同志社今出川【6/13】千葉教会と同じリヒャルト=ゼール設計の「大志を抱け」とは別人のクラーク記念館

[第444回(トリプルフォー)]
   礼拝堂の前(南)を東に進むと左手(北側)に「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」、右手(南側)に明徳館があり、その間を東に進むと突き当りのあたりに見えてくるのが「クラーク記念館」(重要文化財)です。↓
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( ↑「 i 」マークが「クラーク記念館」。 )
  ≪ 同志社 クラーク記念館 1894年 ゼール ・・≫ ≪ 礼拝堂、理化学館、クラーク記念館と東へ行くほど新しいのはなぜか。全体計画が最初からあったのだろうか。 この建物はゼールが自分の設計した西プロイセン州議会議事堂をモデルにしたという。特徴的な鐘楼が正門から正面に見え、キャンパス全体を街のようにデザインしていることがわかる。≫(円満字 洋介『京都・大阪・神戸[名建築]ガイドマップ』(2011.10.31.エクスナレッジ)というのですが、たしかに特徴のある鐘楼ではありますが、≪特徴的な鐘楼が正面に見え、キャンパス全体を街のようにデザインしている≫というのなら、明徳館の塔の先端よりもこちらのクラーク記念館の鐘楼の方が同志社を特徴づける建物のようにも思えるのですが、誰が選んだのか、入学要綱の表紙の写真には明徳館の塔の先端の写真が掲載されていることが多いようです。
   《ウィキペディア―同志社大学》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%BF%97%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6 には、≪ ただし同志社大学は、キリスト教を広めることそのものを主な狙いとする大学ではない。同志社は自らを、(「キリスト教」ではなく)「キリスト教主義」の学校と言う≫と書かれている。クラーク記念館の鐘楼を掲げると、あまりにもキリスト教色が強いので、キリスト教の信徒でない人が入学してもらってもかまわないということで宗教色が強くない明徳館の塔の先端を入学要綱の表紙の写真などには掲載するようにしているということかもしれない。
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( ↑ クラーク記念館。 南西側から見たもの。)
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( ↑ クラーク記念館。 南側から見たもの。)
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( ↑ クラーク記念館。 南東側から見たもの。 正門側からに比較的近い見え方か。)
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( ↑ クラーク記念館。 鐘楼。 )
   円満字のタヌキ林のおっさんは≪特徴的な鐘楼が正門から正面に見え≫と書いていますが、その書き方だと、正門―クラーク記念館 というのがこの今出川キャンパスの中心軸になっているかのように思えますが、しかし、それは違うでしょう。クラーク記念館の正面入口は西を向いていますから。 だから、むしろ、クラーク記念館は西門から入った突き当りという位置づけではないか。 同志社の今出川キャンパスは、けっこう魅力的な建物が多く、又、関学の仁川キャンパスがウィリアム=メレル=ヴォーリズが全体を設計し、後に周囲に増築したものも一粒社ヴォーリズ設計事務所が設計した建物であることから全体の統一が取れているのに対して、同志社の今出川キャンパスは礼拝堂と有終館がD=C=グリーン(ダニエル=クロスビー=グリーン)、啓明館とアーモスト館と致遠館がウィリアム=メレル=ヴォーリズと一人で2つ以上設計した人もあるけれども、結果としては何人もが設計を担当しているにもかかわらず、その設計者誰もが先住建物を尊重して先住建物との調和を考えて作っており、「丹下健三型自己顕示欲の塊建築」「丹下健三型常にひとが自分に合わせろ建築」は見当たらない、という点が高く評価できると思うのですが、中心軸は「正門―クラーク記念館」ではなく「西門―クラーク記念館」の方ではないかと思います。だから、西門と正門では、正門の方が今出川キャンパスの中央部にあるのですが、今出川キャンパスの西半分の区域、相国寺の参道より西側の区域においては「西門―クラーク記念館」の東西の軸を基本として建物は配置されており、その点で、西門と正門なら西門の方が、むしろ、正門的な性格を持っているようにも思えます。
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↑の配置図は東が上、西が南になっていますが、「西門―クラーク記念館の鐘楼」の東西の軸を中心としてその両側に建物が配置されており、正門はむしろサブの入口のような感じです。 「正門」を正門と言っているのは、「相国寺への参道を挟んで東側のエリア+同志社女子大」と西側のエリアの中央部にあるということと、正門の前あたりに京都御苑の今出川御門があることから、京都御所と京都御苑に敬意を表して「正門」と言っているというところがあるかもしれませんね。

   大学の校舎なんてものは、これは誰でも入っていいもの・・・・みたいに私は思っていたのですが、そうでもない建物もあるみたいなので、そこは「建築探偵団」としては「安全第一」。まず、基本的姿勢として、「堂々と」。なぜかというと、「こそこそと」すると泥棒か何かのように見えてしまう。別に何か悪いことしにいくわけではないので、だから、「堂々と」。 でもって、だめそうならさっさとあきらめる。 守衛さん・警備員さんがいた場合ははっきりといいかどうか尋ねてもいいのですが、但し、私の認識として大学という所の構内に入るだけにいちいち許可を求めないといけないというのは、これはその大学にとってもいいことではない。慶應の日吉なんてのは、「構内をご通行の皆様へ。樹木を折らないでください。・・」とか書いた掲示が出ていて、近隣の人は通行するものという前提でそういう看板が出ている。総合大学で共学の大学はそれが普通だと私は思っていた。もっとも、慶應YMCAチャペルを見学に行った時は、前あたりに慶應義塾高校の体育館があって体育の教諭と思われるおっさんが何だか胡散臭そうな顔でこっちを見ていたので、内部進学の人間としては、「な~にを『(慶應義塾の)外部の連中』がこんな所に来ているんだ」と思って見てやがるな・・・と思って、「なんじゃ、文句あんのんかい」とか心の中で思いながら見学して帰ったのですが、考えてみると、慶應大学に中学校・高校の体育教諭を育成する学科はなかったはずなので、そのおっさんは慶應大学卒ではないはずですが、もしかすると、大学は慶應ではないが小学校から高校までが慶應なのかもしれません。小学校から高校まで慶應のおっさんからすると、小学校から高校まで公立で大学だけ慶應に行ったような人間というのは「(慶應義塾の)外部の者」という認識ですから、「なんで、こいつ、こんな所にいるんだ」と思って見ていたのかもしれん・・・と思ったのですが、しかし、他方において、私が卒業したような公立の高校というのは系列の大学があるわけではないので、大学と同じ敷地にあるわけではなく、高校だけの敷地に建っており、高校を卒業して1年目・2年目・3年目あたりは卒業後も平気で出身高校に入っていましたが、それから何十年か経った今、卒業生といえども、また、決して何か悪いことしに入るわけではないけれども、なつかしさから、及び、最近、校舎を建て替えたというのでどんな感じになったのか見てみたいという気持ちから入場しようとしても、教諭からすれば、卒業生でない教諭からしても、誰やらよくわからん人間の入場を認めるわけにもいかんでしょう。大学の場合、女子大とかは男はうかつに入るわけにはいかんでしょうけれども、東大とか京大とかそういう大学の構内は入るなと言う方が間違っているし、東大の三四郎池なんてのはあれは加賀前田家の三四郎池であり国民の財産であって「東大のもの」ではないし、そもそも、東大の本郷キャンパスは中に東大病院(「東京大学医学部付属病院」というわりに、東大医学部卒でない「医者」が勤務している「看板に偽りあり」の「病院」)がそこにあり、都バスのバス停まで構内にあるので、入るなと言うわけにはいかないという点もある。しかし、高校の場合は、大学と違って、普通は生徒か教諭か生徒の親かでもない人間はそこには入らない。卒業生でも卒業して1年目・2年目あたりの高校生とたいして見た目が変らないくらいはいいとして、何十年も経った人間というのは、やっぱり、具合が悪いかもしれん。我が家からの最寄駅の近くに元女子校の私立高校があるのだが、「元女子校」というのは今は一応共学になったらしいが、元女子校だけあって女子の方が多いようなのだが、その敷地内を通り抜けることができれば我が家には近道なのだが、母がまだ自分で歩けた時期に「あそこ、通らせてもらえないかなあ」なんて言ったことがあったのですが、母は女だからまだいいかもしれないが、大の男が女子高の中を通らせてもらうわけにはいかんだろう。共学の学校(最初から共学の学校)や男子校の場合はそれほど気兼ねすることないかもしれないが、それでも、「関係者」でない者が入ってきたら教諭は何だろうと考えるだろう。慶應義塾高校というのは慶應の日吉のキャンパスの中にあり、どこからどこまでが大学でどこからが高校と柵があるわけでも門があるわけでもないのだが、私が慶應の大学生であった時は、その付近は内部進学の人間のエリアであるから、行きたいとも思わなかったし行っても歓迎されないだろうし、慶應義塾高校のエリアになんてうかつに行って強姦されたら嫌だし・・・て男は強姦されないかもしれないが、ともかく、雰囲気のいいエリアではなかったので行かなかったのだが、慶應YMCAチャペルは、その慶應義塾高校のエリアにあったのだ。だから、そこの大学の卒業生としては慶應の日吉キャンパスの構内を歩かせてもらって何か悪いとは思っていなかったのだが、高校の体育教諭が胡散臭そうな顔で見るのもその点ではわからんことはなかった・・・・が、やっぱり、「小学校から高校まで慶應」で大学は体育教諭の資格を取れる大学に行って慶應義塾高校の体育教諭でもやってるような「本物の慶大生」「本物の慶應タイプ」からすれば、私のような大学だけ慶應に行ったようなニセモノ、それも、小学校も中学校も高校も公立という「筋金入りのニセモノ」、「種無しブドウは自分でひとつひとつ房からちぎって自分の口にいれるという内部進学の方たちからすれば軽蔑すべき行為を平気でする人種」、内部進学の方たち「本物の慶應ボーイ・慶應ギャル」からすれば「ドジン」みたいなものが慶應でも大学のエリアではなく高校のエリアに入り込んできているというのは、これは「胡散臭い目」で見るに該当する行為だったようだ。だから、慶應YMCAチャペルは一度見学に行ったが、そういう「感じの悪いエリア」には二度行きたいとは思わない。裏側は公道なので、公道から見学するのは何ら問題ないはずだし、公道を歩くのも内部進学の「本物の慶大生」「本物の慶應ボーイ」からすると不愉快かもしれないが、わしぁ、日陰の月見草であり、公道を歩くのを気に入らん言われても、そんなものを気にしていたのでは生きていけるか。私ら公立小学校出身の人間は、蜜柑は自分で外皮をむいて内皮のまま食べるものだと教えられてそうやって食べてきたのに対して、慶應幼稚舎ではそうではなく、蜜柑というものは、ひとに外皮をむいて内皮もむいてカラスにしてもらって、それを食べるものだと教えているらしく、私ら公立小学校出身の者は、種無しブドウ(デラウエア)であれ種ありブドウであれ、自分で房からちぎって口に入れて食べるものだと教育されてきたものだが、慶應幼稚舎ではそうではなく、種無しブドウ(デラウエア)というものは、ひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うものだと「教育」しているらしいのだ。だから、「蜜柑はひとに外皮も内皮もむいてもらってカラスにしてもらって食べる人種」「種無しブドウ(デラウエア)はひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う民族」からすると、私のような「蜜柑は自分で外皮をむいて内皮のまま食べる人種」「種無しブドウは自分で房からちぎって口に入れて食べる民族」というのは内部進学の人たち、「本物の慶應」「スマートな慶應ボーイ・スマートな慶應ギャル」からするとドジンなのである。だから、植民地の白人支配者のような内部進学の人間からすれば、「本物の慶應」が公立高校出身のドジンを強姦したからといって、なぜ、それが悪いんだ!?! という意識なのである。

アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21)
朝日新聞出版
藤永 茂

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≪ ワシントンの「最後」についても、いささか語っておくべきであろう。ジョージ・ワシントンは、いわゆるバージニア・タバコ貴族の一員である。広大なタバコ園の所有者として、もちろん多くの黒人奴隷をかかえていた。ここに、英国の歴史家アーノルド・トインビーの言葉を引くことにしよう。「タバコ園の経営者達は、ニグロの女達との間に私生児をつくった。ジョージ・ワシントンも、この目的で所有地内のニグロ達の宿舎を訪れているとき、風邪をひいた。公式の伝記には一度ものったことはないが、これがワシントンの死因になったのだ。まあいってみれば、それは紳士のする、ごくあたりまえのことだったわけだ」≫
( 藤永茂『アメリカ・インディアン悲史』1974.10.20.朝日選書 ↑)
ジョージ=ワシントンという男は慶應の内部進学みたいな男だったようだ・・・。慶應の学生が新入性の女性とを輪姦したというニュース記事が出ていたが、内部進学からすれば、白人の支配者が黒人やインディアンを強姦したからといってそれがなぜいけないのか・・みたいなそういう意識であるはずだ。

   同志社もまた、誰であれ大学の構内を歩くこと自体はそれをいかんとは言わないようだが、建物については、入ってもいい建物と入ってもらいたくない建物というのがあるらしい。「ハリス理化学館」は「同志社ギャラリー」として展示館とされていて誰でも無料で見学できるが、そうでない建物もある。「クラーク記念館」は、入口には何も書いてないから、とりあえず、入口から中をのぞかせてもらった所、奥の方に何か書いたものが立っている。↓
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↑ 中ほどに立っている札には「お知らせ」と書かれていて、その下に、「クラーク記念館は公開されていません」というようなことが書かれていた。 だから、ここから内部へ入って見学することはできないということだ。「建築探偵団」は紳士でありルールを守る存在であるから、「公開されていません」と書かれている所に侵入するようなことはしない。 しかし、建物の入口ではなく1階ロビーに入った所にその札が立っているということは、その札の位置までは入ってもいいということだろう・・・と考えて、入口を入ったあたりから周囲を見回すくらいはさせていただいた。 で、撮影禁止とも書かれていないので、そのあたりの撮影もさせていただいた・・のが↓
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  「クラーク記念館」のクラークさんて誰なんだ? 北海道大学の「少年よ、大志を抱け」のクラークさんなのか?  《同志社大学神学部HP クラーク記念館とは》https://theo.doshisha.ac.jp/equipment/clarke_memorial_hall.html には、≪ 新島襄が逝去した翌年の1891年、米国のニューヨーク州ブルックリン市のB.W.クラーク夫妻から、神学館の建築費として10,000ドルの寄付が同志社になされました。これは23歳という若さで早逝した夫妻の息子バイロン・ストーン・クラーク(Byron Stone-Clarke)を記念して贈られたもので、翌1892年11月に定礎がなされ、1894年1月に献堂されています。設計者は当時東京にいたドイツ人R.ゼールで、施工は京都の大工小島佐兵衛が担当しました。≫ と出ています。 《ウィキペディア―ウィリアム・スミス・クラーク》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF によると、「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士は、ウィリアム=スミス=クラーク(1826年 - 1886年)で、ウィリアム=スミス=クラークも≪学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じた。のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をした≫という人らしいが、クラーク記念館のB.W.クラーク夫妻とその息子のバイロン=ストーン=クラークとは別人のようです。

   クラーク記念館の入口脇に間取り図が書かれている。↓
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↑ 1階に4部屋で、うち1部屋がキリスト教文化センター、2階の北側がクラーク・チャペルで、その他に3部屋。
   南よりにある鐘楼が特徴的と円満字洋介は書いており、たしかに南よりに鐘楼があるが、クラークチャペルは2階の南側ではなく北側の方にあるらしい。↓
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  「クラーク記念館は公開されていません」ということだが、《同志社HP クラーク・チャペルでのウェディング》https://www.doshisha.ac.jp/information/facility/list/chapel.html によると、≪ クラーク記念館「クラーク・チャペル」で結婚式が挙げられるようになりました。対象は、キリスト教精神を心に留め結婚のときを迎えたいと希望される、同志社の卒業生、教職員とそのご家族です。 ≫ということだ。ということは、クラークチャペルを見学したいと思ったら、誰か同志社卒の男でも女でも見つけて、そいつを結婚させてクラークチャペルで結婚式をあげさせれば、見学に行けるということ・・・・かな・・・。

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↑ クラーク記念館。 東面。
南側の西よりに鐘楼があるが、南側の東よりにも塔があるのが見える。

   床下換気口も、単に開けただけではなく、なかなか独創的なデザインだ。↓
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   ゼールは、リヒャルト=ゼール というらしく、《ウィキペディア―リヒャルト・ゼール》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AB によると、≪ ドイツのエルバーフェルト生まれ。建築を学び、1875年ベルリンに出てエンデベックマン事務所に入った。 1888年、日本の官庁集中計画をエンデ・ベックマン事務所が引き受けることになり、ゼールが来日した。  ≫という人、エンデ、ベックマンの事務所の人だったらしい。 同志社 クラーク記念館のほかに、千葉市中央区の日本基督教団千葉教会の建物もこのリヒャルト=ゼールの設計によるものらしいが、同じ設計者の建物でもかなり感じは違う。
※ 日本基督教団千葉教会HP http://www.chiba-church.org/
《ウィキペディア―日本基督教団千葉教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3%E5%8D%83%E8%91%89%E6%95%99%E4%BC%9A
《ウィキペディア―リヒャルト・ゼール》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AB

( ↑ 「 i 」マークが 日本基督教団千葉教会 )
  「建築家」「デザイナー」と「普通の人間」の違いはどこにあるかというと、「建築家」「デザイナー」というのは、建築史の本などをあらかじめ読んで、「名建築」と書かれているもの、「有名建築家」と指定されている人の建築を見に行き、そして賞賛するが、その横に「普通の人」「それほど有名でない人」が設計した建物でなかなかのものがあっても無視するのに対し、「普通の人間」はそうではなく、自分がいいと思ったものをいいと考え、「名建築」と建築史の本に書いてあっても、「有名建築家」「世界の◇◇」とか指定されている人の設計であっても、自分がくだらんと思ったものはくだらんと考える。そこが「建築家」「デザイナー」と「普通の人間」の違いである。2005年、チムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部に勤務していた時、「デザイナーの先生」(男。当時、30代後半?)と話をしていて、私は、「建築家」とか言われる人の建物が「普通の人」の設計の建物に比べていいとは必ずしも思えないということを言うために、その例として横浜市港北区日吉の「槇文彦設計の慶應日吉新図書館」というのができた時に慶應大学に学生としていて実際にその図書館を利用した時の話をしかけたところ、その「建築家の先生」「1000万円超プレーヤー」のおっさんが、「ああ~あ、槇文彦設計の慶應日吉図書館ですねえ~え」と声まで裏返って言ったので、この男、絶対アホや! と思ったということがあった。その「デザイナー」「1000万円超プレーヤー」にとっては「槇文彦」という人名が「名建築家」と既定されており、「槇文彦設計の・・・」というフレーズを聞くと賞賛しないといけないとパブロフの犬みたいに反応するわけだ。なんだか、「建築家」とか「デザイナー」とか称する連中というのはつまらない連中だなと思った。私は違う。2011年だったと思うが、千葉県庁の付近を用事があって歩いていて、「あ、これはなかなか・・」と思った建物があり、それは何かと思って見ると日本基督教団千葉教会だった。その時点ではリヒャルト=ゼールという人を良く知らなかったが、無名の人間のものでも、私がいいと思ったものがいいのであり、「名建築家」のものでもくだらんと思ったらくだらんのだ。「パブロフの犬」型「建築家」「デザイナー」はこっけいである。逆に、「名建築」「名建築家の設計」と言われる物を見に行ったのではなく、他の用事で歩いていて、「あ、これはなかなか・・」と感じるオーラのようなものがある建物というのがある。そういうものは「名建築」に指定されていてもいなくても名建築ではないかと思うし、「名建築」と指定されているものがすべてくだらんわけではなく、知らずに他の用事でその付近を歩いていて、「あ、これはなかなか・・」と思い、調べてみると「名建築家」と指定されている人のものであったという場合もある。 自分でいいと思うものをいいと考えるのではなく、「名建築」・「名建築家」と指定されている名前にパブロフの犬みたいに反応する精神構造というのは、なんだかなあと思うのだが、「心理学者」はそういう精神構造のことを「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神をもっていう」とか「診断」する。逆と違うかと思うのだがね。
  「エンデ・ベックマン」はセットみたいに登場するが、エンデ・ベックマンという1人の人間ではなく、ヘルマン=エンデヴィルヘルム=ベックマンという2人の人間である。法務省は、現在は合同庁舎6号館の南半分に入っているが、その東、東京地方裁判所・東京高等裁判所の南にある赤レンガ棟(旧法務省本館)「旧司法省庁舎」で、ヘルマン=エンデとヴィルヘルム=ベックマンによる設計の建物らしい。
※ 《ウィキペディア―ヘルマン・エンデ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%87
《ウィキペディア―ヴィルヘルム・ベックマン》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3

〔↑ 「 i 」マークが、法務省赤レンガ棟(旧法務省本館、旧 司法省庁舎) 〕
 ・・・ところで、「建築家」とか「◇◇大学建築学科教授」とかいった肩書の人でも、この法務省赤レンガ庁舎というのを見学に行った人というのは、たいてい、昼間に見に行っていると思うのだ。 真夜中の午前3時とかに、この法務省赤レンガ棟のすぐそば、外壁に手を触れることができるくらいの場所まで行って懐中電灯で照らして見るなんてことをした経験はないと思う。なにしろ、このすぐ西に何があるかというと警視庁なんてのがある。そういう場所である・・・が、私はやったことがある。真夜中に忍び込んだのか? ・・・今は昔、法務省の警備員の仕事をしたことがあるのだ。夜中に2回、「巡回」と言って懐中電灯を持って外回りを一周したのだ。 その経路にこの法務省赤レンガ庁舎のすぐそばもルートに含まれていたので、建物に手が触れるくらいの場所まで真夜中に行き、懐中電灯で照らして見るという作業もやった。そういう仕事をしていない人間はやりたいと思ってもなかなかできないが、だから、何なんだ・・・というと、何もない。 建物は、昼間、見た印象と、夜、見た印象が異なる場合もあるが、午前3時に見なくても、日没後くらいに見ればいいことだろう・・・・が、「歴史的建造物」に真夜中の午前3時に手を触れることができるくらいの場所まで行って懐中電灯で照らして見た経験というのは、他の人になかなかできない経験・・・かもしれないが、今、思っても、別段、やりたい経験でもないな・・・・(^^)/  都心部でもこういう建物を費用をかけて保存したりしているのだが、それなら、多くの人が言うことだが、日比谷公園のすぐ東側にあったフランク=ロイド=ライト設計の旧帝国ホテルをなぜ保存できなかったのか・・・なんて思ったりもする。ヘルマン=エンデとウィルヘルム=ベックマンの法務省赤レンガ棟が悪いとは言わんが、ライトの帝国ホテルは愛知県犬山市に保存されている玄関ホール部分だけ見ても、何と言うのか、「歴史的建造物」の中でも「超弩級」のものであり、日比谷公園の東側に今もあったらいいのになあと思う。

  クラーク記念館は、2階に「クラークチャペル」があり鐘楼もあるところを見ると、この建物は礼拝堂だったのか、それとも、神学部の建物だったのか・・と思いましたが、《同志社HP 建物紹介》https://www.doshisha.ac.jp/information/facility/buildings/imadegawa.html を見ると、≪ 当初は「クラーク神学館」として、神学教育と研究に利用されていましたが、現在の神学館の完成に伴い「クラーク記念館」と改名されました。R.ゼールの設計によるレンガ造で、・・≫と出ており、2階にクラークチャペルがあるように、神学の建物であったらしい。
  次回https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_4.html は、寒梅軒・有終館 ほか・・・
  (2019.3.3.)

☆ 同志社 今出川校地 見学
1.共学同志社見学。JRと京都地下鉄の駅名のつけ方 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_1.html
2.西門、彰栄館。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_2.html
3.グリーン設計の礼拝堂。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201902/article_3.html
4.「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_1.html
5.明徳館https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_2.html
6.クラーク記念館 〔今回〕
7.寒梅軒、牛の像と大日如来石碑。有終館、致遠館 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_4.html
8.啓明館。ヴォーリズ設計は新島遺品庫 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_5.html
9.アーモスト館 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_6.html
10.同志社女子大栄光館 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_7.html
11.大丸ヴィラ・聖アグネス教会 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201903/article_9.html 

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