大谷本廟参拝【4/5】納骨の際、お骨を落とすな。普通に電車に乗るのも恩着せようとする父親

[第415回]
   私が中学校の1年の時に父方の祖母が他界し、この大谷本廟に父とお骨を預けにきました。その際、どのお堂だったか、最初にあるお堂に入ってお坊さんから説明を受けて、こちらに来てくださいと別のお堂に移り、そこでお骨を預けて「永代供養」をお願いしたのです。今となっては、それがどのお堂だったか、どうもよくわかりません。いったん靴を履いて歩き、また、靴を脱いで別のお堂に上がったのを覚えているのですが、どこだったのでしょう。
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↑ 仏殿(本堂)なのか、
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↑ 明著堂なのか、
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↑ 読経所だったのか・・

   覚えているのは、最初のお堂から後のお堂に移る時、後のお堂に上がる際に、靴を脱ぐ時ですが、祖母の遺骨を持っていましたので、靴を脱ぐ際に遺骨を落としてはいけないと思って細心の注意を払って靴を脱いで上がったところ、お骨というのは、小さい丸みを帯びた壺にはいった喉ぼとけのところのものと、比較的大きい立方体の箱に入ったものの2つに分かれていて、私は箱の方を持ち、父が小さい壺の方を持っていたのですが、私の後ろのあたりで、コロンコロンコロ~ンと落とす人があったので、ああ、やっぱり、不注意で落とす人があったんだ、と思いました。こういうものは気を配って、何が大事かというと、お骨を落とさないことが一番大事なのだから、他の場所でならともかく、靴の脱ぎ方とかは2番目以降の問題であり、又、もしも、落としそうになったのなら、自分自身が転んででもお骨を守るようにするべきで、その場で転んだくらいでは普通は怪我なんてしませんし、たとえ、どこかを打つことがあっても、「いたっ」で終わりですし、お骨を落とすくらいなら自分が転んでお骨を守るべきものですが、それをお骨の方をコロンコロンコロ~ンと落とす人があった、みっともないことだ、亡くなった方もかわいそうに・・と思って、ふと見ると、落としたのは私の父でした。ああ、みっともない、ああ、恥ずかしいと思い、「他人のふり」しようかと思いましたが、父は「ああ、おばあさん、びっくりしたはるわ」とか言ってごまかしたのです。もしも、私が落としたなら、かんかんに怒るでしょうけれども、自分が落とすと、「ああ、おばあさん、びっくりしたはるわ」でごまかすのです。そういうおっさんでした。母にこのことを言うと、「あら。もしも、私が落としたりしたらカンカンに怒るくせに、自分は平気でお骨なんて落とすんやから、あの人は」と私と同じことを思ったようでした。そういうおっさんでした。

    我が家は浄土真宗で、母の実家は浄土宗でした、浄土宗だった母の実家に比べて、浄土真宗というのは、実につきあいやすい、貧乏人でもおつきあいのできる宗派だったようです。実家の浄土宗と比べて、母は「浄土真宗ていいなあ」と思ったというのです。「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と『歎異抄』にある言葉は有名ですが、浄土真宗は、金持ちでなくても、社会的地位がある人でなくても、誰でもおつきあいできる宗派で、葬式や法事なども堅苦しいことを言わない、難しいことを言わない、おつきあいしやすい宗派のようです。浄土宗もまた、親鸞の師匠であった法然がおこした宗派であり、浄土宗と浄土真宗は近い宗派のはずなのですが、浄土宗の場合、江戸時代に、徳川家が浄土宗であったことから「格」が上がってしまった、ようなところがあるようです。
    ところが、父はキリスト教の洗礼を受けて「クリスチャン」になったのです。そもそも、『聖書』なんて読まない、「マルクスは『宗教はアヘンである』と言うてお~る。焼き討ちじゃあ。焼き討ちじゃあ。焼き討ちじゃあ~あ。とってちってたあ~あ!」と年中、言っているその「焼き討ち織田信長大好き人間」のおっさんが、なぜ、キリスト教の洗礼を受けるのか、長年、わけわかんないよ・・と思ってきたのでした。もうひとつ、「ロスケはこすい。こすいヤツやから『こすいギン』」とか、「ロスケどもをやっつけてや~る。とってちってたあ~あ!」とか年中、叫んでいる(あくまで、家の中でですが)おっさんが、なぜ、その「宗教はアヘンである」という部分だけ限定で、「教条的マルクス主義者」になるのか、そこもよくわからんおっさんでした。 どうも、父が洗礼を受けたのは、同志社大学に進学する時のようで、同志社大学に「推薦入学」するにはキリスト教の教会で洗礼を受けているというのが条件だったようなのです。祖父(父の父)は、なんとか息子を大学に行かせてやりたいと思って、そして、見つけたのが同志社大学に「推薦」してくれる牧師さんだったようです。しかし、それにしても、それまで、『聖書』なんて1ページも読んだことがない、教会なんて一度も行ったことがない、という人間を「推薦」して入学させてくれる牧師さんを見つけてくるというのは、考えてみると、祖父はたいしたものです。私なら、実力で京大なり東大なりに合格するには、「ID野球式学習法」「弱者が勝者になるために」といったことを考えるならできますが、どこやらからどこかの大学なり短大なりに入れてくれる人間を探し出してくるなんて、そんな能力はありません。で、その際に宗教を変えたらしいのです。で、父は時々、言っていました。「まんまんまんまんまんまん。あーめん」と。・・なんかもう、わけわからん。
   しかし、それまで教会に来たことなんて一度もない、『聖書』なんて読んだこともない、なんてそんな人を「推薦」なんてしてくれる牧師さんて、いい人なんでしょうね。そういういい牧師さんには、さぞかし、「特別献金」したのじゃないか・・なんて、考えますが・・、やっぱり、「特別献金」したのではないでしょうか。
   でも、そうやって、「家の宗教」を2つにされますと、その息子としては、はたして、その後、どうすりぁいいの?  祖父母は浄土真宗で葬式やって浄土真宗のお寺でお骨をあずかっていただいてるのです。で、父はキリスト教の教会で葬式やったのです。母も私より先に他界するならばキリスト教で葬式やることになるでしょう。で、私はどうすればいいの? ・・・なんて思って口にしたことがあるのですが、そうすると、母は「あんたが洗礼うければいいことでしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言うのでした。そうか。父は自分が同志社大学に行くために洗礼うけて自分が「クリスチャン」というものになっただけではなく、「家の宗教」もまた、浄土真宗からキリスト教に改宗したのか。で、私もその「洗礼」というものを受けなければならないということなのか。父が同志社大学に「推薦入学」させてもらったことと引き換えに。浄土真宗というのは仏教の中でも、「おつきあいしやすい宗派」で、難しいことを言わない・堅苦しいことを言わない、という庶民にはありがたい宗派です。それに対して、キリスト教は難しいのかというと、「重荷を負って苦しんでいる人は私の所に来なさい。私の荷は軽く負いやすいから」とイエスはおっしゃったように、本来の『聖書』の教えというのは、決して気難しいものではなく、決して人に負いきれない重荷を負わすようなものではないはず・・・でした。しかし、「家の宗教」をキリスト教に改宗されてしまいますと、祖父母はあくまでも浄土真宗ですから、浄土真宗のお寺ともおつきあいしないといけませんし、父はキリスト教で葬式しましたからキリスト教の教会ともおつきあいせざるをえません。 特にややこしいのは、お寺の場合は江戸時代からの檀家制度で、その家は何宗というのが決まっていて、特に別の宗派に変わるとかいうことがなければ、普通に先祖からのおつきあいを続ければいいのですが、ところが、教会というのはそうはいきません。まず、「洗礼」というのを受けるためには、「信仰告白」という文章を書かないといけません。なんたらかんたらくんたらこんたらと、こういう回心の体験を私はいたしまして、そんでもって主にすがりたいという気持ちになりましてなんたらかんたらという文章を、実際にそうであってもなくても書かないといけないのです。そして、それを書くと、日曜日の礼拝の時にそれを牧師さんが読み上げて参会者がそれを聞き、かつ、その「信仰告白」が「週報」に載るのです。そして、牧師さんから、「〇〇××。洗礼を授ける」とか言われて、頭を水でぬらされて・・・という儀式を受けなければいけない。本当は浄土真宗の方がいいのになあ~あ・・と思っても、「甘ったれなさんな、あんたはあ」と怒られるのです。嫌やなあ、そんな「洗礼」なんて受けさせられるの・・・と思っても、そんなこと言おうものなら、「何を勝手なこと言ってますのん、あんたはあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と怒られるのです。私は、キリスト教の教会が好きになれないのは、まず、第一に信仰の自由を認めないこと、そこですね。 親が同志社大学に「推薦入学」するためだけに洗礼うけたのに、なんで、裏口入学させてもらったわけでもない私が洗礼うけさせられなきゃならんのだ・・と思うのですが、受けなきゃいかんそうです。「甘ったれなさんな。あんたはあ」と怒られます。
   もうひとつ、キリスト教の教会の宗教が好きでないのは、神社とかお寺とかは、訪問・参拝しても、神社であればそこにいらっしゃるのは「神さん」でして、人がいても人に会うのは2番目以降の問題で、お寺も仏像があってそれを拝むのですが、あくまでも、仏様を訪ねていくのであって、人と会うこともあるかもしれないけれども、それは2番目以降の問題なのです。ところが、教会というのは、結論として、我が家の場合は、「母が私の悪口を言いに行く所」だったんです。息子の悪口をいくら言っても、「そんなん、うちに言われても困るわ」と言われる方があり、逆に、ええこと聞いたと思って、母から聞いた私の悪口、私に対しての誹謗中傷を拡大再生産して、アンプとなりスピーカーとなって広める人がおりするのですが、「教会の人」というのは、さすがに「教会の人」「クリスチャン」だけあって、「そんなん、うちに言われても困るわ」などとは言わない。「一度、息子さんを教会に連れていらっしゃいよ。みんなで息子さんに言ってきかせればいいわ」ということになるのです。ただでさえ扱いにくいおばさんが、その同類によってたかって「説教」されるのです。主は言われた、6日間働いて、7日目には教会に行って専業主婦のおばさんから説教されなさい、と。どうも、そういうのが「教会の宗教」「キリスト教会教」なのです。『聖書』という書物は、文学・哲学の書物として読むならば大変おもしろい有意義な書物だと思いますが、教会教という宗教は、私は苦手です。
