父の日に思う【2/4】外敵を集めてくる父親、息子を自分の分身と考えない父親、名前を変えさせる拝み屋 

[第381回]
   2浪なんてしてしまうと、今度は、父の「親友」で医者屋のM川てのを引っ張り込んできた。日本では医者屋とか整体師とかやっている人間には新興宗教の教祖みたいになりたがる人間がいるようで、かつ、そういう「新興宗教の教祖」をありがたがる人もいる。M川がそれで、「M川教の信者が全国に何人もおるんじゃ」とM川は言っていた。かつて、若貴兄弟が現役の力士だった時に、弟が整体師になんらかの宗教を教えられて、兄が整体師に「指導は整体だけにしてください」と言ったという話を雑誌で見たことがあるが、現実に「新興宗教の教祖みたい」な医者屋というのがいる。
   医者屋のM川は「金沢大学医学部卒、大阪大学医学部の大学院修了」と称し、さらに「陸士と海兵の両方通った」と称し、「柔道3段、剣道3段」とも称していたのだが・・、その時は、本人がそう言うのならそうなのだろうくらいに思ったが、たぶん、嘘だと思う。息子が関西医大裏口入学・・と自慢していたのだが、本人もまた、そんなところではないかな・・。そもそも、「陸士と海兵」と言われても、その時は何のことかわからなかったのだが、今でいうところの防衛大学校、私の親くらいの世代、戦中世代にとっては、「陸士」(陸軍士官学校)・「海兵」(海軍兵学校)というのは、エリートであって、「相当優秀」という評価になったようだが、結論を言うと、行かなかったところなんて、通ってもしかたがないでしょ!  何年か前、「フライデー」に松嶋みどりさんが、東大に合格した時、エール出版社から出ている『東大入試合格作戦』に「合格体験記」を書いていて、そこに、「私は早稲田大学に落ちてしまい、ショックを受けて、絶対に東大に合格して、この早稲田大学を軽蔑してやるんだと心に誓った」とか書いていたらしいのが出ていて、自分は東大だという意識の塊みたい・・と批判されていたのだが、まあ、18だか19だかの時に、東大に通ったとはしゃいで書いた文章なんて、それから何十年か経って引っ張り出されたのでは、多くの人間は「ぎゃっ」と言ってひっくり返るのではないかと思うが、松嶋みどり さんにしても、早稲田は落ちて東大に通った、というのは、これは東大を目標にしていた人にとっては、それでいいことであって、東大に行きたいと思った人間にとっては、東大に合格することができたなら、東大以外には通ろうが落ちようが、たいした問題ではないのだ。だから、金沢大学医学部卒だということで医者屋やってる人間が、「陸士と海兵の両方通った」としても、そこに行きたかったのなら「通って良かったですね」てところだが、行かないのなら、通っても落ちてもどうでもいいことだ。さらに言うと、だ。私の父は、「終戦」時においては、大学を卒業したばかりで、「終戦直前」に「学徒動員」で戦争に参加した世代だった。ところが、父の「親友」の医者屋のM川のおっさんてのは、父よりいくらか若い世代だったのだ。ということは、「終戦」よりも後で大学に行ったはずであり、その時点においては「陸士」(陸軍士官学校)だの「海兵」(海軍兵学校)だのというものは、もうなかったはずなのだ。気づけよな、そのくらい!・・・と思うのだが、簡単に騙される、簡単に乗せられるおっさんだった。遠山啓の『教育問答 かけがえのないこの自分』によると、父親というものは、家族の中で誰よりも「世間知」のある存在だというのだが、「世間知」があるのなら、M川のおっさんが、大学に進学する時点では、「陸士」だの「海兵」だのなんて、もうなかったのではないか・・て、そのくらい感づけよ・・と思うのだが、気づかないおっさんだった。「M川先生は陸士と海兵と両方通ったそうだ。えらいなあ。えらいなあ。ものすごいえらいなあ」とか言うておったが、アホやな、おっさん・・、そんなしょーもないヨタ話に乗せられて。「剣道3段、柔道3段」とかいう話も、森田健作だって若い頃は「森田健作といえば剣道」て売っていたが、実は剣道の段は持っていなかったという話だし、まあ、そんなものだ・・と思うのだが、私の言うことはきかないがよその人間の言うことは何かと信じやすいおっさんだった。

    その「親友」で医者屋にして新興宗教の教祖みたいなおっさんのM川から、「鶏口となるも牛後となるべからず」という文句を父は吹き込まれてきたのだった。この言葉は高校の「漢文」でも登場するが、その意味は、
≪ 鶏口となるも牛後となる勿れ(なかれ)
《意味》大きな団体で人のしりについているよりも、小さい団体でその頭になったほうがましだということ。 史記にあることばで「寧ろ(むしろ)鶏口となるも牛後となる勿れ(莫れ〉」に同じ。鶏口牛後ともいう。≫
≪ 寧ろ(むしろ)鶏口となるも牛後となる勿れ(なかれ)
《意味》鶏の頭は小さいが尊く牛の尻は大きいが賤しいものだから、鶏の頭になっても牛の尻にはなるなということで、小さい団体の頭になっても大きな団体で人の尻についているようなものにはなるなという意。
  史記によると、戦国時代の中ごろのこと蘇秦(そしん)は燕・斉・趙・韓・魏・楚の六ヵ国に手をにぎりあって秦に対すべきだと説いて歩いた。これがいわゆる合従の策である。利害相反する六国を結ばせるのは容易でなかったが、蘇秦はまず燕王を説き伏せ、次に趙王を仲間に入れ、それから韓を訪れて宣恵(せんけい)王に会って説いた。このとき引用したのが、このことわざで、秦に仕えることは牛後となることであるといい、大王の為にそれを惜しむといって大いにアジった。韓が合従に加わったことはいうまでもない。 ≫
( 折井英治編『暮らしの中の 故事名言辞典』(1970.4.15.集英社)
というものだが、「鶏口」とは鶏の口のこと、「牛後」とは牛の肛門のことで、この故事名言をどういう具合にもってくるかというと、「だ~から、わしの息子なんてのは、『鶏口となるも牛後となるべからず』という考え方で、東大なんて行かずに関西医大裏口入学なんじゃ。そのくらい、わしは思考が柔軟なんじゃあ」と・・・。東大に行って最下位になるよりも関西医大でトップになった方がええ。そう考えたから関西医大裏口入学なんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!・・て、
・・・はあ? は~あ?
   そういうことを言って、私にも「できるだけ下の大学」に行かそうとするのでした。なんで、このおっさんにそんなこと言われなければならないの? ・・てところですが、私が親なら、そういうことを言うやつがいたなら怒りますが、私の父親はそう言われて喜んだのです。「ええ~えこと、言いはる。さすがはM川先生や。ええこと言いはる。『鶏口となるも牛後となるべからず』や」と。但し、父はそういうしょーもないこと言われて喜んだけれども、それなら、私に「関西医大裏口入学」なんて汚らわしいことさせてくれるのかというと、おっさんにはそんなコネもなければカネもないのだった・・。
   それで、私はM川に言ったのだ。「牛の大学に行ったからといって肛門にならないといけないことはないのと違いますか。牛の頭になればいいじゃないですか」「東大に行ったからって最下位になる必要ないでしょ。東大でトップになればいいじゃないですか」と。「むしろ、牛の大学に行くよりも鶏の大学に行けば上の方の成績になれるだろうなんて、そんなこと思って下の方の大学に行ったのでは、そういう心がけでは鶏の肛門になってしまうのと違いますか」と。
   要するに、父は「新興宗教の教祖」である医者屋のM川から見抜かれていたのだ。何を見抜かれていたかというと、父が「息子が自分よりも上の大学に行くのはどうしても我慢ならない」という意識でいるということを。父としては、「わしは同志社大学という立派な立派な大学を出てます」と言ってきたのだったが、このまま行くと、最終的にどこに行くかはともかく、息子が「自分よりも上の大学」に行く可能性が高い。これだけは何としても阻止したい、という意識でいたことを「新興宗教の教祖」で医者屋のM川に見抜かれていたのだった。だから、M川としては、父を喜ばすために、私にできるだけ下の大学に行かせてやろうと画策したのだった・・。私が父親なら、そういう「画策」をするようなヤツは許せないと思うのだが、私の父親はそうではなかった。
   様々な妨害を受けて、結果として、日本で一番嫌いだった大学の慶應大学の経済学部(及び、商学部・経営学部)だけはには首をもがれても行かされたくないと思っていた商学部に入学してしまった。私は慶應に行くために浪人したわけではないし、嫌だったが父は片方で喜んでいたが、他方では不愉快だったようだ。なにしろ、「自分よりも上の大学」に行かれてしまったのだから。しばらくすると、父は「わしは、おまえとは違って慶應やねんぞお。わかっとんのんか、チャンコロ」と言い出した。「わしはドイツ人やねんぞ、このわしは」と。え?日本人かと思っていたら、ドイツ人だったの?
   父は言うのだった。「天の神さまは大変賢明なお方であって、世の中の人間は、ひとに命令する人間ばっかしでもあかんし、命令される人間ばっかしでもいかんわけであるから、この世の人間を、命令する民族・階級と命令される民族・階級とに2つに分けてお造りになったのである」と。「即ち、ロスケ、イタコ、チャンコロというのは命令されて服従するための民族。ドイツ人・アメリカ人というのは命令する民族、号令かける民族でR。 わしはドイツ人でアメリカン人やねんぞ、このチャンコロ。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族。おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族。民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」と。「この民族の違い、階級の違いは神さまがお決めになったものであって、人間がどうあがいても決して変えることができるものではないし、決して変えようなどとは考えてはならないものやねんぞ。わかっとんのんか、拓殖。わかっとんのんか、浪商。わかっとんのんか、チャンコロ」と毎日毎日私に言うのだった。そう言われて私は思った。「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている)」「革命無罪(革命は無罪だ)」と。
    何が良くなかったかというと、やっぱり、私が生まれてきたのが悪かったのかもしれない。父にとっては「自分より上の大学」に行く息子というのは存在してはならなかったのだ。それは「神さまがお許しにならないこと」だったのだ。父の「親友」で医者屋のM川は、父のそのあたりの心理・思考を読み取っていたようだ。だから、「『鶏口となるも牛後となるべからず』というのを知らんか」とか何度も言ったのだった・・・が、「知りまへんなあ。そんなもん」てとこだ。「東大に行って最下位になるよりも、関西医大に裏口入学してトップになった方がええという考え方、これこそ、『鶏口となるも牛後となるべからず』じゃ」と言うのだったが、「それなら、東大でトップになったらいいじゃないですか」と私は言ったのだが、そう言うと「きみは思考が固いな。そういう思考の固さでは人生に苦労するぞ」とか言って呪いの言葉を浴びせるのだった。父はそう言われると喜ぶのだった。

   まず、大学は「どの大学に行くかよりも、そこで何を学ぶか、どれだけ学ぶかの方が大事」とか言う人がいるが、だからと言って、東大とか京大とかに行こうとしている息子に「鶏口となるも牛後となるべからず」とかアホなこと言って、「できるだけ下の大学」に行かそうなんて、そんなアホなこと考える親があるか? ・・・というと、普通はないと思うのだが、実はあったのだ。我が家に。
   それから、大学は同じ学部名がついていてもその大学によってやっている内容が異なる場合がある。 又、現実問題として、「ひとを卒業した大学の名前だけで評価するのはおかしい」と言っても、「だけ」で評価するのはおかしいとは私も思うけれども、実際問題として、どこを出たかで人の見る目が違う場合もないとは言えないだろう。もともと、関西医大に合格もできない人を裏口でなんとか入れようというのならともかく、旧帝大系国立大学に行ける可能性がある者をそれよりも「ずっと下の大学」に行かせてやろうななどとは、普通は父親なら考えないことだと私は思うのだが、我が家は「普通は」ではなかった。
   我が家の近所で、私よりいくつか下の年齢で、私と同じ中学校から北野高校に行って、3浪で東大の理科三類(医学部医学科に進むコース)に合格して行った男がいたのだが、母が言うには、さすがに3浪目にはけっこうこたえていたようで道を歩いているのも寂しそうな感じがして、「勉強しない子が大学に行けないのはしかたがないとして、勉強する子が落ちるのはかわいそうにと思った」などと母は言うのだが・・・、あんた、俺が浪人中に俺に言ったことと、よその息子が浪人中に言うことと、言うことが全然違うじゃねえかよお! て思ったのだが、医学部に行くにしても、何も3浪してまで、「京大志向の北野高校」から東大の理科三類に行かなくても、京大でも阪大でも良かったのじゃないのかとか、京大か阪大なら北野高校でいいけれども、東大の理科三類に行きたいのなら最初から北野高校ではなく灘高校にでも行っておけばよかったのではないのか・・とか思ったのだが、その三浪で東大理科三類に通ったというボーズだが(「ボーズ」とは畏れ多い、今や、私なんぞとは違って大いに出世なさっているかもしれんが)、2浪の時でも3浪の時でも、「おい~い、おまえ~え。東大の理科三類なんてそんなもん、行くよりも、関学いったらどうや、関学。関学はええぞお~お。関学いったら女の子にもてるぞお~お」とでも言ってやったとしたら、どうだろうか? ・・基本的には、まあ、冗談にしかならないと思う。たぶん、笑っておしまいだと思う(ちなみに、大学には「女性にもてる大学」と言われる大学があって、関西では、「1に関学、2に同志社」だそうだ・・が、あくまでもそういうお話であって、実際に「もてる」かどうかは・・知らん)。 そいつに、「『鶏口となるも牛後となるべからず』という言葉を知らんか。東大の理科三類なんぞに行くよりも、関西医大に裏口入学することの方が、人間として立派な態度であるという意味がわからんか」とか言ってみたとしても、これもまた、冗談でしかない!・・だろう。私の父親というのは、そういう「冗談でしかない」ような話を本気になってかき集めてくるおっさんだった。6月第3日曜は「父の日」、そのおっさんの日である。

   さらに、2浪もすると、そして、精神的に不安定な人間の周囲にはそれに呼応する人間が寄って来るのか、父の部下で父がもっとも気に入っていたらしいM尾さんは、なんと、「拝み屋さん」を父に紹介した。しかも、我が家は大阪府の住人だったが、その拝み屋さんは金沢の人間だそうで、父は金沢まではるばる訪問したのだった。訪問に際して、父は「親友」で医者屋のM川に相談したところ、「お父さん、ぜひとも、それは行かれるべきですよ」と、そう言ったのだ。「新興宗教の教祖」の医者屋はそう言って、拝み屋さんに行くように勧めたのだった。似た者同士で隣接業者のビジネスに協力したということか・・。
   で、何を言われてきたかというと、家族の名前をことごとく変えろ!・・と言われてきたようだ。で、あくまでも「家族の名前」なのだ。父の名前は「お父さんのお名前は、これほど強運の名前はありません。これは絶対に変えるべきではありません」と言って、当人をおだてて、そして、「御本人のためですから」と称して、家族の名前をことごとく変えるように命じたのだった。迷惑な話である。もしも、自分自身が、どうも、いいことないなあ~あ・・と思って、占い師なり霊能者なり拝み屋さんなりに相談して、自分自身の名前を変えたいというのであるならば、それは名前が悪かったからうまくいかなかったのかそうでないかにかかわらず、本人が「名前を変えるといいことがあるかもしれない」と思って名前を変えて、「これでいいことがあるかもしれない」と思って生きていくのであれば、それはそれで悪くないかもしれないが、自分の名前は「わしの名前はこれほどええ名前はないねん」と言い、そして、家族の名前をことごとく変えさせるというのは、そういうのは、本人の意思を無視した傲慢な態度であり、人間としてやるべきことではない・・・と思うのだが、やるのだ、うちの父親は。父は私に言ったのだ、「きょうから、あんたの名前は、て~んし~んどお~ん(天津丼)」と。「これが強運の名前なんや、これが」と。
   で、さらに、「改名屈  天津丼」と紙に書いて、「これを北野高校に持って行きなさい。このように名前を変えました、と言って高校に言ってきなさい」と言って渡すのだった。で、しかたがないから、北野高校の事務室に行って、「卒業生なんですけれども、このように名前を変えろと、なんだか、霊が見えるという方から父が言われたそうでして」と言ったところ、「そういうことは高校ではなく、市役所に言ってもらわないと、高校に言われても困ります。 それに、それ、『かいめいとどけ』じゃなくて『かいめいくつ』になってますけど」と。そう言われて、「改名屈(かいめいくつ)  天津丼(てんしんど~ん)」と書いた紙を持ち帰ったのだった。嫌だった。疲れる・・。「改名屈 天津丼」とやられたのは、2浪した年の9月のことだったが・・・、なんか疲れた・・・。「占い師」にしても「霊能者」にしても「拝み屋さん」にしても、望まない人の相談は受けるべきではない。あくまで、本人がこの人に相談したいという人に対して相談は受けるべきで、名前を変えろというようなものは、あくまでも、その相談者の名前に限定するべきで、相談してもいない人間の名前を何人も変えさせるというようなことは慎むべきである。

   さらに、その「拝み屋さん」のおばさんは、「お守り」を父に持たせて、それを私に持たせるように指示したというのだが、そういうことはやめてもらいたいものだ。相談者に持たせるのなら、相談者が納得して相談している限り悪くないだろうけれども、相談者の家族であっても相談者でない者に、本人が望まない「お守り」を持たせるというのは、それは宗教者としての仁義に反する、と考えるべきであろう。

   遠山啓は、父親というものは、世間の荒波を防ぐ防波堤だとか、家族で最も世間知にたけた者だとか言うが、我が家の父親はそんな感じではなかった。

   さらに。遠藤周作がどこかで書いていたのだが、「父親にとって息子とは」・・。「父親にとって、息子とは自分の分身であり、自分がやりたかったができなかったことをさせたいと思う存在である」と。はたして、そうか?
   遠藤周作がそれをどこで書いていたか忘れてしまったのだが、それを読んだ時、そうだろうと思ったのだ。白土三平の『カムイ外伝』で、登場人物が「過去とは、かつて未来であったものの残骸。未来とはいずれ過去になるもの」と言う場面があった。女性がどう考えるかはわからないが、男性にとっては、「かつて未来であったもの」が「残骸」になって、かつて達成したいと思っていたもので達成できなかったもの、かつて夢見たもので実現できなかったものを、これから過去に若返ることができるならこうするのだが・・・と思っても若返ることはできないのでできずにいるものを、息子にはさせてやりたいと思うものではないか、と思ったのだ。そして、自分がした失敗をしないように配慮してやれば、その分だけ充実した人生を生きることができるであろうから、そうさせてやりたいと思う存在ではないか、と考えたのだった。そして、当然、たいていの父親はそう考えるであろうと思った・・のだが、そうは考えない父親というのもいた。どこにいたかというと、我が家にいた。
   父は「もしも、もう一回、人生をやり直せるなら、岩城弘之さんのようになる。もしくは、朝比奈隆さんのようになる」と言うておった。
※ 《ウィキペディア-岩城弘之》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%9F%8E%E5%AE%8F%E4%B9%8B 
《ウィキペディア-朝比奈隆》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E9%9A%86
  そう言うからには、もし、私がそういう方面に進もうとしたならば、応援してくれるのではないか、応援する力がなかったとしても、そういう方面に進みたいとか、いくらかなりとも近い方向に進もうとしたならば理解してくれるのではないか・・とか考えたことがあったのだが、「岩城弘之さんか朝比奈隆さんのようになりたかった」のはあくまでも父がであって、私がそういう方面に進みたいなどと思っても、「甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ」ということになるようだった。「すべてを会社のためにささげ尽く~す。とってちってたあ~あ!」「すべてを会社のために、すべてを親こっこっこのために、ささげ尽く~す」「すべてをわしのためにささげ尽く~す。とってちってたあ~あ」・・、そう言うのだった。 だから、父にとっては、「岩城弘之さんのようになりたい」とか「朝比奈隆さんのようになりたい」とか考える人間というのは、もしも、父が自分が考えるのなら、「男やったら、当然、考えることや」ということになるのだが、もしも、私が考えるならば、「モラトリアム人間病という病気です、それは。慶應大学の小此木啓吾先生という立派な先生がそうおっしゃってる。 甘ったれておってはならぬぞ、チャンコロ。とってちってたあ~あ!♪!」ということになるのだった。父は言うのだった。「戸締り用心、火の用心。親に孝行せえよお。わしに孝行せえよお。すべてをわしのために尽く~す。それがあんたにとっての幸せやねん。それがあんたにとっての一番の幸せやあ言うて教えてやってやってやってやってやってやってやったってんねん。あんた、わしみたいなえらいえらい親をもって幸せやねえ~え。マッチ一本火事の元お! とってちってたあ!」と。

   さらに父は言うのだった。「あんた、会社に勤めたら、宴会で黒田節うたえ! おまえ、歌、うまいから、黒田節歌うとええ。とってちってたあ」と。要するに、私は、小学校の1年から2年にかけて、ヤマハのオルガン教室に通ってオルガンなどを練習し、その後、ピアノの先生にピアノを習い、発生練習をやって腹筋運動やってコールユーブンゲンやって、「さあ~あけえわあ、のおめえのおめ・・」て黒田節うたわんかい、チャンコロ! 甘ったれておってはいかんぞ、チャンコロ。とってちってたあ~あ!・・と。私は、宴席で黒田節を歌わせられるために、オルガンの練習させられてピアノの練習させられて、発生練習やって腹筋運動やって、コールユーブンゲンやってきたということか・・。
   そんでもって、「世の中にはなあ、カス親もおればダメ父もおるわけやけれども、それに対して、このわしは特別に特別にエライお父さんやねん。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ! 天の神さまは、この世の人間を生まれる時点において、2つに分けてお造りになったのでR。 わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族。おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族。民族の違いを忘れるな! とってちってたあ!」と、そう言われるために、オルガンの練習やってピアノの練習やって発声練習やってコールユーブンゲンややってきたのか・・。声のつぶれる薬でも飲んだろか・・と思ったが、そういう薬をどこで売っているのかわからなかった。 小学生の頃、ピアノを習いに行っていた時、母は私に言ったものだった。「ピアノの先生の息子なんかに絶対に負けてはいけません」と。そして、ピアノの先生の息子は、「世界的音楽家」にはならなかったが、音大あたりに行って、高校の音楽の先生か中学校の音楽の先生か、何かそんなものになった・・のに対して、「ピアノの先生の息子なんかに絶対に負けてはいけません」と言われて練習した男の方は、「おまえ、黒田節、うたえ。黒田節。おまえ、歌うまいからええわ、黒田節。甘ったれておってはいかんぞ、チャンコロ。黒田節うたわんか、黒田節。それ、さあ~あけえわあのおめえのおめ・・と歌わんか、チャンコロ。このチャンコロめが。黒田節、うたわんか、黒田節をお~お!」と言われることになった。そして、「よそとちごうて、あんたにはどんなもんでも、やりたいようにさせてきてやってやってやってきてやったったから」と言われたのだ。まさか、黒田節をうたわさせられるために、オルガンの練習やってピアノの練習やって発声練習やって腹筋運動やってコールユーブンゲンを「させてやってやってやってきてやったったから」ということとは思わなかった・・・。
※ 《YouTube-ヴェルディ《ナブッコ》行けわが想いよ黄金の翼に乗って/トスカニーニ 》https://www.youtube.com/watch?v=ihjhGYGtH6Y

   父は言うのだった。「おまえは慶應大学に行ったと思うておるかもしれんけれどもなあ。おまえはほんまは拓殖やねんぞ。わかっとんのんか、拓殖。このチャンコロ、この浪商!」と。「おまえが何か努力したから慶應大学に行けたのとは違うねんぞ。わしがえらいから行かせてもらえてんぞ。おまえは何一つ努力しとらんねんぞ、わかっとんのんか、ロスケ! わかっとんのんか、イタコ! わかっとんのんか、プエルトリコ!」と。 しかし、慶應大学は東大や京大に比べれば合格しやすいだろうけれども、それでも、合格最低点よりも高い点数をとらないと入れてもらえないはずなのだが、おっさんは何を言っているのかというと、父の「親友」で、そして、父が「神さまのようなえらい人」と崇拝していた医者屋のM川がドバカ息子を、「患者」を薬漬け・検査漬けにして得たカネで私立金権裏口関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させた件について、「わしは、バカ息子に言うたりますねん。おまえが何か努力したから大学に行けたのとは違うねんぞ。わしがえらいから行かせてもらえてんぞ。心得違いをおこすなよ。おまえは何一つ努力しとらんねんぞ、と。こない言うたりますねん」と言っていたのだが、父はそれを聞いて、「そうや。その通りや。わしもそない言うたろ」と考えたらしいのだ。 医者屋のM川のドバカ息子が私立金権裏口関西医大に行ったというのは、父親のM川がエライからではなく、M川に薬漬け・検査漬けにされたかわいそうな「患者」のおかげで行けたのである。「心得違いを起こすなよ」というのは、M川が言われなければならない文句である。むしろ、父親がそんな人間であるから、だから、息子が裏口でないと大学に行けないような息子になったのであって、「親の因果が子に報いた」のであり、その点において父親を恨むべきであろう。「親の因果が子に報いた」ことでできの悪い息子になったが、同時に「親の因果が子に報いた」ことで、親が「患者」を薬漬け・検査漬けにして搾取したカネで私立金権裏口関西医大にドバカ息子を入学させることができたのでもあったわけだ・・が、私は、何も裏口入学で慶應大学に入れてもらったのではない! 試験に合格して入ったんだよ。 「親の因果が子に報いた」医者屋のドバカ息子と一緒にすんな!
   さらに、父は「おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれどもやなあ。おまえが努力したから北野高校に行けたのとは違うねんぞ。わかっとんのんか。チャンコロ。おまえはほんまは浪商じゃ! この浪商めが!」と言うのだった・・が、北野高校というのは大阪府立であり、「進学校」でも、たとえば、兵庫県の灘高校出身の人に聞いた話では、灘高校というのは私立なので、毎年、「裏口やな」とわかる生徒がいるというのだ。そういう人は、灘高校から何人東大に通ろうが、そういう人は東大とかには行けないので、どこか私立大学に進学するらしいのだが、北野高校は府立・公立であって裏口なんかない! 私も裏口で入れてもらったのではないし、うちの父親には、裏口でどこかの学校に息子を入れてもらうようなコネもカネもなかったのだ。だから、父の「親友」で医者屋のM川は、ドバカ息子を「患者」を薬漬け・検査漬けにして貯め込んだカネで、かわいそうな「患者」のおかげで裏口入学させたらしいし、それは大学だけのことではなく高校だって裏口らしいのだが、医者屋のドバカ息子と違って私は北野高校にも実力で正門から合格して入学したのだ。医者屋と一緒にすんな! と思うのだが、「親友」で医者屋のM川を崇拝するおっさんは、「わしも、その言い方したろ」と考えたらしいのだ・・が、なんで、医者屋の裏口野郎と一緒にされにゃならんのだ、医者屋のドバカ息子なんぞと・・と思うのだが、そういうおっさんだった。

   「わしはドイツ人やねんぞお」と父は毎日のように言っていた。
「わしはドイツ人やねんぞ、ドイツ人。わしはおまえとは違ってドイツ人なんやぞ。わし、M川先生、M尾さん(父の勤め先の部下で父のおかげで出世させてもらったらしい人)、T子さん(3人の兄弟の中で私と逆で父のお気に入り)とわしはドイツ人やねん」と言っていた。
⇒「ドイツ人」・・・《YouTube-ワルキューレの騎行 》https://www.youtube.com/watch?v=0EUckxAgZ_E
父は「わしはアメリカ人やねんぞ」とも言っていた。
⇒「アメリカ人」・・・《YouTube-アメリカ国歌 歌詞 英語 日本語 - Anthem of USA (EN/Japan lyrics) 》https://www.youtube.com/watch?v=4190sII0mfA
   「それに対して、おまえはロスケじゃ!」と私に言うのだった。
⇒「おまえはロスケじゃ」・・・→《YouTube-Song of the Volga Boatmen(ヴォルガの舟唄) - Red Army Chorus - Leonid Kharitonov - Леонид Харитонов》https://www.youtube.com/watch?v=uNb54rwDQJM
そして、「おまえはイタコじゃ」と。
⇒「おまえはイタコじゃ」・・・→《YouTube-Canto delle lavandaie del Vomero(ヴォメロの洗濯女)》https://www.youtube.com/watch?v=7wWWVspNPRY&feature=share
 さらに、「おまえはニグロじゃ」と。
⇒「おまえはニグロじゃ」・・・→《YouTube-Nobody Knows the Trouble I've Seen(誰も知らない我が悩み), performed by Chor Leoni Men's Choir》https://www.youtube.com/watch?v=wCQyqnldBQQ
そして、「おまえはプエルトリコじゃ。このプエルトリコめが。生れなければよかったのに生まれおってからに」と。
⇒「おまえはプエルトリコじゃ」・・・→《YouTube-West Side Story(ウエストサイド物語)-America(アメリカ)》https://www.youtube.com/watch?v=Qy6wo2wpT2k
   「わしはドイツ人でアメリカ人で慶應やぞお。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。おまえはロスケじゃ。おまえはイタコじゃ。おまえはニグロじゃ。おまえはプエルトリコじゃ。わかっとんのんか、チャンコロ! おまえはチャンコロやねんぞ、民族の違いを忘れるなよ、チャンコロ。階級の違いを忘れるなよ、チャンコロ。産まれなければよかったのに、チャンコロ。謝らんか、『生まれて来て申し訳ございませんでした』と地面に頭すりつけて謝らんか、チャンコロ!」と、毎日毎日、父は言っていた。「わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族。おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖で浪商の民族。民族の違いを忘れるな!」と。そういえば、私は最終的に慶應大学を卒業させてもらったけれども、どう考えても「慶應タイプ」ではないと思うが、父は「わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族やねんぞ」と言うだけあって、たしかに慶應て感じがする。「わしは人格が慶應やねんぞお」「わしはほんまは慶應やねんぞお」と言うだけあって、たしかに「慶應タイプ」だと思う。いかにも慶應て感じがする。「産まれなければよかったチャンコロを産んでやってやっていただいてもらってくださってあげてやってやってもらっていただいたということを感謝しろお!」と言うので、「産まなければよかったのと違うのですか」と言ったことがあったのだが、「何をぬかすんじゃ、このチャンコロめが。産まれなければよかったものを産んでやってやってやってやあってやってあげてもらっていただいてくださってあげてやったやってやってもらったということを感謝しろお! このチャンコロめが。産まれなければよかったのにうまれおってからに、自分が産まれてきたということを反省しろ! チャンコロ! 」と毎日毎日朝から晩まで言っていた。
   「おまえは、チャンコロぅ、おまえはチャンコロぅ、おまえはおまえは、チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころ♪」と父は毎日私の鼻の頭を指さして言っていたのだが、残念ながら、中国人を代表するような歌というのが思いつかないので、かわりに、ロバート=ペイン『毛沢東』(角川文庫)に掲載されていた中華人民共和国国家の文章を掲載する。
「 起て。奴隷となるな、我が人民。
 我らの血肉で築こう、新たなる万里の長城を。
 お叫びあげて、いざ、闘わん。
 起て! 起て! 起て!」

   私は自分の名前というのを特にいいと思ったわけではなかった。氏の方は2文字の2つの画数に差があるのでバランスよく書くのに苦労するし、名の方は、音のまま読むと正しい読みをしてもらえないので、その点では好きではなかったのだが、それでも、生まれた時に自分の親が考えて、これがいいだろうと思って名づけた名前だと思ったから、だから、その名前を大事にしたいと思ってきたのだが、ところが、その名前をつけたおっさんが、私がハタチになる頃、「あんたの名前は、てんし~んどん(天津丼)がええ。これが強運の名前なんや。これにしなさい」と言い出した・・となると、そんないいかげんな名前なんて大事にする価値はなかったということだったのかもしれない。その際も、父の「親友」で医者屋のM川はこう言ったのだった。「きみが産まれた時から使って来た名前は、それは俗名なんや。今度、新しく、天津丼という本名ができたわけや。これからも、きみには、まだまだ、新しく本名ができていくんや。お父さんがこれがええと思うたら、きみの名前は別の名前になるんや」と。
   しかし、その時点では私はまだ19歳だったが、すぐに20歳になった。すでに20歳にもなった人間に、「あんたの名前は、天津丼。これがええ、これが」などと「改名屈 天津丼」などと書くおっさんというのは、「あんたはわしのことを普通のお父さんと勘違いしてるかもしれんけどなあ。違うねんぞ。わしは、特別に特別に特別にえらいお父さんやねん。わしは、わしは、わしは、わしはああ~あ! わしはキリストで聖徳太子でヒットラー総統やねんぞ、このわしはあ」という「えっらいえっらいお父さん」だそうだったが、私は思った。「普通のお父さん」の方がええわ・・と。

   父は「あんたあがこのわしに世話になったことは、これまでいっぱいあるけれども、わしはあんたに世話になったことはこれまでに、何ひとつとしてないし、今後も絶対に何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ!」何度も何度も言うておった。そうか? たしかに、おっさんが会社から受け取った給料から生活費を出してもらって成人した。しかし、私が小学生の頃、父は、朝、起きると雨戸を開けて会社に出勤したが、帰ってくるとその雨戸はしまっていたが誰がしめたか? 私がしめたのだ。冬、父が会社から帰ってくると、部屋ではストーブが炊かれてすでに部屋は暖まっていたが、誰が石油ストーブに灯油を入れたのか? 私が入れたのだ。私が灯油を入れて私が石油ストーブに火をつけて部屋を暖めたのだ。私が小学校の4年の時に新築した家の門扉は鋼製のものだったが、近所の家で鋼製の門扉の家では、その門扉は錆びて使い物にならなくなった家があったが、我が家の門扉はびくともしなかった。父は「わしがえらいからええ家を建てたんや」と思っていたようだが、そうではない。私が定期的にペンキを塗っていたのだ。父は知らなかったのだ。私が小学校に行く前、その頃は鰹節というのは削ったパック入りなんてものはなくて、家で鰹節削りで削るのが普通だったが、我が家では小学校に行く前の私が削っていた。それは私の役だった。父は私が削った鰹節を食ったはずなのだが、「わしがあんたに世話になったものは、これまでに何ひとつないんやぞ。何ひと~つ」と言い続けたのだが、食わすんじゃなかった。私が大学生であった時、母が足を怪我したことがあり、その時は食事の準備は私がやった。「わしにあんたが世話なったことはいっぱいあるが、わしがあんたに世話になったことは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ!」と父は言うのだったが、あんた、私が切ったキャベツ食っただろうが、あんた、私がむいたリンゴ食っただろうが・・と思ったが、それでも「わしはあんたに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ」と言い続けるのだった。私が20代前半だった時、父がどこが悪かったか忘れたが大阪市内の病院に入院したことがあり、夏休みに私が何度か着替えなど持って行ったことがあったが、私が20代の後半、卒業して会社に勤務した後、私は東京圏で勤めていたので、大阪で入院した父の所に行くことはできなかったが、母が「前と違って大阪にいないから着替えなど持って行ってもらおうと思ってもできないから」と母が言ったところ、父は「〇〇に病院に持って来てもらったことなんてあったか? 知らんな」と言ったというのだ。母が「なんで、知らんの? 何回も行ったでしょう」と言っても、父は「知らんな、そんなもん」と言ったと言うのだった。あのおっさんらしいなと思った。
   父は「今度とも未来永劫にわたって、わしはあんたに世話になることは何一つとして絶対にないんやからな」と死ぬまで言い続けたが、それならそんなおっさんの葬式なんてするべきではなかったか・・・とも思ったが、やらないわけにもいかないからやった。その後、墓の掃除もやってきたが、「おまえに世話になることは、今後とも未来永劫にわたって何ひとつとして絶対にないんやからな」とおっさんは言ったわけだから、墓の掃除もするべきではないのかもしれないが、そうもいかないと思うので定期的にやっている。私が生きている間はやるだろうけれども、私が死んだ時には、その時にはどうなるかはわからん・・。
   今でも、「よくも産まれてきおってからに。よくも産まれおってからに」という父の言葉は耳元でうなっている。6月の第3日曜日、今年は、17日が「父の日」だった。その日に合わせて公開するつもりだったが過ぎてしまった。「チャンコロ、ちゃんころ。よくも産まれおってからに、このチャンコロめが!」と私の鼻の頭を指さして叫び続けた「父の日」である。

   死んでもあの男と一緒の墓にだけは入れられたくないと長年思ってきたが、ある時から感覚が変った。母は「あんたの体はあんたの物と違うでしょうがあ」と言っていたのだ。「あんたの体は親が産んだ物なんだから、あんたの所有権は産んだ者にあるでしょうがあ」と。なるほど、母親が出したものだから出した者に所有権があると。なんだか、俺って、う〇こみたいだな・・。しかし、父親は別のことを言ったのだ。「女に産んでもらったなどと考えてはならぬぞ、チャンコロ」と。女が産んだのでないなら男が産んだのか? それとも、『マクベス』の中の魔女の託宣だかで、女が産んだ者には負けることはないと言われて自信を持っていたら、実は、月足らずで帝王切開で産まれたという男がいて、それにやられるという場面があったがその類か? とも思ったがそうではなく、「女は畑じゃ。畑が芽を出したのとは違うんじゃ。畑に種を植えてやってくださっていただいてもらってあげてやってくださっていただいたお方のおかげで種が芽をだしたんじゃ。そんでもって、種が芽を出したなら、育てるのは畑の役目じゃ。畑が育てて実を結ぶようになったら、その時には種を植えた者に権利があるんじゃ。畑に権利があるわけやないんや。茄子でも胡瓜でもそうやろ。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわけがない。甘ったれておってはならんぞ、茄子! 心得違いを起こすなよ、胡瓜! わかっとんのんか、チャンコロ!」と父は言うのだった。だから、母の認識としては私の所有権は母が持っており、父の認識では私の所有権は父にあるということで、いずれにしても、私の所有権は私にはないわけです。「身体髪膚これを父母にうく。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」と孔子さんは言うておった。キリスト教では、父母から受けたと考えるのではなく、神から授かったと考える点が、キリスト教と孔子・儒教は違いますが、いずれも間違っていて、実は、畑か種を植えた男かどちらかに所有権があったらしい。「教会」の場合は、年配の人が主導権を握っていることが多いので「子供はいくつになっても親に所有権があるでしょうよ」と主張する「教会」が多いかもしれません。『福音書』には「私よりも父または母を愛する者は私にふさわしくない」というイエスの言葉がありますが、イエスの言葉は「クリスチャン」の思想とは相容れないようです。
  私は小学生・中学生から高校生くらいまで、父母からか神からか、いずれかから授かったものと思ってきたのですが、実は「身体髪膚」は父母からいただいたものでも神から授かったものでもなく、母の所有物か父の所有物かどちらかであって、決して本人が父母から授かったものでも神から授かったものでもなかったのです。あくまでも、母の所有物を預かっているのか、父の所有物を預かっているのか、どちらかであって、私の体は私の物ではないわけです。そういえば、私が中学生の時、睡眠時間を十分に確保して、近視が進まないようにしたいと言うと、母が「眼みたいなもん、つぶれてもかまわん。受験の方が大事や」と言うので、そういう認識て嫌だなと思ったことがあったのですが、眼も含めて私の体は私に所有権はなくて、母の認識では母に所有権があったわけですから、母が「眼みたいなもん、つぶれてもかまわん」と考えたのならそうだったのかもしれません。
  私は自分のものでない体を本来の所有者に返したかった。松本零士『銀河鉄道999(スリーナイン)』という漫画とアニメーションがあり、そこでは「宇宙のかなた、銀河系の向こうに、機械の体をただでくれる星がある」とされ、星野鉄郎が機械の体をもらおうと旅にでる・・のですが、もし、本当にそういう星があって行けるのなら、ぜひとも行って自分以外の者が所有する体ではない自分自身に所有権がある体を手に入れたい・・と何度も、何年も思ってきました。
※ 《YouTube-銀河鉄道999 / GODIEGO》https://www.youtube.com/watch?v=TXtj8nbE010&list=RDTXtj8nbE010&start_radio=1#t=0
  早いか遅いかはともかくいつかは死ぬ時が来るでしょうけれども、いずれにしても今の体は私自身に所有権があるものではなく母親の所有するものを預かっているのか父親に所有権があるものを預かっているのかどちらかですから、そんなものは私が死んだ時には「所有権」を持つ者にお返しするのが道理でしょう。デカルトは「我、思う。ゆえに、我あり」と言ったというが、その視点からいくと、身体は母親か父親かどちらかに所有権があるようですが、身体は母親か父親のどちらかに返還するとしても、それでも、「我あり」と「精神」というのか「心」というのかは自分自身のものとしてあるということになるわけです・・。父は「わしいなんかは、天国に行く人間やねん」と言っていたはずですから、父は「天国」にいるのでしょう。「おまえとは違うねんぞ」と言っていたので私は「地獄」に行くのでしょう。あのおっさんと死んでまでつきあわなくていいと思うと助かる。その時は、体の方は父親か母親かどちらかに返すとして、どちらに所有権があるのかは2人で争ってもらうとして、私の「精神」というのか「心」というのかは、そんなものは2人ともいらんでしょうから、私の「心」については私のところに留まるでしょう。だから、彼らから預かっていた彼らに所有権がある体を返すだけですから、だから、あのおっさんと同じ墓に体を燃やしたものが入ったとしても、私には関係ないということになります。こう考えると、あのおっさんと同じ墓に入れられたとしても、どうってことないわけです。「わしに感謝せえよお、チャンコロ。ドイツ人のわしに感謝せえよお、チャンコロ。戸締り用心、火の用心。すべてをわしのために。マッチ一本火事の元。とってちってたあ~あ!」という父の言葉が今も耳元で鳴っている。

   北野高校の教諭だった旧姓作野礼子(結婚して、寺地)は「私は両親が離婚したから」とそれを一番の自慢にしていましたが、結婚というものは基本的には人生の最後まで一緒にやっていきましょうということでするもので、離婚するためにするものではないが、それでも離婚せざるをえない事情がその人にはあったのかもしれませんから、他人がどうこう言ってもしかたがないことでしょうけれども、しかし、それは自慢することか? というと違うと思います。どちらか片方なら1人とのつきあい方だけ考えればいいところを、2人いるから息子は2人分苦労するということだってあるのです。そのあたりを理解できないバカ女は、もし教諭の仕事をするのなら「両親が離婚した」女性専門の教諭として勤務するべきでしょう。「両親が離婚した女性専門の教諭」という仕事がないならば、その場合は高校の教諭には就かない方がいいでしょう。
   10代の時の私が失敗したのは北野高校の教諭を信頼しすぎた点があります。柴田孝之が「能力的にも優秀で人間的にも優れた教師というものは、多くの人間が考えているよりもはるかに少ない」と書いていたが、私もそう思う。大学入試を失敗して痛い目に合わされ、人生の多くの期間を費やすことと引き換えに学んだ。

   2018年の父の日は、6月17日。
   本日、公開日は、2018.6.23.(土)

☆ 《「父の日」に思う》は四部作。
【1/4】「父親は防波堤」という遠山啓の妄想 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_16.html
【2/4】息子を自分の分身と考えない父親 〔今回〕
【3/4】「子供は女が育てるもの」か?http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_18.html
【4/4】電車で「上座」に座りたがる男http://tetsukenrumba.at.webry.info/201807/article_1.html 

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