香典二重取りとかんぴょう巻きばかりの寿司桶-冠婚葬祭に見える人間模様[3-下]

[第437回] 二部作の後編。
   それで。 その地域によっては、営業と工事課がお施主様からいただいたご祝儀を会社が横取りして経費にして、その頃のいわき地区では、営業と工事課は月にいくらと会費を払っていた「一条会」という親睦会があったのだが、その「一条会」の「会則」に、従業員の親族が他界した時には、親だといくら、祖父母だといくらの香典を一条会から支払うという文章があったのだ。 これがまた、問題である。
   普通に考えて、だ。 親睦会である以上、それは会社がやっているのではなく従業員の任意団体である。従業員が集まって従業員のカネでやっているのであり、それからいくら出せなどと会社が命令したり遠州人が他の地域の人間に命令したりするというのはおかしいのである。 香典というのは、出すにしても出さないにしても、そんなものは、会社に決められる筋合いはないし、浜松の人間が他の地域のことを決めるのもおかしいのである。又、会社の親睦会から親睦会の経費で香典を出すということは、会社は出さないということになり、そして、実際に、(株)一条工務店は会社として香典は出していなかったのだが、「一条会」という名前で香典を出してくださいと指示していたのだが、そういう指示に従うと、実際には会社は香典を出していないにもかかわらず、「一条会」という名称で香典が出ていることから(株)一条工務店が香典をだしたかのように見えてしまうことになる。
   いわき、及び、福島県浜通り地区では、会社の親睦会から香典を出すが従業員個人個人としては香典は出さず葬式には行かない・・・というわけには、この地域の風習としていかないので、それで、「一条会」の「会則」がどうなっているかにかかわらず、私たちは葬式に行ってきた。私は自分が担当のお施主様のお宅が工事中におばあちゃんが亡くなったというような時も葬式に行ったが、その時も香典は自分で出した。会社は出さない。しかし、お施主様はそれをわかってくれたし、香典返しも会社にではなく個人に渡してくれた。 同僚の親がなくなったという時には、やはり、葬式に行き、香典は個人個人が渡すものだというのがいわき地区での風習であり、「浜松では」と(株)一条工務店の「デワ一門」は言うであろうが、いわきは浜松デワないので、「浜松デワ」の「デワ一門(出羽一門)」のやり方では通じない。「浜松で通じるものは日本中全国どこでもそのまま通じるんだ。こんなこともわからんのかあ!」と名古屋南営業所の「所長」というものになっていた近藤路夫というおっさんが叫んだことがあったが、わかってたまるか! その一条オリジナル「ほとんどビョーキ」は、つくづく、つきあうのに疲れる。「アタマが浜松」の人間、「空の広さは浜松の広さと同じだ」と心の底から信仰している人間というのは「浜松」という井戸から外に出ないでもらいたいものだ。「浜松」という井戸の外のことについて発言しないでもらいたい。

   ともかく、いわき地区の従業員は、「一条会」という親睦会はあっていいけれども、いわき・浜通り地区においては、浜松の人がこういうやり方がいいと思ったものとは地域によって風習も違い「浜松流はここには合わない」ということがあるので、それで、「いわき・浜通り流」として、葬式には従業員が各自で参加して、各自が香典も渡していたのだ。で、同僚のK野さん(男。当時、40代)の奥さんのお母さんの葬式の時も、私も他の従業員も個人として参加(といっても一緒に行ったのだが)して、香典も個人として渡した。大金持ちではないからものすごい大金を渡したわけではないが、その場所でその関係であればこのくらいが妥当かな・・というものを考えて渡した。
   しかし、葬式に行って見ると、式場は葬儀場ではなく結婚式場で、結婚式場も料金を払ってもらえば葬式でもやるようだったのだが、やっぱり、結婚式場というのは、結婚式のようなしつらえになっており、結婚式場で葬式というのは、やっぱり不似合いという印象を受けた。
