「年玉よこせ」と言って追いかけてくる40代ストーカー、落し物は届けるな-正月と1月の想い出【5/5】

[第433回]
3.  「年玉よこせ」といって追いかけてくる40代ストーカー(「宗教右翼」霊友会会員。元自衛隊員)
   1990年代前半、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所に転勤した時、いわき市平尼子町にあったJTいわきハウジングパークという総合住宅展示場(今は、総合住宅展示場はなくなって、スーパーの「マルト」になっている)に出展していた2つの展示場の片方に在籍したS藤K二さん(男。当時、40代前半)が、高校3年の息子のことを、「テニスができるから、大学はどこでもテニスで入れてもらえるんだ」と言っていたのだが、S藤K二さんは元自衛隊員だそうだが、そのわりにあんまり体格のいい方でもなかったが、息子はテニスがよくできたらしい。「らしい」というのは、どのくらいできたのかよく知らないが、親が「できる」と言うのだから、「ああ、そうですか」と思っていたのだ。
   しかし、S藤K二さんは「大学で語学を2か国語マスターするといいと思うんだ。今の時代は語学ができるといいだろう」などと営業所の事務所で言っていたので、「そんなもん、高校までテニスしかしてない勉強してないもんが、2か国語もマスターできるわけないだろうが」と思ったが、あんまり賢そうでもないおじさんが夢を見ているのだから、ひとが見ている夢はつぶさずに、しばらく見せてあげてもいいだろうと思って黙っていた。しかし、
(1) まず、「スポーツ入学」で入った人というのは、入学後、そのスポーツをやらないわけにはいかないのです。「アメリカンフットボールをやりたいから京大に行った」とかしょーもないカッコつけて京大の農学部とかに行ったやつが時々いるのだが、入学半年後くらいに、「アメリカンフットボールやってるんでしょ」と言うと、「やめたよ。あんなもん、やってて勉強できるか」とか言ったりとかいう話がありますが、一般入試で大学に入った人間は、入学後に運動部に入っても、「こんなことやってたら学業に支障が出る」と思ったならやめることもできるのですが、しかし、スポーツ入学で入った人はそのスポーツをやめることはできないのです。そのスポーツをやめる時は学校もやめないといけないはずです。慶應大学の野球部から大洋ホエールズに入団してコーチや監督をやったスキンヘッド山下大輔は、慶應大学の商学部に一般入試で合格して入ったらしく、入学時の成績は合格者の中でもいい方の成績だったらしいが、さすがに、4年間、卒業時にプロから誘われるくらいに野球をやると、卒業時の成績はあまりいい方ではなかったらしい。それはやむをえないと思う。 だから、「テニスができるから」ということで、どこかの私立大学に入学したとしても、体育会テニス部でテニス漬けの生活をしながら学習するというのは相当大変で、「2か国語をマスターする」なんてまず無理でしょう。 又、
(2)「普通に考えて」中学校・高校と6年間で、「下の方の私立大学」に一般入試で合格できるレベルに英語1か国語をマスターできない人間が、大学の4年間で2か国語を就職の際に評価してもらえるレベルにマスターできるかというと、まず無理と判断せざるをえませんし、
(3)私なども、中学校から高校にかけて、英語1科目だけの学習でもけっこう大変だったのを大学の教養課程で外国語を2科目学ばないといけないというのは、はたしてそんなことができるのだろうかとか考えたことがありますが、実際には、高校卒業まで、もしくは大学入学までに、英語を東大・京大・阪大くらいの大学に合格できるかどうかくらいまで学んだ者(この場合、実際に合格するかどうかは問題ではない)にとっては、ヨーロッパ系の言語を2か国語めを学ぶというのは、やってみるとけっこう学習しやすいのです。福澤諭吉も『福翁自伝』(岩浪文庫)で、江戸時代末期、福沢諭吉ら洋学とオランダ語を学んだ者は、せっかく苦労して努力してオランダ語を学んだものの、そのうち、オランダ語の時代ではない、これからはイギリス語を学ばないといけないと言われるようになり、せっかく苦労してオランダ語を学んだのに・・・と多くの者はショックを受けたが、それでどうするかは2通りの考え方をする者がいて、ひとつは、当時、日本語に翻訳されたものはほとんどなかったが、イギリス語で書かれたものでもオランダ語に翻訳されたものは多いので、これからはイギリス語の時代だといってもオランダ語に翻訳されたものをオランダ語で読めばいいのであり、あらためてイギリス語を学ばなくてもオランダ語で対応できると考えた者で、もうひとつは、そうはいっても、やっぱり、イギリス語を学ぼうと考えた者で、福沢諭吉は後者の考えをとり、イギリス語も学ぼうとしたが、実際に学習してみると、オランダ語をある程度学んできた者にとってはイギリス語の学習はしやすいということを知った、というのだ。私も、イタリア語とかロシア語とかデンマーク語とか少々学習して、実際そうだと思うようになった。但し、それなら3か国語も4か国語もマスターできるのかというと、やっぱり、あまりにもいくつも学ぼうとすると、力が分散されることになり、2か国語なら相当学べるところを4か国語も学ぼうとするとどれもどっちつかずになってしまうことが考えられます。「 I D野球 弱者の戦術」としての「戦力の集中」をはかった方が成果はでる! という面もまたやはりあります。ゴルゴ13ならともかく、普通の人間はそう何か国語もマスターするわけにはいかないと思うが、ともかく、東大・京大・阪大くらいの大学に合格しようと考えて英語を学んできた者が大学に入学後、語学を中心に学習するのであれば、英語とドイツ語・フランス語・イタリア語・デンマーク語・スウェーデン語・ロシア語などヨーロッパ系の言語を1か国語学ぶ就職する際にプラスに評価してもらえるレベルまで学ぶことは可能だと思います。但し、これも、東京外大とか大阪大学外国語学部(旧 大阪外大)の◇◇学科とかに行って語学を中心に学んだ場合はいいのですが、慶應とか一橋とかの経済学部・商学部とかに行って学ぼうという場合は、語学以外で経済学部・商学部で学習しないといけないものもけっこうありますから、語学に比重を置いて学習するのがいいのか、経済学部・商学部の科目に比重を置いた方がいいのかという問題も出てきますが、ともかく、東大・京大・阪大くらいに合格しようと努力してきた人が、それまでに身に着けた英語力を活用しながらヨーロッパ系の言語をもう1か国語学習するというのは可能だと思います・・・・が、S藤さんのバカ息子みたいに高校卒業するまでテニスしかしていないという人が語学を学ぼうと思っても、英語の能力がない人がヨーロッパ系の言語を学習するのは英語の能力がある程度以上ある人が学ぶよりはるかに困難でしょう。
(4) 語学の能力は、聞く・話す・読む・書くの4つに分けられるかもしれません。このうち、昔から、日本人は読む・書くはできても聞く・話すができないなんて言われたりしてきました。しかし、それは、外国に行く機会がなかなかない、外国人と話す機会があまりないという時代のことで、最近はかなり変わってきていると思います。むしろ、逆に、ともかく外国に行くのが好きとかいうような人で、1年かけて世界中まわってきた人とか、あるいは、最近では、欧米の私立大学で入学難易度が決して難しくない大学に日本の高校を卒業して入学するという方法もあるらしく、費用も日本の私立大学に下宿して行く場合と比べて往復の交通費の分が多くかかるだけで、特別に高い費用がかかるわけでもないようです。しかし、そういう大学に行った人などは、その国に4年間在住してそこで暮らしたからには、そこの言葉を相当話せるようになるということが考えられます・・・が、しかし、聞く・話すという技能を身に着けるためには、ともかく、その国に行ってそこに住んでその国の人と話して生活するというのが有効と思えますが、しかし、読む・書くを学ぶためには、やっぱり、自分自身で机に向かって学習するしかないわけで、高校を卒業するまで、一般入試で底辺の私立大学にぎりぎり合格するレベルまでも学習できなかったような人が、「2か国語をマスター」なんてことをするだけ、机に向かって学習することができるか? というと、かなり厳しいと考えるしかありません・・・・
・・・・が、まあ、夢を見るのは自由だから、その夢が自然とつぶれるまで黙っていてあげましょう・・・と思っていたら、「テニスができるから、どこの大学でも入れてもらえるんだ」と父親が何人もに言いまくっていた息子は、結局、一般入試でもスポーツ入学でもどこの大学にも入れてもらえなかったらしい。スポーツ入学で大学に入っても、そのスポーツでプロとしてやっていけるようになるのはそう簡単ではないとしても、そのスポーツを続けて卒業して「大卒」になることはできるかもしれないが、大学入学までにスポーツしかやっていない人間が、入学後に体育会でそのスポーツを続けながら2か国語をマスターするなどとは、そんなものは頭のよくないおっさんの「夢」で、いずれ夢は覚めるであろうから、夢を壊すようなことを言わず、自然と壊れるまで夢を見せてあげればいいと思っていたら、それ以前に、「うちの息子はテニスができるから、どこの大学でもとってもらえるんだ」という話の方が幻覚であったらしい。まあ、佐藤さんの言うことなんて、そんなもんだろ。
   で、そういうことだってあることだろうし、S藤さんの息子が高卒で働くことにしたのならそれはそれでいいと思う・・・・のだが、「テニスができる」というだけあって、さっそく女にはらませて子供ができたらしい。スポーツマンだけあって体力十分・精力絶倫・・・だったのかどうかは知らんが、それはそれでいいのかもしれん。
   ところが、だ。バカ息子が女にはらませて子供を産ませたとなると、今度は、1月に出勤すると、S藤K二さんは、私に「うちの息子はまだ10代なのに少子高齢化対策に貢献するために子供を作ってお国のために貢献しているんだ。それに対して、おまえは30を過ぎたのにまだ独身で子供を作らない非国民だ! 俺は子供を作ってその子供がお国のために子供を作り、お国に貢献しているんだから、非国民は罰としてお国のために子供を作って貢献している俺に年玉よこせ! カネよこせ! こら!」と言うので、「ふざけんな! 何を言ってるんだ」と最初は相手にしなかったのですが、最初はくだらない冗談を言っているのだと思っていたのですが、S藤さんは本気だったようで、「カネよこせ。非国民はカネよこせ!」と言って、逃げても逃げても、ストーカーとなって後を追いかけて来るのです。
   それにしても、程度の低い話です。 まず、私が子供の頃、親戚のおじさんおばさんとかよその人からお年玉をもらった時でも、子供はそのおじさんおばさんからもらったと思っていたし、そういう面もあるけれども、親としては、お互いに子供がある者同士の場合は、子供の人数が異なる場合もあるけれども、お年玉をお互いにあげることで「お互いさま」になっていたのであり、もし、子供がない人から自分の子供がお年玉をもらった場合は、お年玉を相手の子供にあげるということで「お返し」をすることができないので、その場合は、何かほかの物で、必ず、「お返し」をするようにしたというのです。 それがマナーであり、礼儀であり、そういったマナー・礼儀のないような人間というのは、「そういう人」という評価になることになります。 ましてや、40代の男が「俺に年玉よこせ。年玉よこせ。非国民は年玉よこせ。こらああ!」と言って追いかけてくるというのは、あんまりそんなことする人ないと思うがなあ~あ・・・と思うのですが、(株)一条工務店という会社は「あんまりそんなことする人ないと思うがなあ」といういことをする人がけっこういる会社でした。 S藤賢二さん(男。当時、40代前半)は、いわき地区の従業員の間で、「S藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」と言われていたのですが、しかし、「しかたがない」ですまされたのでは困ります。会社は、そういう人には会社として注意するべきで、放置していた(株)一条工務店は、従業員としての私に対して「保護義務違反」であり、債務不履行責任が生じています。 なにしろ、「保護義務違反の(株)一条工務店」では、毎度毎度、「困った人」に往生させられてきて、ずっと我慢させられてきたのですが、やっぱり、会社は「保護義務違反」でいいというものではないはずです。私は入社以来、ずっと我慢して「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」してきましたが、その結果、こいつは何でも我慢する人間だと(株)一条工務店の経営者から思われてしまったようです。
   S藤K二さんは元自衛隊員だったというのですが、自衛隊というのは言っちゃなんだが、ひとにもよるかもしれないが、一般に「程度が低い」。 又、S藤賢二さんは「おまえは子供を作らない非国民だ」などと口にするように、「非国民」といった言葉が出るのは、元自衛隊の特徴と言うこともできるかもしれませんが、それとともに、「宗教右翼」と言われる団体のひとつである霊友会の会員であるということが理由のひとつとしてあるのではないかと思われます。
   (株)一条工務店という会社は「中卒高卒優先主義」の会社で、卑怯なのは、 「学歴によって人を差別してはいかんだろうが」と言って中卒高卒の人間を管理する役職につけたがるのですが、そういう人が旧帝大系国立大学や早慶の社会科学系学部卒の人間と同等の能力を発揮できるかというとできるわけないわけで、そうなると、「ぼくは高卒なんだから、そんなことできるわ~けがない」「ぼくは高卒なんだから、そんなことわかるわ~けがない」と言ってふんぞりかえる。ふんぞりかえらせる会社だったのです。 S藤さんは高卒であるとともに、さらに卑怯なのは「アルツハイマーだからしかたがない」という主張をする人だった。「アルツハイマーだからしかたがない」ような人ならおとなしくしておればよさそうなものですが、ところが、そうはいかない。勝手な時だけ「アルツハイマー」になるのです。
   高卒であろうが「アルツハイマー」であろうが、佐藤さんは営業を職種としていたのですから、営業であるならば、「マナー イズ マネー」という認識で、まず、お年玉というものは、子供がある者同士で、お互いの子供にあげあうか、もしも、子供がない人からもらった場合は「お年玉」以外の物で何か「お返し」をするものであって、決して、子供のない人から「もらいっぱなし」にしてはならないものである、ということくらいは認識しないといけません。それが営業の認識であり営業の能力のはずです。 「アルツハイマーだから」と言えば何でもまかり通るという、なんというのか、“アルツハイマー帝国主義”とでもいった態度は、かんべん願いたいものでした。
   バカ息子が、できちゃった婚で子供を作ったのは、それは生殖能力はあったから子供ができたというものであって、そんなものを「お国のために貢献しているんだ」などと言わないでもらいたいですね。そんな人間を拡大再生産するのが「お国のため」かというと、そうではなくて、“ 「アルツハイマー」帝国主義の拡大再生産 ”は「はた迷惑この上ない」のが実状で、そんなものが「お国のために貢献」することになるかというと、「チャンチャラおかしい!」


4.  原付と乗用車
   東京都目黒区の小田急「東北沢」駅の東のあたり、京王井の頭線「池の上」駅の北のあたり、東大の駒場キャンパスの西のあたりに、駒場公園があり、旧前田家洋館・旧前田家和館日本近代文学館があります。現在では、旧前田家洋館・和館ともに重要文化財に指定されたようです。
   今、インターネットで検索すると、「日本近代文学館」と「旧前田家洋館・和館」とは別のように出ているのですが、私が「大学生」であった1980年代は両方が一体のような扱いだったように思います。 日本近代文学館は、閲覧室は有料ですが、落ち着いた雰囲気で学習や読書にはいい環境です。 但し、私はこのあたりを歩いていて、「あ、こんなのがある♪」と見つけたのですが、川崎市幸区に住んでいた者がここに行こうとするとけっこう時間はかかります・・・・が、私はこういう所が好きだったのです。だから、川崎市幸区のアパートから原付で何度か行きました・・・・が、1月末だったか2月だったか、ある時、予想外に雪が降ったことがありました。川端康成の『雪国』の冒頭では「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」と書かれているのは有名ですが、それはどこかというと、新潟県の越後湯沢温泉で、上越新幹線なんて開通していない時代、群馬県から新潟県への清水トンネルがこの「国境の長いトンネル」のことで、川端康成『雪国』の「国境」とはサハリン南部が日本領であった時代に、サハリンの南部と北部の境界とか「満州」(「中国 東北地方」)と旧ソ連、あるいはモンゴルとの境界のことではなく、上毛国(上野国)(群馬県)と越後国(新潟県)の「国」の境のことです。 そういう越後湯沢みたいな「雪国」ならともかく、東京で雪が降ったとしても、そんなもの、「慶應タイプのブルジョワ」と違って、こちとら「小学校から高校まで公立」のプロレタリアートですから、それがどうした!・・・みたいな意識で原付で駒場の東京近代文学館まで行って、そこで学習して、駒場のあたりの食堂で食事をして、帰りかけたのはいいのですが、ところが、新潟県とか山梨県と違って、東京あたりで雪が降っても、そんなものは、「降っても降ってもまた溶けつくす♪」とか思っていたら、な~んでか、雪が降り続けて走る道は雪が積もって、そのうち、ノーマルタイヤの原付では雪の上をタイヤが滑り、そのうち横転なんてしてしまう事態になってしまった。 横転しても、そういう雪が道に降り積もったような時というのは走る自動車なんてのも少ないので、ひかれてしまうということにはならなかったのですが、こんな原付ではたして川崎市幸区まで帰れるのだろうか・・・と思ったが、最後はエンジンを切って押して進んでなんとか生還しました。「雪は降る♪  あなたは、着かない♪」なんて思って待ってくれる人があったわけでもなし、「自己責任」で帰還するしかなかったのですが、そうはいっても、「雪の八甲田」ではなく、なんだかんだ言っても東京都内から川崎市にかけてですから、「まあ、死にはせんだろ・・・たぶん」とか思いながら、積雪の中を帰りました・・・・が、さすがに最後は寒かったし冷たかった。「小学校から高校まで公立」のプロレタリアートでもさすがにこたえた。「風呂入って寝たろうと」しても安アパートの部屋もまた寒かった。
※ 目黒区 駒場公園HP http://www.city.meguro.tokyo.jp/shisetsu/shisetsu/koen/komaba.html
《ウィキペディア―駒場公園》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E5%A0%B4%E5%85%AC%E5%9C%92_(%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%8C%BA)
日本近代文学館HP https://www.bungakukan.or.jp/
《YouTube-アダモAdamo/雪が降るYuki Ga Furu(Tombe La Neige) ― 日本語盤 (1969年)》https://www.youtube.com/watch?v=jzSGQxFESSA
《YouTube-八甲田山》https://www.youtube.com/watch?v=5_g4PaIDVvw
    「大学生」の時に普通自動車第1種運転免許を取得しましたが、「大学生」の時には原付は購入して運転しましたが、自動車は卒業して就職してからでした。大学生で自動車を持って運転しているなんて、「贅沢」で学生らしくない・・・ように思っていました。 しかし、今から考えると必ずしもそうとも言えません。まず、費用ですが、私が購入した原付「ホンダ カレン」は10万円近くしたように思うのです。原付といえども新車です。それに対して、普通乗用車でも、中古ですと10万円くらいのものもあると思うのです。そして、駐車場代は場所にもよりますが、月極駐車場が2万円くらいの所はあったと思うのです。そうなると、月2万円払って、10万円くらいの中古の乗用車を買って、大学の近所でも月極駐車場を借りて通学するというのはひとつの方法として考えられると思うのです。それは「贅沢」とか「甘ったれている」とか思いこんでいる人がいますが、そうとも限りません。自動車の運転は教習所に通って運転免許を取得すれば、それで即座に運転できるというものでもありません。卒業して就職すると、クルマの運転の練習をしようと思っても、練習の前に仕事で運転しなければならなくなってしまうことがあります。それならば、大学生の時に、たとえ、月々いくらかそのために費用がかかったとしても、仕事ではない状態で運転の練習をしておいた方が、就職してから自然に運転できて仕事に成果がでることも考えられます。
   私の場合、就職後、勤め先の小堀住研(株)で課長から言われたのが、「オートマのクルマにした方が、運転できるようになるのが早いからオートマのクルマにした方がいい」ということでした。その意見に従い、オートマのクルマを購入して運転しました。今は乗用車はオートマのクルマの方が圧倒的に多いので、乗用車を日本で運転する限り、オートマのクルマで困ることはそれほどありません。しかし、
(1) 外車に乗りたいという場合、マニュアル車しかない場合がある。
(2) 外国に旅行したいという場合、電車・バスなどでは行きにくい所でも、レンタカーなら行けるという所があり、国によってはマニュアル車が普通という国がある。
(3) 車検や修理の際、代車として貸してもらえるクルマがマニュアル車しかないという場合がある。
(4) 国産の乗用車の場合は、オートマのクルマの方が今は多いのですが、トラックなどはマニュアル車の方が力が出るということでマニュアル車のものが多い。
  建築業界の場合、オートマの軽トラックもあることはありますが、マニュアル車の方が多い。
(5) フォークリフトとか、工場や建築関係で、乗用車以外のものでは、オートマのものもあることはあるが、マニュアル車の方が多い。
   こういったことを考えると、できれば、マニュアル車とオートマ車の両方を運転できた方が便利です。 それなら、最初からずっとマニュアル車に乗り続けるのがいいかというと、最近、高齢者で普段はマニュアル車に乗っている人でオートマ車にたまたま乗って運転ミスで事故を起こしたといった記事を見ることがありますが、一般に、マニュアル車とオートマ車ではオートマ車の方が運転はしやすいのですが、常にオートマ車の方が運転しやすいというわけでもなく、マニュアル車ばかり運転してきた人にはオートマ車を運転できない人もいるのです。 ↑の2.に登場した(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいたS藤さんもマニュアル車しか運転できない人で、「オートマ車なんてのは、あれは身障者用のクルマなんだ」と言いまくっていたけれども、実はマニュアル車しか運転できないおっさん・・なんだと同社の従業員の間では言われていたのです。 だから、どうするのがいいかというと、運転免許を取得して最初に購入して運転するクルマはマニュアル車にして、次に購入して運転する2台め以降をオートマ車にすれば、両方とも運転できるようになるのではないだろうか? と思うのですが、どうでしょうか。「どうでしょうか」と言っても、私自身は、教習所ではマニュアル車で運転して免許を取得したものの、自分のクルマとしてはオートマ車しか運転してこなかった人間なので、実際にそうした場合にどうかはわかりません。
   マニュアル車とオートマ車の両方を運転できた方が便利ですが、就職してから仕事でクルマを少しでも早く運転できるようにならないといけないという状況になると、「オートマのクルマにした方が早く運転できるようになっていいからオートマのクルマにしろ」とかいう話が出てきて、それを拒否しにくい。それを考えると、大学生の時から、クルマを運転しておくようにした方が良さそうにも思えるのです。せっかく、マニュアル車でも運転できる免許を取得したのに、オートマのクルマにしか乗れないというのは、せっかく取得した免許がもったいない、ということを考えると、在学中に免許を取得したならば、比較的安い中古の国産車でもいいから購入して、仕事ではない状況で運転をして練習するようにした方がその後の人生と生活にプラスになる、とも考えられます。

   大学生の時に「学生なのに自動車に乗っている」というのは、「贅沢」とか「身分不相応」とか思っている人がいましたし、私もそんな感じで思っていましたが、考えようによっては、卒業後に「会社」という所に勤めるのであれば、大学生の時に運転免許を取得するだけでなく、大学生の時から自動車の運転を練習しておいた方が、むしろ、勤めてからそれが役立つようなところもあります。原付に乗って、乗用車に乗っている五流大学の学生を見て、「ええなあ、うらやましいなあ。屋根と窓付き・背もたれ付き・エアコン付きの乗り物にのってからに。わしぁ、日陰の月見草や」とか思って、雨にも負けて、風にも負けて、雪にも負けて・・・・うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・・とか思って原付乗るよりも、高級車に乗らなくてもいいから乗用車に乗る練習をした方がよっぽどいい・・・という考え方もあったように思います。 原付ですと、雨や雪の日には雨や雪に濡れます。電車で通学するか、乗用車で通学するかなら、雨や雪にはほとんど塗れません。その快適な通学により、余計な労力をかけずに学習して学習に成果を出せるのであれば、原付なんかに乗るよりよっぽどいい・・という面もあります。
   今から思えば、雨にも負けて、風にも負けて、雪にも負けて・・・原付に乗ることなかったのではないのかとも思えますが、「ほかほか弁当」で買うとすると「のり弁当」、東京から大阪に行く時は千葉工大のやつは新幹線に乗るが私は夜行バスか夜行の快速、乗るクルマは原付・・・と、「わしぁ、貧乏やからな」「わしぁ、び~んぼうやからな」という生活を送った経験というのは、貴重のような気もしないでもないのですが、別に要らなかったのではないかという気もしないでもありません。 でも、1月末だったか2月だったか、雪道を原付で走り、そのうち走れなくなり、日は暮れて、東京都内から川崎市にかけてだから「遭難」なんてしないだろうけれども、それにしても、住居までたどりつけるのだろうか・・・なんて思いながら原付をおした経験なんて、「いい経験」か要らない経験かわからないが、「慶應タイプのブルジョワ」にはない経験でしょう。「ゆりかごから墓場まで慶應」の人なんかでそんなことする人なんてないでしょう。そういう人は大学生の時から乗用車でもベンツとか乗っていたのと違いますか。それを考えると、やっぱり、大学生の時にベンツに乗っていた人間と、「ホンダ カレン」に乗っていた人間だと、どっちがいいかというと・・・・、もしかしてやっぱり大学生の時からベンツに乗っていた人間の方が「ギャルにもてもて」だったかもしれんが、それでも、私はそういうのは好きじゃないな・・・・。 それと、原付である程度、運転したという経験のない乗用車のみのドライバーには「原付に乗っている人間の視点」というのがない人もいるかもしれませんね。私は最初に「正社員型」で勤めた会社では人事総務におり、その後、勤めた会社で営業をやりましたので、「人事総務の視点」と「営業の視点」を持って勤めることになりました。クルマの運転も、早くから乗用車に乗った方が運転に慣れる、仕事で運転しなければならなくなるより前に、乗用車の運転をした方が、自分のペースで練習できる、マニュアル車の運転を練習することもできる、というメリットがありますが、「原付の運転者の視点」というのを「乗用車の運転者の視点」とともに持つというのも、益がないわけではないようにも思います。 「わしぁ日陰の月見草や。ええなあ、屋根付き・背もたれ付き・エアコンつきに乗ってからに。うらやましいなあ。」の視点です。〔⇒《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕) 》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8 〕


5.  雪道に落ちていた財布は拾って届けるべきではなかったか。
   1980年代前半、1月末か2月のことだったと思います。真夜中にセブンイレブンに買い物に行ったのです。一人暮らしをして、一度、やってみたいと思っていたことがいくつかありまして、そのひとつが、真夜中にコンビニに買い物に行くというもので、「真夜中に出かける」というのは家族と一緒に暮らしていますとなかなかできないことで、何度もやりたいとは別に思いませんでしたが、一度、やってみたいと思っていたのです。又、その時、川崎市幸区のアパートに住んでいたのですが、そのアパートに入居する前は、横浜市港北区の日吉台学生ハイツに住んでいて、日吉台学生ハイツというのは、館内に売店と食堂があり、売店や食堂は真夜中には閉まっていますが、サンドイッチや菓子パンの自動販売機、ハンバーガーの自動販売機、カップヌードルの自動販売機といったものが地下にあって、それは真夜中でも利用できたので、それを利用することを考えると、アパートに住んで近くのコンビニに真夜中に買い物に行くというのは、たいした違いはないようなところがありました。
   東京でも年に1回か2回、積もるような雪が降ることがありますが、その時も雪が道にいくらか積もっていました。雪道を歩いていたところ、U字溝のあたり、U字溝の中だったか脇だったか、もう忘れてしまいましたが、カジュアルな財布が落ちていたのです。開けてみると、千何百円だったか二千何百円だったかそのくらいしか入っていない財布でした。それでも、落とした人は、財布を落としたというのは悲しかったのではないかと思ったのです。
   その時、私にとって運が悪かったのは、その時、住んでいたアパートから最も近い24時間営業のコンビニであったセブンイレブンの向かいに交番があったという点です。 もし、セブンイレブンの向かいに交番がなければ、拾って届けようという気持ちになったかどうかはわかりません。 しかし、ともかく、コンビニの向かいに交番があったので、それで、たいした金額は入っていない財布だけれども、それでも、財布というものは、落とした人にとっては、戻ってくるとうれしいでしょうし、失くしたというのはショックだと思い、それで、セブンイレブンの向かいの交番に届けました。幸警察署古市場交番です。インターネットで検索すると、今もその交番はあるようですが、そこに勤務している警察官はその時の人とは別の人になっている可能性が高いでしょう。
   警察官は、私が財布が落ちていたことを言うとどうしたか? どうしたと思いますか?  「おう。そしたら、調書書くから、そこ、座って」とあごをしゃくって前の椅子を示したのですが、その態度は、まるでこちらが何かの犯罪の犯人であるかのような態度だったのです。「私は犯人じゃないよ、あんた」と思いました。 我慢して、住所・氏名とか書きましたが、その警察官の態度を見て、なんだか、届かない方が良かったみたいだなと思いました。・・というよりも、「もとあった雪道に戻してきてやろうか」という気持ちになりました。 お金が入った財布を拾った場合、一定期間にその落とし主が現れないと、そこに入っていたお金は拾った者がもらえるとか言いますが、私はそのお金が欲しかったから交番に届けたのではない。又、もらえたとしても、たいした金額が入っていたわけでもなく、届けた古市場交番ではなく幸警察署まで行かないといけないとなると、幸警察署までの往復の手間と原付で行くとしてその往復のガソリン代とを考えると、アルバイトの時給分になるかならないかくらいです。そんなものを欲しかったのではなく、たとえ、少ししか入っていない財布であっても、落とした人としては、戻ってきたらうれしいだろうし、失くして戻ってこないとつらいだろうからと思って届けたのです。 それを、なんだか、まるで、ひとを犯人みたいに扱うというのは、そういう態度を取られるのであれば、もう二度と届けるもんか! という気持ちになりましたし、「元あった雪道に戻してきてやろうか、こんちくしょう!」という気持ちになりました。
   内田康夫の浅見光彦シリーズには、「『第一発見者を疑え』というのが捜査の鉄則」という話が何度も出てきます。その結果、善意で警察に連絡した通報者が「人相の悪い男」の刑事に疑われて、まったく嫌なやつだな・・・と思うという場面が何度も出てきます。浅見光彦自身が何度も警察官から犯人扱いされて留置場に入れられ、身元を調べられたあげく、「兄上は警察庁刑事局長さま」というのが判明したところで警察の態度が一変する・・・という水戸黄門みたいな展開がしばしばありますが(作者はけっこうその話が好きみたいで、何度もその場面が登場します)、テレビの水戸黄門では、「三つ葉葵の紋」の入った印籠を見せられた悪代官に対して、水戸黄門は得意がって「はっはっは」とか笑ってみせるのに対し、浅見光彦は、急にへこへこしだす署長よりも、ふてくされる「人相の悪い刑事課の巡査部長」の方にむしろ親しみを感じたりするというあたりが、この作家が評価されるところではないかと思います・・・・が、内田作品がどうかはさておきまして、「『第一発見者を疑え』というのが捜査の鉄則」なんてそんなの、その頃は知らなかった。この「鉄則」からするならば、たいしてよく考えずに道に落ちていた財布を交番に届けるなんてことをして、もしも、「その財布は川崎古市場殺人事件の被害者が持っていた財布であった」・・・なんてことになると、ほかに情報がないとなると、まず、その財布を届けた者が疑われる・・・ということになりそうです。特に、真夜中に交番に届けたりしているわけですから、「不審者」と「認定」される要素はある・・・て、コンビニに買い物に行ったくらいで「不審者」にされたのではたまったものではないし、実際問題として、「人相」で判断するなら、人相の悪い人間の多い職業というと、「ヤ」さんを別にすれば警察と不動産屋が間違いなく双璧だと思われ、「不審者」かどうか人相で決めるなら、警察官こそ「不審者」と違うんかい? て感じがしますが。 たとえ、「川崎古市場殺人事件」ではなかったとしても、「強盗に奪われたものだった」「その強盗は顔を隠していたので誰かわからない」ということだと、これもまた、「真夜中に届けたやつが怪しいのではないか」とか疑われてしまう危険があることになります。なにしろ、「第一発見者を疑え」から考えると、財布の「第一発見者」は届けた人間ですから。こういったことを考えると、「落ちている財布は拾うな。ましてや交番に届けるな」というのが「善良な市民」の心がけかもしれませんね。 でも、悲しいですね。この少し前、この近所の公衆電話で電話をして、その際、電話機の上に置いたファイルを持ち帰るのを忘れたことがありまして、「しまった」と思って見に行くと、すでになかったのですが、警察に尋ねると届けられていたということで助かったということがあったのです。だから、私も落とした人は、たいして入っていない財布であっても戻ってくるとうれしいだろうと思い、持ち主に戻してあげたいと思ったのですが、そう思って交番に行くと、「おう。調書とるから、そこ、座って!」とまるでこちらが犯人みたいな態度をとられた・・・。こんなことなら二度と届けるもんか! なんて気持ちに市民がなってしまうというのは、なんとも悲しい。

( ↑ ☆1つ。日光の手前=今市(いまいち)。 古市場交番。 )

   (2019.1.1.)

☆ 正月と一月の想い出
【1】お年玉を貯金の名目で取上げられた経験。心理学にかかればどうしたって外罰的性格https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_7.html
【2】ええもんばっかり買ってやったと言う父親-クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた話[上]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_8.html
【3】ええもんばっかり買ってやったと言う父親(2)脂の塊なんか食うな!-正月にとりあげられた話[中]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_9.html
【4】クリスマスに幼稚園でもらった物を正月にとりあげられた経験[下]https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_10.html
【5】「年玉よこせ」と言って追いかけてくる40代ストーカー、落し物は届けるな 〔今回〕
☆ クリスマスと年末の想い出-チキンライス・お湯なしヌードル。粗末にしていい客と指定されてまで買うなhttps://tetsukenrumba.at.webry.info/201812/article_1.html 

恐山殺人事件 (角川文庫)
KADOKAWA
2000-10-28
内田 康夫

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≪ 「それじゃ、とにかく警察にこのこと話しますけど、この紫水晶はどうしたらいいのかしら? ・・・(略)・・・   ・・・・あ、そうだわ、警察に預かってもらったほうがいいんじゃないかしら」
 紹子は、ようやく救われる方向を見出したような気がしたが、浅見は首を傾げた。
「はたして警察が預かってくれるかどうか・・・・べつに犯罪がからんでいないとすれば、紫水晶の所有者はあなたですからね、警察が預かる筋合のものではないのです。しかし、とにかく一度相談してみるといいでしょう。ただし、警察というところはあまり愉快な場所ではありませんから、その点だけは覚悟して行ったほうがいいですよ」
「愉快でないっていうと、どういう?・・・・」
「たとえば、あなたにとって不愉快な質問をされて、こんなことなら届けなきゃよかったなんて思うことがあるかもしれません」 ・・・・≫
( 内田康夫『恐山殺人事件』1989. 角川文庫 ↑) 

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