息子と嫁を「会社の部下」の扱いにしたがる父親―父の日に思う【5/5】

[第384回]
   前回、《電車で「上座」に座りたがる男、電車の窓側席に座って週刊誌を読む男》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201807/article_1.html において、内田康夫『湯布院殺人事件』(講談社文庫)の記述を読んで、そういえば・・・と私が小学校の4年の時、1960年代後半なのだが、父と広島県・山口県に1泊2日で旅行した時のことを思い出した。
[1]  広島駅のプラットホームの売店に、「週刊文春」の「太平洋戦争中の日本軍の艦船配置図」という特集のものがあったのを父が見て、「あんた、これ、見たないか」「あんた、これ、欲しないか」と言うので、「欲しい」と言うと父は「よっしゃ。そしたら、こうたるわ」と言って購入したのだ。「あんた、これ、欲しないか」と言って「欲しい」と言わせて買った以上は、買ったら当然それを息子に渡すものだと思ったら、父は「電車に乗ってから」と言って自分が脇にかかえ、そして、電車に乗ったら、自分が窓側の席に座った上で自分がその「週刊文春」を広げて読みだした。 いつになったら、「あんた、これ欲しないか」と言って買ったものを渡してくれるのだろう」と思っていたら、いつまで経っても父は渡してくれない。そのうち、父は読み疲れたらしく、その「週刊文春」を閉じて膝の上に乗せて両手で押さえて眠りだしたのだ。結局、家に帰るまで、父は「あんた、これ、欲しないか」と言って私に「欲しい」と言わせて買ったものを私に渡してくれなかった。結局、父は自分が読みたいから、自分が欲しいから買ったのだが、自分が欲しいものを買うのに、いちいち、「あんた、これ欲しないか」と息子に言って、「あんたが欲しいと言うから、買ってやってやってやったってんで」と言って、そういうことにして買わないと気がすまない、というおっさんだったのだ。
   この5年後、私が中学校3年の時、父はまたもや、「あんた、『メサイヤ』のレコード、欲しないか」と言い出した。ま~た、やりだしやがった、と思った。そう何度も同じ手にひっかかるかい! と思い、「欲しくない」と答えたところ、父は「なんでやねん」「なんで、欲しないねん」「欲しいやろ」「あったらええやろ」「なんで、要らんねん」「欲しいやろうが」と執拗に言ってつきまとい、「要りません」「欲しくありません」「欲しいとはまったく思いません」とそのたびに言っても言っても言っても言っても、果てしなく追いかけてきた。この話を下の姉にしたところ、「あんた、私と似た経験してるねえ~え」と言うので、父がそういうことをしたのは私だけではなかったようだ。

[2] 「週刊文春」の1冊なんて、たいして重いものでもなくかさばるものでもなく、特に、帰りだったので、そこに載っている記事を読みたいなら広島駅の売店ではなく大阪駅の売店でも売っていただろうから、大阪駅の売店で買ってもいいところだが、広島駅から大阪駅までの間は電車が運ぶのだから広島駅の売店で買っても別に悪くないだろうと思っていたのだ。買って、それをもらっても、だからといって電車の中で読まないといけない理由はない。せっかく、旅行に行ったのだから、電車の中では、窓から外の景色を見ればいいし、その方が旅行中にしかできないことで、「週刊文春」は買ってもらったなら帰宅してから見ればいいことだ。私は「買ってもらった」時、そう思っていた。 しかし、父は購入したものを私が受け取ろうとすると、「電車に乗ってから」と言い、私に渡さなかった。
   そして、特急「しおじ」だったか「みどり」だったかに乗ると、父が窓側の席に坐り、そして、座ると同時にその「週刊文春」を広げて読みだしたのだ。「電車に乗ってから」と言うからには乗って坐ったならその本を私に渡してくれるものだと思っていたら、渡さずに自分が読みだしたのだが、それならそれで、何も週刊誌を広げて読む男が窓側の席に座る必要はないのではないか。小学生の息子に窓側に坐らせてやって、窓から外の景色を見せてやって、「あそこにあんなものがある」「ここはこんなになってるんだ」と見聞を広めさせてやればいいはずなのだ。特に、今の山陽新幹線は「トンネルばっかり」みたいなところがあるが、その頃は山陽新幹線はなく、山陽本線の車窓の風景は風情があっておもしろかった。自分は座席で週刊誌を読むのに、週刊誌を読む男が窓側に坐りたがるのか、その時はその気持ちがよくわからなかった。
    内田康夫『湯布院殺人事件』の記述を読んで、気づいた。あのおっさんは、なぜ、自分は週刊誌を読むのに、電車、それも通勤で毎日乗っている電車ではなく、東京―新大阪間の新幹線を毎週仕事で往復しているというような会社員が乗っている電車でもなく、その時、観光で見聞を広めるために行った旅行で、電車の中で小学生の子供を通路側に坐らせるのか、自分が窓側に坐って自分が外を見たいのならまだしも、自分は週刊誌を読むのに、なんで、子供を通路側に坐らせるのか。その頃の私は「電車が好きな子供」だったので、特急の窓から外を見ることとともに、特急の車内にも関心があったので、それほど退屈はしなかったのだけれども、それにしても、父親なら子供を窓側に坐らせて、一緒に外を見て、父親が知っているものについては「あれ、・・・なんだよ」と教えてやるとかするものではないのか、と思ったりしたのだが、そういうことをする父親ではないというのは、その後、よくよくわかったけれども、それにしても、なぜ、週刊誌を読む男が窓側に坐りたがるのかというと、父は窓側が「上座」だと思っていて、それで、「上座」に坐ったつもりだったようだった。
   そう考えると、帰りの広島→大阪 の特急だけでなく、行きの大阪→宮島口 の特急もまた、父は窓側に座った。もし、私が父の立場なら、息子に窓側に坐らせてやって、一緒に外を見ると思うし、それが父親というもの、それが親子というものではないのかと思うが、「それが父親というもの」だとか「それが親子というもの」だとか言っても、うちの父親はそういう父親ではないし、我が家の親子関係はそういう親子関係ではなかったのだから、今から思えば、そんな夢のまた夢みたいなことをあのおっさんに期待してもしかたがない。