   で、葬式においては「しあげ」というのか料理が出るわけだが、かんぴょう巻きばっかりの寿司桶が出て、こんな寿司桶、初めて見た・・・。 結論として、その葬式は「けちりまくり」の葬式であったわけだ。だから、寿司桶もかんぴょう巻きばっかりだったのだ。 結婚式でも葬式でも「セットメニュー」というものがあるが、そのセットメニューというのが5つほどあると、一番上と一番下は野球で言うところの「見せ球」みたいなもので、たいてい、上から二番目、下から二番目を選んでもらいやすくするためのものである場合が多い。「うちは金持ちではないのであまりお金を出せないので」という人は「下から二番目」、「できるだけのことをしたいけれども特別の金持ちというわけでもないから」という人は「上から二番目」くらいに決まることが多く、「上から二番目」を決めてもらうために「一番上」があって、「下から二番目」を契約してもらうために「一番下」があるというケースがけっこう多いように思う。その「一番下」のメニューにしたのではないか。そんな感じの葬式だった。
   特別にものすごい金額を入れたわけでもないが、それにしても、ある程度の額は入れたはずだが、それに対して「かんぴょう巻きばっかりの寿司桶」というのは、あれはいくらなんでも失礼ではないか・・・とも思ったのだが、そういう葬式だった。 なぜ、そうなったか、これは推測だが、おそらく、その葬式の故人は、Kさんのお母さんではなくKさんの奥さんのお母さんであり、しかも、奥さんは一人娘ではなく「娘が3人」の兄弟であり、そうなると、3人の娘の誰が葬式をやるのかということになり、その結果、Kさんが「極力カネをかけない葬式」をやったということなのだろう。 それが「かんぴょう巻きばっかりの寿司桶」の「結婚式場での葬式」になったようだった。しかし、奥さんの姉妹2人に対してはそれでいいのかもしれないが、香典持って来ている来場者に対してはいくらなんでもそこまでやったら失礼ではないか・・・とも思ったが、喪主はそういう感覚は持ち合わせていなかったようだ。
   考えてみれば、言っちゃわるいがそれほど「賢い方の人」でもないKさんが、独居の人がひとりでいる間に他界した場合は警察に連絡して見てもらわないといけないとかそういうことをよく知っていたな、ともいえるわけだ。なぜ、知っていたか。あらかじめ、そういうことが想定されたから、そういう場合を考えて知っていたのではないか?  高齢であった奥さんのお母さんが一人暮らしをしていたわけだが、他人様のことに口出すこともないのかもしれないが、亡くなるような高齢のお母さんを自分達と同居するのでもなく、奥さんの姉妹と同居するのでもなく、介護施設に入れるのでもなく、一人暮らしさせていたというのは、何か事情があったのだろうか・・・と普通は考える。
   私の場合にしても、父が他界した後、それまで、父と母と2人が一緒に住んでいるのであれば、もし、片方が体の具合が悪くなれば他方が救急車くらいは呼ぶだろうと思っていたが、1人だけになったのでは1人でおいておくわけにはいかないと思って、私は大阪に帰って母と一緒に住むことを考えた。 もっとも、そのために大阪で雇ってくれる会社を捜して、来てくださいと言ってもらえる所と出会えて母に電話で話したところ、母は「私、東京に行ってA子さん(次姉)とHちゃん(次姉のダンナ)と一緒に住むことに決めたわあ」と言い出したので驚いた。「ええ? ◇◇という会社に応募したのを知ってるでしょ。来てくださいと言ってもらえたんですよ」と言うと、「私はなあ、来週にでも東京に行ってA子さんらと一緒に住みたいねん」と言い出し、私が「私が大阪に行って一緒に住むということにしてたでしょ」と言うと、「あんたみたいなもん、いてもしかたがない人間でしょうがあ。甘ったれなさんな」と言い、私が「しかし、来てくださいと言ってくれる会社があったのだけれども、それならそこはどうしたらいいの」と言うと、「何を甘ったれたこと言ってますのん、あんたはあ。あんたの勤め先みたいなもん、どうでもいいでしょうがあ。そんな今にもつぶれそうな会社なんて、どうでもいいでしょうがあ。そんな今にもつぶれそうな会社あ! 甘ったれなさんな、あんたはあ」と言い、「私はなあ。うちの子供の中ではHちゃん(次姉のダンナ)が一番ええねん。あんたが一番いらんねん」と言うのだった。「あんたみたいなもん、いてもしかたがない人間でしょうがあ。あんたなんか、来んといてえ!」と言うのだった。「それなら、A子さんとHさんと東京で一緒に住んで、私は大阪の人間だから大阪で住むということでいいのね」と言うと、「何を勝手なこと言ってますのん、あんたはあ。Hちゃんがすべての中心なんでしょうがあ。私はうちの子供(上の姉、上の姉のダンナ、下の姉、下の姉のダンナ、私の5人)の中ではHちゃん(下の姉のダンナ)が一番ええねん。あんたが一番いらんねん。甘ったれなさんな。そんでやなあ。すべてはHちゃんが中心なんやから、まず、Hちゃんの勤め先が第一に決まって、それに合わせてHちゃんの住む所が決まって、A子はHちゃんと夫婦やから一緒に住むのが当然で、私がA子と一緒に住むわけやから、あんたはその近くに住むのが当たり前でしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ、ほんまにい!」と言うのであった。「そしたら、大阪で雇ってくれると言ってくれた会社はどうしたらいいの」と言うと、「何をあんたは甘ったれたこと言ってますのん、ほんまに、あんたはあ! 甘ったれなさんな! ええかげんにしなさい、あんたはあ! あんたの勤め先みたいなもん、どうでもいいでしょうがあ。あんたの勤め先みたいなもん、私が住む場所に合わせてあんたが住む場所を決めて、そこから通える所にどこでも適当に決めたらそれでいいことでしょうがあ! 甘ったれなさんな!」と言われてしまい、そして、姉は東京都から千葉県にかけての住人の男性と結婚したからその地域に住むことになったとしても、その男性の勤め先である東京都から千葉県にかけてに合わせた居住地に姉が住んでそこに母も一緒に住むことから、私はその地域の人と結婚したわけでもないのに、大阪の人間なのに東京都から千葉県にかけての地域に住まされることになってしまった。「当たり前でしょうがあ、甘ったれなさんな、あんたはあ」と母は言うのだったが、私としては、気持ちの上ではどうも承服しがたいものがあった。母は「親には息子対して所有権という権利があるんやからなあ」と言うのだった。その「所有権」というものを母は息子である私に対して持っていることから、母は私がどこに住むのかを決める権利があるらしかった。父は姉が結婚する時、「女の子みたいなもん、どこにでも行ったらええねん。関係あらへん」と言っていたのだが、それは違うように思う。その「関係あらへん」という「女の子」の結婚相手の勤務先に合わせてその男性の居住地が決まり、その居住地に合わせて姉の居住地が決まり、それに合わせて母の居住地が決まり、私は「私がHちゃんと一緒に住む以上は、あんたはその近くに住んで、そこから通える所に適当に勤め先探せばいいでしょうがあ。それが常識でしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」ということになるのであれば、結局、姉の結婚というのは私まで嫁入り道具のひとつとして持って行くような結婚であり、そうであるなら、「どこでも好きな所に行ったらええねん。女の子みたいなもん、関係あらへん」というのは違うように思うのだった。ともかく、私の場合は、父が他界した後は、母をひとりで置いておくわけにはいかないと思って、大阪で一緒に住むために大阪で雇ってくれる会社を捜し、次に、母が「私は東京でA子とHちゃんと一緒に住むんやからなあ。あんたはその近くに住んで、あんたの勤め先みたいなもん、そこから通える所でどこでも適当に探したらそれでいいことでしょうがあ」と言われて東京で勤め先を捜すことになった。
   それに対して、Kさんの奥さんのお母さんというのは、娘が3人あっても3人とも同居はせず、同居はしないがすぐ近くに住むようにするというわけでもなく、かといって、「老人ホーム」「ケアハウス」といった介護施設に入るのでもなく、高齢で他界するような人が一人で住んでいたというのは、そのお母さんの扱い方自体が、・・・何かあるのかな・・・というような推測をさせるものだった。ひと様の家族のことを勝手に推測するのもどうかとは思うが、戸建住宅建築業の営業というひと様の家庭に上がり込んでする仕事をやってくると、様々なものを見せてもらうことがあり、よそで言わないけれども私自身の頭の中には入っている記憶として、それぞれの家にはそれぞれいろいろなことがあるものなのだなあ・・・と思ったものだが(2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕で「工事責任者」を自称していたが工事現場を見に行かない、工程について管理しない、施工内容を把握していない、施工内容について責任をとる意思がない男 植草〔当時、30代なかば〕が「ぼく、営業やったことないですけど、やったことなくったって、ぼく、営業で~きま~すもお~おん」と無責任無神経な文句を何度も何度も大きな声で叫んでいたが、私はひとさまのお宅の内部の事情も結果として見せていただいてきたので、それを他では言わないけれども、なるほど、そういうこともあるのか・・と自分自身が考える際の智恵として自分の頭の中のデータベースに入れさせていただき自分自身が人生を生きていく上での智恵としてはそれを役立てさせていただいているのだが、「やったことない」者がなぜそういうものをわかると思うのか理解に苦しむ)、もしかして、「奥さんのお母さん」というのは奥さんの3人の姉妹の実のお母さんではなくお父さんの後妻であった・・・とかいうことでもあったのかな・・・とか思ってみたりもするが、まあ、そのあたりは、他人様のお家のことについて詮索をするのは余計なことであろう。
  Kさんは、「琉球畳」という畳縁(たたみぶち、たたみべり)のない畳が好きで、自分が営業担当のお客さんに勧めることが多く、所長のKさんは、予算もない人に一条工務店の標準品より高いそんなものをわざわざ勧めて何を考えてるてるのか・・と言ったりしたこともあったのだが、Kさんが(株)一条工務店に入社する少し前に建てた家で琉球畳を使っていて、それがいいと思っていたらしい。一度、Kさんの家に寄らせてもらって見せてもらったことがあるが、たしかに琉球畳は悪くない。で、Kさんが住んでいた家は築年数が新しいこともありけっこうきれいな家だったのだが、それにしては、奥さんのお母さんは亡くなるような高齢であったのに一人暮らしでほっぽらかし・・・というのは、ひとさまの家のことにくちばしを挟むこともないのであろうけれども、何かあったのかな・・と推測したくなる状況はあった・・・が、奥さんのお母さんとの関係については他人が口出すこともないかもしれないが、かんぴょう巻きづくしの寿司桶で結婚式場での葬式というのは、言っちゃなんだが、これなら、香典はもう少し少なくても良かったたかな・・・・という感じだった。 Kさんも、子供じゃないのだから、我々がそういう印象を受けているということくらいはわかっているであろうと思ったのだ。
   しかし、その後、Kさんは、いわき・浜通り地区の従業員の親睦会の「一条会」に、香典を請求して、それを同僚個人個人からもらった香典と別に受領し、「これ、俺の小遣い」などと言ったのだった。この人、ちょっと、ものの考え方がおかしい・・・と思った。それはないのではないか?
