大学受験生、特に「浪人してしまった人」に贈るエール【1/ 】『家族の政治学』に苦しむ人へ。高校教諭を信頼するな!

[第489回]
  ふと気づくと、高校を卒業してから40年を超えた。昨日か一昨日のことのような気がするのだが、もう、それだけ経ったのだ。
  さて、その頃を振り返り、私の受験の失敗と、今、その時に戻ることはできないとしても、今、その頃の自分ならこうする、というものを述べてみたい。 《特に「浪人してしまった人」に贈るエール》としたが、 「浪人してしまった人」「予定通り浪人した人」は同じではない。慶應大学に在学した時、千葉クロマティ高校卒で、「予定通り浪人して、一浪で慶應大に入った」というT永という男がいたのだが、私はそういう男に「エール」なんて贈るつもりはなく、あくまでも、現役で入れる所は、どこでもいいというわけにはいかないけれども、特にどうしてもここでなければと言わなければどこかはあったが、高校時代の学習計画と作戦に失敗があり、環境にも恵まれないところがあって現役で合格できなかった、という人への「エール」である。

  まず、その後、私の愛読書となった、ロナルド=レイン『家族の政治学』・デビッド=クーパー『「家族」の死』(いずれも、みすず書房)は名著である。デビッド=クーパーの『家族の死』という題名の本の内容は、家族の誰かの死について述べたものではなく、家族の誰かにその家族の矛盾をしわよせするような「家族」のあり方は死滅するべきだ、ということを言っている。それは現在の「心理学」「精神医学」がやっていることと正反対の主張である。
  慶應大学に在籍した時、ステューデントカウンセラーズというサークルに入っていた時があり、そこにいた内部進学の文学部の人が、小此木啓吾の講義なのか比較的少人数らしいものに出席していて、彼はロナルド=レインについて高く評価していたようで、それを話したところ、小此木啓吾から「レインは時代遅れです」と言われた、と言ってしょげていたので、「小此木啓吾はもっと時代遅れです」と言ってあげたことがあったのだが、それから何十年か経ち、2003年に小此木啓吾が死亡すると、小此木啓吾のクズ本シリーズはあっという間に、文字通り、ゴミクズになった。ひとつには、小此木啓吾という男は慶應内部進学であるだけに、日本財界の意向を受けて国民の精神をコントロールしようとしての本を書きまくっていたのであり、「モラトリアム人間」と言ってひとを罵るのも、かつて、日本企業が大学を「企業戦士」育成所として、「会社のために。とってちってたあ~あ!」となる人間を「正常」と規定して、それをためらう者を「モラトリアム人間病」と罵り「治療」しようとしたものであり、時代とともに、「フリーター」などというものが出現したのは、日本企業としては、大学を卒業した後、正社員として勤めずに「フリーター」として存在する人がある程度いた方が都合がいい、と考えるようになった、ということではないかと思う。そうなると、「モラトリアム人間病」理論というのは、日本財界にとって都合のいいものではなくなってくるわけであり、それとともに、小此木啓吾も「モラトリアム人間」理論は、少々控えめになる・・となったのであろう。もともと、内部進学 小此木啓吾なんてその程度の男である。 それに対して、「マルクスは時代遅れだ」とか「サルトルは時代遅れだ」とかそういうことを言いたがる人がいるようだが、誰だったか、サルトルの翻訳者が書いていたが、「『サルトルは時代遅れだ』とか言う人というのは、その人は本当にサルトルを読んだのか? その人は本当にサルトルを読んで理解した上で言っているのか? と言いたい」と述べていたが、私もそう思う。「マルクスは時代遅れだ」とか言う人も同様だと思うよ。・・というよりも、マルクスの書作というのは大部であり、全部読もうと思っても大変で、「マルクスは時代遅れだ」とか言いたがる人というのは、たいてい、マルクスの著作はほとんど読まずに言っている人だと思う。かつて、ソ連でペレストロイカの時代に、「多くの人間がその書物の存在を知っているが、すべて読破した人は多くはないという本、それはな~んだ?」なんてことが言われ、「なんだろう。『聖書』だろうか・・」というと、答えは『資本論』・・・て、ソ連でそんなこと言っていいのか? というと、「ペレストロイカ」の時代においては、そのくらい、言ってもそれでどうなるということはない、という話が新聞に出ていたが、実際、『資本論』だけでも相当の分量であり、それ以外にも著作はいっぱいあって、どれもが相当骨のあるものであるから、あるものについて、この点は違うと思うとか指摘するのならいいが、「時代遅れだ」とか断定なんて、簡単にできるわけないはずなのだ。・・ともかく、少なくとも、小此木啓吾みたいなクズと違って、レイン・クーパーの著作は、すべてにおいて賛成するか否かはともかく、価値のある著作だと私は思っている。
  「レインよりはるかに時代遅れの小此木啓吾」が「レインは時代遅れです」と言うのも、「マルクスは時代遅れだ」とか「サルトルは時代遅れだ」とか言う者と同様、あなたは本当にレインを読んだのか? あなたはレインを本当に理解した上で言っているのか? ・・と言ってやりたい。小此木啓吾内部進学独善主義は、実際には、レインをろくに理解できていないで言っていたのでしょう。文学・哲学の古典と言われるものでも、ある人間が価値がないと思っても、別の人間が大変価値があると思うことがあります。「心理学」「精神医学」「精神分析学」の大変大きな問題点として、文学・哲学という次元で述べられた場合であれば、文学・哲学においては、人によって受け取り方が違うのは当たり前のことであり、いかに大文豪の意見、いかに巨人哲学者の意見であっても、「普通の人間」がくだらないと判断することもできるし、別の考え方をとることもできるのですが、ところが、「心理学」「精神医学」「精神分析学」だと称して発言されてしまうと、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「セラピスト」「カウンセラー」といった人たちが正しい、と勝手に決められてしまうという点があります。なぜ、彼ら「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「セラピスト」「カウンセラー」は常に「正しい」のか? なぜ、彼らの解釈が「正しい」のか? なぜ、「患者」「来談者」「クライアント」という位置づけにされた者は「間違っている」「異常」「病気」「不適応」等々と罵られなければならないのか? 文学・哲学ならば、どちらが正しいとか正しくないとかは、あらかじめ決まっているようなことはないのですが、「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」といったものになると、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「セラピスト」「カウンセラー」が常に「正しい」と勝手に決められてしまうのです。これは、トマス=サズが『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で指摘しているものでもありますが、小此木啓吾内部進学独善主義が常に絶対に「正しい」のか? その思考はファシズムの傾向の思考であり、内部進学ファシスト小此木啓吾が他界してくれたのは何よりありがたいことであった、と思います。
   慶應の内部進学の人を見ると、私など公立小学校⇒公立中学校⇒公立高校・・と進み、国立大学に行くはずだったのが慶應に行かされてしまった、という者とは、それまでの人生の基礎体験とでもいったものがはっきりと違います。「幼稚舎から慶應シンドローム」「揺り籠から墓場まで慶應症候群」の小此木啓吾にはレインは理解できないのでしょう。大谷愛人他『古典入門 キルケゴール《死に至る病》』(有斐閣新書)で、キルケゴールが好んだというレンテンマルクという人の「これらの作品は鏡のようなものである。猿がのぞいても使徒の顔は浮かんでこない」という言葉が引用されていましたが、まさにそれが小此木啓吾にはあてはまります。 「レインの作品は鏡のようなものである。小此木啓吾がのぞいてもその価値は見えてこない」
  ロナルド=レインの著作『家族の政治学』の書名「家族の政治学」に直面して、抵抗むなしく敗れた者、真面目に努力して同級生の他の者が遊んでいる時も只管勉強すれば、行きたい大学の行きたい学部に行かせてもらえて、やりたい勉強をさせてもらえて、それまでに学んだものを生かせる仕事につかせてもらえる・・・と、ない夢を持って努力し続け、その努力の成果をすべてまとめてドブ中にどぼんと捨てさせられた、無念をかかえて何十年と生きてきたが、英語のlife、ドイツ語のLeben は、人生・生活・生命 の3つの意味があるごとく、普通は、人間というものは、この3つをある程度持ちながら、そのいずれかを守るために他のどれかをある程度犠牲にして生きているのではないかと思うのだが(時々、生活と生命だけあって、人生というと、それこそ、「両腕いっぱいに女と生活をかかえて生きる」みたいなそんな人生しかない人間を見るが)、私の場合は、人生はかなり削り取られ奪い取られてしまったが、苦しいのは生活で、生命については悪いところはけっこうあるものの、コロナウイルスにも今のところ感染することなく生きている。我が家は、「家族の政治学」という点においては、かなり難しい家庭だったと思う。そこで失敗したのは、北野高校の教諭というものを実態をかけはなれて信頼してしまった、という点である。 高校生の時の私は、高校というものは大学受験のためにだけあるのではない、と思っていた。今でもそう思っている。しかし、今から考えると、北野高校の教諭には、大学進学について的確な指導をする能力がないことから目をそらすために、「高校は大学受験のためにあるわけではない」と言うことはあっても、それなら、大学受験のため以外のことに力になってほしいと思うと、「そんなことは、高校生なら自分で解決するものだ」と言って逃げる。卑怯者の集団だった。あいつらを信頼しすぎた、あいつらの能力を実際よりはるかに高いものと思い込んでいた、というのが高校および浪人中の私の大きな失敗のひとつだった。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で、「能力的にも優秀で人間的にも優れている教師というのは、多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と書いていたが、まさにその通りだと思う。大学受験に成功するためにも、人生を失敗しないためにも、これは認識しておくべきだった、と思うが、私はそれができていなかった。

   この稿では、特に、浪人してしまった人へのエールとして述べる。落ちた・・・という時、うかつに外に出歩かない方がいいかもしれない・・・と思っている。なぜなら、外に出ると知っている人間と会ってしまう。そうなると、「通った?」ときかれるのだ。そういう人に余計なこと言ってもしかたがない。通ったか落ちたかもいちいち正直に正確に答える必要はないはずだし、どこを受けたかも答える必要はない、というよりも、きかれる筋合いがないはずだった。大きなお世話である。だから、あまり、うかつに出歩かない方がいいのかもしれない。

   もうひとつ。共学の進学校出身の者は、女性と会うこともあるわけだ。私が高校1年から2年になる春休み、クラブの練習で高校に行った時だが、大学入試を受けた3年生の男子生徒が、高校に来て、友達とキャッチボールをやっていたのを見て、ある先生が「◇◇くん、通ったかあ」と言うと、「落ちましたあ」なんて言っていたが、試験の直後で合格発表はまだの時期だったから、通ったか落ちたかはわからないという時期で、だから、その先生も、他の人間もいる所で大きな声で、「どうだったあ、通ったか」と言い、言われた方も、実際にはまだわからないけれども、「落ちましたあ」なんて言っていたのだったが、それを見て、ある女生徒が「やっぱり、男性はいいわねえ。私だったら、え~んてなるところだけれども、その点、男性はいいわあ~あ」なんて言うておったのだ。しかし、だ。自分自身が大学受験の経験を経てみるとだ、この発言は、なんというのか、そう思いたければ好きに思っておればいいのかもしれんが、男だって、できなければこたえるのだ。「やっぱり、男性は違うわねえ」なんて・・・、勝手なこと言うなあ~あ! 十分、こたえとるわあ!!! ・・と思う。 戦後、学校教育は共学の方がいいということで、公立高校は、それまで、男子校・女子校だったものが、生徒を交換して共学になったり、新たに募集する際に共学として募集したりして共学になった高校が出現し、男子校だった北野高校は、女子校だった大手前高校と生徒を交換して共学になったらしいが、さらにその後、男子校の私立6年制受験校がいくつか出現し、女性でも東大とかに行く人が最近は増えてきて、女子校の私立6年制受験校も出てきたのだが、共学の学校がいいか、男子校の方がいいかというと、慶應大学にいた時、「6年間の男子校生活のおかげで、ぼく、女性が怖いんです」とか言う男がいて、「どう、怖いのお?」ときくと、「高校は共学でしたか?」と言うので、「ぼくはねえ、幼稚園に小学校・中学校・高校・予備校・大学に自動車学校とぜ~んぶ、共学でしたあ」と言うと、「いい~いですねえ~え。うらやましいですねえ~え」なんて言うので、まあ、悪いとは言わんが、そこまでうらやましがられるほどのものか、と思ったのだったが、彼が言うには「6年間も男ばっかりの学校で暮らしますとね、まわりに女性がいるというのがものすごい異様なことに思えるんですよ。冗談じゃなくて、本当に女性が怖いんですよ」と言うのだった。「怖いってどういうことよ」と言うと、「だから、この気持ちは共学の学校にいた人には理解できませんよ。ほんと」と言うのだった。そういう話を聞くと、共学の学校の方がいいのかなあと思ったりもするし、彼はそんなにおかしな人間だとは思わなかったけれども、職場でも「ぼく、男の多い高校で、高校の時は野球部で男ばっかりで女性はまわりにいませんでしたので、女性が苦手なんですよ」なんて言う男もいたのだが、「野球部だとマネージャーとかいたのじゃないの?」と言うと、「マネージャーなんて先輩の彼女ですよ。あんなの、いない方がいいですよ、先輩の彼女みたなもん!!」言うのだったが、「女性は苦手なんですよ」なんて言っても、世の中の半分は男で半分は女なのだから、そんなこと言ってられないだろうが・・と思うのだったが、男子校もしくは男の比率が相当高い高校卒の人にはそういうことを言うひとがいた。そのあたりを見ると、中学校・高校は共学の方がいいのではないか・・と思ったりもしたのだが、ところが、共学の高校に行くと、男は子供の頃から「女の子なんかに負けてはいけません」なんてずっと言われてきたし、中学校の時も、「なんで、あんたが一番と違いますのん!」なんて責められるが、その場合も、自分より成績のいい生徒が男ならまだいいのだが、女でもできるやつはできるわけで、そういうやつより成績が悪いと「なんで、あんたは女の子よりできませんのん!」と余計に責められるわけで、特に「女の子に負けるやなんて、なんて情けないやつや、こいつはあ」とか言われるわけで、小さい頃からずっとそう言われてきた者としては、男に負けてもいかんが、特に、「女に負けるような男みたいなも~ん!」と言われてきたわけなのだが・・・、ところが、共学の進学校なんて行くと、困ったことに、女でもできるやつはできるんだわ・・・、困ったことに。この点、女性は、できると「女の子なのに頑張ってる」と言ってもらえて、できなければ「女の子だから、できなくてもいいの(きゃぴ)」とか言うことだってできるのだが、男はそうはいかんのだ。「まことに、人生つらいですなあ」て感じなのだが、大学の入学試験になると、女生徒で「やっぱり、男性はいいわよねえ~え。私だったら、え~んてなるところだけど、男性は違うわよねえ~え」とか言うやつも出てくるのだ。そういうこと言われると、なんか、ええかっこせんとあかんのかなあ・・・みたいな気持ちになりそうだが・・・。・・勝手なこと言うなあ! 十分、こたえとるわ!!! ほんと・・・。今は昔、東大の試験の後、京王帝都電鉄「駒場東大前」駅に入る階段の下で泣いとった女性受験生がいたのを見たが、「その点、男性はいいわよねえ~え」かというと、そんなことないわい! 勝手なこと言うなちゅうんじゃい!!! 十分、こたえとるわ! むしろ、「女は泣けていいよなあ」と思ったものだ。男は泣いても誰も同情してくれんもんなあ。
〔 もうひとつ、入学試験の直後に泣くことないとも思ったのだけどね。だって、最後の最後まで何があるかわからんでしょうが。通ったと思っても落ちてたという場合もあるが、たとえ、落ちたかなと思っても、泣くのは合格発表見てからにしてもいいのではないか。もうひとつ、「最後の最後まで何があるかわからない」という認識をきっちりと持っていたならば、それはその点において「通る方の要素」がひとつあるということで、まだ、合格発表を見たわけでもないのに、そういう態度をとっているということは、その点において「落ちる方の要素」がそこにひとつあるということであろう、と思う。1997年だったか、野村克也が監督であったヤクルトが4度目の優勝をした年、たしか、書店でついていたテレビの野球中継で見たと思うのだが、ヤクルト対巨人の試合で、ヤクルトが1点リードした最終回、その年は救援投手として活躍した伊藤投手が、なぜか、その試合だけ調子が悪くて同点に追いつかれ、逃げ切りの状態だったヤクルトは「勝ってる試合の中継ぎ投手」はすでに出た後で、延長10回、「負けてる試合の中継ぎ投手」しか登板する投手はおらず、これはヤクルト不利だと思うと、やはり、セカンドにランナーを置いた状態で、レフトの頭上を越えるヒットを打たれた。「あ、これはヤクルトの負けだ」と思ったのだが、誰だったかヤクルトの左翼手は、自分の頭上を打球が超えていったと思うと、そのボールめがけて全速力で追いかけてバックホームすると、巨人の二塁ランナーは、勝ったと思ったのか、のっそのっそと本塁めがけて歩くような走り方で向かっており、左翼手がホームに返球して捕手の古田がボールをつかんだ時はランナーはまだ本塁より前にいた。そして、その裏、ヤクルトは得点してヤクルトがサヨナラ勝ちした。そのあたりが、その頃の巨人とヤクルトの違いだった。強いなあ~あ、と思うと、その強いヤクルトの監督だった野村のじいさんは「野球は弱い方が勝つからおもろいんや」と言うのだった。何、言うてんねん、ヤクルト、無茶苦茶強いがな・・と思ったものだ。そして、「長嶋のおかげで優勝できた、長嶋さまさまや。長嶋はほんまにええやっちゃ、わしぁ長嶋大好きや」とか言いよるのだった。関西人でヤクルトのファンがいるのはなんで? とか言う人がいるが、何人でもあの姿勢はファンになるよ。ひとつには、その頃のヤクルトは「ちびっこ俊足型」選手が多かったのに対し、巨人は「巨艦鈍足型」選手(江本の言葉によると「肥満体ばっかし」)が多かったということもあるだろうけれども、その時だけでなく、その頃のヤクルトの選手はエラーしてゴロを後ろにそらしたという時、即座にそらしたボールめがけて全速力で追いかけたのに対して、巨人の選手は後ろにそらすと、「しまったあ」と思ったような一呼吸を置いて、それから後ろを向いて「エラーして恥ずかしいなあ」と思ってるのか、のっそのっそと追いかける。実際に巨人の選手がそう思ったのかどうかは知らないが、見ているとそんな感じのボールの追いかけ方だった。「野球は弱い方が勝つからおもろいんや」とか野村のじいさんは言うが、ヤクルト、強いじゃないか、無茶苦茶強いじゃないか、と思ったものだった。入学試験で最後の科目の試験終了時刻まで最後の最後まで必死で取り組んでいたならば、試験会場を出てすぐに泣きだすということは男でも女でもないはずなのだ。だから、試験会場のすぐ外で泣いていたというのは、それは、最後の科目の試験終了時刻まで最後の最後まで必死で奮闘していなかった、ということだろうと推測される。だから、たとえ、落ちても、東大を受けたような人ならば、それなりに努力もした人でそれなりの学力もある人だったのかもしれないが、その部分の姿勢は、それでもその人が落ちたのか通ったのかわからないけれども、それは「落ちる方の要素」であったはずだ。たとえ、延長でランナーがセカンドにいる時に、外野手の頭上を打球が超えていった、としても、「負けたあ」と思うのは試合が終わってからでいいのだ。とりあえず、そのボールめがけて全速力で追いかけて捕手めがけて返球するべきで、その姿勢を常に持っているのとそうでないのとで、勝敗が変わる場合がある。2浪もしてしまったが、2浪目の12月、大阪環状線「玉造」駅のそばにあった専門学校が会場で河合塾が開催した東大オープンの試験を受けたのだが、最後の科目の答案を集めている時、隣の席の男性が、集めている最中の私の答案をふと見て無茶苦茶ショックを受けたような顔をした。どうしたのだろうと思うと、彼は答案を書く欄を間違えたのだった。書く欄を間違えてしまったら、答案のできがいいか悪いかにかかわらず、点数は計上されないから本番の試験なら不合格になるが、河合塾の東大オープンは模擬試験だから通るも落ちるもないのだったが、それでもショックだったと思う。試験会場でてすぐの場所で泣いていた人というのは、もしかすると、最後の科目よりも前の科目で書く欄を間違えたか何かだったのかもしれないが、それにしても、その場では泣かない方がよかった、と思う。・・それに、受ける大学が東京大学ではなく、どこかの女子大か何かなら、泣けば、「かわいそうにい」と一生懸命同情する男もそのへんにいたかもしれないが、他の人がどうかは知らんが、私なんかは自分のことでせいいっぱいでひとに同情するような余裕なんかなかった。セカンドにランナーがいてレフトの頭上をボールが超えていった時、多くの人間は巨人に点が入ったと思ったと思うのだが、ヤクルトの選手はそうは考えず、ともかく、頭上を越えて行ったボールめがけて全速力で追いかけていった。誰がというのではなく、その頃のヤクルトの選手は誰もがそういう姿勢だった。だから、関西人でも何人でも、あの頃のヤクルトは魅力的だったのだ。男でも女でも、東大でなくても難関校を受ける者は、結果として通るか否かにかかわらず、最後の最後まで、全力を尽くすべきであり、通ったか落ちたか考えるのは試験会場を出て自宅まで帰って一晩寝て翌日からでいいと思う。〕
・・・と思うと、「6年間の男子校生活」を送ると「女性が怖い!」という気持になると言う人もいるけれども、大学受験に関しては、男子校にいた方が、余計な事考えなくていい、という点はあるかもしれん。かつて、デュークエイセスという男性のコーラスグループが「おさななじみ」という歌を歌っていて、その中で、「小学校の運動会、きみは一等、ぼくはビリ♪ 泣きたい気持ちでゴールイン♪ そのまま、うちまで駆けたっけ♪」なんて文句があったが、共学の進学校なんか行ってると、女性でも「一流大学」に通るやつは通るのだが、男ならそれ以上に通るのかというと、落ちることだってあるからなあ~あ・・・。「き~みは合格、ぼく、不合格♪」なんてことだって、現実にあるんだよ、現実に・・・と思うと、男子校の方が余計な事考えなくていいかも・・・という面はあるかもしれん。 それで、だ。女性と会うこともあるわけだ。落ちた後、外を出歩くと、どんな顔をしたものだろうか・・・。これはなかなか難しいのだ。通ったならば、「ポーカーフェイス」でありながら、心の中では、うひうひうひ・・とかいうのもあるかもしれんが、落ちた者は、しょげた姿では「男のくせに」と思われるかもしれんが、他方、元気いっぱいだと「落ちたくせに」と思われるかもしれんわけで、なかなか難しいのだ。だから、必要なければ出歩かない方がいいかもしれん・・・。
※《YouTube-デューク・エイセス おさななじみ 2014》https://www.youtube.com/watch?v=LbLO6C3J17M

  しかし、他方、家にいない方がいいかもしれん、というのもある。難儀だ。外に出歩いてもいかんし家にいてもいかん、となると、どないしたらええねん、どないしたら・・・ということになる。
  落ちた・・・となると、不合格らしいとわかった直後に考えたのは、もう、落ちたのならそれならそれでしかたがないから、だから、翌年、通るようにさっさと行動に移ろう・・・ということで、しょげてる時間なんかないぞ、そんなもん・・・と考えたのだった・・・が、そうすると、母が「こいつ、普通やったら落ちたらしょげるもんやのにからに、こいつ、何とも思っとれへん、こいつう~う!!!」と言って怒るのだった。どないしたらええねん、どないしたら・・・ということだが、そのあたり、我が家は対応しにくい家庭だった。 そうでない家庭の人もあった。そうでない家庭の方が多いようだった。

  大学入試は公平ではないと思っている。我が家は、母の家系は学校の先生が多い家系で勉強する人が好きな家系だったので、だから、私も小学校の時から当たり前のように勉強してきた。その点は、比較的有利な部分だったかもしれない。しかし、母の叔母のダンナが小学校の先生をしていて、その人から話を聞いてきたりしたようで、私が小学生の時の「通信簿」を母の叔母のダンナで小学校の先生をしていた人に見せたら、「え~らいええ成績なんやなあ~あ」とびっくりしていた・・というのだが、それはいいとしても、いい面ばかりでもなく、「小学生型の勉強法」があまりにも身についてしまうと、高校や大学受験の際に、それがマイナスになってしまう場合もないことはない。それは実際に体験してわかった。
  その点は、我が家は条件は悪いことはなかったのだろうけれども、しかし、北野高校の生徒でお父さんも北野高校から京大に行った人だとか東大出た人だとかいうような生徒を見ると、「親の違い」というものを実感した。もしくは、東京ででも、お父さんも、東大もしくはそれに準ずるような大学を出たようなお父さんの息子と、我が家のようなそうでない父親の息子とでは、明らかに条件に差がある。但し、これについては「まあ、しかたがないか」と思ったのだが、しかし、違いは間違いなくある。 この場合、親が、すんなりと行きたいと思った大学、東大なり京大なりに行った人と、行きたいと思ったところに必ずしも行けなかったという人と、どちらの親の方がいいかはなんとも言えない。「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったかに載っていた話だが、大王製紙の二代目社長は、北野高校から東大を受けたが落ちて慶応大に行き、息子には絶対に東大に行かせてやると思って、息子は筑波大付属駒場高校だったかから東大に合格して行った・・・が、その息子がラスベガスのカジノでしょーもないことしよったあ~あ、あ~あ・・・、東大でたってバカ息子!!!・・・ということだったが、相撲の高砂親方(元大関朝潮)が、朝青龍をきっちりと指導できないのは、親方が元横綱の親方ではなく元大関の親方だからではないかと言われたのに対して、元大関の親方が指導者として元横綱の親方に劣っているということはない、元横綱の親方というのは、たいていが自分は達成したという気持でいるのに対して、大関にはなれたが横綱にはなれなかったという親方は、力士を辞めた後も、どこがだめだったのか、なぜ横綱にはなれなかったのか・・と、いつまでもいつまでも考える。考えるなと言われても考えないではおれない。その気持ちを弟子の指導にぶつけるから、だから、成果が出るのであり、だから、元大関の親方が元横綱の親方に指導者として劣っているということはない、と本に書いていたとスポーツ新聞に載っていたが、そういうことはあると思う。だから、京大なり東大なりにすんなり合格して行った親と、最後に断念して阪大などに行った親と、落ちて慶應なり早稲田なりに行った親とで、息子の受験に際してどちらがいいかはこれは何とも言えないと思う・・・が、京大も阪大も東大もそんな所に進学するなんてありえないという親とでは大きく差がある。かつ、我が家の父親の場合は「プライド」が高い男だったので、何もわかっていないくせして、自覚がない男だった。だから、その点では、「小学校しか出てない」というお父さんでも、だから、低学歴の親で息子の大学進学は本人にまかせるという態度を取ってくれる人よりも我が家ははるかに不利だった。母親の方も、私の母は、精神的に不安定なところがあって、よそで余計なことを言う習癖があって、なおかつ、よそで無視すればいいことを聞いた時に無視できない人間だった。その点、我が家は、多くの家庭よりも不利だったと思う。
  特に、父親が京大なり東大なりを出たようなお父さんで、相当しっかりした人の息子というのは、私などよりずっと有利だったと思う。だから、そういうお父さんの息子が私などより模擬試験で良い成績を取ることがあって、私が落ちた所に通ったとしても、うらやましいとは思っても、えらいとは思わない。うらやましい限りである。 よその父親を見て、いいお父さんだなあと思ったことはあるが、その人は、ひとのお父さんであって我が家の親ではないのであり、しかたがない・・・と思ったが、そうはいっても、うらやましいなあと思ったことはあった。

   今の私が高校および大学受験の際の私の親であったならば、あれだけ、努力することのできる息子ならば、絶対にものにしてやる・・と思うのだが、私の親はそんな親ではなかった。 『あしたのジョー』では、山谷の玉姫公園で、矢吹丈と出会った元ボクサー丹下段平が、「おめえ、ボクシングしねえか。おめえならチャンピオンになれる。おれがコーチしてやれば絶対になれる」と口説く場面があるが、そういう丹下段平みたいな父親の息子と、その逆の父親の息子とでは条件は違う。
※ 《dailymotion ジョーの子守唄 /小池朝雄》https://www.dailymotion.com/video/x4dc6u5
父はこう言っていたのだ。「息子というものはやなあ。母親が産んだなどと心得違いをしてはならんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ! ナスビでもキュウリでもそうやろ。種が芽を出したのであって畑が芽を出したのとは違うんや。あくまでも、畑に種を植えてやってくださっていただいてもらってあげてやってやってやってあげてくださったお方のおかげで、種が芽を出したんや。そんで、種が芽を出したら育てるのは畑の役目じゃ。わかっとんのんか。甘ったれとってはいかんぞ、心得違いを起こしてはいかんぞ、心得違いを起こしては。育てるのは畑の役目じゃ。そんでやなあ、畑が育てて、出た芽が大きくなって実がなるようになったら、その実は種を植えたものに権利があるんや。畑に権利があるのとは違うんじゃ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いを起こすなよ、心得違いを。種を植えた者に権利があるのであって、畑に権利があるのとは違うんじゃ。ましてや、ナスビやキュウリに権利があるわ~けがない! わかっとんのんか、このナスビ! わかっとんのんか、このチャンコロっ!!! 生まれなければ良かったのに生まれおってからにこのチャンコロめがこのチャンコロ!!!」と。
   父はそう考えたいたようだったが、母はそうではなかった。私が高校3年の時に、母は離婚すると言い出した。本気かどうか疑問だった。なぜなら、母が離婚すると言い出したのは初めてではなく、私が幼稚園児だったか小学校1年くらいだったかの頃にも一度言い出しており、その時も、私を口実に使って離婚を取りやめていたから、今度もそうかもしれんとも思ったが。そして、私が高校3年の時に、母が離婚すると言い出したのはどうなったかというと、母は「こいつが、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かす男になるから、そやから、こいつ、絶対に落としたる~。こいつ、絶対に合格させてなるものか、こいつう~う!」と言って、毎日毎日、夜、家で勉強していると、箒を持ってきて背後からボコボコ殴り、服の後ろの部分を持って背後にひっくり返し、そうやって、ボコボコ殴ると、今度は「うわあ、怖い怖い怖い、こいつ、私をいじめよるう~う!」と叫んで部屋から出て行く。そして、またやってきて、ボコボコ殴ったり、後ろにひっくり返したりというのを続ける。普段は「私は血圧が・・・。私は心臓が・・・」とか言っているくせして、そういう時には元気でものすごい力がある。そして、洗面所にあった電気のブレーカーを私が学習していた部屋のものを落として照明をつかなくする。高校から帰ると、インタホンのプラグを抜いてならないようにして、雨戸はすべて閉めて入れないようにする。困ったと思って、定期券は持っていたので、阪急の駅のベンチに座ってどうしたものか、と思っていると、その間に高校に電話をして、「息子が帰ってきませんね~ん!」と言う。そこで、私は誤解していたのは、高校の先生ならば、特に北野高校の先生というのは、北野高校の卒業生かそうでなくても同じタイプの公立進学校の卒業生の人が多いのであり、経験者であれば生徒のために、できることをやって生徒に協力しようとしてくれるものではないか・・・と幻想を抱いていた点であった。彼らはそういう人間ではなかった。彼らは、そういう時に、200パーセント親の側に加担することで、おのれの立場を守ろうとする卑怯者集団だった。母は私が高校3年の時、「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かしよるから、こいつ、絶対に落としたる、こいつう~う!」と言って、後ろからボコボコ殴ったり、背後にひっくり返したり何度もやったはずだったが、実際に浪人してしまうと、今度は、「私は、T子とA子の2人が成人したら離婚しようと思ってそれまでの我慢と思ってきたのに、そやのにからに、こいつが生れよって離婚できんようになってしまって、そんで、こいつが現役で大学に行ったら離婚しようと思って我慢に我慢を重ねてきたのにからに、また、こいつが浪人しよったために、また、私は離婚できんようにされてしもうた。すべて、こいつが悪いんや、こいつがあ!」と言うようになった。自分が「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落としたるう~う!」と言って種々様々な妨害を繰り返したのと違うのか・・と思ったが、結局、母は「離婚する」と言いたかったけれども離婚する勇気はなかったので、それで、いったん抜いた刀は、その刀で切りかかるか、鞘に納めるかどちらかしないといけないが、鞘に納めるには納める理由が必要になるわけだが、その理由として「こいつが浪人しよったために、私は離婚できんようにされたんやあ。こいつめがあ~あ」ということになったようだった。で、その「離婚する」という話について、父の方はどうだったのかというと、「そうや。こいつがすべて悪いんや、こいつめが」ということで、その2人は、それで大団円。よかった、よかった、よかった・・・・て、そんな勝手な話があるか?・・・というと、あったのだ。我が家に、そして、2人よって、「すべて、こいつが悪いんや、こいつが」と言いまくったのだが、なんで、この2人、大同団結できるんだあ? と不思議に思ったものだったが、我が家はそういう家庭だった。夫婦円満のためには、人身御供として「悪者」にされる人間が必要だったのだ。イタリア映画『ロッコとその兄弟』(日本では『若者のすべて』)で、最後、三男のロッコが「家を建てる時、大工は、最初に通りかかった人の影に石を投げるという。ひとつの家庭が成り立つには、誰か犠牲になる人間が必要だったんだ」と言い、ロッコのすぐ上の兄、次男が、身を持ち崩しただけでなく、女性を刺し殺して警察に追われることになったことについて、責めるのではなく彼は自分たちの犠牲になったと話す場面があった。家庭が成り立つために誰がが犠牲になる、というそういう「家族」のあり方は死滅するべきだ、というのがデビッド=クーパーが『「家族」の死』で述べているものである・・・が、我が家の場合、母が「離婚する」と言い出したものは、結局、「こいつが悪いんやあ」と母がいい、父がそれに応じて「そうやそうや、すべて、こいつが悪いんや、こいつめがあ」と言うことで「納まった」ということになった。私の気持ちとしてはおさまってないのだけれども。私としては「やられた」と思った。「心配してやって、失敗した」と思った。
  そういう場合、もし、私が父親で、息子が高校3年の時、妻と離婚するとかしないとかいう話があって、それで、妻が「こいつ、絶対に落としたるう、こいつう~う」と言って、部屋の電気をつかないようにしたり、高校から帰ってきても家に入れないようにしたり、背後から引っ張ってひっくり返したり・・・等々と繰り返したということがあって、それで落ちたかそういうことがなくても落ちたかにかかわらず、高校卒業時に落ちたならば、「すまん」の一言くらい言うところだが、私の父はどうだったかというと、「世の中にはやなあ、カス親! もおれば、ダメ父! もおるわけで、それに対して、このわしは、えっらいエッライえっらいエッライえっらいエッライ聖人のお父さんやねん、わしはあ。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、このチャンコロ! わしは聖人やねんぞ、わしは。わしは英雄やねんぞ、わしは。んが、んが、んが!!! わしは英雄ヒットラー総統やねんぞ、この世の中の人間は何でも何でもわしの命令をきかんとかんねんぞ、このチャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ!!!」と言うのだった。父が言うには、父の「親友」の医者屋のM川と3人の兄弟の中では常に父についていた上の姉のT子さんと父の部下で父の言うことを何でもきくことで出世させてもらったらしいM尾さんの4人と聖徳太子とヒットラー総統のこの6人が「英雄でドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」で「常にひとに命令をして人に号令かけなければならないと天の神さまから命じられて生まれてきた人間」だそうで、その逆が私で私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族で、ひとから号令かけられることに快感を感じる人間で、号令かけられることに何より喜びを感じる民族で、これは天の神さまが生まれる時点でそうお決めになって生まれてきた人間」なのだそうだ。父は毎日毎日言っていた、「わしはドイツ人で慶應の民族やねんぞ、わしはわしはわしはああ~あ。それに対しておまえはチャンコロで浪商の民族やぞ、この浪商チャンコロ! おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけどなあ。たとえ、北野高校に行っても、それでもおまえは浪商やねんぞ、この浪商めが浪商チャンコロ! このチャンコロめが浪商!!!」と。「浪商の分際で高校行くな、この浪商!!!」と。父は「わしは天高(天王寺高校)で慶應やんぞ、わしはわしはあ」と言っていたが、実際に行った大学は慶應ではなく同志社で、「わしは天高やぞわしはあ」と言うわりに明星高校から同窓会の案内が来ていた。そういうおっさんやった。
  それで、父は、息子に対する権利は「種を植えた者にある」という考えだったのだが、母はというと「裁判でも、息子の所有権は母親にあると判決がでてます」と言うのだった。「親には息子には所有権という権利があるはずや」と。「所有権」が母親にはあるらしいのだ。「所有権」という権利が。いずれにしても、息子には自分自身について「所有権」はないらしかった。
  だから、父としては「息子の所有権」は「種を植えた者」にあるという考えだったが、母は「裁判でも息子の所有権は母親にあると出ています」という認識で、どちらの説をとっても、息子には自分自身についての権利はまったくなかったのだった。
  父は「よくも生まれおってからに。謝らんか、このわしに。生まれてきて申し訳ございませんでした、と地面に頭すりつけて謝らんか、このチャンコロめが、生まれなければよかったのに」と言い、「生まれてこなければよかったのに生まれてきたという罪をつぐなうために、すべて欧、すべて王、わしのために、すべて央、すべて翁、わしのために、ささげ尽く~す! とってちってたあ~あ!!! このチャンコロめがあ、生まれてこなければよかったのに生まれおってからにこのチャンコロ~お!!!」と言うのだった。「そんな子供、産まなければよかったのと違うのですか」と言ったことがあったのだが、父は「何を言うとるんじゃ、このチャンコロは。いったい何を言うんじゃ。お~ま~え~が~あ、生まれなければよかったのに生まれおったんじゃろうが、おまえが悪いんじゃろうが。生まれたおまえが悪いんじゃろうが、ええかげんにせえよ、ええかげんに」と言うのだった。後に母が言うには、上の姉2人が生まれた後、何回か妊娠したが人工中絶で流したそうで、「そのたびにお父さんからずいぶんと怒られた」そうだ。「また、はらみやがったな、この女! どうしようもないな、この女は、ほんまにほんまにい~い! この女は産む産むの女、この女ははらむはらむの女! どうしようもない女やなあ、困った女やな、この女はあ!」と言われ、人工中絶した後は体に力が入らずふらふらしていると、「何、ふらふらしとんじゃ、何を~お!!!」と言って怒られたそうだ。それを考えると、私は人工中絶に失敗して生まれてしまった、望まないのに生まれてきおった悪の子だったのかもしれない。「天の神さまは大変賢明なお方であって、世の中には、ひとに命令する人間ばっかしでもあかんし、ひとから命令されてせっせせっせと働く人間ばっかしでもあかんのであって、両方の人間がおって世の中は成り立つのであってやなあ、そんで、天の神さまは、わしとかM川先生とかいったひとに命令してひとに号令かけるべき民族と、あんたのように号令かけられることが何よりも喜びで、ひとから命令されて号令かけられてせえっせせっせ、せえっせせっせと働くことが使命の民族と両方の民族をお造りになったのでR 喜べチャンコロ、感謝しろチャンコロ! 神様に感謝せんといかんぞ、チャンコロ。喜べチャンコロ、とってちってたあ~あ!!!」と言うのだった。だから、その「チャンコロで浪商の民族」であるらしい私は、「とってちってたあ~あ!」とか「どんがんどんがらがった♪」とか言われて、喜ばないといけないそうだったのだ。「エライえらいエライえらい英雄」が言うには。〔⇒《YouTube-ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」/ヴォルフガング・サヴァリッシュ》https://www.youtube.com/watch?v=s0KG-Bv42Fw

   我が家よりはいいかもしれんが、いいとは言えない親というのもいる。我が家の近所に住んでいて私と同じ中学校から同じ北野高校に行って現役で大阪大学法学部に進み、阪大(大阪大学)の法学部に5年在籍して5年目に司法試験に通って弁護士になったK村という男のお母さんは、私が浪人中、「うちの子は、京大でも通る、阪大なら絶対に通ると北野高校の先生から言われました」と近所に言ってまわっておったらしいのだが、「ああ、そうですか」くらいにしか私は思わなかった。だって、そうでしょ。「京大でも通る」のなら京大を受けて行けばよかったんじゃないの。なんで、京大受けて行かなかったんよ。俺は、受けんといてくれなんて一言も言うてへんで。誤解せんといて欲しいんやけども、「お願いですから京大は受けんといてください~い」なんて、わし、K村に頼んだことなんて一度もないで、ほんまに。京大に行きたかったのなら受ければよかったのと違うんかい。なんで、受けへんかってん? 自分が京大を受けんと阪大にしたのと違うんかい? 誰かに、京大受けたらいかんとか言うて脅されたとかあったんかい? 違うやろ。自分が阪大を受けることに決めたのやろうが。違うんかい!?! もしかすると、模擬試験の成績などから考えると、「京大でも合格できる可能性はある」という成績だったけれども、浪人するよりもさっさと阪大法学部に入って司法試験の勉強を早く始めた方が司法試験合格には有利だと考えた・・のかもしれないが、そうであってもなくても、結局、阪大法学部を受けたのは自分だろうが。京大受けたら通ったか落ちたかはわからないが、受けなかったんだろうが。違うのか? うちが受けないでくださいとお願いしたのとは「ち~が~う~だ~ろ。このボケ~え!!!」。 しょーもないこと言うお母さんだわ、ほんと。で、そういう話にいちいち反応して、「K村くんは通ったのにあんたは落ちたというのは、あんたが甘ったれてるからや。あなたのおかげで私は離婚できんようになったんやあ」といううちの母親も困ったものだったが、そういううちの母にそんな話をするK村のお母さんは迷惑な存在だった。 彼が阪大法学部に進む道を選んだのは、それは彼の選択であり、それはそれでいいと思うのだ。しかし、それなら「京大でも通ると北野高校の先生から言われました」とか「阪大なら絶対に通ると言われました」とか、彼の高校3年の時の担任が誰だったか忘れたが、普通、高校の先生はそんなこと言わんぞ。なぜなら、彼が模擬試験で何点取っていたかなんて知らないが、たとえ、模擬試験でけっこういい点数を取ったとしても、それは、あくまでも「通る可能性は十分ある」という程度のことであって、「通る」と断言なんてできるものではないし、たとえ、「京大でも通る可能性がある」成績であっても、それなら、「阪大なら絶対に通る」かというとそんなことはない! あくまで、もしも、「京大なら、通った人4人、落ちた人6人」というくらいの成績の場合、「阪大なら、通った人5人、落ちた人5人」というそのくらい、もしも、「京大なら、通った人5人、落ちた人5人」というくらいの成績を模擬試験で取っていても、それでも、「阪大なら、通った人6人、落ちた人4人」というくらいのものであって、「絶対に通る」なんてものではないし、もしも、「絶対に通る」などと本人が思っていたのならば、その意識は「落ちる方の要素」であると思う。京大でも阪大でも神戸大でも、あるいは東大でも、ある程度以上、手ごわい所を受ける以上は、最後の最後まで「絶対に」なんてものは、ない!
(まさか、K村の北野高校3年の時の担任の教諭はそんなこともわからん人間だったということはあるまい! ・・と思っていたのだが、もしかすると、体育の先生でも担任だった・・という可能性ならないことはないかもしれん。北野高校の音楽のN先生が「私は1年の担任ならやってくれと言われればやりますけれども、3年の担任はたとえやってくれと言われても断ります。やっぱり、3年生は受験があるから、自分自身が京大とか阪大とかを受けた経験のある先生が3年の担任は持った方がいいと思います。芸大を受けたいとかいうことなら私自身の経験を話してあげるとかできるけれども、京大や阪大に行こうという人にはそういう経験のある先生が担任をもった方がいいと思います」と話されたことがあったのだが、音楽は1・2年にあって3年にはなかったので音楽の先生が3年の担任を持つことは一般になかったが体育の先生で3年の担任を持つ人もあったわけだから、もしかして、川村の3年の時の担任というのは体育の先生だったから、体育の先生で自分は京大や阪大を受けたこともなければ受ける可能性もまったく考えられなかったような人が担任を持って、大学入試についてわかっていない人が担任だったから、だから、「阪大なら絶対に通ります」などとアホなことを言った・・・ということなら、可能性として絶対にないとは言い切れないかもしれない。・・どっちにしても、大学入試について理解できている人なら「阪大なら絶対に通ります」などというアホなことは絶対に言わないと思う。もし、京大なり阪大なりに行こうとする者が亜拓大東帝国なんてところを受けたなら、試験会場まで行ってもあほくさいから白紙で出してきたとかいうことでもなければ、まあ、落ちることはめったにないかもしれないが、京大や阪大に行こうとしている人間がそんな所に通っても行く気持ちになれないだろうし、もしも「行く気持ちになれる可能性がある所」を受ける限り、「絶対に」などというものは、絶対に、ない! )
〔 白土三平『カムイ外伝』では、忍び(忍者)の世界を抜けた「抜け忍」カムイは、執拗に追いかける伊賀の抜け忍狩りを「飯綱落とし」「変移抜刀霞切り」といった技を使い、ことごとく返り討ちにしてきたが〔⇒《(映画)カムイ外伝 予告動画》https://eiga.com/movie/53339/video/1/ 〕、しかし、ついに、モモカのウツセという強敵が抜け忍狩りの追手として来る。「空蝉(うつせみ)・山彦(やまひこ)・逆足(ぎゃくあし)、すべて通じぬ」。カムイの忍びとしての技はウツセには通じない。しかも、剣術の技もカムイより上と思われる。ウツセとの対決に敗れたカムイは崖から転落するが、ウツセは「勝ったか」と思い崖下をのぞきこむと、まさに落下しつつあるカムイは鎖を投げてウツセの首に鎖を巻き、耐えられなくなったウツセはカムイとともに崖から落下して、ともに重傷を負う。傷が治ってきたカムイは、もう一度、ウツセと対決しても勝てないと悩むが、ウツセもまた、「もしも、自分がどう考えても勝てない相手と対決した時、崖から落下するまさにその時、相手の首に鎖を投げてともに落下するという、そこまでのことをはたして俺はできるだろうか。カムイ、怖ろしいやつ」とウツセはウツセでカムイに怖れを抱く。阿多棒心という老剣術家はカムイに「わしが見るところ、おぬし(カムイ)とウツセ、身体能力も忍びとしての技も五分と五分、しかし、剣術の能力はおぬし(カムイ)は我流であるのに対し、ウツセは柳生で修業しただけあって動きに無駄がなく、ウツセの方に一日の長がある。おぬしの悩むところはそこであろう」と言う。「じゃが、忘れていることがひとつある。おぬしにあの月が斬れるか」と空に出ている月を指して言う。「月は斬るものではない」というカムイに「斬れぬのであろう」と阿多棒心は言う。「あなたには斬れるのですか」と言うカムイに、「斬って見せよう」と言って、池に写った月を棒で突く。「そら。斬って見せたぞ」と。「それは月ではない」と言うカムイに、阿多棒心は「同じことよ。空にある月を斬るのではなく池に写った月を斬る」と言う。この言葉の意味だが、技を通して心(精神)が発揮されるのか、逆に、心(精神)を通して技が表に出るのか。再度、ウツセと対することになった時、この相手には勝てないと思いこんでいたカムイだったが、結果はそうではなかった。「腕をあげたな」とウツセが言うのに対し、「月影の心を習得したのかもしれん」とカムイは言う。そして、最後の最後、勝敗を決したのは、忍びの世界を抜けて、いかに強敵と戦うことになっても独立自尊の精神をもっておのれの力で生きて行こうとするカムイに対して、その気持ちになれず、「ためしてみるか」とウツセに親愛の気持ちを持って言うカムイに対して騙し討ちの技をしかけたウツセは、カムイと同じだけの結果を出せなかった。「見損なったな」「その程度の男だったか」と言い捨てて去るカムイにおのれのみじめさを味わうウツセが残された・・・という話だった。対決した相手が崖から落下した時、「勝ったか」と思って油断して不用意に崖上から下をのぞきこんで首に鎖を投げられてともに落下することになったウツセと、絶体絶命の瞬間にも最後の最後まで勝負を捨てずに崖上からのぞきこんだ相手の首に鎖を投げてともに落下して「相打ち」に持ち込んだカムイとでは、身体能力は五分と五分、忍びとしての技も五分と五分、剣術の能力は我流のカムイに対して柳生で修業した分だけわずかにウツセが上であっても、精神面においてはカムイの方が上であった。近所中に言ってまわっていたのは本人ではなくお母さんらしいが、「(受けもしなかった所を)京大でも通ると北野高校の先生が言われました」だの「阪大なら絶対に通ると言われました」だのと言うようでは(まず、普通、「北野高校の先生」はそんなことは言わんと思うが、もしも本当にそんなこと言っていたのなら、その「北野高校の先生」は大学入試についてわかっていない人だと思う。私が北野高校の3年の時の担任だったO谷郁三は、私が浪人中、通った人間は「ええもん」、落ちた人間は「悪もん」みたいに言いだしたが、そういうことを言いたがるアホが何を言っても、しょせんはアホの言うことでしかない。通った方がいいか落ちた方がいいかというと、通った方がいいのは間違いないが、別に、通った人間が「ええもん」で、落ちた人間は「悪もん」というわけでもないはずなのだが、通った人間は「ええもん」で落ちた人間は「悪もん」みたいに言いたがる高校教諭というのもいるようだが、そいつはアホなのだから、「アホはほっとけ」と考えるしかないはずである。)、まだ、勝ったと決まったわけでもないのに、不用意に崖上から下をのぞきこんで最後の最後にカムイから鎖を投げられて首にまかれてともに落下して「相打ち」に持ち込まれたウツセと同様、その部分において厳しさが十分ではない、ということになるのではないかな・・・・。 〕
  さらに、K村は、阪大法学部に在学した時、私なんかと違って、アルバイトは週に2回、家庭教師をやっていたというだけで、司法試験の学習に集中させてもらい、そして、4年を2回やったのか、阪大法学部に入学して5年目に司法試験に合格して後に弁護士になったようだが、父は、司法試験合格者の氏名が掲載された新聞を私に送ってきて「川村くんの爪の垢を煎じて飲みなさい」と書いてきて、その上で、電話してきて、「手紙読んだかあ~あ」と言い、「川村くんの爪の垢を煎じて飲めよお。わかったかあ~あ」と言い、さらに「川村君の家に行って、『すいません、爪の垢を分けてください』と言ってお願いしていらっしゃい。わかったかあ、チャンコロウ! わかったかあ」と言うのだった・・・が、K村が阪大の3年の時、私は、いやいや、慶応大商学部に入らされてしまい、慶応大の1年だったのだが、夏休み、父は「あんた、明日から、うちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」と言うのでびっくりした、ということがあった。ハタチ過ぎた人間がどういう仕事をするとかしないとか、「決めてきたっ!」などと勝手に決めてくる親があるのか・・と思ったが、あったのだ、我が家に。「わしは、ものすごい寛容な人間で思いやりのある人間でやなあ、そんで、柔軟な思考の人間やさかいに、もしも、あんたが、どうしてもということならば、明日からやのうて、明後日からにしてくだい~いとお願いしてやってやってやってやったってもええで、わしはものすごいえらいえらい親切で思考が柔軟で寛容で思いやりのある人間やさかいにい」と言うのだったが、そうやって「決めてきたっ!」と決めてこられて、化粧品屋の工場で乳液作ったりクリーム作ったりする作業を夏休み中させられた。「2浪の功と罰」として「功」の方で、「英語力がつく」ということを「朝日新聞」の「声」欄に書いていた人があったのだが、たしかに、英語のような科目の場合、模擬試験で取る点数が横ばいであったとしても、数学とかは横ばいではしかたがないし、国語も社会科も入試が終わったら少々点数が上がってもそれはその後、特に役立つわけでもないが、英語については、点数が上がればその方がいいが、たとえ、横ばいでも、「覚える科目」である英語は、それだけ、頭により定着したということであり、2浪してしまったとしても、大学入学後、夏休みなどに集中して学習すれば、英語検定1級(もしくは、準1級など)に合格できるチャンスであったはずだった。それを、「あんた、明日から、うちの会社の工場にアルバイトに行くことに決めてきたっ!」て、その発想、どこから出てきたのか? と思ったが、うちの父親はそういう男だった。私は「日本の労働基準法では、未成年の子供がどこに勤めるといったことを親が子供に無断で決めてはいけないことになっているはずだ」と言ったのだが、母は「何を甘ったれてますのん、あんたはあ。それは未成年の子供の場合でしょうが。あんたはハタチ過ぎてるんやから、親に決める権利があるはずや。親には息子には所有権という権利があるんやからなあ!」と言うのだった。そうやって、無理矢理行かされた工場だったが、最後、父の部下だった工場長のMさんが、「あんた、よう我慢したなあ」と言うので、どういう意味なんだろうと思ったのだが、「普通、北野高校出て慶應なんか行った大学生に、こんな工場の仕事なんてさせたら、たいてい、嫌がってやめてしまうもんやけど、あんた、よう最後まで我慢して勤めたなあ」と言われたのだが、そんなこと言われても、父は「アルバイトを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってる。とってちってたあ~あ♪」と言い、無理矢理行かされたのであり、それなら、川村はモラトリアム人間病と違うのか? 何よりも小此木啓吾はモラトリアム人間病と違うのか?!?と思ったが、「えらいエライえらいエライえら~いという先生」の場合は違うらしく、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『お医者さん』(中公新書)で書いていたが、アルコール中毒(アル中)というのは難しいところのある病気で、たとえば、ある男が、月に酒代として5万円使い、家族から飲み代にそんなに使われては生活できないのに使うのはアル中だと言われるが、本人は納得いかない。なぜなら、彼が飲みに行く店に月に10万円飲み代に使う男がおり、月に10万円、飲み代に使うのにアル中と言われない。なぜなら、月に10万円飲み代に使う男は年収が多いので、月に10万円飲み代に使っても生活はでき、家族からも「健康に気をつけてね」と言われるくらいのものだが、月に5万円、酒を飲む者が「アル中」で、月に10万円、酒を飲む男は「アル中ではない」というのは、これは納得いかない、というのだ。なるほど。これと似たところがある。川村は、大学生の間、1回2時間の家庭教師を週に2回やっただけで、それ以外はアルバイトなんてしなくても「モラトリアム人間病にかかっている」と「診断」されることはないのに対して、私の場合は、父親が「決めてきた」のならそこの会社は父の勤め先であるから、私がそれを行かないと父の顔をつぶすことになるからとしかたなしに行って、夏休み全部をそれに費やしたとしても、それでも「アルバイトを嫌がる人間で、モラトリアム人間病にかかっている。治療してやらんといかん」とか言われることになったのだった。小此木啓吾はどうなんだ? 普通に考えて、「幼稚舎から慶應」で慶應大医学部の生徒が、夏休み中、化粧品屋の工場で冷房なんて効かない場所での肉体労働なんてやるわけないわな。なんで、小此木啓吾はモラトリアム人間病と違うんだ??? 小此木こそモラトリアム人間病であろうが、小此木啓吾こそ!!! と思うのだが、「心理学」「精神医学」「精神分析学」なんてものは、「そんなもの」だったようだ。私は「心理学」を高く評価し過ぎていた、というのも失敗だった。「心理学」「精神医学」というのは、要するに、ファシズム勢力が国民をマインドコントロールするための技術であり、その典型が慶應内部進学 小此木啓吾だったのだ。 なんで、川村は、1回2時間の家庭教師を週に2回やるだけで、他の時間は大学での勉強に使わせてもらえて、それで「モラトリアム人間病」でなくて、私は「アルバイトオ、あるばいとお、アルバイトオ、あるばいとお」とアルバイト漬けにされて、その間に、入学時においては、少なくとも慶応大入学者の中では上の方だった英語力も低下してしまって、それでも「モラトリアム人間病にかかっているからアルバイトをやるのを嫌がるのだ」と「診断」される。私は言ったのだ。「そんなに、アルバイトばっかりやらないといけないのなら、もともと、慶應なんて行きたくないと子供の頃から思っていた大学ですし、やめます。やめて働きますから」と。ところが、そう言うと、「な~にを甘ったれとるんじゃ、チャンコロ! このわしが慶應に行かせてやってやってやったってんで、わしが。あんたは慶應に行ったと思っておるかもしれんが、おまえは慶應に行けるだけの努力は何ひとつとしてやってはおらんねんで。わしがえらいからおまえは慶應に行けてんで」と言うのだった。その文句は父の「親友」の医者屋のM川が「わしは息子に言うてやりますねん。『おまえがえらいから大学に行けたのとは違うねんぞ。わしがえらいからおまえは大学に行けてんぞ』と、こない言うたりますねん」と、その文句を聞いて、「そうや、わしも、そない言うたろ」と父は思ったようだったが、しかし、医者屋のM川のドバカ息子は、小学校から高校までちっとも勉強せんといてからに、それで、M川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネの分け前を「給料」と称して受け取ったものから、私立金権関西医大に裏口入学したのであって、それに対し、私は裏口入学させてもらったのとは違うのだ。むしろ、様々な妨害を受けて、それで、2浪しても東大の試験に落ちてしまって、慶應はどうでもええわて気持ちで「なんか受けたら通った」のだった。 化粧品屋の工場にアルバイトに行かされた帰り、阪急「石橋」駅(最近、「石橋阪大前」駅と改称したらしい)でK村と会ったのだが、「どこ、行ってきたん?」とK村がきくので、正直に「うちの父親の勤め先の工場にアルバイトに行ってきた」と言うと、K村は「へえ~え、そんなもん、あんのお」とひとを馬鹿にしたように(彼は馬鹿にしたつもりはなかったかもしれないが、馬鹿にしたように)言ったので、「どこに行ってきたん?」とこちらも訊くと、「阪大の図書館で法律の本を読んできた」と彼はそう言ったのだった。同じ中学校から同じ高校に行って、住んでいる家も近所で住んでいる家の大きさも同じようなものだったと思うが、家庭によって、同じ「大学生」といえども、これだけ、生活が違うんだと思ったものだった。ともかく、私が冷房なんてちっともきかない化粧品屋の工場で乳液作ったりしてアルバイトしたりしていた時に、川村は冷房の効いた阪大の図書館で座って法律の本を読んでいたのだった。それだけ、生活が違ったのだった。「川村くんの爪の垢を煎じて飲みなさい。川村くんに、『お願いします。爪の垢を分けてください』と言って土下座してお願いしてきなさい」と父は言うのだったが、もしも、川村の爪の垢を煎じて飲めば、私も川村と同じようなけっこうな生活をさせてもらえるのならば、爪の垢でも、ち〇ぽ の垢でも喜んで飲むわ! ほんま・・と思った。 川村が冷房の効いた図書館で法律の本を読んでいた時、私は冷房なんて効かない工場で「強制労働」につかされていたのだった。ロシア民謡に「ドビヌーシカ」という歌がある。「ドビヌーシカ」は私の心の歌であり、川村が冷房の効いた図書館で座って法律の本を読んでいたまさにその時に、冷房なんて効かない工場で「強制労働」につかされていた男の心の歌である。
〔  余計な注釈かもしれないが、関西では「阪大」と言えば大阪大学のことだと誰もが理解するが、東京その他の人で分からない人もいるかもしれないので、ここでは「阪大(大阪大学)」と記載した。今は昔、大阪市の梅田と中津の間くらいに教文研ゼミナールという予備校があって、代ゼミと提携していたと思うが、「神大模試」というのを実施していたが、その場合、「神大」というのは神戸大学のことを言う。東京圏で「神大」というと神奈川大学を言うかと思うが(今、神奈川大のHPhttps://www.kanagawa-u.ac.jp/campuslife/ を見ると、「神大」と書いてあった)、関西では大阪大学は「阪大」と言うが、神戸大は神戸大であって「神大」という言い方はあまりしないが、それでも「神大」と言えば神戸大であって神奈川大ではない。
  慶應義塾大の略称は東京圏でも関西圏でも「けいだい」ではなく「慶應」だが文字で書く場合は「慶大」か「K大」と書くことがあり、それを音声にすると「けー大」だが、東京圏で「けー大」と言うと慶應大を指すが、関西で「けー大」と言うと大阪経大(大阪経済大学)を言う。慶應大を「東京のケー大」と言って大阪経大を「大阪のケー大」と言う人もある。大阪には桃山学院大学があり、略称を「もも大」もしくは「ピン大」(桃⇒ピンクで「ピン(ク)大」)と言う人もいるが「大阪のとう大」と言う人もいる。東京には「東京大学の東大」と「東洋大学の東大」があるようだが、普通、「東大」と言うと「東京大学の東大」を指すと思うが、たまに「普通」でない人もいるようだ。
  今は昔、1981年のことだが、東大病院に勤務していたF山という医者屋の男(当時、自称30歳)が「ぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通ったんだぞお。わかってんのか! きみは二浪もして、それでも東大に通らなくて慶應にしか行けなかった人間のカスだろうが。ぼくときみとでは能力も違えば人間性も違うんだ。このぼくは東京大学理科三類に現役でゆうゆうと通った優秀な優秀なエリートで人間性が優れていてなにより謙虚な人間なんだ。きみは二浪もしてでもそれでも東大に通ることができなくて、慶應にしか通らなかったどうしようもない人間のカスだろうが! 自分を人間のカスだと認めなさい。自分をどうしようもないクズだと認めろ! ぼくときみとでは能力も違えば人格も違うんだ」と何度も何度も私に言ったのだが・・、最初、F山は東大の本郷キャンパスの中にある東京大学医学部付属病院に勤務していて、当人が「このぼくは東京大学理科三類に現役で通ったんだ」と言うものだから、本人がそう言うのならそうなのだろうと思っていたのだが、話を聞いているうちに、どうも、なんか変だなと思うようになったのだが、当人は「このぼくは東京大学の理科三類に現役でゆうゆうと通った優秀な優秀な人間なんだぞお」と言いまくり、かつ、東京大学医学部付属病院に医者屋として勤務していたが、東大病院に勤務はしていても、実際に卒業した大学は「T京大学医学部」ではあっても「東京大学医学部」ではなく「帝京大学医学部」だったようだ。なるほど、いかにも、私立金権医学部裏口入学の人間が言いそうな文句だった。彼は「ぼくは学生時代、貧乏だったから」などと言ったことがあったのだが、帝京大学医学部裏口入学が貧乏なわけないだろうが!  まったく、「よく言うわ♪」「バカ言ってんじゃないわ♪」「い~つ~も~、騙してばかりねえ♪」て感じである。東京の文京区本郷の東大本郷キャンパスの中にある東京大学医学部付属病院、略称「東大病院」というのは、東大医学部卒の医師が診察しているのではないかと思う人が多いと思うし、たいていの国民は、いい病院にかかりたいと思ってもどこがいいのかわからないから、私立金権裏口医大卒の医者ではなく、国立大学卒の医者の方がいいのではないかと思って(また、かつての私は、工学部で石とか鉄とかを扱う人と違って医者というのは扱う対象が人間なので、慶應大医学部・慈恵医大・自治医大のように、入試科目が数学と英語と物理と化学だけの大学よりも〔私が高校を卒業した1970年代後半から1980年代のことで今も入試科目はその頃と一緒か違うかは知らんで〕、旧帝大系国立大学のように国語も社会科も入試にある大学の方がいいのではないかと思ったのだが〔今は、実際に医者屋をやっている人を見て、それはあまり関係ないかもしれないと思うようになったのだが〕)、又、私は、親の医者屋が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネで裏口入学して医者屋になったようなドバカ息子の医者屋にかかってそいつに利益をくれてやるのは反社会的であると思っている、そいつにかかってそいつに利益をくれてやるのは薬漬け・検査漬け・毒盛りされて苦しんでいる「患者」に対する裏切り行為だと思うので、それで、東京圏の住人には東大病院にかかろうと考える人がいるようなのだが、ところが、実際には、「私立金権医大付属病院」でも教授とかは東大卒の人間がなっている場合があって、東大病院は東大医学部帝国主義の植民地の私立金権裏口医大卒の医師が勤務して診察しているらしいのだ。これって、不当表示と違うのか? と思ったのだが、今も、「東京大学医学部付属病院」、略称「東大病院」を名のって東大医学部卒でない医者屋が営業やってる。ジャロに言うたった方がええのと違うのか・・と思うのだがどうだろう。<⇒《YouTube-JARO 白雪姫篇》https://www.youtube.com/watch?v=OyGtVTySYEo > 「T京大学医学部」というと東京大学医学部だと思いそうだが、帝京大学医学部というのがあり、しかも、帝京大学医学部卒の医者屋で東京大学医学部付属病院に勤めて、「このぼくは東大の理科三類に現役でゆうゆうと通ったんだぞお」と大声で叫んでいるやつがいる。「ぴあ」という雑誌が昔あって、ページの端に「はみだし ゆうとぴあ」という読者投稿欄があり、「昔、早稲田大学の学園祭に行って知り合った彼氏。早稲田の学生だと思っていたら、日大の学生だった」なんて書いてあったのあったが(日大だったか学習院だったかそのあたりは記憶がたしかではないが)、そんな感じの医者屋が文京区本郷の東大病院には棲息しているようだ。
  「日東駒専」という言葉があるが、これには2通りの意味がある。東京圏の私立大学の「序列」で早慶の次に「JARK」とか「MARCH」、最近では「SMART」というグループがあるそうで、「JARK」は上智・青山・立教・国際基督教大学で、「MARCH」は明治・青山・立教・中央・法政だそうで、私の感覚では法政は日東駒専のグループの方という感覚だったので「MARCH」の「H」は少々違和感があるが、おそらく、「マーチ」にするためには「H」が必要だったことから最後の「H」は語呂合わせで入れられて、頭文字が「H」の大学はというと法政かということで法政が入った、てところではないかな。「SMART」は上智(ソフィア)・明治・青山・立教と東京理科大らしいのだが(「Jマート」https://www.tiendeo.jp/%E5%BA%97%E8%88%97/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD/%EF%BD%8A%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88 でもいいような感じもするが)、そのJARK・MARCH・SMARTの下に誰でもともかく受けさえすれば合格する大学として、「日東駒専」、日大・東洋大・駒沢大・専修大というグループがあったのだが、かつては誰でも入れる大学の代表格のように言われたが、最近ではその下に、亜拓大東帝国とかいう怖そうな名称のグループがあって、さらに下に関東上流江戸桜とかいうグループができて、さらにまだその下があるらしいので、日東駒専は今では最低ランクではなくなったらしいのだが、もうひとつの「日東駒専」の意味として、「採用する時は『一流大学』卒の人間を採用したがるが、いったん入社すると、東大卒の人間を日大・駒沢大・専修大卒の人間と一緒にしてしまう会社」のことを「日東駒専」もしくは「日東駒専の会社」と言うことがあるらしい。
  法政大学の人間は、法政大のことを「東京六大学の下の方」と言うそうだが、「東京六大学」というのは野球などについて言うもので、東京六大学野球では「下の方」と言うと東大のはずなのだが、「東京六大学の下の方」というのは東大ではなく法政のことを言うらしい。
  三井系の箱根の保養所で夏休みに2か月弱、泊まり込みで「雑務」(というのか、「下男」)のアルバイトをした時、そこに来ていた神奈川大の学生が、大学はどこかときかれた時には「東横線沿いのK大学」と答えるんだと言っていた。「東横線沿いのK大学」というと、「日吉」の慶應か? というとそうではなく、「白楽」もしくは「東白楽」から「徒歩13分」の場所に神奈川大学があるらしい。一般に、「東京六大学の下の方」というのは東大ではなく法政のことを言うのと同様、「東横線沿いのK大学」というのは神奈川大のことを言うらしい。保養所の仕事というのは、仕事中以外も泊まり込みで相部屋というのはきつかった。父は私に「大学は勉強する所とは違うねんぞ、勉強する所とは。甘ったれとってはいかんぞチャンコロっ! 大学はアルバイトする所やぞ、アルバイト、あるばいと、アルバイト、あるばいと! うちの会社にも、ぴ~ん大のヤツとか、き~ん大のヤツとか、大阪け~大のやつとか工場にアルバイトに来とる。おまえも、ぴ~ん大のやつとか、き~ん大のやつとか、大阪け~大のやつとかとおんなじようにせえ! 甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはチャンコロ! アルバイトは嫌じゃあとか言うような人間はモラトリアム人間病という病気やぞ、病気! 病気は治療せんといかん、治療せんと。小此木啓吾先生という慶應大学のエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる。とってちってたあ~あ! 大学ちゅうところはアルバイトする所であって勉強する所とは違うねんぞ、わかっとんのんかチャンコロ、わかっとんのんかこのチャンコロっ!」と言い続けるのだったが、なんで、私だけがこんなことをさせられなければならないのか、と絶望的な気持ちで勤めたものだった。夏目漱石の『門』では、登場人物が、なぜ、自分だけがこんなことをしなければならないのか、と嘆く場面があった、山本有三『路傍の石』では、昼間、印刷工場に勤めて夜学に通う吾一が、学業だけやっておればいい人間とでは明らかに差があると思う場面があった、福沢諭吉は中津藩の家老の息子でできの悪いやつが家老の息子であるからという理由で長崎に勉強に行かせてもらって自分は下級武士の息子だから行かせてもらえないというのを嘆いていたが(実際は、その「家老の息子」の奥平壱岐に便宜をはかってもらって、奥平壱岐の下僕のような仕事をするということで長崎に行かせてもらった、という話もあり、壱岐はけっこう福沢諭吉に便宜をはかってくれていたようで、自分に便宜をはかってくれた相手をボロクソに言うとるやんけ・・て感じがしないでもないが)、毛沢東はけっこう学業はできたにもかかわらず、父親は貧乏ではなかったが息子を学校に行かせるつもりはなく学校に行かせてもらえず、図書館に勤めて図書館の本を片っ端から読んで学習したとかいうが、そんな感じ。なぜ、私だけが・・とずっと思ったものだった。三井系といっても保養所の宿泊客には社長とか専務とか上の方の人はあまり来ない。いちいち、宿泊客が会社でどういう役職かなんてきかないしどっちでもいいことだったが、どっちかと言えば下の方の人が来るようだった。ある宿泊客のおっさんが、夕食の時、ビールだか飲みながら、私に「おい。にーちゃん。にいーちゃん、いったいどこの大学だあ」と言うのだったが、そのおっさん、「ぴったしかんかん」であてると・・というか、顔であてると、法政か駒沢か専修かそこらくらいの大学卒かと思われたのだが、保養所で泊まり込みで下男のアルバイトなんかやってるやつなんて、きっと、ろくでもない大学の学生なんだろと思って、酒飲みながらどこか訊いて面白がってやろうと思って言ったようだったが、答えたくなかったし、酔っ払いの相手をするのは「雑務」の仕事の範囲ではないので黙っていたのだが、こちらが黙っていると、「おい、にーちゃんよ。どこの大学だ。にーちゃん」とけっこうしつこかった。後から思ったのだが、そういう時は、「東横線沿いのK大学です」と言ってやればよかったと思う。「東横線沿いのK大学です」と言ってやれば、「神奈川大か」と言うだろうから、「まあ、そんなとこです」と言ってやれば、「おう、そうか。あんまり、勉強できんかったいうことやな」とでも言うだろう。そこで、「ご主人さんは、どちらを出ておられるんですか」とでも言ってやれば、「おう、俺は法政や」とか答えよったであろうから、「法政ですかあ。すごいですねえ。すごい、すごい! さすがですよ、さすが♪ さすが、さすが、さすが!!! 私なんか、法政なんて、たとえ、行きたいと思っても絶対に行けませんでしたよお。すごいですよ、すごいすごい♪ さすがですよ、さすがさすがさすがっ♪」と言ってやれば、「おう、そうか♪」とか言って喜びよったであろう。別に嘘ではない。私は、法政なんて行きたいと思ったことは一度もないし、たとえ、受けることがあって通ったとしても行きたいと思わなかったが、その前に、法政なんて受けたいなんて言おうものなら、うちの父親からも母親からも「ふざけんな!」と言われたであろうし、絶対にそんなもの、受けさせてもらえなかったはずだ。だから、法政みたいなもん、行きたいと思ったことはないが、たとえ、行きたいと思っても絶対に受けさせてもらえなかったから、だから、「たとえ、行きたいと思っても絶対に行けなかった」。そう言ってやればよかった・・・と後になって後悔したが遅かった。「法政ですか! すごいですねえ、すごいすごい♪ さすがですよ、さすがさすが♪ 私なんか、そんな所、たとえ、行きたいなんて思っても絶対に行けませんでしたよ、絶対に。それを行かれたなんて、すご~い、すご~い! さすが、さすが、さ、す、がっ!!!」と言ってやればよかった、しまった・・と今でも思う。
(父の勤め先の会社の取引先の社長で相撲部屋のタニマチやっていた人がいて、父はその相撲部屋に連れて行ってもらったことがあるらしいのだが、行くと、タニマチのおっさんは、相撲についてはしろうとなのに、関脇くらいの力士に「おまえ、あそこはもうちょっと頑張らんかあ、おまえはあ」と言って説教するのだが、関脇はしろうとから言われても、「はい」「はい」と言って畏まって聞いていたそうで、そのかわり、タニマチのおっさんは、一通り、話すと、「がんばれよ」と言ってご祝儀を渡していたそうで、しろうとから説教されて「はい」「はい」と聞いている関脇も、その説教を聞くかわりに御祝儀もらえるのだから、だから聞いてたようだし、タニマチのおっさんにしても、ご祝儀やるからには、「おまえ、もうちょっと、あそこは頑張らんかあ」くらい言っても悪くないと思って言っていたのであって、何も渡さずに説教していいと思っていたのではなかったのだ。それから考えると、箱根の保養所に来ていたおっさんは、安い保養所に泊まって、チップも渡さずに何を言うとんねん!・・というところもある。) 〕
  その後、父は「いらいらっとしたから、仕送り、送るのやめたってん」と言って、何日に送金するとしていたものを送金しなかったことがあり、その時は、1週間ほど、水のみで生きた。日吉の街を歩いて、自動販売機の下にでも、100円玉でも50円玉でも落ちてないかと思って歩き回り、自販機の下の奥の方に50円玉が落ちているのを見つけて、道に腹ばいになって引っ張り出し、財布に残っていた10円玉と合わせてメロンパンを買って食べたが、あの時のメロンパンほどおいしいと思ったものはない! まさに、その時も、川村は飢えることもなく、冷房の効いた図書館で座って法律の本を読んでいたのではないか。少しぐらい条件が悪くても「なにくそ」と思って努力もしたが、これだけ、条件に差があると、どうしようもない。ち〇ぽ の垢を飲めば、川村みたいなけっこうな生活させてもらえるのなら、大喜びで飲むわ、ほんと!!! 1週間ほど水しか飲まず、自販機の下に100円玉か50円玉でも落ちてないかと思って日吉の街を歩いていた時、同じ日吉台学生ハイツの同じ階に住んでいた、兵庫県の甲陽学院高校卒で1浪で東大法学部に行って国家公務員試験1種合格で外務省に行ったらしいK藤が、日吉にある店でもけっこう高いレストランから出てきたのを見た。たしかに、あいつらとは私とは「民族が違う」「階級が違う」のだった。私の頭には「ドビヌーシカ」の歌が鳴り響いていた。K村とかその甲陽学院から1浪で東大行って外務省に行ったK藤なんかとは「民族が違う」者の歌が。
※ 《YouYube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
  「弁護士にはろくなのがいない」というのは、ひとつには、私が化粧品屋の工場で「強制労働」につかされていた時、冷房の効いた図書館で座って法律の本を読んでいた者がいて、冷房の効いた図書館で座って法律の本を読んでいた方の男が弁護士になるのであって、逆ではない、という点に「ろくな弁護士がいない」理由のひとつがあると思う。なにしろ、そいつらは、私が冷房なんて効かない工場で「強制労働」につかされていたまさにその時に、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた連中なのだから!
   川村のお母さんというのは、彼が阪大法学部に通った時に、「京大でも通ると北野高校の先生から言われました。北野高校の先生が、阪大ならば絶対に通ると言われました」と近所中に言いまわったらしいのだが、そんなこと、「北野高校の先生」が言うかいな、そんなもん!!! もしも、言ったのならば、その先生の認識が間違っている。たとえ、「京大でも合格できる可能性はある」生徒が阪大を受けたとしても、それでも、「絶対に通る」などということはない。そこまで阪大は易しくない。ある程度以上手ごわい所を受けるからには、「絶対に」などというものは、ない! 私が北野高校の教諭であったなら、もしも、模擬試験の成績から考えて、そこより難しい所でも通る可能性はある生徒であっても、生徒にも親にも「絶対に通る」などという無責任なことは「絶対に」言わない。入試というものはそんなものではない。「最後の最後までわからない」と認識してこそ、合格できる可能性は大きくなると私は認識している。
  そして、「京大でも通ると北野高校の先生から言われました。北野高校の先生が、阪大ならば絶対に通ると言われました」と近所中に言ってまわったK村のお母さんは、彼が阪大に入学して5年目に司法試験に合格すると、今度は「司法試験も現役で通りました」と、またもや、近所中に話してまわったらしい・・・のだが、「司法試験に現役で通った」という日本語は、法学部の場合は大学は4年間であり、4年間のうちに通ることを言う。卒業した翌年に合格したものを「現役で通った」と言わないし、1年でも留年して通ったものを「現役で通った」とは言わない。旧型司法試験は、5月に短答式試験があり、7月だったかに論文試験があって、その後、論述試験(面接試験)があって、12月頃だかに合否がわかったと思う。4年の間、1年間かけて、短答式・論文式・論述式と3つの試験を受けて合否が決まるのであり、最初の短答式試験までだと大学入学後3年弱しかない。それで通った人のことを「現役で通った」というのであり、大学を卒業した1年目に通ったものを「現役で通った」とは言わないし、4年の時に卒業を回避して大学に5年在籍するようにして5年目に通ったというものも「現役で通った」とは言わない。K村のお母さんは、嘘ついてもばれんだろうと思ったかもしれないが、他の職業ならわからないかもしれないが、弁護士というのは、大きい図書館には弁護士名簿というものが置いてあって、そこに、司法試験に何年に合格したか、どの大学を何年に卒業したかというのが書いてあるのだ。だから、他の職業と違って、嘘ついたらばれるのだ。大学入学後、5年目に通ったとしても、それでも、難関の試験だから、「優秀な方」かもしれないが、「しょーもない嘘つくおばはんやなあ」て感じがする・・・が、「お母さんというのは、そんなもの」かもしれないが、ちょっと限度を超えてないかな・・という気がするし、そういう、「ああ、そうですか」と言って聞き流しておけばいいような話にいちいち反応する親を持った者としては、迷惑なことである。

   もうひとり、同じ小学校・中学校から同じ北野高校に行って、何の因果か、YMCA予備校高槻校 京大東大文系クラス などという所まで、同じ所に行くはめになってしまったN口という男がいて、そいつのお母さんがまた、自分の息子を自慢してまわるお母さんだったのだ。しかし、N口はK村と違って、高校卒業時、大学を落ちた! はずなのだ。 通っても「自慢」することないと思うし、自慢する性質のものではないと思うのだが、落ちた者はましてや自慢なんてやろうと思ってもやりようないのだが、ところが、N口のお母さんというのは、「うちの子は、しっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」と言ってまわるお母さんだった。最初は、「そうかな」くらいに思っていたのだが、あまりにもしつこい! お母さんが自分の息子のことをいいように思いたいということならば、「お母さんというのはそういうものかなあ」とほほえましいように思うところもあるが、N口のお母さんは限度を超えていたし、「お母さんが自分の息子をいいように思いたい」ということよりも、むしろ、ひとに自分の息子をいいように言ってまわりたい習癖のある女性だということがわかった。あんまり賢い女じゃないな、このお母さんもと思ったが、それだけではなく、自分の息子をいいように言うことでよその息子を攻撃するような態度をとることもあり、この人は何だろうなあ・・と思ったこともある。N口のお母さんは息子のN口を「うちの子はしっかりしてますわあ」とかあっちやらこっちやらに言いまくっていたのだが、そんなに「しっかりしている」息子ならば、母親に「しょーもないこと言わないで」と一言くらい言うべきであるが、N口はそれを言えない人間で、それだけではなく、お母さんがあっちやらこっちやらでそういうしょーもないことを言いまくっているのを聞いて、自分で自分を「しっかしてますわあ」「大人ですわあ」と思い込んでいた男、要するに、アホなお母さんが言いまくっていることを聞いて、そんなものを本気にする男であり、結論として、ちっともしっかりしていない男だったのだ。彼は、結局、1浪で京大法学部に通ったが、京大に行っても、そんなしょーもないお母さんが言いまくったことを聞いて本気にして、自分で自分を「しっかししてますわあ」「大人ですわあ」とか思いこむような男なんて、「京大に行っても、あんまり京大に行った値打ちのない京大」だった・・ということになる。

  N口のお母さんと私の母親は逆で、私の母は自分の息子を悪いように悪いように言わないとおれないという親だった。
  父が他界した後、家を人に貸すことを考えたことがあり、近所の不動産屋の社長に家に来てもらったことがあったのだが、1時間ほどいたかと思うが、家の話をしたのは10分ほどで、50分ほどは母は私の悪口を言い続けたのだった。「うちは子供は娘2人でしてね。息子いうたら、こんなん!、こんなん!、こんなん!、こんなん!」と私を指さして言い続けるのだった。この人は、このおっさんをいったい何のために呼んだのか・・と思ったのだが、うちの母はそういう人間だった。
   30代の時、福島県に勤務していたが、母がいる大阪に帰ってくると、母は「あした、あんた、どこそこにある◇◇という店でお見合いすることになってるからな」と言うのだった。ああ、うちの親はこういう親だったなあ、と思った。普通、「こういう人がいるけれども、会ってみないか」と思ったならば、先にそれを話して、本人がよく考えて、その上で、会いましょうとなるものではないかと思うが、我が家はそうではなかった。母は「女でさえあれば、どんな人でもけっこうですからね、と言って売り込んでおいた」と言うのだった。「そういうのって、『売り込んだ』と言うのですか?」と私は言ったのだ。そう思いませんか? 「売り込む」というのは、たとえば、「親の口から言うのもなんですが、うちの息子は、なかなか、気持ちの優しい息子なんですよ」とか、「息子は、・・・といった趣味がありますから、お嬢さんにも教えてあげることもできると思います」とか、「息子は、なかなか努力家でして、もう勤めたら勉強なんていいんじゃないのて言うのですが、勤めてからも資格をとるといって勉強してるんですよ」とか、「息子はイタリアが好きで、この間もローマからナポリにかけて行ってきたと思ったら、今度はミラノに行ってきたそうなんですけど、ひとりで行くのではなく、お嫁さんと一緒に行けばいいと思うのですが、そういう旅行の好きな人には合うと思いますよ」とか、なんなりとアピールする文句は考えようがあるのではないかと思うのだ。「うちの息子は、ともかく、女でさえあれば、それでいいですから」て、「それって、『売り込んだ』て言うの?」と思いませんか?
  そして、しかたなしに会うと、母は相手の女性と母親が来るなり、「うちは子供は娘2人ですねん」と言うのだった。とすると、俺って誰やねん? と思ったのだ。思いませんか? 「私は誰でしょう?」と。 母は私を指さして「息子いうたら、こんなんですよ。こんなん!、こんなん!、こんなん!、こんなん!」と、よっぽど恨みがあるみたいに、私を指さして言うのだった。そして、またもや、言うのだった。「こんな子ですから、ともかく、女でさえあればどんな人でもいいですから」と。そうか、俺って、「女でさえあれば、どんな人でもいいですから」と言われなければならないような、そんな人間なのか。そうか、そうだったのか・・・。 その時、あった人は、結論を言うと、つきあっていた男がいたのではないかと思う。私の方は、たとえ、母にはめられて会わされることになったとしても、それでも、会うからにはそれなりの格好をして行くのが礼儀だと思っていったのだったが、それだけに、母に話を入れてくれたおばあさんは、「いいお坊ちゃんですねえ。かっこいい人で・・」と言ってくれたのだったが、それでも、母は「なんでですのん。なんで、あんな子がよろしいのん。あんなんが」と言うのだった。よっぽど、私が嫌いだったようだ。その時、会った人については、最初に思ったのは、「ずいぶんと大きいほくろのある人だなあ」というのが第一印象だったが、大きなほくろがあるのは、簡単にとれないとしても、お見合いで会うのならば、目立たないような工夫くらいあっても良さそうだがそういうものがまったくない。スカート丈が長い。別に、無茶苦茶露出の多い格好で来なくてもいいけれども、スカート丈が矢鱈長い格好で来る女性には2通りあって、ひとつは、実際にどうかにかかわらず、「足が太い」という意識の人で、もうひとつは、「気合が入ってない」場合である。この場合、後者でしょう。スカートだけの問題ではなく、お見合いにしては、大掃除でもする時みたいな格好で来ている。普通、女性についてのそういったことは、男性よりも女性の方が気づくのではないかと思うのだが、母は気づかない女だった。「男の俺がわかることがこの人は女なのにわからんのか」と思ったが、わからん女だった。・・・その女性の悪口を書き連ねてもしかたがないが、ともかく、つきあっている男がいたのだと思う。母親はそれを知らないから、すでに、20代でも後半になって、これ以上、ひとりでいては良くないと思ってお見合いをさせようとしたようだが、本人は、「会うだけ会ってもいいけど」くらいの気持ちで真剣さがなかった。だから、「大掃除みたいな格好」で来たのだ。無茶苦茶短い丈のスカートはいて来いとは別に言わんが、なんか、ずいぶん長いスカートはいとる、というのも、「気合が入ってないから」であり、そんなに嫌なら無理に会ってもらわんでもいいのだが、と思ったのだが、帰ってくると、母は「どうやった?」ときくので、「どうってどうよ」と言ったのだが、私の方は「うちは、女でありさえすれば誰でもいいですから」と母は先に言ってしまっているのであり、私の側には選択権はまったく存在しなかったのだ。喫茶店に入っても、出る時に私が払うと、普通、出してもらったなら、「すいません」か「ありがとうございます」か言うものではないかと思うのだが、すでに、20代の後半の後半になろうとする女が一言として言わない。それだけでなく、逆に手を出してクレジットカードを貸せと要求する。ああ、こんな人と結婚させられるのかあ・・・と絶望感を味わったが、幸いなことに向こうから断ってくれたので助かった。その際にしても、「こんなん、こんなん! こんなん!! こんなん!!!」と私を指さして言いまくるのであり、母はよっぽど私が嫌だったのだ。父は私の眼とか鼻を指さして「生れなければよかったのに生まれおってからに、チャンコロっ! 生まれなければよかったのに、生まれなければよかったのに、生まれなければよかったのに!」と毎日毎日言い続けたのだったが、母もまた同様に思っていたのかもしれない。「こんなん! こんなん!! こんなん!!! こんなん!!!!」と、そう言って「売り込んどいた」と言うのだった。「そういうのって、『売り込んだ』と言うのお?」と言っても、「言うでしょうよ。あんたみたいなもお~ん!!! あんたなんか、女でありさえすれば誰でもいいでしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたなんか、女でさえあれば誰でもいいでしょうがあ、あんたみたいなもお~ん!!!」と言い続けるのだった。夫婦って似るんだなあ、と思ったが、「チャンコロちゃんころチャンコロちゃんころ」言うのは父で母はそれは言わなかった。しかし、そこまで嫌な子供なら産まなければよかったのにと今も思う。母は90を過ぎて、「あんたが産まれた時はうれしかったんや」などと嘘をつくが、実際は父と同様、「よ、く、も、産まれおってからに。よ、く、も、産まれおってからに」と思っていたのではないか。私が母の夫であったなら、「『うちは女でさえあれば、誰でもいいですから』なんて、そんな馬鹿なこと言うな」と一言は言います。「婚活」というのは、「この人と結婚できたらうれしい」と自分のことを思ってくれる人を捜す行為ではないか。それならば、「女でさえあれば誰でもいいですから」と言うということは、その発言が、まず、「断ってください」と言っているようなものと違うのか。ともかく、よその息子であればいいと思う女であった母は、私が嫌いで、誰にでも私を悪いように悪いように言いまくってきた。その上で、「親というものは、自分の息子のことを、いいようにいいように思うものやから」と言いまくってきた。アメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学の精神科教授トマス=サズが『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)に、「彼らが何を言っているか、ではなく、彼らが何をやっているか、を見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用しているが、この「彼らが何を言っているか、ではなく、彼らが何をやっているか、を見るべきだ」という物差しで母を見るならば、母は「親というものは、息子のことをいいようにいいように思うものやから」と言いまくりながら、実際の息子のことは「悪いように悪いように考え」「悪いように悪いように言いまくる」親だった。そこまでではないとしても、いくらかなりとも近いお母さんというのは、いないことはない。母の友人だったおばあさんも、互いに高齢なのに、息子さんがクルマにお母さんを乗せて大阪から千葉県まで連れて来られて、息子さんはそこまでされているのに、来るといつも、「この子は・・」と、もう、60過ぎてる息子さんが中学生の時にこうだった・・とか言われるのだったが、お母さんにとっては、そんなものなのかなあと思ったものだった・・・が、特にうちの母親の場合は、いつでも、よその息子をいいようにいいように思う親で、自分の息子を悪いように悪いように思い、悪いように悪いように言いまくる親だった。

   それと正反対がN口のお母さんだったが、「うちの子はしっかりしてますわあ」と言いまくるのだが、「しっかりしてます」言うたって、そのわりには、落ちたんやろうが・・・、違うんかい、通ったんかい? 落ちたんやろうが!!! てとこだが、言いまくるのだ。「うちの子は大人ですわあ」と言いまくるのだが、たしかに、ぺったんこのシェイクハンドラケットみたいな顔した男は精神面もぺったんこで出っ張りが少ないから、私なんかと違って、「ひっかかる」ことは少ないのではないか。しかし、それを「しっかりしてます」と評価していいのだろうか。北野高校の2年の時、「倫理社会」のA先生が「太宰治の『人間失格』、これは、人間合格やとぼくは思うは」と言われたことがあったが、人間としてどうあるべきか、自分は「人間失格」ということはないか、とか考える人間こそ「人間合格」であり、そんなこと考えることなんてありえない、ジャン=ポール=サルトル『自由への道』(人文書院)には、「こいつは、タンスみたいなやつだ。こいつは人を突き飛ばしても何とも思わず、顔面神経痛になることもなく、両腕いっぱいに女と生活をだかまえて生きるタイプの人間だ」という文句を言う男が出てくるが、いくらかなりともそれに近いタイプ。遠藤周作『海と毒薬』(新潮文庫)では、捕虜に対する人体実験に加われと言われ、断ることができないものの、積極的に参加することもできなかった男に対し、平気でそれに加わった男もいたわけだが、「しっかりしてますわあ」と言われる男というのは、拒否して仕事を失うこともないかもしれないが、一生、それで生きていく人間だろう。まず、一番の問題として、本当に「しっかりしている」のなら、母親に「余計なこと言わないで」と言うべきで、それを言えない男を「しっかりしている」とは評価できない。N口のお父さんは、「京大でている」という話が広まっていたのだが、あのお母さんが「しょーもないこと」をあっちやらこっちやらで言いまくっているのを、「余計なこと言うな」とも言えない男、あの女に引きずり回されている男というのは、あんな京大出ないやろお・・・て感じがする。世の中には「京都の大学を出た」のを「京都大学を出た」みたいに言う人、「神戸の大学」を「神戸大学」みたいに言う人というのはけっこうあるのだが、その類ではないか。もしも、本当に京都大学を卒業していたとしても、あんまり値打ちのない京大だということになる・・が、たぶん、違うと思う。貧乏人だからあまり高いものはかけられないが、牛丼かカツ丼くらいならかけてもいいよ!(^^)!
   N口のお母さんが「うちの子はしっかりしてますわあ」とか「うちの子は大人ですわあ」とか言っても、最初は、自分の息子をいいように言いたいんだな・・・と思っていたのだったが、いくらなんでも限度を超えていると思うようになった。あそこまで言いまくるのを目の前で見ていて、それに対して「もう、やめとけ」とも言えない男というのは、N口のお父さんというのも、およそ、「京大でている」ような感じではないし、もし、本当に「京大でている」のなら、値打ちのない京大もあったもんだ、と思う。
   我が家の母の場合は、N口のお母さんからそんなことを言われて、そして、私に「N口くんはしっかりしていて大人やのに、なんで、あんたはしっかりしませんのん」と言って怒るのだった。そんなに野口がいいのなら野口を産めばよかったのに、なぜ、私を産んだんだ? 実際に母に言ったことがあるのだ。「そんなに野口がいいのなら、私を産まずに野口を産めばよかったのに」と。実際のところ、小学校から大学まで、同じクラスになったことが一度でもある人間の中で、一番、嫌いなヤツ、一番「嫌なやつだなあ」というヤツというのが母は好きだったようだ。

   顔もぺったんこで精神構造もぺったんこの男というのは、私なんかと違って「ひっかかる」こともなく、無事に人生を送ることができるかもしれないし、その点では、女性にとっては私なんかと結婚するよりも「ぺったんこ」と結婚した方が幸せかもしれないが、そんなこと言われても、「今さら変われるけえ!!!」というところだったが、母は私が嫌いでよその息子が良かったようだった。私が親の立場ならば、よその息子が好きで自分の息子が嫌いというそういう親というのは親ではない、と思うところだが、私の母はそうではなかった。よその息子が好きという親だったが、それでいて、私に対しては親として「所有権」を主張する親だった。
   「こいつ、現役で東大通ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落としてやる~う」というのは、高校3年の時で終わらず、浪人してもそれでもその態度は続いた。 それから何年か経って、北野高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子から父だったか母だったかに手紙が来ていたのが家に置いてあるのを見た。あの女、私に無断で、私が知らないところで、うちの親と連絡とっていた。名字が「寺地」に変わったというのも、私は本人に教えてもらったのではない。すでに卒業した生徒の親に、生徒を飛ばして親に連絡とって手紙出しておったのだ。その封筒が家のそのへんに転がっていたので私は知った。旧姓作野礼子という女はそういう女だった。私が高校教諭であったなら、高校の教諭というものは、高校生および卒業生との関係でのものであり、生徒を飛ばして親とつきあうべきものではないと考えるのだが、あの女はそうではなかった。あの女は私に何の恨みがあったのか。北野高校は行きたいと思って行った学校だったが、それだけに合格できたが、親も行かせたいと思っていた高校で、私も行きたいと思っていた高校だったが、親の考える北野高校と私が考える北野高校は内容が違った。だから、入学後、親は私から「私が考える北野高校」から捻じ曲げようとした。中原中也の詩に「わが生は、下手な植木師らによりて、あまりにはやく手を入れられた哀しさよ・・・」というものがあったと思うが、私の人生もそうだった。北野高校の教諭の旧姓作野礼子はその「下手な植木師」に最大限加担していた。そういう女だった。
  オペラでも好きなオペラとそうでもないものとがある。メリメの小説『カルメン』はすばらしい作品だがビゼーのオペラ『カルメン』は話としてはまったくくだらない。モーツァルトの『魔笛』は、「夜の女王のアリア」をうまい人の歌で聴くと、すごいなあ~あ♪ と思い、オペラ全曲を視聴したいという気持になるが、ところが、「全曲」を視聴すると、何が言いたいのか、何かわけのわからん話で、オペラ『魔笛』は「夜の女王のアリア」だけ聴いておれば他は要らんのじゃないか、て気がする。〔⇒《YouTube-モーツァルト 《魔笛》 「夜の女王のアリア」 ルチア・ポップ》https://www.youtube.com/watch?v=lItCcJzwx7E 〕 母はヴェルディのオペラ『ラ・トラビアータ(椿姫)』が好きらしいのだが、これも、デュマ=フィスの小説『椿の花の女』とオペラ『ラトラビアータ』とでは小説『椿の花の女』の方が優れている。オペラ『ラトラビアータ』では、どこか一部を取り出して演奏となると「乾杯の歌」が歌われることが多いが、私は「乾杯の歌」なんてたいしたものではなく、むしろ、「一度、道を踏み外した女には、どんなに努力しても、神さまは幸せになることをお許しにはならないのでしょうか」と祈りのように歌うヴィオレッタのアリアがすばらしいと思うのだが、それはそれとして、息子がこの女と結婚してやっていきたいと思った女が「高級娼婦」であり、その女との結婚はやめてもらいたいと考えた父親が、息子にではなく、息子がいない時を見計らってその相手の女に別れてくれと言いに行く、というあたり、私はそういう親というのが嫌いなのである。息子に言うのなら言ってもいいと思うが、息子を飛ばして相手の女に言いに行く父親というのは、私が親ならばそういうことはしたくないと思う。ところが、我が家の親というのは、父親にしても母親にしても、「親には息子には所有権という権利があるんだから」と言って、息子を飛ばして息子の交友関係に直接話をする人間だったのだ。私は『椿姫』の父親のような人間が嫌いなのだ。そして、すでに卒業した生徒を飛ばして生徒の親と接触しようとする高校教諭の女というのも嫌いであるし、私が高校の教諭になっていたら絶対にそんなことはしないし、そういうことをする教諭というのは教諭としても人間としても最低の人間だと思う。

  そして、旧姓作野礼子とN口とは似ているところがある。どこがか? 自分の子をいいようにいいように思いたいアホな親が(私の親みたいに、自分の息子を悪いように言う人がいると大喜びする親というのもどうかと思うが)、息子・娘のことをいいように言いまくっているのを聞いて、本当にしっかりした息子・娘ならば、アホな親がそんなことを言っても、そんな話を本気になんてしないところだが、そんな話を聞いて本気になって、「自分はエライ!」と思い込む男と女。旧姓作野礼子とN口はその点で似ている。
   最初、「私は両親が離婚したから」と旧姓S野礼子が言うのを聞いて、離婚して大変だったんですねえ・・・と思ったこともあったのだが、あまりにも何度も自慢するので、それって違うのではないかと思うようになった。最近では昔に比べて離婚する人というのがずっと多くなったが、離婚しようが再婚しようが好きにやってもらえばいいことで、そんなものを自慢されても、「ああ、そうですか」とでも言うしかない。自慢することとは「ち~が~う~だろ! このボケぇ!」てとこだ。最近、「キリスト教式」の結婚式をあげる男女というのがけっこういるが、そして、そういう人の多くは『聖書』なんて1ページも読んだことがないという人が多いのだが(それは「キリスト教式」であってもキリスト教とは異なるものだと思う)、キリスト教では離婚は禁止されているということを知った上で「キリスト教式」で結婚式をあげるのだろうか。キリスト教では、結婚した男女というものはすでに一体であり、神が合わされたものを人が離してはならないことになっているはずであるが、ところが、「キリスト教式」の結婚式をあげて、その後、簡単に離婚する人がけっこういるのだが、そんなことなら、最初から「教義」なんてほとんどない神式の結婚式にしておけば良かったのではないのか、と思うのだが、「キリスト教式」でやりたいという人が多いが、それは最初から格好だけの「キリスト教式」でしかないようである。 『聖書』なんて1ページも読んだことのない男女が、「キリスト教式」という似非キリスト教の結婚式をあげるための「結婚式専用教会」として「水の教会」なるものを北海道のトマムに設計したのが「高卒の安藤忠雄」である。私なら「結婚式専用教会」などというキリスト教の精神に反するものの設計の仕事なんて断るところだが、ところが、安藤忠雄という節操のない男は、片方で北海道のトマムに「水の教会」という結婚式専用教会の設計をおこなうとともに、他方において大阪府茨木市に日本キリスト教団春日丘協会に「光の教会」というコンクリートの塊の中に光がさしこむ「教会堂」の設計をやっているが、何がうれしゅうてあんなへんてこりんなコンクリートの箱の中でわざわざ礼拝しなきゃならんのか、と思うが、そういうものを喜んで設計する男というのは、安藤忠雄という男は、本来、「結婚式専用教会」の設計でもさせておけば似合いの男、その程度の精神構造の男であり、日本基督教団の教会がそんな男に設計を依頼したのが間違っていた、と思う。たとえ、何があってもこの人と、一生、一緒にやっていこうと思って結婚したとしても、それでも、もう一緒にやっていけないと思って離婚するということもあるかもしれないが、しかたがないことであったのかもしれないが、それは悲しいことであり、自慢することではないはずである。旧姓作野礼子の「両親が離婚した」というのは、どういう経緯・どういう理由で「離婚した」のかは知らないが、その離婚によって特に何らかの被害を受けたのでなければ特に文句を言うこともないと思うが、自慢される筋合いはまったくないことであるはずである。この程度のことも理解できない女というのは、その部分において、高校教諭として見ても、あんまり優秀とは言えないであろう。
  北野高校の音楽の先生だったN先生が「作野さんは両親が離婚されたから、私らとは違ってしっかりしてられるわ」などと言ったことがあって、「そうかな・・」と一時は思ったが、それは、むしろ、旧姓作野礼子が「私は両親が離婚したから」と言いまくることで、相手に「両親が離婚されただけあって、しっかりしてられるわ」と言ってちょうだい! という態度を取っているから、だから、うるさいから、「作野さんは両親が離婚されただけあって、しっかりしてられるわ」と言う人というのが出現していたのであろう。ひとに、無理矢理、「××さんは両親が離婚されただけあって、しっかりしてられるわ」と言わそうとする人間というのは、どうかと思う。(株)一条工務店の営業本部長のA野隆夫から「ぼくは学校出てないから(最終学歴:中卒)、だから、気さくで人間性が優れていて、人間味があって人から好かれるんだ。そう思うだろ。おい、思いますと言えよ。ぼくが『思います』と言えと言っているのに言わないのか。『思います』と言え」と言って、無理矢理、「思います」と言わされたことがあったが、そして、その話を同社でしたところ、営業所長の某から「天野部長が気さくだの人間性が優れているだの人間味があるだのなんて、いったい、どこの誰がそんなわけのわからんこと言ってるんだ、いったいどこの誰がああ??? あの人のいったいどこが気さくなんだ??? あの人のいったいどこが人間性が優れてるんだああ??? あの人のいったいど~こが人間味があるんだあ~あ? だ~れがいったいそんなわけのわからんこと言ってるんだあ~あ???」と言われたが、いったいどこの誰が言っていたかというと、御本人であり、御本人以外で言っていた人間はひとりもなかった。(株)一条工務店の営業本部長のA野隆夫の場合は「ぼくは学校出てないから(最終学歴が中卒だから)」とまでで止めるのではなく「だから、気さくで人間性が優れていて、人間味があるんだ」と結論まで自分で言っていた(その「結論」まで言わないと、「学校出てないから」⇒「だから、ほら、頭うすいも~ん!」と言われる可能性があるので、実際に言っていた人が従業員にはいたので、それで自分で結論まで言うのだったが)、北野高校の旧姓作野礼子の場合は「私は両親が離婚したから」とまで言って、その後の「だから、しっかりしてられるわあ~あ」という部分をひとに言わそうとしていて、そして、旧姓作野礼子が求める「結論」を言う人というのがいたのだった。先生業者の仲間うちでは、相手の求めに応じておいた方が得策と考えた人もいたのかもしれない。
  しかし、どう「しっかり」してられるのか、入学式の時に有給とって海外旅行に行く・・というあたりが「しっかりしてられる」のか? 国語の教諭のわりに、必ずしも、文学や詩について十分に理解しているとは思えないあたりが「しっかりしてられる」のか? 「性格がいがんでいる」みたいなタイプの女生徒が好き♪ ・・というあたりが「しっかりしている」のか? 世の中には「性格がいがんでいる」みたいな人間、特に女性の場合には「性格がいがんでいる」みたいな生徒の方が学校での成績はいい成績を残せるみたいに思っている人が中にいるが、私は違うと思っている。関係ないと思っている。雁屋哲原作・花咲アキラ画『美味しんぼ(おいしんぼ)』では、寿司屋をやっていた父が他界した後、なんとか、その店をやっていかないといけないと思って、男の格好をして荒っぽい態度を一生懸命とっていた娘に、その店にいった歌舞伎の女形をやっていた男性が「女性が寿司を握って悪いとは私は思わない。しかし、私はこの店はお断りだ。私は、女形という男が女を演じるという変わった仕事をやっているが、男が女を演じるからには、実際の女以上に女性としての魅力を見せることができなければいけない。あなたは逆に女なのに男の格好をしているが、ぎすぎすして男の嫌らしさ・醜さしか感じられない」と言う。山岡はその女性を女性でフランス料理のシェフをやっている人の所に連れて行き、すばらしい料理を食べた後、女性のシェフを紹介するが、寿司屋の娘はそのシェフの女性が「女性らしい女性」であることに驚く。その女性シェフは言う。「どうして、そんなに男だとか女だとか言わないといけないのですか」と。「シェフとしてやっていくのに、女性が女性らしかったらいけないのですか」と。言われて、寿司屋の娘は、男の格好をすることもやめ、荒々しい態度をとることもやめる。・・という話があったが、なんだか、ぎすぎすした性格がいいみたいに思っている女、ぎすぎすした性格の女が実績を残せるみたいな思想を持っている女というのは、私はそれはその人の認識が間違っていると思う。もし、「ぎすぎすした性格がエライ」みたいな思想を「両親が離婚した」女が持つのなら、そういう女性は私は好きではない。しかし、私は、今までの人生で出会った人でも、「両親が離婚した」女性は誰もがぎすぎすした性格をしているわけでもなく、誰もがいがんだ性格をしているわけでもないという印象を受けている。むしろ、逆の人だっていると思う。又、いがんだ性格とかぎすぎすした性格の人間が成果を出せるのかというと、これは女性であれ男性であれ、そういうものではないと思っている。もしも、旧姓作野礼子さんが、ぎすぎすした性格の女性やいがんだ性格の女性が高校の学習や大学受験にはいい成果をだせると思っているのなら、それは認識を間違えていると思う。又、その認識の間違いは本人が自分で自覚するようにしないといけない。ひとが教えてあげようと思っても、彼女は相当頑固であり、ききそうにない。本来、文学・哲学といったものを学んだ者ならば、そこから得るものというのがあると思うのだが、世の中には、書物を読んでその内容から自分のあり方を吟味する人もおれば、自分を正当化するための道具として利用し、その基準をひとに適用して攻撃することはしても自分のあり方を吟味検討することは絶対にしない(「ひとに負いきれない重荷を負わせて自分では重荷に指一本としてふれようとはしない」)という人もいる。「心理学者」「精神医学者」「カウンセラー」といった人たちというのは後者の方である。 「心理学」用語を利用して自分を正しいとして、気に入らない者に「なんとか症候群」「なんじゃもんじゃシンドローム」とレッテル貼るのが大好き♪ というのが慶應大学医学部助教授だった小此木啓吾である。「幼稚舎から慶應」なんて人間はみんなあんなになってしまうのか、「幼稚舎から慶應」なんて、やっぱり、いいわけないわなあ~あ・・・と考えがちだが、「幼稚舎から慶應」の人でもみんなが同じというわけでもない・・・が、小此木啓吾の場合には、「幼稚舎から慶應」シンドロームの影響が出ていると考えるべきであろう。小此木啓吾にとっては「幼稚舎から慶應」というのはよくなかった、と思う・・・が、こんなことを言うと「そういうことを口にするというのは、なんとかかんとか症候群の徴候が出ている」とか「なんじゃもんじゃシンドロームの症状だ」とか「診断」される危険がある、「診断」されると「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる危険があるので、怖いこわい怖いこわい!!! 本当に怖い、つくづく怖い!!!・・が、「旧姓作野礼子症候群」もまた、「私は両親が離婚したから」と言いまくり、⇒「だから、作野さんはしっかりしておられるわあ~あ! よっ、あんたはエライ!、あんたは天才!、あんた、えらいえらいえらえら~い! あんた、天皇へーか、あんた、天皇へーか。えらいえらいえらえら~い!!!」と称賛するようにひとに強要するシンドローム・・の「患者」と違うのか・・・てところであった。そういう女に高校2年の時に担任を持たれたのは私にとっては災難だった。但し、それなら誰なら良かったのかというと、この人ならという人がどうも思い浮かばない。ということは、私が行った頃の北野高校というのは、私が卒業した年の前年まで、京大合格者数全国1位の高校だったけれども、あんまりいい高校ではなかったのではないか・・・と考えざるをえない・・・が、それならどこに行けば良かったのかというと、どこがいいというものが、これもはっきりと思い浮かばない。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「能力的に優秀で人間的にも優れている教師というのは、実は多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と書いていたが、実際、そうだと思う。それにしても、「私は両親が離婚したから」と言いまくり、「私は両親が離婚したから」⇒「だから、しっかりしてられるわあ~あ」と言わんかい! とひとに強要するシンドロームの女、というのは、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for taste. There are no accounting for tastes.これ、たしか、『基礎からの英語』(美誠社)の冒頭に出とったと思うのだが、本によって、2通り、出ているのだが、どっちが正しいのだろうか、とずいぶん真剣に考えたが、どっちも正しいみたいですね。)ということもあるかもしれんが、私はそういうのはいいとは思わない。

  我が家の近所に住んでいた、私と中学校で同級生だったRは、私が浪人中、我が家の前を通るたびに、なにゆえか、母と長話をしていった。あいつ、なんで、毎度毎度、長話していくのかと思ったが、そのたびに、母は「Rくんは現役で大学に通ったのにからに、あんたはああ!」と言って怒るのだった・・・が、しかし、Rが「現役で大学に通った」と言っても、中京大学だろうが! 昔、「朝日ジャーナル」に載っていた話だが、東京のお茶の水界隈においては、明治の学生と駿台予備校の学生では駿台の学生の方がえらそうにしている、という話があったのだがなんで、「中京大学に現役で通った」とかいう男に、「Rくんは現役で大学に通ったのにからに」などと言われにゃならんのだ・・と思ったが、「京大合格者数1位」の高校に行っていたら東大に行くよりも京大に行く方が行きやすいであろうし、京大と阪大なら阪大の方がいくらかなりとも合格しやすいであろうし、神戸大の方がいくらかなりとも合格しやすいであろうけれども、それでも、「絶対に通る」のかというと「絶対に」なんてありえない。ある程度以上手ごわい所を受けるなら「絶対に」などというものは絶対に、ない・・・と思うが、それでも、中京大学みたいなもん、もしも、受けたら、そんなもん、絶対に落ちるもんか! もし、落ちたら目かんで死ぬわ!・・・と思ったが、また、Rは、なんで、こいつ、うちの家の前を通る時に、毎回毎回、立ち止まってうちの母親と長話していくのか、とも思ったが、それよりも、私が高校3年の時には、「こいつ、現役で大学に通ると思いあがって女を泣かす男になるから、こいつ、絶対に落としてやらんといか~ん! こいつめえ~え!」と言って、夜、私が家で学習していると、背後から箒でボコボコなぐりつけ、私が椅子に座っているところを後ろから服をつかんで背後にひっくり返して「こいつめえ~え!」と罵り、「絶対、こいつ、落としたるう~う!!!」と言って、洗面所にあったブレーカーで私が使用していた部屋の電気を落として照明を消して学習できないようにして、さらに、高校から帰宅するとインタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして、雨戸はすべて閉めて、家に入れないようにした上で、高校に電話を入れて「息子が帰ってきませんね~ん!!!」と言う、さらに、クラス名簿で上から順番に電話する・・・とか、ありとあらゆる手段で「こいつ、絶対に落としたる~う!!!」と精力的に活動したのは誰なんだ? と思ったが、「こいつ、絶対に落としたる~う、こいつめが~あ!!!」と言って、実際に落ちてしまうと今度は、「Rくんは現役で通ったのにからに、こいつ、浪人しよった」と言うのだった。母親というものはそういうもの・・なのか? ・・・というと、どう考えても、母親というものがそういう母親であるのは我が家だけのように思えたのだった。世界中、探しまわれば、ほかにそういう母親の家庭がまったくないこともないのかもしれないが、そういう母親でない母親の方が多いように思えた。
  父は、私が私が高校3年の時、「東大にでも行くのなら、東京で下宿してでも行くべきやけれども、もしくは、慶應か早稲田に行くのなら東京で下宿して行く価値はあるけれども、そんなもん、法政だの明治だの専修だのポン大だのなんて行くのに下宿してまで行くことあらへん。アホ大学なら大阪にもあるんやから、アホ大学に行くやつが下宿してまで行くことあらへん。だいたい、法政だの明治だの専修だのポン大だのなんてそんな学校に行くやつなんて大学行く必要ないはずや。そんなやつ、みんな、自衛隊に入れたったらええねん、自衛隊に。甘ったれとってはいかん、甘ったれとっては」と言っていたはずなのだ。ということは、名古屋の中京大学みたいなものに、なんで、大阪の人間が下宿してまで行くんだ? 「アホ大学に行くなら、アホ大学は大阪にもいっぱいある」のと違ったのか。「甘ったれとってはいかん」のとちがうのか? 「自衛隊に入れたるべきや」ではなかったのか? 

  「現役で大学に通ると思いあがった人間になって女を泣かせよる」というのは、いったい、どこからそんな理屈がでてきたのか? 真面目に努力した人間、特に、文学とか哲学とかそういうものを真面目に学んだ人間が、なぜ、そうでない人間よりも「女を泣かせよる」のか? マカ不思議と思った。
   また、「思いあがった人間になって」⇒「女を泣かせよる」 というのは、どう考えても、東大の学生よりも「女たらしの大学」たる慶應の学生の方が多いのではないか? と思えた。 最近、慶應の学生何人かで、女子学生を輪姦したという記事がニュースに出ていて、おお、慶應らしいなあ・・と思った、また出た、「塾風強姦主義」が、と思ったのだが、不思議なことに、その時の学長・塾長だった清家塾長は、清家塾長も慶應大学卒であるのだから、強姦魔・輪姦男に味方するのかと思ったらそうではなく、そいつらを無期限停学にした、ということだったので、不思議なこともあるもんだなあ・・と思った。もしかすると、慶應の内部進学の人間のやることを見て、自分たちも同様のことをやっていいのだろうと思い込む慶大生の中の「(慶應義塾の)外部の者」がいて、内部進学ならば塾長も保護してくれるところを、「(慶應義塾の)外部の連中」に対してはそうではなかった・・・という、そんなところかもしれない。もしかすると、その「被害者」の女性の親が慶應のタニマチだったのかもしれない。内部進学の人間がやることを見て、自分も同様のことをやっていいのだと思った「外部の連中」が、相手が慶應のタニマチの娘なのを知らずにやって「無期停学」になりよった・・とかいうそういう話かもしれない。私にとっては、最初から、慶應というのは「ブタ人間の大学」で「女たらしの大学」という印象だった、私は小学生の頃から慶應というのはそういう学校だと思っていたし、だから、私は小学生の頃から慶應は嫌いだった。だいたい、「慶應ボーイ」という言葉からして「なんや、鼻の下の長いにやけた・・」て感じの言葉である・・・が、その「ブタ人間の大学」にして「女たらしの大学」の慶應に暴力と強制と脅迫で行かされたところ、横浜市港北区箕輪町の、慶應大学の日吉キャンパスの南にあった日吉台学生ハイツの食堂で食事をしていたところ、少し離れた席に、大阪市の私立の桃山学院高校卒、慶應の教授が言われるところの「私立なんだから、いいってことじゃないか」という私立の桃山学院高校卒の井上という男が、似たような男2人と一緒にいて、そいつらが「女なんて、慶應の大学の名前さえ出せばどうにでもなる。今度、電車中で、女子大生がいたら、慶應の学生証を出して、『この紋所が目に入らぬかあ~あ』てやってやろうか」と言っていた。程度の低いやつらやなあ、ほんま。こういう男のことを「慶應ボーイ」と言うのである。彼らはそれを自慢しているのである。こんなヤツと一緒の学校に行かされるのは嫌だなあ。私は小学校の1年から同級生が遊んでいる時も努力して勉強してきたのは、こういう人間として程度の低いやつらと同じ大学に行かされるのは嫌だから、だから、努力して勉強してきたのに、なんで、こんな程度の低い、人間のカスみたいなやつらと同じ大学に行かされなければならんのだ、と思ったものだった。やっぱり、東大の学生よりも慶應の学生の方が「思いあがった人間」は多いし、慶應の学生の方が「女を泣かせよる」やつは多いよなあ、と思い、それで、母に井上ほか2名、計3名の話をしたのだ。すると、母はこう言ったのだった。「わたし、そういう人、好き♪ わたし、そういう人、だ~い好き~い♪ べ~ろべ~ろべえ~え!!!」と。 その2年後だったか、井上が学生ハイツのロビーにひとりの女性と一緒にいるのを見たが、もしかして、あれが彼女なのか、それとも姉か妹なのか。彼女だとすると、「女なんか、慶應の名前さえ出せばいくらでも手に入る」とかなんとか言うておったわりに、なんや、あんなんか・・・というのが私の感想だったが。本人がそれで喜んでいるのなら、「蓼食う虫も好き好き」(There are no accountingu for tastes.)てところで、いいのかもしれんが、野村のじいさんだって、「あんな女のどこがええねん?」と思う人がいたかもしれんが、「男女の関係というのは、本人が良かったらそれでいいんですから」と言うておったように(それ、あのじいさんに言われると説得力あるわあ・・)、「あんなん、どこ、ええの~ん?」と思っても、その男がその女がいいと思うのならいいのだろうし、その女がその男がいいと思うのならそれでいいのだろう・・・けれども、それにしても、「女みたいなもん、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る」とか言うておったわりに、「なんや、そんなんか・・・」て感じがした・・・が、おそらく、井上にしてもほかの2名にしても、私なんかよりもずっと「いい会社」に勤めて、私なんかよりもずっと高い給料を取ってきたであろうから、女性にとっては私なんかと結婚するよりもそういう男と結婚した方が、女性にとっては間違いなく幸せであったであろう。これだけは絶対に間違いないと思う・・・が、それでも、私は、たとえ、首をもがれても、あんな男は大嫌いである!!! 入試の難易度でいえば、なんだかんだ言っても東大の方が慶應より難しいのは間違いないとして、どちらの大学の方がいいかなんてことは簡単に言えるものではないと思うが、しかし、「塾風タイプの強姦魔」は間違いなく慶應の方に多いはずであり、「慶應タイプの女たらし」も慶應の方が間違いなく多いはずである。「おまえはそれでも慶大生かあ」とか言われたとしても、事実なのだからしかたがない。
  だいたい、「女みたいなもん、慶應の名前さえ出せば、いくらでも手に入る」とその「慶應ボーイ」3人、「ギャルにもてもての慶大生」、「思考が柔軟な慶大生」「企業はそういう人間を喜ぶ」という人間が言うていたのであるが、他方、東京で知り合った東大がの文学部に行っていた某さんが「男を大学の名前でしか見ないような女性は困るから」とつぶやいたことがあったが、私も同様に思っていた。ある会社に勤めた時、やはり、東大の農学部卒だった某さんが「男性を大学の名前でしか見ないような女性は、そういう人は嫌だからなあ」と言っていたが、私もそう同感だった。そのあたりを見ると、どう考えても、「大学の名前さえ出せば女はいくらでも手に入る」とかなんとか抜かす男というのは、どう考えてもずえったいに、東大の学生よりも慶應の学生の方に圧倒的に多い。そういう学生が多い大学は、日本では早稲田と慶應の2つが双璧である!!! 「ぴあ」という雑誌があって、ページの端に「はみだしYouとぴあ」という投稿欄があり、そこに「学内でしか着れないのが日大のトレーナー。矢鱈と学外で着たがるのが早稲田のトレーナー」と書いてあったものを見たことがあるが、「早稲田大学」とか大学名を書いたトレーナーなどを矢鱈と学外で着たがる学生が多い大学は、1位が早稲田で2位が慶應であったはずである。京大の学生はそんなことはしない者が多いし、東大の学生もまた、そんな「早稲田か慶應みたいなこと」はしない者が多かった。だから、「東大に通ったら、思いあがった人間になって、女を泣かすから、絶対に東大には行かせてなるものかあ~あ」というのは、その思考は間違いだと私は思ったのだったが・・・、ところが、それを言うと、母は「私、そういう人、好き♪ わたし、そういう人、ものすごい好き♪ だ~い好き~い♪ べえ~ろべえ~ろべえ~ええ!!!」と私に言うのだった。母はそういう男が好きだったらしいが・・・、私は嫌いだったし・・・、今でも大嫌いである! その3人組と私なら、その3人組の方が間違いなく出世して間違いなく高い給料を取ってきたであろうから、私なんかと結婚するよりもそいつらと結婚した方が、女性にとってはずえったいに幸せというものだろうけれども、又、そういう男のことを「思考が柔軟な慶大生」とか「福沢精神を身に着けている」とか「独立自尊の精神を持っている」とか、「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「心理学」は言うようであり、え? なんで? それって逆と違うのですか? なんて言うと、「わざわざ無理して逆らっている」「自我が確立されていないからそういうことを言うのである」とか「アイデンティティーをもっていないからそういうことを言うのです」とか「独立自尊の精神に欠けている」とか「そういうことを言うというのは、モラトリアム人間病にかかっている徴候のひとつである」とか「未成熟だからそういうことを言うのだ」とか「外罰的性格だからひとを罰しようとしてそういいうことを言うのである」とか「なんじゃかんじゃ症候群」「なんたらかんたらこんたらくんたらシンドロームにかかっている」とか「診断」されることになる可能性が大きいが、たとえ、それでも、首をもがれても、私はそんな男が大嫌いである!!! 大学別に見て、そういう男の多い大学は慶應と早稲田の2つで、東大の学生にはそういう人間がいないことはないのかもしれないが、少ない・・・が、こういうことを言うと、「おまえはそれでも慶大生かあ!」とか罵られるのが慶應という大学で、「おまえはそれでも慶大生か」なんて言われても、とりあえず、慶應の学生証をもっておれば慶大生と違うんかあ? と思ったのだが、それではだめらしくて、「女なんて慶應の名前さえ出せばいくらでも手に入る」とか言って喜ぶようなそういうタイプの人間のことを「慶應タイプ」と言い、そういう人間は嫌だと思う人間は「おまえはそれでも慶大生かあ!!!」と、「作家で精神科医」の なだ いなだ が『人間、この非人間的なもの』(ちくま文庫)で、戦中、「どうも、日本は負けそうだなあ」と言ったところ、「おまえはそれでも日本人かあ!」と怒られたが、「おまえはそれでも日本人か」と言われても、それでも日本人なんだからしかたがないじゃないか、という考え方を、「おまえはそれでも◇◇かあ」という言葉は否定するファッショ的傾向の言葉であると、述べられていたが、まさにそのファッショ的発言の「おまえはそれでも◇◇かあ」という言葉が頻繁にきかれるのが慶應義塾だったのである。塾風タイプの輪姦魔はそれは慶應の特産品ではないかと思う。彼らこそ「慶應タイプ」であり、彼らのような人間のことを慶應義塾では「福沢精神」とか「塾風を身に着けている」とか「独立自尊の精神がある」とか「思考が柔軟」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ。「企業はそういう人間を喜ぶ」そうだが、たとえ、そうであっても、私はそんな人間を好きになれない。母はそういう男が「だ~いすきい~い♪ べ~ろべえ~ろべえ~え!」らしいけれども。

  また、慶應の教授先生が好む「私立高校卒の人」である桃山学院高校卒の井上など、「慶應の名前さえ出せば、女なんていくらでも手に入る」とかぬかすヤツを見て、「おまえら、大学の名前のほかには取り柄ないのか!」と思った。もし、その大学で自分はこういうものを学んだ、こういう経験をしたが、これは価値があるものだと思うということを主張するのなら悪くもないかもしれないが、大学の名前しか取り柄のないヤツて、情けない人間だなあ・・と思ったのだが、「慶應心理学」によると、そういう人間のことを「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」「アイデンティティーを持っている」という「診断」をするらしいのだ。それに対して、私のように、それって逆と違うのか? 大学の名前しか取り柄の無いヤツというのが、なんで、「自我が確立されている」なんだ? なんで、それが「独立自尊」なんだ? おかしいじゃないか! と思う人間というのは、「心理学」から「自我が確立されていない」「独立自尊の精神に欠ける」「アイデンティティーがない」「未成熟である」「適応性に欠ける」「思考の硬さが気にかかります」「外罰的性格である」「モラトリアム人間病にかかっている」「なんじゃもんじゃ症候群」「なんだかんだシンドローム」とか「診断」されることになる。「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる危険もある。怖いわあ~あ、「心理学」というのは本当に怖い!!!

  「現役で大学に通ると思いあがった人間になって女を泣かせよる」という説だが、ひとつは、「パーマ屋の週刊誌」にルーツがある可能性が考えられる。「パーマ屋」においてある女性用週刊誌に、「だれそれが離婚の危機」とかいう記事が出る。女性週刊誌というのは、芸能人の結婚と離婚のネタ・・というよりも、特に離婚ネタが大好きである。女性はひとの離婚ネタが大好きみたい(^^)/  そういうのを読むと、悪い男というのがいて、浮気したりなんちゃらかんちゃらして嫁を泣かす男・・・というのが出てくるのだ。
  野村克也も「女を泣かす男」のひとりとして母の口から固有名詞が出てきたから、野村のじいさんが南海ホークスの選手兼任監督だった最後の頃、女性用週刊誌に登場したようである。野村のじいさんは、最近、本人が書いた本で、前の嫁さんとは長いこと別居状態であったところに、サッチーと知り合ったのであって、サッチーとつきあうようになったことで前の嫁さんとの仲が悪くなったということではない、と書いていたが、そうかもしれないけれども、インターネットなど見ても、「サッチーによる野球の現場介入」というものがあった、それはヤクルトの監督になってからもあった・・・という話がけっこう出ているところを見ると、あの女も困った女、というよりも、野村のじいさんもまた、「野球は頭でやるもんや」とか言いながら、あんたも、もうちょっと頭使ってつきあう女をどうするか決めた方がいいのと違うんかい・・て感じがしないでもない。野村は、江本・江夏・門田の3人を「南海の3悪人」などとけなしているようなほめているような言い方をしていたが、そのうち、門田に「ヒットの延長がホームランなんだから、そんなに振り回すな」と野村が言うと、「ホームランの打ちそこないがヒットだ」と言い、「ねらいは常に場外ホームラン!」とか逆やる男だったとかいう話だが、あれは、中心打者としてやっていきたい、「野村の後の4番打者」を希望している門田に対して、「常に、シングルヒットばっかりポコポコ打つ、4番野村の前を打つ3番打者」の役割を門田に野村が押しつけようとしたことから、それに反発して「監督はずるい」と言い、「ねらいは常に場外ホームラン!」と逆やりだした・・・ということかと思っていたのだが、インターネットの記事を見ていると、サッチーは門田の家に電話して「あんた、うちの人の言うこと聞かないなら使わないよ」などと言ったといい、門田からすれば、監督にならともかく、なんで、嫁ですらないあの女にそんなこと言われにゃならんのだ・・と思ったとか、それは門田だけではなく、ほとんどの選手が思っていた、西岡三四郎がヤクルトにトレードで出て、江本が阪神にトレードで出たのも、監督に「公私混同はやめてください」と言ったことからだとかいう話もあったが、野村のじいさんが書いていた本によると、西岡がトレードで出たのは本人が「あのピッチングコーチとは一緒にやっていけません」と言って西岡がトレードの希望を出したからで、江本のトレードは阪神の吉田監督から「江夏、要りまへんか」と電話があって、朝からいったい何の冗談やと思ったら本気で、江夏をトレードで南海に出して、トレードで阪神の方が欲しい選手として阪神の吉田監督が江本の名前を出した、その話を南海の球団のスタッフに話したところ、「そりぁあ、ええ♪ だいたい、江本なんてタダでもろた選手みたいなもんやから、タダでもろた選手と引き換えで江夏をもらえるなんて、こりぁ最高や♪」と、「わらしべ長者」の話みたいやと大喜び♪ ということになったということだったので〔「わらしべ長者みたいな話」とか「タダでもろた選手みたいなもん」と言っても、若い人で知らない人もいるかもしれないので解説すると、江本は東映フライヤーズ(現・日本ハムファイターズ)に入団して1年目、勝ち星ゼロだったところに、南海 高橋博(捕手 兼 遊撃手)⇔東映 佐野(遊撃手)+江本(投手) の1対2 トレードで南海に移籍したが、もともとは捕手だった高橋博は南海では監督が捕手だったことから遊撃手として出て実績を残していたが、高橋博⇔佐野 の遊撃手交換 みたいなトレードにおまけみたいに南海に移籍すると、いきなり16勝。さらに翌年、前年ゼロ勝だった巨人 山内は、南海 富田⇔巨人 山内+松原 のトレードで南海に移籍すると、いきなり20勝。すごいなあ、と思ったものだ〕、実際にはどの話が本当なのか、よくわからんのだが・・・・、ともかく、私に関係あるのは、「こいつも、現役で東大に行ったら、野村みたいに奥さんを泣かせよる。こいつ、絶対に東大に合格させたらいかん。こいつ、絶対に現役で大学に合格させたらいかん! こいつ、絶対に落としたらんといか~ん!!!」と母が言って、ありとあらゆる妨害をされた、ということである。私にとっては、サッチーもまた、あのおばはんも、私にとっては迷惑な女である。野村は話がなかなか面白いし、本も面白いのだけれども、野村克也『最強の組織を作る野村メソッド』( 2017.1.27.彩図社)に「奥さんの力は侮れない」という章があって、「プロ野球選手に限らず、奥さんの力は侮れない」とか書いとるのだが・・・、この部分については、どの口が言うとんねん、どの口があ・・・て感じがしないでもない。
  パーマ屋の女性向週刊誌に出ていた、「浮気をして女を泣かす悪い男」の話を読むと、母としては、「クリスチャン」としてその悪い「男」というものをやっつけてやらないといけないという「クリスチャンの使命」を感じるらしかった。しかし、だいたい、「悪いやつ」てのは、けっこう強い場合が多い。昔の人の名前で、「悪太郎」とか「悪衛門」とかいう「悪」が名前に入っている人間というのは、それは良いか悪いかではなく、強いという意味で「悪・・」と名づけられた場合が多いらしいし、「悪いやつ」をやっつけようと思っても、けっこう手ごわいことが多いのだ。そういう場合、「クリスチャン」にとって便利なのは、「ロバの子の努力」という考え方である。「イエスさまがエルサレムに入場される時、ロバの子に乗って入場された」というお話があり、馬のように速く走ることもできないし、ライオンのように強くもないロバの子でも、イエスさまをエルサレムにお連れするのに役立ったように、「クリスチャン」は自分ができないことをやらなくても、自分にできることをやればいい、という考え方があるらしいのだ。そうすると・・・、母の場合、「男」という悪いヤツをやっつけないといけないという「クリスチャン」の使命をはたさないといけないが、たいていの「悪いヤツ」というのはけっこう手ごわいので、母になんてやっつけることができるわけがないのである。母にやっつけることができる「男」というと私しかいないのだった。息子というのは、いくらやっつけても、やっつけ返される心配はまったくないのであり、いくらでも、好きなだけ、やっつけることができたのだった。まさに、「クリスチャン」にとってはおあつらえ向きの存在が息子だったのだ。だから、ぐっちゃぐっちゃにやっつけられたのだった。私からすれば、私だって別に「聖人」でも何でもないけれども、それでも、その女性向週刊誌に載っていた「女を泣かす悪い男」というのは、それはそのおっさんであって私じゃないのだから、もし、やっつけるのなら、そのおっさんをやっつけて欲しかったが、「クリスチャン」の「ロバの子の努力」理論からすれば、やっつけることができる「男」をやっつけなさいというのが神の考えであるからして、息子がやっつけられることになるのであった・・・ようである。

  「現役で大学に通ると思いあがった人間になって女を泣かせよる」という説のもうひとつの震源は、母が行っていた教会に、ダンナが一橋大学卒の奥さんがいて、その人が「男の人は、浪人した人の方がいいよお。うちの人なんて、一橋に現役で通ったものだから、自分をえらいと思っていて」と言われたらしく、そこから、母は「現役で大学に通ると自分をえらいと思う思いあがった人間になって、女を泣かせよるから、だから、な~にがなんでも、こいつ、落としたるう。こいつ、絶対に現役で大学に行かせてなるものか、こいつうう~う!!!」と言うようになったようなのだが、しかし、その「ダンナが一橋大学現役合格なものだから」という奥さんの話だが、要するに、そういう言い回しで、「うちの人は一橋大卒なんですよ、それも現役で通ってるんですよ」と言いたかったのと違うんかい・・・て感じがしないでもない。
  浪人して大学に入った人間の方が謙虚かというとそうでもない。慶應大学に在学した時、空手のサークルに一時、入ったことがあったがそこにいた千葉クロマティ高校卒の富永という男が「俺なんかは、きっちりと一浪で通ったんだけど」とか言うので、私は「きっちりと一浪で通った」などとそんな日本語があるとは知らなかったので驚いた、ということがあった。「一浪で通った」というのは、普通、「恥ずかしながら、一年間、笠張をいたしましたが、なんとか合格できました」とか、「恥ずかしながら」という言葉とともに言うものだと私は思っていたし、北野高校のクラブの先輩でも誰もが「一浪で通った」というのは「恥ずかしながら」「なんとか」という言い回しで言ったもので、富永みたいに「俺なんかはきっちりと一浪で通った」などと言う人間は北野高校の卒業生では一人もなかったが、千葉クロマティ高校ではそれが「常識」で「正常」で、それが「自我が確立されている」「アイデンティティーをもっている」と評価さえる、「診断」される考え方だったようだ。千葉クロマティ高校卒の男の場合は、「一浪で通った」というのはこのうえなくエライ! と当人は思っており、「浪人した人の方が謙虚でいいよお」なんてものとは違った。彼は「一浪で通った」というのが自分は何よりもエライと考えていた。そういう男だった。私は浪人中に父親から「高校は義務教育ではないのだから、義務教育でないからにはおまえは高校には行くべきではないはずで、それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるからやねんぞ。わかっとんのんか。おまえは甘ったれとるから北野高校に行ってんぞ。わかっとんのんか。ましてや、おまえは大学には行くべきではないんやぞ。おまえは大学には行くべきではない民族やねんぞ、わかっとんのんか、お前は」と何度も何度も言われたものだったが、それから考えるならば、富永なんかは義務教育であろうがなかろうが小学校に行ったよな余計な人間であり、小学校行くべきではない人間で、小学校に行ったのは甘ったれとるから小学校に行った人間であったが、ところが、その「甘ったれとるから小学校に行った男」の富永が、「俺なんかはきっちりと一浪で大学に通った」とかのぼせあがった口をきいていたのだったが、そして、そういう男のことを「慶應らしい慶大生」と言うのだったが、彼は一浪で大学に入ったからといっても、だから、謙虚な人間だったかというと、思いあがっているだけで、正反対の人間だった。
( 慶應はそういう人間が大変多い大学である。「慶應心理学」はこの富永みたいなやつのことを「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を持っている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「診断」するのであり、こういうヤカラを批判すると「自我が確立されていないから、そういうことを言うのだ」とか「未成熟」とか「わざわざ無理して逆らっている」とか「独立自尊の精神がないからそういうことを言うのだ」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「外罰的性格」とかなんとかかんとか「診断」されることになる。「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる危険もあるから、怖い、怖い。そういえば、この男、富永も慶應の文学部心理学科だった。私なんかは、高校生の時から心理学の勉強をしたいと思ってきたが、父は「そんなもん、やらんでもええ」と言い、私にとってはそういう道はなかったのだ、そもそも、私は文学部なんか受けさせてもらえなかったが、千葉クロマティ高校卒の富永は高校卒業時点においては法政あたりでも通らないような人間だったようだが、それでも、1年浪人して慶應の文学部の試験科目だけ勉強してやっとこせえで慶應大の文学部の入試で合格最低点をなんとか超える点数を取って入学すると、自分が世界一の英雄のように思い、そして、「俺なんかはきっちりと一浪で通った」などと、え? そんな日本語あんのか? とびっくらこっこする文句をふんぞりかえって言うのだった。慶應の学生というのはそういう人間が多い。慶應はそういう人間が行く大学である。「慶應心理学」というのはそういう精神構造を本体として、「心理学」用語・「精神医学」用語および小此木製造レッテルを駆使してそれを正当化し、気に食わない人間を攻撃するための「学問」である。それが「慶應心理学」である。
  毛沢東は「敵によって反対されるのは良いことであって悪いことではない。なぜなら、敵によって称賛されるなら、我々の行動が敵と同様に腐敗していることを意味し、敵によって反対されるなら我々の行動が敵とは一線を画していることを意味するからである」と述べたが、「慶應心理学によって称賛されるなら、慶應心理学と同様に腐敗していることを意味し、慶應心理学から「心理学用語」を駆使したありとあらゆる卑劣な罵詈雑言を浴びせされれるなら、「慶應心理学とは一線を画していることを意味する」のであり、それは「大変けっこうだ」と考えるべきものかもしれない。『新約聖書』の「マタイ福音書」には《 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前(さき)の預言者たちも、同じように迫害されたのである。》(塚本虎二訳。『新約聖書 福音書』岩波文庫 所収。)と書かれているように、小此木啓吾や「慶應心理学」に《あらん限りの(「心理学」「精神医学」「精神分析学」と称する用語による)悪口を言われた》ならば、《小躍りして喜びなさい》《あなた達より前の預言者たちも、同じように》小此木啓吾と「慶應心理学」によって迫害されたのである・・と考えるべきかもしれない。「作家で精神科医」の なだ いなだ は『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかで賞の値打ちが決まるのである」と書いているが、その通りだと思う。小此木啓吾と「慶應心理学」によって称賛されるなら小此木啓吾や「慶應心理学」と同様に腐敗しているということであり、小此木啓吾と「慶應心理学」から《あらん限りの》「心理学」的《悪口を言われた》なら、「小躍りして喜びなさい」というものかもしれない。小此木啓吾と「慶應心理学」から称賛されるなら、「その程度の人間」だということである。《 第二次世界大戦の敗戦を経た1950年、精神衛生法の制定で座敷牢は禁止され、代わりに国策として乱造されたのが民間精神科病院だった。金のにおいに敏感な人々が、国の全額出資で設立された医療金融公庫(1960年設立、1985年解散)の低利融資を受けて精神医療に参入し、精神科病院が次々と建設された。「医療とは何の関係もない不動産業者が始めた」「ヤクザの親分が子どもに財産を残すために作った」などと今でも囁かれる病院もある 》(佐藤光展(みつのぶ)『精神医療ダークサイド』2013.2.20.講談社現代新書。↓)というが、小此木啓吾というのはそういう連中の仲間であり「慶應心理学」はそういう連中のテカ(手下)である。
精神医療ダークサイド (講談社現代新書) - 佐藤 光展
精神医療ダークサイド (講談社現代新書) - 佐藤 光展
  千葉クロマティ高校卒で慶應大文学部に「俺なんかは1浪できっちりと入った」と称して入学して慶應心理学科に行った富永みたいなああいう人間のことを「慶應ボーイ」とか言うようで、かつ、そういう人間を「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「アイデンティティーを持っている」とか「診断」するようである。「ギャルにもてもて」かもしれん。その点については、たしかに、ああいう男の方が私なんかより間違いなく出世して私なんかより高い給料を取っているだろうから、だから、女性にとっては私なんかと結婚するより富永と結婚した方が幸せであるのは絶対に間違いないと思う。この点については絶対の自信がある! )
  「うちの人は、現役で一橋に入ったものだから自分のことをえらいと思っていていいことないよお。男の人は浪人した人の方がいいと思うわあ」なんて言った奥さんというのは、要するに、そういう言い回しで「うちの旦那は一橋大卒なんですよ、それも現役で入ったんですよお」と言いたかっただけ! ・・と違うんかい、て感じがする。そういう言い回しで、のろけとったんだろう。そうだと思うよ。ところが、うちの母親がそういう話を聞くと、「現役で大学に通ると思いあがった人間になって女を泣かすようになるから、こいつ、絶対に現役で合格させてはいかん。こいつ、絶対に落としたるう、こいつう~う!!!」ということになるのだった。「教会」という所が母にとっては一番の楽しみだったようだが、私にとっては迷惑な所でもあった。

   我が家と同じ町内、「◇◇〇丁目」に住んでいた、私と同じ中学校から同じ北野高校に進学したN川という男、現役で京大の法学部に合格したのだが、そうすると、母はまた、「N川くんは、私立の中学校に行っていたからそこで厳しく鍛えられたのに対して、あんたは公立の中学校に行ったから甘ったれた人間なんや。あんたは甘ったれてるから公立の中学校に行ったんや。こいつめがあ!」と言って怒るのだった。N川は、中学校の途中に、親の転勤が理由でか転居してきて、私と同じ中学校に転入したのだったが、私は知らなかったのだが、私と同じ公立の中学校に転入する前、どこだったか遠くの私立の中学校にいたらしいのだ。それを、N川の近所のおばさんが「N川くんは、私立の中学校に行っていたから、そこで鍛えられたから京大に現役で通ったのね」などと言う人がいたらしい。まったく、はた迷惑なことを言うおばさんもいたものだが、そういう話を聞いてきて、それにいちいち反応する、いちいち、そんな話を気にする親というのも困ったものだったが、うちの母親は、そういう話を耳にすると、いちいち反応する人間だった。
  世の中には、「公立族」(もしくは「公立派」)と「私立族」(「私立派」)というものがあって、他の条件が同じなら公立の学校の方がいいだろうと考える人間と、他の条件が同じなら私立の方がいいだろうと考える人、もしくは、ともかく私立がいいと考える人というのがいて、その「ともかく私立がいいに決まってると考える人」の典型が慶應の教授(内部進学)で、慶應の教授(内部進学)は公立の進学校の北野高校というのが大嫌いで、講義の最中にマイクに向かって固有名詞を出して「北野高校の人間というのはねえ。北野高校の人間というのは、高校でも大学でも、私立よりも国公立の方がいいみたいに思ってませんか。北野高校の人間というのは、『どうして、私立だったらいいんですかあ?』なんて言うでしょ。バカか! 私立だってことは、いいってことじゃないか! 北野高校の人間というのは、そんな常識もわからんのかあ~あ!!! まったく、どうかしてるんじゃないか。頭おかしいんじゃないかと思うねえ」とおっしゃるのだった。私なんかは、そういうことを言われると、「せ~んせえ~え。どうして、『私立だってことはいいってこと』というのが『常識』なんですかあ~あ。せ~んせえ~え、わっかりませえ~ん!!!」と言いたくなるのだった・・・・が、逆らうとうるさそうだったので言わなかったが、もしくは、そのへんにファーストベースでもあったら投げてやりたかったが、あいにく、そのへんにファーストベースがなかったので投げることができなかった。〔⇒《YouTube-【ブラウン監督退場!】ベース投げ!ベース埋め!》https://www.youtube.com/watch?v=FkBRnT0dcvQ 〕慶應というのはそういう学校である・・・が、こういうことを言うと、「慶應心理学」から「自我が確立されていないからそういうことを言うのだ」とか「独立自尊の精神がないからそういうことを言う」とか「アイデンティティーがない」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言う」とかなんとかかんとかくんたらこんたら言われることになる。「慶應心理学」こそ「慶應心理学シンドローム」の重症患者ではないか・・。「慶應心理学」こそ、薬漬け療法とか「作業療法」と称する無賃労働・強制労働でもさせて「治療」してやった方が世のため人の為ではないか・・。
  私は、自分が公立小学校⇒公立中学校⇒公立高校 と行って、国立大学に行くつもりの人間だったので、我が家は「国公立族」「国公立派」だと思い込んでいたのだったが、よく考えてみると、父は、小学校も中学校も大阪教育大付属小学校⇒大阪教育大付属中学校で、慶應大学に行きたかったらしく、そのあたりを聞くと、「私立派」みたいなところがある。それなら、なぜ、私には公立の高校に行かせたのかというと、それは、私は「公立の学校の方がいいから」で「公立派」だからでもあったのだろうと思い込んでいたのだったが違ったようだ。そうではなく、父は「しぶちん」「しみったれ」だったのだ。だから、カネ出したくないから、公立高校に行くことになった、ということだったようだ。私は公立の北野高校に行きたかったのだが、父としてはそうではなく「しぶちん」だから公立の高校に行かせたようで、本来は「私立族」だったようだ。大阪教育大付属小学校・付属中学校は設立母体としては「国」なので、国公立か私立かと分類すれば国公立になるのだが、実際に行った人から話を聞くと、体質は私立のようなところがあるらしい。
   それで・・。 N川が、中学校の前半は私立の中学校に行っていて、後半は公立の中学校に行ったとしても、「ひとはひと、自分は自分」であって、どうでもいいのではないか・・と思うのだが、母にとってはそうはいかなかったようだ。なにしろ、「N川くんは、私立の中学校に行っていたから、だから、そこで鍛えられたんだわ」なんて言う人がそこにいたのだ。世の中にはいろんな人がいて、いろんなことを言う人がいるのだから、放っておけばいいだろう・・・と思うのだが、そうはイカのき〇たま だったか、ち〇ち〇だったかどっちか、だったようだ。 ただ、N川というよりも、N川の親が「私立族」「私立派」だったのかどうかはわからない。「地方」に行くと、東京圏や関西圏に比べて公立中学校の学力水準がずっと低い場合があり、そういう中学校に行っていると、そこの中学校では相当いい成績でも、東京圏や関西圏の生徒に比べると学力水準が低いということが現実にある。聞いた話では、N川の親は「地方」に転勤で行っていて、そこで、その地域では受験校であったらしい私立の中学校に行っていたらしく、親の判断として、その地域に住んでいる間は公立の中学校ではだめだと考えたようで、大阪府に住んだ際には公立の中学校でいいと考えて公立中学校に転入したようで、慶應の教授みたいに「私立だってことは、いいってことじゃないか。こんな常識もわからんのかあ~あ!!!」と絶叫するような「ほとんどビョーキ」みたいな思想の人でもなかったように思える。私がN川の親だったとしても、基本的には「公立派」であっても、明らかに公立の学校ではだめで私立の学校に比較的いいと思われる学校があるということならば、その私立の学校に行かすお金を出せるなら、そこは「公立派」のポリシーを曲げてでも私立の学校に行かすという選択はありだ、と思うのだ。N川がそうしたとして、N川の親がそういう判断をしたとして、それはそれでいいことだが、我が家の場合は「地方」に転勤で行ったわけでもなく、ずっと大阪府にいて、私は大阪府の公立中学校の中では比較的学力水準が高いとされていた中学校にいたのだから、それも別に悪くないはずだった・・・のだが、世の中には「私立派」「私立族」の人というのがいて、N川が中学校の前半、私立中学校に行っていて、その男が京大に現役で通った、というのを聞くと、「私立の中学校に行っていたから、だから、そこで鍛えられたから京大に現役で通られたんだわ」とか言うおばさんがいたらしい。「ああ、そうですか」くらいに聞いておけばそれでいいことだと思う・・・のだが、うちの母はそうはいかないようで、「あんたは甘ったれてるから公立の中学校に行ったんでしょうがああ~あ!!!」と言って怒るのだった。疲れる・・・。

   実際、私は高校生の時から浪人にかけて、ともかく、あの家を出たいとずっと思っていた。これ以上、この家にいるのは嫌だと思い、そのために、家を出ることができるのはどうすればいいか? というと、それは東大に通って行くことしかなかった。世の中には、「東大でないとお~お」という人もいるようだが、高校時代の私が一番魅力を感じていた大学は京都大学だったが、父は「京大なら、家から通うべきや。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言い、片道2時間以上は間違いなくかかる京大まで、毎日往復させるつもりだったようで、それでは・・と思ったことと、父が「京大はアカやから、いか~ん!」と言うので、そうなると、東大に行くしかないことになるのだった。慶應の三田会の人の知り合いの人と会った際に思ったのだが、世の中には、慶應出てないわりに「慶應タイプ」という人というのがいるのだ。私なんかは、結局、慶應大学を卒業させてもらい、卒業証書をもらったけれども、あんまり、「慶應タイプ」ではないのだが、それと逆で、慶應でてないにもかかわらず「慶應タイプ」という人がいる。父も慶應に行きたかっただけあって「慶應タイプ」だったようで、「京大はアカやからいか~ん!」とか、「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいか~ん! 毎日もアカやからいか~ん!」と私に言い、「わしは、あんたに、どこに勤めろとか、どこそこはいかんなんて、一言として言ったことはないはずや」と言うのだったが、あんた、今、言うたんと違うんか? と思ったが、当人は言った意識はないようだった。そして、言いまくるのだった。「朝日はアカやからいか~ん! 毎日もアカやからいか~ん!」と、そして、「京大はアカやからいか~ん!」と。阪大はどうかというと、「地方」出身で我が家の近所に下宿して阪大に行く人だってあるくらいで、そんなもん、「高校より近い場所にある大学」なんて、もっとのほか! という感じだった。
  「N川くんは、中学校を私立の中学校に行っていたから、だから、鍛えられたんだわ」とか言ったのは、N川でもなく、N川の親でもなく、「誰かN川の近所の人」だったらしいが、N川の家は我が家と同じ「◇◇〇丁目」内とはいえすぐ近くでもなかったのだが、息子が浪人中に、よくもまあ、そういう話をかき集めてくるものだと思ったが、我が家の母親はそういう人間だった。疲れた・・・・。ほんとに疲れた・・・。 10代から20代の頃は、リポビタンDとか新グロモントとかリゲインとかそういうものを飲む人というのを軽蔑していたのだが、30過ぎた頃から、飲みたくなることがあり、飲むと「効いた」みたいな気持ちになったが、そのうち、40代の後半になると、飲んでも効かなくなった・・・が、10代終わりから20代初めにかけては、そんなもの、飲むなんてこと考えたことはなかったのだが、我が家は疲れる家だったと思う。リゲインなんて飲んでもその疲れはきっと取れなかったと思う・・・。
  父は私が小学生の頃から、「朝日の記者は全員、刑務所に叩きこめ~え! 共産党は死刑にしろお! 社会党も死刑じゃあ! 日教組は全員、刑務所に叩きこめえ~え!」とか家で叫んでいた。「ほんま、けしからんやつらやなあ、ほんま。原発には、反対、反対、反対、反対、言いよってからに、わざわざ無理して逆ろうとんのんや、あいつらは、ほんま」とか言っていた。社会党が、一時期、「現実路線」とか言って、自衛隊を容認、原発も容認するような傾向を出したことがあったが、その時にも、「現実的でええがな。原発に反対とか言うて甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」とか言っていたのだが、なんで、原発に賛成する人間が「甘ったれてない人間」で原発に反対する人間は「甘ったれとる」ということになるのか、私には理解できなかったが、そういうことを言うと「甘ったれとるからそんなことを言うんじゃ」ということになってしまうようだった。「原子力発電に反対する者というのは甘ったれとるから反対しおるんじゃ。刑務所に入れたったらええ、反対するようなヤツは! とってちってたあ~あ!」とか言っていた。そういうのを聞いて、こんな人間にはなりたくないものだ、と思ったし、そういう人の大学、慶應なんかには絶対に行きたくないとも思ったものだった。実際、慶應の人間にはそういうタイプの人間が大変多いと思う。慶應の一般教養の「化学」の講義で、教授が「遺伝子組み換えといっても、実際に人間と猿のあいの子ができたわけでもないんだ。それを、最近、何でも反対したがる人間がいて、やりにくくてたまらん。本当にけしから~ん! もし、遺伝子組み換え食品とかに反対したいのなら、実際に人間と猿のあいの子ができてから言えってんだ。それまでは文句言わずに黙ってろってんだ! きみたちは絶対にそういうことは言わないように!」と叫ばれた教授先生がおられたのだが、なるほど、慶應というのはそういう教授の巣窟なんだなあ・・と思ってうんざりしたものだった。「もし、遺伝子組み換え食品とかに反対したいのなら、実際に人間と猿のあいの子ができてから言えってんだ。それまでは文句言わずに黙ってろってんだ!」という発言というのは、それは「原発に反対したかったら、実際に大事故が起こって人類が滅亡してから言えってんだ。それまでは黙ってろ。うるさ~い!」と言うようなものです。「慶應タイプ」の人の思考というのはそういうもののようです。 慶應の必修科目で「体育理論」というのがあって、そこでは体育会の教授が「最近、殴ったらいかんとか言い出すおかしなやつが出てきて困ったもんだ。だいたい、我々、体育会の人間には「小突く」と「殴る」と「ぶっ飛ばす」という3種類の用語分けがあるんだ。それを、『小突いた』だけなのに『ぶっとばした』みたいにマスコミが書きやがってからに、けしから~ん! だいたい、殴らないスポーツなんて、そんなものあるわけないじゃないか! スポーツである以上、『殴る』というのは当然のことじゃないか! それを、殴ったらいかんなんて、バカか! そんなスポーツがあるかあ!!! 特に、女子バレーがすごいんだ。女子バレーでは、コーチが女子選手の髪の毛をつかんでコートの中を引きずり回したりするんだ。それがスポーツてもんなんだよ、それがあ! それでこそ、スポーツてもんだ。それを、『殴ったから怪我したじゃないか』なんて言って、バカか! 殴ってんだから、怪我するのは当たり前だろうが!!! どうかしてんじゃないのか。頭おかしいんじゃないか。一回、病院に入院しろってんだ。まったく!!!」と正規の「講義」それも必修科目の講義で叫ばれた教授先生がいらっしゃったが、いかにも、慶應て感じだなあと思いました。父もけっこうそういうのが好きみたいでしたが、そういうのが好きな人というのは特徴があって、どういう特徴かというと、「殴る」というのは自分が「殴る」側であって、自分は「殴られる」側ではありえない、と勝手に思っているという点です。慶應大学で「近代思想史」という講義の時に、「私のゼミの人で、ナチスのようなものはああいうのは悪くないと思うと言った人がいたので、それで、私は『あなた、いいですか。ナチスのようなものが悪くないと言うのなら、それは、あなたがヒトラーの親衛隊か何かになってナチズムを実行する側にいるのが悪くないということではありませんよ。自分がユダヤ人の立場でガス室に送られて殺されるのがかまわないという意味ですよ。わかっていますか』と私は話したのです」と話されたことがありましたが、慶應の学生には「ナチスみたいなものは悪くないと思う」とかいう思想の人間が他大学に比べて多いように思うのですが、他方においてその教授はその点においてまともな認識の方だったと思うのですが、「殴るというのはスポーツである以上、当たり前じゃないか。殴ったから怪我したじゃないかて、バカか、殴ってんだから怪我して当然だろうが! 頭おかしいんじゃないか、一回入院しろってんだ」と言うお方もまた、「殴る」のは自分の側、「殴られる」のは自分でない側、「入院する」のも自分でない側と決めつけている人であり、「ナチスのようなものは悪くないと思う」と自分はヒトラーの親衛隊か何かになるものと勝手に決めつけている人と同様の思考で、「共産党は死刑にしろお! 日教組は全員、刑務所に叩きこめえ! 朝日の記者は全員、逮捕しろお!」とか叫び、私が「日本国の法律で死刑に該当する行為をしたわけでない人を死刑にするわけにはいかないでしょう」と言っても、「なんでじゃ。なんでなんじゃ。共産党は死刑が当然じゃ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては!」と言うおっさんというのは、「慶應行かなくても『慶應タイプ』」だなあと思いました。疲れる・・・・。

  N川の場合は、「私立の中学校に行っていたから、そこで鍛えられたから、だから、京大に現役で通ったんだわ」とか言ったのはN川の親ではないようで、「近所のおばさんの誰か」らしかったが、世の中には「私立族」「私立派」の人、「ともかく、私立はいい」という意識の人、「ともかく、私立はいいんだ」ということにしたい人というのがおり、そういう人に逆らってもしかたがないので、「ああ、そうですか」くらいにしてすませておけばいいことだったが、そうはいかない親を持つと、なんとも、大変だった。疲れた・・・。
  しかし、N川の場合は、「私立の中学校に行っていたから、そこで鍛えられたから、だから、京大に現役で通ったんだわ」とか言ったのは、N川の親ではなく「近所の誰か」らしかったが、K村の場合は「近所の誰か」ではなくK村の親が言いまくっていたようで、さらに、N口の場合は、N口は落ちたのにからに、落ちたのにからにN口の親は「うちの子は本当にしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」とか言いまくっていたのであり、なんでも、野村克也の「ささやき戦術」に対して、大杉は「うるさ~い!」と怒鳴りつけたそうで、張本は打席をはずして気分を変えようとしたところ、スタンドから「早く打てえ!」とやじられ、バットで野村を指して「こいつがうるさくて打てんのじゃあ!」と言ったというが、実際のところ、川村と野口に対しては、「うるさ~い!」と本人と親の両方に怒鳴りつけてやっても良かったかもしれない、と思っている。 「うるさ~い!!!」と。 張本は、野村の「ささやき戦術」がうるさいので、バットを回転させて、思い切り当てたら死んでしまうから、わざと軽くコツンと頭にあててやったことがある、とかどこかで話していたが、ほんと、川村と野口の親には、そのくらいやってやってもいいくらいだったと思う。「うるさ~い!!!」

  しかし、それにしても、アホなお母さんが「うちの子は大人ですわあ」「うちの子は本当にしっかりしてますわあ」とか言いまくるのを聞いて、それを本気にして、自分はしっかりしている、自分は大人やあ・・・とか思い込む男というのは、それは、1浪したとはいえ京大に通ったとしても、なんか、あんまり値打ちのない京大だと思う。 京大に行ってもそんなもんか、てところである。京大に行っても、アホなお母さんの言うことを本気にして、「自分はしっかりしている」「自分は大人やあ」「自分はひとよりえらい」とか思い込む男というのは・・・、結論として、あんまり賢くないと思う。むしろ、そういう男は、1浪でも落ちて、5、6年浪人した方が本人のためだったかもしれないくらいである。なんか、北野高校の女性とで、N口のことを「尊敬している」とか言っていた女がいたようだったが、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounteing for taste.)てもんで、また、「どのような賞を受賞したかでその人の値打ちが決まるのではない。どのような人間が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのである」から、好きなように思えばいいが、私なんかは、あんまり「尊敬」なんてしてもらえないだろうし、していらんけども、アホなお母さんの言うことを本気にして「自分はしっかりしている」「自分は大人ですわあ」「自分はえらいですわあ」とか思い込む男というのは、あんまり賢い人間には思えない・・・。彼は、たぶん、一生、その調子で生きるだろうし、おそらく、一生、ぺったんこの顔して、ぺったんこの人生をそれを得意がって生きていくことだろうけれども・・。
  そして、N口と本当によく似ていると思えるのが旧姓作野礼子で、お母さんが「うちの娘は、親が離婚しただけに、それだけに、しっかりしてますわあ」と、普通なら「離婚した」というのはマイナスの評価になってもプラスの評価にはならないはずのものを、逆にそれを売り込んだのではないかと思うが、そんな話を本気にして、「私は両親が離婚したから」と言いまくって自慢しまくっていたのだったが、なんだか、しょーもないことを自慢する女である。N口とそのあたりはよく似ているのだが、たとえ、「S野さんは、両親が離婚したから、しっかりしてられるわあ~あ」とお上手言う人間がいたとしても、お上手はあくまでもお上手であり、そんなものを本気にしまくる女、そんなものを本気にして、その後、「私は両親が離婚したから」と言いまくり、「だから、しっかりしてられますわあ」と言ってもらうよう期待する女・・・て、これもまた、N口と同様、あんまり賢いとは言えない、と思う。ほんと、あの2人、よく似てるなあと思う・・・な。

   それで、「受験生へのエール」、特に、「浪人してしまった人へのエール」として、今回は、家族とのつきあい、周囲の人間の「なんだかんだしょーもないこと」言う人に影響される家族とのつきあいの大変なこと、について述べてきた。そういう苦労のない家庭の人にとっては、「どうでもいいこと」で「聞いてもしかたがないこと」だったかもしれない・・・が、私といくらか似た家庭の人にとっては、共感を覚える部分もあるのではないかと思う。実際、K村とN口については、あいつらの家に行って、「爪の垢を分けてください」とお願いしていらっしゃい、と父は言って死んだのだが、私としては、今からでも、K村とN口の家に行って、K村とN口の親に、「うるさ~い!」と言ってやりたいくらいである。言われてもK村とN口の親は文句は言えないはずである。実際、「うるさ~い!」態度をとりまくっていたのだから。

   次回は、「野村克也追悼を兼ねて、ID野球から考えるYMCA予備校の間違い」を述べたいと思う・・・が、その前に、北野高校の教諭とは、浪人中、あんまりかかわらん方がいいかもしれんと思う。それについて述べる。
   高校卒業する年に大学に落ちたとしても、3月から4月くらいは、それほど実感がない。ところが、5月になり6月になると、駅や電車の車内で合格したヤツが大学に通うのと会うこともあり、「浪人した」ということが実感されてくる。そういう頃に私は旧姓作野礼子から言われたのだ。何を?
  「私は両親が離婚したから、だから、私なんか、浪人なんてやりたいなんて言っても絶対にさせてもらえなかったし、まず、浪人したいなんて言い出せなかったわ」と。旧姓作野礼子はそう言って私を責めるのだった。しかし、それで、いったい、どうすればいいのだろうか・・とずいぶんと考えた。ある人材紹介会社の会長さんが慶應大学卒の人で、その方が会社に応募された時の話を聞かせてもらったことがあるのだが、その方は内部進学の人で、高校で留年されたことがあったらしいのだが、面接であった相手から「おまえはアホか」と言われたというのだ。それで、言ったというのだ。「それ、今からどうしたらいいですか。どうすればいいか、教えていただければ、今からでもなんとかできるものならなんとかしますから、どうすればいいか、教えていただけませんか」と。その通りだと思う。今からどうかできるものなら言えばいいだろうけれども、もう、今さらどうもできないことを責めてもしかたがないではないか。高校の中間考査や期末考査での点数が悪かったとしても、「なんだ、これは。もっとしっかりせんかい」と言ってもいいと思う。「しっかりせんかい」と言われて頑張って次回はいい成績を取ればいいのである。高校3年生に「私なんかは、親が離婚して母しかいなかったから、浪人なんてするつもりはなかったしできなかったのです。皆さんもできる限り浪人なんてしないで現役で通るようにした方がいいと思います」と言うのならわかる。しかし、すでに浪人してしまった者に、浪人したということを責めても、「それ、いったい、どうすればいいですか。どうすればいいのか、教えていただけませんか。どうかできるものなら、なんとかしますから、どうすればいいのか、教えていただけませんか」ということであった。どうかしようとしても、もう、どうもできないことを責めるのが、それが旧姓作野礼子だったのだ。
  結論として、あの女は私に恨みを持っていたのでそういうことを言っていたのだ。私は、旧姓作野礼子に恨まれるようなことなんて特にしていないと思っていたのだが、その後、会社という所に勤める経験をすると、人間というのは、恨まれるようなことをしたから恨まれるというものではなく、何ひとつ恨まれるようなことをしていなくても目の仇にされることはある。旧姓作野礼子は私に対して、私が恨まれるようなことはしていなかったはずであるが、私に恨みを持っていたのだ。だから、そういうことを言って私を攻撃したのだった。これは事実である。
  浪人してしまった人間に、「浪人した」ということを責めるのはやめた方がいい、ということには理由は3つある。
1つは、先に述べたように、これからなんとかしようとして、なんとかできるものなら言えばいいけれども、もう、これから何とかしようとしても、どうもできないことを責めてもしかたがない、という点。
2つめは、浪人してしまった進学校出身の人間に、「浪人した」ということを責めるとどうなるか? まがりなりにも、進学校の教諭になっていた人間ならば、そのくらいのことは考えるべきであった、と思うのだが、そういうことを考える頭がないのが旧姓作野礼子だった。
  『あしたのジョー』では、少年院でのボクシング大会で、元プロボクサーの力石徹は、矢吹丈との対戦で、「1分以内にKOしてやる」と宣言した・・・ものの、「1分以内にKO」はできなかった。矢吹は「どうした。1分以内にKOするんじゃなかったのか。とんだ、お笑いの約束手形。べ~ろべ~ろべえ~え。こっちにおいで、べろべろべえ。この嘘つきのハッタリ野郎!」と罵る。力石は「1分以内のKOの予告を実現できませんでしたが、その見返りに、この矢吹をとことん叩きのめしてやる」と言い出す。そして、ついに、元プロボクサーは「しろうと」の矢吹の繰り出すクロスカウンターを浴びてダブルノックアウト。両者、テンカウント以内に立ち上がることができず、引き分けることになる。丹下段平は「まったくのどしろうとが、プロの大型新人と引き分けたんだ。勝ったと言わせてもろうても差し支えあるまい。わしとジョーは勝ったんだよ」と叫ぶ・・・のだが、この力石みたいな気持ちにならせることになる。
  進学校の出身者というのは、負けたくないのである。負けた、という経験があまりないのである。ただでさえ、「浪人した」というのは相当にこたえているのである。3月や4月の初めくらいは特別思っていなくても、5月から6月にかけての頃にこたえだす。電車に乗っていても、知っている人間で大学生になっている人間と顔を合わすこともあるし、知らない人間でも大学生らしき人間を見ることがある。なんで、浪人してしまったんだ・・・と思っても、もう、してしまったのだ、と思っても、なんで、浪人してしまったんだ・・なんて考える。そういう人間に、「浪人した」ということを責めるとどうなるか? 進学校の教諭なら、そのくらい、考えたらどうかと思うが、考える頭がないのが旧姓作野礼子。あの女は進学校の教諭はやめた方がいいのではないかと思う。
  進学校出身の人間ですでに浪人してしまったという人間に、「浪人した」ということを責めるとどうなるか?・・・・わかる人はわかると思うのです。「わかりました。この埋め合わせとして、次は、一番で通ってやる!」・・・そういうことを考え出すのです。
※ 《YouTube-15 力石徹のテーマ(フルコーラス・ヴァージョン) [Rikiishi Toru's Theme Full Version]》https://www.youtube.com/watch?v=iPWaumFR0hI
  「この埋め合わせとして、次は絶対に一番で通ってみせます」・・・なんて考えたとしても、です。進学校出身の人間が受ける所というのは、東大とか京大とかそういう所を受けるわけです。「一番で通る」なんて言っても、そんなもの、簡単に「一番で通る」ことができると思いますか?  なにより、ここで考える必要があるのは、「入学試験というのは、ハードルであって、棒高跳びではない!」ということです。棒高跳びならば、少しでも高く飛ぶことに意義があるのですが、ハードルというのは、別に高く飛ぶ必要はないのです。
  入学試験というのは、合格最低点よりも1点でも高い点数を取れば合格です。問題は合格最低点よりも1点でも高い点数を取ることができるかできないか。それだけ、なのです。それ以上高い点数を取ったとしても、それがいったいナンボのもんや! てものなのです。この点をきっちりと認識できれば、その分だけ合格に近づく。この点をきっちりと認識できなければ、その分だけ、合格から遠のくでしょう。
  野球でホームランというのは、外野のフェンスを越えたらホームラン、たとえ、外野のフェンスの手前で落ちても、外野手がホームに返球するより先に、一周まわってホームに帰ってくることができればホームランです。場外ホームランを打てば、1点でも余計に得点されるわけではないのです。問題は外野のフェンスを越えることができるかどうか。
  入学試験というものは、そういう性質のものです。それなのに、「その埋め合わせとして、絶対に一番で通って見せます」などと、そんなことを考え出すと、ストレスもたまるでしょうし、そういう考え方は受験にはマイナスです。
  野村克也は、南海ホークスに入団して、2年目だか3年目だかに一軍の試合に出してもらえるようになったが、しかし、打率は2割5分程度しか打てなかった。2割5分では、捕手として出してもらえたとしても、又、他の選手に捕手のポジションを奪われるかもしれない。打者は3割打てば、「一流打者」と評価される。なんとかして、3割打ちたい。3割打者と2割5分の打者の違いはどういうものか。 100回打席に立って、30回、ヒットを打つのが3割打者で、25回、ヒットを打つのが2割5分の打者である・・・とすると、あと、5本、多くヒットを打てば、3割打者になれるということになる。投手が投げるすべての球をヒット打たないといけないとかいうことなら、それは大変だが、「ともかく、あと5本」と考えるなら、「あと5本」ならば、工夫すればなんとかなるかもしれない・・・と考えた、というのだ。それで、投手が投げる前に、どういう球かわかれば打ちやすいのではないかと考え、この投手はどういう場面ではどういう球を投げるのか、どういう球を投げる時にはどういうしぐさをするのか、といったことを観察し、又、カーブが苦手で必死で練習したがそれでも打てなかったので、それなら、いっそ打たないようにすればどうか、野球の投手は最低でも3球はストライクを投げないと三振に打ち取ることはできないのであり、そのストライクが3球ともカーブである確率は低い。ということは、カーブが打てないなら、カーブは打たないことにしてそれ以外の球を打つようにすればいいのではないか・・といったことを考えて、ついに、3割打った・・・という話。
  大学受験においても、「あと何点取れるようになれば合格できるのか」ということを考えるべきでしょう。それが「勝負強さ」というものでもある。「絶対に一番で通ってやる」なんて、そんな考え方は害がある! むしろ、そういう考え方は「勝負弱さ」につながる。
  高校の1年の最初ならともかく、浪人までしたならば、「ともかく、通ればええんや」という考え方でいくべきである。「絶対に一番で通ってやる」とか、そういうアホなことは考えない方がよろしい。
  もう、すでに浪人してしまった人間に向かって、「浪人した」ということを責めると、責められた人間としては、「わかりました。それでは、この埋め合わせとして、次回は絶対に一番で通ってみせます」・・・とか、力石徹みたいなことを考え出します・・・が、そういう考え方は大学受験においてはマイナスです。

  YMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種だった藤井という男が、4月か5月頃、「現役の時なら、通った人5人・落ちた人5人というくらいの成績でも受けていいけれども、浪人した以上は、最低でも、通った人8人・落ちた人2人くらいの成績でなかったら受けたらいかん」と発言。この考え方は、それが「良心的」だとか思う人がいるかもしれませんが、又、母はそれを聞いて「良心的やな」などと言っていたのでしたが、ちっとも良心的ではないと思います。 普通に考えてみてください。東大とか京大とかに行こうとする人間にとって、「通った人8人・落ちた人2人」なんて、そんな成績、簡単に取れると思いますか? 入学試験というのは、合格最低点を1点でも上回れば合格なんです。模擬試験でではなく本番の試験で、もしもその試験が本番の試験ではなく模擬試験であったなら「通った人6人・落ちた人4人」の成績だったとすると、60%合格で40%不合格ではないのです。100%合格なのです。入学試験の本番でそれが本番の試験ではなく模擬試験だったとすると「通った人4人・落ちた人6人」を取ったとすると、40%合格で60%不合格ではないのです。100%不合格なのです。東大とか京大に行こうとしたならば、「最低でも、通った人8人・落ちた人2人くらいの成績を取らないと受けたらいかん」なんてこと言っていたら、行ける人は限られてきます。 実際に、本番の試験で「その試験が本番の試験ではなく模擬試験だったとすると、通った人8人・落ちた人2人という成績」を取ったという人は何人かいるかもしれませんが、それは結果としてであり、受ける前からそんな成績を取ろうと考えていたならば、その認識は受験にはマイナスでしょう。そうではなく、「ともかく、通ればええんや」と考えるべきです。 「あと5本なら、工夫すれば何とかなるかもしれん」と考えるのと、「全打席ホームランを打つ」なんてこと考えるのとでは、大きく結果が違ってきます。「全打席ホームランを打つ」なんてできるわけないのです。 「絶対に一番で通って見せます」なんて、考えるべきではありません。そういうことを考えだすと、実際にはそれほど悪い成績でもないのに、ずいぶんと悪いみたいに勘違いしてしまう場合も出てきます。だから、「すでに浪人してしまった」という人間に、「浪人した」ということを責めるというのはやめるべきです・・・・が、それをやらないとおれないのが、それが旧姓作野の礼子だったのです。あの女は受験生にとって害があります。
   そして、旧姓作野礼子から、「浪人した」ということを責められたことで、浪人中、私は常にそれが意識にのしかかりました。しかし、です。慶應大学なんて所に行かされてしまいますと・・・。 空手のサークルに一時期入ったことがあったのですが、そこにいた富永という千葉クロマティ高校卒の男が、「俺なんかは、きっちりと一浪で通ったんだけど、おまえ、なんで、二浪なんてしたの」なんて私に言ったのですが、私としては、慶應みたいなもんに行くために二浪したのではないのです。富永みたいな程度の低い男と同じ大学に行かされるために浪人したわけではないのです。慶應なら高校卒業した年にでも通ったのではないか、という気がしましたが、受けていない以上はそれはわかりませんが、富永なんかと一緒にされる「大学」に行きたいと思ったことは一度もないのです。何よりも、千葉クロマティ高校卒の富永にとっては「一浪できっちりと通った」というのが自慢だったようですが、私が北野高校を卒業した頃は、北野高校は半分の人間が現役で進学し半分が一浪で行き、二浪以上の人が何人かいる、という高校で、北野高校の卒業生で浪人中の者は「恥ずかしながら、只今、笠張をおこなっております」と言い、浪人して合格して大学に進学した人間は「恥ずかしながら浪人いたしましたが、なんとか合格できて入学いたしました」と「恥ずかしながら」と浪人を認識していたのでしたが、千葉クロマティ高校卒の富永はそうではなく、「俺なんかは、きっちりと一浪で合格したんだけど」と、浪人を「きっちりと」と発言したのでした。「きっちりと一浪で合格した」なんてそんな日本語があるとは私は思いもしませんでした。浪人というのは「恥ずかしながら」というものだと思っていたのですが、千葉クロマティ高校の富永にとっては「きっちりと一浪で」というのが一浪だったようです。富永の高校は一浪で慶應に合格できれば御の字であるどころか、一浪で慶應に合格できれば英雄だったのです。だから、富永は、話しても、こいつ、勉強してないなあというのがはっきりとわかる男でしたが、そういう人間が千葉クロマティ高校では「英雄」だったのです。富永は旧姓作野礼子から「私なんかは両親が離婚したから。だから、私なんかはおよそ、浪人なんて絶対にさせてもらえなかったわよお。浪人なんて、したいなんて言い出せなかったわよお」等々と言って責められることもなく、むしろ、「今、浪人で大変やねん」とか言うと、「大変やねえ。頑張ってねえ」とか言ってもらえた人間であり、それが千葉クロマティ高校では「常識」で「正常」だったのです。世の中には、そういう人もいるのです。だから、旧姓作野礼子は私に「浪人した」ということを、ここぞと責めたのでしたが、責められても、今さらそれを変えようとしても変えることはできないだけでなく、世間では「慶應タイプ」みたいに「俺なんかは、一浪できっちりと通ったんだけど」とか言って自慢する男もいるわけで、旧姓作野の言うことなんて聞いていたら、損します。旧姓作野礼子は自分が勤めていた北野高校の卒業生をいじめて、クロマティ高校の人間に加担していたのです。旧姓作野礼子という女は、自分が勤めていた北野高校の卒業生をいじめて、クロマティ高校の不良に加担していたのです。旧姓作野礼子という女はそういう女だったのです。このあたりを考えると、北野高校の教諭とは、浪人中はかかわらん方がいいのかもしれない、とも思えますが、ひとによっても違うようで、また、その教諭によっても違うようです。結局、二浪もしてしまって、二浪目の共通一次試験の時、共通一次試験の会場だった大阪大学豊中キャンパス(「豊中キャンパス」というけれども、最寄駅は「豊中」ではなく「石橋」、現「石橋阪大前」。「蛍池」からと「石橋(石橋阪大前)」からと同程度の距離のはずで、その建物によりどちらからが近いか変わると思いますが、私は石橋から行きました)に行くと、なんだか見たことある顔の人がそこにいるのです。北野高校で私より1つ上の学年にいた人ですから、こちらが二浪であるからには向こうは三浪のはずでしたが、その三浪の某さんは、結局、三浪で大阪大学の歯学部に合格したようでした。一時、静岡大学工学部に行きかけたらしいのですが、一期校・二期校の制度だった時代の静岡大学工学部(別名「浜松工業大学」、遠州人はこう言うと怒りますが)は、京大・阪大の工学部・理学部など落ちた人だらけで半年もすると半分もいなくなったそうで、某さんは2年の途中でやめて受験生活を再開したようですが、某さんが卒業した時は共通一次試験なんてない年で、北野高校の3年の時の担任の先生に相談に行くと、「(共通一次試験での)社会科(の2科目の選択)は、倫理社会と政治経済がいいかな」なんて先生が言ってくれて、「どうしてですか」と言うと、「そりぁ、教科書の厚さを見てもわかるだろう。世界史・日本史の教科書の厚さと倫理社会・政治経済の教科書の厚さを比べると、倫社・政経の教科書の方が日本史・世界史の教科書の厚さの半分だものな」と言われ、それで、日本史・世界史ではなく倫社・政経で受験することにした、と言っていましたが、そういったアドバイスをしてくれる先生もいたようでしたが、私の場合は、3年の時の担任のO谷郁三は「大学はどこでも一緒や」とか何とかかんとか勝手なことばかり言うだけの男で、2年の時の担任の旧姓作野礼子は、クロマティ高校の甘ったれたヤツには言わずに、自分が担任だった生徒にだけ「浪人した」ということを責めたてて苛める女でした。私の大学受験時の失敗のひとつは、北野高校の教諭というものを実態をかけはなれて信頼していた、実際の彼らの能力よりはるかに高く評価してしまっていた、ということがありました。あいつらはアホです。それを認識できていなかった、というのが私の失敗でした。
   旧姓作野礼子は「私なんかは両親が離婚したから」とそれを自慢し、そして、「私なんかは両親が離婚したから、だから、浪人なんてさせてもらえなかったわよお」と言って責めるのでしたが、しかし、私が高校3年の時、父は最初、「もし、東大とか京大に行こうというのであれば、現役でならわからんが一浪すれば通るというものなら一浪はするべきや。浪人は嫌じゃなんて甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。女の子なら浪人はせん方がええやろうけども、男なら東大なり京大なりに行くためなら、浪人は嫌じゃなんて言うて甘ったれとってはいかん!」と言うのでした。それだけなら、まだ、わかります。高校卒業してから大学に入るまでに余計な1年を費やすのなら、もしも、京大に行くなら一浪が必要だが阪大なら現役で通れる・・・なんて考えて阪大を受けたらそれも落ちた・・なんてこともあり得ることですが、京大なら通るかどうかわからないが阪大なら通りそうと思って受けて阪大に通って行ったという人もいるのではないかと思いますし、それはひとつの考え方だと思いますが、うちの父親は「もし、東大とか京大に行こうというのであれば、現役でならわからんが一浪すれば通るというものなら一浪はするべきや。浪人は嫌じゃなんて甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。女の子なら浪人はせん方がええやろうけども、男なら東大なり京大なりに行くためなら、浪人は嫌じゃなんて言うて甘ったれとってはいかん!」と私が高校3年の時、私に言うておったのです。それで、浪人したら、なんで、「私なんかは両親が離婚したから、だから、浪人なんてさせてもらえなかったわよお」などと言われて責められなければならないのですか? 「浪人は嫌じゃなどと言うて甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と父は言うておったのですよ。だから、浪人したいとは思いません。現役で通りたいと思いましたが、それでも、父は「もし、東大とか京大に行こうというのであれば、現役でならわからんが一浪すれば通るというものなら一浪はするべきや。浪人は嫌じゃなんて甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。女の子なら浪人はせん方がええやろうけども、男なら東大なり京大なりに行くためなら、浪人は嫌じゃなんて言うて甘ったれとってはいかん!」と何度も言うておったのです。
   それだけではない。私が北野高校に入学した年、1年の最初、担任だったO先生から「北野高校の場合は、運動部に在籍した生徒とそうでない生徒を比較しても、進学成績に差はまったくない」ということで、「文武両道の北野高校」に入ったのであり、私もそうしたいと思って野球部に入ったのですが、そうすると、父が「野球部とか運動部にいた人間で京大とか阪大とかに行ったという人間というのは、それはみんな浪人です。うちは浪人なんかさせるような金持ちとは違います」と言い、私が「北野高校の場合は、運動部にいた人間でも現役で京大や阪大に通ってるようですよ」と言っても、「嘘や。運動部にいて京大や阪大に行ったというようなやつは、それはみんな浪人です」と言ってきかず、さらに、「北野高校に行ってわしが野球部の監督をどやしつけてやる。甘ったれとってはいかんぞ甘ったれとってはあ」と言い、本当に野球部の監督の所に怒鳴り込みそうでしたので、これはどうしようもないと思って野球部を辞めましたが、同じように北野高校に入学した人間が、野球部やサッカー部やラグビー部やバスケットボール部やらをやりながら勉強もさせてもらっているのに、なぜ、私だけが・・とずっと思ってきましたが、ところが、高校3年になると、父は今度は「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい!」などと言いだしたのです。はあ? あんた、私が高校1年に入った時に何を言うた、何を? はあ? 「あんた、浪人しなさい!」て、高校3年で、なんとか現役で通りたいと思って努力している高校生に向かって、親がそんなこと言うかあ? はあ~あ??? と思ったものでしたが、うちの父親はそういう男でした。そういうおっさんでした。それ、やってこそうちの父親でした。今でも、高校3年で、なんとか現役で通りたいと思って努力している息子に向かって、「あんた、浪人しなさい!」なんてそんなアホなこと言う父親なんてあるか!!! と思うのですが、「あるか」と言ってもあったのです。我が家に。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と「両親が離婚した」娘というのは「両親が離婚」していない息子よりもその分だけエライと言いたい人間であり、「両親が離婚した」際に母親の方についていった女は父親がないので、父親がある人間というのはその分だけ大いに恵まれていると言いたいようで、又、「言いたいようで」ではなく旧姓作野礼子は私に「私なんかは両親が離婚したから」「あなたはお父さんがあるからそれだけ私よりもずっと恵まれているはずなんだから」と何度も言って私を責めたのですが、旧姓作野礼子の「両親が離婚した」というのは私が離婚させたわけでもないのですから、私を責めるのは筋違いだと思いますし、そして、「両親が離婚したから」「私には父親がなかったから」だから、「あなたはお父さんがあるのだから」「だから恵まれてるのだからねえ」と言うのでしたが、父親がなければ、高校3年の時に「あんた、浪人しなさい!」なんてその父親から言われるなんてこともなかったはずなのです。
   まず、「両親が離婚した」息子でも娘でも、すでに両親が離婚しているからには、高校3年の時に、そういう時を狙って、離婚するとか言い出されるということもないでしょう。母は「こいつがお父さんに似てくるから、だから、私は離婚するんやあ」と言うのです。息子もしくは娘が父親に似るのが面白くないというお母さんというのはいるようですが、そんなこと言っても、その父親と結婚したのはあんたやろうが! と言いたくなりますし、父親に似たとすれば、息子だって、あんなおっさんに似たくありませんが、それが似たというのなら、文句言うのはどっちなんだ? ということになりませんか。 あんなおっさんになんて似たくありません。そのおっさんと結婚して子供を産んだのはあなたでしょうが、と母に言いたいところでしたが、母は「こいつがお父さんに似るから私は離婚するんやあ」と言うのですが、離婚するならしてくれ・・・と何度も思いました。母は「離婚するんやあ」と言っても、結局、離婚しないのです。母が「離婚する」と言い出したのは私が高校3年の時が初めてではなく、私が幼稚園児だったか小学校1年だったかの時にも言い出したことがありましたが、その際も、「この子がいるからしかたなしに離婚するのを我慢したんや」と言うのでした。「こいつのおかげで私は離婚できんようになったんやあ」と言うのでした。毎度毎度、そんなこと言われるくらいなら、かまわないから離婚してくださいと言いたかった。「両親が離婚した」というのを最大の売りにしている旧姓作野礼子さんの場合はすでに「両親が離婚」しているのですから、なおさら、「離婚する」と言い出されて難儀するということもなかったはずです。私の方が苦労したとか、そんな苦労自慢みたいなことする人間、別名「小林さち子みたいなヤツ」というのは好きではありませんが、「両親が離婚した」という人間が「両親が離婚」していない人間よりも常に苦労しているとは限りません。「両親が離婚した」人はすでに離婚しているのですから、なおさら「離婚する」とか言って、さらに「こいつがお父さんに似るから離婚するんやあ」とか言われることもなかったはずです。今から考えてみると、あの旧姓作野礼子という女は、黙って聞いてるといい気になりやがってからにやいやいやい・・・て感じがしてきます。母は父のことを「この人は私を女中さんと考えてる」と言うのです。そんな所はあったかもしれません。「本当の女中さんなら、怒ってやめてしまうかもしれんけども、嫁は無茶苦茶してもやめないと思うもんやから、私を女中以下の扱いにした」と言うのです。私が生まれる前からの話です。それで、私に「こいつ、毎日、夜6時になったら、ここに来て食事しようと待ちよる。私を女中やと思うて飯の準備してると思うて待っとるんや」と言うのでしたが、しかし、夜、6時から食事をするからその少し前になったら来て待っているようにと私に言ったのは母のはずでした。母が私に、夜6時から食事にするから、6時少し前には来て待っているようにと言ったのです。自分がそうしろと言ったくせに、「こいつ、毎晩、6時になったらここに来て待ちよる。私を女中やと思うとるから待ちよるんやあ!」と言うのですが、それならどうすればいいのか? 又、「こいつ、私にお茶碗を洗わせよる」と言うので、それで、食後、私が私や母が食事に使用した食器を洗うと、今度は「あんた、なんでそんなもん、洗ってるのお、こいつう~う!」と言って激怒するのです。どうしたらいいのでしょうか? 「両親が離婚した」という「両親が離婚した」だけエライらしい旧姓作野礼子さん、教えてもらえるのなら教えてほしかった。実際、どうしたらいいのでしょうか。「こいつ、私に皿洗いさせよる。お父さんと一緒で私を女中さんやと思うとるからや」と母は言うのでしたが、そんなこと思ってないけれども、そんなこと言うのならと思って、食器を洗うと、「こいつ、何してるのん、こいつう~う! なんで、そんなことするんやあ、こ~いつう~う!」と言ってまた怒るのでした。そして、母は「北野高校の進学ガイダンスに行ったら、先生が、家庭ではなごやかな雰囲気にしてもらうというのがいいと言われた。その点、うちは最高やなあ」と言うのでしたが、どこが「最高」なのかさっぱりわかりませんでした。
   私が幼稚園の年少組の時、お正月に、親戚のおじさん・おばさんからお年玉をもらいました。我が家は幼稚園の同級生や近所の子供と比較して、「欲しい」と言っても買ってもらえないことが多い家庭でしたが、お年玉をもらったのだから、これで欲しいものを買えると思って喜んだのでしたが、ところが、父は「あんた、それ、使ったらもったいない」と言うのでした。父は「あんた、それ、全額、貯金しなさい」と言うので、それにはさすがに幼稚園児も抵抗しました。「嫌や。絶対に嫌や」と。「せっかくもらったのに、取られるのは嫌や」と言って幼稚園児も抵抗しました。すると、父は「盗られるのと違うねん。貯金というものは銀行が預かって、そんで、何年か預けると利子がついて得するねん。こいつは貯金ちゅうもんを知らんからそういうことを言うんやな。貯金ちゅうもんはやなあ、盗られるのと違うねん、わかるか」とか言うのでしたが、そんなことは幼稚園児でも知っています。幼稚園児でも、父が「貯金」を名目にして、お年玉を全額、定期預金に貯金させた上で、5年経ったらまた、「それをまた定期預金に入れなさい」と言うであろう、そして、いつか、「それで勉強のものを買いなさい」と言って「勉強のもの」を買わされるというのはわかっていたのです。だから、「絶対に嫌や。それは嫌や」と言って抵抗したのです。そういうケースになると、上の姉はそれまでそこにいなかったはずなのに、なぜかさりげなく寄ってくる。さりげなく寄ってきて、そして、「違うねん、あんた。貯金というのは盗られるのとは違うねん。この子、貯金の意味がわかってないんや、この子は」と言うのでしたが、わかってますよ、定期預金というものの意味くらいは、幼稚園児でも。母が銀行に行く時は、その幼稚園児はいつも一緒に行ってたんですから。銀行に行くと、銀行員のおじさんがドロップくれたんです。知ってます、定期預金というものは盗られるのとは違うということくらいは。そして、父は定期預金を口実にして、私がお年玉としてもらったものを取り上げようとしていたことも知っていたのです。なんで、上の姉は、父に加担するのかと思いましたが、上の姉は普段から「父の同盟者」であり、我が家では「父+上の姉」VS「母+下の姉」の構図があったのであり、上の姉はいつでも父についていたのです。だから、その際も上の姉は父に加担し、援軍が来たと喜んだ父は、「ほらほらほら。しっかりしたお姉さんも言いはった。しっかりしたお姉さんが言いはった、言いはった。ほらほらほら。預金というものは盗られるのとは違うんや。利子がついて得するんや」と言うのですが、わかってるわ、そんなことは、あんたがその定期預金というものを口実にして、普段からよその子が買ってもらっているものでも我が家では買ってもらえないのを我慢してきた息子からお年玉を取り上げて、それを全額定期預金に入れさせて、5年後にはまた、「それをまた5年の定期預金に入れなさい」と言って、いつの日か「それで勉強のもんを買いなさい」となって、結局、取り上げられることになる、ということもわかっとったのです。そして、結局、取り上げられたのです。そんな「お年玉」ならない方がいい。母は私に「ありがとう
とお年玉をくれたおじさん・おばさんに言いなさいと言い、「ありがとう」と言ったのでしたが、「もらった」形を取っても結局取り上げられるのなら、「ありがとう」と言う意味はないのではないかと思いました。母は「子供にお年玉をくれる人というのは、それは実際は親にくれてるものなんや。親とのつきあいでくれはるんや。お互いに子供のある者同士の場合には互いにあげることでお互い様になるけれども、子供のない人からもらった場合は、お年玉じゃなくて何か他のものでお返しをするものなんや。だから、それはあんたがもらったのとは違うんや」と言うのでしたが、私がもらったものでないのなら、私が「ありがとう」と言うものではないのではないかと思いましたが、結局、私が「ありがとう」と言ったものは、「全額、貯金しなさい」と言われて、全額、貯金させられて、いつしかどこかへ消えてなくなりました。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「だから、あんたみたいにお父さんがある人間とは違うから」と恨みの塊みたいに言うのでしたが、しかし、父親がなければ、いったん、手元に持たされた「お年玉」を、「あんた、それ、全額、貯金しなさい」なんて言われて、実質、取り上げられる・・なんてそんな経験をすることもなかったでしょう。「両親が離婚した」女は、父親というものは、常にあった方がいいというものでもない、という事実を理解できないようでした。その程度のことも理解できないようなバカ女は高校の教諭のような職業にぐかないでもらいたいものだ、と思いますが、なにしろ、高校の教諭というのは、夏休みもあり春休みもあり、普段も自分が担当の授業が2限目からで1限目に担当の授業がなければ旧姓作野礼子は2限目から来ましたし、6限目がなければ5限目で帰ったりもしていましたし、又、入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行ってましたので、普通の会社員ならそんなことできませんから、だから、高校の教諭というのは「両親が離婚した」人にとっては最高の職業だったようです。
   私が小学校4年の時、父と一緒に広島県から山口県にかけて1泊2日の旅行に行きましたが、電車中で見ていると、同じように親と子で旅行している親子連れがけっこうあったのですが、そういう人たちは誰もが子供に窓側の席に座らせて親が通路側に座り、親は子供と一緒に窓から外を見ていましたが、我が家だけは違い、父は行きも帰りも断固として自分が窓側に座ろうとしました。その時の私は、この人も窓側に座って外をみたいのだろうと思ったのですが、ところが、帰り、広島駅のキオスクで「週刊文春」を買うと、父は窓側の席に父が座って、窓側の席で「週刊文春」を読むので、この人、週刊誌を読むのなら通路側でもいいはずで、週刊誌を読むのなら私に窓側に座らせてくれればいいのにと思ったのですが、断固として窓側に座り、そして、窓側の席で週刊誌を読み、読み終わると窓側の席で寝るのでした。私に通路側の席に座らせて。なんで、あの人、週刊誌を読んだり寝たりするのに窓側の席に座りたがるのだろうと不思議の思ったのですが、50を過ぎてわかりました。あのおっさんは、上座に座っていたつもりだったようです。それで、自分は上座だと思っていた窓側の席に座って週刊誌を読んだり窓側の席で寝たりして、小学生の子供に通路側の席に座らせていたのでした。今から考えると、あんな「旅行」なら行かない方が良かったと思います。広島の平和記念公園に行った時には、父は写真にいい被写体が欲しかったようで、わたしに「ちゃっちゃっちゃとやってみい」「ちゃっちゃっちゃてやらんか、ちゃっちゃっちゃと」と言い、「ちゃっちゃっちゃ」させられましたが、嫌でした。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「だから、私はあんたなんかと違って父親がなかったから、だから、あんたなんかは私なんかと違って恵まれてるのだから、お父さんとお母さんに心から感謝しないといけないのよ。私なんかは父親がなかったんだから」と言うのでしたが、父親はあった方が常にいいというものでもなく、たしかに、なんだかんだ言ってもあのおっさんの給料から生活費を出してもらって成人したのですからその点では感謝もするべきでしょうけれども、父親があれば、父親があるから「ちゃっちゃっちゃ」させられるということだってあるのですが、それを理解できないのが北野高校教諭の旧姓作野礼子でした。
  父親がなければ、「ナスビの所有権は種を植えた者にある」と言われることもなかったでしょう。母親は「息子の所有権は母親にあると裁判所も言っている」と言うのでしたが、ナスビには自分自身についての「所有権」はないようでした。ナスビにとっては自分についての「所有権」を主張する者が1人であるのと2人であるのとでは、1人であった方がよかった。旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから、だから、あんたみたいにお父さんはなかったから、だから、私はあんたなんかと違って恵まれてないから、だから、あんたは私なんかと違って、ずっと得していてずっと恵まれていてずっといい思いをしてきたのよ!」と言うのでしたが、そうでもありません。父親がなければ「ちゃっちゃっちゃ」させられることもなかった、と思います。

  父は、私に「世の中には、カス親もおればダメ父もおるのに対して、わしは、『えらいえらい特別にえらいお父さん』やね~ん。知ってたか」などと何度も言ったのだったが、知らんかった。「あんたはわしのことを、『普通のお父さん』やと思うておるかもしれんけどもやなあ、違うねんぞ。わしは『英雄のお父さん』やねんぞ、わしは。わしはスーパーマンやねん。知ってたか?」と言うのだったが、知らんかった。パーマンかと思うとった。母は、父が自分を女中さんの扱いにする、本当の女中さんなら怒ってやめてしまうものを、嫁はやめて帰ってしまうということはないと思って、女中さん以下の扱いにすると言って怒っていたし、今もそう言うが、父は私を「会社の部下以下」の扱いにした。父は私に「・・・かねえ」などという口のきき方をしたのだが、それは会社の部下に対する口のきき方を私にもしたのである。そして、実際の会社の部下であれば、怒ってやめてしまう人も実際にいたようだが、その点、息子というのはこの人の息子という立場をやめたいと思ってもやめることができないのだった。父が他界する少し前くらいだったか、長く会社に勤めて父の部下だった人で、定年の2年前だかに辞めたという人があり、辞める直前に家に電話して来られた時、よく知っている人だったのだが、母が「定年まであと2年なら、せめて定年までおられたらいいのに、なんで、今、辞められるのですか」と言ったところ、「あと2年ならいたい気持ちもあったんですけれども、もう、これ以上、常務とおつきあいはできませんわ」とそう言われたらしい。あんたとはもうつきあえんわ! と辞めてしまう人がいたようだ。もし、私が父の勤め先に勤めて父の部下になんてなったら、そういう気持になっただろう。職場の「部下」というのは、本当に耐えられないと思えば辞めることができる。嫁は離婚することもできる。それに対して、息子というのは、自分に対して「所有権」を主張する者に対して、離婚することができないのだ。
  旧姓作野礼子は、あの女、「私は両親が離婚したから」と言い、「だから、私は父親がないから、あんたなんかと違って恵まれてなくて、あんたなんかとは全然違ったんだから」と言いまくったが、昔、某職場で、ある男性が、嫁さんが作ってくれたというおにぎりを持ってきたのを忘れて、別のものを食べてしまい、「これ、持って帰ると怒られるよなあ。だからといって、これ以上、食べられないよなあ。どうしようかなあ」と言い、私に「これ、食べない?」と言うので、「しかし、奥さんが愛情こめて握ったものを私が食べるわけにはいきませんでしょう」と言うと、「愛情なんてこもってないよお。憎しみがこもってるよ。毒、入ってるかもしれないよ。毒、入ってないかどうか、一度、食べてみて」などと言うので、「またまた、そんなこと言ってからに。仲がいいからそんなこと言えるのでしょう」と言うと、「違うよ違うよ。あれ、欲しかったらあげるよ。要らない? 遠慮しなくていいよ。あげるよ。どう? 要らない?」などというおっさんがいたのだが、旧姓作野礼子も、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいないから、だから、私はあんたなんかと違って恵まれてないから」とか言いまくるのだったが、そんなに「父親」というのが欲しいのなら、「あんなの、欲しい? 欲しかったら、あげるよ。要らない? 遠慮しなくてもいいよ。あげるよ。持って行ってよ。あげるよ」とでも言ってやればよかったのかもしれない。北野高校の教諭の言うことだからと思って我慢して聞いていたが、我慢することなんてなかった。 「両親が離婚した」などということを自慢するという変な女は、まず、「両親が離婚した」というのは、それは自慢するものではない、ということを認識するべきだと思う・・が、おそらく、あの女は、一生、理解しないだろう「この病気は一生治らない」と「診断」せざるをえない。「女中さんは、怒って帰ってしまうことがあるけれども、嫁は帰ってしまうことがない」から無茶苦茶しよった、と母は父のことを怒るのだったが、「嫁は離婚することができるが、息子は父親と離婚することはできない」という事実を母は理解していないようだった。旧姓作野礼子は「会社の部下は、本当に我慢できなければその会社を辞めることもできるし、上役の上役に、配属を変えて欲しいと希望を出すこともできるし、臥薪嘗胆の上、嫌な上役よりも上の役職につくということも可能性としてないわけではないが、息子はどう頑張っても、自分に『・・・かねえ』などと言って息子を会社の部下扱いする父親よりも上の役職に就くことはできない。又、会社の部下は、基本的には、勤務時間中だけだが、息子は24時間、逃げられない」という事実を理解できないバカ女だった。
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
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「両親が離婚したから」「父親がなかったから」とそれを自慢にしまくる女、自分は父親がないから、だから、父親に苦しむ人間、「家族の政治学」に苦しむ人間を理解できない女は、それでも、教諭という職業を続けたいのなら、せめて、ロナルド=レイン『家族の政治学』やデビッド=クーパー『「家族」の死』(いずれも、みすず書房)でも読んで考えたらどうか、と思うが、読まないだろうし、こういう女は、「見ても理解せず、聞いても悟らない」であろう。

  次回、YMCA予備校はどう間違っていたかを述べるつもりですが、母は今でも、私がYMCA予備校はあれはおかしい、あんなことやってるから、だから、YMCA予備校はつぶれたんだ、と言うと、「野口は通ったでしょうがあ。あんたは落ちても野口は通ったんでしょうがあ」と言い、90代も後半に入っても、それでも、野口というぺったんこの顔した男が大好きのようでした。私ではなく野口を産めばよかったのにと思います。野口を産まずに私を産んだというのが母の最大の失敗だったのでしょう。
  YMCA予備校はどこがおかしかったかは次回以降述べるつもりですが、私は浪人中も、父にも母にもそれを言ったのです。特に「主事」という職種の藤井は他の受講生からも「嫌なやつだ」と言われていた人間でしたが、ところが、父は、その「嫌なやつ」のことを「専門家の言うこと。専門家、せんもんか、センモンカ、センモンカ、せ~んも~んくわぁ~あ!」と言って、実際には専門家なんてものではない者をありがたがったのです。
  さらに母は、「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人ではない」「あの人はクリスチャンだから、悪いということは絶対にありえない」「あの人は、YMCAで主事をやっているくらいだから、クリスチャンはクリスチャンでも並のクリスチャンではない。相当に特別にえらいクリスチャンのはずや」とか言って、「どうかお願いだから、あの藤井という男の言うことはきかないで」と哀願してもきいてくれなかったのです。YMCA予備校に来ていた生徒でも、そんな親は間違いなく少数派だったはずです。「少数派」どころか、うちだけだったと思います。これは大変大きい違いです。母は「親には息子に対して所有権という権利があります」と言うのでしたが、大学受験に際しては、ある程度以上の大学を受けた人間というのは、たとえ、高校卒業時に落ちたとしても、それでも、本人は一家言もっているのですが、ところが、YMCA予備校はそれを否定して無茶苦茶するのです。だから、害があり、そんな予備校だからつぶれてなくなったのですが、「クリスチャンだからあの人は絶対にいい人に決まってる」と言ってきかない母親、「専門家、せんもんか、せ~んも~んくわあ~あ!」という「専門家」信仰のある男、T=W=アドルノ他『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)では、ファシズム的傾向のひとつとして指摘されている「専門家」信仰が相当強い男であった父は、実際にはちっとも専門家ではない男を「せえ~んも~んくわあ~あ」と言って、私が「あんなヤツ、専門家と違う」と言っても言ってもきいてくれなかったのです。大学受験に際して、「親の違い」というのは相当大きい違いとして出てくると実感しました。父親はあった方がいい時もあるかもしれないけれども、そうでない時もあります。「両親が離婚した」女にはわからないのかもしれませんが、「両親が離婚した」という人でも、人それぞれ、さまざまであり、旧姓作野礼子みたいでない人もいます。あの女に高校2年の時に担任を持たれたのは私にとっては災難でした。・・・
  旧姓作野礼子の言うことなんかきくと、バカを見ることになる。旧姓作野礼子のおかげで私は徹底的にバカを見さされた。北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格した時はうれしかったが、卒業して十年ほどしてから考えてみると、どう考えてもそういい学校ではないと思えるようになった。いいところがないわけではないけれども、たとえ他でどんなにいいところがあったとしても、特に、旧姓作野礼子がいたというその点において、最低最悪最凶の学校だったと思う。

  次回、「ID野球的思考で考えるYMCA予備校の間違い」を述べる予定です・・・が、「津田沼 ザ・タワー」という岩山についても述べたいものがあるので、どちらを先にするかはわかりません。
  浪人してしまった人への言葉、
 「高校の教諭の言うことなんて、気にするな!」

  遠山啓『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)によると、遠山啓は、産まれた時点ではお父さんは生きていたが朝鮮に行っていて会ったことがなく、父が朝鮮から帰ってくるという時に、途中で病気で亡くなってしまったそうで、それで、「父なし子」として生きたということでしたが、遠山啓は自分自身の経験から、父親というものは家族を外敵から守ってくれる防波堤である、「父親のある子供ならば、父親から世間知というものを学ぶことができるが、父なし子は父親から学ぶことができないので、自分自身で何度も痛い目にあってそれで世間知を身に着けていくしかない」などと書いていたが、「父なし子」という言葉は遠山啓が自分自身のことを言った用語だが、父親がなかったというだけに、よそのお父さんでも、比較的いいお父さんを見て、「父親というものは」として述べているように思える。すべての父親が「外敵から守ってくれる防波堤」かというとそうとは限らない。外敵を引っ張り込んでくる父親もいる。又、すべての父親が「世間知」があるわけでもない。子供が指摘しても理解しない、子供にも「世間知」で及ばないような父親もいる。遠山啓の著書には、それは違うのではと思う点もあるものの、たしかにそうだと思う点もあるけれども、父親がなかったという人だけに、「父親」というものを、父親でもかなりいい父親を父親と思い込んでいるように思えます。 ・・・「両親が離婚した」から、だから、自分はえらいと思い込んでいるバカ女よりはいいかもしれないけれども・・・。

  今回、述べたことは、受験生の期間、家庭の問題で苦しむこともなく、高校の教諭からいじめられることもなかった人にとっては、何の役にも立たないと思われるものかもしれないが、私と同様、『家族の政治学』に苦しむ人には、経験談として、多少なりとも役立つかもしれないと思っている。

  (2020.4.9.)

★ 受験生へのエール
【1/ 】 『家族の政治学』に苦しむ人へ。高校教諭を信頼するな! 〔今回〕
【2/ 】「あと5本なら工夫すれば」「後期は阪急に3つ勝てば他は全敗しても」という姿勢か逆かで合否は変わる。「ID野球 弱者の戦術」から考える大学受験における姿勢。拝み屋の「家族の名前を変えなさい」ははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_3.html
【3/ 】「適性テスト」で向いていると言われても行きたくない学部・向いていないと言われても行きたい学部があると思って受けなかったが、勝手にひとに「適性テスト」をやる女が教諭にいた、という話。飛込自殺した人にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ないhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_6.html
【4/ 】 「適性テスト」は受けるべきか。自分の考えに反する診断に左右されたくないと受けなかったが勝手に適性診断やる教諭がいた。飛込自殺にショックを受けたのは医学部への適性とは関係ない https://tetsukenrumba.at.webry.info/202004/article_7.html
【5/ 】 「適性テスト」「作文のテスト」に読書調査までやって受講生を統制しようとするYMCA予備校は害がある。気に入らない人間には「文学的素養がない」と悪口雑言を浴びせる「敬虔なクリスチャン」。「民族の違い」を作った「神は死んだ」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_1.html
【6/ 】 なぜ、地方国立大学は論文・小論文を試験に課したか。地方大学で「論文」「小論文」「面接」が試験にある大学を受ける場合 https://tetsukenrumba.at.webry.info/202005/article_2.html
【7/ 】
家族の死 (1978年) - デーヴィッド・クーパー, 塚本 嘉寿, 笠原 嘉
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