父の日に思う【1/4】外敵を集めてくる父親。「父親は防波堤」という遠山啓の妄想。役に立たないY予備校

[第380回]
   5月の第2日曜日が「母の日」というのはよく知られているが、「父の日」て、「あったような気がするけど、いつだっけ?」て感じで、「父の日」は存在感が薄いが、6月の第3日曜日らしい。その日に合わせて、作成・公開しようなんて思っていたら、つい、過ぎてしまった。北野高校の国語の教諭のU村が、戦中、人間は死ぬ時というと、「おかあさ~ん」と言って死ぬもので、「おとうさ~ん」とはあんまり言わない。父親というのは、どうも、割が合わんなんて言うておった記憶があるのだが、そうかもしれんが、しかし、自分が父親であったとしたら、「おかあさ~ん」と言って母親を思ってくれるなら、その母親というのは、自分の嫁なんだから、別にいいのじゃないかとも思った・・のだが、そうも思えないおっさんてのも世の中にはいるらしい。
   私の父は、「『親に感謝』じゃ、『親に感謝』」とか四六時中、言うておった。自分の親が生きている間に言うのならわかるのだが、自分の親は父母ともに他界して、息子はある・・という時点になって、「親に感謝」とか言い出すというのは・・・、「なんか、ちょっと、ずっこいんとちゃう?」て気もしたのだが、四六時中、言うておった。これは、1980年前後、横浜市港北区箕輪町、慶應大学日吉キャンパスのすぐ南側にあった、日吉台学生ハイツの館長だったFさんが、元自衛隊の人間で、元自衛隊だけあって右翼であり、「ハイツだより」というものに、毎度毎度、一面に「館長挨拶」として、「親に感謝」とか書いておったのを見て、「えええ~えこと、言いはる。『親に感謝』じゃ、わしに感謝。わしに、わしに、わ、し、にいい~い! とってちってたあ~あ」と言うようになったのだった。しかし、なんというのか、世の中には、自分の親は他界していなくなって、自分の息子・娘はいるという世代になると、突然、「親に感謝」とか言いたがるようになるおっさんてのがけっこういるのだが、自衛隊てのはそういうの大好き人間の巣窟のようだ。

   「かわいい子には旅をさせよ」という言葉は、
(1) これは観光旅行をさせろという意味ではなく、昔は旅は大変なものだったので、かわいい子にこそ、若いうちに苦労をさせておけという意味だと言われてきた。 しかし、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」なんて言葉もあったが、私なんかは、耳鳴りがするほど、そう言われてきて、そして、その「苦労」てのをずいぶんと買わされて、私の倉庫には買いまくった「苦労」がたまりにたまったので、そろそろ、在庫がたまった「苦労」を売ってやろうかと思うのだが、難儀なことに、「苦労」て商品は売ろうと思っても買手がなかなかないのだ。 それで、気づいた。 しまった! そんな「苦労」なんて売れない商品を購入するのではなく、もっと、売れる商品を買っておくべきだった・・・と。
(2) 「かわいい子には旅をさせよ」という言葉の方だが、「大事な子であればこそ、若い頃には苦労をさせておくべきだ」という解釈があるらしいが、私はそれだけではなく、独立自尊の精神をもった人間になるためには、子供の頃から親の影響だけを受けて、親の指導だけを受けて成長するというのはよくない。そうではなく、親以外の人間の影響も受けて成長するべきだ。特に、仕事をする上では、たとえ、親と同じ職業につく場合でも、一時は親以外の人間から指導を受ける経験を持つべきだ、親が経営する会社にしか勤めたことがないというようなことではなく、「他人さまの飯」を食わせてもらう経験をするべきだ、考え方があり、親以外の所を一通りまわってこい、親以外の所をまわらせてこいという意味に受け取ってもいいかとも思う。
(3) そして、もうひとつ。 やっぱり、若い頃から実際の「旅」「旅行」というものを経験させるのは有益だ、という意味に考えてもいいのではないかとも思う。 (株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ の「譜代」の人間みたいな「浜松の中のカエル」「アタマが浜松」人間を見ると、たとえ、観光旅行でも若いうちに経験させた方が本人のためだろうなあと思うようになった。大学に東京や関西の大学に行って、卒業とともに地元に帰る「Uターン」がいかんと言う人がいるが、私はいかんことはないと思っている。そうではなく、20歳前後くらいの時期に、生まれ育った土地とは異なる場所での生活を体験することは有益であり、それだけ、視野が広まり、「地元しか知らない人間」とは異なった発想ができる場合が少なくないと思っている。
(4)  さらに、もうひとつ。「旅行」というものをすると、その際に、普段なら気づかない面に気づいたり、普段なら見えないものが見えてきたりする場合もある。私はそれを何度か経験した。すべて書き出すと文章の量も多くなってしまうが、一例をあげると、私が小学校の4年生の時のことだが、父と広島などに旅行をしたことがあった。1960年代の終わりのことだ。小学校の「国語」の教科書に、「思い出深かった広島」という「小学生が書いた、という設定の旅行記だが実際は大人が書いたであろう」という文章が掲載されていて、そこに、宮島・厳島神社や広島平和祈念公園・原爆ドームなどが載っていたことに影響を受けて、「あんた、どこに行きたい?」と言われて、「広島」と答えて、広島などに行ったのだった。その帰りのことだ。