権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。

[第474回]
  ふと、気づくと、我が家の南側に巨大なものが出現していて、私も多忙であり、他に誰か言うべき人がいるのではないかとか思っているうちに、工事が進むようで、これはどう考えてもおかしい、と思い、船橋市役所都市計画課、習志野市役所都市計画課に行き、習志野市役所建築指導課にも行ったのですが、特に、習志野市役所の対応については、なぜか、事業者側に完全についているという印象で、不思議に思いました。
  都市計画図を見ると、「津田沼 ザ・タワー」の部分だけ、商業地域が南側にベロのように突き出ていましたので(↓)、

( ↑ 習志野市谷津1丁目15。 「津田沼 ザ・タワー」の場所。)
津田沼駅南側用途地域2 .JPG
まさか、「津田沼 ザ・タワー」を建てさせるために用途地域を変更させたとか、そんなことでもあったのだろうか・・とか思ったのですが、「津田沼 ザ・タワー」が建築中の土地は、「仲よし幼稚園」という幼稚園の跡地だということは現地にも出ていたのですが、複数個所から聞いた話によると、どうも、この「津田沼 ザ・タワー」が建築中の「仲よし幼稚園」という幼稚園の跡地は習志野市の所有地であったものを習志野市が売却して、この高層マンションを建て始めたらしい。習志野市HP でも、
「仲よし幼稚園跡地活用事業」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/index.html
「仲よし幼稚園跡地活用事業 事業者選定結果」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/senteikekka.html
「仲よし幼稚園跡地活用事業 事業者選定結果について」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/senteikekka.files/senteikekka.pdf
・・などというものが出ています。
   「活用事業審査委員会委員」として名前が出ている人を見ると、習志野市商工会議所会頭とか習志野市商店会連合会長とかと谷津連合町会長とかとともに、習志野市企画制作部長・習志野市総務部長・習志野市都市整備部長などの名前があり、そして、千葉工業大学工学部教授・千葉工業大学工学部助教といった人の名前と役職名が出ています。 そもそも、こんな非常識なものを選定した人、特に、地元の商店会とか南側の谷津の町会の人はまだしも、千葉工業大学工学部教授て、千葉工大は建築学科がありますから、もしかして、こんなものを「選定」した人て、建築学科の教授なのかあ??? ・・と思い、「山本明 千葉工業大学工学部教授」と入れて「検索」をクリックすると、「千葉工業大学 山本明研究室」HPの人物紹介https://www.cit-ylab.com/about-me が出てきた。
   1971年、東京工業大学 建築学科卒で、1974年から「千葉工大」、2015年から千葉工大の名誉教授だそうで、なんと、驚いたことに、
《  工学博士 専門: 地域計画,景観の形成と保全 》
などと出ている。なんじゃ、こりぁあ~あ!!!! 「専門:地域計画、景観の形成と保全」だとお~お?!?!?  「よく言うわ♪」
 
なんじゃ、このおっさん~ん!!!
 《 これまでの主なテーマ
● 歴史的街並み形成と景観保全
● 景観心理
● 景観まちづくり
● 市街地整備の在り方
● 地域施設整備 など 》
だとお~お???  はあ~あ???
ど~こが、「歴史的町並み形成と景観保全」だあ~あ????
ど~こが「景観まちづくり」だあ~あ?????
どこからそんな文句が出てくるんだあ~あ?????
「バカ言ってんじゃないわ♪」 


《 好きなこと・もの:静寂/森林浴/写真/囲碁/ショパン/マラソン/酒 
  嫌いなこと・もの:喧噪/競い事/権威主義/スノッブ/パイナップル 》
だとお~お????
  「好きなこと・もの」が「静寂」だ「森林浴」だと言いながら、こんな非常識な人工的岩山マンションの建設を認めているのかあ???
「嫌いなこと・もの」は「喧噪」だあ??? で、こんな岩山マンションを建てさせるのかあ???
「嫌いなこと・もの」が「権威主義/スノッブ」だとお??? それで、おのれは「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員 委 員 長」になって「 千葉工業大学工学部教授」の役職を権威としてかざして、こんな非常識な高層マンションを建てさせてるということなのかあ?!?!?  なんだ、こいつは!!! なんだ、この権威主義のスノッブは!!! 山本明こそ「権威主義」で「スノッブ」であろうが!!!

「よく言うわ♪」 「バカ言ってんじゃないわ♪」
「私が何にも知らない、とでも思っているのね~え♪」
※ snob (名詞)1.紳士気取りの俗物、地位・財産などの崇拝家、上にこび下に横柄な人、スノッブ。
 2.《自分の愛好する学芸・趣味などを至上のものと考え》鼻にかける人、気どる人。
 ( 岩崎民平・小稲義男監修『新英和中辞典 第三版』研究社 )

  いやあ~あ、あきれた!  こんなのが名誉教授だそうだ。こんな人が。この節操のなさはなんだ!!!
これが千葉工業大学の名誉教授だそうだ!!! この男、東京工業大学の建築学科でいったい何を勉強してきたんだ?!?
 「千葉工業大学 山本明研究室」HPの人物紹介https://www.cit-ylab.com/about-me を見ると、「1948年滋賀県大津市生まれ」だそうで、1971年に東京工業大学の建築学科卒だ・・ということは、卒業した歳は23歳。1年、ローニンか留年かしおったいうことか? 私などは、「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と父親から言われ、「国立大学なら何学部でも学費は一緒のはずや」と言っても、母からは「何を言ってますのん。たとえ、国立大学なら学費は何学部でも一緒でも100%絶対に通るとは限らんでしょうが。落ちたら私立に行かないといけないんだから、工学部なんて受けてはいかんでしょうがあ」と言われ、我が家はとうてい工学部なんて行かせてもらえる状況ではなかった。父の弟(私の叔父)に娘と息子がいて、叔父は30代で脳卒中をやって働けなくなってしまい、けっこう大変だったようだが、1つ年下の叔父の息子(いとこ)は京都工芸繊維大学の土木学科に行ってけっこういい会社に勤めたようだ。父は「わしほどえらいえらい人間はおらんねんぞお」と常に言っていたので、お父さんが脳卒中で倒れた家庭でも京都工芸繊維大学しか行けないやつでも工学部に行かせてもらっているのに、なぜ、私は経済学部・商学部にしか行かせてもらえないのか。なぜ、私は小学生の頃からその学部だけは生かされたくないと思っていた学部に行かされなければならないのか、それも、日本で一番嫌いな大学の小学生の頃からそこだけは嫌だと思っていた学部に行かされなければならないのか・・と思ったが、結局、その日本で一番嫌いな大学のそこだけは行かされたくないと思い続けてきた学部に行かされて、最後は「大卒」の肩書を獲得するためだけに卒業した。そういう経歴の者からすれば、東京工大の建築学科なんて行かせてもらったなんて・・「ええなあ、うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」・・・「わしぁ日陰の月見草」・・て感じがする。
   「日陰の月見草」のぼやきはさておき、生まれた年と場所、卒業した大学学部とその年は記載されているが、その間が書かれていない。絶対に書かないといけないという決まりがあるわけでもないが、私が大学生の時に慶應大学の商学部のゼミ案内の冊子を見た時も思ったのだが、ゼミ案内の冊子にしても、ゼミの説明会の時の3年生ゼミ員の話にしても、教授を一生懸命ヨイショするばかりで、ヨイショの話は要らない、そうではなく、人間にはいい人かどうかということではなく、相性のようなものだってあるのだから、私はこういう人間です・・という自己紹介みたいなものがあっていいのではないか、それには、小学校から高校までの育ち方、どうしても言いたくないのならしかたがないが、そうでないのなら、どんな学校に行ってどうだった・・なんて話を知りたいと思ったものだった。私なんかは慶應では内部進学の人から「(慶應義塾の)外部の者」と言われる人間、大学だけ行った人間だから、内部進学の教授とは合わんだろうと思った(但し、「幼稚舎から慶應」なんて人でも、そういう排他的な態度はよくないと思っていてけっこう寛容な精神の人も中にはおられるようなので、決めつけすぎない方がいいかもしれないけれども)し、合わない者同士で苦労するよりも比較的合う人間同士でやった方がいいと思ったのだが、この山本明さんにしても、自己紹介ならば、卒業した大学だけでなく、それまでについてもいくらかは述べても良さそうに思うのだが、それが見当たらない。 〔 会社の株主あての事業報告書とかで取締役の紹介欄を見ると、「あれ、前は最終学歴の欄があったと思ったのに、なぜか、なくなったな・・」なんて思うと、その時から社長の息子が取締役の1人に(あるいは2人に)入っていた・・・なんて会社がある。要するに、「社長の息子があんまりええ大学出とれへん」という場合には学歴欄がなくなるようだ・・・病院の医師紹介の欄に出身大学の記載がない病院というのも、院長かその息子か娘かが私立金権裏口医大卒だとかいうケースがあるのではないかと思う・・が、それと同様に、出身大学学部は記載しても高校は記載しないという人の場合、高校はあんまり名門校じゃない・・という人がいるが、この人もそうなのかどうか・・、それはわからん・・・が、大学は書いて「滋賀県大津市生まれ」も書いても、その間は一切書かないというのは、なんでかな・・と思うのが普通・・かな・・。〕
   どういう人間かということの自己紹介であれば、要するに、「仲よし幼稚園跡地活用事業 」の「活用事業審査委員会委員」の「委員長」として「千葉工業大学工学部教授」という肩書付きでなって、こういう非常識なものを住民に知らせずにだまし討ちのように実力行使で工事を進め、その「活用事業審査員会委員長」に「千葉工業大学工学部教授」「 工学博士 専門: 地域計画,景観の形成と保全」などと勝手なこと言って就任することで、その住民を無視した計画を正当化・箔付けしているのであり、まさに「権威主義」の態度をとっている人間であり、その権威主義の男が、なんと、「山本明研究室」HPの人物紹介欄において、「嫌いなこと・もの:…/…/権威主義/スノッブ/…》などと記載するというそういう厚顔無恥な人間ですよ・・・と自己紹介しているわけである。
   ・・・しかし、この男もよくやるよなあ、ほんとに・・・。

  だいたい、「有名建築家」というものの存在自体が「権威主義的」であり、ファシズム的傾向があると私は思っている。日本であれ外国であれ、相当古い時代、飛鳥時代、法隆寺の建築がすばらしいかくだらないか・・なんてのは、法隆寺を建てた人が誰であるかとは関係ないわけだ。桂離宮はすばらしい・・とドイツ人の建築家ブルーノ=タウトさんがおっしゃった・・というのでそれにあやかろうとして一生懸命称賛している人もいるかもしれないけれども、私はタウトさんがどう言うか言わないかにかかわらず桂離宮はすばらしいと思っているが、桂離宮の設計者は誰なのか、というとこれはどうもはっきりしないらしい。小堀遠州ではないかと言われたり、小堀遠州は何らかの形で関わっているが小堀遠州の設計ではないとも言われ、桂離宮の施主の八条の宮 自身ではないのかという説もあるらしい。結局、誰とはっきりとはわかっていないらしいが、桂離宮というのが誰の設計であるかによって、それで桂離宮が「おお、なんとすばらしい!」と称賛しなければならない建物になるか、それとも、くささないといけないものになるか、そういうものではないはずなのだ。
  ところが、それに対して、戦後の建物についてはそうではない。「名建築」とされるものというのは、その建物がすばらしいかどうかで判断されるのではなく、先に「有名建築家」という人が指定されていて、「有名建築家」が設計した建物ならば「名建築」と評価されてしまっているところがある。 「世界の丹下健三」とか言われると、水戸黄門の印籠でも見せられたかのように「はあはあ~あ・・・」とひれ伏して称賛しなきゃならんみたいな・・、そんな傾向が現実にある。丹下健三の「東京湾計画」なんてあんなものは自然破壊計画以外の何物でもないし、もしも、あんなものを実行していたならば、2011年の東日本大震災の時には相当の被害が出ていたであろうし、そうでなくても、東京湾アクアラインの橋や海ボタルだけでも東京湾の漁獲に影響が出ているらしいのに東京湾の漁業にさらに大きな打撃を加えたことだろう。 そういうものでも「世界の丹下健三」と言われると「逆らってはいかん」みたいになる・・・みたいなそういう傾向というのは、これはファシズム的傾向であり戦後の建物について先に「名建築家」が指定されて「名建築家」が設計したものが「名建築」と決められた・・というようなそんな「名建築」というのは、誰が設計者であるかには関係なく判断されている法隆寺や桂離宮とは「名建築」であるかどうかの判断基準がまったく別なのだ。
   1980年代、慶應大学に在学中、文学部の学生でロナルド=レインの著作を高く評価していた男が、小此木啓吾の講座に出たところ、小此木啓吾から「レインは時代遅れです」と言われたそうで、しょげていたことがあり、私は「小此木啓吾はもっと時代遅れです」と言ってあげたことがあったのですが、その後、小此木啓吾が他界した後、レインの著作は今も読まれていますし古典として評価が変わることはあっても価値がなくなることはないと思いますが、小此木啓吾の身勝手な本は小此木の他界とともにどっか行っちゃった・・みたいな感じ。「(ロナルド=レインよりも)小此木啓吾の方が時代遅れです」という私の見解は正しかった!(^^)!。先に「名建築家」が指定されてその人の設計の建物が「名建築」とされている現代建築は、100年後、200年後においては、過半数がクズの評価に変わる可能性があるのではないかと私は思っています。

   なぜ、習志野市役所の都市計画課や建築指導課の職員は最初から「事業者より」の態度だったのか。都市計画課は事業者の計画が都市計画に沿うものか沿わないものか、都市計画として好ましくないものは都市計画課としてそうならないように規制しないといけないはずであり、建築指導課はこれは取り締まる部署であるから、役所としては取り締まらないといけないような法規制に対する違反があれば取り締まることができるが、逆に違法でなければ違法でない限りは市民の評判が良くなくても取り締まれないという立場かもしれないが、そうであっても、建築指導課というのは「建築を指導する課」であって立場としては業者を取り締まる部署であるはずなのに、それなのに、業者と仲間みたいな雰囲気の態度だった。なぜなのだろう? と思ったのだが、もともと、習志野市の所有地であったものを売却したものだった、それだけではなく、買った業者が人工的高層岩山を造りだしただけではなく、習志野市もまた、
「仲よし幼稚園跡地活用事業」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/index.html
「仲よし幼稚園跡地活用事業 事業者選定結果」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/senteikekka.html
「仲よし幼稚園跡地活用事業 事業者選定結果について」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/senteikekka.files/senteikekka.pdf
として、習志野市役所のホームページにも掲載されているように、その計画にかんでいたということだったようだ。
   船橋市役所の都市計画課の方は、「船橋市の場合は、このあたりまでくれば戸建住宅に住めるという場所ですからね」と言われ、 「気持ちはわかるのですが(習志野市での建物なので、習志野市役所の方に言っていただかないと)と言われたのに対して、習志野市役所の都市計画課の職員の対応はそうではなく、「習志野市では、高層マンションの建築を規制するということは、今後にわたっても絶対にしません!」と、私は、たとえ、この「津田沼 ザ・タワー」についてどうもできなかったとしても、今後の問題として、このような高層ビル、特に商業ビルではなく住居専用ビルとしての高層ビルができていく、その北側の住民の居住環境など何ら考慮されることなく建築されていくことに対して、市役所として、特定の会社にだけ、特定の工事にだけ、だめだと言ったのでは不公平になってしまうおそれもあるので、あらかじめ、市として規制を設けるようにするべきではありませんか、と市民の意見として言ったのに、そういう市民の意見をきいてなるものか! という態度と返答であったので、その対応に驚いたのでしたが、 「津田沼 ザ・タワー」については、習志野市が市の所有地を売却する時点で、この相手に売れば、その相手はどういうものを建てるかということをわかった上で売却していて、「津田沼 ザ・タワー」は習志野市が事業者というわけではないけれども、実質、計画に市がかんでいたような状況だったようです
   船橋市役所の都市計画課の方の「船橋市(及び習志野市)の場合は、このあたりまでくれば戸建住宅に住めるという場所ですからね」という発言がこの船橋市・習志野市の住民の一般的な意識ではないかと思います。だから、船橋市役所都市計画課の方は、特別のことを言っているつもりはなく口にされたのでしょう。習志野市役所の職員の対応が奇妙な対応だったのです。なぜ、こういう対応になるのか・・と思っていたら、「津田沼 ザ・タワー」には習志野市が一枚かんでいた・・・ということなのか・・・( 一一)

   習志野市の所有地であったものを、この土地をこの相手に売却すればどういうものを建てることになるか・・ということを考え、タワーマンションを建てている業者に駅の南のモリシアビル、元ダイエーが入っていて今はイオンその他の商業施設が入っているビルのすぐ南側の土地を売却したならば、タワーマンションを建てるということは十分に考えられることだったはずです。
   ↑ の都市計画図を見ると、「津田沼 ザ・タワー」が建っている場所だけ、「商業地域」が南側にベロのように突き出ています。これは、もしかして、専用住宅の高層ビルの「津田沼 ザ・タワー」を建てさせるために容積率が高い「商業地域」にその区域の用途地域を変更したのか? そこまでやったのか??? ・・・そこまではやっていないかもしれない。それは違うのかもしれない・・・としても、その区域だけ南側にベロのように「商業地域」が突き出ているのは事実であり、ここはかつて商業施設があったか商業施設を設置するために商業地域に指定した場所ではないかと思われるのですが、もしも、この土地をこの相手に売却したならば専用住宅を建てるということがわかっているのなら、売却する前に住居系の用途地域に用途地域を戻した上で売却するべきではなかったのか? 習志野市の所有地を最初からこの相手に売れば専用住宅を建てるということがわかっている相手に売却するのに、容積率が高い「商業地域」の状態で売却するというのは、それはおかしくないか??? もしも、その相手にその土地を売却したならば、その相手は高層マンションを建てるであろうということがわかっている相手に売却するにおいて、商業施設を建てることができるように商業地域に指定して容積率を高く設定した場所を、本来の住居系用途地域に戻して売却するのではなく、高層マンションを建てやすいようにそのまま商業地域のままでマンション屋に売却してマンション屋に協力するということであれば、習志野市役所はそれで市役所の仕事をしていると言えるのか??? それでは市役所ではなくマンション屋の下働きでしかないのではないか???

  そもそも、「仲よし幼稚園跡地活用事業」というものですが、これは「仲よし幼稚園跡地」を高く売るための事業なのか、それとも、「仲よし幼稚園跡地」をうまく活用して、JR「津田沼」駅の南側、京成電鉄「津田沼」駅の北西側の区域をどのようにしていこうかという計画、習志野市が実施した「習志野市の所有地であった仲よし幼稚園跡地を活用してJR『津田沼』駅の南側、京成『津田沼』駅の北西側の区域を再計画して活性化する事業」なのか、どちらなのか。名称を見ると「JR『津田沼』駅の南側、京成『津田沼』駅の北西側の区域を、習志野市の所有地である「仲よし幼稚園跡地」を活用することにより考えようとしているかのような名称ですが、実際にやっていることといえば、「仲よし幼稚園跡地」をタワーマンションを建てる業者に売却し、マンション業者の利便をはかるためにJR「津田沼」駅から直結のデッキを建設するという計画でしかないわけです。
  なんとも貧相で稚拙な計画です。市役所が実施した計画にしては、まがりなりにも大学の建築学科の教授が「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員 委 員 長」になっておこなったにしては、結果としては単にマンション屋の便宜を市役所がはかったというだけの計画でしかないものであり、これが建築学科教授の選定か??? 「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じがします。「建築学科教授」「工学博士」というのはマンション屋の便宜を市役所がはかることを正当化し権威づけるための存在か?・・・というよりも、現実にそういう働きを「建築学科教授」「工学博士」はおこなっている。もし、違うというのならどう違うのかぜひとも説明してもらいたいものである。

  もしも、習志野市の所有地である「仲よし幼稚園跡地」を活用しながらJR「津田沼」駅の南側・京成「津田沼」駅の北西側を活性化させようという計画であるのなら、私なら、この跡地には・・。
  たとえば、東京都港区三田にある丹下健三設計のクウェート大使館の建物ありますね。あの「丹下健三型ひょっとこ建築」は構造上、かなり無理があるようで、見に行ってみると外壁にはあっちこっちに「すじ」が見えます。「すじ」て、要するに「クラックを補修した跡」てことですから、あんまり安心建築ではないてことです。「丹下健三型ひょっとこ建築」としてはJR「新橋」駅の近くの静岡新聞・静岡放送ビルもまた、「なんか、すごい」て感じがしないでもないけれども、どうも、使いにくそう・・て感じで、枝みたいに出っ張った部分の部屋はあんまり使われていないみたいな感じです。 そういうのを作れなんて言うつもりはありませんが、クウェート大使館の建物をもうちょっと構造を配慮して安全なもの・耐久性の期待出来るものにして、そういうものをこの「仲よし幼稚園跡地」に多少モニュメント的性格も持たせて作り、誰が入居するかというと、JR「船橋」駅と京成「船橋」駅の間のフェイスビルに船橋市役所の出張所が入っているように、習志野市役所の出張所やその他の公共施設を入れて、そこに人が集まるようにして、クウェート大使館は中ほどの階に庭園がありますが、あれよりは構造を考えた建物にしても中ほどにそういう庭園を設けることは可能だと思いますので、そういう場所として、そして、習志野市役所の出張所やその他の公共施設を入れるとともに、それに来場した人向けの商業施設もいくらか入ってもらうようにして、教養的な企画をおこなえる部屋も設け、東側の千葉工大には、大学として一般市民向けの講座を開催するなどの企画をおこなってもらうように依頼し、大学としての展示もしてもらうようにすれば、千葉工大の存在感も増すことになり大学の評価も上がるのではないかと思われますし、音楽ホールなり美術館なりを一角に設置すれば、それまで、JR「津田沼」駅の北側の住民は買い物には、JR「津田沼」駅の北側にあるパルコやイトーヨーカドー、新京成「新津田沼」駅のさらに北側のジャスコに行くことはあっても、駅の南側にはなかなか行かなかったものを、音楽ホールや美術館ができたり、JR「船橋」駅と京成「船橋」駅の間のフェイスビルのように駅のそばに公共施設が入るビルができて、また、それがありきたりの建物ではなく、なかほどに庭園階があるビルだということになると、JR「津田沼」駅の北側から南側へでも行こうという人が出てくるのではないか。 それとともに、JR「津田沼」駅の南側から京成「津田沼」駅までの間に遊歩道を設置し、JR「津田沼」駅から京成「津田沼」駅までの間を常に人が行き来するような場所にする。もともと、JR「津田沼」駅の南側には、津田沼中央総合病院があったり、本局である習志野郵便局もあり、河合塾もあり、この近辺ではもっとも硬派の大規模書店の丸善津田沼店もありする地域であり、習志野市としては習志野市の主要駅であるJR[津田沼」駅と京成「津田沼」駅が少々離れているというのが難点であったわけですが、これを難点と捉えるのではなく、むしろ、この間の区域をこの2駅を結ぶ遊歩道を整備することでその両側を中心に人の流れを作るように持っていけば、JR「津田沼」駅の南側の商店にしても京成「津田沼」駅の付近の商店にしてもプラスになるのではないか。習志野市役所が、最近、東に移転して新しい建物ができましたが、あれも、東に移転するのではなく、むしろ、西に移転して京成「津田沼」駅とJR「津田沼」駅の間の京成「津田沼」駅よりに作れば、
JR「津田沼」駅~仲よし幼稚園跡地の公共施設兼文化施設~習志野市役所新庁舎~京成「津田沼」駅
というつながりができ、その途中に習志野郵便局があり、津田沼中央総合病院があり・・というようにできたのではないでしょうか。
  大阪府箕面市の阪急箕面線「箕面」駅の東側には、かつて、ダイエーがありましたが今はダイエーは閉店して2階から上がマンションになり1階にだけミスタードーナツが残り、新たに理髪店・美容院などできていますが、スーパーはダイエーよりもまだ駅から遠い場所に「いかり」「コーヨー」という2店ができているのですが、駅から遠いかわりに駐車場があるものの誰もがクルマで買い物に行くわけでもなく歩いて行く人だってあるのですが、ダイエーでもけっこう遠かったのにそれよりもさらに駅から遠い位置にできた2軒のスーパーに買い物に行くのは大変か・・・というとそうでもなく、その間に歩行者専用の道路ができ、広い歩道ができ、南北の府道豊中亀岡線を、あえて車道を狭くしてその分だけ歩道を広くすることで人が歩きやすいようにした結果、それまで駅から遠くて行く気にならなかったような場所でも、何気なくぞろぞろと歩いて行くと苦痛を感じずに行くようになったのです。さらに、車道を狭くして歩道を広くして歩きやすくした府道豊中亀岡線をさらに南に歩くと、それまでは何もなかった所に両側に商店ができてその前を南に歩いて行くと箕面市役所に出会う。この「車道を狭くして歩道を広げる」という発想は成功したのではないかと思います。 箕面市役所は阪急箕面線「牧落」駅が最寄り駅で「箕面」駅からはけっこう遠かったはずなのですが、ところが、駅から歩きやすい歩道があったり歩行者専用道があったりしてそこに人の流れができて両側に商店ができてすると、ぞろぞろと歩いて行くと「そのうち着く」ことになり、遠いという印象を受けなくなりますJR「津田沼」駅と京成「津田沼」駅の間も、そういった「何気なしにぞろぞろと歩いて行くとふと気づくとつく」というような歩行者の流れのある道を意図的に設けてその両側周囲にある施設や店舗を利用してもらえるようにもっていけば、JR「津田沼」駅と京成「津田沼」駅が離れていることがマイナスになるのではなく、むしろ、それを活かすことができるようになる可能性があると思うのです。「仲よし幼稚園跡地」はその計画のひとつの核としての施設を作るようにすれば良かったのではないか。その上で、上層階に一部分、住居専用の階を設けてもそのくらいは悪いということもなかったのではないか。
  これ、私は、今、パソコンを打ち込みながら思い浮かぶままに入れたものですよ。ともかくも、《単に「仲よし幼稚園跡地」を売却してその代金を回収する計画》ではなく、「仲よし幼稚園跡地活用事業」ならば、このくらいは考えたらどうでしょうか。 単に、「仲よし幼稚園跡地」を売却する作戦というものではなく、その跡地を活用してこの区域を活性化させようというものなら、このくらい考えたらどうでしょうか。千葉工大建築学科教授て、このくらいも考えつかないのでしょうか? 千葉工大名誉教授の山本明という男は、「千葉工大建築学科教授」「工学博士」「専門: 地域計画,景観の形成と保全」という権威を利用して、マンション屋の走狗になるだけの男だということなのでしょうか? 建築学科の大学教授なり名誉教授なりであれば、このくらいは考えついて良さそうなものだと思いませんか? そうでないとしても、単にマンション屋がその付近、特に北側地域の住民の環境を悪化させて自分たちさえ良ければそれで良し・・という計画を、「やったもん勝ち」みたいに実行するものを権威づけるのであれば、そんな大学教授・名誉教授、建築学科なんぞ二束三文の価値もない! と言わざるをえないでしょう。違いますか? 山本明さん、何か、文句あったらぜひとも言ってもらいたいものですね。何か、文句言えますか???