   祖父は、なんとか息子を大学に入れてやりたいと思って、同志社大学に「推薦」してくれる人を捜しだしたようでしたが、父としては同志社では不満だったようです。父が行きたかったのは慶應であって同志社ではなかった。しかし、祖父が捜し出せたのは、同志社大学に「推薦」してくれる牧師さんであって、慶應大学に「推薦」してくれる人を捜し出すことはできなかったようです。青山学院なんてのは、政治家の息子とか、けっこう「裏口入学」するみたいで、敦賀の下着泥棒の高木某さんなんて、「青山学院大学卒」て、なんか、いかにも怪しい・・て感じしますが、その点、慶應大学というのは、けっこう裏口入学の難易度が高いみたいです。 もう、10年少々前になりましたでしょうか、「朝日新聞」に載っていた話ですが、「代議士秘書の話」として、代議士の秘書をやって何が嫌といって、裏口入学を頼まれることほど嫌なものはない、と出ていました。後援会会長から「息子を慶應大学に裏口入学させたい」と言われた。本当なら断りたいところだが、後援会会長の頼みであり、むげに断ることもできない。とりあえず、知り合いの学生部長さんに相談したところ、「親の顔が見たい」と言われた。「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がある。いったい、どちらの意味だろうか、と考えて、とりあえず、実物を見せることにした。「有力教授を紹介するから、その教授に家庭教師になってもらったということにして1000万円渡してください。そうすると、今年は無理ですが、1年浪人した上で、来年、合格することができるでしょう」と言われた。「教授に1000万円渡すだけではだめですよ。教授に1000万円渡すとともに、口をきいてくれた学生部長さんにも同じだけ渡してくださいよ」と話したが、1年後、息子は裏口入学で慶應大学に入学したが、その後、「学生部長さんにも1000万円、渡してくださいましたね」と言ったところ、「ああ、あれはもったいないから、他に使うことにしました」と。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とはこのことか。ひとがいったいどれだけ嫌な思いをして頭さげて頼んだと思ってるんだ・・と、そう書いてあった。保守系代議士の後援会会長とかならそういう方法で慶應大学に裏口入学というのもできるのかもしれないが、祖父は船場の商社で努力して出世したといっても、そこまでのコネクションは持たない人というより、そこまでのものは持ってる人の方が少ない。だから、父が行きたかった慶應には口をきいてくれる人を捜し出すことはできなかった。だから、父は同志社大学に行ったらしい・・・・が、その後も父は不満だったらしい。私が高校生くらいの時までは、父は「わしは同志社大学という立派な立派な大学を出てます」と言っていたのですが、私が様々な妨害を受けた結果として東大は落ちて慶應大学に嫌々行かされた後、父はそれまでと違うことを言いだした。「わしはほんまは慶應やねんぞお、わしはほんまは慶應」と。はあ? あんた、いつから宗旨替えしたんやあ?
   父が言うには、「わしはほんまは慶應やねんぞ、わしはほんまは慶應」と。どういうことかというと、「家が貧乏やなかったら、わしは慶應に行った人間やねんぞ」と。「家が貧乏やから慶應うけさせてもらわれへんかったんや。あんたみたいに慶應うけさせてもらえたら、わしかて間違いなく絶対に慶應大学に行きました」と。しかし、父が存命中は父に同調していた母は父が他界後、「マインドコントロールが解けた」のか違うことを言いだした。「何を言ってんの。あの人が慶應に行けなかったのは、貧乏やったからじゃなくて、受けたけど、落ちたんでしょうが。落ちたから行けなかったんでしょうがあ。私、結婚する前からあの人の近所に住んでたから知ってるよ。落ちたから行けなかったくせしてからに、何を言ってんの、何を」と。そうらしい。「同志社だって、裏口でしょうがあ。それまで、教会なんて一回も行ったことがない人が、突然、洗礼うけて推薦してもらったんでしょうが。よっぽど、特別献金はらったのと違うの」と。そんなところだろう。だから、同志社大学に「推薦」してくれる牧師さんを見つけてきた祖父はたいしたものと言えばたいしたものだが、父にとっては不満だったのだ。父は同志社ではなく慶應に行きたかったらしいのだ。だから、毎日毎日、私の顔を指さして言うようになった。「おまえは慶應大学に行ったと思っておるかもしれんけどな。おまえが努力したから慶應大学に行けたのとは違うねんぞ。わしがえらいから慶應大学に行けてんぞ。おまえは何ひとつとして努力しとらんねんぞ」と、かつ、「わしはほんまは慶應やねんぞ。おまえとは違って慶應やぞ慶應。わかっとんのんか、チャンコロ。チャンコロとは違って慶應やぞ、チャンコロ。おまえはほんまは、拓殖じゃ、拓殖! わかっとんのんか、拓殖! わかっとんのんか、チャンコロ!」と。しかし、「おまえが慶應大学に行ったのはおまえが努力したからやのうて、わしがえらいからやねんぞ」とおっしゃいますが、しかし、私は裏口入学で慶應大学に入れてもらったのではない。入学試験に合格して入ったのであり、そもそも、父には慶應大学に裏口入学させてくれるコネクションなんてないし、そういうものを見つけてくる能力なんておっさんにそんな能力あるわけない。 さらに、父は「おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけどな。おまえが何か努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ、心得違いを起こすなよ、チャンコロ! おまえが北野高校に行けたのは、わしがエライからやねんぞ、わしが、わしが、わ、し、がああ~あ、んが、んが、んがあ~あ!」と言うのでしたが、しあし、北野高校というのは大阪府立であり、進学校でも、たとえば、灘高校とかは裏口入学の人が時々あるらしいのですが、公立の北野高校に裏口入学なんてないし、私は正規に入学試験を受けて合格して入学したのです。おっさんに公立の高校に裏口入学させるような力なんてあるわけないのです。しかし、父は言うのでした。「お~ま~ええ~はあ~あ、ほんまは、浪商じゃ、この浪商めが、浪商、なみしょう、ナミショウ、浪商。わかっとんのんか、浪商めが。この浪商! このチャンコロ。わしは天高やぞ、わしはあ」と。 たしか、明星高校から父宛てに同窓会の案内状が来ていたはずなのですが、それでも、「わしは天高(天王寺高校)やぞ、わしは天高。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、浪商! この浪商めが、よくも生まれやがってからに、産まれなければよかったのに産まれやがってからに、この浪商! 浪商は浪商らしくしろ、この浪商! 浪商の分際で北野高校に行きおってからに、この浪商! おまえはほんまは浪商じゃ! 自分は浪商であると自覚しろ! 浪商!」と。で、父はこう言うのでした。「わしはドイツ人やねんぞ、わしは。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應やぞ、慶應!」と、そして、「おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商じゃ! この浪商! このチャンコロ! 民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな!」と。「民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」とか言われますと、言われた側では、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」とでも言いたくなってくるのですが、ともかく、私は「ロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族で階級」だそうです。「産まれなければ良かったのに、産まれるおってからに、このチャンコロめが」と言うので、言ったことがあるのです。「産まなければよかったのと違うのですか」と。すると、父はこう言ったのです。「ええかげんにせえよ。チャンコロ! 産まれなければよかったものを産んでやってやってやってやったったんじゃ、感謝しろ、チャンコロ!」と。「産まれなければよかった」ようなそんな呪われた人間として産まれるということを、感謝するべきだろうか? そんな「産まれなければ良かったのに」というような子供なら産まないでくれたら良かったのではないのか・・と思ったが、「女に産んでもらったなどと心違いを起こしてはならぬぞ、チャンコロ。女は単なる畑であって、畑に種を植えてやってやってやってあげていただいてもらってくださってあげていただいてもらってくださったお方のおかげで産まれることができてんぞ、チャンコロ。種を植えてくださった方に感謝しろよ、チャンコロ」と。そうらしい。
※ 《YouTube-Nobody Knows the Trouble I've Seen, performed by Chor Leoni Men's Choir》https://www.youtube.com/watch?v=wCQyqnldBQQ

   大谷本廟から西にまっすぐ行くと、五条大橋。昔、源頼経と弁慶が勝負したという五条の大橋・・はこの場所じゃなかったはずだが、そもそも、源義経てのは、なんで、女装して夜歩いてたのか?  弁慶は、なんで、大男が女の格好してる人間を襲ったのか? もしかして、女装趣味の男と女を襲うのが好きな男のコンビだったのか? ・・
   今、その五条大橋の東側に京阪「清水五条」駅が地下にある。かつては「五条」という駅名だったが今は「清水五条」駅。

( ↑ 「旗」マークが京阪「清水五条」駅。 )

    大谷本廟は、清水寺のすぐ南にある。西本願寺が造成した墓苑におまけでお堂がついているわけではなく、親鸞の墓所であり、飛び地にはなっているが西本願寺とひとつのお寺であるのだが、最近は外国人の姿を見たりもするが、かつては、観光で来る人はあまりなかった。 北側のすぐ隣に清水寺があり、その北には高台寺、さらに北に円山公園、知恩院、八坂神社。その西のあたりに建仁寺。逆に南の方に行くと、妙法院、蓮華王院(三十三間堂)、国立京都博物館、方広寺、智積院などがある。子供の頃、母と2人で大谷本廟に行った帰り、清水寺に行ったことがある。大谷本廟と清水寺の間の小径は、知る人ぞ知る・・というのか、清水坂とか五条坂とかは人が多いのに対して、お墓の間だけれども通行人が少なくて気持ちのいい道だった。他にどこか帰りに寄ってみようということで、「国家安康」「君臣豊楽」の鐘で有名な方広寺に行ったことがあった。
   父と母と3人で大谷本廟に行ったことがあったのだが、その帰り、どこに寄ろうとしたのか、昼食時、食事をとろうとしたものの、食堂が見つからない。父が「京都っちゅうところは、食堂のない街なんや。『京の着倒れ、大阪の食い倒れ』言うてな。京都はほんまに食堂がないんや」と言い、一生懸命捜すが見つからない。 今、京都に行くと、食べ物屋なんてどこにでもある。普通に考えて、京都というのは観光地なのだから、食堂がないはずがない。大谷本廟にだって附属の食堂はあるし、清水坂にも食事する店はある。なぜ、あの時はなかったのか。おそらく、父は腹がへってなかったのだろう。だから、食堂のない場所ばっかり意図的に歩いたのではないか。
   
