「子供は女が育てるもの」か? 「息子は種を植えた者に所有権がある」か?-「父の日」に思う【3/4】

[第382回]
   世の中には、いろいろな考え方があるものなんだなと思う時がある。1989年(平成1年)のこと、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)・・・→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕の松戸展示場に勤務していた時、建築地の法規制について尋ねるために千葉県松戸市の市役所に行ったことがあったのだが、その際、松戸市役所の壁に、
  「 子育てをしない男を父親とは言わない  厚生省 」
と書かれたポスターを見ました。そうだよなあと思いました。同時に、世の中にはいろいろな考えの人がいるのだなあ、とも思いました。
   父はそうは言ってなかったのです。「子供ちゅうもんは女が育てるもんや。甘ったれておってはならんぞ、甘ったれておっては」と。そういう父親だったのです。だから、たしかに、そのおっさんが勤めに行って受け取ってくる給料から生活費を出してもらって育ったのですが、あんまり、父親という感じではなかったのです。 ところが、私が高校を卒業する頃になると、「世の中の人間はな、自分ではやらずに人に命令したり号令かけたりするのが向いている人間と、自分で自分のことを決めずに、何でも何でも人に命令されてそのとお~り、せっせせっせとやるのが向いている人間とがおるわけや。どっちか片方ではいかんのや。天の神さまは大変賢明なお方であってやなあ、人間を生まれる時点で分けてお造りになっておるわけや。民族でもそうやろ。ロスケとかイタコとかチャンコロとかは命令されるべき民族、服従する民族なんや。ドイツ人とかアメリカ人は命令する民族、号令かける民族。この2つの民族がおってこそ、世の中は成り立つわけや。適材適所や。そんでもって、わしいはドイツ人なんや。わしはドイツ人でアメリカ人やねん。そんで、あんたはロスケでイタコでチャンコロじゃ。あんたはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコなんじゃ。わかってるか。 あんたは、もしかすると、知らんかったかもしれんけどなあ。わしは普通の人間とは違うねんで。わしはスーパーマンやねん」と言い出したのだ。 「わしはスーパーマンやねん。知ってたか?」と言うのだが、知らんかった・・。パーマンかと思うとった。
   「世の中はな、人に命令する民族・号令かける民族と、人から命令される民族・号令かけられる民族と2種類に生まれる時点ではっきりと分かれておるわけや。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族。あんたあはロスケでイタコでチャンコロで拓殖で浪商の民族。おまえはチャンコロやねんぞ、チャンコロ。神さまは大変賢明なお方であるとともに、大変慈悲深いお方でやなあ、チャンコロにもまた、チャンコロとしての人生を用意して下さっているおるわけや。即ち、服従する人生というものを神さまはチャンコロには用意してくださっているのでR。神さまに感謝しろ!チャンコロ。おまえは服従するための民族やねんぞ、チャンコロ。わかっとんのんか。このチャンコロめが、よくも産まれおってからに、このチャンコロ。産まれなければよかったのに産まれおってからに、このチャンコロ。産まれなければよかったものを産んでいただいた、ということを感謝しろお!」 と毎日毎日、私の鼻の頭を指さして言いました。「おまえはチャンコロやねんぞ、おまえは。わしはドイツ人でおまえはチャンコロやねんぞ。民族の違いをゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ、このチャンコロ!」と。父は日本人だと思っていたのですが、違ったそうで、「ドイツ人でアメリカ人」だそうでした。私は父と母の子ですから、両方とも国籍は日本人の親から生まれた子供ですから日本人だと思っていたのですが、それは間違いで、「チャンコロ人」だそうです。父はドイツ人だとして、母は何人かというと、母は日本人らしい。常に父につく上の姉もまた、ドイツ人だそうなのです。で、父ではなく母の側についてきた下の姉は日本人だそうで、私だけが「チャンコロ人」らしい。どうも、「民族」というのは血液型みたいなものなのですね。 血液型も、たとえば、AB型の父親とBO型の母親からですと、AO・AB・BB・BOの4種類、血液型としては、A型・B型・AB型の3種類の子供ができる可能性があるのですが、「民族」もまた、ドイツ人と日本人の間の子供には、ドイツ人・日本人・「チャンコロ」の3種類の子供ができるようです・・・が、私の場合はそれともまた事情は違うようでして、父が言うには「わしいは特別に特別にえらい人間。わしはキリストかヒットラー総統ような聖人で人格者でドイツ人で英雄やねん。で、なによりも、謙虚やねん」と言っていたのです。
〔⇒《YouTube-交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)》 https://www.youtube.com/watch?v=GKFStVrKNU4 〕
「わしいのようなドイツ人で英雄の人格の人間にやなあ、あんたあみたいなカス民族が産まれたというのは、これは生物学上の突然変異学説というものなんや。わかっとんのんか、チャンコロ。おまえは突然変異学説やぞ、チャンコロ」と。ですから、私と父との間にDNAのつながりはないのです。良かった。あのおっさんとはDNAのつながりはなかったのだ(^^♪
「わかっとんのんか、おまえはロスケやねんぞ、ロスケ!」
〔⇒《YouTube-Эй, ухнем! (えい、ウーニェム) Шаляпин Фёдор Иванович.(フョードル=イヴァノヴィチ=シャリアピン)wmv》https://www.youtube.com/watch?v=lBLlJb9tOJY&spfreload=10 〕、
「おまえはイタコやぞ、イタコ!」
〔⇒《ニコニコ動画-ヴォメロの洗濯女》http://www.nicovideo.jp/watch/sm12444943 〕
・・・と毎日のように言っていたのですが、ほら、バックミュージックからして、「ドイツ人」と「ロスケ」「イタコ」とはずいぶんと違いますでしょ・・・(^^♪
※ 《ウィキペディア―突然変異説》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E7%84%B6%E5%A4%89%E7%95%B0%E8%AA%AC

   松戸市役所には「子育てをしない男を 父親とは言えない 厚生省」と書かれたポスターが貼られていたのですが、父は逆のことを言っていたのです。「子供ちゅうもんは女が育てるものです。甘ったれなさんな」と。 母は「あんたの体はあんたが産んだんやないんやから、あんたの所有権は産んだ者にあるんや」と言っていたのです。「娘は嫁にやったものやから、やった相手に所有権があるけれども、息子は産んだ者に所有権があるんや」と。それに対して、父は、そうではなく、「女は畑じゃ。茄子でも胡瓜でもそうやろ。畑が芽をだしたのとは違うわけや。種を畑に植えた者がおるから畑から芽が出たわけや。 畑に種を植えてあげてやってやってあげてもらっていただいてくださってあげてやってやってやってもらってやってくださったありがたいお方がいらっしゃったおかげで、種が芽をだしたわけや。畑のおかげで芽を出したのとは違うわけや。種を植えてくださってあげてもらっていただいてくださってやってやってあげてもらっていただいたお方のおかげやねん。そんでもって、芽を出したなら、そこから育てるのは畑の役目じゃ。それでやなあ、実がなるようになったら、それは種を植えた者に権利があるわけや。畑に権利があるのとは違うんや。茄子でも胡瓜でもそうやろ。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわ~けがない。甘ったれておってはならんぞ、甘ったれておっては。心得違いを起こすなよ、茄子! 間違った認識をしてはならぬぞ、胡瓜! わかっとんのんか、このチャンコロ!」と父はそう言うのでした。
   母が言うには、私が産まれた時、大阪市天王寺区の病院から東住吉区の家まで連れて帰る時、祖母(母の母)が来てくれて、「出産したすぐ後は力がでないから、私が抱いてあげるわ」と言って産まれたばかりの赤ん坊を祖母が抱いてくれて家に帰ったところ、11月の夕方、家の中はストーブもつけておらず冷え冷えとしており、父の母の方の祖母は自分ひとりだけで火鉢にあたっていたというのです。冷え冷えとした家の中に入ると、赤ん坊は顔色が真っ青になり、母はどうしたらいいのかと思ったそうですが、その時、母の母である祖母が近所の内科に走っていって、馴染みの内科医の腕をつかんで「すぐ、来てください」と言って引っ張ってきたそうで、部屋を暖めると、赤ん坊の顔色は元に戻ったので、母はほっとしたけれども、あの時はどうなるかと思った、と今も言うのです。「お父さんはどうしてたのですか?」と言うと、「お父さんはゴルフでしょ。子供は女が産むもんや、て」と言うので、「出産は病気ではないと言っても、何があるかわからないのだから、産むのは女であっても、ダンナは、病院から帰る日くらいは、会社を休んで病院から一緒に帰るか、休めないにしても、半日だけでも仕事をあけて病院から同行するとか。そうでなくても、ゴルフに行くことないでしょ」と言ったのだが、「あの人が、そんなこと考えるわけないでしょ」と言うのだった。あのおっさんのことですから、おそらく、そんな感じだったのでしょう。父は「よくも、産まれおってからに、このチャンコロ。産まれなければよかったのに、チャンコロ。自分が産まれてきたということを反省しろ、チャンコロ! おまえが産まれてこなければみんなが幸せになったのにからに。産まれおってからに、チャンコロ!」と何度も何度も私に顔を指さして言っていましたので、それから考えると、その時に死んでしまえば「みんなが幸せになった」のかもしれません。
   ともかく、「子育てをしない男を父親とは言わない」という思想と、「子供は女が育てるもんじゃ。甘ったれるなよ!」という思想とは正反対の思想ですが、不思議なのは、「子供は女が育てるもんじゃ」とか言うおっさんが、犬を飼いたがったりしたことがあるのですが、子供の相手をするのは嫌でも、犬は飼いたがるというのは・・・、なんか、ようわからんおっさん・・・でした。

   「子供は女が育てるもんじゃ」という思想と、「女は畑であって、種を植えてあげてやっていただいてくださってもらってあげてやっていただいた方のおかげで子供は産まれることができたのであって、産まれたならば育てるのは畑の役目で、育って実がなるようになったら、種を植えた者に権利があるんじゃ。畑に権利があるわけじゃない。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわ~けがない」という思想は、父は「親友」で医者屋のM川から言われたことでもありました。M川がまさにその通りの文句を言っていたのです。父はそう言われて「さすがはM川先生。神さまのような人」と言っていたのです。そして、私に「神さまのおっしゃること」と言うのでした。医者屋やってる人には新興宗教の教祖みたいな人というのが時々いるのですが、「神さまみたいな人」と父はM川を崇拝していたのです。そして、「ええ~えこと、言いはる。女は畑じゃ。子供は茄子じゃ」と言っていたのです。父や父の「親友」の医者屋のM川の「子供ちゅうもんは女が育てるもんや。女は畑であって、茄子でも胡瓜でも畑が育てるもので、育てて実がなるようになったら種を植えた者に権利があるんじゃ」という思想は「子育てをしない男を父親とは言わない」という厚生省のポスターの思想とは正反対の思想です。父とか父の「親友」で医者屋のM川からすれば、「子育てをしない男を父親とは言わない」という文句をポスターに入れた厚生省(現 厚生労働省)の人間というのは「甘ったれとる」「モラトリアム人間病にかかっとる」「自我が確立されていない」「独立自尊の精神がない」とか「社会を知らん」、「世の中をなめとる」、「常識が欠けている」とか「診断」されることになるでしょう。

   もうひとつ。『築地魚河岸三代目』という漫画が「ビッグコミック」に連載されていたと思ったのですが、ふと、気づくと掲載は終わっていました。その中で、築地の中卸 魚辰の三代目、赤木旬太郎の妻 明日香が出産する際に、産婆さんが、「女は大変な思いをして出産するけれども、子供が産まれたら、その時から母親になるけれども、男はそうじゃないんだよ。男は単に子供が産まれただけでは父親じゃないんだよ。子供が産まれてから、その子供に恥ずかしくないような父親としての生き方をしてみせて、それで父親になるんだよ」と語る場面があったと思います。そういう考え方もあるんだなあと思いました。
   「種を畑に植えてやってやってやってあげてやってもらっていただいてくださってもらってあげてやっていただいた恩に報いるために。すべてを親こっこっこのために、ささげ尽く~す。すべてをわしのためにささげ尽く~す。とってちってたあ~あ!」と父は毎日叫んでいたのです・・が、ずいぶんと思想が違います。「戸締り用心、火の用心、親に孝行せえよお。わしに孝行せえよお。すべてをわしのためにささげ尽く~す。マッチ一本火事の元。とってちってたあ~あ!」と叫んでいたのです・・が、世の中いろいろ、人生いろいろ、人間いろいろ、父親もいろいろ・・てところでしょうか。
    世の中いろいろ、人間いろいろ、父親もいろいろ・・・なのでしょうけれども。父は「世の中にはやなあ。カス親! もおれば、ダメ父! もおるわけや。それに対して、わしいのようなえっらいえっらいえっらいえっらいエッライエッライ、スーパーマンのお父さんもおるわけや。あんた、わしのような特別にえらいお父さんをもって、あんた、幸せやねえ~え。あんた、得してるねえ~え! あんた、恵まれてるねえ~え!」と言うのでした。 なるほど。なるほど。「女は大変な思いをして出産するけれども、子供が産まれたら、その時から母親になるけれども、男はそうじゃないんだよ。男は単に子供が産まれただけでは父親じゃないんだよ。子供が産まれてから、その子供に恥ずかしくないような父親としての生き方をしてみせて、それで父親になるんだよ」という考え方は、男性が自分自身についての戒めとして持つのならいいと思うのですが、父の場合は、「そうや。ほんまや。わしいみたいなえらいえらい聖人でスーパーマンでキリストでヒットラー総統のようなドイツ人のお父さんもおれば、カス親もおれば、ダメ父もおるわけや」と考えるらしかった・・。なんか、アホがめでたいのお・・とか言いたくなってくるのですが、「そう思いますと言いなさい」と父は言うのでした。しかたがないから、「はい、思います」と嫌々行ったところ、「ほんまに思うとるか、ほんまに。ほんまにほんまに思うとるか、チャンコロ。心の底から思えよ、チャンコロ。心の底からわしを崇拝せんといかんぞ、チャンコロ。わしとM川先生を心の底から崇拝しろよ、チャンコロ。ちゃんころチャンコちゃん高楼、ちゃんころチャンコロちゃん功労」と言うのでした。
   「畑から芽が出て、その芽が努力して実が結ぶようになったなら、その実は種を植えた者に権利がある」というのは冗談ではなく、父は心の底からそう思っていたようで、ということは、努力して勉強すれば、行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をして就きたい仕事につける・・などと思って小学校の1年から努力してきたのは、それはありもしない幻覚を追って努力してきたということになります。ない夢を追って来たのでした。「甘ったれておってはならぬぞ、甘ったれておっては」ということでした。そして、「わしは号令かけるのが得意やねん。そんでもって、あんたは号令かけられるのがうれしいねん。適材適所や、適材適所」と言うので、「私、うれしくないですよ。号令かけられるのなんて」と言ったのですが、「な~にを言うとるんじゃ、なにを。おまえは号令かけられるのがうれしいんじゃ。チャンコロは号令かけられることを喜ぶ民族。チャンコロはチャンコロらしく、ドイツ人はドイツ人らしく。これは神さまがお決めになったことなんやで。神さまに逆らってはならぬぞ、チャンコロ。神さまがお決めになったオキテを変えようなどとは夢にも思うてはならぬぞ、チャンコロ」と言うのでした。そう言われると、「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)。 革命無罪(革命は無罪である)。」とでも言いたくなってくるのですが、なんか、「神さま」てしょーもないおっさんやなあ、ちっぽけなおっさんやなあ・・て感じがしてきます。

   父は、私が小学生の頃、「そんなもん、結婚相手なんて、一流大学でて一流企業に勤めたら、女の方から『もろてくださ~い』『もろてくださ~い』いうて言うてきよるわ」と何度も言っていたのです。それを聞いて、「一流大学」というものには行きたくないなあ、と思ったのです。又、「一流企業」とかいうものには勤めたくないなあと思った。しかし、困ったことに学校の成績はけっこうよくできましたので、そのままの成績で中学校に行き高校に行き大学に行くと、そのなんとも嫌な「一流大学」に行くことになってしまいそうです。嫌だなあと思いました。特に、「一流企業」なるものには絶対に行きたくないと父の言うことを聞いて思ったのです。
   母の家系は学校の先生が多い家系で、伯父(母の兄)は高校の先生をしていて、叔父(母の弟)は大学の体育の先生をしていましたし、母の叔母のダンナは小学校の先生をしていました。母の兄・弟・叔母の家庭の経済レベルは我が家とそれほど変わらないように思ったので、又、戦前は学校の先生というのは「師範学校」という学費を払わなくても行かせてもらえる学校に行った人がなる仕事だったので、金持ちの師弟ではないが勉強はよくする人がなる仕事だったと母から聞いたので、特に金持ちでなくてもなっていい仕事なのだろうと思っていたのです。そして、学校の先生というのは自分自身が学校で勉強した人がなる仕事であって勉強しなかった人がなる仕事ではないと思ったので、「会社っちゅうところ」なんぞに勤めて、「もろてくださ~い」とか言うてきた人の娘なんてのとおっさんに結婚させられるよりも、学校の先生にでもなって、一生、学問に身を捧げる方がいいと思ったのです。学問に身を捧げると、結果として、現実の社会と学問との間に「緊張関係」とでもいったものが発生する可能性もありますが、それは学問である以上は当然のことです。そう思っていたのですが、私が北野高校に入学してすぐの時、父の勤め先の社長の息子(現 社長)が東大経済学部卒で、その社長の息子がまだ父よりも役職が下だった頃でしたので、父が、大学進学と東大のことを教えてやってくれと頼んで呼んできたことがあったのですが、その時に、父が「学校の先生みたいなもお~ん」と言うので、私の方では「会社員みたいなもお~ん」と思っていて、せっかく、小学校の1年から努力して勉強してきたのに、なんで、経済学部みたいなもんに行かされて、なんで、「会社員みたいなもお~ん」にならされなきゃならんのだ、と思っていたのですが、父の考えでは高校の先生とか中学校の先生とかのことを「学校の先生みたいなもお~ん」と考えていたらしいと知ったので、それなら、大学の先生なら「学校の先生みたいなもお~ん」という評価にはならないのだろうと思い、大学に行って努力して勉強して大学院に行って、大学の先生になればいいということかと考えたのでした。そうでなければ、「会社員みたいなもお~ん」になるのに、何もあそこまで必死に勉強する必要なんてないはずでした。 ところが、高校3年になり、あるいは卒業して、大学に行くという時になってくると、父は「うちは大学院になんて行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言うのです。慶應大学の学生相談室に行って尋ねたところ、日本育英会奨学金というものがあって、学業成績と親の年収との2つで受給できるかどうかが決まるが、高校・大学の場合は学業成績よりも親の年収の方がより重視されるらしいのですが、大学院の場合は学業成績だけで親の年収は関係ないらしいのです。それを話したのですが、「甘ったれるな。チャンコロ。産まれなければ良かったのにおまえが産まれたおかげで、わしは今までカネかかって迷惑しとるんじゃ。おまえにはこれから働いてまどてもらわんといかんのじゃ、チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロ」と言うのです。我が家と同じ町内に北野高校の地理の先生をされていた方があって、まあ、世の中には大きな家に住んでいても家計は火の車という家もあれば貧相な家に住んでいても金持ちの家もあるので住んでいる家だけでその家の経済状況はわかりませんけれども、とりあえず、住んでいる家は我が家と同程度でしたので(又、同じ町内に他にも高校の数学の先生やってる方がありましたし、父の友人で高校の英語の先生をやっている方もありましたし)、「◇◇先生だって学校の先生されてると思いますけれども」と言ったのですが、父は「あそこの家は金持ちや」「うちは◇◇先生の所のような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言うのでした。それなら、司法試験を受けて裁判官か弁護士になろうといったことも考えたのですが、父は「うちは司法試験なんて受けさせるような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言うのでした。そのうち、同じ中学校から北野高校に行った同級生で阪大の法学部に行ったKが司法試験に合格したのが新聞に出ると、「K村くんの爪の垢を煎じて飲みなさい」と手紙に書いてきて、それと同時に電話をしてきて、「K村くんに爪の垢を分けてもらってきなさい。そんで、それを飲みなさい。よろしいな。K村くんに爪の垢をくださいいうてお願いしてきなさい」と言ってきました。私には「うちは司法試験なんて受けさせるような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言っておいて、受けて通ったやつがいると、そう言ったのです。小学校から大学までに学んできたものを捨てなければならないような仕事ではなく、小学校から大学までに学んできたものを生かせる仕事と思って、新聞社などはどうかと考えたことがあったのですが、そうすると、父は「朝日新聞はアカやから勤めてはいか~ん」と言うのです。「毎日もアカやからいか~ん」と。「マスコミに勤めるなら、産経新聞にしなさい」と言うのです。「産経みたいなもん、殺されても嫌です。マスコミに勤めるなら朝日新聞がいいです」と言ったところ、「のぼせあがるなよ、このチャンコロめが、このチャンコロ! このわしが朝日はアカやから勤めてはいかんと言うておるんやぞ、このチャンコロ! ええかげんにせえよ、チャンコロ! マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさいとこのわしが言うてやってやってやっとるんじゃ! チャンコロ」と言うので、「私が産経は嫌です。私がマスコミに勤めるなら朝日がいいと言うてますねんで」と言ったのですが、「ええかげんにせえよ、このチャンコロめが、このチャンコロ。おまえは決める役とは違うねんで。決める役はわしとかM川先生とかのドイツ人で、おまえはチャンコロで、ひとに何でも決められて、決められたとおり、せっせせっせやるのが神さまがお決めになったおまえの使命やねんぞ、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ、このチャンコロめが、産まれなければ良かったのに産まれおってからに、チャンコロ! 民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! このチャンコロ! このロスケ! このイタコ! このニグロ! このプエルトリコ! わかっとんのんか、おまえは服従するために神さまに造られた民族やねんぞ。おまえは服従するための民族。わしいとかM川先生とかはひとを常に服従させなければならないというのが神さまから受けた使命やねん。即ち、わしとかM川先生はドイツ人でR、おまえはチャンコロでR 民族の違いを忘れるな! チャンコロ! 階級の違いを忘れるな! チャンコロ!」と言うのでした。大学院に行かすような金持とは違います、学校の先生にならすような金持とは違います、司法試験を受けさせるような金持とは違います、工学部に行かすような金持とは違います、医学部は6年間行かないといけないからいけません、4年で卒業できる学部にしなさい、マスコミに勤めるのなら産経新聞でなかったら勤めてはいか~ん、国家公務員は転勤が多いから勤めてはいか~ん・・と言うのですが、片方で「わしはわしのためにどこに勤めろなんて、そういうことは絶対に言わん人間やねん。あくまでも、あんたが行きたい所、就きたい仕事に就かせてやりたいと只管願う聖人のお父さんやねん」と言いながら、結果としては「只管、すべてを会社のためにささげ尽く~す。とってちってたあ~あ!」の仕事しか残ってないわけです。結局、我が家は世界で一番貧乏だった、ということでした。同級生などで、奨学金をもらって大学に行った人が何人かいましたが、そういう人は、親から学費を出してもらったのではなく奨学金をもらって大学に行くものですから、我が家なら「うちは工学部なんか行かすような金持とは違います」という工学部とかに行ったりしていたのです。なぜ、私だけが・・と思いましたが、結局、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に暴力と脅迫で行かされて、結局、卒業しました。但し、3年以上遅れて卒業しましたので、就職は有利ではなく、「一流企業」には勤められませんでした。その点だけは、「ざまーみろ!」と思いましたが、三流以下企業に勤めると「一流企業」に勤めていたらしない苦労を大量にしました。
    三流以下企業に勤めたので、「結婚相手なんて、一流大学でて一流企業に勤めたら、女の方から『もろてくださ~い』『もろてくださ~い』いうて言うてきよるわ」というそういう事態だけは避けられただろう、と思い、そういう女とだけは結婚させられたくないと小学生の時から思ってきたけれども、それだけは避けられたと思い、「すっとした」という気持ちでしたが、ところが、甘かった。父は、今度は、「あんたの結婚相手はわしが決めたるわ」と言うのです。この事を下の姉に話したところ、「何を言うてんのん。あの人にそんなもの、結婚相手の女を紹介するようなツテなんてあるわけないでしょう。又、たとえば、▽▽さんとかなら、たまたま、会ったような女の子にでも話しかけて、『うちの親戚にこういう男性がいるんだけど、会ってみない?』とか言ってみたりする能力があるけれども、うちのお父さん、そういうことのできる人と違うでしょうよ。あの人、そういう能力もない人でしょうよ。あの人が結婚相手を決めるなんてそんなものできるわけないでしょうよ」と言うのですが、姉は意味を完全に取り違えているのです。父は、自分が結婚相手によさそうな女性を探してくるなどとは一言も言っていないし、そんなつもりは毛頭ないのです。父が言っているのは、「あんたが、女を何人か用意して、わしの所に連れてきなさい。そしたら、その中から、わしがええのを選んだるわ。もしも、その中に、わしがええと思う女がおらんかった時は、『みんな、あか~ん』いうて言うたるから、そしたら、あんたが、また、何人か、別の女を用意しなさい。そしたら、また、わしがそれを見て、その中から、『これが、ええ』て決めたるわ。その中にもええのがなかったら、その時は、また、『みんな、あか~ん』て言うたるから、又、あんたが女を何人か用意しなさい。そうやって決めたらええ」と、父はそう言ったのであって、父は自分が結婚相手によさそうな女性を自分が探してくるなどとは一言も言っていないし、そんなつもりは毛頭ないのです。姉は父がどういう人間か、まったくわかってないのです。私がわかっていて姉がわかっていないというのは、その部分において、姉は『家族の政治学』において「まだまだ苦労がたらん」、少なくとも、私と同等レベルの体験をしていないようです。
    私は父に言ったのです。「別に、決めていりませんけれども」と。そうすると、父は「何を言うとるんじゃ、何を、このチャンコロ! ええかげんにせえよ、チャンコロ。つけあがるなよ、チャンコロ。のぼせあがってはいかんぞ、のぼせあがっては。よもや、このわしを普通の人間であるとか勘違いをしてはおらんやろうなあ。このわしは普通の人間とは違うねんぞ。このわしは。わし、M川先生(父の「親友」の医者屋)、M尾さん(父の部下で父のおかげで出世したらしい人)、T子さん(我が家で常に父についてきた上の姉)、この4人とヒットラー総統は特別にえらい民族やねんぞ。ドイツ人やねんぞ。〔⇒《YouTube-ワルキューレの騎行》https://www.youtube.com/watch?v=TR8Hb1itdhc 〕おまえとは民族が違うねんぞ、おまえとは、民族が。わしとかM川先生は特別にえらい民族で特別に謙虚な人間やねんぞ。あんた、結婚というものは大事なものやねんぞ。そういう大事なものは、おまえのようなチャンコロが決めるものとは違うねんぞ、チャンコロ! のぼせあがってはならぬぞ、チャンコロ! つけあがるなよ、チャンコロ! 心得違いを起こすなよ、チャンコロ! 民族の違いをゆめゆめ忘れてはならぬぞ、チャンコロ! わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ!」と言うのでした。「ええか。結婚ちゅうもんは大事なものやねんぞ。そやからやなあ、そういう大事なものは、わしいとかM川先生とかのドイツ人に決めてもらうものなんやぞ、チャンコロ。わしとかM川先生とかのような謙虚な謙虚な人間が決めるものであっておまえが決めるものとは違うねんぞ、チャンコロ! おまえは決める民族とは違うねんぞ、チャンコロ。のぼせあがるなよ、心得違いを起こすなよ、甘ったれるなよ、チャンコロ。チャンコロが決めるものとは違うねんぞ、チャンコロ!わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ! わしとかM川先生とかいったやなあ、謙虚な謙虚な人間に決めてもらうものやねんぞ。ええか、おまえが女を何人か用意するんやぞ。ひとに頼ってはいかんぞ、チャンコロ。ひとに探してきてもらおうなんぞと思うてはいかんぞ。甘ったれるなよ! おまえが女を何人か用意してやなあ、そんでもって、わしとかM川先生とかいったドイツ人で謙虚な民族に決めていただくというのが、これが誰もにとってええことなんや。わかっとんのんか、チャンコロ、わかっとんのんか、チャンコロ」と何度も何度も言うのでした。何度も何度も、毎日のように言われ続けて・・、そして、お嫁さんなんて、要らんわ・・という気持ちになりました。
〔 だいたい、普通、この人と結婚しようということになった時に、相手の親に会いに行くということなら、男が女の親にであれ、女が男の親にであれ、会いに行くと思いますが、そういうわけでもないのに、「あんたが女を何人か用意しなさい」とか言われても、普通、そんなもん、結婚すると決まったわけでもない男の父親に、「何人か」の女とともに会いに行くか? ・・というと、私は、普通は、そんなもん、会いに行かんと思うがな・・( 一一) 〕

   川島武宜(たけよし)・・というと、我妻栄に次ぐ民法学者のビッグネーム・・・として法学会では有名人ですが、
「 1909年 岐阜県に生まれる。
 1932年 東京大学法学部卒業
 東京大学名誉教授 」
と川島武宜『結婚』(1954.岩波新書)の奥の略歴には書かれているのですが、岐阜県生まれと東京大学法学部卒業の間が、↓
≪ 1925年 大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)卒業
   1928年 大阪高等学校(現大阪大学)卒業
   1932年 東京帝国大学(現東京大学)法学部卒業  ≫
( 《ウィキペディア-川島武宜(かわしま たけよし)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E6%AD%A6%E5%AE%9C )
1925年に北野高校の前身の北野中学校卒業、その後、東大に行ったのではなく阪大の前身に入って卒業した後に東大の法学部に行ったらしい。
《ウィキペディア-大阪府立北野高等学校の人物一覧》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E5%8C%97%E9%87%8E%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7 を見ると、「瀧川事件」の瀧川幸辰も北野高校の前身の出身らしい。
   その川島武宜『結婚』(1954.5.20.岩波新書)に次のように書かれている。
≪ だが、人々の考えは、このような事実とはくいちがって、近来大はばに変化しつつある。後にのべるように、多くの人々――特にこれから結婚しようとする若い人々の多くは――、自分の意思で結婚をきめるべきだと考え、そうしたいと望んでいる。それなのに、現実に行われる結婚の大部分がこのような考えとまったくちがったしかたで行われているのは、どういうわけなのであろうか。結婚に関する憲法や民法の改正は、紛争が起りかつそれが裁判所にもちだされた場合にはじめてわれわれの生活に干渉してくるのであって、それまでは、われわれが実際に行う結婚は、法律以外の別の平面の力によって規定されている。だが、法律がわれわれの理想とするところを規定しているものである以上、それは紙の上の文字であることに満足するべきではなく、現実の社会の中で結婚がどうしてそのように行われているのか、またどうしたら望ましい方向に結婚を変えてゆくことができるか、また現在結婚はどの方向に向かって変化しつつあるか、が問題とされねばならない。・・・ ≫
〔 《ウィキペディア―川島武宜》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E6%AD%A6%E5%AE%9C には、≪ 啓蒙的な著作を多く著し、丸山眞男、大塚久雄とともに戦後民主主義、啓蒙主義を代表する論者。≫と出ている。私は、「リベラル」とはこの丸山眞男、大塚久雄、川島武宜といった人達などのことを言うものと認識していたのですが、人によって用語の定義づけが違うようで、慶應大学の学生と話をすると、慶應の人間は、竹村健一とか渡部昇一とか東京の街中を街宣車走らせて軍歌ならしている人とかそういう類を「リベラル」と言い、丸山眞男、大塚久雄、川島武宜といった人達などのことは「ラディカル」と言うのです。そういう「塾風を身に着けた慶大生」と話をすると、こちらは「リベラル」のつもりでも「ラディカル」と罵られますからそういう相手(「慶應タイプ」「白痴右翼」)とは話さん方がよろし。〕

    父は「結婚というものはな。あんた、それは大事なもんやねんで。そやからやなあ。あんたが決めるもんとは違うねん。わしいとかM川先生とか、えらいえらいえらい謙虚な神さまに決めてもらうのが、それがあんたにとっての幸せやねん。そういう決め方をするのがあんたにとって間違いのない結婚のしかたやねん。そやからやなあ、あんたあは、あんたが女を何人か用意しなさい。そしたら、わしがその中から『こいつにせえ』て決めたるから、その中にええのがなかったら『みんな、あか~ん』言うたるから。そしたら、あんたがまた女を何人か用意しなさい。また、わしがそれを見て『こいつがええ』というのがあったらそう言うたるし、なかったらまた、『みんな、あか~ん』言うたるから。そうやってわしが決めたるわ。わしみたいな謙虚な人間に決めてもらうのがそれが正しい方法や。」と言うので、「決めていりません」と言ったのです。「私が決めます。ひとに決められて成功するのと、自分で決めて失敗するのとでは、私は自分で決めて失敗する方を選びたいのです」と。父は「ええかげんにせえよ、このチャンコロ。のぼせあがるのもたいがいにせえよ、このチャンコロ。アホなことを言うな、チャンコロ。結婚ちゅうもんはなあ。わしいとかM川先生とかいった謙虚、けんきょ、ケンキョ、謙虚な人間に決めていただくものであって、あんたあが決めるものとは違うねんぞ、チャンコロ。のぼせあがるのもたいがいにせえよ、チャンコロめが。のぼせあがるな! 謙虚になれ! チャンコロはチャンコロらしくしろ!」と。

   内田康夫『漂白の楽人』(2016.11.15. 講談社文庫)には、
≪ 「余計なことで、肇子(はつこ)さんには黙っていようと思っていたのだけれど、矢野さんの息子さんに会いました」
「そうですの」
 肇子は気のない反応を示した。
「彼は我入道のお宅にあなたを訪ねたみたいですよ。いまどこにいるのか、さかんに気にしている様子でした」
「どうでもいいことですよ、いまさらそんなこと」
「しかし、そうやって訪ねてくれるというのは、まだあなたへの心残りがあるのではないかなって、僕はそう思いましたよ」
「でも、私、あの人、タイプじゃないですから。それに、親やそのまた上の上司から言われるままに、結婚を考えるような男の人、信用できませんもの ≫
という浅見光彦と漆原肇子の会話がある。

   ベルディのオペラ『ラ=トラビアータ(道を踏み外した女)』(椿の花を持つ女)(日本では『椿姫』)では、「高級娼婦」ヴィオレッタと結婚しようと言い出した息子アルフレード=ジェルモンの父親ジョルジョ=ジェルモンが、ヴィオレッタの所に行き、息子と別れてくれるように懇願する場面がある。このオペラでは、「一度、道を踏み外した女は、どんなに努力しても、神さまは幸せになることを決してお許しにはならないのでしょうか」と祈りのように歌うヴィオレッタのアリアが何よりもすばらしいと思うのですが、しかし、息子が「高級」とはいえ「娼婦」をやってきた女と結婚しようとするのに父親が反対するのはわかるが、だからといって、息子を飛び越えて、相手の女の所に父親が行って、別れてくれと言うというのは、どうも、あんまりいい印象を受けない。たとえ、「高級」とはいえ、「娼婦」をやってきた女との結婚は考え直した方がいいと思うのなら、それは息子に言うべきものであって、息子を飛び越えて相手の女に別れてくれと言いに行く父親というものは、どんなものかと思う。
※ 《ニコニコ動画―歌劇「椿姫」:第2幕ヴィオレッタとジェルモンのシェーナと二重唱・・》http://www.nicovideo.jp/watch/sm5783055

   父は「あんたの結婚はあんたが決めるのではなく、わしいとかM川先生のような謙虚な人間が決めるもんやねんで。のぼせあがるなよ」と言うのでしたが、私は言ったのです。「お父さんは、M川教の信者だから、M川先生になんでもなんでもなんでもなんでも決めてもらうもんや、という信仰をお持ちでしょうけれども、私はM川教の信者と違いますから。ですから、私はM川教の神さんに決めていただきたいとは思いません。私はひとに決められて成功するのと自分で決めて失敗するのとでは、自分で決めて失敗する方を選びたいのです」と言ったのでしたが、おっさんはどうしても納得しないのでした。「困ったやっちゃな、チャンコロは、ほんまにもう。いらいらいらいらしてきたっ!」と。

   何度も何度もそういうことを言われてきて、実際のところ、疲れた。そして、「わしが決めるもんなんや、このチャンコロめが」と言い続けた父親は、結局、決めることなく、私が30歳を過ぎた頃、内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦が最初に登場した年齢の32歳より前、31歳の時に他界した・・が、おっさんが言った文句は、それから、20年以上経っても、依然として、耳元でわんわんうなっている。

   私は、慶應大学を卒業する時、人より歳をいっていたので、就職には苦労したが、父は「知らんで、知らんで、知らんで。わしはあんたの就職みたいなもん知らんで。うちの会社はあんたみたいなもん雇えへんで。知らんで、知らんで」と言い、まあ、もとより、このおっさんはそんなものだと思っていたのだが、そのうち、ありがたいことに、超優良企業とかではないけれども、来てもらいたいと言ってもらえる会社が出てきて、さらに、その他にも好意的な話が出てきたところ、父は「よっしゃ。そしたら、わしが、どっちがええか、決めたるわ」と言い出したので、「決めていりませんけれども」と言ったのだが・・、“ そやった、このおっさんは、こういうおっさんやった” と思ったものだった。どこか、いい所で採用してもらえないかということで知恵を絞るということには「知らんで、知らんで」と言って逃げていく、来てもらいたいと言ってもらえる所が複数でてくると出てきて「よっしゃ、そしたら、どっちがええか、わしが決めたるわ」と決めてくれなんて言っていないのに言い出す。「あんたが女を何人か用意しなさい。そしたら、その中から、どれがええかわしが決めたるわ」というのと、似てますでしょ。その思考形式というのか行動形式というのか。 そやった、このおっさんはこういうおっさんやった! ・・と思いました。

   1970年代後半から1980年代にかけて、北野高校の教諭だった旧姓 作野礼子(結婚して、寺地。女。当時、20代。北野高校卒→神戸大文学部卒)は「私は両親が離婚したから」というのを自慢にしており、何度も何度も言っていましたが、最初は両親が離婚した人というのはそうでない人間にはない苦労もしたのかなあなどと何ともお人よしに思ったりもしたのですが、そのうち、「だから、何?」と思うようになった。「両親が離婚した」ら、何かエライの? なんかちょっと考え違いしてしてないか? 父親がない女というのは、父親がある人間というのは父親がない人間より得していると思いこんでいるかもしれませんが、そうとも限らないということをこのバカ女は理解できないのです。父親があることで苦労することだってあるのです。すでに離婚している夫婦は再度離婚することはありませんが、離婚していない夫婦というのは離婚すると言い出す可能性もあるわけです。私の母は私が知っている限りでも離婚すると2回言い出して、2回とも息子を口実に使って離婚をとりやめました。息子とすれば、離婚してもしなくてもいいけれども離婚を取りやめる口実に息子を使うのはやめてほしいと思いました。「私は両親が離婚したから」というのを最大の自慢にしている女というのはそういう経験だってないでしょう。花登筐『銭の花』という小説が、1970年に読売テレビで『細うで繁盛記』として放映されたが、その中で、加代の祖母で「大阪宗右衛門町で高級料亭『南地楼』を築いた」ゆう がウチワを眺めて、孫娘の加代が「おばあちゃん、何してんの」と言うと「いやあ、『ウチワを見れば骨がある』と言うけれども、ほんまやなあ」と言う場面があった。「ええか、加代ちゃん。外から見たら、立派なええ家に見えてもな、そこの家のウチワに入ってみると、どことも、たいてい、骨があるものなんやで」と語ります。旧姓作野礼子はそれを理解できない女だった。「私は両親が離婚したから」と言うと、周囲の人間が「そうですかあ。S野先生は私らとは違って苦労されてきただけあってしっかりされてますねえ」とお愛想を言うものだから、自分でもそうだと信念もった思い上がり女になってしまい、離婚していないよその家庭でもウチワに入って見れば「骨がある」、「ウチワを見れば骨がある」ということを理解できない白痴になってしまっていた。先生業についた人というのは、まわりが「先生、先生」と言うもので、他の仕事よりもそうなりやすい傾向はいくらか強いかもしれませんが、それにしても、なんで、「両親が離婚した」らエライんだあ? と、あまりにも何度も「私は両親が離婚したから」と自慢するので、そのうちあきれました。「私は両親が離婚したから」と、父親があると誰もがけっこうな思いをしているだろうと決めつけるようなバカ女は、高校や中学校の教諭のような仕事にはつかないでもらいたい。もしくは、「両親が離婚した」娘専門の教諭になってもらった方がいいと思う。私なんかは、もしも、神戸大の文学部になんか行きたいなんて言っても絶対に行かせてもらえなかったし、行きたいと言い出すこと自体できなかった。旧姓作野礼子は私の下の姉と同じくらいの年齢だったのだが、私の姉だって、神戸大の文学部に行きたいなんて言えなかったと思う。私は、もしも、文学部に行きたいと思ったなら、東大の文科三類か京大の文学部に行ける可能性のある成績をとった上で、行かせてくださいと言えば行かせてもらえるかななどと考えたが、それでも我が家では難しかった。文学部で、それも東大や京大ではなく神戸大の文学部になんて私なら絶対に行かせてもらえなかった。
  「男女共学」にも2通りの男女共学があって、大学の男女共学は男でも女でも関係なく、合格最低点より高い点数を取れば合格で入学させてもらえるというものだが、今もその通りかどうか知らんが私や旧姓作野礼子が行った頃の大阪府立の高校の男女共学はそうではなく、男女の比率がそれほど変わらないように入学させるという方針で合否を決めていたので、北野高校は男は大阪府の高校で最難関であっても女は受けさえすれば誰でも通る高校だった。だから、北野高校に入学した女生徒には男であっても合格できたであろう成績で入った人もあれば、男ならその学区の3番手校か4番手校でも通ったかどうかわからないくらいの成績で入っていた人もいたのです。男なら3番手校でも落ちたかもしれない人がその地域で最難関の高校に行ってうまくいくかというと人にもよるようでしたが、京大や東大には行けないとしても、なんかうまくかみあって神戸大くらいに行く人が時々いたようでした。旧姓作野礼子はそれだったのじゃないか。高校入学時の成績で見てそのままの成績で3年の終わりまでいったとすると京大に合格できる可能性が十分あるという人間がきっちりと京大に合格する学習法、そういう人間が東大に行こうという学習法と、男なら3番手校に入れるかどうかわからん成績の人が神戸大に行く学習法は学習法が違います。旧姓作野の「現代国語」なんて結論を言うと「勝手なことばっかりやってるだけ」。

   「父の日」は6月第3日曜日、今年2018年は6月17日だった。「父の日」とおっさんの命日の年に2回くらいは、あのおっさんのことを考えてもいいかもしれない・・が、考えたいとか考えたくないとかいう前に、毎日毎日、常に耳元でおっさんの文句がわんわんうなっていて、思い出したくないと思ってもそうはいかない。
   (2018.6.26.)

☆ 《「父の日」に思う》は四部作。
1.「父親は防波堤」という遠山啓の妄想http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_16.html
2.外敵を集めてくる父親、息子を自分の分身と考えない父親http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_17.html
3.「子供は女が育てるもの」か? 〔今回〕
4.電車で「上座」に座りたがる男http://tetsukenrumba.at.webry.info/201807/article_1.html

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック