ええもんばっかり買ってやったと言う父親-クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた話[上]

[第430回] 正月の想い出【2/5】
2.  クリスマスに幼稚園で「もらった」ものを正月にイトコに取り上げられた経験。イトコがクリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげて持ち帰った者は「かわいそう」なのか?
   最近では幼稚園は3年行く子供が多いようだが、私が幼稚園児だった頃は2年が普通だった。「年少組」「年長組」で、その「年長組」の時だったように思うのだが、12月のクリスマスの時に、「数字合わせゲーム」というのを、「幼稚園からクリスマスプレゼントとして」もらった。幼稚園の先生はそう言ったのだ。「幼稚園から皆さんにクリスマスプレゼントがあります」とそう先生は言って渡したのだった。
   「数字合わせゲーム」というのは、正方形のプラスチックの箱に、縦4つ、横4つの小さい正方形が並んでいて、4×4=16 なのだが、それぞれに1~15までの数字が書いてあって、1つだけ数字がない正方形がある。数字のない正方形を取り除くと、16のマスに対して、15の数字のある小さい正方形と1マスの空きがあることになり、この空きを利用して、縦に1~15まで並んでいたものを横に1~15が並ぶように置き換えたり、逆をやったりする遊びで、遊びながらも、どうすれば、1マスを利用しながらコマをおきかえるか考える思考を養うというものである。 それほど高い値段のものではないが、幼稚園児から小学校低学年の子供にとってはけっこうおもしろく、又、これを通じて思考力も高まる可能性が考えられるものだった。
   我が家は、どう考えても、幼稚園・小学校の同級生や近所の子供と比較して、子供が欲しいというものをなかなか買ってもらえない方の家庭だった。但し、何でも買うのがいいとは限らない。親がそれは買わない方がいいと判断して買わない方がいいものもあるし、「よそはよそ」であり、よそが買って与えたものだから自分のところも買わないといけないということはない。しかし、そうやって、よそが買ってやっても自分のところは買わなかったものが多いにもかかわらず、「あんたには、よそとちごうて、欲しいと言うものはどんなもんでも何でも何でもこうてきてやってやってやってあげてやってやったったから」とか息子が20歳くらいになって言い出す父親というのは、このおっさん、いったい、どういう人間性してるんだろ・・・と思ったが、結論として、そういう人間性をしていたということなのだろう。おそらく。
(13)  紙芝居
   幼稚園の時だったと思うが、幼稚園で紙芝居というものが紹介され、「授業」でも先生がやってみせたことがあった。 私より少し前くらいの世代は、「紙芝居屋」というものがまわってきたらしいが、私の世代においては、そういう人を見ることはなかったが、幼稚園で見る紙芝居は面白かった。 百貨店のおもちゃ売り場に行くと、「紙芝居」のセットがいくつか売っていた。 おもちゃ売り場に行った時に欲しいと言ったことがあったが、母は買ってくれなかった。しかし、幼稚園の同級生の家に遊びに行くと、私が買ってもらえなかった紙芝居セットを買ってもらって持っていた者が何人かいた。 「よそはよそ、うちはうち」であるから、よそが買ったからうちも買わないといけないということはない。 我が家には我が家の考え方があるのだろうと思ったが、しかし、私が20歳くらいになった時、父は「あんたには、小さい頃から、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でもええもんばっかし、こうてやあってやあってやあってやってやってやってやったったから」と言うので、「絶対に違う」と言ったところ、父が「はあ。こんなこと言いよりますわ。かなんなあ、こいつは。こいつ、これは病気やわ。病気やから、何でも何でも何でも何でもこうてきてやあってやあってやあってやあってやってやってやったったのにからに、こんなこと言いよるんですわ。これは薬を相当大量に飲ませて治療したらんとあきませんわ。わしのような人格者にこんなカスが産まれたというのは、これは生物学上の突然変異学説で産まれたに違いありまへんわ。この突然変異で産まれたカスは困ったもんやな。このチャンコロは。このチャンコロめ、産まれなければ良かったのに産まれおってからに、このロスケめが、この浪商め!」と何度も何度も言われたが、たとえ、首をもがれても、「紙芝居セット」を買ってもらったのは、幼稚園の同級生のKくんとか某くんとかであって買ってもらえなかったのが私である。決して、たとえ首をもがれても逆ではない。大丸のおもちゃ売り場に行った時も、私と同じような子供で親から買ってもらっていた子供がいたが、私は買ってもらえなかった。「よそはよそ、うちはうち」であり、よその子供が買ってもらえても自分が買ってもらえないものがあったとしても、それはしかたがないと思っていたが、そうやって、よその子供は買ってもらえていた物を自分は買ってもらえないことが多かったにもかかわらず、20歳くらいになって、「あんたには、よそとはちごうて、小さい頃から欲しいという物はどんなものでも、何でも何でも何でも何でもこうてきてやあってやあってやあってやってやってやってやったったから」とか叫びまくられるというのは、それはうれしくないし、そういう人間性の男に「わしは人格者で謙虚やねん」と言い張られても、「ああ、そうですか」とでも言うしかない。
(14)  鯉のぼり
   幼稚園では「5月5日には、家では鯉のぼりをあげるものです」と教えられたのだ。「3月3日には、女の子のいる家ではおひな様を飾りますが、5月5日には男の子のいる家では鯉のぼりをあげます」と。 実際、幼稚園の同級生の家とか近所の家で、庭に高いポールが立っていて、そこに大きな鯉のぼりをあげている家が何軒もあった。 最近では、その頃に比べて敷地が狭い家が多くなり、マンションなんてものも出てきて、私が幼稚園児だった1960年代前半に比べると、鯉のぼりをあげる家は少なくなったように思うし、庭に鯉のぼりをあげるようなポールがある家というのが少ないが、その頃は、どこの家にもそういうポールがあったわけではないが、ある家がけっこうあった。 すぐ近くで、幼稚園に行く前に、一緒に遊んだりしていた女の子の家があり、そこは子供は女の子だったが、子供のためというよりも年中行事のように鯉のぼりをポールにあげていた。 私は「うちは鯉のぼりをあげないの」と言ったのだが、そうすると、母は押入れの奥から小さい「鯉」を出してきて、「これ、持って揚げ」と言うのだった。よその家にあがっている鯉のぼりに比べると小さい鯉のぼりだった。それを揚げようと思っても、我が家には鯉のぼりをあげているような家のようなポールがない。 我が家でどこに鯉のぼりをつければいいか幼稚園児の私はずいぶんと考えた。思いついたのは風呂の煙突とトイレの煙突で、風呂の煙突は屋根の上でそこまで登るのは難しそうで、トイレの煙突はその時に住んでいた家のトイレはため式で、住居部分から突き出た配置になっていたので、庭からハシゴをかければ鯉のぼりを括りつけるということはできそうだった。そこに括り付けられないかと思案したのだが、母は「そんな所につけんでもええ」と言い、そして、「それ、持って走り」と言うのだった。凧と一緒で、持って走れば鯉のぼりは風で横に揚がるという考えだったようだが、しかし、凧は自宅で揚げるものではなく広い公園とかで揚げるものだから少し走って風にのると揚がるだろうけれども、鯉のぼりは自宅で揚げるものであり、我が家は一応戸建の家だったが、それほど無茶苦茶広い家でもなく、庭もそれほど広くはないので、持って走ろうと思っても、鯉のぼりが「揚がる」ほど走れる広さはなかった。「こんなん、持って走れない」と言うと、母は「そこで、ぐうるぐるぐうるぐる回り」と言うのだった。それで、「鯉」を持って「ぐうるぐるぐうるぐる」まわったが、その場で「ぐうるぐるぐうるぐる」回ったところで、「鯉」は横に揚がらないし、そんなことやっても、ちっともおもしろくもなんともなかった。 幼稚園の友達の家に遊びに行くと、「〇〇くんの家では鯉のぼりはあげた?」とかお母さんからきかれたが、「ううん。あげてない」と言うと、「なんで?」と訊かれたのだが、「なんで?」と訊かれたので家に帰ってから、「なんで、うちは鯉のぼりをあげないの?」と母に言うと、母は「だから、あんた、これ、持ってぐうるぐるぐうるぐるまわりて言うたやろ」と言うので、またもや、「ぐうるぐるぐうるぐる」その場でまわったが、ちっとも面白くなかった。 実際には、鯉のぼりを揚げる家があってもいいが、揚げないといけないものでもなく、揚げないなら揚げないでいいと思うのだが、よその家で鯉のぼりを揚げている家があって、友達の家に遊びに行った時に、「なんで、〇〇くんの家では鯉のぼりをあげないの」とお母さんから言われて、「なんで」なのか答えようがなくて困った経験を子供がしていたのに、その子供が20歳くらいになった時、「こいつには、よそとはちごうて、欲しいというものはどんなもんでも何でも何でも何でも何でもこうてきてやあってやあってやあってやってやってやってやったったんや」とか言われると、やっぱり、うれしくないし、そういうおっさんに「わしは人格者やねん」とか言われても、「ああ、そうでっか」とでも言うしかない。「人格者」てのは、なんともちっぽけな野郎だなあ! と思う。
  それから、我が家は3人兄弟で私は一番下だったが、上2人は女だった。それにもかかわらず、なぜか、我が家には押入れの奥に、小さい鯉のぼりがあったのだった。今、思うと、姉は女なのに、なぜ、鯉のぼりがあったのだろうかと思う。姉は「あんたは私らとちごうて、何でもあってええなあ」と何度も私に言ったのだが、姉は女なのに鯉のぼりを買ってもらっていたのだった。上に兄弟姉妹がある下の子供というのは、上の子供の時に買った物があるから、だから、それを使わされることがけっこうあり、その点で「何でも」はないとしても、上の子供に買った物がある程度あることで、自分用に新しく買ってもらうのではなく上の子供に買ったものを「これ、使いなさい」と渡されることが多く、その点で、下の子供が得ということはないはずであるが、それにしても、姉は女なのに何で鯉のぼりを買ってもらっていたのだろうか?  今から考えると、鯉のぼりなんて、自分用に新しく買ってもらってもしかたがないし、必須の物でもないと思うが、それにしても、よそで買ってもらって揚げていた家があったものを、我が家ではなかったにもかかわらず、「あんたには小さい頃から欲しいというものはどんなもんでもどんなもんでも、買ってやあってやあってやあってってやったった」とか言われたのでは、やっぱり、うれしくないし、このおっさん、いったいどんな性格してんねん? と思ったが、そういう性格していたということだろう。 今から考えるならば、その時、住んでいた家には、1階の屋根の上に物干し台があった。もしも、鯉のぼりをあの家で揚げようということなら、物干し台の前側の橋に洗濯用の棹でも縦に建てて括り付け、そこに鯉のぼりをたらせば横に鯉が揚がったのではないかとも思うが、そういう工夫をする意思のない父親だった。、
(15)  金属製の刀とプラスチック製の刀
   私が幼稚園児だった頃だと思う。1960年代中頃、テレビで『三匹の侍』というドラマをやっていた。これがものすごく面白いようにその頃は思ったのだが、最近、その『三匹の侍』の話をコミックにしたものがコンビニで売られていて、なつかしさを覚えて購入して読んでみたが、漫画で読むと面白くもなんともない。くっだらねえ話。それが、テレビドラマになって、子供が見るとけっこう面白かったのだ。
   その影響なのかどうかわからないが、百貨店のおもちゃ売り場では、「子供用のおもちゃの刀」が売られていた。我が家では、プラスチック製の刀を買ってもらったが、幼稚園や小学校の同級生では、プラスチック製の刀ではなく、それよりも本物っぽくて高い金属製の「刀」を買ってもらって持っていた者が何人もいた。プラスチック製の「刀」は当然、切れないが、「金属製の刀」も刃はないので「切る」ことはできないだろうけれども、そうであっても、金属製のものは、本気で人に「切りつける」行為をしたならば、ある程度以上の怪我をする可能性が十分に考えられた。 もし、今、私の子供がそういう「金属製の『刀』」を欲しがったなら、買わないと思う。それは幼稚園児や小学校の低学年の子供には買うべきではない。 まず、「刀」というものは、「切る」攻撃道具なのか「殴る」攻撃道具なのかという問題がある。これは、北野高校の1年の時に体育で剣道をやった時、体育の先生が説明してくれたのだが、刀には「切る」ことを前提に考えた刀と、「殴る」ことで相手を倒すことを前提にした刀の2種類があるというのだ。 宮本武蔵は佐々木小次郎との戦いにおいて、「物干しざお」だか言われた長い刀を使う佐々木小次郎を倒すために、木製の舟のカイを削って作った長い木の棒を使用して小次郎を倒したと言われるが、宮本武蔵はその時だけでなく、けっこう、真剣を使用する相手に対して勝負で木刀を使用することがあったという。 木と金属ならば木の方が軽い。必ずしも「切る」という行為をしなくても、ある程度硬いもので頭を殴られれば人間は死に至るし、頭でなくても相当の重傷を負うことになる。金属で長いものとなると重さもあり、そういうものを使おうとすると動きが鈍くなるが、その点、木は金属よりも軽いので、長いものを使用することができ、木刀でも十分に勝負できるようだ。宮本武蔵が「物干しざお」と言われる長い刀を使った佐々木小次郎を倒すのに、それよりまだ長い木刀を使用して、武蔵の木刀の方が先に小次郎に当たるようにした作戦はそのあたりを考えたものだったようだ。 そして、金属の刀にしても、「切る」ことを前提にしたものと「切る」のではなく「殴る」ことで相手を倒すことを前提とした刀があったらしいのだ。 だから、「金属製のおもちゃの刀」というのは、「おもちゃ」であって「刃」がついていないとしても、それで人に「切りかかる」ようなことをすれば相当危険なのだ。そういうことを考えると、たとえ、それを買うおカネがあっても、幼稚園児や小学校低学年の子供にはそういうものは買わない方がいいと私は思う。又、もしも、プラスチック製の刀よりも本格的なものを欲しがるのであれば、「金属製のおもちゃの刀」を買い与えるよりも、むしろ、子供用の竹刀を買って剣道でもさせた方がいいと思う。幼稚園や小学校の同級生で、「プラスチック製の刀」は買ってもらえていたが「金属製の刀」は買ってもらえなかった家庭と「金属製の刀」を買ってもらっていた家庭では、「金属製の刀」は買わない家庭の方が―金持ちか貧乏かとは別で―教養水準が高い家庭が多かったように思う。我が家もそうなのだろうと私は子供の頃はそう思っていた。しかし、私が20歳くらいになった時、父が「こいつには、小さい頃から、よそが買わんもんでも、どんなもんでもどんなもんでも、何でも何でも何でも何でも、こうてきてやあってやあってやったったから」などと言い出し、「そんなことないですよ」と私が何度言っても、「はあ。こいつ、こんなこと言いよりますわ。こいつ、絶対に病気やわ。これは病気がこういうことを言わせますねんわ」などと言い出したので、あれは違った。我が家の場合は、「金属製のおもちゃの刀」を買わなかったのは、それは危険で子供に買うべきものではないという判断で買わなかったのではなく、「プラスチック製の刀」に比べて「金属製のおもちゃの刀」は高かったから、だから、買わなかっただけだったとよくわかった。大人になって考えると、子供に「金属製の刀」なんか買わない方がいいと思うが、子供の頃は、よその子供で買ってもらっていた子供が何人もいて、それが欲しかった・・・・が、買ってもらえなくて我慢したのだが、それを「こいつには、小さい頃から、よそとはちごうて、どんなもんでも何でも何でも何でも何でも、こうてきてやあってやあってやあってやったったから」などと言う男というのは、「金属製の刀」で殴って死んでもうても困るが「プラスチック製の刀」でなら一回くらい殴られた方が少しは頭がよくなるのではないか・・・とか思うことがないでもない。
(16)  針金細工とゴムバンドの「銃」
   近くに神社があって、そこの境内で、針金を曲げて輪ゴムをタマとして打つ「銃」を作るおじさんが来たことがあった。 何種類かあって、比較的簡単なものもあれば相当複雑なものもあった。 その場で、単なる針金を曲げて作っていくのだが、見ているだけでも、「すごい!」て感じがした。 よその子はそういうものは普通に買ってもらっていたが、我が家は買ってもらえないのが普通だった。 神社で見て、いいなあと思ったが、我が家は無理だと思ったけれども、家に帰って、どうせ、うちは買ってもらえないと思いながらも、こういうものをやっていたと、買ってほしいということよりも、単なる針金を曲げて「銃」を作るという細工がすごいと思って感激したことを母に話したことがあった。 すると、予想外に、買っていいと言ってもらい、そして、一番安い一番簡単な細工のものを買った。 何人も並んでいて、私以外の子供は、誰もがけっこう難しい細工の高いものを頼んでいたが、私ひとりだけが一番安くて一番簡単なもの(といっても、誰でもできるようなものではなく、今でも、その細工はたいしたものだと思うけれども)を頼んだ。