   食堂を捜してかなり歩き回ったが見つからず・・というよりも、「同志社に行っとったから京都はよう知っとるんや」というのなら、どのあたりなら食堂があるか知っていて良さそうなものだが、あえて、食堂なんてないような場所を歩き回っていたのではないかと思う。とりあえず、大阪まで帰ろうということになり、大阪まで帰って、帰りに心斎橋の大丸で買い物をすることになった。京都から大阪まで何に乗って帰るか、父が私に「あんた、何に乗りたい?」と言うので、「何でもいい」と答えた。大阪と京都の間は、阪急京都線・国鉄東海道本線・京阪本線の3つの路線が走っているが、心斎橋の大丸に行くのなら、阪急「梅田」・国鉄「大阪」駅から地下鉄御堂筋線「梅田」で地下鉄御堂筋線に乗りかえて「心斎橋」駅まで行くか、京阪「淀屋橋」から地下鉄御堂筋線「淀屋橋」で乗り換えて「心斎橋」まで行くか、大阪はどの電車でも便利さは一緒でしたが、京都の方は阪急京都線は「四条大宮」「四条烏丸」「四条河原町」、京阪は「三条」「五条」「七条」で、国鉄は「京都」駅から乗ることになり、大阪から京都に行く場合は、京都のどこに行くのかによって便利な電車が異なり、京都から大阪に行く場合は京都のどこにいるのかによって乗るのに便利な電車は変わりました。だから、「何に乗りたいか」ではなく何が便利かによって乗る電車は選択するべきです。だから、私は「何でもいい」と答えたのです。 京都から大阪に行くのに、阪急京都線・国鉄東海道本線・京阪本線のほかというと、京都から近鉄京都線で奈良まで行って奈良から近鉄奈良線で鶴橋まで行くとか、京都から国鉄奈良線で奈良まで行って国鉄関西本線で天王寺まで行くとか、奈良から片町線で京橋まで行くとかいうのも「鉄道ファンのおじさん」なら選択肢にあるかもしれませんが、「鉄道ファンのおじさん」でもなければ、そんな物好きなことはしませんから、阪急京都線・国鉄東海道本線・京阪本線のどれかで、京都のいる場所からその3つの路線の京都の駅ではどこが近いかどこが便利がいいかによって乗る電車は決まるはずです。
   だから、私は「何でもいい」と答えたのですが、ところが、父は「何でもいいだはあかん。何に乗りたいか言わんといかん。何に乗りたいか言いなさい」と言うのでした。だから、しかたなしに、「阪急」と答えたところ、父は「はあ~んきゅうう~う~」と言い、「阪急なんて、あんた、ここからは、全然、場所違うがなあ。はあ~んきゅう~う~う」と言うのです。私は「何でもいい」と言っているのに、「何でもいいではいかん。何に乗りたいか言いなさい」と言うからしかたなしに「阪急」と答えたのに、「はあんきゅうう~う~」と父が言い、「阪急ではここからでは全然場所が違う。阪急以外で内に乗りたいか言いなさい」と言うのです。それで、しかたなしに、「それじゃ、京阪」と言ったところ、父は「けえいはあ~ん? 難儀やな。京阪なんてここからはずいぶんと遠いがな。困ったやつやな」と言うのです。そう言うので、「それなら、何ならいいの?」と私が言ったところ、父は「ここからなら、国鉄や」と答えたのです。ということは、その時、国鉄(現在のJR)の京都駅の近くまで来ていたのでしょう。それで、そこから国鉄「京都」駅まで歩き、国鉄の快速に乗って大阪駅まで行きました。
   しかし、阪急でだめ、京阪もだめで、「ここからなら国鉄や」ということなら、最初から「ここからなら国鉄の駅が近いから、国鉄で大阪駅まで行こう」と言えばいいことで、私に「あんた、何に乗りたいか」などと訊く必要はないし、ましたてや、「何でもいい」と小学校低学年の私がはっきりと言っているのに、「何でもいいではいかん。何に乗りたいか言いなさい」などと言って、無理矢理、阪急・京阪・国鉄のどれかを言わせる必要もなければ理由もなかったのです。なぜ、この人はこういう質問を私にしたのだろうかと不思議でしかたがなかった。
   結論として、父は私に恩を着せたかったのです。最初から国鉄に乗って京都から大阪に行くのは決まっていたが、それを「あんた、何に乗りたいか」と質問して、「国鉄」と答えたならば、「あんたが国鉄に乗りたいと言うから、あんたのために国鉄に乗せてやってやってやってやってやったってんで。わしに感謝しなさい、わしに」と言ってやろうという魂胆だったようです。ところが「阪急」と言ったもので、次は京阪か国鉄の2択で国鉄を選ばせようとしたが、「京阪」と私が言ったので成功しなかった。 しけたおっさん! しみったれたおっさん! 貧相な発想! ちっぽけな野郎だな。

   父のこういう態度はこの後も経験しました。この後、私が小学校4年の時、父と広島県・山口県に1泊2日で旅行したことがありましたが、広島の平和祈念館・平和公園に行って広島駅から大阪行きの特急に乗るためにプラットホームにいた時、父はプラットホームの売店(その頃は、まだ、「キオスク」という名称がひろまっていなかったと思います)で、「週刊文春」の「太平洋戦争中の日本軍艦隊の配置図」という特集のものを見て、それで、私に「あんた、これ、欲しくないか。あんた、これ、見たないか」と言うのでした。私が「欲しい」と言ったところ、「よっしゃ。そしたら、買ってやろう」と言って、売店でそれを購入しました。私に「あんた、これ、欲しくないか」と尋ねて、「欲しい」と私が答えたことから購入した以上は、売店でお金を払って「週刊文春」を受け取ったなら、それを私に渡してくれるものと思い、受け取ろうとすると、父は「電車に乗ってから」と言うのでした。特急が来て乗ると、父は指定席の座席を見つけると自分が窓側に座り、そして、私に「欲しくないか」と言って「欲しい」と言わせて購入した「週刊文春」「太平洋戦争時の日本軍艦隊の配置図」を広げて自分が読みだしたのです。「電車に乗ってから」と父は言ったのですから、電車に乗ったら私に渡してくれるものと思っていたら渡してくれずに自分が読む。それも、自分が週刊誌を電車中で読むのであれば、私に窓側の席に座らせてくれればいいのに、断固として週刊誌を読む自分が窓側に座ろうとして小学生の私を通路側の席に座らせるのです。 なんで、そんなことするのだろうなあと思っていると、そのうち、父は読み疲れたのか、「週刊文春」を閉じて自分の膝の上において両手でそれをささえて窓側の席で眠りだしたのです。寝るのなら通路側の席でもいいでしょうが、私に窓側の席に座らせてくれればいいのに、と思ってのですが、断固として自分が窓側の席に座り、小学生の息子を通路側に座らせて、自分が窓側の席で車窓を見るのではなく週刊誌を見て、読み疲れると週刊誌を閉じて窓側の席で寝る、というのは、それは父としては、窓側の席が「上座」と考えていたことから、だから、断固として自分は車窓を見たいという気持ちはまったくないにもかかわらず自分が窓側の席に座り、車窓を見たいと思っている小学生の息子を通路側に座らせたのでした。そういうおっさんだったのです。それにしても、自分が読みたい週刊誌なら、息子に「あんた、これ、欲しくないか」「あんた、これ、見たくないか」などと言って、「欲しい」と言わせて買うのではなく、黙って自分のために買えばいいと思うのですが、ところが、父は、そういうところで、わざわざ、「あんた、これ、欲しくないか」と言って「欲しい」と言わせた上で買って、そして、自分が欲しいものを買ったにもかかわらず、「あんたが欲しいと言うからあんたの為に勝ってやってやってやったってんで、ということにしたくてしたくてたまらない、というそういう人間だったのです。 ちっぽけな野郎だな。しみったれたおっさんだな。けったいな男だな・・と思いましたが、そういう男でした。
   さらに。私が中学校3年の時、父は、私に「あんた、(ヘンデルのオラトリオ)『メサイヤ』のレコード、欲しくないか」と言ってきたのです。ま~た、やりだした、と思いました。もう、いいかげん、嫌になりました。その手口はもう、見抜かれてるんだよ、おっさん! 父は私に何度も言っていました。「人に騙されたのなら一度なら騙した方が悪い。しかし、二度も三度も騙されているようなら騙される方も悪い」と。たしかにそうですよね。だから、私は、同じ手口に二度も三度もやられてなるものか! と思い、「欲しくありません」ときっちりと答えました。ところが、父もさるもの、「なんでやねん。欲しいやろ」「なんで要らんねん。あったらええやろ。なんで要らんねん」と執拗に食い下がります。「要りません」「なんでと言われても欲しくないものは欲しくないのです」「要らないものは要りません」とこちらも、決して根負けしてはいかんと思って頑張りました。ところが、こういうところでは父は「根性がある」のか、なかなかあきらめません。「なんでやねん。欲しいやんな。欲しいやろ。あったらええでえ。欲しいやんな」としつこいしつこいしつこい・・(以後、繰り返し)・・。それでも、「欲しくないものは欲しくありません。お父さん、欲しいなら自分が買われたらどうですか」と言ったのですが、父はそれでも、「なんでやねん。欲しいやんな。欲しいやろお、欲しいやろお、欲しいやろお、欲しいやろお、欲しいやろお~お・・・」としつこいしつこいしつこいしつこい。 もう、いいかげん嫌になりましたが、それでも、「欲しいやんな。なんで、要らんねん、なんでやねん、なんで要らんのか言いなさい」とか言うのですが、「なんでと言われても欲しくないものは欲しくありません」と絶対にここは譲ってはいかんと思って頑張りました。結局、ここは父もあきらめたようで、自分のために『メサイヤ』のレコードを購入しました。それにしても、自分が欲しいものを買うのに、いちいち、息子を利用して、「あんたのために買ってやってやってやってやったってんで」ということにして買うという、そうやって恩を着せるというやり口というのは、あんまり上品ではないし、そういう態度を取られるというのが嫌でした。父は、「世の中には、ダメ父! もおれば、カス親! もおるけれども、あんたはわしいみたいなえっらいえっらいえっらいえっらい、英雄のお父さん、謙虚な謙虚な成人のお父さん、ドイツ人のお父さんをもって、あんた、幸せやねええ~え。あんた、恵まれてるねえ~え!」と、その後、言いまくりましたが、私としては、とりあえず、自分が欲しいものを買う時に、いちいち、私を口実に使って買う、自分が欲しい物を買うのに私に「あんたのために買ってやってやってやってやったってんで」ということにして買うという、その「せこいお父さん」というのがつくづく嫌でした。

   1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓 作野礼子(女。北野高校→神戸大文学部卒。当時、20代。その後、結婚して、寺地礼子。その後、離婚したかどうかは知らん)が、「私は両親が離婚したから」というのを自慢にしていて、何度も何度もそれを言うのでしたが、どうも、旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」と言えば、ひとは「苦労されただけあって、しっかりしてられますねえ」とほめてくれると確信していたようでした。「私は両親が離婚したから」と言えば、誰もが自分をえらいえらいえらいえらいとほめる義務があるという信念を持っていたようでした。だから、私も、何度も何度も「私は両親が離婚したから」と言われました。しかし、「両親が離婚した」人というのは、離婚したら何かエライのですか? 「両親が離婚した」らエライのですか?  「両親が離婚信した人」いうのは、「さすがに両親が離婚されただけあって、おえらいですねえ」とほめてもらう権利があるのですか? 違うと思いますよ。旧姓作野礼子の親が離婚しようが再婚しようが再離婚しようが、そんなもの、知ったことか! まず、旧姓作野礼子さんは、「私は両親が離婚したから」と言うことにより、誰からもその分だけ自分はえらいと認定してもらう権利があると確信していた、信念もっていたようですが、そんな権利なんてありません。又、旧姓作野礼子さんは、両親が離婚した後、母親の方と一緒に暮らされたようなのですが、父親のない子供というのは父親のある子供に比べて恵まれていない、その分だけ苦労しているので、その分だけ人から「えらい、えらい、えらい」とほめてもらう当然の権利があるという信念もっていたようですが、父親のない子供と父親のある子供では、どっちがエライか? ・・なんて、そんなこと、どっちでもいいじゃないですか。それよりも、旧姓作野礼子さんは、父親のない子供に比べて父親のある子供は常に恵まれていると言いたいようでしたが、たしかに、あんなおっさんでも、ともかく、会社に勤めに行って毎月給料をもらってきて、その給料で私は食べさせてもらって成人したのですから、その点については、大いに感謝もするべきでしょう。しかし、そうではあっても、他方において、「父親のある子供」というのは、↑のように嫌な思いをすることだってあったのです。旧姓作野礼子はそれを理解できないのです。アホです。「両親が離婚した」娘というのはその程度のことも理解できない人間なのだとすると、「両親が離婚した」娘というのは、人間として欠陥がある人間だと判断するべきでしょうけれども、しかし、「両親が離婚した」人といっても、人それぞれ違いますから、「両親が離婚した」というだけでは、誰もが旧姓作野礼子みたいな傲慢な白痴、神戸大しかでてないくせして東大出た人間よりも傲慢な女だということはないと思います。
   まったく、しみったれた男だなあ、ちっぽけな野郎だなあ・・と思っても、それが自分の父親であるなら、しかたがない。でも、その部分については、やっぱり、うれしくないのです。旧姓作野礼子はそのあたりを理解する能力がない。それが「両親が離婚した」娘であることに原因があるのであるならば、「両親が離婚した」ということは旧姓作野礼子さんにとっては不幸なことであったでしょうね。私は小学生の時から、ともかく、《「一流大学」の経済学部》というものだけは首をもがれても行かされてたまるものかと思ってきた。特に「慶應の経済」と「神戸大の経済」は大嫌いでした。逆に父はその2つが大好きだった。父は言うのでした。「あんたはどこにでも行けるだけの点数をとんなさい。そしたら、わしがどこがええか決めたるわあ」と。なんで、決められなきゃならんのだ! さらに、その後ですが、父は言うのでした。「あんたが女を何人か用意してわしの所に連れてきなさい。そしたら、その中から、あんたがどの女とつきあうといいか、わしが決めたるわあ。その中にええのが一人もおらんかったら、そしたら、『みんな、あか~ん』て言うたるから、あんたがまた何人か女を用意してわしの所に連れてきなさい。その中にもええのがおらんかったら、また、『みんな、あか~ん』て言うたるから、そうやって誰とつきあうか決めたらええ」と。で、私は言ったのです。「決めて要りませんけど」と。すると、「甘ったれるなよ、チャンコロ! つけあがるなよ、チャンコロ! そういう大事なことはわしとかM川先生(父の親友の医者屋)とかいった、えっらいえっらい謙虚なドイツ人に決めてもらうものやねんぞ。おまえが決めるものとは違うねんぞ、心得違いを起こすなよ、チャンコロ。わしのような謙虚な聖人の英雄のドイツ人に決めてもらうものやねんぞ、チャンコロ!」と言うのでした。疲れます。「世の中には、カス親もおれば、ダメ父もおるけど、あんたはわしのような英雄のお父さん、ヒットラー総統のようなドイツ人のお父さんを持って幸せやねえ」と。「わかっとんのんか、この浪商! わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族やねんぞ!おまえとは民族が違うねんぞ、階級が違うねんぞ。おまえはチャンコロの民族でチャンコロの階級やねんぞ、わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族で階級やねんぞ。わかっとんのんか」と繰り返し言うのでした。
   たしかに、あのおっさんが毎月受け取って来た給料から食べさせてもらって成人しました。だから、その点では大いに感謝もするべきでしょう。父親がない子供よりもその点では良かったのかもしれません。しかし、片方で嫌な思いをすることもあれば、いるから困ることだってあるのです。他にも、変なおっさんやなあ、困ったおっさんやなあと思った事件はいくつもあるのです。たとえ、困ったおっさんであっても、その人が自分の父親であればしかたがないかもしれませんが、「私は両親が離婚したから」と、父親があるからという理由で他人に自慢されたりする理由は何もないのです。北野高校という学校は、私は行きたいと思って行った学校でした。慶應は日本で一番嫌いな大学でしたし、経済学部・商学部・経営学部というのは小学生の時から首をもがれても行かされたくないと思っていた学部でしたから行きたくなかったし、経済学部でも京大の経済学部ならまだしも「慶應の経済」と「神戸大の経済」はそんな汚らわしい所に行かされるくらいなら大学なんか行かない方がよっぽどいいと思ってきましたが、ところが、旧姓作野礼子は私に「あなたはブンケー(経済学部のこと)よ」と言ってきかないのです。北野高校の教諭が言うということは、何か論拠があって言っているのではないか・・などとアホなことというのか、なんともお人よしに馬鹿げたことを考えましたが、そうではなく、旧姓作野礼子は、生徒に味方するよりも親に味方した方が高校の教諭の処世術として正しい、というそういう判断をしていただけでした。卑怯な女です。
  旧姓作野礼子は「あなたはブンケー(経済学部、および、商学部・経営学部のこと)よ」と私が一番いやな所に行かそうとしたのですが、私の方も旧制作野礼子に言ってやればよかったと今は思います。「あなたは、高校の教諭には絶対に向いてないわよ」と。「あなたは、たとえ、教諭になるにしても、『両親が離婚した』娘専用の教諭にでもなるべきであって、「両親が離婚した」わけではない息子・娘の教諭はなるべきではない! と。黙って言われていることはなかった。高校の教諭というのは、「進路懇談」とか言って強制的に言いたい放題生徒に言える場がありますが、あれはずるいと思います。黙って聞いてりぁいい気になりやがってからに、やいやいやい・・て、そんな感じ。私が高校3年の時、母は「こいつ、現役で大学に合格すると思いあがって女を泣かすような男になるから、こいつ、絶対に落としてやる」とか言って、家で学習している最中、後ろから来て、えりのあたりをつかんで後ろにひっくり返したり、私が使用している部屋の電気のブレーカーを落として真っ暗にして学習できないようにしたり、学校から帰って来るとインタホンの電源を切って鳴らないようにして、家に入れてくれなかったり・・その他、ありとあらゆる嫌がらせをして、それだけが原因ということでもないけれども、浪人しましたが、浪人した時、旧姓作野礼子は私に「私は両親が離婚したから。私なんか、浪人なんて、そんなもの、絶対にさせてもらえなかったわ。浪人したいなんて、まず、言いだせなかったわ」などと言って責めたのです。しかし、私の場合は、高校3年の時、母は「こいつ、現役で大学の行くと、思い上がって女を泣かすような男になるから、こいつ、絶対に落としてやるう!」と言って↑のような行為を繰り返したし、父もまた「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言い、だいたい、なんとか現役で大学に通りたいと思って努力している息子に向かって、「あんた、浪人しなさい」なんてそんなこと言う親があるか! と思ったものでしたが、父はそういう人間でした。 その結果、浪人すると、旧姓作野礼子から↑のようなことを言われて責められたのです。もしも、私が高校の教諭であったなら、高校3年生には「できる限り、現役で大学に行った方がいいよ」「浪人して得るものもあるかもしれないけれども、失うものもあるよ。全体として考えるならば、私はできる限り現役で行った方がいいと思うよ。もしも、長く勉強したいのならば、浪人するよりも大学院に行くなり、学部を2つ行くなりした方がいいよ」と教えてあげますが、いったん浪人してしまった人には、なんで、浪人したんだ、私なんか浪人なんかさせてもらえなかったのになどと言って責めたりはしません。今から10年少々前のことでしたが、ある人材紹介会社に行った時、そこの会長さんが慶應大学の出身で、いろいろと話を聞かせてもらったのですが、その方は高校で留年されたことがあったそうです。会社に応募した時、採用担当者から、「おまえはアホか」と言われたそうです。さらに、成績表を見て「あんまりよくねえなあ」と言われ、「何考えてんだ」と言われたと。それで、言ったそうです。「それ、今からどうしたらいいですか。もしも、今からなんとかできるものなら、なんとかしますから、どうしたらいいか、教えていただけませんか」と。すでに浪人したり留年したりした者に、それを責めてもしかたがないじゃないですか。 その会長さんはこうも言われたのです。 就職がうまくいかないという者に向かって、それを責めても、それは、川でおぼれている者に向かって、「なんで、おまえは水泳の練習をしておかなかったんだ」とまさに今おぼれている者に、陸地から言うようなものだ、と。そういうことは、陸の上にあげてから言うべきではないのか。今、溺れている者には、とりあえず、陸の上に上がれるように協力してやるべきものと違うのか、と。私もそう思いました。私もそう思います。浪人中に、なんで、おまえは浪人しているんだと責めてどうするんですか? 今さらどうしようもないじゃないですか。どうしようもないことを責めてどうするんですか? 「両親が離婚した」人間はひとにそういうことをする権利があるのですか? 私は旧姓作野礼子から、「浪人なんて」と、浪人したことをずいぶんと責められましたが、そうやって1浪時もまた受験に失敗してふと気づくと、北野高校よりずっと下の高校の出身でずっと成績の下の人が「浪人してからに」などと責められることなんてちっともなくて浪人生活を自慢たらしく送って、そしてそれなりの所に合格したりしたのです。旧姓作野礼子の言うことなんか聞いてバカ見ました。バカ見せられました。旧姓作野礼子は私に「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言って私が首をもがれても行かされたくないと思っていた所に行かそうとしましたが、黙って言われていることはない。旧姓作野礼子こそ、「あなたは文学部には不向きよ」と言うべきでしたし、「私なんか、神戸大の文学部なんて、行きたいなんて、まず言えなかったし、たとえ、行きたいなんて言っても、『あんた、アタマおかしいのと違うかあ』と言われるのがオチで、そんなもの、絶対に行かせてもらえなかったわ」と。旧姓作野礼子の「現代国語」なんて、あんなもの、結論を言うと「勝手なことやってるだけ」でしかないし、旧姓作野礼子の文学についての理解は貧弱で高校生レベル以下です。北野高校は行きたいと思って行った学校でしたが、振り返ってみると良かったかどうかわからない。旧姓作野礼子というあの女がいたというその点では最悪の学校だったかもしれません。それならどこへ行けば良かったのかというと、よくわかりませんけれども。

   大谷本廟から大阪に帰る時の話はまだもうひとつ問題がある。それを次回 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_5.html

   (2018.10.14.)

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