田園調布と田園調布の教会【4/14】居住環境を配慮した田園調布の街並。心地よい宝来公園。水道局浄水場

[第368回] 日本の教会シリーズ
   「田園調布」と言っても、住居表示としては、
大田区田園調布田園調布1~5丁目
大田区田園調布南
大田区田園調布本町
世田谷区玉川田園調布1~2丁目
とあって、これをすべて「田園調布」と考えると、相当広い範囲が「田園調布」になるし、実際問題として、「ええ~え、こんな所が田園調布なのお~お?  漫才で売れたというわりには、こんな所に住んで喜んでるのお~お」みたいな場所もあります。
   「ブランド地名」てのは、だんだんと範囲が広がっていく傾向があります。 中央区に東日本橋なんて地名があり都営浅草線に「東日本橋」て駅もあります。フリーダムアーキテクツデザイン(株)https://www.freedom.co.jp/ なんていかにもいいかげんな会社の本社は都営新宿線「馬喰横山」・JR総武快速線「馬喰町」と都営浅草線「東日本橋」が最寄駅です・・がその「東日本橋」。 「東日本橋」と言うからには「日本橋」の東よりか、もしくは「日本橋」の東隣かどっちかか・・・なんて思うと、都営浅草線の駅でも、「日本橋」の次が「東日本橋」ではなく、間に「人形町」があって、その次が「東日本橋」。これは、かつて、日本橋区と京橋区が合併して中央区になる時、元日本橋区であった所はもともと「◇◇町」だったのが「日本橋◇◇町」という住居表示になり、そのうち、元日本橋区だった所の東寄りの「日本橋◇◇町」というのがいくつかくっついて「東日本橋」を名乗るようになった、ということによるもののようです。「東日本橋」は中央区では北東部、元の日本橋区では東よりの部分ですから、本来の日本橋の東よりではないし、本来の日本橋の東隣でもなく、あくまで、「旧日本橋区の東より」であって本来の日本橋とは別の場所です。 今、東日本橋〇丁目・・を名乗っているものには、かつては「日本橋両国町」という町名の所もあったようです。今では「両国」というと、墨田川の東側の「相撲の街」が「両国」というイメージがありますが、もともとは、墨田川(大川)をはさんだ両国橋の両側に「両国」という地名があったようです。 「日本橋両国町」としては、墨田川をはさんだ東側の「相撲の街の両国」とセットになるよりも、「東京駅の東側、東海道の起点の日本橋」とセットになる方を好んだのでしょう。福島県の中通りのどこやらの街が「田園調府」なんて名のったのと似たようなものかもしれません。昔、福沢諭吉が『脱亜論』なんてのを書いて、日本はアジアの悪友とつきあうのはやめて欧米とつきあうべきだと主張したように? 「東日本橋」の命名を主張した人は、「相撲の街 両国」とつきあうのではなく「日本橋」とか大手町・銀座・京橋・有楽町の仲間となっていこうと主張した・・・てことなのかもしれません・・・・・が、その付近を歩いてみると、日本橋とは「ちょっと違う」。私は、やっぱり、街の雰囲気としては隅田川の西側の「中央区(日本橋)両国町」は、「中央区日本橋」よりも隅田川の東側の「墨田区両国」の方に似ているような印象を受けましたね。日本橋でもない場所に「東日本橋」を名乗られると、なんかわかりにくくて困ります。都営浅草線「東日本橋」駅はJR総武線「馬喰町」駅・都営新宿線「馬喰横山」駅と隣接して地下で行き来できます。「馬喰町」とか「馬喰横山」の方が分かりやすくていいと思いますが、「東日本橋」と日本橋もどきを名乗りたいみたいです。
   軽井沢もブランド地名として、本来の軽井沢の周辺に広がっているようです。
≪ 地名にも偽ブランドめいたものが横行している。よく例に出されるのが「軽井沢」だ。人気の避暑地である軽井沢は、明治初期まで中山道のただの宿場町にすぎなかったが、イギリス人宣教師A・C・ショーに紹介されていから脚光を浴びるようになった。
   本来、軽井沢というのは、旧軽井沢周辺の狭い地域を指す地名だった。ところが、隣接した地域がこの人気地名にあやかろうと次々に改称し、中軽井沢、新軽井沢、北軽井沢、西軽井沢、南軽井沢というように、「軽井沢」は県境さえ越えてどんどん拡大していった。・・≫
( 浅井建爾(けんじ)『日本の地名がわかる事典』1998.7.20.日本実業出版社 )
   大阪の「ミナミ」と言われる地域では、南海は「難波(なんば)」、大阪市地下鉄御堂筋線は「なんば」、大阪市地下鉄四つ橋線は「なんば元町」、国鉄→JR 関西本線は「湊町」で、そこに近鉄が上本町六丁目から西に延伸してきて「近鉄難波」。「難波」と「なんば」は同じ場所だが、「難波」「なんば」と「なんば元町」は別で、「なんば元町」のさらに西の「湊町」は難波とは別の町だった。地下鉄御堂筋線と四つ橋線は南北の路線であるが、東西に千日前線が開通して地下鉄御堂筋線「なんば」と四つ橋線「なんば元町」とにかけて駅ができて、その際に千日前線の駅を「なんば」にして、御堂筋線も千日前線も四つ橋線も「なんば」になった。「なんば元町」も「なんば」になったが、その後、「なんば元町」よりも西側の「湊町」までが「JR難波」になった。阪神西大阪線が、西九条から延伸して阪神の駅が近鉄と同じ場所に駅ができて、「近鉄難波」が「大阪難波」になった。もともとの「難波」は御堂筋線の「なんば」と南海の「難波」で、四つ橋線は「なんば元町」、JR関西線は「湊町」だったが、今では、「なんば元町」も「湊町」も「難波(なんば)」になってしまった。 「難波」は文字から考えると、「難しい波」という字で、似たものに、「浪速(なにわ)」があり、「難波」も「なんば」とも「なにわ」とも読めるのだが、いずれにしても、字から考えると、「浪が速い」にしても「波が難しい」にしても、航海には困難な場所という意味と考えられる字ですが、最近では「キタ」を代表する地名は葦原を「埋めた」からきた「梅田」であるのと同様、「ミナミ」を代表する地名は「難波(なんば)」になり NBA48 なんてわけのわからんのまでできて、「難波(なんば)」の地名が元の地名よりも広がった。

   田園調布は、
≪ 高級住宅地として有名な田園調布だが、大正時代までは調布村という寒村にすぎなかった。そこへ渋沢栄一が中心になって、田園都市を建設しようとしたのが始まりである。
   田園都市とは、19世紀末頃にイギリスで提唱された都市構想だった。五万人程度の都市を計画的に建設し、都市の外側を田園、あるいは緑地帯で囲む。企業も誘致し、交通渋滞や公害のない住環境にすぐれた理想郷を建設しようというものである。
   当時、田園都市構想は全世界から注目を集めていた。日本もこの構想に着目。イギリスの田園都市をモデルに計画されたのが田園調布であった。田園調布の南には多摩川の清流が流れ、周囲は武蔵野の自然、しかも東京の都心まではほどよい距離にある。田園都市を建設するには理想的な地であったのだろう。
   当時は、東京がこれだけ巨大化するとは想像していなかったに違いない。東京への人口集中のあおりを受けて、田園調布も当初の都市構想とは程遠い姿に変貌していった。それでも、過密都市東京の中にあっては最も恵まれた環境にあり、都民ばかりではなく、全国民の憧れの的になっている。田園調布駅を中心に、放射状に延びる道路は当時の名残である。・・・・≫
( 浅井建爾(けんじ)『日本の地名がわかる事典』1998.7.20.日本実業出版社 )
   田園調布駅の西側の広場に「田園調布の由来」と書かれた説明書きが建っている。 
≪ ・・・・この都市全体を一つの公園のように明るく美しいものにする為、建築その他に関し色々な申し合わせを固く守り殊に道路との境界には一切土塀板塀などを設けず 花垣か生け垣の低いものゝ程度とすることなどを厳格に実行しました その協力の結果 この明るい住宅地と美しい散策地が生まれたのであります ≫
と書かれているが、たしかに、田園調布駅の西側の道路が放射線状になっている地域は、「金持ちの住む街」という感じではなく、≪ 都市全体を一つの公園のように明るく美しいものに ≫というような街であり、私なんかはそこには住めないだろうけれども、住ませてもらえるというなら嫌な街ではないし、住まないにしても、「逍遥学派」として、そのあたりを「逍遥」してみたい気持ちになる街である。 又、どっちがいいとか悪いとかいう問題ではなく、兵庫県の芦屋とは性質は別である。
≪ ・・・その後この地区が東京市に編入された際 町名改正が行われて当都市のみならず周辺の町村をもひろく含めて田園調布と呼ぶこととなりました  その折り 当会の地域は頭初の田園都市の約三分の二となり 他の三分の一は 世田谷区玉川田園調布となりました。 ・・・・≫
と書かれている。 ≪昭和三十四年秋  社団法人 田園調布会 会長 矢野一郎 ≫ と書かれている。
   だから、当初の田園調布は、今現在の大田区田園調布田園調布1~5丁目、大田区田園調布南、大田区田園本町、世田谷区玉川田園調布1~2丁目 の全域ということではなかったようで、又、大田区の田園調布が田園調布で世田谷区の玉川田園調布は違うというものでもなかったらしい。
   なんでも、慶應大学の内部進学の人達によると、「本物の慶大生」というのは「最低でも高校から慶應に行った者を言う」そうで、大学だけ行ったような人間というのは「ニセモノ」らしい。特に、慶應大学という大学は教授先生が「私学だってことはいいってことじゃないか。そんなこともわからないのか!」とか講義の最中におっしゃる大学であり、私みたいに、小学校・・・公立、中学校・・・公立、高校・・・公立、大学・・・国立大学に行くはずだったのが何の因果か慶應大学に行ってしまった・・・なんて人間、しかも、親戚を捜しても東大・京大・阪大卒の人はいても慶應大卒の人間なんていないなんて人間というのは、これはもう、「本物のニセモノ」「筋金入りのニセモノ」ということになるわけで、慶應の教授助教授は講義の最中にマイクに向かって「おまえら(慶應義塾の)外部の者は」とはっきりとおっしゃるのですが、田園調布については、私が歩いた感覚としては、「本物の田園調布」というのは、駅の西側の道路が放射線状になっている地域で宝来公園の外側の何か所か信号が設置されている道路よりも内側で環八より南側、「準 田園調布」とでもいうのが、そのすぐ外側で環八より南側と駅の東側の環八より南でかつ東側は環八の内側の信号が設置されている広めの道路より内側くらいまでで南は「多摩川」駅あたりまで、その外側で「田園調布〇丁目」とか「田園調布本町」「田園調布南」という住居表示になっている所は、もしかすると、「旧 調布村」だった所もあるのかもしれないが、別に悪いとは言わんが「『この漫才で田園調布に家が建つ』という田園調布」とは別物だと考えていいと思う。「きびだんご」が悪いとは言わんが「もみじ饅頭」とは別物!・・・みたいなそんな感じ???
   地図で示すと↓
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↑ ピンクのマーカーで塗った地域、駅の西側の道路が放射線状になった地域が「本来の田園調布」「本物の田園調布」「『この漫才で田園調布に家が建つ』の田園調布」、その西側の周辺と駅の東側の比較的駅に近い地域が「準 田園調布」もしくは「『本物の田園調布』に準ずる田園調布」で、それより外側は、田園調布〇丁目とか田園調布本町、田園調布南 という住居表示であっても、「悪いとは別に言わんが田園調布的でない田園調布」「『そんな所の賃貸マンションなんて漫才で売れなくても住めるんちゃうの~ん』の田園調布」・・・と考えていいのではないかと思う。いわば、「もみじ饅頭ではなくきびだんご~♪」とか、もしくは、慶應大学なら私みたいなもの、「おまえら(慶應義塾の)外部の者は」と教授助教授から言われるような(えらい、悪かったなあて感じの)そんな感じの存在の田園調布・・・と言ってよいだろう。

   1990年、今となっては30年近く前だが、小堀住研(株)の自由が丘営業所に勤務していたことがあり、その際、この付近の建ぺい率・容積率などの法規制や用途地区などを調べたことがあったのだが、田園調布駅の西側の放射線状の地域は、その頃の用途地区で「1種住居専用地区」であるとともに、建ぺい率30%、容積率60%だった。 おそらく、今もそんなものだろう。 その頃、「第1種住居専用地区」でも、建ぺい率・容積率は、50%‐100% とか 60%‐120% という所が多かった。 建ぺい率30%‐容積率60% という規制の地域は、他にまったくないかどうかまでは知らない、又、全国すべての地域を調べ尽くしたわけでもないが、この田園調布駅の西側の道路が放射線状になっている地域しか私は知らない。  もし、100坪の土地を所有していても、最大で1階30坪・2階30坪、延床面積60坪の家までしか建てられないということである。 それだけの規制が設けられておれば、庭が広く残り、樹木や草花のある家が並び、居住環境の良い街になるのは道理である・・・・が、もともと、安い場所ではない所で建ぺい率・容積率などの規制が厳しいということは、そこで住もうと思えば、地下の安くない土地をある程度以上の広さを持たないと住めないということになり、ある程度以上のお金持ちでないと住めない⇒私には住めない・・・ということになる。
   駅前に出ている説明板には、≪この都市全体を一つの公園のように明るく美しいものにする為 建築その他に関し色々な申し合わせを固く守り殊に道路との境界には一切土塀板塀などを設けず 花垣か生け垣の低いものゝ程度とすることなどを厳格に実行しました その協力の結果 この明るい住宅地と美しい散策地が生まれたのであります ≫ と書かれているのですが、実際に歩いてみると、道路との境界に塀がある家もないわけではありませんし、道路との境界には塀がなくても、道路との境界線からいくらか内側に入った所に塀を設けている家も見かけます・・・・が、できるだけ、道路との境界には塀を設けず、それほど背の高くない花垣か生垣にしましょうという方針があるからか、両側を石やらコンクリートやらの高い塀、「刑務所の塀みたいな塀」とまでいかなくても、石やブロックやコンクリートで両側を囲まれた道ではなく、両側には樹木や草花がある道路にはなっています。そんな所に住みたいと思っても私なんかはなかなか住めませんが、道を散策するのはタダですから、貧乏人は散策・逍遥させていただくことにいたします。↓を見ても、道路の両側に並木が植わっていて快適です。
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( ↑ クリックすると大きくなるので大きくして見てください。 左側の道、車道の両側に歩道があり、車道と歩道の間に樹木が植わっています。 又、制限速度を示す道路標識には「30」と書かれています。 )
   この田園調布駅の西側が住宅地としていいのは、道路の道幅がけっこう広く、中央部にクルマが通る車道があって両側にはきっちりと歩道があるだけでなく、ふと気づくと、道路の制限速度が低いのです。↑↓
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( ↑ クリックすると大きくなるので大きくして見てください。 道路面に橙色で「30」と書かれています。 )
↑ は、田園調布駅の西側の道路が放射線状になっている地域の外縁部、宝来公園の外側のところどころに信号がある道ですが、制限速度は30km/時に指定されています。 我が家の近所なんかですと、たいして広くない道でも制限速度は40㎞/時、 広めの道になると50㎞/時 です。制限速度30km/時 で、なおかつ、歩道もきっちろと整備されている。制限速度が30km/時で歩道もきっちりと整備されている・・となると、交通事故も起こりにくいでしょう。 千葉県船橋市の我が家の近所なんかですと、昔からの農道みたいな道をクルマが多く通るようになり、そのうち、道の端のU字溝の上に蓋をして、そこを「歩道」みたいにした・・・なんて道があります。「クルマは道、人は溝」てそんなアホな話があるか!?! なんて思いますが、そういう「道」がけっこうありますが、さすがは「この漫才で田園調布に家が建つ」と言われる田園調布ではそんなおかしな「歩道」はありません。 やっぱり、よくできてるなあと感心しました。さすがはもみじ饅頭です♪ ちなみに、田園調布駅の西側の道路が放射線状になっている地域の家なんかの駐車スペースに停まっているクルマというと、ベンツとかBMWとかそういうのばっかりかな?・・・・と思って見てみましたが、そういうクルマが停まっている家もありますが、私が乗ってるような「普通のクルマ」が停まっている家もありました。

   日本基督教団 田園調布教会 の はす向かいにある宝来公園は、緑豊かで、散策・休息するにはいい所です。↓
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宝来公園の入口を入ってすぐの案内看板には、≪ 大正14年(1925年)、田園都市の開発に際し、武蔵野の旧景を保存し永く後世に残すために ・・・・株式会社は、街の一角の汐見台の地を公園用の広場として残しました。 ・・・昭和11年(1936年)4月「宝来公園」として開園されました。・・・・ ≫ と書かれています。
※ 1925年(大正14年)は、 「ひどく不合理、治安維持法」 治安維持法制定の年。
   1936年(昭和11年)は、 「ひどく 寒(1936)い、2.26事件」 2.26事件 発生の年。
その翌年の1937年(昭和12年)は、「人、苦しみ、災難(1937)」盧溝橋事件 発生。日中戦争開始の年。
  田園調布駅の西側の道路が放射線状になった住宅地は、この宝来公園のラインまでくらいが「田園調布らしい田園調布」て感じ。 宝来公園に入ってみますと、公園内は起伏があって、田園調布駅から遠い側が低くなっていて、そちらに池があります。↓
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宝来公園の中を歩く際には、そこは自然を保存した公園なのだから、だから、少々の坂がそこにあっても、それはそういうもの、そこはそういう所と思って気になりません。 むしろ、人工的に平坦にした公園よりもいいくらいです・・・・・が、宝来公園の脇にも道はあるのですが、田園調布駅からこの宝来公園よりも以遠に歩くとなると、この宝来公園とはす向かいの日本基督教団 田園調布教会のあたりまでであれば、たいして歩いた気持ちにもならずに歩いてこれますし、道路も平坦で「街そのものが自然公園のような造りの田園都市」ですからいいのですが、これよりも遠い場所になると、駅からの距離もそれなりのものになってきますし、何より、宝来公園の脇の道は坂道であり、その坂を降りたところの円周の側の広い道路よりも外側になると、坂もあって、必ずしも「田園調布らしい田園調布」「『この漫才で田園調布に家が建つ』というフレーズできこえる田園調布」て感じでもなくなります。
   そのあたりを、ちょっくら歩いてみますと・・・・、宝来公園までの円周内と違って、ここらは「わけありの人が
が住む地域」ではなく「普通の人が住む地域」かなて感じもしてきますが・・・・・、なんだ、これは!!! ↓
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↑ なんだか、防犯カメラがついた怖そうな敷地・・・・・、なんだろ、これは。 なんか、エライ人か怖い人かの家だろうか・・・・・・・???
  「立入禁止 警備システム稼働中」なんて書いてあるので、もしかして、こわ~い人のお家だろうか・・・なんて、あまり近づかない方がいいのだろうか・・・なんて思いつつ、思いっきり近づいて写真まで取ってきましたが、その後に「東京都水道局」と書いてあります。 ・・・「怖い人の家」というわけではなかったようです(^^♪

( ↑ 東京都水道局 玉川浄水場。 )

   ちなみに、グーグル地図に「宝来公園」とだけ入れて「検索」をクリックすると、はたして、田園調布の日本基督教団 田園調布教会のはす向かいの宝来公園が出てくるだろうか、それとも、どこか他の宝来公園が出てくるか、「宝来」という中華料理屋が出てくるか、それとも、どこも出てこないか、どうだろ・・・・なんて思ってやってみましたら・・・、出てきました。田園調布教会のはす向かいの宝来公園が。

  次回、5  日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_5.html

  (2018.6.1.) 

☆ 田園調布と田園調布の教会
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_2.html
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 〔今回〕
5  日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_5.html
6.  同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_6.html
7.  同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_7.html
8.  同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_8.html
9.  同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_9.html
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_12.html
13.カトリック田園調布教会と聖フランシスコ修道院 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_14.html 


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