クリスマス・年末の想い出-チキンライス・お湯なしヌードル。粗末にしていい客と指定されてまで買うな

[第422回]
1.  最近ではスーパーでも1月2日くらいからは営業している店が多く、コンビニは1月1日の午後からはやっているようですが、かつてはそうではなかった。1980年代前半、横浜市の日吉で年末から年始にかけて過ごした時、食べるものがなくて苦労しました。この時はお金があるかないかの問題ではなく売っている店・営業している店がなかったのです。
   1980年代前半、慶應大学の日吉キャンパスのそばにあった日吉台学生ハイツで年末年始を過ごしたのですが、一人暮らしをして、初めて年末年始を一人で過ごすことになったけれども、食べ物屋は観光地、特には初詣に行く人が多い有名な寺社がある所ではむしろかき入れ時で、普段よりも高い値段をつける店もあるかもしれないけれども営業していないということはないはずですが、日吉なんて所では参拝に来る人なんてないし、むしろ年末年始は大学生は帰省していないという街では食べ物屋はどこもかもが休みです。それなら、お弁当を売っている「ほかほか弁当」のような店とかサンドイッチを売っている店とかはどうかというと、それも休み。スーパーでと思ってもスーパーも年始は休み。コンビニも今みたいに1月1日から営業したりはしていませんでした。日吉台学生ハイツの食堂も休みで売店も休み。日吉台学生ハイツにはサンドイッチやメロンパンなどの自動販売機がありましたが、パン屋が入れ替えに来ないので年末になると機械はあっても中身はありません。ハンバーガーの自動販売機もありましたがこれも入れ替えにこないので売り切れです。カップラーメンの自動販売機もあってこれは在庫がありましたが、ところがお湯がなくなって出ない。
   それで、どうしたか。カップヌードルをお湯なしで食べました。おいしかった。おいしく思えた。『味いちもんめ』という板前を描いた漫画で、新宿の「割烹 藤村」の常連客の中小企業の経営者のおっさんが、かつて、うまくいかなかつた時によく食べた食べ物を食べると、その頃を思い出して、「なにくそ」という気持ちになって元気がでると話す場面がありましたが、私にとってはその「元気食」のひとつが「お湯なしカップヌードル」でした。「でした」というのは、カップヌードルというのはお湯をかけて2分だか3分だかして食べるものと思っていたのですが、お湯がない時にはそのまま食べても食べれるものだと思い、けっこうおいしいじゃないかとも思ったのです。インスタントラーメンをそのままかじるのも「いける」と思ったのですが、カップヌードルの場合は麺だけでなく「具」も入っていて具もけっこうおいしい♪・・とその頃は思ったのです・・が、それから何十年か経ち、その時と同じように食べてみましたところ、「体力的には20歳から衰えない」という意識で生きてきましたが、やっぱり現実はそうもいかないのか、若い頃とは胃腸の状態が違うのか、食べた後、胃が痛んで苦しみました。カップヌードルをお湯なしで食べるのは、若い頃なら1回くらいならあくまで「経験として」いいのかもしれませんが、歳いってやるものではないようです。

2.  東京から大阪まで帰るのに、どういう移動手段をとるのがいいか。私、中学生か高校生の頃、大学に行ったら、夏休みでも利用して、一回、すべて普通を利用して全国一周してみたいなあなんて思ったことがありました。似たようなものとしてシベリア鉄道をモスクワからウラジオストクまで乗るなんてことやる万年青年もいます。そういうのなら楽しいと思います。でも、そうではなく、いかに安くあげるかということで普通に乗るというのは、これは別に楽しくはありません。
    東京―大阪間の運賃については、私は大学生の時、けっこう調べたのですが、
(1) 飛行機のエコノミークラスと新幹線の普通車なら新幹線の方が安い。
(2) 新幹線の普通車と夜行急行「銀河」号のB寝台は同じくらい。
(3) 東京駅を夜11時半くらいに出る大垣行き快速は、普通運賃だけで乗れる(後に「ムーンライト長良」という名称がついて全車指定席になって指定料金がかかるようになり、さらにその後、なくなりましたが、その頃は、全車自由席で普通運賃だけで乗れた)ので新幹線よりも特急料金の分だけ安い。
(4) 東京駅の八重洲口を出る国鉄夜行バスは、東海道本線の普通よりも安い。
(5) 高速バスは、夜行は東京―大阪間があるが、昼間は東京―名古屋、名古屋―大阪 を名古屋で乗り継ぐことになる。昼か夜かで値段が違うわけではない。昼間の高速バスで東京から大阪まで(もしくはその逆)を乗ると、夜行と違って何か所にも停車するし、ものすごい時間がかかって疲れる。特に箱根から東が渋滞して時間がかかることがある。
(6) 名古屋―大阪間については、近鉄特急があり、名古屋から大阪、大阪から名古屋なら、新幹線が約1時間で行くところを約2時間で走り、新幹線より安いのでけっこう使えるが、東京―大阪間だと、名古屋から東をバスに乗るのならあまり意味がない。
