日本基督教団田園調布教会(2)跳返す素材、重厚な外観。セコム、必要ですかー田園調布と教会【6/14】

[第370回] 日本の教会シリーズ
   建物の外観イメージとして、私は、
(1)「重厚な外観」と「軽快な外観」があり、
(2)建物の外壁素材として「イメージとして、はねつける素材」と「イメージとして、吸いよせる素材」があり、
(3)「堅固に守るイメージの素材」と「守ろうというイメージを特に与えない素材」
があると思うのです・・・・が、前回述べた(1)に続き、今回は(2)(3)について述べます。

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( ↑ 日本基督教団 田園調布教会 「ファサード(façade)」 )

  (2) 「人を吸い寄せる外壁の素材」と「人をはねつける外壁の素材」と言いましても、実際に磁石が鉄を吸い寄せるように人を吸い寄せるわけではありません。 しかし、実際問題として、「人をはねつける印象を与える外観」「人をはねつける印象を与える外壁材」というものはあると思うのです。私がそれを思ったのは、東京都文京区関口にある東京カテドラル関口教会の丹下健三設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂を見に行った時に、遠くから見ても、「あれだ」と分ったけれども、なんだか、「はねつけるような外観」、いわば、私が20歳の時、父が大阪市南区(現在は中央区)の宗右衛門町にあった「高級料亭」のHに連れていってやってやってやってやってやると言うので、私は行きたくないと言ったのですが、あまりにもしつこくて根負けして行ったところ、「ここはなあ、およそ、おまえみたいなもんが入ってええ店とは違うねんぞ。わかっとんのんか、おまえは。この店はなあ、わしのようなえっらいえっらいえっらいえっらいえっらいえっらいえっらいえっらい人間だけが入ることを許された店やねんぞ。おまえみたいなチャンコロが入ろうとしようものなら、『出て行ってちょうだいんか』と言われてつまみだされるぞお~お。わかっとんのんか、チャンコロ。ここはわしのようなドイツ人だけが入ることを許された店やねんぞ、わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロッ!」と何度も何度も言われたもので、そんな店、入りたくもないわ! と思ったものでしたが、「世界の丹下健三」が設計された!!!! という東京カテドラル聖マリア大聖堂 を見た時、同様の気持ちになったのでした。 「ここはなあ、元首相とか世界の丹下とかそそういうえっらいえっらいえっらいえっらいえっらいえっらい人間だけが入ることを許された教会やねんぞ。おまえみたいなチャンコロは入ろうとしようものなら『出て行ってちょうだいんか』と言われてつまみだされるぞお~お」と言われそう・・・・という印象を受けて、そして、ここは私みたいな「チャンコロ」の行く教会とは違うんだなと感じたのでした。もっとも、東京カテドラル聖マリア大聖堂になぜ行ったかというと、愛知産業大学の通信課程の建築学科で「現代建築論」という課題のレポート作成のため、現代の建築家3人を選んでその3人の作品2つ以上を見学した上で、それらの特徴を述べよという課題のレポート作成のために行ったので、「つまみだされそう」という印象は受けたものの、だからといって引き返すわけにもいかないので、東京カテドラル聖マリア大聖堂の受付に行って、「すいません。こちらを見学させていただきたいのですが」とお願いしたところ、「ここはなあ、おまえみたいなチャンコロが立ち入っていい教会とは違うねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。ここはわしのようなドイツ人だけが入ることを許される教会やねんぞ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ!」と言われたかというと、そうは言われず、「どうぞ、どうぞ」と言って見学させてもらえたのでした・・・が。
※ 東京カテドラル聖マリア大聖堂については⇒
(建築家+建築屋)÷2 〔より正確には (49×建築家 + 51×建築屋)÷100〕 のブログ(1) 《「建築家」と「建築屋」と「建築士」はどう違うのでしょうか??? 〔引っ越し掲載〕 》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201101/article_3.html  参照。
   東京カテドラル聖マリア大聖堂の神父さんは、別に、「ここはなあ、元首相とか世界の丹下とかそういうえっらいえっらいえっらいえっらい人間だけが入ることを許された教会やねんぞ。おまえみたいなもんが入ろうなどとすると、『でていってちょうだいんか』と言ってつまみだされるぞお~お」とは思っておられないかもしれませんが、しかし、丹下健三設計という竣工時から雨漏れしたという東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、威圧感がある建物であるとともに、な~んだか、人をはねつけるような印象を受ける建物です。 どうも、この「世界の丹下健三」という人の設計した建物というのは、丹下健三の死後にできた丹下都市建築設計による新宿のコクーンタワーにしても、なんだか、でっかい文鎮が空からドゴ~ンと降ってきて突き刺さったみたいな威圧感があって、そして、「『アイ アム ナンバーワン』て感じでハルク=ホーガンやらないと気がすまない建築」、「その場所の自然がどうか、先住建物がどうかなんて考えてたまるか建築」「いついかなる時も自分が設計の建物が一番目立たないと気がすまない自己顕示欲の塊建築」というなんとも悪趣味なものですが、その「自己顕示欲の塊建築」「自分の建物が一番めだたないと気がすまない建築」しか作れない人のようなのです。いまひとつ、精神性が高くない、言うと怒る人もいるかもしれませんが、「精神的に未成熟な印象を受ける建築」ばっかりのように思えます。教会堂の設計を依頼するにはふさわしい人ではないような気がします。 たとえば、ウィリアム=メレル=ヴォーリズなんかは、「建築家」でもあるとしても、キリスト教の伝道者であり、ヴォーリズの設計による建物は丹下健三のような「おどろおどろしい建築」はないけれども、「キリスト教の教会堂として使える建物」であり、そして、「優しい建物」だという印象があります。ブルーノ=タウト『日本美の再発見』(岩波新書)では、ブルーノ=タウトは桂離宮について、そこには高い精神性が見られることを指摘しています。そのあたりが、「世界の丹下健三」には「おどろおどろしい建築」の要素はあっても、「高い精神性」は期待しても無駄で、どうも、おごりたかぶったような印象、いわば、「ここは、わしのようなえっらいえっらい人間しか入ってはいかん所やねんぞ。おまえなんかは入ってはいかん所やねんぞ」と言っているような、そんなイメージを与える意匠が多いように思えてなりません。
   遠藤周作『聖書の中の女性たち』(講談社文庫)には、
≪  その頃、カファルナウムの町からふしぎな人が来るという噂が町中に拡がりはじめました。そのふしぎな人はキリストとよばれ、弟子たちと共に町から町を歩いて神の教えを説いている説いている問い合わせう話でした。その人の教えは今までの学者や司祭の言葉巧みな説教とちがって、なにか燃えるような烈しい炎、強い力があるという噂でした。・・・・
   神殿の前の広場にはもう沢山の人々が集っています。女は人々の肩ごしにそっと中を覗き込みました。
   ・・・・・
   女は庭の片隅に忍び込んで、そっと中を覗こうとしました。
「何をしているのだ」この家の下男が彼女を見とがめて声をかけました。
「お前などの来るところではない」
しかし女は聞こえないふりをしてキリストのうしろに近づきました。
「出ていかないと痛い眼にあわすぞ」
   荒々しく追いかけてきた下男たちの声にキリストは背後をふりかえり、自分の前に悲しげにたっている女の顔を見ました。突然女の顔から大粒の泪があふれ、真珠の粒のように一滴一滴、彼の足をぬらしたのです。この熱い泪からキリストは女の悲しかった過去、みじめだった人生を理解したのです。
「安心するがいい」彼の唇から力強いその一言が洩れました。
   これはルカ聖福音書、第七章、三十六節にある一人の売春婦の話ですが、もちろん、聖書の中にはぼくが解説したものと少し違った部分があります。しかし、そういう違いは大した問題ではない。この話の中で・・・・・≫
( 遠藤周作『聖書の中の女性たち』講談社文庫 )
   やっぱり、教会堂の建物というのは、人がそこに吸い寄せられるような意匠、人が何気なしにそこに入りたい気持ちになるような意匠でないといけないのではないか。 人をはねつけるような意匠では好ましくないのではないか。 東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、上から見ると十字の形が見えるようになっている・・・というのですが、いったい、誰が上から見るのか? カラスか? もしかすると、米軍機のパイロットが上から見て目印になるようにできているということか?↓

   ともかく、東京カテドラル聖マリア大聖堂というのは、なんだか、はねつけるような外観です。そして、東京カテドラル聖マリア大聖堂ではステンレス鋼を外壁材に使用したらしいのですが、ステンレス鋼というのは、外壁材として使用すると、どうも、「はねかえす」印象を与える素材のように思えます。「世界の丹下健三」、「姓は丹下、名は健三」」という方は、「なんか、有名」て感じですが、人によっては「丹下左膳」と一緒くたになっているような人もおり、「丹波哲郎」と一緒くたになっているみたいな人もいるようですが、どうも、ステンレス鋼という素材は外壁材として使用すると、「はねかえす」というイメージを与えてしまう、といったそのあたりについての配慮をしようという姿勢が欠落している人のように思えてしかたありません。
   その考え方で、↑の田園調布教会の外観を見てください。どうでしょうか。 どうも、私は前の教会堂の方が好きです。前の教会堂の方が、「招き入れる」印象を受ける外観デザインだったように思うのです。前の教会堂に比べると、↑の今の教会堂は、東京カテドラル聖マリア大聖堂ほどではなく、「はねつける」とか「追い返す」とかいうほどではないけれども、どうも、「招き入れる」「吸い寄せる」ような外観デザインではないように感じたのです。・・・どうでしょうか。そう思いませんか?

   なお、蛇足かもしれませんが、今、カトリック東京カテドラル関口教会のHPhttp://cathedral-sekiguchi.jp/  の「関口教会について」http://cathedral-sekiguchi.jp/aboutus/ を見ると、そこに「主任司祭挨拶」があって、西川神父のお写真が掲載されているのですが、なんと言いましょうか、板垣退助みたい・・というのか、聖徳太子みたいというのか、亀仙人=無天老師さまみたい・・・というのか(・・ホームレスみたいというのか・・・)、なんか、そんな感じのお髭をたくわえておられるのですが、ありぁいったいなんだろう・・・・。 やっぱり、神父とかいうと、「普通じゃない格好」をしないといけないのかしらん。 金正恩なんて、「最高指導者」になる前は普通の顔だったような気がするのですが、髪形にしても、「なんか、普通とちゃう」て恰好して、カリスマ性をかもしだそうということなのか。 東京カテドラル関口教会の神父さんが、板垣退助か聖徳太子か無天老師さまか(ホームレスか)みたいなお髭をなさっているのも、カリスマ性をかもしだそうということなのか・・・・。 なんか、ようわからんな・・・・。

(3) 「堅固に守るイメージの素材」と「守ろうというイメージを特に与えない素材」という視点で考えると、↑のレンガ調タイル張りの外観というのは、相当「堅固に守る」という印象を与えます。
   そもそも、教会というものが、何らかの外敵から強固に守るという必要があるのでしょうか。↑のような「要塞のような建物」、「外敵に甲羅を向けて内部を守ろうとする建物」を建てたいと考えた人というのは、どういう思想の人だったのだろう、どういう発想の人だったのだろうか・・・などと考えます。 前の教会堂はそのような建物ではなかったように思うのです。 どうでしょう。 ↑の外観を見ると、なんだか、内部に爆発物でも貯蔵しているのか、それとも、貴金属でも収蔵しているのか・・・? なんて思いそうな外観です。
   ・・・・なんて思っていますと↓
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↑ 扉の左上のあたり、なんか、シールが貼ってありますよね。 何でしょう。その部分を大きくして見てみましょう。↓
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↑ 「セコム」・・・・・。 そんなに「外敵」から襲われる教会なのでしょうか。

↑ 「旗」マークの位置に「セコム」のシールが見られます。
   もう片方の側面を見ると、地下に車庫が設けられたようなのですが、そこにも同じシールが・・↓
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↑ 「セコム、してますか」・・・・。
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↑  やはり、「旗」マークの位置にセコムのシールが見られます。
教会がセコムに入っては絶対に悪いとまでは言いません・・・・けれども、しかし、やっぱり、なんだか、違和感を覚えるのも事実です。 いったい、どんな外敵が襲って来るのでしょうか。 教会がセコムに入ってはいけないとまでは言いませんが、しかし、教会という施設に「セコム」のシールが貼ってあるということに違和感を覚えるのは私だけでしょうか。 そうではないように思うのですが、どうでしょう。 セコムに入ろうと考えた人、こういうことを考えて検討した上で、やむをえないと考えてセコムにはいったのか、そうではなく、そんなことちっとも考えたこともなくセコムにはいったのか、どちらなのでしょう。 私はそのあたりを知りたいような気がします。

   ところで。 このブログを見て下さいているあなた。↑の「セコム」シールを見て、セコムは「悪い人」から自分を守ってくれる・・・と感じましたか? それとも、自分を「悪い人」だとして攻撃してくると感じましたか?・・・・
   「セコム」の場合は民間企業ですから、契約してセコムに依頼した人とその人の建物を守るわけです。ですから、もしも、その建物に「侵入」しようとした場合、不法に侵入した者は「セコム」から攻撃される対象になるでしょう。そこが警察とは違います。 警察て、あなたを守る存在だと思いますか?  それとも、あなたを攻撃する存在だと思いますか?  自分は私はわずかなスピード違反とかは別として特別に悪いことはしていないし、今後もする予定はないから、警察は自分を守ってくれる存在だ・・・なんてアホなこと考えていませんか?  そうじゃないんですよ。 彼らは国民の個人情報を集め、統制することを目的とする存在であって、あなたを守るために存在しているものではないのですよ。 自分は特に悪いことはしてないなんて思っても、暴漢みたいなやつに襲われてそれを防ごうとした・・・とすると、それだけで、その「暴漢みたいなやつ」の方はおとがめなしで、防ごうとした動きだけでも、暴行罪・傷害罪に問われるのですよ。警察は基本的には加害者の味方なんですよ。

   日本においては、神社というのは、有名で、史跡となっていて、国宝・重要文化財といったものがある神社の場合、入口で拝観料を求められる神社がありますが、そうでない神社は、たいてい、誰でも敷地内に入ることを認めてもらえます。 ですから、私なども、街を歩いていて、ちょっと休憩したいなんて思った時に、神社の境内で休むなどということをします。 それに対して、お寺の場合は、有名で、史跡とか名所とか言われるお寺の場合、入口で拝観料を払えば誰でも入れてもらえるお寺や、本山のお寺などですと、たとえば、西本願寺などのように拝観料を払わなくても誰でも入らせてもらえるというお寺がありますが、しかし、末寺の方のお寺、もしくは、末寺ではなく、その宗派の格付けとしてはけっこう上の方に位置しているお寺でも、本山とかではなく、名所旧跡でもないお寺の場合は、そのお寺の檀家さんなら入れてもらえるとしても、そうではない一般人がお堂や庭を見学したいと思っても断られることが多いのではないかと思います。 あそこ、どうなってるんだろうなとか思う場合もあるのですが、そういう際、見学できるお寺なのかそうではないのか、判断に迷う時もあります。 お寺の場合、本尊が骨董品的価値があるというような場合、骨董品泥棒の被害にあう危険もありますが、新聞を見ていると、住職も高齢になり、これ以上、本尊を骨董品泥棒から守る自信がないと言って国営・公営の美術館に本尊を預かってもらえないかと言って来る住職があるという話がでていました。美術館としては「仏像はお寺にあるのが本来」だと言って断ったが、断っても断っても、住職は「そう言われても、もう、これ以上、大事な本尊を守る自信がない」と言って懇願した、という話を見ました。 上野の東京国立博物館の入口を入って左側の建物で、広い部屋に机に載るくらいの大きさの仏像が大量に並んでいるのを見た時は、どうも、異様な印象を受けました。やっぱり、仏像というものは美術館・博物館にあるべきものではなくお寺にあるべきものではないかと思います・・・・が、本山とか有名社寺であるならば、防犯にも力を入れることができるでしょうけれども、それほど規模も大きくない、本山とかでもないというお寺の場合、骨董品泥棒から本尊を守るといっても限度がある・・・ということで、お寺にはイミテーションを置いて、本物の本尊は国立・公立の美術館で預かってほしい、と考えるお坊さんもいるらしい。 キリスト教の教会においても、そういう美術品としての価値が高いものがあるという教会の場合、セコムなりそれ以上のものに依頼して警備するというのはわからないことはありません。しかし、この教会、いったい、何があるのでしょうか。 何か、隠匿物資でも持っているのか??? もしかして、「教会」は表の顔で実は某国の諜報機関の出張所であって・・・・なんてことがあるかないか知りませんが、教会が「セコム」を頼んでは絶対に悪いとまでは言わないけれども、どうも、違和感を覚えます。 ヨーロッパの文学者の小説を読むと、人生において、何らかの決断を求められたような人が、教会堂を訪れ、そこで神に祈りを捧げて考えるという場面がよく出てきます。ヨーロッパの教会というのは、サン=ピエトロ寺院にしても、ミラノ大聖堂にしても、ロンドンのセント=ポール寺院にしても、パリのノートルダム寺院にしても、ルルドのシュペリウール寺院にしても、誰でも、いつでもそこに入らせてもらうことができます。イタリアのサンレモで、教会堂に入るのに入館料を求められた教会がありましたが、入るのに入館料を求められる教会は少数派で、屋上に上がるとかは有料でも、教会堂の内部に入るのは、たとえば、女性はあまりにも肌を露出した服装はだめとかいったことはあっても、その教会の会員でないと入れないという教会は、今まで見たことがありません。 しかし、日本においては、東京都文京区のカトリック関口教会は、「世界の丹下健三」設計の教会堂を見学したいという人が多いからか、誰でも見学させてもらえますし、御茶ノ水のニコライ堂は、最近では有料で教会堂の内部を見学させてもらえるようになったらしいのですが、礼拝に参加したいということなら、誰でも参加してもらってかまいませんという教会は多いとしても、教会堂にて神と対話したいので教会堂でしばらく過ごさせてほしいという希望の人を受け入れるかというと、それは認めない教会が多いのではないかとと思います。
   しかし、私は、カトリックの幼稚園に行き、小学生の頃にはプロテスタントの教会の「教会学校」という所に通い、その後、成人向けの「礼拝」に参加したこともあり、建築探偵団としては教会建築は「研究」対象としてきましたので、教会という所がどんな感じか少しはわかっていますが、私くらいの程度に知らない人もいますよね。知らない人の中には、教会という所は、ヨーロッパの作家の文学作品に出て来るように、特別の人でなくても、教会堂の中に入って神と対話するということが認められる場所かと思う人もいるかもしれません。お寺だって、小規模なお寺ですと、檀家でもない人がお堂に上がって仏像と対話しようとしても断ることが多いのではないかと思いますが、そこのお寺を実際以上に規模の大きいお寺だと思いこんで、本山みたいに誰でも参拝できると勘違いして訪問する人だっているかもしれません。 そういう際に、ここは入場できないんですよと断るなら断って悪いことはないと思うのですが、誰でも入れるものだと思いこんで入って来た人がいたとすると、それは、「不法侵入」というものとは別だと思うのです。 どうも、↑の「セコム」シールを見ると、教会の会員でない人が入ってくることに必要以上に神経をとがらせているようなことはないのか、という印象を受けてしまうのですが、それは私の考えすぎでしょうか・・・・。


[3]   そして、前の教会堂には、内部に何度も入らせてもらいましたが、↑の今の教会堂は、外観を見せてもらっただけで、内部には入らせてもらったことがないので、断定的なことは言えないのですが、↑の写真を見ても、「窓が少ない」ように思います。 そんなことありませんか。
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↑ こちらの面を見ると、窓はけっこうあるように見えるのですが、実際に、内部に入るとどうなのでしょう。
   ウィリアム=メレル=ヴォーリズは、「教会堂の建物というのは、特別の建物である必要はない」と語ったというのですが、私もそう思ってきました。 しかし、東京都千代田区の番町教会の建物を見て、もちろん、「特別の建物である必要はない」のではあるのですが、どうも、番町教会の建物の外観は「普通のビル」であり、どうも、「味気ない」感じがしました。 ですから、「特別の建物である必要はない」けれども、「できれば、教会らしい建物」の方がいいのではないか、と思ったのです。もっとも、どういうものが「教会らしい建物」なのか、というと、けっこう難しいかもしれません。明治以来の西洋風の教会のデザインを踏襲したものが「教会らしい建物」なのか。日本では日本風の教会デザインがあっても悪くないのではないか。そういったことを考えると、どういうものが「教会ららしい建物」なのか「教会らしいデザイン」なのかというのは、なかなか難しい・・・けれども、ともかく、日本基督教団 田園調布教会の前の教会堂は、「教会らしい建物」だったのではないかと私は思います。
   田園調布教会の新しい教会堂は、「教会らしい建物」ではないのか。 「教会らしい建物」かどうかと別に、教会堂の建物というのは、片方で、ヴォーリズが言ったように、「教会の建物は特別の建物である必要はない」という考え方があるのですが、他方において、「神と出会う特別の場」であるべきだという考え方もあるらしく、教会堂の建築においても、後者の姿勢の建物というのもあるようなのです。
   愛知県犬山市の明治村になんか行きますと、かつて、教会堂として使われていた建物で移築されたものがいくつかあります。 今現在は教会堂としては使われていませんので、建築の見学としてはかえって遠慮なく見学できるところもありますが、明治村にある教会堂など見ても、一般に、カトリックの教会の教会堂とプロテスタントの教会の教会堂とでは、カトリックの教会堂の方が暗い場合が多いような気がします。 プロテスタントの教会の教会堂はカトリックの教会堂に比べると明るいのではないか。 ひとつには、カトリックの教会は祈りが捧げられる場であるのに対し、プロテスタントの教会では、祈るということもされるとしても、聖書を読んで讃美歌を歌ってということをするには、ある程度の明るさがないと聖書も読みにくいし讃美歌も見にくいということがあるかと思います。 私が子供の頃に行っていた幼稚園は、カトリックの教会堂と幼稚園は隣接してはいても、普段は幼稚園に行っても教会堂には入らないのですが、何かの式典があった時に教会堂に入らせてもらったことがあった記憶がありますが、プロテスタントの教会に比べると、そこも暗かったように記憶しています。 「暗い教会」というのは、かなりの程度で「神と出会う特別の場」の方を志向している建物ではないか。 それに対して「明るい教会」というのは「信徒が集会を持つ場所」であって、神社の本殿に神がいらっしゃるという神社の考えとは違って、神は教会にいるのではなく、神はどこにでも存在するのであって、教会でなければ神と出会えないというものではない、という考え方でいくならば、聖書を読んだり讃美歌を歌ったりする場においては、読める明るさを確保した方がいいはずなのです。 カトリックの教会というのは、プロテスタントの教会に比べて「暗い」教会堂が多いような気がしたのですが、どこでもそうかというと、そうでもないように思います。 2001年、フランスのルールドゥに行った時、「聖域」に入った突き当りにシュペリウール寺院とロザリオ寺院があるのですが、その手前の芝生広場の地下というのか半地下というのかに聖ピオ10世地下寺院があり、聖ピオ10世の地下寺院の方は、窓はあるけれども半地下であるため、昼間でも明るくない教会堂でしたが、しかし、これは、芝生広場の下に半地下で作ったたためで、芝生広場の向こう、シュペリウール寺院の手前の広場では、毎夜、ろうそく行列がおこなわれ、シュペリウール寺院とその反対側の城塞との両側がライトアップされてクライマックスを迎えるようにできているため、その間には背の高い建物を建てたくないことから芝生広場の下に半地下で作ったというもので、その場所の立地からやむなく暗めの室内になったというものであって、シュペリウール寺院の方は室内は別段、暗くもなかったのです。だから、カトリックの教会堂はどこでも暗いというものでもないと思います。 東京カテドラル関口教会の聖マリア大聖堂は、せっかく、あれだけの広さの敷地があるのに、なんとも、もったいない造りで、なぜ、わざわざ、洞窟みたいな室内にしないといけないのか、なぜ、わざわざ、暗い室内にしないと気がすまないのか、と疑問を感じました。 「世界の丹下健三」という人の設計の建物というのは、どうも、「なんか変だな」というものが多いように思います。 教会堂とは何なのか、ということが「世界の丹下健三」という人は、いまひとつ、わかっていなかったのではないのか。
   で、↑の日本基督教団 田園調布教会の新教会堂ですが、内部に入らせてもらっていないので、実際にどうなのかわかりませんが、外から見た感じでは、前の教会堂の建物などに比べると、暗そうな感じがします。 教会堂の建物というのは暗いものだ・・なんて、誰が決めた?  わざわざ、普通でない空間を作って、そこで「神と出会った」ような気持になったとしても、そんなものは幻覚だと思います。 むしろ、落ち着いた場所であるとともに、普通の場所であった方が教会堂として良いのではないか、と私は思います。 ↑のファサードだけ見て判断するのもどうかと思いますが、横の面は樹木が高くて見えないが、横面もあまり窓は多くなさそうです。 かつて、キリスト教が迫害されていた時代においては、洞窟みたいな所でキリスト教の集会がおこなわれた時もあったかもしれませんが、今、別段、キリスト教の集会を持つのに迫害されるわけでもない状況において、わざわざ、洞窟みたいな教会堂を作るというのはナンセンスだと思います。 教会堂は普通の居室と同程度の明るさは確保した方が、むしろ、その方が神の教えに沿ったものではないかと思います。

   日本基督教団田園調布教会の前の教会堂は、教会らしいいい建物だと思っていました。JR両毛線「佐野」駅が建て替える計画が出た時、反対運動が起きて建替えは取り止められたらしいが、どの建物でも思い入れのある人はいるのでしょうけれども、佐野駅は悪いとは言わんがそこまでのものかなと思った、むしろ、駅としては岐阜県の高山線「高山」駅の方が木造駅舎として「古い町並み」を「売り」にする高山では保存した方が良かったのではないかと思ったりしました。前の駅舎は駅の東側にしか出れなかったのに対し、新駅舎は西側にも出れて西側にロータリーをつくって西側にも利便性が出ましたが、しかし、前の建物に愛着があったものとしては、「ええ、あれ解体しちゃったのお?」て感じがしました。私は佐野駅が悪いとは言わんが、佐野駅と田園調布教会なら田園調布教会の前の教会堂の方が残す価値のある建物ではなかったかと思います。前の建物なら、この付近の街並みの景観にプラスにもなったと思いますが、新しくできた倉庫みたいな建物は、この付近の景観としては、まず、プラスにはなりませんね。なんで、こんな所に倉庫を作りたがるのか。樹木も背が高すぎるし多すぎるように思います。

   次回、7.日本基督教団田園調布教会(3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_7.html

   (2018.6.1.)

☆ 田園調布と田園調布の教会
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_2.html
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_4.html
5  日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_5.html
6.  同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 〔今回〕
7.  同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_7.html
8.  同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_8.html
9.  同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_9.html
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_12.html
13.カトリック田園調布教会と聖フランシスコ修道院 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_14.html


☆ 日本の教会建築シリーズ
東京都
日本キリスト教団 本郷中央教会[東京都文京区](ヴォーゲル)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201412/article_1.html
日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂(ニコライ堂)(ミハイル=シチュールポフ・ジョサイヤ=コンドル) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201512/article_2.html
サントリーホール背後の霊南坂教会十字架 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201612/article_1.html
青山学院 1.ウェスレー像 他 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201702/article_2.html
  2.ガウチャー記念礼拝堂・蔦のからまるチャペル 他 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201702/article_3.html
新国立美術館 安藤忠雄展。「光の教会」(大阪府茨木市 日本キリスト教団 茨木春日丘教会 教会堂の「復元」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_11.html
早稲田奉仕園 スコットホール・早稲田教会・友愛学舎・信愛学舎[新宿区]
1.スコットホール・奉仕園会館・友愛学舎・ベニンホフ像 他 https://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_5.html
2.信愛学舎。「・・・のために」なしで生きられない人。いかさまの慈善。慶應の不良サークル。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_6.html
3.聖書を否定する「敬虔なクリスチャン」。「クリスチャンの4大義務」。YMCA予備校はなぜだめか。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_7.html
4.「敬虔なクリスチャン」に取り上げられた聖書。入試で白紙で出して望みをかなえられた人と踏みにじられた者。 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_8.html
5.国立大学の哲学科・宗教学科に行かせてもらえなかった私、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)に行った牧師。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_9.html
6.私の親が私には出してくれなかったカネを「特別献金」で払ったカネで 私大出の男がトーシンダイに行った。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_10.html

神奈川県
慶應義塾大学 YMCAチャペル[横浜市港北区](ヴォーリズ)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_3.html
日本キリスト教団 清水が丘教会[横浜市南区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201309/article_1.html

愛知県
豊橋ハリストス正教会(正使徒福音記者マトフェイ聖堂) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201609/article_1.html

京都府
京都大学YMCA会館・地塩寮、京都府立医大橘井寮(ヴォーリズ)[京都市左京区] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201705/article_2.html

大阪府
日本キリスト教団 南大阪教会[阿倍野区](村野藤吾)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201206/article_2.html
カトリック大阪梅田教会[北区]《1》 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_1.html
同 《2》 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201510/article_5.html
高槻カトリック教会(高山右近記念聖堂)[高槻市] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201510/article_2.html
日本キリスト教会高槻教会[高槻市]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201510/article_4.html
日本基督教団東梅田教会(一粒社ヴォーリズ建築事務所) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201604/article_1.html
日本基督教団扇町教会 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201604/article_2.html
日本キリスト教団 箕面東教会[箕面市] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201709/article_2.html
ガラシア病院[箕面市] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_7.html

兵庫県
神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)[神戸市灘区](ウィグノ―ル)http://tetsukenrumba.at.webry.info/201311/article_1.html 
日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会[神戸市灘区]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201312/article_1.html
関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂(一粒社ヴォーリズ建築事務所)、関学神学部棟(ヴォーリズ) 他[西宮市]http://tetsukenrumba.at.webry.info/201405/article_2.html
カトリック夙川教会[西宮市] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201406/article_1.html
ショファイユの幼きイエズス修道会 修道院・アンティエの家。 日本キリスト改革派宝塚教会。仁川学院。 [宝塚市] http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_1.html 

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