地下鉄と「高層マンション」は文明でない。ナポリ副都心の配慮がない「津田沼ザ・タワー」。建築学科課題としては落第点の「津田沼ザ・タワー」。

[第487回]
   高層ビル というものを「文明」とか「文化」とか思っている人というのが、たまにあるようですが、それは、一般に、知的水準があまり高くない人に多いように思われます。愛知産業大学の建築学科のスクーリングに行った際、M教授が「高さを競うなどというのは、後進国の発想だ」と言われたことがありましたが、私もそう思います。 どれだけ、高い建物を建てるか、などということを誇るというのは「後進国の発想」であり、愚かなことで、そうではなく、その場所に、どれだけふさわしい高さの建物にするか、ということを考えるのが文化的・文明的態度であるはずです。それから、考えるならば、現在、千葉県習志野市谷津1丁目15 に 事業主:三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動案(株)、建設業者:(株)フジタ で、習志野市役所と千葉工大がそのアシスタントみたいになって建造中の「津田沼ザ・タワー」というのは、どう考えても、その場所にふさわしい高さではないものを建造しており、文化的なものではない、文明的なものではない、と言わざるをえません。
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( ↑ 「津田沼ザ・タワー」2020年2月6日。 )


   1993年、住宅建築業の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で、福島県いわき市の営業所に在籍した時、同じ営業所にいたS藤K二さん(男。当時、40代前半)が、「仙台はすっげえなあ~あ、地下鉄があるんだどお~お。おら、仙台に行って、ち~かてつ に乗ってきたんだどお~お。どうだ、すげえだろお」などと言い、私に「おい、おめえ、地下鉄、見たことあるか。ねえだろ。地下鉄、見たことあるか」などと言うので、最初、言っている意味がよくわからず、「ありますよ」と言ったのですが、そうするとS藤K二さんは「あんのけ? おめえ、地下鉄 見たこと、あんのけ?」と言い、「乗ったことはねえだろ」などと言うので、「ありますよ」と言ったものの、何を言っているのか意味がよくわかりませんでした。S藤K二さんは「いったい、どこで乗ったんだ?」などと言うので、「東京でも大阪でも、名古屋でも横浜でも乗りましたよ」と言ったのですが(それから仙台ででも。その後、ロンドンでもパリでもローマでもミラノでも乗りました。京都でも)、S藤K二さんはそれを聞いて、「おめえ、地下鉄、乗ったことあんのけえ! そうけえ!!! ・・おめえも、なかなか、たいしたもんだなあ~あ」などと言ったのでしたが、いったい何を言ってるのか、意味がよくわかりませんでした。S藤K二さんが事務所から外に出かけた後、後に残ったMさん(男。当時、20代後半)が、「さっきの、このじじいの言うこと聞いて、もう嫌んなっちゃった。このイナカモンがあ」と言うので、「あれは何を言ってたんでしょう」と言うと、Mさんが「だから、このじじい、仙台に行って地下鉄に乗ってきた、というのを自慢してたんだよ。もう、聞いてて嫌んなっちゃった。このイナカモン!!!」と言うのでした。 どうも、福島県人のS藤K二さんにとっては「ち~かてつ」というのはものすごいもので、仙台に行ってそれに乗ってきた、というのはもんのすごい自慢だったようで、S藤K二さんは、まさか、自分以外に地下鉄を見たことがある者というのはそんなにないはずだ、と思い込んで、それで、私に「おめえ、地下鉄、見たことねえだろ!」などと言ったようでした・・・・( 一一) ( 一一) ( 一一) ( 一一) ( 一一)
   ・・・・「おら、ち~かてつ に乗ってきたんだどお~お♪」て自慢するおっさん・・・て、今時、そんな人がいたんだあ~あ・・・と、その時、私は思ったのでしたが〔魯迅『阿Q正伝』の世界か( 一一) それ以上もしくは、それ以下か・・・〕、いわき市生まれのMさんからすると、S藤K二のじいさんのおかげで、福島県人が誤解される。福島県人は誰もがそんな人間であるわけではないのに、こういうイナカモンのじじいのおかげで、福島県人は誰もがそんな人間か・・・と思われてしまうおそれがある、迷惑だ・・・と思った、ようでした(^^)/
   「地方」の人には、地下鉄というものが文明の象徴みたいに誤解している人が時々いますが、東京や大阪で地下鉄がいっぱい走っているというのは、それは、地下でも走らさないと走らせる場所がないから、しかたがなしに地下を走らせているのであって、地方都市で地下を走らさなくても地上で走らせることができる場所があるのなら、無理に地下を走らさないといけない理由はないのです。熊本に行った時、熊本では路面電車が走っていて、しかも、路面電車が熊本市民の足として有効に活用されていた、役立っていたのを見て、ここでは、地下鉄などというものは作らなくても、むしろ、路面電車の方が、地下鉄のように階段を登ったり下りたり・・などということをしなくてもそのまま乗り降りできてよっぽど便利だと思いました。もしも、地下鉄を走らせることが有効な場所であれば地下鉄を作って悪いということはないでしょうけれども、路面電車の方がよっぽど便利という場所もあるわけです。
  さて、マンションというものがいいのかどうか。高層ビルがいいのかどうか。 又、「高層マンション」というものがいいのかどうか。それは、その場所にもよるはずです。

  習志野市役所都市計画課の小口さんは、「ここはJRの快速が停車する駅で、高層マンションは人気があるんです」などとマンション屋のセールスマンみたいなことを言ったのですが、そうでしょうか?  「快速が停車する駅だということで・・・」と言うからには、東京都内に勤務する人に「人気がある」と言いたいのでしょうけれども、もし、東京都内に勤務している人ならば、何も、毎日、JRの快速に乗って津田沼まで帰ってくることないのではないか? JR「津田沼」駅まで帰ってきても、駅から「津田沼ザ・タワー」まで習志野市の地上に降りることなく移動して、そのまま、「上方向の巨大な箱」に入ってそこで寝泊まりして、翌日、またもや、習志野市の地面を1歩も踏むことなくJR「津田沼」駅から快速に乗って東京都内まで移動して・・・という繰り返し・・・であるのなら、何も快速に乗って津田沼まで帰ってくる必要はないのではないのか???  その快速に乗っている時間と労力を費やさなくても、東京都内のマンションに住めばいいことと違うのか? その方がよっぽど、合理的ではないのか???  ・・そう思いませんか?  津田沼駅まで東京都内から快速に乗って帰ってきても、習志野市の地べたを踏むこともなく「上方向の巨大な箱」に入ってそこで寝泊まりするのなら、別に津田沼まで快速に乗って帰ってこなくても、東京都内で「上方向の巨大な箱」であれ「それほど巨大でない箱」であれに住んで寝泊まりした方が合理的と思いませんか? なんか、変なことやってる・・・と思いません???
  船橋市役所の都市計画課の方が「船橋市(とか習志野市)は、ここまで来れば戸建住宅に住めるという場所ですからね」と言われたように、特別の豪邸でなくても戸建住宅に住みたいと思って、そのために船橋市とか習志野市まで快速なりに乗って帰ってくる、というのならわかりますよ。戸建住宅でなくても、中層までのマンションで、地べたからそれほど離れていない場所で、駅からそのマンションまで、船橋市や習志野市の地べたを少々は歩いて帰る人であれば、船橋市や習志野市に住んだ意味はあると思いますよ。しかし、津田沼駅から「デッキ直結」とか言って、習志野市の地べたを一歩も踏むことなく「上方向の巨大な箱」に入って寝泊まりし、またもや、翌朝、その「上方向の巨大な箱」から「津田沼駅にデッキ直結」で駅に行って快速で東京都内に行く、ということならば、別に習志野市に住む必要はないのと違いますか? そんなことのために、習志野市谷津1丁目15 に建造中の「巨大な人工の岩山」を作って、その北側の住居系用途地域の住民の居住環境を悪化させ、自然環境も改変させて、ひとに迷惑かけることはないのと違いますか? そう思いませんか?
  鶴野晴山『よい家相・よい部屋相』(1989.初版。1992.21版発行。KKロングセラーズ <ムック>の本)には、
《 (マンションの場合は)また、部屋の階数でいえば、できるだけ地表に近いほうが吉相となる。つまり、三階よりは二階、二階よりは一階ばベターなのだ。これは、安全性が高いのと同時に、土壌からのエネルギーをうけやすいからだ。土壌のエネルギーは階数が高くなればなるほど希薄になるり、その恩恵をこうむりにくくなる。また空気中の酸素も当然、地表から離れれば離れるほど薄くなり、健康上よろしくない。
「なんとかとニワトリは高いところに登りたがる」というが、いくら景観に恵まれるとはいえ、高い階数の部屋は避けるべき。できるだけ地表に近い部屋を選んで、足を地につけた生活をするほうが家相上も安全といえる。・・》
と出ている。2階建てのアパートでは、防犯上は2階の方が1階よりもいいということで、一般に他の条件が同じなら2階の方が少しだけ家賃が高く設定されている場合が多い。但し、夏場は1階ならば2階部分が断熱効果を発揮してそれほど無茶苦茶は暑くならないところが安普請のアパートでは2階は無茶苦茶暑くなる場合がある。それに対して、マンションの場合は、外からの侵入という点では1階よりも2階以上の方が防犯上、安全であろうけれども、いったん、中に入ると、高層階はエレベーターに乗らないわけにいかない。2階くらいなら階段でもエレベーターでも行き来できるので重い物・大きい物を運ぶ時はエレベーターを使用して、普段は階段で上り下りすることができるので《「必ず、エレベーターがある5階建て以上のマンション」の2階》を購入したという人も私の知っている人でいたが、高層階は外からの侵入に対しては安全かもしれないが、内部において防犯上いいといえない。オートロックなんてあっても、外からは入りにくくても、中にいる人間がいい人間ばかりとは限らないし、何かの用事で中に入ろうとした時、入る時は住民に開けてもらわないとは入れなくても、その後、いつ出るかまでチェックされるわけではないので、何らかの用事で入った人がそのままいる可能性もある。リフォーム屋に勤めていた時、年末に過去のお客さんのお宅にカレンダーを持って行った時、マンションのインタホンでその旨を話すと、マンションの中に入れてくれたが、家まで行くと子供だけで、子供にカレンダーを渡して帰ってきたが、私はカレンダーを持って行ったのであって何か犯罪をしに行ったのではないが、問題行動を取る人にでも「子供が入れてしまった」などということもありうる。子供でなくても、大人が入れてしまった、ということだってありうる。オートロックのマンションとマンション管理人は近隣住民や近隣商店を排除するが、内部が安全とは限らない。それを考えると、入口から比較的近い1階の方が安全で良いかもしれない。習志野市でもJR総武線の線路より南側は海抜がそれほど高くない場所があるので、大地震で本当に津波が東京湾にも襲い、被害が出るという事態になったならば、1階・2階でない方がいいかもしれないが、その時には高層階ではエレベーターも動かなくなって「空の上」に取り残されたようになるかもしれない。 いずれにしても、たとえ、戸建住宅でなくマンションの場合でも、比較的地表に近い階の部屋で「大地の恵み」を受けられる場所であるならば、習志野市まで東京から帰ってきて住む値打ちはあるかもしれないが、地面から大きく離れた空に住むのならば、何も習志野市の空を占拠して住まなくても、東京都の街中の空に住んでも、特に違いはなく、東京都内から津田沼までの往復の労力と時間と電車賃が無駄なだけではないか。休日くらいは習志野市など東京都内の街中よりも自然環境のいい所で過ごしたい・・などと思うのなら、休日だけ、快速に乗って「自然環境のいい所」に来ればいいことと違うのか? そもそも、既存住宅・先住住民の自然環境を破壊する巨大な岩山を建造してその中に住んで、何が「自然環境のいい所」だ。自然環境を破壊している者に自然環境を享受する資格があると言うのか?
  「な~んか、変なことやっとる」・・・と思いませんか?  普通は、こういうことは大学の建築学科とかに行っている人は考えるべき問題であり、考えてこそ建築学科のはずなのですが、ところが、「仲よし幼稚園跡地活用事業 審査委員会 委員」の15名に入っている千葉工大建築学科教授⇒名誉教授 山本明氏・千葉工大建築学科 助教⇒准教授 倉斗綾子(クラカズ リョウコ)氏の2名は、あくまでも、マンション屋の走狗となって、「上方向の巨大な箱」「北側の住居系用途地域の住民の環境悪化を招く障害物」の建造に礼賛しているだけで、そのあたりについて、意見を述べるということをしていないのです。そんな建築学科教員なんてあるか? ・・・というと、あるようなのですが、「その程度の建築学科」ということなのでしょうか。私は、日本の「建築専門学校」にはそこの講師がわかっていない人間で、「『盲人の手引き』の拡大再生産」をやっているだけとしか思えない「建築専門学校」が相当あるのではないか、と思っているのですが、「建築専門学校」だけではなく「大学」の建築学科にもそういう「建築学科」があるのかもしれません。