・・・といったことを考えました。今では、東京発大垣行きの夜行快速はなくなり、夜行バスは東京圏と関西圏を結ぶ夜行バスは国鉄バス以外にも何社も走るようになりました。飛行機の場合、全日空・日本航空の株をある程度持つと、株主優待券として半額で乗れる券をくれます。株を持ってない場合は、そういうチケットを売っている店があるのでそこで優待券を購入して「半額+優待券代」で乗るという方法もありますが、飛行機のエコノミークラスの半額と新幹線の普通車の料金は同じくらいで、片方が値上げしたりすると他方が安くなる・・というようになります。飛行機に乗るのがステータスだとかアホなこと思っている人もいるらしいのですが、飛行機はある程度の距離がある所に行く場合にはいいのですが、東京―大阪間なら実際問題として新幹線の「のぞみ」の方が便利です。乗っている時間は、飛行機の方が短くても、30分前には行かないといけない、手荷物検査で時間を取られたというケースを考えると1時間前くらいには行くようにしないといけない、飛行機の出発時刻というのは車輪が地面から離れた時刻のことで、到着時刻も地面に着く時刻で、地面についてから乗りかえの電車・バスの乗り場までに時間がかかる、東京駅から羽田までの時間が余計にかかる、飛行機が風で飛べないという可能性と新幹線が走れない可能性なら飛行機が飛べない場合の方が多い・・といったことを考えると、なにしろ、今は新幹線「のぞみ」は通勤電車なみにひっきりなしに出ますから新幹線の方が便利です。マイカーはどうかというと、行った先でクルマで移動する必要があるなら、高速代とガソリン代を合わせると、新幹線より少し安いというくらいで、新幹線で行って行った先でレンタカーを借りるよりもマイカーで行き来した方が安いが、東京―大阪間をひとりで運転するとけっこう疲れます。夜、走ると道がすいているかというと、東名・新東名は夜でもすいていません。むしろ、夜は箱型トラックが多く、普通乗用車で走ると、前に箱型トラックが走られると前方が見えにくくて極めて運転しにくい。飛行機だと、たまに、航空会社がダブルブッキング、定員以上に券を販売してしまって、希望者には返金した上で新幹線代を出してくれるだかそういうことがあるみたいです。あくまで、「たまに」ですが、一度、大阪伊丹空港で待っていた、そういう放送を聞いたのですが、若い頃ならともかく、この歳になって、そんなものを申し出て、得した得した・・なんて考えるというのは、なんか、情けないなあ~あ・・と思いました。「たまに」しかありませんから、最初から期待してもだめです。
   1980年代初め、東京駅の八重洲口から夜行の国鉄バス「ドリーム号」で大阪駅まで乗りました。最後、日吉から渋谷、渋谷から東京駅までの運賃と、大阪の梅田からの運賃の分だけ残すと、東京駅から乗る日の食事は昼か夜のどちらか一食分しかありませんでした。日吉の慶應大学と逆側(西側)の郵便局の向かいあたりにあった食堂で、チキンライスを注文して食べたのですが、そのチキンライスのおいしかったこと。本当はオムライスを食べたかったのですが、オムライスの方がチキンライスより高くてオムライスを注文するお金はありませんでした。夕食はもう食べるお金はないので省略です。大阪駅には午前6時くらいについたような気がしますが、朝食もお金がないので省略です。東京駅八重洲口の国鉄バスの乗り場には、「男には男の夢がある」という文句が書かれて『あしたのジョー』の絵が描かれたポスターが貼ってありました。何のポスターかというと、国鉄バス「ドリーム号」の宣伝のポスターです。もうひとつ、近鉄の西本幸雄監督の顔が描いてあって、「投げたらいかん」という文句が書かれているポスターも見ましたが、これは覚せい剤使用を戒めるポスターでした。
   北摂地区の実家につくと、父から「おまえ、ドリーム号なんてそんなもん、乗ってええのか、おまえ。そんな贅沢してええんか。贅沢すんな。もうちょっと、安くする方法を考えなさい」と言われたのですが、しかし、「安くする方法を考えなさい」と言われても、↑に述べたように、飛行機エコノミークラス>新幹線普通席(≒夜行急行「銀河」号B寝台)>東海道本線普通>夜行国鉄バス「ドリーム号」 で、夜行バスよりも安い交通手段なんてないのです。「甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては、チャンコロ」と父は言うのですが、それなら、いったいどうすればいいのか。考えて考えてしましたが、日吉から渋谷まで東急東横線に乗り、渋谷からJR山手線で東京駅まで行きましたが、それを電車に乗らずに日吉から東京駅まで歩けばその分の交通費は節約できたかもしれません。あるいは、大阪駅に着いてから阪急に実家の最寄駅まで乗りましたが、それを乗らずに大阪駅から歩けば良かったのかもしれません。もしくは、実家の最寄駅まで乗るのではなく途中の駅で降りて歩くようにすればその分だけ交通費は安くなったかもしれません。もしくは、大阪行きドリーム号ではなく京都行に乗って京都駅から北摂地区の自宅まで歩くか。そうでなければ、大阪に着いた朝は朝食は食べず、東京を出る日は夕食はとらず、昼食に日吉でチキンライスを食べましたが、夕食だけでなく昼食も食べないようにすれば、その分、安くできたということでしょう。いっそ産まれてこなければ良かったのかもしれません。父もそう思ったのか、「よくも産まれてきおってからに、チャンコロ! 産まれなければよかったのに、チャンコロ!」と私の顔を指さして何度も何度も言っていました。「産まなければよかったのと違うのですか」と言いましたが、「何を言うとるんじゃ、産まれなければよかった人間を産んでやってあげてやってもらってくださってあげてやったったんじゃ、感謝しろ、チャンコロ!」と言うのでした。産んだのは母親であって父親ではないのではと思ったのですが、父の考えはそうではなく「女に産んでもらったなんぞと考えてはならぬぞ、チャンコロ」と言うのでした。「女は単なる畑で、畑が子供を産んだのとは違うねんぞ。心得違いをおこすなよ。畑に種を植えてあげてやってくださってもらってくださったお方のおかげで種が畑から芽をだすことができたんやぞ。そんで芽が出たなら育てるのは畑の役目じゃ。畑が育てて実がなるようになったら種を植えた者に権利はあるんや。畑に権利があるのとは違うんや。ましてや茄子や胡瓜に権利があるわけがないんや。わかっとんのんか、茄子! 自分が産まれてきたことを反省しろ! 『産まれてきて申し訳ございませんでした』と言って地面に頭すりつけて謝りなさい」と言うのでした。「世の中いろいろ、家庭もいろいろ」ですが、できたら、そうやって呪われて産まれるのではなく、祝福されて産まれる家庭に産まれたかった・・が、どこに産まれるかは自分で選べるものではないのでしかたがありません。「『親に感謝!』!じゃ『親に感謝!』! 戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元!とってちってたあ!」とおっさんは言っていました。
   東京を出る日の昼に食べたチキンライスは本当においしかった。空腹だったからということもあるかもしれませんが、おいしかった。その頃、30くらいかという感じの夫婦でやっていた店でしたが、それから何十年か経ち、日吉に行くことがあった時、もう一度、あの店でチキンライスを食べてみたいと思って行って見ましたが、もう、そこにはその店はありませんでした。

3. 日吉の慶應大学日吉キャンパスのすぐ南にあった日吉台学生ハイツに、最初、入居しましたが、この施設は防衛庁・自衛隊の関係者が運営する施設で、運営者の教養水準が低い。かつ、要するに右翼の経営する施設ですから、入居者にそういう「教育」をしようとするのです。防衛庁・自衛隊関係者は一般の人間よりいくらか安いらしいと聞きましたが、我が家は違いますので、あえて、そういうい右翼の施設に入っている必要もないと思い、他と比べて安いわけでもないし、特に、部屋代と管理費からなっていたのですが、「管理費」がけっこうしたのです。「管理費」というのはホールやエレベーター・廊下・トイレなどの共用部分の清掃や電話の取次ぎなどの費用のことと最初は思っていたのですが、日吉台学生ハイツの運営者はそうではなく日吉台学生ハイツの右翼運営者が入居者を管理するための費用と解釈していたフシがあります。私は、そんな人に「管理」される筋合いはないと思ったのですが、母は「管理費を払って飼い犬を預けてるのだから、よお~お、管理してもらわんといかん」と言っていました。どう考えても居住環境はいいとは思えなかったので、私はそれよりも安いアパートに変わりたいと言ったのですが、母は「飼い犬のくせして、飼い主が入れている所に文句を言う」と言って認めてくれませんでした。しかし、その後、私から変わりたいと言うと、「飼い犬の分際で飼い主が入れている所に文句を言う」と言って認めてくれない親でしたが、私から言っても、どう考えても居住環境がいいとは思えない右翼の施設にいるのは嫌だというのは認めない親でも、日吉台学生ハイツの「部屋代+管理費」が安くないと思うと、「あんた、もうちょっと安い所を捜しなさい」と父は言うようになり、そして、川崎市幸区のアパートに転居しました。
   川崎市幸区のアパートに住んでいたある冬、父が「あんた、冬休みは帰ってこないでそっちにずっといなさい。交通費がもったいない」と言うので年末年始も川崎市幸区のアパートにいました。銭湯の帰り、銭湯のすぐそばに近所の子供を対象としたゲームセンターがあり、インベーダーゲームが大人用の店なら1回100円だったと思うのですが、子供用の店ですから、1回10円で、10円ならと思ってやっていると、めきめきと腕は上達♪ そのうち近所の子供が寄ってきて横から覗き込み、「うわあ。うまいな~あ! すご~い。又、画面が変ったああ。すごいなあ。うまいなあ~あ!」と感激の声をあげて応援してくれた・・のでしたが、そのうち、これは尊敬されているのか軽蔑されているのかどっちなんだろう・・とか思うようになりましたが、子供のことですから、別に馬鹿にして言っていたわけでもないでしょう。
  私が親なら「冬休みは短いから往復の交通費、夜行バス代約5000円×2=約1万円 がもったいないから帰ってこないでずっとそっちにいなさい」と言うのではなく、「交通費がどうこうなんて関係ない。正月は家で過ごすもんだ。帰ってこいよ」と言うでしょう。「世の中いろいろ、家庭もいろいろ」なのだと思いますが、あのおっさんの顔なんて見たくもなかったけれども、「交通費がもったいない。ずっとそっちにいなさい」と言うおっさんというのは、どういう人かというと・・そういう人だったんだなと思います。

4. 私は、1960年代、子供の時、大阪市東住吉区のカトリック系の幼稚園に行きました。我が家は、父は『聖書』なんてまったく読まないおっさんでしたが、なぜかキリスト教の教会で「洗礼」を受けていました。母も「洗礼」を受けていましたが、それはプロテスタントの教会でした。母は教会に時々言っていましたが、父は教会にも行かないし、『聖書』も読まないおっさんで、なんで、この人、「洗礼」受けたんだろうなあと比較的早くから思ってきたのですが、「洗礼」を受けると同志社大学に「推薦入学」で入れてもらえるという制度があったので、それで「洗礼」を受けたのかもしれません。実際、キリスト教系の大学では「洗礼」を受けると一般入試では合格できない人を「推薦入学」で入学させるという制度を持つ大学が多いようで、“「洗礼」受けて献金払えば「クリスチャン」♪” という思想の人がけっこういるようです。そういうのってどうなんだろ、あんまり良くないてことないか・・とか私は思ったことがありましたが、それこそ「クリスチャン」、「ザ クリスチャン」と思っている人もいるようです。
   私が幼稚園に行く頃、住んでいた場所には、カトリック系の幼稚園と「生長の家」が経営する幼稚園の2つがあり、いずれも、宗教系で、どちらの宗教の信者でもない親は、子供を「どちらかというと」自分の家の考えに近いと思う方に行かせたようです。我が家はカトリックではなかったけれども、「生長の家」とカトリックならカトリックの方がいくらかなりとも近いということでなのか、カトリック系の幼稚園に行かされました。
   「生長の家」というのが何かなんて、幼稚園児の頃は知りませんでした。小学校に入学後、国語の授業で、「せいちょう」を漢字で書けとかいう問題で、「せいちょう」は「生長」だろうと思って書いたら×つけられたことがあり、なんで? 「生長幼稚園」て書いてあるじゃないの? と思ったことがあったのですが、「せいちょう」は一般には「成長」ですが、「せいちょうの家」の「せいちょう」は、なぜか「生長」でした。「生長の家」というのは、仏教系でもなし、あえて言えば神道系、より近い言い方をすると「右翼系」だったのじゃないかと思いますが、幼稚園については、特に「右翼系」の教育をしていたわけでもなさそうでした。ともかく、キリスト教系でないのはたしかですが、小学校で同級生になった者から聞いた話では、それでも、クリスマスの行事はやっていたみたいです。しかし、私が行ったカトリック系の幼稚園の方は正真正銘「キリスト教系」ですから、クリスマスの行事をやるだけではなく、やっぱり、「キリスト教系」のクリスマスをやっていました。
   12月になると全員で劇をやったのです。「イエスさまがお生まれになったお話」を。全員が何かの役をできるように割り振られ、全員が何かひとことセリフがあったと思います。私は、イエスが生まれた時に、東方からやってきて祝いの言葉を述べる3人の「賢者」だか「博士」だかのたしか真ん中のひとりでした。セリフは何を言ったかもう忘れましたが、ひとことだけでした。で、イエスの役をやりたいか? と、もしも、今言われると、あんまりやりたくない。今後、俳優になることがあるかないかというとなさそうですが、もし俳優になることがあって、イエスの話に出るとすると、イエスの役をやりたいか・・というと、あんまりやりたくないですね。むしろ、やるとすると、イスカリオテのユダの役とか、そうでなければ、ピラトとか、もしくは、十字架につけられたイエスに隣から「おまえはひとを助けたが自分を助けることができないではないか」と言う盗賊の役とかそういのをやりたいですね。神さんの役なんてやりたいとは思いまへん。なにしろ、神さんちゃうもん。神さんの役なんて、なんか疲れそうで・・。しかし、幼稚園児にとってはイエスの役って、魅力的でした。やっぱり、劇ではチョイ役よりも「主役」とか「タイトルロール」とかをやりたいですよね♪ オペラ『フィガロの結婚』だとフィガロをやりたいでしょ。そんなもん。イエスの役をやりたかった・・けれども、「クリスマスには、みんなで、イエスさまがお生まれになったお話を劇でやりましょう」と先生から言われた後、「それでは・・・」と先生が言い、「イエスさまの役は☆☆くんね」「マリアさまの役は・・」と先生が指定していくのでした。で、私は東方からやってきて祝いの言葉を述べる3人の「賢者」だか「博士」だかの真ん中に指定されたのでしたが、イエスに選ばれた男って、あいつ、そんなに優秀なんだろうか・・なんてその頃は思ったのでしたが、今から考えると、あれは、もしかすると、幼稚園の理事長かなんかの縁故入社ならぬ縁故入園かなんかのやつだったとかじゃないのかいなあ~あ・・なんて思いますね。その頃はわからなかったが、年齢を行くとともに「大人の世界」を知り、もしかするともしかするのではないか・・なんて思うようになりました。まあ、イエスの役くらい、「やりたきゃやれば」なんて今は思いますね。今なら、イスカリオテのユダか、ピラトか、もしくは十字架の隣の盗賊か、あるいは、イエスが捕らえられた後をついて行き、女中から「私はあなたもあの人と一緒にいるのを見た」と言われて、「知らない。私はあんな男なんてまったく知らない」と言い張り、鶏が鳴く声を聞いて涙を流すペテロの役とか、そういうのをやってみたい・・が、子供はそんなこと思いませんから、イエスをやりたいと思ったが、なんか、「できレース」だったような気が・・今はします。

5.  最近は、幼稚園は3年行く人が多く、又、保育園が多くなったようですが、私が幼稚園児だった1960年代前半は保育園は多くなく、幼稚園は2年間が普通で、私が行ったカトリック系の幼稚園も「年少組」と「年長組」の2年制で、たまに3年行く人があってそういう人は「年少組」を2回やっていました。「年少組」が2クラス、「年長組」が2クラスありましたが、「年少組」の時だったか「年長組」の時だったか、記憶がはっきりしないのですが、12月に入って、廊下の端にテーブルを置き、そこに箱を2つ置いて、となりに小さい藁の切れ端を置いたケースを置いて、先生が「イエスさまは、馬屋でお生まれになりました。皆さんが、少しでもいいことをするとイエスさまの寝床が豊かになります。これから、クリスマスまで、できるだけいいことをするようにしましょう。毎日、何かいいことをするようにしてください。自分でいいことをしたと思ったら、イエスさまの寝床の箱に藁を1本入れてください。その度にイエスさまの寝床がふっくらと寝心地のいいものになります。クリスマスまでにどちらのクラスが藁をいっぱいにすることができるでしょうね。頑張っていいことしてくださいね」と言われたのです。そう言われて、「頑張って、負けないように、いいこといっぱいしよう」と考えたのです。しかし、落ち着いて考えてみると「いいこと」とは何なのか? これはけっこう難しい。
   家に帰り、その話を親にして、「何をやろうかなあ。何やればいいかなあ」と口にした時、父が言ったのです。「新聞とってきてくれ」と。それで、郵便受けまで行って父のために新聞を取ってきました。父に新聞を渡すと、父は「おう。いいことしたな。イエスさまはお喜びになった。明日もいいことしろよ」とそう言ったのです。そして、翌日、「きょうは、何をいいことしようかなあ」と言うと、父が「よし。煙草買ってきてくれ」と言い、父のために近くの煙草屋まで、ハイライトだったかセブンスターだったかどっちかを買いにいきました。父は「きょうもまた、いいことしたな。良かったなあ。イエスさまは喜んではるわ。あしたもいいことしろよ」と。・・しかし、なんか、ちょっと違うような気がしたのです。幼稚園に行くと、同級生の間で、「〇〇くんは、いいこと、何、したあ?」とかいう話が出ました。それで、正直に、「おとついは、新聞とってきた。きのうは煙草買いに行った」と言ったのですが、すると、その友達が「そういうのって、『いいこと』って言うのかなあ?」と言うのでした。・・そうだよなあ、やっぱり、「いいこと」というのはそういうもののことではないよなあ~あ・・と思ったのでした。
   私が親の立場であったなら、「何を『いいこと』しようかなあ」と真剣に考えている幼稚園児に、「新聞とってきてくれ」とか「煙草買ってきてくれ」とか言い、「おう。いいことしたな。明日もいいことしろよ」とか言うって、そんなことしないと思うがなあ~あ・・と思うのですが、そういうことをするおっさんて、いったいどういう人間かというと・・・、結論として、そういう人間だった、ということなのでしょう。

6.  高校3年の12月、翌年から共通一次試験というのが始まるということで、共通一次試験の試行テストというものが大阪大学の千里地区校舎であり、受けに行きましたが、たしか、千里中央駅から北千里駅までの阪急バスに乗った時、後から入って来て隣の席に座ったおねーちゃんが、私に「あなた、北野高校の生徒ね。私、北野の卒業生なの」と言って話しかけて、北千里に着くまで「何何先生が・・・」とかいう話をしたということがありました。 北野高校の制服を着て電車なりバスなりに乗っていると、同校のOGのねーちゃんから話しかけられて、「私、今、◇◇大学に行ってるんだけど・・・」とか言って、世話してあげようみたいな「姉後肌」みたいなところを出してくださることがあったのですが、降り際、何だったか忘れてしまいましたが、何だったか教えてくれると言ってくれて、「今度、会った時に教えてあげるわ」なんて言ってくれたのですが、「今度、会った時」と言っても、いつ、会うんだよ・・(笑) 名前も知らないのに・・と思ったのですが、でも、本当に「今度、会った時」に教えてくれるつもりだったみたいです。何をだったかも忘れてしまいましたが。私の方でも、それほど経たないうちにまた会うことがあるような気持でいたのですが、その後、そのおねーさんと会うことはありませんでした。もしも、行きたいと思った大学の行きたいと思った学部に行って、やりたい勉強をすることができていたならば、高校の卒業生の会とかにも行くことがあって、そういう場で顔を合わせることもあったかもしれませんが、私の人生のレールはどこかでポイントがはずれてしまって変な方向に行ったのか、もともと、脇にそれるようにポイントが切りかえられていたのか。どこかで会ってみたかったですね。「弟分」の世話をしてあげたいみたいなおねーさんに、その「弟分」が努力してこれだけの成果を出しましたと胸張って会えれば。そういう人生ではなかったのでしょう。

7.(営業と会社の話)
  2010年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕の忘年会が12月下旬、千葉駅の近くでありました。その際、「なんじゃ、こいつ」と思ったのが、N村設計事務所のおっさん。「建築家のつくる家」という三井ホームの「建築家とインテリアコーディネーターがつくる家」というコピーのパクリを名刺に入れ、氏名の下に「一級建築士」と入れた名刺を配っていたおっさん。ワイングラスのボウルの部分、それもボウルの上半分をグワッとつかんで、なんかえらそうな口きいていました。とりあえず、ワイングラスはボウルの部分ではなくステムの部分を持とうや。えらそうな口をきくのは、ワイングラスはステムの部分を持って、それからにしようや・・と思ったものでした。
   建築、特に、住宅の建築は、「衣食住」全体をとらえて理解してこそ建築です。「食」と「住」はつながっています。食器もまた「住宅の建築」に携わる者にはおのれの仕事に関係のある守備範囲のはずなのです。ワイングラスをボウルの部分を手のひらでグワッと鷲掴みにして「建築家のつくる家」・・て。たしかに、N村設計事務所のおっさんの名刺には「一級建築士」とは書いてあったけれども「一流建築士」とは書いてなかった。だから、その点で、「正直でよろしい」てものだったのかもしれません。「わたしは『一流建築士』ではなく『ワイングラスをボウルの部分をグワッと鷲掴みにするようなその程度の一級建築士』ですよお」とその名刺は語っていた、ということなのかもしれません。
   自分が飲むものならどんな飲み方したっていいだろうとかもしも思うのなら、それならばワイングラスで飲む必要ないでしょ。「普通のコップ」で飲めばいいでしょ。違いますか。ワイングラスをステムの部分を持つのではなくボウルの部分をグワッと鷲掴みにされて、それで「建築家のつくる家」だの「一級建築士」だのと名刺に刷り込まれても・・なんだかな・・・。

8.(営業と会社の話)
  2002年11月、山梨県上野原市で、人生いいことないけれども、だからといって自分の誕生を呪うのではなく祝おうと考え、上野原市の不二家に行って自分でケーキを買って食べようなどと考えました。ところが、不二家に行くと、店の奥の部屋でテレビがついており誰かがいる気配があるのですが、店の扉を開ける時にカランカランと音が鳴っても出てこないし、「すいませ~ん」と何度も何度も呼びかけても出てきてくれません。ところが、出てきてくれないのなら帰るしかないかと思いだした頃に、私より一回り若い母親が小学校に行くか行かないかくらいの女の子2人を連れて入ってくると、それまで、何度も「すいませ~ん」と呼びかけても出てきてくれなかった店の人間が、走るようにでてきて、そして、前から来て待っていた私を無視して子供づれに愛想しだしたのでした。子供2人を連れた母親は、「パ~パにどんなケーキを買ってあげようかなあ」と言い、その「パ~パ」なる男の誕生日祝いに子供2人とケーキを買おうとして来たようでした。不二家上野原店のおばさんは「ケーキにお名前を入れることができますが、何と入れましょうか」と言い、子供が「どうしよう」と言うと、母親が「『パ~パ』でいいんじゃない」と言い、子供が「うん。『パ~パ』」と言って、不二家上野原店のおばさんは「パ~パ」と名前をケーキに入れたようでした。子供連れは、自分より先から来て待っている男がいるなんてことは関知しない。この女性には私の姿は見えないということか。いても見えないのでしょうね。「子供がいるんだから、うちが優先してもらうのが当然でしょおおおおお」とか思っていたのかもしれません。千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕にいた社長の嫁の縁故の事務員の大竹加代子みたいに。で、子供連れが私を無視して長時間思案してケーキを買って帰った後、その子供づれが来店するより前からこれにしようかと決めていた私はやっと相手にしてもらえましたが、その子供連れと同じようなものを買ったにもかかわらず、店員は私には「ケーキに名前を入れることができますが、何と入れましょうか」とは言ってくれないのです。なんで? なんで、俺には名前を入れてくれないの? と思いましたが、後から考えれば、「差別される側」の扱いにするような店でなんて買うことなかったと思うのですが、その時は「まあ、別にいいか」くらいの気持ちで買いました。買った後、そこに「クリスマスケーキの予約。受け付けます」と書いたチラシがあったので、「これ・・・」とクリスマスの時にもケーキを買おうと頼もうかと思って話しかけたところ、そこに、別の来場客がドアを開けて入ってくると、私が話していても完全に無視して、新しく入ってきた男に話しかけて、私は無視されてしまったのでした。今なら、そんな店で買ったケーキなんて、「不快感の表明」を兼ねて、「すいません。ゴミ箱、お借りできませんか」と言って、その場で、ゴミ箱に捨ててやりますね。そんな「精神的な『毒』」が入ったケーキなんぞ、食うに値しない。『地球の歩き方 ハワイ』(ダイヤモンド社)によると、あまりにもひどい接客をされたという場合、「不快感の表明」として、テーブルに「チップとして」1セントの硬貨を置いていくというもの(「おまえらのサービスはチップとしては1セントにしか値しない!」という意志表示)があるらしい。日本でも、時々、1円の硬貨をテーブルかレジに置いて行ってやりたい気持ちになる店ありますが、日本でそれをやっても、「お客さん、忘れもんですよ」と言われるか、「歩みの箱」に入れられるかで、意味が通じないかもしれません。本来なら、そこで買ったケーキをその場でゴミ箱にでも捨ててやれば良かったのかもしれませんが、その時は、今よりも寛容だった。
   クリスマスにはもうケーキなんて買う気持ちにならなかった。不二家上野原店では、「クリスマスケーキなんたら・・」と書いたようなものが出ていた気がしますが、不二家上野原店は「パ~パ」にはケーキは売りたいが私には売りたくなかったようだ。父が言っていた話ですが、戦中、市場の八百屋の所にいた時、在日朝鮮人の人が買い物に来たそうで、八百屋がその人を見るなり、「あんた、これ、持っていき、これ。あんたはこれ。あんたはこれ」と言って、傷みかけの野菜を押しつけたのを見たというのです。それを見て、父は「これはひどいぞ」、「あんなことしてはいかんなあ」と思ったというのです。「傷みかけ」といっても、まったく食べれないわけではなく、今でも、スーパーなどで賞味期限が近いものには「20円引き」とかいったシールを貼って安く売ったりしていることがありますし、野菜・果物はむしろ傷みかけくらいの方がおいしかったりすることもありますが、それは、買う側が納得してそれを買おうとした場合のことであり、その在日朝鮮人の人は何もそれを欲しいとは一言も言っていないのに、「あんたはこれ。あんたはこれ。はよ、持っていき、これ」と言って押しつけたというのです。不二家上野原店にとっては、いわば、私はそういう存在だったのでしょうか。で、私が待っているのに後から入ってきて待っている私を無視して先に注文した子供づれは、不二家上野原店にとっては「大事にしないといけないお客さん」だったのか。
   そういう「粗末な扱いをしていい客」と「大事にしないといけないお客さん」とを分けるという思想はよくないと思います。2011年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕で、自称「工事責任者」の植草英二が、私が担当で家の補修工事をやることになっていた千葉市中央区のNさんの工事の予定が入っていた日、Nさんが立ちあうつもりで予定をあけて現地で待っているにもかかわらず、(株)新昭和〔本社:千葉県君津市〕https://www.shinshowa.co.jp/ の取締役になっていた座間という男がアパートを建てた工事の仕事を急遽言われたからと言って、そして、「座間さんは大事なお客さんですから」と言い、「Nさんの工事は、また、後にしてください」と言い出した。そういう考え方は建築会社としてやってはいけないと思うのです。特に、何か月かの工事の予定を組む際に、あらかじめ、特定の人を優先的に入れるというのならまだしも、Nさんはある程度待ってくれていて、その日にさせてくださいと新華ハウジング(有)の方から言い、Nさんは立ち会うために仕事の予定を空けて現地で待ってくれていたのに、それを「座間さんは大事なお客さんですから」などと言って、仕事の予定を空けて現地で待ってくれている人を無視するというそういう態度は建築屋としてやってはいかんのではないか。(株)新昭和はそんなことをやっているのか? 「大事なお客さん」と「粗末にしていいお客さん」を分けるくらいなら「粗末にしていいお客さん」の仕事は最初から請けなければいいし、座間は新華ハウジング(有)に自分の仕事のためなら先に約束して予定を入れていた他の客の仕事を後回しにしろとそういった態度を要求するのであれば、座間が依頼する仕事だけで新華ハウジング(有)の全従業員が食べていけるだけの仕事を新華ハウジング(有)に継続的に渡さないといけません。他の客の仕事の予定が入っていて、他の客の仕事をする予定になっていた職人を、座間のために先に予定が入っていた客の工事現場から動かして座間の仕事をさせるという傲慢な態度をとるのであれば、座間はほかの客の仕事をすべて失っても新華ハウジング(有)の全従業員が食べていけるようにする義務があるはずです。(株)新昭和の座間は思い上がりも甚だしい。座間は自分もまた、住宅建築業の会社に勤める人間であるならば、むしろ、あらかじめ、予定が組まれていて他の人の家の工事をおこなう予定になっていた職人を、自分の所の工事を早くやってほしいからそれまで待ってくれていたよその人の仕事をさらに後回しにして、自分の所の仕事を優先させるのではなく、逆に、「そんなことしちゃだめだ。何日からやらせていただきますとお客さんに言っていたのなら、約束は守って言ったようにやらないとだめだ。うちはその後でいいから」と言うべきです。もし、私が(株)新昭和の取締役なら言います。この点で座間は取締役としてマイナスの評価です。(株)新昭和という会社は、もともとは千葉県君津市の単なる地方の不動産屋に過ぎなかったが、最近はけっこう羽振りがよいようだが、しかし、座間を見ると、この程度の人間が取締役かという感じがする。座間はあまり人相のいい顔をしていないが、このあたりの態度を見ると、建築屋と評価されるだけの資格がないのではないか。植草は「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~ん」と何度も何度も大きな声で言っていたが、特定の人間を「大事にしないといけないお客さんですから」と指定して言いなりになるのが営業ではないはずである。営業は「大事にしないといけないお客さん」が相手であっても、言わないといけないことは言う、言いなりになるわけにはいかないものは言いなりにならないようにするというのが営業のはずである。それができていない男が「ぼく、営業やったことないですけど、営業で~きま~すもお~ん」とは、寝言は寝て言えと言うしかない。〔たいていの住宅建築業の会社は、従業員に、家を建てるなら自分の勤め先の会社で建てて欲しいという態度をとっているが、(株)新昭和という会社も、おそらく、一般従業員には家を建てる時には(株)新昭和で建ててくれという態度をとっていると思うし、たとえ、同業他社で建てようとしても警戒されて建てにくいと思うのだが、ところが、取締役が(株)新昭和で建てるのではなく、(株)新昭和が下請けに頼んでいる工務店に依頼して安くやらせているというのは、その態度はどうなのだろうか? 従業員の側からすれば複雑な思いがするのではないか? そういうことを考えない取締役というのはどういう人間なのだろうか? そういう人間なのか・・〕
   客を「大事にしないといけないお客さん」と「粗末にしていいお客さん」に分ける会社で、自分は「粗末にしていいお客さん」の方に分類されているのなら、客の側としては、あえてそんな店で買う必要はない、そんな会社に仕事を頼む必要はないことになる。「粗末にしていい人」と指定されてまでそんな会社に頼む必要はないという基準で考えるならば、新華ハウジング(有)には(株)新昭和の座間以外の人間は誰ひとり頼むべきではないということになってしまう。
  インターネットで見ていたところ、不二家上野原店はそれから、1年後か2年後くらいに閉店したらしい。閉店した理由はわからないが、閉店していい店であったと思う。
≪ それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベッサイダよ。おまでたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めるであろう。しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。ああ、カペナウムよ、おまえは程度天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉(よみ)にまで落とされるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえたちよりは耐えやすいであろう」 ≫
( 『聖書』「新約聖書 マタイによる福音書」11章20節―24節 日本聖書協会口語訳 )
   「わざわいだ、不二家上野原店」。不二家上野原店は私が呪いの言葉を浴びせたから閉店したわけでもないと思う。そうではなく、私が受けたようなしうちをされた客は他にもいたのではないか。だから、直接の原因は何かはわからないが、そういう店だったから閉店するに至ったのではないか。(株)新昭和とその取締役もあまり思い上がった態度をとっていると同様になる可能性はあるだろう。

9. 川崎市幸町のアパートに住んでいた時、近くに「ほかほか弁当」の店があって何度か買って食べたが、私が食べるものは、たいてい「のり弁当」だった。その頃、「のり弁当」というのは「『ほかほか弁当』の店で売っている弁当の中で最も安い弁当」で、「のり弁当」とは「最も安い弁当」のことを言うものだと私は思っていた。しかし、最近、料理を扱った漫画、『築地魚河岸三代目』か『味いちもんめ』か『美味しんぼ』か、「コミック乱」に掲載の「すしいち」だったか、そのどれかに載っていた話なのだが、本来の「海苔弁当」というのは、それまで、料理・弁当において他の食材の引き立て役として使われることが多かった海苔を、引き立て役ではなく主役として使った弁当のことらしい。海苔というのはすばらしい食材であり、引き立て役・補助役でしかないとしてしまうのは海苔に対して申し訳ない、そうではなく、海苔を主役にした弁当があっていいはずだ・・・というのが「海苔弁当」だというのです・・が、今もスーパーの弁当売場で見ても、「海苔弁当」は必ずしも海苔が主役になっていないように思えます。
  1980年代、「ほかほか弁当」でお弁当を買う時、たいてい海苔弁当だった。父は「高校は義務教育じゃないんやから、おまえは高校には行く必要はなかったのであり、おまえは高校には行くべきでなかった人間なんや。それを高校に行きおってからにこのチャンコロめがこのチャンコロ! 高校行くな、高校!」と言い続けた。そして、父の親友の医者屋のM川(男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住)のドバカ息子が金権関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしてせしめたカネで金権裏口入学したことについては「M川先生の息子さんは、おまえとは違って裏口入学やねんぞ。裏口! わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロッ!」と言うのだった。なんで、裏口入学する人がエライのかというと、「裏口入学ちゅうことは思考が柔軟やちゅうことなんや。わからんのか、おまえは!」と言うのだった。そして、「M川先生の息子さんは裏口入学で大学に行ったんやから、そやから、一生懸命、勉強させてあげんといかんちゅうことや」と言うのだ。そして、M川の同僚の女の医者屋のK田のドバカ息子は、やはり、薬漬け・検査漬けしてせしめたカネで三流大学を2つも行ったそうで、それについては「K田先生の息子さんは、大学を2つも行きはったんやぞ。おまえとは違うねんぞ、チャンコロ!」と言うのだった。そして、「K田先生の息子さんは、大学を2つも行かはったんやから、だから、一生懸命、勉強させてあげんといかんちゅうことや」と言い、私には「それに対してやなあ。おまえは高校行くな! チャンコロ! おまえは高校行ったのは余計じゃ、このチャンコロ! チャンコロは高校行くな! ましてや、チャンコロは大学なんて行くことないんじゃ、チャンコロ! おまえは中学校卒業させてもらえば十分すぎるんじゃ、浪商! おまえはなあ、北野高校に行ったと思っておるかもしれんけどなあ。おまえが努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ。チャンコロは何の努力もしとらんねんぞ。わしがエライからおまえは浪商のくせして北野高校に行けてんぞ。この浪商! 浪商の分際で北野高校に行きやがってからに浪商めがこのチャンコロ!」と言うのだった。「おまえはなあ、北野高校に行ったと思っておるかもしれんけどなあ。おまえが努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ。チャンコロは何の努力もしとらんねんぞ。わしがエライからおまえは浪商のくせして北野高校に行けてんぞ。」という表現は、それは父の親友で医者屋のM川が言っていた言い回しを真似たものだ。M川は「わしは息子に言うたりますねん。『おまえが関西医大に行けたのはおまえが努力したからとは違うねんぞ。おまえは何の努力もしとらんねんぞ。わしがエライからおまえは関西医大に裏口入学できてんぞ。心得違いをおこすなよ』と、そない言うたりますねん」と言っていたのだ。父はそれを聞いて、「そうや。わしも、そない言うたろ」と思って私に言ったらしいのだ。しかし、まず、M川が間違っているのは、M川のドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学できたのはM川から薬漬け・検査漬け・毒盛りされたかわいそうな「患者」とその家族のおかげであって薬漬け・検査漬け・毒盛りのM川がエライからではない。「心得違いを起こすなよ」と言われなければならないのはドバカ息子よりもM川の方である。むしろ、父親がそんな人間だから「親の因果が子に報いた」ことにより息子がまともに試験に合格して大学に行くことができない人間になってしまったのである。M川のドバカ息子は金権裏口関西医大を裏口で入ったそうで、高校も私立高校に裏口で入っているようである。しかし、私は北野高校に裏口で入れてもらったのではないのだ! 合格最低点より高い点数をとって、合格者の中でも悪い方ではない成績をとって入学しているのだ。父は「おまえは浪商の民族であ~る! 民族の違いを忘れるな! おまえは浪商の階級でR! 階級の違いを忘れるな!」とか毎日のように言っていたが、私はそういう「民族」で「階級」として「神さま」がお決めになって生まれてきた人間だそうだが、そういうことを言われると、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と言いたくなってきたものだった。
  海苔弁当は嫌いではなかったのだが、それより高いものも時々は食べてみたいと思ったこともあった。それから何十年か経ち、今、スーパーでお弁当売場で見ると、「海苔弁当」はなんだか懐かしい。食べたなあ、海苔弁当♪ 慶應の内部進学の連中、「ほとんど内部進学」の人間、「アタマが内部進学」の人間というのは、高いもの食ってたみたいだな。それに対し、私は「ほかほか弁当」で弁当を買う時もたいてい海苔弁当だったなあ~と思うと、「海苔弁当 命」て感じがしてくる。日吉にレストラン不二家というのがあり、日吉台学生ハイツの同じ階に住んでいた甲陽学院高校卒で1浪で東大に行き外務省に行った加藤という男が不二家から出てくるのを見かけたことがある。私なんかは大学生の時に不二家なんてレストランで食事をするなんて考えられなかったが加藤にとっては普通だったようだ。加藤はそもそも「ほかほか弁当」なんて食べることもなかったかもしれない。私とは「民族」と「階級」が違ったのでしょう。
   (2018.12.20.)

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