父の日に(19-3)【1/4】子供の頃の話を無視する親。進学の際の適性、「文系」とは何か。

[第459回]
  私の母は、私が小学生や中学生の頃、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、やりたいと思う勉強をして、就きたいと思う仕事につけるようにと思うから、そういう気持ちで、無理矢理にでも勉強させようとするんや」と言っていたのです。小学生や中学生の頃の私は、それを聞いて本気にしてしまった。うちの親はそう考えているのだと思い、その前提で自分の進路と人生設計を考えたが、母の発言はそれは嘘だった。
  又、私が小学生の頃、書店に行くと、「少年少女世界の偉人伝」とかそんな名称のシリーズの本があって、父母はそういうものを買って私に読ませた。小学校の図書室にも同様の本は置かれていて、「先生の推薦図書」みたいにして読むように推奨された。私が読んだ、もしくは読まされた「偉人」はどういう人かというと、
パスツール・キュリー夫人・・理工学分野の研究者
エジソン・・・実用的な工学分野の発明家。実際のエジソンは何かを発明する人がいると駆けつけて行ってカネでひとの発明を買い取って「エジソンの発明」にしたというけしからん男だったという説があるらしいけれども。
リビングストン・・・医療に貢献した医者。これも、実際のリビングストンはヨーロッパの侵略者の手先だったとかいう説もあるらしいが、ここではそれは論じない。
トルストイ・・文学者、作家。今、トルストイの著作を読むと、この男、よくもまあ、これだけ次から次へとクズみたいな本ばっかり書いたものだなあとあきれる。ロシアの作家としては、ツルゲーネフ『はつ恋』『父と子』などの方がよっぽど名作だと思うが、それもここでは論じない。
ベートーベン・・音楽家、作曲家。どうも、日本ではヨーロッパの音楽家・作曲家の中でベートーベンが別格扱いされてきたが、それは、特に戦中、バッハ・ヘンデルなどはキリスト教の宗教曲が多く、オペラやシューベルトの歌曲などには歌詞とストーリーがあり、ベルディ『ナブッコ』などはバビロン捕囚にあったイスラエル人が支配者に抵抗する話だし、モーツァルト『フィガロの結婚』は、部下の婚約者に手をだしてやろうとする経営者の「セクハラ」をやっつける話だし、シューベルトの「セレナーデ」とかいう「愛の歌」は戦中の気風として認めがたく、その点、ベートーベンというのは交響曲など器楽曲が多く歌詞がないし、第九交響曲「合唱付き」なんて、歌詞があるといっても「晴れたる青空ただよう雲よ、小鳥は歌えり林に森に」なんて人畜無害、何の意味もないじゃん、くっだらねえ~え! て歌詞でしかないわけで、かつ、ベートーベンの交響曲というのは、第六番「田園」を別にすれば多くが軍歌調・行進曲調のものが多い、それゆえ、戦中の軍国主義の時代にはベートーベンが別格扱いされて奨励された、その流れが戦後も残り今も残っている・・という可能性が考えられる・・と思うが、それもここではこれ以上論じない。
ナポレオン・・少年時代のナポレオンは勉強家で努力家だった・・というあたりはいいが、政治家・軍人としてのナポレオンをどう評価するかというのはなかなか難しい。ヒトラーとナポレオンは同じなのか違うのか? ナポレオンは進歩派で共和制推進者だったのか、それとも単なる独裁者だったのか? 評価は難しい。ベルディのオペラ『トスカ』では、ナポレオンの勝利をフランスの人間ではなくローマの人間であるマリオ=カバラドッシが「ヴィット―リア~、ヴィット~リア~♪」と歌い喜ぶ場面があり、『トスカ』ではナポレオンを人民の解放者・皇帝や王制の支配者に対する解放者ととらえていたわけだが、ナポレオンが皇帝についたことにベートーベンは怒って、交響曲第三番「英雄」の「表紙を」破り捨てた・・・て、なんか、本体は破らずに表紙だけ破り捨てるていかにもパフォーマンスて感じ! やることせこい・・・て感じのことをやったように、評価は分かれる。
チェ=ゲバラ・・・なんてのも「偉人伝」シリーズに入ったいたように思うのだが、もっと評価は難しい。千葉県のリフォーム屋 ウッ〇ィホームの社長のH木氏は若い頃、ゲバラにあこがれた・・・と言うておったのだが、若い頃は「ゲバラにあこがれた」というおっさんが、そ~れが今では♪ どうなったかというと、「宗教右翼」倫理研究所(=倫理法人会)の会員で役員やってる。
福澤諭吉・・・「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと言えり」はいい。上野で彰義隊と「官軍」が戦っているのを慶應義塾の塾生が気にしたが、「我々はそんなことは気にしないで学問を続けるべきだ」と言ったという話は雨にも負けず風にも負けず毎日一生懸命お勉強しましょうという話にされてしまっているけれども、実際の話は、開国して欧米の文物を大至急取り入れるべきだと主張していた「洋学者」の福澤諭吉は「攘夷派」から命を狙われていた人間であり、「攘夷派」などという者は世界の情勢のわかっていない愚か者だと考えており、かつ、下級氏族といえども幕臣だったし、そうはいっても江戸幕府が開明的でもないので、それで、福沢諭吉は討幕と佐幕の争いなんてどっちが勝とうがどうでもいいという認識だったのであって、単に「何があろうが関係なく学問を続けるべきだ」と言ったのではなかったのだが、「偉人伝」は意味を取り違えていた。子供の頃、一生懸命努力して学習したが、家老の息子であった奥平壱岐てやつは勉強できないくせしやがってからに長崎に勉強に行かせてもらってからに、「ええなあ、うらやましいなあ」「わしぁ、び~んぼうやからな」・・とかなんとか言いまくっていたが、遠山茂樹『福澤諭吉』(東大出版会 UP選書)を見ると、どうも、その家老の息子の奥平壱岐が福澤諭吉というやつは勉強ができるのに下級氏族の息子であることから長崎に勉強に行きたいと思っても行けずにいてかわいそうだから、なんとかしてやってほしいと言って尽力してくれたおかげで結局長崎に行けたらしいのに、それをまた、「あいつは勉強でけへんくせしてからに長崎に行かせてもらえて、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええな」とか言いまくり、「わしぁ日陰の月見草や」とか「長嶋みたいなやっちゃ」とか・・はそれは言わなかったようだが、ともかく、福沢諭吉という人は生身の人間なので、いいとこもあんまりよくないとこもあったとしても、それでも、「偉人伝」のメンバーに入れても、まあ、悪くはないだろうが、「偉人伝」に選んだ人は何をやった人と評価したのか、どこを高く評価したのかはよくわからない。
新井白石・・・福澤諭吉以上に、選定理由がよくわからない。子供の頃、勉強をしていて、眠気がしたり他のことが気になったりすると、庭にでて頭から冷水をかぶり、気持ちを改めてまた勉強についた、て「ほとんど二宮尊徳」みたいなもの? で、二宮尊徳の銅像が建っている小学校が今もあるが、歩きながら本を読まなくても、さっさと帰ってから読めばいいことと違うんかい・・て気もするし、「歩きスマホ」は危ないよ・・・てとこもあるが。
  あと、ベーブ=ルースなんてのもあったが、ベーブ=ルースが病気の子供を見舞って、「今晩の試合で必ずホームランを打つ」と約束して本当に打った・・というのがエライ・・てことになっていたが、そんなの打てるものなら、毎試合打てってんだ・・て、今、考えると、どこが「偉人伝」かようわからんところもあるが、とりあえず、ベーブ=ルースについては我が家は運動選手はあまり好きでない家系だったのでこれは関係ない。
  佐野源左衛門常世なんて戦前の修身の教科書人物もあったが、冬の雪の降る寒い日に、一晩やっかいになりたいと尋ねてきたじいさんをもてなすために、部屋を暖める薪もないくらい貧乏な武士なのに、高価な盆栽を火にくべてじいさんを接待したところ、そのじいさんが執権北条泰時であった~あ、それで出世させてもらえた、ラッキー♪・・という話だが、部屋を暖める薪も買えないくらい貧乏なおっさんが、なんで、「高価な盆栽」なんて持っていたのか・・そこがなんかようわからん。話、おかしいんちゃう? て感じだが、どっちにしても、「鎌倉武士」になろうと思ってもなりようないので、これも関係ない。
  「キリスト」なんてのもあったが、これは宗教上のお話なので、キリストになりたいと思ってもなれるものでもないので、これも問題外だろう。
  ともかく、うちの親は、私が小学生であった頃、↑みたいな人を「偉人」だとして「偉人伝」を読ませたわけで、そうである以上は、私がそういう人間になりたいと思って努力したり、そういう人間になったら喜んでくれるものだと思い込んでしまった。・・ところが、実際に大学に行く時になるとそうではなかった。

  又、「小学校高学年くらいの頃にぜひとも読んでおきたい」とかいうフレーズの「少年少女文学全集」かなんかそういう名前のシリーズの本も読まされた。「読まされた」というといやいや読まされたみたいな表現になってしまうが、いやいや読まされたわけでもない。そこには、夏目漱石『三四郎』、井上靖『しろばんば』、山本有三『路傍の石』などあったように思う。
  夏目漱石の作品としては「少年向け」として『坊ちゃん』というのがあげられていたが、しかし、今、読むと、夏目漱石は神経衰弱であった時期があったとか言われており、『坊ちゃん』もまた、天真爛漫な坊ちゃんの話・・みたいに言われるが、赴任先の学校の生徒の悪ふざけにいちいち怒らなくてもいいようなものにかんかんに怒ったり、かなり神経質で、天真爛漫とは程遠い。「赤シャツ」が「うらなりくん」を追い出そうとしたという噂を聞いて「赤シャツ」の家に文句を言いに押しかけたのはいいが、「赤シャツ」から、「うらなりくん」から今の給料ではお母さんを養っていくのに苦しいのでもう少し上げてもらえないかと言われたが、ここでは給料を上げることはできないが大分県の方の学校で教員を欲しがっている所があってそこに行くなら今よりも高い給料をもらえることになるがどうしますかと言うと、彼がそれならそこに行きますと言ってそれで行くことになったのであり、私が強制したわけでもなく、その件について「うらなりくん」は文句を言っていないのに、なんで、当事者でもないあんたが私に文句を言いにくるんですか・・と言われて、この野郎、うまいこといいやがる・・とかプリプリするのだが、精神的に冷静ではなく、行動が衝動的であり、あんまりほめられたものではない。神経衰弱の人の思考・行動形式が表れているような感じであまりいいと思えない小説である。むしろ、小学生の時に読んだ際にはもうひとつよくわからなかったが、『三四郎』の方が20歳前後の頃の大学生の心情を描いた小説として評価できるように思う。
  『しろばんば』は第一部と第二部からなっているが、「小学生向け」で発行されているいたのは第一部だけだった。『しろばんば』はその続編が『夏草冬濤』『北の海』に続くのだが、後になるに従い、小学生に読ませていいのか・・みたいな場面も出てくるんので「小学生向け推薦図書」は『しろばんば』だけだったのだろう。
  『路傍の石』は、映画のポスターなどには鉄橋にぶら下がる場面の絵が矢鱈と描かれるが、実際に小説の『路傍の石』を読むと、鉄橋にぶら下がる話というのはこの小説においてそれほど大きなウエート葉占めていないはずである。又、最後、「次野先生」が近所の某さんが亡くなる時にお金を預かっていてそれを吾一が学校に行けるように使ってあげてほしいと頼まれていたという話がでてきて、明るい将来が見えたところで終結・・・みたいに「小学生向け」の話はなっていたのだが、実は本来の『路傍の石』はそこで終結する予定の話ではなく、戦前戦中、山本有三が『路傍の石』を連載した時、この小説は社会主義を志向する小説ということではないのだが、小説中に社会主義者が登場することから、内容に干渉を加えられ、そこで山本有三は「筆を折る」ことになり、戦後、続きを書き始めたものの、またもや、今度は、これも作者の主張ということではなく、登場人物の会話として、三国干渉について、日清戦争で日本人は血を流して清から租借地をえたのに、ロシアは血を流すこともなくそれを奪い取ったと憤慨する話が出てくることからGHQから発行を止められたということがあり、再度の妨害により、作者山本有三は、途中から後、当初の小説の構想としては本体の部分を書くのをやめてしまったわけだ。前段の部分だけでもなかなかの小説ではあるとは思うが、それにしても、本体はどういう話になる予定だったのだろうかという想像とともに前段部分は読んだ方がいいと思われるものを、「小学生向け」シリーズでは、「一生懸命勉強しなさいやあ」みたいな・・・、そんなけなの? みたいな小説になってしまっている。又、母親が他界した時に、飲んだくれでどうしようもなかった父親は葬式にも顔を出さなかった・・という話になってしまっているが、『路傍の石』の書きかけは2種類あって、片方によると、その父親は妻が他界した時、東京の飲み屋で酒を飲みながら、「行きたいよなあ。葬式くらい行きたいよなあ」とこぼしながら、「行けないよなあ」とおのれの身の上から考えて行くことができないのを悲しんでいたということで、「子供むけ小説」とは少々話が違う。
  ともかく、我が家ではそういう「小学校高学年向け」とかいう小説を私に読ませていたのだ。だから、そこに登場するような人物のような生き方、たとえば、『三四郎』に登場する三四郎は小宮豊隆がモデルで野々宮さん寺田寅彦がモデルと言われているそうだが、その三四郎のように東大の文学部に行って文学の道に精進するとか、野々宮さんのように東大の理学部の研究室でひたすら理科学的研究に没頭する生活を送ろうと私がしたならば、我が家の親は応援してくれるのではないか、喜んでくれるのではないか・・・と思いこんでしまった。勘違いしてしまったのだ。『路傍の石』の吾一のように、金持ちの家庭では上級学校に進学して勉強だけさせてもらえても、貧乏な家庭では働きながらでも学びたいと思って努力するという姿勢は高く評価してもらえるものだろうと思い込んでしまったのだ。又、『夏草冬濤』に出てくる旧制中学校の学生の話のように、学問そのものに精進すれば、うちの親も喜んでくれるものだろうと勘違いしてしまった。
  又、大学というものは『三四郎』に描かれているようなそういう所だろうと思っていたし、慶應大学みたいな強姦魔の行く所とは違うと思っていたし、「慶應タイプの強姦魔」「慶應タイプの女たらし」なんて大学行くな! と思っていた。その意味で、慶應なんてのは大学ではないと思っていた。『三四郎』に登場する三四郎は文学部の学生で、野々宮さんというのは理学部の大学院生なのか助手なのかそういう人だったはずだが、その印象があったので、私は大学というものは文学部か理学部のもののような意識があった。
  高校の時に読んだ『倫理社会 自由自在』(受験研究社)に、ジャン=ポール=サルトルの話として、大学でサルトルが論文で1位を取った時に2位だったのがシモーヌ=ド=ボーヴォワールであった、と出ていた。フリードリヒ=ニーチェは、書店でショウペンハウエル『意思と表象としての世界』を見て大変な衝撃を受けた・・・とかいう話も出ていた。三四郎の友人が広田先生のことを「あの人は人間が哲学でできている」と言う場面があった。そもそも、私の苗字ではなく名前の方だが、これは日本の某哲学者の名前を拝借してつけられたものだったので、そういう名前を息子につけるからには、その名前の哲学者みたいになろうと息子が努力すれば、その名前をつけた者がそれをいかんと言うことはないだろう・・・と思いこんでいた・・が違った。

  しかし、我が家はそういう家庭ではなかったのだ。ひとつには、北野高校の教諭というものを実状をかけはなれて信頼していた、というのが私の失敗だった。 高校2年の途中で、「文系」か「理系」かに分かれるという時、担任であった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒→神戸大文学部卒。当時、20代)が、「社会科の成績と理科の成績を比べると、社会科の成績の方がいいですから、文系ですね」などと言って、「文系」に決めてしまった。 こういう決め方がいいのかというと、今現在、私は間違っていると思う。まず、その「社会科の成績」だが、私は「高校の勉強は高校の勉強だ」と思っていたのだ。ところが、「高校は大学に行くための手段だ」という認識の人がいたのだ。実際には両方だと私は思うが、後者の意味だけにしか考えない人というのもいたのだ。私は、「大学進学を考えると、入試にある科目を入試にない科目より重視して学ぶようにした方が大学入試には有利だ」という話は聞いていて、そういったことも少しは考えていたが、しかし、今、思うと、それは「少しは」であって、高校時代の私はそのあたりの認識が不足していたと思う。 又、大学入試にない科目といえども、高校で学んでいない者が大学に入学してからやっていけるのだろうか、という不安もあった。たとえば、大学で理学部の生物学科に入学した者が受験では理科は物理と化学を選択して入学し、生物はあまり学習していなかったとか、天文学科にい進んだ者が地学はあまり学習していなかった、とかいう場合、入学後、やっていけるのだろうかといったことを考えた。生物学科でなくても、医学部に進む場合には、入試では物理と化学を選択しても、医学部では人体を扱うのであるから高校の生物は相当に学習しておかないといけないということはないのか。あるいは、1970年代、共通一次試験実施より前においては「倫理社会は入試にない」科目だったが、哲学・倫理学・宗教学や社会学・心理学といったものを専攻したいと思うなら、倫理社会は相当に学んでおかないといけないのではないのか。大学の法学部・経済学部に進学するのなら、試験では社会科は日本史・世界史を選択して受けても、「政治経済」も相当に学んでおかないといけないのではないのか・・・といったことを考えた。 実際には、そういうことはあんまり心配しなくてもいい。慶應なんて「大学」は1浪して入試の科目だけ学習して入学したというようなそういうヤツだらけである。北野高校卒で大学には行かなかったという人の方が、慶應大学卒の人間よりも一般教養は上である。
  我が家は母親の家系は学校の先生が多い家系で、「勉強する人」が好きな家系だった。だから、私も小学生の頃から勉強した。しかし、父親の方はそれほど「勉強する人」の方ではなかった。北野高校の同級生でお父さんが京大卒だとか東大卒だとかいうような人というのはうらやましかった。親が東大卒とか京大卒とかいう親の家庭では、親が特に何をしてくれるというのではなくとも、大学進学や進路について理解があった。よその親を見ていい親だなあと思っても、それはよその親であってどうしようもないことかもしれないが、しかし、うらやましいなあと思うことはあった。大王製紙の2代目社長は北野高校から東大に進学しようとして合格できず慶應大に行ったが、息子には何が何でも東大に行かせてやりたいと思って、3代目社長になった息子は筑波大付属駒場高校からだったか東大に進学したらしい。そういう父親と我が家のおっさんみたいな父親とでは、息子の進学・進路にも大きく違いは出る。父親でなくても、兄でも姉でも京大・阪大あるいは東大に進学したような兄・姉がある人と、我が家のように短大にしか行っていない姉の弟では、そこでも条件は違った。
  父は私に毎日言ったものだった。「T子さんはドイツ人やねんぞ。おまえはチャンコロやねんぞ。民族の違いをゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ!」と。その常に父に加担する女だった上の姉のT子さんだが、「T子さんが奈良女子大に行かれへんかったのは、おまえのせいやねんぞ。ひとのせいにすんなよ、チャンコロ! T子さんが天高(天王寺高校)に行かれへんかったのはおまえのせいやぞ。ひとのせいにすんなよ、このチャンコロめがチャンコロ! 優秀な優秀なドイツ人のT子さんが天王寺高校に行かれへんかったのは、おまえが悪いねんぞ。ひとのせいにすんなよ、このチャンコロめが、よくも産まれやがってからに、チャンコロ! このチャンコロめ、産まれなければ良かったのに産まれおってからに。大事な大事なT子さんを天王寺高校に行けんようにしやがってからに、チャンコロめがあ! んが、んが、んがあ!!!」と毎日毎日、父は私の鼻のあたり、もしくは眼のあたりを指で突き刺すようにして言いまくったのだ。その「おまえとは違ってドイツ人のお姉さん」「大事な大事なT子さん」「〇〇家の中心のT子さん」というのが奈良女子大を受けて落ちたのは私が小学校の1年の時だった。小学校の1年生がいったい何をしたというのか? もしくは、高校3年の時ではなく高校3年間が影響したとすると、私が幼稚園の年少組・年長組の時と小学校1年の時とだが、その3年間に幼稚園児と小学校1年生が何をしたというのか? 「おまえが産まれなければ、大事なT子さんをもっと応援してやることができたのにからに、おまえが産まれたために応援できんかったんじゃ。T子さんはもっと応援してやったら奈良女子大に絶対に合格する人やったんじゃ。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ。おまえとは違うねんぞ、浪商! おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、お~ま~ええ~はあ~あ、おまえはおまえはほんまはおまえは浪商じゃ! この浪商めが産まれおってからに、産まれなければ良かったのに、浪商!!! 浪商は高校行くな、浪商!!! 浪商の分際で高校行くな! この浪商めが浪商! 浪商の分際で北野高校に行きおってからに、この浪商めがあ、この浪商! お~ま~え~はあ~あ、浪商じゃ、浪商! それに対して、わしとT子さんは天高(天王寺高校)やねんぞ。おまえとは違うねんぞ、浪商! おまえは浪商の階級でわしとT子さんは天高(天王寺高校)の階級やねんぞ、浪商! 階級の違いを忘れるな、浪商!」と、私の眼を指で突き刺すようにして言うのだった。
   「ドイツ人のT子さん」が奈良女子大を受けた時、「応援してやったら通ったのに、おまえがおったから応援できんかったんじゃ」と言うのだが、T子さんは、いったい、どんな「応援」してほしかったのだろう? ↓みたいのをやってほしかったのなら、小学校の1年生でも言ってくれたらやってあげたのに。言ってくれれば良かったのに・・・。↓
※ 《YouTube-コンバットマーチ【6人】早稲田大学応援2013 》https://www.youtube.com/watch?v=waiBBVjToXA
  もっとも、「ドイツ人のT子さん」は↑みたいな「応援」をしてもらえば奈良女子大に合格するのかもしれんが、私やったら、そんなもん、やって要らんな。 大学受験に際して、↑みたいな「応援」て、してほしいか? してほしい? 体育会野球部の人間がどう思うかは知らんが、俺やったらやっていらんけどな。
  父は「たとえ、奈良女子大を落ちたとしても、おまえが産まれなかったならば、おまえを育てるためのカネでT子さんを私立大学の4年制に行かせてやることができたんじゃ。おまえが産まれたために、大事な大事なT子さんを短大しか行かすことができんようになったんじゃ。このチャンコロろすけイタコの浪商めがあ! 産まれなければ良かったのに産まれおってからに、この浪商イタコろすけチャンコロ!!!」と言うのだった・・・が、父は小学校の1年生なんて、その頃のことを覚えていないだろうと確信して言っていたようだが、そうでもないのだ。最初、そうかいなあと思っていたが、そのうち、思い出した。「ドイツ人のT子さん」は奈良女子大しか4年制の大学を受けなかったのではないのだ。「学大を受けた時に」とT子さんは言っていたのだが、「学大」というのは東京の学芸大学ではなく大阪の大阪教育大のことで、二期校で受けた大阪教育大もそれも落ちよったのだ。「天地がひっくり返っても奈良女子大に通る人やった」という「ドイツ人のT子さん」は天地が1回ではなく2回ひっくり返って大阪教育大も落ちたのだ。さらに、他にも、神戸女学院・神戸松陰・武庫川女子大・プール学院・大阪樟蔭・相愛学園その他、いくつかの学校の名前が話として出ていたのを小学校1年の私は横で聞いていたのだ。そのうち、どこを受けてどこは受けなかったのかはよく知らないが、武庫川女子大は奈良女子大がだめだった時には武庫川女子大は通るだろうから武庫川女子大に行くとか言うておったはずだったのだ・・が、「天地がひっくり返っても奈良女子大に通るT子さん」はそれも落ちよったのだ。どうも、天地というのは簡単に5回も6回もひっくり返るもののようだ。私が奈良女子大を落としたのかと思ったら、なんと、武庫川女子大やなんてそんなものまで、私が落としたらしかった。なんとも、ひどい弟である。というよりも、武庫川女子大やなんて、そんなもん、いったいどないしたら落ちることができるのか・・とも思うのだが、それを私が落としたらしいのだ。な~んにもしてないのに、な~んにもしてなくても、「優秀な優秀なおねえさん」というのを、奈良女子大だけやのうて、武庫川女子大やなんてそんなものまで落とすなんて、とんでもない弟である。これを、「しかし、なんだかんだ言っても、落ちたんでしょ。落ちたからには落ちた者がいかんのと違うのですか」なんて言おうものなら、「何を言うとるんじゃ、おまえはあ。ええかげんにせえよ、おまえはあ~あ! おまえが落としたのにからに、ひとのせいにすんな、チャンコロろすけイタコ浪商! おまえがT子さんを落としたんじゃ。T子さんはおまえとはちごうて優秀で落ちる人とは違うねんぞおお~お。おまえが落としたのにからに、『落ちたからには落ちた人間がいかんのと違うんですか』やなんておまえみたいにそういうことを言うやつのことを、心理学では外罰的性格!とこう言うんじゃ。この外罰的性格めが、このチャンコロ!」と。 「心理学」にかかると「何でも病気にされる」ので、怖いこわい怖いこわい! ともかく、私は「大事なT子さん」が奈良女子大に合格できなかったのも、武庫川女子大やなんてそんなもんまで、そんなもん、いったいどないしたら落ちることできんねん? て感じの学校まで落ちたのも、それもみんな私のせいだそうで、「なんでやねん、なんで俺のせいやねん?」なんて言おうものなら、「外罰的性格」と「心理学」に「診断」されることになるわけだった。
  その「大事な大事なドイツ人のT子さん」が、「T子さんが天高(天王寺高校)に行かれへんかったんも、おまえのせいやねんぞ、おまえが悪いねんぞ。おまえが産まれてきたのがいかんねんぞ。産まれなければ良かったのに産まれおってからに、この浪商イタコろすけチャンコロ拓殖この亜細亜大!!!」と父は言うのだった。「大事なドイツ人のT子さん」が高校を受けた年というのは、私が3歳から4歳になる年、幼稚園に入園する前の年だった。そんな歳の時に何があったかなんて、ほとんど覚えてないよ。 覚えているのは、その「大事なドイツ人のT子さん」が受けるという公立高校を下見に行くのに一緒についていったこと。それだけ。もし、中学校の1年から3年までの3年間が高校受験に影響するとすれば、T子さんが中学校の1年から3年の間、私はいくつだったかというと、1歳の後半から4歳の前半までの間。1歳の時のことなんて何も覚えてないよ。そんな子供がいったい何をやったと言うのだろうか? 父は「産まれてきたのがいかんのじゃ、おまえが。産まれなければ良かったのに産まれおってからに」と言うのだった。しかし、産まれてからのことはさておき、「産まれた」というのは、それは産まれた者の責任じゃなくて産んだ側の問題と違うのか・・・と思ったのだが、そういうことを言うと、「そういうことを言うやつのことを、心理学では外罰的性格と言うんじゃ。わかっとんのんか、外罰的性格!」と言われることになる。
   私が高校受験の年である中学校3年の時、その「ドイツ人のT子さん」が我が家で出産して、姪は我が家にしばらくいたものだ。ある時、姉は「ちょっと、この子、抱いてて」と言うので、「いいよ」と言って膝の上に赤ん坊を載せると、「ちょっと、これから美容院、行ってくるからその間、その子、抱いててね」と言うのだ。「ちょっと待て、ちょっと」美容院て、向かいに美容院があるわけじゃない。美容院てのは10分ほど歩いた駅のまだ向こうにあるであって、『ちょっと、トイレに行ってくる』のと事情は違う。今は寝ていても、その間に赤ん坊が起きるかもしれんだろうが。どうすんだよと思ったが、私の膝の上に赤ん坊のせて、「すぐ、行ってくるから。待ってて」と言って行ってしまったのだ。おい~い、どうすんだよお~お。こいつ、寝てろよ、起きるんじゃないぞ、寝てろよ、起きるんじゃないぞ・・・と思うと、眼をさまして、「みゃー」・・・。「みゃー」と言われても、ミルクタンクは美容院に行ってしまっていないんだよお~お、俺にはミルクタンクはないんだよお~お・・・と思ったが、赤ん坊が眼を覚まして「みゃー」と言っても、必ずしも「おっぱいちょうだい」という意味ではないらしい。姪は眼を覚まして「みゃー」と言ったが、それは「起きたぞお」という意思表示だったようで、そして、私の顔を見て、周囲を見回して、そして、また眠ったのだった。この人と一緒にいるのかと確認し、そして、寝た時にいた部屋と違う部屋にいるようだけれども、この部屋にいるのかと確認して、そして安心してまた寝たのだった。そして、そのうち、また、眼を覚ましたが、私の顔を見ると、なんだかにこにこしてまた眼をつぶった。赤ん坊はにこにこしているけれども、こっちは赤ん坊の枕かわりにしている腕がしびれてくるし、トイレに行きたいと思っても赤ん坊を下に降ろすこともできないしで、体を張って赤ん坊を守ったのだった。で、そういうことがあったから私は高校受験に落ちたかというと、落ちてない。通ったよ。家に赤ん坊がいたら高校入試に落ちるのなら私も落ちて良さそうなものだが、通ったよ。
   そもそも、今は昔と違って女性でも東大に行ったり京大に行ったりする人が増えて、状況が変っているかもしれないが、私が高校に進学した1970年代なかばにしても、「大事なT子さん」が高校に進学した1960年代なかばにしても、北野高校とか天王寺高校といったその学区の一番手校というのは、男は一番入学難易度が高い高校ではあったが、女性は受験生が少なく、受けさえすれば誰でも通る高校だったのだ。だから、もしも、天王寺高校に行きたかったのなら、受ければ良かったのだ。受ければまず通ったのではないか。なぜ、受けなかったのだ? ・・と思うのだが、これもそういうことを言うと、またもや、「心理学」に「外罰的性格」と「診断」されることになるので、怖いこわい怖いこわい!!!・・・「心理学」というのは本当に怖ろしい。
  姉2人は、2人そろって言いまくってきた。「弟なんて要らんかった。お兄ちゃんが欲しかった」と。えらい悪かったなあ、ほんまに。 すんまへんなあ、ほんまにい。しかし、最近になって、ふと気づいたのだ。何も言われっぱなしでいることないのじゃないか。こっちだって、言ってやったって良かったのではないか? 私だって、少なくとも大学進学においては、東大とか京大とかに進学した兄、もしくは東大とか京大とかに進学したいと思ったが断念して阪大とか神戸大とかに行ったか、東大とか京大とかを落ちてしまって慶應大・早稲田大などに行った兄、もしくは姉でもいたら、大学進学においてはずっと有利だっただろうなあ~あ・・・と心の中では思っていた。短大しか行けないようなお姉ちゃんよりも、女でも京大とか阪大とかに進学するようなお姉ちゃんの弟の方が、兄弟の大学受験を見て参考にもなるし、又、家庭内においても理解があったと思うのだ。 だから、「弟なんて要らなかった」とかなんとか勝手なこと言いやがってからに、それならこっちも言うたろか・・・ということだってできたのだ。

  私が「社会科の成績がいい」といっても、入試にない科目には極端に手を抜く人がいて、いいのか悪いのかは別として、私はそういうことはしていなかったので、それで「社会科の成績がいい」ことになっていた面がある。そもそも、「社会科」といっても、歴史と地理と倫理社会と政治経済というのは性質が違う。「理科」だって各科目違う。大学の一般教養科目の選択の際には、「政治学」「経済学」というのは社会科学で、「哲学」「宗教学」は人文科学であり、「文学」も人文科学だが、高校の科目だと、「政治学」「経済学」がセットで「政治経済」、「哲学」「宗教学」は「倫理社会」に含まれ、「政治経済」も「倫理社会」も「社会科」にされ、大学の一般教養では「哲学」も「文学」も「人文科学」に分類されていたのに、高校では「哲学」は「倫理社会」→「社会科」で、「文学」は「国語」に分類されて別科目になっており、「社会科」とひとまとめにして考えるのは適当ではないと思うのだ。
  旧姓作野礼子は、高校2年の1学期の中間考査の時の物理の成績が壊滅的なものだったことをあげて、「あなたは理系じゃなくて文系よ」と決めつけたのだが、物理とか数学とかは、できれば満点近い点数になるが、だめな時は壊滅的な成績になるという科目であり、ある時、だめでも、やってできるようになれば、今度は満点近い点数にもなる科目なのだ。そして、2学期の中間考査では学年で1番の成績を取ったのだ。 私が思うに、各時期の点数がいいか悪いかだけで見るのではなく、比較的いい成績をとれているように見えても、本人が自分でもその科目について今後もいい成績を取れるという自信があるかどうか、悪い成績を取った時があっても、本人がそれを挽回できると思っているのか、その科目はだめだと本人が思っているのか、という意識の問題もあると思うのだ。
  1988年だったか、南海ホークスのベテランの門田選手が本塁打・打点の2冠王になった時、「ナンバー」だったかの記事のインタビューで、1981年に8月に16本の月間最多本塁打を記録し本塁打王を獲得した後、一時期、打撃成績が低迷していたことがあったが、今回、復活したということについて尋ねられ、 「余裕のある三振、余裕のないホームラン」なんて言うと変に思われるかもしれないけれども、たとえ、成績があがっていなくても自分ではまだやれると思うことがあり、逆に、成績があがっていても、自分ではもうそう長くないだろうと思える時もある、と語っていた。一時、成績が低迷した時でも、自分ではまだできると思っていたし、逆に、今回1988年、二冠王をとったが、それは、むしろ、自分ではそう先は長くないと思って悔いがないようにやろうとした結果、いい成績を残せた・・というようなことを述べていたと思う。同様に、一回一回の成績を見て、理科がいいとか悪いとか、社会科がいいとか悪いとかそういうことだけで、「あなたはブンケーよ」とか「理系よ」と決めるのは適切ではないはずであり、高校教諭ならそのあたりをアドバイスした方がいいと今の私は思うのだが、そんな能力などない、むしろ、逆効果の女が高校教諭になっていた。
  むしろ、「社会科の成績と理科の成績を比較して・・」というよりも、「文学と哲学ならどちらを志向するか・・・・」とか考えた方が合理的ではないかとも思うのだ。私は文学と哲学なら絶対にどっちということでもなかったが、高校の時期においては哲学の方を志向した。これは、哲学型人間というのは理学部型人間に共通する傾向があると思う。 数学の点数を個々の試験で何点取ったかということよりも、数学というもの・「数学そのもの」が好きかどうかという点で考えるべきだと思う。  たとえば、吉田精一『零の発見』(岩波新書)とかそういう本を読むのが私は好きだった。高校の中間考査・期末考査で同じ点数をとっていても、そういった「数学そのもの」の本を読んだりするのが好きな人間とそうでない人間がいると思うのだ。私はそういうものが好きな方の人間だったのだ。中間考査・期末考査の点数がどうかはまったく関係ないことはないとしても、それよりも、「数学そのもの」が好きかどうか、哲学と文学ならどちらを志向するか、とそういった点から考えた方が有益だと私は思う。高校の教諭というのはそういうことをわかっている人がなっているものだろうと高校生の時の私は思い込んでいたが、実際には逆の女がなっていた。
   (2019.6.20.)

  【2/4】姑息な詭弁で進路を妨害。数学と経済学は逆。ブンケー嫌な人間にブンケー-父の日に(19ー3)https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_5.html に続く・・

☆ 父の日に(19ー3)
1.子供の頃の話を無視する親。進学の際の適性、「文系」とは何か 〔今回〕
2.姑息な詭弁で進路を妨害。数学と経済学は逆。ブンケー嫌な人間にブンケーhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_5.html
3.学校の先生は勉強した者の仕事か否か。子供の水筒を取上げちゃらける父親https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_6.html
4.「何でもわしに絶対服従」という男との間に「中間の立場」はなかったhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_7.html

☆父の日に
「令和」「れーわ」とうんざり、もうえーわ。裁判所の元号強制は不当。グリコと「作業療法」擁護する慶大生 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_1.html
(19-1)いったん「買ってやる」と言ったら買うべき。お年玉は子供から取り上げるべきでないhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_2.html
(19-2)「やふいのん」「やふいのん」と自分が言いまくった記憶の欠落している父親の日 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_3.html
 


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