あけおめ。穴八幡宮(東京都新宿区)参拝【2/3】行きたくない大学を騙されて受けさせられた経験談

[第338回] 穴八幡宮参拝【2/3】
   なぜ、早稲田大学の入試の時にここに寄ったかというと、帰りに目の前に神社があったので、立ち寄ってみただけ。高校3年の1月、父が、突然、「早稲田か慶應を練習のために受けて見たらどうや」と言い出したので、驚いた。「今は、少しでも学習時間が欲しいから、受けたくない」と断ったのだが、「練習のために」「あくまで、練習のために」としつこいので根負けしてしまい、しつこく食いつかれるくらいなら、その1日と前後を無駄にしても、さっさと受けてこのおっさんをかわした方がいいと判断して、しかたなしに願書を出したところ、いったん願書を出すと、今度は「早稲田は通ったら、当然、行くべきやでえ」などと言い出したので、「はああ~あ!?!と思った。
  北野高校に入学した4月、野球部に入ったところ、父が「北野なんかで、運動部にいて京大や阪大に通ったというような人間がいても、そういうのは、全部、浪人です。甘ったれなさんな」と言い、「そういうことではないはずだ」と言ってもきかず、又、父の友人の友人にあたる人で豊中高校の先生をされていた方が「うち(豊中高校)のやつで、今年、野球部にいたヤツで京大に現役で通ったやつ、おったで」と言ってくれて、「うちの息子も北野でラグビー部におったけど、阪大の医学部に現役で通ったで」とも言ってくれたし、北野高校の担任のO田先生も懇談の時に「北野高校では、運動部に入っていても、京大や阪大などに現役で通っていますし、運動部に入っていた人間とそうでない人間の進学成績には特に違いはありません」とも言ってくれて、さらに「北野高校に入る時の入試の成績を見ると、学年順位から考えて、もし、3年までそのままの学年順位で行ったとすると、もちろん、入試にある科目とない科目もあるし、入試の問題とそのまま順位が対応するかという問題もありますが、学年順位だけで考えると、入学試験の時の成績のまま、3年まで行ったとすると、京大に行ける成績です。1学期の中間考査は少し悪かったようですが、それでも、阪大に行ける成績ですから、本人が運動部をやりたいと言うならさせてあげてください」と言ってくれたのだが、それでも、父は「そんなもん、運動部にいて京大や阪大に行ったやつなんて浪人に決まってます」と言ってきかず、「うちは、浪人みたいなもん、させる気はありません」と言い、「野球部やりたかったら、浪商に行け」と言い、「野球部の監督の所に行って、どやしつけたる!」、「なめとったらいかんぞ、なめとったら」と言って、本当に野球部の監督の所に喧嘩しに行きそうだったので、しかたなしに辞めたということがあった。
    ところが。3年になると今度は、母親が「現役で東大とか行くと、思い上がった人間になるから、女を泣かすような人間になるから、こいつ、絶対に、現役で大学に合格させてなるものか。こいつ、絶対に落としたる」「絶対にこいつ、浪人させたる」と言い、家で学習していると、後ろから襟やら腕やらをつかんで椅子から後ろにひっくり返したり、分電盤で私の部屋の電気のブレーカーを落として照明を消して学習できなくし、家ではとても学習できないので図書館で学習すると、学校に電話して「まだ、帰ってません。どこか、繁華街をうろついて不良の仲間になってるのと違いますか」と言ったり、家に帰っても鍵を開けてくれず、インタホンのコードを抜いて鳴らないようにして家に入れず、しかたなしに駅のベンチに座って本を読んだりすると、姉の勤め先に電話して姉に「帰ってこないから、高校に行って、いったい、どこに言ったのか先生にきいてみて」と言って高校まで行かせて、先生に「うちの弟がどこかへ行って家に帰ってきません」と言わせ、父は父で「現役で大学に通った人間よりも、浪人した人間の方が、社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい!」などと言い出した。はあ? あんた、私が高校1年の時、「北野やとか天王寺やとかで野球部やとかラグビー部やとかサッカー部やとかにいて、京大やら東大やら阪大やらに通ったいう人間は、そんなんはみんな、浪人や。現役で通る人間なんかあらへん。うちは浪人させるような金持とは違います」と言い、そして、「野球部の監督の所に行って、野球部の監督をどやしつけたる。わしをなめとったらいかんぞ、野球部の監督は。このわしを誰やと思うとるんじゃ」とか言っていたはずなのに、3年になると、今度は「浪人した人間の方が、社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」て、はあ~あ???
   北野高校の模擬試験では、3年の時、1回目と2回目の模擬試験では、あと少しで京大に合格圏という成績だったのだが、「あと少しで」というのは、これは、ある程度手ごわい所で合格最低点より少し下から少し上に持って行くというのは、実は100点満点で0点から50点か60点まで持って行くよりもずっと大変だったりするのだが、そうはいっても、「あと少しで京大に合格圏」という成績を模擬試験で取れたということは、ある程度の所には行けそうだということだ。その「あと少し」をなんとかしたいと普通の人間なら思うところだと思うが、担任との親子懇談において、父は「『あと少しで京大に行ける成績』てことは、神戸大ならまず合格できると考えてよろしいでしょうかなあ」と、突然、言い出したので、この人、いったい何言ってんの!と驚いた。担任のO谷も父の言っている意味がわからなかったようで、「そんなことないですよ」と言ったのだ。「京大なら通った人4人・落ちた人6人という成績だったとして、阪大なら絶対通るのか、神戸大なら間違いなく通るのかというと、そうではないですよ。京大なら通った人4人・落ちた人6人という成績だったとして、阪大にしたとしても、それほど大きく変わるわけじゃない。神戸大でもそうです。通った人4人・落ちた人6人が、通った人5人・落ちた人5人になるか、通った人6人・落ちた人4人になるか、せいぜい、そのくらいのものですよ」と言ってくれた。それを聞いて、父は「そうですかあ」と、いったんは納得したはずだった。ところが、しばらくして、私に無断で、神戸大の経済学部の願書を取ってきて、「はい。あんた」と言って私の顔の前に突きつけるので、「はあ? なんですか、それは?」と言うと、「だから、はい」と言うのだ。神戸大を受けるなどという話は一言としてしていないし、ましてや、経済学部を受けるなどという話なんか、まったくしていないし、私は、経済学部なんかに行かされるのが嫌だから、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、いったい何のつもりかと驚いたのだが、そして、「なんですか。それは?」と言ったのだが、父は「だから、はい、て」と言うのだった。
   どうも、父は、自分が大学に行く時、「慶應の経済」に行きたかったらしく、「慶應の経済」と「神戸大の経済」が好きだったらしいが、私は正反対で、たとえ首をもがれても「慶應の経済」と「神戸大の経済」だけは行かされてなるものかと思ってきたのだ。息子に無断で、息子が首をもがれても行かされたくないと思っている大学学部の願書を取ってくる親というのを私は自分の親以外では見たことがない!が私の親はそういう親だったのだ。「てってこっこ、てっててえって、らったらったらったらあ♪ 撃ちてしやまん。一億火の玉。とってちってたあ!」「会社のために、死ぬまで働く。すべてを会社と親こっこっこのために、ささげ尽く~す! とってちってたあ!」と毎日言い続けるおっさんだった。私が高校1年の時には、父はこう言ったはずだった。「野球やりたら、浪商に行け。甘ったれるなよ! 浪商させるために、おまえに高校行かせたのとは違うねんぞ、浪商!」と。父は「北野の野球部の監督の浪商に怒鳴りつけたろ思うとるんじゃ。浪商に。北野の野球部の監督の浪商をやっつけたる」とか言うておったはずだったのだ。「甘ったれておってはならんぞ、浪商!浪商は高校行く必要ないねんぞ、浪商!」と言うておった。
   ともかく、高校の3年の時の模擬試験で、「あと少しで京大に合格圏」という成績を取ることができた。「あと少しで」という「あと少し」を乗り越えることができるかどうかという問題はあるとしても、ともかく、それだけの成績を取れたということは、最終的に合格するかどうかはさておき、ある程度の所を狙えるということ、ある程度の所に合格できる可能性があるということだ。今から考えると、「大学入試は『終戦』だ」と私は思う。「終戦」というのは、勝ちとか負けとかではなく、「自分自身が納得して行くことができる所に入学できるか」という問題だと思うのだ。ひとと比べてどうかなんてことは、まったく関係ないことはないとしても、二番目以降の問題だ。
  そうなると、一番の障害は「世の中の人間は、自分ではやらずにひとのことを決める民族・階級と、自分で自分のことを決めずに、何でもひとに決められて決められたとお~りやるのがうれしい民族・階級とに神さまは分けてお造りになっておってやなあ、わしはドイツ人でひとに命令する民族・階級と神さまはお決めになった人間で、あんたはチャンコロとして神さまはお造りになった人間で、あんたは自分で自分のことを決めるよりも、わしみたいなドイツ人にな~んでも決められて、決められたとお~り、せっせせっせとやるのがうれしい民族・階級なんや」と主張する男が父親である家庭においては、この「自分自身が納得して行くことができる所に入学できるか」という条件を満たすのは極めて難しいことだった。「わしとかやなあ、M川先生(父の親友の医者屋)とかのようなドイツ人に何でも何でも決めてもらうのがあんたにとっては幸せやねん。親というものは常に息子の幸せを願っている存在やねん。そやから、あんたは自分のことを自分で決めるよりも、わしとかM川先生とかのドイツ人に決めてもらうのが何より幸せやねん。すべてを会社のために、すべてを親こっこっこのためにささげ尽くす、会社の犠牲になりたい、親こっこの犠牲になりたいというのが、それがあんたの何よりの願いやねん。そやろ」と言っていた。「てってこっこてっててってらったらったらったら♪ わしは号令かけるのが得意。あんたは号令かけられるのが得意。そやから、号令かけてやってあげてやってあげてやろうと言うとんねんがな。うれしいやろ、チャンコロ」と言っていた。
    そんな学部に行かされてたまるものか! 小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのは、「てってこっこてっててってらったらったらったら」の学部・「撃ちてしやまん。一億火の玉」の学部・「すべてを会社のための犠牲にす~る。会社のために、親こっこっこのためにい~い! 贅沢は敵だ! 木口小平はちんでもラッパをはなちまちぇんできたあ~あ! とってちってたあ!」の大学学部になんか行かされてたまるか!
