救世軍本営(神保町)。「社会鍋」は入れる側かもらう側か? 「心理学」ごっこは相手にするな!

[第454回] 日本の教会建築シリーズ
  東京都千代田区の神田神保町のあたりというのは、適当に歩いていてもけっこう面白いものを見つけることができる。 神田神保町交差点の北西側、JR「水道橋」駅までの間には、資格試験予備校がいっぱいある。東京リーガルマインドの水道橋本校も水道橋駅よりにあるが、大原簿記学校とか他にもあったと思う。「犬も歩けば日大にあたる」の日大もいっぱいある。まあ、「日大がある」てのは東日本ではどこでもなので、神田神保町から「水道橋」駅にかけてのあたりにあっても、何を今さら・・て感じだが、研数学館てのもかつてはあって、大阪人であった私は、かつて、「あの研数学館」があったのを見て感動したのだが、いつしか予備校としての研数学館はなくなり、研数学館の建物はあっても、日大拡張主義に取り込まれて日大の経済学部だったか何学部だったかの校舎になってしまったが建物は残ったのだが、今回、行くと、寂しいことにその由緒ある建物もなくなってしまい時間パーキングになってしまった。金属製の碑が立っている。研数学館がなぜ「あの研数学館」かというと、高校生には評価の高い物理の参考書、かなり手ごわい本だが「持ってるだけでも頼もしい気持ちになる」が持ってるだけでは役に立たないブランドもんの参考書『親切な物理』という本があって、その本に、他には広告は掲載されていないのに、なぜか研数学館の広告だけ載っていたのだ。それで、かつて私が高校生や受験生であった頃、1980年前後から前半くらいにおいては、東京の予備校というと「実績の駿台、講師の代ゼミ、机の河合塾」と言われたそうで・・・、「そうで」というのはこの表現は私が考えたのではなく「朝日ジャーナル」に載っていた表現で、過去の東大合格者数などの実績で選ぶなら駿台、ラジオ講座講師とか有名人の講師が多いのが代ゼミで、「机で選ぶなら河合塾」・・てのは、なぜか、河合塾駒場校てのはずいぶんといい机を設置していたようで、だから、「机で選ぶなら河合塾」だそうだ。私が行った大阪府高槻市にあったYMCA予備校高槻校てのは不誠実で不親切で予備校の中では高いわりに嘘ばっかりついていた。それに対して、駿台・代ゼミ・河合塾の3校は、予備校の生徒でもなく模擬試験を受けたことがあり、駿台・河合塾については発行書籍を購入したことがあり、代ゼミについては代々木にあった代ゼミの1階の食堂で栄養バランス無茶苦茶悪いコレステロール過多のからあげ丼食ったことがあるのと代ゼミライブラリーで本を買ったことがある、河合塾はほかに駒場のあたりに行った時にトイレを借りたことがある・・というその程度の者にも親切だったが、河合塾駒場校に行った時、教室内が見えたが、たしかにいい机が設置されていた。「机で選ぶなら河合塾」というのもわかる♪(ともかく、机と椅子があればいいという姿勢ではなく、落ち着いた学習するのに快適な環境を備えようというところからそうしていたのではないか。その姿勢はいいと私は思う。) 研数学館は予備校としてはそれほど実績はなかったはずだが、なぜか、『親切な物理』に載っていて、あの『親切な物理』に載る研数学館だったが、なくなってしまった。「名曲喫茶 白十字(はくじゅうじ)」は今もあることはあるが、かつてはクラシック音楽の名曲喫茶だったが今はかかっている音楽もクラシック音楽ではなく単なる喫茶店になってしまった。
  神田神保町交差点の北東側には「反権力の本なら何でも置く」という方針をとっていたという「ウニタ書舗」があったが1982年の9月頃だったか閉店してしまった。「朝日新聞」に閉店の記事が出ていたので、一度、見に行かなきゃと思って行ったのが、一度きりの訪問だった。その北に「関西人の書店」たる旭屋書店の水道橋店があったがこれもさっさとなくなってしまった。
  神田神保町交差点の南東側には、「さぼうる」「さぼうる2」というクラシック音楽の名曲喫茶〔付近の大学の学生が講義をさぼって入店するので「さぼうる」かと思ったらそうではなく、イタリア語で「味」という意味らしい〕、さらにその東には「ミロンガ ヌォーバ」というタンゴの名曲喫茶があり、「ミロンガ ヌォーバ」のはす向かいには「名曲喫茶」とは言っていないがジャズの流れる喫茶店でウィンナコーヒー発祥の店らしい「ラドリオ」がある。「ミロンガ ヌォーバ」や「ラドリオ」の北にある新刊書の「書泉グランデ」は見やすくて何度も購入したが、残念ながら、最近、漫画など中心の書店に変ってしまった。「ミロンガ ヌォーバ」や「ラドリオ」の南側の東京堂書店は今も硬派路線で魅力的な本を置いていてけっこう見やすい。関西人としては「東京堂書店」という名称は「東京インテリア」とか「東京スタイル」とともにあんまり好きではないのだが、「東京インテリア」はけっこう見やすいし手ごろな家具を置いているし、「東京スタイル」というのは婦人服の店だが、母などはけっこう高く評価していたようだが、大阪の梅田にも店があったが大阪で「東京スタイル」という名前の店を見ると違和感がある。「東京堂書店」は神田神保町だけなので、まあいいだろ。
  東京堂書店と同じすずらん通りの並びにある餃子屋なんとかの餃子はでっかい! 1970年代前半、13歳の時、姉が東京の人間と結婚して東京で結婚式をあげる際、たしか浜松町の貿易センタービルの上の方の階にあった中華料理屋に父と一緒に入ったところ、「街の中華料理屋」と違って「本格中華料理店」のメニューなんて何が書いてあるのか意味不明。「おまえ、何が食べたいねん?」と父が言うので、知っている中華料理の名前を一生懸命考えて、「ギョウザ」と言うと、「アホか、ギョウザみたいな安もんの料理がこんな店にあるかあ!」と言われ、「そしたら、シュウマイ」と言うと、「シュウマイもあるか、そんなもん」と言われた。「もうちょっと、まともな料理の名前を言え」と言われ、「そしたら、焼き飯」と言うと、「そんなもん、あるかあ!」と言われたものだ。そんなこと言われても、ギョウザ・シュウマイ・焼き飯(チャーハン)しか中華料理の名前は知らなかったのだ。もうひとつ、その時点で中華料理と思っていなかったものとして酢豚というものもあったが。その時、父は「ギョウザみたいな安もんの料理がこんな店にあるわけないだろ!」と言ったのだが、すずらん通りのギョウザ屋に書かれていた説明書きによると、ギョウザは日本では一般に普及した料理だが、中国ではギョウザというのは「安もんの料理」ではなく、むしろ、「普段の料理ではなく、ごちそう」だそうだ。
  その「本格的」と称する「中華料理店」で何を食べたかよく覚えていないがおいしいとは思わなかった。「お茶をもらえないの」と言うと、「お茶」と称する変な味のする液体を持ってきたが、飲めない。「『普通のお茶』はもらえないのかな」と言うと、父は「そんなもん、あるか! こういう店には」と言う。「それなら、水はもらえないかな」と言うと、またもや父は「水なんかあるか。おまえは何をおかしなことばっかり言うんじゃ」と言う。その「お茶」と称する液体は、それは烏龍茶でもなく杜仲茶でもなくジャスミン茶でもなく、今、思うと液体の濃い漢方薬みたいなものを「お茶」と言って持ってきたのではないかと思うのだが、本格的中華料理店だか何か知らないが、私はやっぱりその店は間違っていると思う。変な味がして、ものすごく濃い。「お茶」というのは、お茶を楽しんで飲むという意味もあるかもしれないが、料理を食べるに際してのどがつまらないようにという意味もある。変な味で矢鱈と濃い液体は味覚が私と違う人にはおいしいのかもしれないが、料理を食べるためにのどを潤す液体としては使えない。そのあたりを理解できていない料理屋が「本格中華料理の店」とか言って、その店の料理をおいしくないと言う者がいたらその者の方が間違っているという傲慢な態度でいたのなら、その傲慢さは料理屋の姿勢として間違っている。
  姉の結婚相手の両親と一緒に挨拶に仲人さん宅に尋ねた時、母は、姉の義父になる人を見て、うちのお父さんと違うなあと思ったと言った。嫁さんが「ちょっと、トイレを借りれないかしら」と言うと、「すいません。ちょっと、トイレを貸してやっていただけませんか」とダンナがお願いしたという。「うちのお父さんなら『我慢せえ』と言うところや」。「飲めない液体」を店が出した時、「水か日本のお茶はありませんか」と言って良いと思う。父は「こういう店に『普通のお茶』だの水なんて、あるか!」と言ったが同系統の態度だった。

