私の親が私には出さないカネで出した「特別献金」で東京神学大に行った男―早稲田奉仕園【6/6】

[第345回]
   私は、親の年収が少なかったなら、日本育英会奨学金を受給して大学に行くということができた可能性が高い。 日本育英会奨学金を受給できるかどうかは、学業成績と親の年収の2つで決まったが、高校・大学については、学業成績は「ある程度以上」でよくて、それよりも、親の年収が重視されたが、大学院の場合は、学業成績が優秀であることが条件で、親の年収は大学院になると関係ないようだった。私の場合、親の年収が高いのか安いのかはよくわからなかった。なぜ、よくわからなかったかというと、父は「わしほどエライ人間はおらんねんぞ、わしほど」とか言っていたので、そこまで言うからには、比較的年収も多い方なのかという感じがしそうだが、片方で、父の勤め先の父の部下にあたった工場長やっていた課長のMさんとかその下で係長になっていた元ボイラー万のKさんとかについて、「MさんとかKさんはわしより給料高いねん。うちの会社は、常務は課長とか係長よりも給料が安い会社やねん。常務はボイラーマンよりも給料安いねん」と言っていたので、そんな会社あんのんかいなあ? と思ったが、そうおっしゃる以上はそうなんだろうと思った。 どっちにしても、日本育英会奨学金を受給できる金額より大きい年収があったらしいので、対象外だった。
   親の年収が日本育英会奨学金を受給できる基準以下の人というのは、うらやましいなあ~あとつくづく思ったものだった。日本育英会奨学金を受給して大学に行く限り、カネを出すのは日本育英会奨学金であって、親が出すのではないわけで、日本育英会奨学金は、私の親が私に言ったように「何でも、カネだす者に決める権利があるはずや。親がカネだす以上は、どの大学に行くか、どの学部に行くかなんてものは、カネだす者に決める権利があるはずや」とは言わないはずだ。 だから、親の年収が少ない人は、小学校の1年から努力して勉強すれば、自分が行きたい大学の行きたい学部に行って、やりたい勉強をして就きたい仕事につける・・・と思って努力すればその努力はかなえられる。それに対して、日本育英会奨学金を受給できない程度に年収がある親がいた場合、「カネ出す者に決める権利があるんじゃ。わしの権利じゃ、わしの権利じゃ」ということになって、日本で一番嫌いな大学の首をもがれても行かされたくない学部に強制と脅迫と暴力によって行かされることになる。「それがチャンコロにとっては幸せというものなんじゃ」と言われて。

   日本キリスト教団のM教会のS田牧師さんは、「家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや。慶應みたいな学校は行かせてもらえんかった」などと何度も何度もいいまくったのだが、それが「牧師説教」だったのだが、「家が貧乏やった」のなら、日本育英会奨学金を受給できたはずで、日本育英会奨学金を受給できたなら、出してもらえる金額は「学費分」だったはずなので、金権裏口医学部の寄付金なんてのは日本育英会奨学金は出してもらえないので、裏口入学したいとかいう人は対象外だが、そうでなければ、比較的学費の高い大学でも安い大学でも、行く人間にとっては関係なかったはずだ。何より、慶應は、小学校から高校までは他の私立の学校よりも高いとかいう話を聞いたことがあるが、大学については「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」の学費の大学であり(早稲田よりも安いし)、他の私立大学と比較して「カネのかかる学校」ではない。日本育英会奨学金を受給できた人には慶應義塾奨学金として生活費を支給してもらえるという制度もあったはずで、この制度が他の大学にもあるのかないのかは私は知らないが、慶應はそういう制度がある大学で、「家が貧乏やった」人でも行ける大学のはずだ。なぜ、「家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや。慶應みたいな学校には行かせてもらえんかったんや」とか「牧師説教」だとして言いまくるのか。そして、「祈りましょう」なんて言うのか。母なんて、「クリスチャン」の使命として、牧師先生のおっしゃることはそのまんま信仰しなければならないと信じていたようで、毎週、そういう話を牧師先生から聞かせれて、そんな話を、そのまんま、信仰するようになったが、迷惑な話である。「S田先生は、あんたなんかと違って、家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや。家が貧乏やったから慶應なんて行かせてもらえんかったんや」と、いったい何回言われたことか。行けばいいじゃないか。慶應に行きたかったのなら。なぜ、行かない? 「家が貧乏やった」のなら日本育英会奨学金で学費を出してもらえたはずだし、慶應なら慶應義塾奨学金で生活費を出してもらえたはずだから、「家が貧乏やったから慶應なんて行かせてもらえんかった」なんてはずはないのだ。私はS田さんに、行くなとか行ってはいけないなんて一言も言ったことはないはずだが、なぜ、行かない?