   私が20歳前後の頃から、父は「世の中にはやなあ、『普通のお父さん』もおれば、“カス親”もおれば、”ダメ父”もおるわけで、わしみたいなえらいエライえらいエラい英雄のお父さんばっかしとは違うんや。わしはヒットラー総統のような英雄なんや。わかっとったか。あんた、英雄のお父さんを持って恵まれてるねえ~え。あんた、幸せやねえ~え」と何度も何度も耳鳴りがするくらいに言うようになったのだが〔⇒《YouTube-交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)》https://www.youtube.com/watch?v=GKFStVrKNU4 〕、ひとつにはこれは父の「親友」で医者屋のM川が父にそのようなことを吹き込んだということがあったようだが、息子としては「えらいエライえらいエライ英雄のお父さん」よりも「普通のお父さん」の方がいいわあ~あ・・・と思ったものだった。「わしはドイツ人やねんぞお。あんた、ドイツ人のお父さんを持って恵まれてるねえ~え。あんた、得してるねえ~え」と父は言うのだったが、「ドイツ人のお父さん」〔⇒《YouTube-ワルキューレの騎行 》https://www.youtube.com/watch?v=0EUckxAgZ_E 〕よりも日本人のお父さんか、そうでなければ「ロシア人」のお父さんか「イタリア人」のお父さんの方が息子としては良かった。
   そして、気づいた。帰りだけでなく、行きの大阪→宮島口 の特急「みどり」だったかでも父は自分が窓側に座ってたのだ。普通、小学生の息子と一緒に旅行したなら息子を窓側に坐らせるものではないのかと思ったのだが、父としては「上座」に坐っていたつもりだったようだ。
  90を過ぎた母が「息子が『勉強をする子』だったから、一緒にずいぶんといろいろな所に行けた」と喜んでいる。「京都だと、どこに行きたい?」と私が小学校の時に訊いたら「広隆寺に行きたい」と言うので一緒に広隆寺に行ったけれども、この子は「広隆寺に行きたい」という子なんだと思ったと言うのだ。同じように、姪が中学生だったか高校生だったかの時、東京から大阪に来るというので、「大阪のどこか連れて行ってあげよう。どこに行きたい?」と訊いたら、「食い倒れ」とぬかしやがったのでがっかりした、「こいつ、アホや」と思ったと言うのだ。そんなもので、母と一緒にどこかに行くと、行くこと自体が目的の観光の旅行であっても用事でどこかに行く必要があった場合でも、母は息子に窓側に坐らせてくれた。子供が退屈してぐずらないようにということもあったかもしれないが、そうだった。父親も母親と同じようなものだろうと私は子供の頃、思いこんでいたのだが、違ったのだ。

[3]  北野高校の1年の時、「地理」の授業で、H先生が「日本のサラリーマンは出張とかで電車に乗った時、電車の中で何しとる? 週刊誌よんどるだろう。アホか。せっかく、普段と違う場所に行ったのなら、電車の窓から外を見ればいいのに。そうすれば、『ああ、あそこにあんなものがある』『ここはこうなってるんだ』とわかっておもしろいのに」と話された時、まったくその通りだなあと思ったのだ。そして、「まったく、日本のサラリーマンというのは」というH先生の言葉は実感として私も思った。
  しかし、その時、私が小学校4年の時に父と広島県・山口県に行ったのは、出張で行ったのではないのだ。出張で行く人の場合は、窓の外の景色なんてどうでもいい、裸のおねーちゃんの写真が載ってる週刊誌の方がいいというおっさんもいるだろうけれども、裸のおねーちゃんの写真が中心の雑誌でなくても電車中で週刊誌を読むのに何も身銭きって観光旅行に行かなくてもいいわけだが、「習い、性となる」というのか、わざわざ観光旅行に行っても、電車内で週刊誌を読むおっさんだった。
   電車中で裸のおねーちゃんの写真が載っている雑誌を平気で広げるおっさんがけっこういるのだが、別に私は「聖人」でも何でもないのだけれども、それでも言うがあれをやるようになったら、男は「おっさん」だと思うのだ。中谷彰『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)に「オヤジ」というのはその性別のその年代の人間のことではなく、「オヤジ」と言われるようなことをする人のことを言うのであり、若くても「オヤジ」はいるし女性にも「オヤジ」はいると書かれていたが私もそう思う。キルケゴールが『死に至る病』(岩浪文庫 他)において、「絶望」に3種類のものがあるということを述べているが、電車中で平気で裸のおねーちゃんの写真の載った雑誌を広げるようになったら、それは「絶望」の状態になっているわけで、「オヤジ」の兆候であると言える・・からやめた方がいいと思う。ニューヨーク州立シラキュース大学精神科教授のトマス=サズは「精神病」「精神疾患」といった「患者」「病人」というのは、薬物中毒とか外傷性のものや梅毒の3期症状によるものなどを別として、基本的には「何かを持っている」ということではなく「何かをやっている」ということであり、ということは、「何かをやっている」というその問題があるとされる行動をやめればいいわけで、問題とされる行動をやめたならば、そうすれば「病気」ではなくなるわけであり、それを自然科学の姿勢でとらえて「治療」しようとするところに「精神医学」の問題があると指摘しており、「オヤジ」でなくなるためには「オヤジ」と言われるような行為をやめればいいわけだ・・・が、ところが、言ってもきかんやつに言ってもきかない・・・から、言ってもしかたがないだろう。
