明治学院礼拝堂と記念館・インプリー館。聖書重視福音主義vs洗礼献金重視YMCA。不当要求を同僚にする者を注意しない保護義務違反会社。クルマの運転について公平性に欠ける会社。人種差別主義につながる予定説。

[第477回]
  明治学院大学https://www.meijigakuin.ac.jp/ というのは東京都にあるものだと思っていたら、東京都港区にあるのは専門課程と明治学院高校で、教養課程は横浜市戸塚区にあるらしい。〔明治学院大学HP キャンパス案内https://www.meijigakuin.ac.jp/campus/ 、白金キャンパスhttps://www.meijigakuin.ac.jp/campus/shirokane/ 〕慶應と同じく、「東京の大学」のように見えて「半分は神奈川県の大学」のようだ。東大だって、千葉県柏市にもあれば、千葉市のJR「西千葉」駅・京成千葉線「みどり台」駅近くに千葉大のキャンパスの一角をぐいっと、まさに「東京帝国主義大学」て感じで「進出」ではなく「侵略」したみたいな部分(生産研究所)もあるのですが、学生が通うキャンパスは駒場と本郷のはずでいずれも「東京都」に属していますが、慶應と同じく、明治学院は学生が通う校舎も半分は東京都で半分は神奈川県のようです。
  明治学院大学と名称が似ている明治大学は東京都千代田区のJR「お茶の水」駅の南側にあるのがそうだと思っていたのだけれども、これも他にもあるようだ。お茶の水駅の南側の明治大学は、片方で「お茶の水界隈では駿台予備校の生徒の方が明治大の生徒よりえらそうにしている」なんて言われていたけれども、東大の本郷・駒場、慶應の三田・日吉や早稲田大、あるいは千葉大などと同様、「キャンパス」というものがあってその中に校舎が建つという大学らしい構成で、自分が行った学校ではないが、前を通った時など、キャンパスの構成については良さそうに思っていたのだが、ふと気づくと、「建築家」と称するおっさんが、オフィスビルみたいな高層ビルに建て替えてしまった。オフィスビルみたいなビルというのも、大学の教室が不足した場合のサブの建物として近隣に持つのは悪くはないと思うが、昔からの「大学らしいキャンパス」を壊して「オフィスビルみたいの」にしてしまうというのはいかがなものかと思いますね。
  明治学院大学HPの「明学について 沿革」https://www.meijigakuin.ac.jp/about/history/milestone.html を見ると、
1863(文久3)年   J.C.ヘボン夫妻が横浜に明治学院大学の歴史的起源となるヘボン塾を開設。
1877(明治10)年9月  アメリカ長老教会アメリカ・オランダ改革教会及びスコットランド一致長老教会の3教会合同(日本基督一致教会)による東京一致神学校が築地居留地に設立された。
1880(明治13)年4月  ヘボン塾が築地居留地に移転して築地大学校と改称し、J.C.バラが校長となった。
1886(明治19)年6月  東京一致神学校、東京一致英和学校および英和予備校を合併して、名称を「明治学院」とした
東京一致英和学校は、築地大学校と横浜のアメリカ改革教会経営の先志学校が合併してできた学校。
英和予備校は、神田に開いた東京一致英和学校の予科。
1887(明治20)年1月  東京府から私立明治学院の設置が認可され、現在の白金の地にキャンパスが開かれた。
1889(明治22)年10月  J.C.ヘボンが初代総理に就任。
1907(明治40)年 島崎藤村作詞により校歌を制定(作曲者 前田久八)。
・・・と出ている。
   山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)所収の「ヴォーリズが建築計画に関与したミッション・スクール」の表には、明治学院は、日本基督教団の日本基督教会合同系で、(PU)(RCA)という「外国ミッション」に分類されており、「合同系」の同じ分類の(PU)(RCA)には、梅光女学院という学校の名前があります。インターネットで検索したところ、梅光学院HPhttp://www.baiko.ac.jp/ によれば、山口県下関市にあるようです。山形政昭監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社)所収の「ヴォーリズが建築計画に関与したミッション・スクール」の表では「梅光女学院」となっていますがインターネット上のホームページでは「梅光学院」となっており男子学生の写真も写っていますから共学になったのかもしれません。 PUとは、Presbyterian Church in the U.S.A. (アメリカ長老教会)で、RCA とは、Reformed Church in America Dutch (アメリカ・オランダ改革教会)で、「プレスビテリアン系」にはPresbyterian Church in the U.S.A. (アメリカ長老教会)の学校には女子学院などがあり、プレスビテリアン系には他に(CP)Cumberiand Presbyterian Churchがあって学校としては大阪女学院があり、「ダッチリフォームド系」の(RCA) Reformed Church in America Dutch (アメリカ・オランダ改革教会)にはフェリス女学院があるようです・・・が、こんなこと言うと怒られるかもしれませんが・・・「結局、なんやようわからん」て感じ・・・。ごめんね。長老教会系のがいくつか合体してできた学校・・て感じ・・かな・・?
※ 《ウィキペディア―長老派教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%80%81%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A
※ 《プレスビテリアン(長老派)Presbyterian スコットランドのカルヴィン派の称。その教会組織が語源。》
長老制度 カルヴィン派の教会制度。上部から任命の監督(司教)をおかず、牧師と、これを補佐する信徒代表の長老とで教会を運営する。福音主義と予定説の現実制度化で、カトリックや各国王から敵視された。》
福音主義Evangelicalisum 信仰は聖書を基準とし、救済は信仰によってのみえられるとするプロテスタントの主張。》
予定説Lehre der Pr ädestination  魂の救済は、人間の意志によるのではなく、神によって最初から決められているというカルヴィン独特の考え。そこに生まれる信徒の精神的な緊張のなかから、人は自己の職業を神より与えられた天職として、禁欲的に勤労すべしとする職業倫理が発展し、結果としての(”目的として”ではない)利得が容認された。新興の勤労市民層によって圧倒的に信奉された。》
( 全国歴史教育研究協議会編『新版改訂 世界史用語集』1975新版 、1978新版改訂第10刷。 )
   1970年代後半、大阪府高槻市にあったYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種についていた藤井という「敬虔なクリスチャン」が「聖書みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん。聖書なんて読まんでもええんや、聖書なんて。聖書なんて読まんでも、洗礼うけて・日曜ごとに教会に行って礼拝にでて・献金はらっておけばそれでええんや、それでえ! 聖書なんてあんなもん読むもんと違う! たとえ、読むにしても歳いってから読んで、『はあん、そんなもんか』と思えばそれでええことであって、若い頃に読んではいかん! ましてや、そこに書かれていることを実行しようなんてまかり間違っても絶対に考えてはいかん。聖書なんてあんなもん、ええことなんて何ひとつとして書いてないんやから、何ひとつとして!」と始終言っていたのだが、そういう人のことを「敬虔なクリスチャン」と言うらしいのだが、どうも、「信仰は聖書を基準とし」というカルヴィン派の「福音主義」と 「聖書みたいなもん、読んではいかん。あんなも~ん! 聖書なんて読まんでも、洗礼うけて・日曜ごとに教会に行って礼拝にでて・献金はらっておけばそれでええんや」というYMCAの「洗礼・礼拝・献金」の「クリスチャンの3大義務」さえはたせば「聖書なんて読まんでもええんや。あんなも~ん!」という「洗礼・礼拝・献金が大事で『聖書は読んではいかん』」というYMCA藤井主義とは、思想的に正反対のもののようである。私は「人は洗礼・礼拝・献金によって義とされる」「聖書なんて読んではいかん」というYMCA派・藤井説よりも、「信仰は聖書を基準とし」というカルヴィン派の考え方の方をとりたい・・というよりも、『聖書』の考え方からいくとそうなるはずで、『聖書』の考え方からいくとYMCAの「敬虔なクリスチャン」というのはキリスト教とは何の関係もない存在のはずなのだ・・・が、そういう人のことを「敬虔なクリスチャン」と言うらしいのだ。私は「敬虔なクリスチャン」というのがあんまり好きではないのだ。
   YMCAの藤井は「聖書みたいなもん、あんなもん、読んでええことなんて何ひとつとして書いてないんや、あんなも~ん! 聖書なんて読んではいかん」と言いまくるだけあって、藤井が「キリスト教」と考えているものは『聖書』の内容とは一致しておらず、かつ、『聖書』の内容と何の関係もないものを「キリスト教」の考え方と信じていてそれを「伝道」することがしばしばありました。そういう人のことを「敬虔なクリスチャン」と言うらしいのですが、そもそも、「敬虔なクリスチャン」というのはキリスト教徒なのでしょうか? どうも、疑問に思うのですが、こういうことを言うと、「慶應タイプのクリスチャン」ですと「せんえつ~う!」とか言うのではないかと思います。「慶應タイプのクリスチャン」だと、そういう疑問を感じるのは「僭越だ」とか考えるでしょう。 「僭越だ」とか言って、自分自身で考え自分の考えを発言する姿勢を否定する態度のことを「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「慶大生らしいスマートさ」とか「思考が柔軟」とか言い、私がここで疑問を呈したようなことを言う者は「自我が確立されていない」とか「アイデンティティーを持っていない」とか「独立自尊の精神がない」とか「未成熟」とか「適応障害」とか「外罰的性格」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「なんちゃらかんちゃらシンドローム」とか「診断」されることになるでしょう。怖い、こわい、怖い、こわい!!! 「慶應タイプの心理学者」とは関わらんのが一番!
   同志社大学に行って洗礼を受けたらしい父は「クリスチャン」だけあって「予定説」を信仰していたようで、生前、「天の神様は大変賢明なお方であって、この世の中は、自分ではやらずに人に命令する人間ばっかしでもあかんし、人に命令されてせっせせっせとやる人間ばっかしでもあかんのであって、両方の人間がおってこそ成り立つもんでやなあ、天の神様は、生まれる時点で人間を2種類にはっきりと分けて御造りになっておるのであ~る! 即ち、人を支配し・人に命令し・人に号令かける民族・階級と、常に人から支配され・人に命令され・人に号令かけられるべき民族・階級とがおってこそ成り立つのであって、生まれる時点ですべての人間はこの2種類に分けて生まれてきておるわけで、わしいはドイツ人として生まれてきた人間で人に命令し人に号令かけなければならないという神の使命を受けてうまれてきた民族、あんたあはチャンコロとして神様から作られた人間で人から命令されて人に号令かけられるのが向いている民族。わしはドイツ人で慶應の民族、あんたはロスケでイタコでチャンコロで浪商の民族。すべての人間はこのように天の神様から生まれる時点で、一生どういう人生を送るべきか決められて生まれてきておるのである。これを変えようなどと思っても、決して変えることはできないし、天の神様はそれを変えようなどと考える不心得者を決してお許しにはならぬぞ、チャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロっ! わかっとんのか、浪商! この浪商めが、チャンコロっ!」と私の眼を突き刺すように、もしくは、鼻を突きあげるように指さし、「あんたは号令かけられることが何よりもうれしいねん。そ~れ、てってこっこテッテテッテらったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん! い~ちおく火の玉あ~あ! とってちってたあ~あ! どうじゃ、うれしいやろ、チャンコロ! うれしい言わんか、チャンコロっ! うれしいやろ、どうじゃ、うれしいじゃろ。喜べ喜べ、チャンコロちゃんころ、喜べ喜べ、チャンコロちゃんころ!」と叫び続けたのであった・・・が(⇒《YouTube-ワルキューレの騎行》https://www.youtube.com/watch?v=TR8Hb1itdhc )、そういうことを言われると、言われた側としては、
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)
 階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)
 反逆は正しく、抑圧は間違っている(造反有理)
 革命は無罪である(革命無罪)」 とでも言いたくなってくる。
「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」
(イェーリング『Recht(権利=法)のための闘争』に引用されたカントの言葉)
「たて、奴隷となるな、我が人民!
 我らの血肉で築こう、新たなる万里の長城を!
 お叫びあげて、いざ闘わん。たて、たて、たて!」
(ロバート=ペイン『毛沢東』角川文庫 所収、中華人民共和国国歌 )
という思いをするようになったものだ。「民族でもそうやろ、ドイツ人とかアメリカ人というのは神様から人を支配し命令し号令かけることを使命として生まれてきた民族、チャンコロは常に支配され命令され号令かけられるために神様に作られた民族。神様の命令にそむいてはならぬぞ、チャンコロ! わかっとんのか、チャンコロ! わしはドイツ人で慶應の民族、お~ま~え~はロスケでイタコでチャンコロの民族、おまえはチャンコロの民族で浪商の階級。民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな!」と毎日毎日言われ続けてきたものだったが、毎日毎日そう言われてきて、そして、ドイツ人と慶應が嫌いになった(慶應は小学生の時から嫌いだったが、ドイツとドイツ人はもともとは嫌いではなかったが嫌いになった)。
「不忘民族恨(民族の恨みを忘れるな)」
「不忘階級苦(階級の苦しみを忘れるな)」
「造反有理(反逆には理由がある)」
「革命無罪(革命は無罪である)」
と常に思うようになった。 「福音主義」の方はもっともだと思うが、「予定説」については認めがたい。「おまえは命令される階級・号令かけられることを喜ぶ民族として神様から作られた人間である。決して神様が決められたおきてに逆らってはならぬぞ、チャンコロ」という「予定説」に対しては、「造反有理(反逆には理由がある)(反逆は正しく抑圧は間違っている)」「革命無罪(革命は無罪である)」という答えが返ってくる。 人種差別主義者リヒャルト=ワグナーの音楽は全般に悪趣味だと思う。 「予定説」といった主張が出てくるあたり、人種差別主義の考え方につながる要素がドイツにはもともとあったのか・・? とも思える。もっとも、旅行先でであった実際のドイツ人というのはそんな感じではない人の方が多かったのだが・・・。