国鉄(現 JR)の山陽本線(その頃は、山陽新幹線はまだない)の「広島」駅から特急「みどり」だったと思うのだが、乗る前、プラットホームの売店で、父は「週刊文春」の「太平洋戦争における日本軍の軍艦配備図」という特集のものを、「あんた、これ、欲しないか」と言うので、「欲しい」と言ったところ、父はそれを購入した。購入すると、「あんた、これ、欲しないか」と言って買ったのだから、私のために買ってくれたのだろうと思って、受け取ろうとすると、「電車の中で」と言うので、すぐに特急は来るので、乗ってからそれを渡してくれるのだろうと思ってのだった。ところが、特急「みどり」の指定席に座ると、父はその「週刊文春」を広げて自分が読みだして、私にはどうしても渡してくれないのだった。要するに、父は自分が読みたかったのだった。自分が読みたいのならば、それなら、何も、小学生に「あんた、これ、読みたくないか」などと言わなければいいと思うのだ。黙って自分が買って読めばいいのだ。それを、小学生に「あんた、これ読みたくないか」と言って、「読みたい」と言わせるから、だから、小学生は自分が買ってもらったのにと思い、いったい、いつになったら、それを自分に渡してもらえるのかと待ち続けたものだったが、結局、特急「みどり」が大阪駅に着き、阪急に乗り換えて、自宅に着くまで渡してもらえず、自宅に着いても渡してもらえなかった。ショックだった。最初から、子供に何も言わずに、黙って父が買って自分が読むのなら、好きにすればいいことであって、どうも思わなかったところだが、「あんた、これ欲しくないか」と言って、「あんたが欲しいと言うから、買ってやってやってやってやったってんで」ということにして購入して自分が見る、という手口には、なんとも、いや~な思いがしたのだった。
  そして、自宅に帰ってもその「週刊文春」は渡してもらえなかったが、父はそのへんに置いていたので、そして、私は本来は自分が買ってもらったものだと思っていたので、開いて見た。その結果、小学校の4年の時から、週刊誌というものには女性の裸の写真が載っているものだと知った。私が父親なら、小学生にそういうものを「あんた、これ、欲しくないか」などと言わないが、うちの父親はそういうおっさんだった。私が20歳代になると、おっさんは「世の中にはなあ、ダメ父もおれば、カス親もおるわけであって、このわしいみたいなエッライえっらいエッライえっらい、神のごときお父さんばっかしとは違うねんぞ。わかっとんのんか、チャンコロ。わしみたいな神のようなキリストのようなヒットラー総統のようなえっらいえっらいエッライエッライお父さんばっかしとは違うわけや」とか、毎日毎日、二十四時間、言い続けたが、「神のようなキリストのようなヒットラー総統のようなお父さん」だか何だか知らんが、自分が欲しいものを買いたいのなら、たかだが、週刊誌の1冊を買うのに、息子に「買ってやってやってやってやってやってやったった」ということにして買うのではなく、自分が欲しいものは自分が欲しいのだということで買うべきだと思ったものだったが、又、女性の裸の写真が載っているような本を、「あんた、これ、欲しないか」などと小学生に言うおっさんてのはどんなものかとも思ったものだったが、そういうおっさんだった。「かわいい子には旅をさせよ」という言葉のごとく、「旅」によって、おっさんのそういう性質を知った。
   その後、私が中学校の3年になった頃だが、父は、私に「『メサイヤ』のレコードを欲しくないか」としつこく言ってきた。「要らん」と言うてやった。何回も同じ手にひっかかってたまるかい! 父は私にしばしば言っていた。「一度、騙されたなら、騙した方が悪い。しかし、二度も三度も騙されているようでは騙されている方も悪い」と。たしかにそうだと思う。だから、一度、やられた手を二度も食ってはいかんと思って、「要らん」「要りません」と言ってやったのだった。自分がこれを欲しいと思ったのなら、欲しいと思ったものを買えばいいと思うのだが、それを、いちいち、息子に「あんた、『メサイヤ』のレコード、欲しないか」「欲しいやろ」「欲しいやろうが」「なんで、要らんねん」「あったらええやろ」「欲しいやろうが」「なんで、『要らん』言うねん」としつこいしつこいしつこいしつこい・・・しつこいしつこい。だから、その度に言ってやったのだ。「要りません」「欲しくありません」と。欲しかったら自分が欲しいという前提で買えばいいだろうが、どうせ、あんたの給料で得たカネで買うんだから、と思うのだが、それでも、はてしなく、「なんで、要らんねん」「欲しいやろうが、欲しいやろうが、欲しいやろうが・・」と言い続けるのだった。そういうおっさんだった。私が、広島駅で一度やられて、その手には乗らんぞ、と学習した、ということを理解しようとは絶対にしないおっさんだった。
※ 《YouTube-ヘンデル オラトリオ《メサイア》より 合唱 For unto us a Child is born 》https://www.youtube.com/watch?v=nkn0qD9F1Co

   慶應の教授というのは、「小学校から高校までの勉強は受験勉強だ。害があるんだ」と主張するのだが、私はそうは思わない・・・などと言うと、「受験勉強の悪影響が出ている」とか言い出すから、いちいちうるさいからそういう「塾風独善主義」「内部進学独善主義」の「ほとんどビョーキ」みたいな人は相手にしたくないのだが、だいたい、慶應の内部進学の教授というのは、大学入試の試験に出題されないようなものでも、大学入試の試験科目にない科目で学んだものでも、「受験勉強だ。害があるんだ」と、ともかく、自分が知らないもの、自分ができないものは、何でもかんでも「受験勉強だ」「害があるんだ」と決めつけるのを使徒信条としているのだが、そういう塾風教徒を相手にするとうるさいので、そういう人は、できるだけ相手にしないようにした方がいいかと思う。
   「小学校から高校までの勉強」は「受験勉強」で「害がある」と慶應の内部進学の教授は決めつけるのだが、その「小学校から高校までの勉強」という広い範囲のものではなく、もっと、「受験直結」の「大学入試」についても、私は「害がある」とは思っていない。そのひとつとして、「かわいい子には旅をさせよ」と同様に、普段の生活では気づかなかった点について、旅行中に気づくことがあるように、大学入試に際して、家族がどういう人間なのか知ることがある、という点があるのだ。 そして、私は、結局、2浪もして、行きたいと思ったところに行かせてもらうことができず、そこなら高校卒業時に通ったのではないかと思える所(実際には受けていない以上は、わからないけれども)で、日本で一番いやだと思っていた大学の首をもがれても行かされたくないと思っていた学部に行かされてしまった、という結果とひきかえに学んだ。
   父は、「自分が欲しいものを買うのに、いちいち、息子が欲しいと言うから買ってやってやってやってやったってんでという大義名分を無理矢理つけて買いたがる男」だったが、さらに、「外敵をかき集めてくる男」であり、「息子を『自分の分身』とは考えない男」だ、ということを知った。最初のものを広島への旅行で知り、後の2つを大学受験・進学の過程で知った。

   父親とはどういう存在か。父親にとって息子とはどういう存在か。これは、古より文学者とか哲学者とか詩人とか学者とかいった人達が論じてきた問題である。遠山啓『教育問答 かけがえのないこの自分』(1978.7.31. 太郎次郎社)の「2 母ひとり、子ひとりは、どう育つか」には、
≪  父親は家族にとってはなんといっても世間の荒波を防いでくれる防波堤のようなもので、そのなかで家族は安心して生活できる。どんなに家庭生活を省みない無責任な父親でも、とにかく防波堤の役目だけは果たしているものだ。ふだんは水面下に隠れていても、やはり大きな波は防いでくれる。・・・・≫
≪ ・・父親はなんといっても家庭のなかでいちばんの世間学者であり、悪くいうと、いちばんの俗物だ。いくら利口な母親であっても、その点ではかなわない。その俗物な世間知から子どもは多くのことを会得するのだが、父なし子にはその機会がない。
   だから、父なし子はたいてい世間知らずた。よくいうと純情だということになるだろうが、そのために、父なし子は世間にでてから、自分で数多くの失敗を繰り返したあとで、やっとそういう世間知を身につけることができる。それは致し方がないことだ。・・・≫
(アンダーラインは、ブログ作成者。)
   と書かれている。「父なし子」といった表現がされているが、これは遠山啓(ひらく)が自分自身のことを述べているものである。遠山啓は、生まれた時点では父親は生きていて、離婚したわけでもなかったが、遠山啓が生まれた時点で、父親は朝鮮に行っていて、遠山啓が5歳の時に日本に戻って来て会えるという直前に亡くなってしまったそうだ。だから、生まれた時点では父親は存在したけれども、会うことはなかったらしい。
   「最近の若い人は」なんて言うと年寄みたいだが、「最近の若い人」は遠山啓という人名を知らない人がけっこういるのではないかと思うが、私が高校生くらいの時期、1970年代後半においては、高校生の間では(慶應の内部進学の高校以外の高校の高校生の間では)遠山啓は有名人だった。岩波新書の『数学対話』『数学の学び方・教え方』などの著者で、「Z会旬報」には「各科目学習法」の「数学」のところに、「読んでおいた方がよい本」として出ていた。そういう有名人だったが、しかし、自分が父親になってもいい年齢以上になってくると、↑の文章は、それは、父親なしで育った人が見た、理想的な父親のことであって、実際に父親をもって育った者としては、「あんた、夢でも見てんのと違うか」「実際の父親てのは、そんなにええもんと違いますでえ」と言いたくなる。
   大学入試というのは、「まったく公平」ではない。お父さん(もしくは、お母さん)が各地域のトップ高校を卒業して東大なり京大なりに行ったようなお父さんの息子というのは、うらやましいなあと私は何度も思ったものだった。何を教えてくれるとかいうことよりも、大学進学について、理解がある。その点、「うちのおっさん」はそうではなかった。「わしは同志社大学という立派な立派な大学を出てます」と言うておったので、それで、同志社というのはアホの行く大学なんだなと思っていた。遠山啓は、よそのお父さんの中でもかなり理想的なお父さんを見て、父親というものはそういうものだと思いこんだのではないか。遠山啓は、「父なし子」の問題点として、よそのお父さんでも比較的理想的良心的なお父さんを見て、それがお父さんというものだと思ってしまい、「実は、父親というのは理想的な父親ばかりではない、そうでないお父さんだっている」という事実を認識できなかった、という点があるのではないか。
   ↑の遠山啓の文章のアンダーラインを入れた部分だが、「世間の荒波を防いでくれる防波堤」になってくれるお父さんもいるのかもしれない。「家庭のなかでいちばんの世間学者」のお父さんも世の中にはいるのかもしれない。しかし、そうでないお父さんだっているのではないか。
   私などは、父親は私が30を過ぎた頃まで存命していたが、「家庭のなかでいちばんの世間学者」などというものではなかったので、それで、父親はあったが、私は遠山啓が言うところの「父なし子」と同様に≪自分で数多くの失敗を繰り返し≫て、≪やっとそういう世間知を身につけ≫たといえるかどうかわからんが、若い頃に比べると、いくらかは賢くなったかもしれない。 どこの家庭でも父親は「家庭のなかでいちばんの世間学者」などということはないと思う。 「父なし子」だったという遠山啓はそのあたりをわかっていない。
   「世間の荒波を防いでくれる防波堤」になってくれるかというと、これもまた、人によると思うのだ。特になっていない父親でなくても、もしも、自分が父親の立場になったとして考えてみると、そんなにいつでもきっちりと「世間の荒波を防」ぐことができるかどうか、わからんでしょ。 防げたらいいけれども、父親はウルトラマンじゃないよ。 無茶言うな・・てところもあるが、それはさておき、「世間の荒波を防」ぐ方向での努力はしたいと思う・・が、そうでない父親、「世間の荒波を防ぐ防波堤」になんて最初からなろうという姿勢のない父親だっているわけだ。遠山啓の『教育問答 かけがえのないこの自分』の文章は、なんか、ちょっと違うぞ、と思うようになったのだ。

   「かわいい子には旅をさせよ」と言うごとく、旅行をしたことで、普段は気づかなかった点に気づくことがあると同様に、大学受験に際して、それがなければ気づかなかった点に気づくこともある。この点で、「入試はあった方がいい」とも言える・・が、慶應の内部進学の教授などにはこういうことを言うと彼らは怒るので、黙っておいた方がいい。怒られてまで教えてやることない。
   1970年代後半に行ったYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからん役職についていた藤井という男はいいかげんな男で、一日に最低3度は「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と言わないとおれない、という男だった。この男を見て、早稲田大学てのはくだらない大学なんだなあと思ったのだが、後から考えてみると、そういう問題ではなく、むしろ、あの男は「学歴詐称」だった可能性が高いと思うようになった。あんな早稲田ないよ。 もしも、政治経済学部でなくても、本当に早稲田大学を卒業したのなら、自分が早稲田大学を受けた時はどんな感じだったとか、早稲田大学に在学中、こういう経験をしたといった話が少しくらいあってもよさそうだが、「ぼくは早稲田の政経でてるんだけどな」と叫ぶばかりで、そういうものがまったくないというあたりも、詐称であることを示すものだったが(“早稲田の政経”てのは「学歴詐称の定番」だし)、彼が実際に早稲田大学卒なのか、亜拓大東帝国大学卒なのかよりも、言う内容がなってないので、そちらから彼を高く評価することはできなかったのだ。浪人生というのは、一度、受けているのだ。一度、大学入試を経験しているのだ。特に、「京大東大文系クラス」といった所に来ている者は、何が何でも東大に行く・京大に行くというのでなければ、どこかは通る大学はあったのだ。かつ、現役で京大とか阪大とかに通って行ったかつての同級生は、高校生の家庭教師とかになって「指導する側」やっているし、ほとんどの人間は学習法についても「一家言(いっかげん)」持ってるのだ。だから、うかつなことを言うと、「なんだ、こいつ」と思われるのだが、言うのだった。YMCA予備校の藤井は。次から次へと。

( ↑かつて、YMCA予備校高槻校があった場所。今は、大阪医大 本部北西部キャンパス となっている。)
  YMCA予備校の藤井は、「どんな大学でもYMCA予備校の模擬試験ほど相関性があるものはない。YMCA予備校の模擬試験でいい成績がとれればどんな大学でも通る。YMCA予備校の模擬試験でだめならどんな大学でもだめだ」と言うので、私は「そんなことないですよ」と言ったのだ。なぜなら、実際に自分が受けてみて、「そんなことない」と実感した経験があったからだ。特に、私は、他の科目はさておき、社会科、世界史と日本史に関しては、北野高校の中間考査・期末考査でも模擬試験でも業者の模擬試験でも悪くない成績をとっていたのだが、東大の試験(1977年までは二次試験)の社会科の問題は、どうも、うまくできなかったのだ。だから、浪人して、「京大東大文系クラス」に入った時点で、「東大の世界史」「東大の日本史」の答案をいかにすれば、うまく書けるか、という指導をしてもらいたかったのだが、ところが、YMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」では、「今年から共通一次試験が実施されて、これまで、社会科は1科目で良かった大学でも2科目受けなければならないことになって、社会科の先生の数が足らなくなりましたので、社会科は世界史か日本史のどちらか1科目だけの授業になります。もう1科目については、教科書を読んでいただければ、できます」と、藤井はそういう人をバカにした発言をおこなったのだった。「看板に偽りありだな」と受講生で口にする者もいた。口にしなくても、多くの者は思ったはずだ。「教科書を読んでおけばできます」だと? アホか! 教科書なんて、もうすでに何度も読んでるよ! それ以上のことをしているのだが、どうも、「東大の世界史」「東大の日本史」はうまく書けずに困っていたのだった。1科目だけ受講した「世界史」も、東大二次試験をふまえた授業ではなく、YMCA予備校が用意した「世界史」のテキストも、もとより、「東大の二次試験の世界史」を解くためのものではなく、講師もまた、時間内そこにいて、ひととおり、世界史について話をすればいいという程度しか考える能力のない人で、この人に「東大の世界史」の対策を期待してももとより無理だと思った。
   社会科だけではない。英語の場合、「東大の英語」では英作文で、かなり、長い文章が出題された。長ければ難しいというものでもない。長い文章というのは、要するに短い文章の複合形だから、組み合わせればいいわけだ・・が、しかし、長い文章を作ることに慣れないと、それまで、短い文章は作ったことがあっても、長い文章を作ったことがあまりないと、面食らうことになる。 だから、その練習をやってほしかった・・のだが、YMCA予備校高槻校「京大東大文系クラス」の「英作文」の授業というのは、日本全国の大学の入試の問題から英作文の問題を集めてきて1冊の本にして表紙に「YMCA予備校」と印刷しただけのものであり、英作文の講師もまた、どこかの大学の教授なのか助教授なのか講師なのかわからないが、そういう人のアルバイトらしく、時間内、そこに勤務して、YMCA予備校から指示された通り、「答え合わせのような授業」をやって帰る、という「それだけの人」だった。 それではだめです。それでは「京大東大文系クラス」にはなりません。
   数学は、「京大の数学」と「東大の数学」と「慶應の数学」は同じではない。1980年前後、慶應大は他の私立大学と違って「入試に数学がある大学」で、経済学部・商学部・法学部・文学部とも数学が必須科目として入試の科目にあったが、わりと「素直な問題」が多く、特に難問が出題されることもなかった。北野高校から慶應大経済学部に現役で行ったS本は北野高校の模擬試験では「数学」はできなかったらしい(本人が言っていたのだからそうなのだろう)が、慶應大の試験には通った。「S本が通ったのはまぐれだ」とか言いまくっていたやつがいたが、「まぐれ」ということではないと思う。北野高校の模擬試験は「仮想受験校 京大」の試験であり、数学もある程度難しい問題が出題されたが、数学や物理のような科目は、ある程度のレベルまで実力が到達するとかなり良い点数がとれるが、そのレベルまで到達しないと0点に近い点数になることがある。慶應大の問題は「比較的すなおな問題」で「難問ではない」問題だったので、北野高校の模擬試験の数学はできなくても、慶應大の入試の数学の問題ならできた、という人がいてもおかしくない。S本はそれだったのではないかと思う。北野高校の数学の教諭浅野が「数学というのは、できるかできないかどちらかですから、ここでできなければ、どこに行ってもだめですね」と発言したことがあったが、そうでもない。京大の数学と東大の数学の問題は慶應の数学の問題よりもひと回り難しい問題だったので、慶應の数学の問題ができても京大の数学の問題、東大の数学の問題はできない人がいたと思う。「仮想受験校京都大学の北野高校の問題」ができなくても一回り易しい問題が出題される慶應の数学の問題はできた人がいたと思う。京大の数学と東大の数学は同じなのかというと、実は入学試験としては大きな違いがあった。1978年の入試まで(共通一次試験実施より前)は、京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部は、数学・英語・国語・社会(2科目)が200点ずつで、理科(2科目)が100点、計900点満点だったが、東大は、東大の1次が数学・英語・国語・社会(2科目)・理科(2科目)で、2次が英語・国語・社会(2科目)が120点、数学が80点の配点で計440点満点。1979年、共通一次試験が始まってから、京大は、社会科は共通一次試験の点数をそのまま採用するようにして、数学や英語・国語は独自の試験を2次におこなったのに対し、東大は、それまでの東大の1次試験を廃止して、その変わりが共通一次になって、二次試験はこれまでと同じ配点で、共通一次試験の点数を1000点満点のものを110点に換算し、二次の440点満点のものと合わせて550点満点にして合否を決めるという制度に変わった。東大の問題はそれまでの二次試験の問題と大きく変わらなかったのだが、一次試験はともかく通れば、二次試験の合否に影響はなかった1978年までと違って、1000点を110点に換算するとはいえ、二次の合否に影響する制度になった。数学について、「京大の数学」と「東大の数学」で大きな違いは、「京大の数学」は英語や国語・社会と比べても同等以上の配点があるので、京大は「文系なのに数学ができる」という受験生には有利であるのに対して、東大は数学の配点が英語・国語などよりも低いので、東大の文科は英語や国語ができる受験生が有利な面があったが、それよりも、「京大の数学」は問題数が多かったので、「数学がある程度以上できる」という受験生は普通に実力を発揮する努力をすれば良かったのだが、「東大の数学」は文科1類・2類・3類の場合、配点が80点と英語・国語よりも小さいけれども、それでも、80点あって、問題数が4問だけ。問題数が多い京大に対して、問題が4問だけの東大では、「失敗すると致命傷になる」危険があった。こういうことを言うと、「致命傷になるくらい失敗しても通るくらいの実力をつければいい」とか勝手なことを言うヤカラがでてきたりするのだが、落ち着いて考えてみ。京大とか東大とかに合格しようとする場合に、「致命傷になるくらい失敗しても通るくらいの実力」て、そんなもん、簡単に身に着けられると思うか? 「合格最低点を上回る点数をとれる実力」をつけることができるかどうかが大きな問題なんだよ。「致命傷になるくらい失敗しても通るくらいの実力」なんて、そんなもの、簡単に身につけられる人というのがいたならば、そういう「天才型」がどうするかなんて、「日陰の月見草」としては関係ないことだ。「長嶋みたいなやつ」が「な~んも考えてない」でも通ったとしても、「日陰の月見草」は「 I D野球式受験術」で通ろうではないか。「受験は頭でやるもんや」てとこで。ともかく、「東大の数学」では、「京大の数学」と違って頭に入れておかないといけないのは、「なんとしても、致命傷は防がないといけない」という点である。数学の問題が10問でれば、「ある程度以上数学ができる人間」が0点とることはまずない。問題数が多いと解くのに疲れるが、たとえ1問失敗しても、その失敗が全体に占めるその割合は小さい。それに対して、4問だと、悪くすると0点まではいかなくても「致命傷になる点数」になってしまう危険がある。そのあたりを考えて対策をとるべきだ。だから、同じ科目でも、受ける所によって学習法も違うし、京大と東大はどちらが難しいかという視点で見るべきではなく、問題も違えば配点も違うということをきっちりと認識して対策を取らないといけなかったはずなのだ。
   さらに言えば、英語と国語の配点が大きく、数学は英語・国語より配点が少なくて、失敗すると致命傷になる可能性があるという東大の文科の試験を考えると、東大は英語と国語で相当の得点ができて数学で少々失敗しても合格点をとれそうという人間に有利で、「文科を受けるが数学は得意」というタイプの受験生は京大か阪大にした方が有利・・と考えることもできたかもしれない。YMCA予備校の古文の講師の山之内というおっさんが「目標、最低で京大、うまくいけば東大。さらにいけば、亜細亜大だあ~あ」とか言うたことがあったが、最後の亜細亜大は冗談として、「最低で京大、うまくいけば東大」という考え方は間違いだ。東大は「スーパー京大」ではない。出題される問題の傾向も違えば配点も違う以上、どちらが難しいか、どちらが上か下かという視点で考えるべきではない。「英語と国語で相当の点数をとれて、数学で少々失敗しても合格点がとれそう」というタイプの人に有利な東大と、「文科に進学する考えだが、数学はけっこう得意」というタイプの人間に有利な京大・阪大では、後者のタイプの人間は、あえて東大を目指さずに京大か阪大にするという選択肢もある。高校卒業時に東大を受けた者が方向修正するのは一大決心のいることだが選択肢としてはある・・が、浪人生の場合、高校卒業時にある程度の学力はあるわけだから、浪人の1年間で行きたい大学学部の試験問題に向けての対策をとれば、京大・阪大と東大の出題傾向の差を克服できる可能性は十分ある。しかし、YMCA予備校のような全国の大学全般の問題を集めた問題集ばかりに時間を費やす予備校に行ってしまうと、やるべき対策をとる時間を予備校に奪われる。YMCA予備校は、本来はその予備校がその大学の試験対策ととるべき立場でありながら、実際には試験対策をとる時間を受験生から奪っていたのである。そのくらいわからんかと思ったが、わからんやつが予備校を運営していた。・・→だから、つぶれた。
   1973年、前後期制を実施したパリーグで前期優勝した南海ホークスは、後期は後期優勝の阪急に、なんと、1分12敗と1つも勝てなかった・・が、プレーオフでは3勝2敗と勝ち越してパリーグ優勝を達成した。「後期は阪急に3つ勝つことができれば(プレーオフ5戦のうち、3勝できれば)、極端な話、他は全敗したっていい」と考えた・・と野村のじいさんは、あっちやらこっちやらで書きまくって言いまくってしているが、そんなものだ。大学入試においても、京大に行きたいのなら、京大の入試で合格最低点を1点でも上回る点数をとることができれば、東大に行きたいのなら、東大の入試において合格最低点を1点でも上回る点数をとることができれば、「極端な話、ほかは全敗したっていい」のだ。それが「勝負強さ」である。
   模擬試験については、東大に行きたいと思ったならば、全国の大学全般を前提にした「実力テスト型模擬試験」よりも、駿台がおこなっていた「東大模試」、代ゼミがおこなっていた「東大模試」、河合塾がおこなっていた「東大オープン」といった東大の入試の問題の模擬試験などの方を重視するべきで、自分が行きたいと思う大学と関係のない模擬試験の成績なんて「どちらかといえば、いいにこしたことはない」という程度のものである。なにしろ、「極端な話、ほかは全敗したっていい」のだ。
   模擬試験ではなく、高校の定期試験でも、北野高校で「現代国語」の成績は、私は1年と3年の時、年間の成績が5段階絶対評価で「3」だったのだが、2年の時は「5」だったのだ。2年の時だけ猛烈に頑張ったのではない。1年と3年の時は、「現代国語」が旧姓S野、「古文」がU村、2年の時は担当が逆で「現代国語」がU村、「古文」が旧姓S野だったが、U村の「現代国語」の問題の方がS野の問題よりも私には相性が良かったのだ。特に好かれていたとか嫌われていたとかいう問題ではなく、試験問題との相性だった。別の見方では、高校生の頃の私は、試験問題についての対策とその科目そのものの学習とでは、その科目そのものの学習はするべきだが、試験問題についての対策というのは卑しい行為のように思っていたところがあって、その認識は2年も浪人して改めたのだが、もっと試験問題を踏まえた学習をしていたなら、すべての科目でひと回り良い成績が取れたのではないかと思うが、ともかく、高校の時も、出題する教諭が入れ替わると成績も変わることがはっきりとあったのだ。業者が実施する模擬試験でも、いくらかずつ、その模擬試験によって「くせ」というのかがあるように思った。ある業者の模擬試験で良い成績をとっても悪い成績をとっても、他の業者の模擬試験ではいくらか変わる可能性がある。だから、YMCA予備校では、「YMCA予備校の模擬試験」というどこの大学の問題を想定したわけでもない試験を何度もおこないながら、「主事」の藤井が「模擬試験ばかり受けたのでは勉強できませんから、出身高校の模擬試験以外は、9月末までは受けないようにしてください」と自分がやっていることと矛盾する発言をしていたのだが、それは間違いで、複数の業者が実施するものを受けるようにした方が、試験の「くせ」による成績の良否を受けにくいと思うのだ。YMCA予備校が9月までは他の業者の模擬試験を受けるなと言うのは、それは、情報を遮断して、YMCA予備校の情報の間違いに気づかせないようにしようという魂胆だったと思われるが、YMCA予備校はそういう姑息なところのある予備校だった。大学受験についての情報を提供するのが予備校の役割のはずだが、YMCA予備校は逆に情報を遮断しようとしたわけで、もってのほかの態度である。藤井の「模擬試験ばかり受けていたのでは勉強できませんから」という発言はおかしい。浪人生というのは、特に「京大東大文系クラス」といったところに来ている浪人生は、全科目について、十分かどうかはさておき、一通りは学習してきているのであり、むしろ、何社かの模擬試験を意図的に受けるようにして、模擬試験の問題と自分が間違えた箇所の分析・検討・吟味を徹底しておこなうことで「実力」をつけるようにするべきで、他の業者の模擬試験を受けるなとは(もとより、そんなこと言っても誰も従わないし、そんな「指示」をきく筋合いはないけれども)、逆立ちした考え方である。

   YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井は、「奈良県立医大は他県の受験生でも通るが、和歌山県立医大は和歌山県以外の府県の受験生は受けても通らないから受けてはいかん」と言ったことがあり、私は「そうですか?」と言ったのだが、それが藤井としては面白くなかったらしい。「きみみたいに、上司に逆らう人間は会社員としてはやっていけないから、経済学部には絶対に行ってはいかん」と言い出したのだ。 藤井が「奈良県立医大は他県の受験生でも通るが、和歌山県立医大は和歌山県以外の府県の受験生は受けても通らないから受けてはいかん」と言ったのに対して「そうですか?」と私が問い返したのは、北野高校の模擬試験では、過去3年間に、その模擬試験で何点をとった人がどの大学のどの学部を受けて通って行った(◎)・通ったけれども行かなかった(〇)・落ちた(×)というものを書き出して高校生に配布してもらっていたのだが、それを見ると、大阪府の高校である北野高校の卒業生で和歌山県立医大を受けて通った人が現実にあったのだ。だから、「和歌山県以外の府県の高校の卒業生は和歌山県立医大は受けても絶対に通らない」というYMCA予備校の藤井の説は事実に反したのであった。それで、私は「そうですか?」と問い返したのだった。「一般に、私立大学の場合は、多かれ少なかれ裏口があると言われるが、国立大学にはそれはないが、県立の場合はなんとも言えない」なんてことが言われるようだ・・が、和歌山県立医大の場合は、現実に大阪府立の北野高校の卒業生で通った人がいたのだから、だから、「和歌山県以外の高校の出身者は受けてはいかん」などというのはおかしいはずなのだ。この後、駿台予備校で聞いた話では、「和歌山県立医大は和歌山県出身者でも他府県出身者でも関係なく合格できますが、奈良県立医大は、他府県出身者は不利なようです。奈良県立医大は、奈良県の高校の卒業生と他府県の高校の卒業生では、受験生は他府県の人間が奈良県の高校の者の倍ほどなのですが、合格者は逆に奈良県の高校の者が他府県の者の倍ほどなので、どう考えても、奈良県出身者が合格しやすいように奈良県出身者と他府県出身者で合格最低点に差をつけていると考えるしかないと思えます」と教えてもらえなかったのだ。駿台予備校で教えてもらった話は、北野高校の模擬試験の結果表に掲載されていた過去の受験生の結果とも一致する。YMCA予備校の藤井は逆に理解していたのではないか。かつ、私が問い返した時に確認すればよかったのだが、問い返されるということが許せないと考える性質の人間だったようだ。駿台予備校は私は模擬試験を受けただけでその予備校の生徒として通ったわけではないが、YMCA予備校よりもずっと良心的で親切だった。YMCA予備校の藤井は、私が、それは違うのではないかと思ったから、「そうですか?」と問い返したりしただけでも、それだけでも、「きみみたいに上司に逆らう人間は会社員としてはやっていけないから、だから、経済学部には絶対に行ってはいかん」などと言ったのだが、「おまえ、いったい、いつから俺の『上司』になったんだよ!?!」と思ったものだ。YMCA予備校というのは、受講生と職員とではカネ払っているのは受講生の側で、受講生はYMCA予備校からカネもらっているわけではなく、YMCA予備校の職員は受講生の「上司」ではないはずで、トンチンカンなことを「主事」が言っても、「御無理ごもっとも」、「まことにまことに、雪は黒うございます」と言わないといけない・・みたいに藤井は思っていたらしいが、なんでカネ払っている側がカネをもらっている側に「まことに雪は黒うございます」と服従しなければならないのだ・・と思ったのだが、藤井は「ぼくらは、きみらには1円としてカネもらってないんだからな。ぼくらは、あくまでも、きみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてもらってないんだから」と言うのだった。だから、YMCA予備校の職員は受講生の「上司」だ、「上司」が言うことは間違いであっても「はい、はい」「まことにまことにもっともなことでおじゃりまする」と肯定して従わないといけない、「そうなのですか?」と問い返すようなやつは、会社員としてはやっていけないから絶対に経済学部には行ってはいかん、受けてはいかん! というのがYMCA予備校の主張だった。

   ことごとく、あげるとブログの字数制限は間違いなく超えるのでここですべてを述べることはできないが、YMCA予備校と「主事」の藤井という男は、常にこの調子だった。私は、父と母に「あいつは、大学入試について、何にもわかっていない人間だから、あいつの言うことは聞かないで」と言ったのだが、父は「専門家の言うこと、専門家。せんもんか、専門家、センモンカ、せ~んも~んくわあ~あ!」と言ってきかなかった。「あんなやつ、専門家じゃないよ」とも言ったが、「すえ~んむお~んくわあ~あ!」と言ってきかなかった。 T=W=アドルノらによる『権威主義的パーソナリティー』(青木書店)によると、「専門家」を実状以上に信奉する人間というのは、「権威主義的パーソナリティー」≒「サドマゾ人格」≒「ファシズム人格」 の傾向が強いと考えられるという指摘があるが、うちの父親もそういう傾向があったかもしれない。そういう際に、父親が東大なり京大なりそういう大学を卒業したような人の息子(および娘)はうらやましかった。そういう父親は、息子よりも先に、父親の方が、「こいつはおかしい」と感知して息子(もしくは娘)に指導するものだった。我が家は、息子の方が「あいつはおかしいから、あいつの言うことはきかないで」と言っても、父は「専門家の言うこと、専門家。せんもんか、せ~んむおお~んくわあ~あ!」と言ってきかず、母は「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない」「あの人は、YMCA予備校で主事をやっているくらいだから、クリスチャンはクリスチャンでも並みのクリスチャンではない。相当にえらいクリスチャンのはずだ」とか言って私の言うことをきかなかった。
   北野高校の教諭だった旧姓作野礼子(結婚して、寺地礼子。 北野高校卒→神戸大文学部卒。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」と年中言っている女で、その「両親が離婚した」というのが自慢であって、「両親が離婚したからだから私はしっかりしている」というのが「売り」だったのだが、しかし、↑で述べたような場面においては、「両親が離婚した」人というのは、YMCA予備校の「主事」がアホなことばっかり言いまくってどうしようもないという時、「専門家の言うこと、専門家、すえ~んむお~んくわあ~あ!」などと言うおっさん、「あの人はクリスチャンだから、絶対に悪い人であるわけがない」「あの人はYMCAで主事をやっているくらいだから、クリスチャンはクリスチャンでも並みのクリスチャンではない。相当にえらいクリスチャンのはずだ」とかいう母親と、そういう大学入試にとって妨げになるような親が2人いるのとは異なり、どういうお母さんだったか知らないが、たとえ、妨げになるような親であったとしても、それが1人であって2人いるわけではないことになるのだから、こういう場面においては、「両親が離婚した」人は両親が離婚していない人よりも必ずしも不利ではない。 「私は両親が離婚したから」というのは、それが最大の「売り」である人にそれをアピールするのをやめろと言ってもきかないだろうけれども、「両親が離婚したから」と言われても、「だから、何?」て感じがする。・・・というよりも、「私は両親が離婚したから」と何回も何回も、今でも耳鳴りがするくらいに何回も言いやがったけれども、だいたい、その「両親が離婚した」てのは、俺が離婚させたわけでもないだろうが! 俺が離婚させたのなら、「どうも、えらいすんまへんなあ」とでも言うべきだったかもしれないけれども、「ち~が~う~だ~ろ!」。 そんなもの、旧姓S野礼子の親が離婚しようが再婚しようが、そんなもの、知るか!!!
   親によっては、息子よりも親の方が先に、YMCA予備校高槻校の「主事」だという藤井は言うことがおかしい、と感知して、親が息子にそれを教える親もあったようだが、我が家は息子が気づいて親に教えても、「専門家の言うこと、せんもんか、センモンカ、専門家、せんもんか、すえ~んむおお~んくわあ~あ!」と言ってきかない親だった・・・。遠山啓は≪父親は家族にとってはなんといっても世間の荒波を防いでくれる防波堤のようなもので≫と『教育問答 かけがえのないこの自分』で述べていたのだが、↑のあたりを見ると、我が家の場合はそうではなかった。
〔 なお、今回、「敬称略」とさせていただいた。 〕

  続きは、[第381回]【2/2】外敵を集めてくる父親、息子を自分の分身と考えない父親、名前を変えさせる拝み屋 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_17.html

  2018年の「父の日」は6月17日。
  公開日は、本日、2018年6月23日(土)

☆ 《「父の日」に思う》は四部作。
1.「父親は防波堤」という遠山啓の妄想 〔今回〕
2.息子を自分の分身と考えない父親 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_17.html
3.「子供は女が育てるもの」か?http://tetsukenrumba.at.webry.info/201806/article_18.html
4.電車で「上座」に座りたがる男http://tetsukenrumba.at.webry.info/201807/article_1.html

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