理科系」に別れる時に「文科系」を選択しました。しかし、「心理学」と近いもので、「心身医学」というものがあるのです。 「心身医学」「心療内科」というものを、「精神科」にかかるのを嫌がる人を騙して「精神科」にかからせるための道具と考えている人がいます。そういう「精神医学」の入口として街角に「心療内科」という看板を掲げている医者屋もいます。「心療内科」だと言って連れて行って、そこから「精神科」に持って行くということが、現実にされているようですが、本来は「心身医学」「心療内科」と「精神医学」「精神科」とは異なるもので、特に正反対だと思われるのは、「心身医学」「心療内科」は、「心で起こる体の病」を治そうとするものであり、本人の意思に反して「治療」することはできないはずで、又、治療を受けるにしても、どこの「病院」「医院」「医師」に受けるかは患者に選択権があります。それに対して、「精神医学」「精神科」はそうではない。本人の意思に反して「人間による人間の加工」をおこなうのが「精神医学」であり「精神科」です。「精神分析学」については、私はシグモンド=フロイト『精神分析学入門』を読んだ時は、これは価値があるものだと思ったのですが、小此木啓吾独善主義の勝手な主張のものについては、あれは内部進学小此木啓吾独善主義が勝手なことばかり言っているだけであり、害こそあれ益になるものはないと理解しました。なだ いなだ 『パパのおくりもの』(文春文庫)で、日本には「精神分析教の信者」とでもいうような人と「精神分析嫌い」の人がいるが、「精神分析教の信者はあまり身勝手な解釈はやめた方がいいと思う」と述べていたが、私もそう思う。まさに、小此木啓吾独善主義はあまり身勝手な解釈はやめた方がいいと心の底から思う。

   音楽の分野では、声楽家と作曲家については、最初から音楽大学に行かなかった人でプロになった人というのがけっこういます。ハンス=ホッターは、最初、ミュンヘン大学の哲学科に行き、その後、音楽大学に行って声楽家になった。元哲学徒だけに「内省的な歌い方」と言われ、シューベルトの歌曲集『冬の旅』でも、ハンス=ホッターの歌う『冬の旅』は祈りのような歌い方、歌うことによって心が研ぎ澄まされるような歌い方である。チャイコフスキーはロシアの役人であったが作曲もおこなうようになった。ボロディンは医者で化学者だったらしく、作曲は副業だったようで、オペラ『イーゴリ公』を未完成のままで他界してしまったというのも、オーケストレーションの作業が音楽家が本業でないだけに必ずしも上手くなかったからではないかと言われているらしい。岡村喬生(たかお)は早稲田大学に行って、友人がグリークラブに入ろうというのについて行って一緒に入ったのがきっかけで、それで声楽の道に進んだらしいが、日本の音楽大学は出ていないらしいが、東京放送合唱団に入ってプロの声楽家へ進んだらしい。朝比奈隆は京都大学のオーケストラ部で指揮者をして、そこからプロの音楽家に進んだらしい。誰もがそういうコースを歩めるわけではないとしても、東大・京大や慶応・早稲田などでも文学部に音楽科はあって、東大・京大や慶応大・早稲田大の文学部の音楽学科というのは音楽の演奏者を育成する学科ではなく音楽史の研究などをする学科で、音楽史の研究者になった人もいる。慶應大学の中野博教授の一般教養の「音楽」の講義は、レコードで音楽を聴かせてもらいながら、その音楽についての解説を聞くというものだったが、演奏する音楽家になるには芸大・音大という所に行った方がいいようだけれども、音楽史の研究ということになれば、東大・京大や慶応・早稲田などの文学部に行って研究者になる道もあるようだ。
  中原中也の詩はいい詩だと思うのだけれども、中原中也とつきあっていた女性は、詩人ではあっても安定した収入のない中原中也を見限って、「文学者」としての位置を占めていた小林秀雄の所にくっついた・・・て、そういう女とくっつく小林秀雄って、大学入試「現代国語」評論分野頻出作家だとしても、なんか、嫌なヤツやなあ!・・・て感じがしたのだが、「詩人」で食べていくのは簡単ではないとしても、大学の国文学の分野の先生とか高校の国語の先生とかの仕事についた上で、自分で詩を書いて認めてもらえるように努力するという道はあるのではないか、と思ったのだ。
  わが生は下手な植木師らによりて
  あまりにはやく手を入れられた哀しさよ・・・
という中原中也の詩は、自分自身のこととしてまさに共感を覚えた。

   慶應大学の商学部に、いやいや入学した年、大学にも「担任」というのがあって、その担任だったK先生と話した時に、K先生が「あなた、文学部に行くつもりだったの? 哲学科に行きたかったの。それでは、商学部は嫌でしょ。私はその気持ちはわかるわ」と言われたのでしたが、K先生は、文学部も商学部も「文科」「文科系」だからいいでしょ! という乱暴な思考はされなかったようだった。
   その乱暴な思考で人の人生を踏みにじったのは北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子だった。「あなたはブンケーよ!」と言いまくって、本人がそこだけは絶対に嫌だと思い続けてきた所に行かせた。あの女、いったい私に何の恨みがあったのかと思う。
  入試の科目としては、哲学科は文学部であり「文科」「文科系」でも、思考としては「理科」「理科系」の理学部と思考が近い。だいたい、私は、子供の頃から、「世界の偉人伝シリーズ」とかいうのを読まされて、そこで、「偉人」とされていたのは、エジソン・キュリー夫人・パスツール・リビングストン・ベートーベン・トルストイ・ナポレオン・福沢諭吉・菅原道真・新井白石といった人で、キュリー夫人とかは、放射性物質の研究をおこなった人で、夫のピエール=キュリーと妻のマリー=キュリーは一緒に研究をおこなったものの、後に、夫の方は研究に熱心でなくなり、妻のマリー=キュリーだけで研究をおこなうようになった・・と『世界の偉人伝 キュリー夫人』には出ていたのだが、実際は、キュリー夫妻は放射性物質というものを発見はしたけれども、それが人間に及ぼす危険については知らなかったので、放射性物質を、普通に家の物入れの引き出しか何かそういう所になおしていたことから、放射線を夫婦ともに浴びることになり、夫のピエールの方が先に放射線障害になって研究に取り組むことができなくなった、ということだったらしい・・・が、大学という所は、そういう純粋に知的好奇心から研究をおこなう場所で、企業が商品として開発するものは企業の研究所でやればいいことだと思っていた。そういう純粋な研究、アカデミックな研究をやりたいと思っていた人間、そもそも、そういう人間が「偉人」だと教えたのは私の両親だったはずなのだが、ところが、私にそういう人間が「偉人」だとして「世界の偉人伝シリーズ」を読ませた両親は、私が高校生になると、私が小学生だった時と逆のことを言い出した。父は言うのだった。「すべてをすべてを、わしのために。とってちってたあ~あ♪」と。
  哲学徒として、人間にとって役に立つ哲学を極めたいと思う者と、経済学部・商学部でブタ人間となって人生を送りたいと思う人間とは、どちらも「文科」「文科系」に分類されていても、まったく違うのです。そのあたりの思考については、両極ではないか。ところが、それを慶應大の担任だったK先生は理解されたのですが、父などは絶対に理解しない人間だった。「哲学科に行きたいという人間はノイローゼです」とか「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る。とってちってたあ~あ!」とか、普段、「共産党は死刑にしろお。日教組は刑務所に叩きこめえ。朝日新聞の記者は全員、刑務所に叩きこめえ」とか叫んでいるおっさんが、「宗教はアヘンであるとマルクスは言うてお~る。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。宗教はアヘンじゃあ。とってちってたあ~あ♪ 焼き討ちじゃあ、焼き討ちじゃあ、焼~き討ちじゃあ~あ!!!」と言うのでした。この「焼き討ち織田信長大好き人間」なんとかならんもんかなあと思いましたが、どもこもならん・・・。『聖書』の「福音書」には「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。おそらく、彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたにかみついてくるであろうから」と書かれているのですが、たしかに、この言葉の通りでしょう。大谷愛人(ひでひと)『古典入門 キルケゴール『死に至る病』』に、キルケゴールが好んだレンテンマルクの言葉というのが引用されていて、それは「これらの作品は鏡のようなものである。猿がのぞいても使徒の顔は浮かんでこない」というものでしたが、「焼き討ちじゃあ。焼き討ちじゃあ」とか叫んでいるおっさんとか「慶應の経済」「神戸大の経済」のブタ人間どもにとっては、キルケゴール『死に至る病』の価値をわからせてあげようと思っても無理。中原中也の詩の価値をわからせてあげようと思っても無理。「おそらく、彼らはそれを足で踏みつけにし、向き直って、あなたがたにかみついてくるであろう」というのはまさに真実でしょう。

   父は、毎日毎日、私の眼を指で突きさすようにして言い続けた。「よくも生まれやがったな、このチャンコロめがチャンコロっ!」と。そして、「生まれなければよかったのに生まれてきたっという罪をつぐなうために、すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのためにわしのために。すべてをすべてをわしのために、捧げ尽く~す! とってちってたあ~あ!!!」と。父は言うのだった。「おまえが産まれなければよかったのに産まれたおかげでわしは迷惑なんじゃ。おまえが産まれたために、ここまで育てるのにカネかかっとんのんじゃ。そやから、これから、おまえにはそれをまどてもらわんといかんのじゃ、このチャンコロっ!!! よくも産まれおってからにチャンコロっ!」と。

   今から思うと、父と母のあのやり口は計画的だったと思う。 もっと早い時期、小学生くらいの時に、「大学は経済学部に行きなさい」などと言ったのでは、あほくさい、せっかく努力しても経済学部みたいなもんに行かされてしまうのか、と思い、又、「経済学部なんかに行かされるくらいなら、大学なんか行かない方がよっぽどいい。それなら、大学には合格できないように意図的に勉強しないようにした方がいいな」とか考えたと思うのだ。そう考えさせないために、それで、母は「親というものは、息子が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、それでつきたいと思う仕事につけるようにと思って、それで無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と嘘八百言いまくったのだった。実際はそうではなく、私が高校2年・3年となると、「だ~れが、そんなもん、文学部なんか行かすかあ~あ!!!」と母は言うのだった。「ここまで育てたのにからに、文学部なんか行かれてたまるかあ~あ!!!」と。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は私の親のそういう態度に全面的に加担した。私は、北野高校の教諭で、特に、自分も北野高校の出身か同じタイプの公立進学校の出身の先生、特に比較的若い先生というのは、生徒の味方ではないか、生徒の先輩でもあるわけであり、生徒の立場を理解して、親に生徒の立場を理解してもらうことに協力してくれるものではないのかと思い込んでいたが、アホなことを思ったものだった。そうではなかった。あいつらは、生徒と親とでは親の方に加担した方が高校教諭としての処世術として正しい、と考えた連中だったようだ。 又、旧姓作野礼子の場合は「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」というのを何より自慢にしていたのだが、「両親が離婚」していない家庭の息子というものを敵視していた。 「離婚した夫婦」と「離婚できない夫婦」では「離婚した夫婦」の娘は、「苦労してきたからエライ」と主張したいようで、そういう主張をすると、誰もが「作野さんは両親が離婚されてお父さんがないから苦労されただけあって、しっかりしておられるわわ。えらいわあ」と言ってほめてくれるもの、誰もがそう言ってほめないといけないもの、という確信を持っていたが、違うと思いますよ。 「離婚した夫婦」と「離婚できない夫婦」では「離婚した夫婦」の方が常に不幸で、「離婚できない夫婦」とその夫婦の息子は恵まれているとか常に幸せとかいうことではないと思いますよその程度のことも理解できないような人は高校の教諭にならないでもらった方がありがたい。 「離婚した夫婦」と「離婚できない夫婦」では「離婚できない夫婦」が幸せとは限らないというこの程度のことも理解できないような人は、高校教諭としての適性がない、と考えるべきです。旧姓作野礼子は「適性テスト」を受けた方がよかった、「適性テスト」を受けてもらいたかった。「高校教諭に不適」という「診断」を出すべきだった。そう思います。 私は小学校に行く前くらいの時期、毎日毎日、母から父の悪口を聞かされてきたもので、母は私が17の時、私が高校3年の時に「こいつがハタチになったら、お父さんのことを聞いてもらおうと思って我慢してきたのに、こいつ、なかなか、ハタチになりよれへん」と言って怒ったのですが、怒られても、生まれて17年しか経っていない者は、どんなに頑張ってもハタチにはなれないのでしたが、「あんた、何言うてんの。あんた、私が小学校行く前から、ずっとなんだかんだ言ってきたじゃないの」と思ったものでした。その時、母が何を言っていたかは、もう忘れてしまいましたが、なんだかんだと父の悪口を私に言いまくり、小学校に行く前の私は、どうしていいかわからないけれども、ともかくも聞かなきゃと思って一生懸命聞いていたのでした。「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と「両親が離婚した」というのを自慢しまくる女というのは、そういう経験なんてないでしょう。不幸自慢なんてしてもしかたがないことで、比較してもしかたがないことですが、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそれさえ言いまくれば「ひとは言うことをきく」みたいに思っている女というのは・・・、結論として、「北野高校出ててもアホと違うのか!」てところではないか、と思うようになりました。だいたい、旧姓作野礼子の「両親が離婚したから」と言われても、私が離婚させたのなら、「それはどうもえらいすんまへんでしたなあ」の一言くらい言うべきでしょうけれども、私が離婚させたわけでもないのに、「両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と何度も何度も言われても、「それ、俺のせいと違うやろ」と言ってやりたい。よその家庭は幸せだと勝手に決めつけている身勝手女、そうではないと理解させようとしても、おそらく、あのバカ女は一生理解できないでしょう。

  もうひとつ、私が高校1年の時、阪急宝塚線「豊中」駅で飛び込み自殺をした人があったのですが、飛び込む瞬間はその場にいませんでしたが、遺体を片付けている時、それを目撃して、その時はそうも思わなかったのですが、その夜、ショックでうなされたのです。それで、自分は医者は無理だとその時に思ったのでした。それを、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子に話したところ、「それなら医学部はやめた方がいいですね」と決めつけられたのでしたが、しかし、最近、母が大腿骨を骨折して「γネイル」というものを入れる手術を受けた際に、手術室の前にいてもらいたいと言われているようにしましたが、骨折した人に金具を入れて歩行できるようにする手術をおこなうということには、別にショックは受けなかったし、その後、昨年、胆嚢炎で胆嚢を摘出する手術を自分自身が受けましたが、それにも別にショックは受けなかったのです。むしろ、自分が医学部に行って医者になっていたら、十分、できただろうと思ったのです。飛び込み自殺をする人があって、遺体を片付けているところを目撃してショックを受けて、夜、うなされたというのは、それは自分で自分の命を絶つということに対してショックを受けたのであって、治療のために人の体にメスを入れるということに対しては、別にショックを受けるとかいうことはなかったのです。 そのあたり、何にショックを受けたかを取り違えたのでした。そもそも、人が自分で自分の命を絶つということに対してショックを受けるというのは、それは人間として正常な反応であり、何とも思わないなら、そちらの方が問題があるのではないか。人が自分で命を絶つということにショックを受けない人間が医者に向ているのかというと違うと思う。 もし、私が高校の教諭になっていて、高校2年の担任で、同様のことを生徒から言われたならば、医者として手術をおこなって治療することと、自分で自分の命を絶とうする行為を目撃したのとは意味は違うということはないか、ということを言います。「それじゃ、医学部はやめた方がいいですね」と簡単に決めつけるというのはどう考えても良心的ではありません。あんな教師あんのか? なんて言ってもあったのですが、そういう「適性テスト」も生きておればあって、その「適性テスト」の解釈を正しくない方向に決めつける高校教諭というのもいたのです。

  旧姓作野礼子は私に「理科の成績と社会科の成績を比較すると、社会科の方がいいですからブンケーですね」などと言って決めつけたのだが、そういう乱暴な決めつけ方はおかしい。考える必要があるのは、
(1) そこに合格できる点数を取れるかということと、
(2) その学部に行ってやっていこうという気持になれる所かということと、
(3) その大学学部を卒業した場合、卒業後、どうなるかという点、
この3つを考えて決める必要があります。
 「社会科の成績と理科の成績を比較したら、社会科の方がいいですからブンケーですね」とは、無茶苦茶だ。
  もしも、社会科の成績がいいから「ブンケー」にされてしまうということならば、社会科の成績を悪くする必要があったということですから、そうなると、社会科と言っても、「地理A」「倫理社会」「世界史」「日本史」「政治経済」とあったわけですが、中間考査・期末考査があった時、大きな問題が4問あって、それぞれに小問が5問あって、5×4=20 で、5点ずつが20問で百点だったとすると、
【1】は普通に回答して、
【2】(1)島野 (2)桜井 (3)門田 (4)野村 (5)ジョーンズ と書く。
【3】は普通に回答して、
【4】(1)藤原 (2)新井 (3)門田 (4)野村 (5)ビュフォード と書く。
【5】も普通に回答する。
・・と、こうすれば、「落第点にはならないが、あまりいい成績でない成績」にすることはできたと思うのだ。
※ 《YouTube-1973年 南海ホークス 選手名鑑》https://www.youtube.com/watch?v=do07iif282s
御存じかと思うが、(1)島野 (2)桜井 (3)門田 (4)野村 (5)ジョーンズ は、1973年、野村のじいさんが南海ホークスの選手兼任監督で、唯一、優勝した年のオーダー。 (1)藤原 (2)新井 (3)門田 (4)野村 (5)ビュフォード は、1976年のオーダー。この1976年まで、野村のじいさんは4番を打ち、翌年1977年はホプキンスが4番を打っていたと思う。何が何でも門田に4番は打たせてなるものか、とか思うとったのか、みたいな感じだったが、野村克也追悼祈念で、そう記入することとすれば、「社会科の成績と理科の成績では社会科の方がいいから、あなたはブンケーよ!」などと決めつけられて、一番嫌だと思っていた経済学部(および商学部・経営学部)に行かされてしまうということにはならなかっただろう。野村のじいさんは南海ホークスと喧嘩別れしたようだが、1972年は、東映フライヤーズとのトレードで、前年、1勝もしていない江本を獲得するといきなり16勝。1973年は巨人とのトレードで、前年、ゼロ勝の山内をとると、いきなり、20勝・・と、すごいなあ・・と思ったものだった。だから、それを社会科の試験の時には記入するようにすれば、「社会科の成績と理科の成績を比較すると社会科の方がいいから、あなたはブンケーよ!」などと言われなくてすんだのだった。「野球は頭でやるもんや」てもんで、「社会科の試験は頭で受けるもんや」という記入法である。今からでは遅いが、そうするべきだった。なんなら、(1)福本 (2)大熊 (3)加藤 (4)長池 (5)マルカーノ でもいいけどね・・。
  倫理社会のA先生は「プラトンの『ソクラテスの弁明』、デカルトの『方法序説』、ドストエフスキーの『罪と罰』、夏目漱石の『こころ』、三木清の『人生論ノート』、太宰治の『人間失格』、こういった本は高校までにぜひとも読んでおいてもらいたいですねえ」と話していたのだが、その話に従ってそういう本ばかり読んで入試に出る内容をそっちのけにして大学入試に落ちても、A先生が責任とってくれるわけでもないのだから、そんな本ばっかり読んでいるわけにもいかなかっただろうけれども、しかし、「基本的な考え方」としては、そういう本はぜひとも読んでおいてもらいたい、若いうちに読んでおいてもらいたい、そういう本は文学者・哲学者という人だけが読むものではなく誰もが読んで考えるべき本だ、という点については間違っていないと思う。そういう本を読んで考えるということをすると、「あなたはブンケー(経済学部)よ!」と決めつけられるというのは、それはおかしいと思うのだ。それは、工学部に行く人間も理学部に行く人間も医学部に行く人間も、読んでおくのが好ましいもののはずなのだ。又、文学や哲学の本を読んで考える姿勢のある人間というのは、なぜ、ブタ人間学部に行くのがふさわしいという結論に持って行かれてしまうのか? ソクラテスというのはブタ人間だったのか? 違うと思うのだ。
  ・・・(1)島野 (2)桜井 (3)門田 (4)野村 (5)ジョーンズ に × つけよったら、「なんで、南海ホークスの優勝オーダーが × なんじゃい!」て言いたくなりますけどね・・・、言うたらいかんやろうか・・・。 

  私が、高校2年の時の「心理テスト」だか「適性テスト」だかを受けておけば良かったと後から思ったのは、その「適性テスト」を受けなくても、「あなたはブンケーよ!」とか「それじゃ、医者は無理だから医学部はやめた方がいいですね」とか勝手に決めつけて断定する「適性テスト」をやる女がいたからであり、もしも、あの「適性テスト」を受けていたならば、「適性テスト」の結果は、絶対に旧姓作野礼子が断定した内容とは異なったはずで、旧姓作野礼子は私が「いや、私は経済学部には向かないと思います」といくら言っても、「いい~いや。あんたは絶対にブンケーよ!」と言ってきかなかったのであり、その際、「北野高校の先生が言うことだから理由があるのだろうか」などとアホなことを考えたものでしたが、そうではなかった。だいたい、なんで、あの女はああいう口をきくことが許されるのか。 そういう時に、「適性テスト」を受けていたならば、「適性テストの結果でも、こうなっています」と言うことができたし、言わなかったとしても、「適性テスト」の結果は旧姓作野礼子の「診断」とは全然違うということに自信を持つことはできたと思うのです。 だから、どうせ、無責任になんだかんだきんだくんだ言うバカ女の教諭とかいるということを考えると、「それよりはまともかもしれない」という程度のものと考えて、「適性テスト」というものを受けておけばよかった、と後から思ったのでした。

  旧姓作野礼子は許せないと思うのは、私が高校を卒業してからすでに何年も経ってからも、あの女は私が知らない所で私の親に手紙を出したりして連絡をとっていたという点です。あの女が結婚して「寺地礼子」になったというのは、なぜ知ったかというと、その「寺地礼子」という女から来た封筒が我が家の机の上に置いてあるのを見て知ったのです。生徒が卒業してからも生徒とつきあいがあったとして悪いことはありませんが、生徒とではなく、その卒業生が知らないところで影でその親と連絡とっている陰湿な女というのは、それは教諭としてやってはいけない行為のはずです。ああいうのが「両親が離婚した」娘だということならば、「両親が離婚した」女というのは高校の教諭にはなるべきではありません・・・が、「両親が離婚した」人でもそれぞれ違います。「両親が離婚した」人は誰もが旧姓作野礼子みたいな人間かというと、そうではないと思います。生徒が卒業してすでに何年も経っても、その生徒とではなく、生徒の親と陰でこそこそと連絡とって手紙出してる女。いったい、あの女はどんな育ち方したのかと思います。


   その後、結局、浪人してしまい、YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」という所に行くと、今度は、本人の希望もきかずに、強制的・一方的に「適性テスト」を受けさせられてしまいました。そして、今度は、YMCA予備校は「他の予備校とは違い、YMCA予備校では、成績だけで進路を指導したりはせず、本人の適性に沿って指導します」とか「入学案内」に書いていたのですが、その「本人に沿った指導」というのはどういうものかというと、「適性テスト」の結果を無視して、「主事」だというよくわからない職種の藤井という男(1970年代後半当時、50くらい?)が勝手な解釈をやりまくったのでした。あの「心理テスト」「適性テスト」は害があります。そもそも、「心理テスト」といったものは、本人が希望した場合に受けるものであり、本人が希望していないのに受けさせるべきものではなく、 本人以外の者(この場合、YMCA予備校)がその「心理テスト」「適性テスト」の結果を取得して、かつ、本人にはその結果を渡さないというのはそれはおかしいはずですが、YMCA予備校はその「適性テスト」の結果を、YMCA予備校が保持していて、かつ、本人にはそれを渡さなかったのです。そのあたりからして、おかしいのです。だから、YMCA予備校はつぶれたのです。つぶれるべくしてつぶれた。つぶれるべきものがつぶれたのです。

   今回、高校2年の時におこなわれた「心理テスト」「適性テスト」を受けるか受けないかという問題で、受けない方がいいと判断して受けなかったけれども、後から、受けておいた方がよかった、と思った話を述べましたが、次回は、YMCA予備校で有無を言わさず受けさせられた「心理テスト」「適性テスト」の不当性について述べます。一度に述べる予定で始めましたが、字数も相当多くなったので、分けることにします。 「心理テスト」「適性テスト」は絶対にいいか悪いかよりも、それをどう扱うのか、という問題が大きいかもしれません。

   運転免許を取得する際、「心理テスト」だか「適性テスト」だかを受けさせられましたよね。 なだ いなだ『くるいきちがい考』(ちくまブックス)によると、かつて、役人で、交通事故を起こしそうな人を、あらかじめ、「精神科医」に「診断」させて運転免許を持たさないようにしてはどうかということを考えた人がいたらしく、実際には、そんな「判定」なんて「精神科医」に簡単にできるものではなく、そういう制度にはならなかったようですが、運転免許を取得する際に試験場で受けさせられた「心理テスト」というのは、その代わりのようなものなのでしょうか。
   自動車学校に入る時にも心理テストというのを受けさせられましたが、私が行った日吉の自動車学校に、大学で心理学科に行っているという女性が受講生としてきていて、自動車学校の講師の人に、「あの心理テストはどういうものなのでしょうか」と質問していたのを横で見たのですが、その講師のおじさんは、「ですから、あれは、先生がその生徒さんの性格に合わせた指導をするためのものなんです」とか言っていたのですが、違うでしょう。おそらく、あれも、「精神異常者」に運転免許を持たさないようにするためのものではないか? だから、うかつな答え方をすると、それが記録に残る可能性があるのではないか。 そもそも、「その生徒さんの性格に合わせた指導を先生がするためのもの」ならば・・・・だ。女子大生のお姉さんが相手だと、「こんにちわ。きょうも、頑張ってやりましょうね♪」とかニッコニコしながら言う男が、私には「なんだ、また、おめえかよお。早く、エンジンかけろよ、まったく、もたもたすんなあこらあ!!! このこいつう!」と言って、クルマの中で殴りつける。「なんだよ、まだ、おめえ、二段階やってんのかよお。どんくせえなあ。さっさとしろ、こらあ!」とか言うというのが、それが「その生徒さんの性格に合わせた指導」というものなのか? 俺っていったいどんな性格してんだろう。 路上実習に出ようとすると、突然、急ブレーキを踏まれて、いったい何があったかと思うと、「先生の指導には、返事は『はい』と大きな声ではっきりと。さあ、『はい』と言ってちょうだい。『はい』という練習です。さっさと言いなさい! 『はい』と、さあもう一度、『はい』」とか、そういうのが「その生徒さんの性格に合わせた指導」なのか? 運転席の前に紙が貼ってあって、「返事は『はい』と大きな声で」とか「先生の指導には素直な心で」とかなんとか書いてあって、「さあ、そこにあるのを読んでちょうだい」とか言われて、もう、ええかげんにせえよ、このおっさん・・・とか思い、横山やすし みたいに言うたろか、「教習所の指導員なんてタクシーの運転手と同じようなもんやろうが。タクシーの運転手いうたら、昔で言うたら駕籠かきやないか~い!」て横山やすしみたいに言うたろか・・という気持にもなるが、そういうことを言って争ってもしかたがないと思って我慢してきたが、あれが「生徒さんの性格に合わせた指導」かというと、なんか、違うように思うんだけどな。 女子大生のねーちゃんには、同じ人間が、なんだか、ニッコニコしてからに、「こんにちわ。きょうも、頑張ってやりましょうね(^^)/」とかって、あれが「その生徒さんの性格に合わせた指導」なのか???  「ち~が~う~だ~ろ。このボケぇえ!!!」とでも言ってやりたいような・・・。運転免許はもう取ったから、もういいけどね・・・。

   (2020.4.26.)

★ 受験生へのエール
【1/ 】 『家族の政治学』に苦しむ人へ。高校教諭を信頼するな! https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_2.html
【2/ 】「あと5本なら工夫すれば」「後期は阪急に3つ勝てば他は全敗しても」という姿勢か逆かで合否は変わる。「ID野球 弱者の戦術」から考える大学受験における姿勢。拝み屋の「家族の名前を変えなさい」ははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_3.html
【3/ 】「適性テスト」で向いていると言われても行きたくない学部・向いていないと言われても行きたい学部があると思って受けなかったが、勝手にひとに「適性テスト」をやる女が教諭にいた、という話。飛込自殺した人にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない〔今回〕
【4/ 】 「適性テスト」は受けるべきか。自分の考えに反する診断に左右されたくないと受けなかったが勝手に適性診断やる教諭がいた。飛込自殺にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_6.html
【5/ 】 「適性テスト」「作文のテスト」に読書調査までやって受講生を統制しようとするYMCA予備校は害がある。気に入らない人間には「文学的素養がない」と悪口雑言を浴びせる「敬虔なクリスチャン」。「民族の違い」を作った「神は死んだ」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_1.html
【6/ 】 なぜ、地方国立大学は論文・小論文を試験に課したか。地方大学で「論文」「小論文」「面接」が試験にある大学を受ける場合 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_2.html
【7/ 】
くるいきちがい考 (1978年) (ちくまぶっくす〈10〉) - なだ いなだ
くるいきちがい考 (1978年) (ちくまぶっくす〈10〉) - なだ いなだ
パパのおくりもの (文春文庫 113-1) - なだ いなだ
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告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
ドキュメント精神鑑定 (1979年) - 佐藤 友之
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