戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか?

[第455回]
  我が家は千葉県船橋市の坂の中腹のような位置にあります。 最寄駅からはけっこうあります。最寄駅まで東京の都心からもけっこうあります。駅からバスもあることはありますが、バス停のすぐそばではなく、バスを待って乗ると、時には道が渋滞して動かないこともあり、駅まで歩いた方が早いこともあります。我が家から駅まで行くには下りなのでまだいいのですが、駅から我が家に行くには登りなので、かなり大変です。30過ぎの頃はそれでも登り道を歩いたりしましたが、今では、何がうれしゅうてこんな坂を登らにゃならんねん・・て気になります。
  又、船橋新京成バスは、昼間に乗ると、前期高齢者が多く、前期高齢者でも足の悪い人がひとりで乗ったりすることもあります。バスには車椅子の人が乗降できるように鉄板があらかじめ用意してあるようで、運転手さんはそういう人に協力してバスに乗れるようにしてあげたりするようですが、身障者をひとりで登らせようとするのは大変なようです。そういうことがあった時、乗降口のすぐ近くに座っていたおばさんが「運転手さんひとりじゃ無理よお~お。誰か協力してあげなきゃ」なんて言うのです。それなら自分が協力してあげればいい、自分こそ一番近い場所にいるのですから協力するべきではないのかと思いませんか? ところが、そういうおばさんてのは自分は絶対に指1本動かさないのです。そのあたりが「おばさん」なのかもしれません。何と言っても、「おばさん」は天下無敵です。で、なんだか私の方を見ているのです。私は、残念ながら、もう若くなくなってしまったのですが、それでも、昼間の船橋新京成バスの乗客の中では若い方だったようです。でも、その時、どこに行くために船橋新京成バスに乗っていたのかというと、腰痛の治療のために整形外科に行くために乗っていたのです。腰痛の治療に整形外科に行くためにバスに乗っていて、整形外科医からそういう重い物を持たないようにと言われているのに、よそのお婆さんのために鉄板持ったり、よその親の車椅子を押したりしていたのでは何をしているのかわかりません。又、その時、車椅子でひとりだけでバスに乗ろうとしていたお婆さんは、私の母と同じくらいか母より少し若いくらいだったかと思いますが、自分が整形外科に行くために自分の親を放置してバスに乗って、それで、私が母がどこかに行く時にはついて行くようにしていたのに、それをついていかずにひとりで行かせている者の親の世話をするというのも道理にかないません。 その経験をして、それで、朝夕の船橋新京成バスは通勤で乗る人が多いので乗ってもいいけれども、昼間の船橋新京成バスは乗らないことにしました。
  又、いつであったか、JR「船橋」駅の北側のバスロータリーから出る船橋新京成バスで、私は腰痛があるので座って乗りたいと思い、1台見送って次のバスに乗るようにして座っていたところ、発車間際に走って飛び乗った男が私の横に来て、「席を譲ってくれよお」て顔をしてプレッシャーをかけるということがありました。そもそも、走って飛び乗る元気のある人間がなんで席を譲ってほしがるのでしょうね。私は、最近は情けないことに白髪も増えてきて老眼も出てきてしまったのですが、その頃は、実際の年齢より若く見えたのですが、その時、発車間際に走って飛び乗った男は、どう見ても私より若いと思えましたが、私は実際の年齢より若く見えたので彼は私の方が若いと思ったのではないかと思いますが、どう考えても私の方が年上でした。自分より歳も下で、そもそも、走って飛び乗る元気のある男に、なんで、腰痛があるので座って乗りたいと思って1台見送って次のバスに乗るようにした人間がその席を譲らされにゃならんのでしょうね。東京もんのおっさんには大阪嫌い・関西嫌いの人間が多く、「大阪の人間は電車やバスに乗る時のマナーがなってない」とか勝手なことを必死で言うヤカラが多いのですが、東京の人間の電車やバスに乗る時のマナーがそんなにいいとはどうしても思えません。そういう経験をして、それで、船橋新京成バスはできるだけ乗らないようにしました。そういう便利の悪い所に住み始めて、もう25年以上なります。
  私は中学校の1年の時、「理科第二分野」で星座を扱った時、夜空を見上げて星座を見るという作業をして以来、星座を見るのが好きなのですが、ところが、近所のじいさんが「私が船橋市役所にかけあって、街頭の明るさをこれまでよりも明るいものにさせてやった。私がみんなの為にやったんだ」なんて言って、まるで、銀座の大通りみたいな明るさにしてしまい、星座が見えなくなってしまいました。「夜は暗いものですから、街灯はあっていいと思いますが、何もそこまで明るくしなくてもいいと思いますが」と言ったのですが、すると、じいさんは「勝手なこと言うんじゃない! 街灯は明るくないとだめなんだ。自分勝手なこと言うんじゃない!」と言って怒るのです。福島県いわき市に住んでいた時、夜中、目が覚めると、窓の外がずいぶんと明るく、その位置に街頭なんてなかったと思ったのだけれども、何だろうと思って窓を開けると、それは「お月さま」だったということがありました。福島県では東京圏のような街頭なんてありませんが、空がきれいで「お月様」が街灯の役割をしてくれていました。さらに言うと、夜、山の中の家とかに訪問するのは気色が悪いような気もしないでもなかったのですが、しばらく外を歩いていると、眼が慣れて来てけっこう見えるようになったりするのでした。そういう経験も踏まえ、何より星座を見るのが好きな者としては、街灯はあっていいけれども、郊外の住宅地なのですから、銀座の大通りみたいな明るさにする必要はないはず、銀座の大通りでなくても船橋駅前みたいな明るさにする必要はないはずですが、ところが、じいさんは銀座の大通りみたいにしたいようでした。我が家は雨戸がありますが、2階に雨戸をつけていない家だと、あの明るさでは、夜、寝るのに妨げになるのではないかと思います。 そもそも、私はそのじいさんの地所に住ませてもらっているのではないので、街灯はどのくらいの明るさにするのが適切かということを、そのじいさんに決められる筋合いはないはずなのですが、なにしろ、前期高齢者のじいさん、別名、「体だけ元気な年寄」というのは時間があり、現役世代の人間なら、うるさいから我慢しておくかと思うところが、じいさんは時間はあり余るほど持っていますし働く必要ありませんから、相手にしてもらうと喜ぶのです。そして、私のような現役世代の人間が引退世代の前期高齢者のじいさんと争ったのでは、じいさんは相手にしてもらえてうれしいでしょうけれども、現役世代の人間はアホですから争えません。じいさんは「私が決めるんだ」と言い、「私は船橋市長よりもえらいんだ」と言い(まあ、船橋市長なんてそんなにエライと最初から思ってませんけどね)、その結果、夜でも、なんだか、銀座の大通りみたいな明るさになってしまい、星座が見えなくなってしまいました。星座を見たいという気持ちを失った人達というのは、その分だけ精神が貧困なのだと思います。一度、私は市役所の職員に「その近所のことを決めるなら、◇◇さんに意見を聞いて決めるのではなく、自治会長さんがいるのですから自治会長さんに意見をきくようにしてもらえませんか」と言ったことがあるのですが、「私が決めるんだ」と言い、「私は船橋市長よりえらいんだ」と言って自分の所の地所でもないのにひとりで決めてしまうじいさんには、市役所の職員もうるさいから逆らいたくないようです。かつて、毛沢東主席は「すべての帝国主義と反動派は張り子の虎である。見かけは恐ろしいがその実力はたかがしれている。ヒトラーは張り子の虎ではなかったか。日本軍国主義は張り子の虎ではなかったか。アメリカ帝国主義は今も存在し原子爆弾という恐ろしい武器を持っているがこれもまた張り子の虎であってやがて打倒される」とおっしゃったのですが、「おばさん帝国主義」という帝国主義だけはこれだけは永遠に不滅であり、原子爆弾も人民義勇軍も歯が立たない・・と思ったのですが、 「おばさん帝国主義」及び「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通ると信念もってる「『子供』帝国主義」とともに「体だけ元気な年寄帝国主義」も、扱いに大変苦労します。そのじいさんの息子は自分の親に「あんまり、そういうことしない方がいいよ」とでも言えばよさそうですが言わない息子で、その息子、ちょっとあつかましいようにも思いますが、・・・我が家はなんかそういうややこしい場所です。
  船橋市には「クリーン船橋の日」などというものがあって、年に1回、近所の人達が出て近隣を掃除しましょうと回覧板がまわってきます。きれいにしましょうはいいのですが、現役世代の自分は参加せずに「体だけ元気な年寄」である親だけを参加させて、よその家の現役世代の人間に自分の親、「体だけ元気な年寄」の世話をさせてやろうとする人というのがいるのです。私の母などはそういうものに参加させようとしても、もう、体が動きませんから無理です。そういうものに参加して現役世代の人間に相手にしてほしがる「体だけ元気な年寄」がいる家では現役世代の人間は参加せずによその家の現役世代の人間に自分の親の世話をさせて、私は参加している年寄よりも歳も上で体の具合も悪い自分の親を放置して、他人の親の世話をするために「クリーン船橋の日」などというものに参加したのではアホです。「親孝行」の精神に反します。だから、そんなものには絶対に参加してはいけません。私は船橋市役所のクリーン推進課に行って、この行事はおかしいのと違いますかと言ったのですが、クリーン推進課の職員が言うには、船橋市役所としては、年に1回、市民にゴミや船橋市をきれいにしようということに関心を持ってもらおうとしてそういう日を設けただけで、近所の人達が出て付近を清掃してくださいということは市役所では一切言っていないという話で、どうも、私が住んでいる所の自治会が、「現役世代の人間は出席しないで、体だけ元気な年寄である親だけ参加させる家の年寄を、それより歳も上で体も弱っている親がいる現役世代の人間に世話させてやろうという日」にしてしまっていたようです。そんなものには絶対に参加してはいけません・・・が、自分の息子や息子の嫁は参加せずに年寄だけ参加しているじいさんは、おのれの息子は決して呼びにいかないくせに、私などを執拗に呼びにくるのです。ひとの家の門扉を無断で開けて敷地内に入りこみ、閉まっている玄関扉を「あれ、閉まってるな。いるはずなんだけどな」とか言ってガチャガチャやってこじ開けようとします。「ストーカー」です。くそどあつかましい卑怯者の息子は自分の親にそういうことをさせているのです。あきれます。我が家はそんな場所です。
   しかし、駅から少しあり坂を登らないといけないけれども、そのかわり、坂の中腹で南側が低くなっていますから、風通しはよく、2階は風が強くあたるので、強風の日は安普請の我が家は揺れますが、夏でもエアコンを入れなくても窓を開けると涼しい風が入ります。敷地は広くないので隣家と接していますが、もと1軒の家があった所を分けて建売住宅にしたらしいので、隣家とは窓の位置をずらして建てられており、近接しているわりにプライバシーは確保され、そして、2階からは見晴らしがよく、いいかげんな格好をして窓を開けていても、外から見られるということはまずありませんでした。
   ところが。相当距離は離れているはずの所に、最近、高層ビル、おそらく、高層マンションと思われるものが建築中なのです。↓
画像

↑ 左手前のマンションは船橋市です。 右向こうで建築中のビルは、船橋市と習志野市の境目あたり、どちらになるのかわかりません。 左手前のマンションも、1990年代初めに我が家が住み始めた時にはありませんでした。1990年代前半は我が家の2階からJR「津田沼」駅の北側のイトーヨーカドーが見えたのですが、今では見えなくなってしまいました。
  「高層ビル」「高層マンション」と言う時、どのくらいから「高層」と言うべきかという問題もあるでしょう。左手前のマンションなどは、分類からいくと、それほど「高層」に分類されないかもしれません。しかし、我が家は第一種低層住宅専用地域に建っており、第一種低層住宅専用地域の住人の感覚からすると、かなり高層に思えます。
   このマンションが特に嫌なのは・・・と言っても、そこの住人は代金を払ってそこを購入して住まれているのだとは思うのですが、この写真を撮影した所の戸建住宅の住人からするとうれしくないのは、このマンション、夜になると照明塔みたいになるのです。↓
画像

↑ 東西に長いマンションの場合、北側に通路を設置して、各専有スペースは南北に長くて、南側にベランダを設けて南のベランダに面して窓を設けるというように作ることが多いかと思います。戸建住宅なら、北道路なら北側もしくは北よりに玄関を設けることはあっても、南・東・西に道路があると、北側には窓などは少なくなりがちですが、マンションの場合、南にベランダを設けて「専用庭」のように各戸の前のベランダを使いたいので出入口は北になり、北側に東西の通路ができることになります。その結果、その通路が屋内通路ならまだいいのですが、手摺はあっても屋外に開放された通路ですと、その通路を夜間でも防犯上、不具合がないようにと明るめの証明をつけると、結果としてそのマンションがその付近における照明塔みたいになってしまうのです。星座を見るのが趣味の人間にとっては大敵です。「星座なんて見なくてもいいでしょうが。贅沢ぬかすな」とか言わないでくださいね。星座を見れなくなった場合のマイナスは私だけじゃないですからね。 高村幸太郎の『智恵子抄』には「千恵子は東京には空がないと言う」というくだりがあったと思いますが、私は福島県に5年住みましたが、実際、福島県に住んでみると、福島県の空はいわき市や浜通り地区でも郡山から福島にかけての中通り地区でも会津地方でも、空がきれいなのです。福島県の空を見ると、たしかに東京の空は空じゃないなあと思います。 空がなくなり、星座もなくなるというのは、何も星座を見るのが好きという人間だけにとってマイナスであるのではなく、その地域の住人全体にとってマイナスのはずですからね。「智恵子は東京には空がないと言う」ように、福島県の空を見た上で東京の空を見ると、たしかに東京の空は空じゃないなあという気がしますが、昼だけでなく、星座が見えない東京の空は夜の空もまた空ではないと言えるかもしれません。(きれいな空があった福島県が原発事故による放射能汚染を受けたことを大変悲しく思います。)

   左手前のマンションができた時は、うれしくなかったのですが、しかたないのかなあ~あ・・・・とか思って今日に至りました。 我が家は第一種低層住宅専用地域に建っていますが、近所でも、もともとは近所の地主さんが家作を持っていた所を売って、そこに品のない建売分譲を建てまくるのを常習にしているアーネストワンて会社が細かく分けて分譲し、それまで、平屋の家作がけっこう敷地に余裕を持って建っていた所に、いっぱいいっぱいの2階建てが建ち、道にいても相当圧迫感を受けるようになりましたが、それも先住の者としては前の家作のままであった方がよかったし、違法のものではないとしてもうれしくはなかったけれども、そして、そういう気持ちだってあるのだから、又、売り逃げ屋のアーネストワンが建てた建売ですから工事中も近隣にはかなり迷惑をかけてきているのですから、入居者は入居時に近隣に「これから住みます。どうぞよろしく」という挨拶くらいまわってもいいのじゃないかとも思いましたが、どの家も挨拶に来ませんでしたが、そのあたりは挨拶に来いと入居者に強制できるものでもありませんし、それまで、平屋の家作があって、その方が良かったとはいえ、しかたがないのだろうなあとあきらめ、今ではそれが普通のようになってきました。 どこやらの会社の寮だった所もあり、そこは長い塀があって、塀の前の道路が広く、我が家など、車庫の掃除をしたい時、その前に乗用車を置いて、車庫の掃除をしたことがあり、親戚の者が訪ねてきた時などはその弊の前に停めさせてもらったこともあったのですが、それもできなくなりました。寮のままだった方がよかったのに・・と思ったりもしましたが、まあ、しかたがないのでしょう。 ほかにも、我が家の近所には畑がけっこう残っていましたが、そこが建売分譲されて、それもずいぶんと細かい分譲で、昔からの細い道しかない所にぶら下がり式の分譲地ができて、もうちょっと計画的に街づくりができんもんかと思ったりもしましたが、畑のままの方が私などは良かったのですが、それもしかたがないのだろうと思ってきました。建売屋が建てた品の悪い家は、あれは建築の仕事をしてきた者としては、レベル低いなあ~あ・・・と思いますけどね
  25年前、20年前、10年前には畑だった所とか、平屋の家作だったりした所とかに2階建ての戸建住宅が建つのは、それは、畑や平屋の家作のままだった方が近隣に住んでる者は良かったとしても、それはしかたがないのでしょう、我が家だって昔は1軒の家だった所を分けて建売住宅だかにしたもののようですから、よそのことばかり文句も言えないでしょうし・・・とも思うのですが、しかし、 ↑の右向こうに建築中のかなり高層と思われるビル、おそらくマンションだと思うのですが、こういうものまで受忍義務があるのでしょうか?

画像

  我が家は南が低い坂の中腹に建っています。駅からは少々距離があり、又、今現在の最寄のバス停からだと平地を歩けますが、駅から歩くか、坂の下にある何かの施設から歩く場合だと、坂を登らないといけません。そういう大変な点はあるけれども、そのかわりに、南側は開けていて、2階の窓からの見晴らしはよく、2階の風通しもいいのです。それが駅から少々距離がある場所に住んだメリットでした。しかし、↑の右向こうのマンションのようなものができてしまうと、それも、もし、今後も次々とその両隣あたりの位置にできていくとなると、海側からの風をそのマンションが衝立(ついたて)となって遮ることになり、風が通らなくなることが考えられます。
   我が家は平地に家を建てた、平地から坂を登る坂の中腹の位置に土地建物を購入したと考えていたのですが、ところが、南の向こうの方、↑の右向こうの高層マンションみたいのを建てられてしまい、海との間を遮られると、そのマンションから我が家までの間の土地は「盆地」のようになってしまいます。「平野」だと思ってその土地を買ったのに、高層マンションを海側に建てられたおかげで、その高層マンションが岩山となって海との間を遮って、「盆地」にされてしまうことになります。

  そもそも、日本の人口は特に増えていないのに、なんで、↑みたいな高層マンションを建てなきゃならんのでしょうね。要らんと思いませんか?  何のために建てるのか? ・・・もしかして、ゼネコンのエサなのか?  2階建・3階建の建物なら、単に建物ですが、↑のような高層ビルですと、建物であるだけではなく、絶壁の岩山をそこに人工的に造りだしていることになり、地形を改変していることにもなります。又、もし、将来、それを解体したいと思った時、解体することはできるのか? できないのではないか。それなら、維持管理はできるのか、補修と清掃はできるのか?  なんか、原発と同様に、どういうようにすればできるというものがはっきりとないままに建設されてしまっているものがずいぶんあるような気がします
画像

↑ デジカメの拡大機能を使って撮影したものです。上に載っているクレーンて、最後、どうやって下に降ろすんだろ・・というと、何に載っていたか忘れましたが、少しずつ小さいクレーンに変えて下に降ろし、一番最後、ごく小さいクレーンになった時に、手で持って完成した建物の階段だかエレベーターだかで下に降ろすと出ていました。それはわかりましたが、もし、将来、解体したいと思った時、これ、解体できるのでしょうか?

  海沿いにこういった高層ビルを建てられると、海からの風を衝立となって妨げることになる、現実問題として海沿いに絶壁の岩山を人工的に造っているのと一緒であり、その内側はそれまで平野であったものが盆地になってしまい地形を改変することになる、という問題もありますが、
画像

↑ これ、我が家の2階の窓からデジカメの拡大機能を使用して撮影したものですが、市販のデジカメで撮影してもこれだけ拡大して見ることができるのです。同様のものを向うも持っていたならば、向こうからこちらも↑と同様に見えるということです。↑の写真を撮影したデジカメの拡大機能より精巧なものもあるはずですから、そういったものを使用すると、こちらの部屋中でも向こうから見えることになります。駅から少々歩かなければならない、又、登り坂を登らないといけないという所で住宅を取得した者は、駅から少々距離があり、登り坂があるという点があっても、そのかわりに、南側は開けていてかつ、南側の窓を開けていても、いいかげんな格好をしていても外から見られることはない、というメリットがあったのに、↑の高層マンションのおかげでそのメリットを奪われることになるのです。
  用途地域の規制があることにより、第一種低層住居専用地域には周囲には似たような低層住宅しか建たないことになっていますが、↑の高層マンションが建てられる場所は、どういう用途地域なのかわかりませんが、ともかく、第一種低層住居専用地域とかではなく高層の建物も建てることができることになっている用途地域なのでしょうけれども、4階建て・5階建てくらいの建物なら、↑の高層ビルくらい離れた場所なら離れた地域の第一種低層住居専用地域には影響を及ぼしませんが、↑のビルほどの高層の建物を建てられてしまうと相当離れた位置の第一種低層住居専用地域にも影響を及ぼすことになり、このビルの建築地の用途地域の規制には反していなくても、離れた地域の用途地域の性質を、実質、侵害することになってしまいます。ここまで高いものを建てられてしまったのでは、用途地域の制度を設けている意味がかなりなくなってきてしまうのです。 近所の畑だった所や平屋の家作だった所が小さい分譲地に区画されて総2階の建物が建つのは、先住の者としてはうれしいわけではないのですが、それは、まあ、しかたがないのかもしれないとも思いますが、↑のような高層マンションを建てられてしまうというのは、これは受忍義務があるのでしょうか。ないように思うのですが。

  そもそも、東京の街中ならともかく、↑の高層ビルの建築地は船橋市と習志野市の境目あたりであり、都市計画として考えた時、はたして、そんな場所に↑のような高層ビルが必要なのか? 要らないと思えます。 新宿の西口とかなら、高層ビルを建てるかわりに敷地に建物がない部分を広く空けることができるようになり、その地域を高層ビル群の街にするというメリットもあるかもしれませんが、船橋市と習志野市の境目あたりなんて、↑のような高層ビルは必要ありませんでしょ。都市計画として考えて、↑のような高層ビルをこの場所に建てることはマイナスはあってもプラスはないでしょ。違いますか? 
  船橋市・習志野市の↑の高層マンションの北側一帯はすべてマンション街にして戸建住宅は建てさせない地域にするというのならともかく、そうではなく、第一種低層住居専用地域も用途地域として指定されている以上、西新宿とかそういった都心区域のオフィス街でもないのに、↑のような高層ビルを海よりに建てさせるというのは、どう考えても不当です。

  船橋市は用途地域の指定の仕方が大雑把であるため、戸建住宅が建っていた所にマンションが建てられるようになって戸建住宅の居住環境が侵害されることになった地域がけっこうあると言われますが、
画像

↑は上の工事中の高層マンションの東側、
画像

↑は工事中の高層マンションとその西側、
画像

↑はさらにその西側。
  工事中の高層ビルほどではないけれども、戸建住宅が建っている地域の外側を高層のマンションが取り囲むように建って、その地域を「盆地化」しています。このあたり、用途地域の設定の仕方、都市計画の考え方から問題がないのか、と思えてきます。

   JR「船橋」駅のすぐ北側に高層マンション「プラウドタワー」が建った時には、駅のすぐ北側のバスロータリーが谷地のようになってしまい、それまで、駅前の空は公共のものだと思っていたのに、公共のものと思っていた部分を占拠されたということがありました。 我が家の屋根の上、1メートル上とか2メートル上とかは我が家のものという感覚ですが、ずう~っと上、何百メートルも上になると、そこまで所有権があるという感覚はありません。
  我が家に勝手に侵入してきて我が家のせま~い庭で糞だけしていく猫の飼い主は、それが「猫の飼い主の権利」と思っているかもしれませんが、違うように思いますけどね。あの猫、つかまえて猫鍋にして食ってやったとするとどうなるでしょう? 我が家に侵入してきた鳥獣ですし、天然記念物とかじゃないですから、我が家が好きに処分していいでしょうか? だめなら、なんで、その猫は勝手に我が家に入ってきて糞していくのでしょう? 飼い主は頭なでるだけなでて猫なで声させて喜んで、糞はひとの家の庭にさせる「権利」があるのでしょうか? そんな「権利」なんてないと思いますけどね。
  その猫が勝手に入ってくる場所は我が家の所有地ですし、そのすぐ上の空も我が家のものという感覚ですが、船橋駅前の空なんて公共のものと思い込んでいたら、ある時、その空を占拠されて私物化されてしまった。 JR「船橋」駅のすぐ南、京成「船橋」駅の北の西武百貨店が閉店した跡地に「駅前高層マンション」を建てる計画があるとか訊きましたが、そもそも、駅前というのは、公共施設とか多くの人間が利用する商業施設とかを設けるべき場所で、高層マンションなんて造られるのであれば、高層マンション街のまん中にJRの快速・私鉄(この場合、京成)の特急の停まる駅を設ける必要はないのではないかとも思えます。
  
リフォーム屋におりました時、その船橋駅前プラウドタワーに入居していた人のお宅に行ったことがあるのですが、警備員というのが、もしかすると、元警察官だったとかかもしれませんが、帰る時、「どうも、すいません」と警備員に挨拶して帰ろうとすると、「こらあ~あ! 退館時刻を書いていかんかあ~あ。こらあ~あ!」とこちらに怒鳴りつけたのですが、そこの入居者から依頼されて訪問した来客に向かってその口のきき方というのは何であろうか、と思ったものです。私自身、警備員の仕事をしたことがあるのですが、普通、警備員はそういう口のきき方はしないものですが、そういう口のきき方をするやつというのがたまにいて、元警察官の警備員というのは前職のくせがとれなくてそういう口のきき方・態度をとると不評ですが、そういう人間だったのかもしれません。市民の共有の空間だったはずの駅前の空を占拠したマンションの警備員はそういう口のきき方をしていたのです。

  こういった高層ビルというのは、ある程度、離れて見るとわかりますが、人工的に絶壁の岩山を造り出しているようなものですね。その岩山を作るための材料てどこから持ってきたものなのか。1990年代、福島県いわき市にいました時ですが、いわき市で、もともと、山だった所が、土を採取してその結果、山がひとつなくなってしまった、という所がありました。 福島県で山がひとつなくなって、かわりに東京都とその隣接県で岩山がいくつか造られる・・・ということでしょうか。 そういう面はあると思うのです。ここまで大きな物を人工的に造っていいのか。ここまで大きな岩山を次々に人工的に造って自然を改変していっていいのか。その点にも疑問を感じます。特に、福島県で山がひとつなくなった、という現場を見た上で考えると。

  ↑の高層マンションに住む人ですが、我が家と同じくらいの高さの階に住む人は、もし、そういう高さに住みたいなら海に近い場所の高層マンションに住むのではなく、我が家くらいの山手に戸建の家を取得して住めばいいのではないのか。 ↑の高層マンションの我が家よりも高い階に住む人というのは、我が家より高い場所に戸建の家を取得して住めばいいのと違うのか? なぜ、自然の摂理に反するようなものを人工的に造って人工的岩山の上に住まないといけないのか?  なんだか、変なことやっていると思いませんか?

   市街地の商業地域に用途地域が指定されている場所に住んで、目の前にビルが建てられたとしてもしかたがないとして、第一種低層住居専用地域に住んでいるのに、なんで、目の前にビルを建てられなきゃならんのか。どうも、納得いきませんね。

   (2019.5.31.)

   この後、↑の野蛮な高層マンションがどこかつきとめた。船橋市と習志野市の境目あたりかと思ったのだが、習志野市のJR「津田沼」駅の南側の「津田沼 ザ・タワー」〔開発行為事業者:三菱地所レジデンス(株)https://www.mec-r.com/ 、事業者:三菱地所レジデンス(株)・三井不動産レジデンシャル(株)・野村不動産(株)、設計者:(株)フジタ 一級建築士事務所、施工者:(株)フジタ 千葉支店)だったようだ。 習志野市特定建築行為に係る手続き等に関する条例https://www.city.narashino.lg.jp/joho/machidukuri/kenchiku/tetsuduki/340420140303163553776.files/joureihonbun.pdf#search=%27%E7%BF%92%E5%BF%97%E9%87%8E%E5%B8%82%E7%89%B9%E5%AE%9A%E5%BB%BA%E7%AF%89%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%81%AB%E4%BF%82%E3%82%8B%E6%89%8B%E7%B6%9A%E3%81%8D%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E4%BE%8B%27 の第9条第1項には≪事業者等は、許可等を要する特定建築行為を行う場合は、前条第1項の公開標識を設置した後、説明会等の方法により近隣住民に当該特定建築行為に係る計画の内容及び工事中の安全対策について説明しなければならない。≫ と規定されているのだが、↑の写真のごとく影響のある我が家には何ら説明はなく工事は進められ、ふと気づいた時にはすでに巨大な岩山ができており、「やった者勝ち」みたいに建築工事は進んでいる。
   (2019.6.27.)
  この件について、習志野市役所の建築指導課に問い合わせたところ、≪説明会等の方法により近隣住民に当該特定建築行為に係る計画の内容及び工事中の安全対策について説明しなければならない≫という文章の「近隣住民」というのはどこまでなのか規定があって、その建物から50m以内とその建物によって日影が生ずる範囲内だというのです。しかし、この「津田沼 ザ・タワー」の前(北)のモリシアセンターは11階建てのようですが、そのくらいの建物なら50m以内か100m以内かその程度の範囲でいいかもしれませんが、「津田沼 ザ・タワー」のような巨大な岩山を人工的に造ってその地域の地形をも改変してやろうというような企ての場合には、そんな狭い範囲ではだめで、説明するというのなら、習志野市南部・船橋市南東部全域に説明するべきではないでしょうか。
   (2019.6.28.)

☆ 高層マンションについて
[第122回]野蛮な 千里タワー。 大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://tetsukenrumba.at.webry.info/201302/article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html

☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
[第455回]戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 〔今回〕
[第463回]高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする?  https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_9.html
[第465回]商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://tetsukenrumba.at.webry.info/201906/article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンションhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201907/article_1.html
画像

↑ 2019.6.5.夜、危険防止のための赤のライトが点滅しているのが見えます。航空機に対して危険を通知する赤のライトが点滅するようなこういう高層の建物は、東京の街中ならともかく、船橋市と習志野市の境目あたりなんて所には有害無益だと思いませんか? (2019.6.5.)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック