角川庭園(旧角川源義邸)【6/10】外観と茶室への経路。住宅屋が言う「数寄屋」「桂」とは。和風も様々

[第407回] 角川庭園と大田黒公園【6/10】  「数寄屋造り」と言われる建築[6]-6
  さて、旧角川源義邸は、
建物部分・・・・「幻戯山房」「すぎなみ詩歌館」
庭園部分・・・・「角川庭園」
と名づけられている。 「すぎなみ詩歌館」は「詩歌室1」「詩歌室2」「茶室」を貸室としており、詩歌会のじいさんばあさん、もしくは、おじさんおばさんが使用する際の呼び名が「すぎなみ詩歌館」で、その使用法を別とした建物の愛称が角川源義さんの名前は本名では「げんよし」だが、俳号である「源義(げんぎ)」の方の読みの「げんぎ」に遊び心をもった字を当てた「幻戯」を使用した「幻戯山房」としたというものと思われます。
  建物も庭園も悪くないとは思うのですが、《ウィキペディア-数寄屋造り》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AF%84%E5%B1%8B%E9%80%A0%E3%82%8A に、≪角川源義の元邸宅を近代数奇屋造りの邸宅として、国の登録有形文化財となっている(杉並区立角川庭園 )。≫と出ており、現地でもらった「杉並区立 角川庭園・幻戯山房」リーフレットにも、≪ 建物は昭和30(1955)年竣工の木造二階建瓦葺近代数寄屋造で、平成21年(2009年)9月に区の景観重要建造物に登録されました。≫ と書かれています。 しかし、この「近代数寄屋造り」という部分ですが、「近代数寄屋造り」というのは「数寄屋造り」とは違うのか? 違うとしても、「近代」が付いても「数寄屋造り」と言う以上は「数寄屋造り」なのか。 どういうところをもって、「数寄屋造り」と考えるのか・・・と考えると、けっこう難しい。 実際問題として、これ、考え出すと、今晩、寝られなくなっちゃうね・・・・。

   とりあえず、外観をひととおり、見てみましょう。
画像

( ↑ 南東側から。)
画像

( ↑ 南面。)
↑ 右寄りの出っ張った部分が「展示室」、正面、何人かの人の背なかが見える部屋が「詩歌室1」。
画像

( ↑ 南面の「詩歌室2」の部分。)
  現在、1階の東よりの部屋は「展示室」として公開されていて、その「展示室」と廊下部分は見学できますが、その西の「詩歌室1」「詩歌室2」「茶室」は、貸室として使用されており、訪問時も詩歌会などが使用中でしたので見学はできませんでした。 2階は途中まで蹴込板のない「ストリップ階段」で途中から上は通常の階段になって登るようになっていますが、2階は見学不可になっているので、2階の内部はどのようになっているのかはわかりません。外から見たところ、2階は1階の「展示室」と「詩歌室1」の上の部分にあるようで、「詩歌室2」の上には2階はきていません。
画像

( ↑ 南面の西より 「茶室」部分外観。 )
↑ 茶室の前の庭には、「つくばい」があって、つくばいから茶室まで石を伝って歩けるようになっています。
※ 《ウィキペディア-つくばい》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%B0%E3%81%84
画像

( ↑ 茶室の北側、「水屋」に入る屋外経路。)
画像

( ↑ 東面。)
画像

( ↑ 北面。)
画像

( ↑ 北面1階。)

画像

( ↑ 東より。 鎖縦樋。 )
画像

( ↑ 鎖縦樋の下端。)
↑  玄関前で、縦樋を下ろしたいと考えた時、塩ビの縦樋では風情がない、銅の縦樋を下ろすとしても、その場所に合わないという場合、金属製の鎖を垂らして、縦雨樋にする方法がありますが、その場合、下端をどうするのか、地面に雨をたらしたままにするのか、穴を掘って砕石を入れていくらかは砕石部分に雨を入れてその下に浸透するだけは浸透させるというようにするのか、底のない側面だけのコンクリート桝を設置して上部は金属の網にしてそこに雨水を落とすのか、又、下端を固定しないと風で金属鎖縦樋が揺れることが考えられますが、下端はなんらかの方法で地面に固定するのか、けっこう悩むところですが、

