東京駅丸の内駅舎 と 東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【1/6】「鉄骨煉瓦造」丸の内駅舎

[第357回] 東京圏の美術館・博物館(14)‐1
   JR「東京」駅にはしょっちゅう行っていますが、東京駅 丸の内駅舎 というものは、そこにあっても、じっくりと眺めることはそれほどない。 see することはあっても、inspect することはそれほど多くない。 JR「東京」駅の北よりの部分に、「東京ステーションギャラリー」という美術館があります。 今回、3月3日(土)より5月6日(日)まで、「くまのもの―隈研吾とささやく物質、語る物質」展が開催されており、それを見学してきました。 「くまのもの」とは、熊本県のゆるキャラ「くまもん」・・・と関係ありそうな名称だが、関係ない。隈研吾の建築の歩みを、これまでに工夫して使ってきた素材を、部分部分の実物を展示しながら説明するというものです。

   「東京ステーションギャラリー」に入館するのは二度目。東京駅の中にあって、「気軽に、なんとなく立ち寄れる美術館」という設定が好きでした・・・が、かつて、訪問したのは1988年(昭和63年)、当時、勤めていた会社が神田神保町にあって、土曜日は午後3時までだか3時半までだかで、その後、神田神保町から小川町まで歩き、小川町から右に曲がって南に歩いてくると東京駅にぶつかった。そこにあったのが「東京ステーションギャラリー」で、「気軽に入れる」「特に混んでいない」「立地が駅そばで便利」で、かつ、入館料も高くなかった。こういう雰囲気の美術館が好きだったのだ・・・・が、それから、ふと気づくと30年、「東京ステーションギャラリー」は今もあるけれども、行ってみると、なんか、雰囲気が前とちょっと違う。
   1988年に来た時には、私の勘違いでなければ東京駅の丸の内側の「丸の内駅舎」の中央付近にあったような気がしたのですが、今は「丸の内駅舎」の北よりにあります。 かつ、前に来た時には、美術館は1階のみだったかどうかは自信がないけれども、それほどスペースは広くなく、ほんと、駅舎の一部分を「美術館」にした・・て感じだったのだけれども、今度、来てみるとそうではなく、入館料を払って入ると、まず、エレベーターで3階まで上がり、3階⇒2階と見学して1階に降りてくるようになっている。なんだか、前と違う。 で、入口の女性職員に尋ねてみると、場所が微妙に変わってスペースも変わったらしい。 インターネットで検索すると、《ウィキペディア―東京駅》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%A7%85 には
≪1988年(昭和63年)、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により1999年(平成11年)、本来の形態に復原することとなった。・・・復原工事に先立って2006年(平成18年)3月17日 - 31日に丸の内駅舎内で「東京駅ルネッサンス」が開催され、2007年(平成19年)5月30日より、鹿島・清水・鉄建 建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する工事が開始された。・・・ 2012年(平成24年)6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って2006年(平成18年)4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。・・≫と出ている。
  そう言えば、東京駅 丸の内駅舎って、前は2階建てだったような気がしたし、戦災で相当傷んで、竣工時のものから縮小してものだったような気がしたのだが、今、見ると、3階建てになっているし、けっこうきれい。
画像

( ↑ 東京駅「丸の内駅舎」北より部分。 丸の内ビルディングの前から見たもの。)
画像

( ↑ 東京駅「丸の内駅舎」南より部分。 丸の内ビルディングの前から見たもの。)
   西から見ると、北・中央・南と3か所に出入口があるように見えるのですが、≪この駅には出入口が三カ所に設けられ、それぞれにドームがかけられていたが、中央は皇室専用で、右側が一般の入口、左側が出口専用であった。この複雑な動線(建物の内外で人や物が移動する状態。)に対して、当時の若い建築家から非難の声があがったのもうなずける所である。≫(東京建築探偵団+増田彰久『建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』1986.9.25.文春文庫)
   ↑の2枚の写真を真ん中付近でつないで見れば西面全部を見ることができる・・・が、なかなか、1枚の写真に収めることが難しい。 なにしろ、東京駅 丸の内駅舎というのは、≪東京の玄関口となるべき中央停車場の建設が決定されたのは明治23年(1890年)10月、用地買収が終了したのは同33年(1900年)、着工はさらに遅れて同41年(1908年)であった。計画から竣工まで、実に24年の歳月を費やしたことになる。その間、設計は二転三転し、最終的には、特に長さにおいて我が国最大の赤煉瓦建築となった。・・・・ ≫(東京建築探偵団+増田彰久『建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』1986.9.25.文春文庫)という「長い」建物。1枚の写真に収めようとしても難しい。

   「東京ステーションギャラリー」は今は、「東京駅 丸の内駅舎」の北よりの今は「出入口」、かつては、「一般出口」であった部分↓の北側の1~3階の部分にある。
画像

( ↑ 東京駅 丸の内駅舎 北出入口 付近。)
画像

( ↑ 東京駅 丸の内駅舎 北出入口 付近。 正面から見て。)

   今は、↑の北出入口の北側の部分に「東京ステーションギャラリー」はあります。
※ 東京ステーションギャラリーHP http://www.ejrcf.or.jp/gallery/
 東京ステーションギャラリーHP くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201803_kengo.html
 東京ステーションギャラリーHP アクセス http://www.ejrcf.or.jp/gallery/access.html

   「東京駅 丸の内駅舎」というのは、辰野金吾の代表作のひとつとされています。
  藤井彰一・小原二郎 監修『インテリアコーディネーター ハンドブック 技術編』(1994.1.10.インテリア産業協会)には、
≪ 日本の住様式は外来の住様式を徐々に受け入れつつ変化してきたが、明治時代の到来とともにさらに大きな変革を遂げることとなった。
  明治政府は富国強兵、殖産興業を図り、一日も早く日本を欧米並みの近代国家とすぅることに、多方面にわたって多数のお雇い外国人を受け入れた。
  また、鉄、セメント、ガラスといった建築材料の生産も、早くから新政府の庇護をうけ、洋風建築をつくる際の材料として徐々に用いられるようになっている。
  教育の分野でも工部大学校に造家学科(いまの建築学科)が設置され、明治10(1877)年には、後に鹿鳴館、三菱1号館、ニコライ堂などの設計に携わったジョサイア・コンドルが招聘された。コンドルの教えを受けた弟子には明治中期以降の日本の建築界の指導者になった多くの建築家がいる。 なかでも、東京駅、日本銀行などの設計者である辰野金吾、赤坂離宮(現 迎賓館)などの設計をした片山東熊(とうくま)、横浜正金銀行で知られる妻木頼黄(よりなか)らは、特に知られるところであった。
  これらの西洋建築を本格的に教授された人たちのほかに、一方では、横浜居留地などで実地に西洋建築を習った棟梁たちもいた。・・・≫
( 藤井彰一・小原二郎 監修『インテリアコーディネーター ハンドブック 技術編』〔1994.1.10.インテリア産業協会〕 「第2章 インテリアの歴史」「第1節 日本のインテリアの歴史」 )
と出ています。
   山口廣 監修・江口敏彦著『東京の近代建築―建築構造入門』(1990.11.25.理工学社 )には、
≪ ヨーロッパの街ほどではないにしても、丸の内のオフィス街もちょっとした観光名所になりそうなところです。・・・
   このなかでも、ひと際目を引く煉瓦造の建物が、長さ約300メートルを超える東京駅です
   明治・大正の建築界に君臨した辰野金吾は、日銀に続き、国家的な大建築、東京駅の設計も行うことになったのでした。
   辰野は大きな野望をもった人で、東京の中心的、いや日本の中心ともなるべき建築である日銀、東京駅、国会議事堂を自分の手でつくり上げたいと思っていました。国会議事堂計画の夢は果たせませんでしたが、ほかの二つの計画は成し遂げることができたのです。
   東京駅の正面、つまり丸の内側には三つの出入り口が計画されました。中央正面出入り口は皇室専用、向かって右側は一般用入り口、左側が一般用出口という具合です。人や物の移動の軌跡を表す線を建築の専門用語では「動線」(どうせん)といいますが、この動線が、東京駅では、非常に長く複雑になってしまったことは事実です。これは、建築計画的にはよいとはいえません。しかし、東京駅は、このことに目をつぶってもよいほどの魅力をもっています。
   赤い煉瓦の外壁には、規則正しく窓が並びます。その窓のひとつひとつの上には、ギリシャ神殿の破風を飾っていた、ペディメントといわれる三角形の庇がつけられています。小さなペディメントを窓の上に並べるという手法は、ルネッサンス建築特有のものです。
   窓と窓の間には、イオニア式のピラスター(付け柱)がつけられ、コーナーやアーチの部分に用いられている石の白さとともに赤い煉瓦の壁にアクセントをつけています。この石と煉瓦による豊かな表現は、「辰野式ルネッサンス」と呼ばれ、独特のものとなっています。
   屋根は第二次世界大戦で焼け落ち、現在のような、直線的で簡素な寄せ棟となっていますが、当時は、曲線的で豊かなドームでした。駅舎のなかに入り、下からドームを見上げると、そこにはイタリアを感じます。辰野もフィレンツェの大聖堂を夢見たのでしょう。
   この建築物の構造は煉瓦造ですが、煉瓦が古代メソポタミアで発明されたことはすでに述べました。当時は、日光で自然乾燥させた煉瓦をおもに用いていましたが、やがて、焼いた煉瓦のほうが強いことがわかり、古代メソポタミアでも、一部では、徐じょに焼いたものを使うようになっていました。現在の煉瓦は、粘土に砂と石灰を加えて混ぜ合わせ、成形して乾燥し、最後に焼成してつくります。粘土のなかには酸化鉄が含まれていますので、その影響で焼き上がった後に赤い色の煉瓦になるのです。・・・・・
   煉瓦の積みかたには、6×10(センチメートル)の面、いわゆる小口面を表面に見せる「小口積み」(こぐちづみ、またはドイツ積み ともいう。)、6×21(センチメートル)の面を見せる「長手積み」、各段ごとに長手面と小口面を交互に現わす「イギリス積み」、同じ段に長手面と小口面を交互に積む「フランス積み」などがあります。
   東京駅は小口積みとなっており、経済的な理由もあって、イギリス積みと並んで多用される積み方です。
   煉瓦造の建築の代表として東京駅をあげたわけですが、実はこの建物、純粋な煉瓦造ではないのです。富岡製糸所は、木の柱・梁の間の隙き間を煉瓦で埋めた「木骨煉瓦造」(もっこつれんがぞう)であることは以前述べました。製糸所と違い、東京駅の外壁はすべて煉瓦で覆われていますが、この建物は、鉄の骨組みを隠した「鉄骨煉瓦造」(てっこつれんがぞう)なのです。鉄骨造については後で詳しく述べますが、当時の日本には、西洋の新しい建築技術がつぢつぎに流れ込んできたため、西欧で永い間育まれた組積造と、新しい技術である鉄骨構造や鉄筋コンクリート構造がほとんど同時に(実際は新しい技術がやや遅れたのでしょうが。)紹介されたのです。 その結果、東京駅のような、材料を複合させた建築が数多く建てられました。・・・・ ≫
(山口廣 監修・江口敏彦著『東京の近代建築―建築構造入門』1990.11.25.理工学社 )
と出ています。 「コミック乱 ツインズ」に連載されている『エンジニール』という漫画に、「日本の鉄道はドイツを範として作られた」という島という男の言葉がでていましたが、丸の内駅舎の煉瓦の積み方も「ドイツ積み」のようです。
   藤井彰一・小原二郎監修『インテリアコーディネーター ハンドブック 技術編』(1994.)と江口敏彦『東京の近代建築―建築構造入門』(1990.理工学社)では、東京駅 丸の内駅舎の設計者は辰野金吾とされていますが、東京建築探偵団(宍戸実・河東義之・藤森照信・堀勇良・清水慶一)+増田彰久『建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986.9.25.文春文庫)を見ると、、
≪ (竣工年) 大正3年(1914年)
  (設計者) 辰野葛西建築事務所
  (所在地) 千代田区丸の内 ≫
と出ており、設計者は「辰野葛西建築事務所」となっています。 葛西さんて誰・・・? 
   インターネットで検索すると、《ウィキペディア―葛西萬司》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E8%A5%BF%E8%90%AC%E5%8F%B8 に、
≪ 葛西 萬司(かさい まんじ、 文久3年7月21日(1863年9月3日)- 昭和17年(1942年)8月19日) は明治から昭和初期に活躍した設計建築家。盛岡市出身。辰野金吾と建築設計事務所を共同経営したことなどで知られる。城南小学校卒業。 工手学校(現工学院大学)造家学科教員。・・・≫ と出ています。ウィキペディアの「主な作品」にも、「旧中央停車場(現 東京駅、1914年、辰野葛西設計事務所)」と記載されているのですが、どうも、東京駅 丸の内駅舎については、「辰野葛西建築事務所」の設計とはいえ、辰野金吾の名前に比べて、存在が薄いような扱いです。
   江口敏彦『東京の近代建築―建築構造入門』(1990.理工学社)にも東京建築探偵団+増田彰久『建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986.文春文庫)にも、復元工事より前の2階建てで、北と南に尖塔がない建物の写真が掲載されていますが、今は3階建になり、↑のような建物になっています。

画像

( ↑ 東京駅 丸の内駅舎。 北出口より見た 中央から南の部分。)
画像

( ↑ 東京駅 丸の内駅舎。 南よりから見た 中央から北の部分。)
画像

( ↑ 東京駅 丸の内駅舎。 中央の旧 皇室専用出入口。 )
画像

( ↑ 東京駅 丸の内駅舎。 南出入口。)

   群馬県の富岡製糸所は「木骨煉瓦造」、東京駅 丸の内駅舎は「鉄骨煉瓦造」。 日本には純粋な煉瓦造はないのかというと、そうではない。 
≪ ・・・東京には純粋な煉瓦造の傑作も残されています。
   東京 三田にある慶應義塾大学の図書館は国指定の重要文化財です。この三田の高台には、「学問のすすめ」の福澤諭吉が演説をしたといわれる三田演説館なども残っており、ぜひ一度は訪ねてみたい場所ですが、そのなかでも旧図書館はやはり目を引きます。
   この旧図書館の建物は、歴史を感じさせる明治時代の遺構で、設計は曾禰達蔵中條精一郎の二人でした。彼らは共同で設計事務所を開設し、すぐれた建築を数多く生み出しました。・・・・・≫
(江口敏彦『東京の近代建築―建築構造入門』1990.理工学社)
   慶應という大学は、建物の外観を見学したいと思って訪問する人に入ってはダメなんて言うことはない学校ですが、しかし、今、図書館として学生が使用できるものは 槇文彦が設計したという新図書館の方で、曾禰・中條建築事務所が設計した赤煉瓦の建物の旧図書館は、外観を見ることはできても、内部に入ることはできません。ともかくも、そこの大学に入学して卒業した者としては、一度くらいは、中を見たかったのですが、今日に至るまで、結局、内部はまったく見せていただくことはありませんでした。≪慶應義塾の築地開学五十周年を記念して建てられたもので、二人の建築科、曾禰・中條共同の初めての作品。赤煉瓦に花崗岩とテラコッタという取り合わせのゴシック様式の外観は、モニュメントを意識した設計である。・・・・≫≫(東京建築探偵団+増田彰久『建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』1986.9.25.文春文庫)というのですが、たとえ、「モニュメントを意識した設計」であったとしても、「図書館」である以上は、図書館として使いやすいものであるかどうかという問題なしにいい建築かどうか考えることはできないと思うのですが、内部に入らせてもらうことはできない以上、判断はできません。
  (2018.3.23.)

  次回、2.丸の内駅舎 内部 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201803/article_3.html


☆ 東京駅 丸の内駅舎(辰野金吾 設計)と東京ステーションギャラリーと「くまのもの―隈研吾とささやく物質、語る物質」展
☆ 東京駅 丸の内駅舎 と 東京ステーションギャラリー と 「くまのもの」展
1.丸の内駅舎 外まわり 〔今回〕
2.丸の内駅舎 内部 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201803/article_3.html
3. 行きたい学部、大学院に行けた人間と行かせてもらえなかった者 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201803/article_4.html
4.日本国民として、右翼結社を支援する「建築家」を支持するわけにはいかない http://tetsukenrumba.at.webry.info/201803/article_5.html
5.隈研吾、素材からの発展。隈研吾はヒゲはやしてない。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201803/article_6.html
6.新「丸ビル」と新「新丸ビル」、役立つ営業とだます営業。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201803/article_7.html


☆ 東京圏の美術館・博物館
東京都
東京都美術館(台東区)(前川國男設計)とピーテル=ブリューゲル1世「バベルの塔」展
1.「ピーテル=ブリューゲル1世」とは。屋外燈の高さ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_6.html
2.上野公園内における東京文化会館と東京都美術館 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_7.html
3.美術館へのアプローチ、「囲う」手法による美術館領域 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_8.html
4.高さを競う愚か、美術展と音楽会、公立進学校のメリット http://tetsukenrumba.at.webry.info/201706/article_9.html

東京都美術館と「ボストン美術館の至宝展」(台東区)(前川國男)
1. ゴッホと佐伯祐三の「郵便配達夫」http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_1.html
2. とがったオブジェは端 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_2.html
3. なぜルノワールか。発掘して自国に持ち帰る是非。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_3.html
4. 東面のプランター http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_4.html
5. 北口・博物館動物園駅・池田家黒門・自由な女神http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_5.html
6. 通用門・事務棟・西面・公募展棟南面・椅子の背が窓から見える窓http://tetsukenrumba.at.webry.info/201710/article_6.html

東京都美術館(前川國男設計)と「ブリューゲル展」
1.一族と非一族。「ブリューゲル」と「シュトラウス」・「小堀」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_1.html
2.日暮里乗りかえJR上野へ。東京文化会館前の像は安井誠一郎。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_2.html
3.要塞 動物園前交番。仁こそ人の安宅vs裁判所・警察。五重塔 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_3.html
4.球形オブジェ。「蹴ったらあかん」。私立の美大なんぞ行くな! http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_4.html
5.正確に描くP=ブリューゲル1世とありえない木造「はなの舞」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_5.html
6.カラフルな内壁・北口・カフェArt・「真珠をブタやるな」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_6.html
7.倉庫型?博物館動物園駅南出口。エスカレーターは静止して乗りたい http://tetsukenrumba.at.webry.info/201802/article_7.html

国立西洋美術館(本館:ル=コルビュジェ設計。新館:前川國男設計。) 「常設展」「ル・コルビュジェの芸術空間」展。
1. 展示作品と美術館の調和 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201708/article_1.html
2. 新館と中庭 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201708/article_2.html
3. モネの睡蓮は・・ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201708/article_3.html
4. ロダンの「考える人」って・・ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201708/article_4.html
5. 免振装置 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201708/article_5.html
6. 西美にルーツがある? と思える前川國男の建築 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201708/article_6.html

国立 新美術館と「ルノワール展」
国立新美術館(港区)(黒川紀章+日本設計共同体)
1.日比谷線「六本木」駅から国立 新美術館へ http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_1.html
2.外観。正面「円盤」の内部。 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_2.html
3.内部 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_3.html
(番外) [第251回]《屋上・バルコニー記事に関し、フリーダムアーキテクツデザイン(株)から脅迫まがいの文句を言われた件》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_7.html 

国立 新美術館(港区)(黒川紀章 設計)と「安藤忠雄展」
1.大江戸線「六本木」駅と千代田線「乃木坂」駅 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_7.html
2.外の円盤と屋内の逆円錐形の連動 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_8.html
3.逆円錐形の内部。ワイヤーの安全性 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_9.html
4.復元「光の教会」。信仰の教会と結婚式場用「教会」を一緒にするな。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_10.html
5.「挑戦」させてもらった男と、させてもらえなかった男 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_11.html
6.別館(旧陸軍歩兵連隊兵舎)、光線で変化 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_12.html

根津美術館(港区)(隈 研吾) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201603/article_1.html
サントリー美術館(港区)(「東京ミッドタウン ガレリア」内。 サントリー美術館の設計は隈研吾)
上 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_6.html
下 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_7.html

畠山記念館(港区)
1. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_4.html
2. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_5.html
3. http://tetsukenrumba.at.webry.info/201605/article_6.html

パナソニック汐留ミュージアム(港区)
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_4.html
http://tetsukenrumba.at.webry.info/201608/article_5.html

東京国立近代美術館「茶碗の中の宇宙‐楽家一子相伝の芸術」展他見学
1. 国立美術館・国立博物館とは。私の毎日新聞社への思い出 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_7.html
2. 竹橋。企画展を追いかける弊害。「茶道」と相性が合わない理由。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_8.html
3. 抹茶・緑茶と茶碗の調和。パブロフの犬みたいな「デザイナー」 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_9.html
4. 東京国立近代美術館内部、皇居への見晴らし http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_10.html
5. 東京国立近代美術館 工芸館(近衛師団司令部庁舎)、乾門http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_11.html
6・ 毎日新聞社ビルのでっかい土管の中は何? http://tetsukenrumba.at.webry.info/201704/article_12.html

千葉県
千葉市立美術館(千葉市中央区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201307/article_2.html

神奈川県
三渓園内 三渓記念館(横浜市中区) http://tetsukenrumba.at.webry.info/201606/article_4.html


東京の近代建築―建築構造入門
理工学社
江口 敏彦

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 東京の近代建築―建築構造入門 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック