なんだ、あれは! 早稲田大29号館/なんで、ドバカ私大の建築学科なんて行くの?そんな人が高校行くの?

[第346回]
   早稲田大学信愛学舎や早稲田奉仕園のあたりから早稲田通りに出てきて通りの向こうを見ると・・・、
なんだ、あれは!!! ・・・・↓
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・・・建築は、爆発だあ!!! ⇒《YouTube―「芸術は爆発だ!」「何だ、これは!」  岡本太郎は何者? 2/2 》https://www.youtube.com/watch?v=G9I1hEzv6Hk  ・・・・なんてことはないが、やっぱり、建築探偵団としては、普通に道を歩いていて、「なんだ、あれは!」と思ったものに注目してみるべきものだと思うのだ。
   「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか自称する連中が建築を見学する場合は、たいていが、『建築史』とか『現代建築論』とかそういう名前の本に載っている建築、2級建築士の受験テキストに載っている建築とか、もしくは、「有名建築家」と言われる人の作品を、ピンポイントで見に行き、そして、一生懸命、ほめるのだ。 バッカじゃなかろかルンバ♪ と私などは思うのだが、「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか自称しだしたヤツてのは、そうなのだ。

    日本の私立三流以下大学の建築学科とか、建築の専門学校とかを卒業すると、「権威主義的パーソナリティー」を身につけるのか、「権威主義的人間」になってしまうのか。 わざわざ、そういう「教育」をやっているのか。 実際問題として、ぶっ壊した方が日本の国民と日本の社会のためではないかと思えるような「建築学科」とか建築の「専門学校」が少なからずあるように思う。

    とりあえず、↑の「なんだ、あれは!!!」の建物を見てみよう♪ ↓
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( ↑ クリックすると大きくなるので、大きくして見てください。)
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    ↑ これは何の建物か、近づいて見てみると、↓
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↑ 「早稲田大学29号館」らしい。↑ (最寄駅は、東京メトロ東西線「早稲田」)

    外側に縦に並んでいるブラインドみたいのは、あれは何だろう。六本木の国立新美術館でも、透明なキャタピラみたいのが外部についていて、今、新美術館で撮ってきた写真を見返すと、国立新美術館の場合は、そのキャタピラみたいのは縦についていたのが、ここの早稲田大学29号館では横についているという違いがあるのだが、単にデザインとしてつけたものなのか、太陽光を和らげる目的なのか。
※ 国立 新美術館の「キャタピラ」については、
[第330回]《国立新美術館と「安藤忠雄展」【3/6】逆円錐形の内部。サロンデトロンド。ワイヤーとオーバーハング》http://tetsukenrumba.at.webry.info/201711/article_9.html
    しかし、↑の写真を見ると、窓の内側にもカーテンがかかっているし、太陽光線を和らげるのが目的なら必要なさそうな場所にもついている。 新国立美術館の場合、横桟なので・・・・「なんか、埃たまりそう」て感じがしないでもないが、この早稲田大学29号館の場合は縦桟なので、その点、埃はたまりにくいかもしれないが、それにしても、掃除すんの、めんどくさそう・・・て感じ。
    一番の問題として、こういう大規模建築の設計する人って、それをメンテナンスする人とか清掃する人の安全性のことなんて、ほとんど考えてないでしょ。ね。 私、1980年代前半、大阪府吹田市のエキスポランドのジェットコースターのペンキ塗装の手伝いの仕事をアルバイトでやって、丸太を2本かついで、ジェットコースターの脇のメンテナンス用の歩道を歩いて一番高い所まで持って行ったことがありますが、怖かったこと怖かったこと。ジェットコースターの線路の脇の片側に金網でできたメンテナンス用の歩道はあることはあるのですが、幅は狭いし、線路と逆側に手摺があることはあるけれども、ジェットコースターに乗っている人の視界を妨げないようにということで、手摺の高さはごく低い高さしかないのです。 本当に怖かった。そういう体験て、「建築家」とか称する人ってしないでしょ。自分は設計するだけで、危険な思いをしてメンテナンスしたり清掃したりするのは別の人間でしょ。 「世界の◇◇」とか「世界的建築家」とか言われる人って、そういうおえらい人だから、自分はメンテナンスや清掃する仕事についてる人間が死のうが半身不随になろうが知ったことか、みたいな態度でしょ。 そこが気に入らないのよ、「建築家」のそこが!

   2005年、「はなの舞」「花の舞」「炎」「チムニー」「知夢仁(ちむにい)」などの居酒屋をチェーン展開するチムニー(株)https://www.chimney.co.jp/ の建設部におりました時、同社の店舗の設計をしていた「デザイナー」の (おっさん+にーちゃん)÷2 と話しておりました時、どうも、日本の建築については、「有名建築家」という人が先に指定されていて、そういう人が設計した建物が「名建築」と決められるようなところがあるが、それはおかしいのではないか、「有名建築家」が設計した建物であれ「フツーの人」が設計した建物であれ、いいものはいい、良くないものは良くないという評価がされるべきではないのか、ということを私は言うつもりで、私自身が、建築前・建築中・完成後の3時期にその前を通りもすれば完成後に利用もしてきた慶應大学日吉新図書館について、「東京大学の建築学科を卒業されて、慶應大学で教えておられる槇文彦先生が設計なさった」ということで「名建築」ということになっているけれども、使ってみて、そんなにいいとは思わなかった、「フツーの人」が設計した「フツーの建物」の図書館の方がいいと思うものがある・・・と言うつもりで、「たとえば、日吉の慶應の新図書館にしても」と言いかけたところ、その「デザイナー」のおっさん、「年収1000万円超プレーヤー」というおっさん、「ヒゲのおっさん」が、「ああ~あ、槇文彦設計の慶應日吉図書館ですねえ~え」と声まで変わって言い出したので、驚いた、ということがあった。何、この人・・・と思ったのだ。なんだか、「有名建築家 槇文彦」という名前を出されると、「パブロフの犬」みたいに条件反射して、一生懸命、ヨイショしだす! なんだかなあ~あ・・・・・。 何と言いましょうか、バッカじゃなかろかルンバ♪ て感じ。
   そのおっさんについては、他にも、チムニー(株)の「はなの舞」の新店舗が完成した際、松丸太の古材を壁面に縦にして飾りにとりつけてあったものがあったので、私が「あれは変ですね。あれは、梁として使用して、曲がったでっぱった方を上、凸になるようにかけることで、上から荷重がかかった時に持ちこたえるように使ってきたものですから、それを柱のように建てるというのは、あれはちょっとおかしいですね」と言ったのに対して、「いや、曲がっているのがいいんですよ、あれはあ」とそう言ったのだ。 だめだ、このおっさんは! と思いました。 木造の構造がまったくわかっていない! チムニー(株)の「デザイナー」「1000万円超プレーヤー」は。 その居酒屋は鉄筋コンクリート造か鉄骨造の建物の1区画を借りたもので、内装を古民家風・貫式木造風にしつらえたものでも、あくまでも内装のしつらえであって、貫式木造風で実際に支えているわけではないとしても、実際の木造の建物でありえないような使い方を内装にしているというのは、それは、いくらかなりとも木造の構造について理解している人間から見れば、こっけいでしかない、ここの設計担当者は何もわかってないなと思うだけ! 建築の仕事についていない人間でも、今も「古民家」に住んでいる人も「地方」にはいるわけで、そういう人からすれば、「なんだべ、これ」と思うだけ! そういうものを、「この曲がっているのがいいんですよお~お」て、アホちゃうか、「デザイナー」「1000万円超プレーヤー」って、と思った。 鉄骨造・鉄筋コンクリート造の建物の内部を「古民家風」「貫式木造風」にしつらえた飲食店というのは、けっこうあります。 しかし、例えば、船橋市の私が住んでいる所の近くにある「まるは食堂」というラーメン屋では、継手・仕口の加工が残っている古材を室内に組んだりしていますが、梁として使っていたものは内装の飾りとしても梁として使用しており、「はなの舞」みたいに、梁として使っていた松丸太を縦に柱みたいにして取り付けたりはしていません。神田神保町の名曲喫茶「さぼうる」だったか「さぼうる2」だったかでも、室内に木造風に木組みを意匠として入れていますが、梁として使っていた松丸太を縦に柱みたいに入れるなどというへんてこりんなことはしていません。私は、「民家風」「木造風」のしつらえの飲食店に入るたびに、そのあたりを気を付けて見てきたのですが、梁として使用されていた松丸太の古材を縦に柱みたいに入れていた店舗は「はなの舞」以外では見たことがない。「それがいいんですよお、それがあ」とかいう発想はわけがわからん! 「デザイナー」てのは、「1000万円超プレーヤー」てのは、私なんかとは発想が違うということだろうか・・・・・。頭のできが違うのかしらん・・・・。
    「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか自称する連中てのは、「嘘でも百回言えば真実」みたいに「建築家」「デザイナー」とか叫べば「ひとは言うことをきく」みたいに思っているようで、真っ赤な羽根つきの暴走族みたいなスポーツカーに乗ったら「建築家」、ラーメン屋みたいにヒゲはやしたら「建築家」、大久保清みたいなかわった服装すれば「建築家」とか、なんだか、そんなこと思ってるみたいなしょーもないヤツが多いように思うが、馬鹿げている。 三井ホーム(株)http://www.mitsuihome.co.jp/#navGlobal07 は、いまだに、「建築家とインテリアコーディネーターが作る家」とかいうコピーを使用しているみたいで、そのコピーを真似て「建築家のつくる家」と名刺にすりこんで「売り」になると思ってる「三井ホームで設計やってた設計事務所のおっさん」てのがいるようだが、「世界の丹下」とか「世界的建築家」とかそういう人の設計したような家というのが住みやすいかどうかというと、あんまりなあ~あ・・・という印象を私などは受けているのだが、それはさておき、三井ホーム(株)に頼むと、そんな感じの「世界的建築家」が自分の家の設計を担当してくれるのかな・・・とか思いそうになるが、実際に担当するのは、なんか、態度ばっかりでかい偏屈を自慢にしてるみたいな「そのへんの設計事務所のおっさん」だ! て、もしかして、三井ホームがいいと思う人って、知らんのかなあ~あ・・・・、なんだか、「バッカじゃなかろかルンバ♪」て思うのだけど・・・・・。

    やっぱり、「デザイナー」とか「建築家」とか「いっきゅうけんちくしい~い」とか称する連中のように、「有名建築家」の設計によるものだと言われると、「有名建築家」の名前を聞くと、「パブロフの犬」みたいに一生懸命ヨイショしようとする! という連中は本来の建築学徒ではないと思うのだ。そうではなく、本来の建築学徒なら、普通に道を歩いていても、「あれは何だ!」と思うと、寄って行って見学・検分したくなる♪ それが建築学徒だと思うのだ。「槇文彦設計の」と言われると、「ああ~あ、槇文彦設計の慶應日吉図書館ですねえ~え」と声まで変わってしまうが、「フツーの人」の設計だと完全に無視する! というのは、それは本来の建築学徒の姿勢ではないと思うのだ。そう思いませんか?

    早稲田大学は、法学部・政治経済学部・商学部・文学部は、1970年代後半から1980年代にかけて、英語・国語と社会科が日本史か世界史のどちらか1科目の3科目で受けることができる大学学部で、京大の法学部・経済学部・文学部・教育学部なら、英語、国語、数学1・2B、理科2科目(物理1・化学1・生物1・地学1より選択)、社会科2科目(日本史・世界史・政治経済などから選択)とそれだけ勉強しなければならなかった京大などの受験生からすると、早稲田大を第一に考えて受験していた受験生というのは、半分未満の科目しか学習しなくてもよかったことになるので、私などから見ると、「カタワの大学」みたいな印象があったが、理工学部もまた、数学1・2B・3、英語、理科は物理1・2、化学1・2の2科目と国語もなし、社会科もなしで受けることができたので、こちらもまた、「カタワの大学」という印象があったが、それだけに、京大・東大・阪大など国立大学を第一に考えていた受験生が落ちることがある大学だった。京大や東大あたりを目指す学生からすると、「早稲田みたいなもお~ん」という印象があるのだが、「みたいなもお~ん」だから簡単に通るのかというとそうではない。早稲田は法学部・政治経済学部・商学部・文学部だけでなく、理工学部もまた国立大学を志向する受験生はけっこう落ちる大学だった。 早稲田大学を「私学の東大」と言ったりするのに対して、慶應大はあまりそういうことを言わないというのは、それは早稲田大の方が慶應大よりも評価が高いのかというと、そういうことでもなく、「私学の東大」という表現は、半分はほめ言葉だが、半分はけなし言葉らしい。「私学のくせして、東大の後ばっかり追いかける大学だ」という意味でのけなし言葉でもあったらしいのだ。1970年代後半から1980年前後の頃、慶應大の方が、受験科目に法学部でも経済学部でも商学部でも文学部でも数学があり、国立大学を第一に考えていた受験生が併願するには早稲田大よりも受けやすかったのだが、入学すると、早稲田大の方が「私学の東大」という半分はほめ言葉で半分はけなし言葉みたいなところがあったことから、違和感は感じなかったかもしれない。
    親戚のおっさんで、日大の建築学科卒の人がいて、「日大、日大と言うけれども、建築学科は私学の中では一番歴史があるんだぞ」と言っていた人がいたのだが、それは正確ではなく、私学の建築学科で一番古いのは早稲田大の建築学科で、その次が、なんと、日大の建築学科のはずだ。だから、「日大、日大と言うけれど」、建築学科については、日大の建築学科はけっこう歴史が古いのだ。杉山英男『地震と木造住宅』(丸善)によると、明治の終わりにおいては、日本の大学で建築学科があったのは、東大と京大と早稲田大だけで、大正においても、東大と京大と東京工大と早稲田大と日大だけだった・・・らしい。だから、「日大、日大と言うけれども」建築学科については、けっこう由緒あるわけだ。もっとも、今、阪大なり神戸大なり名古屋大なり九州大なり千葉大なりの建築学科と日大の建築学科の両方通ったとして、日大の方が歴史があるから日大に行くかというと・・・、まあ、行かないとは思うが。よくわからんのが、慶應大は古くからある大学なのだが、いまだに建築学科がないらしい。 1980年前後の頃、慶應大は工学部→理工学部は、学科ごとではなく工学部→理工学部として募集して3年に進級する時に学科に分かれていたが、古くからある総合大学なので、建築学科くらいあるだろうと思って入学してから、「ええ? 建築学科ないんですかあ?」とかびっくりするヤツがいたのだが、受ける前にそのあたりはよく調べてからにした方がいいだろう。 今、藤沢に新しくできた学部に建築学科ではないが、いくらか似たようなものができたみたいだが、なんで、建築学科を作らんのか、ようわからん。

    国立大学の場合は、法学部・経済学部でも文学部でも工学部でも理学部でも医学部でも薬学部でも、学費は一緒。医学部・歯学部は6年間行く必要があるので、その分、費用はかかるかもしれないが、1年あたりの学費は一緒。工学部の場合、会社に勤めるにしても、研究所のような所に勤めたいと思うと、大学院の修士を出ていることが求められることが多いという話もある。北野高校から京大の建築学科に行って竹中工務店の設計室に就職した人から聞いた話では、竹中工務店の設計室というのは、京大の建築学科でも大学院の修士課程卒でないと入れない場合が多いが、その人の場合はゼミの先生が学部卒でも入れるように話を通してくれたらしく、学部卒で竹中工務店の設計室に入ったそうだった。工学部でも、せっかく京大などの大学の工学部に行ったからには、卒業後もそれに見合う仕事につきたいと思うものだから、大学院の修士くらいは行きたいと思うのではないか。そうなると、結局、学部4年+修士課程2年=6年 で、医学部・歯学部と変わらないことになる。