日本基督教団田園調布教会(5)バザーでの違和感。新会堂のファサードは… -【9/14】田園調布と教会

[第373回] 日本の教会シリーズ
   日本基督教団 田園調布教会 では、バザーの前日、教会の2階の押入れで寝ていたおっさん を牧師が110番通報した、ということがあったと、その牧師から直々に聞かせてもらった。 黙って押入れの中で寝ていたというおっさんも良くなかったかもしれないが、警察に言わなければならないほどのものだろうか、とも思ったのだが、そのバザーの方でも、奇妙なものを見た。
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   日本基督教団 田園調布教会は、「この漫才で田園調布に家が建つ」というフレーズでおなじみのブランド地名の田園調布にある・・・・からといって、別段、田園調布の住民だけが来ている教会でもありません。又、金持ちでなければ来てはいけないなんて規定はないし、特別の高額を払わないと礼拝に出席できないというものでもない。献金の金額は任意であり、貧乏人は自分にふさわしいと思う金額を入れればそれでいい。
   そういうものではあるのですが、実は、1980年代前半ですが、バザーに販売する側として協力していた時のこと、なんだか、変なものを見てしまったのです。実際のところ、それを見たのが「いい経験」だったのか「悪い経験」だったのかはよくわからないのですが、奇妙なものを見てしまいました。

   私は、戸建住宅建築業の会社に、特に「営業」の職種で長く勤めました。総合住宅展示場に出展して、総合住宅展示場のキャンペーンの時などは、各会社が来場者に来場者プレゼントを贈呈したりすることがあります。総合住宅展示場のキャンペーンの時でなくても、会社によって来場者に「来場記念品」を渡す会社もあります。それがいいかどうかというと、私が見込客の立場であれば、家を建てるために、住宅展示場にどこがどういうものを建てているかを見に行っているのであって、物をもらいに行っているのではないし、特にクルマで行った時はまだいいのですが、電車・バスで行ったような場合は、その会社のカタログなどは欲しいとしても、別にそこでもらわなくても乞食じゃないんだから欲しければ他で買えばいいというようなものは荷物になるので、もらいたくもないし、住宅展示場で物をもらったからということで負い目を持たされたくないと思います・・・・・が、そう思わない人もいるらしいのです。 特に、おばさんには「ものもらい」のために、住宅展示場に行くという人もいます。
    1993年、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の千葉県松戸市の展示場にいた時に来場したおばさんは、来場時から明らかに「この人は、ものもらいだ」とはっきりとわかりました。それでも、ともかく、来場した人のお宅には3日以内に訪問しろと会社から言われていましたので、しかたがないから訪問しましたが、そんな情けない「物もらい」をするおばさんというのは、スラムみたいな所に住んでいるのかというと、行ってみるとそうでもないのです。松戸市内ですが、普通の戸建住宅、特別、豪華な建物でもないけれども、今、私が住んでる家なんかよりよっぽど大きな家に住んでいるのです。もっとも、大きな家に住んでいても借家の場合もありますし、持家でもローンがある場合もあるし、逆に、小さな家に住んでいたり、借家に住んでいたとしても、だから、貧乏人とも限りません。 公営の借家に住んで、ベンツに乗ってるおっさんとかもいます・・・・が、松戸展示場に来場した「ものもらい」のおばさんは、渋谷の「麻生さんの家」に比べれば小さい家ですが、船橋市の「野田邸」と比べれば、それよりちょっと小さいくらいの家・・・ということは、世間一般から考えれば、決して小さいわけでもない家に住んでいたのです。その家もけっこう新しくて建て替える必要なんてないだろうと見ただけでわかる家でした。 なんで、こんな家に住んでる人が「ものもらい」やるんだろうなあ~あ・・・と思いましたが、そういう人なのでしょう。「ものもらい」は、営業にとっては、その「もの」は、どうせ、会社が用意した物であって営業がカネ払って買ったものではないのですが、「ものもらい」専業であって家を建てる計画なんてまったくないのに、今、建てる計画がないならないで、はっきりとそう言ってくれれば今すぐの計画はない人でも来場してもらって悪いことはまったくないのですが、「ものもらい」は、計画はまったくないにもかかわらず、そうは絶対に言いませんから、追客させられる営業にとっては迷惑です。
   1990年代後半、福島県いわき市の展示場に在籍した時に来場したおばさんは、訪問してみると、展示場に来場した時に芳名帳に記載して帰った住所は更地で、そこに「御用の方は・・・・に連絡ください」と書いてあった。 「・・・・に連絡ください」と書いてあるので、その場所に住んでいたが建物は解体して今は別の所に仮住いしているのか何かで、今、いる場所をそこに記載しているのか何かであろうと思って記載してあった所を訪ねてみると、そこにはH信商事という不動産屋の店があって、人相の悪いウルトライタリアンファッションの「見るからにチンピラ」(というのか「見るからに不動産屋」というのか)のオヤジがいて、いきなり、「なにい。この野郎」とすごんできて怖かった。 「いわき民報」といういわき地方の夕刊紙にもしょっちゅう広告を掲載していたH信商事という不動産屋でしたが、あれは不動産屋は不動産屋でもカタギの不動産屋ではないだろうと思えました・・・が、その「ものもらい」に来たおばさんは、その「見るからにチンピラ」の不動産屋のオヤジの姉だか妹だかで、自分の家の住所を書くのが嫌だから、その人相の悪いチンピラの店の住所・・・ではなくそのチンピラ不動産屋が持っている不動産物件の住所を書いていったようでした。 「ものもらい」にしても、チンピラの住所なんか書かれたのでは迷惑なのですが、そのあたりを考えないあたりが「ものもらい」なのかもしれません。 その時、そのおばさんと一緒に来たもう一人のおばさんは住所・氏名を書いて行かなかったのですが、その後ももうひとりの方は来場して「ものもらい」して帰ったようです。その時は、展示場の入口に台を置いて、「来場記念品」を景気づけに積んでいたところ、展示場に来場せず、無断で置いてあった物を持ち去ったそうで、接客しようと思って出ていったら物だけ持って逃げ去った後だったと、出ていった営業が「あの『物もらいババア』が」と怒っていたのです。そして、その営業は、「物もらいにやられてはたまらない」と言って、その「来場記念品」として(株)一条工務店が来場客に渡していたガラス製のお皿で、展示場に届いた時に割れたか、届いてから落として割れたかした箱を、展示場の入口に置くようにしましたが、そうすると、その北信商事の妹だか姉だかの知り合いの「ものもらいババア」はまた来て、割れたお皿を持って帰ったそうで、「割れた皿もって帰りやがった。ざまあみろ」とその営業は言っていたのですが、そこまですることないというのか、「どっちもどっち」というのか、実際問題としては、完全な「ものもらい」で来る人というのは割合としてはそれほど多くないし、先のチンピラ不動産屋の場合は、たとえ、チンピラ不動産屋であっても、不動産屋としての業務はしていたようですから、建築屋の(株)一条工務店の営業とは喧嘩しない方がいいはずであり、過去にそのウルトライタリアンファッションのチンピラのおっさんは自分の所が扱ってている土地をお客さんに紹介してもらって買ってもらおうと私に電話で「よろしくお願いします」と頼んでいたこともあったのであり、姉だか妹だかであれば、弟か兄が不動産屋をやっているのなら、弟だか兄だかが世話になるかもしれない相手におかしなことはしない方がいいと思うのですが、そのあたりが、ウルトライタリアンファッションのチンピラの姉だか妹だかだけあって、そういう頭がないのです。 実際に、家を建てる計画をもって展示場に行ったが、まだ、契約したわけでもないが、ハウスメーカーの人間が何かくれた、という場合はもらって帰ってもいいとは思いますが、もっぱら「ものもらい」で展示場に行くというのは、人間としてあまりにもみじめだと思います・・・・し、「コストと利益を比較衡量して考える」という経済学的思考をした場合、そんな「ものもらい」に展示場に行くなどということをするくらいなら、どこか、パートタイマーにでも働きに行って正当に報酬をもらった方がいいのではないのか、と思います・・・・が、そう考えずに「ものもらい」の方を選ぶあたりが「ものもらい」なのでしょう。