    高校3年の時、父は「東大なら、下宿してでも行く価値はあると思う。そやけど、明治やたら法政やたら青山やたら、そんなしょーもないアホ大学に行くのに大阪の人間が東京で下宿してまで行くことあらへん」と言っていた。私もそう思っていた。又、「下宿するなら東京で下宿するのも京都で下宿するのも一緒や」と言っていた。但し、大阪の高校3年生にとっては京都は「大阪の続き」で地元だが東京は「異国」でプレッシャーは違った。高校3年の時、私が最も魅力を感じていた大学は京都大学だった。しかし、父は途中から「京大なら、下宿することあらへん。京大なら、自宅から通うべきや。甘ったれておってはならんぞ」と言うようになった。阪急の宝塚線の支線の箕面線の駅から歩いて10分程度の我が家から京大に通おうと思うと、片道で2時間以上かかった。我が家の近所から京大に進学した人は何人かいたが、自宅から通っている人なんて1人もなかった。毎日毎日、片道2時間以上かけて往復しないといけないのかと思うと、通う前からというよりも、合格する前からというよりも、受ける前から疲れてしまった。私は家を出たかったのだ。これ以上、この家にいるのが嫌だった。だから、阪大なら自宅から通える・・というより高校より近いし、我が家の近所に下宿して阪大に行く人間がいたくらいなので阪大では絶対だめ。京大なら下宿できると思っていたところ、父は「京大なら自宅から通うべきや。甘ったれておってはならんぞ」と言うようになり、さらには、「京大はアカやからいか~ん」と言いだした。となると、東大に行くしかないということになる。
    父は、私が高校3年の時、1年の時に自分が言っていたことなんて宇宙のはてまで飛んで行って、「現役で大学に通った人間よりも浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと言い出したが、なんとか現役で大学に通りたいと思って努力している高校3年生に向かってよくそういうことを言うと思う・・・が、我が家の父親はそういうおっさんだった。実際に役に立つかというと、それは人それぞれだと思う。現役で大学に入って留年などまったくせずに大学を卒業した人間というのは、まだ、22歳であり、20歳から成人だといっても、19歳まで子供で20歳の誕生日になると突然大人になるとかいうものではないので、新卒入社で従業員を採用しても、浪人も留年もせずに22歳で卒業して入社した人間というのは、まだ100%大人とは言えないところがあって、せめて23歳か24歳で卒業した人間の方が、学校の成績がどうかは別として、会社に勤めた時にすんなりと仕事に入りやすいということはあるかもしれないが、それにしても、なんとか現役で通りたいと思って努力している高校3年の息子によくそういうことを言うと思う。私なら、かわいそうで、そんなことよう言わんわと思うが、平気で言うのが私の父親だったのだ。
   で、高校3年の前半、父は「大学受験は男やったら、東大なり京大に行きたいと思うたら、1年くらいの浪人はするべきやで」とそう言っていた。考え方として、浪人したなら東大なり京大なりに行けたかもしれないところでも、そこで1年費やすよりも、さっさと大学に入って前に進んだ方がいいと考えて、浪人したなら東大なり京大なりに行けたかもしれないところでも、阪大くらいにさっさと進学するというのもひとつの選択肢で、どちらが絶対にいいなどということはないと私は思う・・が、父は、私が高校3年の前半には「男やったら、行きたいと思う大学に行くためなら1年の浪人くらいはするべきや」と言ったのだ。その時点で、私には、「絶対通る」とかではないとしても「合格しやすめの大学」を受けて現役でさっさと行くという選択肢は存在しなかった。なにしろ、父がそう「決めた」のだから。そして、高校3年の年は、国立大学1校のみを受けるということになっていた。我が家ではそういう話になっていたのだ。ところが、3年の1月になると、父は、突然、「立命でも同志社でも関学でも、どこか1つ、練習で受けたらどうや」と言い出し、何をこの時期になって突然アホなことを言い出すのかと迷惑したが、しつこいのでしかたなしに立命館大学の何学部だったかを受けた。「立命みたいなもん、落ちたら、眼かんで死なんといかんわ」とか思って受けたが、受けてみると必ずしもなめたものではない印象だったが、ともかく、さすがにそれは通った。眼、かまなくてよかった。
   さあ、国立大学の入試だと思ったところ、今度は、父は「早稲田か慶應を、練習で受けてみたらどうや」と言い出した。いいかげんにしてくれよ、おっさ~ん! と、いいかげん、腹も立てば頭にもきた。「今、本命の所の受験のために、少しでも学習時間が欲しいんだから、そんなもの、受けたらマイナスになる」とはっきりと言ったのだが、父は執拗で譲らず、ともかく受ければ納得するならその方がうるさくなくていいわとあきらめて、早稲田大学に願書を出したところ、「練習で受けたらええ。あくまで、練習のために」と言い続けてきた父が、急に「早稲田は通ったら、当然、あんた、行くべきやでえ」と言い出した。はああ~あ・・・? こんなこと言い出す親、あんまりないと思うがね~え・・。
   どうしたものだろう。もし、通ったら、行かされてしまう・・と感じた。さすがに、私もそこまでアホではない。早稲田みたいなもん、行かされてたまるか! ふざけんな! 早稲田みたいなもんに行かされるために、小学校の1年から他の同級生が遊んでいる時も只管勉強してきたのとは違うわ! 早稲田みたいなもん、誰が行くか! 早稲田みたいなもん、行かされてたまるものか!と思った。当たり前だ。そもそも、京大や東大などに進学するために、数学も英語も国語も理科も社会も勉強してきたわけだ。英語と国語と社会科1科目だけで受けられる早稲田大学の法学部だの政治経済学部だのなんて、そんな所に行かされるために、数列とか頭をかかえて勉強してきたのとは違うわ! 人を馬鹿にするのもたいがいにしろ!

   そんなやり口する親なんて、あんまりないと思うがな~あ・・・と思ったが、あんまりなくても、我が家にはあったのだ。そういえば、小学校の1年の時、担任の先生が、算数で、足し算・引き算・掛け算・割り算の学習で、クラスでトーナメント大会を開催して、優勝者・準優勝者には「連絡帳」にそれを書いてくれたということがあった。父は、「優勝したらプラモデルこうたる」と言い、そして、優勝した。優勝したからにはプラモデルを買ってくれるはずだった。父は「どんなんが欲しいか?」と訊いたのだが、小学校からの帰り道にあるプラモデル屋のショールームには、「ゴジラ」とか「バラゴン」のプラモデルが飾ってあって、あれ、欲しいなあ~あと毎日毎日、そこを通りながら思ってきたのだった。同級生には、足し算トーナメント大会に優勝なんかしなくても、1回戦負けでも、さっさと買ってもらっていた者が何人かいたし、ゴジラとバラゴンの両方を買ってもらって持っていた者もいた。我が家と同じくらいの家庭かと思われる者もいたが、どう見ても我が家よりもみすぼらしい家に住んでいて親の年収も間違いなく我が家より少ないだろうと思われる家庭の息子でも、片方買ってもらっていた者もいたし両方買ってもらっていた者もいたが、我が家は、4000円もするものは無理だろうと思った。しかし、無理でも、ともかく、言うだけ言ってみようと考えた。「ゴジラのプラモデルが欲しいけれども、4000円もするらしいから無理だと思う」と、そう私は言ったのだ。小学校1年の時の私は。そう言えば、おそらく、「そうやなあ。4000円もするものはちょっと買えんわあ。もう少し安いものないか。プラモデル屋に行って、もうちょっと安いのないか訊いてみようや」とでも言うのではないかと思って言ったのだ。ところが、父は予想に反して「何でいかんのや。こうたるがな、4000円したって。何を言うとんねん、何を。わしがこうたる言うとんねんがな。ほかでもないこのわしがこうたると言うたからには、こうたるがな。心配いりませんて。4000円しようがいくらしようがわしがこうたると言うたからにはこうたるがな」とそう言ったのだ。私は、4000円(1960年代半ば過ぎの物価で)もするプラモデルなんて、同級生は買ってもらえても私は買ってもらえないだろうと思っていたら、父は「買ってやるがな。いったい何を心配しとんねん、何お」と言うので、買ってもらえるのかと思ってうれしかった。買ってもらえるんだあ・・・と喜んで父とプラモデル屋に行き、父がプラモデル屋の奥さんに「そのゴジラていくらしますのん?」と尋ねると、奥さんは「ゴジラは4000円です」と私がゴジラを持っていた友人から聞いた通りの値段を父に話した・・ところ、父は「ひええ~え。ふえ~え。怪獣のプラモデルみたいなもんが4000円もするんか。ふええ~え。ぎょええ~え。かなんな。ひええ~え。怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円も出すやなんて、とんでもない。そんなもん、絶対にこうたらいかん」と言い出した。あんた、さっき、「たとえ、4000円したって、こうたげますて。このわしが、こうたると言うたからにはいくらしようが絶対にこうたるがな。4000円が何やねん。心配いりませんて」と何度も言ったのと違うんかい? 「ち~が~う~だ~ろ」、さっきまで言ってたことと!
   父が「もうちょっと、ほかのんではあかんのか」と言うので、「それなら、ゴジラじゃなくてバラゴンでもいい」と言うと、プラモデル屋の奥さんが「バラゴンはもっと高いですよ。バラゴンは4200円です」だったか言ったところ、父は「ぎょええ~え。かなんな、ほんま。怪獣のプラモデルみたいなもんが4000円だの4200円だのやなんて、冗談やないで、ほんま」と言ったのだが、「冗談やない」話として「たとえ、4000円したって、こうたげますて。わしが、こうたると言うておるんやないか。ほかでもないこのわしがこうたると言うたからには、絶対にこうたるがな」と父はついさっき言ったはずなのだが、「冗談やないで、ほんま」と言いたいのはこちらの方だった。
   私が「バラゴンでもいい」と言った時、プラモデル屋の奥さんは「バラゴンはもっと高いです。バラゴンは4200円です」と言ったが、父は「なに、バラ、バルゴン?」と言い、それを聞いて、プラモデル屋の奥さんが「バルゴンなら200円です」と言い、父はそれを聞いて、「ああ、それがええわ。そんなもん、怪獣のプラモデルみたいなもん、200円くらいのもんで十分や。4000円もするようなもんなんて、絶対に買うてはいかん。冗談やないで、ほんま。それください。200円のバルゴン♪」とそう言ったのだ。最初から、「4000円もするものは買えんわ。そやけど、もう少し安いのはないのかな。200円くらいのものとかあったらこうたるけど、200円くらいのとかはないのか、一度、プラモデル屋に行ってきいてみようや」と父が言って、それでプラモデル屋に行って、200円のバルゴンを買ってもらったというのなら、同級生には4000円のゴジラと4200円のバラゴンの片方持ってる者もおれば両方持ってる者もいたけれども、我が家はそういうものは買ってもらえないが、それでも、200円のバルゴンを買ってもらったということで喜べたと思う。しかし、そうではなく、「たとえ、4000円したって、絶対にこうたげますて。このわしがこうたると言うとるねんがな。このわしがやぞ」と言い続けて、それでプラモデル屋に行くと「そんなもん、怪獣のプラモデルみたいなもん、200円くらいのもんで十分や。4000円もするようなもんなんて、絶対に買うてはいかん。冗談やないで、ほんま」などと言われたのでは、たとえ、200円のバルゴンは買ってもらえたとしても、喜べなかった。1980年代、コンピュータ関連のT社で、新卒社員研修において、社員研修を担当する部署の担当のおっさんが、「皆さん、親と子は物をもらった時の感じ方はどこが違うかわかりますか。教えてあげましょうか。教えてあげましょうか。教えてあげましょうか。教えてあげましょうか」と何度も言って、誰ひとりとして「教えてください」とは一言も言っていないのに、「わかりました。それでは教えてあげましょう」と言って、「子供は親から物をもらった時にはその物に対して喜ぶのです。それに対して、親というものは、子供から物をもらった時にその物について喜ぶのではなく、気持ちを喜ぶのです。そこが親と子の違いなんです。わかりましたか」などと言ったのだが、「ち~が~う~だ~ろ。このボケえ」と言うわけにもいかないから黙っていたが、つくづく、「社員研修」てのはくだらんなあと思ったものだった。小学校1年の時の私は、最初から「4000円もするものは買えないけれども、200円くらいのものなら買ってやってもええ。200円くらいのものはないのか」と言われてプラモデル屋に行って200円のバルゴンを買ってもらったのなら喜んだし喜べたが、「4000円しようがいくらしようがこうたげますて。このわしがこうたると言うとるねんがな。このわしが」と言われて言って、「ふえ~え、ひえ~え、ぎょええ~え」と言われたあかつきには、たとえ、200円のバルゴンは買ってもらえたとしても、喜べなかった。子供も、物だけに喜ぶのではない、子供も「気持ちに対して喜ぶ」のだ。そのT社の「社員研修」は根底から間違っている。
   そして、父は、プラモデル屋から家までの帰り道みち、「プラモデルみたいなもん、200円くらいのもんで十分なんや。怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円も使うようなことは絶対にしてはいかん。あんた、バルゴン、買ってもらって、よかったねえ。うれしいねえ~え。あんた、バルゴン、買ってもらって、よかったよかったよかった、ね♪ よかった、よかった、よかった、ね♪」と何度も何度も言ったのだった。嫌だった。4000円のゴジラを買ってもらえなかったことよりも、その態度が嫌だった。その卑しい態度が何よりも嫌だった。私が20歳になった時、父は「世の中にはやなあ。ダメ父もおれば、カス親もおるわけでやなあ。このわしのようなえっらいえっらいえっらいえっらい聖人のキリストのお父さんばっかしとは違うわけや。あんた、わしのような聖人のキリストのお父さんをもてて、幸せやねえ、あんた、めぐまれてるねえ~え」と言い、「『感謝してます。お父さん。偉大なる聖人のお父さんの子に生まれて幸せです』と言いなさい」と私に言い、無理矢理、言わされた・・が、「偉大なる聖人のキリストのお父さん」よりも、「フツーのお父さん」の方が私はよかった・・。同級生の親を見ても、↑みたいなことするお父さんとそういうことをしないお父さんなら、しないお父さんの方がずっと多かったと思う。そういう「フツーのお父さん」の方が私はよかった・・。
   こういうことは1回だけじゃない。何度もあった。何度もそういうことを我慢してきた。我慢してきて、息子がそういうことを我慢してきたということをいくらなんでも父は知っていると私は誤解していた。父はそうは認識していなかった。そうではなく、「わしほどえらいお父さんはないねんぞ、わしほど。このわしほどえらいえらい人間はおらんねんぞ、わしほど」と言っていた。「わしはキリストのような聖人で、聖徳太子のように賢明で、なんといってもヒットラー総統のように謙虚な人間やねん。わしはドイツ人やねんぞ、わしは。わしはアメリカ人やぞ、わしは。わしはドイツ人でアメリカ人で慶應の民族やねん、わしは、わしは。わかっとんのんか、チャンコロ。おまえはチャンコロの民族やねんぞ、チャンコロ。つけあがるなよ、チャンコロ。のぼせあがるなよ、チャンコロ。おまえはひとに支配されたり命令されたりすることを喜ぶ民族やねんぞ、チャンコロ。おまえはロスケでイタコでチャンコロでニグロでプエルトリコで拓殖の民族やねんぞ、拓殖。わかっとんねんな、拓殖。わしは慶應やぞ。おまえとは民族が違うねんぞ、チャンコロっ! 民族の違いを忘れるな、階級の違いを忘れるな。チャンコロの分際でドイツ人と一緒やなんぞとのぼせあがってはならぬぞ、チャンコロ。神さまがお決めになった民族の違いを決して忘れてはならぬぞ。神さまがお決めになった階級の違いを変えようなどとはまかりまちがっても考えてはならぬぞ、チャンコロ。わかっとんねんな、プエルトリコ。わかっとんえんな、ニグロ!わしはドイツ人でアメリカ人で慶應やねんぞ、わ、し、はあ~ああ!」と毎日毎日私に言い続けた。
   私が小学生の時、父は「そんなもん、結婚相手みたいなもん、一流大学でて一流企業に勤めれば、『もろてくださ~い、うちの娘をどうかもろてくださ~い』と言うて次から次へと頼みにきおるわ」と言うていた。それを聞いて、私は天地がひっくり返っても、「一流大学をでて一流企業に勤める」ということだけは、お断りしたいと思った。天地がひっくり返っても、そういう女とだけは結婚させられたくないと思った。 20歳前後から20代になった時、東大の学生や卒業生と話をすると、そういう大学の名前や勤め先の名前だけで男性を評価するようなそんな女性は嫌だという人が多かった。 それに対して、慶應と早稲田の2つの大学の学生には、そういう女が大好きという男が多かった。慶應と早稲田という2つの大学は、そういうバカ女大好き男がうじゃうじゃいる大学だった。横浜市港北区箕輪町13 に日吉台学生ハイツというのがあった。防衛庁・自衛隊の関係者が運営していただけあって、館長その他、右翼のおっさん! て感じの人間がそろっていた。 慶應大に嫌々入らされた年、日吉台学生ハイツの食堂にいた時、少し離れた席に、桃山学院高校卒http://www.momoyamagakuin-h.ed.jp/ で慶應大商学部に入った I 上(男。当時、20歳)が、そいつの連れの慶大生の男2人と一緒に食事をしていた。 別に、聞き耳をたてたわけではないが、聴覚障害者ではないから聞こえたのだが、そいつらが何を言っていたかというと、そいつらはこういうことを言っていた。「慶應の学校の名前さえ出せば、女なんて、いくらでも手にはいる」と。それを聞いて別の男がこう言ったのだ。「一度、電車に乗って女子学生が乗っていたら、慶應の学生証を出して、『これが目に入らぬかあ』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」と、そういうことを言ったのだ。 なんて、程度の低いやつらだ。なんて、精神面の卑しいやつらだ、と思った。こんな連中と一緒の学校になんか、行かされたくないなあと思った。 小学校の1年から他の同級生が遊んでいる時も勉強して努力してきたのに、よりによって、こんなアホと一緒の大学に行かされることになるのか。俺の人生はいったい何だったのだ。こんなクズの男と同じ大学に行かされてしまうのか、とつくづく情けなくなった。
   ロシアの女性歌手 アーラ=プガチョーワが歌った「百万本のバラ」では、ある貧しい絵描きが女優に恋をする。貧しい絵描きは小さな家とキャンパス、他には何も持たない。すべてを売ってバラの花を買い、女優が泊まったホテルの窓の下に百万本のバラの花を敷きました・・・・。 ある朝、彼女は真っ赤なバラの海を見て、どこかのお金持ちがふざけたのかと思った。女優は別の街へ。お話はそれでおしまい。貧しい絵描きには百万本のバラの花の思いでが残った・・・・そういう歌について感じる感性なんて、「慶應の学校の名前さえ出せば、女なんて、いくらでも手にはいる」とか「一度、電車に乗って女子学生が乗っていたら、慶應の学生証を出して、『これが目に入らぬかあ』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」とか口にするような「慶應タイプ」のブタ人間には、みじんも存在しないことだろう。
※ 《YouTube-百万本のバラ アラ・ブガチョワ(ヒットの頃)》https://www.youtube.com/watch?v=zDjotWBFi4Y
↑の桃山学院高校卒の I 上と連れ2人の3人の会話を母にしたことがある。母はそれを聞いて、「わたし、そういう人、好き。だ~い好き~い!」と、そう言った。私は、そういう男は嫌いだが、母は大好きだったらしい。 「慶應タイプ」の人間は、「そういう人間の方が『社会で役に立つ』ねんぞお」と言うのだが、「社会で役に立つ」とかそういう文句は、実際に役に立ってから言ってもらいたいものだ。そして、「社会で役に立つ」か立たないか知らんが、どちらであっても、私は↑みたいな「慶應ボーイ」は大嫌いだ。あの3人、おそらく、私より出世して、私より高い給料を取っていることだろうから、結婚するなら私なんかと結婚するよりも女性にとっては幸せだろうけれども、それでも、私は↑みたいな男は嫌いだ。

   「一流大学」の経済学部かその系統に行って「一流企業」に勤めて、そういう「一流大学」→「一流企業」の男なら誰でもいいという女と結婚させられる、というのだけはなんとしても避けたい・・・と思ったが、留年したりしたことで、「一流企業」に勤めることはなくなったので、その点だけは良かった、ざまあみろ! と思ったのだが、ところが、父はそのくらいではへこたれなかった。不屈の精神の持ち主だった。 今度はこう言ったのだ。「世の中はやなあ、自分ではやらずにひとに命令したり号令かけたりするのが得意の人間と、自分で自分のことを決めずに命令されたり号令かけられてやるのがうれしい人間とがおるわけや。 世の中のためにはその2通りの人間がおらんといかんのや。天の神さまは大変賢明なお方であって、人間を生まれる時点でその2通りに分けてお造りになっておるわけや。 民族でも、ドイツ人とかアメリカ人は命令する民族。チャンコロは命令されたり号令かけられたりするのを喜ぶ民族。わしはドイツ人でアメリカ人やねん。そんでもって、あんたはチャンコロや。あんたはチャンコロやから、命令されたり号令かけられたりするのがうれしいねん」とそう言ったのだ。それに対して私は「私、うれしくないですけど」と、そう言ったのだが、「何を言うとんねん、何をお! おまえはチャンコロやねんぞ、チャンコロ。おまえはチャンコロやからやなあ、おまえは自分で自分のことを決めるのではなく、わしとかM川先生(父の親友の医者屋)とかのようなドイツ人に命令されて号令かけられてやるのがふさわしいんや。チャンコロ。心得違いを起こすなよ、チャンコロ。チャンコロは命令されるのがうれしいねんぞ、チャンコロ。チャンコロは号令かけられることに喜びを感じるねんぞ、チャンコロ」と毎日毎日、私の鼻の頭を指さしていったものだった。そして、父はこう言ったのだ。「結婚でもやなあ、あんたは、こういう女がええと思うたら、つきあう前にわしの所につれてきなさい。 そしたらやなあ、わしとかM川先生とかのドイツ人が、この相手とつきおうてええかどうか、決めてあげます。あかん時は『あかん』て言うたるから、そしたら、又、他の女を連れてきなさい。もしくは、何人かの女をわしの所に連れてきなさい。そしたら、その中から、こいつがええ~え! とわしが決めたるわ。わしのようなえらいえらい人間に決めてもらうのがあんたのためや。それがええ。そんでやなあ、あんたが連れてきた女にええのがおらんかったら、『みんな、あか~ん』と言うたるから、そしたら、あんたは、また、何人か、女を用意しなさい。そしたら、その中からわしが選んだるわ。 あんたは決める人間とは違うねんで、あんたは。心得違いを起こしたらいかんねんで。 わしとかM川先生とかいった特別にエライ人間が決めるものやねんで。分かっとんねんな、チャンコロ。心得違いを起こしたらいかんねんで、チャンコロ」と何度も何度も言うので、私はこう言ったのだ。「決めていりませんけど」と。
   又、父は「よもや、わしに無断で女とつきあうなんぞという思い上がった甘ったれたことをしてはおらんやろうなあ」と言ったのだ。 そして、「ええか。わかっとるか。この女とつきあいたいと思うことがあったら、つきあう前に、わしの所につれてきなさい。この女とつきおうてよろしいか、とこのわしにお伺いをたてなさい」と・・・・・。 一番、根本的な問題として、つきあって、この人と結婚しましょうということになったなら、「えっらいえっらいえっらいえっらいお父さん」であっても、「ダメ父」だか「カス親」だかにかかわらず、男が女の親にであれ、女が男の親にであれ、会いに行くと思うのだが、つきあってるわけでもない相手の親に、「つきあう前につれてきなさい」と言われたから会ってくれなんて言っても、言われても、「なんでやのお~ん?」と言わないか? 「なんでやのお~ん?」と思わないか?・・・毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらい、毎日毎日、こういうことを言われ続けて、そして、お嫁さんなんか、いらんわ・・・と思うようになってしまった。

   聖書の研究者で、中央公論社から『新約聖書』の翻訳を出している前田護郎さんは、大学に進学する時、聖書の研究者になりたいと思ったが、家族から反対されたらしい。『世界の名著 聖書』に前田護郎は書いている。
≪ 中学の4年になりまして、上の学校へ進む準備をはじめる頃でした。兄が大勢いたためでしょうか、小さい頃から学校というものが好きで、小学校がひけてから英語の講習へ通ったこともありまして、大きくなったら英語でも教えながら学校に勤めたいと思っていました。ところが、わたくしに多くを期待したのでしょうか、兄たちも皆 理科でしたので、家のものは不景気な文科に大反対でした。敏感な中学の先生はわたくしの様子がおかしいので、自殺のおそれがあると異例の自宅訪問までして考えてくれたほどです。聖書を少しばかり読んでいましたわたくしは、愛によって行動すればまちがいはないと思いまして、どうしても駄目なら1年待つことにしました。入学試験のとき、白紙を出しましてその足で本郷から上野公園へ散歩に行きました。学歴が傷つけられたように感じ、また、好きなところへ進んで行く友達がうらやましくもありました。英語の本を買うお金はもらえなくなりましたので、お弁当のパンを買うお金を二週間ためては神保町の本屋へ行って求め、夜おそくまで読んだものです。
   聖書の勉強に行くのも家のものがあまりいい顔をしないし、そのころ九時に開かれたデパートの屋上からだんだんにおりて来て、お客の送迎用に東京駅と連絡していた無料バスに乗って海上ビルにあった塚本虎二先生の聖書研究会に出席したものでした。
   暗い1年でしたが、聖書を読んだおかげでどうやら過ごすことができました。そのうち、高等師範学校(東京教育大学の前身)は授業料がいらず、月25円の奨学金をもらって住込みの家庭教師をすれば卒業できることを知りまして、決心を固めました。中学校の野外演習で習志野へ行くとき、遺書のようなものを書いていきましたので、父もとうとう希望をかなえてくれまして、高校の文科から大学へ進むことになりました。
   高等学校(旧制)に入りまして本郷で寮生活をしました。この学校で三谷隆正先生に接して聖書についてのいろいろなお教えを受けたことを今も感謝しています。・・・・・
   左翼のまじめな人々のほうが、その日その日をいい加減に過ごしていく連中よりずっと尊敬に値すると思うとともに、自分も、苦しみ悲しむ人たちのためにつくす点で彼らに負けてはならない、そして机に向かっていることが学生としてのわたくしにとっては一番いい準備であるし、それ以外ではありえないという慰めも与えられていました。・・・・・
   志望の学問ができるよろこびに満たされましたが、勉強は苦しいものでした。高等学校の1年のときからアテネ・フランセの夜学に通いましたが、その校長のコット先生がすぐれた古典学者でしたので、のちにラテン、ギリシア語のきびしい個人教授を受けることができました。月謝なんていらない、本は皆買ってあげるとまでいわれまして、感激しながら勉強しました。ドイツ語は上智大学の夜学や外国語学校(東京外国語大学の前身)の夏期講習で習いました。勉強があまり大変でしたのと、二・二六事件や日支事変が相次いでおこりましたので、自分の無力と暗い世相に失望して無暗やみに閉ざされることもありましたが、聖書のことばに励まされ、大きな存在に仕えつつあるというさいわいがいつも支えてくれたと思います。・・・≫
( 前田護郎『聖書の思想と歴史』「聖書との出会い」 『世界の名著 聖書』1978.9.20. 中公バックス 所収)
   実は、私も↑の前田護郎さんと同じことをやったことがあるのです。高校3年の1月の終わり、父が「練習のために、早稲田か慶應を受けたらどうや。あくまで練習のために」と執拗に言い、「今は少しでも学習時間が欲しいから、行くつもりのない大学を受けることに時間を費やしたくない」と言っても、「練習のために。あくまでも練習のために」とあまりにもしつこかったので、ともかく、受ければそれで気がすむのなら、このおっさんを相手にしている労力を省けるなら受ければいいと思って早稲田大に願書を出したところ、願書を出したと思うと、「そりぁ、あんた、早稲田は通ったら、当然、行くべきやでえ。当然のことや」などと言い出したので、はあ? 何、それ? と思いました。願書を出す前に、「早稲田を受けて、通ったら言ったらどうか」と言うなら、「何をバカなこと言ってんの」と返答したでしょう。私がそう答えると思ったから、だから、父は「あくまでも練習のために受けたらどうや」と言って願書を出させて、願書を出したと思うと、「早稲田は通ったら、当然、行くべきやでえ」などと言い出したのです。いくらなんでも、そんなおかしなことする親があるか? とその時は思ったが、今から考えると、あのおっさんはもともとそういうおっさんやった・・と思います。
   小学校の1年の夏休み、父の会社の人たちが社員旅行で小豆島に2泊3日で行くのに一緒に連れていってもらった。母は大きな水筒を高校生だった姉に持たせたのと別に、小学校の1年の私に私個人用に小さな鉄腕アトムの絵の描いた水筒を持たせた。ところが、帰りに旅館を出る時、姉が「旅館の人に水筒にお茶を入れてもらおう」と黙って入れてもらえばいいのにわざわざ口にだしたものですから、父の勤め先のある男性従業員が「お茶なんか、要らん。入れてもらわなくていい」と言い、そう言われて姉は「それなら、〇〇ちゃんの水筒にだけ入れてもらうようにしよう」と言って私個人用の水筒にだけお茶を入れてもらいました。その旅行中、会社の人たちには親切にしてもらい、男性従業員の人には海で泳ぐときに肩車をしてもらったり、女性従業員のお姉さんには一緒に花火をしてもらったりしてうれしかった。しかし、その男性従業員の人は、高校生の姉が自分たち用の水筒にお茶を入れてもらおうというのを、なんで、他人が「お茶なんか入れてもらわなくていい」などと言ったのか。それは出過ぎたことだ。小豆島から大阪の弁天埠頭までのフェリーボートの中で、「ちょっと、お茶もらえる」と言って私が持っていた水筒からお茶を欲しがる人がいて、私はその旅行中、一緒に遊んでもらった人なので、喜んでお茶を分けました。ところが、それを見て、父が「それ、貸してんか」と言って私の個人用の小さな水筒を持って行き、「配給、配給。お茶の配給」と言って、特にお茶が欲しいと言っていたわけでもない人にまで私に個人用の水筒からお茶を入れてまわりました。子供が肩からさげていた子供用の水筒のお茶なんて、そういうことをするとすぐになくなります。私が「お茶が欲しい」と言った時には、私の水筒のお茶は1滴も残っていませんでした。父は「売店でジュース、こうたる」と言って船の売店に連れて行きましたが、小豆島から弁天埠頭まではそれほど遠くないからか、売店は閉まっていました。「弁天埠頭についたらこうたる。弁天埠頭まで我慢しなさい」と父は言いましたので、弁天埠頭についたらジュースを買ってもらえるものと思って我慢したところ、弁天埠頭に着くと父は「バスきてる、バスきてる。弁天町の駅に着いたらこうたる」と言って我慢させましたが、弁天町の駅にバスが着くと、「環状線のプラットホームの売店でこうたる」と言い、大阪環状線の弁天町の駅のプラットホームに行くと、「電車きた、電車きた。天王寺の駅に着いたらこうたる」と父は言い、そして、天王寺の駅に着くと、今度は「阪和線の電車きてる、電車きてる。南田辺の駅についたらこうたる」と言うのでした。天王寺駅は、最近では特急は新大阪か京都から天王寺を経て和歌山・南紀方面に行き、快速は京橋から環状線をまわって大阪駅を経て環状線の西側を通って天王寺から和歌山方面に行きますが、その頃は、特急も急行も快速も普通もすべてが天王寺駅始発でしたので、天王寺駅には常に「電車きてる」のでしたが、「電車きてる」状態でも櫛型ホームのターミナル駅ですからなかなか発車しません。乗った阪和線の各停もなかなかでないので、「まだしばらくでないから」と言っても、父は「もうでる。もうすぐに出る」と言い続けるのです。やあっと発車して2つ目の駅の南田辺駅に着き、もう、ここからは家まで歩くだけなので、「電車きてる」もなければ「バス、来てる」もない、今度こそ、ジュース買ってもらえると思ったところ、父はこう言った。「もうすぐ、家です。もうすぐ、家」と。なんで、あんなことするかなあ~あ・・と思いました。いったい、おっさんは何をしたかったのか。ジュース代がもったいなかったというなら、それはあたりません。「ジュースこうたる」というのは父が言い出したことで、私はジュースを飲みたいとは一言も言ってない。その頃は駅のトイレも上水道の水が出ていましたから、「便所の水」でもよかったのです。のどがカラカラにかわいて脱水症状の状態だったので、水でも何でもいいから飲みたかったのですが、そういうことをやらないと気がすまないおっさんでした。
   それと行動パターンは同じです。高校3年の初め、自分が「東大なり京大なりに行こうとするなら、1年なら浪人はするべきや」と私が言ったのではなく父が言ったのです。だから、その方針で進めていたのに、「あくまでも、練習として」と言って早稲田大に願書を出させて、願書を出したと思うと「早稲田は通ったら行くべきやで、あんた」などと言い出す。おっさんの行動パターンは変わりません。

  通ったら行かされてしまうと思って白紙で出してきたから、通るわけはなかったのだが、母は「東大はまだしも、なんで、早稲田まで落ちるんや」と言っていたが、これは2つの理由で間違っている。
  東大なり京大なりに行こうとする人間は「早稲田みたいなもん」とか思っていると思うが、早稲田の試験科目は京大などの半分もないのであり(今も私が受けた頃と試験制度が一緒かどうかは知らんで)、何科目も勉強してきた人間は、白紙で出さなくても、早稲田には落ちるということは「あること」だった。 そして、なにより、白紙で出してきたのだから、通ってるわけないのだ。本人が納得できない所をだまして受けさせるというようなことはやめた方がいい、と親ならわかってくれてもよさそうとその時の私は思ったのだが、わかる親ではなかった。

   白紙で出して、これで早稲田に行かされなくてすむと思ったが、片方で、白紙で出すというのはそれはそれでショックだった。その帰り、目の前に神社があったので何気なく寄ってみたのが穴八幡宮だったが、その頃とは建物も変わり雰囲気は大きく変わった。そして、正月は人が多くてその頃を思い出せる状態ではなかった。前田護郎さんは白紙で出すなどした後、家族の理解を得て学びたいものを学べたが、私は同じことをしても理解してもらえなかった。
  (2018.1.6.)


☆ 穴八幡宮 参拝
1.亀の沓石の鳥居。門、社殿。イヌの年。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_2.html
2.行きたくない大学を騙されて受けさせられた体験談 〔今回〕
3.家賃滞納をどう対処? 不要な仏壇の処理。高齢者の混雑時、急階段の神社参拝は危険。http://tetsukenrumba.at.webry.info/201801/article_4.html 

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