父の日に(19ー3)【3/4】学校の先生は勉強した者の仕事か否か。子供の水筒を取上げちゃらける父親

[第461回]
   父は「東大(もしくは、京大・阪大など)に行って、なんで、学校の先生みたいなもんにならんといかんねん」と言うのだだったが、私はそうではなく、学校の先生というのは学校で学んできたことを教えるわけだから、小学校から高校まで勉強してきた者がなるものであって、他の仕事なら「学校の時の成績はあんまり良くなかったけれども、仕事では真面目に努力して成果を出してきました」ということだってあるかもしれないが、又、「小学校の先生」の場合は自分自身が学校でどれだけ学んだかだけでなく、子供の世話をしたいという気持ちの人がいいという面もあるかもしれないが、中学校・高校となると、「人間は成功からは学ばんもんなんや」という点で、東大や京大にすんなりと現役で入った人間の方がいいか、少しは失敗があった人間の方がいいかというと何とも言えないが、ともかく、学校の先生というのは「勉強してきた人」がなる職業であって「勉強してないもん」のなる仕事ではないと思っていた。私は逆に「東大(もしくは、京大・阪大など)にまで行って、なんで、会社員みたいなもんにならんといかんねん」と思っていたし、特に、 「せっかく、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、な~んで、東京海上火災みたいなもんに行かされなきゃならんのだ。小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、なんで“東京海上火災の星”なんてものにならされなきゃならんのだ! ふざけんな!」〔⇒《【公式】巨人の星 第1話「めざせ栄光の星」"THE STAR OF THE GIANTS" EP01(1968) 》https://www.youtube.com/watch?v=btfA9kankQ4  〕と思った。『巨人の星』では子供の頃の星 飛雄馬が「俺は父ちゃんをこんな人間にしてしまった野球というものが憎い~い!」と言う場面があったが、小学生から中学生・高校生くらいまでの頃の私は、「俺は、このおっさんをこんな人間にしてしまった会社というものが憎い~い!」と思っていた。だから、自分が勤める場合、ともかく、「会社」でないところ、教員の資格をとって「学校」に勤めるとか、公務員試験に通って「役所」に勤めるとか、司法試験に通って裁判官として「裁判所」に勤めるとか、弁護士になって「法律事務所」に勤めるとか、医学部に行って医師の資格をとって「病院」に勤めるとか、ともかく、「会社」でない所の方がいいと思っていた。ところが、うちのおっさんは「会社ちゅうところに勤めるのを嫌がる者は、モラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってる。甘ったれなさんな! とってちってたあ~あ!」と言うのだったが、それなら誰よりも小此木啓吾こそ、慶應大学医学部助教授として「大学」と「病院」に勤めていたのだから、間違いなく「会社ちゅうところに勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病」のはずであり、小此木啓吾こそ「治療」と称して「人間による人間の加工」をされる必要があるはずだった。インターネットで検索すると、慶應内部進学小此木啓吾は、慶應医学部を退職後、定年が慶應よりも高い年齢の私立大学に勤めたものの、「なにかと慶應に帰りたがる」と学生の間で評判が悪かった・・らしいが、そりぁ、なにしろ、小学校慶應・中学校慶應・高校慶應・大学慶應で勤め先も慶應という人生を生きてきた、いわば「慶應の中のカエル」であり、慶應的精神空間から外に出ることができないモラトリアム人間病の重症患者ですから、「なにかと慶應に帰りたがる」というのは大いにわかります。慶應という井戸の中では大きな顔をすることができても、その井戸から外に出ると生きていけない人ですからね。
   慶應大学のステューデントカウンセラーズにいた時、やはり、私と同じようなことを思った人がいたようで、慶應大学の経済学部に入学したという人で、自分はこれまで真面目に努力して勉強してきたつもりでいるのだが、経済学部とか商学部とかそういう学部を卒業してしまったら、せっかくこれまで勉強してきたものが無駄になってしまうから、だから、経済学部や商学部には行きたくない、と言った人があったのですが、その気持ちは私はわかります・・・・が、ところがそういうことをうかつに言うと、小此木啓吾がまたもや、「モラトリアム人間病」だとか「青い鳥症候群」だとかなんとかジレンマだとかなんちゃらかんちゃらぐっちゃらぐっちゃら言い出して「病名」をつけて「治療」したがるのです。まったくつくづく、この小此木啓吾の態度と人間性こそ病気ではないでしょうか。 小此木啓吾こそ「治療」されるべきではないのか!!!
