大谷本廟参拝【1/5】-西本願寺・大谷本廟(西大谷)・北御堂が本願寺派。江戸時代の石橋、円通橋

[第412回]
   京都市東山区の大谷本廟(西大谷)に参拝してきました。 ここは浄土真宗本願寺派の寺で、基本的には「浄土真宗本願寺派本山 本願寺」(「西本願寺」)と一体の寺なのですが、こちらには第一無量寿堂・第二無量寿堂という納骨堂があり、父方の祖父母がこちらで世話になっていることから、定期的に参拝しており、私にとっては他の寺社を参拝する場合とは事情は違います。

   内容のある書物は3回読んでわかるようになる・・という説がありますが、建築についても、3回くらい訪問してわかるようになる場合があります。 これまで訪問した有名建築物・歴史的建築物として、3回以上訪問した所が何か所あるかと考えてみると、それほど多くありません。 2回以上、訪問した所でもそれほどは多くない。そこの寺社や施設となんらかの縁がある所の場合は、3回以上行くことはよくあります。 たとえば、前川國男設計の東京都美術館とか東京文化会館とかは、これは美術展を見に行ったり音楽会を聴きに行ったりしますから3回以上は訪問しています。美術館としては、ル=コルビュジェ設計の国立西洋美術館は2回入館しました。他に、黒川紀章設計の新国立美術館、アール=デコ建築の代表と言われる旧朝香宮邸である東京都庭園美術館も2回行きました。 「世界の丹下健三」設計の竣工時から雨漏れしたという(それでも「世界的建築家」の設計だと「名作」と認定してもらえるのですが、建築屋がやったら「ぶっ壊して建て替えろ」と激怒されるところです。「世界的建築家」てええ身分でんな)東京カテドラル聖マリア大聖堂は建築を見学に行った後、クリスマスに演奏会を聴きに行きました。建築は構造と機能とデザインと経済性の4つを合わせて実現してこそ建築であり、自分の思いこみで身勝手なデザインばかり実現して使いにくいわ構造に問題があるわという建物はいい建築とは思えません。「建築家」業界はいくつかの「山脈」があるそうで、その「山脈」に属する人は批判しにくいということもあるかもしれませんが、「世界の丹下健三」「姓は丹下、名は健三」とか言われると水戸黄門の印籠見せられたみたいに、自分の感想を抑えて称賛しているのではないかという人だらけというのは情けない。演奏会に行って思ったのですが、背後にパイプオルガンがあって合唱団の席があるというのもあまりいいとは私は思いませんでした。音響がいいという説があるらしいが、私はいいとは感じませんでした。「建築家」ぶりっ子の人たちはこれなどを一生懸命ほめることで自分もまた「世界の丹下健三」のエピゴウネンとして認めてもらえるのではないかと思って称賛するようですが、「クリスチャン」という人の間での評判はあまりよくありません。 「納骨堂みたい」なノバホールで有名な「世界の磯崎新」設計の「ポストモダンの集大成」ということになっている つくばセンタービルも2度行きました。1度目は特に悪いと思わなかったのですが、2度目に行った時には、「ひっでえ~え」「しろうとの仕事じゃないか」と思いマイナス面が見えました。ひとつには、つくばセンタービルはこの地域に「核」になるようなもの、象徴的中心物を作るという性質があって、モニュメント的な建造物となれば実用的には役に立たなくてもいいとして作られたが、その後、つくばエクスプレスが開通して目の前に「つくば」駅ができ、駅が「核」の役割を果たすようになり、つくばセンタービルは単に無用の長物・巨大なガラクタになってしまった、という点があり、その点がつくばセンタービルにとっては不幸であったかもしれません・・・が、駅ができた時にどうということを考えずに設計するとあたりが建築屋ではなく「世界的建築家」の特徴なのかもしれません。 亀戸天神は、その近くで勤めていたことがあって、その近くのお客様のお宅に訪問したことがあったりしたことから、3回以上行きました。湯島天神はお茶の水駅から近いということもあって3回行きました。鎌倉の建長寺・荏柄天神社も2回、鎌倉宮も2回行きましたね。鎌倉宮というのは「建武中興15社」の1つとされ、祭神は大塔宮護良親王、メカケと「逆賊」の言うことばっかり聞きやがってからに、滅私奉公して会社に尽くす従業員を苛め倒すろくでもない経営者を懲らしめる神さまです!