   いずれにせよ、出張で普段いる場所と異なる所に行くことがあった時、電車の中で窓から外を見るとか、普通に乗った時には車内の雰囲気を味わうとかするのではなく、裸のおねーちゃんの写真の載った雑誌を広げて見るおっさんというのは、その時点で「オヤジ」の傾向が出ているのであり、キルケゴールが言うところの「絶望」の状態になってきているということである。それを認識できているならば、その分だけ、「絶望」の状態が軽く、認識できていない人は重いことになる。

[4] 父は、私に「あんた、これ欲しくないか」と言って「欲しい」と言わせて「週刊文春」を買った上で、特急の車内で自分が窓側に坐った上で自分が読み、家に帰るまで私にそれを渡してくれなかったのだが、子供としては、「あんた、これ、欲しくないか」と言われて買ったものなので、本来は自分に買ってもらったと思っていた。だから、父は家に帰ってもその「あんた、これ欲しないか」と言って「欲しい」と言わせて買った雑誌を「欲しい」と言った子供に渡さなかったが、父が自分が見るように置いていたので、父がいない時に、私はそれを見た。自分が買ってもらったものなのだから、当然、見ていいはずだったのだ。
  「週刊誌」にもおねーちゃんの裸の写真が毎号必ず掲載されている週刊誌とそうでない週刊誌がある。新聞社系の「週刊朝日」「サンデー毎日」はそういうものは基本的には乗せない。「週刊新潮」も基本的にはない。おねーちゃんの裸の写真が掲載されているのは「プレイボーイ」とか今はなくなった「平凡パンチ」とかなのだが、「週刊文春」もわずかながら掲載していた時があったのだ。私が親ならば、女性の裸の写真が掲載されているような雑誌を、小学生に「あんた、これ、欲しないか」などとは言わない。別に自分が「聖人」だとかそんなことではないのだが、小学生にそういうものを「あんた、これ、欲しないか」などと言って買ったりはしない・・・・が、うちの父親はそれをやるおっさんだったのだ。 この旅行により、私は小学校の4年の時から、週刊誌には女性の裸の写真が掲載されているものだということを知った。「英雄のお父さん」「ドイツ人のお父さん」というのはそういうことをするものなのだ。「あんた、ドイツ人のお父さんをもって、幸せやねえ~え」「あんた、ドイツ人のお父さんをもって、恵まれてるねえ~え」と父は言うのだったが、「日本人」のお父さんの方がこの点では良かった。
  今もあるのかどうかわからないが、慶應大学日吉キャンパスがある東急東横線「日吉」西側、慶應大学と逆側に山村書店という書店があって、そこで「エロ本」も置いていたのだが、その脇に「学生さんで、見られる方がありますが、学生にはもっと他に読むべき本があるのではないかと思います。 店主」と書かれた紙が貼られていた。年配の人間が買うのはそれを書店としていいだの悪いだの言わないが、若い人が見るのはいかがなものかと書店の店主は思って買いたのだろう。その点で山村書店の店主は良心的だったと思う。相撲の若の鵬が、ある30代なかばの力士が「若ちゃん。若いうちは八百長なんてしない方がいいよ。俺はもう歳で力が落ちてしまって八百長しないと地位を維持できなくなってしまったからやってるけど、若いうちはやらない方が絶対にいいよ。八百長なんて、やろうと思えばいつだってできるんだからね」と言ってくれたと「週刊現代」で述べていたが、裸のおねーちゃんの写真の載った週刊誌なんて、そちらの方に行きたければ、そんなものは、いつだってそっちに行けるんだから、若いうちはやめておいた方がいいと思う。若い者が読むべき物は他にあるはずだと思う。裸の女性の写真が載っている週刊誌を小学生に「あんた、これ、欲しないか」と言う父親というのは、どんなものかと思うが、そういう意識のない男がいるようだ。

[5] 「太平洋戦争中の日本軍艦船の配置図」というのが特集として掲載された雑誌を買って見て悪いということはない。悪いということはないが、しかし、父の場合はそういうものの比重がずいぶんと大きかったと思う。かつ、自分が見るのはいいが、小学生の息子に、「あんた、これ、見たくないか」「あんた、これ欲しないか」と言って買うというのはいかがなものかとも思うのだが、そういう思考がない男だった。
  幼稚園に行く前の子供の頃、けっこういいものだったのではないかと思うが、パトカーのおもちゃと一般乗用車のおもちゃがあった。それと、戦車のおもちゃがあった。その頃はよくわからなかったが、けっこう高かったのではないかと思う。物心がついた時、それはすでにあった。どうも、パトカーと乗用車のおもちゃの方は「もらった」のではないかと思う。父はメーカーである会社で「買ってもらう側」の部署ではなく「買う側の部署」にいたので、業者さんから何かをもらうことがあったのではないか。特に、子供ができてたとなると、「お子さんに」ということで持ってくる人があったのではないか。
   父は私が19か20の時、「あんたには、よそと違って、小さい頃から、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でもええもんばっかり、こうてきてややってやってやあってやってきたから」と。私はあきれて、「そんなことない」「絶対、そんなことない」と言ったのだが、「こいつ、こんなこと言いよるわ。こりぁ、病気やわ、病気。病気やからこんなこと言いよるんや」「難儀なやっちゃな、こいつは。わしのような英雄にこんなどうしようもないカスが生まれるとは困ったことやな、こいつは」と父はそう言ったのだ。よくもそういう口がきけたものだと思う。
(1)幼稚園から小学校の低学年にかけて、友達の家に遊びに行くと、男の子の家にはどこに行っても「野球盤」があったが我が家にだけなかった。
(2)男の子の家でも女の子の家でも「モノポリ」というゲームがどこの家にもあって、それがものすごくおもしろくて欲しかったが我が家にだけなかった。「よそと違って」欲しいなんて言っても絶対に買ってもらえなかったし、その前に買ってほしいなんて我が家では言えなかった。
(3)幼稚園の時、近所にアイスクリームを売っている店があって、その頃、10円のアイスクリームと20円のアイスクリームを売っていたのだが、10円のアイスクリームは買ってもらったが20円のものは絶対に買ってもらえず、20円のアイスクリームというのはどんなものなのだろうと思って一度でいいから食べてみたいものだなあと思ったのだが、よそも同じようなものなのだろうと思いこんで、幼稚園の同級生に「あれ、一度でいいから、20円のアイスクリームを食べてみたいなあ」と言ったところ、「なんでえ~え。そんなん、ぼく、何度でも食べたでえ~え」と言われた。そういうことはアイスクリームに限ったこととではなく、いくつものもので何度もあった。
(4)小学校の高学年になる頃、山地に引っ越したのだが、坂の上にある我が家は自転車に乗って登るのは大変だったが、我が家よりずっとふもとに住んでいる同級生は10段切り替え・20段切り替えのサイクリング用自転車を買ってもらっていたが、我が家は家庭用の3段切り替えの自転車があるだけで大変な苦行をして登っていた。
(5) 小学生の時、我が家には姉が使った者があったので、同級生は新しく買ってもらっていたところを私は姉のお古を使うことがしばしばあったが、新しい物を買ってもらう子と姉のお古を使う子とどっちがいいかというと、新しく買ってもらう者の方がいいと思った。彫刻刀などは姉が一度使ったものでも別に良かったけれども、嫌なのは服だった。スカートとかブルマーとかをはかされることはなく着たのはセーターとかシャツとかだが、セーターやシャツには男物も女物もないようでどこか違うのだ。小学校の時、学区内にキリスト教系の施設で女の子で捨て子にされた子供などを預かっている施設があり、そこの子は子供が大きくなったので不要になったという服をもらって着ていたことがあったようだが、そういう子にしても女の子のお古を女の子が着ていたのであって、女の子が着ていた服を男が着ていたのは私ひとりだけだった。
(6)小学校の1年の時、算数の授業で、先生が、足し算・引き算・かけ算・割り算について、トーナメント大会を実施し、隣の席の者と勝負して、勝ち残った者には、優勝者と準優勝者には「連絡帳」にそれを記載してくれたが、父は「次、優勝したら、怪獣のプラモデルをこうたる」と言い、そして、優勝した。優勝したからには買ってくれると思った。父は「どういうのが欲しい?」と言ったのだが、同級生が持っていた4000円のゴジラのプラモデルを見て、いいなあ~あ・・と思っていたのだけれども、その同級生だけでなく他にもその4000円のゴジラを買ってもらっていた者はいたし、その同級生は4000円のゴジラだけでなく4200円のバラゴンも買ってもらっていたのだが、我が家は4000円のプラモデルなんて絶対に買ってもらえないだろうと思ったが、「どういうのが欲しい?」と父が言うので、「ゴジラが欲しいのだけれども、でも、4000円もするからそれは無理だと思うのだけれども」と言った。そう言うと、おそらく、「4000円もするのは、ちょっと買えんなあ。もうちょっと安いものないのか? 一度、プラモデル屋に一緒に行って、他に、もうちょっと安いものないか訊いてみようや。4000円のは買えんけれども、そうやなあ、何百円というくらいのものがあれば買ってやるわ」とでも言うかと思ったのだが、予想に反して、父は「なんで無理やねん。ええがな。そんなもん、4000円したってこうたるがな。何を心配しとんねん、何を! このわしがこうたると言うとるんやないか、このわしが。このわしがこうたると言うた以上はこうたるがな。何をわけのわからん心配しとんねん。わしがこうたると言うたからには4000円しようがいくらしようが絶対に買ってあげますて。余計な心配しなさんな、あんた」と言うのだ。あれえ~え、今回はそんな高いものを買ってくれるのかと驚いたが、買ってもらえるのだと思って大喜びして父と一緒にプラモデル屋まで行った。プラモデル屋に行って、プラモデル屋の奥さんに父が「そのゴジラてのはいくらしますのん?」と言うと、奥さんは「ゴジラは4000円です」と私があらかじめゴジラを買ってもらって持っていた同級生から聞いていた値段を言った。すると、父は「ふええ~え。ひええ~え。ぎょええ~え。そ~んなにすんのんか、そんなに。たかだか、怪獣のプラモデルみたいなもんが、4000円もするのんか! ぎょええ~え。ふええ~え。ひええ~え。かなんな、もう。かなんなもう。たまったもんやないわ、そんなもん。 そんなもん、絶対にこうたらいかん! 4000円もする怪獣のプラモデルなんて絶対にこうたらいかん、そんなもん」と言うのだ。あんた、ちょっと前に「たとえ、4000円したっていくらしたって、絶対にこうたげますて。このわしがこうたると言うておるんやないか。ほかでもないこのわしがあ。んが、んが、んがあ!」と言うたじゃないか。話が「ち~が~う~だ~ろ!」と思ったのだが、父は「ゴジラじゃのうて他のもんではいかんのか」と私に言うので、私が「バラゴンでもいい」と言うと、奥さんが「バラゴンはもっと高いですよ。バラゴンは4200円です」と言い、それを聞いて父は「ふえええ~え。ぎょええ~え。まったくたまらんなあ。冗談やないわ、ほんま。そんなもん、怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円だの4200円だのなんて払えるわけないがな。ぎょええ~え。とんでもない話や。冗談やないで、ほんま」と言うのだ。言ったのだ、私とプラモデル屋の奥さんの前で。そして、私が「バラゴンでもいい」と言った際、プラモデル屋の奥さんが「バラゴンはもっと高いです。バラゴンは4200円します」と言った後、父は「なに? バラ、バルゴン?」と言い、奥さんは「バルゴンだと200円です」と言ったのを聞いて、父は「200円。それがええわ。それが。それにしなさい。バルゴン。それください」と言って、4000円のゴジラを買ってもらえると思いこんで行った子供が「200円のバルゴン」でもいいと返事したわけでもないのに、「それがよろしい、それが」と決めて購入した。帰り道々、父は「そんなもん、怪獣のプラモデルみたいないなもんに4000円なんて絶対に出したらいかん。