早稲田奉仕園 スコットホール・友愛学舎・信愛学舎【2/6】信愛学舎。「のために」なしで生きられない人

[第341回]
   友愛学舎やスコットホールなどがある早稲田奉仕園 から近い場所に「信愛学舎」という学生寮があります。 この「信愛学舎」という名前は、私はずいぶんと前から耳にしていました。 眼にしていたのではなく耳にしていたというのは、母方の伯父が早稲田大学に行っていた時に、この「信愛学舎」に入居していたそうで、母が「信愛学舎」という名前をしばしば口にしていたので、「耳にしていた」のです。 私立大学でも、東京の上智大学・立教大学・青山学院大学・国際基督教大学、関西なら同志社・関学などはキリスト教系の大学ですから、大学にキリスト教系の学生寮があって不思議はありませんが、早稲田大学というのは、キリスト教系というわけではないので、「早稲田の信愛学舎」というのは、どういう意味だろうか。「早稲田の」というのは「早稲田大学の」ではなく、地名としての「早稲田の」だろうか・・・などと思ったりしていました。
   ついでに、私、慶應大学というのは正式には「慶應義塾大学」らしいということは、早稲田大学というのも「早稲田義塾大学」なのだろうか・・・なんて思ったりしたこともあったのですが、早稲田はあくまでも、「早稲田大学」であって、「早稲田義塾大学」ではなかった。 ちなみに、1980年頃、東京の西の方の八王子だったかどこかに、「早稲田義塾」という名前の学習塾があったように思うのですが、今、インターネットで検索すると、千葉県大網白里町と神奈川県川崎市川崎区に学習塾「早稲田義塾」はあるらしい。

   「信愛学舎」は↓
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( ↑ 「信愛学舎」 全景。 )
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( ↑ 「信愛学舎」 入口。 )
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( ↑ 「早稲田大学 基督教青年会 信愛学舎」 「SPRIT MIND BODY」と書いてあります。 )



   [第294回]《京都大学YMCA会館・地塩寮、京都府立医大橘井寮(ヴォーリズ)見学。及、京大と慶應。》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201705/article_2.html  で、写真を掲載しました、京都市左京区の京都大学地塩寮 の場合、見るからに、キリスト教系の学生寮だな・・・て感じがしますが、↑の「信愛学舎」とか、早稲田奉仕園の中の「友愛学舎」↓ 
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(↑ 早稲田奉仕園 奉仕園会館。 3階(から上?)が「友愛学舎」 。)
↑ とかは、 言われなければ、もしくは、入口の掲示がなければ、別段、キリスト教系の宿舎でなくても単なる学生寮であっても、会社の社員寮であってもおかしくない外観・・というのか、外観は「普通の建物」です。

   早稲田大学の近くに、「信愛学舎」と「友愛学舎」とキリスト教系の学生寮が2つあるのですが、なぜ、2つあるのかというと、どうも、「別のもの」のようです。
   インターネットで検索すると、「信愛学舎」については、
《ウィキペディア-信愛学舎》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%84%9B%E5%AD%A6%E8%88%8E
早稲田大学YMCA 信愛学舎 HP https://www63.atwiki.jp/shinai/
が見つかりました。 「早稲田大学YMCA」が運営するもので、早稲田大学でなくても、都内の大学に在籍する大学生なら入居できるらしく、又、男子寮だと思っていたのですが、≪ 2014年4月より男女寮となった≫( 《ウィキペディア-信愛学舎》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%84%9B%E5%AD%A6%E8%88%8E )らしい。 ↑の写真ですが、全景と別に、入口付近の写真も撮らせてほしいと思い、敷地内まで入らせてもらって撮影してきましたが、まあ、どうせ、男子寮なんだからいいだろとか思って撮らせてもらいましたが、今は、女性も入居している寮なんですね。 「信愛学舎」は≪公益財団法人 早稲田大学基督教青年会(早稲田大学YMCA)が運営する、学生の自治寮≫(早稲田大学YMCA 信愛学舎 HP https://www63.atwiki.jp/shinai/ )らしい。

   「信愛学舎」は「早稲田大学基督教青年会(早稲田大学YMCA)」が運営するとして、「友愛学舎」はどうなのかというと、≪ 友愛学舎は、アメリカ人キリスト教宣教師ベニンホフ博士が早稲田大学の創始者大隈重信の要請に応え、1908年に創立した学生寮です。聖書を共に学ぶことを通してイエス・キリストの精神に触れ、学舎に集う一人ひとりが互いに仕え合い、世界に開かれた環境の中での共同生活により国際的感覚豊かな青年の育成をはかっています。 ≫( 《早稲田奉仕園HP 友愛学舎》https://www.hoshien.or.jp/dormitory/yuuai/ というものだそうで、友愛学舎も、早稲田大学の学生に限らず、通学1時間以内程度の場所の大学なら入寮できるようで、こちらも、男女とも入寮可能のようです。 「信愛学舎」は「早稲田大学基督教青年会(早稲田大学YMCA)」が運営しているのに対して、「友愛学舎」はそうではなく、あくまで、「早稲田奉仕園 友愛学舎」のようですね。
   《早稲田奉仕園 友愛学舎 活動紹介》https://www.hoshien.or.jp/dormitory/yuuai/program.html によると、「YMCA山手学舎」というのもあるらしく、「早大YMCA 信愛学舎」と「早稲田奉仕園 友愛学舎」と「YMCA山手学舎」で≪三学舎と呼ばれています≫と出ています。
   インターネットで検索すると、「東京山手学舎」のHP https://yamategakusha.jimdo.com/ がありました。 「信愛学舎」「友愛学舎」よりも西、JR・東京メトロ東西線・西武新宿線「高田馬場」駅と東京メトロ東西線「早稲田」駅の真中あたりにあるようで、こちらは男子寮のようです。

( ↑「山手学舎」 )

    1980年代、横浜市港北区箕輪町13、慶應大日吉キャンパスのすぐ南に、日吉台学生ハイツ という「右翼のおっさん」が運営している民間の宿舎がありまして、そこにいたことがあるのです。

( ↑ 日吉台学生ハイツ があった場所。 インターネットによると、2016年3月に閉館したらしい。)
そこは、男性限定だったのですが、やっぱり、人間というのは、男性と女性の両方がいて成りたっている社会ですから、女子寮がどうかはわかりませんが、男性ばかりの宿舎てのは、あんまりいいことないなあと思いました。 だから、「信愛学舎」にしても「友愛学舎」にしても、居室は男性のスペース、女性のスペースが別れていても、食堂などが男女共同でなりたつようになった方が、宿舎としてはいいと思うし、その方が「健全」で「健康的」ではないかと思います。

    キリスト教系の宿舎というのがいいかどうか。 遠藤周作の短編集『哀歌』(1972.8.15.講談社文庫)の中に、『雑木林の病棟』という作品があります。キリスト教系の寄宿舎では、1年に1回、らい病の病棟を見舞うことになっていたが、そういう偽善者みたいなことが主人公は嫌だった。それだけではなく、らい病の患者と野球をやろうと言い出した男。それらに好感をもてない男の話が出ています。
    さらには、
≪ ・・・隅の本棚にグリーンの小説を偶然、みつけたのだった。癩病院を扱った小説だったから、ここでも修道女や来客のために買ったのかもしれぬ。パラパラと頁をめくっていると、こんな箇所があったのだ。
 新薬、D・T・Tができた時、アフリカの癩院の修道女たちの間に、パニックが起きた。修道女たちの中には医師にこう訊ねた者もいた。
「すると、やがて、患者たちはいなくなるのですか。」
「そうです。病院の必要もなくなるでしょう。」
「すると、あたしたちが生涯、愛徳を実践する場所もなくなるのですか。」
 修道女たちは、自分たちの愛を燃やす機会が新薬のために永遠に失われることに辛がったという。
その箇所をよみながら、ぼくはさきほど松井さんの屈折した指をさすっていた白人修道女の掌と、その挑むような眼を思い出した。・・・≫
   「早稲田奉仕園 友愛学舎」のHPの「2018年度入寮募集」https://www.hoshien.or.jp/dormitory/yuuai/boshuu.html を見ると、  
≪ 次の4項目が入舎のために同意必要事項であり、面接の初めに友愛学舎委員会委員長より同意の確認させていただきます。
1.友愛活動は授業の次に優先させる。
2.舎生は友愛学舎で4年間在舎する。
3.友愛学舎委員会を1年間担う。
4.学期期間中の長期留学・海外でのインターンについて、募集要項5ページに記載の規約に従う。 ≫
と出ています。 「友愛活動は授業の次に優先させる」という「友愛活動」て何なのだろう。どういうものを「友愛活動」と言うのだろう・・・と思ったのです。
   すでに、大学を卒業して仕事について、最低、自分自身を養うだけの収入のある人が、仕事と別に「友愛活動」をやるというのなら、問題はまったくないと思うのです。 しかし、決して豪勢な方ではない宿舎に住んでいたとしても、大学生として、学費と生活費を親にだしてもらっている人が、「友愛活動」てなんだろ・・・なんて思ったのです。 自分で自分の生活の費用を稼いでいる人間だけに「友愛活動」なんてことをする権利があるということはないのか? ・・・と。

