旧角川邸訪問【7/10】内部。引込む戸袋のある障子。板張りの和室。営業は「頭のない人間がいい」か?

[第408回] 角川庭園と大田黒公園【7/10】  「数寄屋造り」と言われる建築[6]-7
   「幻戯山房」「すぎなみ詩歌館」(旧角川源義邸)、今回は内部を検討します。
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↑ 玄関ホール部分。
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↑ 玄関ホールから階段3段上がって1階廊下へ。
   現在、この土地は北道路で、東から南東に行く小道もあることはあるのですが、JR荻窪駅もここよりも北側で、1955年に建築された時点では周囲は畑で南の方は田んぼだったということですから、北の方からの進入路を考えて作られたと思われます。 ↑の玄関ホール部分を見ると、三和土(たたき)から「式台」の部分が1段あって玄関ホールに上がり、そこからさらに階段を3段上がって1階廊下に行くようになっています。 北から来て、そのまま北側から建物に入るようにすれば、屋内で何段も階段を昇り降りしなくてもすむのに、なぜ、わざわざ南の低い位置まで降りて、そこから坂を上がって玄関に行き、玄関内部でまた階段を上がるというようにしているのか。建築された1955年においては「バリアフリー」なんて言葉は人口に膾炙していなかったとしても、それにしても、なぜ、わざわざ、降りたり登ったりするように作られているのか。
   もしかして、角川源義さんがここに住んでいた時には、北側から入るように玄関はできていて各室から庭にでるようになっていたが、「幻戯山房」「すぎなみ詩歌館」として杉並区が運営する際に、外部から屋内にも庭園にも行けるようにということで、南東から入るように入口をつけかえたということか・・・という可能性も考えたが、それにしては、本格的な造りになっている。 角川源義さんは、1917年、ロシア革命の年の生れで、1975年、大阪万博の1970年の5年後に58歳で他界しており、この旧角川源義邸が建てられた1955年においては、まだ38歳。荻窪駅付近からここまでも急坂を登るような道はなく、平地かごくなだらかな坂がわずかにある程度であり、ここで坂を下りたり登ったり階段を登ったりしても、それほど苦痛を感じる年齢ではないことから、あえて坂と階段を設けた・・・・ということも考えられないこともない。又、都市圏の分譲地の住宅ならば北道路でわざわざ玄関を南に設けるようなことはしないが、「農家の建物」では北道路の場合でも、ぐるっと南にまわって南から入るようにするということは特別に珍しいことでもない。
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↑ 「登録有形文化財 ・・・・ 文化庁」

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   ↑ この部屋が1階の一番東の「展示室」です。この西の「詩歌室1」、さらに西の「詩歌室2」、そのさらに西の「茶室」は貸室として、じいさんばあさん、もしくは、おじさんおばさんが使用中ですので見学はできませんが、「展示室」は、角川源義さんが天皇へーかからいただいたなんとか勲章の授与するという書面とかが展示されており、角川源義さんは富山県の米問屋の三男に生まれて、角川書店は板橋区の自邸の応接間を事務室として始めたのが始まりで・・・といった説明書きが掲示されています。
   ここに角川源義さんが住んでいたというのですが、疑問を感じたのは、1955年というと、私が生まれるよりまだ前ですから、その頃は、自宅に風呂のない家というのはそれほど珍しくもなかった時代ですので、浴室がなかったとしても、それほど不思議でもありません。しかし、ここで生活したのであれば、キッチンはないと困るのではないかと思ったのです。お茶を飲むにしても、毎度毎度、茶室で「けっこうなお点前ですこと、オホホ」なんてやってるわけにはいかないと思うのです。「けっこうなお点前ですこと、オホホ」の方のお茶ではなく、「お~い、お茶」の方のお茶を飲むことだってあると思うのですが、「キッチン」と呼ぶにしても「台所」と呼ぶにしても、1階にそういう場所が見当たらないのです。最近では、2階にダイニングキッチンを設けて1階に居室を持ってくる家とかもありますが、1955年という時期においては、「水回りを2階に上げてはいかん」と言われた時代だと思うのです。 「お母さん、ぼくのあのキッチン、どうしたでしょうね・・・・?」・・・・・

   この「展示室」として今は使われている部屋ですが、床は板張りです。 (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ では「畳の部屋」を「和室」と呼び、「板張りの床の部屋」を「洋室」と呼んでいたのですが、それはおかしいのではないか、板張りの和室だってありうるのではないか、畳は「和」の素材ではあるけれども、洋間の一角に畳のスペースを設けて「和洋折衷の部屋」もしくは「和の要素を部分的に持つ洋間」というものがあってもいいのではないか・・・といったことを考えたのです。あるいは、最近、「バリアフリー」といったことが言われ、「車椅子でも入れるように廊下から和室への段差がないようにしたい」などと言う人がいるのですが、しかし、畳の上に車椅子で入らなくても、もしも、車椅子で入るのなら車椅子で入る部分までは板張りにして、板張りの部分よりも高く、低めの椅子くらいの高さアで畳敷きのスペースを設けるようにして畳敷きの部分には車椅子でではなく、寝転がってでも入ればいいのではないのか・・とか考えたのです。そう思いませんか? 又、一般に和室と廊下との境目の敷居は桧とかの針葉樹を使用していることが多いのですが、もしも、和室に車椅子で入るのであれば、桧などの針葉樹、ソフトウッドではなく、広葉樹、ハードウッドで敷居は作った方がいいのではないかといったことも考えたのです。昔から「敷居を踏んではだめだ」と言ってきたのに、車椅子の車輪は敷居を踏んでいいのかというと、車椅子に敷居をまたぐ機能はないのでしかたないのかもしれませんが、針葉樹の敷居を車椅子で踏むと傷むのは十分予想できます。 で、とりあえず、↑の写真を見てください。この「展示室」ですが、板張りの部屋ですが、洋室・洋間か和室かというと、結論として和室、和の部屋ですよね。 洋間ではありませんよね。このあたりが、(株)一条工務店の創業の頃からいる遠州人は理解できないのです。理解する頭がないのです。結論として、アホや!・・・と言うと怒るのですが、それなら、「板張りの部屋は洋室、和室とは畳の部屋のこと」と決めつけてきかない人間というのが賢いですか? 彼らは住宅と商業学・マーケティングとを学んだ上で発想するのではなく、あくまでも「遠州人の感覚」「遠州人の観念」をもとに「浜松でいいものはどこでもいいに決まってるんだ」と決めますので、その観念が比較的合う場合はいいのですが、合わない場合・合わない場所・合わない人には、「なんか、ずれとる」ことになりますが、それを言うと怒るのです。「浜松で良ければどこででもいいに決まってるんだ。こんなこともわからんのか!」と言って。わかってたまるか・・・。

   この「展示室」で見て、おっ、これは! と思ったのが↓
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↑ 障子を引き込むための戸袋がガラス戸よりも屋内側についているのです。
障子は、太陽の光を和らげる効果があります。私がこれはなかなかの工夫だと思ったのは、東京都の日比谷公園の中の都立日比谷図書館(最近、都立でなくなったみたいですが)とJR「大森」駅の南側にかつてあった(今は、その場所の建物はなくなって、その場所にはマンションが建っていますが)入新井図書館の閲覧室では、床は普通の土足で入る床で和室というわけではありませんが、窓には障子がはいったいたのです。障子にはそういう長所があります・・・が、カーテンですと開けた場合に片側に寄せることができますし、ブラインドですと上下のブラインドならば上の方に、左右に動くブラインドならば片側に寄せることができますが、障子の場合は開けても片方に残る、ガラス戸だけにしたいと思っても片側だけしかできない・・という面があるのですが、ここでは、その欠点を解消するために、ガラス戸の屋内側に障子を引き込むための戸袋を設置して障子を戸袋に引き込むことができるようになっています。

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↑ 1階、「詩歌室1」の北側の廊下です。 右側は「身障者用駐車場」をはさんでその右は北側の道路です。
この建物を「近代数寄屋造り」と呼ぶのが適切なのかどうか、今もよくわからないのですが、この廊下を見ても、(株)一条工務店の「和風」の建物、「一条浜松流」が言うところの「何でも太いものがいいに決まってるんだ」という考え方はとっていません。 むしろ、たとえ、太いものを使うことができても、あえて細いものを使うことで趣を出すというような姿勢、そういうものを「近代の数寄屋」「現代の数寄屋」と呼ぶのであれば、「近代数寄屋造り」と呼ぶのは少なくとも「遠からず」なのかもしれません。 それにしても、「何であれ太いものがいいに決まってるんだ。こんなこともわからんのか」とかいうおっさん、東京の住人に話すと、たいていの人間が「その人、頭、おかしいんじゃないのお?」とか言われるのですが、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ という会社はそういう「遠州人」が幅を利かせている会社でした。 なんだか、「一条工務店の遠州人」を見て遠州人を判断すると、なんだか、遠州人というのはよっぽどおかしいのじゃないか? て感じがしてきます。

    ところで。 ↓の階段を見てください。
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↑  下半分が蹴込板のない「ストリップ階段」になっています。 全体を「ストリップ階段」にしたものは、1960年代後半に私の親が小堀住研(株)で建てた家もそうなっていましたし、けっこうありますが、上半分は通常の階段で下半分を「ストリップ階段」にしたという手法です。
    ちなみに、↑のこの階段、写真の左側の下半分の手摺は、腰壁ではなく向こう側が見える柱と手摺で構成されたもの、「ルーバー手摺」と言ったりしますがそういうものになっています。 (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ では、階段の下の方何段分かこういう「ルーバー手摺」にしていたのですが、1990年代、福島県いわき市の展示場におりました時、S藤K二さん(男。当時、40代前半)が(株)一条工務店の階段の「ルーバー手摺」を、「これ、ストリップ階段」とお客さんに言っていたので、おっさん、無茶苦茶言うなあ・・・と思ったことがありました。「それ、違いますよ」と教えてあげても、「いいんだ、いいんだ」と言ってきかないし、それでも言うと怒りますから言いませんでしたが、まあ、(株)一条工務店の営業てのはけっこうそういう人がいました。1980年代後半、小堀住研(株)に入社した直後の新卒社員研修では「住宅建築業の会社の営業は、お客様にとって住宅についてのコンサルタントでありアドバイザーでありカウンセラーですから、まず、営業は住宅についての知識を身に着けないといけません」と教えられたもので、これは小堀住研(株)の営業にあてはまるが他の住宅建築業の会社ではあてはまらないというものではなく、住宅建築業の会社であればどこの会社でもあてはまるものであろうと思ったのです・・・・が(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫から「住宅の知識なんて営業には全然関係ないで。むしろ、な~んも知らんようなヤツで、アタマのない人間をお客さんは喜ぶんだ。ぼくなんかも学校でてないから〔最終学歴:中卒だから〕、だから、気さくで人間味があって人に好かれるんだ。そう思うだろ」と言われ、「おい、思いますと言えよ。言わないのか。言えよ」と言われて、無理矢理、「思います」と言わされてしまったことがあったが〔かつ、この話を(株)一条工務店の相当古くからいる人(といっても私自身が11年余りもいたので「相当古くからいる人」になったのだが、その私のさらに倍ほどいた人)に話したところ、「はあ~あ? あの人のいったいどこが『気さく』でいったいどこが『人間味がある』んだあ? はあ~あ? いったいどこの誰がそんなおかしなこと言ってるんだあ、どこの誰があ?!?! あの人のいったいどこが『気さく』でいったいどこが『人間味がある』んだあ? はあ~あ?!?」と言われたことがあったのだが、いったいどこの誰が言っていたかというと、御本人であり、御本人以外にそういうことを言っている人は同社にはいなかった〕、学歴がどうかはとりあえずさておき、「ルーバー手摺」を「ストリップ階段」と言う人と、「ルーバー手摺」は「ルーバー手摺」と言う人であれば、やっぱり、「ルーバー手摺」は「ルーバー手摺」と言った方がいいと私は思うし、「ルーバー手摺」を「ストリップ階段」と言っても売れる時は売れるし、「ルーバー手摺」を「ルーバー手摺」と言っても売れない時は売れないであろうけれども、それでもやっぱり、「ルーバー手摺」を「ストリップ階段」と言う方がいいか、「ルーバー手摺」は「ルーバー手摺」と言った方がいいかというと、「ルーバー手摺」は「ルーバー手摺」と言った方がいいと私は思うな。 又、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は「頭をモヒカン刈りにしてるヤツとか、羽根のついた暴走族みたいなスポーツカーに乗ってるヤツとか、女の子のスカートめくりに行くヤツとか、そういう人間をお客さんは喜ぶんや、お客さんは。そういう人間が営業には向いてるんや、営業には」と私に言ったので、「こういう人間が営業本部長になってるんや、こういう人間が。こういう人間が一条工務店という会社では営業本部長になってるんや」と思った、ということがあったが、「頭をモヒカン刈りにしてるヤツとか、羽根のついた暴走族みたいなスポーツカーに乗ってるヤツとか、女の子のスカートめくりに行くヤツとか、そういう人間をお客さんは喜ぶ」かというと・・・・、・・違うと思うな・・・。
※ 《住宅建築専門用語辞典 ストリップ階段》http://www.what-myhome.net/13su/sutorippukaidan.htm

   次回 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_16.html 、庭園の方を見ます。

   (2018.9.26.)


☆ 角川庭園と大田黒公園訪問
1. 角川書店・角川文庫の由来。自分が作った賞には応募しない者と自分に受賞させるために賞を作る者 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_9.html
2. 荻窪駅から。レッカー車で吊った鉄の塊の真下で作業させる会社・「労働基準法は守らないというのが会社のルールだ」と主張する会社 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_10.html
3. 角川庭園への道。警察暴力団はさりげなくかわすべし。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_11.html
4. 角川庭園への道。「子供110番の家」には「かえって問題がある」家も中にある。警察シンパの精神構造。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_12.html
5. 「厳戯山房」(旧角川源義邸)北面から入口へ。南から来るとエーデルワイスならぬ「エーデルハイツ」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_13.html
6. 外観と茶室への経路。住宅屋の言う「数寄屋」「桂」とは。「和風住宅」にもタイプがある。クラウンをカローラの値段で同業他社のカローラとの競合で売っていた(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_14.html
7. 内部。障子を引き込む戸袋があってもいい。板張りの和室はありうる。「ルーバー手摺」と「ストリップ階段」は別。住宅の営業は「頭のない人間」がいいか? 〔今回〕
8. 庭園。詩歌は庭を見ながら。最寄バス停「特養ホームおぎくぼ紫苑」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_16.html
9. 荻窪駅から大田黒公園。大谷戸さくら緑地・善福寺川・シャレール荻窪 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_17.html
10. 大田黒公園。正門・銀杏並木・茶室・記念館・蔵・庭園、ナグリ仕上げとは。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_18.html

☆ 《 「数寄屋造」と言われる建物 》について
桂離宮(京都市) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_13.html
修学院離宮(京都市)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_1.html
2.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_3.html
西本願寺飛雲閣(京都市)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201208/article_3.html
三渓園 臨春閣(旧 紀州徳川家 巌出御殿)(現在、存在する場所は、横浜市。)
1 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_1.html
2 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_2.html
3 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_3.html
4 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html
成巽閣(せいそんかく)(金沢市) https://tetsukenrumba.at.webry.info/201610/article_1.html





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