あけおめ【1/6】東京駅の猪と見えなかった富士山。元号を「和暦」と言うな!裁判官は元号を強制するな!

[第423回] あけおめ。東京駅赤レンガ駅舎の猪のレリーフと富士山。箱根と東京スカイツリーから見えなかった富士山。及び、東京スカイツリーとその周辺【1/6】
  2018年(平成30年)も終わり、2019年(平成31年)が始まりました。
  今の天皇は「戦後民主主義」の時代に天皇になった人だけあって、どこまでが本人の意志での発言なのかわからないところもありますが、比較的「リベラル」で、「戦後民主主義」的な発言・姿勢の人であったように思います。「良心的」といえば比較的良心的な対応の人だったのではないかとも思います。 考えようによっては、自民党や「自民党より右」政党の「ほとんどビョーキ政治家」よりよっぽろまともな人だったのではないか。だから、靖国神社の宮司は「天皇へーかはけしからん」とか言い出したのでしょう。しかし、靖国神社の宮司が「天皇へーかはけしからん」などとそんなこと言いだしたのでは、それでは靖国神社という特殊な「神社」の存在を自ら否定するような発言・行為です。なんか、靖国神社の宮司てあんまり賢くないみたいて感じします。そもそも、徳川将軍の子孫が靖国神社の宮司やったりするということからして、どう考えてもおかしい。 福澤諭吉は『やせ我慢の説』(『日本の名著 福澤諭吉』中公バックス 所収)で、江戸幕府の幕臣であった勝海舟と榎本武明の2人が、江戸幕府を打倒して成立した明治維新政府の重職についていることについて、伯夷叔斉とまでいかなくてもいいが、自分達が仕えた江戸幕府が滅びたにもかかわらず、さっさとその江戸幕府を倒した側の政権で重職につくというのは、それは節操がないのではないかと批判しているが、実際、佐幕と討幕の争いの際、佐幕側で戦った者は、榎本武明と一緒に函館で戦った土方歳三は函館で死んでいるし、江戸でも上野の寛永寺では彰義隊が何人も死んでいる。最初は薩摩と組んで長州と戦っていた会津藩の藩士は会津に攻めて来た薩長軍に対し、白虎隊などは自死しているし、下北半島の田名部のあたりに移封されてそこで死んだ者もいたわけであり、それにもかかわらず、元幕臣の勝海舟と榎本武明が明治維新政府で平気な顔をして役職についているのというのは、たしかに節操がないかもしれない。 同様に、もしくはそれ以上に、佐幕と討幕の戦いにおいて、討幕側(勝てば「官軍」側)の戦死者を祀り神さま扱いし、破れた佐幕側の戦死者は決して弔わない東京招魂社の後身である靖国神社の宮司に徳川将軍の子孫がなるなどということでは、それでは徳川家と江戸幕府を守るために戦って死んだ者たちは浮かばれまい。 靖国神社というのはかつては東京招魂社と言い、幕末、佐幕と討幕の戦いの時に、戦が終わった後にはヒューマニズムからどちらの軍に所属した者かにかかわらず戦死者を悼むという施設ではなく、あくまで討幕側(勝てば「官軍」側)の戦死者のみを祀り、佐幕側の戦死者は「賊軍」「賊」だということで祀らない所であったわけです。神社と名のっているけれども、神社は神社でもそういうかなり特殊な存在の「神社」である靖国神社の宮司に徳川将軍の子孫がなるなどというのは、それは徳川幕府を守ろうとして戦って戦死した者たちに対して、あまりにもひどい仕打ちでありあまりにも節操がないのではないか・・・と思うのだが、そういうことを考えない人だから、平気で靖国神社の宮司なんてものになるのかもしれませんね。
   高齢になり、天皇を引退したいと言われたのももっともな話で、一般の職業なら定年退職しても良さそうな年齢で「即位」して死亡するまで天皇業をやらないといけない、その後、その息子なりがまたもや一般の職業なら定年くらいの年齢で即位して死亡するまで天皇業をやらないといけない・・というのは、実際にその職業につく人にとってはけっこう大変ではないかと思われます。 「30くらいでなって65くらいで引退、本人の希望により前後5年程度は長くも短くもできる」・・・というくらいがいいのではないでしょうか。 その問題について、「一度、考えていただけませんか」と御本人が言われたが、あくまでも、「現天皇一代限り」の話としてしまって、現政権は問題を「先送り」してしまったが、これは現天皇に限った問題ではないように思います。誰だって、引退して良さそうな年齢でその仕事について死ぬまでその職業をやらないといけないというのは不自然でしょう。

   今年、2019年の途中で元号(げんごう)が変るという話ですが、とりあえず、この機会に私といたしまして、言わせていただきたいこと。
1. 最近、パソコンのワードで、「挿入」タブの「テキスト」グループの「日付と時刻」ボタンをクリックすると開く「日付と時刻」ダイアログボックスで、「カレンダーの種類」というところですが、「和歴」と「西暦」の2つから選択するようになっているのですが、「西暦」はわかりますが、「和歴」とは何のことを言っているのか、「和歴」が選択されている場合、左の「表示形式」の欄は何が出ているかというと、「元号(げんごう)」で表示されているのです。
   いったい、誰が「元号(げんごう)」を「和歴」だと決めたのか?
「元号(げんごう)」は元号です。 ワードの「日付と時刻」ダイアログボックスの「カレンダーの種類」について、西暦とともに元号での表示もできるというのはいいと思いますが、それを「和歴」などという表記はやめるべきです。ワードの「カレンダーの種類」の表記は、あくまでも、「西暦」と「元号」の2つから選択できるようにするべきです。
   「西洋風」と「和風」という日本語に「西暦」と「和歴」が対応するかのような誤解を招きかねません。 「西暦」は、もともとは、ナザレのイエスが産まれたという歳を紀元0年として、それ以後を紀元後、それ以前を紀元前として表記されたということですが、実際には、ナザレのイエスが産まれたのは、紀元0年ではなかったらしい。だから、結果として、「西暦」はイエスの誕生を境にはしていないわけです。 ですから、かえって、宗教色の薄い暦になっており、「西暦」などと言って西洋向けの暦と考える必要はないにです。 元号は現実に使われてきましたし、年配の人には元号の方が西暦よりわかりやすいという人もいるようですが、ある程度、真面目に学問をおこなってきた者には西暦でないとわかりにくい。
(1) 元号は天皇と結びついた暦であり、天皇や皇室の行事を考える際には元号でいい時もあるでしょうけれども、日本の社会は天皇の即位に合わせて動いているわけではないし、ましてや、日本以外の国は日本の天皇の即位に合わせて動いているわけではなく、天皇中心の暦は世界の歴史を考える上において害があると考えざるをえません。
(2) 平成と昭和くらいならまだしも換算はできるとしても、「明治〇年」なんて言われたらいつのことかわかりにくい。とりあえず、明六社が設立されたのが「岩波(1873)ほど大きくない明六社」で1873年=明治6年と覚えてきましたので、これを基準に換算するとか、敗戦であり「終戦」である1945年=昭和20年、「ひどく不合理(1925)、治安維持法制定」の1925年が、昭和20年ー20年=昭和0年なんてないから、15年の途中で昭和になった大正の14年、「幾人、見つかる(1923)、関東大震災」1923年が「ひとに(12)震災」大正12年。 昭和と西暦は、大阪万博が「せんきゅうう~ひゃくうななじゅう~うねんのお、こ~んにいちいわあ」ということで1970年=昭和45年、阪神の優勝というめったにないことが1985年=昭和60年と、これで西暦と昭和は換算できる。 西暦と昭和は5を足すか引くか、西暦と平成は2を西暦にたすと平成ということで換算できる、大正は元号の大正に1たすと西暦・・としても、いちいち、西暦から元号に換算するか、もしくは、平成から昭和に換算して昭和から大正に換算してさらに明治に換算するか、もしくは、明六社から換算するか、そうでなければ、明治維新1968年=明治1年から換算するかして考えないといけないわけで、不便です。
   また、明治維新から今は何年目かというと、2019年ー1868年=151年。  敗戦だか「終戦」だかから何年目かというと、2019年ー1945年=74年 と計算は比較的簡単にできますが、元号だとそうはいかない。ましてや、関ケ原の戦いから何年なのかなんていうと、西暦では、2019年ー1600年=419年 なんだ、関ケ原の戦いて大昔のような気がしていたが、たかだか400年ちょっとしか経ってないのか・・・とか、すぐに計算できますが、これを元号で計算しようなんてしたのでは、もう大変。
   こうしたことを考えると、年号は西暦を主として表記し、元号は従として使う時は使うというくらいでいいでしょう。
   で、ともかく、和風のデザインとかいう場合、それは自然と日本の人間が形成してきたものを指すのに対して、元号はそうではないのです。 ですから、とりあえず、「元号(げんごう)」のことを「和歴」などという表記は慎むべきです。
2.  ワードの表記も問題がありますが、それ以上に問題が大きいのが裁判所です。 どうも、日本の裁判所は年の表示を元号でさせたがる。 民事裁判よりも刑事裁判の方が過激なようですが、元号は天皇と結びついた暦であり、「思想信条の自由」「信教の自由」を守らないといけない立場である裁判所において、元号の使用の強制は好ましくないのは当然のことです。 こういった問題に無神経な裁判官は、おのれの「法の精神」の欠如を恥じるべきです。
    民事裁判であれ刑事裁判であれ、年の表示は西暦でおこなうべきで、裁判官から生年月日を尋ねられても、西暦で答えるようにするべきです。 「和歴で言うとどうなりますか」などと発言する非常識な裁判官がいるようですが、そういう場合には「和歴とは何のことを言われているのですか」と言ってやるべきです。 「元号(げんごう)」を勝手に「和歴」にされる筋合いはないし。 裁判官という立場の者が、「和歴で言うとどうなりますか」などと発言するのがおかしいのです。

   ということで、年始にひとこと。
1. ワード(Microsoft Word)は、「元号(げんごう)」のことを「和歴」と言うな!
   元号(げんごう)は「和歴」ではなく「元号」と表示せよ。

2. 裁判官は「元号(げんごう)」を「和歴」と言うな!
   裁判官は「元号(げんごう)」の使用を強制するな!
 

これを、とりあえず、言わせていただきたい。

   さて。2019年(平成31年)の「あけおめ」、よろしく~う♪  昨年、このブログを読んでくださった方、ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 昨年、2018年は3月に「推理小説」作家の内田康夫さんが亡くなりましたが、今年、私が死ななければこのブログも、たぶん、続くと思いますので、どうぞ、よろしくお願いします。

   今回は「あけおめ」ですから、2019年(平成31年)の干支、イノシシ が登場するところですね。
で、イノシシ↓
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↑  東京駅 赤レンガ駅舎内 干支の12のうち8の干支のレリーフより イノシシのレリーフ。
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↑ [第358回]《東京駅丸の内駅舎と東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【2/6】―駅舎内部、煉瓦、内部の意匠 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201803/article_3.html にも掲載しましたが、辰野金吾設計の東京駅 赤レンガ駅舎が造られた時、南北のドームの天井に8つの方位に合わせて干支のレリーフが掲げられたそうで、それを復元したものらしい。
   今は↓
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↑  の場所、「丸の内 北口ドーム」にあり、東京ステーションギャラリーに入館することで、すぐ前から見ることができます。

   正月の「あけおめ」と言いますと、干支と「1富士、2鷹、3茄子」で、なんで、茄子が縁起がいいのでしょうね。 富士山は日本の山で一番高いということとともに、全体を見た姿がいいですね。 相撲の優勝力士がをかかえて写真に写りますが、あれはなんで鯛なのか? 雁屋哲が書いてましたけど、鯛がおいしいからという理由ではなく、見栄えのする魚というと鯛だということではないか。 鯛がおいしくないということではないけれども、おいしい魚というのなら他にもあるが、鰻(うなぎ)なんて、にょろにょろしているのを両手でつかんで写真に写っても見栄えがしない。鱧(はも)なんてのもだめ、鰆(さわら)も食べると上品な味がしておいしいけれども、見栄えとなると鯛。 アラという名前の大きな魚が九州の方でとれるらしいけれども、大きすぎて優勝力士がかかえて写真とるわけにもいかない。 赤い色の魚が縁起がいいというと、(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所にいました時には、上棟式に用意していただく魚は、鯛もしくはアカジ と言っていました。アカジというのは、いわき に行くまで聞いたことがない魚でしたが、それほど高くなくて、それでいて、これがけっこうおいしい♪ その後、栃木県佐野市の営業所に移った時、佐野市の住人に話してみたところ、佐野市の住人はアカジという名前の魚を知らないようでした。「赤字だなんて、縁起の悪い名前ですね」なんて言われたことがあります。アカジという名前は、おそらく赤い色をしているからで漢字だと「赤字」ではなく「赤地」ではないでしょうか。アカジというのは福島県浜通りだけでとれる魚なのだろうかと思っていたら、『美味しんぼ(おいしんぼ)』に載っていました。福島県浜通りでアカジという魚は、関西ではキンキと言うのです。但し、キンキと言っても近畿地方でとれるわけではない。なぜ、キンキというのかよくわかりませんが、けっこう広い地域で食べられる魚だけれども、地域によって呼び名が違うらしい。
※《ウィキペディア―キチジ》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%B8
そのアカジもしくはキンキもまた、赤い色をしているので縁起のいい魚だと福島県浜通りでは考えていたのですが、栃木県南部の人間と話をすると「赤字なんて悪い名前ですね」とか言う人がいたので、地域によって受け取り方が違うんだなと思いました。それで、鯛は形も色合いも見た目がいいので、優勝力士が持つにはふさわしいということなのでしょう。山もまた、日本には富士山のほかにも「名山」はあるわけですが、少し離れて全景を見て、縁起が良さそうに見える山というと、やっぱり、富士山なのでしょう。
   はどうかというと、『ゴルゴ13』では、西アジアのアラビア人の間ではハヤブサという鳥が特別の鳥として評価されているという話が出ていましたが、たしかに、ハヤブサとか鷹とかは精悍な感じがしますよね。ペリカンとかは、悪くはないけれども、縁起物て感じじゃない。カラスなんて、演技悪そうだし、ハゲトキなんて、お父さん、禿げそう・・・・・。 だから、日本では鷹てことかな?
   よくわからんのが、茄子。 なんで、茄子なんだろ?  《ウィキペディア―初夢》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%A2 を見ると、≪ 江戸時代に最も古い富士講組織の一つがあった「駒込富士神社」の周辺に鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、駒込茄子が名産であったため、当時の縁起物として「駒込は一富士二鷹三茄子」と川柳に詠まれた≫と書かれています。 そういうことか・・・。
   で、富士山が↓
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↑ 「東京スカイツリーと富士山」
スカイツリーから富士山を撮影すると、こうなるのかあ・・・・・なんてわけないわな。 スカイツリーから撮ってスカイツリーが写るわけないがな。
↑ は絵葉書。 スカイツリーの展望室の売店で買った絵葉書。
で、どうやって撮った写真なんだろ・・・て思いませんか? スカイツリーが手前に写って遠景に富士山が見事に映るように撮影できる撮影スポットて、どこなんだろ・・・て。 で、「建築探偵団」はスカイツリーの展望室の売店のおねえさんに質問してみた。 「これって、どこからどうやって撮った写真なのでしょう?」と。
   ほぼ、真横くらいの位置からの写真じゃないですか。ということは、スカイツリーと同じくらいの高さから撮影しないとこうは撮れないのではないか。 この写真を撮るためにヘリコプターを飛ばせて、ヘリコプターの窓から撮ったのか?  それとも、「合成」なのか、「捏造」なのか? 
・・・で、おねえさんの答えは「わかりません」・・・でした。 まあ、聞かぬが華か。

   なぜ、絵葉書を使用することになったのか。 それは、ね。富士山の写真を撮れなかったから。 干支のイノシシと富士山の写真を使用して年賀用のはがきを作成しようと考えたのです。で、イノシシはどこかの動物園に行くといるだろうけれども、動物園に行ってイノシシでは芸がない。京都のなんとか神社に行くと、狛犬が犬ではなく獅子でもなくイノシシだというけれども、京都まで行くには交通費がかかるし、神社の狛イノシシでは宗教色があり、ひとによっては好まない人もあるかもしれない。 そこで、↑の東京駅赤レンガ駅舎のイノシシのレリーフにしたのです・・・が、次が富士山。
   富士山がきれいに見えるところ・・・・というと、関西人が思い浮かべるのは、新幹線「三島」駅から見た富士山。 なんで、三島駅かというと、三島駅から北側に富士山がきれいに見えるわけです。電車の窓からも見えますが、駅からというと、熱海からは見えないし、静岡駅で下車したことないからようわからんが、あんまり見えないのじゃないかな。 その間の車窓でも見えるけれども、駅としては三島駅。最近は、「新富士」なんて駅もできたが、三島は三島駅付近に用事がなくても、伊豆箱根鉄道との乗換駅として下車することもある。 しかし、たとえ、1年少々とはいえ、山梨県に住民票を置いたことがある「元山梨県民」としては、山梨県側の富士山をお勧めしたい。 そもそも、富士山というのは、山梨県側から見た富士山と静岡県側から見た富士山は、どっちが表でどっちが裏なのか?  恐山菩提寺に行きました時、お坊さんが「恐山菩提寺では恐山菩提寺の側から見た釜伏山を表側と言い、大湊の方から見たものを裏側と言っているけれども、大湊では大湊の側から見た釜伏山が表で、恐山の方から見た釜伏山が裏だと言っている、富士山と一緒だ」なんて言うておったが、そうかもしれん。地図だけ見ると、地図は北を上に書いてあるので、静岡県側から見るのが表みたいな感じがするが、甲府に行った時に見えた富士山は迫力があり、こりぁ、山梨県側の方が表だわ♪ と思ったものでした。 で、その後、年賀状を作成するために、天気予報で「晴れ」の日を選んで、わざわざ、甲府まで行ったところ、見えねえ~え!!!  甲府から富士山が見事に見えるのは、相当天気のいい日のことで、天気予報で「晴れ」で実際に雨は降っていないという日でも富士山は見えない日は少なくないらしい。 で、あきらめた。 さらに、「大学生」であった時、箱根の保養所で下男(名目は「雑務」)の仕事を泊りがけでアルバイトをしたことがありまして、箱根には親しみがありましたので、そして、『日本の神社 開運!聖地の有名神社案内』(2014.5.18.宝島社 TJ MOOK )の「箱根神社」の稿に、芦ノ湖を手前にして富士山が見事に写っている写真が掲載されていたので、箱根神社に行ったのですが、ところが、見えねえ~え! な~んでだ? ・・・というと、箱根神社というのは芦ノ湖の東よりの北岸にあり、北側は山なんです。だから、箱根神社のあたりからは芦ノ湖をとりかこむ山にさえぎられて富士山は見えないのです。 元箱根のバス停のあたりからも見えません。芦ノ湖の湖畔からは見えないのか・・・と思いきや、帰りのバスの窓から、一瞬、見えた。けっこうきれいに。 それは、箱根関所の南のあたりからですと、芦ノ湖の南岸になるので、芦ノ湖の向こう側の山のさらに向うに富士山が見えるようなのです。それで、今年は、芦ノ湖の南岸に行ってみたのですが、その結果が↓
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↑ 俺は前から、もしかしてアホと違うかいなあ、アホと違うかいなあ~あ・・と思っていたけれども、やっぱりアホやった・・・・。「ごくろうさん、寒いのに~い」。 何しにわざわざ言ったんや・・・と言うのか、箱根て何県かというと、神奈川県ですから、なんか近いような気がしたのです。 そうは言っても、神奈川県と静岡県の境目に近い神奈川県ですから、東海道本線の快速で行くのではなく、ここは「こだま」の自由席で行こうと考えて東京駅から小田原駅まで「こだま」で行ったのですが、小田原駅から乗ったバスがずいぶんとかかるんだわ、これが。 で、11月の終わり、日は短く、小田原駅を出たころはまだ昼だったのが、バスが宮ノ下から小涌谷、芦之湯を通って元箱根なんて来た時には真っ暗。 で、箱根関所のあたりに来ると、そこには、「あの芦ノ湖の遊覧船、いったい、どこから入れたのか。これ考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね」で有名な芦ノ湖の遊覧船が停まっていたけれども、その向こうの芦ノ湖は真っ暗だし、富士山が見えるか見えないかの前に、照明がついている店は別として、何にも見えない。うかつに湖に近づいて落ちたら死ぬで。箱根まで写真撮りに行くのなら、昼過ぎに東京出て行くなんてことしたらあかんで。朝一番に出て行かんと、何をしにいったのかわからんことになるで。
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↑ 「夜の芦ノ湖の遊覧船」が真っ暗な湖に船のライトが映える・・・なんてのを見ることはできたけれども・・・、夜の湖というのは、あんまり、気持ちのいいものではないですね。

( ↑ の 「闇夜の芦ノ湖」写真 撮影地点。)

    で、「東京から行くと思いのほか時間がかかる箱根」は、今年はとりあえず、やめにして、東京付近で富士山が見えそうな所から撮ろうと考えた。 しかし、過去に、千葉県の鋸山から富士山が見えたことがあるので、そこからと思って「晴れ」の日を選んで行くと、2日連続で見えなかったということがあった。 鎌倉の建長寺の上の半僧坊のあたりからも富士山が見えたと思うが、鋸山と条件は似たようなものかな。
   で、今は東京都内にも、「高層ビル」がいくつも建っているわけで、高層階に展望室があるビルは少なくないはずだ。 思い浮かんだのは、東京都庁舎・池袋サンシャイン・東京タワー・横浜ランドマークタワー・浜松町の貿易センタービル、それに、東京スカイツリー。 で、「今、流行の」というと、東京スカイツリーなので、「建築探偵団」としては、やっぱり、一度は行ってみるべきだと考えたのだ。東京スカイツリーから、足元にあるはずの「アサヒビールのビル屋上の う〇こみたいなやつ」は「真上から見ても、やっぱり、う〇こ」だろうか・・・などということも考えたし。
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↑ JR総武線「錦糸町」北口駅前から見た「東京スカイツリー」。
「東京スカイツリー」は、最寄駅としては、東武「スカイツリー前」(旧「業平橋」)もしくは、京成押上線・都営浅草線「押上」、東京メトロ半蔵門線・東武「押上」ですが、半蔵門線で「錦糸町」から「押上」まで1駅分、東京スカイツリーがどのように見え方が変化するかと思って、錦糸町駅から歩いてみた・・・・が、まあ、夢のないこと言うようだが、結論としては、近づいていくだけだな。


  今は昔、慶應大学の三田キャンパスの横の国道1号から北の方を見ましたところ、かの有名な東京タワーが見えたのです。それで、なんか、すぐそこみたいに見えたわけです。それで、一度、行ってみよう、道順なんて調べなくても見えるんだから、そこを目指して歩いていけばすぐ着くだろう・・・なんて思いまして、歩きだしたのですが・・・・・、結果として、俺はもしかしてアホと違うかいなあ、アホと違うかいなあ、アホと違うかいなあ・・と思っていたけれども、やっぱり、アホやったとわかった! なんか近そうに見えても、けっこうあるんだわ、慶應大学の三田キャンパスから東京タワーまでは。 もう、やらんわと思ったが、あらかじめ、地図で距離を確認した上で、これくらいの距離かと思って歩いてみるのはいいだろう。

( ↑ 「旗」マークが、東京タワー。 )
   東京スカイツリーは、450mの「展望デッキ」と、さらに上の450mの「展望回廊」まで上がることができる。先端まで、武蔵(むさし)で634mというがその634mまで上がれるわけではない。 で、行ってみた第一の感想としては、「たけえ~え!」て、これ、地面からの高さのことではなく、入場料金が「たけえ~え!」。 東京タワーはもっと安い♪ 東京タワーも展望室は2ヵ所あるが、スカイツリーの場合、下の「ソラマチ」でカネ払って「展望デッキ」まで上がっても、そこからさらに上の「展望回廊」に上がるのにさらに料金がいる。 なんか、ボリよるわい! ほんま。 その点、東京都庁舎の展望室はいいわ。なにしろ、た~だやからな♪
※ 東京スカイツリーHP http://www.tokyo-skytree.jp/
 東京スカイツリーHP フロアガイドhttp://www.tokyo-skytree.jp/floor/

   で、一般見学者が上がれる一番上の450mの「展望回廊」まで上がっても、見えねえんだわ、富士山が。
 東京スカイツリーもまた、二重にカネはらって上がったのに、「富士山、見えねえじゃねえかよお」とか文句言われるのも嫌みたいで、中間の「展望デッキ」から「展望回廊」に上がるエレベーターに乗る所の前に、
「 どこそこ 〇
 どこやら 〇  
 横浜 △
 富士山 × 」
なんて書いたボードを掲示していたが、「富士山 ×」だって。 天気予報で「晴れ」を確認した上で来たのにからに、「×」だって。 で、ともかく、それでも、上がって見たのだ。450mの「展望回廊」に。
   その展望回廊から見た西の方が↓
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↑ この写真の右端あたりが新宿。 たしか、富士山の方向だと思うのだが、見えねえ~え!
   ということで、今年の「あけおめ」は、スカイツリーの中ほどの「展望デッキ」の売店で購入した絵葉書と東京駅赤レンガ駅舎のイノシシの干支の復元レリーフにて、
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  にて、「あけおめ。よろしくぅ~う♪」
ちなみに、「東京スカイツリーと富士山の組み合わせ」は、あれは、「合成」もしくは「写真風の絵」だと思うな・・・・。

   次回https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_2.html 、東京スカイツリーと業平橋などについて、もうちょっと。及び、「最近の交番建築」と「精神病院建築」に共通する「デザイン化という衣の下に隠す鎧」という建築における性質。

  (2019.1.1.)

☆ 2019年 あけおめ
1.東京駅の猪と見えなかった富士山。元号を「和暦」と言うな!裁判官は元号を強制するな! 〔今回〕
2.錦糸町~押上から見た東京スカイツリー。衣の下に鎧を隠す建築たる交番と「精神病院」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_2.html
3.貧乏人には東京スカイツリーは「高い」。展望デッキから見たAビール屋上の「う〇こ」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_3.html
4.東京スカイツリー展望デッキから見た景観。展望デッキの木質内装建材 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_4.html
5.東京スカイツリー展望回廊より見た景観。細く見えてもけっこう太い骨組。変な線名駅名 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_5.html
6.スカイツリー避雷装置。業平橋と大横川親水公園。在原業平からの由来 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201901/article_6.html

天皇制 (東大新書 (6))
東京大学出版会
井上 清

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≪ 近代民主革命においては、しばしば暦法や紀年法の変革がおこなわれたことがある。というのも暦法や紀年法が、東洋においても西洋においても、しばしば封建的あるいは古代的専制政治とかたくむすびつけられていたからである。
   わが国の祝祭日や年号制という紀年法も、われわれ日本人民を専制天皇にむすびつけてきたところの、きわめて重要な専制政治制度の一部であった。
   祝祭日制度はあまりにもろこつに、だれの目にも明白に、専制天皇およびその国家神道とむすびついていたので、敗戦後の日本民主化の一環としての国家と神道の分離とも関連して、そのような祝祭日制の改廃も問題にされた。それは祝祭日制の本気の改革というよりも、たんなる見せかけにすぎないものではあるが、とにかく祝祭日制の民主化のかんばんだけは、かかげられ、世論の関心も相当によびおこした。
   ところが年号制、すなわち専制君主制による、そのための紀年法については、いまなお全く問題にもされていないのは、どうしたわけであろう。年号制は祝祭日制のようにめだたないし、国家神道とのむすびつきもないからであろうか。しかし、このめだたない年号制は、祝祭日制よりも、さらに深刻に人民を専制君主制にむすびつけるものである。・・・・ ≫
( 井上 清「年号制廃止論」 〔 「世界評論」1950.2. 所収 〕 〔井上清『天皇制』1953.1.10.東京大学出版会 東大新書↑ 所収。〕 ) 

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