田園調布駅(2)放射状道路の扇の要の位置の駅はおしゃれ♪-田園調布と教会【2/14】

[第366回] 日本の教会 シリーズ
   東急「田園調布」駅というのは、かつて、東横線・目蒲線が地上を走っていた時は、特別の駅舎とも思わなかった。悪いとは思わなかったが、そんなもんかくらいに思っていたのだが、田園調布駅が地下にもぐるとなると、この駅舎は重要な意味を持ちだした。 なにしろ、渋沢栄一が計画した放射線状に道路が伸びる住宅地の扇の要の位置にあるのが田園調布駅の駅舎であり、駅が地下にもぐるので地上の駅舎は要らない、もしくは、扇の要の位置ではなく、地下にもぐる位置に屋根と駅の表示があればそれでいい・・・なんてことになると、扇の要の位置の建物がなくなってしまうことになります。

( ↑「i」マークが、田園調布駅 旧駅舎。 )
ここで多くの人間は気づいたのです。 「この漫才で田園調布に家が建つ」というフレーズでおなじみの もみじ饅頭・・・じゃなかった、田園調布の駅の建物というのは、ちっちゃい単なる門みたいな建物だったけれども、実は田園調布の扇形の住宅地にとってはけっこう大事なものだったんだ・・・!!! ということに。
   そこで、実際の駅への入口は別に設けたとしても、駅舎の建物は保存しよう、ということになった。そうでないと、扇の要の建物がなくなった時、はたして、田園調布は田園調布として存続するのか、不安!!!  イタリアでも言いますでしょ、「コロッセオが滅ぶ時、ローマも滅び、その時、世界も滅ぶ」と。 もしくは、「ナポリのカステル=デツローヴォ(卵城)の基礎の下には卵が埋まっていて、その卵が破壊される時、カステル=デツローヴォ(卵城)も破壊され、ナポリの街も滅びる」なんて言いますでしょ。 そんな感じで、田園調布駅 駅舎を取り壊した時には、田園調布の街も滅びる・・・・なんてこと・・・あるかどうか知らんが、とりあえず、残そうということで残ったみたい(^^♪  コロッセオとかカステル=デツローヴォほどのものではないかもしれないが、田園調布の街の扇の要の位置にあるという点では、コロッセオやカステル=デツローヴォを上回る重要な位置にあるわけです。「関東の駅 百選」にも認定されたらしい。
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( ↑ 東京急行 東横線・目黒線「田園調布」駅 旧駅舎。 南西側から見たもの。)
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( ↑ 「田園調布」駅 旧駅舎。 北西側から見たもの。)
  1985年(昭和60年)といえば、阪神が優勝した年・・・なんて言っても、東京もんで阪神ファンでない人は「そんなん、阪神なんて優勝したことあんのん?」なんて言うかもしれませんが、あ~りますよお。他のチームと違って、阪神というのは2位とかはけっこうありますが優勝したことはあんまりなくて、私が物心がついてからでも、1985年、吉田監督の時に1回、その18年後、2003年、星野が監督の時に1回、その後、2005年、岡田が監督の時に1回。それだけですから。その前、藤本定義が監督の時に1962年、1964年と2回、優勝しているようですが、生まれてすぐの頃なんてのは覚えていません。それより前の優勝となると戦前です。しょっちゅう優勝しているチームと違って、「阪神が優勝した年」というと1985年(昭和60年)とわかりやすい。なにしろ、めったにないことですから(^^♪  今は昔、オマリーが「阪神ファンは一番やあ~あ」と言ったことがあったようですが、たしかに、巨人ファンなんてのは毎年優勝しないと怒りますが、阪神ファンてのは20年に1回でも優勝すれば大喜びで他はたとえCクラスでも応援してくれるのですから、阪神球団の経営者にとっては「阪神ファンは一番やあ~あ」てのは、まさにその通り(^^♪  阪神球団は、毎年、兵庫県西宮市の西宮戎神社に参拝しているといいますが、「えべっさん」てのは商売繁盛虎の神さんでして、勝負事に勝つ神さんではないわけで、「えべっさん」は律儀に神さんとしての仕事をこなしてくださり、その結果、優勝せんでも、毎年、甲子園球場は満員御礼(^^♪ 最近では関西地域以外の人でも阪神ファンになってくれる人がけっこうでてきたといいますし、経営者としては、こりぁたまらん♪ 「阪神ファンは一番やあ~あ♪」・・・・・。
   で、その阪神が優勝した1985年、バースが三冠王をとった最初の方の年、桑田と清原がPL学園の3年でPL学園が夏の大会で優勝した年、横浜市港北区日吉の慶應大学日吉キャンパスに、槇文彦設計の慶應大学日吉新図書館というのができました。その前には図書館はなかったというわけではなく、今は藤山記念館と言っている建物が藤山記念図書館でした。 槇文彦さんという方はどういう方かというと、新図書館ができた時に、「ツアー」に参加した時に説明してくれた図書館員のおねえさんの話によると、「東京大学の建築学科を卒業されて、現在、慶應大学で教えておらえる」という先生だったようですが、《ウィキペディア―槇文彦》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%87%E6%96%87%E5%BD%A6 によると、慶應幼稚舎卒・慶應普通部卒で、お母さんは≪竹中工務店元会長竹中藤右衛門14代の娘≫、祖父は≪長岡藩士・槇小太郎長男。岩城炭鉱、新竹拓殖軌道元社長≫だそうで、叔父のひとりは≪竹中錬一(竹中工務店元社長)≫だそうです。竹中工務店の元会長の孫で元社長の甥なんですね。「新竹」というのは、《ウィキペディア―新竹市》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%AB%B9%E5%B8%82 、《ウィキペディア―新竹県》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%AB%B9%E7%9C%8C によると、台湾の北西部の「市」と「県」らしい。福島県の東部は「磐城国(いわき の くに)」だったが、「いわき」の漢字は時代によって「磐城」「岩城」「石城」といった字が使われたらしい。私が中学生の頃、「地理」の学習では、日本の炭鉱というと、北海道と九州、それに茨城県から福島県東部にかけての常磐炭鉱・・・と学んだ記憶があるが、《ウィキペディア―常磐炭田》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%82%AD%E7%94%B0 によると、茨城県日立市から福島県双葉郡富岡町までの範囲で、≪最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985年に撤退した。≫とある。私の感覚としては、1985年(昭和60年)、阪神が優勝した年、槇文彦設計の慶應日吉新図書館が竣工した年まで、炭鉱は続いていたらしい。 内田康夫『追分殺人事件』では、北海道の夕張炭鉱で働いていた人の話がでてきる。「追分」とはもともと、道が分岐する所を言い、長野県の軽井沢の西のあたりの信濃追分の馬子唄だった追分節が新潟県に伝わり、越後追分・小木追分として海の漁師の歌になり、それが日本海沿いの伝わり、北海道の渡島半島の西、ニシン漁がさかんだった江差で「江差追分」になったが、海の仕事の人は海で遭難することがあり、「江差追分」は海難事故で亡くなった人を悼む鎮魂歌になり、さらにそれが夕張炭鉱に伝わって、夕張では落盤や炭坑火災など炭鉱事故で亡くなった仲間を悼む歌になった・・・という。『追分殺人事件』では、夕張で追分節を好んで歌っていたという男が殺されたが、彼は「復讐してやりたい」と言っていた、と。自分たちをこんな目にあわせておいて、ぬくぬくと利益をあげていい思いをしている経営者どもに復讐してやりたい、と・・・。JR常磐線「湯本」駅の西側に「常磐興産は、塵肺被害に誠意をもって対応せよ」だったか、そういう文言の看板が掲げられた建物があったが、「岩城炭鉱」というのは、それのこと? ・・・てことは、劣悪な環境で人を炭鉱で働かせて稼いだ炭鉱の社長がそのカネで孫を慶應幼稚舎とか慶應普通部とかに行かせた、その孫が「有名建築家 槇文彦」先生てこと??? 片や、ゼネコンの工事現場ではけっこう人が死ぬ・・・と言われ、そのゼネコンの大手の会長の孫、社長の甥が「有名建築家にして、東京大学建築学科を出て慶應大学で教えておられた槇文彦先生」てことかあ・・・? (炭鉱+ゼネコン)×慶應幼稚舎・普通部=槇文彦  て、そういうことなの???
   その槇文彦先生が設計なさった・・・ということだけよく知っている自称「建築家」・自称「デザイナー」・自称「いっきゅうけんちくしい~い」とかいうのがわんさと日本にいる慶應大日吉新図書館というのが竣工したのが、阪神が優勝した1985年なんです。しつこいようですが、阪神の優勝は1962年・1964年(東京オリンピックの年)・1985年・2003年・2005年と、戦後は5回しかありませんが5回のうちの3回目、1985年(昭和60年)です。 「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか自ら名のりたい名のりたい症候群のおっさんにかかると、「慶應大日吉新図書館」というと、「ああ~あ・・・、槇文彦設計の慶應日吉図書館ですねえ~え・・」と声まで裏返っておっしゃいます・・・・が、それなら慶應 日吉キャンパスの他の建物についてはどう考えているのかというと、なにしろ、「建築家」とか「デザイナー」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか称するおっさんにとっては、「建築家 槇文彦設計による」というフレーズがつくとありがたいわけでして、「普通の人」の設計による建物なんて、どうでもいいらしいのです。 そりぁ、おかしいのではないか、槇文彦さんがいいとか悪いとかいう問題ではなく、先に「名建築家」というのが指定されて、「名建築家」の設計と聞くとありがたがって「ああ~あ、槇文彦設計のお~お」と声まで裏返って一生懸命称賛して、「普通の人」の設計だと完全に無視! てその態度、いったい何? ・・・と思うのですが、それが自称「建築家」、自称「デザイナー」、自称「いっきゅうけんちくしい~い」の「病気」ですね、「病気」。 「ほとんどビョーキ」というよりも、はっきりと「ビョーキ」です。 戦後、アメリカ合衆国でT=W=アドルノらによるナチスドイツの時代のドイツでの人間の精神構造についての研究がされて『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)として発表されたのですが、自称「建築家」、自称「デザイナー」、自称「いっきゅうけんちくしい~い」という連中というのは、まさにそれです、「権威主義的パーソナリティー」です。精神が「病気」なんです。
   その「槇文彦設計の慶應日吉図書館」という自称「デザイナー」とか自称「いっきゅうけんちくしい~い」とか自称「建築家」とかのおっさんが設計者のお名前でありがたがる慶應日吉新図書館ができた時、私は、一通り見て、そして、使ってみて、あんまりいいとは思わなかったのです。必要もないような装飾ばっかりこって、使い勝手なんてちっとも考えていない・・・。 しかし、その後、何の因果か建築業界に勤めて、自分自身が建築の勉強をして、別の面も感じたのです。 慶應の日吉キャンパスは、東急東横線「日吉」駅の東側に、駅から出た後、正面をまっすぐに進む通路があって、その正面に日吉記念会堂というのがあり、そこから放射線状に通路があるわけではなく、通路は角形にあるのですが、建物の配置は、日吉記念会堂の前、左右に対象に、南側に慶應義塾高校に使われている第一校舎、北側に物理学・化学など自然科学系に使用されている第二校舎があって、他の建物も、この「日吉駅―日吉記念会堂」という軸と、第一校舎(慶應義塾高校)と第二校舎(自然科学系の教室)が日吉記念会堂の前の左右に対象に配置された、その延長のように配置され、色合いも、日吉記念会堂やその左右の第一校舎・第二校舎と同様に、白・グレー系で揃えられていて、白・グレー系でない建物というと、藤山記念館とヴォーリズ設計の慶應YMCA会館くらい、という既存建物の構成を尊重して、日吉記念会堂を扇の要として考えた時、扇の端に位置して作られる日吉新図書館にも、周囲の先住建物と扇の配置を尊重して、同系統のグレー系の色合いの外壁で作られているのです。同じ槇文彦設計の図書館でも、慶應大三田キャンパスの三田新図書館の方は、三田の建物というと、昔からの第一校舎や塾監局の建物、そして、重要文化財に指定されている曾禰・中條設計事務所設計の三田旧図書館にしても、茶系・エンジ系の色合いで統一されていることを尊重して、槇文彦設計の三田新図書館もまた、エンジ系の外壁でできています。 さらに、槇文彦設計で東大本郷キャンパスにできた東京大学法科大学院棟は、かつては、広々としていた東大本郷キャンパスも最近では建物密度が高くなって、かつてのような静寂感がなくなってきたその場所の状況をふまえてか、スケルトンというのか、透明感のある建物になっています。 これら、慶應日吉新図書館、慶應三田新図書館、東大法科大学院棟と見ると、槇文彦という人は、その場所の先住建物がどうなっているか、といったこともふまえて設計しようという姿勢のある人らしい、と感じたのです。そのあたりが、「先住建物がどうか自然環境がどうかなんて知ったこっちゃない世界の丹下健三型な~にがなんでも自分の建物が一番めだたないと気がすまない傍若無人な自己顕示欲の塊建築」とは違う、と認識したのです。 もっとも、自称「デザイナー」、自称「建築家」、自称「いっきゅうけんちくしい~い」のおっさんにかかると、「先住建物がどうか自然環境がどうかなんて知ったこっちゃない世界の丹下健三型な~にがなんでも自分の建物が一番めだたないと気がすまない傍若無人な自己顕示欲の塊建築」だって、なにしろ、「世界の丹下健三」と名のられたからにはせっせとほめなきゃいけない! とパブロフの犬みたいに名前に反応して称賛するでしょうけれども、なんか、「建築家」「デザイナー」「いっきゅうけんちくしい~い」て連中は、なんとも、「ちっぽけな野郎だなあ」て感じがします。
※ 慶應義塾大学 日吉キャンパスガイド http://www.hc.keio.ac.jp/ja/hiyoshi_campus/guide/index.html
    槇文彦先生もまた、慶應大日吉キャンパスが、「日吉駅―日吉記念会堂」という軸線と、「日吉記念会堂とその前、左右の第一校舎・第二校舎とその延長としての扇形」を意識して日吉新図書館も設計された・・・のだと思います。(もしかして、な~んも考えずに適当にやったら結果としてそうなっただけ・・・なんてことがあったとしても関係ない。 私は、軸線と扇形を尊重してできているようだ、と感じたのですから。)  田園調布の駅の西側の街並みというのもまた、田園調布駅の旧駅舎を「扇の要」としてできて、それで百年以上も続いてきたわけですから、「扇の要」は、もしも、なくすのならなくすで、なくした後、どうするのか、ということも考えないといけない。何もない状態を「扇の要」とするのか、それとも、新たに別の「扇の要」を設けるのか。 結果として、田園調布は、「扇の要」として、従来の田園調布駅 駅舎を駅舎としては使用しないけれども、駅の西側と東側を通行する門のような存在として残すことにしたようです。 かつては、↑の駅舎の中に改札口がありましたが、今は東から西へ、西から東へと自由に通行できます。
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( ↑ 「田園調布」駅 旧駅舎。 南面。)
  たしか、かつては、↑のアングルでは見えにくかったと思ったのですが、今は南側にレストランができて、↑のようによく見えます。
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( ↑ 「田園調布」駅 旧駅舎。 東面。)
  こちらのアングルも、かつては駅舎と同じ地盤面上に東横線 渋谷行きホームがあって、その下に線路があったわけで、↑のような階段はなかった。こちらもこのアングルではかつては見えなかったのですが、今は下から見上げるように見えます。
   ↓ クリックすると大きくなるので大きくして見てください。 「関東の駅 百選 認定駅」と書かれたプレートが貼られています。 かつては、この通路に改札口がありましたが、今は自由通路です。
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   この東急東横線・目黒線「田園調布」駅 旧駅舎 というのは、どういう由緒のものなのか。 東京建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門-東京・横浜の西洋館230を追跡する』(1986.9.26.文春文庫)によると、
竣工年・・・大正13(1924)
設計者・・・矢部金太郎
所在地・・・大田区田園調布2
と出ている。 1924年といえば、「ひどく不合理(1925)、治安維持法」の治安維持法制定の年の前年。「幾人、見つかる(1923)、関東大震災」の関東大震災の翌年。大正15年が昭和1年ですから、大正の終わり、昭和が始まる直前。 フランク=ロイド=ライト設計の旧 帝国ホテルが竣工したのが関東大震災のあった1923年(大正12年)ですから、ライトの旧帝国ホテルの竣工の翌年に竣工した建物ということになります。
1923年(大正12年)「幾人、見(1923)つかる 関東大震災」  ライト「帝国ホテル」竣工。
1924年(大正13年) 田園調布駅 駅舎 竣工
1925年(大正14年)「ひどく不(1925)合理 治安維持法制定」
1931年(昭和6年) 「人、苦、災(1931)。満州事変」
1932年(昭和7年) 「ひどくみに(1932)くい 5.15事件」
1936年(昭和11年)「ひどく寒(1936)い 2.26事件」
1937年(昭和12年)「人、苦、皆(1937)、盧溝橋事件。日中戦争開始」
   こうやって見ると、愛知県犬山市の明治村に玄関ホール部分のみが移築されている フランク=ロイド=ライト設計の旧帝国ホテルの建物というのは、あれだけものすごい建物ではあるのですが、たかだか、50年ほどしか存在できなかったのですね・・・。 それが、田園調布駅 駅舎の方は駅が地下に移動しても今ももみじ饅頭の「扇の要」として存在しているわけです。

   「関東の駅 百選」とは何ぞやというと、《ウィキペディア―関東の駅 百選》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E3%81%AE%E9%A7%85%E7%99%BE%E9%81%B8 によると、≪ 「鉄道の日」記念行事の一環として選定した日本の関東地方の特徴ある100の鉄道駅である。1997年から2001年までの4年間で、運輸省(2000年からは国土交通省)関東運輸局管内(茨城県、栃木県、群馬県、千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県、山梨県)の特徴ある駅を公募等で募集し、選考委員会で100駅を選定した。 ≫というもので、8都県で100駅、廃止になった駅もあるので今は98駅らしいが、98駅としても、1都県あたり、平均12.5駅ですから、けっこうあります。 田園調布駅は、2000年の第4回の選定で選ばれたらしい。 選ばれた駅がどこか見ると、辰野金吾設計の赤煉瓦の東京駅、フランク=ロイド=ライト設計と言われてきたけれども、最近、どうも違うみたい・・・とされるが、誰の設計であれなかなかのデザインである JR「日光」駅、JRに負けずに特徴のあるデザインの東武「日光」駅、最近の建物だが鎌倉の景観との調和を考えたJR「鎌倉」駅 とか、かつてはターミナル駅だったんだなあ~あと思いをはせるJR「両国」駅とか、たしかに選ばれてもっともだと思う駅もあるのですが、言っちゃ悪いが、たいしたことない駅も入っているような気がします。 かつて、2000年前後の頃、(株)一条工務店の営業所に3年半、勤務したラーメンと佐野厄除け大師(春日丘山惣宗寺)・・しかないわけではないはずだが、なぜか、佐野ラーメンと厄除け大師をアピールしている栃木県佐野市のJR両毛線「佐野」駅も第3回で選ばれたのですが、「そんなものすごい駅かあ~あ」て気もしたのですが、それ以外の駅を見ても、「たいしたことない」のがけっこう選ばれていますから、佐野駅あたりはラーメンと同様に「町おこし」に佐野市民が頑張ったてのもあったかもしれませんが、選ばれて悪いてこともないかもしれません。 並んでいる駅名を見て、自分が行ったことがある駅の駅舎を思い浮かべて考えるならば、田園調布駅 旧駅舎は、当然、選ばれていい駅舎だと思います。

   さて、設計者の矢部金太郎て誰やねん・・・・? て思いませんか?   こういう時に、自称「デザイナー」とか自称「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とかいう人達だと、「有名建築家」「世界的建築家」を知らんなんて言うたらみっともないのと違うかとか瞬時に考えて、「有名建築家」「世界的建築家」と「建築史」とか「現代建築論」とかのテキストに名前が載っている人だと、即座に「パブロフの犬」になって「ああ~あ、◇◇の建築ですねえ~え」と声を裏返らせて叫ぶ・・・ということをするのでしょうけれども、なにせ、私は建築業界で長く勤めてきましたが、あくまでも、「建築屋」業界であって、「建築家」業界には勤めていませんので、だから、そういうしょーもないことは、しません! ・・・しかし、「建築家」「デザイナー」「いっきゅうけんちくしい~い」とかいう連中てのは、なんだか、まったくつくづくくだらん連中だなあとあきれます。
   矢野なら有名人は矢野健太郎で数学の教科書ですが、矢野ではなく矢部。東京建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986.9.25.文春文庫)には、≪田園調布の生みの親は渋沢栄一だが、育ての親と言ってもいいのが矢野恒太(第一生命の創業者)で、矢野は一族もろともここに移り住んでいる。その矢野の長男・一郎の家は、・・・・  なお、(矢野)一郎は父の跡をついで田園調布の充実に尽くした。≫と出ており、その矢野恒太の長男の矢野一郎の家が田園調布3丁目、田園調布駅の西の道路が放射線状になった地域、日本基督教団 田園調布教会の少し南のあたりにある・・・と出ていたのだが、行ってみると、どうも、矢野邸は今はなくなったようだが、矢〇の苗字が似ていて一郎と金太郎と名前も似ているが、やはり、矢野ではなく矢部。で、困った時にはウィキペディア・・・で見ると、《ウィキペディア-矢部金太郎》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%83%A8%E9%87%91%E5%A4%AA%E9%83%8E に出ていました。≪矢部 金太郎(やべ きんたろう、生年不明- 1976年)は、日本の都市計画家、建築家。旧建築会館や田園調布駅の設計で知られる。第2次世界大戦後は、郷里で町会議員等を務めた。≫ 静岡県出身で、東京美術学校を卒業し、田園都市株式会社に籍を置き、田園調布駅の他、多摩川園(園内デザイン)・川奈ホテル(インテリア)・旧建築会館などを担当、住宅では、田園調布の渋沢秀雄邸・芝本龍平邸・犬丸邸・篠原千三郎邸を担当した・・・という人らしい。
   たしか、『格言の花束』 という題名の本に、
「 不信仰とは、信じているとか信じていないとかいう問題ではなく、信じていない宗教に帰依しているという状態のことである。 」
と書かれていた。 1978年(昭和53年)、YMCA予備校高槻校に「主事」というよくわからん職種でいた藤井という「敬虔なクリスチャン」「クリスチャンはクリスチャンでも並みのクリスチャンではない、特別にえらいクリスチャン」というおっさんが、「聖書なんて、あんなもん、読むもんと違うんや。あんなもん、読んでいいことなんて、何ひとつとして書いてないんだから。 読んではいかん。 たとえ、読むにしても、歳いってから読んで、『はあん、そんなもんか』と思えばいいことであって、若いうちに読むようなことは絶対にしてはいかん。ましてや、そこに書かれていることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。 聖書なんてあんなもん、読まんでも、洗礼を受けて、日曜ごとに教会に行って礼拝に出て献金はらっておけば、それでええんや。聖書なんて、絶対に読んではいかん」と何度も何度も言っていたのだが、その発言を聞いて、なんだか、教会の洗礼・礼拝・献金というのは免罪符3種の神器みたいやなあ・・と思うとともに、この人、そんなこと思っていて、なんで洗礼うけたんだろうなあ、そんなこと思ってるのなら洗礼なんて受けなければいいのと違うのかなあ~あ・・・・・・と思ったのだが、この『格言の花束』に書かれていたこの言葉を読んで、まったくその通りだ、YMCA予備校の藤井て男は、まさにそれだ! と思ったのだが、この文句の発言者は誰かというと、名前は書かれていたのだが、どういう人かというと、人名辞典を引いても広辞苑を引いてもでていないし、インターネットで検索しても出ていない。 で、本の巻末に、「詩人」とか「哲学者」とか「物理学者」とか「◇◇の政治家」とかその発言者の略歴が書いてあるのだが、どう書いてあるか見てみると、「不詳」と書いてあったのだ。 編集者もどういう人かよくわからずに、発言だけ引用したらしかった・・・が、大事なのはどれだけエライ人が言ったかではなく、どれだけもっともなことを言っているかであるから、どういう人なのかは、絶対に大事な問題でもないかもしれない。
  ニューヨーク州立シラキュース大学 精神科教授トマス=サズの『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)では、「彼らが何を言っているかを聞くのではなく、彼らが何をやっているか、を見るべきだ」というアインシュタインの言葉が引用されている。トマス=サズは「彼ら」=「精神科医」と称する人達 は、「医学」だと言って「精神医学」をやっているが、彼らがやっていることは文学・哲学・倫理学・宗教学・社会学といったものであって、どう見ても医学をやっているのではない、ということを指摘する。又、「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」という指針で見るならば、今日、「精神医学の悪用」とか「質の悪い精神医学」と言われているものというのは、実は「精神医学の悪用」とか「質の悪い精神医学」といったものではなく、「精神医学の本質」なのだ、と鋭い指摘をしている。 この「彼らが何を言っているか、ではなく、彼らが何をやっているか、を見るべきだ」という指針も、重要なのはこの言葉が示す指針であってこの言葉を言ったのがアインシュタインであるかアリストテレスであるかアンデルセンであるかなどはたいして重要なものではない。
  田園調布駅の設計者 矢部金太郎さんがどういう人なのかも、JR「日光」駅がフランク=ロイド=ライトの設計でなくても、だから、くだらんということになるわけでもないのと同様、設計者が有名人かどうかは二番目以降の問題だろう。「パブロフの犬」にとっては何より大事だろうけれども。

   次回、3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_3.html

  (2018.6.1.)

☆ 田園調布と田園調布の教会
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ 〔今回〕
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_4.html
5  日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_5.html
6.  同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_6.html
7.  同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_7.html
8.  同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_8.html
9.  同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_9.html
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_12.html
13.カトリック田園調布教会と聖フランシスコ修道院 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_14.html  




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