  「高層ビル」を建てるのが好ましいのか、好ましくないのか。 私が小学生だった1960年代後半、学研(学習研究社)が「科学」「学習」という月刊誌を書店で販売するのではなく、毎月、小学校で販売するという変則的な売り方をしていたことがあったが、その「科学」で、毎号、その頃、新しく出てきたものを取り上げて、その特徴を説明するということがあった。どういうものがあげられていたかというと、高速道路・ジャンボジェット機、そして、高層ビルがとりあげられていた。その高層ビルについて、どういう長所があるかというと、上に高いものを建てて、上方向の居室面積を確保するかわりに、地上において建物が建たない空間を広く確保できる。同じだけの居室面積を取るなら、上方向に取ることで、地上では建物が建たない場所を取って、そこに樹木を植えたり公園にしたりすることができる、という長所があげられていた。かつ、構造上も決して弱くはない、と。問題点としては、高層ビルの周囲には、それまでなかったような強風が吹くことがあり、東京の浜松町の貿易センタービルでは、自動ドアが誰も立っていないのに開くという現象がおこり、それに対して、塀をもうけて風を防ごうとすると、相当の強風で塀が壊されてしまう、結局、取られた対策は、網になったフェンスを設けたところ、網なので風は通るが弱まることになった、らしい。
  高層ビルは、カーネーションなどに例えられることがある。カーネーションというのはそう強くなさそうに見えるけれども、それを拡大して考えると、高層ビルに劣らないくらいの強度がある、と言われるらしい。そして、高層ビルというのは、あんなに大きい高いものというのは地震に弱いということはないか・・・というと、実は高層ビルというのは地震にはけっこう強く、そう簡単に倒壊しない・・という。しかし、建物には、剛構造と柔構造とがあり、高層ビルというのは柔構造でできていて、揺れるけれども倒壊しない、というようにできているという。しかし、建物は倒壊はしなくても、高層階は相当揺れることになるので、内部に置かれた家具とか中にいる人間が無事かどうかというのは別問題らしい。 窓ガラスて大丈夫なのか、戸建住宅でも戸建住宅そのものは地震で倒壊しなくても窓ガラスが割れたというようなケースがあるが、強化ガラスを使用しておけば、割れても粒状になるので、2階や3階の窓ガラスが割れて上から落ちてきても、強化ガラスであればすぐ下に人がいても大怪我はしない可能性が大きいが、しかし、高層ビルとなると、たとえ、強化ガラスを使用していて、割れた時に粒状になったとしても、相当高い位置から落下したものは、加速度がついて地上にいる人間の上に落ちた時には相当のダメージを与えることにならないか・・・・と思ったのだが、「とある本」によると、高層ビルの窓ガラスというのは、防弾ガラス並みのものが使用されていて、並のライフル銃くらいでは貫通しない強度のものが使われている・・・らしい。 ・・ちなみに、「とある本」というのは何かというと、『ゴルゴ13』なんだけど・・・。
  それから、航空機を乗っ取って自爆攻撃・・ということをやる人があった場合には、ペンタゴンのようなそれほど高くない建物で横に広がっている建物に突っ込むのはけっこう難しいのに対し、高層ビルに体当たりするのは比較的やりやすいらしい。
「テロリスト」がアメリカを憎む理由 - 芝生 瑞和
「テロリスト」がアメリカを憎む理由 - 芝生 瑞和
↑ のような体当たりによる自爆攻撃の対象としては高層ビル、それも、西新宿あたりのように周囲にもいっぱい高層ビルが建っている所ではなく、津田沼駅前のような他に高層ビルはない「タワー」は航空機による自爆攻撃はおこないやすいようだ。
  「高層マンション」の揺れは、妊婦には良くない、と書かれたものをどこかで見たが、どこで見たか忘れてしまった。

  たしかに、新宿西口などは、高層ビル群の街としてできており、上方向に居室面積が確保されることで、地上においては空間が広く残ることになっている。又、新宿は駅の東側が通常の高さのビルが並ぶ街で、西側が高層ビル群の街として構成されるようになった。
  しかし、尾島俊雄『異議あり! 臨海副都心』(1992.3.19.岩波ブックレット)では、
《 新宿の特定街区は、早稲田の方角から見ると一つの山である。見る角度によっては、まったく隙間がない完全な超高層の屏風岩になっている。臨海副都心構想では、同じように、臨海部に二キロメートルにわたって高さ100メートルの屏風ができる。》
と出ており、その場所にいると、上方向に居室面積を確保するかわりに地上で空間を広く取れる、という面があっても、ある程度離れて見ると、それが「一つの山」になってしまっている、という面があるようだ。
  私自身が見たものについては、新宿西口の高層ビル群については、それは「そんなもの」みたいな感覚でいて、又、1990年代初め、霞が関の合同庁舎6号館で働いた時、高層階の窓から見て、「あれが池袋サンシャイン、あれが新宿西口」などと見ていたのですが、いいかどうかはともかく、「東京都の山手線の内側で中央線の南側 とその周囲」および「山手線の西側、池袋~高田馬場~新宿~渋谷~恵比寿~大崎・品川といったライン」については、高層の建物が建つ場所・・・のような感覚でいた、「そんなもの」のような感覚でいたのですが、違和感を感じたというのか、異様な印象を受けたのは、海浜幕張。海浜幕張のオフィスビルに勤務したことも私はあるのですが、自分自身がそこに勤めているとそれほどは思わなくても、少し離れて見ると、受ける印象が違います。JR総武線・京成千葉線「幕張」駅付近から海浜幕張の高層ビル群を見ると、なんだ、これは・・と異様な感じがしました。人それぞれ、感じ方に違いはあるかもしれませんが、東京都では、副都心構想として、池袋・新宿・渋谷・品川大崎・上野浅草・亀戸錦糸町の6か所の副都心を作ることで東京都内の密集を分散させ、それとともに、大宮ソニックシティ・横浜みなとみらい、それに海浜幕張の3つの「副都心」を埼玉県・神奈川県・千葉県に作ることで東京都内への人口流入を防ぐ、という計画がされたようです、海浜幕張の高層ビル群は、その計画でされたようですが、人工的に作られた海浜幕張の高層ビル群というものに、実際にその場所に行ってみると、「不自然感」があるとともに、その北側の「幕張」駅付近から見ると、それまでの既存の住宅地の南側に岩山群ができていて、異様な印象を受けます。
  「津田沼ザ・タワー」は、ペントハウスを含む最高高さ 161.04m、「建築基準法による高さ」152.10m らしい。《ウィキペディア―新宿NSビル》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BFNS%E3%83%93%E3%83%AB によると、新宿のNSビルは、高さは133m。 「津田沼ザ・タワー」は、新宿のNSビルよりもまだ高いものを船橋市の第一種低層住居専用地域のすぐ南側に建造しようとしているのです。 さらに、《ウィキペディア―千葉ポートタワー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC によると、マンションを「◇◇◇タワー」と言っているのではなく、もともと、展望室を設けた観光施設として作られた千葉ポートタワー(千葉市中央区)でも、高さは「125.15m(最高高さ137.25m)」。「津田沼ザ・タワー」はもとから観光目的の「タワー」として作られた千葉ポートタワーよりも高いのです。どう考えても非常識だと思いませんか? 「津田沼ザ・タワー」は、明らかに、最初からその地域の既存住宅・先住住民に敵対する性質のものとして作られているのです。 念のため、確認しておきたいと思いますが、「第一種低層住居専用地域」というのは、「人工の岩山を造られてその上から足で踏みつけられるような場所にでも住もうというような卑しい低層の住民が専用に住む地域」ではないはずなのです。「第一種低層住居専用地域」というのは、都市計画法第9条で、《第一種低層住居専用地域は、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。》と規定され、「第二種低層住居専用地域」の場合は、都市計画法第9条2 で規定されていますが、「主として」という文章がそれに加わっています。「低層住宅」というのは、平屋・2階建てかせいぜい3階建てくらいまでの高さの住居のことを言い、決して、「人工の岩山を造られてその上から足で踏みつけられるような場所にでも住もうというような卑しい低層の住民が専用に住む地域」のことではないはずなのです。そういう用途地域に指定されている地域というのは、その条件が守られないといけないはずであり、その環境を破壊するような都市計画はあってはならないはずなのです。ですから、「津田沼ザ・タワー」などというものは建てられてはならないはずなのです。その計画に習志野市役所と千葉工大建築学科が加担している。
  習志野市の
企画制作部長  諏訪晴信 氏・
総務部長  高野次夫 氏・
都市整備部長  福島 泉 氏・
市民経済部長  小川臣朗 氏

の4名が、「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」の15名の中に入っているのですが、彼らは、「津田沼ザ・タワー」のすぐ北側の第一種低層住居専用地域、「低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域」のその条件を破壊するために「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」になっているわけですが、都市計画法で規定されている用途地域の条件を破壊する活動をおこなう彼ら習志野市役所の「部長」4名は、習志野市役所職員として給料を受け取っているのは不当ではないでしょうか? そう思いませんか? なぜ、その地域の用途地域の趣旨に反する活動をおこなうような者が市役所職員として、それも、「部長」としての給料を受け取ることが許されるのでしょうか? おかしいと思いませんか?
  又、千葉工大(千葉工業大学)の建築学科は、教授⇒名誉教授の山本明氏・助教⇒准教授の倉斗綾子(クラカズ リョウコ)氏の2名が「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」に加わり、教授⇒名誉教授の山本明氏は、その委員長になって神輿にのり、「建築学科教授」の肩書で三菱地所レジデンス(株)などの横暴岩山マンション計画を権威づける役割をおこなっているのです。なおかつ、山本明氏は千葉工大HPの「人物紹介」https://www.cit-ylab.com/about-me で「嫌いなこと・もの」として「・・権威主義/スノッブ/・・・」などと書いており、あきれました。おのれこそ、「権威主義」の「スノッブ」であろうが! 盗人猛々しいというのか何というのか・・・、まあ、「よく言うわ♪」、「バカ言ってんじゃないわ♪」 て感じがします。 「権威主義/スノッブ」とはそれは自分だろうが!!! 「嫌いなこと・もの :・・・権威主義/スノッブ/・・・」とは、いったい、ど~の口が言うとるんだ、どの口があ!?!?! この「言行正反対の山本明」氏、こういう人が千葉工大の教授⇒名誉教授になっとるんわけだ、千葉工大という「大学」は!!
  千葉工大の建築学科は建築学科と言えるか疑問。建築学科としては二束三文の「低層建築学科」、これは「低層住宅についての建築を専門に学ぶ建築学科」ではなく、千葉工大の建築学科は「精神的に貧困な根性が卑しい人間が運営している建築学科としては程度の低い建築学科」だと考えるべきではないか。千葉工大(千葉工業大学)https://www.it-chiba.ac.jp/ の入試難易度が「低層」であるというのは、今さら、検討しなくても誰でも知っていることですが、入試難易度が低い大学がまるでだめだとは私は考えておらず、歴史も浅く、社会的評価も高くない私立大学で、そうであればこそ、特色を出してやっていこうと努力している大学もあるわけですが、「精神的に貧困な根性が卑しい人間が運営している建築学科としては程度の低い建築学科」などというものは評価したくありませんね。

  高層ビル、および、高層ビル群について、私が今まで見たもので、百パーセント肯定はできないが、まったく配慮されていないわけではないようだ、と思えたものとしては、パリのモンパルナスタワーと丹下健三が担当して進めたという「ナポリ副都心」があります。
  モンパルナス と似た地名に モンマルトル があり、「モンマルトルの丘」なんて歌もありますが、サクレクール寺院のあるモンマルトルとジャン=ポール=サルトルなど有名人の墓があるモンパルナス墓地があるモンパルナス は別の場所です。大賀正喜 監修・田桐正彦 編『ポケットプログレッシブ 仏和 和仏辞典 第2版』(1999.1.1.第2版 小学館)によると、フランス語で「モン(mont)」は男性名詞で、山、峰、丘 という意味のようです。
  モンパルナスタワーは、「タワー」という名称ですが、東京タワー・名古屋タワーやエッフェル塔のような塔ではなく、高層ビルで、『地球の歩き方 フランス』(ダイヤモンド社)によると、最初は、モンパルナス地区に高層ビル群を作る計画が出て、その最初のものとして作られたのがモンパルナスタワーでしたが、パリにこのような高層ビルを作るというのはけしからんとパリの市民から大反対の声があがり、1つ作られただけで、他のものの計画はなくなったことで、最初の高層ビルがモンパルナスタワーとして立つようになった、というものらしい。たしかに、パリに高層ビル群は似合わないと思う。もしくは、いくらか中心街を離れた所にそういう場所を作るということならありえないことかもしれないが、あえて、無理にそういうものを作る必要もないのではないか。但し、1つだけということならば、話は同じではない。1つだけなら悪くもないのかも・・・とも、実際に行ってモンパルナスタワーの展望室から見て思った・・が、1つならともかく、高層ビル群ができるという計画なら、それは私もいいとは思わないなあ・・・と思って帰ってきた。

  モンパルナスタワーは、1番上だったかどうか忘れたが、入場料がいくらだったか忘れたが、高層階に誰でも入って見学できる展望室がある。「高層マンション」が既存住宅・先住住民に敵対するものとして存在しているケースが多いが、高層ビルでも、西新宿の高層ビル群が「高層マンション」などよりは受け入れられる理由のひとつとして、雑居ビルが多く、共有スペースには誰でも入れるようになっているものが多い、ということがあると思う。「津田沼ザ・タワー」は害こそあれ益のないものであるが、もしも、周囲の既存住宅の住民・先住住民に理解を得ようと思えば、子供だましではあるけれども、最上階は展望室として、その地域の住民に解放し、その下の階はレストランや喫茶店などのフロアとするなど、習志野市・船橋市の市民にオープンにするなどやれば、「こんなもの、作りやがって」という気持を和らげるということだって、いくらかはできるのではないか、とも思うのだが、そういう工夫をする姿勢すらもない。自転車置き場や「地域貢献施設」だと称して、「市民ピロティ広場」「市民集会室」「保育所スペース」「市民ギャラリー」など設けることになっているらしいが、そのようなものは、高層ビルを作るために、「容積率緩和」をするためであったり、「地域貢献施設」を作りましたよお、ということにするためのものでしかなく、浅はかと言うしかない。自転車置き場や「市民集会室」「保育所」が必要ならば、もともと、「津田沼ザ・タワー」が建造中の場所は習志野市の市有地であったのだから、「津田沼ザ・タワー」などという岩山を造るのではなく、最初から自転車置き場や保育所などを作れば良かったのである。岩山マンションを正当化するために浅ましい小道具として、自転車置き場だの「市民集会室」だなんだとこじつけみたいに作ることにした、などというのは、あまり立派な進め方ではない。そんなものを「最優秀」だと「審査」した千葉工大建築学科教授というのは、あんまり教養豊かな人間とは思えない。

   ナポリ副都心計画というのは、「世界の丹下健三」という自己顕示欲の塊建築ばっかり設計してきたおっさんによるものらしい。「建築家」と言われる人の中でも、これほど、目立ちたがり・自己顕示欲の塊・自分の建物が周囲と調和をはかるのでは周囲が常に自分の建物に合わすべきだ建築・・・というものを作りまくってきた人は他にないのではないかと思う。最初、ナポリで、この高層ビル群によるナポリ副都心計画を見た時には、「丹下健三としては珍しく」先住建物・伝統的建造物を尊重した計画ではないか・・・と思ったのだ。しかし、後に、そう解釈していいのかどうか、よくわからなくなった。
   ナポリという街は、イタリアで最もイタリア的な街・・と片方で言われるが、他方において、「半分アフリカみたいなものだ」とか言うイタリア人がイタリアの北部の人間にはいるらしい。実際にナポリに行ってみて、北部のミラノなどにも行ってみると、たしかに、同じイタリアとはいえ、ミラノなどとはずいぶんと違う。「イタリア半島」というけれども、「半島」とはうまく言ったもので、「半分、島」みたいなところがあり、北部のフランスと陸続きの部分、リグリア州のあたりだと、「フランスの続き」みたいな感じがあるが、「半分、島」のナポリあたりだと、もはや、「フランスの続き」ではない。 「ナポリ旧市街」は世界遺産にも指定されている。「世界中をまわってきた人も、こんなに美しい所はないと言うよ」という歌詞で歌われる「帰れ、ソレントへ」の歌のソレントは、ナポリと同じカンパーニャ州にあるが、ナポリからヴェスヴィオ周遊鉄道に乗っていった終点、ソレント湾の北東部にあるナポリに対して、ソレント湾の南側の半島の北側にあり、ナポリとは別の街である・・・が、ナポリもまた、「美しい街」と言われてきた・・・はずだったが、ローマからイタリアの国鉄の特急に乗ってナポリ中央駅で下車して外に出ると・・・、きったねえ街・・・という印象を受けた。どこが汚いかというと、バールという菓子パンみたいのとか売っていてドトールコーヒーとかスターバックスコーヒーとかそんな感じの店と似たようで、ミニコンビニみたいというのかキオスクみたいというのかを併設しているような店があって、そのバールで菓子パンみたいのを買うと、道路上で、くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃと食べて、食べ終わるとそれを包んでいた包装紙というのか袋というのかを、道にぺっと捨てるのだ、誰もかれもが次々と。その紙屑が道路にあっちやらこっちやらに散らばっていて・・・、「世界で一番美しい」とかなんとかいうフレーズは、あれはいったい何だったのだろうか・・・なんて思った。これは、イタリア人でもそう思う人がいるようで、福武書店から出ていた「本+ビデオ」の案内人:パンツェッタ=ジローラモ『見聞塾 イタリアの食と街と人と』(1998.4.25.福武書店)のビデオで、ナポリ出身らしいパンツェッタ=ジローラモさんが「この街、ちょっと、汚いけどねえ。これ、しかたないねえ」と話していたが、実際、菓子パンみたいのの包装紙を道端にぺっと捨てたのがあっちやらこっちやらに散らかっているのを見ると、「世界で一番美しい・・」とかいうフレーズて、あれはいったい何なんだ・・・とか思ったものだった。しかし・・・。
  最初に訪問した1997年1月、ナポリから帰る最終日、カポディモンテの丘まで歩いていき、そこからナポリ市街の方を見ると・・・、すばらしい!!!(^^♪(^^♪(^^♪  たしかに、すばらしい美しさ!!!
  そして、翌年1998年1月、再度、ナポリを訪ね、今度はヴォメロの丘からナポリ市街を見ると、こちらもまた、すばらしい!!!(^^♪(^^♪(^^♪!!!  なるほど、「世界一」かどうかは世界中を見てまわったわけではないからどうかは知らんが、安藤忠雄みたいに世界中を旅行して世界中の建築を見て回るなどということをやるだけのお金もなければ時間もないが(「わしぁ、貧乏やからな。」「わしぁ、日陰の月見草」・・)、たしかに・・、カポディモンテの丘から見たナポリ市街、ヴォメロの丘から見たナポリ市街というのは、実に美しい♪♪♪!!!
  それで。「世界の丹下健三」なるおっさんが担当したというナポリ副都心計画というのは、ナポリ旧市街を温存した上で、その南側に高層ビル群の街を作った、というものだったのだが、すばらしい景観であるヴォメロの丘からのナポリ旧市街を見た景観においては、高層ビル群はその向こう側に位置していて、ヴォメロの丘からナポリ旧市街を見た景観を妨げない。既存の市街地を温存した上で高層ビル群を作るということならば、その位置ということか、そのあたりを考えて計画されたということか・・・・と思ったのだ。
  しかし。しかし、である。ヴォメロの丘から肉眼で見た限り、高層ビル群の「副都心」はナポリ旧市街が見えるヴォメロの丘からの景観を妨げない・・・ように思えたのである・・・が、そこから撮影した写真を日本で現像して見ると・・、やはり、旧市街の向こうに下品な高層ビル群が見えるのだ。あれは、要らんのではないかな、と自分が撮ってきた写真を見て思ったのだ。
   そして、「世界の丹下健三」とか言うけれども、結局、やっていることと言えば、「毎度、単細胞の高層ビル群」でしかないではないか。私は建築業界で長く勤めてきた、とはいえ、建築屋業界で勤めてきた者だから、「世界の丹下健三」と言われても、ああ、そう・・てものでしかないが、ところが、建築屋業界ではなく、「建築家」業界で勤めてきた人には、「世界の丹下健三」と言われると、水戸黄門の印籠でも見せられたように、はあはあ~あ・・・とはいつくばるような人というのがいるようなのだ。「ちょっと前に死んだ人」だと丹下健三・黒川紀章、「今も生きている人」だと槙文彦・磯崎新・安藤忠雄・隈研吾といった名前を出されると、水戸黄門の印籠だされたみたいに態度が変わるおっさん・・てのが、自称「建築家」、「いっきゅうけんちくしい~い」と言いたいが試験に通らんもんだから「設計士(さま)」とか「デザイナー」とかありもしない資格もどきを名のってみたりしているようなちっぽけな野郎には大変多い。そういう「有名建築家」をヨイショよいしょヨイショよいしょ~を・・することで、おのれもまた、「丹下健三のエピゴウネンのエピゴウネンになりたいわあ~あ」とか思っとるようなおっさん、その仲間と思われたいわあ~あ・・とか思ってるような人というのが、日本にはわんさ! といるようなのだ。あほくさ! そういう「有名建築家 世界のなんたら」と言えば、水戸黄門の印籠見せられたみたいに、「はあはあ~あ」とはいつくばって称賛しないといけない症候群、みたいなおっさんてのが日本には多いのなんの!!! そういう「有名建築家」と指定される人、何人かが先に指定されて、その人が設計したとか、その人が計画したとなると「名建築」と決められる・・という現在の日本の状況というのは、その状態はすでにファシズム的傾向であろう。もっと、市民は自分が思ったこと、自分が感じたこと、自分が考えたことを、たとえ、相手が「有名建築家」であろうが何であろうが発言するべきである。 「王様は裸だ!」と言ってやるべきだ。 だいたいやな、新宿西口の高層ビル群地区ではなくその手前に作られた、コクーンタワーとかいう丹下都市建築設計が設計という巨大な文鎮みたいのなんて、ありぁ、下品!!! お下劣!!! あんなもん、どこがええねん、あんなもん!!! と私なんかは思うし、思うと、思ったことを思ったように言う。「世界の丹下健三」の東京湾計画なんて、要するに自然破壊計画そのものであろうが! あんなもの、もしも、実行していたなら、東日本大震災の時に、えらい目にあっていたことだろう。それを言えない、言っちゃいけないみたいなタブーがあるのか、言えない言わない人たちが「建築家」。
  私の場合は、なにしろ、建築業界に長く勤めてきたとはいえ、建築家業界に勤めてきたのではなく建築屋業界に勤めてきた者であり、今さら、「世界の丹下健三」様とやらにヘコヘコアザラク、ヘコヘコザメラク・・・とかしたところで、どうなるもんでもない(まあ、年1億円以上の報酬で5年以上、雇ってくれるとかいう話でもあるならば、その時には、「長いものには巻かれろ、札束には切られろよお~お♪」とか思うなんてこともないことないかもしれんけどな・・・・。そんな話ないもんなあ・・・)。だから、「王様は裸だ!」と言ってやろうではないか。だいたいやねえ・・、「世界の丹下健三のエピゴウネンになりたいなりたいなりたいわシンドローム」の「患者」のおっさん・にーちゃんなんて、ろくなのいないよ。 ほんと。そう思いませんか? ほら、あなたの近くにもいるでしょ。「世界の丹下健三のエピゴウネンになりたいなりたいなりたいわシンドローム」の「病気」にかかったおっさんが。ほら、ほら・・・。

  ちなみに、ナポリの街では、バールで菓子パンみたいのを買って、道端でくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ食べて、その包装紙を道路にぺっと捨てる・・・というのは多くのイタリア人がやっていたので、この国ではそうするものなのか・・と思い、1998年8月、ミラノからサンレモに行った時、同じようにバールで菓子パンみたいのを買って道路端でくっちゃくっちゃ食べて、包装紙は捨てずに持って帰ってホテルのゴミ箱に捨てたけれども、道端でくっちゃくっちゃと食べたのだが、ふとまわりを見回すと、それ、やっているのは私だけだった。だから、バールで菓子パンみたいのを買って、道端でくっちゃくっちゃと食べるというのは、それはナポリなどカンパーニャ州の人がやることで、ミラノとかサンレモとかでは必ずしも一般的ではないみたい・・・。

  「世界の丹下健三」と言われると、なんか、逆らっちゃいかんみたいなそんな風潮というのは、それはファシズム的傾向である。民主主義を尊重しようとする者はそのようなファシズム的傾向に同調すべきではない。 ところが、「建築家ぶりっこぶりっこ」のおっさん・・てのは、そのファシズム的傾向の人間というのが、なんとも多いんだわ、ほんと。
  先に「有名建築家」というものを指定して、その「有名建築家」の設計によるものなら正しい・・と決めつけて進めるという手法はファシズム的傾向である。 それの安もんが「いっきゅうけんちくしい~い」というやつ。このビョーキにかかったおっさんは建築屋業界にわんさといる。うんとこさいる。 「いっきゅうけんちくしい~い」と言えば、ひとは言うことをきく・・と勝手に思っとる三流一級建築士というのが、うじゃうじゃいるのだ、ほんと。あなたの近くにもいるのと違いますか、「いっきゅうけんちくしい~い」と矢鱈と言いたがる三流一級建築士が。
  そして、さらにその安もんが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ なんかにこれもまた、うんとこさいた、「設計士(さま)」と名乗りたがるシンドロームのやつ、それから、 「なんちゃらアーキテクト」とかわけのわからんカタカナの称号をなのるやつ。日本には、一級建築士・二級建築士・木造建築士・1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士という国家資格は存在するが、「設計士(さま)」なんて資格は国家資格にも民間資格にもないのだ、そんなものは。それを、ありもしない資格もどきを名のりたがる、名乗らせたがるやつ、というのがフリーダムアーキテクツデザイン(株)なんぞにはいるのだ。なぜ、そんなあほくさい資格もどきを名のりたがるのか? 答えははっきりとしている。「いっきゅうけんちくしい~い」と言いたいのだが、通らんのだわ、無試験ヨーコーで入れる「建築専門学校」卒の自称「設計士(さま)」のにーちゃんてのは。だから、「設計士(さま)」とか日本にありもしない資格もどきを名のったり、「まんちゃらアーキテクト」とかわけのわからんカタカナ名称を名のったりしているのだ。要するに、「試験に通らん連中」なのだ!!! 試験に通らんくせしてからに、そのくせして、「いっきゅうけんちくしい~い」と名乗りたいみたいなやつがやることというのが、「設計士(さま)」とかありもしない資格もどきを名のったり、「なんちゃらアーキテクト」とかようわからんカタカナ名を名のったり・・・というものだ。 それ考えれば「いっきゅうけんちくしい~い」と叫べばひとは言うことをきくと勝手に思っとるおっさん症候群の「患者」の方が試験に通っただけマシ??? かというと、なんか、どっちもどっちみたいな感じがする。
  それより、ひと回り、レベルが高いかもしれんというのが、「◇◇大学建築学科教授」「◇◇大学建築学科名誉教授「◇◇大学建築学科助教」「◇◇大学准教授」という肩書。うちの親戚のおっさんで、関西の私立大学の体育の先生やっていたおっさんがいて、名刺の肩書を見ると、「名誉教授」と書いてあったようで、本人はその「名誉教授」と書いた名刺を配りたくてしかたなかったようだが、あのラグビー屋のおっさんが「名誉教授」かと思うと、なんか、「名誉教授」て、よっぽどバカじゃないか・・・て気がする。ほんと( 一一)( 一一)
その「◇◇大学建築学科教授」「◇◇大学建築学科名誉教授」「◇◇大学建築学科助教」「◇◇大学建築学科准教授」という肩書で「ひとを言うことをきかそう」ということを「仲よし幼稚園跡地活用事業」においておこなっていたのが、千葉工大建築学科教授⇒名誉教授の山本明さん、それに、千葉工大建築学科助教⇒准教授の倉斗綾子(クラカズ リョウコ)さんの2名。要するに、「いっきゅうけんちくしい~い」と叫びたがるおっさん症候群のアホな設計事務所のおっさんとたいしてかわらん・・・て人だということだ。違うというのなら、どう違うのか、ぜひとも聞かせていただきたいものだ。「大学教授」「名誉教授」と言えども、「いっきゅうけんちくしい~い」と叫べばひとは言うことをきく・・みたいに思ってる三流一級建築士のおっさん、建築士の試験に通らんものだから「設計士(さま)」だのと名のったり「なんちゃらアーキテクト」とかわけのわからんカタカナ名称を名のったりしている無試験ヨーコーの「建築専門学校卒」の蓮っ葉な若造と「あんまりかわらん」ことをやっとるということである。もしくは、「世界の丹下健三」とか言うとひとは「はあはあ~あ」と水戸黄門の印籠見せられたみたいに「言うことをきく」みたいに思っている症候群の「患者」と「あんまり変わらん」。
  その肩書を取得する難易度から順位づけすると、
「世界的建築家」⇒
「◇◇大学建築学科教授」「・・名誉教授」「・・助教」「・・准教授」⇒
「いっきゅうけんちくしい~い」⇒
「設計士(さま)」「なんちゃらアーキテクト」

・・・という順番だろう。「設計士(さま)」とか「なんちゃらアーキテクト」とかいうのは、試験も何にもない、名のればしまい! だから、一番簡単。 「世界的建築家」ではなく、単に「建築家」であれば、これは難しくない。私だって、「建築家」を名のろうと思えば名乗れないことはないのだ。一級建築士・二級建築士・木造建築士・1級建築施工管理技士・2級建築施工管理技士というのは国家資格だが、「建築家」なんて国家資格でもなければ民間資格でもないのだ。だから、スタンドカラーシャツを着ると「建築家」とか、ラーメン屋みたいに髭はやすと「建築家」とか。少々難易度が高いのが、女優と結婚すると「建築家」とか、カネがないとできないのが、都知事選に出て落選すると「建築家」とか。一般には、今ではパソコンで名刺は簡単に作れるのだから、「建築家 鉄野木造」と書いた名刺を作成してひとに配れば「建築家」・・・。 まあ、「建築家」なんてそんなもんだ。但し、「建築家」は、名のったもん勝ちだが、「有名建築家」とか「世界的建築家」とかになると、「世界の丹下健三」とか「高卒の安藤忠雄」とか、そういう人になるのは簡単ではない。これは、けっこう難易度が高い。これは、「あんなもん、どこがええねん!」て感じのもの、たとえば、「世界の丹下健三」設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂なんて、竣工したその日から雨漏れがしたなんて建物だが、建築屋が作ったならば、「なんだ、これは。ぶっ壊して建て直せ」と言われるものだが、ところが、それを「世界の丹下健三」が設計した! ということになると、「名建築」と称賛されるわけだ!!! なんだか、「裸の王様」の世界!!! 誰か言わんのかなあ、「王様は裸だ!」と・・・とか思うのだが、「世界の丹下健三」とか言われると、水戸黄門の印籠見せられたみたいになってしまう自称「建築家」、「世界の丹下健三のエピゴウネンになりたいなりたいなりたいわシンドローム」の「患者」がわんさといるので、それでもってるようなものではないかいなあ・・て感じがする。
  ともかく。 女優と結婚すると、「建築家」てのは、これもけっこう難易度が高い。 それで、とりあえず、ラーメン屋みたいに髭はやすと「建築家」とか思って、それを実行していたにーちゃんてのが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ なんかには、わんさといたわけだが、なんで、ラーメン屋と自称「建築家」は髭はやしたがるのか。「茶髪、長髪、髭はいかん!」と野村のじいさん、野球選手だけじゃなくて、無試験ヨーコーで入れる「建築専門学校」のやつにも言うてやったらどうかと思うのだが、なんで、ラーメン屋と自称「建築家」は髭はやしたがるのか、と不思議である。髭はやせば、ラーメンの味がよくなるとでも言うのだろうか。『ラーメン発見伝』の脳味噌がラーメンでできているという藤本さんなんて、髭はやしてなかったけどなあ・・・。
  それで、やっぱり、大学教授とかいうのは、うちの親戚の名誉教授のおっさんみたいなラグビーの名誉教授は別として、やっぱり、「知識人」であってほしい・・・と高校生や大学生であった頃の私なんかは思ったものだった。「サラリーマンみたいな大学教授が増えましたなあ」と講義の最中にボソッと言われた教授先生もおられたが、実際、「サラリーマンみたいな大学教授」というのも、わんさといるようだが、それでも、大学教授というのは、「サラリーマンみたい」ではなく、「知識人」「教養人」であってほしい・・・と、日本国民として願いたいように思う・・・・が、そうでない人もいるようだ、けっこう多いようだ。
  習志野市は、「仲よし幼稚園跡地活用事業」などというが、結局のところ、マンション屋の利益のために、習志野市役所と千葉工大、それに習志野市商工会議所や岩山マンションの足元の町会、ほとんどが商店の町会がそれを翼賛したというものだ。(もしかして、「山吹色のお菓子」とかもらった??? )
㈱みなとや 小判煎餅「これでよしなに」(20枚入)
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マンション屋のための習志野市役所で、単に売却するだけではなく、習志野市役所と千葉工大などがマンション屋に積極的に加担したというものであったわけである。それを権威づけるために、千葉工大教授⇒千葉工大名誉教授 という肩書、「世界の丹下健三」よりは安っぽいが、「いっきゅうけんちくしい~い」よりは評価が高い、もちろん、「設計士(さま)」とか「なんちゃらアーキテクト」よりも値打ちがありげ・・という肩書を使って権威づけしたというのが、「言行正反対の山本明」氏であったわけである。そういうことで、「ひとに言うことをきかせる」という手法というのは、それはすでに、ファシズム的傾向の手法であり、そのような手法を使う者というのは、大学教授であろうが名誉教授であろうが、知識人ではない、教養人ではないはずである。「なんちゃらアーキテクト」の蓮っ葉なにーちゃんと「たいしてかわらん」ことをやっているのである。

   それで、だ。もう一度、最初の文章に戻って考えていただきたい。地下鉄てのは、「仙台はすんごいどお~お。ち~かてつがあるんだどお~お」とか言って、もろ手あげて称賛すべきものか?  東京とか大阪とかで地下鉄を走らせているのは、それは、地下でも走らせないと走らせる場所がないから、しかたなしに地下を走らせているものであって、地下に鉄道を走らせなくてもいい地方都市においては、別に地下鉄はなくてもいいし、地下鉄があるから文化だとか文明だとかいうものではない。 東京とかで地下に鉄道を走らせないと走らせる場所がないというような所でいいかどうかという問題と、地下を走らせなくても走らせる場所は考えられる地方都市においてとでは事情は違う、ということだ。
   そして、高層ビルというのはどうか? 「高層マンション」「タワーマンション」というのはどうか? ・・・
まさか、船橋市や習志野市に「高層マンション」「タワーマンション」などというものを作られるなどとは思わなかった。「タワーマンション」というのは、作るのならば、東京都の六本木とかそういう場所に作るものであり、↑に述べたが、JR「津田沼」駅前になんて作っても意味はないはずだ。船橋市や習志野市というのは、「そこまで来れば戸建住宅に住める」という場所であり、東京都内に比べると都内への通勤時間はかかるとしても、東京都内に比べると自然環境は良い・・・という場所である。そういう場所で、畑もあちらこちらに見かける場所である。 「ここは高根人参の里て知ってたかね~」という立て札が、何年か前、県道船橋我孫子線(通称「ふなとり線」)の脇、船橋市の高根 にあったのを見たが、そういう場所でもある。そんな場所に「タワーマンション」なんて作るというのは、それはその場所にそぐわない。東京の六本木とかそういう場所ならともかく、船橋市や習志野市に「タワーマンション」などというものを作ってやろうと考えるような痴れ者が出現するとは思わなかった。

  高層ビルがいいかどうか・・といっても、新宿西口とか、あるいは、六本木とか、そういう場所でいいかどうかという問題と、習志野市のJR「津田沼」駅の前、船橋市の第一種低層住居専用地域のすぐ南側、第一種低層住居専用地域の南側を塞ぐように巨大な岩山を人工的に作るというのがいいかどうか、というのは意味が違う。そのあたりを考えるのが「建築学科」のはずだが、考えないのが千葉工大の教授⇒名誉教授の山本明氏だったようだ。

  北村透谷『漫罵』において、
《 一夕友と与(とも)に歩して銀街を過ぎ、木挽町(こびきちょう)に入らんとす、第二橋辺に至れば都城の繁熱漸く薄らぎ、家々の燭影(しょくえい)水に落ちて、はじめて詩興生ず。われ橋上に立って友を顧み、同(とも)に岸上の建家を品(ひん)す。 或は白亜を塗するあり、或は赤瓦を積むもあり、洋風あり、国風あり、或は半洋、或は局部に於て洋、或は全く洋風にして而して局部のみ国風を存するあり。更に路上の人を観るに、或は和服、或は洋服、フロックあり、背広あり、紋付あり、前垂(まえだれ)あり。更にその持つものを見るに、ステッキあり、洋傘あり、風呂敷あり、カバンあり。爰(ここ)に於て、われ憮然として嘆ず、今の時代に沈厳高調なる詩歌なきは之を以てにあらずや。
  今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪われつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突(しょうとつ)より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。人心自ら持重(じちょう)するところある能わず。知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自ら殺ろさゞるもの稀なり。その本来の道義は薄弱にして、以て彼等を縛するに足らず、その新来の道義はこん根帯(こんたい)を生ずるに至らず、以て彼等を制するに堪えず、その事業その社交、その会話その言語、悉く移動の時代を証せざるものなし。斯の如くにして国民の精神は能くその発露者なる詩人を通じて、文字の上にあらはれ出でんや。
  国としての誇負(プライド)、いづくにかある。人種としての尊大、何(いず)くにかある。民としての栄誉、何くにかある。適(たまた)ま大声疾呼して、国を誇り民を負(たの)むものあれど、彼等は耳を閉じて之を聞かざるなり。・・・・ 》
と、明治26年(1893年)10月、日清戦争の1年前、「文学界」において、この『漫罵』を発表し、日本、特に東京の街のあり方を嘆いている。北村透谷、24歳の時である。

  高村光太郎は、詩集『道程』の中の「根付の国」で、
《 頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の掘った根付の様な顔をして
  魂をぬかれた様にぽかんとして
  自分を知らない、こせこせした
  命のやすい
  見栄坊な
  小さく固まって、納まり返った
  猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人 》
と、情けない日本と日本人を痛罵している。
  高層ビルなどというものは、作るのならば、新宿西口とか池袋サンシャインとかそういう場所で作るもので、船橋市・習志野市で作るものではないはずである。 地下鉄を矢鱈とありがたがるイナカモノと同じく、高層ビル・高層マンションをありがたがる者はイナカモノ、「精神面がイナカモノ」である。少なくとも、船橋市・習志野市においては「高層マンション」「タワーマンション」などというものは、北村透谷が『漫罵』において、高村光太郎が「根付の国」において罵倒した情けない「魂をぬかれた」日本人、「国としてのプライド、いずくにかある」と嘆いたような、そういうものである。
  パリの市民がパリの景観を守るためには、モンパルナス地区に高層ビル群など作るべきではないと反対し、ナポリの市民はナポリ旧市街の景観やヴォメロの丘などからの景観を守るためには、高層ビル群を作るのであれば、ナポリ旧市街からはずれた位置に作るべきだとしたのとは異なり、「津田沼ザ・タワー」は、自分たちの住んでいる場所の環境を破壊しても抵抗せず、自分たちの住んでいる場所にそれがふさわしいものかどうか検討することもなく・・・というよりも、検討させないで「やったもん勝ち」で進めようとする習志野市商工会議所や千葉工大などによる策略にしてやられて建造が進んでいる。

  高村光太郎は詩集『智恵子抄』の「あどけない空の話」で、
《 智恵子は東京に空が無いといふ、
  ほんとの空が見たいといふ、

  私は驚いて空を見る。
  桜若葉の間に在るのは、
  切っても切れない
  昔なじみのきれいな空だ。
  どんよりけむる地平のぼかしは
  うすもも色の朝のしめりだ。
  智恵子は遠くを見ながら言ふ。
  阿多多羅山の上に
  毎日出てゐる青い空が
  智恵子のほんとの空だといふ。

  あどけない空の話である。 》
と述べる。 たしかに、浜通りであれ中通りであれ、福島県の空は東京の空よりもずっときれいな空である。
しかし、それにしても、東京の山手線の内側の中央線の南側とかに住んだのならともかく、船橋市の第一種低層住居専用地域、「高層マンションの住人から足で踏みつけられるような場所にでも戸建住宅に住もうというような低層の人間が専用に住居をもつ地域」ではなく、「第一種低層住居専用地域は、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。」と都市計画法第9条で定められているにもかかわらず、「低層住宅に係る良好な住居の環境」を阻害するような巨大な岩山を南側に人工的に作られるとは考えなかった。まさか、そんな計画に習志野市という行政が加担するとは思わなかった。そんな計画に「建築学科教授」が賛同するとは思わなかった。こうなると、その都市計画法の規定というのはいったい何なのだ?!?  習志野市役所というのは都市計画法と建築基準法に基づいて指定された用途地域の趣旨を阻害するようなものの計画に加担していいのか? 千葉工大の建築学科は、都市計画法と建築基準法に基づいて指定されている用途地域の趣旨を阻害するような計画に加担して、それを「最優秀」などと「選定」するような男を、「建築学科教授」だの「建築学科名誉教授」だのと認めて良いのか???
  最初、1990年代初めに船橋市に住んだ時、船橋市・習志野市の空は、東京でも都内、「山手線の内側の中央線の南側」とかに比べるときれいな空ではないかと思ったのだが、その後、福島県に一時住み、福島県の空というのは、智恵子が言うように東京の空よりもはるかにきれいな空で、福島県の空に比べると、東京圏の空というのは空ではない、と思った・・・が、それでもやっぱり、船橋市には空があった。福島県の空と同じような空ではないとしても、船橋市・習志野市には空があった。高層ビルが並ぶ東京都の都心などとは違って空があった。まさか、その船橋市・習志野市で我が家の南側正面の空を、三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動産(株)が占拠して、それを「分譲」して売り飛ばしてしまう・・などということがありうるとは思わなかった。「阿多多羅山の上に・・出てゐる」「ほんとの空」でなくても、船橋市・習志野市には空はあると思っていたのだが、それを強奪してやろうという者が出てくるとは思わなかった。まさか、習志野市役所という行政がそういう動きに加担するとは思わなかった。
   高層ビルというものがいいものかどうか・・。 ブルーノ=タウトは『建築的省察』(篠田英雄訳。『建築とは何か』鹿島出版会 SD選書 所収)で、《 アメリカでも物のわかった人たちは、スカイスクレーパーに背を向けている、この人たちは、スカイスクレーパーをビジネスの<発疹>とみなしているばかりでなく、美的には嘔吐をすら感じているのである。・・・》と述べているが、実際、そうではないかと思う。一般的には、高層ビルというものは、そんなにいいものではないと思う・・が、しかし、↑に述べたように、高層ビルは、その場所によっては、上に高く作り、上方向に面積をとることにより、地上に空間を取ることができるメリットが出るという場合もある。 地下鉄と似たところがあり、地下鉄を文明の象徴だの文化の現れだのと考えて、「おら、ち~かてつに乗ってきたんだどお~お」とか自慢するおっさんというのは、なんというのか、要するに「いなかも~ん!」て感じ、それと同じで、高層ビルがふさわしい場所かどうかを考えて、高層ビルをそこに建てるのがふさわしい場所だと考えて建てるということならまだしも、そうではなく、高層ビルというものを、文明だとか文化だとか、何かありがたいものであるかのように思ってありがたがる・・などということでは、それは、「おら、ち~かてつに乗ってきたんだどお~お」とか言って自慢するイナカモノのおっさんと「たいして変わらん」。
  福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の生まれとか、田舎の住人とか、田舎の出身とかいう意味での『いなかもの』というのは、これは別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と語ったというのだが、高層ビル・高層マンションといったものを、それがそこにふさわしいものかどうか検討して、それをそこに建てることでメリットが出てくると思われる場所で建てようとするのではなく、そうではないと思われる場所において、高層ビル・高層マンションを何かありがたいものであるかのように思って建てようとする者というのは、それは「精神面がいなかもの」であると言わざるをえない。習志野市役所の企画制作部長  諏訪晴信 氏・総務部長  高野次夫 氏・都市整備部長  福島 泉 氏・市民経済部長  小川臣朗 氏 というのは「精神面がいなかもの」ということである。千葉工大教授⇒名誉教授の山本明氏は「精神面がいなかもの」ということである。
  「千葉工業大学 山本明研究室」HP では、なんともあきれた山本明氏の「人物紹介」https://www.cit-ylab.com/about-me とともに、「人物紹介」のタブの左に「写真集」「伝建地区(伝統的建造物群保存地区)」のタブがあり、「写真集」https://www.cit-ylab.com/photo-album では、伝建地区アルバム、世界遺産アルバム を見ることができるようになっている・・・けれども、だ。この山本明氏という男は、伝統的建造物群保存地区をこれだけ、見てきて、それでいったい何を学んだのだ?  何も学んでいないのか???
  伝統的建造物群保存地区や世界遺産をこれだけいっぱい見学してきて、そこで何も学ばなかったのか?  守るべきは箱庭のような伝統的建造物群保存地区指定区域だけでそこから外は「高層マンション」と称する景観破壊障害物を作っても平気なのか?
  それにしても、この山本明氏という男はあきれた男である。 「きらいなこと・もの」が「・・権威主義/スノッブ/・・」だなどと、よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪ あんただろうが、それは!!! 権威主義のスノッブはあんただろうが!!!
  今となっては40年ほど前のことだが、慶應大学の「学生相談室」の「カウンセラー」をやっていた「心理学者」ということになっていた慶應大学文学部の「心理学」の「講師」になっていたおばさんのTさんが、小此木啓吾のことを「精神分析学について、大変、博学なんですよ」などとご発言なさったことがあり、それを聞いて、この人、なんか変なこと言うな・・・と思った、ということがあった。博学がいかんということはないけれども、だ。それがいったい何なのだ?!? その方面の本を他の人間よりも多く読んでいる・・なんていっても、だ。そんなものは、小此木啓吾という男が、他の人間よりも、「精神分析学」という方面についての本を読む時間を多く持っていた、というだけのことだろうが!!! そんなものは、大工が大工を仕事としていない人間よりも大工仕事についてよく知っている、左官屋が左官の仕事について、左官屋でない者よりもよく知っているというのと一緒で、「だから、何なんだよ」てものである。 山本明氏の研究室のホームページで、伝統的建造物群保存地区と世界遺産の写真が掲載されているが、「だから、何なんだよ」てところである。 そういう所の写真が掲載されていても、それは、他の人間よりも、そういう場所に足を運ぶ時間を多く持てた、そういう場所に行く費用がどこかから出てきた・・ということを示しているだけのことであり、そこから学んだものがなければ、そんなものは二束三文であろうが!!!
  「まるで、小此木啓吾みたいなやつ!」という感じがした。そう思いませんか? 小此木啓吾なる男が、「精神分析学」関係の本を多く読んでいた・・としても、それはその人はその関係の本を読む時間を他の人間よりも多く持っていた、というだけのこと。その上で、優れた実績を残せたというのならともかく、「なんちゃら症候群」だの「なんだかんだシンドローム」だのと「精神医学」的レッテルをつぎつぎと製造して、おのれのことを棚にあげてひとに貼りまくる・・・、いったいどんな育ち方したんだ? ・・というと、「幼稚舎から慶應」らしい。 慶應幼稚舎⇒慶應中等部⇒慶應義塾高校⇒慶應義塾大学医学部⇒慶應義塾大学医学部助教授・・・と「ゆりかごから墓場まで慶應」シンドローム・「慶應的精神空間から怖くて外に出れない」症候群の重症の「患者」だったのだ。インターネットで見ると、小此木啓吾は慶應大学医学部を定年退職した後、慶應よりも定年の年齢が高い他の私立大学の教員になったらしいが、「何かと慶應に帰りたがる」と学生の間で評判が悪かったらしい。なるほど、「慶應的精神空間から外に出れない内部進学塾風人間シンドローム」・「内部進学独善主義症候群」の重篤な「患者」だけある。「精神安定剤」の大量投与(「薬物療法」)(薬漬け・毒盛り)・逮捕監禁(「入院療法」)・強制労働療法(「作業療法」)・言いくるめ療法(「カウンセリング」「心理療法」)といった様々な「療法」で「治療」と称して「人間による人間の加工」をやってやると良かったのではないかと思う。なにしろ、それは小此木啓吾などが自分がそれまでひとにやってきたことなのだから。ところが、その前に死んでしまった。「慶應的精神空間から外に出れない症候群」「おのれのこと棚にあげてひとにレッテル貼りまくるの大好き症候群」の「患者」は「慶應的精神空間」で「定年」になると、人生もまた「定年」になったのかもしれない。小此木啓吾のクズ本は、もはや、「便所紙の役にも立たない」。
  内部進学小此木啓吾の自分の世界観に合わせてひとを「診断」し加工する小此木啓吾を「精神分析について、博学なんですよ」などとヨイショしても、何の価値もない。「精神分析」について「博学」であっても、そんなものは他の人間よりその方面の本を読む時間を多く持っていたというだけのこと本は読むことで、「思想の肥やし」にはなっても、その「肥やし」を活かす本体の心がなければ、クズの結果しか出せない。それが内部進学小此木啓吾だった。山本明研究室のホームページに掲載されている伝統的建造物群保存地区と世界遺産の「アルバム」もまた、それだけ、写真を撮りに行ったとしても、「だから、何なんだよ」てところである。それだけ、あっちやらこっちやら、行く時間を他の人間より持てた。それだけ、あっちやらこっちやらに行く費用を他の人間よりも持てた・・というだけのことだろうが!!! それだけ、建築を見学したならば、その見学は「肥やし」にはなるはずだが、「肥やし」になってもそれを活かす心がなければ、結果は二束三文である。 「津田沼ザ・タワー」みたいな下品・お下劣なものを「最優秀」に「選定」するような男というのは、「その程度」。 伝統的建造物群保存地区や世界遺産をそれだけ、あっちやらこっちやら、見て回っても、結局、それだけ旅費を使っても、たいして身につかなかった。それがおのれの建築思想には役立たなかった、ということのようである。山本明研究室の「アルバム」「写真集」などというものは、くだらん!!!
  ・・・但し、見ると、写真はなかなかよく写っている。写真の撮り方は悪くないようだ。但し、「畢竟、それだけだ」。

  私などは、大学を受ける時、「うちは、工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と父から毎日毎日言われたものだった。「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言ったが、それでも、「百パーセント、国立大学に通るとは限らないでしょうが。たとえ、0.1パーセントでも落ちる可能性がないと言えない以上は、工学部なんて受けてはいかんでしょうがあ」と母から言われたものだった。工学部に行く人間が本当にうらやましかった。その工学部に進学した山本明氏は、私のように工学部には行かせてもらえなかった人間の分も精進して学習・研究してもらいたいものであるが、ところが、やっていることといえば、おのれが権威主義のスノッブでありながら、「きらいなもの・こと:・・権威主義/スノッブ/・・」などとホームページに言行正反対の記述をおこない、「写真集」だの「アルバム」だのと言って伝統的建造物群保存地区や世界遺産の写真を掲載しているけれども、そんなものは、工学部建築学科に進学しなくても、観光ガイドブックの編集者ができることだ。工学部建築学科に行かせてもらった人間だけの価値というものが見られない。

  習志野市は「プロポーザル方式」で、「仲よし幼稚園跡地活用事業」を「選定」したというのだが、もしも、これが大学の建築学科の課題であったならば、私が採点する立場であったならば、三菱地所レジデンス(株)らによる「津田沼ザ・タワー」計画は、落第点答案。もしくは、1980年代、私が慶應大学の学生だった時は、A・B・Cが合格でDが不合格だったが、慶應大学の教授が講義の中で話されたその先生が学生であった頃の話では、その先生が学生であった頃は、早稲田大学は、優・良・可が合格で、不可が不合格だったが、慶應は違って、良・可・不可が合格で、大不可というのがあって、不可は合格だが大不可が不合格だったらしい。その意味は、可は、その講義を1年間、受講して、その上で受けた試験の答案であれば、この内容なら可として良いでしょうというのが「可」で、それ以上の答案だという「なかなか良くできました」という賞のようなものが「良」で、その答案ではいいとは言えないが、不合格にまですることはないという、おまけで合格みたいなものが「不可」であり、いくらなんでもこれは合格にはできませんというのが「大不可」だったらしい。「仲よし幼稚園跡地活用事業」についての回答として、千葉工大建築学科の教授⇒名誉教授の山本明氏が神輿として委員長になって、「津田沼ザ・タワー」を「最優秀」に「選定」したというのだが、バカ言ってんじゃないわ♪ 普通、こんなもの、「不可」にするか「大不可」にするか、どっちかだろうが!!! いったい、何を採点しとるんだ、この教授は!!! 私が慶應大学の商学部の学生であった時、ある教授について、年度末の試験の後、答案を机の上に積み上げた上で、「ここだ!」と思ったところを、片手でぐわっと掴んで引っ張り出し、その部分だけ、真面目にA・B・C・Dと採点し、それ以外はぜ~んぶ、C だという噂がある教授先生がおられた。 経営学系の方である。別に隠すこともないと思う、「経営学総論」という科目である。その話を聞いて、なかなかおもしろい話ではあるが、ま~さか、そこまでやらんだろう・・・なんて思ったのだけれども、私自身がその先生の講義を履修し、1年間ほとんど全出席で、前の方の関で常に聞いて、その先生の本も読んで、それで試験を受けて、「どうああ。Aの答案を書いたどお~お」と思ったのだが・・・、ところが、成績表が届いたのを見ると・・・、Cだった・・・。自分ではAの答案を書いたつもりでも、採点者としてはBだということもあるかもしれないが、いくらなんでも、あれでCはないだろう・・なんて思ったのだが・・・、もしかして・・・、机の上に答案を全部積み上げて、「ここだ!」と思ったところを片手でぐわっと掴んで引っ張り出して、その部分だけ真面目にA・B・C・Dを採点して、残りはぜ~んぶ、C・・・て、あの話はもしかして本当だったのだろうか・・・と思ったものだった。この習志野市の「プロポーザル方式」による「仲よし幼稚園跡地活用事業」の「選定」だが、「残りはぜ~んぶ、C」ではなく、最初から、三菱地所レジデンス(株)の計画については、A と決まっていたなんてことないか? もしくは、試験を受けた後、「Bくらいかな」と思っていたら、Aだった、なんてこともあるのだが、それは、受講者の試験のできがあまり良くなかったので、自分では「Bくらいかな」と思っても、その答案をBにしてしまうとAがなくなってしまうというような場合に、少々甘いかもしれない Aがつけてもらえる ということがあるようだが、「仲よし幼稚園跡地活用事業」の応募者というのは、もともと、似たような「答案」を求められて「提案」したものなので、私が採点者ならば、「不可」か「大不可」であるものが「最優秀」に「選定」された、ということか・・・。 最初から「高層岩山マンション」という答案を書いてくれと要求した人間というのは、いったい誰なんだ? ・・・いずれにせよ、なんだか、いいかげんな採点だな・・・・。

  我が家の用途地域は第一種低層住居専用地域です。「津田沼・ザ・タワー」の北側には、第一種中高層住居専用地域や住居専用地域もあそるとともに、第一種低層住居専用地域が相当広がっています。第一種低層住居専用地域は、都市計画法第9条で、《第一種低層住居専用地域は、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。》と規定されており、そのすぐ南側には、「低層住宅に係る良好な住居の環境」を破壊しないよう・阻害しないように配慮するのが行政機関の役割のはずです。習志野市の
企画制作部長  諏訪晴信 氏・
総務部長  高野次夫 氏・
都市整備部長  福島 泉 氏・
市民経済部長  小川臣朗 氏
この4名が、「仲よし幼稚園跡地活用事業 審査委員会委員」の15名のうちの4名に入っていたのですが、特に、都市整備部長というのは、《第一種低層住居専用地域は、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。》という用途地域の趣旨を実現するために尽力するのが仕事のはずであり、その正反対をやるようでは、職務怠慢であるとともに、都市整備部長  福島 泉 氏は給料泥棒・税金泥棒と言われても文句は言えないはずです。

  《習志野市HP の 宮本市長の市政解説》https://www.city.narashino.lg.jp/joho/mayor/index.html によると、習志野市長宮本泰介という人で、1973年1月生まれ、兵庫県の「西宮わ~ん」の西宮市の小学校を卒業した後、習志野市の中学校を卒業し、秀明大学という八千代市の勝田台と小室の真ん中より小室に近いあたりにあるらしい私立の「大学」の経済学部を卒業したという人らしいが、「津田沼ザ・タワー」などというものを作らせて、それがどう習志野市にプラスになると考えたのか?
  特に、「容積率緩和」という制度は、本来、その付近に歩道や公園などを作りたいがなかなか土地を確保できないという場合に、敷地の一部分を歩道・公園などに提供するかわりに、その地域で指定されている容積率よりも高い容積率を適用させることにして、歩道・公園などを確保するという制度であるが、「津田沼ザ・タワー」は、もともと、その敷地は習志野市の市有地であり、歩道や自転車置き場が必要であれば、習志野市の市有地に歩道や自転車置き場を作れば良かったのであり、いったん、敷地全部をマンション屋に売却した上で、その場にふさわしくない巨大な岩山を造るために「容積率緩和」をするための口実として歩道や自転車置き場を造らせるというのは、それは本末転倒、制度の趣旨とは異なるものであり、そういった進め方をした、ということについて、市長としてきっちりと説明をするべきです。
  「津田沼ザ・タワー」は、すぐ北側が船橋市との市境界にあり、このような巨大な岩山を造った場合、マイナスの影響は南側よりも北側に大きいにもかかわらず、「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員」には、それができると利益が出る可能性がある足元の町会の人間ばかりが集まって決めていること、市の境界の北側の船橋市はほとんどが住居系用途地域、その多くが第一種低層住居専用地域であり、習志野市は都市計画法第9条の《第一種低層住居専用地域は、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。》という用途地域の趣旨を守るべく行政として努力しないといけないはずであるのに、その正反対を「仲よし幼稚園跡地活用事業」と称しておこなっているのは、いったいどういうことなのか? 宮本泰介氏は市長としてきっちりと説明してもらわないといけません。

  (2020.2.6.)


☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201905/article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場
「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンション https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_1.html
[第468回]「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_3.html
[第469回]「本人訴訟の一般人には相当大きく安全側に要求し、弁護士にはよほどのことがないと」の裁判所書記官の対応と、「三菱」「三井」「野村」の言うことならきくのか? 独立自尊の精神に欠ける習志野市建築指導課!https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_4.html
[第470回]都市計画法による用途地域の趣旨を守るために建築基準法の規定があり、逆ではない。マンション屋の為の都市計画課なら存在価値はない。岩山マンションによる環境悪化・財産価値低下に補償することもせずに「意見の違い」など認められない。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_5.html
[第471回]船橋市各所から見た「津田沼 ザ・唯我独尊タワー」船橋市各所から南方に岩山として眺望を妨げ、同類が建てば通風も妨げると思われる「津田沼 ザ・タワー」。なにゆえ、市民はこのような遮蔽物を人工的に造られねばならぬのか!?! https://tetsukenrumba.at.webry.info/201908/article_1.html
[第474回] 権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201911/article_1.html
[第478回] 富士山のそばに人工的岩山を造られても国民は文句は言えないか? 夜空を照らす照明塔岩山マンションははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_1.html
[第479回] 3階建か4階建の建物を前提に規定された数字を160mを超える岩山建造に適用は不適切。権威づけ神輿の建築学科教授山本明氏・倉斗綾子氏はこの程度のこともわからないのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_3.html
[第480回] 夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_4.html
[第482回]「津田沼 ザ・タワー」の「容積率緩和」適用は制度の趣旨に反する。「仲よし幼稚園跡地活用事業」「審査委員」の選定は八百長か。商学部経営学部系教員を選考委員に入れないのは、八百長計画に異議を唱えさせないためなのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_6.html
[第483回]「津田沼ザ・タワー」の侵害に「権利意識の欠如」状態になってはならない。「相互主義の原則」として習志野市の商店での買い物は控えましょう。「言ってもだめよ」はファシズム傾向と理解せよ! 「専門家」信仰は山本明氏のような権威主義者の思うツボ!https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_8.html
[第484回]「津田沼ザ・タワー」は北側に大きな窓を設ける権利がなぜあるのか? 夜、光らせる権利がなぜあるのか? 及、猫の頭なでるだけなでて糞や小便を他家の庭やガレージでさせる猫の飼主は横暴ではないか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_9.html
[第485回]「津田沼ザ・タワー」”最高のロケーション”と称賛する「投資家カズのトレード日記」は精神病理学上の問題ではないかとすら思える。邑楽タワーの失敗と「津田沼ザ・タワー」の居直り。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_10.html
[第486回]「津田沼ザ・タワー」に反対はあっても賛成はありえない2つの理由。60年安保闘争には2種類の反対があった、て知ってますか。「大学教授」であっても「知識人」ではない千葉工大の大学教授。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_11.html
[第487回] 地下鉄と「高層マンション」は文明ではない。モンパルナスタワー・ナポリ副都心に該当する配慮は見られない「津田沼ザ・タワー」。「津田沼ザ・タワー」は建築学科課題としては落第点である。〔今回〕
[第488回] 「津田沼ザ・タワー」はパチンコ屋みたいに、夜、光りだしたが、パチンコ屋より傲慢。屋上のペントハウスを光らせて、マンション屋と「購入者」は何か得するのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202002/article_2.html
「慎腹風呂愚」
[第759回]《高山の町並にて。「和風のドーマー」は違和感なく存在。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。—高山の町並みにて(1)》https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_10.html?1584263851

☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_2.html

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
「慎腹風呂愚」
[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_27.html

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_11.html 
で述べました。

北村透谷選集 (岩波文庫 緑 16-1) - 北村 透谷, 勝本 清一郎
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権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
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イタリア・ナポリ  (週刊朝日百科世界の100都市NO031)
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