   現在の建物と庭園の状態は、角川源義さんがここの住宅を建てた時のままということではないようです。「角川庭園・幻戯山房」のリーフレットには、≪ 俳人で角川書店の創設者である角川源義氏の旧邸宅を、杉並区が遺族から寄贈を受けて改修したものです。平成21(2009)5月10日に区立公園として開園しました。≫と書かれており、≪遺族から寄贈を受け≫た後に≪改修した≫部分もあるようです。
  まず、「すぎなみ詩歌館」として、句会・茶会などに使用してもらうために建物の1階は貸室として使用しており、ひとが来ることを考えて、トイレも、「男性トイレ」「女性トイレ」「だれでもトイレ」「トイレ」と4ヵ所、設けられていますが、個人の家として使用されていた時点では4ヵ所もなかったのではないかと思います。
   「男性トイレ」「女性トイレ」は東に出っ張っており、「だれでもトイレ」と「事務室」は北に出っ張って設置されています。「男性トイレ」「女性トイレ」が東に出っ張っている部分は後から増設されたものかもしれません。
   鎖縦樋がある部分は、「男性トイレ」「女性トイレ」の東側の部分ですから、この部分も後から作られた部分かもしれません。

   又、庭園の一番南側に背の高い樹木が並び、南側の家との間を遮っていますが、 「角川庭園・幻戯山房」のリーフレットによると、≪ 建物の建築当時この地は、緩やかな斜面の野菜畑で、その下は田んぼが広がる見晴らしのよい場所でした。庭園は、建物入り口付近にアカマツ・ウメを植え、茶室の前には武蔵野の雑木林を思わせるコナラ・エゴノキ・ホオノキなどを配しています。昭和35(1960)年頃隣接する田んぼは埋立てられ荻窪団地が建設されたため、南側にシラカシを植えて目隠しとしました。≫ とありますから、1955年に、最初に建てられた時点では、南下がりのこの土地において、南にあったという田んぼ、及び、その先の善福寺川のあたりが敷地内から見えたのかもしれません。 南よりの背の高い樹木は、けっこうこの場所に馴染んでいますが、杉並区が寄贈をうけてから植えられたものではなく、1960年頃に≪隣接する田んぼは埋立てられ荻窪団地が建設された≫時に植えられたということですから、すでに植えられて60年近くなるようです。↓
画像

↑ 左が南、右が北で、この小径を進むと庭園の西寄りに出ることができます。 この左側の背の高い樹木が≪南側にシラカシを植えて目隠しと≫したというものでしょうか。
   建物は「幻戯山房」と名づけられていますが、今はこの周辺は、住宅地とはいえ街中ですが、かつては「山房」と名づけておかしくないような場所だったのかもしれませんね。

   「誰でもトイレ」と「事務室」の部分も平面図を見ると、又、内部に入って見ると、その部分が北に出っ張っているのですが、しかし、北面↓から見ると、
画像

↑ 「誰でもトイレ」の上の部分の屋根はけっこうたいそうな形状をしており、「事務室」の東よりは増設した可能性が考えられますが、「誰でもトイレ」の部分は後から増設したという感じではありません。 現在は、東よりから南下していったん低い位置まで下り、そこから坂を上って南側の東端に玄関らしき入口があって南東から入るようになっていますが、なぜ、いったん低い場所に降りて、また坂を登って入るようになっているのだろう、と思ったのです。 もしかして、角川源義さんがここに居住していた時代においては、あるいは最初にこの住宅が建てられた時期においては、南側の家は建っておらず、南の方は田んぼだったということですから、現在は南側は家を1軒はさんで広い道が東西に走っていますが、かつてはその道はなく、北側の道がメインの道であり、この旧角川邸は、北東の現在は「誰でもトイレ」と「事務室」になっているあたりに玄関があって、「身体障害者用駐車場」になっている場所には樹木が植わって道からの視線を遮っていたという可能性はないか。その可能性はありそうに思えます。
   ふと、疑問に思ったのは、角川源義さんはここに住まれていたらしいのですが、トイレはあるとして、1955年ですと、自宅に浴室がない家も珍しくはなかったが、キッチンというのか「台所」くらいはないと生活するのに難しいのではないかと思ったのですが、「水回りを2階に上げてはいかん」と言った時代において、台所はどこだったのだろうな? ・・・などと思いました。
   もしかして。 現在の「展示室」がダイニングキッチンで、中央の「詩歌室1」が座敷で、その西の「詩歌室2」は建築当初はなくて、離れとして「茶室」があり、北側の廊下を西に行って、そこから廊下が西に伸びた先にある「トイレ」は、かつて、トイレは居住部分から離した方が良いと言われていた時代において、「詩歌室1」と「展示室」の居住部分とその上の2階から渡り廊下で西に進んだ部分にあった、ということはないでしょうか。ありそうに思えます。