    私は「キリスト教」的「友愛活動」というものには疑問を感じているのです。 昔から言いますね。「救世軍」http://www.salvationarmy.or.jp/ の慈善鍋http://www.salvationarmy.or.jp/index.php?%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%8D%8B なんて、あんなもの、偽善鍋ではないのか? と。 そもそも、誰もが貧困にあえぐことなく、物質的にも精神的にも恵まれた生活を営むことができれば、「慈善鍋」なんて、あんなもの、要らないじゃないか、と。
    労基法違反で従業員をいじめてきた(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ が、そうやって貯め込んだカネを「防潮堤」の費用だと言って浜松市に寄付して、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友が大喜びして、「一条堤」とでも命名して長く記録に残したい、などとバカ言ってるというのは、落ち着いて考えてみるとおかしいですよね。 そのカネ、いったい、どこから出てきたのか?  そもそも、「企業の利益は何が生み出したのか。資本が生み出したと考えるのが近経(近代経済学)ですね。労働が生み出したと考えるのがマル経(マルクス経済学)ですね」などと、1980年代前半、慶應大商学部の黒川行治という助教授(男。当時、30歳。内部進学)が「会計学総論」という講義の中で発言なさったのですが、そんなこと言ってるのは、それは、エアコンのきいた部屋で椅子に座って机に向かって『近代経済学』とか『マルクス経済学を学ぶ』とかいうような本を読んで学んでいる人の言うことであって、(株)一条工務店みたいな三流以下企業に勤めてみなさい。そんな議論なんてしなくても、たちどころにわかる。労働が生み出したに決まってるだろうが! 「資本が生み出した」だと? バカ言ってんじゃないわ♪〔⇒《YouTube-三年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM 〕  そもそも、その「資本」というもの自体、労働が生み出したものだろうが! (株)一条工務店のその「資本」というのは、(株)一条工務店の従業員・元従業員の「労働」が生み出したもので、本来、もっときっちりと給料を払っておくべきものを払わずに貯め込んだものの集積ではないか。そんなもの、 「マル経」の立場に立とうが、「近経」の立場に立とうが、利益を生み出したのは労働であり、資本を生み出したものも労働であって、それ以外の何物でもあるわけないだろうが! アホか!!!
※ 《赤旗 一条工務店 サービス残業 「みなし労働時間」悪用 労働者が労基署に是正要求》http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-25/2017112505_01_1.html
※ 《日経アーキテクチャ 過労死で一条工務店仙台を提訴》http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/bldnews/15/060201406/
※ 《一条工務店とのたたかい 大事な部分である基礎が実は契約と違っていた!》http://blog.goo.ne.jp/pupushi
  《一条工務店とのたたかい 只今裁判中》http://tsukuchan.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0832.html
    従業員の給料へつりまくり、安全対策費用へつりまくり、してためこんだオーナー経営者が、そこから、ちび~っとのカネを、救世軍の慈善鍋(偽善鍋)にチャリ~ン♪ と投げ込んだとして、それがいったい何だ?!? ・・・・て思いませんか?  そのあたり、考えたこともなく、慈善鍋なんて、なんか、けっこうなことしてはる・・なんて思っていたなら、アホでっせ・・・。
    又、救世軍のホームページhttp://www.salvationarmy.or.jp/ を見ると、小さい女の子がお金を鍋に入れる姿が写っているけれども、それもおかしいと思うのだ。 「募金」なんてものは、自分で働いて最低おのれ1人分の生活費を稼いでいる人間のすることで、働いておのれ1人分の生活費を稼いでいない人間に「募金」なんてする資格はないと思うのだ。そう思いませんか?
   浜松市長の鈴木康友は、従業員との間で、雇用関係についての争い、賃金の支払いについての争いなど、始終、おこしている会社から「防潮堤」の費用を受け取るということは、そのカネを浜松市が受け取らなければ、解雇されなくてもすんだ従業員が浜松市およびそれ以外の地域において何人かいる! という事実をわかっていないはずがないのだ。 わかっていないなら、さすがに、慶應大ア法学部卒だけあって、アホウだ! ということだ。 そうでしょ。 そのあたりを考えてみるべきなのだ。 『本当にあった笑える話』だかに、小学生の子供が何人かで募金箱を持って街頭で募金を募っていたところ、ヤクザのおっさんがやってきてその一人の子供が持つ募金箱にお金をいれようとしたところ、その子供が「悪いことをして稼いだお金での募金要りません」と言って募金を断ったので、ヤクザのおっさんにそんなこと言って大丈夫かと心配したら、その子供はそのヤクザのおっさんの息子だったという話が載っていた・・が、その小学生の子供の方が慶應大学ア法学部卒で浜松市長の鈴木康友よりもよっぽど賢い。浜松市長は小学生に劣る。
   で、「友愛活動」て何だろう? ・・・・そもそも、おのれの生活費をおのれで稼いでいない人間に「友愛活動」なんてやる資格があるのか?!? そのあたりを、まず、考えてみるべきではないか。
   千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕(いずれも、2013年11月に正式に倒産)の社長の長谷川新二は、2011年3月、東日本大震災が発生した後、「俺は、こういう時に社会貢献しない人間は絶対に許さないんだ」と発言していたが、「社会貢献」どうこうの前に、おのれがまずおのれの会社の従業員にサービス残業させたり、施工不良の仕事したりして、片方で社長と社長の嫁と子供だけ、年に半分ほどもハワイにバカンスに行くというそういう生活をするのを改めてはどうか。 従業員の給料をきっちりと支払っていない会社の社長が、「社会貢献」もへったくれもないだろうが・・・と思うのだが、そういう社長に限って、「社会貢献」とかしたがる傾向がある。 「俺はこういう時に社会貢献しない人間は絶対に許せねえんだ」と発言した長谷川は、従業員に放射線量の高い福島県中通り経由で会津地方での仮設住宅の工事に行かせて利益をあげ、「社会貢献」として、やはり、放射線量の高い福島県中通り地方を経由して粉塵の舞う宮城県の被災地に「ボランティア」に行かせ、おのれは「放射能、こわいよ、こわいよ、こわいよ!」と言って関空経由で嫁と子供とハワイに脱出!・・・・よくやるよな! よく言うよな! ・・・「ボランティア」とかいうのは、こういう類のものが現実問題として多い!

   で、片方で、「~のために」行動したい♪・・・・という強い意志の持ち主というのがいる。 ↑の遠藤周作「雑木林の病棟」に登場するシスターのように、「愛徳を実践する場所」が欲しいという人、それがないと精神的に生きていけない・・・という人というのが、現実にいるようなのだ。
   フリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』(手塚富雄訳 〔『世界の名著 ニーチェ』1978.5.20.中公バックス 所収 〕 )の「高人」という章に、
≪  あなたがた、創造する人々よ、この「・・・・のために」を忘れよ。 あなたがたの徳が欲することは、まさしく、あなたがたがどんなことをも「・・・・のために」や「・・・・のゆえに」や「・・・・の理由で」などでしないことだ。 こういういつわりの多い、小さい言葉にたいしては、あなたがたの耳をのりづけにしてふさぐべきである。・・・
   この「隣人のために」は、小人たちだけの徳だ。かれらのあいだでは、「相見互い」や「類は友」などの言いぐさが幅をきかす。――かれら小人たちは、あなたがたがもっているような利己への権利をも力をももたないものだ。・・・・≫
という文章がある。
   「愛徳」とか「友愛」とかを実践する場所・機会がないと生きていけないというのは、それは精神的に「病的」な状態になってしまっていると考えるべきではないか。
   セーレン=キルケゴール『死に至る病』(斎藤信治訳 2010.2.21.改版 岩波文庫)では、
≪ 絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。
――絶望して、自己をもっていることを意識していない場合(非本来的な絶望)。
絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。
絶望して、自己自身であろうと欲する場合。
 ≫
≪ ・・・むしろその逆に自分が絶望していることを気どらずに口に出せる人は、自ら絶望していると考えていない人達ないし絶望していると看なされていない人達の誰よりも、弁証法的にいえば、救済に少しばかり――一歩だけ――近づいているのである。・・・≫
≪ ・・絶望は本書全体を通じて病として理解されているので、薬として理解されているのではないということをここではっきりと注意しておきたいのである。・・・≫
と精神が本来的でない状態になっている人間の状態を「絶望」という言葉で述べられている。「愛徳を実践する場所」がないと生きていけない人、「愛徳を実践する機会」を求めて、「かわいそうな人」を一生懸命捜すような人というのは、そういう人というのは、キルケゴールが言うところの「絶望」のひとつのタイプの精神状態に陥っている人と言えるのではないか。
   人間は、まず、自分自身のために生きるべきであり、自分自身のために生きることができた人間こそ、もしも、「愛徳」とか「友愛」とかをおこないたいならば、おこなう資格があるということになるのではないかと思うのだ。


   ・・・・しかし、そうはいっても、「友愛」を実践しようという団体とか大学のサークルとかに入ってはいけないとまでは私は思わなかったし、今も思っていない。 又、「友愛」をおこなうということを課題としている宿舎にはいってはいけないとまでは私は思っていない。

   私が大学生であった時、父が「同年代の人間なんかとつきあっても得るものはありません。M尾さんとつきあいなさい」などと書いてきたことがあった。M尾さんというのは、会社での父の部下で、父に忠実であったことから出世させてもらったという人で、その頃、50歳になったかならないかくらいの年齢の人だった。何をアホなこと言ってくるかと思ったものだった。20代の頃の私は、男であれ女であれ、ともかく、同年代の人間とつきあいたかったのだ。 しかし、同年代でも、「慶應タイプの女たらし」及びその裏返しのような女(別名「慶應ボーイ」「慶應ギャル」)とはつきあいたくなかった。 私は自分が特別に聖人だとかいうようには思っていなかったが、しかし、いくらなんでも、「慶應タイプの女たらし」(及びその裏返しの女))とは、人間として関わりたくなかった。
   慶應と早稲田のテニスだのスキーだののサークルというのは、テニスだのスキーだのを名目にしていても、実際はナンパサークルだろうが・・・・! それも、真面目につきあうのならともかく、「慶應タイプの女たらし」どもなんぞとは、私が親なら娘には慶應と早稲田の学生とはつきあわせたくない、兄なら妹には慶應と早稲田の学生にはつきあわせたくない、と大学生の時の私は思った。

   又、慶應の体育会というのは、あれは、暴力会であり、かかわりたくない。「体育理論」という必修科目があったのだが、私は、「体育理論」というのは、体育とは何か、スポーツとは何か、たとえば、中学校の「保健体育」の授業で、スポーツとは健康増進・体力増強に役立つものだが、たとえば、サッカーと同じ体の動きをサッカーボールなしでやれと言われてできるかというと、まず、できないはずで、それだけの動きをすることで体力増強・健康増進をはかろうと思うなら、サッカーボールとサッカーという競技がないとできない、といったことが言われた。 亀井勝一郎は『愛と無常について』で、最近のスポーツは人間の精神に危険であるということを述べている。スポーツが絶対に悪いとまでは言わないが、スポーツが精神を破壊し、民主主義に敵対する存在になろうとしているということを指摘している。反精神医学派の「精神科医」デビッド=クーパーは『家族の死』(みすず書房)において、体育として体を動かすことを習慣づけられることによって、体制に順応し、個人が自ら考えて思考して、独立した意思を持った人間として歩むことを妨げていることを指摘する。フランツ=ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房)でも、資本制社会における商業スポーツは国民の自立した在り方を阻害するものになっていることを指摘する。ヴィルヘルム=ライヒ『階級意識とは何か』(三一新書)では、やはり、スポーツが体制に国民を順応させることにつながっていることを指摘する。夏目漱石『三四郎』では、三四郎が、スポーツというものは、めいめいが自分がやろうと思うことをやるもので、人に見せるためにやるものではないはずで、そんなものを喜んで見るのは間違っていると言う。 毛沢東は『(毛沢東の)体育の研究』(ベースボールマガジン社)で、中国では、頭のいい人は体力が劣っている、体力が優れている人は頭が悪いといったことが言われてきたけれども、本来、そうあるべきではない、そうではなく、すべての国民が体力もすぐれ頭も優れた人間、すべての国民が、体力に優れたスポーツマンであるとともに哲学者である人間となるべきだということを主張する。 あるいは、練習法でも、たしか、「朝日新聞」に掲載されていたものだったと思うが、1980年頃、東大の野球部が「赤門旋風」と言って、東京六大学野球で4位になったことがあったが、4位でほめてもらえるのは東大だけだが、考えてみれば、進学校で運動部にいたというくらいの人間しかいないチームが高校卒業時にプロから誘われていたような人間だらけのチームに時々でも勝つというのは、なんともすごい! のだが、その時の監督だったかコーチだったかは、東大の大学院で保健衛生学だかを学んでいた人で、調べてみると、筋力を鍛えるために、腕立て伏せなどはより多くやればいいというものでもなく、数字は忘れたが、何回までは多くやった方が筋力がつくが、それ以上はあまり変わらないらしい・・ということから、それ以上やってもあまり変わらないというところまででやめる、さらに、2日に1回やるのと3日に1回やるのとでは大きく差が出るが、毎日やるのと2日に1回とではそれほど差がでないようだ・・ということから、それなら、2日に1回にしようと考えた。 それぞれの競技によって必要とする身体機能は異なり、野球などには、短距離走は意味があるが、長距離走はやって悪いことはないが、長距離走の能力は野球にはそれほど関係ないということで、長距離走の練習はやめにした・・・とそういった科学的な考察から、練習時間を多くとれない東大の野球部の練習内容を練り直したらし、それが効果を発揮したらしい。 『美味しんぼ』には、プロ野球のキャンプでの食事を山岡が見て、食事の内容を宿舎の厨房にまかせきりにしているのではだめだ、運動選手の食事は一般の人間の食事と違って当然で、又、これから体ができていく20歳前後の選手と25歳を過ぎた選手が同じ食事ではだめだといったことを指摘する。 こういったことを論じるのが大学の「体育理論」ではないか・・・と私は思っていた。ところが、慶應大学の「体育理論」はそういうものではなかった。
   慶應大学の必修科目の体育理論とはどういうものだったかというと、「最近では、スポーツで殴ってはだめだとか言い出すおかしなヤツがでてきて困ったものだ。スポーツで殴るというのは、これは当たり前のことじゃないか。殴らないスポーツなんてそんなスポーツがあるわけないだろうが。殴る、というのはスポーツである以上、当たり前なんだよ。それを、殴ったじゃないかとか、ちょっと、頭おかしいんじゃないか! 殴ったから怪我したじゃないかとか、殴ったんだから怪我するのは当たり前だろうが! 殴るから強くなるんだよ、強い所はどこでも殴ってるんだよ。それをいかんとか言う頭のおかしいヤツが最近増えてきて、どうかしてんじゃないかと思うね。特に、激しいのが女子バレーなんだよ。女子バレーでは、コーチが選手の髪をつかんでコートの中を引きずり回したりするんだよ。それがスポーツなんだよ。それがスポーツてものなんだよ。それでこそ、スポーツなんだよ。それを、いかんとか言うやつが最近でてきて困ってんだが、殴らないスポーツなんてあるわけないだろうが! バカか! 頭おかしいんじゃないか! 一回、病院、入院しろってんだ! 」(あなたこそ、一度、入院した方がいいのと違いますかあ~あ? と言いたかったが、怖そうだったので黙っていた)、 「 体育会の人間は学力はないが、根性がある。 私の部でも、この4月に入部した人間なんだが、入部した時は、グランドを1周するだけでも、ひいひい言ってたんだけど、半年ほど経って、4周しようが5周しようが平気で走るようになった。これは、根性がついたということだ。」(・・それって、根性がついたのではなくて、体力がついたのと違うんですかあ~あ? と言いたかったが、逆らうとうるさそうなので言わなかった)とかそういうことを言われたのだ。それが、慶應大学の「体育理論」だった。程度の低い大学だなあとあきれた。 京大に行った人間にきくと、京大では、体育は1年の時に週に1コマ、2年の時に週に1コマらしいが、慶應大はそうではなく、1年の時に「基本体育」が週に1コマ(4年卒業するまでに履修すればいいことになっている)、1年の夏休みか冬休みに集中して「選択体育」と言って選んだ種目をやるものがあり、その2つで構成されていたが、私は他ではできないだろうと思って「馬術」を選択したのだが、途中、馬術部の人間が、「本日は、馬術部のOBの方が来られましたので、講義をしてもらいます」と言い、そして、その馬術部のOBがどういう「講義」をなさったかというと、「スポーツをやっていいことというと、たとえば、飲み屋で喧嘩した時に勝つ、とかいうことがある」と、そうおっしゃったのだ。 なんか、レベル低いなあ、慶應は・・・と思った。慶應がレベル低いのか、慶應の体育会と体育会の教員のレベルが低いのか。いずれにしても、そんな「体育理論」だの「講義」だのってのがまかり通っている大学というのは、レベル低いなあと思った。 だから、私は「体育会」というものは、野球部などは高校卒業時にプロから誘われていたような人もいるような部なので、そういう人と一緒にはできないだろうということもあるけれども、中学校でも高校でも運動部にもいなかったような人間でも入れる部でも、慶應の体育会はごめんこうむりたい、「殴るということなしにスポーツなんてあるわけないだろうが」というような人間として程度の低い人の運動部とは関わりたくないと思った。森毅氏が『元気がでる教育の話』(中公新書)で述べていたが、スポーツをするのに、なんで、殴らないといけないのか、殴っておこなうスポーツではなく、ひとりひとりが自覚して自分自身の意志で体を動かすスポーツこそ本来のスポーツではないのか、という北野高校出身の森毅氏の主張は私のスポーツについての認識でもあったのだが、慶應の人間のスポーツ観とは正反対のものだったので、そういう殴るの大好き人間の体育会とは関わりたくなかった。「飲み屋で喧嘩した時に勝つ」ためのスポーツなんて、なんか、わびしいのお~お・・・て感じがして、そんなものに大事な人生を費やすのはごめんこうむりたいと思った。

   慶應大で、同好会のスポーツサークルについて、「テニスとかスキーとかゴルフとか、よっぽど、バカじゃないか」と言われた先生がおられたのだが、私もそんな感じで見ていた・・・し、慶應大のテニスの同好会に入っていた人間にそれを言ったところ、「本当のことだから、反論できない・・・」という返事が返ってきたことがあった。 だから、「テニスとかスキーとかゴルフとか」でないスポーツのサークルとして、格闘技系だと、さすがに、「おい、ちょっと、そこのカノジョ。 おいらと一緒にボクシングしねえか。おめえならできる。やってみな」とか言って「ナンパ」するわけにもいかないだろうから、ナンパサークルにはならないだろう・・・なんて考えたこともあった・・・のだが、慶應大というのは、なにしろ、「右翼の大学」なもので、そういう大学の格闘技系サークルというのは、実質、右翼団体になりやすいようだ。 慶應に「昭霊空手会」という空手のサークルがあって、「沖縄に昭霊流という小さい人間でも大きな人間を倒せるようにという空手の流派があって・・・」とかいうお話があったが、それは実はウソで、本名は「愛塾奨励 空手会(あいじゅくしょうれい からてかい)」と言い、戦中、自分たちの主張する「愛国」が愛国だと主張してそれ以外の愛国を認めない人達がいたのと同様に自分たちが主張する「愛塾」が愛塾であって自分たちとは異なる主張の愛塾は愛塾とは認めないという思想の空手使いの右翼の会で、「愛塾奨励会」と「空手会」とどちらにより重心があるかというと「愛塾奨励」の方の会・・・だった。合宿では「天皇陛下、ばんざ~い」と叫んでばんざいすることを強制され、「合宿では、ひとりくらい死んだ方がハクがついていい」と創設のメンバーの1人で、どうも、右翼系企業の社長の息子のようだと思われる「幼稚舎から慶應」の男が口にする会だった。自分も右翼団体か暴力団かフロント企業の息子ならともかく、そうでないなら、そんな危ない団体には入らない方がいい。

   そういったことを考えた時、ボランティアの団体とかキリスト教系のサークルとかそういった真面目なサークルなら、女性部員に酒を飲ませて輪姦するとか、知らずに来た他大学の女子学生に力づくで体をさわるとかいった「慶應ボーイ」みたいなことをする者はあまりないのではないか、「アタマが内部進学」の痴漢慶應ボーイの団体にはならないのではないか・・・といったことを考えたりもした。 だから、大学生であった時の私と同様に、大学の「サークル」というものに入るか、そうでなくても、同年代の人間と、個人的に好きとか嫌いとかとは別に、なんらかの団体の構成員としてつきあいたいと思った時に、キリスト教系の「友愛活動」の団体とかであれば、他大学の女子学生をだましてよびこんで力づくで体をさわるとか、そういった行為を「慶大生らしい思考の柔軟さ」とか「塾風」とか「福沢精神」とか「独立自尊」とか主張するという「慶大生らしい態度」はとらないのではないか、自分が特別に品行方正とかいうことでなかったとしても、いくらなんでも、そんな連中の仲間にはなりたくない、と思った時、「友愛活動」とか、なんらかの真面目な内容のサークルなら、そういうことはないのではないか、と考えたが、そう考える人がいたならば、そう思って入るなら、それは悪いことではないのではないかとも思う。
   しかし、そういったことも考えて入った慶應大学の「ステューデントカウンセラーズ」は、内部進学の人間が多く、内部進学の程度の低い人間にかきまわされるし、そもそも、カウンセリングの研究のサークルのはずなのに、カウンセリングや心理学について自ら学ぼうという姿勢の欠落している人間が多いし、そして、慶應義塾では上級生は下級生の女子学生の尻をなでまわすのが伝統で権利だと認識していた人間が幅をきかせており、それらの人間は、そういう状態に学生を順応させるのが「カウンセリング」で「心理学」であり、そういった間違った考えの人間にその間違った認識を改めさせるのが「カウンセリング」で「心理学」だというのは間違った認識、「モラトリアム人間病」か「ピーターパンシンドローム」か「ウェンディジレンマ」か何かそういう病気にかかっている人間で、「治療」(「人間による人間の加工」)をしてやらないといけないもので、その「人間による人間の加工」が「カウンセリング」だと認識しているような連中の会だった。 なにより、大きな問題として、体育会の場合は、体育会の活動に時間と労力をとられて、その結果として、学業の成績が悪くなったとしても、卒業時には体育会で就職先を探してくれるらしいのに対して、ステューデントカウンセラーズでは、「きみたちは、カウンセラーなんだから、カウンセリングマインドをもって、自分の学業を犠牲にしてでも、自分が出席するべき講義を欠席してでも、来談者のために尽くすのが当然じゃないか」などといった要求を下級生におこない、なおかつ、そういうことを言うなら自分もそうするのかというと、おのれはやらないという上級生がわんさといる、というサークルで、結論として、慶應大学のステューデントカウンセラーズは、実質、カウンセリングとは正反対のサークル、もしも、それがカウンセリングだとすると、カウンセリングは害があるものだということになるし、そうではなく、本来のカウンセリングは価値があるものだとするならば、ステューデントカウンセラーズのやっていることはカウンセリングとは似て非なるものだということになる、そういうサークルだった。 だから、学術的なサークルだったり、「友愛」か「社会貢献」か「ボランティア」かの傾向のサークルなら真面目かというと、そうとは限らないし、むしろ、「きみたちはカウンセラーなんだから、自分が履修している講義を欠席してでも尽くすのが当然じゃないか」などと要求されて学業を犠牲にされることになるという、なんだか、新興宗教みたいなサークルになっている、というものがあった。

   こういったことを考えた時、もし、私がもう一度、18歳かそこらに戻ることができて、大学に入学するならば、「クラブ」「サークル」というものには入らないですね。 なぜなら、学業の妨げになるし、特に慶應大では、アホとつきあうのは不快指数が上昇して精神衛生に悪いから。 卒業して就職するなら、就職の際に、「ゼミに入っていること」「英語が英語検定1級、もしくは、TOEIC・TOEIFL で高得点」「Aの数が20以上」「何かスポーツをやっていること」とともに、大学の「クラブ」「サークル」に入っていた方がプラスの評価を受けるとかいう話があったが、しかし、それらをすべて満たすことができるわけでもなく、慶應タイプの強姦サークルに入った場合、もともとその類の人間はいいかもしれないが、私などは、特別に聖人でもないが、そういう人間は嫌いだし、いくらなんでも、そういうことをする連中の仲間にはなりたくないので、そんな連中の会に入って不快指数を上昇させるくらいなら、サークルには入らずに、その分、労力と時間を学業に費やすなり、英語もしくはそれ以外の語学の習得に費やすとか、自分が本当にやりたいことをやるのに時間を費やすようにした方がいいと思うのだ。 「きみたちはカウンセラーなんだから、自分が履修している講義を欠席してでもステューデントカウンセラーズのために尽くすのが当然じゃないか」とか下級生に要求して、おのれはそういうことはしない、という類の人間が慶應大の内部進学の人間には大変多いのだ。そういう連中にかかずらって不快指数を上昇させて成績を落とすよりも、そんな連中とは関わらないようにして、いい成績をとるようにした方がいいと思うのだ。

   私は高校生くらいの頃は、大学の寮というものには魅力を感じた。寮にはいると、卒業して就職しようとした時に、学生運動をしていたのではないかと見られて就職に不利だとかいう話を聞いたが、同年代の人間とつきあうのがそんなに悪いことなのか。同年代の人間と「同じ釜の飯」を食って語り合うのがそんなに気に食わないのか。それはおかしいと思うのだ・・・・が、日吉台学生ハイツにいた時、慶應大の学生が多いので、日吉台学生ハイツの場合、そこに帰ってきても、「帰った」という気持ちにならないということがあり、又、ステューデントカウンセラーズの人間で、部屋におしかけてきて、強引に入り込み、そろそろ、帰ってもらいたいと思っても、ひとの部屋に押し入って帰らないという不心得者がいて、こういう連中がいる学生宿舎というのはよくないなあと思うようになった。 

   早稲田の「信愛学舎」は伯父が早稲田大学に行っていた時(・・・というと相当前なのだが)に入っていたらしいことで、親しみを感じたのだが、実は私は「クリスチャン」というもの、特に「敬虔なクリスチャン」というものが嫌いになったのだ。 そのあたりを、次回、述べる。   

   (2018.1.16.)

   次回、 聖書を否定する「敬虔なクリスチャン」。「クリスチャンの4大義務」。YMCA予備校はなぜだめか。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_7.html


☆ 早稲田奉仕園 スコットホール・友愛学舎、信愛学舎 訪問。
1.スコットホール・奉仕園会館・友愛学舎・ベニンホフ像 他 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_5.html
2.信愛学舎。「・・・のために」なしで生きられない人。いかさまの慈善。慶應の不良サークル。〔今回〕
3.聖書を否定する「敬虔なクリスチャン」。「クリスチャンの4大義務」。YMCA予備校はなぜだめか。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_7.html
4.「敬虔なクリスチャン」に取り上げられた聖書。入試で白紙で出して望みをかなえられた人と踏みにじられた者。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_8.html
5.国立大学の哲学科・宗教学科に行かせてもらえなかった私、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)に行った牧師。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_9.html
6.私の親が私には出してくれなかったカネを「特別献金」で払ったカネで 私大出の男がトーシンダイに行った。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_10.html

☆ 早稲田界隈
穴八幡宮
1. 鳥居から社殿へ。亀の石に乗る鳥居。流鏑馬射手の像。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_2.html
2. 行きたくない大学を騙されて受けさせられた経験 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_3.html
3. 家賃滞納の借主を家主はどう対処。混雑時、高齢者の急階段は危険 http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_4.html   

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