卒業生2人と駅で会って、片方とだけ話をする教諭-受験生を応援するシリーズ

[第379回]
   1浪して大学に行ったような人間には、「現役で大学に入った人間は甘ったれている。その点、1浪した人間は苦労を知っている」とかなんとか、勝手なことを言うヤツっていますでしょ。いませんか。私が高校を卒業したのは1970年代の後半、なんだか、昨日のことのような気がしますが、ふと気づくと40年も経ったが、私が高校生の頃、そんなことを言う人間というのがわんさといて、真面目に努力して高校を卒業する時点で大学に合格できる成績をあげた者が「甘ったれてる」で、それだけの努力をしなかったから合格できなかった人間が「苦労をしっている」「厳しさがある」て、それは逆と違うのかと思ったものでした。北野高校で所属したクラブの卒業生で、私より3つほど年上で、1浪して大阪大学の工学部に入学・在学してした男S本(大阪市西淀川区の中学校卒)が、OBとしてクラブの練習に顔を出して・・、まあ、顔を出すのは出して悪いということはないのですが、高校3年生を見ると、「浪人はいいぞお~お」とか言って、現役で合格できる可能性がある人間を浪人させてやろう、京大に行ける可能性のある人間を阪大以下に行かせてやろうという態度をとるのを見て、こいつ、嫌なやつだなあと何度も思ったものでした。S本を見て、絶対に現役で通りたいと思ったし、たとえ、浪人することがあっても、自分はこいつみたいな態度は絶対にとりたくない、とも思った。S本を見て、阪大に行くとあんなになるのか・・と思って阪大には行きたくないなあと思ったこともあったのですが、それは彼がそういう人間なのであって、阪大がどうという問題ではないと思います。
   遠藤周作が『わが青春に悔いあり』(1974.10.30.角川文庫)の「わが青春に悔いあり(一)」で、
≪ 今でもそうであろうが、浪人1年目ぐらいはまだ家族や先輩も「捲土重来」とか「尺取り虫は伸びんがために縮む」などと、その場かぎりの慰めを言うてくれるものだ。ところが浪人二年目となるともう、慰めどころではなく苦虫つぶしたような顔をむけられ、三年目ともなれば、誰もかも絶望の表情と白眼とをもってこちらをじっと見るものだ。
   で、浪人の本当の味がわかるのは二年目以後であって、一年ぐらいの浪人生活をやった手合が後年「浪人生活もいいものさ」などと偉そうなことを後輩に言うとるのを聞くと笑止千万である。浪人一年ぐらいはヒヨッコであるワ。・・ ≫
と書いているのだが、私もそう思う。
   私が高校生の時にそれは違うぞと思ったのは、一生懸命、努力して現役で通った人間と、それだけの努力をせずに浪人した人間で、どうして、一生懸命、努力して現役で通った人間の方が「甘ったれてる」だのなんて言われなきゃならんのだ、という点だった。
   1浪にも2種類ある。厳密には3種類あるかと思う。私が卒業した頃の北野高校は現役で通る人間と1浪で通る人間が半々くらいで、2浪以上もいくらかいる、という高校だった。その後、進学成績は低下したが、また、復活したらしく、昨年は、とうとう、京大合格者数全国1位に返り咲いたらしく、阪大合格者数も1位で、しかも、現役で通った人間と浪人では現役で通った人間の割合が大きいという、「現役で京大・阪大に行く高校」に復活したらしい。・・・たいしたもんだ。そういう高校から大学に進学する際に1浪した人間というのは、高校を卒業する時点でも、どこでもよければ、どこかは行ける大学はあったはずなのだ。しかし、「どこでもよければ」なんて言っても、どこでもいいわけないので、その結果、浪人してみたりもするわけだ。合格発表を見に行っている夢を見たこともある。たいてい、そういう時は落ちている夢なのだが、何も受けた所をすべて落ちたわけではなく、通った試験だってあるはずだが、夢に見るのはたいてい落ちた方である。
   現役でさっさと通った方がいいか、浪人した方がいいか、2浪以上した方がいいかというと、そんなもの、現役でさっさと通った方がいいに決まっている・・・が、それから何十年か経ってみると、落ちたにしても、それでも、その時、一生懸命、努力したのであり、それこそが、「原点」のひとつだったのかもしれない・・とか思うが、たとえ、「原点」にしても、落ちた方がいいのかというとそんなことはない。通った方がいい・・・が、野村克也が何かの本に、「『失敗』と書いて『成長(せいちょう)』と読む」と書き、「人間は成功からは学ばんもんなんや」と書いていたが、実際、そういうことはあるとは思う。そこから学ぶものがあるのならば、「失敗」することがあったとしても、それはそれでいいのかもしれないが、それでも、通った方がいいか落ちた方がいいかというと、通った方がいいに決まっている。私は、浪人してしまったが、だからといって、これから大学を受けようという人に向かって、「浪人はいいぞお~お」だの「現役で大学に行ったやつは甘ったれてるからなあ」とか、おまえの方こそ「甘ったれてる」のと違うのかと言ってやりたくなるような文句を言うなどという、みっともない真似をしようと思ったことはない。その点については誇りに思っている。

   浪人して行きたいと思った所へ行ければまだいいのだが、浪人したにもかかわらず、行けない。そこなら高校卒業時でも通ったと思う・・・なんて所には、あるまリ行きたくないものだが、そう思っていると、2浪したり3浪したり・・・なんて可能性も出てくる。
   遠藤周作『わが青春に悔いあり』(1974.10.30.角川文庫)には、
≪ 今でも夢をみる。試験場のこと。
   大きな教室に受験生がいっぱい腰かけておってな。縁なし眼鏡をかけた試験官が固い靴音をならし、机と机の間を歩きまわっている。夢のなかでも、その試験官の靴音や背広の臭いまで、はっきりと感じられるのだな。
   それから掲示板の夢もみるな。小使が二人、大きな巻紙を端から開いていく。と、二、八、十二、十六、十七と飛び飛びになった数字があらわれて、わしの番号はない。
   浪人時代のことはよく安岡章太郎が小説に書くな。彼は浪人を三年やった。わしも自慢じゃないが三年やった。
   だから、いい年をした今日でも、あの頃の夢をみるのであろう。 ≫
   実際、私も、最近でも、入学試験の後、合格発表までの間に、あの科目はここは合ったはずだ、ここは間違えたか、ここで◇点くらいとれているだろう、ここは減点されたか・・・などと点数を計算して、なんとか通ったか、どうか・・・とか考えたように、夢の中でそれと同じことをしていることがある。眼が覚めて、「ああ、夢だったんだ」と気づいても、しばらく、そのまま、点数の計算をしていて、「あれ、俺、いったい、どこ、受けるんだ」と気づくということを何度もしている。 

≪   わしの友人は安岡を除いては、みな中学時代、優等生だったらしいワ。吉行淳之介も阿川弘之も三浦朱門も浪人の経験などない。吉行は静岡高校、阿川は広島高校、三浦は高知高校、スーッと受けてス~ッと入っておる。コンケイこと近藤啓太郎だって当時、難関といわれた美校に入学してな。あの頃の試験制度はどこか間違っておったんじゃないか。
   しかも、フシギでならんのはこれら友人の入学した学校をわしらも受けておることで、すなわち安岡は高知を受けて落ち、わしは広島を二度受けて落第しておるのだワ。
   その安岡と一緒に旅行すると、必ず彼は自分の落ちた旧制高校の校舎をたずねていき、やるせなさそうな面持をするな。この人には自分の体にシラミをはわせ而してそのいた痒さを楽しむというようなところがあるから、あの三月から四月にかけての埃っぽい白々とした季節に、孤独で、うすぎたなくて、みじめだった二十数年前のわが姿を、そこ、ここに見つけようとしておるらしく、今は地方大学になっている、それら旧制高校の校舎の中をトボトボと歩いては立ちどまり、トボトボさまよっては校舎をなでさすり、ウーンと溜息をついたり、吐息を洩らしたりするのであるが、その感じはわしにもわかる。・・・ ≫
   たしかに、この気持ちの私は、わかる。 「浪人して大学に行った」という人間にも、幾通りかある。浪人して、現役の時に行きたいと思って落ちた大学に、浪人したが行けた・・・という場合と、浪人したにもかかわらず、そこなら現役の時に行けたのではないかと思われる所に行かされるはめになってしまった、というケース。 それと、現役の時点ではたいした大学に行ける成績ではない者が、浪人して行った予備校とうまく合って、それで、それなりの大学に合格できた、というケース。 慶應大学なんかに行くと、高校卒業時だと、法政くらいに行けたか行けなかったかくらいの人が、浪人して慶應の試験科目だけ学習して1浪で慶應に入った・・なんて人間が多い。 そういう人間は、私のように、東大などに行くために浪人して、その目指したところに合格できずに、行きたくもない慶應にともかく入学してしまった、という人間を見ると、もう、うれしくって楽しくってた~ま~んな~い♪ て気持ちになるらしい。「同じ、浪人して慶應に入った仲間だろお。仲良くやろうぜえ。もう、何の違いもねえんだからよお」などと言ってくるわけだが、誰がこんな三流高校卒のヤツと「仲間」になんかなるもんか・・という気持ちになる。横浜市港北区日吉に「日吉台学生ハイツ」というのがかつてあった。そこに、私が住んだ階に、天王寺高校から2浪で慶應大商学部に入ったという私と同じ年齢の男がいて、そいつも私と同じようなことを思ったようで、「誰がこんな学校、行くものか」と思って東大を受け直したらしく、翌年、東大に3浪で通ったと聞く。私もそいつと同じようにもう一度受けさせてもらえればさすがに3年も浪人すれば通った・・・ように思うが、我が家は家庭の協力がなかった。
   大学から慶應大学に入った人間は、多くの人間が「大学入試はあった方がいいなあ」と言う。慶應の内部進学の人間を見て、自分たちと比較してそう思うのだが、慶應の内部進学の教授は、大学から入った人間〔慶應の内部進学の人達が言うところの「(慶應義塾の)外部の連中」「(慶應義塾の)外部のやつら」「(慶應義塾の)外部の者」〕がそういう意識を持っていると思うから余計に言いたくなるのかもしれないが、↑のような経験を「受験勉強の悪影響だ」と言うのである。私は「悪影響」だとは思わないが、慶應の内部進学の教授にそんなことを言っても彼らは絶対に理解しないので、うるさいから言わない方がいいだろう。

   2浪以上した人間というのは、何らかの理由・事情があったのだ。1浪で大学に入った人間というのは、北野高校のような進学校から1浪で大学に行った人間の場合は、それは、現役で行けるものなら行けた方がいいが、小学校・中学校・高校と12年間の集大成だと考えると、どうしても、そこに行きたいと思うのなら、もしも、1年余計に費やして行けるものなら、その1年は費やしてもいいのではないか、くらいの気持ちで1年の浪人をした、というケースが多いと思う。そうではなく、ちっとも進学校ではない高校から、なんでそんな「大学」に行くのに浪人してまで行かなきゃならないのお・・・みたいな私立大学に浪人して行く人というのがあるが、そういう人の場合は、「浪人生活」というものをしてみたかった、という人がいる。 そういう人は、あくまでも、「浪人生活」というものを1年経験してみたかっただけなので、1浪の上で行く「大学」はどこだっていいわけだ。しかし、進学校から大学に進学しようとして、浪人したがうまくいかなかった、という者の場合はそうではない。大学卒業時に3年以上遅れで卒業したという人間というのは、それは、何か事情があったのだ。そして、その「事情」はひとに言っても、どうせ、誰もわからないことであるから、言わないが、22か23で卒業した者とは異なる「事情」があったのである。

   私の経験を言うと、2浪しても東大の試験に落ちてしまったのだが、2浪で東大を受ける時、すでに過去に受けに行った経験があるので、今さら、「下見」することもないのだけれども、それでも、試験の前日、試験会場の東大の駒場キャンパスまで行ってみたのだが、帰り、京王帝都電鉄井の頭線に「駒場東大前」から乗って、「渋谷」駅で降りようとした時、同じ車両で、私より1歳年下で、同じ中学校から同じ北野高校に行って現役で東大の文三に通ったUくんと会った。Uくんは、私が2浪で東大を受けるのを聞いて、「来てもらえたらうれしいです。頑張ってぜひ通ってください」と、そう言ってくれた。それに対して、2浪しても東大の試験に合格することができず、ともかく、慶應大学に入学したところ、私と同じ年齢で、同じ中学校から同じ北野高校に行って、現役で慶應大学の経済学部に入学したS本がいて、彼は私にこう言ったのだ。「小学校の時も、中学校の時も、高校の時も、おまえの方が俺よりも成績は良かったかもしれないが、これからは俺の方がエライんだからな。今後は、おまえは死ぬまで俺には頭があがらんのだからそう思えよ。俺は、今後は、いつでも、おまえに『3べんまわってワン』と言わす権利があるんだからな。かわいそうだから言わずにおいてやってるけど、いつでも俺はおまえに『3べんまわってワン』と言わす権利があるんだから」と。S本はそう言ったのだ。「隠れてうどんを食ってたヤツ」が。〔⇒《YouTube-マンモス西 うどん 》https://www.youtube.com/watch?v=gE8drjT15Dk 〕 彼は「かわいそうだから、言わずにおいてやってるけど」と言ったのだが、↑の文章、見ていただくとわかると思うが、すでに言っている。そして、慶應の学生というのは、そういう人間が多い。誰がこんな学校、行くものか! と思ったし、こんな「大学」に行かされるくらいなら、「大学」なんぞ行かない方がよっぽどいいとも思った。S本は慶應大卒業後、兵庫県庁に勤めたようだが、おそらく、死ぬまでその調子だろう。

   遠藤周作も言っているように、≪ 浪人の本当の味がわかるのは二年目以後であって、一年ぐらいの浪人生活をやった手合が後年「浪人生活もいいものさ」などと偉そうなことを後輩に言うとるのを聞くと笑止千万である。 ≫ と思う・・・・が、1年の浪人でも、現役で大学に進学したならば経験しなかったであろうものを経験することもあり、現役で大学に合格していたならば学ばなかったであろうものを学ぶこともある。

   YMCA予備校高槻校は、ふと、気づくとなくなり、今は、大阪医大本部北西部キャンパスになっている・・・が、1970年代後半、私が1浪の時、18歳の時だが、阪急京都線「高槻市」駅から阪急京都線で「十三(じゅうそう)」まで行き、十三で宝塚線の急行に乗って、「石橋」駅で降りて、箕面線の方へ歩んでいた時、宝塚線ホームの方から、見たことがある顔のおっさんが、ひょこひょこと歩いてくるのが見えた。

( ↑ 「旗」マークのあたりである。 )

誰かというと、私たちが北野高校を卒業する年に定年で退職した北野高校の真田(さなだ)という数学の教諭だった。
   その時、一緒に北野高校に行き、何の因果か、YMCA予備校高槻校にまで一緒に行ったN口と私は一緒にいたのだが、先に気づいたのはN口の方だったが、真田のおっさんが私たちの方に歩いてきた時、私とN口は、一緒に「こんにちわ」と挨拶した・・のだ。 私たち2人は、いずれも、北野高校でこの教諭に数学を習ってきた。だから、挨拶くらいはするものだ、と思っていた・・から、2人とも一緒に挨拶したのだ。
   ところが、だ。真田のおっさんは、私たちが2人一緒にいて、2人が真田のおっさんに挨拶しているのに、彼は私は完全に無視して、N口にだけ話しかけたのだった。 2人一緒にいたならば、1人に話をすれば、次にもう片方に話すとか、それが普通ではないか。1人だけいた時に会ったというのなら、その1人にだけ話をすればいいが、片方には親しげに話しかけて、他方は学生の方から挨拶しているのに、それでも、完全に無視するというのは、これはいったいどういうことなのだろうか・・・。

   その時の私は、けっこうショックだった。N口は、真田のおっさんからああいう態度をとられるというのは、彼は模擬試験などで相当いい成績をとっていたのだろうか・・・。しかし、私だって、北野高校の3年の時の模擬試験では、学年で100番以内、2桁の順位の成績はとっていたのだから、そんなに悪い方というわけでもない。
   N口という男は、小学校の時から、どうも、親が先生に「工作」するのか、担当の先生から特別扱いを受ける生徒だった。今から考えると、「嫌なやつ」だったのだ。私は、今から考えると、高校在学時や高校卒業直後くらいは、ずいぶんと、「おぼこい」ところがあって、そのあたりについて、よくわからなかった。そういうものは、「あいつ、何か、先生とあるのかな・・・」と感じたりすることはあっても、「証明」までするのは簡単ではないということがけっこうある。
   卒業して30年くらいたって気づいたものとしては、北野高校の国語系の教諭が、A東という女性徒に、なぜか、特別扱いをしていた、というのがある。 その女は北野高校から東大の理科1類に現役で通ったようなので、その点はよかったのだろうけれども、そんなことは関係ない。 1年の時、古文を担当していた植村(男。当時、50代?)が、ある程度の区切りまで行った際に「質問はないか」と言い、質問する者がいると「はあん! なに! こんなこともわかりませんのん!」と怒るのだ。自分が「質問はないか」と言うから質問したのに、なんで怒るんだよと思うのだが、そういう態度だった。質問すると怒られるのなら、やめとこと思って誰も質問しないと、「質問はないのか。ということは、何でもわかってるということだな。私だってわからんことがいっぱいあるのに、わからんことがないというとはすごいな」と言い、「よし、それなら、こっちから質問してやろう。質問はないかと言うのに質問しないからには何でもわかっているはずなのに、こっちから質問して答えられないというのではけしからん。その場合はげんこつじゃ!」と言ったのだ。で、「こっちから質問」すると、あてられて答えられない生徒は当然いたわけだ。植村は実際には「げんこつ」はしなかったけれども、しかし、そういう調子だった。ある時、植村が「質問はないか」と言った時、A東が質問した。私はいつもの植村の対応から考えて「はあん! そんなこともわかりませんのんか! はあん!」と言うであろうと予想した・・のだが、ところが、A東が質問すると、他の人間が質問した時とは違って、植村は「はい。A東さん、いい質問ですねえ、これは」などとにこにこしながら答えたのだった。「はあん?!?」。なんか、A東には他の生徒が「質問」した時と対応が全然ちがうやんけ! A東に対しては北野高校の国語系の教諭はそういう態度だった。A東はそんなに「いい質問」をしたのだろうか・・などとアホなことをその時は思ったのだったが、違う。そうではなく、A東の親が北野高校の国語系の教諭と何らかのコネクションがあったのではないかと思う。
   さらに、「現代国語」の授業で、旧制S野(女。北野高校卒→神戸大文学部卒。当時、20代)が、「現代国語」の教科書に載っていた宮沢賢治の詩についての「感想文」みたいなものを書かせたことがあり、そのうち、クラスで「優秀作品」を2名、クラスの人数分、プリントして配って話をしたことがあった。その1名がA東だったが、そんなにいい内容だとは私は思わなかった。むしろ、A東の文章はあまり豊かな精神性を示しておらず、宮沢賢治のその時の詩に対しての理解も決めつけが過ぎており、決していいものではないと思えた・・のだが、「感想文」なんてものは、実際のところ、評価はなかなか難しいところもあり、旧制S野がいいと思ったのなら、それはそれでしかたがない・・くらいにその時は思ったのだけれども、これも、卒業して10年以上経って考えると、北野高校の国語系の教諭とA東の親とが何らかの関係があることによるもの・・と考えるのが妥当ではないかと認識した。実際、今から考えると、その時のA東の文章は高校1年生の文章として考えても「真ん中より下」で、「永訣の朝」の宮沢賢治の妹についての理解も不適切で優秀な内容ではない。国語が優秀でないA東は国語の配点比率の低い東大の理科に進学したからそれでいいのかもしれないが、国語系の教諭のA東に対する特別扱いというのは、あれは何だったのだろうと今もって思う。植村と旧姓 作野だけではない。もう1人、漢文を教えていた藤尾(男。当時、40代。東大文学部中国文学科卒 らしい)もまた、A東には特別扱いの態度があった。藤尾は、生徒にそれぞれに「◇◇の☆☆」とけなし言葉的な「あだな」をつけたのだが、そのつけかたが生徒によって違った。否定的な名前を本人の意思を無視してつけていたのだが、A東には、そのつけかたが「なぜか、遠慮がち」だったのだ。植村・旧姓作野の態度と合わせて考えると、藤尾もまた、A東の親となんらかの関係があったのではないか・・と考えるのが妥当ではないかと認識する。A東は大阪教育大付属池田中学校卒だったから、私らのような市立中学校卒(「普通の中学校」卒)の人間と違って、親が何らかのコネクションを持つような親だったのかもしれない・・が、「証拠」をあげろと言われてもそんなものはないが、「状況証拠」なら↑に述べたようなものがある。

   1浪中、18歳の時だが、阪急「石橋」駅で、同じように授業を受けた同じように北野高校の卒業生のN口と私が一緒にいて、一緒にこちらから挨拶しているのに、N口には親し気に話しこみ、一方で、私には、私の方から挨拶しているのに、断固として無視した、という真田の態度にはショックを受けた。
   私は、彼に何か嫌われるようなことをしただろうか・・とか、それとも、卒業生として、N口と私では私は将来性のない人間だと真田に思われているということなのだろうか・・とか、ずいぶんといろいろと考えた・・・・のだが、今から考えると、なんとも、しょーもないことに悩んだものだと思う。
   N口の場合は、「小学校の頃からそんな感じのヤツ」だった。N口の親は、どうも、周囲に取り巻きを作ってボス的な存在になりたがる親だったらしく、又、学校の先生に取り入るのがうまい親だったようだ。 私はN口とは小学校の5年6年でも同じクラスだったのだが、小学校の5年6年の時、N口ともうひとり、M下という男の2人が小学校の5年6年の時の担任のHから特別扱いだった。特に、N口でない方のM下は、ある時、隣の席に座っている生徒の腕を目がけて彫刻刀を投げつけて隣の生徒の腕に彫刻刀が突き刺さった、などということもあったが、それでも、HはM下には何ら注意もせず、「おかまいなし」だった。 N口はM下と同様に「先生から特別扱いの生徒」だった。だから、北野高校の教諭にも、なんらかのものがあったということは、可能性としては、ないとは言えない・・・が、そんなことよりも、特定の生徒に「特別扱い」のものがあって、通常の生徒・卒業生には10段階で5の対応をするものを「特別扱い」の生徒・卒業生には6か7の対応をするというのなら、まだわからないこともないが、2人が一緒にいて、その2人が2人ともが自分の方に挨拶しているのに、片方に対しては親し気に話し込んで、他方は完全に無視するというのは、その卑しい態度は何だろうか。私は高校や中学校の教諭には結果としてならなかったが、大学卒業後の職業として、高校や中学校の教諭というものを考えたことはあったのだが、もしも、何の科目であれ高校の教諭という職業についたなら、あのような態度・対応は絶対にとらなかったと思う。人間として恥ずかしい態度である。

   定年退職した真田のおっさんと阪急「石橋」駅のホームで会ったのは、1浪中、いつの時期だったかというと、ちょうど今自分。5月下旬か6月に入ったばかりかという頃だった。なんだか、その時はずいぶんとショックだったし、こちらとしては、北野高校の先生には親しみを覚えていたのに、こちらから挨拶しているのに、N口と私の2人が一緒にこちらから挨拶しているのに、N口には親し気に話し込んで、私にはこちらから挨拶してにもかかわらず、挨拶を返すこともせず、完全に無視した・・というのは、何かあるのだろうか、何か彼に嫌われるような態度でも私はとったのだろうか、彼は現役で大学に通った人間は相手にするけれども浪人してしまったような人間は無視するのだろうか・・とか考えた。『シェイプアップ乱』という漫画があって、乱ちゃんという女子高生がいる家に、東大を受けたが落ちたというにいちゃんが東京で浪人生活を送るのに下宿するという話で、落ちたとはいえ、東大に行こうとするくらいの男なのだから魅力的なのではないかと期待した乱ちゃん・・はその期待を裏切られ、やってきたのは「もっこりのお兄ちゃん」だった・・という話だったのだが、その「もっこりのお兄ちゃん」は、ともかく1年間浪人して頑張ったが、それでも、また、東大の試験に落ちてしまう。さらにもう1年浪人して、2浪で、やっと、文科三類に合格する・・が、合格発表の時、自分の番号を見つけて、「あった、あった」「やっと、通った」と喜んでいると、向こうから、同じ高校の卒業生で「東大理科一類 現役合格のエリート」の男がやってきたので、懐かしく思って「お~い、◇◇~」と呼びかけたところ、「ふん。たかだか東大の試験みたいなもんに2年も浪人せんと通らんようなそんなアホと口きけるかあ」と言われ、「もっこりのお兄ちゃん」は憤慨する・・という話があった。その時、北野高校元教諭の真田は、私に「ふん、たかだか、大学の入試に浪人せんことには通らんようなアホと口きけるかあ」とでも思ったのだろうか・・とか思ったのだが、それなら、N口だって浪人していたのだが、N口はよくても私はだめだということなのか・・とか思い、ずいぶんと悩んだものだった・・が、あほくさい。そんな問題ではないと思う。 そうではなく、あの真田というおっさんは、「その程度の人」だったのだと思う。
   高校時代、及び、卒業して浪人中、及び、その後しばらくの私にとって、失敗は、北野高校の先生全般を実際以上に高く評価していたこと。 実状以上に買いかぶっていたこと、というのがあると思う。『東京大学機械的合格法』『司法試験機械的合格法』(いずれも、実業之日本社)の著者の柴田孝之が「能力的にも優秀で人間的にも優秀な教師というものは、多くの人間が考えているよりも、はるかに少ない」と書いていたが、私もそう思う。
   その3月に卒業した生徒が2人いて、2人が一緒に自分の方に挨拶しているのに片方にだけ親し気に話し込んで他方には生徒の方から挨拶しているのに完全に無視するという態度をとるような元教諭というのは、いったいどういう人間なのか?・・というと、結論として「そういう人間」だったのだろう。

   1月から3月にかけての大学入試において通った人間・落ちた人間というのがいても、3月くらいだと、まだ、「高校を卒業した」という状態だが、5月の後半くらいになると、通った人間は「大学生」であり、落ちた人間は「浪人」であって「大学生」ではないという立場の違いが認識されてくるが、そういう時期に、同じ卒業生で、同じ「浪人」である者が、一緒に挨拶しているのに、それに対して、片方の人間にだけ親し気に話し込んで、他方の人間には、生徒の方から挨拶しているのに、挨拶を返すこともしない、という元教諭というのは、もしかすると、「自分は先生というエライ立場だから、挨拶はされるもので、挨拶されたからといって挨拶を返してやらなければならない筋合いはない」とか思っておったのかもしれないが、そんな人というのは、たとえ「京都大学理学部数学科卒」であっても「元北野高校教諭」であっても、その人は「その程度の人」なのだと思う。「その人は『その程度の人』なんだと思っておけばいいことだ」と思う。
   大学の入試に通った方がいいか落ちた方がいいかというと、通った方がいいに決まっている。大学には現役で通った方がいいか浪人した方がいいかというと、浪人したことで学ぶものだって中にはあるかもしれないが、たとえ、そういうものもあったとしても、現役で通った方がいいに決まっている。 そして、浪人といっても、最低でも2浪以上の浪人をしてこそ、そこで学ぶものはあるが、1年の浪人なんて、そんなもので、「人生を知った」だの「苦労を経験した」だのなんだの勝手なこと言うやつというのは、チャンチャラおかしいと言わざるをえないが、しかし、1年の浪人であっても、そこで学ぶもの、そこで経験するものというのは、ある。その1例が、ここで述べたものだった。 もっとも、これを「いい経験した」と理解するべきかどうかはよくわからない。「いい経験」ではなく、「嫌な経験」とか「不愉快な思い」とか評価する方が正しいのかもしれない・・・が、ともかくも、現役で大学に通って進学した人間は、こういう経験はしていないのではないか、と思うのだ。 

   慶應大学は、行きたくないと思っていた学校に無理矢理行かされた学校で、卒業する時も、日本経済新聞社の就職合同説明会をのぞいてみたところ、なんだか、こんなヤツが「大学」に行くのかと思うようなヤツが来ていて、そして、そいつらが「同じ大学卒なのに、大学によって差別するのはおかしい」とか勝手なことを言いよるのを知って、それで、あんな奴らでも「大卒」になるのなら、私だって、ともかくも、「大卒」の肩書は取得させてもらったって悪くないだろうと思って、「大卒」になるためだけに嫌な嫌な大学を卒業した・・のに対して、北野高校は行きたいと思って行った高校だった・・のだが、卒業して10年以上経って考えてみると、行きたいと思って行った学校ではあったけれども、はたして、良かったのかどうかよくわからない、と思うようになった。良かったのかどうかよくわからない・・けれども、それなら、どこに行けば良かったのかというと、それもよくわからないのだが、しかし、それにしても、↑で述べたように、卒業した生徒2人が一緒にいて、その2人が自分に一緒に挨拶しているのに、片方にだけ親し気に話をして、他方には生徒の方から自分に挨拶しているのに挨拶を返すこともせずに完全に無視する・・・などという教諭というのは、それは、結論として、「あんまり、いい先生とは言えない」と判断していいと思う。

   5月下旬から6月上旬にかけての時期、私が1浪の時に体験したことと同様のことを体験するという人も、もしかするといるかもしれないが、もし、↑のような経験をすることがあったなら、それは、卒業生が2人一緒にいて、その2人が一緒に自分の方に挨拶しているのに、片方にだけ親し気に話し込んで、他方には生徒の方から自分に挨拶しているのに完全に無視するなどというそういう態度をとるヤツの方が、いったいどういう人間なんだ? ・・というと「そういう人間なんだ」ということだ、と理解していいと思うのだ。 なんら、気にすることもなければ、悩む必要もないことだ。
   挨拶というものは、自分が人からどれだけ「改まった挨拶」をされるかよりも、自分が人にきっちりと挨拶をできるかどうかの方が大事だと思う。山上正月氏の『ルパン3世』という漫画で、ロボットとして作られた巨大な「女」が、「誰も私を愛してくれない」「私は男性から愛されたい」と言い、愛してもらえないということから暴れ出すという話があった。その「女」に対して、ルパン3世が言う文句が秀逸であった。「『愛されたい』ばっかり言いやがって。それなら、おまえは人を『愛した』ことがあるのか!?! 自分がひとから『愛される』かどうかなんてどうでもいいじゃないか。自分がひとを『愛する』ことができるかどうかの方が大事だろうが」と。名言である。さすがはルパン3世、いいこと言う♪
   挨拶というものは、こちらから挨拶をして無視されると気分がいいものではない。近視の人が挨拶されたのに気づかないというケースはあると思うが、北野高校の元教諭の真田のおっさんは、至近距離から私とN口と2人から一緒に挨拶されたのであって、近視の人が自分が挨拶されたのに気づかなかったというケースとは異なる。 自分が挨拶したのに無視されたという場合、気分はよくないかもしれないが、それほど気にすることはないのではないかと思う。 ひとから挨拶されているのに挨拶を返すこともできない人と自分から挨拶しているのに無視された人間なら、ひとから挨拶されているのに挨拶を返すこともできない人の方が、愚かで哀しい人間だと考えるべきだと思う。

   N口は1浪して京都大学の法学部に合格したようだった・・が、「浪人した」といっても、彼は私と同じだけのことは学んでいないはずである。その場に同じようにいたとしても、真田のおっさんから、「高校の元教諭が、一緒にいた別の生徒には親し気に話しかけるのに自分は無視された」という人間と、「高校の元教諭が、一緒にいた別の生徒は無視して、自分には親し気に話しかけてきた」という人間が、同じだけのものをそこで学ぶということはありえない。たとえ、同じ時に同じ場所にいたとしても、その時、見えたものは、まったく別のものであったはずである。N口は、その時、私が経験して学んだものは、おそらく、あの男は死ぬまで身に着けることはないだろう。 たぶん、私なんかよりも出世しているのではないかと思うから、女性にとっては私なんかと結婚するよりも、あの男と結婚した方が「しあわせ」だったかもしれないが、まあ、そういう男である。

    浪人生の人達、浪人中に、高校の先生、高校の元先生にどこかで会って、こちらから挨拶しているのに、一緒にいた別の生徒には愛想して、自分は完全に無視される・・・なんてことがあっても、そんなものは、まったく、気にする必要はありませんからね。
    北野高校の英語の教諭であった、片岡というおっさんが、私が卒業して4年後くらいだったか、解雇されたのか自分から辞めたのかで北野高校の教諭をやめて、高槻市に新設の予備校の講師に転職したということがあった。 「新聞にも載った」と言われていたが私はその新聞の記事を見ていない。聞いた話では、≪北野高校で、自分が担任している生徒の家庭教師をやって、月に6万円とっていたが、6万円では安いから10万円に値上げしろと要求し、無茶な要求に生徒の親が怒って新聞社に報告して表に出て、解雇される直前に自分から退職して、予備校(YMCA予備校高槻校も高槻市にあったが、そこではなく、別の新設の予備校らしい)の講師に転職した≫というようなことだったらしい〔これは「聞いた話」なので、すべて、100パーセント、この通りであるかどうかはわからない〕。この話は表に出たけれども、表に出ない話は他にもあったのだろう。なぜか、その教諭が特別扱いしている・・と思われる生徒が同級生でいたならば、もしかすると、その類かもしれない。N口のように、一緒に挨拶しているのに、なぜか、こちらは無視されて、元教諭がそいつに愛想する、という生徒がいたならば、その教諭とその生徒もしくはその生徒の親と何らかの関係があるのかもしれない。だから、もしも、卒業した高校の先生と駅などで会って、こちらから挨拶しているのに無視されて、一緒にいた別の生徒にだけ愛想しやがった・・などということがあったとしても、悪いのはそういう態度をとるヤツ、考えようによっては「教師の風上にもおけない教師」の方であって、こちらから挨拶しているのに無視された生徒の方ではないのである。 このことを確認しておくべきである。

   (2018.6.3.)

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≪ ・・・失敗すると、人間は「なぜ失敗したのか?」と反省する。しかし、成功しても「なぜ成功したのか?」と考える人間は少ないものだ。
  挫折したときには、はじめて気づくことがたくさんある。そして反省、研究することではじめて謙虚になれる。失敗や挫折ほど、選手たちの人間的・技術的成長の糧として最高のものはない。 ≫
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