ええもんばっかり買ってやったと言う父親(2)脂の塊なんか食うな!-正月にとりあげられた話[中]

[第431回] 正月と1月の想い出【3/5】
2. クリスマスにもらったゲームを正月にとりあげられた想い出。[中]
  我が家は、「よそとちごうて」私に「小さい頃から」欲しいというものは「何でも何でも、どんなもんでも、ええもんばっかし、一番高いもんばっかし、こうてきてやあってやってやあってやってきたから」と父は言いまくったが実際は逆だった。
(21)  鍋に脂を敷くための脂肪の塊
   父はけっこう偏食のある人間だった。私が大学生であった時、夏休みに、母が足をねじって捻挫して食事の用意をすることができなかったがった時、私が食事の用意をしたが、「レタスとキャベツとどっちがいい?」と訊くと、「キャベツ」と答え、「リンゴとミカンとどっちがいい?」と尋ねると「リンゴ」と答えるおっさんだった。なるほどなあと思った。レタスは自分で葉をむしらないといけないがキャベツはあらかじめ切ってある、蜜柑は自分でむかないといけないが、林檎はあらかじめ切ってあるから、だから、レタスよりキャベツ、蜜柑よりも林檎がいいというわけだ。なるほど。しかし、「切ってある」「むいてある」というのは、誰かが「切っている」「むいている」から「切ってある」のであり「むいてある」わけだ。私なら、キャベツは切らなきゃいけないがレタスなら切らなくてもいいから、レタスの方が面倒くさくない、林檎はむかないといけないが蜜柑はむかなくてもいいから蜜柑の方が面倒くさくないと考えるところを、父は逆なのだ。なるほど、そういうおっさんなのだ。
   で、「むいてくれ」と言うのである。「甘ったれておってはならぬぞ、甘ったれておっては」と。そして、キャベツを私が切り、林檎を私が向いてさしあげると、「わしがあんたのためにやってやってやったったことは、いっぱいあるけれども、あんたがわしのためにやったことというのは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとしてやぞ、何ひとつとして、何ひと~つ! 何ひと~つ!」と言うのであったが、あんた、今、俺が切ったキャベツを食ったじゃないか! あんた、俺がむいた林檎を今、食ったじゃないか! と思ったのだが、それでも、「何ひと~つ! 何ひと~つ! わしはあんたに何かやってもらったことは、何ひとつとしてないんやぞ、何ひとつとして、このチャンコロ! わかっとんのんか、チャンコロ!」と言うのであったが、「そんなこと言うなら食うなよ、この『ドイツ人』」と思ったものだった。 レタスでも、全体が黄緑色のレタスは父は食べるのだが、先端が紫色の「サニーレタス」だと、父は「これ、気持ち悪いから要らん。あんたが食べなさい」と言うのだった。「これ、気持ち悪いから食べんとき」と子供に言う親はあっても、「これ、気持ち悪いから要らん。あんたが食べなさい」という親って、そんな親なんてあるか? ・・・というと、我が家にあったのだ。そういうおっさんだったので、私は父が食べないサニーレタスでも何でも食べる人間になった。
   慶應大学のあるサークルの合宿に行った時、「幼稚舎から慶應」という、いわば、「サラブレッド的慶應」「本物の慶應」の人がいて、食事の時、彼は「種無しブドウなんて、そんなもん、よく食うなあ」などと言うのであった。そして、普通に種無しブドウ(デラウエア)を食べる私などを、「ゲテモノ食い」か何かのような奇異なものを見る眼で見るのだった。彼は「ひとに皮を剥いてもらってお皿に持ってもらってスプーンですくってなら食うけれども、自分でひとつひとつちぎって口に入れて食うなんて、そんな面倒くさい、そんなおかしなことできるかあ!」と言うのだ。「蜜柑もそうだ。蜜柑も、ひとに皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食うけれども、自分で皮をむいて食べるなんて、そんな面倒くさい、そんなおかしなことできるかあ!」と胸張って言うのであった。そして、私などに「おまえ、よく、そんなもの、食うなあ。おまえ、よくそんなおかしなことできるなあ」と言うのであった。なんか、こいつと一緒にメシ食うと、メシがまずくなる。そういう人のことを慶應義塾では「本物の慶大生」「スマートな慶應ボーイ」とか「独立自尊の精神を身に着けている」「福沢精神を身に着けている」とか「自我が確立されている」「アイデンティティーを身に着けている」とか「社会を知っている」とか「そういう人間が会社で役に立つ」とか、あるいは「ギャルにもてもて」とか言うらしいのだ・・・・が、「ギャルにもてもて」か何か知らんが、種無しブドウ(デラウエア)を「ひとに皮をむいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって」でないと食べられない男って、かわいそうな男だなあ~あと思った。「シャインズ」という男2人が「わたしの彼はサラリーマン」という歌を歌っていた。
「 わたしの彼は 金持ちぼんぼん、
  財布は厚いが常識うすい♪
  グルメを気どっているけど、
  セロリと人参 食べられない!
  ・・・でも、結婚するにはいいかもしれない♪ 」
というのが最後に登場するが、まさにそんな感じ。
〔⇒《YouTube-シャインズ 「私の彼はサラリーマン」 》https://www.youtube.com/watch?v=RykB69Hzn6I 〕
「でも、結婚するにはいいかもしれない」だろうし、私なんかと結婚するよりも、「女にとってはずっと幸せ」なのだろうと思うが、しかし、一緒にメシ食うとメシがまずくなるのは間違いない。 父は、種無しブドウ(デラウエア)は自分で皮を剥いて食べていたし、蜜柑も自分で皮を剥いて食べていたので、その点、父は「わしはほんまは慶應やねんぞお」と言っていたけれども、あくまでも「ほんまは慶應」の「民族」であって、実際には慶應に行っていないだけあって、「幼稚舎から慶應」の人のように、「種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮を剥いてもらってそれをお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」という、「本物の慶應」の人からすれば「独立自尊」で「福沢精神」で「自我が確立されている」「アイデンティティーを身に着けている」「社会を知っている」「人間を知っている」「思考が柔軟」「スマート」で「そういう人間が会社で役に立つ」「企業はそういう人間を喜ぶ」で「ギャルにもてもて」と評価される食べ方、「慶應幼稚舎流種無しブドウの食べ方」なんてことはしなかったが、母にきくと、「違うよ。あの人、結婚した頃は、そんなものだったんよ。私が苦労して自分で皮をむいて食べるようにさせたんよ」ということだった。しかし、「種無しブドウ(デラウエア)をひとに皮を剥いてもらってそれをお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」なんてそういう人を見ると、私なんかが姉のお古の女物の服を着て小学校に通っていた時に、「これがアルマーニか。ツンツン」とでも言ってやりたくなるようなアルマーニの制服とか着て小学校に通っていたような人というのは、さすがに私らとは「民族が違う」のであり「階級が違う」ようだ。 「でも、結婚するにはいいかもしれない」が、一緒にメシを食うと間違いなくメシがまずくなるだろう。
   「大学生協」というのは大学生から「出資金」を受けとって運営しているものかと思っていたのだが、実際問題として、日吉の大学生協は慶應義塾高校の男子高校生が生協も使っていたようで、三田の大学生協は近くの慶應女子高校の女子生徒が使っていた。慶應女子校の生徒とわかるのは、それは制服を着ていたからだ。大学生の場合、応援団の人間とか空手使いの右翼とかが大学生なのに学生服を着たりすることはあるようだが、女性が高校の制服は着ないと思うし、慶應女子校の制服は色が多くの高校の女子の制服とは違ったので、あれは慶應女子校の生徒だったはずである。三田の生協に慶應女子校の生徒が何人か来ていて、買い物をしようとした時に、財布から硬貨が転がり落ちて、それが陳列してある棚の下に転がり込んだところ、その女子生徒が何と言ったかというと、「見捨てよう」・・・とそう言ったのだ。こいつら慶應女子校女は、硬貨が棚の下に転がってとりにくい状態になると、「見捨てよう」などと言うのかと思い、やっぱり、わたしら「日陰の月見草」とは「長嶋みたいなヤツ」は違うもんだなと思ったものだった。そうこうするうちに、何の因果か、私もまた、財布から出そうとした効果が陳列棚の下の奥の方に転がっていくなんてことがあった。そうなると、やっぱり、「日陰の月見草」は「長嶋みたいなヤツ」とは違うわけだ。慶應女子校の生徒なんてのは、いわば、「ドイツ人」みたいなものだろう。私は何しろ、「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族」ですから、ロシア民謡の「ドビヌーシカ」を「仕事の歌」と訳した日本語訳の歌詞で「イギリス人は、利口だから、水や火などを使う♪  ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌」という歌詞があるのだが、そんなものだ。「ロシア人」は慶應女子校女と一緒になってたまるもんか! やっぱり、プロレタリアートとして「慶應女子校型の行動」をするわけにはいかないと思い、そして、生協の床に寝転がって棚のしたに手を伸ばしても届かない・・・となると、そのへんにあった箒をつかみ、寝転がった上で箒を棚の下に伸ばして硬貨を手元に引き戻して復帰させたのであった。なにしろ、「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族」ですから、「ドイツ人でアメリカ人で慶應の民族」とは「人種が違う」「民族が違う」「階級が違う」のであり、「(おのれが落としたカネを)見捨てよう」などと平気で口にする「慶應女子校女」なんかと一緒になってたまるもんか! と思いました。
〔⇒《YouTube-仕事のうた 》https://www.youtube.com/watch?v=6GRUhyhiKjY 〕
   慶應女子校の生徒には私はある点で恩がある。どういう点かというと、最近では女子高生でほんとに短いスカートをはいている者をけっこう見かけるが、私らが高校生の頃とか大学生の頃なんてそんなのはいなかった。「スカートの丈は膝下まで」というのが基本で、それこそ、「パ~ンツが見えそうな短いスカート」なんてはいてるようなのは地面にすりそうな丈の長いスカートはいてる女子高生とともに、「不良」だと見ていた。ところが、慶應女子校だけが、「膝下まで」ではなく「膝上」が制服でかわりにハイソックスで、それは勝手にそんなものをはいているのではなく、それが「制服」だったのだ。 で、なんとも「かわいくなかった」のだ。いったい、どうすれば、あんなに、かわいくない、憎たらしい娘ができるのかと不思議に思った。 ほんとにかわいくない。まったくつくづくかわいくない。 普通、高校生くらいの女の子って、もうちょっとかわいらしいものじゃないかと思うんだけれども、慶應女子校の生徒というのは、まったくつくづくほんとにかわいくない、つくづく憎たらしい。あいつら見ると、まったく、ケッチャンパッチャンクワッチャンにしてやりたいような気持になる・・・が、実際にケッチャンパッチャンクワッチャンにするわけにもいかないとしても、ほんとにほんとにかわいくないのだ! だから、あいつらを見て認識した。「男性が女性に魅力を感じるかどうかは、スカート丈の長さは関係ない!」という事実を。短いスカートはいても、かわいくないものはかわいくないのだ。憎たらしいものは憎たらしいのだ。ほんとにほんとに、まったくつくづくかわいくない。つくづく憎たらしい。ほんとに、いったい、どうすれば、あんなにかわいくない娘ができるのかと思ったものだった。
   私が幼稚園児だった時だったと思う。家ですき焼きをやったことがあった。肉屋ですき焼き用の肉を買うと、鍋に脂をしくための脂身の塊をひと切れつけてくれることがある。 肉にそれがついていた。父は幼稚園児だった私にその脂肪の塊を「おまえ、これ、好きやろ。食え」と言ったのだ。私は「ええ? それって食べるものなのお?」と驚いて尋ねた。 それが鍋に脂をしくためのものだとは知らなかった。 そうではなく、その脂の塊は牛だか豚だかの体の病的な部分が混入したものかと思ったのだ。だから、そういう不良品の部分は食べないようにするべきではないかと思った。ところが、父は「何を言うとるねん。こういうところがおいしいんやないか。食え」と言うのです。しかし、どう見てもおいしそうには見えないし、そんな病的な部分を食べて体を悪くするくらいなら食べない方がいいと思ったのですが、父が「これがおいしいんや、これが」と言うのです。「おいしいのなら、お父さん、食べられたらどうですか」と言ったところ、父は「何を言うとるねん。こういうのは若いもんが好きなんや。おまえ、好きやろ、これ。わしはこんなもん、食わんと赤身を食うんじゃ、わしは。こういうのはあんたみたいな人間の好物なんや。食わんか。食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食べ物の好き嫌いをしては。食え。食わんか。食え!」と何度も言うのでした。その脂の塊を私に渡して、
 「わしは赤身を食うんじゃ。おまえは、これを食え。食え。食え」
と何度も言うので、しかたなしに口に入れて噛んだのですが、なんとも気持ち悪くて、吐き出しそうになっても、父が「食え。食え」と言うので無理矢理にでも喉の奥に送り込もうとしたのですが、それでも気持ち悪くて無理にでも喉の奥に送り込むことはできませんでした。気持ち悪くて、ある程度、脂肪分が解けて胃の中に入れたものの、気持ち悪くて、吐き出したところ、父が「なんで、出すんじゃ、おまえは。食わんか。食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食わんか」と言うので、再度、無理に口の中に入れてなんとかかみ砕こうとしたのですが、気持ち悪くて、なんでこんなものが「おいしい」のか、なんでこんなものが「若いもんの好物」なのかわかりませんでした。どんなに無理をしても飲みこめずに何度も吐き出しては口に入れ、吐き出しては口に入れしていたところ、「オットに逆らえない女」でいつでも父に言いなりの母が、この時は、「そんなん、食べんでもいい」と言ってくれて、それで、半分少々くらいは胃の中に入れたけれども残りは食べずに残すことができましたが、それはあくまでも、鍋に脂を敷くためのもので、食べるものではないということを、30を過ぎて、『C級サラリーマン講座』で脂っぽい課長だか部長だかがそれを食べて、周囲から「おまえ、それは食べるものとは違うぞ」と言われる場面を見て知りました。 私は「食べるものとは違う」ものを実の父親から「食べ物の好き嫌いをしてはいかんだろうが。食わんか。食え、食え、食え!」と言われて無理矢理食べさせられたのでした。そんなことする父親なんてあるだろうか・・・とか思いますが、あったのです、我が家に。「高脂血症」とか「高コレステロール血症」とかいった「生活習慣病」は、その「生活習慣病」になってからの食生活に原因があるのではなく、なる前の食生活に原因があるものです。子供の頃は「生活習慣病」とか内臓の疾患になっていないから大丈夫などと考えるべきではなく、子供の頃からの食生活が将来の健康に影響します。 だから、そんなものは食べるべきではなく、親ならば、「これは鍋に脂を敷くためのものであって、食べるものとは違うんだ」と教えるべきでしょう。父はそれを知らなかったのかというとそうではないと思います。おもしろがって、子供に「食わんか」とやったのだと思います。私が親なら自分の子にでもよその子にでもそんなことはしません。 いったいどういうおっさんなんだ、あのおっさんは・・・とか思いますが、要するにそういうおっさんだったのです。
   父は私が20歳くらいになった時、「あんたには、よその子とはちごうて、欲しいと言うもんはどんなもんでもこうてきてやってやってやってやったったし、どんなもんでもええもんばっかり与えてきてやってやってやってやったったから」と言い、私がびっくりして「絶対にそんなことない!」と言ったのに対して、「は~あ。こいつ、こんなこと言いよるわ。難儀なやっちゃな、こいつは。これは病気が言わせてるんやわ、絶対に。病気やからこんなこと言いよるんやわ、絶対に。難儀やな。これは薬のませて治療するしかないわ。それも相当大量に薬を飲まさんといかんわ。ちっとやそっとの量ではあかん。相当いっぱい薬を飲ませてやらんといかんわ。難儀なやっちゃな」と発言した。「脂の塊」は、あくまでも、鍋に脂をしくためのものであって「食べるもの」とは違うということを、父は知っていて私に「食わんか。食え、食え、食え!」とやったのか、本気で子供はそういうものが好きだと思い込んでいたのかというと、実際には、まず、それは鍋に脂を敷くためのものであって食べるものではないと知った上で言っていた可能性が大きいのと同じく、決して、私にいつでも欲しいと言うものはどんなものでも買ってきたとか、いつでも一番いいものばっかり買ってきたなどというヨタ話を本気で思っていたのか、それとも、明らかに事実と違うと認識しながら言っていたのかというと、↑で述べたように、そもそも、眼鏡のレンズを購入する時でも「やふいのん、やふいのん、やふ~いのん」と父が自分で何度も口にしたのであり、白熱灯の電気スタンドを買いに行った時もまた「やふいのん、やふいのん、やっふ~いのん」と父が自分で何度も何度も言ったのであるから、知らずに発言したということはありえないことであり、もしも、自分で何度も何度も「やふいのん、やふいのん、やっふ~いのん」と言いまくってきておいてそれを自覚していなかったのであるならば、父こそ、間違いなく絶対にビョーキであった、ということであろう。ビョーキだからそういうことを言ったということであろう。そうとしか考えられない。

  次回、クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた経験[下]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_10.html

 (2019.1.1.)

☆ 正月と一月の想い出
【1】お年玉を貯金の名目で取上げられた経験。心理学にかかればどうしたって外罰的性格https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_7.html
【2】ええもんばっかり買ってやったと言う父親-クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた話[上]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_8.html
【3】ええもんばっかり買ってやったと言う父親(2)脂の塊なんか食うな!-正月にとりあげられた話[中] 〔今回〕
【4】クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた経験[下]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_10.html
【5】「年玉よこせ」と言って追いかけてくる40代ストーカー、落し物は届けるなhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_11.html
☆ クリスマスと年末の想い出-チキンライス・お湯なしヌードル。粗末にしていい客と指定されてまで買うなhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201812/article_1.html 


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