  もうひとつ、建築学科教授がこのくらいのことも考えないのか?・・というものがあります。
  私は、基本的には高層ビルというものはそんなにいいものとは思っていませんが、それでも、「場所によっても事情は異なる」と考えています。 まず、
(1) ドバイのような所
(2) 関東平野で東京の西新宿のような所
(3) 関東地方だが、船橋市・習志野市のような場所
(4) 大阪平野もしくは奈良盆地のような所
  世界で一番背が高い建物はどれだ? ・・・というと、答えは、アラブ首長国連邦のドバイの「ブルジュ=ハリファ」というビルらしい。
 《ウィキペディア―ブルジュ・ハリファ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A1 に掲載されている写真で見ると、なんだか、「バベルの塔」みたい・・という印象を受けるが、ドバイに行って見るとどうなのかはわからない。一度、ドバイに行ってブルジュ=ハリファを見てみたいと思うのだが、貧乏人のことゆえ、なかなか行けない。
  実際にドバイに行ったことがないので、実際のブルジュ=ハリファについてはあまり正確なことは言えないのだけれども、立地から考えると、片方が海で他方が砂漠みたいな場所のように思える。(1)ドバイのようなそういう場所であれば、高さを比較するものがないので、少々、高いものを建てても、それがモニュメントとしてその地域の人に認知され承諾されるのであれば、マイナスは少ないかもしれない
  その逆が(4)の大阪平野とか奈良盆地とかの場合である。奈良盆地は、『古事記』にヤマトタケルが詠んだとして書かれている「大和は国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる大和しうるわし」とあるように、四方を山で囲まれた盆地であり、法隆寺のあたりとか、大和三山のあたりとかで周囲を見渡すと、山に囲まれたその風景がなかなかすばらしい。ヤマトタケルが詠んだのかというと、もとより、ヤマトタケルは実在した人間ではないので、実際には他の誰かが詠んだのであろうけれども、この歌は大和盆地・奈良盆地の風景を見事に詠みこんでいると思う。 大阪平野はどうかというと、「平野」と言うけれども、北は老坂山地・東に生駒山地・金剛山地、南に和泉山脈、北西部に六甲山地とあって、山がないのは西側の大阪湾だけである。私は、最初に東京圏に住んだ時、住居の場所としては横浜市港北区日吉なのだけれども、日吉に限ったことではなく、東京都内にしてもどこにしても、「東京には山がない」と思った。大阪なら少し移動すれば山が見えるのに「東京には山がない」。高村幸太郎『智恵子抄』では「智恵子は東京には空がないと言う」と語られるが、福島県の空は中通りにしても浜通りにしても東京の空とは比べられえないほどきれいな空で、福島県中通り地方から東京に行った智恵子としては「東京には空がない」と思ったのではないか。安達太良山の上にある空が本当の空であって東京の空なんて空ではないと思ったのだろうが、大阪から東京に行った私は「東京には山がない」と感じた。大阪なら少し移動すれば緑の山が見えるのに、東京では山が見えない。 大阪平野は「平野」と言うけれども、西側が大阪湾として開けているだけで、北西・北・東・南と山に囲まれて盆地に近い平野である。そして、大阪平野は関東平野に比べて平野が広くない。だから、関東平野であれば平野が広いから、相当背の高いビルを建てても、周囲の山の高さと比較して見えるということはあまりないのだけれども、大阪で高層ビルを建てると、向こう側の山が背景に見えて、大阪平野を取り囲む山よりも高い野蛮な高層ビルが一目瞭然とわかる。 大阪平野のような山で囲まれた盆地に近い平野の場合には、最高でも周囲の山より高くならないように配慮して建物は建てるべきであろう。それが配慮されていない例が、大阪府豊中市の北大阪急行「千里中央」駅の近くの「千里タワー」であり、[第122回]《野蛮な 千里タワー。 大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由。》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html にその写真を掲載した。向こう側の山より高い「千里タワー」は野蛮である。
  1998年、「世界中をまわってきた人もこんなに美しい所はないと言うよ」と「帰れ、ソレントへ」の歌に歌われるイタリアのソレントで泊まったホテルは、日本で予約できるホテルは5つ星のホテルだけだったので、私にとっては不似合いだがしかたなしにその5つ星のホテルに泊まったのだが、そのホテルとしてはできるだけ安い金額で泊まったからなのか、前にはソレントの街があってその向こうにはソレント湾が広がるが、後ろには絶壁の岩山の岩肌しか見えない・・という後ろ側に面した部屋だった。実際には、夜、その部屋で寝るだけで昼間は出かけたので、部屋からの眺めはどうでも良かったのだけれども、そのホテルだが、背後の絶壁の岩山より少し低い高さで建てられていたのだった。そのあたりの配慮は明らかに日本はイタリアに劣ると思う。ともかく高いものを建てようとする態度と、そうではなく、その場所にふさわしい高さとはどういう高さなのかということを考えて背後の山より高くしないように建てられた建物とでは、どちらが文化的態度か。どちらが教養ある態度か。当然、背後の山より高い建物は建てるべきではないといったことを考えて建てられるその態度の方が文化的で教養ある態度であろう。
  何年か前、大阪市の天王寺駅の前で、通天閣を見て、「ちょうどいい」と思ったことがあった。東京の人間には大阪嫌い・関西嫌いの人間(ついでに「アンチ阪神」の人間)が多く、東京タワー・名古屋タワーなどに比べて通天閣がかなり低いことを「ちっさ!」と言って通天閣をバカにしたがる人というのがいるのだが、東京タワー・名古屋タワーは電波塔であるのに対して、通天閣は電波塔ではなく娯楽目的専用の展望塔なので、電波塔として必要とされる高さにする必要がないので、それで、東京タワーや名古屋タワーよりも低い高さになっている。天王寺駅の北側に立って見て、通天閣は「その場所にはちょうどいい」高さだと思ったのだ。
 さらに、岐阜県高山市の飛騨国分寺に三重塔があるのだが、一般に五重塔と三重塔とでは五重塔の方が値打ちがありそうな感じがするのだけれども、飛騨国分寺の三重塔を少し離れた場所から見て、そうでもないと思ったのだ。この場所にはこの高さの塔が「ちょうどいい」と思ったのだ。
  もちろん、「ちょうどいい」と思うかどうかは、これは人によって感じ方は違うかもしれない。愛知産業大学の建築学科のスクーリングの際、M先生が江の島のサムエル=コッキング苑の塔(https://enoshima-seacandle.com/ )を、「塔でいいと思うものはあまりないけれども、江の島のサムエル=コッキング苑の塔はいいと思う」と言われたことがあり、M先生の話をそれまでに聞いて私と考え方に共通するところが多い方だと思っていたけれども、その点については、私はあのサムエル=コッキング苑の塔はない方がいいのに・・と思っていて、そのあたりについては、これは「感じ方の違い」というものだったのだろう。デザイン・外観についての印象というものは、人によって「感じ方の違い」というものはどうしてもあるわけで、これはなくなることはないし、なくす必要もない。ひとつには、建築学科卒で「建築家」として生きてきた人と私のように社会科学系学部卒で「哲学徒の精神」「文学者の精神」を持つ者とでは、自然そのものをいいと思うか人工的に何かを自然に加えたものをいいと思うかという問題において、「建築家」は何かを加えたものの方を好む傾向があり、「哲学徒」「文学者」は自然そのものを好む傾向があるのではないか、とも思った。そのあたりは「感じ方の違い」であり、そういう「意見の違い」ならばあることだと思う・・・が、「津田沼 ザ・タワー」などというものをいいと思う人間というのは、それは、この高層マンションの工事で「おいしい思い」を何らかの形でさせてもらった人ならいいと思ったかもしれないが、そうでなければ、いいと思う人間というのは基本的にはないはずなのだ。
  (2)関東平野は、(4)大阪平野や奈良盆地などよりもずっと平野が広い。かつ、周囲の山は北側と西側だけで、東と南は(基本的には)海である。だから、高さを比較する山がそれほどない。だから、この点において、高層ビルを建てた場合の美観上のマイナスは大阪平野や奈良盆地などに比べると出にくい。
  しかし、それはあくまでも「大阪平野や奈良盆地に比べると」であって、関東地方においても、そういった問題が出ないわけではない。「大阪平野や奈良盆地などに比べると関東平野は問題が出にくい」というのは、ある程度離れた場所から見た美観の問題においての話です。この場合、「ある程度」というのは、千葉県の鋸山の上から東京方面を見た時、東京都内に高層ビルがあっても、その向こうの関東山地は東京から遠いので、関東山地の山と東京都内の高層ビルとの高さは、少なくとも鋸山から見た感じでは比較して見える状況ではなかった。そういう意味では、関東平野においては大阪平野や奈良盆地などにおけるよりは高層ビルが美観を損なうというマイナスは出にくい、ということだ。
  西新宿の高層ビル群というのは、淀橋浄水場の跡地を利用して作られたもので、最初から高層ビル群の街にする計画で進められた(丹下健三都市建築設計の設計によるコクーンタワーという空からでっかい文鎮が降ってきたような悪趣味な建物は別だが)。西新宿の高層ビル群については、高さを高いものを作ることで上に部屋を多く取り、そのかわりに、地上において空間を多く確保する・・というメリットがあり、又、最初からその地域の建物はすべて高層ビルとする計画であることから、隣の建物の住人が被害を受けるという問題がでない。いわば、分譲地で特定の区画だけ2分割・3分割したことで先住の住民と軋轢が生ずるのではなく、すべての区画が狭小の土地に建っている住宅地では互いに境界線からそれほど空けずに建物を建てても隣家から文句は言われないし隣家に文句を言うこともない・・というようなそんな感じか。東京都内の「山手線の内側で中央線より南側」及び、池袋~高田馬場~新宿~渋谷~大崎・品川といった山手線の西側のラインの両側などにおいては、もはや、オフィス街としてその地域が成立しているので、高層ビルとこれまでの中層ビルとの間の問題というものがないことはないかもしれないが、地域によって、どういう地域にするかの同意が形成されれば、高層ビルが建てられても、その地域において問題が生ずることは少ない。但し、西新宿などの高層ビル群の街を多少離れた場所から見ると、岩山がその地域に作られたように見える、人工的にそのような岩山を造ってよいものかどうか・・といったことが尾島『異議あり! 臨海副都心』(1992.3.19.岩波ブックレット)では指摘されている。特に、西新宿のような東京でもある程度は中に入った場所ならともかく、臨海部に高層ビルを並べて建てると、海側に衝立を建てられたようになり、海からの風を遮り、東京都内の気温を上昇させることになるという。
  西新宿などにおいてもいくらか離れた場所から見ると岩山が人工的に造られたような状態になっていることなど、問題点もあるとしても、その地域はオフィス街として全体が成り立っており、片方で、上に部屋を多く取ることにより地上において空間を多く確保できているという面もある。 しかし、それは(2)西新宿などの場合のことである。(3)船橋市・習志野市などにおいてはプラス面はない。そこはどういう場所かというと、船橋市役所都市計画課の方が当たり前の認識・普通の考え方だと思って口にされたように「船橋市(や習志野市)の場合は、このあたりまでくれば戸建住宅に住めるという場所ですからね」というそういう場所なのだ。我が家にしても、できればもう少し東京に近い場所の方が良かったのだけれども、このあたりまで来れば戸建住宅に住めるということで今の住居を購入したのである。その場所は駅からも少々離れてはいるけれども、そのかわりに「南下がり」の土地であり、南に大きな障害物はないという場所であるということでその場所を購入したのであり、「南下がりの土地」で「南側に大きな障害物はない」という条件であるからその値段で売却されていたのであり、その値段で購入したのである。ところが、「津田沼 ザ・タワー」はそういう場所を購入して住んでいる人間に何の断りもなく、まさにその南側に大きな障害物を人工的に造っているのである。こういったことが許されていいのか? 良くないはずである。
  この「津田沼 ザ・タワー」と称する人工的な岩山のおかげで、その北側の土地は広い範囲にわたって、土地の条件が変わってしまうのである。 習志野市の条例では半径50m以内と日影を生ずる範囲に話をすればいいということになっていて、それをこの「津田沼 ザ・タワー」は半径100m以内に「話をした」そうだが、この岩山の大きさから考えれば、半径50m以内だの100m以内だのですむ話ではないのである! まるで、「津田沼 ザ・タワー」について、本来ならもっと広い範囲に話をして、計画を実行するのなら「話をする」ではなく「許可を得る」「同意を得る」「承諾を得る」必要があるはずのものを、その条例は「本来なら半径50m以内でいいものを良心的に100m以内に話をしましたあ」と実際にはちっとも良心的でないものを「良心的」であるかのごとく見せるための小道具になってしまっている。
  「津田沼 ザ・タワー」はJR「津田沼」駅から直結のデッキが作られて最高の居住環境だと売り出しているようだが、その「津田沼 ザ・タワー」のおかげでこっちは居住環境が悪化されるのである。人の居住環境を悪化させておいて、自分たちだけ「最高の居住環境」とは「盗人たけだけしい」とでも言うべきか。 そもそも、「空は誰のものか?」。これもまた考えてみる必要がある。「津田沼 ザ・タワー」の土地を購入した者はその土地は購入したであろう。しかし、空はどの高さまで購入したのか? 我が家の場合でも、屋根の少し上くらいの空は我が家のものであろうと思うが、はてしなく上まで我が家のものという主張もできまい。飛行機は上空を飛んでいる。飛んでいいと許可した覚えはないが現実に飛んでいる。「津田沼 ザ・タワー」は150mを超える高さのものであり、その高さの空まで事業者は空を購入したと主張できるのか?
  そういうことを考えるのが建築学科の「専門: 地域計画,景観の形成と保全」という教授・名誉教授や助教の仕事のはずであるが、ところが、千葉工業大学工学部建築学科の教授なのか名誉教授なのか、「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/senteikekka.files/senteikekka.pdf には「委員長 山本 明 千葉工業 大学工学部教授」と書かれていて、「千葉工業大学 山本明研究室 人物紹介」https://www.cit-ylab.com/about-me では「1974年~千葉工業大学 2015年~ 同 名誉教授」と書かれており、教授なのか名誉教授なのか、どっちやねん・・て感じだが、どっちであったとしても、建築地とそのすぐ周囲だけのことを考えるのが「専門: 地域計画,景観の形成と保全」の建築学科教員のやることではなく、その地域全体のことを考えるのが「専門: 地域計画,景観の形成と保全」の建築学科教員のとるべき態度のはずであり、山本明氏の態度は建築学科教員としてあるべき方向をはずれているのは名前の通り「明らか」である。 「明」という名前はその職業としてあるべき姿と逆の態度をとっているのは明らかだ、おのれが「人物紹介」に「嫌いなこと・もの:・・・/・・・/権威主義/スノッブ・・」と書いて、まさに自分こそ「権威主義」の「スノッブ」であろうが、あんたやろうが、それは、あ・ん・た!!! て態度を取っているのは「明らか」であるということで、この人の親は「山本 明」という普通名詞みたいな固有名詞に名づけた、ということか???

  「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/senteikekka.files/senteikekka.pdfには、「委員  倉斗 綾子 千葉工業大学工学部助教」という名前も出ている。「助教」と言うのは、かつては「助教授」といっていたのが「准教授」と呼ぶようになったのと同じく、「助手」と言っていたものを最近では「助教」と言うようで、どういう理由での名称変更かよくわからないが、大学の教員では、教授―准教授―助教 という「格付け」というのか「序列」というのからしい・・・が、これも「千葉工業大学 研究者情報 倉斗 綾子」https://www.lib.it-chiba.ac.jp/cithp/KgApp?resId=S000325 を見ると、《所属 千葉工業大学 創造工学部 デザイン科学科
千葉工業大学 工学研究科 デザイン科学専攻 職種 准教授》と出ている。「倉斗」は何と読むのだろう、「くらと あやこ」かと思ったがそうではなく、「クラカズ リョウコ」と読むらしい。《東京都立大学 工学研究科 建築学専攻 博士課程修了》らしい(都立大しか行かれへんくせしてからに、建築学科の教員になんてならせてもろうてからに、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ)。 この人もまた、《専門分野 都市計画・建築計画 (キーワード:空間デザイン、建築設計、施設計画、コミュニティデザイン)》などと出ているのだが、「津田沼 ザ・タワー」みたいなおかしな「都市計画」があるか!!! 千葉工大というのは、こんな人が名誉教授だの准教授だのになっているのか!

  実際のところ、この千葉工業大学工学部建築学科の名誉教授と准教授は、「専門分野:都市計画」の仕事はまったくやっていない! ということである。
  まず、「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」http://www.city.narashino.lg.jp/jigyosha/proposal/nakayoshi/senteikekka.files/senteikekka.pdf の顔ぶれ↓
委員長 山本 明 千葉工業 大学工学部教授
副委員長:鈴木 喜代秋 習志野 商工会議所会頭
委員 高橋 賢 習志野市商店会連合会長
委員 鈴木 とし江 習志野市 連合町会連絡協議会 長
委員 井上 和彦 谷津連合町会長
委員 藤原 久生 谷津西部連合町会長
委員 小薮 英志 津田沼連合町会長
委員 髙橋 勝 津田沼北部連合町会長
委員 倉斗 綾子 千葉工業大学工学部助教
委員 高橋 秀樹 不動産鑑定士
委員 竹田 光孝 税理士
委員 諏訪 晴信 習志野市 企画政策部長
委員 高野 次夫 習志野市 総務部長
委員 福島 泉 習志野市 都市整備部長
委員 小川 臣朗 習志野市 市民経済部長
・・を整理してみよう。14名のうち、
1.習志野商工会議所会頭・習志野市商店会連合会長・・・習志野市の商工会議所・商店会2名
2.習志野市連合町会連絡協議会長・谷津連合町会長・谷津西部連合町会長・津田沼北部連合町会長・・・習志野市の町会長など4名
3.習志野市企画制作部長・習志野市総務部長・習志野市都市整備部長・習志野市市民経済部長・・・習志野市役所 部長4名
3.不動産鑑定士・税理士・・・2名
4.千葉工業大学教授(名誉教授?)・千葉工業大学助教(准教授?)・・・習志野市にある私立大学の建築学科教員2名
この人選からして、どう見てもおかしいだろ! そう思いませんか? そして、神輿として頭に乗っかっているのがそれが千葉工業大学建築学科教授(名誉教授?)の山本明さんなのだ。 それでいて、「山本明研究室 人物紹介」https://www.cit-ylab.com/about-me  で《嫌いなこと・もの:…/…/権威主義/スノッブ/… 》などと書いているのである。まったく、あきれた男である。おのれこそ、「権威主義」の「スノッブ」であろうが! おのれこそ、習志野市の商工会議所などの人間が「津田沼 ザ・タワー」の建設によって利益はあってもそれほどマイナスはなさそうな地域の人間と示し合わせて市役所がそれを追認して進めた野蛮な計画に「千葉工業大学 工学部建築学科教授」「工学博士」「専門:地域計画、景観の形成と保全」などという肩書のもとにそれを正当化・権威づけしようとしているのであろうが!!! おのれこそ、「権威主義」の「スノッブ」であろうが!!! あきれた男である。卒業した大学は東京工業大学だというのはわかったが、小学校から高校までが掲載されていないが、この男、いったいどんな中学校出たのか、どんな高校出たのか、そこの教師はいったいどんな教育したのか知りたいような気がする。いったいどんな育ち方したのか、親の顔が見たい!!! ・・と言っても実物を見せられてもどうしようもないのだが、「親の顔が見たい」気がする。

  この「津田沼 ザ・タワー」計画の問題、JR「津田沼」駅界隈の問題点として、ひとつにはJR「津田沼」駅は半分が船橋市で半分が習志野市にあり、北側の西部は船橋市で南側と北側の東部は習志野市にあるという点が話をややこしくしているところがある。
  「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」どもは実に下品である。その委員はすべて習志野市の人間であり、船橋市と習志野市の境界にあるJR「津田沼」駅の南側の習志野市の所有地をどうしようかという計画において、5階建てからモリシアビルのような10階建てくらいのものを建てるのであれば、習志野市だけで話し合って進めてもいいかもしれないが、150mを超えるような巨大な岩山を人工的に造ろうということであれば、当然、隣接している船橋市側の人間にも相談して話は進めないといけないはずであるが、ところが、この「委員」はすべて習志野市の人間であって船橋市側の者は一人も入っていない。
   普通に考えればわかることだが、JR「津田沼」駅のすぐ北側の船橋市域というのは、ドバイの周囲のような砂漠でもなければ海でもないのだ。ドバイには行ってみたいと思いながら行けずにいるので、インターネットなどに掲載されている写真などで考えるしかないのだけれども、実際のドバイがどうであるかはここでは重要ではない。JR「津田沼」駅の北の習志野市の北側というのは砂漠の無人地帯ではない! 片方が海で他方が砂漠が続いているという場所に作るのとは事情は違うということである。まがりなりにも建築学科教授・名誉教授とか建築学科助教・准教授とかならこのくらいのことは理解できていいはずであり、理解できないようではおかしい。理解できないのなら、今すぐ、建築学科の教員は辞めてもらいたい!!! 
  「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」の委員どもは習志野市側のことはいくらかなりとも考えても、船橋市側のことはまったく考えていない。 そんな恥知らずを「事業審査委員会委員」などとして「いいんかい」?・・・などとしゃれですむ問題じゃないんだよ!!!  いいわけないだろうが!!! 
  また、もしも、習志野市側の人間ばかりが委員になって、船橋市側の利益を害するような計画を進めようとしたのならば、委員の中に建築学科の教員が2名いるのであれば、そういう時こそ、「専門:都市計画」として、市の境界より向こう側の他の市の住民のことも考えて計画は考えるべきである・・と発言するべきであろう。それが言えないのであれば、そんな教授・名誉教授だの助教・准教授だのなんて、建築学科教員と呼ぶ値打ちはない!!! 

   何回か前の稿で、船橋市会議員の神田ひろえい氏が「私はこういう高層マンションはもっと建てるべきだという意見の人間ですから」とご発言されたことに驚いた、ということを述べました。本当に驚きました。まがりなしにも市会議員がそんな認識をしているのか、そんな発言をするのかと驚きました。特に、神田ひろえい氏は船橋市の前原でしたか、ご自分もまたこの「津田沼 ザ・タワー」という人工的な岩山が南にできると影響を受ける地域の戸建住宅に住んでおられる方であったはずで、そういう人に「賛成の立場」などというものがありうるものなのか、理解不能でした・・・・が・・・、神田ひろえい氏は副業が船橋市会議員で本業は開発屋さんだとかいう話も耳にしましたので、それで、本業の方が市会議員という副業よりも優先したということなのか・・・? と考えると、そういうこともあるのか、そういう「大人の事情(!)」というものもあるということか・・・・?。 そうでなかったら、どれだけ、積極的に反対するのかはさておき、「津田沼 ザ・タワー」の北側に戸建住宅なり5階程度のマンションなりに住んでいる人が賛成するというのはおかしいのです。
   
  1970年頃、私は大阪府箕面市に住んでいましたが、箕面市箕面8丁目の造成地のその上、山側、明治の森箕面国定公園に隣接するような場所を造成して住宅地にしようという計画が出て、住民は自治会で反対をしたのですが、日本共産党の市会議員さん4人は大変熱心でしたが、他の党の議員も、積極的に反対するかどうかはさておき、「保守系無所属」のような人でも、ほとんどの人が、少なくとも「賛成はしない」という態度でした。 父の勤め先の関係の「保守系無所属」の市会議員も「それほど積極的ではないが、反対の立場」でした。父が「あんたは、あれ、賛成か反対かどっちの立場やねん?」と尋ねたところ、「そりぁ、反対ですがな。あんなもん、作られてたまりますかいな」という返事だったそうです。普通に考えて、その地域の住人多くが反対しているものを市会議員が賛成したのでは、次回の選挙の際にマイナスの影響を及ぼすわけで、「そりぁ、反対ですがな。あんなもん、作られてたまりますかいな」と言うのが普通の態度でした。
  大阪府箕面市での計画は、結局、その部分を大阪府が買い取り、造成工事の計画は撤回されました。(「箕面8丁目の『平和台』と言われる地区を造成する時には、その下の住民は反対したのに、造成されるとそこを買って住んだ人間が、さらにその上を造成する工事に反対するというのは、ずるい」と言う人はありましたが、「ずるい」と言っても、だから、「さらにその上」の造成工事に賛成かというとそうではなく、反対の立場でした)。今回の「津田沼 ザ・タワー」も、私が言わなくても、誰かが言うだろう・・と思っていたら、誰も積極的に言わないみたいな感じで、矢面に立って言うのは好きではないけれども、こんな非常識なものがあるものかと思い、船橋市役所・習志野市役所に言って話したものの、特に、習志野市役所の対応は誠意を感じられないものでしたが、ともかくも、こういうものに対しては、先住の市民の意見としては、「津田沼 ザ・タワー」とJR「津田沼」駅の間のモリシアビルで商売やっている人とかは、自分の商店があるビルの駅と逆側に住居専用のビルができるというのは商売の上でプラスになりそうな要因であり、そういう所の人は賛成するかもしれませんが、そうでない住民は、どれだけ積極的に反対するかはさておき、↑の述べた1970年頃の大阪府箕面市箕面8丁目地区の上の造成計画にたいていの人は反対の立場であったのと同様に、どれだけ積極的に反対するかはさておき、賛成する人なんてないだろうと私は思ったのです。 普通は賛成なんてしませんでしょ、普通は。

  私は政治家の知り合いなどないし、特にはっきりとした支持政党というものもない人間で、自分の住居に比較的近い所に住んでいる人で、その人も戸建住民の人なら、こういうものには反対の立場を取られるであろうと思い込んで、比較的近所に住んでおられる船橋市会議員の神田ひろえい氏のHPを見て電話をしたところ、本人が出られて、「私は、こういう高層マンションはもっと建てるべきだという意見の人間ですから」と言われたので、びっくりしました。そんなものに、「賛成の意見」などというものがあるのか?  どれだけ、積極的に反対するか、たいして抵抗を感じないか、ということならありえても、賛成などというものはありえないと思い込んでいたので、驚きました・・・が、副業は市会議員でも本業が開発屋さんだったんですね。それならわからんこともありません。

  もしも、「津田沼 ザ・タワー」の北側の住民に対して、何らかの金銭的な補償がされるのであれば、「カネもらえるならいいじゃないか」と思う人が出てくる可能性はあると思いましたが、なんら、カネもらえるわけでもないのに、賛成する人がいるというのは不可解でした。

   1990年代、福島県いわき市に住んでいた時、仙台に行って来たら「仙台は地下鉄があるんだ」とそれを都会の象徴みたいに思って感動していた人がいたのですが、地下鉄は東京など地下に鉄道を作らないと作る場所がない所にしかたなしに作るものであって、「地下鉄がある」というのは自慢でも何でもないはずで、むしろ、熊本では路面電車が今も活動していてそれが市民の足として有効に機能しており、そちらの方がむしろ高く評価できるのではないかと私は思うのですが、「地下鉄がある」というのを喜ぶいなかもの(この場合、いなかの住人というだけではなく、「精神面がいなかもの」)がいるようでしたが、もしかして、それと同じく、「高層ビルがある」というのを、それを「街の発展」みたいに思う人でもあるのか?・・ 「背の高いビルを建てることができる」ということよりも、「背の高いビルを建てることができても、その場所にふさわしくない場合には建てない、建てさせない」という方が文化的で、誇ることができるものではないかと思うのですが、「精神面が『いなかもの』」がいるのかもしれません。
  福沢諭吉は「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。田舎の住人とか、田舎の生まれとか田舎の出身とかいう意味での『いなかもの』というのはそれは何も悪くない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これは良くない」と語ったというのですが、地下鉄にしろ高層ビルにしろ、その場所にそれを作るのがふさわしいと考えて作るのではなく、地下鉄とか高層ビルというものを、それを文化だとか、もしくは、都会の象徴だとか考えて作りたがるのであれば、それは「精神面がいなかもの」の思考であり、「精神面がいなかもの」であるとともに教養水準の低さを示していると言わざるをえません。千葉工業大学教授・名誉教授だか助教・准教授だかいう人も、「精神面がいなかもの」であるのなら、たとえ、専門とするもので能力があっても、まず、基礎となる精神面に欠陥をかかえているということであり、そのような「専門バカ」にはいい仕事はあまり期待できないでしょう。
  1980年代、つくば科学万博が開催された時、私は大学生でしたが、慶應大学のある教授が講義の中で「あんなものは、技術万博であって科学万博じゃない。」と言われたことがありましたが、高層ビル・高層マンションを建てる技術があったとしても、それをその場所に建てるべきなのか、その場所には建てない方がいいのか・・といった思考ができないようでは、それは技術ではあっても科学ではなく、ましてや文化ではありません。

  高層マンションではなく、5階程度のマンションや10階程度のマンションの場合にも、先住の戸建住民との間に軋轢が生じることはありますが、それは個々に妥協点を探っていくしかないかと思いますが、高層マンションの場合には、影響を及ぼす範囲が広いことと、マイナスの影響を受けるのがすぐ近くとは限らないという点があると思います。習志野市の建築指導課の話では、習志野市の条例では、50m以内と日影が生ずる範囲に話をするようにしないといけないことになっているものを、「津田沼 ザ・タワー」は50m以内ではなく100m以内に話したというのですが、影響を大きく受けるのは南側よりも北側であり、「津田沼 ザ・タワー」のすぐ北というと、モリシアビルという商業ビル、かつてはダイエーが入っていて、今はイオンが入っているビルであり、モリシアビルからすれば、自分の所から見て駅とすぐ逆側に住居専用ビルができるということは売上増加を見込めるわけであり、そんな相手にだけ話しても意味はないはずで、むしろ、「50m以内と日影が生ずる範囲」という習志野市の条例の規定は、どう考えても、100m以内などという狭い範囲だけに話せばいいようなものではないものを、「50m以内でいいものを100m以内に話したんだ」ということにするための小道具みたいになってしまっている。そのためにその規定を設けたというわけではないかもしれないけれども、結果として、そうなってしまっているように思えます。

  習志野市が、その相手に売却すれば高層マンションを建てるであろうとわかっている相手に売却した、ということは、習志野市は事業主でなくても、その事業がおこなわれることに関係していたと考えられるでしょう。
  用途地域を設定しているのは市の都市計画課のはずで、私は、習志野市都市計画課の人が「ここは駅の近くで商業地域ですから容積率が高く、高層ビルを建てることができる場所なんです」と言われるので、
「商業地域だからということで容積率を高くしている場所でありながら、建てられているのは専用住宅ですね。すべて専用住宅なのか、1階だけか1階と2階とに商店が入るのか、そのあたりはわかりませんが、ほとんど専用住宅の建物ですね。商業地域だからという理由で容積率を高くしている場所に、なぜ、住居専用の高層ビルが建てられているのですか」と言うと、
「商業地域は専用住宅も建てていい場所なんです」と言い、
私が「それは、もともと、そのあたりに専用住宅に住んでいた人だってあるでしょうし、そういう人に商業地域になったから住居専用住宅に住んではだめで、出て行ってくださいと言うわけにもいかないでしょうし、言わなくていいと思いますけれども、この高層マンションは、どう考えても、商業地域に指定した都市計画の趣旨と違いますね」と言ったところ、
「商業地域は専用住宅を建てて住んでもいい場所なんです」と都市計画課職員は言い、
私が「ですから、都市計画法や建築基準法で商業地域は専用住宅を建ててもいいという規定になっていたとしても、昔からその場所に住んでいる人が住居専用住宅にそのまま住むのと、この「津田沼 ザ・タワー」のような住居専用の高層マンションを建てるのとでは意味は違うわけで、これまでは、商業地域に用途地域を指定すると、たいてい、新しく建てられるものは商業ビルか、住居もあっても商業施設に住居が付随しているような建物だったけれども、最近はそうではなく、住居専用の高層マンションが建てられるようになってきましたから、そうなると、たとえ、商業地域の規制に反していないとしても、それは商業地域に指定した都市計画の趣旨に反することになるはずで、商業地域には住居専用の建物を建てることができることになっているという法律の規定そのものに欠陥があるということになるのと違いますか。都市計画法や建築基準法を改正するとなると、それは国全体で変えないといけないことになるでしょうけれども、たとえば、商業地域に新しく建築する場合には、延床面積がいくら以上のものについては、住居専用のスペースは床面積の3分の1までとか半分までとかいった規定を市の条例で設けるとかする必要があるのと違いますか。そうでなければ、もっぱら商業施設を建てるべき場所として商業地域と指定した趣旨が守られないことになりますでしょ。又、船橋市では高さ30mまでという制限がある場所がけっこうあるようですけれども、習志野市もそういうものを設ける必要があるのと違いますか」と言ったのです・・・が、ところが、
習志野市都市計画課職員は「商業地域は専用住宅を建てることができる場所なんです。専用住宅を建てることができる場所ですから建てていいんです。習志野市では高さ制限を設けるようなことは絶対にしません。今後も、次々と高層ビルはできていきます」と言い、市民として、都市計画課に都市計画の立て方について検討してもらいたいという希望まで正面から否定されてしまったのでした。
  建築指導課の人は、「法令に反しているという場合には、建築指導課として、それはいけませんと言えるのですが、違反していない以上は建築指導課は言えないのです」と言われ、それはたしかにそうでしょうけれども、都市計画課は、都市計画のあり方を考える部署のはずですから、マンション屋の都合がいいように都市計画を設定するのではなく、市民にとってどうか考えて都市計画を立てるべきもののはずですが、そうなっていない。14名の「審議会委員」の中には「委員 福島 泉 習志野市 都市整備部長」という名前もあります。
  建築指導課の職員は、建築指導課としては、法令に違反しているものについては、それを取り締まることはできるが、そうでない限りは建築指導課は取り締まれない、ということを言われたが、それは確かにそうだとしても、たとえそうでも、建築指導課というのは業者に対しては取り締まる立場の部署のはずなのに、なぜか、《「津田沼 ザ・タワー」の事業者の仲間のような感じの態度》が感じられ、「事業者・建築業者を取り締まる部署の人間」という感じではなかった・・が、それは市役所自体がこの「津田沼 ザ・タワー」に関してはマンション屋の仲間であったということのようだ。
  1970年頃、大阪府箕面市で、国定公園に隣接するような区域の山を造成しようという計画に対して、大阪府は府がその土地を購入することで造成工事を止めたのに対し、習志野市は逆に習志野市の所有地を売却して居住環境破壊の人工的岩山を建てさせた・・ということになる。どちらが教養人のすることか。どちらが文化的水準が高い態度か。習志野市ではない方だと思うが。

  私の父親は、毎日毎日、「滅私奉公」「会社のために」「会社のために、犠牲にな~る!」「犠牲の精神」「とってちってたあ~あ!」と私に叫びまくってきた男でした。そんなものに洗脳されてたまるか! と思いつつも、ふと気づくと洗脳されていたようで、「会社のために、犠牲にな~る!」などと言われて洗脳されてしまった男が「会社のために」犠牲になってやっていたら、ふと気づくとそんなことしているのは職場で自分ひとりだけだった・・・なんてことは何度もありました。その結果、この2019年7月の終わり、腹部に激痛を感じ、胆嚢炎により胆嚢を摘出しました。医師の話によると、胆嚢は失っても生きていけるらしいのですが、それでも、生まれてから共に生きてきた内臓を失ったというのは悲しい。労基法違反により私に無茶な勤務を強制した会社の経営者は、私の胆嚢を殺した、私の体の一部分を殺したのです。7月末から8月前半にかけて胆嚢炎の手術とその後の経過のために入院し、退院後も体調は万全ではなく、高血圧は今も続いており、その後さらに、親族で体を悪くする者が2名も出てきて、自分の体調が万全ではないにもかかわらず、親族で体調不良で病院の世話になる者が続出することになり、へとへとの状態で何もできずにいたところ(身内に2人も病人が出ると自分の体調が少々悪くても自分が病院にかかる余裕なんてなくなります)、片方で「津田沼 ザ・タワー」はそんなことおかまいなしに、ますます工事が進んできました。
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↑ 外壁材を貼りだしたようです。
  我が家は、あくまでも、「南下がりの土地」と建物を購入したのであって、↑のような巨大な障害物が南側にある土地建物を購入したのではないのですよ。なんで、↑ みたいなものを南側に作られなければならないのですか? 建築学科教授、こういうこと考えたことない~い???
  この外壁ですが、白っぽい色をしていますでしょ。昼間は「そんなものか」みたいな感じですが、夜になると異様な感じがしてくるのです。↓
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↑ 夜の闇の中に、「津田沼 ザ・タワー」の外壁が浮かび上がるのです。〔最近のデジカメは良くできていて、しろうとでも、夜間でも狙ったものをけっこうきれいに撮ることができるのですが、カメラの機能によって肉眼とは異なるように写ってしまうと、それを公開して嘘を言っているように思われても困ります。だから、できるだけ、肉眼で見たものに近いものをと考えたのですが、なかなか、肉眼で見たものと同じには写りません。だから、とりあえず、2つ掲載しますので、参考にして肉眼で見た状態を想像してください。〕
 やめてもらいたいですね、こういうのは。蛍光塗料が塗られているのか、暗い時間帯になると浮かび上がるような材質のものを外壁材に使用しているようです。 その地域から「空」を奪い、又、「南下がり」の土地を「南側に大きな障害物のある土地」に作り替えるだけでなく、「夜」までも奪い取るつもりでしょうか。航空法に定められた赤いランプの点滅をつけるのはそれはしかたがないし、取り付けるべきでしょうけれども、しかし、わざわざ、その地域から夜を奪い取るような蛍光性のある外壁材を取り付けるなどという、そこまでやらないと気が済まないのでしょうか。
  私は中学生の頃から星座を見るのが好きでしたが、最近、街灯が明るすぎて星座が見えなくなってきました。「智恵子は東京には空がないと言う」と『智恵子抄』 に述べられていますが、「空」だけではなく東京圏からは「夜」もなくなりつつあります。街灯はあっていいと思いますが、それにしても、明るすぎる街灯というのがあるように思います。銀座の大通りでもないのに、何もそこまで明るくする必要はないのではないかと思われるもの、又、すべての家屋に雨戸があるわけではなく、2階の窓に雨戸のない家ではそのすぐ前に明るすぎる街灯を設置されたのでは迷惑ではないかとも思うのですが、私にとっては街灯はあっていいけれどもそこまで明るくなくてもいいと思えるものでも、そこまで明るい街灯が必要だと思う人もあるのかもしれませんが、しかし、↑のように、夜の闇を照らすような「津田沼 ザ・タワー」の外壁というのは、あれは誰かにとって何かメリットがあるのか??? 「津田沼 ザ・タワー」はすでに全室売れたらしいが、購入者にしても、外壁が夜になると光りだすというのはそれは何かメリットがあるのか???
   「津田沼 ザ・タワー」の「設計者」の「株式会社フジタ一級建築士事務所 赤木寛」さん(住所 東京都渋谷区千駄ヶ谷四丁目25番2号)、まさか、船橋市民・習志野市民から夜を奪い取るような蛍光性のある外壁で建てるというのが、それが「芸術家」「芸術的」とか、それを「名建築!」とかなんて、思ってないでしょうね。思ってますか? もしかして、赤木寛さんもまた、「『世界の丹下健三のエピゴウネン』になりたいなりたいなりたいな症候群」のビョーキにかかっている人のひとりですか? 私は「建築家」ならば、もしくは「建築家」ではなく「建築屋」でも、その地域と調和する建物で魅力的なものを作るのが「建築家」「建築屋」であって、「やったもん勝ち」で作ってしまい、それも、その建物の住人にとって特にメリットもないのに、夜、浮かび上がるような外壁にしてその地域から「夜」を奪い取るなどというのは、それは「アホのやること」であって、そんなものを「建築家」とか「芸術家」とか思っているのなら、もはや、それは精神病理学上の問題(もっとも、「『建築家』と自称したがる人間シンドローム」の人間にはそういう「患者」が多いのだが)だと思いますよ。赤木寛さん、まさか、わざわざ、その地域から「夜」を奪ってやろうと考えてそうしたのではないでしょうな。その地域から「夜」を奪ってやろうと思ってそうしたのですか???

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↑ 我が家は↑のようなこんな立地の土地家屋を購入したのではありませんからね。 「南下がり」の土地を購入した者は「南下がり」の土地の値段で購入しているのです。「津田沼 ザ・タワー」のおかげで「南下がり」ではなく「南に障害物のある土地」に改変されたということは、少なくとも、その財産価値の低下について「津田沼 ザ・タワー」の事業者と「仲よし幼稚園跡地活用事業審査委員会委員」は補償してもらわないと困ります。千葉工業大学工学部建築学科名誉教授の男性・准教授の女性、あなたがたも共犯者としてともに責任をとってくださるのでしょうね。「知らんぷり劇場」やってやろうなんて、まさか、考えてませんよね・・・。

   親戚の者などに話をしても、「そんなの、一人で言ってもだめよ」とか言われたりもしますが、「だから、とりあえず、あんたに言って、とりあえず、支持者を一人増やそうとしているのじゃないの」と思ったりもしたのですが、 「賛成の意見」という不可解な人(この「事業」で仕事をもらって利益を得ている人、及び、この事業で利益を得ているか否かにかかわらず常にその思考が身についている人というのがいるようですが)とともに、「そんなの、言ってもだめよ」と思い込んでいる人というのもいるようです。 「そんなの、言ってもだめよ」と常に考える思考をする人というのは、その部分において、すでに民主主義に逆行する側の思考をしている・・ということに気づくべきではないでしょうか。
  とりあえず、このブログのこの稿において、そのあたりを訴えます。

  慶應大学の学生であった時、ある講義の中で、1960年の安保闘争の時の話を教授がされたことがありましたが、慶應大学というのは昔から「リベラルな人」の多い大学で、安保闘争そのものに反対してデモに参加する人というのは他大学に比べて少なかった。しかし、岸伸介内閣が国会に警官隊を導入して野党議員を排除して採決するという民主主義を踏みにじる行動に出た時、岸伸介内閣のそのやり方に対して反対するデモというものが起こり、こちらのデモに参加する人は慶應大学の学生にも多かった・・・らしい。
  これと似たところがあるかと思うのですが、「津田沼 ザ・タワー」というものに賛成する人なんて、そこを購入して自分さえ良ければ先住の住民の環境が悪化されてもかまわんと思っている人か、その工事・事業で利益を得る業者か何かでないとないと思うのですが、たとえ、それに賛成する人があったとしても、こういった大規模なものを作ろうという計画であれば、それはもっと広い範囲に話をして、それも単に「話をする」だけではなく、最低でも過半数の「承諾を得る」「同意を得る」ようにして進めるべきであるし、建築地が習志野市であったとしても船橋市との境界付近にこれだけ大きなものを造ろうというのであれば、船橋市側の住人にも意見はきくべきであり、習志野市側の人間だけで「審議会」を構成して話を進めるというのはおかしい! という点については、たとえ、「津田沼 ザ・タワー」というものに賛成する人であっても変わらないはずである。たとえ、高層マンションを建てさせたいと思う人があっても、それでも、船橋市と習志野市の境界付近の習志野市に建てる以上は、船橋市側の意見もまた聞くべきであり、船橋市側の住人の環境もまた配慮すべきである・・というその点に反対する人なんてないはずであるし、習志野市側だけで「やったもん勝ち」みたいに話を進めるべきであるなどと思う人間というのは、そういう考え方自体が許せない・・・と私は思うのである・・・が、これもまた、民主主義に敵対することを生きがいみたいにしている人というのも世の中にはいるのでなんともいえない・・・か・・・。「たとえ、高層マンションを建てさせるべきだという意見の人がいても、習志野市と船橋市の境界付近の習志野市に建てるのに習志野市側だけで話を進めてしまうというのはおかしい」という点については、習志野市側の人間でも理解できるはずであり、習志野市の北側は砂漠でもなければ海でもないということくらいはわかっているはずだ! と思うのだが・・、それもわからん人がいるか・・?・・・・・。千葉工大建築学科教授あたりにその民主主義の原理がわからん人というのがいるのかもしれん・・かな?

  ・・今回、掲載の写真は2019年11月後半に撮影したものです。

  (2019.12.1.)

☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201905/article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場
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[第470回]都市計画法による用途地域の趣旨を守るために建築基準法の規定があり、逆ではない。マンション屋の為の都市計画課なら存在価値はない。岩山マンションによる環境悪化・財産価値低下に補償することもせずに「意見の違い」など認められない。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_5.html
[第471回]船橋市各所から見た「津田沼 ザ・唯我独尊タワー」船橋市各所から南方に岩山として眺望を妨げ、同類が建てば通風も妨げると思われる「津田沼 ザ・タワー」。なにゆえ、市民はこのような遮蔽物を人工的に造られねばならぬのか!?! https://tetsukenrumba.at.webry.info/201908/article_1.html
[第474回] 権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。〔今回〕
[第478回] 富士山のそばに人工的岩山を造られても国民は文句は言えないか? 夜空を照らす照明塔岩山マンションははた迷惑。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_1.html
[第479回] 3階建か4階建の建物を前提に規定された数字を160mを超える岩山建造に適用は不適切。権威づけ神輿の建築学科教授山本明氏・倉斗綾子氏はこの程度のこともわからないのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_3.html
[第480回] 夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_4.html
[第482回]「津田沼 ザ・タワー」の「容積率緩和」適用は制度の趣旨に反する。「仲よし幼稚園跡地活用事業」「審査委員」の選定は八百長か。商学部経営学部系教員を選考委員に入れないのは、八百長計画に異議を唱えさせないためなのか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_6.html
[第483回]「津田沼ザ・タワー」の侵害に「権利意識の欠如」状態になってはならない。「相互主義の原則」として習志野市の商店での買い物は控えましょう。「言ってもだめよ」はファシズム傾向と理解せよ! 「専門家」信仰は山本明氏のような権威主義者の思うツボ!https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_8.html
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[第485回]「津田沼ザ・タワー」”最高のロケーション”と称賛する「投資家カズのトレード日記」は精神病理学上の問題ではないかとすら思える。邑楽タワーの失敗と「津田沼ザ・タワー」の居直り。https://tetsukenrumba.at.webry.info/202001/article_10.html
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「慎腹風呂愚」
[第759回]《高山の町並にて。「和風のドーマー」は違和感なく存在。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。—高山の町並みにて(1)》https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_10.html?1584263851

☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_2.html

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
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[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
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[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_27.html

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
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[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_11.html 
で述べました。 
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)
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権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697))
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異議あり!臨海副都心 (岩波ブックレット)
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知の定点 (1984年)
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《 世俗化と幻滅化とを、自分の問題として鋭く意識化したのはマルクスから半世紀後のマックス・ウェーバーであった。<魔術からの解放>と<合理化の展開>は、人間生活の世俗化と幻滅化のウェーバー的テーゼである。もと近世初期に宗教的運動として発した生活の禁欲的合理化は、結果的には、「精神のない専門人、心情のない享楽人」として<この無なるもの>を生み出した。マルクスの<絶対無>、ウェーバーの<この無なるもの>――十九世紀と二十世紀を代表する、しかもイデオロギー的には正反対の、社会科学界の両巨人の近代社会認識の眼はまったく一致している。・・》
( 石坂 巌『知の定点』1984.6.30.木鐸社 ↑ )
HONKOWA霊障ファイル 2019年テレビ版「ほん怖」原作特集号 (ASスペシャル)
HONKOWA霊障ファイル 2019年テレビ版「ほん怖」原作特集号 (ASスペシャル)
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またまた出てしまった 人間の住めない土地シリーズ
 最近 知人が宮大工から聞いた台詞(せりふ)が興味深かったので ここに記します。
「こうやって 建物が次々と建っていきますとね」

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「気の流れが変わって いろんなところに歪みが出来てくるんですよ」
( 企画編集:『HONKOWA』編集部
  『AS スペシャル HONKOWA(ほんとにあった怖い話)
  霊障ファイル 2019年テレビ版『ほん怖』原作特集』2019.11.20.朝日新聞出版 ↑ 所収
 山本まゆり『魔百合の恐怖報告その2-災いを呼ぶ老婆』より )

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