私の場合は、私が小学生や中学生の頃、母が「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けるようにと思って、それで、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言い続けたので、そういうものなのだろうと思いこんでしまって、それで必死に勉強して、そして、だまされた。実際に大学に行く時になると、父は「おまえはチャンコロやねんぞ、チャンコロ。わしはドイツ人やぞ、ドイツ人。民族の違いを忘れてはならぬぞ、チャンコロ。ドイツ人は自分ではやらずにひとがやることを決める民族。チャンコロは自分のことを決めずに、ひとから決められたことを決められたとお~り、やるのを喜ぶ民族。喜べ喜べ、チャンコロ」と言い、「子供を女が産んだなどと思うてはならぬぞ、チャンコロ。女のおかげで生まれたのとは違うねんぞ、チャンコロ。 女に感謝するのとは違うねんぞ、チャンコロ。女は単なる畑であってやなあ、畑に種を植えてやってやってあげてあげていただいてもらってくださってあげてやってやってあげてくださっていただいてあげてやってやってくださったありがたいお方のおかげで生まれることができてんぞ。心得違いを起こしてはならぬぞ、チャンコロ。茄子でも胡瓜でもそうやろ。そんでもってやなあ、いったん、生まれたら、育てるのは畑の役目じゃ。畑が育てて、そんでもって大きくなって実を結ぶようになったら、その実に対しては種を植えた者に権利があるんじゃ。畑に権利があるんやないねん。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわけがない。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、茄子!」と言い出したのだ。「わしの権利じゃ、わしの権利じゃ」と。母は「この子は、老後の対策のために産んだ子供やから、老後の対策に役立たんようなことなんて、何ひとつとしてさせてたまるかあ~あ」と言った。 だから、「会社のためにささげ尽く~す。とってちってたあ~あ」の学部しか行かせてもらえる可能性はなかったのだ。 騙された、失敗した、と思ったが後の祭りだった。
   1990年、小堀住研(株)〔→エスバイエル(株)→(株)ヤマダエスバイエルホームhttp://www.sxl.co.jp/ 〕の東京都目黒区の自由が丘営業所(展示場)で営業課長にならせてもらっていた高橋賢一郎は、東京電機大学https://www.dendai.ac.jp/ というよくわからん私立大学の建築学科卒だった。私が高校3年の時、父は「東大に行くというなら、東京で下宿してでも行くべきやと思う」と言っていた。又、「下宿するなら、東京で下宿するのも京都で下宿するのも、かかる費用は一緒や」と言っていた。そして、「東大か、そうでなければ、早稲田か慶應にでも行くのなら、東京で下宿して大学に行くのもわかるし、その価値はあるけれども、わけのわからん私立大学に行くのに東京で下宿してまで大学に行く必要あらへん。しょーもない私立大学なら大阪にでもある。しょーもない私立大学に行くのなら、下宿しなくても家から通える学校に行くべきや」と、そう言っていた。私もそういうものだと思っていた。その基準からいくと、福島県の会津地方の出身だという高橋は、なんで、東京電機大学なんてわけのわからん私立大学に、わざわざ、東京で下宿してまで行くのか? わけわからん。東大にでも行くのなら、東京で下宿して大学に行くというのもわからないことはない。東大でなくても、せめて、東京工大とか慶應大・早稲田大なら東京で下宿して行くというのはわからんことはない。しかし、東京電機大学なんて、「そんな学校、あったあ~ん?」て感じの学校に行くのに、わざわざ、下宿してまで行く必要があるとは思えない。高橋の家というのは、よっぽど、金持ちだったんだなあ~あ・・・と思ったら、高橋が言うには、父親はラーメン屋で、かつ、若い頃に両親は離婚したというのだ。ラーメン屋って、儲かるんだねえ・・・・、知らなかった。又、子供がまだ小さい頃に離婚した人って、金持ちなんだねえ、知らなかった。
   私は、東大の理科1類(建築学科なら、理科1類か2類のうち、主として1類から進む)に通ったか、京大の工学部建築学科に通ったか、というと、それは受けていないからわからないし、東大・京大でなくても阪大でも神戸大でも、ともかく、ある程度てごわい所に行こうとしたならば、「絶対に通る」などというものは、ない! しかし、「ともかくも、国立大学であれば」というくらいの条件ならば、「合格できる可能性が低くない」という建築学科のある大学はあった。しかし、私の父はこう言ったのだ。「うちは、工学部なんか、行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と。私は言った。「国立大学なら、工学部でも法学部や経済学部や文学部でも学費は一緒のはずや」と。 母はこう言ったのだ。「何を甘ったれたこと言ってますのん。国立大学なら、工学部でも法学部や経済学部と一緒の学費でも、100%絶対に国立大学に通るとは限らないでしょうが。落ちる可能性だって絶対にないとは言えないでしょうが。絶対に落ちる可能性はないと言えない以上は、工学部なんて受けたらいかんでしょうがあ。甘ったれなさんな」と。そして、「ドイツ人」の父はこう言ったのだ。「てってこっこ、てってて♪ てってこっこてってて♪ てってこっこてっててって、らったらったらったらあ~あ! 撃ちてしやまん。一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは! とってちってたあ~あ! すべてを会社のために、ささげ尽く~す! すべてを親こっこっこのために、ささげ尽く~す! とってちってたあ~あ!」と。だから、我が家では、経済学部・商学部以外の学部に行くということは、天地がひっくり返っても不可能なことだったのだ。それがわかっておれば、小学校の1年から同級生が遊んでいる時も必死で勉強したりなんぞしなかったのだが、騙された・・・が、後の祭りだった。母は「あんたが働いてお金を稼いだら、それは親のものでしょうがあ」と言うのだった。「親があんたを生んで育ててやったから、あんたの体があるんでしょうがあ。だから、あんたの体は親の物でしょうがあ。親に所有権がある体が働いてお金を稼いだら、そのお金は所有権のある者も物でしょうがあ。甘ったれなさんな、あんたはあ」と。なんだか、子供というのは、鵜飼いの鵜みたいだな・・と思った・・・が、周囲を見ると、そう親から言われた息子・娘ばかりかというと、どうも、我が家以外はそうではないようだった・・が、我が家はそういう家だった。私は、東大の工学部建築学科に行けたか、京大の工学部建築学科に行けたか、あるいは、早稲田大の理工学部建築学科に行けたかというと、それはわからないが、しかし、「ともかく、国立大学でさえあれば」というくらいの条件なら、「行ける可能性が低くない」所はあったはずだ・・・が、それでも、「うちは工学部なんか、行かすような金持とは違います」ということだった。又、北野高校から京大の工学部に行った人で工学部の大学院に行く人もあったが、「うちは大学院になんか行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな。とってちってたあ~あ!」ということだった。東京電機大学なんて、そんな学校、行きたいなんぞと思ったことはないが、受けたなら間違いなく通っただろう。そんな氏名と受験番号さえ書けば合格できるような「大学」なんて行きたいとも思わなかったが、もしも、行きたいなんぞと言おうものなら、「ふざけんな」と言われるのがオチであったし、行きたいだの受けたいだのなんて、とても、言い出せるものではなかった。 それに対して、1990年、小堀住研(株)の自由が丘営業所(展示場)に営業課長としていたデブの高橋(男。当時、30代なかば)は、会津の人間なのに、東京で下宿してまで、東京電機大学なんてわけのわからん「大学」に行ったのだった。建築学科に。福島県にも国立の福島大学があるし、「私立大学では早稲田の次に歴史がある」日大の建築学科も郡山にある。(もっとも、日大には、建築学科が、福島県郡山市の工学部建築学科と、千葉県にある理工学部建築学科と生産工学部建築学科と3つあるので、「私学では早稲田の次に歴史がある」というのは、その3つのうちのどれのことなのか、よくわからんが。) 私なんぞは、「ともかく、国立大学で」というくらいの条件なら、「合格できる可能性が低くない」建築学科はあったのだが、それでも、「うちは、工学部なんて行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」とされたのだが、高橋の場合は、会津の人間で、東京電機大学なんてわけのわからん「大学」しか合格できないような人間なのに、それでも、東京で下宿してまで行かせてもらえるというのは、相当の大金持ちだったと考えるしかないが、家はどういう仕事をしていた家庭なのかというと、ラーメン屋だった! というのだから、ラーメン屋というのは、相当儲かるということだ。両親は早いうちに離婚したという話だったので、両親が離婚した人というのは金持ちなんだ。 北野高校の2年の時の担任だった旧姓S野礼子(女。当時、20代。北野高校→神戸大文学部卒)は、なにかと「私は両親が離婚したから」と言うのが得意技で、「両親が離婚したから」というのが何よりも自慢の女だった。「両親が離婚した」なんて、そんなもの、自慢するものだろうか・・・とも思うが、何よりもそれが「売り」だったのだ。1970年代後半、「私なんかは、両親が離婚したから、だから、浪人なんて、考えられなかったわ」と、1浪中の私に言ったのだが、もし、私が高校の教諭なら、浪人中の人間にそんなことは言わないな。高校生に言うのならわかるが、すでに浪人中の人間に言うのなら、「浪人してしまったのは、今さらどうもならないことだけれども、2浪はしないですむように、頑張って通ろうな」とでも言うべきもので、私なんかは浪人なんかさせてもらえなかったのに、あんたは浪人してからにと、すでに浪人してしまった人間を責めてもしかたがないことだと思う・・・のだが、旧姓S野礼子という女はそういう女だった。旧姓S野は「両親が離婚したから」、だから、自分は浪人なんかさせてもらえなかった・・・という方向に話を持って行くのだったが、その理屈から行くと、「両親が離婚した」人というのは、家計が裕福ではないから、大学は現役で・国公立の大学に行くものだ、ということになるのだが・・・・、それにしては、「両親が離婚した」高橋賢一郎は、会津の人間なのに、東京電機大学なんてわけの分からん大学の建築学科に、なぜか、東京で下宿してまで行ったのだった。なんで? なんでやのん? なんでえ? 摩訶不思議! 理解不能! まったく、わけわからん!・・・・もしかして、「両親が離婚した」人というのは、それだけ、家計が苦しいというのはウソで、実は「両親が離婚した」人というのは大金持ちだったのではないか!?!?! そうとしか考えられない。国立大学の場合は工学部でも法学部・経済学部と学費は変わらないし、大学院に行くとかでなければ、医学部・歯学部と違って4年で卒業できるが、私立大学の場合は、工学部は法学部・経済学部・文学部よりもずっと高い! それを、わざわざ、会津の人間なのに、東京で下宿してからに、しかも、早稲田大の建築学科にでも行くというのならまだしも、東京電機大学なんて受験番号と氏名さえ書けば誰でも合格できるという「大学」に行くなんて、理解不能!!! なんで、そんなもん、行くのか? やっぱり、「両親が離婚した」人というのは、金持ちだったんだ。北野高校の教諭だった旧姓S野はウソつきだったんだ!!! そうとしか考えられない。
   私の認識からすると、東京電機大学なんて、そんなわけのわからん学校に行くようなヤツなんて、高校行くなよ! と思うのだ。私が浪人中、父は「高校は義務教育じゃないんやから、おまえは高校に行くべきではなかったんじゃ。そやのにからに、おまえは高校に行きやがってからに。おまえは高校に行くべきではなかってんぞ、おまえは。おまえは高校に行ったのじゃ余計じゃ、おまえは。」と毎日毎日、何度も何度も言ったものだった。私は毎日毎日、父から言われ続けたものだった。父がそう言うようになったのは、父の親友の医者屋のM川から言われて言い出したのだが、M川が私に言ったのは「高校は義務教育じゃないんだから、きみなんかは高校に行く必要ない人間じゃ。きみなんかは中学校でてすぐに働くべきやのにからに高校に行ったのは余計じゃ。甘ったれておるから高校に行ったんじゃ。ましてや、きみなんか、大学なんて行かなくていいんじゃ」と、そう言ったのだ。父はそう言われて、「そうや。その通りや。おまえみたいなもん、高校行かんでええんじゃ。おまえは高校に行ったのは余計なんじゃ。高校は義務教育じゃないんやから、行かせてやる必要はないんじゃ。それをわしがえらいからおまえを高校に行かせてやってやってやってやったんじゃが、行かせる必要はなかった。おまえは高校行くことないんじゃ。おまえは中学校卒業して働くべきなんじゃ。ましてや、おまえは大学みたいなもん、行かんでもええんじゃ、甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては」と。父はそう何度も何度も言ったものだった。M川はこう言ったのが。「わしの息子なんかは、裏口入学で関西医大http://www.kmu.ac.jp/ に行ったが、高校は義務教育じゃないのに、ましてや、大学を裏口入学で行かせてもらったくらいやから、だから、一生懸命、勉強せんといかんなあ。それに対して、きみなんかは、義務教育でもない以上は、きみは高校に行く必要はなかったんじゃ。きみなんか、高校行かんでええんじゃ。きみは中学校でてすぐに働かんといかん人間なんや。それを高校に行くのは余計だったんじゃ。ましてや、きみなんか、大学なんか行くことないんじゃ。大学なんか、きみは行くことないんじゃ」と。父はそれを聞いて、「その通りや。M川先生の息子さんは裏口入学で関西医大に行かせてもらったんやから、一生懸命、勉強せんといかんのや。おまえは、高校は義務教育じゃないんやから、行くことなかったんじゃ。ましてや、おまえは、大学みたいなもん、行くことないんじゃ、チャンコロ。チャンコロは大学行くことないんじゃ、チャンコロ。甘ったれるなよ、チャンコロ!」と言い続けたのだった。医者屋のM川の理屈はズルイのは明らかだ。自分のドバカ息子は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで私立高校から私立金権裏口関西医大 に裏口入学させて、「そうやって大学に行かせてもらったんだから、一生懸命、勉強せんといかんなあ」という結論に導くのに対して、公立小学校→公立中学校→公立高校、大阪府で一番の北野高校に進学して、旧帝大系国立大学に合格できる可能性が十分にある私に、「きみなんか、高校に行くことないんじゃ。余計じゃ。ましてや大学に行くことないんじゃ」という結論に持って行く のだ。私が親ならそういう勝手なことを言うやつがいたら怒るのだが、我が家の父親は喜んだ。そして、「M川先生の息子さんは大学に裏口で入れてもらったんやから一生懸命に勉強せんといかん。おまえは大学行くことないんじゃ。おまえは」という結論に持って行って毎日言い続けた。私には「義務教育じゃないんだから、おまえなんか大学行く必要ないんじゃ」と言うが、M川の息子には「大学行かんでもええんじゃ」とは言わず、「裏口入学で行かせてもらったんだから、一生懸命勉強せんとあきませんなあ」と言うのだった。うちの父親はそういう男だった。私は今でもその文句が耳元でわんわんうなっている。慶應大なんてものに行かされてみると慶應大の教授なんて「高校行ったのは余計じゃ」という人間ばかりだった。父は「働くのを嫌がる人間は、モラトリアム人間病という病気にかかっとるんじゃ。慶應大学の小此木啓吾先生がそうおっしゃってる」と言ってアルバイトの口を見つけてきて「大学は勉強する所とは違うんじゃ。甘ったれるな。とってちってたあ」とか言ったのだが、それなら、小此木啓吾こそモラトリアム人間病であろう。小此木啓吾は「幼稚舎から慶應」「ゆりかごから墓場まで慶應」だったはずだ。小学校や中学校が義務教育というのは、あくまでも、公立の小学校や中学校のことで、慶應の幼稚舎だの中等部だのというのは義務教育ではない。小此木啓吾こそモラトリアム人間病である。小此木啓吾こそ「治療」される必要があったはずである。又、中学校は義務教育というのは公立の中学校のことであるから、灘とか開成といった6年制私立受験校の中学校もまた、「義務教育じゃないから行くべきではない」ことになる。 こういった理屈・基準から考えると、ましてや、東京電機大みたいなもん、行ったヤツ、行くヤツなんて、「高校行く必要ない」だけでなく、義務教育であろうがなかろうが、中学校行ったのは余計じゃ! 甘ったれるな! ということになる・・・・が、小堀住研(株)の自由が丘営業所にいた高橋は、マカ不思議なことに会津の人間なのに、なぜか、東京電機大なんてわけわからん私立大学に下宿して行ったのだった。よっぽど家が金持ちか超弩級のモラトリアム人間病かだったということだろう。北野高校の教諭の旧姓S野礼子(女。北野高校→神戸大文学部卒)もモラトリアム人間病だということになるはずだ。「高校は義務教育じゃないんだから行くべきじゃない」のに、高校に行っただけでなく、神戸大の文学部なんてものにまで行ったというのは、これは、よっぽど甘ったれていたからに違いない。実際、神戸大の文学部なんて、私は行きたいと思わなかったけれども、たとえ、行きたいと言っても、我が家なら絶対に行かせてもらえなかった。絶対に受けさせてもらえなかった。それを、ふんぞり返って行ったというのは、やはり、モラトリアム人間病で超弩級に甘ったれておったから、ということになるはずだ。 で、会津からわざわざ東京で下宿して東京電機大なんて受けさえすればアホでも通る学校に行って、それもカネのかかる私立大学のカネのかかる工学部になんて行った高橋賢一郎という男、相当に重傷のモラトリアム人間病と「診断」せざるをえない。「治療」してあげる必要があるだろう。

     1990年代、(株)一条工務店http://www.ichijo.co.jp/ で、福島県いわき市の営業所で「設計」という職種についていたH田靖(男。当時、20代前半)は、静岡県出身だったが、なぜか、東洋大学http://www.toyo.ac.jp/ などという受けさえすれば誰でも合格する私立大学の建築学科なんて卒業した人間だった。東大にでも行くのならわかるが、私立大学の建築学科でも早稲田大の建築学科にでも行くというのならまだしも、なんで、東洋大なんてわけのわからん、受けさえすれば誰でも通る私立大学の建築学科なんて行くために、静岡県の人間が東京で下宿して「大学」に行くのか? まったく、わけがわからない。そもそも、「高校は義務教育じゃないから行くべきじゃない」はずなのに、なんで、東洋大なんてわけのわからない「大学」に行くような男が高校に行くのか? ましてや、東洋大学なんてそんな「大学」になぜ行くのか? 「高校は義務教育じゃない」のだから、東洋大なんか行くような人間、大学に行くべきじゃないはずで、高校も行くべきじゃないはずだ。義務教育であろうがなかろうが、東洋大みたいなもの、行くような甘ったれたヤツ、中学校行く必要はない! 中学校行くな! 甘ったれるな!
   私がいわき市の営業所に赴任した時、営業本部長の天野隆夫が「寮に入ってもらう」と言うので、すでに30を過ぎてまだそんなものに入らないといけないのかと思ったが、営業本部長が言うのでそのつもりでいわき市に行ったところ、(株)一条工務店が家主から借りた、3部屋と駐車スペース2台分のアパートで、春田靖が2部屋と駐車スペースを2台分占拠していたため、私が住む部屋がなかった。会社は、工事課と営業課の従業員には、個人のクルマを会社が借りるという形式をとって会社の仕事に使わせていたが、設計課についてはクルマで移動しての仕事はしないという前提で、個人のクルマを会社が借りるということはしておらず、勤務場所へは設計課の人間は公共交通手段を使用して通勤するという前提で考えていた。だから、アパートが3部屋と駐車スペースが2台分のものを借りたというのは、工事課・営業課の従業員2人と設計課の従業員1人がそこに住めば、部屋は1部屋ずつで、駐車スペースは工事課・営業課の従業員が1台分ずつで、設計課の従業員はクルマを持ちたければ自分で別に月ぎめ駐車場を借りなさい、ということであったはずである。ところが、本来なら1部屋だけ会社から使わせてもらえるはずだった設計課の春田靖が、勝手に2部屋と2台分の駐車スペースを使用していたのだった。 なぜ、2台分ものスペースを春田のクルマが使用していたかというと、身の程知らずにばかでかいクルマに乗るものだから、1台分のスペースではおさまらないので、2台分占拠し、本来なら1台分使えるはずの工事課の人間は路上に停めていたのだった。私は、1部屋と1台分の駐車スペースを使用できるということでいわき市に赴任したのだったが、泊まる場所すらなかった。総務部にも言ったし、営業本部長の天野にも言ったが、本来なら、会社として、春田靖に、会社は設計課の従業員には1部屋貸しているだけであって、2部屋使っていいなどと言っていないし、駐車スペースは工事課と営業課の従業員には仕事でクルマを使うから使用させているけれども設計課の従業員にはクルマに乗って下さいと言っていないのだから、駐車スペースをあけなさい、クルマに乗りたいなら自分で月ぎめ駐車場を借りなさい、と言わないといけないはずだった・・が言わない。(株)一条工務店はそういう会社だった。又、営業所長のK野さんも春田に何も言わなかったが、総務部長に後になった天野雅弘が言ったのには「所長は売るのが仕事であって、管理するのは仕事と違います」ということだったのだが、それなら、春田に「部屋と駐車スペースをあけなさい」ときっちりと命令する人間が、所長以外にいないといけないはずだった・・がいなかった。そういう会社だった。(株)一条工務店は。
   その時、春田は入社2年目だったか3年目だったかだったが、受けさえすれば誰でも合格する・カネさせあれば入れる私立五流大学を卒業して新卒入社して2年目だか3年目だかの男に、2部屋と駐車スペース2台分をタダで使わせる会社なんて、(株)一条工務店のほかに、そんな会社、見たことないし聞いたことない。なんとも、変った会社だ。それも、会社がそこまで豪勢なことをさせるという規定にしていたわけでもないのに、勝手に占拠していたのだが、それを注意もしない。(株)一条工務店はそういう会社だった。それでいて、私には、泊まる部屋がない。「どうすればいいのですか。」「私は、今晩、どこに泊まればいいのですか」と言っても、適切な指示をしてくれない。そういう人権侵害の会社だった、(株)一条工務店は。浜松市に「防潮堤の費用」などと称して300億円も寄付するカネがあるなら、春田に注意して部屋をあけさせることをしないなら、私に一番安いビジネスホテルに泊まる費用を出すべきであったはずだが、それを出さない会社で、「保護義務違反」の会社であるとともに「著しい公平性の欠如」の会社だった。
    東洋大なんてわけのわからん「大学」を卒業して入社2年目だか3年目だかで、会社の規定を踏みにじって2部屋と駐車スペース2台分を占拠するというあつかましいふてぶてしい行為をはたらく男、この男の親はいったい何やってる人間なんだ? と思ったら、中学校の校長先生だと聞いたので、な~るほどなあ~あ、なるほど、そういう仕事についてる、親からして教育されないといけないような人間の息子だから、だから、こういう行為を働くんだなあ~あ・・と思ったものだった。
   なんで、東洋大なんてわけのわからん私立の学校に行くような人間が、静岡県の人間なのに東京で下宿して「大学」に行くのか? 東大にでも行くのならともかく、あるいは京大にでも行くのならともかく、静岡県でも「大学」はあるわけで、建築学科なら静岡大学の工学部が浜松にある(通称「浜松工業大学」)わけで、静岡大の建築学科にでも行けば良かったはずなのに、なんで、行かないのか? なぜ、東洋大なんてわけのわからん学校に行かないといけないのか? つくづく、わけわからん。
   私などは、「うちは工学部になんか、行かすような金持とは違います」と言われて、国立大学でもいかんと言われたのに、春田の親は東洋大学なんてわけのわからん私立大学にしか行けないような落ちこぼれのできそこないを、「大学」に行かすだけではなく、わざわざ東京で下宿させて行かすだけでなく、工学部なんて法学部・経済学部よりもずっと高い学費を払わないといけない学部に行かせた!・・・・ということは、よっぽどの大金持ちなのか・・・というと、中学校の校長先生だという話だったが、中学校の校長先生というのは、儲かるんだねえ!!!

    (2018.1.22.)

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この記事へのコメント

失笑
2019年09月22日 17:26
久々に救いようのない馬鹿な人を見つけました。
嫉妬って醜いですねぇ。。。

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