   父は、私が高校生の頃などは、「そんなもん、勉強せんと暴走族やってるようなヤツなんて、高校行かさんと、自衛隊に入れたったらええねん」と言っていた。母も同様に言っていた。まあ、暴走族やってる人には、その人にはその人で事情があるのかもしれないけれども、ひとつの考え方として、高校は小学校から中学校まで勉強した人間の行く所であり、大学は小学校から高校まで勉強した人間の行く所であって、勉強する意志のない人間は行くことない、という考え方もあるだろう。 その考え方からするならば、大学は、一番やさしい地方国立大学でも入れないような人は、別に大学に行く必要ないだろうが・・・という考え方もある。私立大学は国公立の大学よりも学費が高いとしても、その私立大学にすら合格できないのに「大学」に行きたいという人は関西医大とか帝京大医学部とかいった金権裏口医学部に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りしたカネで裏口入学するわけで、私立大学というのは高校まで真面目に勉強してきた人間の行く国立大学と金権裏口医学部との中間に位置するものなのだから、だから、私立大学は国立大学を基準にすれば、「何パーセントか裏口」みたいなもんで、学費が国立よりも高いのはあたりまえ、と私などはそう思っていた。もっとも、慶應大の教授先生などは、「コストと利益を比較衡量して考えて、利益がコストを上回るならば」国立大学より学費が高い私立大学でも国立大学よりも価値がある・・と言われ、慶應大学は「コストと利益を比較衡量して」国立大学よりも価値がある大学だとおっしゃりたいらしかったが。大阪府高槻市に上宮天満宮というのがあって、予備校の近くにあったので、寄ってみたことがあるのだが、高校生の男女で「不良みたいの」がそこに来ていちゃついていたのを見たことがあった。 そういう人というのは、大学には行かずに高校卒業後、就職する人なんだろうなあと思っていた・・・のだが、ところが、実はそうでもなく、そういう人が「大学」に進学するらしく、しかも、「大学」を卒業する頃になると、「同じ大卒なのに、東大京大や慶應早稲田なんかの人間と扱いが違うというのは不公平だ。差別だ」とか言い出すらしいということを知って驚いた。そういう主張が通るのなら、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきた人間はバカみたいだ・・と思ったが、実際、私なんかはバカ見さされたことになる。
   S田さんは、「家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや」と言うわりには、大阪経大を卒業した後、トーシンダイ(東京神学大学)なんてのに、まだ行ったわけだが、私は自分が日本で一番嫌いな大学である慶應大に行かされてしまって、それも、「慶應の経済」というのは「神戸の経済」とともに最も嫌いな学部だったのが、その「慶應の経済」の片割れみたいな慶應の商学部に入ってしまったので、そんな学校に行かされるくらいなら、学費も生活費も出してもらわなくてもいいから、自分で働いて大学に行くと言ったのだが、ところが、「そう~はいくかい、そうは」と言って我が家の親は認めてくれなかったのだ。 北野高校の倫理社会のA先生は、大阪大学の法学部を卒業した後、大阪大学の文学部に入りなおして哲学科を卒業して倫理社会の先生になられたらしい。朝日新聞の編集委員だった本多勝一は、お父さんは薬学部に行かせて家で薬屋をさせるといいと思っていたが、本人は別の方向に行きたかったそうで、妥協点として、千葉大の薬学部に行って卒業して、それから、京大の農学部に行き直した、とどこかに書いてあったのを見た。そういう人もいるわけで、それで、私は、どうしても慶應の商学部みたいなもんに行かせたいのなら、しかたがないから、我慢して卒業するから、4年間無駄にしたとして、その後、自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行き直したいと言ったことがあったのだ。ところが、父は「うちは、大学を2つも行かすような金持とは違います。甘ったれなさんな」と言うのだった。「2つ目の大学は自分で学費と生活費を出して行くようにするから」と言ったのだが、ところが、父も母も「そうはいかんでしょうが。大学を卒業したら働いてもらって、親の生活を見てもらわんといかんでしょうがあ。こいつは、老後の対策のために産んだ子供なんやから、老後の対策に役立たんようなものなんて、何ひとつとしてさせてたまるかあ!」と、そう言ったのだった。
    父は「自分が行きたいと思う大学学部に行こうと言うのなら、新聞配達やって行くべきや」と言ったので、「それなら、新聞配達やって、大学に行きます」と私は言ったのだ。 但し、私は実際に新聞屋の配達の仕事をやった経験があるのだが、新聞屋の「新聞奨学生」として、新聞販売店の業務の配達・集金・拡張の3つのうち、配達だけやって、新聞屋が用意したアパートに入居して、朝晩の食事を用意してもらって、大学とか専門学校とか予備校とかに行く人というのはいるけれども、けっこう大変な仕事で、実際にやっている人というのは、東大とかそういう国立であれ私立であれトップクラスの大学の人はなく、「大学」でも、言っちゃなんだが、底辺の方の大学か専門学校の人、その学校の授業に出ておれば、進級・卒業くらいはできるというくらいの学校の人が多く、学校の講義にでるかどうかよりも、自分でどれだけ勉強するかが問われるような大学に行く人にとっては、体力的にもきついし、時間もとられるし、他にもっとふさわしい仕事があるのではないかと思えた。何より、高校卒業後に進学する場合は、国立大学や早慶くらいに行く人の場合は、「新聞奨学生」なんてやるよりも、日本育英会奨学金とか、あるいは、慶應大なら社会科学系学部の学生向けに企業が出す奨学金というのもあったが、そういうものを受給できないか考えた方が良いのではないかと思えた。父は「自分が行きたい大学の行きたい学部に行こうと言うのなら、新聞配達やって行きなさい」と言うのだったが、実際に新聞配達やって「大学」や専門学校とか予備校とかに行っている人を見ると、その「大学」は、私立大学でも底辺の方の私立大学、たいして勉強しなくてもいい大学、もしくは、出席しておれば卒業できる専門学校である場合が多かった。「予備校に行って浪人している」という人も、はたして、本当に通る気持ちあるのか疑問みたいな人、新聞屋の「奨学生」やって、新聞屋のアパートに住んで朝晩の食事にありついて、どこか、学校に行こうか、「新聞奨学生」にとっては、その労働に対して支払われるのは「給料+朝晩の食事とアパートの部屋代+学費」であり、学費をもらわずに配達だけやっていたのではバカなので、それで、「俺、どこの学校、行こうかなあ」と40過ぎて「新聞奨学生」やっていた人もいたし、そのまま、新聞屋の店員になってもいいけど、新聞屋の店員ならいつでもなれるのだから、しばらく、「新聞奨学生」として「学校」行こうかということで、「学校」として予備校に行ってる、なんて人もいた。 父は「新聞配達」というのを、苦学生としてとらえて、行きたい大学の行きたい学部に行こうと主張するなら、新聞屋をやらないといけないみたいに言うのだったが、実際の新聞奨学生というのは、そういうのとはちょっと違ったと思う。
   M教会のS田牧師さんにこそ、「新聞屋やれ」と言ってやればよかったのではないかと思う。 大阪経大なら、たいして勉強しなくてもいいのだから、新聞奨学生やって卒業すればよかったのだ。 S田牧師さんという人は「家が貧乏やったから、だから、慶應なんて行かせてもらえんかったんや」とか言いまくったくせして、「新聞奨学生」やったことないのじゃないか、考えたこともないのじゃないか。 「新聞奨学生」というのは、労働に対して支給されるのは「給料+アパートの部屋と朝晩の食事+学費」であり、その「学費」は金権裏口医学部の寄付金なんてそんなものは出ないけれども、国立でも私立でも大学でも短大でも専門学校でも予備校でもいいわけで、正規に入学した正規の学費なら、支払われるのは「学費分」であったわけで、大阪経大が「私立大学の中では学費が安い方」であったとしても、「新聞奨学生」やって大学などに行く分には、「私立大学の中では学費が安い方」であろうが高い方であろうが、行く人間には関係なかったはずなのだ。S田牧師さんが、「大阪経大が大学の中で一番学費が安かったから、だから、大阪経大に行ったんや。慶應みたいなカネのかかる学校なんて行かせてもらえんかったから、だから、大阪経大に行ったんや」と「牧師説教」で言いまくった、そして、「祈りましょう」とか言っていたのは、それは、日本育英会奨学金を受給するならどこの大学でも正規の学費である限り、低めの学費の大学でも高めの学費の大学でも支給してもらえるのは「学費分」なので一緒ということを考えたことがないからで、かつ、新聞屋の「新聞奨学生」をやって大学に行くなら、「新聞奨学生」が労働に対する対価として支給してもらえるのは「給料+アパートの部屋と朝晩の食事+学費」であり、その「学費」はどこの大学でも専門学校でも予備校でも「学費分」であって一定額が支給されるわけではないので、「新聞奨学生」をやって大学に行くなら、大阪経大の学費が「私立大学の中では安い方」であったとしても関係ないはずだということも知らなかったのではないか。
   父は、私が高校生の時には、「そんなもん、亜細亜大やたら大東文化大やたら、そんな大学行くようなヤツなんて、大学行くことあらへん」と言っていたはずだった。ところが、私が、ありとあらゆる妨害を受けて国立大学に落ちてしまって慶應大という一番嫌いな大学に行かされてしまうと、今度は、「◇◇さんの息子さんは亜細亜大やねんぞお。☆☆さんの息子さんなんて、大東文化大やねんぞお。わかっとんのんか、チャンコロ。チャンコロとは違って、慶應みたいなもん、行かせてもらってないねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、チャンコロ。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ、ちゃんころ、チャンコロ、ちゃんころ!」と言い続けた・・・・のだが、そう言うので、私は「なんで、亜細亜大とか大東文化大とかなんて、大阪の人間が下宿してまで行くような人がエライんですかあ~あ?」と言ったのだ。 父は私が高校生の時には「東大に行くとでもいうなら、下宿してでも行くべきやけれども、そんなもん、亜細亜大やたら大東文化大やたら、そんなわけのわからん学校に行くのに下宿してまで行く必要あらへん。そんな学校、たとえ、行くにしても、何にも東京の学校に下宿して行かんでも、大阪にもアホ大学はいくらでもあるんやから、大阪の学校に行けばよろしい」と、そう言っていたはずだったのだが、ところが、私が慶應大に行くと、言うことが変った。「◇◇さんの息子さんは亜細亜大やねんぞお。☆☆さんの息子さんなんて、大東文化大やねんぞお。わかっとんのんか、チャンコロ。チャンコロとは違って、慶應みたいなもん、行かせてもらってないねんぞ、わかっとんのんか、チャンコロォ!」と。 私が「なんで、亜細亜大とか大東文化大とかなんて、大阪の人間が下宿してまで行くような人がエライんですかあ~あ?」と言うと、父は「わからんか。わからんのか、チャンコロ」と言うのだった。「◇◇さんの息子さんはなあ、おまえみたいに慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもらえんから、だから、亜細亜大に行かはったんや。 ☆☆さんの息子さんはおまえみたいに慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもらえんもんやから、だから、大東文化大に行かはったんや。わからんのか、その程度のことが。わからんのか、わからんのか、わからんのか、チャンコロ、このチャンコロめが、よくも生まれやがったな、このチャンコロ。生まれなければよかったのに、チャンコロ。生まれなければよかったのに、このチャンコロ!」と言うのだった。それで、私は言ったのだ。 「なんで、慶應なら行けないような貧乏な人が亜細亜大とか大東文化大に行くんですかあ~あ?」と。 慶應は大学については「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」の学費の大学である。早稲田大よりも慶應大の方が安いし。 実際、慶應大と早稲田大と両方を受けて両方通ったが、絶対にどちらに行きたいということはなかったので、学費の安い方の慶應大に入学した、なんて言っていた人もいたし。 「なんで、金持ちじゃないから慶應には行けないという人が、亜細亜大だの大東文化大だのに行けるんですかあ?」と私は言ったのだ。 私は、高校卒業する年や浪人中、いくつかの大学の学費は調べたが、そこで知った内容としては、
1.国立大学は私立大学よりも安い。
2.国立大学と公立大学はまったく同じではないが、似たような学費である。
3.国立大学はどの学部でも学費は同じであるが、私立大学の場合、学部によって学費が異なる。法学部・経済学部・商学部・文学部はまったく同じということはないが似たような金額である。 工学部・理学部は法学部・経済学部・商学部・文学部よりも高い。 医学部はさらに高い。 但し、医学部は法学部・経済学部・商学部・文学部などより高いけれども、慶應大の医学部の場合は、私立大学とはいえ、私立金権裏口医学部とは異なり、正規入学である限り、法学部・経済学部・商学部・文学部などの学費の倍くらいであって、卒業すると医師として勤務できるということを考えると、「コストと利益を比較衡量して」、特に医者屋の息子とかでなくても進学を検討することはありうる学費で、サラリーマンの親が出そうとして出せないということもない学費と思われる。他に、慈恵医大なども法学部・経済学部・文学部などよりも高いが、正規入学なら寄付金などなしでも入れるという話で、大阪医大も定員までの合格者は寄付金などはいらないと受験要綱には書いてある・・・が、そういう医大には、京大・阪大あたりの医学部を受ける受験生に頼んで受けさせて合格させて、入学辞退者を続出させて、実際に入学する人間は補欠ばかりとして、補欠入学者からは寄付金ととるという大学も中にはあるとかいう話もある。
4.防衛大・防衛医大は、幹部自衛官になるためのコースで、学費が要らないだけでなく、公務員の扱いで給料をもらえる。但し、自衛官になりたい人はいいが、嫌な人には向かない。又、自衛官なので、入試に体育の試験もあったような気がする。だから、学業成績は良くても、体育が苦手とかいう人には向かないのではないか。
5.自治医大は私立に分類されるが設立者は全国の都道府県で、実質は公立のようなもの。学費はタダ、寮費もタダ。こんないいことはない♪ が、卒業後、出身地のへき地の病院に医師として何年だか忘れたが勤務することが条件とされている。 へき地の病院に勤めなければならないという制約はあるが、逆に考えれば、へき地の病院であれば就職先を紹介してもらえるわけであり、卒業後、就職先がなくて困ることはないということになる。
6.防衛大・防衛医大や自治医大は、入試の難易度はけっこう難しいが、それほど難しくない大学校も他にある。気象大学校・職業訓練大学校ほか、「大学校」という名称のものは、大学生の時から公務員の扱いで学費は要らないという大学校が多い。
7.私立の大学では、関関同立の場合、まったく同じではないが、法学部・経済学部・商学部・文学部の学費は、似たようなものだったと思う。
8.慶應と早稲田では、慶應の方がブルジョワの大学みたいなイメージがあるが、学費については、慶應の方が安い。かなり。早稲田の人間は「野人」とか言ったり、「早稲田の貧乏学生」とか言ったりして、貧乏学生は早稲田みたいなイメージを広めているが、学費は早稲田の方が慶應よりも高い。昔から。
  落ち着いて考えてみると、慶應や早稲田のような大学は、昔からある大学なので、新設の私立大学と比較すると、大学の敷地や校舎の建物に新たにカネをかけなくても、すでにあるわけで、そこにカネをかける必要はないし、慶應や早稲田の非常勤講師などは、(慶應や早稲田の講師を1年でもやればハクづけになるので)タダでもやりたいやりたいという人がわんさといる! とかいう話で、教員を集めるのにも無名の私立大学よりも条件はいいはずで、そして、慶應の場合は「OBが寄付してくれる大学」と言われ、その場合のOBとは私みたいな貧乏人のOBのことではなく、「財界が寄付してくれる」という意味のようで、日吉や三田には財界の寄附でできたという建物がいっぱいあるらしい・・・わけで、無名の私立大学にはそういう寄附はないはずであり、そういったことを考えると、慶應は無名の私立大学よりも、運営はずっとやりやすいはずで、学費も低めに設定できるはずだった。 なぜ、「慶應はカネがかかる」というヨタ話があるかというと、それは、大学は慶應は「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」だが、小学校から高校までは「私立の学校の中でも高い」という話があり、これは、小学校から高校までは、意図的に高めにして、誰でもは入れないようにして、大学は逆に「国立大学よりは高いが、私立大学の中では安い方」に学費を設定することで大学の入学試験で合格最低点以上とれば誰でも入れる・・ということにすることで、大学の評価を下げないようにした、というものではないか。
9.私立大学の場合、東京の慶應・早稲田、それに「私立」に分類されるが都道府県が設立した大学でタダの自治医大、関西の関関同立、私立だが正規合格なら寄付金とかは要らないらしい大阪医大、これ以外は、受ける可能性はないと思っていたし、亜細亜大とか大東文化大とか大阪経済大とかなんて、学費が高いか安いかにかかわらず、通っても行きたいとも思わなかったので、「対象外」と考えていた。 だから、その「対象外」の「大学」の学費が高いのか安いのかなんて、知らない・・・が、大阪経済大の場合は、昔から、入試の難易度は易しいけれども、私立大学の中では比較的安い方の学費の大学なので、成績はあんまりいい成績をとれないけれども、家が裕福でない人でそれでも大学に行きたいという人がよく行く大学だと言われてきた大学で、成績はあまりいい成績ではないが裕福でない家庭でも努力して大学に行こうという人だけあって「金持ちのボンボン」とは違って真面目に努力する人が少なくないという話もある大学だったので、たぶん、「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」なのだろう、と思っていた。
   だから、亜細亜大とか大東文化大とかの学費は、国立大学よりは高いと思われるが、私立大学の中で高い方なのか安い方なのかは私は知らない・・・・が、たぶん、慶應大より高いのではないかと思いますよ。慶應は「私立大学の中では安い方」ですから。 で、なんで、「◇◇さんの息子さんは亜細亜大やねんぞお、☆☆さんの息子さんなんかは大東文化大やねんぞお。おまえみたいに慶應みたいなもん、行かせてもろうとてへんねんぞお」などという話になるのか? なんか、もう、わけわからん・・・・が、たぶん、そのバカ息子の親というのが、「大阪から東京の私立大学になんて息子さん行かせたらおカネかかるでしょう」とか、「東大か慶應・早稲田とかなら少々おカネがかかっても行かせる価値はあるとしても、亜細亜大やたら大東文化大やたらなんて、そんな学校に行くなら、大阪にでも私立大学はいくらでもあるんやから、そういう所に行けばいいのに、そんな大学に行かすために東京に下宿して行かすやなんて、お金持ちやねえ」とか言われそう・・・と思ってものだから、逆に、機先を制して、先に「うちらは、貧乏でっさかいに、慶應みたいなカネのかかる大学には行かせられまへんね~ん」とバカ息子を下宿させて亜細亜大とか大東文化大とかに行かせたようなおっさんが言ったのだろう。そういう「しょーもないこと言い」はけっこういるものだ。 「けっこう」というよりも、ゴマンといる、そういう「しょーもないこと言い」は。
   そういう「しょーもないこと言い」のおっさんなんてゴマンといるのだが、私が親の立場で、私の息子が下宿して慶應なり早稲田なりに行っていたならば、ま~た、「しょーもないこと言い」が出てきたかとうんざりするだけのことで、「はい、はい、はい」とでも言って聞き流すだけだが、ところが、私の父はそうではなかったのだ。そういう「しょーもないこと言い」のおっさんの話を聞くと、そうや、この話を言うたろ♪ と考えるのだった。 で、「わかっとんのんか、チャンコロ。◇◇さんの息子さんは亜細亜大やねんぞお。☆☆さんの息子さんなんかは大東文化大やぞお。わかっとんのんか、わかっとんのんか、わかっとんのんか、チャンコロ。ちゃんころ、よくも生まれやがったな、このチャンコロめが、このチャンコロ」と言いまくるのだった。私の鼻の頭を指さして。 
   「よくも生まれやがったな」とか「生まれなければよかったのに」とか言うので、「産まなければよかったのと違うのですか」と言ったのだ。実際問題として、生まれてからのことについてならともかく、「よくも、産まれやがってからに」と産まれたということについて文句を言われても、それはこっちが文句言いたいくらい、ということになる。 しかし、父は「何を言うとるんじゃ、チャンコロ。生んでやってやってもらってあげてやっていただいてくださってもらってあげてやってやったったんじゃ。感謝しろ。チャンコロ」と言うのだった。 なんで、「よくも生まれやがってからに」「生まれなければよかったのに」と言われるような息子に産んでいただいてあげてもらったことを「感謝」しなければならないのか、よくわからなかったが、どうも、「生まれなければよかった」ような人間を生んでもらってあげていただいてくださってあげてもらってやってやってやってやったった、ということを「感謝」しなければならないようだった。

   S田牧師さんは、牧師になりたかったのなら、なんで、そこに行っても牧師になれるわけでもない大阪経大になんて行ったのか? よくわからんなあ。 で、「家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや」と何度も何度もおっしゃったらしく、牧師先生がおっしゃることは何でも信仰するのが「クリスチャン」のつとめと思っていたらしい母なんかは言われたことを信じていたようだが、大阪経大を卒業したなら、そのまま会社づとめすればよさそうなのだが、なぜか、トーシンダイ(東京神学大学)なんて行かれたのだ。不思議だなあ。私なんかは、どうしても、慶應に行かせたいのなら、しかたがないから、慶應大を卒業するが、その後、自分が行きたい大学の行きたい学部に行くと言うと、「だ~れが行かすかあ~あ」と父も母も言ったはずだった。なんで、「家が貧乏やった」人は、私立大学2つも行かせてもらえるのお? なんでえ? なんでやのん? な~んでえ~え?
   私は母に言ったのだ。「家が貧乏やったのなら、真面目に勉強して、学費が安い国立大学に行けば良かったのと違うのですか。東大に行けばよかったでしょ。どうして、S田さんは東大に行かずに大阪経大に行ったのですか」と。 母は「東大なんか言ったら下宿しないといけないでしょう。交通費もかかるでしょうがあ」と。 東大に行ったら、下宿代と交通費がかかるから、だから、東大に行かずに大阪経大にお行きになったらしい。 なるほど。「それなら、大阪大学に行かれたらよかったのと違いますか。阪大なら下宿代も大阪から東京までの交通費もかからないでしょう。なんで、大阪大学に行かずに大阪経大にお行きになったのですか?」と。 すると、母は「阪大よりも大阪経大の方がいいからでしょうがあ」と言ったので、私は「そうでしょうかねえ~え。普通、阪大と大阪経大なら、阪大の方がいいとたいていの人間は考えると思うんですけどねえ~え。大阪経大の方が阪大よりもいいて、そんなこと思う人、あんまりないと思いますけどねえ~え。大阪経大の方が阪大よりもいいでしょうかねえ~え?」と。すると、母は「何を言ってますのん、あんたはあ。家が貧乏やったから勉強させてもらえんかったから、大阪経大しか行かせてもらえんかったんでしょうがあ。あんたみたいに勉強させてもらえんかったんでしょうがあ」と。 それで、私は申しました。「家が貧乏やったのなら、貧乏であればこそ、学費の安い国立大学に行こうと努力して勉強するもんと違いますのおん? なんで、家が貧乏な人が、努力して国立大学に行こうとしないんですかあ? 家が金持ちじゃないから国立大学に行こうと努力して京大なり阪大なりに行った人間というのは、甘ったれてるとか言われて、家が貧乏やのにからに、国立大学に行くだけの努力をせんと大阪経大なんて行った人というのは、家が貧乏やったからエライ! とかほめられるんですかあ? それでは、なんやら、真面目に努力した人間はアホみたいですねえ~え」と。 そうでっしゃろ。そういうことになりますやろ。
   それで、だ。東大に行かずに大阪経大にお行きになった理由は、「東大に行くと下宿代と大阪から東京までの交通費がかかるから」だったのですが、神学部には、摩訶不思議なことに、関学の神学部とか同志社の神学部とかいって、関西の大学の神学部ではなく、下宿代と大阪から東京までの交通費のかかるトーシンダイ(東京神学大学)なんてのにお行きになったのです。 「なんで、東大なら交通費がかかるのに、トーシンダイならかからんのですかあ? 東大に行くには下宿代と交通費がかかるけど、トーシンダイならかからんのですかあ? 下宿代と交通費がかからん大学というなら、神学部でも関学の神学部とか同志社の神学部とかに行かはったら良かったのとちがいますのおん? なんで、『家が貧乏』な人が下宿代と交通費のかかるトーシンダイなんて行かはりますのおん? なんでですかあ?」と言ったのだが、母は「それは、トーシンダイの方がいいからでしょうがあ」と言うのだった。それで、私はこう言った。「そうでしょうかねえ。普通に考えれば、同志社の神学部とか関学の神学部とかの方がいいのとちゃいますかねえ。トーシンダイなんて、そんなもん、知りまへんなあ」と。
   同志社の神学部とか関学の神学部は、同志社・関学の法学部・経済学部・商学部・文学部に比べて入試の難易度は易しいが、基本的には牧師さんになるコースなので、卒業時において民間企業に勤めたいと考えた場合には法学部・経済学部・商学部卒の人間と同等の扱いにはならないようだが、しかし、北野高校に合格して合格発表から1年の1学期が始まるまでの間に読んだ、学研のコースブックスで出ていた『どの大学が入りやすいか』という本には、「神学部でも同志社だからいい」「神学部でも関学だからいい」と思って入学する人もいると出ていた。 元外務省の佐藤優氏はユニークな経歴の人のようで、埼玉県の浦和高校という進学校を卒業して同志社の神学部に行って、卒業後に外務省に就職するという、変わったコースを進んだようだが、同志社の神学部とか関学の神学部には、牧師にならずにそれ以外のコースに進む人もあるようだ。駒沢大とか鶴見大とか竜谷大とかを卒業しても、すべての人が坊さんになるわけではない、みたいなものだろうか。それに対して、《ウィキペディア―東京神学大学》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6 には、≪受験資格は、一般の大学の受験資格に加え、プロテスタント教会で洗礼(バプテスマ)を受けて1年以上教会生活を送っていることと、所属する教会からの推薦を受けられることが必要である。入試においては、学力というよりも召命感が重んじられているということで、たとえペーパーテストの成績が良かったとしても、伝道者を目指す目的が明示されないと入学が許されないこともあるという。 ≫と出ており、同志社の神学部や関学の神学部は、卒業後、牧師にならないといけないということはなく、同志社・関学の法学部・経済学部・商学部・文学部よりもずっと入試の難易度は易しいけれども、それでも同志社、それでも関学であり、法学部・経済学部・商学部などと比べると民間企業などへの就職は不利だけれども、本人が牧師以外への道を進みたいというのなら認められるのに対して、トーシンダイは入試の難易度は、京大・東大などよりずっと易しい同志社・関学の法学部・経済学部・商学部・文学部などよりもずっと易しいとはいえ、それでも同志社、それでも関学であるので、無茶苦茶易しいわけでもなく、ある程度の成績は必要とされる同志社・関学の神学部よりも、ずっと易しいけれども、卒業後は牧師になるしかないという、牧師養成所という性格がより強い学校のようだ。
   私が、母に「なんで、東大に行くと下宿代や交通費がかかるから、だから、東大に行かずに大阪経大に行ったという人が、神学部は同志社の神学部や関学の神学部に行かずに、下宿代や交通費がかかるトーシンダイ(東京神学大学)なんて行ったんですかあ? 東大に行くなら下宿代や交通費がかかるけど、トーシンダイならかからんのですかあ~あ?」と言うと、、母は「それは、トーシンダイの方が関学の神学部や同志社の神学部よりもいいからでしょうがあ」と言い、私が「へえ~え? そうですかねえ。普通に考えて、同志社の神学部か関学の神学部の方がトーシンダイよりもええのとちゃいますかあ? トーシンダイなんて知りまへんなあ。そんな学校」と行っても、母は「それは、あんたがよく知らんからでしょうがあ。キリスト教についてよく知ってる人にとっては、トーシンダイの方が同志社や関学よりも上なんでしょうが」と言った。「そうですかねえ。同志社の神学部や関学の神学部の方が上と違いますかねえ。トーシンダイなんて、知りまへんでえ、そんな学校。あったんですか、そんな学校」と言っても、信仰に生きる「クリスチャン」である母は牧師先生を信仰しているので、「トーシンダイの方がいい」と信仰していたようだった・・・・が、ウィキペディアを見てわかった。
   旧帝大系国立大学や早慶あたりに行った人間にとっては、日本育英会奨学金を受給するのは、成績の部分については、大学入学時に申請する限りにおいては、比較的認められやすく、ネックになるのは親の年収の方だったが、大阪経大くらいに行く人にとっては、親の年収ではなく、学業成績の方がネックになって認められなかったのだろう。 だから、「家が貧乏やったから、大阪経大に行った」というのは、その人の学力で行ける可能性がある「大学」の中では大阪経大が一番学費が安かった、という意味だろう。東大とか阪大とかと比べてどうという話でもなく、慶應大と比べてどうという話でもないはずだ。で、なんで、トーシンダイなのかというと。東大・京大や早慶あたりを卒業した人が、卒業後、俺は牧師になるんだと考えたとすると、関西人なら、同志社の神学部とか関学の神学部がまっさきに思い浮かぶはずだ。トーシンダイなんて、「そんなもん、知りまへんなあ」てところだ。 ともかくも、東大京大とかに行ったような人間からすると、同志社とか関学とかに行き直すというのは、それはプライドが許さんところだが、あえて、プライドを自分自身で引っ込めてでも「牧師になるんだ」と考えた人間にとっては、同志社の神学部か関学の神学部は最初に考える所だろう。トーシンダイなんて「知りまへ~ん」し、同志社の神学部や関学の神学部の入試なんて、一回、東大や京大の試験に通った人間にとっては、易しいもの・・となめてかかると落ちる可能性もないとはいえない、としても、十分通るだろう。 それに対して、「家が貧乏やったから(その高校卒業時の学力で行ける可能性のある大学の中では学費が安い方の大学だった)大阪経大に行った」と言っている限りはまあいいとして、「家が貧乏やったから慶應なんかは行かせてもらえなかった」とか言い出しやがった段階においては、「バカ言ってんじゃないわ♪」「よく言うわ!」〔⇒《YouTube―三年目の浮気 》https://www.youtube.com/watch?v=DgBvi-cZbJM 〕てヤツにとっては、大阪経大を卒業後に関学の神学部とか同志社の神学部とかを受けて通ろうとしても、通らない可能性が低くなかったのではないか。 それに対して、トーシンダイの場合は、≪入試においては、学力というよりも召命感が重んじられているということで、たとえペーパーテストの成績が良かったとしても、伝道者を目指す目的が明示されないと入学が許されないこともあるという。≫と、《ウィキペディア―東京神学大学》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6 には出ており、要するに、「家が貧乏やったから学費が一番安い大阪経大に行ったんや。慶應みたいなカネのかかる大学には家が貧乏やったから行かれへんかったんや」とか、「子供の頃から、債権者に追われて大変やった。債権者に追われることほど大変なものはない。債権者に追われる経験をした者は、どんなことだってできる。(債務者に逃げられて、本来払ってもらわないといけないものを払ってもらえなかった人間の大変さなんてどうでもいい。)」と、「牧師説教」だとして毎週毎週言いまくってやりたいという「召命感」を強く持っている人は、学業成績は悪くても入れるわけだ。 だから、東大・京大あたりに行こうとした人間は、最終的に東大京大に行ったか、方向を修正して阪大あたりに行ったか、落ちて慶應か早稲田あたりに行ったかにかかわらず、同志社の神学部・関学の神学部というのは入学試験の難易度としては易しいのだが、「家が貧乏やったから大阪経大に行ったんや。慶應みたいな学校は家が貧乏やったから行かせてもらえんかったんや」とぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ言いまくる人にとっては、同志社の神学部、関学の神学部の入試の難易度は難しかった、ということだろう。その点、トーシンダイというのは、「召命感」として「家が貧乏やったから慶應なんて行かせてもらえんかったから、だから、大阪経大に行ったんや」(よく言うわ♪)・「債権者に追われて大変だった。債権者に追われる経験ほど大変なものはない。私ほど苦労を経験してきた人間はこの世にない。(債務者に逃げられて払ってもらわないといけないものを払ってもらえずに逃げられた人間なんて、たいしたことない。)」と「牧師説教」として言いまくり、「祈りましょう」と言いたい言いたい言いたい言いたいという「召命感」さえ持っておれば合格できて入学できる! とそういうことのようだ。だから、トーシンダイだったのだ。わかった、なるほど、なるほど~。 実際のところ、トーシンダイなんてそんな学校、爆破でもしてやりたいくらいだ。こちらにとっては、いい迷惑だ。「爆破でもしてやりたい」と言っても爆破するわけにもいかないとしても、実際問題として、トーシンダイは迷惑な存在だ。

   そして、S田さんは、自分だけではなく、五流私立大学を卒業した人、私ならそんな大学、もしも、行きたいなんて言っても絶対に行かせてもらえなかっただろうと思われるような私立大学に行かせてもらってそれを卒業して会社勤めをしたけれどもうまくいかないから牧師屋に転職(DODA!)したいと思ったらしいにーちゃんに、「トーシンダイに行くための学費を教会員の人で出してあげましょう」などと言い出して、そして、「特別献金」だとしてカネを集めたのだ。私の親も「特別献金」として払ったようだ。 私が東大の文学部の哲学科とか宗教学科とかに行って、キルケゴールの研究をやりたいと言えば、「甘ったれるな!」と言った人間が。 私には「デンマーク語みたいなもん、勉強せんでもええ。甘ったれるな、チャンコロ! のぼせあがるなよ、チャンコロ。つけあがるなよ、チャンコロ。おまえはそんなもん、勉強せんでもええんじゃ、チャンコロ。とってちってたあ~あ。すべてを親コッコッコのためにささげつく~す。とってちってたあ~あ。どんがんどんがらがったちゃちゃちゃちゃちゃ~ん♪」〔⇒《YouTube―<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ) 》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕と言った親が。 五流私立大学行かせてもらって卒業して会社づとめしたけれどもうまくいかないので、牧師屋に転職したいと考えて、同志社の神学部や関学の神学部よりも学力においては入りやすいトーシンダイに入学して行くための「特別献金」を払って、そして、おっさんは言ったのだ。「わしぁ、聖人やね~ん」と。 「これも神のおぼしめし」ということか。「祈りましょう」。

   慶應大に行っていた時、ある教授が講義の中で、「慶應のOBの集まりに行くと、『最近の若い者は』などと言うやつがいるけれども、おまえ、若い者のことをどうこう言う資格があるか。 おまえ、大学生の時、何やってた。おまえ、大学生の時、親からの仕送りのカネで赤線 行ってただろうが。そんな人間に若い者の批判をする資格なんて、あるか!」と話されたことがあった。それは、たしかに、一理ある。私も若い頃はその教授が言われたようなことを思った。前田護郎さんは「聖書の思想と歴史」(『世界の名著 聖書』中公バックス 所収)で、≪左翼のまじめな人々のほうが、その日その日をいい加減にすごしていく連中よりもずっと尊敬にあたいすると思うとともに、自分も、苦しみ悲しむ人たちのためにつくす点で彼らに負けてはならない、そして、机に向かっていることが学生としてのわたくしにとっては一番いい準備であるし、それ以外ではありえないという慰めも与えられていました。・・≫と書いているのですが、私も、同様に思った時期があったのです・・・・が、しかし、ここで問題になるのは、もしも、親からの仕送りのカネで赤線に行ったとしても、別段、卒業後の仕事を失うことはなく、「左翼のまじめな人々」がその「まじめ」さのゆえに職を失うということがあったとすると、どちらが「まじめ」なのか、という問題も発生してしまうのです。私は大学生というのは、阿部次郎『合本=三太郎の日記』とか森鴎外『青年』とか夏目漱石『こころ』『三四郎』『門』とか、久米正雄『学生時代』とか、三木清『人生論ノート』とか、アンドレ=ジッド『狭き門』とか、ショウペンハウエル『意思と表象としての世界』とかそういうものを読むものだと思っていたのです・・・が、慶應の学生は「平凡パンチ」とか「プレイボーイ」とかを読んでおったのです。こいつらは堕落したクズの学生だと最初は思いました。しかし、もしも、「平凡パンチ」や「プレイボーイ」を読んでるヤツが就職の際に歓迎されて、ショウペンハウエル読んでる人間が忌避されたとすると、どっちが「真面目」なんだ? ということにもなってくるのです。

   《ウィキペディア―東京神学大学》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6 には、≪教師も学生も日曜日は教会で奉仕をするので、月曜日は選択科目が2コマあるだけである。≫と書いてある。大学生で、親からの仕送りのカネでソープランドに行くヤツというのは、それ自体は、いい感じはしないとしても、親から生活費を出してもらって、それで生活しながら、片方で、≪日曜日は教会で奉仕をする≫人というのはどうか? 「奉仕」なんてする暇があるなら、おのれで生活費を稼ぐべく、その時間だけでも働いたらどうなのか? ということにならないか。
   ましてや、教会員に「特別献金」して出してもらったカネで私立大学に行かせてもらった男が、≪日曜日は教会で奉仕をする≫て、ひと、バカにしてんのけ!?! 生活するために、せっせと働いている人間が払った「特別献金」のカネで、すでに成人して働いて生活していていい年齢の人間が、私立大学に行かせてもらって、≪日曜日は教会で奉仕をする≫て、どういうこと、それ? 「奉仕」なんてものは、最低限、おのれひとりが食べていけるだけの生活費を稼いでいる人間がすることと違うのか? 私には「哲学だの宗教学だのを勉強したいとかいうようなヤツは、ノイローゼか何か病気にかかっている人間でR」「宗教はアヘンでR とマルクスは言うてお~る」「宗教を学びたいなどと言うて、働くのを嫌がる人間は、モラトリアム人間病という病気にかかっている人間であって、治療してやる必要がR.慶應大学の小此木啓吾先生というえらい先生がおっしゃってる」とか言って、私には、宗教哲学の研究なんて絶対にさせてはなるものかという態度を取り続けたおっさんが払った「特別献金」のカネで、五流大学しか行けない学力の人間がトーシンダイなんて行かせてもらって、その人間が「日曜日は教会で奉仕をする」て、何、それ? 「献金」とかもするのと違いますか、「特別献金」でもらったカネで私立大学に行かせてもらった男が。バカにしてんのけ!?! おめえは!・・・親からの仕送りのカネでソープランドに行くヤツの方が、よっぽどマシと違うのけ?

   私が、東大の文学部哲学科にでも行ってキルケゴールの研究でもやりたいと言えば、「そんなもの、せんでもええんじゃ。チャンコロ。甘ったれるな、チャンコロ」と言った私の親が払った「特別献金」のカネで、トーシンダイ(東京神学大学)に行った、私立五流大学卒の男は、トーシンダイ(東京神学大学)を卒業して、牧師になって、そして、今頃、どこかの教会の牧師先生として、きっと、私よりも高い給料をもらっていることでしょう。「これも、神の思し召し」ということでしょうか。「祈りましょう」。あーめん、そーめん、まんまんまん・・・。あれだけ出すのにどれだけきついかぁ~あ、わかるっしょ♪〔⇒《ニコニコ動画―ヤーレンソーラン北海道(牛バージョンPV)》http://www.nicovideo.jp/watch/sm8169953 〕

   「クリスチャン」て勝手だなあという気もするし、私には、東大の文学部とかで宗教哲学の研究をしたいと言っても絶対にさせてくれなかった親が出した「特別献金」のカネで、トーシンダイに行って牧師屋になったヤツにカネ渡すための教会なんて行く気になりませんね。キリスト教系の学生寮というのも、なんか、どうだかな・・・とか思ったりしてしまうのです。もう、今さら、学生寮に入る年齢じゃないですけれどもね・・・。
   (2018.1.16.)

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