プラモデルなんて200円のもんで十分や。あんた、バルゴン、買ってもらって良かったねえ~え。バルゴン、買ったもらった。あんた、うれしいねえ~え。あんた、幸せやねえ~え!」と言い続けたが、うれしくなかった。最初、私が「ゴジラが欲しいのだけれども、でも、4000円もするからそれは無理だと思うのだけれども」と言った時に、父が「4000円もするのは、ちょっと買えんなあ。もうちょっと安いものないのか? 一度、プラモデル屋に一緒に行って、他に、もうちょっと安いものないか訊いてみようや」と言ってプラモデル屋に行って200円のバルゴンを買ったのなら、同級生で4000円のゴジラと4200円のバラゴンをも買ってもらって持っている人間が何人かいても、それでも200円のバルゴンを買ってもらったことを喜べたと思う。しかし、「4000円したってこうたるがな。何を心配しとんねん、何を! このわしがこうたると言うとるんやないか、このわしが。このわしがこうたると言うた以上はこうたるがな。何をわけのわからん心配しとんねん。わしがこうたると言うたからには4000円しようがいくらしようが絶対に買ってあげますて。余計な心配しなさんな、あんた」と言われて買いに行ったあげくに、「ふええ~え。ひええ~え。ぎょええ~え」とやられたあかつきには、たとえ、200円のバルゴンは買ってもらえたとしても、喜べなかった。「冗談やないで」というのはこちらが言う文句だ。この話を下の姉にしたところ、「あんた、なんか、私とよく似た経験してるねえ~え」と言ったので、父がそういうことをしたのは私にだけではなかったようだった。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」といったところかもしれない。「小さい頃から」そういうことを日常的に繰り返してきたおっさんが、「あんたには、小さい頃から、よそとは違って、欲しいというものはどんなもんでもどんなもんでも何でも何でも、ええもんばばっかし買ってきてやってやってやってやってきたから」とは、よく言うわ! バカ言ってんじゃないわ! と思ったものだが〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー 》https://www.youtube.com/watch?v=NTa_OL8z0Sc 〕、おっさんは「わからんのか。こいつは。困ったやっちゃな、こいつは。これは病気やわ。病気やからこんなこと言いよるんやわ。こういうのを『病識がない』と言いますんやなあ」と言うのだった。
(7)幼稚園の年少組の時、正月にお年玉を親戚の人などからもらった時、父は「あんた、それ、貯金しなさい」と言い出した。私は「嫌や。絶対に嫌や。せっかくもらったのに、とられるのは嫌や」と言った。それまでも、同級生が買ってもらっていた物でも我が家は買ってもらえなかったが、お年玉をもらったのでそれで買える♪ と思ったのだが、父は「それ、使ったらもったいない。貯金しなさい」と言ったのだ。貯金するとどうなるかというと、何年か後に、おそらく、父は言うだろう。「あんた、それで勉強のものを買いなさい」と。「勉強のもの」なら、別にお年玉をもらわなくても無理矢理でも買われてしまうのであり、買われてさせられるのでだ。それではお年玉の意味はない。母は「お年玉というものは親とのつきあいがあるから親に渡してるのであって、子供にあげるつもりで渡してるのと違うんや」と言うのだったが、だから、親がとりあげるのが当然だというのなら、子供にとってはお年玉なんて要らないし、「ありがとうと言いなさい」と言われて「ありがとう」と言ったのだが、「親に渡してる物」なら、「ありがとう」は親が言うべきで子供が言う筋合いはないはずだった。それまで、「よそとちごうて」欲しいと思っても、よその子は買ってもらっていたものでも買ってもらえない物が多かったが、お年玉をもらったのでそれを買えると思って喜んだのは一瞬のことで、父は「あんた、それを全額貯金しなさい」と言うのだった。「いやや。絶対にいやや」と言い、「とられるのいやや」と言ったのだが、常に父に加担することで父から「ドイツ人」と認定されていた上の姉がさりげなく寄ってきて「ちがうねん。貯金というのは盗られるのと違うねん。貯金は増えて得すんねん」と発言、それを聞いて父は「ほら、ほら。言いはった、言いはった。えらいお姉さんが言いはった。しっかりしたお姉さんも言いはったやろ。貯金は増えて得するんや」と言い、そして、無理矢理、全額貯金させられた。銀行の通帳を見せられて、「ほら、増えて得してるやろ」とその後、言われたのだが、5年の満期の後、またもや、定期預金に入れさせられて、結局、それがどうなったのかわからない。今、出てきたとしても、幼稚園児の子供にとっては大金でも、大人にとってはたいした金額ではない。1月に幼稚園に行くと、同級生の間では「お年玉で◇◇を買った」という話題がみんなの間で出た。「〇〇くんは何買ったあ?」と言われて、「ちょき~ん」と言うと、「貯金てそれ、いったい何やあ~あ?」と何人もに不思議がられた。情けなかった。父が他界した後、父の遺品を整理していると、「こんなもん、持っとったんかい」とびっくりするようなものも出てきた。ソープランドに行ったものを記録した日報なんてのもあった。ソープランドに行くおっさんてのはそれほど珍しくもないだろうし、「しろうとさん」相手にやって問題を発生させるよりいいかもしれないが、しかし、日報なんて、普通、つけるかあ~あ!・・・・と思うのだが、おっさんはつけとった。考え方によると、もしかすると、幼稚園児から「貯金」ということでとりあげたお年玉は結果として父がソープランドに行くカネに化けたのかもしれない。
(8) [第374回]《田園調布教会(6)パイプオルガン他と偶像崇拝・惑溺》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html で述べたが、小学校2年の時、ヤマハのオルガン教室に通ったが、よその子は新しい電気式オルガンを買ってもらっていたが、我が家は足踏み式オルガンがあったのでそれを使っていたが、父はそのオルガンを取りあげてひとにあげてしまった。
そして、父は言うのだった。「あんたには、小さい頃からよそと違って、欲しいというものは、どんなものでも、何でも何でもこうてきてやってやってやってやあってきたから!」と。「違いますよ。絶対に違いますよ」と言ってもきかないのだった。あのおっさんこそ、思考が病気だと思う。
   そんな調子で、我が家は「よそとちごうて」、よその家では買ってもらえていた物でも買ってもらえないという物が多かったし、かつ、「買ってやるがな」と言って買わないというものもあったのだが、片方で、父は会社ではオーナー社長の親戚だったし「社長に逆らわない男」だったからか、「買う側の部署」につかせてもらっていたからか、業者さんからもらうことがあり、「お子さんに」ということでけっこういい物をくれる人というのもあったらしい。そういう物は「買ってもらう側の部署」にいた人間はあまりないと思うのだ。私が物心がついた時にはすでにあった、パトカーと普通乗用車のおもちゃは、おそらく、誰か業者さんが「お子さんに」と私が産まれた時にプレゼントしてくれたのではないのかと思うのだ。 しかし、戦車は違うと思う。私が「業者さん」の立場だったとして、「お得意先」に子供ができたということで贈り物をするのに、パトカーとか消防車のおもちゃなら贈り物にする可能性はあるが、戦車を贈り物にすることはないと思う。おそらく、あれは父が欲しいと思って買ったのではないか。戦車が欲しいと思ってけっこう高い物を買い、そして、産まれた子供を「戦車が好きな子供」にしようとしたのではないか。ところが、「戦後民主主義教育」というのはけっこうよくできていて、成長するとともに、「戦車が好きな子供」ではなくなったのだ。
   「週刊文春」というのは昔から「週刊新潮」とともに「右寄りの雑誌」であり、そうであるから、「太平洋戦争時の日本軍 艦船配置図」という特集をやったりしていたのだが、それを承知の上で見るなら見てもいいと思うのだけれども、しかし、「戦車とパトカーが好きな男」「太平洋戦争時の日本軍 艦船配置図」の特集の掲載された「週刊文春」を欲しがるというのは、その傾向というのか性向というのかがそこに出ているようで気持ち悪い。 産まれたばかりの子供に、戦車をおもちゃとして持たせるというのも、小学生に「太平洋戦争時の日本軍 艦船配置図」を「あんた、これ、欲しないか」と言って推奨するというのも、父親の態度としていかがなものかと思う・・・が、最後までそのあたりに気づくこともなく、父は他界してすでに30年近くなるが、昨日のことのような気がする。

    父は、私が小学校4年の時に広島県・山口県に1泊2日で旅行に行った時、行きの大阪→宮島口の特急も、帰りの広島→大阪の特急も、父が窓側に坐り、特に帰りの特急では父が窓側に坐った上で子供を通路側に坐らせて週刊誌を読んだのだが、今から考えると、あれは、父としては「上座」に坐っていたつもりだったのではないかと思う。
    母は「私を女中さんのように扱う」と言って父と祖母(父の母)について怒っていた。「本当の女中さんなら、怒ってやめてしまうところだけれども、嫁は怒ってやめることがないから、女中さん以下の女中さんにされた」と言うのだ。又、「私を『会社の人』みたいに扱う」とも言っていた。もっとも、「会社の人」がどういう扱いなのかという問題もあって、「会社の人」というのは無茶苦茶な扱いにしていいというものでもないはずなのだ。
    この「『会社の人』みたいに扱う」という言葉の意味が、私が20歳になってわかった。父は私にも「『会社の人』みたいに扱う」態度をとったのだ。父は息子に「・・・かねえ」などと言うのだ。何、それ?
   普通、息子に「・・・かねえ」などと言うか? 父は「あんたはなあ、わしのことを普通のお父さんやと勘違いしてるかもしれんけどな。わしは普通のお父さんとは違うねんで、わしは。わしは英雄のお父さんやねん」と言うのだったが、a.u. かソフトバンクかなんか知らんが、「普通のお父さん」の方がええわ・・・と思ってきた。「このわしはなあ、会社っちゅうところでは特別に特別にエライ人やねんぞ、このわしは」と言うのだった。だから、私は「会社っちゅうところ」には勤めたくないと思ったのだ。 大学院に行って大学の研究者になって「大学」という所に勤めるか、教諭の免許を取得して高校か中学校の教諭になって「学校」という所に勤めるか、司法試験を受けて裁判官になって「裁判所」という所に勤めるか、弁護士になって「法律事務所」という所に勤めるか、公認会計士の資格をとって「会計事務所」という所に勤めるか、医学部に行って医師の資格を取得して「病院」という所に勤めるか、労働基準監督官の資格をとって「労働基準監督署」という所に勤めるか、公務員の試験を受けて「◇◇省」という所か「府庁」「県庁」「市役所」といった所に勤めるか、ともかく、「会社」でない所がいいと思ったし、「会社ちゅうところ」には勤めたくないと思ったのだ。すると、父は言いだしたのだ。「会社に勤めて働くのを嫌がる人間はモラトリアム人間という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というえらいえらい先生がそうおっしゃってる」と。そうなると、まず、何よりも小此木啓吾こそ病気のはずなのだ! 「ちょっと前まで生きていた人間」の中でどいつが最も嫌いかと言うて、小此木啓吾ほど嫌いなものはない! 小此木啓吾こそ「会社っちゅうところ」に勤めて働くのを嫌がるモラトリアム人間病であろうが! 小此木啓吾こそ「会社ちゅうところ」に勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病の患者で病人であるから「会社っちゅうところ」に勤めずに慶應大学医学部助教授などというものになって「大学」と「病院」に勤めた「精神異常者」であろうが!
    私が小学校の3年の時、向かいの家が転居してその跡地にマンションを建てるという計画を立て、マンションを建てられると日照も悪くなり(といっても、我が家は南側だったからそれほどは影響はなかったと思うが)、近隣で反対したが、結局、建ったが、その際、建築工事をおこなった工務店の現場監督が挨拶に来て「◇◇工務店の▽▽ですが」と言って来た時、父は「▽▽く~ん」と「くん」づけで相手を呼んで、「はあ!」と相手が怒りだしたということがあったが、そういう口のきき方をするのだ。息子に「・・・・かねえ」と言うのもその調子である。「会社の人」とは上役に対して問題なくつきあっていく努力も必要であるだろうけれども、部下とうまくつきあっていく努力というものだって必要ではないかと思うのだ。千葉市の某社に入社した時に見せられた「研修ビデオ」で、滋賀県の大店(おおだな)の子供の話という、なんだか花登筐の小説のテレビドラマみたいなものを見せられたのだが、まだ、大店の息子の小学生の子供にその叔父が話す場面があったが、「おまえ、大店の後を継ぐということを、なにか、自分だけ楽していい思いをすることだと勘違いしていないか」と言う。「そうじゃないんだぞ。大店を継ぐということは、ひとがしないような苦労をして、ひとがしないような努力をして、ひとがしないような我慢をするというそういうことなんだぞ」と。会社の社長というのは、社長だから得することだってあると思うが、社長だから大変な時だってあるのではないかと思うのだ。いい思いだけする者が社長になっているならば、その会社の見通しはあまり良くないかもしれない。
    そうした時、「会社の人」に対して「・・・かねえ」といった口のきき方をしたがる男というのは、それがいいのか? 向かいの土地での建設工事に来た工務店の監督は、「▽▽く~ん」と言われて怒り出したのだが、怒る人間だっていると思うのだ。「父は、会社に対しては絶対服従」とか言っていたのだが、「服従」するだけの人間を集めていたのではその会社は「長い目で見るならばハリコの虎」であって「やがて打倒されるであろう」。現実にそういう会社はあると思う。息子に「・・・かねえ」という口のきき方をする父親を見て、母が言う「この人は私を会社の人みたいに扱う」というその「会社の人みたい」という意味がよくわかった。妻というものは会社の部下とは違うし、息子もまた会社の部下とは違うはずなのだが、父は妻を「会社の部下」として扱いたがるし、息子もまた「会社の部下」として扱おうとする男だった。
    私が20代の時、父は言うのだった。「よもや、わしに無断で女とつきあうなどという甘ったれた真似をしてはおらんやろうなあ」と。「結婚ちゅうもんは大事なもんやねんで。そやからやなあ、あんたの結婚相手はあんたが決めるもんとは違うねんで。わかっとんな。チャンコロ。チャンコロが決めるものとは違うねんぞ、チャンコロ」と。「あんたの結婚相手はわしとかM川先生とかいったドイツ人が決めるものなんやで、ドイツ人が。チャンコロが決めるものとは違うねんで、チャンコロ。わかっとんねんな、チャンコロ」と。「あんたが何人か女を用意しなさい。それをわしの所につれていらっしゃい。そんで、この中でどれにしたらよろしいかとお伺いを立てなさい。そしたら、わしが、『こいつにせえ!』いうて決めてやってやるわ。その中にええのがおらんかったら『みんな、あか~ん』て言うたるから、そしたら、また、あんたが何人か女を用意せえ。そんでわしの所に連れてきなさい。そしたら、その中からわしが『これにせえ』言うたるし、ええのがなかったら、また、『みんなあか~ん』言うたるから、また、あんたが何人か女を用意しなさい」と言うのだった。「決めていりませんけど」と言ったのだが、「何をのぼせあがった口きいとるんじゃ、このチャンコロめが、このチャンコロ。つけあがるなよ、チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロ。ええかげんにせえよ、このチャンコロめが。よもや、わしを普通の人間なんぞと心得違いをしてはおらんやろうなあ。わしは聖徳太子やぞお。わしはキリストで聖徳太子でヒットラー総統やねんぞお。わかっとんのんか、チャンコロ。わしはおまえとは民族が違うねんぞ。わしはおまえとは階級が違うねんぞ。民族の違いを忘れるな、チャンコロ! 階級の違いを忘れるな、チャンコロ! このわしはドイツ人で慶應の民族やねんぞ、このわしは。おまえとは違うねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、拓殖。おまえは拓殖の民族でわしは慶應の民族やねんぞ、わかっとんのんか、拓殖、わかとんのんか、浪商! 浪商は浪商らしくしろ、謙虚になれ」と言うのだった。毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいこのように言われ続けて・・・、そして、お嫁さんなんて要らんわ・・と思うようになったのだが、これなども、父としては、「会社ちゅうところ」で「会社の人」を相手にした場合を想定していたのではないかと思うのだ。部下が会社の仕事について、何かを調査してきた上で、「こうするといいと思いますがよろしいでしょうか。他の方法を取った方がよろしいか」と上役に「お伺いを」たてるというのと同様に、「あんたの結婚相手はあんたが女を何人か用意した上で、どれにしましょうかとわしにお伺いをたてなさい」と言ったようだった。そういう発想だったようだ。「このわしは会社ちゅうところでは並みの人間とは違うねんぞ、このわしは。わしは会社ちゅうところでは特別に特別にえらいえらいえらい人間やねんぞ。おまえなんぞは、本来は、わしのお顔を一目でよろしいから拝ませていただきたいと思うても拝ませていたがくことは許されないという、わしはそういう人間やねんぞお」と言うのだったが、そういう「えらいえらい人間」が決めるものなんやと思っていたらしい・・が、息子の結婚と会社の仕事の決定は違うと思うのだが、違うと考えられないおっさんだったようだ。 その「おまえなんぞは、本来は、わしのお顔を一目でよろしいから拝ませていただきたいと思うても拝ませていたがくことは許されないという、わしはそういう人間やねんぞお」というおっさんの発言を下の姉に話したところ、「別に拝ませていらんわ、そんなもん」と言うのだったが、そうだよなあ、たいてい、そう思うよなあ・・・と思った。
    父は息子と「父と息子」という人間関係を構築する力がない人間だったのではないかと思う。だから、「会社っちゅうところ」の人間関係を息子にあてはめようとしたのではないか。 しかし、その「会社っちゅうところ」の人間関係がうまくいくとは限らない。父の部下だった人で定年まで2年を残して退職した人がいて、家にも来たことがある人で、母なども「いい人だと思う」と言っていた人だったのだが、辞める時に家に電話をしてこられたことがあって、母が「定年まで2年なら、せめて、定年までおられたらいいのと違いますの?」と言ったところ、「そうなんですけれども。私もできたら定年まではいたいと思ったのですが、もう、常務とはこれ以上はおつきあいはできませんわ」と言われたというのだ。母が「この人は私を女中さんみたいに扱う」と言い、「本物の女中さんなら怒って出ていってしまうところだけれども、嫁はどんなに無茶苦茶しても出ていかないものだから、女中さん以下に扱われた」と言っていたのだが、それは母に対してだけではなく、「会社の人」「会社の部下」の扱いにした息子に対しても、もしも、息子ではなく「会社の部下」ならば、「ベンチがアホやから野球ができん!」と言うかどうかはさておき、辞めてしまうかもしれないところを、息子は辞めることができない、たとえ、逃げても追いかけることができる、「おまえが産まれなければ良かったのに産まれたおかげで、わしはおまえをこれまで育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。これから死ぬまで働いてそれをまどてもらわんといかんのじゃ」と言って拘束することができる。「会社の部下」なら「ベンチがアホやから野球ができん!」と言うかどうかはさておき、「もう、常務とはこれ以上はおつきあいはできませんわ」と捨てぜりふ? を残して辞められてしまうということがあるが、その点、息子は何やっても、「ちゃちゃんちゃチャンコロ、ちゃちゃんちゃチャンコロ。チャンコロ、ちゃんころ、ちゃちゃんちゃチャンコロ! とってちってたあ!」と叫んで命令することができる。父は私に「わしに孝行せえよお、わしにじゃ、わしにい。すべてをわしのために捧げつく~す。とってちってたあ。わしに孝行せえよお。戸締り用心、火の用心。マッチ一本火事の元。とってちってたあ~あ!」と言い続けてきたが・・、実際のところ、疲れた。

   1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった「さくのれんこんてらちんこん」(仮名)〔女。当時、20代。北野高校→神戸大文学部卒〕が、「わたしは両親が離婚したから」と両親が離婚したということを何より自慢にしていたのだが、「父親がない娘というのはそれだけ苦労して育ってきたからだから私はしっかりしているんだ」という理屈らしいのだが、しかし、↑のようなおっさんでも、そのおっさんが毎日働きに行って毎月もらってくる給料から生活費を出してもらって成人したわけであり、その点では大いに感謝するべきであるとは思うのだが、だからといっていいことばっかりかというとそうでもないのである。 人間関係として考えると、父親がない娘に比べて、父親がある息子はいい面だってあるかもしれないが、父親があることで苦労することだってあるわけだが、ところがどっこい、「私は両親が離婚したから」とそれを何より自慢にする女はそれを理解できないのである。今から考えると、なんで、あのバカ女にあそこまでいじめられなければならなかったのかと思う。 北野高校は私にとっては「行きたいと思って行った学校」で、そうであるから合格した時はうれしかったが、卒業して何年か経って考えると、いい学校だったかどうかというと、どうも、よくわからないと思うようになった。 どう考えても、いいとは思えないところは間違いなくある・・・が、それならどこに行くと良かったのかというと、それも良く分からない。イヴァン=イリッチは『脱学校の社会』(東京創元社)なんて本を書いたりもしているが、もともと、学校というものは、完全無欠とかいうものではなく、いいところもあれば良くないところもあって存在するもので、あまりにもいいと思い過ぎない方がいいのかもしれない・・・が、それにしても、なんで、私はあのバカ女にあそこまでいじめられなければならなかったのかと思う。「私は両親が離婚したから」とそんなしょーもないことを自慢にするような女、親があればないよりも常にすべての面においていいと思っているような女は、たとえ、教諭をするにしても、「父親のない娘専門の教諭」になった方が良かったであろう。「さくのれんこんてらちんこん」(仮名)は「国語」の教諭だったのだが、日本・海外の文学でも父と子の関係を扱った作品だってあると思うのだが、読んで考えたことないのか?・・・なんて思うが、ない女が「国語」を教えていた・・のかもしれない。

   (2018.7.6.)

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