私の順番になって私が一番簡単で一番安いものを頼むのを後ろに並んでいた者が聞いて、「やったあ♪」「ラッキー♪」と歓声をあげた。一番簡単で一番安い物は作るのにも一番時間はかからないから、だから、後ろで待っている者は待ち時間が少なくてすむ。 中には、自分だけが一番安いものを買うのを嫌がる子供もいるかもしれないが、私は、たとえ、一番安くて一番簡単なものでも、それでも、買ってもらえるということがものすごくうれしかった・・・・が、しかし、「よそ」との比較であれば、少なくともその場で並んでいた子供は、誰もが私よりも複雑な細工で高いものを買っていたのであり、決して、私は「よそとはちごうて、いつでも何でも一番高いもんをこうてきてやあってやあってやあってやってやってやってやったったから」などという父の暴言・妄言のようなことはなかったのだ。その時は、母がどう考えたのかわからないが一番安い物とはいえ買っていいと言ってお金をくれたけれども、しかし、買わせてもらえないことの方が我が家は多かったのだ。父親ならそういうことを知らないというのはおかしいはずであるが、しかし、私の父は私が20歳くらいの頃、「あんたには、よそとはちごうて、小さい頃から、どんなもんでも、欲しいというものは何でも何でも何でも何でもこうてきてやあってやあってやあってやってやってやってやったったし、どおんなもんでも、ええもんばっかり何でも何でも一番高いもんばっかりこうてきてやあってやあってやあってやったったから」などと言い出したのであり、それは、たとえ、冗談であっても許しがたい暴言であった。子供の頃、親と一緒に歩いていると、よその子供で、「あれ、欲しい~」と言って、買ってもらえないと、地面に寝転がって「ギャア~ア!」と大声をあげて暴れまわるという子供を時々見かけたが、私はそういうことはしなかった。その点、実にききわけのいい子供であったし、自分が欲しいものを買ってもらえないなら、地面に寝転がって「ギャア~ア!」と叫ぶ子供を子供の頃の私は軽蔑していた。しかし、そうやって、よその子供が買ってもらえるものを自分は買ってもらえないことが多くても、それでも、地面に寝転がって「ギャア~ア!」などと叫ぶなどということはするものではないと認識し、そうしてきたことを当然認めてもらえると思いこんでいたら、20歳ころになって、「あんたには、よそとはちごうて、小さいころから、欲しいというもんはどんなもんでも、こうてきてやあってやあってやあってきたし、どんなもんでもええもんばっかりこうてきてやあってやあってやあってきてやったったから」と言い出し、何を言いだすかと驚いて、私が「絶対にそんなことない!」と言うと、「難儀やな、こいつ。こんなこと言いよるわ。困ったな、こいつは。わしのようなえらいえらいお父さんのおかげで、小さいころから、どんなもんでも、何でも何でもこうてきてやあってやあってやってやってやってやってきて、甘やかして育てたおかげで、こういうことを言うカス人間に育ったんや。こいつは、これは絶対に病気ですわ。これは病気が言わせてるんですわ、これは。薬のまさんとあきまへんわ、薬、くすり、クスリ、クスリ! それも相当大量に飲ませんとあかんわ。こいつ、薬を大量に飲ませて、こういうことは言わんようにしてやらんといかん。小さいころから、どんなもんでも、何でも何でもどんなもんでもどんなもんでも、一番高いもんばっかりこうてきてやあってやあってやあってやったったというのが、このカスはわからん言いよりまんねん。これは病気が言わせることや、これは。薬のませて、こういうことは絶対に言わんようにさせんといかん。困ったやつやな。わしのような英雄で謙虚な人間にこんなことを言うカス人間ができるというのは、これは神さまはわしに試練を与えられておるということなんかもしれんけども、こういうことを言いよるというのは、これは神さまはこいつを絶対にお許しにはならんぞ、こいつは」と何度も何度も言うのであった。そんなことを言われるのなら、地面に寝転がって「ギャア~ア!」と大声で叫びまくる子供みたいなことでもやればよかった、ということなのかもしれない。やっぱり、「やる時はやります」と言うように、それをやらなかったというのが私はよくなかったのかもしれない。それを、そんなことをする子供というのは人間として情けないとかアホなことを思ってやらずに我慢してきたために、そのために、「こいつめ、小さいころからどんなもんでも、何でも何でも一番高いもんばっかしこうてきてやあってやってやったといのがわからんいうのは、これは病気やからや。こいつは。難儀やな。わしのような英雄にこういうカスが産まれたというのは、やっぱり、これは生物学上の突然変異学説によるものなんや。間違いないわ、これは、絶対に」と言われるはめになったようだ。 だからといって、今から道とか百貨店のおもちゃ売り場の床に寝転がって「ギャア~ア!」とか叫んでもどうもならないのわけで、「時すでに遅し」であった。
(17)  レーシングカー
   小学生の時、リモコンで動かすレーシングカーがあった。男の子でよその子供は多くの子が相当複雑なもので高いものを持っていたが、我が家は買ってもらえないものと思っていた。ところが、誕生日だったかクリスマスだったかに、買ってもらえたのだ。 一番小さい一番基本的なものだけのものだったが、買ってもらえたのだ。母のイトコだったと思うのだが、親戚の家に行った時には、私より少し年上だった私から見てマタイトコが相当複雑で高い物を買ってもらっていて、部屋に敷設して動かしていたのを見て、いいなあ~あ・・・と思ったが、我が家は無理だとあきらめていたが、それを、たとえ、一番安い一番簡単なものとはいえ買ってもらえたのだ♪ ・・・が、20歳くらいになって、「あんたには、小さいころから、どんなもんでも欲しいというものは何でも何でも何でも何でもこうてきてやあってやってやあってやってきたし、どんなもんでも一番ええもんばっかりこうてきてやあってやあってやあってやってきたから」とか言われ、「そんなこと、絶対に違う!」と言うと、「はあ! こんなこと言いよりますわ、こいつ。これは、こんなこと言うというのは、これは病気ですわ、間違いなく。薬飲ませて治療したらんとあかんわ、こりぁ。ちょっとではあかん。大量に薬を飲ませてこういうことを言わんようにしたらんとあかん、こいつ!」と言われたのでは、それなら、その時に買ってもらったような一番安い一番基本的な小さいものではなく、もっと、小学校の同級生やマタイトコとかが買ってもらって持っていたような高くて複雑なものを、地面とか百貨店のおもちゃ売り場の床とかに寝転がって「ギャア~ア! ギャア~ア!」と叫びまわり、転げまわって言ってやるべきだった。やっぱり、「やる時はやります」という言葉があるように、それを子供の時に私はやらなかったために、そのために、「こいつ、薬を大量に飲ませてわからせてやらんといかん」とか父親から言われることになってしまったのだった。失敗した。プラモデル屋の前の地面とか百貨店のおもちゃ売り場の床とかに寝転がって、「ギャア~ア!」と叫んで転げまわるというパフォーマンスをやるべきだったのだ。失敗した。
(18)  食べ物屋での注文と回ってない寿司屋
   1960年代、小学校の低学年の時だった。誰だったか忘れたが、学校の同級生だったのかほかのどこかの友達だったのか忘れてしまったが、私の母とその兄弟のお母さんと一緒に「まわっていない寿司屋」に入ったことがあった。「まわっていない寿司屋」といっても、その頃は「まわっている寿司屋」というものがまだ日本になかったので、寿司屋というと「まわっていない寿司屋」だったが。 そこの店は、それまで私はそういう店を知らなかったのだが、カウンターに座って、向こう側の寿司職人に何を握ってほしいと言うと、皿の上ではなくテーブルの上に寿司を置き、それを食べるという店だった。 席に座ると、友達の兄弟は、勝手に寿司職人にネタの名前を言って注文して、寿司を握ってもらい、それを次から次へと食べだした。 私はそれを見てびっくりした。まず、そんな寿司屋なんてそれまで入ったことはなかった。 寿司を食べたことはあった。しかし、私がそれまでに入ったことがある寿司屋というのは、「メニュー」があって、それで「盛り合わせ」とかを注文して、ひとりひとりにその人用の寿司桶に入ったものが持ってこられるというものだった。 又、寿司を皿とか寿司桶とかではなくテーブルに直接置く店というのも初めて見た。
   その時の私が驚いたのは、そういう形式の寿司屋を始めて見たということもあるが、それよりも、その時の友達の兄弟が、親に承諾も得ずに勝手に寿司職人にネタの名前を言って注文したことである。そんなこと、我が家では考えられないことで、もしも、私がそんなことしたならば、えらい怒られたものである。自分で生活費を稼いでいるわけでもない子供が、養ってもらっている親に承諾も得ずに直接に店の人間に注文するなどということは、我が家ではおよそありえないことだったし、もしも、私がそんなことしようものなら、えらい怒られたものだし、そんなことしようものならえらい怒られるということがわかっていたから、だから、私は絶対にそんなことはしなかったのだ。
   ところが、これはその家によって、その親によって考え方は違うようで、その時に一緒だった友達の兄弟のお母さんは、そういう店で、親に承諾も得ずに小学生が勝手に寿司職人に注文するというのを、それを「積極的」とか「元気がある」とか「しっかりしている」とかいうように認識していたらしい。 それで、自分の息子2人が、次から次へとネタの名前を寿司職人に言って注文するのに、私が、もしも、注文するのなら「◇◇を頼んでいい?」と親に質問して承諾を得てからでないといけない、それが当然だと思って注文せずにいた私に、「〇〇くんは、なんで、注文しないの? いつでも大事に大事にしてもらってるから、よう注文せんのやねえ。なんか、注文したらどう」と軽蔑したように言ったのだ。それで、そんなこと言われても、子供は親に承諾も得ずに直接に注文するものと違うでしょうがと思って母の顔を見ると、母は「注文しなさい」と言う。普段、食べ物屋に入った場合でも、私が親の承諾を得ずに店の人間に直接注文するようなことをしたらえらい怒ったくせして、よその親からそういう口をきかれると態度を変えるのだ。それで、何か注文しようと思ったけれども、そんなこと言われても、寿司のネタの名前なんか知らないから、だから、しかたなしに、「キュウリ」と言ったのだ。すると、友達のお母さんが「〇〇くん、キュウリ、好きなん? 変わってるね。 大事に大事にされておとなしい育てられたからキュウリしか知らんのん?」と言われ、ほかのものを言わないといけないと思って、それで、「タマゴ」と言ったのだ。「あら、〇〇くんは、キュウリとタマゴが好きなん。せっかく寿司を食べに来たんやから、もっと、いいもん注文したらいいのに。〇〇くんは大事に大事に育てられたから自分でよう注文せんのやねえ。キュウリとタマゴしか食べられへんねんねえ」とそう言われたのだ。今から考えてみると、なんで、私はあのおばさんにあんなことを言われなければならんのかと思う・・・が、そのおばさんはそういうのがいいと思っていた人で、それで自分のところの息子にはそうさせていたのだろう。しかし、我が家は違ったのだ。我が家は自分で働いて生活費を稼いでいるわけでもない親に生活費を出してもらっている子供がその親の承諾も得ずに店の者に直接注文するなどもってのほかだと子供に教えていたのだ。だから、私は、その友達が親の承諾も得ずに店の人間に直接注文するのを見てびっくりしたのだった。