  明治学院の「白金」キャンパスは住所としては、東京都港区白金台1-2-37 らしいのですが、最寄駅というと、明治学院HPの「アクセス」https://www.meijigakuin.ac.jp/access/index.html によると、都営三田線・南北線「白金台」から徒歩7分、「白金高輪」から徒歩7分、都営浅草線「高輪台」から徒歩7分と、この3駅の真ん中あたりにあるようです。品川から・目黒からバスがあって「明治学院前」というバス停があるようです。
  今回は、都営浅草線「高輪台」から行き、帰りは東京都庭園美術館の東のあたりの都営三田線・南北線「白金台」駅から帰りました。

  今回、港区白金台の明治学院を訪問したいと考えたのは、ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計でヴォーリズ夫妻の結婚式もおこなわれたという明治学院礼拝堂と、同志社のクラーク記念館や日本基督教団千葉教会 などを設計したリヒャルト=ゼールが設計の明治学院記念館(旧神学部校舎)を見学したいと考えたからです。
※ 《ウィキペディア―ウィリアム・メレル・ヴォーリズ》 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA
 《ウィキペディア―リヒャルト・ゼール》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AB

  都営浅草線「高輪台」駅で下車しました。「高輪台」は「たかなわだい」と読みます。私は関西人でしたので、慶應大学の願書の受付が「高輪郵便局」だったのですが、最初、これは「高輪」はこれは何と読むのだろうか、「たかわ」だろうか・・などと考えたものでしたが、「高輪」は「たかなわ」と読みます。今度、山手線の品川と田町の間に「高輪ゲッターロボ」とかいう駅ができるとか何とか言っていますが、そう考えると「高輪」はけっこう広い範囲だということになってきますね。
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[第248回]《畠山記念館(東京都港区)見学1-丸に二つ引き」の紋が入った門から。庭園・茶室と調和する美術館建物》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_4.html で、「畠山記念館」へ行きましたが、その際も、この北西側のA‐2 出口で出ました。畠山記念館に行く場合には、A‐2で出てすぐ北の交番の向こうを左折します(西に行きます)が、明治学院に行く場合には曲がらずに国道1号を北上します。今更ながらですが、交番の前を通る時は「さりげなく」が原則です。
   国道1号を北上すると見えてきます。「あれは何だ?」て感じの建物が。↓
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↑ 「明治学院前」交差点から北を見たものです。 「あれは何だ?」て感じの建物のうち、国道1号に近い方が「明治学院記念館」。 その左(西)に見えるのが「明治学院礼拝堂」です。

  1992年、江東区潮見にあった(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の東京展示場に大田区から通勤していた時、私は応募する際には、東京都は江東区潮見、神奈川県には茅ケ崎市に展示場があるということでしたが、江東区潮見まで大田区の西部から朝の混雑時に通うのは厳しいが茅ケ崎市(もしくは私が入社直後にできた藤沢市の展示場)なら混雑方向とは逆方向なのでなんとか通えるかと考えて応募したのでしたが、江東区潮見の方に勤務してもらうと言われ、13号地の海底トンネルの部分だけ首都高速道路を利用していい、その分の首都高速道路の料金は会社で支払うと言われて、それならなんとか通えるかと思い、13号地の部分の海底トンネルを首都高速道路を利用して通ったのでしたが、入社1年目の〇ットリ(男。当時、20代後半)が「僕のアパートは駐車場は1台分しかなくて、嫁のクルマを停めると僕のクルマの停める場所がないから、別に駐車場を借りなきゃいけないんですよ。一条工務店は僕のクルマを停める駐車場代を出してくださいと言っても出してくれないのに、なんで、〇〇さんは通勤に13号地のトンネルを通るための首都高速道路代を出してもらえるんですか。おかしいですね」などと言いだし、こいつ、いったい何を糞どあつかましくも支離滅裂な主張をしているんだ、
1.私だって私のアパートには駐車場なんてついていないし、〇ットリは駐車場1台分付きのアパートに住んでいたらしいがその頃の東京都のアパートというのは駐車場つきのアパートなんてめったになく、アパートと(株)一条工務店の仕事で使うためのクルマを停めるために別に月極駐車場を借りて駐車場代を出していたのであり、〇ットリが月極駐車場代を出してもらえてなくて私が出してもらえていたのではなく、私も月極駐車場代は自分で出していたのであり、
2.私が13号地の部分で首都高速道路代を出してもらっていたのは、それ以外の部分は首都高速道路を利用した方が速くいけるものでも一般道を利用していたが、13号地の部分の海底トンネルだけは首都高速道路は海底トンネルで結ばれていても一般道に海底トンネルはなかったのでやむをえず海底トンネル部分を通るために首都高速道路を利用していたのであり、茅ケ崎か新しくできた藤沢の展示場であれば首都高速道路もそうでない高速道路も利用することなく通勤できたが、会社都合で江東区の展示場に勤務してくれということで13号地の部分を海底トンネルを通らないと相当の大回りになり通勤は極めて難しいということで通勤のガソリン代を(株)一条工務店が営業社員に支給していたのと同じ理由で13号地部分の海底トンネルを通るための首都高速道路代を支給していたのであり、服部もまた通勤のためのガソリン代は支給を受けていたのであり、「通勤の交通費」は服部も私もともに会社から支給されており、会社の仕事で使用するクルマを自宅の近所に駐車するための駐車場代は服部も私もともに自腹で出していたのであり、「通勤の交通費」が私の方が服部より高くなってもそれだけかかる場所に通勤するように会社が求めたことによるものであり、
この点において決して不公平ではなく、「僕のクルマの駐車場代は出してもらえないのにどうして〇〇さんの首都高速道路代は出してもらえるんですか。なんで、出してもらってるんですか」などと言ってきたのだが、よくも、どあつかましくもそんなことを言ってきたものだ、とあきれた。
3.(株)一条工務店が、もしも、13号地トンネルを通る費用を出さないとなると、通勤不可能の所への勤務を求めたことになり、そうなると、(株)一条工務店は東京展示場へ通勤できる場所にアパートを借りるなりして私に借上社宅を用意しないといけない、ということになったはずである。
最初は「そうですか」とか、「私も月極駐車場代は自分で出してますよ」と言うくらいにしてかわしていたのだが、服部は大変執拗であり、この男、よくもまあ、それだけ、筋の通らない詭弁を言うものだとあきれたし、また、それを会社に対して言うのならともかく、自分だって「通勤のための交通費」としてのガソリン代は出してもらっているのに、ひとに「なんで、出してもらえるんですか」などという理不尽なことを言ってくるというのは、あきれたえげつない根性した男だと思ったものだった・・・が、「慶應大学の卒業生として採用」された者として、高卒の身勝手な男の言うことに腹を立てるのも大人げないと思い、13号地のトンネルを利用しないとなると、無茶苦茶大回りでないと江東区潮見までは通勤できないことになり、それを通勤しろと会社が言うのであれば、これは人権侵害であるのだが、会社は本来ならば服部のような人間に対して2つの点においてきっちりと注意しないといけないはずで、ひとつは服部の主張は理屈が通らないもので、服部も自分でわかっていて言っていたわけだが、月極駐車場代を会社から出してもらっていなかったのは服部だけではなく私もそれ以外の営業社員もそうであり服部だけではないし、「通勤の交通費」を支給してもらっていたのは私だけではなく服部も他の従業員も支給してもらっていたのであり、市川市から通勤していたO村くん(男。当時、20代後半)は無料の行徳橋経由でも通勤できないこともないと思えたがより便利なその頃は有料だった新行徳橋の通行料を支給してもらっていたし、川口市から通勤していた「リーダー」の宮崎さんは一般道でもルートはあったが高速道路を利用して通勤する高速道路代を支給してもらっていた。

  ↑ 1992年頃は、な~んにもなかった「13号地」が「品川区東八潮」なんて言って、ずいぶん変わったものだ。

  ↑ 右が新行徳橋、左が行徳橋。市川市に住んでいた奥村くんが通勤に今は無料だがその頃は有料だった新行徳橋を使用していたが、新行徳橋のすぐ西に昔からの行徳橋があり、行徳橋もクルマで通行できる橋であり、新行徳橋を使わないとしても行徳橋を利用して通うことは可能であったが13号地(現 品川区東八潮)の海底トンネルは首都高速道路にしかなく、それを使わないとなると、相当の大回り・遠回りをしないと行けない、もとより大田区西部から江東区潮見(旧 8号地)へ通勤するのは不可能に近い場所だった。もし、13号地トンネル(最近、ヤフー地図など見ると、「東京湾トンネル」と記載されているが)の部分で首都高速道路を通るなと言われると、通勤可能圏外となりますから、そうなると、(株)一条工務店は江東区潮見(旧 8号地)の東京展示場へ通勤できる範囲で会社がアパートを借りて用意する必要があることになります。アパートを借りる費用と13号地トンネルの部分で首都高速道路を通行する費用なら首都高速道路の費用の方が安い。もしくは、クルマは職場に置いて都営浅草線・東京メトロ日比谷線・JR京葉線と3つ電車を乗り継いで通勤するかですが、電車で通勤する定期券代を会社で支給してもらうとなると、定期券代と首都高速道路代とでは首都高速道路代の方が安い。
  「通勤の交通費」を服部も他の従業員も支給してもらっているから、だから、月極駐車場代を服部だけに支給するべきだという服部の主張は身勝手で通るものではないということは当然のことで(株)一条工務店の経営者は服部にきっちりと言わないといけないはずであり、それ以上に(株)一条工務店の経営者が服部にきっちりと言わないといけないのは、そういうことは会社に対して言うべきことで、会社が支給している交通費について「なんで、出してもらえるんですか。僕は月極駐車場代を出してもらってないのにあつかましいですね。どうして出してもらうんですか」などと他の従業員に言うことではないはずで「言うのなら会社に言え」ときっちりと言わないといけないはずで、それを言えないのでは経営者としての義務を果たしていることにはならないが、(株)一条工務店は服部に注意しないし、こういうテアイを相手に争うのは大人げないと考えて、無理をして大回りをして首都高速道路代をかけずに通うルートでしばらく通ったのだが、そのルートがこの国道1号を北上するルートだった。
  南から北に進むと左側に「え! あれは何だ?」て感じの建物が見えてくる。それが「明治学院記念館」と「明治学院礼拝堂」だった。「建築探偵団」としてはクルマをとめて見学したいところだが、通勤の途中で見えても見学するわけにもいかないので通り過ぎたが、その思い入れのあるルートとして、今回、南から北に国道1号を北上するルートとなる都営浅草線「高輪台」駅で下車して、そこから北に国道1号を進むルートで訪問した。
   実際には、13号地トンネル経由と国道1号北上明治学院横ルートとでは、13号地トンネル経由では首都高速道路代はかかるが距離は短く、国道1号北上ルートでは首都高速道路は使用しないが距離が長いということは通勤に無理があるとともに燃料代は多くかかることになり、会社にとっても大回りのルートを通らせた方が得とも必ずしも言えない。むしろ、無理な通勤をする時間と労力があればその分、働いて成果を出すようにしてもらった方が会社のためのはずであった・・・が、「こんな無茶苦茶な主張をする人間がいるのか」とあきれたし、又、それを会社に言うのならともかく、会社に言うのではなく同僚に言うというのは会社員としてのルール違反であり、そういうことをする人間は会社員としては会社からマイナスの評価を受けることになるはずであったが、(株)一条工務店という会社の経営者はそのあたりがおかしい会社でおかしい経営者だった。私は服部があまりにも執拗であったので、東京営業所長を兼任していた営業本部長の天野隆夫に服部に注意するように求めた。私は服部と違って、無理な主張を詭弁強弁で要求するようなことはしないし、私は我慢できるものは我慢し、我慢できないものも我慢の限度を超えて我慢してきており、どうでもいいようなことを天野隆夫に求めたのではなく、すでにそれまでに会社として服部に注意していないといけないはずのものを注意しておらず、いくらなんでもこれ以上は我慢すべきではないという限度を超えた段階で東京営業所長(で営業本部長)の天野隆夫に話したのである。ところが、天野隆夫は「服部くんの言うこともわかるんだ」などと言って服部に注意しなかった。わかってどうするんだ?!? 営業所長として・営業本部長としてわかってはいかんだろうが! 月極駐車場代を出してもらっていないのは服部だけではなく私もそうであれば東京営業所の営業社員は誰もがそうであった。なぜ、服部は自分にだけ月極駐車場代を出せと言うのか? なぜ、そのような理屈の通らないことを主張して許されるのか? それよりも、そういうことを言いたいのなら会社に対して言うべきことで、同僚に対して、「〇〇さんは通勤の交通費を出してもらっているのに(服部も出してもらっているのだが)、どうして(〇〇さんも月極駐車場代は出してもらっておらず自分で月極駐車場代を出しているのに)僕は月極駐車場代を出してもらえないのですか。どうしてなのか答えてください」などと執拗に繰り返し繰り返し言ってつきまとう、つきまとい行為をおこなうというのは、これは会社員としてのマナーに反するのみならずルールに反する行為であり、会社から何らかの処分を受けても文句の言えないものであったはずである。私はそういう身勝手な主張をするアホと争うべきではなく、そういう者に注意するのは個々の従業員が言うことではなく会社が会社として言うべきことで、又、会社はそういう主張をする者には「言うなら会社に言え」と言わないといけないはずであり、それを注意してくれと求めたにもかかわらず注意することを拒否した営業本部長兼東京営業所長の天野隆夫の態度は「保護義務違反」と評価されるものである。(株)一条工務店の保護義務違反はこの時だけではない! 私は職場におけるこういった身勝手な人間の横暴に我慢を続けてきたし、譲歩する必要のないことに譲歩しまくってきた。その結果、普通は会社という所においては経営者はそういう無理な譲歩をしてきた者には「申し訳なかった」ということで、そういう我慢をして譲歩をさせてきた従業員だということでの処遇というものがあるはずだったが、(株)一条工務店という会社とその経営者は私が我慢を続け譲歩をしまくってきたことから、逆に、こいつは我慢する人間だ、こいつは何でも譲歩する人間だと認識するようになったようだった。アホの経営者の会社においては我慢したり譲歩したりすると損するだけのようである。
   1992年頃、私はディーゼル車に乗っていたが、これは小堀住研(株)に在籍時、小堀住研(株)では営業のクルマの燃料代は月いくらまでという支払い方だったので、それをオーバーしないように燃料代の心配をしないで動けるようにと考えてガソリンよりも安い軽油を燃料とするが購入時の値段はガソリン車よりも高いディーゼル車を購入したというものだったが、(株)一条工務店の場合はいくらまでという制限のしかたではなかったので、ディーゼル車を購入した意味は従業員の側としてはなく、ガソリン車よりも購入時に高いクルマを買って、あくまで、会社が支払う燃料代をガソリンの場合よりも安くすることになっただけだったが、服部が言うように、13号地の部分の海底トンネルを通るために首都高速道路代を私が会社から出してもらうのはその分だけ会社に余計にカネを出させることになりおかしいと言うのなら、ガソリン車よりも高いディーゼル車を購入して会社が支払う燃料代を節約しているのだから、その分を首都高速道路代として支払ってもらっても悪くないはずだということにもなり、又、服部流の詭弁強弁をおこなうのであれば、服部に対して「ぼくはディーゼル車に乗って軽油の分の燃料代しか会社から払ってもらってないのに、どうして服部さんはガソリンの燃料代を払ってもらえるんですか。不公平ですね。軽油で走るクルマにどうしてしないんですか。なんで、そんなあつかましいことするんですか」と服部型ストーカーとなって執拗に追いかけてもよかった・・ということになる・・が、それよりも、そういう服部のような詭弁強弁を構築して会社に要求するのならまだしも、同僚にストーカーのように執拗に因縁つけるという会社のルールを乱す男というものに対して注意しない会社というものに問題がある。
  (株)一条工務店の東京営業所(展示場)においては、「リーダー」の宮崎さんが、「3階建てと30坪未満は工務課が大変だから契約とらないで。3階建てと30坪未満の見込客は追客しないで」と言うので、私は、浜松・掛川・名古屋の営業はそういう見込客を追客して契約してもらっていてそれが契約棟数に計上されているのに東京営業所においては「工務課が未熟だから」という理由にならない理由で浜松・掛川・名古屋の営業は追客させてもらえるものを追客するなというのは不公平だと思いながらも指示に従い、特に、文京区で20坪余りの敷地に20坪余の延べ床面積で建てたいという有望見込客があったのだが「リーダー」の指示に従い追客をとりやめたところ、片方で服部は「リーダー」の宮崎さんに話すと「工務課が大変だから追客しないで」「工務課が大変だから契約しないで」と言うのがわかっているから、だから、「リーダー」をとばしてその上の営業本部長で東京営業所長兼任の天野隆夫に話し、「宮崎さ~ん。天野次長(営業本部長の天野隆夫はその頃の役職名は「次長」だった)に話したら、☆☆さん、20坪の人なんですけど、契約とれと言うんですよ。困っちゃいましたねえ。いったいどうしたらいいでしょうか。どうしたらいいですか」などとカマトト言うのだった。こいつ、よくやるよなあ、こいつ、よく言うよなあ・・・とあきれた。普通、そこまでやらんだろう・・と思うのだが服部はそれをやるのだった。会社という所においては、直接の上役を飛ばしてその上の人間に言うというのはそれは禁じ手のはずである。元工務課の宮崎さんはその時点では営業であっても何かと工務課の都合を優先して思考するところがあり、営業の立場からすれば、浜松・掛川・名古屋の営業は契約を取らせてもらっている3階建てや30坪未満の契約を取ってはだめと言われたのでは不公平であり、3階建ての契約は浜松の営業は契約取ってもいいけれども東京の営業は取ってはダメ・30坪未満の契約は浜松の営業はいいけれども東京の営業は取ってはダメと「あれは契約とってはだめ」「これも契約とってはだめ」と言われたのでは取れる契約がなくなってしまうことになり、営業として苦しく、営業としては認めがたいものであるが、それを工務課の側に立った態度を取っていたのだったが、それは不公平だと私も思ったし、そんな工務課なら工務課と言う値打ちがあると認められるのかという感じもしたのだが、それでも「リーダー」がそう指示した以上は会社員である以上は「リーダー」の指示には従わないといけないのではないか。 私が小学校5年の時の「国語」の教科書に「星野くんの二塁打」という話が掲載されていて、はたしてあんなもの、「国語」の教科書に載せて取り上げる性質のものかとも思うが、少年野球のチームで「星野くん」はその試合ではそれまでの打席で成果が出ていなかったが、チャンスで「星野くん」に打席がまわってきて、星野くんは今度こそ打てそうだと思ったが、監督は送りバントを指示し、「星野くん」は「打たせてください。打てそうに思うんです」と訴えたが監督はきかず、納得いかない星野くんは監督の指示に反して、二塁打を打った。ヒーローとなった「星野くん」だったが、試合後、監督は「みんなに話がある。僕が許せないのは星野くんの二塁打だ。結果が良かったとしても、監督の指示に反することをやって成果が出たというものを評価したくないんだ」と言う、という話があった。「リーダー」の宮崎さんの指示に反して追客していいのなら、私も有望見込客で20坪余の人があったのであり私も追客して良かったはずだが、会社のルールを守って泣く泣く断念した。それに反して、服部は、言えば「ともかく取れ」と言うであろう営業本部長で東京営業所長兼任の天野隆夫に「リーダー」の宮崎さんを飛ばして話をして、その上で、「宮崎さ~ん。天野次長が☆☆さんの契約を取れなんて言うんですよお。困りましたねえ。いったいどうしたもんでしょうか。どうすればいいでしょうか」などと「天野次長が・・と言うんですよ」と言われたらそれに逆らえない「リーダー」の宮崎さんに言うという手口に出た。そして、その見込客を契約した。それによって服部は(株)一条工務店の経営者から1棟分プラスの評価を得て、「リーダー」の指示に従って有望見込客の追客を断念した私は会社のルールを守ったことにより(株)一条工務店の経営者から1棟分マイナスの評価を受けた。(株)一条工務店という会社はそういう会社であった。(株)一条工務店という会社はそういう「保護義務違反の会社」であり、会社のルールを守る従業員を守らない会社だった。私が服部と違って「リーダー」の指示に従い追客を断念した文京区の有望見込客は、私の接客が悪くなかったということもあり再度来場され、玉城(男。当時、30代前半。入社1年目)が担当で契約されるに至った。服部と同じ手口を使ってよければ、私が担当で契約してもらうことができた客だった。「会社のルールを守るとバカを見さされる」というこの会社の体質、「保護義務違反の(株)一条工務店」というこの会社の体質はそう簡単には変わらないだろう。
  1992年に私が(株)一条工務店に入社した時、私は運転免許は持っていて自家用車も持っていたが運転歴はごく短く、運転に慣れていなかった。(株)一条工務店に入社して最初は研修期間だと聞いていたので、それで、1か月の定期券を購入し、最初1か月の間は営業活動はおこなわず展示場での学習という話だったので、その間、終業時刻に退社させてもらい、自宅近辺でクルマの運転の練習をすれば1か月後くらいには何とか江東区潮見あたりまで運転して行けるくらいになれるであろうと考えた。又、そう考えて1か月分の定期券を購入した。ところが、(株)一条工務店は、「仕事がなくても、毎日、夜9時過ぎまでは会社にいること」と「通達」で指示されていた。(株)一条工務店の就業時間は営業は午前10時00分から午後7時00分までであり、はっきりと文書において「午後9時までは会社にいること」と記載され、「タイムカードは午後9時を過ぎてから押すこと」と書かれていたのであり、明らかに労働基準法違反(労働時間制限違反)であったが、営業本部長で東京営業所長・松戸営業所長の天野隆夫(男。当時、40代)は「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社のルールだ」「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ」と何人もの前で明言・断言したのだったが、「労基法違反の札付きの一条工務店」から「時間外賃金未払い」で貯め込んだカネから「防潮堤の費用」と称して300億円の「寄付」をもらって大喜びの浜松市長で慶応大ア法学部卒の鈴木康友は労基法違反の味方であり法敵法学士と評価されるべきであろうが、それはさておき、夜9時まで会社におらされたのでは、午後7時の終業時刻と同時に退社させてもらい、自宅近辺においてクルマの運転の練習を2時間でもさせてもらおうと考えていたその2時間を奪われることになってしまったのだ。「リーダー」の宮崎さんに「終業時間の後、帰って自宅の近所でクルマの運転の練習をしたいのですが」とそれを言ったのだが、「そんなの練習しなくてもいいよ。いきなり、運転してだ~いじょうぶ、だ~いじょうぶ」などと言うのだった。ところが、1993年5月、松戸展示場に高川(男。20代後半)が入社すると、高川は運転免許を持っておらず、営業本部長で松戸営業所長の天野隆夫は、高川には勤務時間中に自動車学校に通うことを認め、高川は午前中、自動車学校に通い、午後から出勤ということを繰り返した。会社は従業員に対しては公平であるべきである。私に対しては、終業時刻後にクルマの運転をしたいと言っても「そんなの、しなくていいって。しなくていい」と言って認めず、高川には勤務時間中に自動車学校に行くことを認めるというのは、これはどう考えても公平性に欠ける対応である。(株)一条工務店という会社の特徴として「公平性の欠如」ということがある。会社の体質はそう簡単には変わらない。給与額など、従業員は多くもらえた方がいいし、オーナー経営者一族は給与は多く払いたくないということはあるかもしれないが、そうであったとしても、払うにしても払わないにしても公平にするべきであり、服部には「通勤の交通費」を支給して私には一部分支給しない(服部に注意すべきものを注意しないということは、会社として保護義務違反であるとともに、「通勤の交通費」において公平性に欠ける態度をとったということである)、高川には勤務時間中に自動車学校に通うことを認めて、私には研修期間中の勤務時間外にクルマの運転の練習をすることを認めない、というのはどう考えても「公平性の欠如」と言わざるをえない。(株)一条工務店のこのような会社の状態というのは会社の発展のためにも良いことではないはずであるが、「公平性の欠如」という状態を保持したいというのがオーナー経営者一族の「趣味」のようだった。 港区の国道1号沿いの明治学院を見ると、この時のことを思い出す。私が入社した1992年頃は東京圏においては「一条工務店なんて、そんな会社、だ~れも聞いたことないわよ」と言われまくった会社だったが、最近ではこの会社も知名度があがり、何年か前、我が家に来たリフォーム屋のおっさんなどは「天下の一条工務店さん」などと口にしたのだったが、「『労働基準法は守らない』というのが会社の方針だ」と営業本部長がふんぞり返って断言する反社会的勢力を「天下の」などと言うのは、たとえ知名度・認知度は上がったとはいえ、「天下の」とはそれは「チャンチャラおかしい!」と言わざるをえない。
  2019年7月末、激痛を感じ、救急車に来てもらい緊急に入院するという事態になった。胆嚢炎ということで、緊急に手術をして胆嚢を摘出することになった。医師の話では胆嚢を失っても人間は生きていけるらしいのだが、それでも、生まれてからともに生きてきた胆嚢を失ったのは悲しいし、又、医師は胆嚢を摘出したからといって食べ物の好みが変わるということはないと言うのだったが、実際には変化している。大田区の西よりから13号地トンネルを通らずに大回りして江東区潮見までクルマで通勤するというのはそれは非常識である。私は大田区の西よりから茅ケ崎までなら混雑と逆向きの通勤で高速道路を利用することのないルートであり通勤できるかと思い応募して入社したのだが、13号地トンネル経由ならなんとか通えるかどうかというくらいの所に、それを使わずに大回りをして、しかも、運転に慣れていない初心者がそういうルートで通うというのはそうでなくても過酷な勤務であるのに、そういうことをしたことが、体を痛め、結果として胆嚢を失うことにもつながったと思う。私の父は「会社のために、滅私奉公。とってちってたあ~あ」と、毎日、私に叫んでいる男だったが、毎日毎日、そういうことを言われて感化されてしまったのか、ふと気づくとそんなことやってるのは自分だけだった・・なんて経験が少なくないのだが、そういう「滅私奉公」「破私奉公」の結果、大事な胆嚢を失った。「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の会社の方針だ」と言っていた営業本部長の天野隆夫は営業社員が成果が出るか出ないかにかかわらず、深夜まで客宅に行って奮闘していたまさにその時、フィリピンパブで女性ネイティブスピーカーからタガログ語の講座を受講していた。だから、遠州弁とタガログ語のバイリンガルになっていた。日本という国では「英語ができる」と単にひとつの能力があるというだけではなく人間として高く評価されてしまうようなところがあり、それがいいのかどうかとも思うが、「タガログ語ができる」よりは「英語ができる」の方が人間として高く評価していいと(株)一条工務店の「遠州人」を見て思うようになった。「タガログ語ができる」というのは考えようによっては人間として恥ではないかという気がする。それは、一般従業員が体を痛めるような過酷な勤務をして深夜まで働いているその時間に女性ネイティブスピーカーからマンツーマンでタガログ語講座を受けていたことによるものだ。フィリピン人女性ネイティブスピーカーは、おそらく、(株)一条工務店の安月給の従業員よりも高い報酬をもらっていたのではないかな・・・。
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「(『我が恩を忘れたか』などという)その言葉は日頃かわいがっていらっしゃる女達におっしゃったらいいでしょう」
「我々武臣は将軍から百たたきの刑や過酷な束縛をちょうだいした覚えはござるが女子(おんな)ほどの恩は受けてはおりませぬ」
〔 横山光輝『三国志 6 呂布の末路』2003、第一刷。2019.11.25.改訂版第一刷。潮(うしお)出版社 〕
なんだか、『三国志』に登場する呂布(りょふ)という男というのは(株)一条工務店の経営者みたいやな・・・・。

  国道1号を「明治学院前」で左折するとすぐに明治学院の「正門」がある。↓
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↑ 紅葉がきれい。 正門を入って直進すると、左側に「礼拝堂(チャペル)」、右側に「明治学院記念館」がある。
※ 明治学院大学HP キャンパス案内 白金キャンパスhttps://www.meijigakuin.ac.jp/campus/shirokane/


  「明治学院礼拝堂」は、ウィリアム=メレル=ヴォーリズの設計によるもの。ヴォーリズ自身の結婚式がここであげられた所でもあるらしい。↓
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 ↑ 東北東側から見たもの。山形正昭監修『ヴォーリズ建築の100年ー恵みの居場所をつくる』(2008.2.10.創元社)にもこの角度から撮影した写真が掲載されている。やはり、1枚となるとこの角度からと考える人が多いか・・・。
 ↑ この角度で何枚か撮影したのだが、人が写っていない写真もあるのだが、愛知産業大学の建築学科で、建築の模型を作成する課題で、「必ず、人を入れてください」と言われ、なるほど、建築は人がいてこそ建築であり、建築の写真においても、人がいる方が基本で、又、モデルさんのような人ではなく、普段からそこにいるのが普通・自然な人がそこにいるものの方がいいと認識するようになった。だから、ここでも、人が写っていない写真ではなく人が写っている方の写真を選びました。通行人の場合、個人情報保護の問題・プライバシーの問題もあるでしょうけれども、後ろ姿ならいいにしてもらってもいいかと考え、ここで使わせてもらうことにしました。 「写真集」とか「有名写真家」の写真とかだと人が写っていない写真が多いのですが、建築の場合には、普段、そこにいるのが自然の人が写っているという方が建築の写真としては価値がある、と考え、ここでは人が写っている写真何枚かから1枚を選びました。
《 明治学院礼拝堂 大正5年(1916年) 東京都港区白金台 煉瓦造2階建て 港区指定文化財
  明治学院キャンパスの入口近くに位置してシンボル的存在となっている赤煉瓦造の礼拝堂。礼拝堂翼部は昭和9年(1934年)の増築によるなど変遷があるが、現在、平成20年(2008年)完工をめざして本格的な補強修復工事がなされている。竣工から3年後の大正8年に、ヴォーリズ夫妻の結婚式が行われたことでも知られている。》
( 山形正昭監修『ヴォーリズ建築の100年ー恵みの居場所をつくる』2008.2.10.創元社 )
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 ↑ 北西側から見たもの。
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 ↑ 北面。 
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 ↑ 南面。 
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 ↑ 南面中央の人物のレリーフ。 誰だろうか?
  後から増築したという「翼部」は南寄りの左右についている。主要な入口は北よりにあり、又、北面には窓が大きく開いていて、南面には窓があまりない。 こういう礼拝堂というと、聖職者が北側にいて、「信徒」は南から北に向き、聖職者が北から南を向いて「説教」するというものか・・と思っていたのだが、内部に入らせてもらっていないので断言はできないが、外観から考えると、どうも、この明治学院礼拝堂はそうではなく、聖職者が北を向いて南を向いている「信徒」に対して「説教」するという配置か・・という感じがする。・・・まあ、それにしても、普通、「説教」というものはカネ払う側がカネもらう側にするものなのだが、牧師とか宣教師とかいうのはカネもらってカネ払う者に「説教」するというのだから、考えてみると、けっこうな仕事やなあ・・て感じがしないでもない。カネ払って「説教」されたい・・て、なんだか、もしかして、Mのケがあるのか?・・なんて気がしないでもないのだが・・・なんてこんなこと言うと「敬虔なクリスチャン」に怒られるかもしれん・・が、聖職者というのはカネもらってひとに「説教」する「権利」があるみたいに思ってる人というのもいるような気がしないでもない・・。
  お寺の配置などを考えると、南から北に参道があって、信者は南から北に向かって参拝する配置になっているものが多いが、キリスト教徒であるヴォーリズはそういう配置は考えず、そうではなく、明治学院の敷地の南部に建てられる礼拝堂は、むしろ、敷地の中央に向かって建ち、他の学習するための建物から出てきて礼拝堂に入るということを考えて、他の建物の方に向いて建てられた・・ということなのか? 今は南側に「正門」があり、東側に「本館入口」があって、東側の北よりに「東門」があるが、道路としては東側の南北の道路が国道1号で、南側の東西の道路はなんとか坂と名前がついた道で(「なんとか」が何だったか忘れてしまった)国道1号ほど主張な道ではない道であり、もしかすると、かつては、東側の方が主要な入口だったのかもしれない。もしも、本館入口付近かそれより少し南のハンフリー館の北側あたりに東の国道1号から入る入口があってそれが最も主要な入口であったならば、それよりも南に位置する明治学院礼拝堂が北よりに主たる出入り口があり、それも北よりの東側が最も主要な入口になっているというのもわかる。
  明治学院よりも北で、やはり国道1号に沿って国道1号の西側にある増上寺もまた、正門は東側にあり、北側にあった門は「御成門(おなりもん)」と言って増上寺より北側にあった江戸城から将軍が増上寺に入る時の門とされたが、明治学院も増上寺と同じく東側の中央、国道1号に向いて「正門」があって、正門から入って西に直進する通路に向かってそれぞれの建物とその入口が配置されたとすると、礼拝堂が祭壇が南にあって、北よりの東側の入口が最も主要な入口になっているというのもわかる。

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 ↑ 東側 翼部。
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 ↑ 西側 翼部。
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 ↑ 西側 翼部の背後のこの高層ビル、礼拝堂を見るにおいては目障りなんだけれどもね。 東京の街中だから、多少はやむをえないと考えるべきなのか・・・どうか・・・。

   ヴォーリズ設計の「明治学院礼拝堂」の屋根の上にあるの↓
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 ↑ これ、覚えておいてください。この後、「明治学院記念館」と「ハンフリー館」も見ますが、それぞれの屋根の上が特色があってなかなかおもしろい(^^♪

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↑ 礼拝堂の西に建っている碑は、島崎藤村の詩による「明治学院校歌」。 なぜ、島崎藤村が明治学院の校歌を作ったのだろうか・・と思ったのだが、《ウィキペディア―島崎藤村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%97%A4%E6%9D%91 を見ると、
《 1881年(明治14年) 上京。泰明小学校に通い、卒業後は、寄宿していた吉村忠道の伯父・武居用拙に『詩経』などを学んだ。さらに三田英学校(旧・慶應義塾分校、現・錦城学園高等学校の前身)、共立学校(現・開成高校の前身)など当時の進学予備校で学び、明治学院本科(明治学院大学の前身)入学。在学中は馬場孤蝶、戸川秋骨、北村季晴、中島久万吉らと交友を結び、また共立学校時代の恩師の影響もありキリスト教の洗礼を受ける。学生時代は西洋文学を読みふけり、また松尾芭蕉や西行などの日本古典文学も読み漁った。明治学院本科の第一期卒業生で、校歌も作詞している。》と出ており、島崎藤村は明治学院本科の卒業生だったらしい。又、『夜明け前』の主人公の半蔵は島崎藤村の父親がモデルだと言われ、半蔵は平田篤胤の国学に心酔した人間だったので、その息子というとキリスト教とつながりそうに思えなかったのだが、島崎藤村はキリスト教の洗礼を受けたらしい。
  ちなみに、島崎藤村・・というと、「島崎藤村とかけまして・・・。島崎藤村とかけて、真弓明信ととく。その心は・・・、どっちが名字でどっちが名前かはっきりせえ!」・・なんて言うと怒られそうだが、《ウィキペディア―島崎藤村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%97%A4%E6%9D%91 によると、《島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。》だそうで、「藤村(とうそん)」はペンネームであって、本名は「名字みたいな名前」ではないようだ・・。
  泰明小学校・・というと、アルマーニの制服、「これがアルマーニか、ツンツン」で有名な泰明小学校か・・。 公立の小学校が、なんで、「アルマーニの制服」なんて、なんだか慶應幼稚舎がやりそうなことやるんだろうなあ・・・。


   明治学院の白金台のキャンパスには、ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計の「礼拝堂」があるとともに、《ウィキペディア―リヒャルト・ゼール》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AB によると、同志社 クラーク記念館(京都市。1893年。重要文化財)〔⇒[第444回]《同志社今出川【6/13】千葉教会と同じリヒャルト=ゼール設計の「大志を抱け」とは別人のクラーク記念館》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_3.html 〕・日本キリスト教団千葉教会(1895年。千葉県有形文化財)〔⇒慎腹風呂愚か[第44回]《日本基督教団 千葉教会~千葉・東京の建築(2)》https://shinkahousinght.at.webry.info/201107/article_3.html 〕などの設計者であるリヒャルト=ゼールが設計した「明治学院記念館(旧 神学部校舎)」(1890年。港区有形文化財)があるということで見学に行ったのだが、「明治学院記念館」というと ↓ だが・・・、
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↑ 南から見たもの。
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↑ 西北西から見たもの。
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↑ 屋根の上がなかなかおもしろい(^^♪ 少々、雨が降っていたので傘をさしながらだったので、少々ぶれてしまったか・・。
  さらに。おもしろいのは屋根の上だけではなく、これ ↓
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↑ 「筋交い(すじかい)もどき」とでも言いましょうか・・・。これ、実質は筋交いじゃないですよねえ・・・。2001年、ヴェルサイユ宮殿とヴェルサイユ庭園を見学に行った時、ヴェルサイユ宮殿の近くでも、これと似た「筋交いもどき」が外から見える建物があったのだけれども、筋交いとしての機能を果たしているものではなくあくまでデザインとしてのものでしょうねえ、これは・・・。 いや、曲がっているやつはともかく、直線のはいくらかなりとも筋交いの役割を果たしているのでしょうか・・・。
  《ウィキペディア―リヒャルト・ゼール》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AB には、「明治学院記念館(旧 神学部校舎)」は、1892年(日清戦争の2年前)、リヒャルト=ゼールの設計によるものと出ているのですが、明治学院HPの「キャンパス案内 白金キャンパス」https://www.meijigakuin.ac.jp/campus/shirokane/ には、《 明治学院記念館 1890(明治23)年に建てられたネオゴシック様式の建物。1階の小チャペルは、静かな黙想の場です。19世紀につくられた足鍵盤付きリードオルガンが、大正時代の音をいまも響かせています。(オルガン:港区指定有形文化財、 建物:2002年度「景観上重要な歴史的建造物等」として東京都指定)》とありますが、リヒャルト=ゼール設計という記述は見当たりません。現地でもリヒャルト=ゼール設計という記述は見当たらないのですが、「1890(明治23)年に建てられた」という建築年は、《ウィキペディア―リヒャルト・ゼール》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AB に出ている「明治学院記念館(旧 神学部校舎)(1890年。港区有形文化財」と建築年が近いので、これのことかと思います・・・が、それならそれで、建築年の2年の違いというのはどこから出てきたものか・・。 どなたかご存じなら教えてください。

  「建築探偵団」としては、建築は
1.全体の雰囲気を味わう。
2.全体の構成を考える。
・・というのが第一・第二だけれども、その後、
3.細部にわたって、なめるように見る。
という第三がある。
 ・・で、なめるように見ると見えてくるのが、この建物の外壁。
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↑ 白い壁で、ぼお~っと見ていると気づかないけれども、じっくり見ると気づく。色としては白い外壁でも3種類のものがあるのだ。

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↑ 明治学院記念館(旧 神学部校舎)の南、「アンネのバラ」。
《 ナチスの強制収容所で15歳の命を終えたアンネ・フランクをしのんで作られた新種のバラ。
ホロコースト記念館(広島県)より苗木をいただきました。
  もし神様が私を生きながらせて下さるなら・・・・
  私は世界と人類のために働きます
          アンネ・フランク 》
※ ホロコースト記念館 http://www.urban.ne.jp/home/hecjpn/
《ウィキペディア―ホロコースト記念館》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8
  ホロコースト記念館は広島県福山市にあり、《1995年6月に聖イエス会御幸教会内に開館した。2007年10月2日に近接地に移転拡張した》というものらしい。


   「明治学院記念館」のすぐ北にあるのが「明治学院 インプリ―館」
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↑ 北西側から。
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↑ 西面。
  インプリ―館(宣教師館)もまた、入口は西側の南よりではなく西側の北よりにあり、入口の位置を考えると、どうも、かつてはインプリ―館よりも北の東側に全体の主要な入口があったのではないか・・という感じがします。
  明治学院HPの「キャンパス案内 白金キャンパス」https://www.meijigakuin.ac.jp/campus/shirokane/ には《 1889年(明治22)年頃に建てられた。日本に現存する宣教師館の中でも有数の歴史を持つ貴重な建物。ウィリアム・インプリ―博士の住まいでした。1995年(平成7)年から2年間かけ、もとの材料を活かして修復工事を行いました。(国の重要文化財、2002年度「特に景観上重要な歴史的建造物等」として東京都指定)》と出ています。
  ・・そして、この「インプリ―館」もまた屋根の上がおもしろい(^^♪ ↓
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1889年(明治22年)頃 インプリ―館(宣教師館。ウィリアム=インプリ―博士の住まい。)重要文化財。景観上重要な歴史的建造物等(東京都指定)。
1890(明治23)年? 1892年(明治25年)?  明治学院記念館(旧 神学部校舎)(リヒャルト=ゼール設計?)港区有形文化財。特に景観上重要な歴史的建造物等(東京都指定)。
1916年(大正5年) 礼拝堂(ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計。)港区有形文化財。特に景観上重要な歴史的建造物(東京都指定)。
  この3つの建物は、もともとは、宣教師館と神学部校舎と礼拝堂だったらしい。大きさは礼拝堂が一番大きく存在感もあるのですが、重要文化財に指定されているのはインプリ―館のようです。 「特に景観上重要な歴史的建造物等」には「明治学院(インプリ―館・記念館・礼拝堂)」と3つセットで指定を受けているようです。〔 《東京都都市整備局 特に景観上重要な歴史的建造物等 詳細 10~12》http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/keikan/rekiken/kei_list4.htm 〕 《東京都都市整備局 特に景観上重要な歴史的建造物等一覧》http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/keikan/list_keikan.htm を見ると、「特に景観上重要な歴史的建造物等」には、ニコライ堂・旧前田家本邸洋館・和館(駒場公園)・法明寺鬼子母神堂・旧安田庭園(墨田区)・ 旧古河庭園・永代橋・・とか、ほほお~お、なるほど、これが指定されているのか・・というものの名称が出ています。

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  ↑ 明治学院はキリスト教系の学校だけに、校舎のデザインは、最近、建てられたと思われる建物でも、十字が入っていたり、なるほど、「キリスト教系」だけあるかな・・というものがあります。
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  ↑ 明治学院 白金キャンパスの北より、「ヴォーリズ広場」・・ですが、このヴォーリズ広場を取り囲む建物にヴォーリズ設計のものがあるわけではないようです。

 「白金」は「しろがね」かと思っていたのですが、明治学院のホームページを見ると、「キャンパス案内 白金キャンパス」https://www.meijigakuin.ac.jp/campus/shirokane/ と「しろかね」となっており、「か」に濁点はつかないようですね。

  明治学院の南側の東西の少々坂の道を西に上っていくと、「目黒通り」にぶつかります。左に曲がると(西、目黒方面に進むと)すぐに都営三田線・東京メトロ南北線「白金台」駅の出入口があります。↓
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↑ 都営三田線・東京メトロ南北線「白金台」駅。
都営三田線・東京メトロ南北線「白金台」駅を目黒方面に進むと北側に、日本におけるアールデコ建築の代表と言われる「旧朝香宮邸」(東京都庭園美術館)があります。

  さて、都営三田線・東京メトロ南北線で地下に降りるエスカレーターが ↓ ですが・・・、
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↑ なかなかじゃ~ん♪ て思いませんか?  どこがかというと、エスカレーターの「黄色い手すり」の使い方です。
  エスカレーターの手摺なんてたいして気にしてなかったのですが、愛知産業大学の建築学科でお世話になった守屋先生が設計された大江戸線「六本木」駅を見に行った時、エスカレーターの手摺が「標準色」ではなくオリジナルの色合いで、他の部分との調和を考えて色が選ばれており、上品な色合いで、なるほど、「建築家」設計だとそういう所もオリジナルになるんだなあと思い、しかし、「標準色」より「特注色」は高いなんてことないのかな・・とか思ったりもして、その後、エスカレーターに乗るたびに手摺の色を見るようになったのでしたが〔⇒[第328回]大江戸線「六本木」駅と千代田線「乃木坂」駅-国立新美術館と「安藤忠雄展-挑戦」 【1/6】https://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_7.html 〕、この「白金台」駅で、これはなかなか・・・と思ったのは、黄色というのは目立つ色であって、2000年頃、テレビでプロミスの広告で、「ねえねえ、あの黄色い看板、あれ何?」「プロミスですよ、プロミス。その人に合った借り方や返し方が相談できるんです」「へえ~え、相談できるの」「そうだんです」「さぶ!」というコマーシャルがやっていて、その頃、あちらこちらに「プロミスの黄色い看板」が建ちましたが、しかし、「プロミスの黄色い看板」はたしかに目立つ看板で、看板というのは目立ってナンボみたいなところがあり、目立たない・わからない看板では看板にならないのですが、しかし、他方、「プロミスの黄色い看板」は目立つという点では良い看板だったでしょうけれども、どう見ても下品な看板であり、街の景観を破壊していました。プロミスというサラ金業者はそのあたりを理解したのか、今は紺色の看板に変えていますが、目立つのは看板としてはいいことではあるのですが、街の景観を破壊する下品な看板というのはこれは困りものであり、看板として通行人に訴えることができるとともに街の景観を守るということもできるものというのが看板の目指すべきところですが、この両方の条件をともに満たすというのは、なかなか難しいところでもあります。
  色合いによって、使いやすい色と使いにくい色というのがあると思います。磯崎新設計の「つくばセンタービル」で、2階のホールの天井に紫色を使用していた所があり、「おっ、これはなかなか・・」と思ったのでした。紫という色は、イタリア映画『ロッコとその兄弟』(日本訳では『若者のすべて』)でボクサーを目指す次男が紫のトランクスを着用するのを、「紫か。チャンピオンか女の色だ」とコーチだったかが言う場面があったと思いますが、聖徳太子の「冠位十二階」においても紫は最高位の色とされていたと思いますが、紫はチャンピオン・最高位の色というイメージがあるが、「女の色」という印象もあり、成功するといいのですが失敗するおそれが小さくない色だと思うのです。「つくばセンタービル」のホールで天井を紫にしていた所は、なかなか上品でいい印象で、その点では成功していたと思うのです。しかし、「閑古鳥のなくつくばセンタービル」は、「建築家」的発想で造られており、道路を隔てた「普通の人」が設計した「普通のビル」には客がいっぱい入っているのに「世界の磯崎が設計した」というおどろおどろしいフレーズのビルは閑古鳥が鳴き、商店街はシャッター閉めの店が多かったというのは、「建築家」的発想で造られたからという点があるかと思います。商業ビルは「理工学部的発想」や「芸術学部的発想」でではなく「商学部的発想」で作るべきであり、「世界の磯崎」かなんか知らんが「つくばセンタービル」はその点でだめです。紫を天井に使ったホールも、それが個々の商店でおこなうのであれば、そのデザインが似合う店というのもあるかもしれません。しかし、共有スペースのホールで紫のような個性の強い色合いを天井に使用すると・・・、その色合いのホールから出入りする店舗は、その色合いのイメージに合う店舗でないといけないことになり、制約が強くなるのです。そのあたり、「商学部的発想」で考える人間ならたいていわかることだと思うのですが、「理工学部的発想」や「芸術学部的発想」で考える人、「建築家」的発想で作る人には理解できないようです。・・だから、「つくばセンタービル」は閑古鳥が鳴くのです。
  紫という色は上品で、「チャンピオンの色」、「冠位十二階では最高の位の色」とされる色ですが、上品ではあっても使い方が難しく、成功すればいいが失敗する可能性のある色であるとともに、共有スペースで使用すると占有スペースとの調和がとりにくい色でもあるのです。黄色はどうかというと、これは紫とは事情は違います。黄色という色は、「プロミスの黄色い看板」と同じく、「目立つ色」で、エスカレーターの手摺というのは目立った方がいい部分ですから、その点ではいいのですが、しかし、黄色は「プロミスの黄色い看板」と同じく、目立つという点は悪くないとしても、あまり上品な印象にならない可能性が考えられる色です。「プロミスの黄色い看板」は目立ったものの下品な印象がしましたでしょ。それが、この都営三田線・東京メトロ南北線「白金台」駅のエスカレーターの手摺の黄色は、目立つとともに、決して下品ではない印象のものであり、その点で、「これは、なかなか・・」と思ったのです。 


  明治学院大学HP https://www.meijigakuin.ac.jp/ を検索すると、Do for others. という文句が出てくるのだが、この「~のために」というものがないとおれないという姿勢・精神態度というものは気にかかる。フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』で「『のために』を捨てよ」と述べているが、なにかと「~のために」を欲しがる人、「~のために」がないと行動できない人・生きていけない人というのが世の中にはいるのだが、そういうのはどうかと思うな。オリンピックとかあると、ヤフーのコメント欄とか見ると、「日の丸のために頑張ってほしい」とかいった右翼コメントがわんさと入るのだが、「~のために」ではなく、まず、自分自身のために生きるという姿勢が必要ではないか。「~のために」がないと生きることができないという人が運動選手などにはいるように思うのだが、もしも、運動選手業界がそういう「教育」をしているのなら、その「教育」は正しいとは言いがたい。自分自身のために生きることができて、その上でひとのためにもなる行為をするというのならいいと思いますが、「~のために」がないと何もできない人格というのは、それは自分のためにならないとともに、実はひとのためにもならないと思うのです。
  又、「応援」してもらえばできるが「応援」されなければできないという人間というのも困りものだと思うのですが、運動選手にはそういうタイプが多い、もしくは、そういう精神構造の人間に「スポーツ」にかこつけて加工している指導者がいるのか・・と思えるのですが、私はスポーツは嫌いではないが、日本のスポーツ業界には、そのあたり、問題点がけっこうあります。スポーツは嫌いではないが、スポーツ業界の持つ問題点についてはいいとは思わない例として、慶應大学に在学中、「体育理論」という講義が必修科目としてあったのですが、そこで、体育会の教授が「最近、おかしなことを言う人間が多くて困る。殴ったじゃないかとか、殴って怪我したじゃないかとか言うやつがいる。スポーツである以上は、殴るというのは当たり前のことじゃないか。殴らないスポーツなんてそんなものあるわけないだろうが。殴って怪我したじゃないか、なんて言って。バカじゃないか。頭おかしいんじゃないか。一回、入院しろってんだ。殴ってるんだから、怪我するのは当然だろうが。バカか。一回、入院しろってんだ。」とかおっしゃるのだったが、しかし、私の認識では「殴るスポーツ」というものがあるのかないのか知らないが、私としては「殴らないスポーツ」こそスポーツであり、「殴るというのはスポーツである以上は当たり前」だとか「殴らないスポーツなんてあるわけない」とかそういう文句を口にするような人にスポーツの指導者はならないでもらいたいと思っているのだ。又、「体育会の人間は学力はないかもしれないが、根性がある。今年、4月に入部したある人間でも、入部した時は、陸上のトラックを一周走るだけでもひいひい言っていたのが、半年も経つと、何周も走っても平気でいるようになった。これは、『根性がついた』ということなんだ」などとのたまわれたのだが、私は言いたかった、「せ~んせえ~え。それって、『根性がついた』のではなく『体力がついた』のと違うのですかあ~あ?」と。言いたかったけれども、逆らうとうるさそうだったから言わなかったが、今も、それは「根性がついた」のではなく「体力がついた」のではないかと思っている。私はスポーツは嫌いではないが、そういう「殴るの大好き人間」は嫌いだし、何かと「根性がある」とかなんとかかんとか、「根性」で通そうとする非論理的・非科学的な人間というのも嫌いなのだ。 なにせ、「ID野球」「野球は頭でやるもんや」の信奉者やからな。野村克也が『私が選ぶ名監督十人』で、西本幸夫を、それまで優勝したことがない大毎・阪急・近鉄という3チームの監督になってことごとく優勝させたというすばらしい監督だと評価しながらも、選手に鉄拳制裁する監督であり、そのあたりが、優勝はできても日本シリーズでは勝てない、という結果につながっているのではないかという指摘をしていたが、指導者に殴られて上達したような選手は、それで上達する点があっても、同時に自分で考えて行動する精神構造が奪われる傾向もあると思う。それが肝心なところで出てくる・・ということはありうるようにも思う。私は慶應体育会の「殴るの大好き人間」という野蛮人が嫌いである。こういうことを言うと体育会の人間は「スポーツが嫌いならばしかたがない」とか言い出すのだが、私はスポーツが嫌いだと言っているのではなく、殴ったり殴られたりするというのが嫌いなのだ・・・が、体育会の人間にそれを理解させようとしても無理であり、その頑固さは嫌いである。

  (2019.12.30.)

ヴォーリズ建築の100年: 恵みの居場所をつくる
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毛沢東 (1967年) (角川文庫)
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労働法入門 第7版 (有斐閣双書)
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