日本基督教団箕面教会(箕面市新稲)見学【1/5】一般的「洋風教会型建物」だが使える建物の箕面教会

[第418回] 日本の教会シリーズ( )-1
   大阪府箕面市新稲3丁目 の日本基督教団 箕面教会を訪ねました・・・といっても、前まで行って外観を見てきただけですけれども。
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( ↑ 日本基督教団 箕面教会 正面。)

※ 日本基督教団 箕面教会HPhttps://www.minoo-church.com/
住所は、箕面市新稲(にいな)3丁目。 最寄駅は、阪急箕面線「箕面(みのお)」駅です。 東京もんは、「なんで、『箕面』と書いて『みのお』なんですの。『みのも』と違いますの」とか言いますが、そんなこと言っても、「箕面」と書いて「みのお」と読むねん。 だいたい、東京もんは「大阪の人間て変わってますよね。『吹田』てどう考えても『ふいた』でしょうよ。『すいた』と読んでほしければ『吸田』と書くべきでしょう」とか言うのですが、それなら何かい。東京もんは「吹奏楽」を「ふいそうがく」と読むんかい?!? 「『すいそうがく』と読んでほしけれっば『吸奏楽』と書けと言うんかい」というと、そっちは言わないのです。 東京もんのおっさんは「西中島南方」を「にし なかのしま なんぽう」と読みよるし(念のため、説明しておきますと、地下鉄御堂筋線の「中津」と「新大阪」の間の「西中島南方」は「にしなかじま みなみかた」ですからね)。東京もんのおっさんが「大阪に行ってきた」と言うので、「大阪のどこに行きましたあ?」ときくと、出てくる地名は、ダントツ1位で飛田新地だし。私ら大阪で生まれ育っても、飛田新地なんて行ったことないしどこにあるかもよくわからんのだが、それが、東京もんのおっさんは飛田新地が大好き! よう知っとるんだわ。東京もんのおっさんの頭の中にある「大阪」というのは、8割が飛田新地でできていて、残りが新世界と鶴橋の在日韓国人街と釜ヶ崎と食い倒れでできている。おのれがそういう貧困な世界観をもっているということを棚に上げて、「大阪ってすごい所ですねえ~え。大阪の人間てすごいですねえ~え」とか言いよるのだが、飛田新地に行ってきたのは「大阪の人間」ではなく、あんただろうが、「すごい」のは「大阪の人間」ではなく、あんただろうが、あんた!!! ・・・て東京もんが大変多い。 そもそも、「箕面(みのお)」というのは、役行者(えんのぎょうじゃ)(役小角 えんのおづぬ)が蓑の滝(みののたき)(箕面の滝 みのおのたき)で修行をして、弁財天の助けを得て悟りを開いたという「箕面大滝」がある所で、付近の山には役行者がその山の上から雲に乗って中国まで飛んで行ったというお話がある山とかあるのだが、東京もんのおっさんは飛田新地は知っていても、箕面大滝は知りよれへん。・・・そんなことやから、東京もんに「もみじの天婦羅」をお土産に持っていってやると、醤油かけよんねん。たまらんで。せっかくの「もみじの天婦羅」に醤油かけられたんでは・・・・。
※ ≪ 役行者(えんのぎょうじゃ)は、俗姓は賀茂役君(かものえだちのきみ)で、大和の葛城、茅原(ちのはら)に御降誕されました。・・・・十七歳で葛城の峰に修行し、十九歳で大峰に入峰されたとも伝えられています。三十六歳のときに、箕面(みの)の龍屈にて龍樹菩薩が普賢色身三昧(ふげんしきしんさんまい)という三昧(さんまい)の力で出現され、秘密灌頂(かんじょう)を授けられました。・・・・≫
( 伊矢野 美峰(いやの びほう)『目からウロコの修験道』2006.3.31.学習研究社)

