エクセル3級合格体験記【8/8】どっちが「昇順」? 「教え合い」なら良し、「面倒みまくり」はだめ

[第401回]
(33)  エクセル3級の試験では、問題3 で、「データベース」の分野、「フィルター」の設定、あるいは「テーブルスタイルとしての書式設定」、あるいは「並べ替え」をせよという出題がされます。
   この「並べ替え」ですが、表のどこかのセルをクリックした上で、「データ」タブの「並べ替えとフィルター」グループの「昇り順」ボタンをクリックすると「最小値が先頭になるように」並べられ、「降順」ボタンをクリックすると「最大値が先頭になるように」並ベられ、「並べ替え」ボタンをクリックすると「並べ替え」ダイアログボックスが開いて、「最優先されるキー」「並べ替えのキー」「順序」と3つの箱があります。「昇り順」ボタン、「降順」ボタンをクリックした場合は、カーソルを置いたセルの列の項目により昇り順・降順が設定されるのに対し、「並べ替え」ボタンをクリックして「並べ替え」ダイアログボックスを開いた場合は、どのセルを選択しているかにかかわらず、その表のどの項目を基に並べ替えるのかは「最優先されるキー」で選んだものになります。「順序」では「昇り順」「降順」「ユーザー設定リスト」から選ぶことになりますが、「ユーザー設定リスト」てのはなんだかもうひとつよくわからん。一般的には「昇り順」か「降順」を、「並べ替え」ボタンをクリックしてダイアログボックスを開いた場合は、ここで決定します。
   もしくは、「ホーム」タブの「編集」グループの「並べ替えとフィルター」ボタンをクリックしてドロップダウンメニューの中から「昇り順(S)」「降順(O)」「ユーザー設定の並べ替え(U)」のいずれかを選択して・・という方法もあります。
   操作としてはこれだけのことで、そんなに難しいわけでもないのです。もし、2つの項目で並べ替えをおこないたいなら、たとえば、Aの項目をもとに昇り順なり降順なりに設定した上で、Aの項目が同数値である場合にはBの項目で昇り順なり降順なりを設定したい時には、「並べ替え」ダイアログボックスで、「最優先されるキー」にAの項目を選んで昇り順なり降順を設定した上で、「レベルの追加(A)」ボタンをクリックすると「次の優先されるキー」というのが出ますので、そこにBの項目について入れればいいのです。
   それだけのことなのですが、ここで、ふと迷うのは、はたして、いったいどっちが「昇り順」でどっちが「降順」なのだろうか?・・と考えてみたりする時があるのです。たとえば、1と10なら10の方が大きいですから、1から10に進むのが「昇り順」で、10から1に進むのが「降順」だろう・・とこのあたりはわかるのです。 しかし、順位とかになりますと、1位から最下位に向かうのは「昇り順」なのか? 「降順」なのか? とか考えこんだりしてしまうのです。考えませんか。1位と10位なら数字を見ると、1から10の方が「昇り」だわなあ・・・と思うのですが、なんで、1位から10位に向かうのが「昇り」なんだ? 「降り」と違うのか?・・・とか考えてしまうのです。あるいは、アイウエオとかABCDEとかですと、アからハとかマとかヤとかに向かうのは「昇り」なのか「降り」なのか?・・・あれ、どっちなんだ? て考えませんか?
   こういうのを、テキストを読んで、こっちが「昇り」でこっちが「降り」と一生懸命覚えても、実際に操作する時になると、あれ、どっちだっけ? とか考えるのです。ややこしいな・・。
   それで。どうしても困った時は、「とりあえず、自分がこうだと思った方をやってみる」という方法があります。それで、思っていたものと逆になったなら、「元に戻る」ボタンという便利なものがエクセルにはついているので、元に戻って逆の方をやればいいのです。 
   もうひとつ、「並べ替え」ダイアログボックスを開いて選択していくと、その左下のあたりに、どっちが「昇り」でどっちが「降り」だという説明文が出た・・ような気がしたのですが、本番の試験を受けてから発表までの期間を経て、エクセルを開いて「並べ替え」ダイアログボックスを開いてみると、どうも、出てこないので、なんでだろな・・と今、思案しているのですが、出てきたことがあったはずなのです。だから、そういう場合もあるので、ともかくも、どっちが「昇り」でどっちが「降り」というのは一回は覚えておいた方がいいとは思いますが、忘れてしまって、どっちだっけ? と迷ってもそれほど心配する必要はありません。


(J)  世の中には、「パソコンのスペシャリスト」みたいなタイプの人もいると思いますが、私はそうではありません。まず、2通りの意味で、それ以外のものがあると自負しています。
   かつて、福沢諭吉は「実学」と「虚学」ということを言った。この場合、何を「実学」と言い、何を「虚学」と言ったかというのが問題なのだが、森川英正『日本経営史』(1981.1.13.日経文庫)には、
≪ 三菱会社と三井物産に次いでは、明治12年(1878年)暮に慶應義塾を卒業した村井保固を、翌年(1879年)5月に森村組が採用し、ただちにニューヨークに派遣したのが早い事例です。森村組は、森村市左衛門が、明治9年(1878年)、特産工芸品の直輸出を目的として設立した商社です。森村は、福沢諭吉に慶應義塾卒業生の推薦を依頼し、福沢は村井を送り込んだのです。