  京都というと、鹿苑寺(金閣)に2回、慈照寺(銀閣)に2回。慈照寺は1回目は小学生の時に行ったのですが、その時の印象は、「なんだ、銀箔貼ってないじゃないか」てものだったのですが、2回目は30代になって行きましたが、この時は銀閣よりも、書院造の代表格のように言われる東求堂を見に行ったのですが、拝観入口から入ってすぐ右手に、「なんか、汚らしい掘立小屋みたいな建物」があって、「なんだ、この汚らしいのは」と思うと、それが銀閣だった・・・・が、しかし、よくよく見ていると、その「汚らしい掘立小屋みたいの」がなかなか味があっていいのです。で、「銀閣は金閣が金箔を貼ったように銀箔を貼る予定だったが金閣を作った3代義満の時代と違って6代義政の時は財政難で費用がなかったので貼れなかった」という説を聞いたけれども、それは違うと思った。銀閣は銀箔なんて貼らない方が絶対にいいと思ったのです。また、金箔を貼って美しかったとしても、それは金箔の美しさであって建築の美しさではない、ということはないだろうか・・・などと考えたりもしました。その後、東京の銀座の松屋で開催された「小堀遠州展」を見に行った際、はす向かいの「仏壇のはせがわ」が豊臣秀吉が作ったという「金の茶室」の別バージョンとして「プラチナの茶室」を作ったというのを見に行きましたが、「仏壇のはせがわ」は、最初、「銀の茶室」を作ってみようと考えたが、実は、金は柔らかくて金箔として薄く延ばすことが出来るのに対して、銀は銀箔として薄く延ばすのは難しいそうで、それで「銀の茶室」はあきらめて「プラチナ(白金)の茶室」を作った、と説明書きにありました。ということは、もしも、室町時代に「金閣」の向こうをはって「銀閣」に銀箔を貼ろうとしたとしても、たとえ、財政難でなかったとしても技術的に難しかったのではないか。今現在の技術でも銀箔を貼るのは難しいのですから、だから、「銀閣は銀箔を貼ろうとしたけれども財政難から貼れなかった」というお話は、技術的にも、その話は違うのではないか、と思いました。フランク=ロイド=ライトの「カウフマン邸(落水荘)」の外壁に、ライトは金閣のように金箔を貼ろうと考えたという話があり、施主は金持ちだからできるだろうとライトは考えたが、施主のカウフマンさんが反対して今の状態になったらしいが、カウフマン邸(落水荘)も金箔は貼らない方がいいと思います。銀閣は、「銀箔を貼ろうとしたが財政難から貼れなかった」というお話は、技術的に違うのじゃないかということもありますが、実際に現地に行ってよく見ると、銀閣は銀箔なんて貼らない方がよっぽどいいと思います。もしも、銀箔なんて貼ったらまさに「蛇足」であり銀閣の良さがなくなってしまうと私は思います。 金閣を「すごい」と思うのは子供でも思うのですが、銀閣の良さを感じる感性というのは、人間としての成熟があってこそではないかと思います。「違いがわかる男のネスカフェゴールドブレンド。だあ~ばあ、だあだばだあ~だばだあ~♪」て感じ、「くろうと好み」なところがあると思います。
※ 《YouTube-ネスカフェ ゴールドブレンド》https://www.youtube.com/watch?v=fYd2qsugZx4
   大谷本廟のすぐ隣の清水寺には3回、北野天満宮にも2回行きました。大阪だと、四天王寺には3回、住吉大社にも3回、大阪天満宮も2回行きました。お初天神(露の天神社)は過去に勤めていた会社の近くだったということもあり、参拝料を払わなくても境内に入れるし、昼休み頃などは付近の会社のサラリーマンがそこで過ごしたりしている場所でもありますので、何回か忘れましたが間違いなく3回以上は行きました。太融寺も2回行きましたし、前というのか後ろというのかは何度も通りました。もっとも、太融寺というのは、場所柄なのか、いつ行っても、デリヘルのねーちゃんみたいなお姉さんを見かけるのですが、まあ、見かけて悪いということもありません。
  東京都庁舎なんてのも「有名建築物」に入るかもしれません。なにしろ、「世界の丹下が設計した」というフレーズのものですから、建築業界に勤める者は「はあはあ~あ」と水戸黄門の印籠見せられたみたいにひれふしてヨイショしないといけない・・・・かどうか知りませんが、「有名建築物」であるのは確かでしょう。1992年でしたが、宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の合格者の受験番号が都庁舎に貼りだされ、見に行った時に自分の受験番号があった時はうれしかった。 2001年、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の総務部長の天野雅弘(男。当時、50くらい? 最終学歴:高卒)から「おまえは、宅建主任(宅地建物取引主任者→宅地建物取引士)にしてもインテリアコーディネーターにしても何の努力もしていないのに簡単に通る。俺らはどんなにしても通らないのに、おまえは何もしなくても通る。ずるい」などと言われたことがありましたが、私は「何の努力もしていないのに」とか「簡単に」とか「何もしなくても」とかで通った試験は何一つありません。宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)も、柴田孝之は『司法試験1発合格の技術』だったかの附属のDVDで「宅地建物取引主任者というもんのすごい簡単、簡単に通る資格試験がある」などと述べていましたが、旧型司法試験などより易しいのは確かであるとしてもそこまで「もんのすごい簡単」などというものではありあません。柴田はいいかげんなことを言わない方がいいと思います。まず、仕事を持ちながら学習するとなると、学習時間をどこから盗み出すかという、まず、それが問題になります。そういう条件のもとに苦労して工夫してやっと通ったのです。むしろ、(株)一条工務店の総務部長の天野雅弘は「俺らはどんなにしても通らないのに」などと言うのですが、「どんなにしても通らないのに」と言うのなら何をやったのか? ・・というと何もやってないでしょうが。何もやってない人間が「俺らはどんなにしても通らないのに」などと言い、そして、大変な努力・苦労・工夫をした上で通った者に向かって「あんたは何の努力もしていないのに簡単に通る。ずるい!」などと暴言を吐くことの方こそ、「ずるい!」と言うべきでしょう。特に、インテリアコーディネーターは元々は取得する予定にしていなかったものを、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が取得してくれと言うので、それで、会社の上役が取ってくれと言う以上は取らないといけないと考え、インテリアコーディネーター資格者の知識・能力と慶應大学商学部出身者が持つマーケティング的発想・経済学的思考と複数地域での実際の営業経験、それに同社の従業員のレベルから考えれば上の方である語学力とを合わせて、商品開発もしくは新規出店計画、あるいは外国からの設備機器の購入担当などをさせようという構想かと考えて大変な思いをして合格・登録したものです。営業本部長が取ってくれと言うから大変な思いをして取得したものを、総務部長が「腹立つ」だの「むかつく」だの「ずるい」だのと暴言を吐くとはいったいどういうことか。 西新宿の東京都庁舎は何度も行きましたが、その宅地建物取引主任者(→宅地建物取引士)の合格発表を見にいった時の思いが最も強い。合格発表を見に行く時間もなかなか取れず、夕方、都庁舎が閉まる直前くらいの時刻、暗くなりかけの時間に行ったと思うのですが、苦労して工夫して受けた試験で自分の番号があったのを見た時はうれしかった。
   振り返ってみると、寺社にしても建築にしても、二度行った所はある程度ありますが、三度行った所というのは多くないですね。大谷本廟の場合、ここは父方の祖父母がお世話になっている場所ですので、何度も行くことになった所ですので他の場所とは事情は違います。今後も生きておれば行くでしょう。

   大谷本廟は祖父母がお世話になっていることから、もう何回行ったか忘れたが、ともかく3回以上は間違いなく行っている。祖父母の遺骨をこちらでお世話になっているので、子供の頃は、西本願寺がお寺で大谷本廟はお墓なんだと思って行ったのですが、たしかに納骨堂はありますし、裏手(東側)に墓地もあるようですから、お墓というのは間違いということでもないのですが、街中にある本願寺(西本願寺)が信徒のお墓を用意するためにこの場所を設けたということではなく、《大谷本廟HP 沿革》http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/html/n1c1.html によると、親鸞は1263年に「往生」した後、大谷本廟の北のあたりにある「御荼毘所」で火葬され、遺骨は「大谷」に納められた。その後、1272年、親鸞の娘の覚信尼が吉水の北辺に廟堂を建て御影を安置した。これは現在の知恩院の山門の北あたりだったという。これが「大谷影堂」と呼ばれ「大谷本願寺」となったが、1603年に徳川幕府の命令により現在の地に移転され、現在の地を「大谷」と呼ぶようになった、らしい。なぜ、移転させられたかというと、どうも、徳川家は浄土宗であり、浄土真宗というのは浄土宗の一派という性格もあるのだけれども、浄土真宗という別の宗派になっており、徳川家の宗派である浄土宗の知恩院を拡張するためであったのではないかと言われているらしい。
  「浄土真宗本願寺派本山本願寺」(西本願寺)は1591年に豊臣秀吉から七条堀川の地を与えられて設立したもので、「真宗大谷派本山 真宗本廟」(東本願寺)は1602年に徳川家康から烏丸六条の地を与えられて設立したものであり、今は西本願寺と大谷本廟は離れているけれども1つのお寺として運営されているようだが、こういう経緯でできたものであって大谷本廟は西本願寺が墓地として作ってそこにお堂を作ったということではない。
   ややこしいのは、「大谷本廟」と別に「大谷祖廟」というのが円山公園の南、高台寺の北のあたりにあるのだが、本願寺派の「大谷」が「大谷本廟」で大谷派の「大谷」が「大谷祖廟」らしい。 さらにややこしいのは、「大谷本廟」を「西大谷」と言い、「大谷祖廟」を東大谷と言うので、それで、私は、我が家の祖父母がお世話になっている大谷というのは東山にあるので「東大谷」かと、子供の頃、思ったのですが、「西大谷」だと言うので、「東山にあるのに西大谷とはこれいかに?」なんて思ったものでした。 西大谷が東山にあるということは、それなら「東大谷」は東山にある「西大谷」よりさらに東、東山を越えた琵琶湖の湖畔か、そこまでいかないにしても山科あたりにあるのだろうか・・・なんて思うと、これがそうではなく、東大谷もまた東山にあって、地理的には西大谷の東ではなく西大谷の北の方にある。 な~んでだ? それなら、西大谷-東大谷 と言わずに、南大谷-北大谷 と言えば良さそうではありませんか? 大阪市にある「御堂さん」だって、北野高校の前身の大阪一中が最初にできた場所でもあるらしい南側にある真宗大谷派の難波別院〔[第76回]《大阪の (旧制)北野中学校〔北野高校〕と福沢諭吉の史跡、及、『福翁自伝』から見る 橋下 徹 の矮小さ》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201201/article_5.html に写真を掲載しました〕が南御堂、北側にある浄土真宗本願寺派の津村別院が北御堂と呼ばれている。 「御堂さん」の場合は、地理的に南にある方を南御堂、北にある方を北御堂と呼んだのに対して、「大谷」は、西本願寺の「大谷」が西大谷、東本願寺の「大谷」が東大谷、ということで、地理的にどっちがどっちの方角にあるかから名づけられたものではないらしい。 さらにややこしいのは、大阪の南御堂と北御堂は、南御堂は別名が難波御堂・難波別院、北御堂は津村御堂・津村別院というのですが、難波御堂というからには最寄駅は地下鉄とか南海とかの「難波(なんば)」だろうと思いきや、最寄駅は地下鉄御堂筋線の「本町」。 な~んでだ??? と思うが、なじかは知らねど、御堂筋線の「難波」の北の「心斎橋」のまだ北の「本町」が最寄駅。 だいたい、西本願寺が「本願寺派」で東本願寺が「大谷派」なんて言うけれども、どっちも本願寺でどっちも大谷やんけ! ややこしいことこのうえない。さらにややこしいことに、「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」を名乗る寺が東京の浅草のあたりにある。伊藤忠太設計の建物の築地本願寺は浄土真宗本願寺派の築地別院であるわけだが、もともとは大谷派の方の東京の別院だった寺が大谷派を離脱して「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」を名乗ったらしい。一般には「東本願寺」と言うと京都の東本願寺の方を言うけれども、東京の東本願寺もまた東本願寺を名乗っているのでややこしい。
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↑ 五条坂から見た 大谷本廟。 手前の建物が「総門」。その向こうに見えるのが「仏殿」(本堂)。 右手前の石碑に「大谷本廟」と彫られていますね。

大谷本廟の最寄駅は、京阪本線「清水五条」です。↓ 私が子供の頃は「五条」という駅名でしたが、京都市地下鉄烏丸線ができて、これより西に「五条」駅が作られた時に、清水寺に近いということで「清水五条」と先にあった京阪の駅の方が駅名を変更しました。 私が子供の頃は京阪は鴨川にそって地上を走っていましたが、今は「東福寺」駅と「七条」駅の中間から地下にもぐってこの「清水五条」駅付近も地下を走っています。 かつては「三条」まででしたが今は「出町柳」まで京阪が走っています。 かつては、京都は、JRと阪急、JRと京阪の乗り換えは不便でしたが、今は地下鉄烏丸線でJR「京都」駅から阪急「烏丸」駅まで行くことができ、JR「京都」駅からJR奈良線で「東福寺」駅まで行けば、隣接する京阪「東福寺」駅と乗りかえが簡単にできます。(但し、京都市地下鉄から阪急への乗り換えの場合、同じ場所にあるのに京都市地下鉄烏丸線の駅が「四条」で阪急京都線の駅が「烏丸」。知ってる者にとってはたいした問題でもないが、初めて京都に来た人なんかは迷うのではないか。両方とも「四条烏丸」にしてはどうだろうか。)

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↑ 「円通橋」
≪入口の円通橋は石造のアーチ橋で、江戸時代の遺構。≫(『改訂版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック』2007. 8版 淡交社)
   今回、訪問は10月上旬、紅葉しかけ・・という感じ。 完全に紅葉した状態はきれいで、大谷本廟も完全に紅葉した時期はきれいですが、「紅葉しかけ」も悪くありません。 円通橋の脇のあたりの樹木も、「紅葉しかけ」です。

   内田康夫『黄金の石橋 新装版』(2017.実業之日本社)に石橋についての話がある。
≪  新聞記事は、鹿児島市内を流れる甲突(こうつき)川に架かる五つの石橋の話を書いていた。五石橋(ごせっきょう)とは、上流から「玉江(たまえ)橋」「新上(しんかん)橋」「西田(にしだ)橋」「高麗(こうらい)橋」「武之(たけの)橋」。
「きみは知らないだろうけど、どれもじつに美しい橋ばかりでね、江戸末期の建造だから、かれこれ百五十年以上も昔の『作品』だ。ああいうのはもう、単なる建造物というだけでなく、一つの史跡であり美術品といってもいい」
  その「史跡」が先年の洪水で五橋のうち二橋が流失、他も被害に遭った。それと同時に、川から水が溢れ、市街地が冠水したのは、アーチ型の石橋が流れを妨げたからだとの声が高まった。・・・・≫
≪ ・・・石橋の歴史は確かに興味深いものがある。熊本県矢部町にある「通潤橋(つうじゅんきょう)」――よく観光写真などに出ていたり、季節のテレビニュースで紹介される、橋の真ん中から滝のような放水をするあの橋も、代表的な石橋であることをあらためて知った。 ・・・
   ・・・・
  一般的によく知られている石橋というと、通潤橋jもそうだが、何といっても長崎の「眼鏡(めがね)橋」だろう。眼鏡橋は1634年に如定(にょじょう)という唐僧によって建造された。350年以上も昔のことだ。いまでも驚くほどだから、橋脚も橋げたもない石の橋に、当時の長崎の人々はさぞかし驚いたにちがいない。・・・・
「小さな眼鏡橋でも驚くのだから、通潤橋や鹿児島の五石橋みたいな巨大な橋にはなおさら感心させられるよ。通潤橋にいたっては、橋の上を水が流れている。それもただ流しているんじゃなくて、サイフォンの原理を応用しているんだから凄い。そういう石橋が九州地方には何百とある。いや、九州だけじゃない、東京にだってずいぶんあったんだ。浅見ちゃんは知ってるかい?」
・・・
「・・・いまでも残っているのは、日本橋ぐらいなものかな」
「えっ、日本橋がそうなんですか」
「そうだよ。なんだ、そんなことも知らなかったのか」
  藤田氏は大いに慨嘆した。
「東京に架けられた石橋といえば、まず何といっても皇居の二重橋がそうだろう。それから現在も名前だけは残っているのが万世(まんせい)橋、浅草橋、蓬莱(ほうらい)橋、江戸橋、京橋、鍜治橋、呉服橋なんかがそうだ」
  指折り数えるようにして行った。・・・ ≫
  阪急宝塚線に「石橋」駅があるが、駅名は石橋でも、その付近に通潤橋か眼鏡橋か二重橋かみたいな橋はどこかにあるかというと、見当たらない。
※ 《ウィキペディア―甲突川五石橋》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%AA%81%E5%B7%9D%E4%BA%94%E7%9F%B3%E6%A9%8B
《ウィキペディア―日本橋(東京都中央区)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA)

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( ↑ 円通橋から総門を見る。 )
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↑ 円通橋の脇も紅葉が始まりかけ。

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↑ 円通橋から総門に至る参道の左(北)側、親鸞像

   次回https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_2.html 、総門から仏殿(本堂)・明著堂と進みます。

※ 大谷本廟HP http://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/
浄土真宗本願寺派本山本願寺(西本願寺)HP https://www.hongwanji.kyoto/

   (2018.10.14.)

☆ 大谷本廟参拝
1.西本願寺・大谷本廟(西大谷)・北御堂が本願寺派。江戸時代の石橋、円通橋 〔今回〕
2.総門・守衛所・仏殿・読経所。自宅に植木がなくても寺社に見にいけばという考え方 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_2.html
3.玄関だけ前に出た建物は変か? 会社の電話に私用の電話を他人の女に毎日かけさせる男 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_3.html 
4.納骨の際、お骨を落とすな。普通に電車に乗るのも恩着せようとする父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_4.html
5.自分が空腹でなければ子供にも食べさせない父親。子供に脂の塊を食わす父親 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201810/article_5.html

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≪ 「違いますよ。今回はたまたま、新田さんと知り合って、この事件に遭遇しただけです。これを取材して記事にしようなんてつもりは、さらさらありませんから、安心して何でも話してください。こう見えてもぼくは口の固いほうですから」
「だからなあ・・・・」
 石原は呆れて、背を反らせた。
「話すのはこっちではなくて、そっちのほうだと言ってるだろうが。あんた、本官を舐めてるのか?」
「舐めたりはしませんよ、そんな・・・・」
 そんな汚い顔――と言いそうになって、やめた。
 ・・・・ ≫
(内田康夫『黄金の石橋 新装版』2017.実業之日本社 ↑) 

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