   私は、結局、ひとよりも年齢をいって大学を卒業したので、「三井、三菱、住友といった誰もが行きたがる大企業」というような所には勤めることは難しくなりましたが、父が「一流大学を出て一流企業に勤めたら、結婚相手なんか苦労せんでも、うちの娘をもろてくれえ、もろてくれえと次々と言うてきよるわ」と言っていた、そういう女と結婚させられることはなくなった、ああ良かった・・と思い、父が主張していた「一流大学を出て一流企業に勤めて・・」という話だけはつぶれたので、その点については、ざまあみろお!!! と思いました。 しかし、ともかくも来て下さいと言ってもらえる会社があって勤めることになった時、父はこう言ったのです。「もう、これでおまえは亜細亜大のヤツと一緒やぞ。わかっとんなあ。おまえは慶應を出たと思うておるかもしれんけどなあ。おまえは拓殖のヤツと何の違いもないんやからな。わかっとんねんなあ、おまえはあ」とそう言ったのです。いかにもうれしそうに。なんで、「亜細亜大のヤツ」だの「拓殖のヤツ」と一緒にされなきゃならんのだ! 小学校の1年から同級生が遊んでいる時もずっと勉強してきたのに、なんで、私が勉強している時にいつも遊んでいたヤツと一緒にされなきゃならんのだ。だから、私は経済学部だの商学部だの経営学部だのといった学部に行かされるのは嫌だったのだ。ところが、父はそれがいかにもうれしかったらしい。「もう、これでおまえは拓殖と一緒じゃ。この拓殖めが、拓殖! お~ま~え~はあ~あ、亜細亜大じゃあ、おまえは亜細亜大!!!」と言うのだった。そもそも、拓殖だの亜細亜大だのなんて行くようなヤツが高校行くなちゅうんじゃい。甘ったれるな!!!!!! 病気やから拓殖だの亜細亜大だのなんて行くのと違うのか!?!?

   高校1年入学した時に、父は「なんで、東大まで行って学校の先生みたいなもんにならんといかんねん」と言ったのっで、父は高校の先生とか中学校の先生とかいう職業は嫌なのだなと思ったので、それなら、大学院に行って大学の先生になれば、大学の先生なら父も「なんも、東大まで行って大学の先生になることないやろ」などとは言わないだろうと思ったのだった。
  ところが。高校を卒業する頃、卒業した頃になると、今度は、「うちは大学院になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言うようになったのだ。慶應大学の学生相談室に行って大学院進学の場合の状況について尋ねてみたところ、日本育英会奨学金というのは、高校・大学は成績と親の年収の両方から受給できるかどうか判断されるらしく、高校・大学については成績は「一定以上」の成績であることが求められるが、むしろ、親の年収の方が重視されるのに対し、大学院の場合は成績が重視され、親の年収は関係ないということだった。だから、奨学金をもらって大学院に進学するのなら、受給できた場合にはそれほど学費の心配はする必要はないという話で、それを父にも母にも話したのだが、すると、「な~にを甘ったれたことを言うとるんじゃ、このチャンコロはあ」と言うのだった。「おまえが産まれてこなければ良かったのに産まれてきおったおかげで、わしは迷惑しとるんじゃ。おまえを育てるためにかかったカネをこれからおまえに働いてまどてもらわんといかんのじゃ。だ~れが大学院みたいなもん、行かすもんか。甘ったれるな、チャンコロ! つっけあがるなよ、チャンコロ、浪商! 浪商は高校行くな、浪商! 高校は義務教育とは違うねんぞ。高校は義務教育とは違う以上はおまえは高校には行くべきではなかってんぞ。わかっとんのんか、浪商チャンコロ! おまえが北野高校に行ったというのは、それは甘ったれとるからやねんぞ、浪商! おまえはたとえ北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商じゃ! 浪商は高校行くな、浪商! おまえは中学校卒業したら働くべきやったのにからに、甘ったれとるから北野高校におまえは行ったんじゃ。のぼせあがるなよ、浪商! つけあがるなよ、チャンコロ!」と言うのだった。
   父は「大学院に行きたいなどと言う者は、全員、会社に勤めることを嫌がるモラトリアム人間病という病気の人間です。病気やから大学院に行きたいと考えるんです。病気は治さんといか~ん。わかっとんのんか、チャンコロ!  高校は義務教育とは違うんやから、おまえはほんまは高校には行くべきではないのにからに、それをおまえが北野高校に行ったというのは、それはおまえが甘ったれとるからじゃ! わかっとんのんか、チャンコロ! 高校に行ったことを反省しろ! 北野高校に行ったということを心の底から反省しろ! この浪商めがチャンコロ!」と言うのだった。 父は「高校は義務教育ではない以上は行くべきとは違います。おまえは高校には行くべきではなかったんじゃ。甘ったれなさんな。高校に行きたいとか大学に行きたいとか、ましてや大学院に行きたいとか言うような者は、例外なく全員がモラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がそうおっしゃってます!」と言うのであった。・・しかし、だ。その基準からするならば、小此木啓吾こそ最大のモラトリアム人間病という病気のはずである。そもそも、義務教育というのは公立の小学校・中学校が義務教育であって、慶應幼稚舎とか慶應中等部とかいうのは義務教育ではないはずなのだ。ということは、慶應幼稚舎→慶應中等部→慶應義塾高校→慶應大学医学部と進んで慶應大学医学部に勤務して助教授までなった、いわば、「揺り籠から墓場まで慶應」という「本物の慶應」もしくは「ほとんどビョーキ」の小此木啓吾というのは、「おまえが小学校に行ったのは余計なんじゃ」「おまえが小学校に行ったのは甘ったれとるからじゃ」「おまえは小学校に行くな! のぼせあがるな!」「おまえが小学校に行ったのは、それはモラトリアム人間病という病気やからおまえは小学校に行ったんじゃ!」と言ってやるべきであり、小此木啓吾は言われなければならないはずであり、小此木啓吾こそ「モラトリアム人間病」の「治療」を受ける義務があるはずである。 父は「おまえが北野高校に行ったというのは、それは甘ったれとるから北野高校に行ったんじゃ。高校は義務教育ではないんやから、お~ま~え~はあ~あ、高校行くな! チャンコロッ! 高校行くな、チャンコロッ! 」と父は毎日のように私に言ってきたのだが、義務教育ではない以上、義務教育でない学校には行くべきではないという基準から判断するならば、小此木啓吾こそ、「小学校、行くな、小此木啓吾! 甘ったれるな、小此木啓吾! のぼせあがるな、小此木啓吾! つけあがるな、小此木啓吾! ええかげんにせえよ、小此木啓吾! 産まれてくるな、小此木啓吾! 義務教育でない小学校行くな、小此木啓吾!」と言ってやるべきであり、強制的に「治療」を受けさせる必要があることになる。

   芥川龍之介『トロッコ』では、小田原熱海間の軽便鉄道敷設工事に際し、工事用のトロッコを土工が押したり乗ったりするのを「良平」が見て興味を持った良平が、ある時、若い土工2人が優しそうな感じで、その2人に一緒に押してあげようと話しかけて、トロッコを一緒に押し、又、一緒にトロッコに乗って移動したものの、夕方、日が暮れてきて、かなり、家から離れた所で、自分達は山の向こうで泊まることになるから、きょうは帰れと言われて、ひとりで暗闇の中を線路の上を走って帰ったことが書かれ、最後に、
≪ 良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い坂のある路面が、細細と一すじ断続している。・・・・・・≫
( 芥川龍之介『トロッコ』 〔 芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫他 所収 〕
とある。
   こういう経験って、あるものなのか、芥川龍之介の頭の中で作られたものなのか・・と小学生の時に読んだ時には思ったのだが、あるものだった。
   私が小学校の1年の時の夏休み、父の会社の人の社員旅行に高校生だった下の姉とともに二泊三日で小豆島に一緒に連れてもらったことがあった。母は下の姉に一般用の水筒を持たせ、父と姉と小学校1年の私とがお茶を飲めるようにして、それと別に、たとえ、姉に持たせた水筒のお茶が無くなっても、子供だけはお茶を飲めるようにと私に子供用のごく小さい水筒を持たせた。その頃、幼稚園児や小学校低学年の子供がよく持っていた鉄腕アトムの絵が描かれた水筒である。 ところが、大阪の弁天埠頭から小豆島へ向かうフェリーボートに乗ると、会社の人達は誰も水筒を持ってきていなかった。それで、姉は親切のつもりで、自分が持っている水筒から「お茶、どうぞ」などと言って配ってまわったのだ。お茶を持っていない人に分けてあげるのはそれは悪くはないだろう。しかし、水筒を持ってこなかった人というのは、のどが渇いたなら、その頃は「水」は売っていないが駅のトイレでも上水道が通っている場合が多く、「お茶」は駅弁の「お茶」以外は売っていないが、ジュースとかは売店で売っていたので、のどが渇けばそういうものを買って飲めばいいと考え、水筒を持って荷物になるよりその方がいいと判断して水筒は持ってこなかった人なので、売店で買って飲めばいいと考えて水筒を持ってこなかった人に水筒を持って行った者がお茶を分けないといけない理由はなかった・・・が、姉は気をきかせたつもりで、自分が持っていた水筒から会社の人達にお茶を入れてまわっていた。しかし、ここで考えないといけないことがある。そうやってお茶を分けてもらった人がそれをどう理解したかである。「どうも、すいません」と思ってくれたのなら分けてあげてもいい。しかし、そうではなく、姉がお茶を入れてまわったことで、この人は自分達のためにお茶を入れた水筒を持ってきているんだ、この人は自分達の給仕係みたいに水筒を持って来ているんだあ・・・とそんな感じで相手が思うのならば、むしろ、そのお茶は分けてあげない方がいい。私も、子供の頃は駆け引きなんてできる方の人間ではなかったのだが、会社勤めもして営業の仕事もして痛い目にも何度もあって昔に比べれば少しは賢くなって学んだ・・・が、大人でも学んでいない人もあるようだったのだ。
  そして、2泊3日の旅行の3日目、小豆島の旅館を出発する時、姉が「それじゃあ、旅館で水筒にお茶を入れてもらっていこう♪」などと口にしたのだ。今、考えると、いちいち、口にして有言実行しなくても黙って入れてもらってくればいいことだったと思うのだが、なぜか、姉は有言実行しようとしたのだった。ところが、それを耳にしたらしい会社の男性社員が、「お茶なんて要らん。お茶なんて入れてもらわなくていい」と姉に言ったのだった。なんで、この人がそんなことを言うのだろうか? と不思議だった。 姉は大人用というのか一般用というのかの水筒を持っていたが、それは父と姉と私の3人が飲むためのお茶を入れて往復するためのものだった。会社の人は会社の人で、それぞれの人が水筒を持参していけばいいことだったのだ。しかし、会社の人は誰ひとりとして水筒を持参した人はなかった。だから、行きの船の中では、姉は親切というのか父の勤め先の従業員の人達に対してのお愛想というのかでお茶を分けてまわったが、会社の人達のために持参した水筒ではないので、その男性社員が「お茶なんて要らん」と思っても、もともと、その人のためにお茶を旅館で入れてもらおうということではないのだから、その人が「お茶なんて要らん」と思っても関係ないことだったはずである。それにもかかわらず、姉は「ええ? お茶いりませんかあ?」ときき返したのだ。それに対して、「うん。お茶なんて入れてもらわなくていい」とその男性社員は言ったのだが、なんで、この人がそんなことを言うのだろうかと思った。姉は「それじゃあ、〇〇ちゃんのアトムの水筒にだけお茶を入れてもらっていこう」と、これもまた有言実行しようとした。今、考えると、あのお姉ちゃんは、なんでまた、いちいち有言実行しないと気がすまないのか。黙って入れてもらえばいいことのはずだった。姉が「それじゃあ、〇〇ちゃんのアトムの水筒にだけお茶を入れてもらっていこう」と言ったのに対して、その男性社員が「うん。そうやな。そのくらいでええわ」と言うので、なんでまた、この人がそんなことを言うのかと不思議に思った。しかし、姉はそこで気づかないといけなかった。要するに、行きの船の中で、姉は自分達3人のために持参した水筒から、会社の人達で水筒を持参した人が一人もなかったことから、「お茶を少し分けていただけないでしょうか」と頼まれたわけでもないのにお茶を分けてまわったが、その結果、会社の人達から、特にその男性社員から「この人達は自分達会社の人間のために水筒を持参したのだ」というように思われてしまっていたのだ。姉はそのあたりに気づくべきだった。もっとも、その時、姉がいくつだったかというと、高校1年生であり、16歳だったから、「世間知」が不足していたとしてもしかたがないところもあったかもしれない。なにしろ、「世間知」のないおっさんの娘で、父親から「世間知」を学ぶことができない娘だったから。
   数学者で教育論者の遠山啓(ひらく)が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、一般に、家庭の中で父親は最も「世間知」にたけているもので、子供は父親から「世間知」を学ぶが、「父なし子」(なんだか、「差別用語」のように聞こえる人もあるかもしれないが、遠山啓は小さい頃に父親を亡くした自分のことを「父なし子」と言っている)は父親から「世間知」を学ぶことができないので、どうしても「世間知」にうとい人間になってしまい、成長するとともに自分自身が痛い目にあって少しずつ「世間知」を学ぶしかなく、その分、「父なし子」は不利である・・ということを書いているが、しかし、遠山啓は小さい頃に父親を亡くしたというだけあって、「父親」という時、よその家庭の比較的いい父親、「いいお父さんだなあ」とか「うらやましいなあ」と思うような父親を「父親」というように考えているようなところがある。「父なし子」のひとつの問題として遠山啓は「父親」というものを、「困ったおっさんやなあ、まったくう~う」・・・というような父親ではなく、「うらやましいなあ」と思うようなお父さんを見て「父親というもの」と定義づけしているようなところがある。うちの父親は、「世の中にはなあ、カス親! もおれば、ダメ父! もおるわけでやなあ、わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらいスーパーマンで聖徳太子のお父さんばっかしとは違うんや」とか言いまくってきた、それでもって、「世間知」が欠落したようなおっさんだったので、だから、私も姉も父親から「世間知」を学ぶということはできなかった。
   そして、小豆島から大阪の弁天埠頭への帰りのフェリーボートの中で、ひとりの女性社員が子供用のごく小さい水筒しか持っていない私に「お茶、ちょうだい」と言ってきたのだ。普通に考えておかしいでしょ。小学校1年の子供が持っている物を、「それ、ちょうだい」というバカがあるか?!?  私は上の姉と11ないし12離れていたので、たいていの小学校1年生なら高校3年生というのはものすごい年上なのだが、私の場合はそれほどには思っていなかった。その時の女性社員のお姉さんは、年上のように思ったのだけれども、今から考えてみると、ハタチ過ぎかそこらだったのではないかと思う。よその子なら、ハタチ過ぎのおねえさんというのは小学校1年生から見ると「無茶苦茶年上」に感じただろうけれども、我が家は11ないし12年上の姉がいたので、ハタチ過ぎのお姉さんというのも「そのさらにもうちょっと上」くらいにしか思わなかったのだ。小学校1年生の子供は、小豆島にいた間、一緒に遊んでもらった人でもあり、お茶を分けてほしいと言われると、仲間に分けてあげるような気持がして、嫌ではなかった。だから、分けてあげたのだ。しかし、子供用の水筒なんて少ししか入らないのだ。だから、旅行中、仲良しになったおねえさんひとりだけに少しだけ分けてあげるのならまだいいが、それ以上、分けてしまったのでは、そんな水筒のお茶なんてすぐになくなってしまうのだった。そのお姉さんは、子供から見ると年上だったがまだハタチ過ぎくらいだったように思う。かつ、言っちゃなんだが、「底辺の高校卒」くらいの学歴の人で、「言っちゃなんだが」「あんまり賢くない方の人」だったかもしれない。しかし、たとえ、「まだハタチ過ぎくらい」であったとしても、「最終学歴は底辺の方の高校卒の人」であったとしても、「あんまり賢くない方の人」であったとしても、ともかくも成人して会社に勤めている人で、しかも、職種はいわば営業の職種についていた人であったのだから、成人した社会人、特に営業の職種の人間は、子供が持っている物を「それ、ちょうだい」などと言ってはいけないのである。それが理解できないようでは「大人の社会人」とは言えない。お客様が子供を連れていて、その子供が持っている物で、自分が欲しいと思う物があったなら、小学校1年生のお客さんの子供に「それ、ちょうだい」と言うのか? 子供が持っている物を「それ、ちょうだい」などと言うような女に、会社としては危なくて営業の仕事はさせられない、ということにもなる。
   父は、その女性社員の上役の立場にあったのだから、「◇◇さん、悪いけど、子供の持っている物はとりあげないでもらえるかな」と言うべきであった、子供の持っている物を欲しがるバカ女に上役として注意しないといけないはずだった。その時は、社員旅行の場であって勤務時間中ではないが、それでも注意して教えるのは上役の仕事のはずである。 ところが、である。父は、私がその女性社員に水筒のお茶を1杯だけ分けてあげたのを見て、「ちょっと、それを貸してんかあ~あ」と言って取り上げて、そして、別段、「欲しい」と言っていない人にまで、「配給、配給♪ お茶の配給、配給♪」と言って、子供用のごく小さい水筒からお茶を入れてまわったのだった。小学校1年の私が「のど、渇いた。お茶ほしい」と言うと、父は「ないねん。お茶、もうないねん」と言うのだった。それはどう考えてもおかしい。我が家はその社員旅行に給仕係として同行してかわりに交通費や宿泊費を会社の人から出してもらっていたのではない。父と姉と私の分はきっちりと我が家で払っていたのである。姉が持って行った大人用の水筒にしても、父と姉と私が飲むためのものとして母が姉に持たせた物であって、会社の人に飲ませるために持たせた物ではない。但し、それでも、お茶を分けて欲しいと言う人があったなら、その姉が持っていた大人用の水筒に入っているお茶については、もし、自分達が飲む分以外に余裕があるようなら分けてあげても悪くはなかったであろう。しかし、小学校1年生の子供に持たせた子供用の水筒というのは、子供は大人とは体の調子だって異なるのだから、だから、たとえ、大人用にお茶が無くなっても子供には確保しておくために、そのために、子供には別に子供用の小さい水筒を母は持たせたのだった。だから、会社の人がお茶を分けて欲しいと言った場合、姉が持っていた大人用の水筒からは分けてもいいが、小学校1年の子供が肩から下げているごく小さい子供用の水筒に入っているお茶は、決して大人は取り上げてはいけないもののはずだった。それを、姉が大人用の水筒に旅館でお茶を入れてもらおうとした時には、「入れてもらわんでええ。お茶なんて入れてもらわんでええ」と、姉はその男性社員や会社の人達のための給仕係ではないのであって、その男性などのためにお茶を水筒に入れてもらおうとしていたのではないのに言って入れさせないようにした上で、大人がよってたかって子供が肩から下げているごく小さい水筒のお茶を全部飲んでしまって、その子供用の水筒を肩から下げて運んだ子供が飲みたいと思った時には一滴もないようにしてしまう・・なんて、こんな非常識な話はない。こんなことをする人間は大人ではないし、そんな人間を社会人とは言えない。
   だいたい、小学校1年の子供の持っているごく小さい子供用の水筒をとりあげて、「配給、配給♪ お茶の配給です、配給、配給♪」などとふざけて言って、飲ませてまわるおっさん・・て、それは大人か? それはまともな人間か??? 父はそれをやることで、「ええかっこ」したつもりだったのではないかと思う。しかし、私が会社員としてその場にいたならば、むしろ、「このおっさん、アホちゃうか」と思い軽蔑しただろうし、「配給、配給♪ お茶の配給です、配給、配給♪」などと言われて、子供が肩からさげていた子供用のごく小さい水筒からお茶を入れて渡されようとしても、「いえ、私はけっこうです」と辞退したと思うし、それができてこそ社会人であり、それができてこそ営業であると思う。 子供が持っている物を「配給、配給♪ お茶の配給です、お茶の配給、配給♪」などとちゃらけて言われて、それをそのまま受け取るほどアホではないつもりである。 その時は気づかなかったのだが、今、考えると、うちの父親というのは、あれはアホと違うのか・・と思う。「私は今までから、この人のことを特別に賢い・・・とかいうようには思っていなかったけれども、しかし、ここまでアホとは思わんかった」て感じがする。
   そして、父は「お茶、もうないねん」と言い、それでも小学校1年の私が「のど渇いた。苦しい」と言うと、「売店に行ってジュースこうたろ」と言い、一緒に船の売店に行ったのだが、船の売店は閉まっていた。父は「弁天埠頭に着いたらこうたる」と言い、それで、弁天埠頭まで渇きに苦しみながら耐えたのだったが、ところが、弁天埠頭に着くと、父は「バス来てる、バス来てる。弁天町の駅に着いたらこうたる」と言い、そして、国鉄(現 JR)の大阪環状線「弁天町」駅に着くと、「プラットホームの売店でこうたる」と言い、そして、弁天町駅のプラットホームに行くと、「電車来た、電車来た。天王寺の駅に着いたらこうたる」と言ったのだった。この人、なんで、こんなことしないといけないのだろうか・・・とそのあたりからは小学校1年の子供でも気づいていた。そもそも、大阪環状線というのは、かつては「国電」と言われた通勤路線であり、「電車来た、電車来た」なんて言っても、大阪環状線の電車なんていつでも来るのである。そして、天王寺の駅に着くと、父は「電車来てる、電車来てる。南田辺の駅に着いたらこうたる」と言うのだった。今は阪和線・紀勢線の特急は京都駅か新大阪駅始発で快速は京橋駅か大阪駅始発で大阪環状線の西よりの部分をまわって天王寺駅から阪和線に入り、天王寺駅始発の電車は各停だけになったが、その頃は阪和線の快速・区間快速・各停、それに紀勢線乗り入れの特急・急行ともすべて天王寺駅始発で、天王寺駅はターミナル駅であり、「電車来てる」などと言っても、ターミナル駅には電車はたいてい「来てる」のだった。かつ、ターミナル駅には電車は「来てる」けれども、途中駅と違って、来ていても発車までしばらく停まっているのだった。船の中から自分が肩からさげていた水筒のお茶を奪われて以来、喉が渇いて苦しみ、小学校の1年の子供は「苦しい。ジュースほしい。水、飲みたい」と言い、「まだ、出ないから、水、飲みたい」と訴えたのだ。天王寺駅の水道は井戸水だという記事を最近見たが、その頃は今と違って、たいていの駅の洗面所では上水道を引いていて、「便所の水」でも飲むことはできた。小学校1年の時の私はジュースが欲しかったのではなく、お茶でも水でも飲めるものなら何でも良かったのだ。だから、「喉が渇いた。苦しい。水、飲みたい」と何度も訴えたのだが、父は「もうでる。もうでる。もうでると言うとるやろうが。わからんのか」と言うのだった・・・が、ところが、なかなか出ないのだわ、天王寺駅の阪和線の各停は。
   そういう時、もしも、高校生の時の私なら、小学校1年の弟なり妹なりがいて、父親が子供の持っている水筒を取り上げた上で、船の中から弁天埠頭→弁天町駅→弁天町駅のプラットホーム→天王寺駅→南田辺駅 とそういうことをやった、やろうとしたならば、「ちょっと、お父さん、子供にそういうことをしてはいくらなんでもかわいそうだよ。たとえ、電車を1台遅らせても、時間をとってジュースを買ってあげるべきだよ」と言ったと思う。ところが、高校1年だった姉は言えないのだった。こういうことを姉に言うと、「何を言ってんのん、あんたはあ」と言うのだ。「お父さんに逆らったら殴られるから、そんなもの、言えるわけないでしょうお」と言うのだ。たしかに、父は男の私は殴らなかったが、姉を殴ったりしていた。自分の娘だけではなく、父は「九州男児」だったので、一般論として「女は殴っていい」という思想の持ち主だったようだ。
   今からだと40年近く前、父の会社の仕事での知り合いの知り合いみたいな人・・・結論として、知り合いかどうかわからんくらいの人が、スピード違反だか駐車違反だかで警察官に捕まり、担当の婦警さんが相当感じ悪かった・・ということがあったらしい。まあ、「相当感じ悪い人」というのが警察官にいた・・といっても、もともと、警察官なんて感じ悪い方が普通だし、ましてや、人を殺したとかではなくスピード違反とか駐車違反とかその程度のことであったとしても、それでも、違反だと言われて接したとすると、感じは良くないだろう・・・が、父が言うには、その人は、その婦警の態度にむかついて、ボカンと殴ったところ、スピード違反だか駐車違反だかだけでなく、公務執行妨害に暴行罪までついた・・・と父は話し、そして、こう言ったのだった。「警察官の場合は、女でも殴ったらいかんらしいなあ」・・・と。 それで、私は言ったのだ。「そりぁ、いかんでしょう。男も女も関係ないでしょ。警察官なんてそんな相手を殴ってどないしますの。いかんでしょうよ」と。すると、父は「そやけど、女やで。なんで、女を殴ったらいかんのや」と。それで、「そんなもの、男も女も関係ないでしょ。そんな相手、殴ってどないしますの。警察官から不当な取り調べを受けたとか、警察官から理由もなく暴力をふるわれたとかではないんでしょ。自分の方がスピード違反だかやったのでしょ。だめに決まってるでしょ」と言ったのだが、どうも、おっさんは納得いかないようだった。その時は、「このおっさん、何を言うとんねん」と思ったのだが、「なんで、女を殴ったらいかんねん」という意識があったらしい。スピード違反だか駐車違反だかをやって捕まっただけならそれほど珍しくもないのだが、その取締りを担当した婦警が感じ悪かった・・としても、だからといって、ボカンと殴った・・・て、アホやんけ・・てことをしたのはいったい誰なのか? 父の仕事の上での知り合いの知り合いみたいなことを言っていたが、そもそも、その話自体が本当にあった話かどうかもわからない。又、「公務執行妨害に暴行罪にいっぱいついたらしい」と父は言ったのだが、1つの行為に対して罪名が2つつくものなのか? これは刑法上の問題として議論の対象にもなるものだが、どちらかになるということはないか? ・・・実際には、「スピード違反で捕まったら、担当が婦警さんで、婦警さんてのは男より感じ悪くって、ボカンと殴ってやりたいくらいでしてんけど、そんなことしたら、スピード違反だけやのうて、公務執行妨害に暴行罪にいっぱいついてしまいますから、そうなったら困るから、心の中ではボカンと殴ってやりたいくらいの気持ちでしたけど、我慢しましてん」・・というくらいの話だったなんてことないか? ・・・と思う。そもそも、「ボカンと殴ってやりたいくらいの気持ち」と実際に「殴る」のとは大きく違うのだ。世の中には、実際にはなかった話を実際にあったように話す人もおれば、実際は些細な話なのに大きく膨らませて話す人もおり、かなり脚色を加えて加工して捻じ曲げて話す人もおり、「ひとから聞いた話」というのはどこまで本当の話なのかわからない場合があるのだが、うちの父親というのは、そのあたりが「信じやすい人」だった。だから、その婦警さんを殴って公務執行妨害だか暴行罪だかに問われたというおっさんというのが誰かもわからないし、本当にあったことかどうかもわからない。可能性としては実際は根も葉もない話ということではなかったとしても、かなり膨らませた話ということはないかいなあ~あ・・という気がする。 話の真偽がどうかはちと横に置いておいておいて、「なんで、女を殴ったらいかんねん」という発想が、「戦後民主主義」の教育を受けて育った世代の私には理解できなかった。1960年代なかば、小学校の1年の時、担任の先生が「男の子が男の子を殴るのだっていいことではない。しかし、女の子は男の子よりも力が弱いのだから、力が強い者が力の弱い者に暴力をふるうというのは、それは卑怯だ」と言われ、そうだよなあ~あ・・・と私はその頃から思ってきた。だから、男同士でなら殴っていいというものでもないとしても、何らかの事情で熱して・・という場合はまだしも許されることもあるとしても、男が女を殴るというのは、それは「卑怯だ」とずっと思ってきた。もっとも、最近、「女性の職場進出」などと言って、《「男なら殴られるぞお」ということをしても女は殴られない権利があるみたいな意識のおばさん》というのが職場に「進出」というより「侵略」してきて、そういう人を見ると、「卑怯だ」というのは、むしろ、《「男なら殴られるぞお」ということをしても女は殴られない権利があるみたいな意識のおばさん》の方と違うのか・・とか思ったりもする・・し、そういう「オバサン帝国主義」が職場で幅を利かすというのを「女性の社会進出」などと言う人がいるが、そういうのは「進出」と言わずに「侵略」と言ってもらいたい・・・「オバサン帝国主義の職場侵略」と表記してもらいたいとか思ったりすることもある。 ともかく、「なんで、女を殴ったらいかんねん」という意識が「九州男児」の父にはあったように思われる。私は「九州の人間」は嫌いではないが、「九州男児」のそういうところは嫌いだ。
   ・・・で、阪和線の各駅停車はやっと天王寺駅を発車し、少し走って南田辺駅に着いた。ついに・・・、今度こそ、ジュースを買ってもらえる、もう、「バス来てる」も「電車来た」も「電車来てる」もないのだから、ずいぶんと長く渇きに苦しみあげいていたが、今度こそジュースを買ってもらえる・・・と思った・・のだが、今度は父はこう言ったのだった。
 「もうすぐ、家です! もうすぐ、家!!!」と・・・・( 一一)
こんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・
と思ったし、なんで、この人、こんなことしないと気がすまないのだろうなあ~あ・・・とも思ったが、父としては「普通のこと」だったようだ。私は、なぜ、自分が飲むことのできない水筒を肩からさげていかなければならなかったのだろうか・・とも思ったが、それが我が家でありそれがうちの父親だった。
   私が19歳の時、父はこう言ったのだ。「あんたには、よその家とはちごうて、あんたが欲しいと言うた物は、どんな物でも、何でも何でも、いつでもいつでも、ええもんばっかり、どんな物でも、こうてきてやあってやってやってやってやってきてやったったから!」と。 びっくりした。天地がひっくり返るほどびっくりした。それで、私は言ったのだ。「絶対にそんなことありませんよ」と。↑を見ただけでもわかるはずだ。子供が肩からさげているごく小さい水筒をとりあげて、大人に「配給、配給♪ お茶の配給です、お茶の配給♪」とちゃらけてほんの少ししか入っていない水筒から大人にお茶を入れてまわって、小学校1年の子供の飲む分を奪い、その上で、「売店でジュースをこうたろ」と言って売店に連れていくと、売店が閉まっていたことから・・・→弁天埠頭→弁天町駅→弁天町駅のプラットホーム→天王寺駅→南田辺駅→「もうすぐ、家です。もうすぐ、家!」 なんてことやった親なんて、あんたくらいのものだろうが。「よそ」はそんなことしてないと思うぞお。 「よその家とはちごうて」フェリーボートの中から弁天埠頭→弁天町駅→弁天町駅のプラットホーム→天王寺駅→南田辺駅→「もうすぐ、家です。もうすぐ、家!」なんてことを、あんた、やったじゃないか。 だから、私は言ったのだ。「絶対にそんなことない! そんなことは絶対にない!」と。すると、父はこう言ったのだ。「はあ? わからんのか、おまえはあ! かなんなあ、こいつはあ! こんなこと言いよるわ、こいつ。 困ったやつやなあ、ほんま、こいつはほんまに。こりぁ、こいつ、病気やわ。これは病気がこいつにこんなこと言わせよるんですわ。それも相当重症ですわ。薬飲ませて治療したらんとあかんわ。それも、相当大量に飲ませてやらんといかんわ。飲ませ飲ませ、クスリ、クスリ! 飲ませ飲ませ、クスリ、クスリ! ほんま、聖人でキリストで聖徳太子で英雄ヒットラー総統のこのわしが、こんなクズのチャンコロを息子に持つやなんて、神さまも酷なことをなさるもんや。かないまへんわ、ほんま。こいつがこういうことを言うというのは、これは病気が言わせてるんや。間違いあらへん。わっしのようなエッライえっらいエッライえっらい、聖人でキリストで聖徳太子で英雄ヒットラー総統の人間、ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で謙虚で人格者のわしに、こういうどうしようもないカスのクズのチャンコロが産まれてきたというのは、これは生物学上の突然変異学説や。間違いあらへん。かなんな、ほんま。どうしようもないな、ほんま。こりぁ、相当大量にクスリ飲ませたらんとあかんわ。大量にクスリを飲ませて、こいつが、今、言いよったようなことは二度と言えんようにしたらんといかん!」。 父はそう言ったのだった。「配給、配給♪ お茶の配給です、お茶の配給。配給、配給♪」とちゃらけて子供の水筒を奪ったおっさんが。南田辺の駅で「もうすぐ家です、もうすぐ、家!」と言ったおっさんが。
   1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。北野高校→神戸大文学部卒。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」というのが最大の自慢で「売り」だった。その文句、私は何度も何度も聞かされて、今もその文句が耳元でうなっている。音楽のN川先生は「作野さんは両親が離婚されただけあって、しっかりされてるわ」などと言っていたのだが、そういうものだろうか? そもそも、「両親が離婚した」などというものは、自慢するものと違うと思うのだ。「両親が離婚した」とすると、何かエライのか? 「ち~が~う~だ~ろ!」。 たしかに、私は父が会社に勤めに行って毎月もらってくる給料から食べさせてもらって成人した。だから、その点については感謝もするべきであろうし、その点については、会社から給料をもらってくる父親というものがいない人よりもいた人間の方が恵まれていたという面はあったかもしれない。しかし、その一方、 「両親が離婚した」人で母親の方に引き取られた人というのは、父親がいないわけだから、↑のようなことを父親からされるということもなかったはずである。 「私は両親が離婚したから」というのを自慢にする女というのは、父親というものはあった方がいついかなる時も得をしていて有利だと思っているのだろうか? 父親があったから↑みたいなことをされるということだってある・・・ということ、そのくらいのことも旧姓作野礼子は理解できない人間だったのか?・・・というと、理解できない「ウルトラのバカ」だったということだろう。そういう「ウルトラのバカ」が北野高校の教諭になっていたのである。
  実の父親に性的侵害を受ける女の子がいるという話が新聞に出ることがあるが、私は男だったからそういうことはないだろうと旧姓作野礼子などは思うだろうけれども、実はそうでもない。私が小学校の低学年の時、父は「こいつの鼻が気持ちええんじゃ」と言って、鼻の頭をなめようとし、それがなんとも気持ち悪くて嫌だった。「私は両親が離婚したから」と言い母親の方にくっついていった女はそういう体験はないだろう。

   母は私が小学生や中学生の頃、「親というものは、子供が大学に行く時には、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って、やりたいと思う勉強をして、つきたいと思う仕事につけるようにと思うから、だから、子供の頃から無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と、そう言った。それを聞いて小学生や中学生の頃の私はそのヨタ話を本気にしてしまった。小学校の5年の時から近視になって眼鏡をかけるようになってしまった私に、私が中学生の時、母はこう言ったのだ。「眼みたいなもん、何やねん。受験がすべてや。眼えみたいなもん、潰れてもかまわん!」と。 情けないことに老眼が出てきてしまった今、思う。せめて、眼が見えたらなあ・・と。せめて、近視がなければなあ・・・と。

  (2019.6.20.)

☆ 父の日に(19ー3)
1.子供の頃の話を無視する親。進学の際の適性、「文系」とは何か。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_4.html
2.姑息な詭弁で進路を妨害。数学と経済学は逆。ブンケー嫌な人間にブンケーhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_5.html
3.学校の先生は勉強した者の仕事か否か。子供の水筒を取上げちゃらける父親〔今回〕
4.「何でもわしに絶対服従」という男との間に「中間の立場」はなかったhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_7.html

☆父の日に
「令和」「れーわ」とうんざり、もうえーわ。裁判所の元号強制は不当。グリコと「作業療法」擁護する慶大生 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_1.html
(19-1)いったん「買ってやる」と言ったら買うべき。お年玉は子供から取り上げるべきでないhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_2.html
(19-2)「やふいのん」「やふいのん」と自分が言いまくった記憶の欠落している父親の日 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_3.html 

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