   就業規則に、従業員の親が亡くなったら会社が香典としていくら出します、配偶者の親が亡くなったらいくら出しますという規定があるのであれば、それは会社に請求してよい。それは、名目は「香典」などと言っていても、実際には「給与の一部分」である。 それに対して、「一条会」というのは親睦会であり、「一条会」の「経費」というのは会社が出しているのではなく、いわき・浜通り地区の従業員が出しているのであり、そもそも、 「一条会」の「会則」というのを浜松の人間、会社の経営者が決めて「規定」していても、親睦会の会則を経営者・使用者に決められる筋合いはないものであり、そんな「会則」などあっても最初から無効であり、浜松が決めた会則であっても、その個々のものについて、もしも、その地域のその親睦会に所属しているその地域の従業員が同意するのであれば、同意する限りにおいてその都度、有効になる場合があるが、個々に同意しない限り、浜松の人間が決めたもの、使用者が勝手に決めたものは無効であるというものである。又、(株)一条工務店の経営者・使用者としても、それぞれの地域によって風習は異なるわけであり、葬式などの際の対応を各地域ごとに異なる対応をしたとして会社の経営者・使用者が困ることもなければましてやそれを怒る必要もないはずである。
   もしも、Kさんが、会社から「香典」としての支給を受けたのであれば、Kさんが「俺は香典をもらう権利があるんだ。規定に書いてあるんだよ」と言うのは悪くはないだろう。しかし、「一条会」というのは紛らわしい名称をしているが、あくまでも従業員の親睦会であって会社がカネを出しているのではない。その地域の従業員が会費を出したものがその経費としてあるわけである。 もしも、Kさんが「一条会」から「香典」をもらうのであれば、従業員個々からの香典は「香典は一条会からいただいただきますから」と言って辞退するべきなのだ。 個々の従業員から香典をもらったならば、それはいわき・浜通り地区の風習として個々の同僚から香典をもらうのが普通だとして一条会の「会則」と異なることをしたのであるから、その場合には「一条会」からはもらうべきではない。ましてや、請求するべきではない。 親睦会の規定を会社が決めるというのは、本来はおかしいのであるが、(株)一条工務店の経営者・使用者が、あえて、おかしいことをして、「一条会」の規定として、「一条会」の経費から香典をいくら渡してくださいとしていたのは、それは、従業員の親族の葬式にその地域の従業員が何人もたびたび参加することで、それが業務に妨げになることをおそれて、それで、従業員のこういう関係の人が亡くなった時には「一条会」から「香典」をいくら渡してください、それ以外に葬式に参加することは無用です・・・としていたはずである。 だから、片方で、葬式に来てもらって個人個人から香典を受け取り、他方において、「一条会」にも「俺は香典を一条会からもらう権利があるんだ」といって会計の係の20代の女性社員に請求して受け取り、「これ、俺の小遣い。こういうのは嫁には知らせねえんだ」と言って「小遣い」にしてしまうというのは、それは、物事の考え方が違うはずである。
   もうひとつの考え方として、「一条会」という親睦会の香典というものは、その地域の従業員全員からの香典であるから、個々の従業員から香典をもらったのと別に「一条会」として「その地域の従業員全員」からも香典をもらった場合は、香典返しも2回しなければならないことになるのではないか。 しかし、「これは俺の小遣い」として「一条会」からの「香典」を受け取ったKさんは、「一条会」からの「香典」には香典返しはしないのであるが、それはどうなのだろうか?

   片方で、これでは香典を持って来てくれた人に失礼ではないかと思えるようなこれでもかという貧相な葬式をして、他方において、個人個人から香典をもらうとともに、会社が香典は親睦会からいくらと渡してください、葬式への出席は営業所から代表で1人出ればいいことで他の人は出席せずに仕事をしてくださいと言っていたにもかかわらず、そうはいってもその地域の風習として葬式には出るもので香典も個人個人でするものだとして渡したものを受け取るとともに、親睦会に対しても別に積極的に請求し、それを「小遣い」にするというのは、なんか、やることがせせこましい印象を受けた。「ああいうのを、水呑百姓根性と言うんだよ」と言う人もあったが、そういう表現・評価をするべきものかどうかはよくわからないが、アンブローズ=ビアスは『いのちの半ばに』(岩浪文庫)などという本を書いているのだが、「事実は小説よりも奇なり」というのか、そういう本を読まなくても、それに劣らず、「おもしろい」というのかおもしろくないというのかの体験をするものだ・・・・・。

   (2019.1.28.)

☆ 冠婚葬祭の際に見える人間模様
1.生き死にの間際に。知らぬ間に「天国」に行った叔父へのレクイエム。数珠を貸すな https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_12.html
2.白ネクタイは結婚式場に問合せるべき。当事者でもないのに文句言うおばさん。あまり執拗に文句言うようなら相互主義の原則を採用する可能性も。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_13.html
3-上 「設計」はひとの会費で飲み食いするのが「常識」・・ではあるまい!https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_14.html
3-下 香典二重取りとかんぴょう巻きばかりの寿司桶 〔今回〕
4.嫁でもない女から四六時中私用電話の入る男、かつ、他の女と結婚するという結婚式に出てもらえると勘違い男。虚偽告訴男。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_16.html  


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