   森村組の条件は、「第一健康、第二英語の達者なこと、第三簿記が出来ること」の三つでした。村井は、「語学と簿記は不得手の方です」と言って、福沢から「馬鹿野郎、実業家を志して居るものが、其辺の支度が出来ていないとは言語同断だ」と大喝され、悄然とします。当時、慶應義塾、商業講習所、三菱商業学校は企業からの求人を争う関係にあり、村井が条件にあてはまらぬとなると思います、せっかくの求人を他校卒業生に奪われます。福沢は、それが残念で叱ったのでしょう。
   村井は、あらかめて福沢を訪ね、「森村さんは偉い人と聞くが、英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい、小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と反論します。福沢も村井の意気込みを評価し、あらためて森村と交渉した結果、村井の森村組入社が決まったのでした。 ≫
といった話が出ており、福沢諭吉は≪実業家を志して居るもの≫は≪語学と簿記≫は重要であることと認識していたようですが、しかし、それなら、≪語学と簿記≫などが「実学」で文学・哲学・社会学・人類学・宗教学といったものは「虚学」だ、塾風強姦主義の慶應タイプのブタ人間ども・慶應タイプの強姦魔ども というのが「思考が柔軟な慶大生」「スマートな慶應ボーイ」「自我が確立されている」「独立自尊の精神を身に着けている」「大人だ」「社会を知っている」「人間を知っている」「現実的だ」「そういう人間が社会で厄に立つ」「そういう人間が企業には喜ばれる」とか(「ギャルにもてもて」とか)思っていたのかというと、そういうことではないはずなのです。慶應の人にはそういう意味だと思っている人が昔も今も多いと思いますし、「慶應タイプの女たらし」になりたいなりたいなりたいな♪ と思って慶應に行こうとして行ったり行けなかったりする人が少なくないようですが、福沢諭吉はそういうことを言っていたのではないはずです。ここでも、森村保固が「森村さんは偉い人と聞くが、英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい、小手先の利く小者がほしいのか、将来森村組を背負って立つ大黒柱になる人がほしいのか」と主張するのを聞いて、福沢諭吉はあらためて交渉にのりだしているのです。
   私自身もまた、この村井保固さんのように、≪語学と簿記≫の学習をして悪いということはないが、≪英語と簿記を条件に人を採用するとはおかしい、小手先の利く小者がほしいのか・・・≫といったことを思ったことがありました。パソコンは文房具であり、文房具の使い方をマスターできている方がいいかそうでない方がいいかといえば、そうは使えた方がいいでしょうけれども、文房具を使えるかどうかよりももっと大事なものがあるのではないか、といったことを思っていたのです。
   もうひとつは。CADについて、建築CAD検定という技能検定試験とCAD利用技術者試験という技能検定試験があるのですが、私は建築CAD検定の方で2級に合格しました。世間ではどちらがいいとは一概に言えない評価のようですが、CAD利用技術者試験の実施団体はパソコンの団体で、建築CAD検定の実施団体は建築の団体であり、私の場合は、CADを学んで、それを建築の方で生かそうか機械の方で生かそうかというのではなく、建築の仕事をしてきてCADを学ぶ必要があるようだと考えてCADの学習を始めた人間なので、それで、建築CAD検定の方を受験しましたが、CADやパソコンよりも、建築業の会社に勤めて仕事をして身に着けてきたものというのは相当のものがあるはずであり、それから考えれば、パソコンの能力というのは末端的なもの、と考えていたのです。
   それは間違いではないけれども、それはそれといたしまして、やっぱり、パソコンというその文房具をどれだけ使えるか、というのは、その人の能力の1つと言えます。採用する側はその文房具をどのくらい使える人なのかを知りたいでしょうし、入社する側としては、これだけの能力がありますということはアピールしたいはずですし、した方がいいと思います。石ノ森章太郎『ホテル』に、パソコンを使えないベテランのホテルマンがいて、困った人だなと思う人間がいたが、しかし、たとえ、パソコンが使えなくても、ホテルマンとして仕事に対しての熱意はたいしたものであり、文房具が使えようが使えまいが大事な人材である・・という結論になるお話があったと思います。たしかに、パソコンが使えるかどうかに関わらず、その仕事に対する熱意ある姿勢があれば、そちらの方が重要ということはあるかもしれません。
   しかし、それでも、パソコンは使えるように努力するべきだと思うのです。それも、若い人がということではなく、年配の人間も、です。なぜ、「年配の人間も」かと言いますと、「年配の人間」がパソコンなどを人並みに使い、あるいは使えるか否かにかかわらず、使えるようになろうと努力している姿というのは、その姿は「まだまだ、若い者に負けない人だ」と見えるからです。50代のなかばから60代の人というのは、私は個人差が相当大きいと思っています。私の知っている年配の方でも、けっこう年配であってもそれでもパソコンを学習して使えるようにしていこうという姿勢の方がおられます。そういう人を見ると、「この人はたいしたものだな」と単にパソコンの能力だけでなく人間の姿勢についての評価が高くなります。そういう人がいる一方で、年齢は若いにもかかわらず、学習しようという姿勢がない人というのもいます。そういうのを見ると、単に文房具を使う能力があるかどうかというだけでなく、人間としての姿勢の違いが見えてきます。
   2005年、千葉県のリフォーム会社のウッディホーム(株)http://www.woodyhome.com/ の船橋店におりました時、同店にいたK田部というおっさん(男。当時、50代)が、同社の「インテリアプランナー」の女性がCADで作成した図面を見て、「ドラフターがないからできないけど、ドラフターさえあったら、俺ならもっといいのができる」などと口にしたので、情けないおっさんやなあ・・と思ったことがありました。「ドラフターがないからできないけど」なんて言っても、きょうび、建築屋には、もう、ドラフターてのは普通はないのです。普通の机の上にコピー用紙をセロテープで貼り付けて、三角定規とシャープペンシルで図面を書いた上で、「どう? ドラフターがあったらもっときれいに描けるんだけれども、ドラフターがないからこんなものだけれども、俺が書いたものの方が使いやすくていいと思わない?」とでも言うのならわかります。 「ドラフターがないからできないけど、ドラフターがあったら俺ならもっといいのができる」などと言われると、このおっさん、もしも、ドラフターがあったなら、その時は何か別のものを理由にして、「◇◇がないからできないけど、◇◇があったら俺の方がずっといいのができる」とか言い出すのではないかな・・という感じがします。なんじゃ、このおっさん!と思いました。そのインテリアプランナーのおばさんは、ともかくも、1枚作ったわけです。それに対して、K田部は自分は何もせずに、何を言うとるねん、このおっさんは。何もしてない人間が勝手な口きくんじゃねえ。私だって、インテリアコーディネータの2次の製図試験、キッチンスペシャリストの製図試験に合格するために手書きでの製図の学習を相当やりましたし、住宅建築業の営業の仕事について、手書きの図面をわかりやすく書く方法を開発してきたのですが、せっかくそこまでやってきたのに、「CADができないことには」とか言われ出して、そうなると、あれだけ努力してやってきたのは、あれはいったい何だったんだ・・とか思ったりもしましたが、CADを使わないといけない時代になってきたようなので、好きかどうかとかいう問題ではなく、使えないといけないということなので、CADの学習もやりました。実際問題として、きょうびの建築屋にあるのはパソコンとCADであってドラフターじゃないのですよ。又、もしも、ドラフターが欲しいということなら、ドラフターではないとしても、T定規を自分で持ってきてそれで書けばいいではないですか。K田部のおっさんは二級建築士は通ったと自称していたのですから、T定規くらい持っているでしょう。K田部のおっさんはなぜそれをしない? なぜなら、「ドラフターがないからできないけど、ドラフターがあったら俺ならもっといいのが描けるんだけど」と言いたいのが、本当にドラフターがあったら言えなくなってしまうから、ということなんだろうな・・て感じがします。建築屋においては、CADをある程度使いながら、手書きのものも書くということなら悪いことはありません。しかし、「ドラフターがないからできないけど、ドラフターがあったら・・」などと言われると、ああ、この人はもう時代遅れの人、実際の年齢がいくつかにかかわらず、実質的に、もう、引退世代の人なんだな・・ということになってしまいます。
   どこで読んだか忘れてしまいましたが、「英語で美人になろう」というコピーをかかげた英会話教室があった。英語を学ぶことで「美人になる」とはどういうことだろう? ・・・と書いた文章を見ました。これは、たとえば、短大卒とか高卒くらいの学歴の女性が、英会話を学んで「英語ができる」という状態にもしもなったとすると、「大卒に準ずる」ような評価を受ける時がある、ということではないかと思います。そうなると、男性とおつきあいするにしても、それまでとは異なる層の男性とおつきあいできる・・・・のではないかしらん・・・とかいうそういう意味ではないか。そんなことで「おつきあい」しようなんて思って「おつきあい」しだした男というのが、これがまた、ろくでもないヤツで・・・なんてことになる可能性もありますけれどもね。男性の場合も、日本においては、「英語ができる」というのは、単にある1つの外国語ができるというだけではなく、人間としての評価が上がるようなところがあります。語学というのはひとつの能力であって、何であれできるのとできないのとではできた方がいいとしても、「英語ができる」というのは、別のその人の人格がすばらしいことを証明するわけでもなく、判断能力が優れていることを示すことでもないはずなのですが、実際問題として、日本においては「英語ができる」というのは、全般的にその人の評価を高くする傾向があります。
   それなら、英語ではなく他の外国語ならどうなのかというと、「フランス語ができる」と言われると、プラスの評価を得ることもあれば、「なんか、鼻の下の長いにやけた・・」てイメージになったり、女性の場合なら、フランス語というのは「着付け・お茶・おはな」とともに俗物4種の神器の1つであって、ああ、その類の女か!・・という印象を受けることもあります。「ロシア語ができる」ということなら、『憂国のラスプーチン』佐藤優さんなんかも、「ロシア語ができる」というのを生かしてきたようですが、ソ連崩壊より前から、日本とロシア語圏(要するにソビエト連邦)との間の貿易額は一定以上のものがあって、英語の場合は需要は多いが供給も多いのに対し、ロシア語は需要はそれなりにあるのに対して供給が少ないというところがあって、けっこう「使いでがある」とかいう話を聞いたこともあるのですが、それは「相当使える」場合のことであって、「ちょっとできる」「ちょっと学習した」というくらいの場合ですと、「慶應タイプの白痴右翼」なんかにうかつにそういうことを話すと、それだけで、「共産党」扱いされてしまいますから、うかつな相手には言えません。
   「タガログ語が話せる」というのは、これはフィリピンの人が「タガログ語を話せる」のは悪くないのですが、日本人で、特に「遠州人のおっさん」が「タガログ語が話せる」というのは、それはプラスの印象を与えることになるかマイナスの印象を与えることになるかというと、まあ、要するに、「なんで、話せるねん?!?」てことであり、一般の営業が、契約になるかならないかは別として、ともかく、なんとか契約してもらえないだろうかと思って、夜遅くまで悪戦苦闘して働いているまさにその時、フィリピン人女性ネイティブスピーカーからマンツーマンで「タガログ語講座」を受講していた、ビールとおつまみ付きで・・ということで「タガログ語が話せる」状態になったおっさん・・てのは、いい印象かどうか? 私なんかも海外旅行をしてみて、私の錆びついてしまった英語力なんてたいして役に立たんのではないかと思って行ってみても、出入国管理とかホテルのフロントとかで、「何語が話せますか」ときかれて、「大阪弁かいわき弁のどっちかで」なんて言っても、イギリスとかフランスとかの入国管理官は大阪弁もいわき弁も話せませんし、いわき弁の方も、いわき市のネイティブスピーカーが言うには「おまえのいわき弁はいわきのネイティブスピーカーからすればいわき弁とは認められない」なんて言われて叱られますし、そうなると、「イタリア語が話せます」なんて言ってしまってイタリア語でペラペラ話されたとして、そんなものわかるわけありませんし、結局、英語と言うしかないわけです。「Can you speak English?」とかねーちゃんが言うから、「No.」と言ったのでは前に進まないし、「Yes」と言って、ぺっらぺら話されたのでは困ると思って、「a little.」(ちょっとだけ)なんて言うと、こちらとしては「ちょっとだけ」と言ってるのですから、そう思って対応してくれるかと期待していると、ぺっらぺらぺっらぺら英語で話されて、いじわるしないでよお! 「ちょっとだけ」て正直に言ったじゃないのお・・と思うのですが、ともかく、日本語で通じる所というのは外国ではそれほど多くないので、そうなると、使えようが使えなかろうが、無理にでも英語を話すしかないわけです。ですから、「日本語以外で話せる外国語」というと、「話せる」なんて言うのはおこがましいけれども、ともかく日本語以外の何かを言わないといけないとなると、私も含めて多くの日本人は、結論として、英語になるのです。ところが、静岡県浜松市の〇条工務店なんて会社の遠州人には「遠州弁とタガログ語のバイリンガル」なんて人がいるわけです。「バイリンガル」てのは、もしかして、梅毒の「梅」と淋病の「淋」と軽薄の「軽」で「梅淋軽(バイリンガル)」と違うのか? なんてふと思ってみたりしますが、なんだか、「地球上の陸地の7割は浜松でできており、残りの2割はフィリピンからできている」みたいな世界観の人というのがいるのです。たいていの日本人は「日本語の他で使える言語」というと「『使える』とまで言うのはおこがましいが、まあ、やっぱり、英語」であるのに対し、そういうおっさんは「遠州弁の次に話せる言葉というと、ためらうことなく、タガログ語!」 そういう人を見ると、「タガログ語を話せて、カッコいいな」なんて誰か思うかというと、あんまり思わんと思うのですよ。だから、「タガログ語を話せる」てのは、それだけ、「フィリピンのお店」に何度も行きやがった・・てことで、そういえば、(株)一条工務店の営業本部長のAさんに連れてもらったフィリピンパブでは、「タガログ語の学習テープ」なんてのを販売していたのを見ました。「これであなたもタガログ語を話せる♪」なんてコピーとともに。そういう「フィリピンのお店」に行くと、フィリピン人女性のホステスが、日本語で「あらたりぃ~」(当人は「あなたねえ」と言っているつもり)とか言って話しておきながら、自分たち同士ではタガログ語でなんやわからんことを言い合っとるわけですが、何を言うとるんやろな・・・と気になったりするのですが、それを理解できるようになりたいとか思うおっさんがいるのかもしれんが、それ、わかるようになったとして、だから何やねん!?! て気もします。2001年、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ は、フィリピンにプレカット工場などを作ったのですが、その際、お客様に見てもらうためのビデオで、女性ナレーターが「なぜ、フィリピンに作ったかといいますと、フィリピンでは英語が通じるからです」などと話していたのですが、しかし、「フィリピン人に英語が話せる人が多かったとしても、(株)一条工務店の経営者が英語を話せるわけじゃないのだから、フィリピン人に英語を話せる人が多くてもしかたがないじゃないか」と多くの従業員は思っていたし言っていたのです。そして、「いえいえ、(株)一条工務店の経営者が話せるのは英語じゃなくて、タガログ語ですよ、タガログ語!」 「フィリピーナのケツ追いかけてフィリピンまで行って、とうとう、工場まで作りやがった!」と、少なからぬ従業員は言うておったのです(^^)/〔念のため、お断りしておきますが、「言うておった」のは私じゃないですからね。〕  実際には、その人その人によって事情は違うでしょうけれども、ともかく、日本においては「タガログ語が話せる」というのは、そういうイメージ!
   さらに言うと、栃木県の佐野市の展示場におりました時、(株)一条工務店は巾木・廻り縁とかに「ソロモンマホガニー」と称してマトアという木を使っていたのですが、「どこでとれる木なの?」ときくおっさんがおりまして、それで、「パプアニューギニアとかソロモン諸島とかでとれる木です」と言いましたところ、「それ、いったい、どこ?」と言うので、「ニューギニア島の東半分とその北東部の島がパプアニューギニアで、その東のあたりにソロモン諸島があります。太平洋戦争の時、日本軍が餓死したガタルカナル島はソロモン諸島にあります。戦中の軍歌で『さらばラバウルよ』という軍歌がありましたが、ラバウルはパプアニューギニアのニューブリテン島にあります」と話したところ、「さっぱりわからない。ニューギニアてどこにあるのよ」と言うので、「インドネシアの東の方です」とお答えいたしましたところ、「インドネシアてどこにあんの?」とおっさんは言うのでした。インドネシアまでどこにあるかわからんと言われたのでは説明しようがないじゃないかと思いましたが、しかたがないので、「フィリピンの南のあたりです」と言うと、おっさんは「なんだ、そうか。そう言ってくれればすぐにわかるのに」なんて言うのでした。結局、そのおっさんは、フィリピンしか知らないおっさんだったようです。「フィリピンに行きたがるおっさん」てのは、何もフィリピンのフィリピンに行かなくても「日本のフィリピン」に行っておけばいいのじゃないのか、て気もしたのですけれどもね。「タガログ語が話せる」ておっさん見ると・・そんな感じ。(株)一条工務店の経営者みたいな類のおっさんか・・て感じがしまして、なんだかな・・て印象を受けます。「英語が話せる」「イタリア語が話せる」はプラスの評価となりますし、「フランス語が話せる」「ロシア語が話せる」はケースバイケースだけれども、基本的にはプラスとして、「タガログ語が話せる」ておっさん見ると、どこのフィリピンパブのねーちゃんに教わったんじゃい!?!・・て感じがして、プラスの印象は受けません。このおっさんは俺たちが夜遅くまで客宅に行って営業活動していたまさにその時にフィリピン人女性ネイティブスピーカーから「タガログ語の指導」を受けとったんだな!!!・・てことです。
    で、タガログ語はさておき、「英語が話せる」というのは、日本においては、現実問題として、単にひとつの外国語の能力があるというだけでなく、社会的な評価において、1ランク上に評価されるようなところがあります。そして、似たところがあるのですが、パソコンを使う能力がある程度あって、さらに使えるように努力しているという人というのは、それは、実際の年齢がいくつであるかにかかわらず、「非年寄」であり、パソコンを使えるようにという努力をしない人というのは、年齢が若くても、「その程度の人」という評価になるところがあると思います。

(K)  習得しようという姿勢がない人に教えない方がいい。
   2008年、千葉市稲毛区のポリテクセンター千葉 の 建築CAD科に半年通い、AutoCAD、Jw cad、マイホームプランナープロのほか、ワード・エクセル・パワーポイント・ホームページの作成など学習させていただいたのですが、この講座に行こうとおもったのは、それまで建築関係に応募した際に「CADができないのでは」と言われたことがあって、それで、CADは学習しておかないとと思ったこともあったのですが、それとともに、パソコンについての基本的操作を一定レベル以上身に着けておかないといけないと考えたことがありました。パソコンの使い方については、誰しも、何でもわかっているわけではないはずなのです。2003年だったと思いますが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「就職支援セミナー」で講師の女性が「今の時代は、就職したいと思ったなら、パソコンは最低でもワードとエクセルくらいは完璧に使えないといけない」と話したので、これは大変だとその時は思ったのですが、しかし、その後、ある人材紹介会社の方から「『完璧に』なんて、そんなもの、使える人なんてめったにいませんよ。あなた、パソコンスクールの講師にでも応募するのですか。それなら、『完璧に』というのもわかりますが、一般の事務とか営業とかなら『完璧に』まで使えなくてもいいですよ」と言われて、そうだよなあ・・と思ったことがありました。 さらに、愛知産業大学の通信課程の建築学科のCADのスクーリングの時に、Auto CAD の操作法についてのテキストの著者でもあるその講座の先生が「Auto CAD の機能をすべて完璧に使えている人なんてめったにいません。私だって、すべての機能をなんて使えていませんから」と話されたことがありました。そうだろうなあと思いました。だから、「就職支援セミナー」の講師の人の発言は、「パソコンは使えるようにした方がいい」というのは間違いではないとしても、その仕事にもよるでしょうけれども、「ワードとエクセルくらいは完璧に使えないといけない」というのは、それは違うように思います。 「完璧に」て、どこまでなんだ? という問題がありますが、他の「就職支援セミナー」に出た時、講師の男性が「終わりにアンケートを書いてもらっているのですが、前に『思い上がるな』と書かれたことがありました」と言われたことがありました。その講師の人が思いあがっているという印象は私はその時は受けなかったのですが、必ずしも適切と言えないことを言う人もいるように思います。
   私が、ポリテクセンターの建築CAD科に行こうと思った時も、ワードやエクセルその他をある程度学んでおこうと考えたのも、「すべてのものを」「完璧に」使えるくらいに学ぶというのは簡単ではない、実際問題として、まず無理だとしても、自分がこれを学んでおこうと考えたものを使えるようにしておけば、職場においても、自分はこれが使える・これがわかるというものがあり、別の人は別のものを使える・わかるということがあれば、お互いに教え合いができる、と考えたのです。それが、自分が教えてもらう方ばかりだと教えてもらうのも教えてもらいにくいが、教え合い・助け合いであれば、これは互いにプラスになることであり、そうなれば、やっていきやすいと思ったのです。
   ところが、「CADが使えないのでは」と言われたことがあって、CADを使えるようにしないといけないと考えたのですが、建築CAD検定2級(建築CAD連盟)を取得して、これで、「CADが使えない人」「CADについてどんなものかわかっているというくらいの人」「CADが使える人」「CADについての能力が相当ある人」の4分類では「CADが使える人」になった、これで「CADが使える人」としての仕事につけると思うと、今度は、なかなか、そういう仕事で雇ってもらえない。仕事で使えないと、せっかく学習したものも、日が経つに従い忘れてしまうのです。
   ワード・エクセルの場合は、それを駆使するような仕事につかなくても、自分自身の生活で使えますから、「忘れる」と言うことはCADほどはないと思いますが、ワード3級・ワード2級に続いてエクセル3級を取得しましたが、しばらく、エクセルの学習を継続的にやっていると、ワードの学習で学んだもので「忘れた」ものがけっこうあります。それを考えると、ワードとエクセルのどちらかの学習を始めたなら、1級まで取得してしまって、それから他方の学習を始めるようにした方がこの技能検定に合格するためには効率的なのかもしれませんが、ともかくも、「2級以上なら就職する際にも就職してからも評価されるであろう」と仮定して考えると、ワードで2級まで取得したならば、次はエクセルで2級まで取得するのが順番かと考えました。
   しかし、自分がパソコンについて「ある程度は使える・ある程度はわかっている」というレベルまで行けば、自分が知っているものは教えてあげて、かわりに自分はわからないもので別の人がわかっているものを教えてもらうという教え合い・助け合いをして互いにプラスにできる・・・・という考え方は、それは「相手にもよる」ようだと、2010年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕に勤めてわかりました。 同社にいたS井さん(男。当時、40代前半)なんて、やってもらうことばかり考えているのですから。 そういう人には教えてはいけません。そういう人にうかつに教えると、「やってもらえるものだ」「やってもらうものだ」と考えてしまいます。教えると本人のためにもなりません。
   1990年代前半、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいた時、同じ営業所にいたMさん(男。当時、20代後半)が、(株)一条工務店の建物について、何だったか教えてくれて、それで、「これ、S藤さん(男。当時、40代前半)には教えたくないんだあ」と言うので、「なんで、ですか」と言ったことがありました。同じ営業所で仕事をしている人なのですから、もったいつけずに教えてあげればいいのにと思ったのですが、「S藤さんに、教えると、同じことを何度も何度もきかれるから」と。 そうなのかなあと思ったのですが、その言葉は真実であると後に私自身が実感しました。 S藤K二さん(男。当時、40代)に尋ねられて、うかつに教えると、同じことを、その後も、何度も何度も何度も何度もきいてくるのです。S藤さんは、人から教えてもらっても、「教えてもらった」という認識ではなく、こいつは尋ねれば答える人間だと考えるのです。だから、S藤K二さんに教えてしまうと、S藤さんから「こいつは、いつでも、尋ねれば、自分の仕事をほっぽらかして、こっちの仕事をやってくれる人間だ」と考えられてしまうということになります。S藤K二さんの場合は、ひとに何かを教えてもらっても、それを学ぶという気持ちはないのです。こいつはパソコンの検索エンジンみたいなもので、また、同じことを言えば、懇切丁寧に説明するのがこいつの役割だみたいに考えるのです。そういう人にうかつに教えると、自分で調べようとしないで、自分が担当の仕事をひとに調べてもらおうと考えるようになるのです。 締日前になると、どの営業も、見込客に概算見積もりを出すのに概算見積書を作成する作業をします。ところが、事務所にS藤K二さんがいると、「おい、◇◇はいくらなんで?」とS藤さんがきいてくるのです。「見積もりマニュアルに載ってるでしょ」と言っても、「どこでえ? ねえぞ」と言うので、見つけられないのだろうと思って、「見積もりマニュアル」の掲載されている場所を調べて、「ほら、ここに載ってるでしょ」と教えてあげると、「おう、そうか」と言うのですが、1つ教えてあげて、それですむのならいいのですが、S藤さんの場合は、見つけることができないからひとに尋ねるのではなく、自分で探すのが面倒くさいからひとにきいてひとに調べさせようとしてきいているのですから、S藤K二さんの言うことをきいていたのではこちらの仕事ができなくなります。 2回か3回か調べて教えてあげた後、さらにきいてくるので、「S藤さん、自分で調べてもらえないですか。私も自分のお客さんのために概算見積書を作っているのですから、これ、きょうの〇時までに作成しないと困るんですよ。会社が従業員に配布した冊子に載っているものなんですから、自分でそれを見てくださいよ」と言いましたが、すると、「そうか、そうか」と言うのですが、それでも、「おい、☆☆はいくらでえ?」とまたもや、自分で調べないで、ひとに調べさせようとする。S藤さんが事務所にいる時に事務作業をやろうとすると、こちらが仕事にならないのです。この人は言ってもきかない人なのか、私がなめられているのか、両方なのか、おそらく両方だったのでしょうけれども、この人が事務所にいる時には事務所で事務作業はできないと判断して、S藤さんが事務所にいる時に、概算見積書を作成するような作業をする必要がある時には、展示場の近くの喫茶店に行って仕事をするか、自宅に帰って仕事をするかいずれかをするようにしました。喫茶店代は余計な出費ですが、S藤さんが事務所にいたのではこちらの仕事ができませんからしかたがありません。S藤さんはいわき地区の従業員から「S藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」と言われていたのですが、そんなことを言うのなら「しかがない」と言う人が面倒を見てあげるべきですが、私はなめられていたのか、いつも、私が面倒見さされてきました。そして、恩を仇で返されました。2001年、総務部長の天野雅弘と会った時、「あの人の面倒をずいぶんと見てあげたのですよ」と言い、「あの人が概算見積もりを作る時に、一緒に事務所にいたのでは、こちらが自分の仕事をできなくなってしまうので、それで、喫茶店に行って作業したりしたのですよ」と言うと、「なんで、喫茶店に行ってやるんだ。面倒みてあげればいいだろうが」と言うのです。「だから、それでは、私が担当の仕事ができないでしょ。あの『アルツハイマー』のおかげでこちらがいったいどれだけ迷惑してきたか、考えてみてくださいよ」と言ったところ、総務部長の天野雅弘が「アルツハイマーとは何だ!」と言うのです。「『アルツハイマーとは何だ』とは何だ!」です。S藤さんが「アルツハイマー」なのか狂牛病なのか、アルミニウムの摂取によってアルミニウムが脳に行ったのが原因なのか脳みそが海綿状のスカスカになっているのが原因なのか、それ以外が原因なのか、そんなことは知りませんし私にとってはどうでもいいことです。S藤さんは「S藤さんはアルツハイマーだからしかたがない」と言ってもらえて、それで、S藤さんは何をしても免責にしてもらえるということに味をしめており、概算見積書を作成する場合も、会社が従業員に配布している冊子を見れば載っているものでも、自分で調べるよりもひとに調べさせた方が手間がかからず楽だと考えて、信念もってそれをやろうとする人、そういう行為を「アルツハイマーなんだからしかたがない」と言って、自分がS藤さんにやってあげようとするのではなく、私にさせようとする人がいたのです。それが問題なのです。そういう連中から自衛するためには、S藤さんに言ってきかせて理解するならいいのですが、口で言っても理解する人ではありませんから、そうなると、「体罰」でも加えてわからせるのか? というとそうもいきませんから、そうなると、こちらが逃げ出して、喫茶店にでも言って概算見積書の作成作業をやるか、いわき あたりでは会社から自宅までそれほど遠くありませんから、自宅まで戻って自宅で仕事をするか、そうでもするしか、こちらの仕事を遂行できないのです。本来、会社は、会社が従業員に配布している冊子を見て調べるのではなくひとに調べさせて概算見積書を作成しようというような人には、会社として注意するべきであり、それを「保護義務違反の(株)一条工務店」はやらないのです。(株)一条工務店が注意するべきものを注意せずにきたおかげで、私は、つくづく、本当に迷惑してきたのです。そうやって迷惑してきて、それでも、「このアルツハイマーめがあ」と怒り心頭に達しながらも面倒みてきてあげた者に向かって、何もしていない人間が「アルツハイーマーとは何だ!」とは何だ! 何もしていない人間が、それまで、その人のために迷惑こうむって、その人を助けてきてあげた者に向かって言っていい文句ではないはずです。 S藤K二さんにも、教えてあげたとしても、「教え合い」にはなりません。むしろ、「アルツハイマーなんだからしかたがない」という言い回しで、自分は何をやっても免責にしてもらえると味をしめているのと同様に、うかつにS藤さんに教えると、こいつは教える人間なんだと思われてしまって、自分で調べればいいもの、本来なら自分で調べるべきものを、こいつにきいた方がこいつが調べてくれるから楽だと思われてしまう、そう思わせてしまうことになります。むしろ、そういう人間には教えない方がよろしい。その人のためにもなりません。
   私は、今でも、パソコンについては、すべてのものを学び使えるようになるということは不可能であるが、自分がより必要と考えたものを学びある程度使えるようになれば、それをもとに、職場において、自分が使えるものでひとが使えないものは教えてあげて、逆に、ひとが使えるもので自分ができないものは教えてもらってと、「教え合い」「助け合い」をやっていけば、お互いのためになり、そうやっていくべきものだ、というのは間違っていないと思っていますし、その場合、教える量・教えてもらう量の割合は、必ずしも、5対5 でなくても、4対6 の時も、6対4 の時があってもいいと思っていますし、8対2 でも 2対8 でも別にいいのではないかと思っているのですが、ゼロはいかんと思うのです。新華ハウジング(有)のS井さんとか、(株)一条工務店のS藤さんとか、「やってもらうことばっかり考えているような人」には教えない方がよい。うかつに教えると「やってもらえるものだ」と思ってしまう。本人のためにもならない。 そのタイプの人に教えてあげると、喜んでもらえる、感謝してもらえるのならまだいいのですが、そうではなく、むしろ、なめられますよ。 その見極めが必要だなと思いました。

   2011年4月に、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕に社長の嫁の友人で縁故入社したT口 恵(女。当時、30代前半)は、入社すると新しく購入してもらったパソコンを使いだした。普通、新しく何かを買ったなら新人は古を使うものと思うが、T口は当たり前みたいに新しく購入した最新式のパソコンを使いだした。社長が新人にこれを使えと言っても「新人の私が新しいものを使わせてもらってすいません」くらいは言うものと思うが、そういったマナーがない女だった。その一言を言える人はその分だけ「営業できる要素がある」人で、言えない人はその分だけ「営業できない要素がある」人とも言えます。
  そこまでならば「そういう人を採用したのか」で終わりだった。しかし、T口は、新しく購入したパソコンでは、ワード・エクセルが最新式のバージョンで、自分は古いバージョンの方が使いやすいので、新しいパソコンの中のワード・エクセルを古いバージョンにバージョンダウンしたいと言い出し、最初、私は冗談かと思ったのだが冗談でなく本気でそれをやろうとしだした。私は「古いバージョンの方がいいのなら、私が使っているパソコンは古いバージョンのものだから交換してもいいよ」と言ってあげたのだが、すると、縁故の新入社員のT口 恵は「パソコンは新しいパソコンがいいから。ワード・エクセルは古いバージョンの方がいいから、新しいパソコンで、ワード・エクセルなんかは古いバージョンに変えたいの」と言うのだ。特に新人がそういうことを言って通じる会社はあんまりないはずだ。『会社に異星人がやってきた』
  2000年代前半、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施の「求職支援セミナー」で講師が「今の時代は、パソコンは少なくともワード・エクセルくらいは完璧にできないと就職できない」と話したことがあったが、「完璧に」は言い過ぎとして、古いバージョンでないと使えないなどと言い出したのでは採用してもらえる会社はなくなると思う。それも、60代でその業界で経験のある人が言うなら、それなら古いパソコンをあなたには使ってもらいましょうということもありうるだろうが、経験のない新人が、パソコンは新しいパソコンがいい、ワード・エクセルは古いバージョンでないと使えませんなどとT口みたいなことを言ったのでは採用されない可能性が高い。
   ウィンドウズにしてもワード・エクセルにしてもバージョン変更が頻繁すぎると私は思うが、それでも、職場に新しいバージョンのものがあったらそれを使うしかない。たとえ、古いものの方が使いやすいと思っても、取引先が新しいバージョンのものを使えば、新しいバージョンで作成されたものを送信してもらった場合にこちらが古いバージョンでは使えなくなる。プリンタなども古いバージョンのものでは作動しない場合がある。 又、会社のパソコンというものは会社のものであり、特定の従業員が使うことが多くてもその人だけが使うわけでもなく、バージョンアップならともかく、自分に合わせて「バージョンダウン」などしたいのなら、それは自分が所有する個人のパソコンでやるものであって会社のパソコンでやるものではありません。
  私が宅地建物取引主任者→宅地建物取引士の試験に通った後、用途地域の分類が変更になり、さらに「田園住居地域」なんてものまでできたし、重要事項説明で説明しないといけないとされるものも新しく加わったが、前のものの方がいいから前のままでというわけにはいかない。変更になったものを学ぶしかない。ワード・エクセルも「バージョンアップ」したものが出たならばそれを学んでいくしかない。T口みたいに30代前半の人間が新しいバージョンは使えないなどと言ったのでは、この人は実際年齢は30代前半でも実質年齢は70超かな・・ということになる。ましてや、よその会社から最新バージョンのもので作ったものを送信してもらっても対応できるように最新のパソコンを購入したのに、バージョンは古いのがいいから最新のパソコンを購入したのにその中身をバージョンダウンしたいなどと言われたのでは、そんなことをさせられたのでは営業妨害であり、私が経営者ならそういうアホは採用しない。そういうアホを採用して注意もできない経営者はアホである〔・・→だから、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)は倒産した〕。

   千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産)にいた自称「工事責任者」の植草A二(男。当時、30代なかば)が、「ぼく、営業やったことないですけど、で~きま~すもお~ん」と厚かましい文句を何度も何度も大きな声で叫んでいましたが、エクセルにしても、ともかく文字をセルに打ち込むだけなら誰でもできても、エクセルの機能を使いこなすのは練習したことがない者はできないし、営業も実際にやって壁にぶち当たって乗り越えた経験のない者はできないと思いますよ。実際にやりもせずに、そういう厚かましい文句を大きな声で叫んでいるようなブタには、これも、社長は「おまえ、やったことないことについて、生意気な口きくな」くらいは言うべきだが、この会社の社長の長谷川はそれを言えない男だった〔・・だから、倒産した〕。

   (2018.9.7.)

☆ エクセル3級合格体験記
1.https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_1.html
2.https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_2.html
3.https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_3.html
4.https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_4.html
5.https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_5.html
6.https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_6.html
7.https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_7.html
8.〔今回〕

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