   建築屋に勤め、建築関連の資格を取得したり建築学科に行ったりしたことから、自称「建築探偵団」なるものになったのですが、この「日本の教会シリーズ」は、キリスト教と教会を題材としたものなのか、教会の建物を題材としたものなのか、というと、それは両方であって片方ではありえない。 法隆寺宮大工棟梁の西岡常一さんの本に「法隆寺宮大工 口伝」というものが載っていましたが、そこに「神仏を崇めざる者、伽藍について語るべからず」というものがあり、又、西岡常一さんの師匠でもあるお祖父さんから「(寺の建築に携わる者は)坊主がやることをすべて習得することはできんとしても、般若心経くらいは読めんといかん」と言われて般若心経などを学んだという話が出ていました。これはお寺に限ったことではなく、キリスト教の教会堂においても言えることであって、『聖書』を自ら読んで考えたことがないような人が教会堂の設計をしようというのはそれは見当外れも甚だしい。最低でも、『旧約聖書』の『創世記』『出エジプト記』『ヨブ記』と『新約聖書』の4つの『福音書』、『使徒行伝』くらいは日本語訳でいいから1回以上は自分自身で読んでその意味を考えたことがある人が教会堂の設計はおこなうべきであって、自分自身で『聖書』を読んで考えるという姿勢のない人が設計したような教会堂というのは、それはいかに「世界的建築家」の作品であっても、教会堂としては二束三文ではないかと思います。 その点で、評価できないと私が思った教会堂としては、「世界の丹下健三」設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂と「建築家 安藤忠雄」設計の日本基督教団春日丘教会の教会堂(「光の教会」と言って「建築家」業界では高く評価されている「建築物」です)の2つがあげられます。
  東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、あれは「建築」なのかどうか疑問です。どういう意味かというと、鎌倉の大仏(高徳院の大仏)が「建築」であるのでかどうか疑問、というというのと同じ意味です。 鎌倉の高徳院の大仏は、背後から中に入らせてもらうことができます。私も「入場料」というのか「見学料」というのか、「大仏」といっても奈良の大仏は廬舎那仏、鋸山の大仏は薬師瑠璃光如来、鎌ヶ谷大仏は釈迦如来であるのに対して、鎌倉の高徳院の大仏は阿弥陀如来ですが、その阿弥陀如来を拝むのは正面から、外から拝むものでしょうから、その大仏の内部に入るのは「拝観料」ではないと思うのですが、ともかく、払って内部に入らせてもらいましたが、しかし、大仏の内部というのは、「へえ~え。鎌倉の大仏さんて、中はこんなになってたんだあ~あ」と体験するためのものであって、大仏さんは、外から拝むものであって、中に入って何かするためのものではないわけです。東京カテドラル聖マリア大聖堂もそうです。「世界の丹下健三」もしくは「目立ちたがり屋の丹下健三」「自己顕示欲の塊の丹下健三」が設計した・・・という「外」のための建物であって、その中は二の次・・なのか、それとも、せっかく、東京都内の街中にけっこう広い敷地があるのに、わざわざ意図的に穴倉みたいなものを作ったのか、なんか、「世界的建築家」て人の発想は、普通の聖書教徒からすると理解に苦しみますが、そんな「建造物」が東京カテドラル聖マリア大聖堂です。上から見ると十字形に見える・・と言うのですが、誰が「上から見る」んだよ、誰が?!? ドローンにカメラくっつけて飛ばして見るのか!?! もしかして、「世界の丹下健三」は某国の諜報機関と通じていて、日本の東京の上空から米軍機から下を見た時に、文京区関口という場所に十字形になったものが見えて目印になるように、東京を爆撃しようとする敵機のために東京カテドラル聖マリア大聖堂を作ったのではないか? 某国の諜報機関からの指示で「世界の丹下健三」は設計したのではないのか。某国の諜報機関の指示に従って動くのと引き換えに、たいしたことない幼稚なデザインしか作らないくせして、それをその某国の諜報機関CIAが「世界的建築家」に祭り上げている・・・・なんてこと、なんかありそうな感じがしないでもない・・・が、ともかく、「世界の丹下健三」設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、「『世界の丹下健三』のエピゴウネンになりたいなりたいなりたい症候群」の自称「建築家」の皆さんは「竣工時から雨漏れしたって名建築」「雨漏れするのがいかんなどと言うのは心得違いだ」とかそろっておっしゃいますが、片や、「クリスチャン」と言われる人に意見をきくと、今一つ、評判は良くない。そりぁ、よくないでしょうよ。鎌倉の大仏の内部みたいな教会堂ですもん。あんなもん、巨大なオブジェではあっても教会堂と違うと思います。東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは「『ゼネコンの能力を使って作った巨大な彫刻』で内部に入ることもできるというもの」というのが実態でしょう。こう言うと、「裸の王様」を称賛しているような「丹下健三のエピゴウネンになりたいなりたい症候群の自称“建築家”」は怒ると思いますけどね。
※ 東京カテドラル聖マリア大聖堂 については、
《「建築家」と「建築屋」と「建築士」はどう違うのでしょうか??? 〔引っ越し掲載〕 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_3.html に外観写真を掲載しましたので見てください。 どう考えても、「巨大な彫刻」だと思いますよ。

   もうひとつ、大阪府茨木市北春日丘の日本基督教団春日丘教会の教会堂は、外から見るとコンクリートの塊。 中に入ると、外から見て「暗そう」と思ったよりも明るい・・・が、だから何なの? 「世界的建築家」の考えることはわけわからん。“安藤忠雄設計の”春日丘教会の教会堂というのは、なんで、普通に窓を作らんのかなあ。 で、そんなことよりも、私が何より気に入らないのは、この大阪の城東工業高校卒だったかで、インターネットで検索すると、大阪芸大建築学科中退とでていたものがあったように思ったが、なんかそんな学歴でありながら、「建築家」の仲間入りをして東大の建築学科の教授にまでなった安藤忠雄て、ええ身分やなあ~あ、城東工業高校しか行ってないくせして。世界一周して世界の建築を見てまわった・・・て、私らそんなことやりたいと思っても絶対にさせてもらえんかったわ。金持ちの息子やったのかな? で、東京の六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展」が開催された時に見に行きました。安藤忠雄の代表作として、世間一般に一番有名なのは「住吉の長屋」と言われるもので、「長屋」と言っても連棟建ての借家のことではなく、間口が狭くて奥行きが長い敷地に建てられた戸建住宅で大阪市住吉区の住吉大社の南東あたりに建てられた家ですが、その他に有名なものに「光の教会」と「水の教会」というのがセットみたいに言われるわけです。これを見た時から、安藤忠雄という男は疑う余地なく「いかもの」だと思いました。ふざけんな! と。 西岡常一さんが述べておられた「法隆寺宮大工口伝」にも「神仏を崇めざる者、伽藍について語るべからず」というのがありましたが、「光の教会」と「水の教会」をセットにして隣同士に展示して喜んでいるのは、安っぽい「建築家ぶりっこ」どもでしょう。 「光の教会」と言っているのは、大阪府茨木市の日本基督教団春日丘教会の教会堂であり、片や、「水の教会」と言っているのは、北海道の「トマム」という千歳空港から帯広の方に東に進んだ途中、夕張の方に夕張線が曲がる所を曲がらずに東に行ったあたりの「リゾート地」に星野リゾートという会社が作った「結婚式専用教会」という「いかもの教会」です。私は安藤忠雄という男を心から軽蔑します。片方で日本基督教団の信仰のための教会の教会堂の設計をしながら、他方において「リゾート地」の「結婚式専用教会」などというものを設計するというその無神経。安藤忠雄というこの男はキリスト教の精神を理解する人間ではないし、信仰をもって建築に従事する人間でもない。日本基督教団の教会の教会堂の設計を片方でしながら、同時に「結婚式場専用教会」などという「いかもの教会」の設計を平気でできる神経。あきれました。
※ 安藤忠雄設計の「光の教会」と「建築家」業界の人は言うところの春日丘教会 教会堂の新国立博物館での「安藤忠雄展」における「復元」(といっても、実物は今も茨木市北春日丘にあるはずですが)の写真を、
[第331回]《国立新美術館と「安藤忠雄展」【4/6】光の教会。信仰の教会と結婚式用を一緒にするな。建築学科はパッパ》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_10.html
[第332回]《国立新美術館と「安藤忠雄展―挑戦」【5/6】人生を「挑戦」させてもらった男と、させてもらえなかった男》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_11.html
で掲載しましたので見てください。 中は幻想的かもしれないが、外観は、結論として「単なるコンクリートの塊」ですよ、「単なるコンクリートの塊」。 で、中はどうかというと、「幻想的」かもしれないけれども、何もわざわざそんな所で礼拝やらなくても、もっと普通の部屋でやった方がいいでしょ、普通の部屋で。それも、茨木市北部という自然環境は比較的いい場所の教会なのに、何がうれしゅうてこんなコンクリートの塊の中で礼拝やらにゃならんのよ、何がうれしゅうて!!!・・・・て思いませんか?  この際、言うたろ、城東工業しか出てないくせして、それも建築学科卒でもないのに、何が「建築家」様じゃ、何があ! ・・・て気分悪くなってきた、ほんと!

   で、ウィリアム=メレル=ヴォーリズは「教会堂の建物というのは特別の建物である必要はない」と語ったというのですが私もそう思います。但し、そうはいっても、東京の番町教会の建物を見た時には、これはちょっと味気ない・・と思った。要するに「普通のビル」だったわけです。で、できれば、「教会らしい建物」の方がいいのではないかと思いました・・・が、今度は「教会らしい建物」ってどんな建物なんだ? という問題が出てきて、これがけっこう難しい。 フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区。 関西発祥で「社内公用語」は大阪弁。〕https://www.freedom.co.jp/ は「世界でただひとつの家」なんてホームページで言っていますが、「こんなおかしなこと、普通はせんぞお~お」というのを「世界でただひとつの家」と思っているのなら、それは間違いですが、どうもフリーダムアーキテクツデザイン(株)のしろうと設計は「こんなあほなこと、普通はせんぞお~お」というのが「世界でただひとつの家」だと思っとるみたいです。そんなものを「世界でただひとつの家」とか言いたがるというのは、それは造形力が乏しいからでセンスが悪いからです。本来の「世界でただひとつの家」というのは、基本により忠実に設計した上でこれまでにないようなすばらしい機能とデザインと構造を持つものを実現してこそのものであるはずですが、そうなるとこれがけっこう難しい。そのけっこう難しいことを実現してこそ「世界でただひとつの家」と言えるはずですが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)とその自称「設計士(さま)」のしろうと以下の若造はそのあたりがまったく理解できていない。だから、「こんなアホなこと、普通はせんぞお~お」というものを量産している。で、フリーダムアーキテクツデザイン(株)に限ったことではなく、「建築家ぶりっ子」てのはそういうのが多い。 だいたい、世の中、「バカでも入れる私立の美大」の建築学科卒とか試験なんて最初からない建築の専門学校とかを卒業なのか修了なのかしたということで、それで「建築家」になったつもり、「世界の丹下健三のエピゴウネン」になったつもり・・・のアホがけっこう多いんです。アホが。ほんと。〔⇒《YouTube―世の中○○が多くて疲れません?? チョコラBB CM 桃井かおり》https://www.youtube.com/watch?v=stPrSWJuibw 〕
   教会堂というのは、欧米の教会堂を日本に持ってきたようなデザインのものが多いのですが、日本で建てる以上は「日本的なもの」があってもいいし、これから作られるものは「現代的なもの」があってもいいはずです・・・が、これがまたけっこう難しい。和風の教会があって悪いことはないはずなのですが、教会堂というのはたいていが洋風です。美容院と似てますね。美容院だって和風の美容院があって悪いことはないはずなのですが、美容院てたいてい洋風ですよね。「和風の美容院」があっても悪いことはないはずなのですが、うかつにその「和風の美容院」なるもの挑戦して、誰も客が来てくれなくなっても困ります。で、「欧米の教会堂を模したような教会堂」を脱却したものを作ろうと考える自称「建築家」、自称「設計士(さま)」なんてできそこないが登場してへんてこりんなものを作ってみたりもするわけです。
[第369回]《日本基督教団田園調布教会(1)高すぎる樹木、鎧をかぶったよう、倉庫みたい-田園調布と教会【5/14】》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_5.html
[第370回]《日本基督教団田園調布教会(2)跳返す素材、重厚な外観。セコム、必要ですかー田園調布と教会【6/14】 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_6.html
[第371回]《日本基督教団田園調布教会(3)牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉-田園調布と教会【7/14】》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_7.html
[第372回]《日本基督教団田園調布教会(4)「ああ、無情」 太客⇔どうでもいい⇔酔っ払い-田園調布【8/14】 》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_8.html
[第373回]《日本基督教団田園調布教会(5)バザーでの違和感。新会堂のファサードは… -【9/14】田園調布と教会》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_9.html
[第374回]《日本基督教団田園調布教会(6)パイプオルガン他と偶像崇拝・惑溺-田園調布と教会【10/14】》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html
などで紹介した、東京都大田区田園調布の日本基督教団田園調布教会の新教会堂なんて、倉庫でしょ、あれは。倉庫を買い取って部分的に改築して教会堂として利用しているというのならわかりますが、そうではなく、新たに教会堂を新築するのに、何がうれしゅうて倉庫つくらにゃならんねん。アホか! てのが田園調布教会の新教会堂です。設計者、「設計士(さま)」とか称しているのではないかいなあと思うのですが、きっと、得意がってますよ、「倉庫みたいや」てのを設計したことについて。私は馬鹿げていると思いますけれどもね。

   セーレン=キルケゴールは『死に至る病』の中で、「絶望」という精神状態を3つあげています。
≪ 絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。
――絶望して、自己をもっていることを意識していない場合(非本来的な絶望)。
絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。
絶望して、自己自身であろうと欲する場合。 ≫
( キルケゴール『死に至る病』斎藤信治訳 2010.改版 岩波文庫)
   「『建築家ぶりっ子』やりたいやりたい症候群」という病にかかって、なんかへんてこりんなものを作らないと気がすまないという状態になった自称「建築家」というのは、それはキルケゴールが言うところの「絶望」の状態の3つの類型のどれかだと思いますよ。

   で、日本基督教団 箕面教会は、私は、私が小学生か中学生の時、1970年前後に行ったことがあり、その後、1990年代初めにも行きましたし、近所を通ったこともあったのです。日本基督教団箕面教会のホームページhttps://www.minoo-church.com/ の「教会について」https://www.minoo-church.com/aboutus/index.html の「教会のあゆみ」を見ると、1955年に豊中教会の旧教会堂を移築して使用していたが、1979年に新教会堂を建築し、それが現在の(↑の)教会堂だというのですが、私は、前の教会堂がそのままあるような気がしていたのです。 ということは、建っている場所も同じ場所のはずですし、前の教会堂とそれほど変わらないデザインの教会堂が建てられたということかもしれません。
   日本基督教団田園調布教会http://den-church.jp/ は、「教会の歴史」http://den-church.jp/history/index.html によると、2011年から2012年にかけて教会堂を建て替えたらしいのですが、前の教会堂は教会らしいいい建物だと私は思っていたのですが、それを壊して新しく建てる以上はそれよりもいいものを建てるべきで、前より劣る建物にするなら建て替えなければいいはずですが、なんだか、「倉庫みたいや」てものにしてしまいました。「倉庫みたい」もしくは「要塞みたい」、あるいは、もっと言ってしまうと、正面から見ると「男性の股間みたいや」「ち○ぽ みたいや」て感じの建物になってしまいました。なんで、こんなことするかなあ~あ・・・と思いましたし、前の建物は教会堂としていい建物だと思っていた者としては、こんな「倉庫みたい」「要塞みたい」「男性の股間みたい」なものを建てるために前の教会堂を壊してやろうという人間の神経がわからん・・とも思いましたが、私は田園調布教会の教会員でもないことですから、教会員で「倉庫みたい」「要塞みたい」「男性の股間みたい」な教会堂がいいと思う人があったのかもしれません。
   その点、箕面教会の教会堂は、1979年に建て替えたということですが、田園調布教会などより小規模な教会堂ですが、教会らしい建物だと思います。 但し、「教会らしい建物」ではあるけれども、「洋風の教会型デザイン」であって独自性はあまりない。しかし、「独自性」というものを発揮したものを作ってもらおうと自称「建築家」なんかに依頼すると、使いにくいわ・メンテナンスに困るわ・へんてこりんだわ・・なんてものを作られてしまうので、そんなものを作るくらいなら「独自性」はそれほどなくても、「洋風の教会型建物の教会堂」を作った方がよっぽどいいでしょう。 もうひとつ、気づいたのは、前から思ってきたのですが、入口が小さい。 ヨーロッパの教会と違って、その地域の人が誰もが行く場所というわけではないので、防犯上の問題もあるのかもしれませんが、今一つ広めでも悪くなかったかという気もします・・・・が、ものすごくいいかどうかはともかく、この2点はあるとしても、教会堂のデザインとしては悪くないものだと思います。
   「教会の建物というものは特別の建物である必要はない」とウィリアム=メレル=ヴォーリズさんは言われたわけで、ヴォーリズさんの設計した教会堂は、基本的にはこの精神でできていると思います。 私は教会堂というものはそういうものだと長年思ってきたのですが、最近、インターネットで見ていると、「教会の建物は、キリスト教徒が集会を持つことができる建物であれば、特別の建物である必要はない」という考え方と、「教会の建物は、神と出会う特別の場であるべきだ」という考え方があるらしいのです。 自称「建築家」とかいうへんてこりんなのに依頼しますと、後者のものを作りたがるみたいです。 しかし、ですよ。 もしも、マリファナか何かを喫って、それで、神と出会ったような気持ちになったとしても、はたして、それは「神と出会った」のでしょうか? 「神と出会う特別の場」とかいうような「特別の建物」を作ってそこでパイプオルガン鳴らしてハンドベル鳴らしてして、それで「神と出会った」ような気持になったとしても、はたして、それは「神と出会った」のでしょうか? それは、マリファナか何かを喫って「神と出会った」ような気持になったというのと、ほとんど変わらないのと違いますか? そう思いませんか。 私は「神と出会う特別の場」などというものを人工的に造ろうという考え方には賛成できかねますね。 「世界の丹下健三」とかならそちらの方向をやりたがるでしょうけれども。 「建築家 安藤忠雄」なら「結婚式場専用教会」などという「いかもの」を本来の信仰のための教会にも作ろうとするでしょうけれどもね。安藤忠雄設計の「教会」なんて、あんなものは教会じゃないと私は思います。自分がいかさま作っていることを認識できないような男は、たとえ、東大教授になっても、いかさまはいかさまです。
   だいたい、教会堂である以上は、そこで『聖書』を広げて読んだり、『讃美歌』を広げて歌ったりするわけですよね。それならば、茨木市北春日丘なんて普通に側窓をとれば普通に採光がとれる場所なのに、わざわざ、コンクリートの塊を作って暗い部屋にする必要はないでしょう。「高卒の東大教授」か何だか知らんが、「アホちゃうか!」

   次回https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html 、日本基督教団 箕面教会への道のり から伝えます。

   (2018.11.28.)

☆ 日本基督教団 箕面教会
1.一般的「洋風教会型建物」だが使える建物の箕面教会 〔今回〕
2.府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_3.html
3.寺社と違って植木を刈らない牧師+「高卒のおっさん」との「競争」は災難 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_4.html
4.「債権者に追われた」人て被害者ですか?「家が貧乏」なら慶應には行けませんか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_5.html
5.「特別献金」でトーシンダイに行った男。「思考が柔軟だから」裏口入学の男。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201811/article_6.html

☆ 日本基督教団 箕面東教会https://tetsukenrumba.at.webry.info/201709/article_2.html 

死に至る病 (岩波文庫)
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木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)
小学館
西岡 常一

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≪  そうやって教わった口伝は次のようなものでした。
 まず第一番は、
『神を崇めず、仏を拝せずして堂塔伽藍を口にすべからず』
 仏や神様を知らずに、ただ形の伽藍とか神社とかを口にするのはいかん、
こういうことです。・・ ≫
( 西岡常一『木に学べ』1988.3.1.小学館  ↑)

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