   次回、建物内部について述べますが、外観についての感想としては、
1.決して、悪いということはないが、「近代数寄屋造り」と言われると、う~ん・・・、どうかな・・・・、と思ってみたりします。
2.「近代数寄屋造り」と言われると、どうも、桂離宮などと比べて考えてしまうのですが、あくまでも、もともとが本屋の社長の家であり、皇族の離宮であった桂離宮・修学院離宮と同列に論じても、無理があるのではないか、という気がいたしました。

   昔から、「桂離宮」と「数寄屋」は、住宅建築業の会社が、商品名によく使用する名称でしたが、しかし、どういう意味合いで使っているかというと、けっこういいかげんな使い方をしてきたように思います。1990年頃まで、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)・・・→(株)ヤマダエスバイエルホームhttps://www.sxl.co.jp/ 〕では、完全自由設計で高級志向タイプのものに「新 桂」という名称をつけていました。「高品質低価格」の「企画住宅」の「ハウス55」は「昭和50年の物価で延床面積100平方メートルの住宅を500万円代で供給する」という意味で「ハウス55」でしたが(実際には、500万円台ではなく、もっとしていましたが)、「新 桂」は「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」という趣旨の「桂」の改良版として「新 桂」という名称になっており、「新 桂」「和のかたち」、「新 桂」「洋のかたち」と名づけ、和風のものでも洋風のものでも商品名としては「新 桂」としていましたが、あくまでも、「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」という”趣旨”であって、桂離宮のようなものを作るという意味ではなかった。 1990年代、福島県いわき市にいた時、いわき市のある工務店が「桂」という商品名をつけた商品を出していたが、これは「桂離宮のような数寄屋の和風住宅」という意味で「桂」という名称を使用していたが、はたして、本当に「桂離宮のような住宅」になっていたかというと、かなり厳しいようにも思う。「数寄屋の家」とか「桂離宮のような」という表現を使う住宅建築業の会社はけっこうあったのですが、その意味するものはどういうものかというと、かなり曖昧です。
   結論を言うと、「数寄屋」とか「桂」とかいう名称を住宅建築業の会社がつけたケースについては、2通り、かつての小堀住研(株)がつけた「桂」「新 桂」の「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」というあくまでも「趣旨」で名づけたものも含めると3通りだと思います。
1. 山田信亮(のぶあき)・井上国博・齋藤裕子・秋山秀猷(ひでのり)『初めて受ける インテリアコーディネーター試験 インテリア基礎編』(1989.9.1.オーム社)には、≪ 数寄屋造り(茶室)――茶室趣味の建築様式で、丸太の肌や、土壁の持ち味などを生かして、風流・上品に洗練された表現をもつ造りをいいます。≫と書かれているが、そのくらいの意味。 特に、木を表に出したり、磨き丸太・錆び丸太などを見せたり、土壁のような色合いのモルタル壁もしくはサイディング壁を外壁に使用したり、というそのくらいのもの。
2. 「民家」「古民家」にも、武家と町家(商店)と農家の3種類があり、地方によっても違いがある。(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ では、「百年」という名前をつけた和風住宅を建てていて、これが、「地方」においてはけっこう人気があった。しかし、東京圏などにおいてはなかなか受け入れられなかった。なぜかというと、これははっきりしている。(株)一条工務店の和風は、武家や町家を基本としたものではなく農家を基本とした和風だから、だから、東京圏・関西圏で農家と縁がない人にとっては、「うち、農家じゃないですよお」「うち、浜松で建てるのじゃないですよお」ということになるのだった。(株)一条工務店の遠州人には、「何でも太いものがいいに決まってるんだ」などというおっさんが多かったのだが、そうではない。福島県いわき市で、「壁の厚い家は上等の家と昔から言われてきた」と言う人があったのだが、一般に、「地方」にいくとそういう感覚があったのではないかと思うが、しかし、(株)一条工務店の東京営業所にいた時に来場された方からは、「四寸の柱なんて使ったのでは、壁が厚くなって家が狭くなりますねえ」と言われたことがあったが、実際問題として、「3寸5分の柱を使っても4寸の柱を使った家と同等以上の強度の家ができるのであれば、3寸5分の柱でいい」と考えるのか、それとも、「強いかどうかとは関係なく柱や壁は厚い方がいいに決まっている」と考えるのかという問題において、都市部においては前者の考えを取る人が多く、「地方」においては後者の考えを取る人が多い。ところが、(株)一条工務店の遠州人は自分の観念が後者であるものだから、前者の考え方を取る人間を理解しようとしない。 構造材については、他の条件が同じなら、一般的には太いものの方が強度がある場合が多いのであるが、造作材については、強度とは関係ないのだから、「太いものがいいに決まってる」などという「遠州人」(あくまでも、(株)一条工務店の遠州人のこと)の認識はおかしいのである。 そして、「数寄屋」というのは、「太いものがいいに決まってる」という考え方をとらない。長押を省略したり、あるいは、あえて、細いものを使用したりといった手法をとる場合がある。そういう手法を「数寄屋」と呼んだりもする。あるいは、「京風」、かつて、江戸時代においては京・大阪の上方の方が江戸よりも文化的に先進地域であり、あか抜けたものであった、その流れのもの、《「農家の家」そのもの》ではなく、京都の趣があると言われる寺社などの手法をいくらかなりとも取り入れたもの、というのを、「数寄屋」とか「桂」とかいう名称で呼んでいる場合がある。 (株)一条工務店が「百年」と名づけた和風住宅では磨き丸太の柱を玄関に立て、外壁も土壁風の色合いのサイディング壁を採用していても、それでも「数寄屋」とか言わないのは、それは(株)一条工務店の和風は武家か町家(商店)か農家かというと、どう考えても「農家の和風」であり、そして、造作材については太いものを使うか細いものを使うかはその時々によって検討して決めるが、細いものを使うことを好むことが少なくない「数寄屋」に対して、「何でも太いものがいいに決まってるんだ」という浜松中心主義、「浜松でいいものはどこでもいいに決まってるんだ」という浜松独善主義の会社においては、「数寄屋」は根付かないし、無理! だから、「数寄屋」とは言わない。
3.  小堀住研(株)で「新 桂」という名称をつけたのは、「桂離宮のようなすばらしいデザインを現代に」というあくまでも「趣旨」で名づけたものであったが、「桂離宮」と「現代に」という文句を用いたからにはその影響を受けやすく、現代和風に軸足が行きやすい傾向に幾分なったようなところはあった。
   私が入社した1992年頃、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ が建てていた「セゾン275S1」「百年275S1」は、小堀住研(株)の建物なら、価格帯としては「新 桂」の方に近かったが、(株)一条工務店の建物は「新 桂」とは和風も洋風も競合にならず、浜松などでは「高品質低価格」の「ハウス55」と競合になったらしい。なぜ、(株)一条工務店は浜松では(株)一条工務店のクラウンが小堀住研(株)のクラウンやセンチュリーと競合にならずにカローラと競合になっているのかなと最初は思ったのだが、それは、小堀住研(株)は全国均一料金にしていたのに対して、(株)一条工務店では東京都・神奈川県では坪55万円に設定していた「セゾン275S1」を浜松・掛川では坪48万円、名古屋では坪48万5千円で大幅なダンピング販売をおこなっていたため、全国均一料金に設定していた同業他社のひとまわり下の商品と浜松・掛川・名古屋では競合になることになった、いわば、(株)一条工務店の東京圏の営業は無名工務店の「いなかのクラウン」を有名メーカーの都会のクラウンとの競合で売っていたのに対し、(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業は自社の「その地域に合ったクラウン」をカローラの値段で売って同業他社のカローラとの競合で契約をとるということをしていたためだったが、もうひとつ、小堀住研(株)の「新 桂」「和のかたち」は都市圏で土地を持っていてカネをある程度出せるという人向けのもので、医者・弁護士であるとか、会社の経営者であるとかそういう人を客層と想定したものであったのに対し、(株)一条工務店の和風はそうではなく「地方」の人、「地方」の兼業農家か「農家と何らかのつながりがある人」を対象としたもので、医者・弁護士や会社の経営者を対象と想定したというわけではないので、小堀住研(株)の和風と(株)一条工務店の和風では客層がまったく違ったということがあった。 都市圏で土地を持っていてカネをある程度出せるという人が和風のいい家を作りたいとなると、その場合、「地方」の「農家みたいな家」を建てたいとは考えない。どう考えるかというと、「数寄屋」とか「桂離宮のような」とかいうものが発想として出てくるのではないか。たとえ、茶道をたしなまないとしても、意匠として「茶室のような」という意匠をとりいれたり。それに対して、 「地方」の兼業農家や「農家となんらかのつながりがある人」(というよりも、「地方」においては、たいていの人間は「農家と何らかのつながりがある人」なのだが)に、本格的な数寄屋造り・・・なんてアピールしても、「うち、そういう種族じゃないですから」てことになる。 和室の引戸のとってというのは、洋室の引戸のとってよりも低い位置についているのが普通で、これは、「作法として、和室に入る時には、手前で膝をついて引戸を開けた上でにじり入る」という前提で、立って引くのではなく膝をついた状態で引くことを前提としているのでそれで和室の引戸のとっては洋室の引戸のとってよりも低い位置についているのです・・・・なんて言っても、「うち、そういう入り方する人、ひとりもいませんから」と言われるわけだ。だから、小堀住研(株)の和風「新桂 和のかたち」と(株)一条工務店の和風「百年」は、和風は和風でも別のものであり、だから、競合になることはまずなかった(営業がどうこうする前に早い時期にどちらかに決まった)のだ。
   角川源義邸は、「都市部のおしゃれ心を持った和風住宅」か「地方の農家の家」かというと、前者の方で、小堀住研(株)の「新桂 和のかたち」と(株)一条工務店の和風「百年」となら、「新桂 和のかたち」の方に近い。1955年に角川源義邸が建てられた時点ではこの場所付近は畑で南には田んぼが広がっていたかもしれないが、源義邸・幻戯山房は「農家の家」ではなく「おしゃれ心を持った都市圏の和風住宅」であったから、「おしゃれ心を持った都市圏の和風住宅」というものを「近代数寄屋造り」とか「現代風数寄屋造り」とか言うのであれば、それに該当することになるのであろう。桂離宮とはけっこう違うけれども。
  最近、ヤマダ電機の店に行くと、「小堀の家」と称して、私が在籍した1980年代後半から1990年頃の兵庫県の夙川の展示場の写真を載せているのを見ることがある。私が在籍した松戸の展示場も夙川展示場の姉妹版のような展示場で、来場者から「小堀住研という会社の名前は知らなかったが、こんなすばらしい家を作っているとは思わなかった。もっと安物の会社かと思ったらそうじゃなかった、誤解して申し訳なかった」と言われたという営業もいた。そういういい家を作っていた会社だったが、2代目のバカ社長が「最低価格帯のカテゴリーキラーを目指す」とかアホなことをあっちやらこっちやらで言いまくって安物イメージを広めて、その結果・・・→つぶれた。〔後継会社として、(株)ヤマダエスバイエルホームという会社があるが、それは、小堀住研(株)の初代の小堀林衛の「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だからしい2代目の中島昭午が会社名から「小堀」を取り除いたエスバイエル(株)という名称に会社名を変更した、そのエスバイエル(株)がいったんつぶれたものを、ヤマダ電機が「いぬき」で買い取って(株)ヤマダエスバイエルホームとした、というものであり、小堀住研(株)→エスバイエル(株)は、いったん、つぶれた・・というよりも、中島昭午が意図的につぶした。〕 やめた会社なんてどうでもいいようなところもあるが、自分が滅私奉公をして尽くした会社をバカ社長が無茶苦茶にしてしまうというのは、情けない思いがする。 小堀住研(株)の松戸展示場には玄関を入った突き当りに坪庭があって、けっこう人気があったが、旧角川源義邸(幻戯山房)にも坪庭があった。
   1980年代後半、小堀住研(株)の本社での新卒社員研修に講師役で来た社員で、小堀住研(株)の「新 桂(しん かつら)」を「しんちゅう(新 柱)」と読んだおっさんがいたが、まがりなりにも講師役で来ておいて、「新 桂(しん かつら)」というおのれの会社の商品名を「しんちゅう(新 柱)」と読むというのは、ちょっといかがなものか・・・と思ったが、「桂(かつら)離宮」と木造の構造材の「柱(はしら)」を間違えるというのは、いくらなんでもひどいのではないか・・・・と思うな・・・・。 

※ 杉並区HP 角川庭園 http://www.city.suginami.tokyo.jp/shisetsu/kouen/02/ogikubo/1007132.html
《ウィキペディア-角川源義》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%BA%90%E7%BE%A9
《ウィキペディア-数寄屋造り》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AF%84%E5%B1%8B%E9%80%A0%E3%82%8A
《ウィキペディア-杉並区立角川庭園》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E4%B8%A6%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E8%A7%92%E5%B7%9D%E5%BA%AD%E5%9C%92

  (2018.9.26.)

   次回、《内部。障子を引き込む戸袋があってもいい。板張りの和室はありうる。「ルーバー手摺」と「ストリップ階段」は別。住宅の営業は「頭のない人間」がいいか?》https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_15.html


☆ 角川庭園と大田黒公園訪問
1. 角川書店・角川文庫の由来。自分が作った賞には応募しない者と自分に受賞させるために賞を作る者 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_9.html
2. 荻窪駅から。レッカー車で吊った鉄の塊の真下で作業させる会社・「労働基準法は守らないというのが会社のルールだ」と主張する会社 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_10.html
3. 角川庭園への道。警察暴力団はさりげなくかわすべし。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_11.html
4. 角川庭園への道。「子供110番の家」には「かえって問題がある」家も中にある。警察シンパの精神構造。https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_12.html
5. 「厳戯山房」(旧角川源義邸)北面から入口へ。南から来るとエーデルワイスならぬ「エーデルハイツ」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_13.html
6. 外観と茶室への経路。住宅屋の言う「数寄屋」「桂」とは。「和風住宅」にもタイプがある。クラウンをカローラの値段で同業他社のカローラとの競合で売っていた(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業 〔今回〕
7. 内部。障子を引き込む戸袋があってもいい。板張りの和室はありうる。「ルーバー手摺」と「ストリップ階段」は別。住宅の営業は「頭のない人間」がいいか? https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_15.html
8. 庭園。詩歌は庭を見ながら。最寄バス停「特養ホームおぎくぼ紫苑」 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_16.html
9. 荻窪駅から大田黒公園。大谷戸さくら緑地・善福寺川・シャレール荻窪 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_17.html
10. 大田黒公園。正門・銀杏並木・茶室・記念館・蔵・庭園、ナグリ仕上げとは。 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201809/article_18.html

☆ 《 「数寄屋造」と言われる建物 》について
桂離宮(京都市) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_13.html
修学院離宮(京都市)
1.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_1.html
2.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_2.html
3.http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_3.html
西本願寺飛雲閣(京都市)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201208/article_3.html
三渓園 臨春閣(旧 紀州徳川家 巌出御殿)(現在、存在する場所は、横浜市。)
1 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_1.html
2 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_2.html
3 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_3.html
4 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html
成巽閣(せいそんかく)(金沢市) https://tetsukenrumba.at.webry.info/201610/article_1.html


日本美の再発見 増補改訳版 (岩波新書)
岩波書店
ブルーノ・タウト

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト



木造の詳細 1 構造編
彰国社
杉山 英男

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック