夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。

[第480回]
  このブログで何度かとりあげた「津田沼 ザ・タワー」と称する習志野市谷津 に建造中の巨大な岩山は、かなり完成に近づいてきてしまったようです。

( ↑ 「津田沼 ザ・タワー」 )
  「鎌倉の大仏」は中に入ることができますが、中は、あくまでも、大仏さまはこのようになっていますと見たい人に見せてもらえるというものであって、中を目的に作られたものではなく、外、外見・外観が大仏で外見・外観を目的に作られたものです。オーストラリアのシドニーにあるヨルン=ウッツォン設計の「シドニー=オペラハウス」というのは、「・・オペラハウス」と言われていますが、中がオペラハウスであって、外はシドニー湾の岬の先端に作られたモニュメント。中と外とどっちが大事かというと、結論を言うと、外ではないでしょうか。

↑ シドニー湾に突き出した岬の先端にハーバーブリッジとともにひとつの景観となるモニュメントとして作られたものであって、内部はどうでもいいということはなかったとしても、オペラハウスであるかどうかよりもその場所に合うモニュメントであることの方が重要だったのではないか。「世界の丹下健三」設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区関口)は、実際問題として、中は使いにくいですよね。「丹下健三型自己顕示欲の塊建築」の代表格かと思いますが、ウィリアム=メレル=ヴォーリズは「教会堂の建物というのは特別の建物である必要はない」と語ったというのですが、その正反対をやっているのが「世界の丹下健三」ですね。それで、習志野市谷津 に建造中の「津田沼 ザ・タワー」なるものは、中がどうかは別として、船橋市南東部の住居系用途地域に住む者からすれば、それは「南方を塞ぐ巨大な人工の岩山」である。
※ 東京カテドラル聖マリア大聖堂については、
《「建築家」と「建築屋」と「建築士」はどう違うのでしょうか??? 〔引っ越し掲載〕》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_3.html
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↑ 2020年1月11日撮影。
  この写真の右寄り、西側に白い外壁材を貼っているように見えます。
  これが「くせもの」の可能性が考えられます。
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↑ 2020年1月上旬 撮影。
  「津田沼 ザ・タワー」と称する 船橋市南東部の住居系用途地域の南方の習志野市谷津に建造中の巨大な人工の岩山は、自然の山と違って、夜、光るのです。 何ですか、これは!
  航空法に定められた赤色灯の点滅をつけるのは当然として、なぜ、外壁が光るのか? なぜ、外壁を光らさないといけないのか? なぜ、そのようなことをされなければならないのか?

  高村幸太郎『智恵子抄』の「あどけない話」には、
《 あどけない話
智恵子は東京に空がないといふ、
ほんとの空が見たいと言ふ。

私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすももいろの朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。 》
( 『日本の詩歌 高村幸太郎』1974.9.10.中公文庫 所収 )
  この詩は、福島県中通り地区の生まれの智恵子が、高村幸太郎と結婚して東京に住んだ後、精神を病んで言った話だと言われてきた、智恵子は精神を病んでしまったために、実際には空があるのに「東京に空がない」と言うようになってしまった・・と解釈されたようだった・・が、しかし、1990年代、福島県いわき市に住んで、福島県の浜通り地区にも中通り地区にも会津地方にも行って空を見て思った。たしかに、これが「ほんとの空だ」と。「東京に空がない」というのは、福島県のきれいな空を知っている者からすれば、実際にそうだと思った。
  又、その後、千葉市立美術館で開催された「高村光太郎展」を見に行き、智恵子の作品など見て、高村光太郎という人は、妻の智恵子を心より愛した人で、それを『智恵子抄』という詩集にしたと言われてきたが、光太郎の方はそうであったかもしれないが、智恵子の方は必ずしも幸せではなかったのかもしれない。晩年、「東京には空がない」「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だ」と言うようになった時、福島県に帰りたい・・と思うようになった、子供のころ、過ごしたあの場所に帰りたい、子供の頃に戻れるものなら戻りたい・・と思うようになったのかもしれない・・・と気づいた。

  高村光太郎夫婦の話はさておき、東京でなくなりつつあるのは空だけではないのだ。「東京に夜がない」という状態にされかけている。新宿とか銀座とかそういう場所で「夜がない」というのなら、まあ、そうかもしれないなあ・・と思うのだが、そうではなく、住宅地においても「夜がない」状態にされかけている。しかも、東京都だけでなく、千葉県においても「夜がない」状態にされかけているのだ。その原因の1つが「津田沼 ザ・タワー」という巨大な人工の岩山である。
  「津田沼 ザ・タワー」はすでに「完売」したというのだが、まだ完成はしておらず、人は入居していないはずで、「居室」の照明が光っているわけではないはずなのだが、それなのに、「夜、光る」というのはどういうことか?  本来、ある程度以上の高さのマンションというものは、その地域の夜を奪わないように配慮するのは当然のはずであるが、ところが、この「津田沼 ザ・タワー」は、なぜか、まだ、人は入居していないはずなのに、「夜、光る」のだ。どうしたことなのだろうか、これは!

  高森朝雄原作・ちばてつや漫画『あしたのジョー』では、丹下段平のおっさんが矢吹丈を「ロードワーク」という道路を走るランニングに連れていく際、細い走りにくい道ばかりを選んで走り、矢吹丈が「おっさん、なんで、さっきから、こんな細い走りにくい道ばかり走るんだよ」と言うと、「広い道は、みんな、舗装されてしまって、膝に負担がかかり、走るには向いてないんじゃ」と言い、舗装されていない土の道を選んで走っていることを説明する、という場面があった。『あしたのジョー』が書かれた頃は、まだ、道路には舗装された道と舗装されていない土の道の両方があったと思う。土の道は、半分、公園みたいな性質もあり、子供の頃の私もそこで遊んだものだった。 「舗装された道は膝に負担がかかる」というのは実際にそうだと思う。それほど長い期間ではないが、新聞の配達の仕事をやったことがあるのだが、新聞配達というのは健康にいいと思っている人がいるが、そうではないと思う。舗装された道を新聞を持って移動するのは膝にこたえる。又、マンションはエレベーターで一番上の階まで登り、上から降りながら入れていくのだが、たとえ、下りであっても、マンションの階段を新聞を持って降りるのは膝にこたえる。自転車の前かごに大量に新聞を積んで自転車を運転するのは危ない・・・が、小学校では先生から「前かごに思い荷物・大きい荷物を積んで自転車を運転するのはやめましょう。」と教えられたのだが、そんなこと言っていたら新聞配達の仕事はできないし販売店の経営者からやれと言われたので、その小学校の先生がやってはいけませんと言ったことをやっていた。その経験で、「漫画に出てくる話」というのは本気にするとバカの話もあるけれども、『あしたのジョー』で丹下段平が言う「舗装された道を走ると膝に負担がかかってよくない」というのは実際にそうだと思った。 最近では、船橋市・習志野市でも道はたいていの道が「舗装された道」になっていて、その点ではランニングに向いているとは言えない。地方にいっても、地方の方が公共交通機関がないのでクルマの利用率が高いということもあるのか、道は「舗装された道」が多いので、それは東京圏とか都市圏に限ったことではないようだ。もっとも、「舗装さえた道を走ると膝に負担がかかってよくない」というのは程度の問題もあるかと思う。マンションのドアポストに新聞を入れてまわると、本当に膝に負担がかかり膝に痛みを感じたが、普通、健康増進のためのランニングでマンションの階段をそこまで走る人間はないと思うので、プロ運動選手でもない者が健康増進のためにやるランニングにおいてはそれほど難しく考えなくてもいいかもしれない。新聞屋と違って、何時までには入れないと「新聞がこんな時間じゃあ」とか文句言われることもないだろうから、大急ぎで走ってクルマとぶつかりそうになるということもないだろうし・・・。

『街灯について疑問を感じた話 1』
  1990年代、福島県いわき市に住んでいた時のことだ。アパートの2階の部屋を借りて住んでいたのだが、夜、目が覚めると、窓の上あたりがずいぶんと明るい。あれえ、こんな所に街灯なんてなかったと思ったのだけれどもなあ・・・と思い、窓を開けて見ると・・・・。 そこに、何があったと思いますか?
  そこには、きれいな明るいお月さまが光っていたのでした。 いい所だなあ~あ・・と思いました。いわき市や福島県浜通り地区の生まれの人と話すと、「ここは、な~んもねえ。いわきはな~んもねえ所だ。どうしようもねえ」などと言う人が多かった。なんで、そんなこと言うの。いい所じゃないの・・・と思ったものでした。そこで生まれ育った人からすれば、空がきれいでお月さまがきれい・・・なんて、「どうしようもねえ」と思うのかもしれませんが、大阪で生まれて東京に住んだ者からすれば、そこに街灯が光っているかのように明るく美しく見えるお月さまのある町というのは、すばらしいと思ったもので、なんで、「な~んもねえ。どうしようもねえ」などと言わないといけないのかと思いました。(また、そんなこと思ってるから、そんなこと言って自分たちの所のいいものに気づくことができないようなことだから、だから、原発なんて危険極まりないものを造られてしまうんだよお!!! とも思いました。)
  イソップの寓話で読んだ記憶があるのですが、旅人が旅行をした時、夜になったが、ある街で、お日さまほどまぶしくなくて、星よりは明るくて、夜、歩くにはちょうどいい明るさに照らしてくれるものが空にある。「これは、何というものでしょうか」と尋ねると、「これは、お月さまと言うのです」と教えてもらい、「ぜひとも、私たちの故郷にもこれが欲しい。ぜひ、売っていただきたい」と頼むが、「お月さまは私たちにとっても大事なものですから、売ることはできません」と言われた・・・というお話があったと思います。 いわき市のアパートの窓から「お月さま」を見て、そのお話を思い出しました。たしかに、「お月さま」というのは、お日さまほどまぶしくなくて、星より明るくて、夜、外を歩くには「ちょうどいい」という明るさのものだったのです・・・が、いわき市ではそうであっても、東京においては空が福島県の空ほどきれいではないので、お月さまの光は、夜、歩く者にとって「ちょうどいい」明るさで地表面に届いていないかもしれません。

  福島県浜通り地区でも、分譲地の住宅地では街灯もありますが、昔からの農家なんかですと、山の中にあって隣の家まではある程度離れているなんて所もあり、そういう家に行くには道に街灯なんてありません。 それでも、住宅建築業の営業は訪問するのが仕事ですから、夜道を歩いて、狸なら出ても歓迎するけれども、熊なんてまさか出ないだろうなあ・・、そんなの出たら、「クマっちゃ~うな~あ♪」なんて思いながら、猪も出ないよなあ・・・とか思いながら行きました・・・が、お月さまも出ていない晩、街灯がない道だと歩けないかというと、そうでもないのです。クルマを停めて外に出て、しばらくすると、眼が慣れてきて見えるようになってくるのです。 それで、街灯というのはなくても道は歩けるものなんだなあ、とわかりました。

   街灯なんてなくても道は歩けるものなんだ、福島県の人間の暮らし方の方が東京の人間の暮らし方よりもよっぽど自然に即した本来的な生き方ではないか・・・なんて思ったりしていたのですが、ところが、ある時、町内会の人が私が住んでいたアパートに訪ねてきてこう言ったのです。「はす向かいの学習塾に行く子供の安全のために、街灯を町内会で設置したのですが、町内会に入っていない人にも、街灯の費用を払ってもらおうという話になりまして、それをもらいにきました」・・・と。町内会に入らないつもりはなかったのですが、引越だけでも大変で、引越したらまたすぐ、住宅建築業の営業の仕事は契約を取得しないといけませんから、それに追われてふと気づくと町内会に入らないまま、いわき市で何年か過ごしてしまったのでしたが、「強制ではありませんが、ここに長く住まれるのなら、町内会に入りませんか」と誘ってもらえるのならば、入りました。町内会費がかかったとしても、そのくらいは払ってもいいと思っていたのです。しかし、「町内会への加入のお誘い」で来られたのではなく、町内会への加入は誘ってもらうことはなく、街灯の費用を町内会の会員とともに払ってください、と言われたのです。それって、おかしくないかあ~あ???
   私はおかしいと思いました。おかしいと思いましたが、そこに住んでいて、そこの住人を相手とする営業の仕事をしている者として、何千円かのことならば、あえて、波風を立てない方がいいかと思い、おかしいと思いながらそれを払いました。
  どこがおかしいか、わかりますよね。わかりませんか? わからない方のために説明しましょう。その福島県いわき市常磐下湯長谷町 の私が住んでいたアパートのはす向かいには、私が住んだ時点では学習塾はなかったのです。私が住んで何年か後に、学習塾ができました。福島県は東京や大阪などに比べると進学熱は緩やかですが、進学率が高くないというのと「アホ」というのは同じではありません。むしろ、小学生の時から子供の尻たたいて必死に勉強させて東大でも行かせて、それを卒業する頃になって、「うち、田んぼあるから、百姓継げ!」なんて言ったら、かわいそうでしょ(笑)  うちの父親は、私が高校3年の時、最終的に通るかどうかはさておき、京大・東大くらいの大学を狙えるというくらいの成績を模擬試験で取ったら、「あんた、箕面市役所でも勤めてくれたら一番ええんやけどなあ」とか言い出し、「すべてをすべてをわしのために。すべてをすべて欧わしのために、わしのために。親に感謝じゃ、親に感謝。とってちってたあ」とか言い出しましたが、私が親なら、かわいそうでそんなこと言えません。 むしろ、福島県の多くの親は、いくら、子供の尻たたいて勉強させて、東大でも、そうでなくても「一流大学」を卒業させても、田んぼがあって百姓継がないといけない以上は、最近は兼業農家が多いとはいえ、いわき市に「東大でた人の勤め先」なんてないのだから、せいぜい、いわき市役所か福島県庁いわき出張所か、医学部卒ならいわき共立病院とか、そのくらいであり、東大とか出た息子に「おまえ、うちは田んぼあるから、百姓継げ」なんて言ってやるのはかわいそうだと思うのですが、私の父親とは違ってそう思う人が多かったようで、進学熱はないわけではないが、東京圏・関西圏のサラリーマンの家庭などに比べると「緩やか」なのです・・・が、それでも、学習塾に通わせる家庭はあったのです。その学習塾が、いわき市常磐下湯長谷町の私が住んでいたアパートのはす向かいにできたのです。で、近所の子供が通っているのが見えました。その「子供たち」の安全のためを思って、町内会が街灯を設置したらしいのです。しかし、ねえ・・・。
  もしも、「子供たちのために」ではなく、「誰にとっても必要だと思いましたから」ならわかります。もしくは、「そこの学習塾に行く子供たちのために街灯を設置しましたので、その費用を出してもらおうということになりました」ではなく、「町内会に入りませんか」というお誘いで、その結果、町内会に入り、町内会費を支払ったところ、その町内会費から街灯の費用も出費した、ということならわかります。 しかし、町内会への加入のお誘いはまったくなく、「はす向かいに学習塾ありますでしょ。あそこに行く子供たちの安全のために街灯を設置したんですよ。その費用を出してもらおうということになったんです」などと、おっさんは言うのです。おかしいでしょ。 「はす向かいの学習塾に行く子供たちの安全のために」ということなら、その学習塾に行くか、行かないとしても行ってもおかしくないくらいの年齢の子供のいる家庭に請求すればいいことでしょ。なんで、子供の無い一人暮らしの人間に「子供たちのために」と言って、たとえ何千円かでもカネをふんだくろうとするのですか? いわき市・浜通り地区の人というのは、片方で、気持ちの優しい人が多いと思っていましたし、「お人よし」も少なくない地域と思っていましたが、「子供たちのために」と子供のない者に請求するというあたりは、「なんか、けっこうあつかましい」と思いましたね。
  「はす向かいの学習塾に行く子供たちのために街灯を設置したので、その街灯の費用を町内会に入ってない人にも払ってもらおうということになりました」と、おっさんは言うのでしたが、「はす向かいの学習塾に行く子供たちのために街灯を設置したので」ということなら、そこに行く子供の親が費用を出すか、さもなくば、その学習塾の経営者が費用を出すべきと違うのですか? そう思いませんか? なんか、そのおっさんは「あさっての方向」に費用を請求に来ているような感じがしませんか? 「はす向かいの学習塾に行く子供たち」にとってはその街灯は必要かもしれませんが、私にとっては別に要らないんですよね。なんで、要らない者がよその子供のための街灯の費用を出さないといけないんですか? 「町内会に入っていただけませんか」と言われるのならわかりますが、町内会に加入のお誘いの文句は一言として言わず、町内会には入らなくていいから《「学習塾に行く子供たちのための街灯の費用を出して」いただくことに協力をお願いできませんか》でもなく、《「学習塾に行く子供たちのための街灯の費用を出して」いただくことに決めました》などと言ってきたのでしたが、おっさん、そりぁ、ちょっとあつかましいのとちゃうか?!?!? と思いました。思いませんか???
   その時は気づかなかったけれども最近になって思い出したことがあります。その町内会のおっさんは「はす向かいの学習塾に行く子供たちのために」などと言うのでしたが、なんで、「子供たち」が街灯がつくような夜に学習塾になんて行っているのか? 「子供たち」向けの学習塾というのは、普通、午後5時まで、もしくは、せいぜい午後6時までのものと違うのか? 私が小学校低学年の時、母は「5時までに帰ってきなさい」と言い、小学校の先生も「午後5時までに家に帰りなさい」と言い、私はそれを守って、友達の家に遊びに行っていても午後5時までに家に着くように大急ぎで家に帰ったものでした。多少ルーズな家というのも中にあったかもしれないが、これは我が家だけでのことではない。最近はそういうことを言わないのかというとそうでもない。我が家の近くに船橋市の広報用のスピーカーがあって、「午後5時になりました。子供たちはおうちに帰りましょう」と放送している。但し、夏場は午後5時ではなく「5時半」だったような気がする。私が子供の頃は年間通じて午後5時だったが、昼が長い季節は午後5時ではなく5時半か6時でもいいのかもしれない。私が子供の頃、学習塾というものは、その「午後5時まで」を念頭にして、午後五時くらいまでかせいぜい午後6時くらいまでのもので、午後8時とかにやっている学習塾というのはなかった。 いわき市常磐下湯長谷町のその学習塾は夜けっこう遅い時刻までやっていたが、午後8時とかまでやっている学習塾というのはその学習塾が間違っているのではないのか。もしくは、「間違っている」のでなかったとしても、夜、遅い時間というのは「子供たち」が外にいる時刻ではないはずであるから、それをあえてその時間に学習塾をやるのであれば、その対策はその近所に住んでいる子供がいるわけでもない者が費用を出させられるのではなく、その学習塾が対策を建てるべきものと違うのか? 対策として街灯が必要なら、夜遅い時間にやっている通常でない学習塾もしくはそこに子供を行かす親がその街灯の費用は出すべきではないのか。
   世の中、《「子供たちのために」と言えば、まだ、子供に恵まれない人間、ふさわしい結婚相手と巡り合うことのできない人間は、子供のある人間のために「言うことをきく」と思い込んでいる「子供」帝国主義みたいなおばはん、および、おっさん》がいますが、そのあたり、料簡がちょっと違うように思いますね・・・。

『街灯について疑問を感じた話 2』
  遠藤周作『狐狸庵閑話』に、東京の郊外の狐狸庵と名づけた遠藤周作の山荘(町田市の玉川学園あたりだったように思うが)にも都市化の波が押し寄せ、遠藤さんのお宅にも、ここをこうするために協力願いたいと言ってくる人があったそうだが、都心から多少離れていても自然の残っている所に住みたいと思ってそこに住んだ遠藤さんからすれば、それはむしろ迷惑なことで、「私は、別にそんなことしてもらわなくてもいいのですが」と言うと、「なんですか。あなたは、みんなのために協力する気がないのですか」といった調子で怒られるのだったが、街中でない所に住みたいと思ってそこに住んでいる者に向かって、都市化させたいという人がそれに協力しないと非国民みたいに言ってくるという話を書いていた。
  私としては、船橋市・習志野市は「ここまで来れば戸建住宅に住めるという所」であるとともに、「夜は夜らしい夜である所」でもあったのです。「夜は夜らしい夜である所」でない場所としては、東京都内の繁華街でもマンションはあり、そういう場所に住めば東京都内に勤める者にとっては通勤時間は短く便利・楽ですが、外は夜でも夜て感じの夜ではありません。そうではなく、「夜は夜らしい夜である所」に住みたいと思って船橋市に住んだのです
  又、「星座が見える所」に住みたいという気持ちもありました。中学校の1年だったか2年だったか、「理科 第二分野」で星座について学び、冬の夜、外に出て空を眺め、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。」(高村光太郎『智恵子抄』「樹下の二人」)というように、「あれがオリオン座、あの中ほどの3つの星が・・・」と星座を発見して見惚れて以来、夜空で星座を見るのが好きでした・・・が、「東京の街中」では街灯が明るすぎて星座が見えないのです。 だから、私は「夜は夜らしい夜である所」に住みたいと思って、船橋市に住んだのですが、「星座が見える所」に住みたいという思いもあって船橋市に住んだのです。
  「星座なんて見えなくてもいい」とか「星座なんて見えてもしかたない」とか思っている人がいるかもしれませんが、「星座が見えない夜」というのは、すでに、それは「夜らしい夜」ではないのです。「お月さま」が明るく「星座」が見える夜のある街というのは、それだけ、人間が住む本来の場所のはずであり、そんなものどうでもいいとか思っている人というのは、その分だけ、人間として本来的でなくなっているということなのです。
  私は、公立小学校→公立中学校→公立高校・・・→国立大学に行くつもりだったが、何の因果か私立大学に行ってしもうた・・という人間ですが、公立中学校の理科では星座の話とかやっていたのです。それに対して、開成高校とかそういう「私立受験校」出身者というのは、「そんなもの、何の価値があるんだ」という認識の人が多く、そういう私立6年制受験校出身者には「大学の入試に出るものは価値がある」「大学の入試に出ないものは価値がない」というそういう物差しでしか思考できない人が多いようです・・・が、公立中学校・公立高校出身者として私は確信しています。星座を見よう・星座を見たいという気持ちを失ったような人間なんて、すんなり東大に通ったやつにしても、浪人しても一橋大あたりまで落ちて慶應なんて行ったような落ちこぼれにしても、そういう私立6年制受験校出身の人というのは自分たちはエライという意識を持っている人が多いけれども、他の部分についてどうかは別として、その部分については「ちっぽけな野郎だなあ」という気がします。

  船橋市の我が家の近所に「市役所大好き人間」のおじいさんがおられまして、ある時、「街灯が明るくなったでしょ。私が市役所に言って、今までより明るくさせたんだ」と言われたのでしたが、言われてみると、それまでよりも街灯が明るくなりました。それで、私は言ったのです。「今までの街灯の明るさでも十分に見えたし、十分に道を通行できたし、夜は暗いものであって、ここは船橋市の住宅地で銀座の大通りみたいに明るくしてもらう必要はないことで、街灯はあっていいと思いますしあった方がいいと思いますが、私は今までの街灯の明るさでいいと思います」と。すると、おじいさんは怒りだしたのです。「勝手なこと言うんじゃない! 子供たちのために、街灯は明るくないとだめなんだ」・・と、ここでも「子供たちのために」というのが登場するのです・・・が、「子供たちのために」でも「にーちゃんねーちゃんのために」でも「じいさんばあさんのために」であれ、それまでの街灯が暗くてそれが原因で犯罪が起こるということならよくありませんが、そうでもなかったわけです。「私は街灯はあっていいと思いますが、そこを通行出来て特に支障がないのならば、夜は暗いものですから、必要以上に明るくする必要はないと思います」と言ったのです。又、すべての家のすべての窓に雨戸があるわけではなく、我が家の場合は雨戸のない窓のすぐ横には街灯はないので助かっているのですが、明るすぎる街灯のすぐ横に雨戸の無い窓のあるお宅では「夜なのに室内の照明を消しても明るい」という状態になっているのではないでしょうか。(栃木県佐野市に住んでいた時、現在は佐野市になった旧田沼町の道を、夜、クルマで走っていた時、ハイビーム(ライトを上向き)にして走ると、雨戸のない家に迷惑だろうと思って下向きにして走っていたところ、ハイビームなら見えたが下向きライトでは見えない位置に「一時停止」の標識がついていて、知らずに進んだところ、向こうの道にぱとかーが隠れていて「一時停止義務違反」でカネとられたということがありましたが・・・) ところが、「市役所大好き人間」のおじいさん(市役所とか東京電力・NTTといったところは「市民から問い合わせがあった場合には対応しなければならない」ということになっているらしく、民間企業なら、営業にマイナスになるから嫌がられるものでも、「親方日の丸」の「営業のない会社」は相手にしてもらえるらしい。又、「営業のない会社」でも市役所と違って警察は行っても面白い所ではないし、あまりしつこくすると「公務執行妨害」とか言われる危険もあるので、おじいさんも警察にはあまり行かないようです)は、「勝手なこと言うんじゃない! 子供たちのために街灯は明るくないといけないんだ。どういう明るさにするかは私が決めるんだ。」と言って怒られたのです。怒られたのですが、しかし、なんで、私は怒られなければならないのか? そのおじいさんの息子は私より少し年上か少し年下かというくらいの年齢ですが、私はそのおじいさんの息子(私と同年代か?)に説明してほしいのです。なんで、私はそんなこと言って怒鳴りつけられなければならないのか? なにゆえ、私と同年代かと思われる息子のお父さんはそういうことを言って私に怒鳴りつける権利があるのか? 「私が決めるんだ」とおじいさんはおっしゃるのですが、しかし、我が家はその方の地所に住ませてもらっているのではないのです。私は、一度、船橋市役所の人間に言ったことがあるのです。「もし、その地域の住人に意見をきくのなら、××さんを窓口にして意見をきくのではなく、自治会長さんを窓口にして意見をきくようにしていただけませんか」と。その地域の住人が、たとえ、星座が見えなくなっても、それまでよりも明るい街灯を希望するのならば、それならばしかたがないのかもしれませんが、「私が決めるんだ」と決められても、なんだかなあと思いますが、働かなくても食べて行ける前期高齢者には勝てませんから我慢していますが、その地域の住民に意見をきくことなく、「私が決めるんだ」と決められて変更されてしまうというのは、あんまりうれしくありません。

  それで・・・、北道路の我が家は、北側、道路側では星座は見えなくなったのですが、南側は、南側隣家は特別に光りませんから、船橋市の空は福島県の空に比べるとそれほどきれいではないけれども、明るい街灯の北側よりはまだいくらかは星も見えたのですが、そこに作られているのが先にも写真を掲載したやつ、
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なのです。
  雨が降った直後とか空がけぶっている時ですと ↓、
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( ↑ 2020年1月上旬 撮影。)
↑ こんな感じです。 左の中層マンションの影響もありますが、けぶっているので「津田沼 ザ・タワー」そのものは見えませんが、「夜光る 津田沼 ザ・タワー」の周囲は、ぼわああ~っと明るくなってますでしょ。 なんで、こんなことしたがるのですか? なんで、こんなことしないと気がすまないのですか???

  「津田沼 ザ・タワー」が建造されだす前、↑ の写真の左のマンションについても思っていたのです。↑ の写真は、左のマンションについては北面です。 戸建住宅の場合は、北側には大きな窓は配置されない場合が多く、窓があってもすぐ北側の隣家のことも考慮してそれほど開けないようにしているお宅もあります。 ところが、↑の左のマンションなどは、南側にベランダを取り、南側のベランダに室内から出られるようにしてあるはずで、そういう配置のマンションは多く、その結果、通路は北側にあって、マンションの各室には北側の通路から出入りすることになるのです。戸建住宅なら北側を主たる通路とはしないことが多いのに対し、東西に長いマンションでは南側にベランダを取って部屋からベランダに出入りするようにして、通路は北側になることが多く、その通路を、屋外に開放型のものにした上で、夜間でも安全に通行できるようにしようと照明を明るくすると、↑の写真のようになるのです。
 「津田沼 ザ・タワー」ほどではないけれども、これも迷惑な話だなあと思っていたのです。 船橋市・習志野市は戸建住宅とマンションがともにある市であり、マンションを建てて悪いとまで言うつもりはありませんが、しかし、戸建住宅も建っている場所東京都内でマンションが建つ場所というのは多くが「もっぱらマンションが建つ場所」であるのに対して、船橋市・習志野市ではマンションが建つ場所というのは「マンションと戸建住宅の両方が建つ場所」であることが多いという点があるのですが)ではこのマンションの設計者・運営者は、自分たちのマンションの住民だけが良ければいいという発想ではなく、北側の住民に対する影響というものも考えて計画するべきで、それができていないという点において、このマンションの設計者は一級建築士ではあっても一流建築士ではありません。
  東西に長いマンションでは南側にベランダを取って居室からベランダに出入りできるようにし、北側に通路をとって北側の通路から各室に出入りするように配置するようにしやすいでしょうし、通路は夜でも安全な明るさにもしたいでしょうけれども、同時に、傍若無人に北側を照らすことにならないように配慮もまたする必要があるはずですが、↑の左側のマンションの設計者はそういう工夫、そういう配慮をまったくしていないのです。私は、「もしかして、『建築学科でた』て人間てアホばっかりてことないかあ???」と思うことがあるのですが、マンションの北側の通路を入居者に安全な明るさを確保しながら、同時に北側の住民から夜を奪うことがないように、その両方を配慮して設計するというのは、片方ならともかく、両方を満たすというのはけっこう難しいかもしれませんが、それを工夫するのがそれが「設計者」というものではありませんか。それが「設計者」の能力を発揮するべきところ、「設計者」の実力の見せどころと違うのですか? 片方だけなら、そんなもの、「アホでもできる」のです。 片方しか考えていない↑の左のマンションの設計者というのは、「それはしかたがない」とか、建築基準法を守っているという「法律さえ守ればやったもん勝ち」みたいなことを言い出すかもしれませんが、そういう品の無い態度はいただけません。「私は、設計者としては無能です」と言っているのとたいして変わらないことになります。

  ↑の左のマンション以上に異常なのが、「津田沼 ザ・タワー」です。高さだけでも迷惑なのに、なぜ、夜、光らせるのでしょうか?
  このままいくと、もし、「津田沼 ザ・タワー」が完成して、人が入居したならば、居室に照明をつければ、それだけで、この岩山は巨大な照明塔と化すでしょう。それが、その地域の住民にどれだけ迷惑か・・なんて、
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html で述べました。
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↑ 「設計者」の株式会社フジタ一級建築士事務所 の一級建築士の赤木寛さん、考えませんか? それとも、逆に、考えてなるものかとか思っているのですか???  一級建築士と一流建築士を取り違えている人というのが日本には時々いますが、もしも、まともな「設計者」ならば、単に建つだけでも迷惑な高層の人工の岩山ですから、夜間、周囲を照らす照明塔にならないようにという工夫を考えるくらいは「設計者」としてやるべきことだと思いませんか?

   だいたい。 戸建住宅においては、南側には窓を大きくとりますが、北側には窓はそれほど大きくはとらないことが多く、たとえ、北側に窓をとっても、北側隣家を配慮して、北側の窓は、普段、それほど開けないという家が多いのです。ところが、この「津田沼 ザ・タワー」にはそういう配慮がまったくない。
   習志野市の「選考委員」には、千葉工業大学の建築学科の教授⇒名誉教授の山本明さんが「委員長」になり、助教⇒准教授の倉斗綾子(くらかず りょうこ)さんも「委員」になっていたはずですが、建築学科の教授・准教授というのは、こういうこと、考えたことないのでしょうか? そんな建築学科、大丈夫か??? そんな「大学」、大丈夫か???

  「津田沼 ザ・タワー」は、なぜ、夜、光るのか? 購入者が入居して、室内に照明を点灯した場合に、この岩山は、その周囲、相当広い範囲を照らす照明塔となり、船橋市・習志野市の市民から夜を奪うことになることが考えられ、当然、このマンションの事業者・設計者・施工者、それに「選考」した「選考委員」の副委員長の習志野市商工会議所会頭とか、委員長になっていた千葉工大建築学科名誉教授の山本明さん、委員になっていた准教授の倉斗綾子さんは、当然のことながら、船橋市・習志野市の市民から夜を奪うことにならないようするための配慮をしないといけません。まさか、何も考えていないなんて言わないですよね。「いっきゅうけんちくしいい~い!」の赤木寛さん、まさか、「何も考えていません」なんて言わないでしょうね。 建築学科の名誉教授の山本明さん、准教授の倉斗綾子さん、まさか、「何も考えてません」なんて言わないですよね。「な~んも考えとれへん」なんてそんな建築学科教授・名誉教授・准教授なんて、そんなおかしな大学教員ありませんよねえ、いくらなんでも。そうですよね、山本明さん、倉斗綾子さん。
  とりあえずは、私は、この「津田沼 ザ・タワー」については、11階以上の階においては、日没後は、すべての居室において、照明を点灯する場合には雨戸を閉めるか、もしくは暗幕をするか、いずれかを必ず履行するというようにしていただきたいのです。「津田沼 ザ・タワー」の購入者に、船橋市・習志野市の先住住民から夜を奪う権利なんてないはずなのです。 11階以上の階の入居者には、日没後は、居室に照明を点灯する場合には必ず雨戸を閉めるか暗幕を閉めるかするという方法以外の方法で、船橋市・習志野市の市民から夜を奪うことを防止することができるのならば、その方法を明示してもらいたいのです。一級建築士の赤木寛さん、「いっきゅうけんちくしい~い」と言いたがる人というのは、その多くが「一級建築士」のことを「一流建築士」のニュアンスで言いますが、赤木寛さんがそうかどうかはわかりませんが、ともかくも、一級建築士の試験に合格して登録した人なら、このくらいのことは考慮しますよね。「大学」の建築学科の教授⇒名誉教授の山本明さん、助教⇒准教授の倉斗綾子さんも、このくらいのことは考えて「選定」していますよね。考えていないのなら、そんな人を建築学科の教授⇒名誉教授、助教⇒准教授にならせているような「大学」の建築学科というのは、どう考えても、” エセ ” ですよね。そんなの大学じゃないですよね。違います?????

  ましてや、「購入者」が入居もしていないのに、外壁が、夜、光るなどというのは論外ですよね。赤木寛さん、一級建築士ならこのくらいのことはわかりますよね。山本明さん、倉斗綾子さん、建築学科の教員なら、このくらいのことはわかりますよね。このくらいのことも理解できないとなると、そんな人が建築学科の教授⇒名誉教授、助教⇒准教授になっている千葉工業大学https://www.it-chiba.ac.jp/ という「大学」て、そりぁ、いったい何だ?!? それは大学なのか?????  そんなイカサマを大学と言っていいのか????? ということになりますよね。

  我が家の近所の道の街灯は、私は明るすぎると思っています。街灯はあっていいと思いますし、あった方がいいと思っていますが、これほど明るくなくてもいいと思っています。しかし、どのくらいの明るさが最適かということについては、人によって感じ方に違いはあるでしょうし、今くらいの明るさがいいと思う人もいるかもしれません。もしも、今くらいの明るさがいいと思う人が多いのであれば、それでいいと思います。しかし、それでも、「星座が見えるくらいの明るさ」を希望している人間がいるということは覚えておいてほしいとは思います。
  街灯については、「銀座か新宿の通りみたいに明るい街灯でなくていい」と私は思っていますが、「明るい方がいい」という面もあるかもしれません。しかし、「光る津田沼 ザ・タワー」なんてのは、船橋市南東部の住居系用途地域の住民にとってはマイナスはあってもプラスは何もないのです。
  「星座なんて見えなくてもいい。テレビが見れればいい」とか思っている人がいるかもしれませんが、私、テレビは見ないんです、昔から。インターネットで見えれる動画に入っているものは見ますけど。 「星座を見たい人間」と「テレビを見たい人間」なら「テレビを見たい人間」の方が多いかもしれませんが、絶対にテレビを見るなとまでは言いませんし、私だって絶対に見ないとまで考えているわけではありませんが、「星座を見る心情」と「テレビを趣向する体質」とどっちがいいか、どっちが大事かというと、私は「星座を見る心情」の方が大事だと思っています。 「星座なんてどうでもいい」とかいうそういう感覚はやめてほしいんですよね。千葉工大名誉教授とか千葉工大准教授とかいう人、どうでしょうか? 大学教員というと「教養人」とか「知識人」とか思い込む人いますが、「星座なんてどうでもいい」とか思っているのなら、私はそんな人を教養人とか考えることはできませんね。 「光る 津田沼 ザ・タワー」なるものを「選考」した「委員長」の千葉工大名誉教授の山本明さん、「委員」の千葉工大准教授の倉斗綾子さん、あなたたちは船橋市南東部の住居系用途地域の住民から夜を奪うことに快感を覚えるのですか? そういう性癖の人なのですか??? 千葉工大という言っちゃなんだが「バカでも入れる私大の建築学科」はそういう性癖の人を教授⇒名誉教授・助教⇒准教授に雇っているのですか???
  念のためお断りしておきますが、私は「バカでも入れる私大」というのを必ずしもバカにしていないのですよ。なぜかというと、そういう評価の高くない私立大学であるから、そうであればこそ、「企業努力」をして特色を出そうとしている「大学」というのがあると私は思っていますし、又、「幼稚園みたいな短大」「小学校みたいな大学」が増えていると言いますが、そんな「大学」であっても、それを卒業してきた人を見ると、そんな「大学」であっても、「高卒を自慢にしているおっさん」なんかと比べると、「『大学』でてきたというだけあるなあ」という人がいると思っているのです。だから、「バカでも入れる私大」であっても「必ずしもバカにしたものではない」と思っているのです・・・。但し、片方で、私は、自分が高校を卒業した頃、もしも、京都大学の工学部建築学科を受けたとしたら通ったか、東京大学理科一類を受けたら通ったかというと、それはわからないけれども、しかし、「ともかくも国立大学の建築学科」というくらいなら合格できた大学はあった可能性が大きいと思っています。しかし、我が家は「うちは工学部なんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」という家庭でしたから、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言ってもきいてもらえませんでしたし、工学部建築学科に行くということは相当困難でした。「バカでも入れる美大の建築学科」なんてそんなもの、受けさせてもらえる可能性なんてあるわけありませんでした。「おまえ、アタマおかしいのとちがうか」と言われるのがオチでした。慶應大学の商学部を卒業した後、建築業の会社につとめると、それがまた、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人間てのがえらそうにしていること。「学校でているから」とかそいつらは言うのですが、そういう連中を見ると、「バカでも入れる私大の建築学科」なんてそんなもの、大学と言えるか、このバカ!!! とでも言ってやりたい気持ちになったものでした。 そもそも、我が家なら、東京工大の建築学科しか行けないくせしてからに、大学うけさせてもらえるなんて、我が家ではありえないことでした。それを行かせてもらえた人って、ほんっと~に、うらやましい!!! どうも、建築業界というのは「建築学科卒」という人間がえらそうにしている業界で、社会科学系学部卒で入った人間はむかつくことがしばしばある業界なのですが、それだけ、えらそうにするのなら、えらそうにする人だけのことをやっていただかないと困るんです。えらそうにするだけが能のバカは「困るんです」。 千葉工大教授とか准教授とかになって、バカが学生に「移るんです」なんてやってもらっては、なおさら「困るんです」。

 千葉工業大学の建築学科で、
「『(バカが)移るんです』は『困るんです』」。


  「津田沼 ザ・タワー」のような非常識なものを傍若無人に建てて、「やったもん勝ち」でいるつもりなのか? と思われる人間がいるようですが、もしも、法的にどうもできない・・、法的にどうもできないものでもその地域に住んでいこうということならば先住の住民との調和を考えてやるものだと思うのですが、そういう姿勢か完全に欠落している「津田沼 ザ・タワー」の事業者・設計者と購入者に対しては、法的にどうもできないのであれば、↓
「テロリスト」がアメリカを憎む理由
「テロリスト」がアメリカを憎む理由
↑ のようなことでもするしかどうしようもないということでしょうか???  私はたとえやろうと思っても↑みたいなことをやる能力はありませんが、「やったもん勝ち」の姿勢で進める三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動産(株)・(株)オリジナルワーク・(株)フジタと習志野市役所・千葉工業大学の人たち、その姿勢は日本国民として好ましい姿勢と言えますか???
  千葉工業大学という私立大学は、このような進め方をする人を名誉教授・准教授としているのですが、それが「建築学科」ですか???

  私は、「底辺の方の大学」であっても「工夫をして特色を出そうとしている私立大学」はあるし、そういう大学でも卒業してきた人の中には「高卒が自慢のおっさん」よりよっぽど優秀な人というのがいると思っているのですが、「やったもん勝ち」で進める建築学科教授・准教授の大学というのは、そういうのは評価したくありませんね。読んでくださっているあなた、評価したくありませんでしょ、そんな大学は!!!

  (2020.1.11.)

☆ [おまけ]として掲載していた「私にとって千葉工大とはどういう大学か」は、別稿、[第481回]《私にとって千葉工大というのはどういう「大学」か。千葉工大のヤツには東京‐大阪間を新幹線に乗せて私には普通運賃しか払わなかった不公平な会社、「ラーメンは地球を救う」と言えみたいなこと言わそうとする営業課長。》https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_7.html に移しました。

☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201905/article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場
「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンション https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_1.html
[第468回]「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_3.html
[第469回]「本人訴訟の一般人には相当大きく安全側に要求し、弁護士にはよほどのことがないと」の裁判所書記官の対応と、「三菱」「三井」「野村」の言うことならきくのか? 独立自尊の精神に欠ける習志野市建築指導課!https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_4.html
[第470回]都市計画法による用途地域の趣旨を守るために建築基準法の規定があり、逆ではない。マンション屋の為の都市計画課なら存在価値はない。岩山マンションによる環境悪化・財産価値低下に補償することもせずに「意見の違い」など認められない。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_5.html
[第471回]船橋市各所から見た「津田沼 ザ・唯我独尊タワー」船橋市各所から南方に岩山として眺望を妨げ、同類が建てば通風も妨げると思われる「津田沼 ザ・タワー」。なにゆえ、市民はこのような遮蔽物を人工的に造られねばならぬのか!?! https://tetsukenrumba.at.webry.info/201908/article_1.html
[第474回] 権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201911/article_1.html
[第478回] 富士山のそばに人工的岩山を造られても国民は文句は言えないか? 夜空を照らす照明塔岩山マンションははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_1.html
[第479回] 3階建か4階建の建物を前提に規定された数字を160mを超える岩山建造に適用は不適切。権威づけ神輿の建築学科教授山本明氏・倉斗綾子氏はこの程度のこともわからないのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_3.html
[第480回] 夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。〔今回〕
[第482回]「津田沼 ザ・タワー」の「容積率緩和」適用は制度の趣旨に反する。「仲よし幼稚園跡地活用事業」「審査委員」の選定は八百長か。商学部経営学部系教員を選考委員に入れないのは、八百長計画に異議を唱えさせないためなのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_6.html
[第483回]「津田沼ザ・タワー」の侵害に「権利意識の欠如」状態になってはならない。「相互主義の原則」として習志野市の商店での買い物は控えましょう。「言ってもだめよ」はファシズム傾向と理解せよ! 「専門家」信仰は山本明氏のような権威主義者の思うツボ!https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_8.html
[第484回]「津田沼ザ・タワー」は北側に大きな窓を設ける権利がなぜあるのか? 夜、光らせる権利がなぜあるのか? 及、猫の頭なでるだけなでて糞や小便を他家の庭やガレージでさせる猫の飼主は横暴ではないか。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_9.html
[第485回]「津田沼ザ・タワー」”最高のロケーション”と称賛する「投資家カズのトレード日記」は精神病理学上の問題ではないかとすら思える。邑楽タワーの失敗と「津田沼ザ・タワー」の居直り。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_10.html
[第486回]「津田沼ザ・タワー」に反対はあっても賛成はありえない2つの理由。60年安保闘争には2種類の反対があった、て知ってますか。「大学教授」であっても「知識人」ではない千葉工大の大学教授。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_11.html
[第487回] 地下鉄と「高層マンション」は文明ではない。モンパルナスタワー・ナポリ副都心に該当する配慮は見られない「津田沼ザ・タワー」。「津田沼ザ・タワー」は建築学科課題としては落第点である。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202002/article_1.html
[第488回] 「津田沼ザ・タワー」はパチンコ屋みたいに、夜、光りだしたが、パチンコ屋より傲慢。屋上のペントハウスを光らせて、マンション屋と「購入者」は何か得するのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202002/article_2.html
「慎腹風呂愚」
[第759回]《高山の町並にて。「和風のドーマー」は違和感なく存在。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。—高山の町並みにて(1)》https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_10.html?1584263851

☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_2.html

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
「慎腹風呂愚」
[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_27.html

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_11.html 
で述べました。 
高村光太郎詩集 (岩波文庫)
高村光太郎詩集 (岩波文庫)
狐狸庵閑話 (新潮文庫)
狐狸庵閑話 (新潮文庫)
はじめての天体観測 (天文すいせん図書)
はじめての天体観測 (天文すいせん図書)
ギリシア神話 (岩波文庫)
ギリシア神話 (岩波文庫) 

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