大丸ヴィラ・日本ナザレン教団上京教会・日本聖公会聖アグネス教会ほか-同志社今出川【11/  】

[第450回]
   今回は「大丸ヴィラ」↓・日本ナザレン教団上京教会・日本聖公会聖アグネス教会ほか・・・・
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   今回、京都市地下鉄烏丸線「今出川」駅で下車して同志社 今出川キャンパスを訪問し、帰りは京都御苑の中を通って、烏丸線「丸太町」駅より帰りました。
  京都御苑というのは京都市でも北部にあってかつてはけっこう行きにくい場所だったように思うのですが、今ではJR「京都」駅・阪急「烏丸」駅から地下鉄烏丸線に乗りかえるとすぐという便利な所になりました。 「京都御苑」と「京都御所」はどう違うのかというと、京都御苑の中に京都御所がある。 京都御苑の中には京都御所の他に、仙洞御所大宮御所と3つの「御所」がある。 どう違うんだろ? と小学生の頃、ずいぶんと考えたものでした。 「京都御所」と「京都御苑」がイコールでないことはわかる。 《ウィキペディア-京都御苑》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BE%A1%E8%8B%91 を見ると、≪現在は京都御所、仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁が、2005年4月に開館した京都迎賓館は内閣府が、それ以外は環境省が管理している。 ≫ということで、≪ 京都御苑の地には、江戸時代には200あまりの公家屋敷(ぐげやしき)が立ち並んでいたところ(公家町)で、その歴史は豊臣秀吉が大規模な都市改造の一環として堂上公家をあまねく禁裏(御所)周辺に移住させた天正年間にさかのぼる。ただし、近年の研究では公家の集住政策は織田信長から引き継いだもので京都の改造とは直接的な関係はないこと、新家の設立による土地不足や経済的な問題によって全ての堂上公家がこの地域に住めた訳ではなかったことも指摘されている。 明治になると明治天皇に従って多くの公家が東京へ移り、華族制度の発足と共にすべての華族の東京移住が義務付けられたことで、公家屋敷はもぬけの殻となり御所周辺は急速に荒廃していった。この状況を憂慮した岩倉具視は、旧慣保存のためにもなることを理由に明治10年(1877年)御所の保存を建議した。これを受けて京都府は御所を囲む火除け地を確保することを目的に、軒を連ねる旧公家屋敷の空家の撤去と跡地の整備を開始した。これが京都御苑の始まりである。 ≫ ということらしい。
  京都御所は、かつては桂離宮・修学院離宮と同じく、あらかじめ、申し込んで予約しておかないと見学できなかったが、今では、申込をせずに直接に行っても見学できるようになったらしく、又、桂離宮・修学院離宮や仙洞御所もあらかじめ申し込んでおけば確実に見学できるが、「当日枠」もできて枠があれば予約せずに行っても見学できるようになったらしい。
※ 宮内庁 京都御所の通年公開について 仙洞御所,桂離宮及び修学院離宮の参観拡充についてhttp://www.kunaicho.go.jp/info/kyototsunen-sks-sankan.html
  宮内庁HP 「参観案内(参観申込ほか)」http://www.kunaicho.go.jp/event/sankan/sankaninfo.html を見ると、桂離宮・修学院離宮・仙洞御所はあらかじめ申し込んで見学できるが当日枠もできたようで、皇居もあらかじめ申し込んで見学する方法と当日は300人の当日枠までなら予約なしでも見学できるらしい。
  大宮御所はどうなんだというと、《ウィキペディア-大宮御所》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%BE%A1%E6%89%80 によると、≪大宮御所(おおみやごしょ)とは、皇太后(大宮)の御所(女院御所)を指す≫ようで、《ウィキペディア-仙洞御所》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E6%B4%9E%E5%BE%A1%E6%89%80 によると、≪仙洞御所(せんとうごしょ)は、譲位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいう。≫らしいが、大宮御所は≪17世紀前期,後水尾天皇の中宮であった東福門院のために造営されたのに始まり,現在の御殿は慶応3年(1867年),英照皇太后(孝明天皇女御)のために造営されたものです。現在は,地方行幸啓の際のご宿泊所として使用されています。≫(《宮内庁HP 京都御所など》http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kyoto/kyoto.html )ということで、仙洞御所は≪17世紀前期,後水尾天皇が上皇となられた際に造営されました。京都大宮御所と敷地はつながっています。御殿は嘉永7年(1854年)に焼失したのを最後に再建されませんでしたが,庭園・茶室などが残っています。≫(《宮内庁HP 》)と、大宮御所と仙洞御所は今現在はつながっているらしい。
   中学生の時、遠足で京都御所に行ったことがあるが、その時は、なんだか、ずいぶんとたいそうな所という印象だったが、今では予約なく見学できるようになり、その場所に行くルートも南西角に「丸太町」駅、北西カドに「今出川」駅があって、行きやすい場所になった。
   京都御苑は北側が今出川通り・南側が丸太町通り・西側が烏丸通りで東側は寺町通りと言うらしい。
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↑ 「京都御苑 中立売御門」から西の烏丸通に出ました。

   「日本の教会シリーズ」
   「中立売御門御門」を西に出ると、その正面に、「ナザレン教団 上京教会」↓が見えます。
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「ナザレン教団」とは何ぞや?  《ウィキペディア-日本ナザレン教団》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%AC%E3%83%B3%E6%95%99%E5%9B%A3 によると、
≪ジョン・ウェスレーが提唱した聖化を強調するという≫特色の教団で、
≪1940年 ナザレン教会の世界総会において、日本のナザレン教会が二つの部会を一つにするように勧告を受けて、実行した。11月に日本ナザレン教会、日本自由メソヂスト教団、日本同盟基督協会、世界宣教団によって、日本聖化基督教団が結成された。≫ そして、
≪1941年日本基督教団に加入。≫したが、
≪1947年11月 日本基督教団を離脱して、日本ナザレン教団が再建され≫たらしい。
※ 日本ナザレン教団 上京教会HP http://www.geocities.jp/kamigyokyokai/

   西に「ナザレン教団 上京教会」、東に「京都御苑 中立売御門」がある烏丸通りを南下しますと、西側に「護王神社」が見えてくる。 護王神社というのは、和気清麻呂を祀るらしい。 社殿の前両側に狛犬ならぬコマ猪 がいる神社らしく、見学したい気持ちもあるが、今回は同志社今出川キャンパス見学として来たのでそれはまたの機会にさせていただく。
※ 護王神社HP http://www.gooujinja.or.jp/

( ↑ 赤い鳥居マークが、護王神社。 )

   「日本の教会シリーズ」
   さらに南下すると、西側に「日本聖公会 聖アグネス教会 聖堂」が見えてくる。↓
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( ↑ 日本聖公会 聖アグネス教会。 北北東側から見て。 )
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( ↑ 日本聖公会 聖アグネス教会。 北東側から見て。 )
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( ↑ 日本聖公会 聖アグネス教会。 東側から見て。 )
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≪ 日本聖公会 聖アグネス教会 聖堂
1998年 J.M.ガーディナー
京都市上京区烏丸通椹木町上ル堀松町 ≫
≪ 烏丸通りに抜けて南の聖アグネス教会は、平安女学院の礼拝堂と日本聖公会京都教区のカテドラルを兼ねる。 おもしろいのは通りに面して大小3つの三角屋根を見せることで、この会堂のもうひとつの名前である聖三角大聖堂の3を表しているように見える。 また、この会堂はステンドグラスがとてもきれいで、塔のバラ窓は4つの円を組み合わせたゴシック風の窓割りだが、どこか和風に見えるのがおもしろい。≫
( 円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドマップ』2011.10.31.エクスナレッジ)
  J=M=ガーディナー という名前はどこかで見たか聞いたかしたぞ。 どこだっけ? 《ウィキペディア-ジェームズ・ガーディナー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BC によると、ジェームズ=マクドナルド=ガーディナー らしいが、
神戸の王子公園の西の神戸文学館、かつての関西学院の礼拝堂(原田キャンパス ブランチメモリアルチャペル)だった建物の設計者は、ウィグノール
※ [第196回]《神戸文学館(旧 関学 原田キャンパス・ブランチメモリアルチャペル)(ウィグノール)―日本の教会建築4 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201311/article_1.html
東京の本郷の東大 本郷キャンパスのすぐ南の日本基督教団 本郷中央教会の設計者はヴォーリズ建築事務所のメンバーだったというJ=H=ヴォーゲル
※ [第206回]《本郷中央教会(J=H=ヴォ―ゲル)(東京都文京区)(日本の教会シリーズ9)+悪名高いかの本富士警察署》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201412/article_1.html
   思い出した。 愛知県犬山市 の「明治村」にある「京都 聖ヨハネ教会堂(日本聖公会 京都五条教会)」の設計者だった。
※ 《ウィキペディア-博物館明治村》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%9D%91#聖ヨハネ教会堂
博物館明治村HP 聖ヨハネ教会堂 http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/1-6.html
※ 《ウィキペディア-ジェームズ・ガーディナー》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BC
ほかにも、どこかで名前を聞いたか見たかしたような気がするのだが、思い出せない。思い出したら補充したい。
   ≪通りに面して大小3つの三角屋根を見せる≫というのは現地で気づかなかったが、↑の真ん中の写真を見ると、たしかに、大きさが異なる3つの三角屋根が見える。
   「日本聖公会」とは、《ウィキペディア-日本聖公会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%81%96%E5%85%AC%E4%BC%9A には、≪ キリスト教のプロテスタント系一派のアングリカン・コミュニオンの形成団体のひとつ。聖公会は宗教改革の中からイングランドで生まれたキリスト教の一教派で、「英国教会」または「英国国教会」とも訳される。≫と出ている。 イギリス国教会 の日本のものということか。≪ 日本聖公会では全国に11の教区を設け、それぞれの教区の代表として主教が置かれている。主教に対する敬称は、師あるいは師父(しふ)を用いる。主教座の置かれる教会は主教座聖堂(Cathedral)と呼ばれ、その教区の中心の役割を担う。 ≫ということで、その京都教区の主教座聖堂が↑の聖アグネス教会 らしい。 イギリス国教会は、たしか、イギリス国王の離婚問題が原因でカトリックから分離したもので、当初は教義はカトリックと変わらなかったが、徐々にプロテスタントに近づいていったというが、もともとはカトリックと変わらないものだったというだけに、聖アグネス教会の主教は ステパノ高地敬さんと言われるそうで、そういった洗礼名があるというあたりなど、カトリックに近い要素もあるように見受けられる。
※ 日本聖公会 聖アグネス教会HP http://nskk.org/kyoto/stagnes/
   ↑の上の方の写真で右側に見える鉄筋コンクリート造かと思われる建物は、平安女学院中学校の建物らしく、同じ敷地に高校があり、西側の道路を隔てた向かいに平安女学院大学があるらしい。
  平安女学院中学校・高校は、平安女学院中学校・高校HPの「キリスト教教育」http://www.jh.heian.ac.jp/school_profile/jogakuin_seikokai に≪平安女学院は英国国教会の流れを汲む米国聖公会の宣教師によって創設され、以来141年間、キリスト教精神を教育の柱として据えてきました。≫と出ているようにl、キリスト教の日本聖公会系の学校らしい。

   その南に「菅原院天満宮」がある。 菅原道真が産まれた所ということらしい。 ここも立寄りたいが時間がないので今回は前を通り過ぎて、またの機会に訪ねることにしたい。
※ 菅原院天満宮HP http://sugawarain.jp/
《ウィキペディア-菅原院天満宮神社》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%99%A2%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE

   いよいよ、「大丸ヴィラ」・・というより、『ヴォーリズ建築の100年』(創元社)で「大丸ヴィラ」が京都にあるというのは知っていたが、ここで出会うとは思わなかった。まず、ウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計の「大丸ヴィラ」(元 下村正太郎邸)の額縁撮影写真から公開する。↓
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↑ 「大丸ヴィラ」というのは、百貨店の大丸の社長の下村正太郎という人の家だったものを「大丸ヴィラ」と言っているらしい。 内部は非公開らしいが、東側は烏丸通で、道から外観は見えるので道から見えるものを見るなと言われることもないだろうから見えるものは見せてもらおう。 ↑は門扉というのかにくりぬかれた菱形があり、そこから撮影したものだが、けっこう気に入っている。


〔 ↑「 i 」マークが「大丸ヴィラ」(元 下村正太郎邸 〕
京都市地下鉄烏丸線「丸太町」駅の出入口を出てすぐの場所である。
   「今出川」駅は東西の今出川通りにあり、その通りはどこも「今出川」だが、「今出川」というと同志社のある所という印象があるので、今出川通りと烏丸通りの交差した部分に単に「今出川」駅ができても違和感はそれほどないが、「丸太町」は東西の丸太町通りと南北の烏丸通りが交差した所にできた駅だが、丸太町通りは東から西まで丸太町なので、単に「丸太町」でいいのかなと思う。 京阪は「神宮丸太町」駅を鴨東線に設置したが、碑案神宮に近いということで「神宮丸太町」としたのだろう。 こちらは「大丸ヴィラ丸太町」では百貨店の宣伝みたいだし百貨店がそこにあるのかと勘違いする人も出てくるだろうから、「京都御苑南 丸太町通」だと「京都御苑」+「南丸太町通」と解釈する人が出てくるかもしれんから「丸太町通 京都御苑南」とかはどうだい?
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≪ 大丸ヴィラ(旧下村邸) 昭和7年(1932) 京都市上京区烏丸通丸太町 鉄筋コンクリート造3階建 京都市登録有形文化財
   大丸の社主、下村正太郎が英国趣味の邸宅を求めて造られた。英国の16世紀に遡るチューダー様式の邸宅で「中道軒」と名付けられた。構造は鉄筋コンクリートでラジエーター暖房の設備もある。昭和40年代に一部が改造され大丸ヴィラと改められたが、わが国有数の西洋館に数えられる。≫
( 山形政明監修『ヴォーリズ建築の100年』2008.2.10.創元社 )

≪ チューダー様式のヴォーリズ洋館
  大丸ヴィラ(旧下村正太郎邸) 1932年 W.M.ヴォーリズ 京都市上京区烏丸通丸太町上ル春日町
 烏丸通りと丸太町通りの交差点手前には、ヴォーリズによるチューダー様式の洋館大丸ヴィラがある。ハーフチンバー風の外壁が素敵だ。木で骨組みを作り、柱と梁の間の壁をレンガで埋めるのがハーフチンバーだが、この建物は鉄筋コンクリートだという。コンクリートの壁に柱や梁を貼り付けているのだろうか。現在公開されていないので、通りからはよく見えないが、それでも南側の煙突はよく見える。ゴシック風にねじれているのがおもしろい。≫
( 円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドマップ』2011.10.31.エクスナレッジ )

  「チューダー様式」とは何か?  『インテリアコーディネーター ハンドブック 技術編』(1994.1.10. インテリア産業協会)には、
≪ フランスでは、16世紀後期になって、過度の装飾を抑え、洗練したスタイルのものが見られるようになる。カクトワールと呼ぶ婦人用のいすはその例である。またイギリスも国民性を反映した独自の様式に発展させたが、イタリアのものに比べると直線的で重厚である。イギリスのルネッサンスの初期はチューダー王朝にあたり、チューダー様式と呼ばれるが、ルネッサンスの様式的特徴はエリザベス1世の時期のエリザベス様式になって発揮された。この時代の住宅では装飾的になった暖炉が中心に、家具を配置することが多くなった。≫ とある。
  「ハーフチンバー」とは、《コトバンク デジタル大辞泉の解説 ハーフチンバー》 には、≪ハーフ‐ティンバー(half-timber)  柱・梁(はり)・筋違(すじかい)などの骨組みを外にむき出しにし、その間に煉瓦・土・石を充塡して壁とする西洋木造建築の様式。イギリス・フランス・ドイツなどにみられる。≫ とある。
  「ラジエーター暖房」とは、《ウィキペディア-ラジエーター》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC には、≪ ラジエーターは暖房装置としても用いられる場合があり、蒸気や温水の熱を利用して室内を温める。自動車などではエンジンで温められた冷却水を利用し、建物ではボイラーなどで加熱した蒸気や温水を利用する。熱源から供給される表面積を大きくとった形状で、コルゲートタイプとフィンタイプに大別される。ラジエーターは熱の大半を輻射および熱伝導によって放熱する。ラジエーター周辺の空気は暖められ、対流により室内の空気が循環するので、室内は暖められる。屋外の冷気を効果的に遮断するため、窓の直下に設置される。煙突の無い燃焼式の暖房にくらべ、室内空気の汚損が全く無い。欧米の集合住宅やホテルなどでは一般的な暖房装置であるが、日本ではガス会社などが販売しているものの、あまり普及していない。 ・・≫ とある。 私は小学校の4年の時に転校したのだが、今から思うと、小学校の後半に行った方の小学校の教室にこの「ラジエーター暖房」があった。その時は、どちらかというと古い方式の暖房設備なのかと思っていたが、「触ると熱くて火傷するおそれがある」という点はあるが、≪煙突の無い燃焼式の暖房にくらべ、室内空気の汚損が全く無い≫という長所があったわけだ。

   南面の「日時計」の写真が山形政明監修『ヴォーリズ建築の100年』(2008.2.10.創元社 )に掲載されているのだが、↓ のように、東面は烏丸通から見えるが南面はなんとかちびっとだけ見えるような見えないような・・・なので、どの部分にあるのかよくわからない。
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≪ 大丸ヴィラは、昭和7年(1932年)、当時の株式会社大丸 社長 下村正太郎の住宅として、ヴォーリズ建築事務所の設計、清水組の施工により建てられた。
  建物は鉄筋コンクリート造の3階建で、主棟を南北に通し、東西に支棟を出して各妻面に煉瓦積みの煙突をつけ、上層壁面は太い柱型をみせたハーフティンバーで飾られている。また内部は、ねじれ棒状の手すりがつく階段、白漆喰で仕上げられた幾何学模様の天井、石造りの暖炉など、各所に凝ったデザインがみられる。
  いわゆる日本化が進んでいた当時の洋館のなかで、この住宅は、ほぼ純粋なチューダー様式でまとめられた昭和初期の京都を代表する邸宅の一つとして貴重であり、昭和59年(1984年)6月1日、京都市登録有形文化財に登録された。
  また、多数残っている家具の配置等も建築と同時に設計者ヴォーリズにより指導されたもので、様式的には建物と同様チューダー様式が中心となっている。これらの家具は建物と一体のものとして貴重であり、その一部66点は昭和61年(1986年)6月2日、追加登録された。  京都市  ≫
と書かれたプレートが塀に埋め込まれている。
建物が京都市登録有形文化財に指定された昭和59年(1984年)というと、阪神にゃんこ が優勝して日本一になった昭和60年(1985年)。家具が追加登録された昭和61年(1986年)は阪神にゃんこ が優勝・日本一になった昭和60年(1985年)の翌年である。なにしろ、にゃんこ はめったに優勝しないもんだから、阪神が優勝した年の前の年と次の年というと、ああ、あの頃か・・・とよくわかる(^^)/

  阪神優勝の1985年(昭和60年)は横浜市港北区日吉の慶應大学日吉キャンパスに槇文彦 設計の「慶應大学日吉新図書館」が竣工した年で、桑田・清原が高校3年でPL学園が甲子園大会で優勝した年。前年の1984年(昭和59年)、大丸ヴィラが京都市指定登録有形文化財に指定された年は日吉新図書館の工事をやっていた年、PL{学園が甲子園大会の決勝で取手二高に負けた年。慶應大野球部に入って活躍した志村投手が桐蔭学園の3年で、その桐蔭学園が甲子園大会の準々決勝だかでPL学園に負けた年。翌年の1996年(昭和61年)の大丸ヴィラの家具が京都市指定登録有形文化財に追加登録された年は、慶應日吉新図書館が竣工し利用開始された1985年の翌年でもある。
1984年(昭和59年) 桑田・清原2年、PL学園は決勝で取手二高に負ける。志村投手3年で桐蔭学園は準々決勝でPLに負ける。大丸ヴィラの建物が京都市指定登録有形文化財に登録。慶應大日吉新図書館工事中。
1985年(昭和60年) 阪神優勝・日本一。バース1回目の三冠王。桑田・清原は3年でPL学園優勝。 慶應大日吉新図書館竣工、使用開始。
1986年(昭和61年) バース2回目の三冠王。大丸ヴィラの家具が京都市指定登録有形文化財に追加登録。

  大丸ヴィラの竣工の1932年(昭和7年)の方は、「ひどく醜い(1932)5・15事件」の1932年の5・15事件があった年、「人、苦しみ、災(1931)」の満州事変の年の1931年の翌年。
1931年(昭和6年) 満州事変 「人、苦、災(1931) 満州事変」
1932年(昭和7年) 5・15事件。「ひどく醜い(1932)5・15事件」。大丸ヴィラ 竣工。
1936年(昭和11年) 2.26事件。「ひどく寒い(1936)2・26事件」
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件。日中戦争 始まる。「ひどく皆(1937)日中戦争」

  慶應日吉新図書館というと、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の「デザイナー」のおっさんが、「ああ~あ、槇文彦設計の慶應日吉図書館ですねえ」と声まで裏返って口にしたが、「デザイナー」にとっては「槇文彦設計の」とつくと「注目する必要がある」ということになって、隣にある「普通の人」設計の建物なんてどうでもいいみたいでそれが「デザイナー」「建築家」業界の人間の反応なのかもしれないが、その時代にその場所にいた人間からすると、「槇文彦設計の」と言われると称賛しなきゃならん、「普通の人」が設計だとどうでもいいという反応というのは奇妙に感じられる。そこに一般人としていた者からすれば、「有名建築家」の設計であるか「普通の人」の設計であるかよりも使いやすいかどうかの方が問題なのだが、「デザイナー」「建築家」の思考と一般人の思考とはそのあたりが異なるようだ・・・という建物の代表格が「『あ~あ、槇文彦設計の慶應日吉図書館ですねえ』の慶應大学日吉新図書館」である。 ちなみに「新」と私がつけるのは、私が慶應大学に入学した年においては、藤山記念図書館というものが日吉にあって、それが日吉キャンパスの図書館だったが、その後、「槇文彦先生の設計された日吉新図書館」というものができて、「藤山記念図書館」は「藤山記念館」として図書館ではなくなったのだが、その時代にそこにいた人間からすれば、「藤山記念図書館」と「『槇文彦先生が設計された』というフレーズの図書館」では後者は「新図書館」であるのに対し、そこにいなかった人間で「デザイナー」とか「建築家」とか称する人間にとっては「槇文彦先生が設計された新図書館」の方が「慶應日吉図書館」と「新」はつかない図書館で、藤山記念図書館の方は「どうでもいい建物」になるようである。そのあたりが、一般人と「建築家」「デザイナー」の違いであり、私はその時代にそこにいた人間としての矜持として、又、藤山記念図書館を親しみを持って利用した者として藤山記念図書館に対する愛着から「『槇文彦設計の』というフレーズの図書館」は「新図書館」と表記する。

   「大丸ヴィラ」(旧下村正太郎邸)は、「住宅」といっても、えらい豪華な建物やなあ~あ・・・て感じはするけれども、私なんかの家と思って見ると「えらい豪華な建物やなあ」てことになるが、「社長の家」として見ると「そんなもんか」てところかもしれない。 渋谷駅の西側、渋谷駅と東大駒場キャンパスの中間付近にある「麻生邸」なんてのも、渋谷から至近の便利な場所に豪邸建ててからにい~い・・・て思う人もあるかもしれんけども、「私の家」なら「ものすごい豪邸」だが「麻生さんの家」と思って見ると、「まあ、こんなもんか」て感じがしてくる。 千葉県船橋市の新京成電鉄「薬円台」駅の近くにある「野田邸」なんてのは、船橋市民は誰もが言うことだが「ええ~え、あれが元総理大臣の家なんかあ~あ?」てものだが、要するに「普通の家」であり、それは「総理大臣の家」と思って見るから、「麻生邸」とか「田中御殿」とかみたいなもんがあるんやろかと思って見るからであって、私の家ならちっとも悪い家ではない。 だから、「大丸ヴィラ」というのも、私の家なら「もんのすごい豪邸」であっても、「社長の家」と思って見ると、「まあ、そんなもん」ということになるのかもしれん。同志社今出川キャンパスの「礼拝堂」や「有終館」の設計者のダニエル=クロスビー=グリーンとはまったく別人のグリーン兄弟(チャールズ=グリーン・ヘンリー=グリーン)が設計した「ギャンブル邸」だって、「全温度チアーでおなじみの」プロクター&ギャンブルの社長の家だし、フランク=ロイド=ライト設計の「落水荘」(カウフマン邸)のカウフマンさんだって私らみたいな庶民とは違うし、「建築史」のテキストに登場する「元 ◇◇家住宅」「元 ▽▽邸」なんて「住宅」と言っても私らの住宅とは住宅は住宅でも住宅が違う。「わしぁ、貧乏やからな」「わしぁ、日陰の月見草や」てとこで、「まあ、そんなもん」なんでしょ。「『社長の家』と私らの家とは住宅は住宅でも性質が違うのは、まあ、そんなもん」て、この思考って、なんだか、わびしいのお~お・・・て感じがしないでもないが、「まあ、そんなもん」なのかもしれん。「世の中なんて、そんなもんですよ」・・・てとこか??? ・・・→《YouTube-昭和枯れすゝき - さくらと一郎 》https://www.youtube.com/watch?v=iHpdxhwgJpA
  今は昔、1970年代後半、大阪市淀川区の北野高校に通学していた時、阪急「十三」駅から高校までの途中にあったキャバレーだかの看板に「さくらと一郎の『昭和枯れすすき』」というのが出ていて、それでこの曲の名前と「さくらと一郎」というコンビを知ったのだが、これは、大学入試の合格発表の時に、いくら見ても自分の受験番号がない・・という時のバックミュージックにぴったりの曲ではないかと思ってものだったが・・・、今、聴いても、なんともわびしいのお~お・・・・。

   阪急の電車は私などが子供の頃は「あづき色」と言っていて、国鉄(現・JR)の東海道本線や阪和線の国電の電車にはオレンジ色の電車と こげ茶色の電車があって、阪和線の こげ茶色の電車と阪急の「あづき色」の電車では、阪急の方がいくらか薄めの色だが、今よりもこげ茶に近い色だったような気がしたのだが、いつしか、「阪急ブランド」の色として「マルーン」なんて言うようになった。「マルーン」て何かようわからんが、あづき色のことではないかと思う。 その「マルーン」色を阪急は「売り」にしているわけだが、京都線の場合は、京福電鉄などは駅名からして 等持院・竜安寺・妙心寺・仁和寺・広隆寺・・・と乗って駅名見ているだけでもわくわくするような名称だし、電車の車体も、「はんなりした」「ええお色だすう~」て感じの京都的色彩の電車が走ってたりするのに対して、阪急は「マルーン」を「売り」にするのはいいが、全車同じデザインというのは、京都路線では競合になった時に弱いと考えたのか、最近では京都線の車体にはデコレーションがされるようになった。↓
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   京都市地下鉄烏丸線「今出川」駅から南の「丸太町」駅までは京都御苑の西側に沿って京都御苑の北から南までの距離でそれほど遠くなく、ガーディナー設計の「日本聖公会 聖アグネス教会」やウィリアム=メレル=ヴォーリズ設計の「大丸ヴィラ」などの外観を見ることができるので、同志社今出川キャンパスを見学した帰りは烏丸通を「丸太町」駅まで歩くことをお勧めしたい。

  (2019.3.23.)

☆ 同志社 今出川校地 見学
1.共学同志社見学。JRと京都地下鉄の駅名のつけ方。母親の自慢を本気にする男 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_1.html
2.裏口入学は「庶民」か? 「思考が柔軟」か? 西門、彰栄館。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_2.html
3.グリーン設計の礼拝堂。「パンのみにて生きるにあらず」を理解する者しない者 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_3.html
4.「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」、大学からなくなるスピーカーズコーナー https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_1.html
5.明徳館、『同志社のシンボルとなっている塔』のある建物。「美しき水車屋」の娘? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_2.html
6.千葉教会と同じリヒャルト=ゼール設計の「大志を抱け」とは別人のクラーク記念館 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_3.html
7.寒梅軒、牛の像と大日如来石碑。有終館、致遠館、正門からすぐの良心の碑 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_4.html
8.啓明館。ヴォーリズ設計は新島遺品庫。栂と黒松。京都御苑から相国寺 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_5.html
9.アーモスト館。パラディアンウインドウ、ギャンブレル屋根。「アマースト大学」。同志社は日本組合教会、関学はメソジスト https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_6.html
10.同志社女子大栄光館。武田五一知ってる? 学校は建築家が完成させない方が良い https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_7.html
11.大丸ヴィラ・日本ナザレン教団上京教会・日本聖公会聖アグネス教会ほか〔今回〕 

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