   住宅展示場に行って「ものもらい」やる人というのは、顔つきというのか、特徴があるように思います。 「ものもらい」やっているおばさんは、一度、自分の顔を鏡で見てみた方がいいと思います。 「ものもらい」やっている人というのは、そうではない人と違った顔をしていますから。 おのれの人間性を貶めるようなことはやめた方がいいと思います。

   キリスト教の教会では「来場記念品」なんて誰にも渡しません。 教会の「週報」ならもらえるかもしれませんが、そんなものでしょう。『聖書』や『讃美歌』は持っていない人には貸してもらえるかもしれませんが、持ち帰ることはできません。
   しかし、バザーの時には、けっこういいものが安い値段で売りに出されます。 会社である程度、出世した人、特に会社で売る立場ではなく買う側の役職についた人は、業者さんからお中元・お歳暮などけっこうもらったりするのではないかと思います。 医者屋やってる人なんてのは患者からもらってりもするでしょう。 そういえば、1990年代前半、法務省で警備員の仕事をアルバイトでやった時、「元 田中角栄の秘書」だというなんか怖そうな風貌のおっさんが、毎度、「虎屋の羊羹」を持って来ていましたが、「虎屋の羊羹」てのは、なぜ、「虎屋の羊羹」でないといけないか、わかりますか? なぜ、「鶴屋義信の羊羹」ではだめなのか。 実は、「虎屋の羊羹」には、他の羊羹屋の羊羹よりもひと回り大きいサイズの羊羹があるのです。なおかつ、それを桐の箱に入れた商品がある。 ということは、その桐の箱入りの羊羹ですと、「ちょうど、1万円札の大きさ」になる・・・ようなのです。で、その「元 田中角栄の秘書」のおっさんが法務省の誰やらにも持ってきていた「虎屋の羊羹」に1万円札がくっついていたのかどうかは知りません・・・が、「越後屋、ヌシも悪よのお。いっしっし」「いえいえ、お奉行さまほどではおじゃりませぬ。うっしっし」なんてことをやっていたのかどうかなんて知るわけないのですが、まあ、ともかく、「袖の下」とかいうほどではないとしても、会社のある程度以上の役職についた人とか医者屋やってる人とかですと、お中元とかお歳暮とかをもらうことはあると思うのです。 ちょうど、もらうといいものをもらえばありがたいのですが、自分には必要ないものをもらうこともあれば、何軒かで同じものをもらって使いきれないということだってあるのではないかと思います。 そういう時に、教会に来ている人なら、教会のバザーにそのもらいもので自分は使用することはない物を出品して、買ってくれた人の代金は教会の運営費にする、ということをすれば、物自体は悪い物ではないのですから、買った人には百貨店やスーパーよりも安い価格で変えてお買い得ですし、教会にとっては運営費用になります。
   何も、桃太郎侍に成敗されるような羊羹でなくても、私だって、(株)一条工務店におりました時には、上棟の時、お施主様から引き出物としてけっこういい物をいただきました。酒をいただいたこともありましたが、私は酒は飲まないので、それは飲む人にあげました。業者さんから、営業所にお歳暮とか送られてくることもありましたが、そういう物は営業所の人間で分けていただきました。〔千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕にいた時には、会社に業者から贈り物が来ると、すべて、社長が持って帰っていたので、この人はこういうことをするんだなあ、と思って見ていました。社長の自宅に送られたものなら社長が自分の物にすればいいでしょうけれども、会社に届けられたものは、宛名が会社宛てのものでも社長宛てのものでも、従業員に分けるものではないかと思いましたが、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川は、社長の名前宛てで届いた物も会社宛てで届いた物もどちらの物も自分が持ち帰っていました。なんか、しみったれた男だなあと思ってみていたら・・・そのうち、倒産しました。〕 だから、お中元なりお歳暮なり、もしくは上棟の際にお施主様からいただいたりしたとしても、必ず、悪代官だというわけではありません・・・し、かわりに悪者が娘を手籠めにしたのを見逃したとかいうことでもありません(^^)/ 
   母が行っていた大阪府の教会あたりですと、バザーで自分が使えない物を出品して、他の人に買ってもらい、逆に他の人が出品した物で、自分が欲しいと思っていた物があれば買う、ということをお互いにやっていたようで、それは悪くないと思います。 しかし・・・・。
   私が、田園調布教会で、私自身は大学生でしたから出品するような物は持ちませんが、売る側の役割で協力したことがあったのですが、その際、普段、礼拝に来ている人達とは明らかに服装も違えば顔つきも違うというおばさんが来て、目の色を変えて、販売されている物品を見てまわっているのを見ました。 明らかに、普段、礼拝に来ている人達とは層が違う人でした・・・・といっても、普段、礼拝に来ている人は、すべての人が「この漫才で田園調布に家が建つ」と言われる「天下の田園調布」の住人ということではないし、すべての人が金持ちとか社会的地位がある人というわけでもないし、貧乏人が田園調布の教会に来て悪いことはないし、貧乏人が礼拝に来て悪いとは誰も言ってないし、牧師は「大口のお客さん」「太客(ふときゃく)」が来たと思うと風をまいて飛んでいくかもしれないけれども、その牧師屋はその程度の人間なんだからそんなヤツは放っておけばいいことだし・・・、「普通の街」に住んでる人もいるし、賃貸の家に住んでる人だって来ていたでしょうしするのですが、それでも、やっぱり、普段、礼拝に来ている人達とは明らかに違う服装をして明らかに顔つきが違うおばさんが来ていたのです。バザーだけ来るというのはお断りなんて言ってません。たとえ、バザーの時だけ、教会に来るという人だって、それでも、教会に行こうと思ったのなら来て悪いことはないのです。 キリスト教の信者でもない人で、普段、教会に行こうなんて考えたこともない人が、バザーに行くと、けっこういい物を安く買えるということで教会に行って、それが縁で教会の礼拝に出てみようという気持ちになるのなら、それは大いにけっこうなことでしょうし、バザーで安く買ってかえっただけで、別段、教会の礼拝に行こうなんて気持ちにはならなかったとしても、それならそれで、別にいいでしょう。 私は、小学生の時、同級生で親が天理教の指導者(どういう名称なのかわからないけけれども、お寺で言う所の住職、お坊さん、神社でいうところの宮司さん、教会で言うところの牧師、伝道師、司祭、宣教師といった宗教を職業としていた人)の子供がいてけっこう仲が良かったのですが、年に一度、天理教の本部に天理教の人がバスで行く行事に連れていってもらったことがありましたが、天理教の本部にあったプールに入れてもらって、その同級生と一緒に大喜びで遊んで帰ったということがありましたが、だからといって天理教の信者になるということはありませんでしたし、それに行ったからといって天理教に入れなどとは一言も言われなかったけれども、楽しく過ごしてきたことが記憶に残りましたので、新興宗教の団体の問題が世間で言われても、天理教はそんな「危ない新興宗教」とは別だとずっと思ってきました。だから、教会の近所の人で、キリスト教の信者でない人でも、あるいは、ちっとも近くの住人ではないけれども、バザーでいい物を安く買えると思って買いに行く人でも、それが縁で、ともかく、教会という所に足を踏み入れる経験を持ち、教会について何らかの記憶が残るのならば、それはそれでいいのではないか、と思います・・・・が、それにしても、あの時のあのおばさんの目つきは忘れられません。 あのおばさんは、どういう所に住んでいてどういうことを普段している人だったのでしょう。 教会のバザーに猛獣のように押しかけるおばさんというのは、大企業の役員やってるダンナの嫁とかではないと思いますが、だから、貧民窟の住人とは限りません・・・・が、田園調布というのは、「この漫才で田園調布に家が建つ」と言われるブランド高級住宅地・・・かもしれないけれども、そこからいくらか離れれば、「普通の人」が住む「普通の街」がいくらでもある場所ではあるけれども、山谷か釜ヶ崎みたいな街が近くにある場所ではないし、そんな『あしたのジョー』の舞台になった山谷のドヤ街みたいな所は近隣にはないと思うのですが、あのおばさんはどこから来たのでしょうね・・・。 来て悪いということはないし、おばさんは購入する時はきっちりとお金を払って買っていたのですが、それにしても、何とも異様な光景を見ました・・・・。

    ところで・・・・・、
 ↓のファサードですが、何かに似ていませんか?
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  多くの人間が思っていながら言わない・・・というものってありますよね。 東京カテドラル聖マリア大聖堂なんて、竣工時から雨漏れしたというが、まず、天窓部分がガラスを中央部を低くして作ったて、そんなことしたら、中央部に水がたまって漏るのは最初からわかっとるだろうが、アホちゃうか!・・・て建築屋は思うわけですが、「世界の丹下」の名前に気兼ねして言わない「建築家」が多いみたいです。言わないだけでなく、「世界の丹下」とかいう名前を出されると、パブロフの犬みたいに反応して、なんとかほめにゃならんと必死になる・・というなんかしょーもないおっさんが続出するようです。それをほめておけば、自分も「世界の丹下健三のエピゴウネン」として評価されるのではないか、とあさましい根性もってるのかもしれません。 さらに、「上から見ると、十字架の形になるように作られている」と言うのですが、「上から見ると」て誰が見るんだよ、誰が! カラスでも見るのか? カラスならまだいいのですが、戦中、白っぽい外壁の家は目だって敵機からの攻撃を受けやすいと言われて泥を塗ったりしたといい、さらに、厚木基地なんかに帰還する戦闘機は富士山を目安にして航行したとか言われますでしょ。もしかして、上空から東京を見た時に、あそこが文京区関口だとわかりやすいように、上空から見て「×」の印に見えるような建物を、某国の諜報機関の指示で作った・・・・てことかどうか知りませんが、なんか、そうであってもおかしくない建物だと思いませんか? 自称「建築家」てのは思考が堅いので、こういう思考はできないのです。できるのは「世界の丹下」とか「世界の磯崎」とか「有名建築家 槇文彦」とか言われると、パブロフの犬みたいに反応して、せっせと称賛する・・・という毎度ばかばかしいお笑いの態度をとることだけです。そういう態度をとって、それで、おのれも「丹下健三のエピゴウネンのエピゴウネン」みたいにならせてもらおうなんて考えてるみたいです。「バッカじゃなかろかルンバ♪」て思いますが、そういう自称「建築家」が多いこと多いこと・・というか、それが、自称「建築家」の職業病みたいです。
  1988年、南海ホークスが身売りしてダイエーが買い取り、1989年に福岡ダイエーホークスができた時、三宅一生のデザインだという、カラスみたいなペンギンみたいなユニフォームが作られたのですが、その際、漫画家の やく みつる が、「誰もが三宅一生の名前に気兼ねして言わないようなので、私が言ってやる。 『だっせぇ~え!』 」と書いていたのを見ました。 私自身、なんじゃ、こりぁと思ったものについて、ブログで述べたものもあります。 茨城県つくば市の つくばエクスプレス「つくば」駅の前にある「世界の磯崎新(あらた)」が設計した「ポストモダンの集大成」なんてぎょうぎょうしいフレーズのつく「つくばセンタービル」てのがあって、その中の商店街はシャッター閉めの店だらけ、駅の目の前であるにもかかわらず閑古鳥が鳴いているのに対して向かいの「普通の人」が設計した「普通の商業ビル」はひとがいっぱいはいっているのですが、その「つくばセンタービル」の「ノバホール」(イタリア語の「ノバ」と英語の「ホール」をくっつけたようですが、日本語に訳すと、「新会堂」「新講堂」「新会場」とでもいったところでしょうか。英語なら「New Hall (ニューホール)」)ですが、どう見ても、「納骨堂みたい」です。 私は嘘は言いません。疑うなら見に行ってみてください。本当に「納骨堂みたい」ですから。「世界の磯崎」て人は、納骨堂をイメージして「つくばセンタービル ノバホール」というのを設計したのだろうか・・・・て気になります。
   最近、立方体か直方体みたいな建物を建てたがる「自称 設計士(さま)」なんてのがいるみたいですが、公衆便所と交番で、けっこうそういう建物ありますでしょ。 ところが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区。 社内公用語は大阪弁〕https://www.freedom.co.jp/ といういいかげんな建物を設計している設計会社(しろうと集団)があるのですが、そこが「箱、はこ、ハコ」のデザインしかできない会社で、街を歩いていて、公衆便所と交番をみて「フリーダムアーキテクツデザインの家みたいや」と思ったわけです。公衆便所と交番が「フリーダムアーキテクツデザインの家みたい」ということは、逆に言えば、フリーダムアーキテクツデザインの家というものが「交番みたい」であり「公衆便所みたい」でもあるわけです。それで、思った通り、「公衆便所みたい」とブログに感想を書いたわけです・・・が、すると、フリーダムアーキテクツデザイン(株)から、「信用棄損になる」と文句を言われたのです・・・・・が、そんなこと言ったって、実際、「便所みたい」じゃねえかよお! おのれの造形力の貧困さを棚にあげて、ひとの言論を封じようとは、盗っ人猛々しいというのか、インターネット上のホームページとかに「入居者様の声」とかいって、いいことだけ書いてもらって発表して、批判は封じるというのは、それはファシズムのやり口であり、「善良な市民」としては認めるわけにはいきません。だから、ここでも言っておこう。「フリーアムアーキテクツデザイン(株)の設計した家は『便所みたい』な家が多い」と。悔しかったらそうでないもの、作ってみやがれ。
    ↑の日本基督教団 田園調布教会 の建物ですが、「鎧を着たみたい」であり、「甲羅をかぶったみたい」で、なぜ教会が鎧を着る必要があるのか、なぜ教会が甲羅をかぶる必要があるのか、と思いました。思いませんか? 「倉庫みたい」とも思いませんか? インターネットで検索しても見れると思いますが、横浜とか函館とか小樽とかいった港町には今も↑のような倉庫建築がありますでしょう。 なぜ、教会を倉庫にしたがるのか? な~んか、この教会堂を設計した設計者の考えることはようわからんな。 で、1969年に両親が大阪府で新築した家に前からの知人を招いた時、そこの娘(私と同年齢)が向かいの家を見て「顔みたい」と言ったのです。向かいの家は鉄筋コンクリート造で、2階の両側に窓があってそれが眼、中央部に鼻とも見える上下のラインが入っていたのです。なるほど、言われてみると「顔みたい」なファサードの家でした。 で、↑の日本基督教団 田園調布教会のファサードですが、何かに似てませんか? 2階の中央部の円筒は、鼻みたい ですね。しかし、3階建で3階の両側に大き目の窓があるとそれが眼で中央に鼻があって、1階の中央の玄関部のへっこみが口と考えることもできますが、眼がないので顔とは違いますね。 もう、気づきましたでしょ。 1階の中央部のへっこみをはさんで1階の両側は左右の足ですよ。 となると、2階の中央にあるのは、当然、あれですよ、勃起した男性のいちもつ。 そう見えるでしょ。 要するに、この建物のファサードは、男性の股間をイメージしたものなのです。 言ってしまいましょう。「ち〇ぽ みたい」・・・・。 なんで、この建物の設計者は、教会のファサードを「ち○ぽ みたい」にしたがるのでしょうね・・・。 もし、けしからん と怒る人あったら、私に怒らないで、これを設計した人に怒ってください。私が「ち〇ぽみたい」にしたのじゃないですからね。そうでしょ・・・。

   ついでに。 この際、もうひとつ、思ったこと、言っておこう。 牧師って、田園調布調布の駅から徒歩5分なんてそんなけっこうな場所で戸建の住宅なんて社宅に用意してもらえて・・・いいよねえ♪・・・。 私ら、今まで勤めた三流企業でそんなけっこうな社宅を用意してくれた会社なんて、ないよ。 俺も、牧師になればよかったかな。 やってることと言えば、 「牧師説教」と称して、日曜ごとに、どうでもいいようないいかげんな話をぐじゃぐじゃ適当に言っておけば、後は、「太客(ふときゃく)」のばあさんが来ると、「ああ~あ、◇◇すぁああ~あん」と言って風をまいて飛んでいく。そんなもの。重い物を持たされて腰いためるなんてことないだろうし。高い所に登らされて落下するとか、重機がつってる鉄の塊の真下で作業させられるとかもないだろうし。不潔なものさわらされることもないだろうし。 たいてい、部屋中で仕事できるし。 礼拝堂なんてのも冷暖房完備じゃないのかな。 ら~くな仕事。 で、給料だって、「飛雄馬、あの夜空に輝く東京海上火災という星座の中でひときわ輝く星になれ」「東京海上火災のために。その1.その2・その3」「東京海上火災養成ギプスだ」とか言われて東京海上火災に入社して出世した人間・・・とかと比較してどうかはさておき、わたしらよりもずっといいだろうし。 でもって、大学と言えば、東大とか京大とか出なくても、トーシンダイ(東京神学大学)とかでいいわけだし。 ええ仕事やなあ。わしも、牧師になれば良かった・・・・。 うらやましいなあ、ほんまに。 だいたい、「牧師説教」て、普通は「説教」てのはカネを払う側の人間がカネをもらう側の人間にすることであって、カネをもらう側の人間がカネを払う側の人間に「説教」できるやなんて、牧師くらいのもんちゃうか。 私ら、高校3年の時、父親は「そんなもん、大学は、東大・京大でなくても、国立大学か、せいぜい、慶應か早稲田くらいなら行けばいいけれども、そんなもん、しょーもない、ポン大だのキン大だのなんて、そんな大学みたいなもん、行くことあらへん。そんなやつ、自衛隊に入れたったらええねん」と言っていたし、私が高校を卒業する年に東大を落ちたところ、「高校は義務教育じゃない以上は高校は行くべきじゃないのにからに、おまえが北野高校に行ったのは余計じゃ。甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ。おまえは高校みたいなもん、行かんでもええんじゃ、チャンコロ。ましてや、おまえは大学みたいなもん、行くべきじゃないんじゃ、このチャンコロめが、このチャンコロ」と毎日毎日言われたものだった・・・が、その基準から考えるならば、トーシンダイみたいなもん、行くやつなんて、間違いなく、高校行ったのは余計だし、義務教育であろうがなかろうが、トーシンダイみたいなもん、行くやつなんて、中学校行ったのは余計じゃ! ということになる・・・・が、そのわりに、そのトーシンダイとか出て牧師屋になっておっさんて、ええ生活してるんだよね。 わたしらよりもよっぽど、「高給優遇」されている。 なんか、俺もトーシンダイ行ってやればよかったかもしれん・・・て感じがする。 牧師なんて、どうせ、たいしてやることないんだから、せめて、時間のある時に植木くらい刈ったらどうか、じいさんの牧師ならともかく若造のくせしてからに骨惜しみする男じゃのお・・とか思ったりするのだが、↑刈る気ないみたいだし。殿様商売とはこのことか・・・て、けっこう思ってる人あるのではないかな・・・。

  次回、10.日本基督教団田園調布教会(6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html

   (2018.6.1.)


☆ 田園調布と田園調布の教会
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_2.html
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_4.html
5  日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_5.html
6.  同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_6.html
7.  同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_7.html
8.  同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_8.html
9.  同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい 〔今回〕
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_12.html
13.カトリック田園調布教会と聖フランシスコ修道院 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_14.html


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