  神田神保町の北西側には、「周恩来、ここで学ぶ」という石碑がある公園がある。かつて、そこにあった何とか学校で周恩来が日本語を学んだらしい。さらに西の方に行くと、関東大震災の後、震災に合わないようにと配慮したという由緒ありげなデザインの鉄筋コンクリート造の2階建ての雑居ビルがあったのだが、見当たらなくなってしまった。今、専修大なんとかキャンパスてのが建築中だったが、そこだったかもしれない。
  JR「水道橋」駅の北側というと東京ドームしか知らん人がいるが、かつて後楽園ホールというのがあってボクシングの試合を見にいったことがある。その北あたりに「狐狸庵」という遠藤周作を思わせる名前の喫茶店が1980年代の終わりにあったのだが、ふと気づくと見当たらなくなった。
  今回は、神田神保町交差点の南西側。神田神保町交差点の南西側のカドにあるのが岩波書店のビルで、岩波ホールはその何階だっけにあるが、岩波ホールではなく、もっと狭い部屋の岩波なんとか室だかでも映画の上映をしていて、1980年、そこでアルベル=カミュ『異邦人』の映画を見たことがある。岩波書店の南に救世軍本営があって、その横に有斐閣があったはずだった。その南に集英社、さらに南に小学館があって、その南に共立女子大がある。
  共立女子大の白山通りをはさんだ向かいの位置にあるのが「建築家」業界ではけっこう有名な学士会館。 そう思って見ると、由緒ありげな建物で、「登録有形文化財」と書かれた金属製のプレートがついている。

  岩波書店の少し西にある神田古書センタービルの何階だっけに「新世界レコード」という店があり、ソ連・東欧の音楽などのレコード・ミュージックテープを置いていた。旧ソ連のブラト=オクジャワのCDなんて日本では手に入らないだろうとなかばあきらめていたのだが、なんと、「新世界レコード」にはあった。いい店を見つけたと思って喜んでいたのだが、その後、インターネットが普及するとホームページも持つようになったが、残念ながら閉店してしまった。
  その神田古書センタービルよりさらに西、神田神保町交差点のひとつ西側の交差点、「専大前」交差点の南東側にあるのが「慶應義塾のアイデンティティー」だという芳賀書店。知らない人のために説明すると、9階だてだかのビル全体がポルノ書籍・アダルトDVDの店というのが芳賀書店だ。かつては神田神保町というのは硬派の新刊書店・古書店の街だったのだが、そこにポルノ書籍・アダルトビデオの店が出店したと話題になったが今では同様の店は他にも何軒かある。なぜ、それが「慶應義塾のアイデンティティー」かというと、慶應の「心理学者」がそう言ったのだ。高校生から受験生の頃、10代後半から20歳前後の頃の私は大学生、少なくとも「一流大学」の大学生というものは「名曲喫茶に行くもの」、大学生というものは「哲学書を読むもの」と思っていた。ところが、慶應義塾という「大学」の「大学生」はどうもそうではないようで、なんか、慶應の学生て大学生じゃないみたいだなあという印象を受けた。ひとがどうであれ、私は大学生として「名曲喫茶に行くもの」だと思っていたので、その頃はまだ実質的にも名曲喫茶だった神田神保町交差点の北西の「名曲喫茶 白十字(はくじゅうじ)」に行ってきて、同じ中学校から同じ北野高校に行き、私より先に慶應大学に入学したS本(男。小学生の頃は江崎グリコのビスコの箱に出ている絵の子供と顔が似ているので「ビスコ」というあだ名をもらっていた男だったがビスコのイメージのような純心な男ではないとたぶん本人も思っていたであろう男だが)が、「おまえ、なんか東大の学生みたいなことするなあ」と言ったのだった。「慶應の学生で名曲喫茶なんてそんなもの、行ったという人間なんて聞いたことないでえ。慶應の学生なら、神田神保町に行けば芳賀書店に行くものだろうが。慶應に行ったら慶應の学生らしく芳賀書店に行け。東大の学生みたいなことすんなよ、おまえはあ」と言うのだった。
「東大の学生」→名曲喫茶
「慶應の学生」→芳賀書店
というのが、そこに行った人間の行くべき所であり、そういう所に行くのが「慶大生らしい協調性」だというのだ。なんか、そういう不潔な「大学」に行くと悪影響うけそうで嫌だな、ビョーキ移されそうで嫌だな・・と思ったものだった。やっぱり、慶應の学生ってレベル低いなあ・・と思った・・が、しかし、多いか少ないかはさておき、どこの大学に行っても、名曲喫茶に行く者もおれば、芳賀書店に行く者だっているだろうし、S本は芳賀書店に行くのが「慶應らしさ」と思っている人間だとしても、別段、慶應義塾の規定にそういうことが書かれているわけでもなし、福沢諭吉なり小泉信三なりがそのようなことを言ったわけでもなし、どこに行こうがいろいろな人間がいるのであり、もしかすると、東大の学生と慶應の学生を比較すると慶應の学生の方が「芳賀書店タイプ」が多いかもしれないが、そうであっても、あくまで「多いかもしれない」ということであって、「慶應の学生なら芳賀書店に行かないとだめだぞ、おまえ」などと言われるのはおかしい! と思ったのだ。それで、慶應の学生相談室に行って、それを話した。話せば、「それは、慶應の大学生は何千人もいるわけですから、さまざまな人がいるわけですけれども、芳賀書店に行くのが慶應の学生の義務でもありませんし、そう思っている人がいるならその人が思っているだけのことと思えばいいことと違いますか」とでも言ってもらえるだろうと勝手に期待して行ってしまったのだ・・・が。ところが、慶應の学生相談室の「カウンセラー」にして慶應大学文学部の「心理学」の「講師」だというT橋は「『慶應義塾のアイデンティティーを持て』ということですね」と、そう言ったのだ。「慶應義塾のアイデンティティー」だそうだ、芳賀書店が。「芳賀書店に行く」というのが、「神田神保町に行ったら、名曲喫茶や古書店に行くのではなく芳賀書店に行く」というのが「慶應義塾のアイデンティティー」だそうだ。私は小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も勉強して努力してきたのに「芳賀書店に行くのがアイデンティティー」という「大学」に行かされてしまったということか・・・と大変なショックを受けた。S本が言うのなら、S本はもともとその程度の人間だからと思っていたのだが、大学の「心理学者」にして「講師」で「カウンセラー」の人が「慶應義塾としてのアイデンティティー」と主張するということは、そういうことなら、これは多いか少ないかはともかくそういう人間がいるという話ではなく、「芳賀書店」が「慶應義塾のアイデンティティー」だと考えるしかないのか?!? ・・・そうであるのかないのかは今もってよくわからない。 若い頃の私の失敗の大きなひとつとして「心理学」というものを信頼しすぎた、という点がある。 ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズの『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)・『「精神医学」という狂気の思想』(新泉社)、森山公夫『現代精神医学解体の論理』(岩崎学術出版社)など読んで、そしてわかった。 「精神医学」というのは、たとえば、シドニー=ブロック・ピーター=レダウェイ『政治と精神医学―ソビエト連邦の場合』(みすず書房)などが「精神医学の悪用」として述べたり、報徳会宇都宮病院事件などで論じられたような「精神医学の悪い治療」として述べられたりすることがあるが、そうではなくそれは「精神医学の本質」「精神医学そのもの」なのだ、と。そして、「心理学」というものも「精神医学」と同様、「心理学」用語なる戯言(たわごと)・寝言で専門的診断のごとく述べられているが、実際にはその「心理学者」の世界観をその「専門用語」なるもので表現しているだけである、と。だから、内部進学の慶應女の世界観「カウンセリング」ごっこやってる『「ごっこ」の構造』の人の言うことなんて相手にするのがバカであり、内部進学の未熟な世界観をもとにおこなわれているような「カウンセリング」だの「相談」だのなんて相手にしてはいけない、ということを理解した・・が、しかし、東大の学生と慶應の学生では、名曲喫茶で時間を過ごし古書店をのぞいたりするのが好きな人間は東大の学生の方が多く、慶應の学生には「慶應の学生なら慶應の学生らしくするもんだろ。慶應の学生なら芳賀書店に行け、芳賀書店に」と強要する人間が多いというのは事実である。芳賀書店が「慶應ボーイらしい思考の柔軟さ」らしいのだ。そういうのを「思考の柔軟さ」と言うのか?
  せめて、古書店や名曲喫茶でなくても、大学生ならアルベル=カミュの『異邦人』でも見に行くべきではないのか?・・と思ったのだが、そういうことを言うとS本は「カミュの『異邦人』なんてそんなもの見に行ったなんて人間なんて慶應の学生で見たことないで。映画見に行くのやったら にっかつロマンポルノ とかそういうのやなあ。慶應の学生ならそういうものを見にいくべきや」と言う。「おまえ、頭かたいなあ」とか「そんなことでは就職先なくなるぞお」とか、「慶應の学生のくせして東大の学生みたいなこと言いやがってからに、嫌なやつやなあ」とか言われることになるのだ。ちっぽけな大学だなあと思ったものだが、「そういう人間の方が企業は喜ぶ」のかどうかは今もよくわからんが、「そういう人間」の方がたぶん私より出世して私より多い年収をとっていると思うので、女性にとっては私なんかと結婚するよりもそういう「慶應タイプ」「慶應タイプのブタ人間」と結婚した方が間違いなく幸せだろう。もっとも、そういう「慶應タイプ」と結婚すると、結婚した女も同様のブタ人間になるであろうけれども。
  アルベル=カミュ『異邦人』は、北野高校の2年の時、「倫理社会」のA先生が「カミュの『異邦人』とか、このくらいのものも読んだことがない高校生は高校生として欠陥があるのじゃないかと思いますねえ。ぜひ読んでもらいたい」と言われ、その時は「そうかいなあ」と思ったのですが、もっとも、今考えると、悪いとは言わんがそこまでの名作かなあという気もしないでもありません。岩波書店ビルの中の岩波なんとか室でカミュ『異邦人』の映画を見た時、岩波ホールでルキノ=ヴィスコンティ監督のイタリア映画『山猫』の上映が開催される告知が出ていました。その時は見に行けなかったのですが、後にDVDを購入して『山猫』は見ました。そこで、シシリア島の伯爵だかが牧師に言う場面が印象的です。「社会は移り変っている。教会は次の時代にも生きていかないといけない。おそらく、教会は次の時代に生き残るために私たち(伯爵・貴族階級など)を見捨てるだろう」・・・と。

  さらに、神田神保町交差点の南西のカドの岩波書店の南に救世軍の「本営」があったはずで、その話もS本にしたことがあったのだが、「おまえ、変ってるなあ。おまえはアーメンか。おまえ、アーメンなら、次は創価学会に入れ」と言うのだった。「なんで、創価学会に入らにゃいかんのだ?」と言うと、「おまえ、アーメンに行くんだろ。アーメンなら創価学会も入れよ」と言うのだった。慶應に行くだけあって阪本はレベル低いなあ~あ・・・とあきれたのだが、S本からすれば、自分の方が「慶應タイプ」で「慶應ボーイ」であり「慶大生らしい思考の柔軟さ」だと思っていたようだ。「おまえはアーメンか。おまえ、アーメンなら、次は創価学会に入れよ」と言うというそういう態度のことを「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか「慶應ボーイらしいスマートな態度」とか「福沢精神」とか「独立自尊の精神を身に着けている」とか「自我が確立されている」とか、何より「慶應義塾のアイデンティティーを持っている」と言うらしいのだ。そして、こういう批判をすると、「自我が確立されていない」とか「アイデンティティーを持っていない」とか「独立自尊の精神がない」「塾風を身に着けていない」「社会性がない」「未成熟である」「わざわざ無理して逆らっている」「思考の硬さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病にかかっている」とか「なんちゃらかんちゃら症候群」とか「診断」されることになる。「治療」と称して加工されるおそれもある。お~こわっ! それが慶應義塾であり、それが「心理学」である。
  慶應の教授は講義の最中に「この僕は中等部から慶應に行ってるんだぞ。我々内部進学の人間はおまえら『(慶應義塾の)外部の者』とは違うんだ。わかってんのかあ!」とマイクに向かって絶叫する。「内部進学のこの僕がおまえら『(慶應義塾の)外部の者』に話をしてやってやってるんだぞ。わかってんのか」とマイクに向かって発言する。慶應はそういう「大学」である。少し前、慶應を特集した雑誌に、「慶應義塾カースト」の図が書かれていたが、カーストの一番上に位置するのが「幼稚舎から慶應」「揺り籠から墓場まで慶應」という人達で、その下が「中学校から慶應」「高校から慶應」の人で、カーストの一番下が大学だけ慶應という人間である。それだけではない。私が卒業した北野高校というのは慶應の教授にとっては一番嫌いな高校らしく、慶應の教授は講義の最中に固有名詞をあげて、「だいたいねえ、北野高校の人間というのはねえ。私立よりも国公立の学校の方がいいと思っていませんか。『どうして私学だったらいいんですかあ』なんて言うでしょ。バカか! 私学だってことは『いい』ってことじゃないか。北野高校の人間というのはこんな常識もわからんのかあ! まったく、どうかしてるんじゃないかと思うねえ」と、それを正規の講義の最中に言うのだ。もう十年以上前、「朝日新聞」に王貞治の話が載っていたが、王貞治は台湾人で、王が小さい頃からお父さんは「我々はここでは外国人なんだ。だから、周囲の人から好かれないといけないんだ。我々はここでは決して周囲の人から嫌われてはいけないんだ」と教えられたというのだが、慶應義塾というのは基本的には内部進学者様のものであり、私など公立高校出身者というのは慶應義塾においては「外国人」「異邦人」で、内部進学者様のお家の軒先の先っちょの下にお情けで入れていただいている・・というそのようなものなのであるということを認識しないといけない。大学だけ慶應に行ったという者は、「幼稚舎から慶應」・「中等部・普通部から慶應」「慶應義塾高校から慶應・慶應女子校から慶應」の人間の下の層に配置されているだけでなく(agriculture をagriculture ではなく、agriculture と発音する人の下、種無しブドウをひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人の下男・婢であるだけでなく)、慶應義塾においては「大学だけ慶應」の人間の中でも、公立高校出身者というのは私立高校出身者より下なのだ。まさに慶應義塾カーストの最底辺なのだ。そう思って見ると、なるほどなあ~あ・・・というものが見えてくる。別の見方をするならば、日吉の教室の机に
「公立小学校→公立中学校→公立高校→現役 京都大学。 これこそ、最高のエリート」と書かれた落書きがあり、横に別の字で
「慶應幼稚舎→慶應中等部→慶應義塾高校→慶應大学経済学部。 これこそ、最大のエリート」と書かれた落書きがあったが、
慶應は後者のタイプの人のものであり、前者のタイプの人間は、何もわざわざ、そういう気色の悪い、けったくその悪い「大学」に「わざわざ無理して」行かなくても、京都大学など公立進学校の出身者の行く大学に行った方がいいのではないか。その方が慶應の教授は喜ぶだろう。

  その「救世軍 本営」が、神田神保町交差点の南西側、岩波書店の南のあたりにあったと思ったのだが、どうも、前に見た建物がないような気がして、もしかして、他の場所に引っ越したのだろうか・・なんて思ったのだが、今回、行ってみると、あったわ! ↓
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  白山通りをはさんで東側が「すずらん通り」、西側が「さくら通り」。「さくら通り」の南、白山通りの西側のビルが救世軍本営が入っているビルのようだ。
  3階の上の壁面に
「 救世軍本営
  THE SALVATION ARMY 」
と書かれている。
  東面の一番北側の1階から2階にかけての壁面には、↓
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十字架とともに、
「 救世軍本営
  THE SALVATION ARMY
  救世軍神田小隊  」

と書かれ、その下に、↓
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「 献堂
  神の栄光と人の救いのために捧ぐ
  1984年11月23日
  救世軍大将ジャール・ワールストロム 」

と書かれている。 普通の建物なら「定礎 ・・・」というやつがこれにあたるのか・・?
「あれっ、救世軍本営はどこかに移転したのかあ?」と思ったことがあったが、建て替えた時に見たのかもしれない。
  1階の手前に、平屋の特徴ある建物があり、これはけっこう前からあるように思ったのだが、救世軍の売店かと思ったら、売店ということではなく救世軍の活動を知ってもらうためのブースらしい。

  北面、「さくら通り」の側の壁面には、↓
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↑の図柄が掲げられている。
「 BLOOD AND FIRE
  血     火
    救世軍  」

  この「BLOOD AND FIRE」「血 火」てどういう意味なのだろうか? 「軍」であり、「血 火」というと、「神の敵」は「火」で打ち滅ぼせ、「血」であがなわせろ・・・という意味なの? なんか怖そうな・・・と思えないこともないが、救世軍というのは軍隊の名称で組織されているとはいえ、そんな好戦的な団体ではなかったように思ったのだが・・と思い、救世軍のホームページを見ると、「救世軍 よくある質問」http://www.salvationarmy.or.jp/index.php?%E3%82%88%E3%81%8F%E3%81%82%E3%82%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F の「なぜ救世軍は軍旗を持っていますか? これは特別な意味がありますか?」に、
≪ 救世軍の初期の時代、軍隊が軍旗をもつことは当然のことでした。デザインは、その活動の中心となる信条を象徴しています。その旗は、青と赤でかこまれた地の中央に黄色の星を配しています。そして、救世軍の教理を2つの言葉でまとめた「血と火」がそれぞれの国の言語で書かれています。
 「青」は神様の聖(きよ)さと、クリスチャンがおくるべき清い生活を意味します。
 「赤」と「血」は、聖書に記されている、イエス・キリストが罪の赦(ゆる)しを与えるため、十字架上で流された血を表します。その死のゆえに、私たち、キリストを信じる者が、罪から解放され自由に生きることができるようになったことを思い起こさせます。
 「黄」色の星と「火」は、ペンテコステの日に、キリストの弟子たちの上に炎のように下った聖霊を象徴します。聖霊の働きによって私たちの罪が焼き尽くされ、清い正しい生活をする力が与えられることを思わせます。≫
「血」は、決して、別の宗派や別の宗教の人達を血を流してでも征服せよという意味ではなく、「火」は敵対する者は火で滅ぼせという意味でもないわけです。 救世軍というのは「軍」という組織でできているとはいえ、決して好戦的な団体という印象はなかったのですが、その印象は間違っていなかったようです。

  救世軍というのは、カトリックかプロテスタントか・・というと、救世軍HPの「救世軍とは」http://www.salvationarmy.or.jp/index.php?%E6%95%91%E4%B8%96%E8%BB%8D%E3%81%A8%E3%81%AF に、≪イギリスに本部を置き、現在、世界131の国と地域(2018年8月現在)で活動する国際的なキリスト教(プロテスタント)の団体です。≫と出ており、プロテスタントらしい。
  年末に「社会鍋」というのをやって募金を集めている光景が、何かのおりに街の風景として描かれたりすることがあるが、あれは赤い羽根募金みたいなものかと、私は子供の頃、思っていたのだが、「社会鍋」はキリスト教の団体の救世軍がやっているものだった。あれは「慈善鍋」と言うのかと思ったらそうではなく「社会鍋」らしい。
  《ウィキペディア―救世軍》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E4%B8%96%E8%BB%8D には、≪英語の「The Salvation Army」を「救世軍」と日本語に翻訳したのは尾崎行雄である。≫と出ている。
※ 救世軍HP 救世軍本営 所在地 http://www.salvationarmy.or.jp/index.php?%E6%95%91%E4%B8%96%E8%BB%8D%E6%9C%AC%E5%96%B6%E6%89%80%E5%9C%A8%E5%9C%B0

  あの「社会鍋」というものだが、疑問に思うものがないでもない。
  ひとつは、あれって、私なんかは、鍋に入れるべき側なのか、それとも、援助してもらうべき側、鍋からもらうべき側なのか?やっぱり、日陰の月見草としては、「わしぁ、貧乏やからな」てところで、もらう側ではないか? 少なくとも、ひとに施しをするような金持とちゃうで、わしはあ・・・と思うのだが。 これ、読んでくださっているあなた、あなたは金持ちかもしれんから社会鍋にカネを入れる側になるといいかもしれないし、入れるとチャリンと音がするとともに魂は天国に入るかもしれん・・が、そういうのって、どうなのだろうか?  医者屋の嫁さんとか、ダンナの年収が多くて嫁さんは働かなくてもいい生活しているような人が、その「社会鍋」にカネ入れて、それて天国を手に入れることができる・・、私なんかは「日陰の月見草」ですからもらう側であって、入れる側にはなれないから、だから、天国に入ることはない・・てことか? こういうことを言うと、ひねくれてるとか言われるか?
  東京圏・関西圏ではあまり見ないかもしれないが、「地方」では今でも上棟の際に「餅まき」をやる家が少なからずある。(株)一条工務店にいた時、考えたのだが、住宅建築業の会社の従業員というのは、そういう際、その「餅まき」で拾う側、いただく側なのか、それとも、撒く側なのか、どちらなのだろうか・・・、どちらをするべきものなのだろう? ・・・・。福島県いわき市 の営業所にいた時、同じ営業所にいたKさんが「そういうのは、その時の状況を見て、拾う側の人間が少なければ拾う側になって、拾う側が多い時、施主から撒く役をやってくれと頼まれたら撒く側をやるんだ」と言うので、なるほど・・と思ったことがあった。 なるほど・・・、で、「社会鍋」の場合は、私なんかはどちらの側なのだろうか? やっぱり、日陰の月見草は「社会鍋」にカネを入れる側であるわけないよなあ・・・と思ったのだがどうだろう・・・。
   もうひとつ、もし、貧困で生活に困っている人があり、そういう人を助けたいと思ったのならば、「社会鍋」なんてやるよりも、行政に貧困者を助けるべきだと働きかける方がいいということはないか?  もしくは、『レ・ミゼラブル』の司教は、カネがあると貧乏人の所をまわり、カネがないと金持ちの所をまわるということをやったというのだが、金持ちの所に行って、「カネくれいま、カネくれいま!」と言った方がいいということはないか? (株)一条工務店の初代社長なんてのは労基法違反でちょろまかしたカネをいっぱい持っとるはずだから、そういうおっさんの所に神輿のごとく十字架かついでおしかけて、「カネくれ今、カネくれ今!」と要求した方がいいと言うことはないか・・という点が。 「あーめん、そーめん、ほっかいど~お♪ あーめん、そーめん、ほっかいど~お♪ あれだけ出すのに、どれだけ、きついかきついかきついかぁ~あ!」(《YouTube-ヤーレンソーラン北海道》https://www.youtube.com/watch?v=uVxPg9Q6rHU ) とか歌いながら払ってくれるか・・? 払わんなら、「地獄へ落ちるぞよ・・・」とか言って無理にでも出させる・・・てのはキリスト教の趣味に合わんかもしれんが。 「金塊 千キロよこせ」と江崎グリコに要求した方が合理的・・・?

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↑ 救世軍本営 が入っている建物。
 これが救世軍本営だとすると、有斐閣はどこ行ったんだ? というと有斐閣も消えたわけではなく、この建物の1階から3階くらいまでを救世軍が使用し、上の方の階を有斐閣が使っているらしい。
※ 有斐閣HP http://www.yuhikaku.co.jp/
有斐閣HP 「会社案内」http://www.yuhikaku.co.jp/static/company/index.html
  下層階に救世軍が入り、上層階に有斐閣が入っているビルは「神田神保町ビル」と言うらしく、有斐閣の本社は神田神保町ビルの上層階とその西の有斐閣本社ビルとに入っているということらしい。
  宗教施設でも、神社なら「神社を見上げるのはいいが、見下ろすのは、家相の上で良くない」とか言ったりしますが、教会の場合は教会堂に神さまがおられるわけでもないし、ヨーロッパの教会堂でも、バチカンのサンピエトロ寺院でも、ミラノ大聖堂でも、ロンドンのセントポール寺院でも、少し前に焼けたパリのノートルダム寺院でも、屋上に登ることができて、教会堂の上に登るなんて不謹慎だとかそういう考え方はないらしいししますから、キリスト教の施設が下層階で出版社が上層階というのがいかんということはないでしょう。実際問題として、宗教施設は下層階の方が人を招きやすいと思えますしね。

  南側は集英社のビルのようで、その北よりの1階に「警視庁神田警察署 神保町交番」がある。↓
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↑ビルの守衛さんの詰め所みたいな位置だが、交番である。「守衛のおっちゃん」かと思って気を許してはいけない。拳銃もっとるし、隠しカメラとかも持っとるかもしれん。怖いで。何しよるやらわからんで。 怖いから油断したらあかん。

● 受験生のための日本史
「救世軍 きゅうせいぐん」・・・1878年 英人ブース創立のキリスト教の一派。 軍隊組織による伝道と社会事業に努力。1895年に日本に伝わり、免囚者保護・廃娼・医療などに活躍。1919年より社会鍋が始まる。
「山室軍平 やまむろぐんぺい」・・・1872~1940  救世軍中将。日本救世軍司令官。岡山県の出身。1895年 日本人最初の救世軍士官となり、以後一貫して救世軍活動に奉仕した。
 (全国歴史教育研究協議会編『日本史用語集』1975.新版 山川出版社)

≪ 日清、日露戦争の時期から、プロテスタント系の社会運動が発展し、1896年(明治29)年、山室軍平(やまむろ ぐんぺい)(1872-1940)は日本救世軍をつくり、資本主義の発達がもたらす社会悪との戦いに挺身しました。 またユニテリアンの安部磯雄らは、キリスト教社会主義をひろめ、1912(大正1)年、日本最初の労働組合として友愛会が結成されました。神戸新川のスラム街で伝道していた賀川豊彦(1888-1960)は、アメリカに留学後、友愛会に加わり、労働運動、農民運動、社会改良運動の指導者となりました。
  プロテスタント系の社会運動は、日本社会の近代化にめざましい役割をはたしましたが、プロテスタントは、しだいに都市の中間層、知識層の宗教として固定化していきました。・・・ ≫
( 村上重良『日本の宗教』1981.第1刷。 2009.11.10.改版 )
  1960年代、私が行った大阪市内の幼稚園はカトリック系の幼稚園でしたが、その地域にはそのカトリック系の幼稚園と生長の家が経営するらしい幼稚園の2つの幼稚園があり、小学校に行くと同じ市立小学校に行くことになったのですが、今、考えてみると行っていた幼稚園により幾分家庭のカラーが違ったようで、カトリックの幼稚園に行っていた家庭の方が、たしかに、≪知識層≫が多かったように思います・・・が1970年代後半、大阪府高槻市にあったYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん職種の藤井という男は「ぼくなんかはクリスチャンとして洗礼を受けて、毎週、教会に行って礼拝に出て献金払ってるんだけれども、それでええんや。そんなもん、『聖書』なんてあんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなもの、読むものと違う。『聖書』なんて絶対に読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんてまかり間違っても絶対に考えてはいかん。『聖書』なんて読まんでも洗礼受けて礼拝に出て献金払っておけばそれでええんや」と何度も何度も胸張って言っていましたが(そんなこと思ってるなら洗礼なんて受けなければいいのにと思いましたが)、ああいうのをキリスト教徒と言うのかというと、ちょっと違うように思うのですが、しかし、そういうのを「敬虔なクリスチャン」と思っている人もおり、「そうや。ええこと言いはる」とか喜ぶ人も現実にいるというのもまた事実です。「彼らは口では私を敬うが、その心は遠く離れている」という言葉が、たしか、『旧約聖書 イザヤ書』だったように思うのですが、あったと思いますが、そういう「敬虔なクリスチャン」という人がいるのです。
  (2019.5.27.)

  慶應大経済学部に行ったS本が「おまえ、変ってるなあ。おまえはアーメンか。おまえ、アーメンなら、次は創価学会に入れ」といった口をきくというのは、ひとつには慶應大経済学部というのは「入試の科目が数学と英語しかない大学」だったので、国語(現代国語ほか)や社会科(日本史・世界史・倫理社会など)を大学入学までにろくに学習していない人間が多い大学学部であり、S本もそのひとりだったというのがひとつの原因としてあるでしょう。そういう口をきく人間を「スマート」とか「思考が柔軟」とか「独立自尊」とか「そういう人間が社会で役に立つ」とか「企業はそういう人間を評価する」とか「ギャルにもてもて」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか言うのが慶應義塾の伝統ですが、ちっぽけな伝統だと思います。(2019.5.27.)

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