   友達のお母さんからそういうことを言われて、母は激怒した! 「なんで、あんたは、◇◇くんみたいによう注文しませんのん、あんたはあ!」と言って怒られたのだ。 しかし、そんなこと言われても、食べ物屋に入った時、親に承諾も得ずに店の人間に直接注文なんてしたら怒ったのはあんただろうが! あんたが、親に承諾を得ずに注文なんてしたらいかんと教育してきたんだろうが・・・と思ったのだが、よその親から言われると、突然、それまでと正反対の態度をとるというのは私の母がいつもやることだった。その時の友達が誰だったかはもう忘れてしまった。その店は大阪市の天王寺の付近の店だったような気がしたが、それも記憶が確かではない。
   食べ物屋に入った時、我が家では、何を食べたいかは、メニューを見て、親に承諾を得た上で、親が店の人間に注文するものであって、幼稚園児や小学校の低学年の子供が親の承諾も得ずに店の人間に直接に注文するなどもってのほか! と教育されてきたのだった。 又、寿司というものは「盛り合わせ」とか言って寿司桶に1人分ずつ入ったものを食べるものであって、寿司職人と向かい合わせで座って寿司職人にネタの名前を言って注文する店なんてそれまで入ったこともなかったし、ネタの名前なんて、キュウリとタマゴしか知らなかったのだ。それに対して、その時の友達の兄弟のお母さんは、そうではなく、そういう店に入ると、親にきくのではなく、直接、子供が店の人間にネタの名前を言って注文するというのが、それが「積極的」とか「しっかりしている」とかそういうように考えていたようだった。それぞれの家に、それぞれの親に考え方があることであり、絶対にどちらがいい悪いということが言えるものでもないと思うが、しかし、息子には自分の考えのもとに「教育」してきておきながら、その「教育」とは違った「教育」をしている家庭と出会い、そこの親が自分の所の「教育」が絶対的に正しいと認識した態度と言動をとると、とたんに態度をかえて、「なんで、あんたはよう注文しませんのん、この子はあ!」と言って激怒する母親というのが、私は嫌だった。
   その時の「友達」が誰だったのかはもう忘れてしまったが、ともかく、そいつらは、「回っていない寿司屋」に入って、カウンターで寿司職人に子供が、直接、ネタの名前を言って注文した食べて、料金は親が払うということに慣れていたようだったのに対し、我が家はそうではなく、そもそも、「節約のためにできるだけ外食はしないように」ということで、食事は家で食べるのが基本の家庭であり、寿司を外で食べるにしてもカウンターで寿司職人に直接、ネタの名前を言って注文して食べる店なんて入ったことはなく、ましてや、子供が親の承諾もなしに寿司職人に直接注文するなどもってのほかという考えの家庭で、その時、一緒にいた友達のお母さんが「〇〇くんは、よう注文せんのお」などと言わなかったなら、私がその時の友達みたいなことをしたならばものすごい怒られたはずだったのだ。私はその友達みたいなことはさせてもらえなかった。させてもらえなかったとしても、そんなものだと思っていたし、「世の中いろいろ、家庭もいろいろ」でどういう「教育」がいいかはそれぞれの人間が考えるべきもので、どういう考え方が絶対にいいと決まっているものでもないとは思うが、今でも私は、小学生の子供が親に承諾を得ずに直接寿司職人に注文するというのがいいとは私は思わない。もう少し大きくなってからならともかく、自分で生活費を稼いでいない者がひとのカネで飯を食うのに、寿司職人と対面して注文する店に入る必要もないと今でも私は思う・・・・が、ともかく、その時の友達の兄弟は、寿司職人に子供が直接注文して寿司を食べるということを親に認めてもらっていたのである。私はそんなことは、その時はその友達のお母さんが「〇〇くんはよう注文せんのお?」などと言ったために母の認識が普段と180度変わったけれども、そういうことでもない限り、その友達みたいなことをするのは絶対に認めてもらえなかった・・・にもかかわらず、20歳くらいになると、父が「あんたには、小さいころから、どんなもんでも欲しいというものはこうてきてやあってやってやあってやってきたし、どんなもんでも、ええもんばっかし何でも何でも一番高いもんばっかしこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってきたから」などと言い、「絶対にそんなことない!」と言うと、「こいつ、こんなこと言いよるわ。これは病気が言わせとるんやわ。これは薬のまさんとあかんわ、くすり。薬を相当大量に飲ませて、こんなこと言わんように言えんようにしたらんとあかん」などと言われるようになってしまった。そんなこと言われるのなら、一番高いネタばっかり大量に注文してやればよかったような気もするが、残念ながら、ネタの名前は「キュウリ」と「タマゴ」しかしらなかったのでやりようがなかった。今も、私は「回ってる寿司」は好きだが「回ってない寿司」は嫌いだ。
(19)  眼鏡
   私は、小学校の3年の時の健康診断では、両眼とも1.5 見えたのだったが、小学校の5年から近視になってしまった。 最初に眼鏡を作る時は、母と一緒に大丸の眼鏡売場に行き、母は、フレームは特に高いものでなくてもいいけれども、レンズは、よく見えて、できるだけ近視が進行しないようにと、レンズは比較的いいものにしてほしいと売場の人に言い、5種類くらいあったうちの上から2番目のものを選んだと思う。
   ところが、度が進んで、次にレンズを変える時、父と一緒に行くと、売り場の人が「レンズはどれにしましょうか」と言い出すと同時に、父は「やふいのん、やふいのん。一番やふいのん。やっふ~ういのん!」と叫んだのだった。「眼なんか、どうせ、すぐ悪なるねん。やふいのんでええ、やふいのんで。やっふ~いのん。一番安いのんにしてください。一番、やっふ~いのん!」と言うのだった。何度も何度も。嫌だった。「眼みたいなもん、どうせ、すぐに悪なるねん」という言い方とその認識も嫌だったし、「やふいのん、やふいのん、やっふ~いのん」という言い方も嫌だった。父の指示に従って大丸の眼鏡売場の人間は、母と一緒に行った時とは違って「一番やっふ~いのん」のレンズを眼鏡に入れた。
   私が親なら、そんなことはしないし、「どうせ、すぐに悪なるねん」ではなく、できるだけ、近視が進行しないようにということを考える。 「やっふ~いのん」などという言い方もしない・・・・が、父はそういう認識の人間で、「やっふ~いのん」という眼鏡を私に買ったのだった。
   母が今でもぼやくのは、父が自分の眼鏡を、それは近視の眼鏡なのか老眼の眼鏡なのか遠近両用の眼鏡なのかよくわからないが、作り替えた時、「会社の女の子」と一緒に百貨店の眼鏡売場に行って「べっこうの眼鏡」(「べっこう」はフレームのことだと思うが)を作ってきたそうだ。なんで、ええ歳こいたおっさんが、「会社の若い女の子」とそんなものを一緒に作りに行くのか、摩訶不思議というのか理解不能なのだが、そういうおっさんだったようだ。
   おっさんは、自分が会社からもらう給料で眼鏡を作るのだから、「べっこうのフレームの眼鏡」でも自分の収入から出して買うのは好きにすればいいのかもしれないが、それにしても、息子には「やふいのん、やふいのん、やっふ~いのん。一番安いレンズでええ。どうせ、すぐ悪なるねん、眼えみたいなもん。やっふ~いのんでええ、やっふ~いのん!」と言ったあの言い方はいつまでも覚えている。 「やっふ~いのん。やっふ~いのん」と何度も何度も言ったおっさんが、私が20歳くらいになると、「あんたには、小さい頃から、よそとはちごうて、どんなもんでも、何でも何でもええもんばっかり、常に一番高いもんばっかりこうてきてやあってやあってやあってやあってやってやってやってきたから」などと言い出し、「絶対にそんなことない!」と私が言ったのに対して、「こいつ、こんなこと言うのは、これは病気やからこんなこと言うねんわ。間違いないわ。薬を相当大量に飲ませて、こんなこと言わんようにしたらんとあかん。薬を大量に飲まさんとあかん、こいつには」とそんなことを言ったのである。 父は「眼えみたいなもん、悪なってもええ」と言い、母は「受験がすべてや。眼えみたいなもん、つぶれてもええ」と言ったのだが、その言い方は嫌だった。 母は「親というものは、息子が大学に行く時に、行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をして、つきたい仕事につけるようにと思って無理にでも勉強させようとするものなんや」と言い続け、私はそんなヨタ話を本気にしてしまって、必死で勉強すれば行きたい大学の行きたい学部に行かせてもらってやりたい勉強をさせてもらって、つきたい仕事につけるなどとありもしない妄想を持ってしまったが、大学に行く時になると、「親には息子には所有権という権利がある」と母は言い、父親は「あんたは、ひとから命令されて命令されたとお~りせっせせっせとやるのが得意の民族。わしは自分ではやらずに人に命令したり号令かけたりするのが得意の民族。あんたは、わしのようなドイツ人に命令され何でもドイツ人に決められて決められたとお~り、何でも何でも、せっせせえっせとやるのが得意で、あんたはそれがうれしいねん」などと言われ、そして、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に強制と脅迫と暴力で行かされてしまった。結局、眼だけとられたようなものである。 最近、老眼が始まり、せめて、近視がなかったらと思うが、「眼えみたいなもん、つぶれてもかまわん」と父親と母親が言い続けた家庭だったので、そういう両親の子供は眼をつぶされるのは産まれた時からの宿命だったのかもしれない。又、母は「親には息子に所有権という権利がある」と言い、父は「子供ちゅうもんは、茄子や胡瓜と一緒で畑が産んだものとは違うねん。茄子や胡瓜でも畑が芽を出したのとは違うはずや。畑に種を植えてくださったお方があったおかげで芽をだすことができたんや。そんで、芽が出たなら育てるのは畑の義務や。畑が育てて、そんで実がなるようになったら、種を植えたものに権利があるわけや。畑に権利があるのとは違うんや。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるのとは違うねんぞ。心得違いをおこすなよ、茄子! 考え違いを起こしてはならぬぞ、胡瓜! このチャンコロ! わかっとんのんか、茄子! わかっとんのんか、チャンコロ!」と言い続けた。ということは、茄子や胡瓜はいくら努力しても、「実がなるようになったら」「種を植えてくださいったお方」にその成果をすべて奪い取られるということである。「親こっこっこ、親こっこっこ、親こっこっこ。コオッコオッ! 親こっこっこ、親こっこっこ、親こっこっこ、コオッコオッ! すべてをわしに捧げ尽く~す! 戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事のもと、わしに孝行せえよお、とってちってたあ~あ! すべてをわしのために! すべてをやぞ、すべてを。とってちってたあ! どんがんどんがらがったちゃちゃちゃちゃちゃ~ああん♪〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕」という家庭においては、眼だけつぶされるというのは産まれた時から決まっていたことだったのかもしれない。
(20)  ピアノライト
  中学校の2年の時だったと思うが、眼鏡を作り替えた時、眼鏡屋のおっさんが、読書や学習には蛍光灯よりも白熱灯の方が眼を悪くしにくい、蛍光灯はどうしてもちらつきがあるので、白熱灯に比べて眼を悪くしやすいと言ったので、それで、母が、スタンドを蛍光灯のものから白熱灯のものに変えた方がいいのではないかと言い、そして、父と一緒に近くの電気量販店に買いに行った。
  今から考えると、結果はわかっていたようなものだった。やっぱり、父は言ったのだ。「やふいのん、やふいのん。やっふ~ういの~ん!」と。 そして、買ってきたスタンドをデスクの上に乗せてスイッチを入れると、まぶしくて、とでもじゃないが、そんなライトをつけて読書や学習ができるようなものではなかった。 父が「やふいのん」と言い、「これでええ」と言って買ったのは、「ピアノライト」というもので、それはアップライトピアノの上に載せて、譜面や鍵盤を照らすもので、アップライトピアノの上に載せて譜面や鍵盤を照らすのならいいが、デスクの上に置いてつけたのでは、光が強すぎて、とてもじゃないが、そんなものを使って読書や学習なんかできるわけがないものだった。 おっさんは、「やっふいのん、やっふいのん。あんたには、やっふいのんでええ、やっふいのんで」と言って、常に売場で一番「やっふいのん」を買うから、だから、そういうものを買うことになったのだった。
   そうやって、常に「一番やっふいのんがええ。あんたには、一番やっふいのんがええ」と言い続け、言いまくってきたおおさんが、私が20歳くらいになると、「あんたには、小さいころから、どんなもんでも、何でも何でもええもんばっかり、いつもいつも、常に一番高いもんばっかしこうてきてやあってやって、やあってやってやってやってきたから」と言い出し、「絶対にそんなことない!」と私が驚いて言ったのに対して、「はあ! こいつ、こんなこと言いよりますわ。こいつ、けしからんな、こいつ! こういうことを言うというのは、これはこいつが病気やからこんなこと言いよりますねん。こいつ! どうしようもないカスやな、このチャンコロは。こいつめ、こういうことを言うのは病気が言わせてますねん、病気が。薬のませて、こんなこと言わんようにしたらんとあかん。薬のませ、薬くすり薬クスリ! 相当大量に飲ませたらんとあかん。ちっとやそっとではあかん。こいつ、相当病気が重いで。こいつは、このチャンコロ! どうしようもない。わしのようなえっらいえっらいえっらいえっらい人間に、なんで、こんなカスが産まれにゃならんのや、こんなカス人間が。産まれなければよかったのに産まれおってからに、このクズカス人間めが、このチャンコロ!」と言い続けたが、「化学的ロボトミー」という方法があるようで、かつて、「ロボトミー」と言って、大脳皮質をえぐりとることで人間の人格を破壊する方法があったが、それは人権侵害であるとしてされなくなったが、「穏健な方法」に一見見える方法で「精神安定剤」と称し「薬」と称する化学物質を大量に飲ませることで、結果として「ロボトミー」をやあったこととそれほど変わらない結果を招くことになるらしい。そういう方法をとれば、「小さいころから」「ええもんばっかし」だの「高いもんばっかし」だのなんて買ってもらってきてないにもかかわらず、「小さいコロンビア頃から、いつでもいつても常に一番高いもんばっかしこうてきて、やあってやって、やあってやって、やあってやってやってきたから」と言って、それに対してその意味も判別できないようにして無理にでも肯定させるということは可能のようである。しかし、そんなことをして肯定させたとしても、それでも、実際にどうであったかというと、父は常に「やふいのん、やふいのん。やっふ~いのん!」と言い続けてきたのであり、ずえったいに「いつでも一番高いもんばっかしこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってきた」などというのは事実と正反対である。

 次回、ええもんばっかり買ってやったと言う父親(2)脂の塊なんか食うな!-正月にとりあげられた話[中]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_9.html

  (2019.1.1.)

☆ 正月と一月の想い出
【1】お年玉を貯金の名目で取上げられた経験。心理学にかかればどうしたって外罰的性格https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_7.html
【2】ええもんばっかり買ってやったと言う父親-クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた話[上] 〔今回〕
【3】ええもんばっかり買ってやったと言う父親(2)脂の塊なんか食うな!-正月にとりあげられた話[中]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_9.html
【4】クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた経験[下]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_10.html
【5】「年玉よこせ」と言って追いかけてくる40代ストーカー、落し物は届けるなhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_11.html
☆ クリスマスと年末の想い出-チキンライス・お湯なしヌードル。粗末にしていい客と指定されてまで買うなhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201812/article_1.html 

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